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只野にとって、特にこのところ耳についた言葉がある。政治家の言う「コクミンが・・・」である。どの政治家が口にしても「コクミンが・・・」である。彼らは本当に「国民」と言っているのだろうか。議会制民主主義という仕組みだから、国民投票にならないと言うのはわからないでもない。しかしだからと言って、これだけ軽々と「コクミン」と言っていいのか。 この場で今回の選挙をどうこう言うつもりはない。しかし少なくとも「コクミン」というからには、それだけの裏付けを言ってもらわないと「国民」には不信感が募るばかりになる。 要は軽々しく「コクミン」という言葉を、同士のように使っていただきたくないということである。取りようによっては心外になる。只野は「国民」を代表して言っておく。 ちなみに只野は別に選挙に立候補しているというわけではないし、政党に属しているわけではない。一市民である。
2005年08月31日
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只野は、時として女性のコメントにドキッとすることがある。 只野を含めた十数人で慰安旅行に行ったときのことである。飛行機に乗らざるを得ない状況になった。只野は酒の勢いで飛行機を乗り過ごそうと思った。離陸など気にするわけにはいかない。只野はやおら酒をあおった。そして周りと歓談していた。(マナーは守っていたつもりである) その時只野の一行であるところの、前に座っていた女性が言った。「そんなに騒いでいると、落ちるわよ」 只野の酒的なチャレンジは失敗に終わった。 宴会である。海に近い民宿であった。車海老のオドリグイが出てきた。飛び跳ねる海老を押さえて、皮をむいて食べるのが正しい。さすがに苦手な向きも多い。しかしある女性は次から次と車海老を押さえては、勢いよく食べていた。そのときの彼女の言葉である。「人生、長生きしたいわね」 ちなみに、この間も一尾が犠牲になっていた。 ある寺を訪れた。立派な寺である。古木も栄えている。当然線香の香りが立ちこめている。くだんの女性の言葉である。「この線香の匂い嫌だわ。死んでもあいたくないわ」 只野は線香のない弔いを想像できなかった。
2005年08月31日
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その朝、只野は駅のホームで並んでいた。3番目である。 何気なく横の列を見ると4人並んでいた。女男女女である。4人は示し合わせたように同じ体勢で携帯の画面を見つめていた。まったく同じ体勢である。そのことは当の本人たちはたぶん気づいていない。何気なく只野はこの状態がしばらく続いてほしいと思った。そのうち先頭の女性が携帯を閉じ、深くため息をついた。只野はちょっと残念だった。次の瞬間、2番目の男性が携帯を閉じ、深くため息をついた。只野はちょっとうれしかった。次の瞬間、3番目の女性が携帯を閉じ、ため息をついた。只野はちょっとしてやったりの気持ちになった。4番目の女性が携帯を閉じたときに電車は到着した。只野はちょっとした芸術作品を見た気分になった。 ちなみに反対側の横の列は、同じ格好をしたサラリーマンが同じように斜め上を見つめて立っていた。只野はそこにはあまり興味がなかった。
2005年08月30日
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只野はふと受験の頃を思い出した。只野にもそんな時期があった。 2日続きの入試、1日目を終えたあとの会話である。「Today is not Monday. だな」会話は友人の一言から始まった。「確かに今日は日曜日だ」只野は答えた。「いや東大(に入ること)は問題ではないということだよ」「すごいじゃないか」只野はこのとき、ふと灯台を連想した。 その後電車から降り、友人との別れ際である。「Monday is Tomorrow. だな」友人は軽やかに言って去っていった。 このとき友人が「問題は明日(の試験)だな」と言ったのか「月曜日は明日だな」と言ったのか、只野は未だに分かっていない。ちなみにこの「Today is not Monday.」は当時受験生の間で流行っていたと記憶している。
2005年08月29日
