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川柳である。只野には尊敬すべき作家が2人ばかりいるが、そのうちの一人である梶山季之氏の好んだ句である。尊敬するもう一人は山口瞳氏である。梶山氏と山口氏は親友である。 梶山氏はこの句を、自ら命を落としたある女性のことを書くために用いた。 「人間生まれてきたときは皆素っ裸である。それを考えると何で不足が言えようか」 只野は、この一言で無欲になれる。所詮生かされている身である。なるようにしかならない。そう考えると、体が自由になる。解き放たれる気持ちになる。 同時に、操られながら意思を働かせばいいじゃないかとも思う。とかく現代は、バランスを考えないといけない。バランスを考えなくなったとしたら、よほどもとのバランスが崩れているときである。昨今の国政選挙がそうだったのかも知れない。よくわからないが。 梶山氏は、自ら命を落とした人を「勇気ある落伍者」とした。それは人に与えられた唯一にして最後の自由が与えられる切り札である。しかしそれを行使することは、自分の人生というものを肯定できなかったことになる。そう言う人の目の前で、只野はもう一度言っておきたい。 「裸にて生まれてきたに何不足」
2005年09月30日
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隠しているようで,実は既にバレている。 各種カードには暗証番号がある。4桁である。無意味な番号にすると忘れるので身近な番号にする人が結構多いと聞く。例えば電話番号,4桁である。暗証番号=電話番号としておけば、全て4桁である。文字数まで4文字で一致する。これで安心である。暗証番号は電話番号である。忘れることはない。 ちょっと前から、自動車のナンバーは申請すれば好きな番号が得られる仕組みになっていると聞く。当然自分に縁のあるナンバーにしたいことになる。4桁である。電話番号にする人が多いと聞く。これで同じような車が並んでも安心である。車のナンバーは電話番号である。間違えることはない。 やがて街には「私の暗証番号は○○○○です」と前後のナンバープレートに掲げる車が走ることになる。知らぬは車の持ち主だけということになってしまう。 懸命な読者には、そのようなことはないと思っている。
2005年09月30日
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只野は,お刺身を食べるときいつも思うことがある。 「この小袋の生わさびを使い切りたい」 お刺身の量からして、生わさびは多くの場合半分でよい。残り半分をゴミにする前に何とかできないか考えてしまう。どうも貧乏性である。 納豆の時はからしを全部使う。これはスッキリする。納豆を茶碗にあけたあと、容器に使用済たれ袋とともに入れて捨てる。 宅配ピザにタバスコ袋がついてくる。これもちょっと余る。この種の調味料は吸ってしまえと言うわけにいかない。顔から火がでる。しかし残したままごみ箱に入れることには抵抗がある。 コンビニのとろろそばにも、小袋のわさびが付いてくる。ぶっかけのとろろそばである。只野はこの場合、とろろをかけて、その中にわさびを全て落とし、麺つゆでとかして食べる。最初はいい頃合いで、美味しくいただくことになる。いい気分で最後に残った汁を飲み干したとき、悲劇は始まるのである。 只野は貧乏性のために悲劇に遭うことは厭わない覚悟である。
2005年09月29日
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只野は,秋の海岸線を走ることにした。目的地からの帰り道は幾通りもあるのだが、青空に誘われて海岸線をとことん走った。 海は、抜けるような青空のおかげでエメラルドグリーンの素敵な色合いを呈していた。そして鋭い太陽の光と海の波でキラキラ光っていた。只野のルート、最初は反対側に山も迫る海沿いの町であった。潮の香りがドライブの「おかず」だった。 秋の海水浴場である。閑散としている。もちろん誰も海に入っていない。落ちついている。これが本来の海の姿だと只野は思っている。「キャー」というのは海に合わない。 やがて、反対側には市街が見えてくる。海側は漁港である。市場のやっている時間ではなかったので、漁師のお昼という感じである。ここも落ちついていた。和服で唄う演歌歌手を思い出さないわけに行かない。 只野はずっと走る。ひたすら海岸線を走る。そのうち、石油精製所の丸いタンクが見えてくる。煙草は控えないといけない。火気厳禁である。海はタンクの向こうであり見えない。 船が見えてくる。岸壁である。コンテナが積まれている。刑事物のハードアクションを思い出させることになる。コンテナとコンテナの間を走るデカを思い出すことになる。ただし横が石油タンクなので、拳銃はいけない。タンクに穴が開いてチョロチョロっと石油が出てくるなんてかわいいことにはならない。ドカンである。いずれにせよ、火気厳禁である。 やがて海岸線は途絶え、360度町並みになった。只野はちょっとの気晴らしと大きな満足をもって、職場に戻った。
2005年09月28日
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只野はこのところ、以前に増してもの忘れが多くなったと思っている。若年としたのは、老若ではまだ「若」だろうということである。あるいは壮年性記憶不全症候群などと勝手に命名している。診断書はない。 朝思いついた考えが、出勤時に消えてしまっている。思い出そうとする。思い出せるときもある。そんなときは一仕事終えた気分になる。安心する。思い出せないとき、これが困る。喉まで出かけて止まるクシャミと同じである。悔しさこの上ない。 人の名前がスッと出てこないことがある。特に身近な人が曲者である。 「ほらあの人…何だったっけ…あの○○課の背の高い…丸顔で…髪の毛ボサボサ…いや違った自然な感じの(一応フォローする)…」 こんな塩梅である。こちらは人の名前だけに、出ないと旗色が悪くなる。 只野はそのうち、自分の行くべき道を忘れるのではないかとヒヤヒヤしている。
2005年09月27日
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ある日の天気予報 「晴れ時々曇り、所によって一時雨」 これではしっくりいかない。 虫歯にならない、歯槽膿漏予防、等々、いろいろなふれ込みの歯磨き粉が出ている。いつも思うのだが、歯磨き粉は歯磨きが終わった後うがいで消えるのではないか。それで各種予防ができると言うのは、しっくりいかない。 ついでに言えば、子供用の歯磨き粉の甘さは、残すと逆に虫歯になるのではないか。したがってさらにしっくりいかない。 今場所の大相撲においては、優勝決定戦が外国勢同士で行われた。これでは国技にならないのではないか。外国技である。そのくせ女性は土俵に上げてはいけないなどと言う。この点、しっくりいかない。 実はもう一つ書くべきことがあったが、只野にはどうも思い出せない。それが今一番しっくりいかないことである。
