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何度も書こうと思いながら、全く頭の中が整理されず文章が思い浮かばない・・・という時期をようやく乗り越えたのか、やっと、ここで呟こうとしている今の私。やはり、文章を書くという作業は、集中力を必要とする作業でぼ~っとしたうつ状態では、うまくまとめることができないんですよね。かといって、今から書く内容がまともなものになるかはやってみないとわからない!?みたいな。何だろう。今、私の中では大きな変革期が訪れている。というかカウンセリングでいろんなことを話し、ようやく出てきた言葉が「ゆっくり生きたい」だった。よくよく考えれば、仕事をしていない今の生活はゆっくり生きているようなもののはずなのだが、私にとっては、息継ぎする暇もないように思える時間の流れだったのだ。誰に言われたわけでもなく、家族のことだったり自分のことだったりいつも何かの目標を設定して、それに向けて突き進む感じ。そうやって忙しなく生きていたことに気が付いたんです。陶芸教室に通うようになってから、趣味で絵をやっていたり旅行に行ったりした話を楽しそうにおしゃべりしていたりする人たちと触れ合うことで、私とは別世界の自分を楽しんでいる人たちを知ることができた。もちろん、陶芸教室に来る人達の年齢層はかなり高い。私の母親くらいの年齢の方たちもいる。今までの人生を振り返ると自分の時間を楽しんでもいい時期にいる人たちなのかもしれない。でも、自分で言うのも何なんだが、私はかなり生き急いでいたような気がする。何かの目標を設定して、達成して、次の目標を設定して、達成して・・・の繰り返しで、今のカウンセリングでやっているような振り返りをしてこなかった。自分の本当の感情に向き合ってこなかったし、どれもこれも仕方がないんだと自分の中で未消化の感情たちに蓋をして、生きてきた気がする。いや、振り返りができない環境にあったと言う方がより正確だと思う。辛抱に辛抱を重ねた感情たちが、結局、こんなに長くうつ病を長引かせているのだから。そして、今はようやく自分の感情の振り返りをしても問題ない環境にたどり着くことができたのだ。ただ、カウンセリングの先生は、私のカウンセリングはまだまだ長くかかると思います。と言っていた。だから、私は相当な量をため込んでいるのだろう。この心の奥にある感情を吐き出す作業は、時には苦しい作業だったりする。誰も否定しない安心できるカウンセリングという環境だからこそ勇気をもって話すことができたりするのだと思う。そして、その作業をすることによって、自分の気持ちを素直に感じなおすことでその場では本当は怒っていたことや、つらかったことを受け止め直しまた次の感情に向き合っていく。。。。今までのカウンセリングの中で、私は多くの理不尽なことを素直に受け止めることができた。「○○だから、仕方がない。」と当たり前のように受け入れていたことも多くはとても理不尽なことで、本当の私はとても怒りを感じていたということもわかった。理不尽なことを、素直に理不尽だと言える環境がどこにもなかった私。そのうち、理不尽なことすら当たり前だとあきらめることが普通になっていた私。そして、その理不尽を打ち消そうと、自分を常に進化(退化!?)させて生きてきた私。振り返ると、私の通ってきた道はかなり複雑な道のりだったと思う。いつも複雑な道が当たり前だったから、複雑な道を平たんな道として見て生きようとしていた私。私の中では、あらゆることがまだまだ未消化、未解決。でも、それは、おいおいカウンセリングの中でゆっくりと向き合うことにして今の私をどう生きるかは、理不尽なメガネをかける必要もないのだから思うように生きてみたいと思う。それが、私の発した言葉「ゆっくり生きたい」という意味だとわかった。今まで自分の中で許してこなかった生き方だ。できる自信もないが、このままうつが続くのはごめんだ。だめもとでトライしてみよう。
2019年11月19日
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昨日は、お茶碗とおちょこを二つをオーブン陶土で作りました。家で陶芸デビューです♪ろくろのスキルを上げたくて、マイろくろをゲットして、家で陶芸ができるオーブン陶土をを購入しました。いや~。めっちゃたのしい!陶芸教室で習ったことを復習したくて。教室でも、家で作品を作ってきたら、一緒に焼きますから。と言っていただいているので、信楽の土も家に持って帰ってきました。陶芸がこんなに楽しいとは想像していませんでした。欲しい器があれば、自分で作ればいいなんて。眠っていた創作意欲がかきたてられます。私の人生後半の柱になりそうな趣味を見つけた気分です。私の人生前半の趣味は音楽でしたが、実はしばらく楽器を吹いていなかったからかいざ楽器を吹こうとすると、ほほの筋肉が震えてきてしまって口周りの筋肉機能を自分で制御することができません。口以外にも手もふるえてしまうことがありとても人前での演奏なんてできない状態だったので吹きたいのに吹けない!という、私にとってはとても悲しい状況なのです。もちろんひとりでお遊び程度なら、吹くことはできますが人と合わせる演奏に関しては、正直、楽しみと不安が入り交じり不安の方が大きくなっています。先日、歯医者に行った時も、口をあけっぱなしにしていたら、口周りの震えがでてしまって止めるのに大変でした。また、デイケアの料理プログラムでも朝から気持ちがそわそわしていたところに、グループ作業で、女は私だけのグループになってしまってなんだか私ががんばらなきゃいけないっていう緊張もあわさって手が震えてしまっていました。小麦粉を軽量スプーンではかれなくて他の人が声掛けしてくれて交代してくれたりして他の作業もできるものからやっていきました。