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只野は遂にログハウスを建ててしまった。始めた頃はうまく建つのかどうか疑心暗鬼であった。それでも建ててしまった。多少の傾きが気になるが、まあよしとしよう。 材料はすでに揃っていた。丸太というのは案外温かみが感じられる。押しても引けないノコギリは何なんだ。ノコギリは引くものでないのか。しかし切れたのでよいことにする。多少不揃いであるが、手作りのよさとしよう。 考えてみると柱を立てていない。これで大丈夫であろうか。つい最近も台風がいらっしゃったことでもある。しかしログハウスはこんなもんだということであろう。 煙突を立てる。多少斜めに向いている。まあそんな煙突からでる煙にも味があるじゃないか。 そしてその全景が明らかになった。ちなみに玄関ドアも長方形ではない。只野は自分の不器用さを感じつつも、味のあるログハウスになったことで、思わず祝杯を挙げてしまった。 そのログハウスは、愚息が明日色づけをして、夏休みの工作として学校へ持っていくことになっている。
2005年08月27日
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嫌いなものだけで終わるとバランスが悪いので、好きなものを挙げてみることにした。 道ばたの電柱に絡まる蔦が好きである。これ一所懸命生きているという感じがよく伝わってくる。人生かくありたいと思う。「蔦の絡まるチャペルで」なんていう唄があったが、何事も一所懸命な学生時代も清々しくて好きである。 乳児が一所懸命寝返りをしようと頑張っている姿が好きである。たぶん寝返りをしたいということしか頭にはない。それ以外に何も考えていない。純粋に頑張っている姿は微笑ましい。 蟻が一所懸命移動している姿なんかもいい。ただし蟻の隊列は好きではない。また屋内の蟻にも閉口する。もっとも屋内に蟻を入れた人間が悪いのだが。 台風のような強い雨風にさらされているときの高層ビル、何も言わず(当たり前だが)雨風に立ち向かっているといった印象がある。何も言わずというところに本当の強さを感じる。 結局只野の好きなものは「純粋に一所懸命」に尽きることになる。
2005年08月26日
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誰もがそうであるように、只野にも嫌いなものはある。しかしそれを読者に押しつけようとするものではない。だから気に障ったとしたらお許しいただきたい。 自動車はより真ん中を、歩行者が隅に追いやられるという道路利用の仕方は嫌である。普通に考えれば、自動車は力の上で歩行者に勝っている。だからといって当たり前のように(ここが肝心)道路の大半を占領してよいものか。こういうことをすべてのドライバーが意識すれば、交通事故は減ると思う。 JRの在来線が遅れても、接続の新幹線は待ってくれない。逆に新幹線が遅れたら、接続の在来線は待ってくれる。この新幹線の態度が気に入らない。「オレは田舎モンのおまえらと違って、何があっても正確な時刻で動かなければいけないんだよ」 新幹線にそういうイメージができてしまう。あるいは「世の中の鉄道はオレを中心に動いている」 といった変な使命感のようなものが感じられる。 もっとも新幹線には踏切がないし、線路に人が入ることもないので、在来線より遅れる理由はない。正確な時刻の運行は有難いし、そうあるべきとも思っている。それでも新幹線=「超」特急という階級の付け方には違和感を覚える。 飛行機の離陸時には、前のスクリーンにカメラ映像が映し出される。地球の表面が見えなくなるまで映している。これが嫌である。大体飛行機が離陸したら足は地に着いていない。すべてを飛行機に任せることになる。その瞬間を見ようとは思わない。しかし学校の教室のようにすべての座席はスクリーンと向かい合わせである。どうぞ見て下さいということになる。地面が離れていくからいいようなものの、「そろそろ離れるな。今日は勢いがいいぞ。それもう一息だ。…あれ?地面が離れないぞ」 となると大変困ることになる。覚悟をしなければならない。携帯にメッセージを残さないといけない。 只野はできるだけ飛行機に乗らないことにはしている。 煙草臭いタクシーが嫌い。酒の酔いが別の酔いになる。 ボディ全面広告のバスが嫌い。乗ってしまうと自分が宣伝しているように見えてしまう。 原付バイク、これは乗るのが嫌い。信号では支えていないといけない。雨が降ったら困る。何より車の窓から見て、これほど危険な乗り物はない。昔からそう思っているので乗ったことはない。 こう書いてくると、かなり偏見を持っているように思われそうな気がする。只野という小市民のつぶやきとでも捉えていただきたい。
