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定時に職場を出たその日に限って,人身事故の影響で通勤電車の運行ダイヤは大きく乱れていた。 それでも,特に急ぐ必要もなかったのでのんびりと文庫本など開いていると,終点の一つ手前である駅を出た後,いつものように次の駅を知らせる車内放送が聞こえてきた。 お決まりの台詞でダイヤの乱れを詫び,次が終点であることを告げたところまではいつもと同じだったのだが,普段であれば続いて何番線に入線するのか,降車口が左右どちらになるかの案内があるところ,その日の放送では,ダイヤが乱れているため,まだ入線するホームがどちらかわからない,決まり次第案内する,と言ったので驚いた。 確かに,最後のポイントの切り替えで済むことであろうが,既に手前の駅を発車し,終点を目指してひたすら走っている車内である。行方を定めぬ危ういものに身を任せたまま暗闇の中へと無謀に飛び込んで行くようで,落ち着かない気分になった。
2007年06月24日
この時期になると,4月入社の新人たちも,すっかり職場になじんだころだろうと思うのだが。月曜日の夜,家路を急ぐ人々で込み合う電車の中で聞こえてきたスーツ姿のビジネスマン2人の会話である。1人は入社して間もないという感じの若者,もう1人はその教育担当者と思しき30歳前後の男性である。若者 「やっぱ,月曜は辛いっスね。」先輩 「ああ,休みはすぐに終わっちゃうだろう?また仕事かと思うと嫌になることもあるよなあ。」若者 「ホント,日曜はあっという間に過ぎちゃいますよね。月曜は,全然やる気出ないっスよ。一日ぼうっとしてますモン。で,火曜には復活してくるんっスけど。」先輩 「火曜にはなあ,頑張ってもらわないと。」若者 「で,水曜は中だるみっていうのかな,疲れが出て,だる~くなってきません?モチベーション,ガーッと下がりますよね。」先輩 「ん?」若者 「それで,木曜は休みが近づいてくるから,よしもう一頑張りするか,と力入るんっスけど,金曜になると,もう仕事が手に付かないっていうか,遊ぶことばっか考えちゃうんっスよ」先輩 「…(絶句)。」先輩の困惑しきった表情には思わず吹き出しそうになった。身近にも困った新人くんがいるのだが,直接の指導者としてこういう若者を一人前の社会人に育てるのは,かなり大変そうだ。
2007年06月23日
休日当番で終日勤務。だからぼやくというわけでもないが,口座に振り込まれた今月分の給料から,住民税が跳ね上がっていて,手取額が減っている。わかりきっていたこととは言え,現実の数字をみるとやはり少なからぬ衝撃を受ける。税源移譲のためだから,その分所得税が減っていて実害はないというが,実感と違うのはなぜだろう。今年はこれに定率減税の廃止が加わるので,手取額は確実に減っていく。一方で,物価の上昇等もあって負担はじわじわと増えてくる。景気回復が聞こえてくる中で,きちんと仕事をしていても,毎年手取額が減少していくことに,何とも納得ができないのは,私だけではないと思うのだが。
2007年06月17日
約1か月ぶりに夕学を受講する。 雅楽師,東儀秀樹の「すべてを否定しない生き方」である。同名の書籍が上梓されていることは知っているものの読んではいなかったのだが,自分と同い年である彼が語る「生き方」なるものに興味を持ったので,受講することにした。白いシャツにジーンズ姿で飄々と登場した雅楽師は,笙,篳篥,龍笛の音色なども交えながら,静かでありながらも些か早口で,思いつくままという感じで語った。宮内省を飛び出し,国境やジャンルを超えて共演する彼の演奏活動から,ボーダレスを目指す演奏家なのだろうという私の勝手な認識を彼は冒頭で強く否定した。「すべてを否定しない」とは「すべてを肯定する」こととは全く違い,個々の違いを認めながらそれに迎合するのではなく,自他の境界線を見極めた上で自分をしっかり持っていられることであるという。穏やかな印象の口調とは逆に,楽家の血筋と宮内庁楽府で鍛え上げた技術に裏打ちされた雅楽のスキルに対する絶対的な自信や,あらゆる面で揺るがない確固たる自分のスタンスを持つ強さが言葉の端々に現れる。目標を定め,それに向かって一直線に突っ走るのではなく,目標を持たずにキョロキョロしながら今を面白がってあちらこちらへ寄り道をすることが大切ではないかと語りかけ,思い立ったことはやってみる,壁にぶつかったときは先に進まない方が良いのかもしれないと考えてよじ登って無理に乗り越えようとするのではなく,後戻りすることを恥ずかしいと思わない,自分の好き嫌いをはっきりさせた上で集団の中にいられればよい等等の言葉は,私の心の中の,普段は黙殺し,押さえ込んできた部分を刺激した。今はいろいろな事に興味が広がっていて,趣味もどんどん増えているという点は,私の現状と似ていると感じた。詳しくは語られなかったが,政治や教育に対する意見もいろいろあるようであったし,余談として出た雅楽用語が一般の生活の中に溶け込んでいる例についての話も面白く, それらについて書かれているという著書を読んでみたくなったのは,見事に宣伝戦略に引っ掛けられたということらしい。
2007年06月06日
師匠が特別出演するということもあって,上野公園内にある旧東京音楽学校奏楽堂で行われた「イタリアバロック声楽曲の夕べ3」を聴きにいく。前半はいろいろな歌い手が代わる代わる登場して,モンテヴェルディやカッチー二等のさまざまな曲を歌う。私などには必ずしもなじみのある曲とはいえないものも多かった。師匠もここではバリトン歌手として,チェンバロの伴奏のもとパスクィーニの「静かな憩いのうちに」を披露した。プロの中に入るとさすがに声量等に違いがあるのを感じるが,テクニックには着実な進歩が感じられ,努力を続けておられることが推察される。後半は,やはり私は寡聞にして知らなかったのだが,ヘンデルのオペラ「アルチーナ」という曲のハイライトで構成されていた。師匠は,あらすじを朗読して物語を進行させる役割を担う。物語自体は,魔女の呪縛を愛の力で解き放つ…といったファンタジーともいうべき作品だったが,その分わかりやすかった。もっとも,今回の一番の楽しみは,重要文化財である奏楽堂で演奏を聴けることであった。奏楽堂は,1890年に建てられた日本最古の様式音楽ホールで,移転の危機を乗り越えて,現在の場所で今でも定期演奏会等が行われいる。美しい木造の建物自体はこれまでにも見学したことがあったのだが,残念ながらそこで演奏を聴く機会がなかった。パンフレットによれば,その昔,滝廉太郎がピアノを弾き,山田耕筰が歌曲を歌い,三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾ったというその舞台での演奏を一度生で聴いてみたいと思っていたものが,今回思わぬ形で実現したのだった。今回は声楽曲で,伴奏のリコーダーやチェンバロなどの音の響きは,評判通り柔らかで潤いがあり温かい。一方で,魔女が投げ捨てた杖が床に落ちたときなどは,強く反響した。今度は,舞台正面にあるパイプオルガンの音や,室内楽曲などを聴いてみたいと思った。
2007年06月01日
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