震えに関しては、緊張が増すと、制御できなくなり抗不安薬を飲んで、その場をやりすごす・・・みたいなことをしています。・・・だから、一人でできる陶芸という奥深い趣味ができたことが、とてもうれしいのです。土と格闘している間は、私一人の世界で楽しめる。そもそも、精神疾患になってから楽しいと感じる時間を自分一人でつくることはなかなかの困難でした。だって、気持ちがあがらないから。楽器を吹きたいと思っていても、気持ちがあがらないから、腰があがらない。できない理由をたくさんあげてしまう。その代わりに、水彩色鉛筆で絵をかいたり、塗り絵をしたり、刺繍をしたり・・・どれも一過性の熱量でしか、できませんでしたがそれは、一人でやっていたからかもしれません。教室にいったりと、他の人との交流があれば、それぞれの趣味も、もっと熱量が高くなっていたに違いありません。その点、デイケアで、芸術活動のプログラムでは絵画も選択肢に入っていたので、水彩色鉛筆で作品を作るとデイケアの壁に貼られて、みんなが鑑賞して、いいねって言ってくれる。だから、また水彩色鉛筆での作品作りを芸術活動のプログラムの時にやろうかな、なんて考えている。陶芸教室にしても、デイケアにしてもみなさんが優しく作品を肯定してくれるからきっとこれも、次の作品も作りたいという熱量に変わっていくんだと思う。音楽の世界に戻っていくと以前所属していたアンサンブルメンバー以外の場では生存競争のように、できない部分を指摘されて、練習を強いられて非常に神経をすりへらす。。。ということが、安易に予想できる。そして、その環境に、もう適応できない私がいる。以前のできていた自分よりもレベルの低い人から指摘されることが苦痛で仕方がないから。今の自分はもうそんなレベルじゃないのに。。。そんな今の私だからこそ心から楽しい、わくわくする陶芸というものに出会えたことがとてもうれしいのです♪でも、陶芸は地味にお金がかかります。いい食器を買うことを思えば、全然安いのですが(笑)お金のかかる大人の趣味ってやつですね。そこはうまく付き合って、長く趣味として続けられるといいなあ~って思っています。
2019年12月22日
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主人のある一言がきっかけで、私の中で主人に対する思いがガラガラと音を立てて崩れていきました。その一言が発せられたのは年末年始あたりのこと。それ以来、私は主人とまともに話していません。もう3月。早いですね~。常日頃から私が連絡しなければ、主人からの連絡はないという状態も今回のことで明らかに。どれだけ私が主人に気を遣って二人の関係性を維持していたのか!?それも、しばらくお休みです。もう疲れました。人としての主人は尊敬していますが、男の人としてはもう無理ですわ。少なくとも今は無理。父親としての主人も無理。だから私は、主人に対して、女としての自分は捨てて、人としてのみ接することにしました。精神科の先生の診断書にも「家庭内葛藤による抑うつ状態、思考力低下」のうつ病であることが明記されていました。そして、主人のことを考えずに過ごした2カ月の間に私の心もだいぶすっきりしてきたように思います。この期間に確実に私の胸に刻まれたことは「アスペルガーの主人には、自分の思ったことをはっきりと言う!」ということです。いやなことを「いや!」とはっきり言っても聞いてくれない。理由を求められるけど、そもそも理由を言ってわかるくらいならそんな嫌なことはしないでしょう。相手が納得するかしないかではなく、こちらの意思表示をはっきりとして相手にそれをさせないようにする。いちごも、「ダメ!」と言ったことをやめるためには必ずもう1回ダメと言ったことをやってからでないとやめられない。やりたいことは、ダメと言ってもやりつづける。この性質は主人の血をひいたアスペルガーの特性だ。要するに相手のことを気にせず、自分のやりたい放題という点でアスペルガー父子の行動はとても似ている。私も今まで大概我慢してきたけれど我慢の限界と言うものがある。おそらく定型の人の中でも、かなり我慢してきた方だと思う。人と比べるのはナンセンスだが、精神疾患が一向に寛解していないことを思えばもうそろそろ、私自身が私らしく生きてもいいのだと思う。私の人生を楽しく生きてもいいのだと思う。デイケアに行って、少しずつ周りの人と話すようになって母でも妻でもない自分で対峙することが多くなった。おかげで、自分らしさを考えるようになった。この精神科に通いだして、もうすぐ1年になる。1年前に比べたら、体重は10キロ増えたし、顔も体型も丸くなった。1月にはパーマもかけた。そして、今日は・・・憧れのグレイヘアを断念しようと思う。今から美容院に行く予定なのだが、黒髪から色を入れてこようと思う。主人の好みで結婚以来ずっと黒髪にしていたけれど、そんな私ももうやめようと思う。独身の時、楽しんでいたカラーをもう一度楽しもうと思う。今は、どんどん自分を変えていきたい気持ちがとても大きくなっている。自分の好きなものは何?自分の好きな色は何?私の好きなところはどこ?もっと、もっと、自分を追求していきたいと思う。その先に、本来の私が待っていると思うから。最近ずっとブログに呟けなかったのは、いろいろな意思決定を曖昧にして、選択肢を保留にするような思考回路になっていたからだ。カウンセラーの人と話をしていて、あいまいな部分を受け入れるように持っていってもらっていたようだ。しかし、その分、ブログでつぶやけないつらさというものがあった。自分の中に湧き出る気持ちをありのまま受け止めるために常に何も決めつけない自分で過ごすことを目標としていたから。今からちょっとカラーを入れて、気分転換してきます☆主人のことを気にせずに、私らしい私探しに出かけます♪
2020年03月06日
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