2005年08月24日
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只野は午後8時過ぎの新幹線に乗った。詳しく言えば飛び乗ったというのが正しい。荷物を預けたコインロッカーを見失ってしまい、手間取ったことによる。 只野の席は3列席の窓側であった。横2席には、双子のような姉妹がすでに座っている。着ている服も同じである。ディズニーランド帰りであろうか。親らしい姿は周りになく、2人での旅行帰りの感じであった。只野は言った。「窓側に行ってもらってもいいよ」 よく似た姉妹は顔を見合わせた。正確には通路側の妹(姉かも知れない)が承諾しようとして、姉の顔を見た。姉は頑なに首を横に振った。妹はちょっと残念そうな顔をした。 実は只野も通路側の方が都合はよかった。途中でトイレに立つことが明らかであった。 しかし姉の英断に只野も折れてしまい、窓際に腰を下ろさざるを得なかった。 幸い、酒は売店で仕入れてあったので、2人を飛び越えて売り子さんを呼び止めることはなかった。 しばらくして、只野の予想していた状況が現実になった。 只野はトイレに立とうとしている。しかし2人のよく似た姉妹は、ともに前席の背もたれにつく簡易テーブルを下ろしたまま寝入っていた。たくさん遊んできて、夢の中でその復習をしている2人を起こしてはいけない。しかし只野にも乗り換えが迫っている。やむなく、只野はテーブルを挙げつつ、2人をそっと乗り越え、トイレに行くことに成功した。只野は姉妹の夢を壊さず脱出することに成功した。 この時すでに次の問題は生じていた。只野が用を足して7番A席に戻らんとするそのとき、姉妹が引き続き夢の中にあったならばどうするか。もう一度、姉妹の夢を壊さずに席に戻れるか。 只野はトライせざるを得なかった。奇跡的に2度目もうまくいった。しかしこのとき3度目があることはさすがに考えなかった。 しかるに3度目は訪れた。姉妹よりも只野は先に降りる運命であった。姉妹はよく寝入っている。よほどいい思い出を残したのであろう。今回、只野は荷物を持って脱出しなければならない。幸いにも只野は日帰りであり、荷物は少ない。 結局2人の知らぬうちに、只野は新幹線を降りることができた。2人の思い出のフィードバックを邪魔することなく、奥の席を脱出できたことに只野はホッとした。 しかし次の瞬間、只野には一抹の不安がよぎった。「あの姉妹、乗り越したのではないだろうか」
2005年08月22日
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只野はテレビでカーペンターズを聴いた。久し振りである。いろいろ考えることがあった。しかし、ここでは「青春の輝き」について書き留めておきたい。 とにかくこの曲を聴いていただきたい。歌詞はわからなくてよい。バラードとしてこの上ない。例え歌詞がわからなくても盛り上げられてしまう。歌詞を知るとなおである。(いろいろなサイトで紹介されている)その昔、こんな曲を作ることができればと思っていたこともあった。しかしこの歌に隠されていたボーカルの死について、只野はあらためて知って涙することになった。 売れっ子の迷いである。売れ筋の先を行くか、自分の人生に立ち戻るかである。その点において山口百恵は上手かった。自分で制御しなければならない人生を考えて芸能界から消えることになった。(と思っている) カーペンターズのボーカルのカレンはそれができなかった。と言うより、その機会を失ってしまったという表現の方が正しい。結果として決定的な迷いを持ってしまう。「青春の輝き」は、その迷いに入る直前の曲だそうである。 カーペンターズのバラードは、少なからずその後の日本のバラードに影響を与えていると思われる。事実、この年代は昭和40年代である。この時代に泣けるバラードは多い。ダ・カーポの札幌五輪のテーマなんてそうじゃないですか。これが今の時代の歌に唯一足りないものとして只野は感じている。 カーペンターズについては、まだいろいろ語りたいことがある。しかし「青春の輝き」を第一に挙げることが、只野の本懐である。 もう一度言う。「青春の輝き」は、本当に人の一生のかかった心揺さぶられるバラードの名曲である。