2005年09月26日
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只野は,ふと岩崎宏美を思い出した。というより彼女の唄の「思秋期」を思い出したのである。 無邪気な 春の語らいや はなやぐ 夏のいたずらや 笑いころげたあれこれ 思う秋の日 (作詞 阿久 悠) 秋はこれに尽きる。物思う,思いにふけるのが秋である。哲学的になる。美しいとは何かなんて考えたりする。(答は出ない。思ってみるだけである)コオロギの鳴き声がBGMになる。最近はスズムシも鳴き出した。 風に揺れるものたちがいる。すすきが,秋桜が,頃合いの秋風に揺れている。少しゆっくり歩いて,秋風を感じたくなる。 こういうのを感傷的になるとするなら,只野はわけもなく感傷的になっている。酒的な思いかも知れない。
2005年09月25日
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只野は,この季節を「ワインの秋」と名付けている。 ワインは,他の酒に比べて食事の友の印象が強い。もっとも只野は,そんなに食べる方ではないが,食事とワインのマッチングを楽しむことになる。もちろん1人で1本あける。720mlである。 主に白が好きである。シャブリがあればよい。シャルドネもよい。第一それくらいしか知らない。赤は健康によいらしいが,只野にとっては後味で白に劣る。もちろん辛口でないといけない。一時スパークリングもやったが,泡にごまかされて深く味わえないと感じてからやめた。 2~3日前に12本入りの木箱が届いた。木箱の味わいもよい。これで年内は持つだろうと見ている。11月にはヌーボーも届くことになっている。ヌーボーの時は「ヒカラビタ チーズ」なんてよいかも知れない。 実はワインは真打ちであり,その日はビールが前座に控えている。真打ちと言いながら,後には焼酎が控えている。豪華ラインナップである。頼もしいトリオである。と言いながらも,ちょっと自愛の必要性は感じている。 「そうは,いかんぞう」
2005年09月25日
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それは,只野が誕生日を迎えた朝のことである。只野の愚息が質問した。 「おとうさんとばあちゃんと,どっちがとしうえ?」 あまりにも素朴な質問であり,只野はなんとなく答に窮してしまった。 愚息は,ジャンケンのチョキにおいて,親指と人差し指を出すのはレーザー光線銃であると主張している。その上での質問。 「チョキとグーと,どっちが勝ち?」 ハサミなら負けるが,レーザー光線だとイシを破壊するのではないか。只野はやっぱり答に窮することになる。 梅雨の時期になると,外ではカタツムリ。内ではナメクジにお目にかかる。そこで愚息の質問。 「カタツムリとナメクジ,どっちがつよい?」 この2者が闘うところを想像できない。只野はやっぱり答に窮する。
2005年09月24日
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「せっかく博多まで行くんですから,帰りは湯布院まで足を伸ばしませんか」 只野は相方に提案した。仕事がらみではあるが,後ろは土日である。只野は湯布院に1度行ったことがあるが,温泉にはいい印象を持っている。 結局提案はすんなり受け入れられた。只野と相方はその日,仕事を終えて「ゆふいんの森号」に乗り込んだ。鉄道マニアによれば,JR九州は派手な列車が多いらしい。「ゆふいんの森号」も例外ではない。しかしこの列車,デザインには節度があってなかなかのレトロ調,いい感じである。女性客がほとんどである。湯布院は女性好みと聞いたことはある。乗務員は「ゆふいんレディー」である。ついつい声をかけることになる。さすがに記念撮影はしない。 一生に何度もあることではないということで,ちょっと贅沢な温泉宿にした。宿帳に記名をする。ちょっと女将さんの視線が気になったが,いい感じである。部屋に案内される。部屋は離れになっていてプライバシーは保護される。 草履が並んでいる。黒と赤である。ちょっと気になったがまあよしとする。部屋に入り早速浴衣を合わせる。柄は黒と赤である。どうも只野の予感は的中したようである。 このときの只野の相方は大男だった。只野も大きいが,それをはるかに超える。宿の側は,予約2人と聞いて男女に違いないと判断したようである。然るに何ぞ,この大男2人は,聞いてないぞというのが内心のようであった。 部屋を案内した女中さんは,笑顔というより笑いをこらえながら「ただいま用意して参ります。失礼をいたしました」と残し,去っていった。 服を脱いで,さぁ浴衣をという状態で2人は動きを止めざるを得なかった。「ちょっとひどくないか」と言葉を交わすことになった。 しかし只野は,湯布院のこの宿で大男2人ということの方がミスマッチかも知れないとちょっとだけ思った。(2~3年前の話であるが,フィクションではない)
2005年09月24日
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只野はその朝、起きたときからちょっと気になっていた。今日は何かの日だ。何の日だろう。まぁそのうち思い出すだろう。 朝食をとる。今日は祝日である。新聞には日の丸がついている。やっぱり只野は気になった。今日は何の日だろう。とりあえず秋分の日である。昼と夜の長さが同じである。しかし只野が思い出そうとすることとは違うような気もする。昨夜の酒が残っているせいか、ボーッとしている。 「おめでとうございます」と言われた。祝日はめでたいものである。なぜ秋分の日がめでたいのか、そんなことを考えても仕方がない。昨夜の残りのカレーを頬張る。酒が残っていてボーッとしながらも、朝からカレーが頬張れるのは、単に只野のカレー好きによる。 カレーを食べ終えて追い水を飲み干したとき、只野は昔語った自分の台詞を思い出した。 「9月23日は、オレの誕生日だから祝日になったんだよ。4年に1回ほどはずれるけれどもね」 只野は、朝食終了とともに朝の戸惑いを解消した。年齢は面倒なので考えなかった。
2005年09月23日
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只野は自転車には乗らない。その分、時間をとって歩くことにしている。 自動車を運転するまでは、自転車が頼りだった。自転車を手に入れたとき、只野の行動範囲は一気に広がったことを憶えている。隣の町へ行くのも楽勝ピーポーになった。 小学校は全員徒歩通学であった。しかしクラブ活動の日には、クラブ員に限り自転車通学が特別に許可されていた。地域を見て回るクラブであったが、只野は単に自転車通学に魅力を感じて入部した。もちろん自転車通学の日は密かに優越感に浸っていた。 高校では、列車に乗り遅れて、自転車を飛ばして登校したことがある。結局、列車より早く着いて「あれ?」ということになった。 只野は自動車を運転して、自転車が危険であることに気づいてしまった。自転車の若者は自らが危険であることを知らない。彼らにとって自動車が脇からヒョコッと顔を出すことは想定外である。結局自動車の運転手がよく見ていないといけない。したがって只野は近年、自動車の運転もできれば遠慮したいと思うようになっている。昔は自動車に憧れたのだが。 只野が唯一自転車に乗る機会があるとしたら、それは仕事における自転車操業ぐらいである。
