フランスでの暮らし
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海外に住んでいるといろんな意味で大変である。 生活習慣の違いとか、味覚の違いとか・・・ それも苦痛といえばそうだけど、そんなものとは比べ物にならない苦痛がある。 それは家族の不幸。 2年半前に祖母をなくした。 何度か日記に書こうと思ったけど、つらすぎて駄目だった。 何がつらかったのかというと、その前の年に、祖母に会いに行った。 私はレオを連れていたし、いとこもたくさん子供をつれてきていて、もうほとんど託児所状態でばたばたしていた。 祖母は行くと必ずおはぎを作ってくれて、好きだった。 その年もやはり祖母はおはぎを作ってくれていた。 でも私はその前に出されたお寿司をむさぼりついて、おはぎを食べるときにはもうおなかがいっぱいで食べれなかった。 明日食べるから置いておいてといったくせに、バタバタしていてすっかり忘れてしまった。 たくさん残ってしまったおはぎをもったいないねぇといって片付けている祖母の姿を横目で見ていたにもかかわらずレオを追い掛け回すのに必死だった。 結局その年はまともに会話もしないまま別れた。 この祖母は私の祖父母の中でも一番若かった。 何も気にせずフランスに帰ってきたその翌年の4月。 父から祖母が入院したというメールが来た。 しばらくしてがんだったという知らせが来た。 そして一年持つか持たないかということも・・・ すでに夏に帰る予定で、チケットも取っていた。 私もこの夏が最後だろうと覚悟した。 しかし、5月に入り6ヶ月持たないかもしれないといわれた。 せめて私が帰るまではと必死で祈った。 余命がどんどん短くなる。 今度は夏まで持たないかもといわれた。 どうしても伝えたい言葉があった。 レオと二人で私たちは元気でやっているという気持ちを伝えるために写真をとって、手紙を書いた。 それから2週間もたたない6月の末ある朝。 めったに電話もしてこない父から携帯に電話があった。 祖母が危篤だという知らせであった。 祖母が入院したという知らせから今までお見舞いすらいけなかった。 手紙は届いたかと聞くと、手紙すら届いていなかった。 近代化したこの世の中、何でこんなときに限ってこんなに時間がかかるのか。 その翌日の夕方、また携帯がなった。 祖母の死を知らせる電話であった。 結局何も伝えられないまま祖母は亡くなった 悲しみに浸ってる暇もない。すぐにネットで電報を送らなければ間に合わないから。 電報なんて初めてだった。 何を書いていいやら・・・ 型どうりの文もいやだった。 かといって失礼なことを書いても駄目だ。 書いていても食べられなかったおはぎが悔やまれて仕方がない。 なぜもっと話をしなかったのか? 後悔ばかりが募る。 涙が止まらない。 お見舞いすら行かなかった不精者の孫はお葬式にすら出席できなかった。 翌日知ったことは、この電報すら、葬儀終了のぎりぎりに駆け込みで届いたという。 途中で、もう適当に文を作って読みましょうということになっていたそうである。 なんて悲しいこと。 このことはかなり長い間私の中で消化できなかった。 なぜこんなに遠くに住んでいるのだろう。 それでも8月に帰った私は祖母の49日に出席できた。 私にとってはそれが祖母の葬儀であった。 それからまた一年がたった去年の夏。 母が近くに住むもう一人の祖母にもっと会いに行けという。 この年はだんなも一緒に帰った年で、あちこち出歩いていた。 母はもう94歳になる祖母ももう長くは持たないのだからもっといっぱい話しておきなさいという。 今まで当たり前のように側にいた、私をほぼ育ててくれたといってもいい祖母。 亡くなるということを考えるのがいやで、母にはハイハイといいながらもだんなをあちこち連れて行くことに重点を置いた。 そしてフランスに戻ってきてまもなく、やはり祖母が入院したという知らせを受けた。 がんではなかった。 老衰である。 また自分を恨んだ。 それでも祖母とは自分なりに話をしたし、レオと遊んでいるところもビデオにとった。 あえないかもしれない覚悟を決めた。 手紙を書いた。 レオも絵を描いた。 今度はちゃんと届いた。 それでもやはりお見舞いにはいけず、お葬式にも出席できなかった。 今度は火事事件のためネットもなく、電報すら打てなかった。 夜中の出来事だった。 なんてついてないんだろう。 それでも彼女の場合、みんな覚悟はできていたし、祖母自信も葬式には大好きなコスモスがほしいとか、美空ひばりの曲をかけてほしいなど、本人の好きなことをしてあげられたそうだ。 苦しむこともなく、眠っている間のことだったらしい。 なんて薄情な孫を持ったのだろう。 何年も会いに来なかったいとこたちさえ出席するのに。 両親のことを考えるともうどうしてよいかわからない。 幸い今は二人とも健康で健在。 でもいつかは来ること。 そのとき私はいったい何をしてあげられるのだろう。
March 28, 2009
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