2005年08月21日
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只野の家では、毎月決まった日にお寺さんのお勤めがある。主に約十年ほど前に亡くした父の霊に対してである。その頃の話はいずれ明らかにするつもりである。 他に訪れる客がほとんどない只野の家にとって、このお寺さんのお勤めはありがたい。否が応でも周辺を整然としなくてはならないことになる。お迎えする父とお寺さんをオモチャで閉所恐怖症にしてはいけない。 お寺さんはろうそくを2本灯す。線香は1本である。只野は線香が正式には3本であると聞いたことがある。まぁお寺さんであるし、略式ならそれもありかとも思う。自分が位牌の立場なら線香は半分でもいいよと言いそうでもある。 お経は多くの場合、般若心経から始まる。(宗派による)これにはさすがに多少馴染みを持ってお参りすることになる。この後は時期によって異なるようである。こういうとき、手を合わすタイミングが難しいが、只野は主文と主文の間及び最後を判断して手を合わせることにしている。失礼ではあるが「宴たけなわ」の頃、大体その頃に仏さんの戒名が語られることになる。 仕事とは言え、お寺さんの長い時間の正座も尊敬に値する。昔から挑戦してきたが、痺れという敵は大きい。最近は立ち上がるときに膝へのストレスを感じる。腰にはいいのだが。それでも正座という修行はあるゆる意味で有効だと思っている。 ところで新しい家は宗派をどうするかで惑うことになる。只野の家の場合、亡くなった父が、「菩提寺は○○寺でいいか」 と、只野に求めた。その時只野は、このようなことは家を建てた人(先祖)が決めるべきだと思ったので「それでよい」 と言った。この判断は今でも正しいと信じている。 それから約十年経った。額縁の父の写真は背景が劣化してきている。
2005年08月19日
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只野は帰宅途中、夏の光景をいくつか目にした。 プラスティック製のバットを背負った男の子を筆頭に、何人かの子どもが何か話し込んでいる。今晩集まって花火でもするかという感じである。女の子も何人かいる。タンクトップの男の子は少し自慢げに見える。こんな感じの時が楽しかったことを、只野はふと思い出した。夏休みでなければ、こんな姿は見えない。 コンビニの近くで、子どもたちが横並びに座ってアイスを食べている。その中の誰かのお母さんらしい人2人が、より幼い子どもの世話をしている。子供会の行事が終わり、ちょっと休憩というところであろうか。集団で学校のプールにでも行った帰りであろうか。いずれにせよ、夏でなければ見られないすがすがしい姿である。世話をするお母さん方の大変さも忘れてはいけない。 軽トラックで窓を全開にした麦わら帽子のおじいさんが左から通りかかる。荷台には、とれた野菜が載っていそうである。彼らは決して道を急がない。優先道路であっても道を譲る。こういうときは、すんなり譲られなければならない。でないとおじいさんの顔が困ってゆがむことになる。おじいさんを困らせてはいけない。ただし、おじいさんがこちらに気づかないときは逆である。王道を最優先で行ってもらわないといけない。 家に着くと、子どもたちが夏休みのワークに顔をゆがめていた。只野は、もしかしたらこれが夏の一番の光景かも知れないとちょっとだけ思った。
2005年08月18日
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只野の家のトイレは東洋陶器謹製のウォシュレットである。導入して数年は経っている。 これ使ってみると病みつきになる。清潔であるのがよい。家で導入する前からホテルなどで感じていた。(清潔であり、いいなということを感じていた。感応していたわけではない。只野にそんな趣味はない)大体において自分の目で確認できないところである。紙でぬぐって終わりというのはいかがなものか。体内の不要物の出口に申し訳が立たない。 使用はボタン一つである。おしりボタンを押せばよい。2回押すとムーブが始まる。この方が広範囲である。体の方も少し動かすとより広範囲である。次に乾燥ボタンを押す。これを先に押すと大変なことになる。付着物を乾燥させてはいけない。最後に紙を使う。 使用説明によれば、先に紙を使い、仕上げに乾燥させるそうである。しかしこういうものは、その人の習慣である。只野は最初に何となく行った自分の方法が習慣になっている。 下の話を積極的にしようとは思わない。ただあまりにもよろしいので、皆さんにも勧めたいという気持ちが只野にはある。