2005年09月22日
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只野は、コンビニに入ると昔の「よろずや」を思い出す。 昔の「よろずや」というのは、一見して欲しいものがすぐ見えたわけではない。あの戸棚の右側に三角定規があるのではないかと想像する。店のおばちゃんに頼むと、おばちゃんは左側をあけて取り出すことになる。惜しかったと同時に右側には何があるんだろうと思うことになる。総じて想像力をかき立てられたものである。 その点コンビニははっきりしている。大体レジの横手に弁当類である。入り口付近は、雑誌があり、向いの棚は生活雑貨である。おかげで想像を働かせる必要はまったくない。レジの店員はしがらみがない。お釣りをもらって,ハイサヨウナラである。レシートは横の箱に捨てる。 昔の「よろずや」と今風「よろずや」、どちらがいいということにはならない。ただ只野は、くじ引きでカレー味のスナックを紙袋に入れてくれたおばちゃんを思い出す。おばちゃんがコンビニのレジにいてくれたらいいなと只野は思うことがある。しかし「よろずや」とは言っても、そういうわけにはいかない。
2005年09月21日
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只野の仕事は、主にデスクワークである。たまに人前で話したり、会合に出席したりする。 デスクワークでは、キーボードを打つことになる。爪が長いと打ちづらいので、ちょっと伸びたらすぐ切ることになる。爪切りは常備している。爪は少し残したら?なんて言う声もあるが、只野は残さず切る。 座りっぱなしである。靴を脱いで、机の下で足を組む。草臥れた靴下に気づく。こんな時でないと足の裏は見ない。たまに足の裏を刺激するとよい。 電話がかかる。只野の前の電話は外線直通ではないので、横取りで取る。電話では「○○の只野でございます」と答える。名を名乗らないといけないと只野は思っている。ちなみに電話で只野の声を聞いた人によると、声が少し高いらしい。 ところで電話に出ると、それまでの会話とトーンの変わる人がいる。 「だからさぁ、○○ホテルのバイキングなんてさぁ、ん千円も出すのに、数えるほどしか出ないのよぉ」 などと話しているところに電話がかかる。 「はい(既に声が高い)、こちら○○の△△でございます」 このギャップは面白いと思うが、活字では伝えられない。 ざっと只野の仕事中はこんなところである。もちろん仕事中にブログは書けない。
2005年09月20日
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只野は、疑問が生じてふと立ち止まることがある。 道路標識の「40km規制」の下に「○○市内全域」とある。この市内を高速道路がまたいでいるはずであるが、これをどう説明するのか。 同じく道路標識で「Uターン禁止」とあるところに中央分離帯がある。まずUターン不可能だと思うのだが。 テレビ局のニュースキャスターは、なぜクールビズを実行しなかったか。一定の経済効果があったとするなら、民意の抵抗勢力にもなりかねない存在になる。 週の始まりは日曜日か、月曜日か。大半のカレンダーは日曜日から始まる。しかし「さあ、また始まるぞ!」というのは決まって日曜日の晩である。 歯の治療の際、医者は決まって言う。 「痛かったら遠慮なく言って下さいね」 遠慮するつもりはないのだが、言えばもっと痛くなりそうである。 散髪屋で洗髪してもらうとき、 「どこかかゆいところはないですか」 と聞かれる。こういうときどう答えるか疑問が生じる。 「右上のちょっと耳の下あたりで…」なんて言えない。第一、どこが上になるかわからない。いっそのこと「背中!」といってやろうかと思うこともあったが、これは極論である。 只野は、疑問を持つことは悪いことではないと思っている。ただ、それを最後まで追求しようという気はない。第一、解決できないと思われる問題が多い。
2005年09月19日
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ミルフィーユ1217さんから夢バトンがまわってきました。Q1、小さい頃、何になりたかったか? 大人になりたいと思っていた。なんて大人は自由なんだろうと思っていた。Q2、 その夢はかないましたか? 自由にやっているので、かなったと思っている。しかし、それを夢としたことが正しかったか、ちょっと考えこむことになる。Q3、 現在の夢は? 年金生活者になりたいと思っている。もしかしたら大人になることよりも難しいかも知れないとも思い始めている。 ちなみに、只野の父親は「さあこれから年金生活だ」という還暦になくなった。 そのことからして、今度の夢は叶わないかも知れないなどと只野は考えている。Q4、 宝くじ3億円当たったら? これはないと確信している。年賀状の抽選番号さえ当たらない者に、宝くじが当たるはずがないと言うのが根拠である。 強いて当たったとしたら、段ボール箱にでも入れて、2回の押入にしまっておくことになる。Q5、 あなたにとって夢のような世界とは? 一杯飲んだ世界。午後8時以降の世界であろうか。酒飲みは毎晩夢の中にいる。Q6、 昨晩見た夢は? 朝、何気なく表札を見たら、自分の名前でなくなっていた。これは、とりあえず荷物をまとめなければならないと思った。車は引っ張っていかないと不自由だなと判断した。こういうときに何故自分が出ていかなければならないかなどとは考えていない。これが夢のおもしろいところである。 どこに住まいするか…と考えた瞬間、横で寝ていた愚息の寝ぼけキックで我に返ることになった。Q7、 この人の夢の話を聞いてみたいと思う5人は?ギロロンさんnakayosikoyosi009さん神秘家の庵さんww_sachi_wwさんみゅー0105さんもし、よろしければ、お願いしますね。(只野自身は無理にとはいいません。指名した人ごめんなさい)
2005年09月19日