2005年08月18日
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只野はその夜、歌番組があると晩酌がいつも以上に進む。番組には古い歌が入っていないといけない。 まず朝、新聞の番組欄で見つけることになる。帰宅時間をちょっと気にしないわけにはいかない。もちろん仕事優先である。しかし頭の片隅からその番組を離すことはない。その番組の最中に車を走らせることもある。この時だけはテレビが付いていればよかったと思うことになる。しかし運転中に見てはいけない。第一危ない。 その歌番組に間に合うことになる。周到な準備が始まる。晩酌のことである。只野は毎晩、その他の雑酒を500mlにして2本やっつけた後、焼酎の水割り(氷、レモン付)をあおることになる。これを番組に合わせなくてはならない。おおかたの場合、番組の長さが勝つので、晩酌を合わせることになる。これは量を増やすという意味である。場合によってはワインを登場させる。紅白歌合戦などになると大変である。12時近くまで飲んでいなくてはいけない。 お気に入りの歌になると合わせて歌い出す。家族は歌が聞こえないという。少し控えめに歌う。酒の勢いがある。聞こえないと言われては控えることの繰り返しになる。 そうこうして番組が終わる頃になると、只野は睡眠になる。気づいた頃には夜中である。いそいそと寝床に行って寝直すことになる。 この状態を只野は、「気づいたら寝ていた」 と言うことにしている。これ精神的には悪くないと只野は思っている。とにかく明日の朝にはすべて初期化された感じがよい。もちろん体にいいとは思っていない。
2005年08月17日
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只野は基本的に歌が好きである。特に昭和40年代の曲に目がない。 なぜ昭和40年代か。たとえば今の歌と比べて決してリズミカルとは言えない。歌詞にしても今の感覚とずれていると思う向きが多いだろう。バンド単位でアピールする今の時代に、オーケストラバックに熱唱するネクタイ姿はちょっとご遠慮かも知れない。 しかし只野には別の感覚がある。まずメロディがしっかりしていると感じる。プロの作曲家だなぁと感じる。安心感がある。加えてサビにしっかりとした存在感がある。曲を作ろうとした人ならわかるが、サビを作って存在感をもたせるというのは案外難しい。ちなみに今の曲にはしっかりとしたサビはあまり感じないと只野は思っている。 オーケストラの演奏が素晴らしい。彼らは本来はジャズオーケストラの類だが、技術のレベルの高さを感じる。かといって彼らの演奏は前に出てこない。歌手を立てるのが第一である。ちょっとバンドをやったことのある只野には、バックがよく聞こえるので余計そう思うのかも知れない。ほしいなと思うところで、うまく仕掛けがされている。このあたりはプロの編曲家の仕業である。 歌詞にはインパクトと深みが与えられる。「あなた、死んでもいいですか~」なんていう歌詞はプロでないとできない。 そして仕上げは、歌詞とメロディと歌手のベストマッチである。「また逢う日まで」をご存じだろうか。これこそベストマッチであると只野は確信している。その証拠にあのミリオンセラーである。 只野は、今朝の新聞に「思い出のメロディー」を見つけてしまった。その勢いでこの文面を書き上げてしまった。結構言いたいことが言えたと満足している。その満足を読む人にぶつけてしまったことについては、多少申し訳ないという気持ちもある。
2005年08月16日