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中秋の名月である。月明かりで影ができるというのは、この月ぐらいではなかろうか。丸さと言い明るさと言い天下一品である。 近くの文化ホールで観月会が催されるようである。琴の調べとともに観月を楽しむのであろうか。残念ながら只野の場合、そのような観月会にはならない。 只野の観月会は、サカヅキとともにツキをタノシムことになる。あのツキの色合いはオサケの色合いじゃないですか。当然一杯やらないといけない。でないとサカヅキの底に後悔を残すことになってしまう。もっとも勢いよくやると、次の日に後悔を残すことにもなる。しかし酒飲みは次の日のことなど考えていない。ナルヨウニナレである。 もう一つ、9月は只野の誕生ヅキである。ツキ見るツキは誕生のツキである。まとまりがよい。したがってめでたいわけであり、もう一杯やろうということになる。 酒飲みは理由をつけるのがうまいのである。
2005年09月19日
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このところ、学校というところに縁のなかった只野である。したがって学校祭に顔を出すとなると少し緊張する。運動会の短距離走を走る直前の心境に似ている。 校門をくぐり、まずお茶会である。紅白幕が引かれている。着物姿の高校生から一服いただく。気分は正月である。今年もいい年でありますようになどと思う。既に半年過ぎているなどとは思わない。 食堂に入る。満員である。只野は駅前の食堂でこんなに満員になっている様子を見たことがない。天ぷらうどんを注文する。天ぷらうどんを食べ、汗をかいた。結構暑い日であることに只野は気づくことになる。 喫茶でコーヒーを注文する。ウエイトレスの高校生は非常に礼儀正しく、清々しい。それだけに、コーヒーを置いたとき、ちょっと液面が揺れて「あは!」と呟いたのが印象的であった。 展示を見る。文字を1面に敷き詰めたガンピが何枚も並ぶ。絵画、書や写真が並ぶ。それぞれ工夫がされている。一所懸命さがよい。これも見ていて清々しい。只野にもし何か制作する機会が与えられても、清々しいものはできないだろうと思ってしまう。それ以前に才能がない。 ステージ発表である。吹奏楽である。ちょっとしたストーリー付である。「ふぅ~」なんてやっている。チャンバラなんかもあり、なかなか楽しい。演奏を忘れそうになる。もちろん、好感の持てるいい演奏である。 只野は、帰り道何かを忘れたような気がしていた。帰宅してポケットを探ったとき、それは解決した。只野は、お茶会の券を渡し忘れていた。
2005年09月17日
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せっかく整えたものをうっかり台無しにしてはいけない。(あくまで只野の私見と思っていただきたい) ブログへの日記の書き込みについては、サイトで直接行っている方が大半だと思われる。しかしうっかり「ESC」ボタンを押してはいけない。せっかく書いた日記が消えてしまい台無しになる。只野はメモ帳で文章を完成させた後、サイトへコピペしている。 コーヒーにミルクを落とす。すぐかき回してはいけない。コーヒーに残るミルクの模様を楽しまなければならない。只野の場合、スプーンは使わない。 デジカメで写真を撮り、年賀状の裏面を作成する人が増えている。写真の加工をするのは自由であるが、人気キャラの顔を我が子にしてはいけない。著作権に抵触するのはもちろんであるが、それ以前に不自然である。同様に、観光地にある「顔の部分だけ切りとった写真コーナー」で撮った写真も不自然である。別の意味での面白さはあるが。 最近のカツラの定着力がどれくらいなのか、只野には分からない。しかしカツラでうっかりオープンカーを走らせてはいけない。せっかく整えた頭が台無しどころか毛無しになる。カツラが飛んで海にでも落ちようものなら最悪である。同じ理由でジェットコースターもいけない。 只野は基本的にオフィスワークである。PCに向かって座ってばかりいてはいけないとは常々思っている。しかしこれは仕事であり、そう言ってもいけないということになる。
2005年09月16日
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只野は何年も前、流れ星の雨を目の当たりにしたことがある。ペルセウス座流星群である。これは毎年8月中旬に見られるが、特にその年は多く見られると言われていた。その年只野は流星群に出会うことになった。 こういうときは大体曇り空になってしまう。只野の場合も例外ではない。よいこの寝る時間になっても雲はとれず、断念しそうになった。しかしここまで計画したことである。夜空は厚い雲とも思われない。只野は望みを捨てず、珍しく酒も飲まず待機していた。(飲めばもういいやと言って寝るシナリオが明らかである) それは午前0時過ぎであった。夜空は期待を裏切らなかった。雲が切れてきたのである。カーテンが開いて満天の星が現れた。これだけでも十分であると思った。星が多すぎて北斗七星の判別が出来ないほどだった。(只野の基礎知識不足による部分も大きい) しばらくしてからである。フワッと現れた星がスッと尾を引いて消えた。只野はついに見てしまった。この1個の流れ星でも十分であると思った。願い事を考えるほど冷静ではなかった。高ぶっていた。 ショーは始まったところだった。分刻みであちこちに流れ星が発生した。流れ星の雨という感じである。濡れないのが有難いなどと思っている余裕はない。あっという間に1,2時間が経った。流れ星は百個を優に超えていたはずである。 部屋に入り一杯飲んで落ちついたところで、只野は流れ星に託すはずの願いを思い出した。 ちなみに、その願いが何だったか今では思い出せない。思い出せないほどだから大したことではなかったということにしておく。
2005年09月15日
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家の照明などは明るいに越したことはないと思いがちである。 只野は、雑貨屋で裸電球型の蛍光ランプなるものを見つけた。消費電力も少ないとある。瞬間ではなくジワジワと点灯するということであるが、実用上問題はない。多少待てばいいだけのことである。 どうせなら家中の裸電球をこの蛍光ランプに変えてやろうと只野は決心した。こういうところの判断は大胆である。只野は内心してやったりであった。 家に着き、早速取り替えにかかった。モノがモノだけに明るいうちに済ませないといけない。只野にしては非常に段取りよく交換を完了した。 点灯式である。座敷は裸電球3個の照明であったが、見事に蛍光灯と同じ輝きの下に立つことができた。大成功である。只野は気をよくしてその日の晩酌になった。 然るにその後である。只野はトイレに入り、何かしら違和感を覚えた。明るいのである。いや明るすぎるというのが正しい。トイレにてこんなに現実的な色彩感を味わうことは、利用する側への配慮に欠けることになる。トイレにおいては、ある程度ムーディでないといけない。 只野は次の朝、トイレの照明だけは裸電球にもどしておいた。
2005年09月14日