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普段何気なく行っている行為には案外、人によりクセがあるものである。只野のそれにもいろいろクセがあると自分で感じている。 つめを切る。只野のつめ切りにおいては、白い部分は残さない。また白い部分が1~2mmになったら、即座に切る。すなわち只野のつめに白い部分は許されない。今でもどちらかの小指だけツメを伸ばす人がいるけれど、あれは牛乳瓶の紙のフタをとる役割に過ぎなかったと只野は考えている。紙のフタのついた牛乳瓶を見なくなった現在、小指のツメだけを伸ばす必要はない。ファッションは別である。 耳掃除をする。頻繁である。手持ちぶさたになったらタバコを手にしてしまう感覚で耳かきを手にしている。ちなみに只野はタバコを吸わない。周りは「そんなに頻繁に耳かきをすると、耳によくない」 などと言う。しかし小指でホルより耳にはいいはずである。 ティッシュを結構使う。只野には昔から鼻炎の気がある。必ずどちらかの鼻が詰まっている。また気温や環境が急激に変化したとき、鼻が勝手に反応する。ちなみにティッシュの品質は昔より格段によくなったと感じている。第一、渾身の鼻息で破れなくなった。 ビールに枝豆、只野の年中無休のメニューである。実はここにもティッシュは欠かせない。枝豆をつまむとティッシュで指をぬぐう。只野は自分を潔癖とか上品などとは思っていないが、気がついたらそういうクセになっていた。 ナナクセではなくサンクセになった。書けばまだありそうな気もする。只野は、これらのクセは自分だけではなく誰にでもあると信じることにしている。
2005年08月15日
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只野は、ほぼ3ヶ月に1度イメージチェンジする。正確には周りからイメージチェンジしたと言われることになる。 散髪である。思い切り切ってもらうことになる。カツオくんほどではないものの、それに近いものがある。したがって、しばらく散髪とは無縁になる。 値段二千円以下で、ほとんど待つことなく二十分で終わる。これ以上書くと、散髪屋の宣伝になり、別の散髪屋の営業妨害になりそうなので止めておくが、只野にとっては実にすがすがしい。 思えば、ふと悟ったことがあった。それまで何となく行っていた散髪屋であるが、あるとき提案されて思い切り短くしてみたのである。悟ったのは、「これだけ短くするのなら、カッコも何もないだろう」 ということである。そして時期をほぼ同じくしてくだんの散髪屋の開店である。只野に提案した散髪屋は客を一人失ってしまったことになる。 現在只野にはイメージチェンジの時期が迫っているところである。
2005年08月15日
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只野は今日まで結構書いたので、「もくじ」を載せることにした。個人的には8月ぐらいは調子に乗って書いてしまったなどと思っている。 気軽にチェックしていただきたい。6月不惑へ向かうための一歩めだんご3兄弟一人の時間歩くことなぜ数学を勉強するのか金曜の晩宗教家にはなれない夏の装い6月にして暑い失って、あらためて今野青年のこと7月梅雨のイメージ便利さは絶対か?酒飲みの考察セカンドバッグ算数・数学質問教室ココロのスキマジャンルの不一致しまい忘れた財産かぶとむしの悲哀扇風機の職人技かたつむりラジオ体操寝室のテレビ白いセミの悲哀8月花火と浴衣怪獣同士の闘い夏のオマツリ「100キン」の小銭入れスイカの切り方打ち水、渇水、大雨警報只野壮年の休息日食べたいもの
2005年08月14日
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只野はある質問をされて戸惑うことがある。「今晩何食べたい?」 である。この質問に対して満足のいく回答をするのは難しい。「何ができますか?」 と聞き返す。そうすると、「何ができるかなんて失礼な」 と返されたことがある。それ以来この回答はできない。「何でもいい」 と答える。そうすると、「それではわからない」 と不満を言われる。この回答も難しいようである。「子どもたちはどう?」 と振ってみる。そうすると必ず3者3様である。なぜか一致しない。結果、混迷の度を深めることになる。「じゃ、カレーライス」 何でもいいと思うものにとって、1品を明快に答えるのはかなり勇気がいる。清水の舞台から飛び降りる心境にも似ている。自分の知る少ないバリエーションの中で、よく1品選べたものだと、只野はその瞬間感心などしている。しかし次の瞬間はこうである。「じゃ、ハヤシライスにしましょう」 只野は、短い瞬間とはいいながらもいろいろ考えを巡らせて答えたことに対する結論に、あえて不満を言おうという気はない。ただ些細なひとときに起こった只野の深い迷いをちょっと書き留めておきたかっただけである。
2005年08月14日
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只野にも盆休みはある。13,14,15日と3日間墓参りをしなければならないところはちょっとシンドイ。盆らしい感じは誰より少し多めに味わっている。 休み、休息日である。何をするか。とりあえず遅く起きる。まずは時計から解放されなければならない。 新聞を読む。これは普段も時間をかけている。最近はいつも以上に政治ネタから目が離せない。政治家は今年は夏休みが急にとれなくなったようである。少しだけ気の毒に思う。 PCの電源を入れる。昨夜は休止モードのまま寝てしまったようである。普段は終了して電源を切るようにしている。 メールを取りこむ。最近はいつも20通前後来ている。ほとんどは商売モードかスケベモードである。拒否や振り分けもできるが、文面が案外おもしろいので読んでから捨てる。 ブラウザを立ち上げる。yahoo!である。やはりトピックスに目がいく。飛行機から出火したようである。部品が空から降ってきたそうである。これは危ない。 自分のブログへ行く。アクセス数がちょっと増えている。訪れていただいた人のところへ行く。そのうち更新しようかと思うことになる。おもむろにメモ帳を立ち上げる。そして今現在に至る。 休日だし何かしようかなどと何となく思うことになる。しかし取り立てて何をしようかとも思わない。せっかく時間があるからなどと思い返す。しかし何もない。そんな感じを繰り返している。そして只野は夜になって一杯飲んで寝ることになる。 これは休息日とよんでいいのか、只野にはちょっと疑問がないわけではない。
2005年08月13日
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その日只野は、たまたまニュースを流して見ていた。各地で打ち水大作戦と称してやっている。東京の老舗の蕎麦屋に機会があると訪れているが、夏には打ち水がされてある。確かに焼けるアスファルトを歩いてきて、店先であるところの前庭に足を踏み入れると何となく涼風を感じたことがある。この自然な感じはよい。 ところが一方で渇水が深刻な問題になっているところがあるとも報じていた。これは本当に深刻である。とにかく手の打ちようがない。この1週間でダムの貯水率が0%になるそうである。巨大な柄杓で打ち水をなどと冗談を言っている場合ではない。第一打ち水は蒸発しないと意味がない。ここでは蒸発してもらっては困る。 その次のニュースは大雨である。局地的にバケツをひっくり返したような雨が連日降っている。ダムでは抑えきれずに、川がかなり増水するのは必至である。もちろん打ち水なんて言葉を出すのは失礼この上ない。強いて言えばお天道様からの巨大な打ち水である。蒸発する間もなく次の打ち水が降ってくる。 他にも、いろいろもめて混迷が続くセンキョの話など話題は尽きないようである。 只野は、この夏を「騒々しいナツ」と密かに命名しようと思っている。
2005年08月12日
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只野は、人がスイカを切るときに注目してしまう。それは誰よりも食べやすく切る術を知っているという自信から来ている。 1/4までは誰だって同じである。問題はそこからである。読者の皆さんはどう切るか。只野がもっとも気に入らないのは、端が平たく残る切り方である。1/4まで切ると水平線ができる。これに騙されて垂直に切ってはいけない。スイカは球である。その水平線は直径である。球であり直径があるとするなら、中心に注目しなければならない。 そう、只野は同心円上に切るのである。うまく立たないのでは?と懸念する人がいる。その心配は無用である。逆に切ったスイカを差し込んで下の球のスイカを作ると考えていただきたい。その時底面には歪みがなく立つはずである。 今日も一杯飲みながらその塩梅で切り、錐体の集団を生み出すことに成功した。 只野はその状況に満足しながらも、また飲むことになる。スイカは食べない。
2005年08月09日