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夏から秋という季節は、盛りを過ぎてだんだん寂しくなる印象がある。しかし只野にとって、これから盛りを迎えるものもある。 魚である。只野は魚旬とか魚春という言葉を想定する。魚のおいしい季節になる。寒くなると魚が締まってくる。こればかりは始まりになる。 9月、第1弾は秋刀魚である。塩焼きにお目にかかる。傍らには大根おろしがないといけない。醤油は大根おろしにかける。できれば1尾丸ごと焼いたものがよい。これぞ秋刀魚という感じがするんだな。「さんまのまんま」である。 同じくして、ふくらぎ(只野はそう言う。はまちでもある)が旬となる。こちらはお造りである。寒くなればなるほど身が締まってくる。わさび醤油である。ぶりになればうれしいが、値段が張る。ぶりという場合は、夜のタイムサービスがチャンスである。 只野にとって、酒の「おさかなの春」が間もなくやってくる。
2005年09月14日
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それは、只野が家に帰り、1杯目のビールを飲みほし、2杯目に手をかけたときだった。 「けいさつはバツ」それを叫んだのは、真ん中の息子だった。只野は、また警察の不祥事でもあったかぐらいの気持ちで聞いていた。 「やくばはマル」息子は間髪を入れず再び叫んだ。只野はすでにして子どもの挑戦を受ける構えになる。けいさつになくて、やくばにあるものである。 只野の真ん中の息子は移り気である。それだけ言って去ってしまった。 こういう場合において、只野は考えこむことになる。けいさつはばつ、やくばはまる、じゃ消防署はさんかくか?どうもわからない。と同時に、こういう類の答は意地でも自力で出そうと力が入ることになる。只野は一所懸命考えているが皆目見当がつかない。 そのときである。「地図の宿題どうなったの?」息子の母親は茶碗を洗いながら叫んだ。只野にとっては叫ばれてしまったことになる。 只野の2杯目のビールは、いつになく温く苦い感じになった。
2005年09月13日
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只野は昔、野球拳というのが流行った頃を思い出した。「アウト セーフ ヨヨイ ノ ヨイ」である。じゃんけんで、セーフは勝ち、アウトは負けである。然るに昨今アウト・セーフのつきそうな話題が目立っている。 巨人軍の監督候補に星野仙一氏の名前が挙がった。これを星野氏はきっぱり否定した。星野氏はセーフである。巨人軍はアウトである。元々よい人材を集めるためには義理人情や筋や手段を選ばない姿勢である。どこかでアウトにならないといけない。 大型ハリケーンのカトリーナに対する米政府の対応が遅れ、批判が出ている。これは米政府がアウトである。現在いろいろ対応しているようだが、判定は覆らないだろう。少なくとも被害にあった人たちはセーフにならなかった。 郵政民営化賛成を全面に掲げた与党が衆議院総選挙で勝利した。只野は密かにこのことをセーフ与党とささやくのである。
2005年09月13日
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その日只野は、通勤のため車を運転していた。抜けるような青空である。車に屋根がついているのがもったいないくらいである。 コンビニから1台の車が出てきた。只野の車のすぐ後ろにつくことになった。運転手は体格のよさそうな男である。口を動かしている。コンビニでハンバーガーでも買ったようである。たまにハンバーガーが見え隠れする。只野は何となく気になっている。前を見なければいけない。 男はずっと口を動かしている。信号では、たまに只野の車に迫って止まる。只野はヒヤヒヤすることになる。しかし只野も前を向かなければいけない。 男の口の動きが止まった。やれやれである。これで安心して運転に没頭できる。 と思ったのも束の間、男は煙草を吸い出した。煙草をくわえたり離したりしている。やっぱりブレーキのタイミングが遅れるようである。しかし只野も前を見ていないといけない。 そうこうしているうちに只野は左折の交差点を迎えた。男は直進していった。今度こそやれやれである。しっかり前を向いて走ることが出来る。 ところで只野の直前の車は、バックミラーに気をとられている只野をどう見ていただろうか。只野はふと思った。
2005年09月12日
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只野はその朝、新聞を見ながらテレビのアナウンスを聞いていた。あるコメントが聞こえてふと顔を上げることになった。「次の話題は、平井堅 アスベスト です」 平井堅がアスベストか。 なるほどね。平井堅も大変だ。 ん?平井堅がアスベスト? 只野は右から入って左から抜けそうになったコメントをふと止めることになった。よく考えてみると無関係である。平井堅が郵政民営化…ぐらいなら流していたところである。しかし平井堅が石綿というのは…、平井堅が石綿、平井堅を思い浮かべると、まぁある面そうかなと思う部分が…いやそれは思わない方がいい。いずれにせよちょっと変である。 顔を上げて画面を見たとき、その疑問はすぐに解決した。「平井堅 初ベスト」 只野の視線は、何もなかったように新聞記事に戻った。
2005年09月11日
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只野の勤務するオフィスからは高校が見える。高校野球がそうであるように、高校生の一所懸命な姿は清々しくてよい。ましてそれが大運動会であるとなると特別に近いものがある。 その日その高校も大運動会であった。只野が出勤する頃には準備万端の雰囲気であった。白線を引く生徒が見えた。ストレートは白線を斜めに引いてはいけない。走路に不公平が生じる。得点板の周りに紙花が見える。これはつきものである。赤団は赤の紙花でないといけない。 やがて開会式である。マーチングバンドが行進の先頭を飾る。素晴らしい演奏である。只野は仕事の手を止めそうになる。しかしそういうわけにはいかない。かといって行進曲と掛け声はいやでも耳に入る。ながら勉強というのは、只野の年代において苦痛であると気づくことになる。 昼食時には静かになった。友人と輪になって母親の手弁当を頬張る高校生を想像する。食べ盛りである。弁当で足りず、小遣いで買ったパンを口にしているかも知れない。昼食もそこそこにして、午後の部最初の応援合戦に向けて、最終調整を懸命に行っているかも知れない。 只野が午後外出して戻る頃には、最後の種目であるリレーが行われていた。団旗が右に左に動いている。「キャー」という悲鳴に近い応援が聞こえる。この時すでに得点板は撤収されているはずである。最終結果は閉会式で発表されなければならない。リレーの結果から計算して最終結果がわかってしまうのは、運動会の演出として失格である。 只野が帰宅に着く頃、その高校では何もなかったかのように部活動が続いていた。なんとなく只野は清々しい気持ちを感じながら、車に乗った。天気は一日を通して晴天だった。
2005年09月10日
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(只野は、息子坊主の活躍のために壊れた照明器具の替わりを買いに来ている) 照明器具の売り場は一見難しいようで実は簡単である。上を向いて歩こうである。家につり下げてあるモノが、下に鎮座することはない。実際、只野もその原理を信じて歩き、売り場に辿り着いた。 只野は自分なりに見て考える。ちなみに種類で言えば「普通」「インバータ」「シーリングライト」の3つがありそうである。普通とインバータの違いは知っている。しかし、まだ部屋の広さやら省エネやらいろいろ宣伝文句がある。どれを買うか只野には判断がつかない。 結局只野は、最寄りの店員に声をかけることになる。「すみません。蛍光灯についてお願いします」(こういう場合の「すみません」は『私の疑問(意見)があるけれど、まだ済んでいない』というのが正しいと思われる) 女性の店員が寄ってきて、やりとりは始まった。只野はシーリングライトを尋ねた。「これはリモコンでon・offできます。他より省エネです」 只野は、点灯させてほしいと頼んだ。リモコンはぶら下げてある。女性がリモコンを押すと、不幸にも同メーカーの周りの蛍光灯が点灯し、只野の見ていたものだけが点かなかった。女性店員は言った。「おかしいですね、リモコンの電池ですかね。(周りの電灯は反応している)」 彼女は一所懸命である。その気持ちを踏んではいけない。只野も一緒に考えようとした。ただ初めてシーリングライトを見た只野に、解決の糸口を見いだせるはずがない。 そのうち只野は、ヒモを失ったために照明器具を買いに来たことを思い出した。そして最終的に買ったのはシーリングライトだった。(P.S シーリングライトはかなり明るいと評判である。明るい○○である)
2005年09月09日
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只野は電機屋へ行った。目的は照明器具の購入である。血気盛んな息子坊主が照明器具のヒモを根本からちぎってしまった。モノがモノだけに明るい内に買ってつけないといけない。 電機屋へ入る。家電量販店だけあって賑やかである。こういう店の特徴は10台以上のテレビが点いているというイメージがあるが、まさにその通りであった。ちょっと電気代を考えることになる。しかし居並ぶテレビが全てoffというのも様にならない。 あちこちの誘惑にひかれて何となく店内を歩くことになる。オマツリの露天を歩く感覚である。そのうち只野は電子手帳型のPCが欲しかったことを思い出す。それとなく探したがない。店員に聞く。「申し訳ございません。隣町の支店には展示してあるのですが」 只野の思いつきの購入意欲に釘を刺していただいて感謝することになる。 PCのサプライコーナーに来る。ここで必ず思い出すことがある。店では使用済みインクカートリッジを回収しており、只野も知っている。今度行くときには出すと決意している。その「今度行くとき」が思いがけず今日になってしまったのである。只野は内心しまったと思っているが、まぁ次回があると思ってしまう。これは何度かあった。 それにしても客が多い。日本人が貯め込んでいるから景気が悪いという言葉はここでは通じない雰囲気がある。もっとも全ての客が家電製品を購入しているわけではないとも思われる。しかし只野の場合、ここに目的なしに来ることはイコール衝動買いということになる。 この時点で只野は、すでにして自分の目的を忘れそうになっている。 (長くなったので後半へ続く)
2005年09月08日
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只野の朝は、余裕がある。30分くらいかけて新聞を読むことになる。情報収集も只野の仕事であり、念入りに読む。 この頃はやっぱり政治欄に目がいく。こんなに選挙に関心が高いのは珍しい、只野が覚えている限り、一番高いといってもいいかもしれない。只野のところも激戦区である。毎日のように数人の候補者の様子が出ている。只野は今のところ投票に行くことだけは決めている。 テレビ欄の一つ前をよく見る。一般的には地域の社会面になる。地域の事件事故がメインである。最近はここも選挙が占拠している。(こだわって洒落を言ったつもりである)新聞もいよいよワイドショーや雑誌のように流行を追うことになったかと感じながら読む。 お悔やみ欄を見る。つい年齢を見てしまう。同年代やもっと若い人をたまに見つけて、ちょっと複雑な心境になる。おかげさまで生かしていただいているという感じになる。心の中で手を合わせたりする。 年齢について只野には気になることが一つある。記事にはもれなく年齢が出ていることである。「○○総務会の会長に只野壮年氏(28)が就任した」 これである。おおよそ年齢と関係ない話でも書かれている。「只野壮年(32)運転の軽乗用車と今野青年(24)運転の乗用車が出会い頭に衝突」 この場合も年齢は関係ないと思うのだが書いてある。年齢を見て思うことは「若いモンがやったな」ぐらいの判断である。そのために年齢を公表するのだろうか。常々疑問に思う只野である。(登場した氏名年齢はフィクションであり、読者がクシャミをしても只野には関係ありません)
2005年09月08日
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その昔、堺正章の唄である。只野の好きな唄である。 只野の帰りは夜である。市街を後にする。高架を渡るときには市街の灯りが見える。ほのぼのとしている。それらは決して他に干渉しない。常にウィスパーである。 時に秋の夜長である。コオロギが鳴き、月が映える。CDの音を絞ると、街の灯りとコオロギのコラボレーションが美しい。こういうときは現実を忘れなければならない。風はある。収穫前の稲穂を揺らしている。そして只野は夏の終わりを知ることになる。 ちなみに只野の通う道路は、ほぼ2車線である。物思いにふけるときは左車線でなければならない。
2005年09月07日
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想定の範囲内か否かについては、その都度只野も考えるところがある。 朝の出勤は30分前である。この30分は頃合いである。もし文書を忘れても30分あれば何とかできる。腹の調子も30分あれば何とか整う。ウルトラCとして、忘れ物を家にとりに行って何とか間に合うと思っている。逆に会社における30分は貴重である。30分で仕事系のいい状態になる。(これをクールアップと呼んだ体育会系の男がいた)ちなみに蛍光灯は省エネのため点けない。パソコンの電気だけはお借りしている。 会社内である起案をする。(これで外部に出していいかについての承認であるとする)トップに至る以前にコッパミジンになって帰ってくる。しかしこれは想定の範囲内である。只野は新人であって、そう簡単に同意は得られないだろうと考えている。こういうところで焦ってはいけない。修正を誠実に考えればいいことである。 パソコンに不都合が起こる。これは想定外である。既知のことならともあれ、こういう場合はそうではない。修正に1~2日を要してしまう。気も焦り出す。こういうときは晩酌でリセットする。 夜、家に帰る。冷えたビールがない。さすがにこれは想定外である。いったん占めたシャッターを上げて「こんびに」へ走ることになる。ただしその時はちょっと贅沢をする。自分への努力賞である。(実は只野はこれをアットホーム賞と呼んでいいのではないかと内心思っている)