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只野は帰り道珍しく「100キン」に寄り、小銭入れを105円で買った。前のものが太っ腹で、バッグ中に小銭を巻いていたからである。それはそれで只野にとっていい演出にも思えたのだが、財布のひもがゆるいというのは言葉にしてもいいモノではない。 只野は真っ白な小銭入れにした。真っ黒なバッグの中で個性を出してやろうと思った。果たして、小銭入れは自らの存在を主張しているようであった。紙幣など折って入れてやるとさらにその存在感は増して見えた。只野にとって小銭入れはかけがえのない味方のようにも思えてきた。 しかし次の瞬間、只野は入れた紙幣が、切ない残額から分けて入れた数枚であることを思い出した。小銭入れは「この紙幣は守ってやるぞ」という勢いで只野を見ているが、すでに只野はその紙幣が数日後に酒代に消えるのを感じていた。その点では新しい小銭入れでありながら、人の前では無力であることを感じていた。 しかし小銭入れは、只野のバッグの中でしっかりとその存在感を示している。
2005年08月08日
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只野は町のオマツリに参加した。みこしの担ぎ手である。まぁいろいろなこともあってここ3,4年やっている。 2年連続やるとわかることであるが、2年連続という人は少ない。ということはほとんどが役員か何かの動員であろう。そんな実態である。かくいう只野もかかわるまでは、そうそう積極的に出るつもりはなかった。オマツリのために1年働くという人がいるらしいが、それはオマツリの価値が高いというか、あるいはオマツリへの思い入れが深いというか、ともあれ只野が参加しているオマツリはそれほどではないと思う人が少なくないようである。 ただ、参加してみると話は違う。猛暑の中準備をして、担ぎ、後片づけをして酔いが回った頃に打ち上げ花火である。悪いものではない。達成感はある。ただし花火の頃、担ぎ手の大半の顔は見えない。そんなものである。それぞれにファミリーがあるという結論が正しいのであろう。 只野がファミリーをどう考えているか、という話になりそうになる。それを言い出すと2日分ほどかかりそうなので、今は控えることにする。 楽しかったということと、次の朝起きてみたらあちこち痛かったということだけは事実である。
2005年08月07日
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只野は土曜日にしては早く起きた。何気なくテレビに目をやったところ、ウルトラマンのような番組であった。(実際そうだった。) 怪獣同士が闘っている。何となく昔出ていた怪獣と思われた。見るうちにその動きに違和感を覚えた。投げは柔道の技、飛ぶ怪獣に岩を投げる、威嚇で胸をたたく(キングコングのさま)等々。怪獣なのに人間の動きなのである。その怪獣の脳が人間並みに発達しているとすればそんなものかとも思うことになるが、この手の番組の怪獣のイメージではない。 根を詰めて見ていたわけではないので、それ以上何を思ったわけではない。ただ理にかなっていない姿が目につくと、ちょっと気に掛かる只野の性分であった。
2005年08月06日
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只野の職場と今夜の花火会場はほぼ隣同士である。花火会場が混雑することになると只野は帰ることができない。したがって只野は今日に限り早く帰ることになる。大体早く帰ると「あら早いわね」っていい目で見られず、車庫にも洗濯物が占領していることが予想できるので、気が進まないのではあるが。 帰り道には浴衣姿がちらほら見られた。これは年に一度である。夏が好きな理由の1つでもある。町に和服が見られるだけで、賑やかになると思うのは客側の心理だろうと思っている。景気の回復にも貢献していると思う。 ところで帰ってからは案の定であった。具体的にどうだったかは言っても仕方ないので言わない。 こうなったら花火を見てやろうと思った。ケーブルテレビがある。時間を待ち、満を持してその時を待った。 果たして花火は始まった。然るに何ぞこの花火は。テレビではないか。(当たり前である)只野は落ち着いてしまった。やっぱりテレビの花火は所詮テレビの画面である。まあ一人で飲んで見ているのであるから、自分の思い次第でどうにでもなるななどと只野は思っている。でもちょっとむなしさがないでもない。 ちなみにテレビに遅れて花火の「ボム」が、思いを誘うように聞こえていた。只野は今シーズンの花火を「一人時間差」と見ている。
2005年08月01日
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