2005年09月06日
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只野は交差点の先頭で止まった。この先は渋滞から抜けることになる。ちょっとホッとする時間である。 小学生の列が目の前を渡っていく。夏休み明けである。低学年は浅黒い肌に黄色の帽子である。ランドセルに存在感がある。久しぶりだから重たいのだろう。一方で高学年は同じく浅黒ではあるがランドセルは付属物である。背は女子の方が高そうである。 お巡りさんが、止まれの旗を示している。渡り終わったら機敏に旗を降ろす。ちょっと力が入っている。 反対側で旗を持っていたのは、子どもを抱いた母親だった。子どもは1~2歳ぐらいだろうか。母親はちょっと重たそうである。核家族で父親は早くに仕事に行く。他に誰も子どもを見る人がいない。仕方がないから連れて行くかというところであろう。 ふと斜め上に目をやると、今まさに離陸せんとする飛行機である。この交差点から飛行場はそう遠くない。只野は、うまく飛んでくれよと他人事ながら祈ってしまう。 只野は次の瞬間何気なく、くだんの母子に目をやった。子どもが飛行機を指さして微笑んでいる。それに母親が微笑んで答えている。これがいいんだな。只野はこういう姿に弱い。ついつい見入ってしまう。ほのぼのとしている。当の本人たちはきわめて自然な振る舞いである。 只野はしばし信号待ちを忘れて、ほのぼの感に浸っていた。渋滞のもとを作っていることにも気づかず。
2005年09月06日
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只野は、それをユニバーサル表現と例えていいかわからない。しかし英語が読める人にわかるのだから、そういってもいいだろうと思っている。このユニバーサル表現が日本語を忘れて飛び交っているのではないか。要は「あえて英単語表現」である。一時ちょっと話題になってか、意識して日本語に戻りつつあるが、まだ無用に英単語が氾濫している。 volumeと書いたボタンがある。toneと書いたボタンがある。音量、音質ではいけないのか。輸出向けに配慮したとしても、ほとんどが日本人の利用なのではないか。おかげで只野の息子は、早送りがなぜFFであるのか、いまだに合点がいかないでいる。 最近開院した医者は皆英語である。「Tadano Dental Clinic」であり、しまいには「TDC」である。「Pain Clinic」なんてやられて「痛みなら何でもいいのか」ならまだ救われている。痛みを感じる人にこの英単語を考える猶予はない。 酔ってトイレにはいると、前にセンサーがあって赤ランプがついている。その下には幸か不幸か「AUTO」とある。便器の会社としては「だから押しボタンはないのですよ」というつもりであろう。しかし敵は酔客である。「AUTO」を見て「おうと」と読んで…。 この表現は必要ないと思うことが、只野にはよくある。 「JA」「JR」「JT」である。日本人が大きな客を占める企業である。只野は、なぜ日本語を手放したのか解せない。洒落ている、簡潔で憶えやすい等々いろいろあるのだろうけど、只野はそこに日本語を残してほしかったと思っている。もっと言えば、ひらがななんていいじゃないかと思う。「ただの の はいしゃ」なんて温かみがあっていいじゃないか。 日本語の美しさは日本人にしか表現できない。ひらがななんて、もっと積極的に使ってもよいのではないだろうか。 と言いながらインタラクティヴなブログをエンジョイするタダノである。
2005年09月05日
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只野には物心ついた頃から、台風が単なる気象の要素とは異なる印象がぬぐえない。 少年の頃である。周りの大人の会話である。「台風が来られるらしいって聞いたけど」(来られるというのはすでに人扱いの様相)「すぐそこまで来ておられるらしいよ」(更に親近感)「何時頃来られるの」(お茶くらい出さねばという感じ)「午後の3時頃って聞いたけど」(じゃお湯わかすまでもう少しあるわね)「じゃ、そのように準備しましょうか」(何か段取りを計算することになる) というような会話を記憶している。 さらに子どもたちも反応する。「台風来るらしいよ」(変な期待感)「そうらしいね。みんな騒いでいるし」(周りの騒ぎでちょっと気分が盛り上がる)「なんかワクワクするね」(一大イベントを迎える気分になる) 台風襲来を歓迎しそうな雰囲気である。ただし授業がなくなるのではといった期待も含まれている。 台風には名前がある。アメリカのカトリーナがそうであり、今回の台風14号はナービーである。すでにして親近感が生じている。 「台風14号は自転車並みの速度で…」というニュースを「どうも今回のナービーさんはゆっくりしておられる」と只野は解釈してしまうことになる。悠長な話でないのは承知しているが。(追記)現在、台風で大変な状況になっていらっしゃる方には、気に障ったかもしれません。深くお詫びすると同時に心からお見舞い申し上げます。
2005年09月05日
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このところの天気はある種ゲリラ的である。まず降らないだろうと安心していると、いきなり大雨になる。空が異様に暗くなったから、これは一雨来るかと思っていてら、降らなかったりする。この頃の天気はわからない。 只野の通勤途中に「梨直売所」がある。店の周りをのぼりが囲んでいる。よく見ると「○○宅配便」「△△パック」「□□急便」と、複数の業者ののぼりが同じ店の周りを囲んでいる。この店で配送をお願いしたら、どこの伝票を書かされるのだろうか。ちなみに「どこの業者にしますか」と言われても、只野は困惑する。 キャッシング会社のCM、必ず最後は「お金は計画的に使いましょう」 とある。計画的に使えるものならキャッシングは利用しないのではないか。そのあたりがわからない。 「よ~く考えよう、お金は大事だよ」 今の社会状況でお金が大事だと思ったら、保険につぎ込もうとは思わない。その意味でこのコピーもわからない。 崖から落ちそうになって、「ファイト一発」で助かるCM。それ自身はわかりやすいのだが、「タウリン500mg配合」と言われても、何がどう効くんだかわからない。(「タウリン500mg」は「タウリン1,000mg」の間違いでした。お詫びして訂正申し上げます。大正製薬の皆さま、ごめんなさい。) 郵政民営化賛成を訴える政党がある。この政党に投票しないためには郵政民営化反対を訴える政党を選ぶことになる。しかし「賛成でない」政党は「郵政民営化だけで選ばないでほしい」と訴える。郵政民営化が目立つこの選挙、結局よくわからない。 只野の疑問は秋とともに深まっていくばかりである。
2005年09月04日
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只野には、未だにすっきりわからないことがある。テンのうち方である。未だに感覚でうっている。テンは読点である。 例えば小1の夏休みのワークにこんな1文がある。「きつねさんは、おおきな こえで よんで みました。」 テンに加えてスペースが存在する。余計わからなくなる。こんな風に思ってしまう。「きつねさんは、おおきなこえで、よんでみました。」 これは極端な例だが、何気なしにテンをうちすぎた、ということがないだろうか。 只野はずっと懸念していたことがある。小学校1年の頃である。只野は授業中、前の席の悪友と無駄話をしていた。(ここでも「只野は、授業中…」か「只野は授業中、…」かで迷った)ちょうどその時、先生がテンのうち方を説明していた。只野は聞き逃してしまった。だからテンのうち方がわからなくなったのだと思いこんでいた。 ところが、である。誰が書いてもこれだというテンのうち方に出会ったことがないことに気づいたのである。こういうときは文科省だろうと思い、調べてみた。 三、テンは、第二の原則として、副詞的語句の前後にうつ。その上で、口調の上から不必要のものを消すのである。〔附記〕この項の趣旨は、テンではさんだ語句を飛ばして読んでみても、一応、文脈が通るやうにうつのである。これがテンの打ち方における最も重要な、一ばん多く使はれる原則であつて、この原則の範囲内で、それぐの文に従ひ適当に調節するのである。(昭和二一年三月、文部省教科書局調査課国語調査室で作成したもので、文部省で編修又は作成する各種の教科書や文書などの国語の表記法を統一し、その基準を示すために編纂した四編の冊子のうちの一編より抜粋) 最後の一文である。「それぞれの文に従い『適当に』調節する」のである。どおりで教科書にも書いてないことになる。マルのうち方は明確である。書くまでもない(マル)。 日本語ならではの曖昧な原則である。少なくとも英語にはない。加えて日本語の場合「曖昧」でも「あいまい」でも「アイマイ」でもよい。只野はたまに意思をもって「アイマイ」とする。 実は只野は、日本語文章の曖昧なきまりを歓迎している。微妙な表現ができる。 ただ、小学1年のテスト「テンのつけ方」で×がついたことは逆に解せないことになる。
2005年09月04日
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この唄、只野の好きな1曲である。歌詩を書けばわかりやすいが、JASRACに叱られそうなので書かない。よかったら検索で探していただきたい。(只野もすぐヒットした) この歌の中に「夢」という言葉が10回出てくる。「恋は夢でも現実のようなもの、現実でも夢のようなもの、出会いが夢のように、別れも夢のように、でもみんな夢の中なんだから」 といった感じが只野のとらえ方である。曲の感じもいい。只野のお勧めである。ちなみに曲は単純なのでカラオケなら万人向けである。さすが作詞作曲、浜口庫之介だなとも思う。ちなみに高田恭子という人が昭和44年に歌った曲だったと記憶している。 只野の夢にはいつも、ろくなものが出てこない。こんな夢が見られるのならば、睡眠を趣味としてもいいと考えそうになる。
2005年09月03日
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只野の家には3人の息子がひしめいている。中1,小3,小1である。約15年先には麻雀をしたいと密かに思っている。 休みの日にはすべての人間が家に存在することになる。中1はさすがに部活動である。その3人に息子の母親(妻でもよいが、この場合この表現が妥当である)から決まって投げかけられる言葉がある。「昼、何食べたい?」 この問いに対して、3人の答は既に決まっている。小1「ハンバーガー(M社謹製。これは買ってきて食べることを意味する)」小3「チュルチュル~(これはラーメンを食べにいくことを意味する)」中3「俺どこもいかない(只野のものぐさが遺伝したらしい。ちなみにこの場合、家でコンビニのおにぎりを食べることを意味する) そして決まって3人とも譲らない。決定権は只野に来ることになる。 ところが只野もものぐさこの上ない性格である。中3に同意したくなる。しかしコンビニのおにぎりでは貧弱である。そして強いて言えばハンバーガーは食べない。 かくして只野は「外へ出たくない」ことに、親ゆえの妥協をすることになる。 勝ったのは小3「チュルチュル~」である。小1は従うことになる。かといってまんざら嫌いでもない。 実は中3も勝っている。家で一人コンビニのおにぎりをほおばっている。 もしかして負けたのは、只野の財布だけかも知れない。
2005年09月03日
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只野は一人で酒場に行くことが割と好きである。決まってカウンターに着く。 昔はオンザロックだった。ウイスキーを水で割るっていうのは、作った人に失礼だという感覚が染みついていた。最初のうちは舌の痺れを感じつつも芳醇な香りと、それにブレンドされた酔いにすべてを任せていた。 只野はもともと人の話を聞く方である。加えて飲めばそれなりに主張することになる。知らず知らずのうちに知り合う隣人ができていた。酒場だけの付き合いである。しかし只野の昼の仕事からは想像もつかないくらい広い付き合いが夜に限りできていた。只野はこの知り合いを貴重な財産だと思っている。 名のごとく壮年を迎え、さすがに翌日を考えることになり、2杯目からは焼酎に換えることになった。さすがにウイスキーのときの勢いはなくなったと思っている。しかし隣人との付き合いは相変わらずなかなかの財産である。半分は知らぬ仲であるから思い切った本音も言えることになる。そしてはっきり言えることは、この時の隣人に悪人はいないということである。翌朝になって会話など忘れていることは多いが、妙に清々しさだけは残っているということが多い。 カウンターの向こうで応対してくれる女性(とは限らないが多くの場合においてはそうである)にも感謝している。またいろいろ話したり思ったりすることもあったが、それは別の機会にしたい。
2005年09月01日
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