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この間から看護学校を社会人入試で受けようという女の子をみている。その女の子、数学を学習した後一言。「解けるようになるとおもしろいですね。」しばらく勉強を離れていると、勉強もおもしろく感じるのかな。それとも、今まで解けるという実感を味わったことがないのかな。まあ、なんにせよ、昨年も社会人の看護学校受験に携わったが、社会人の生徒は「動機付け」「モチベーションを上げる」といった学習以前の部分で、こちらが働きかけをする必要が殆ど無い。また、学習以前の「きちんと自分の意思を伝える」「報告すべきこと、連絡すべきこと、相談すべきことはきちんとする」なども社会人経験で身に着けているので、意思疎通に齟齬がない。つまりは、教えるのが非常に楽で、教科指導だけに専念できると言って良い。この間、塾にやってきたコウスケ(マツダ株式会社)に、そういう感想をもらして「もう看護学校社会人入試専門塾にしようかな。絶対需要はあると思う。」と話したら、「でも、先生のやりたいことはそんなことじゃないですよね(笑)」と図星をさされてしまった。そう私は楽して教えたいわけでも儲けたいわけでもない。
2016.06.24
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以前にもどこかで書いたが、私は道具にかなりこだわる。まともな道具を使わないとまともな仕事にはならないし、身体に負担がかかり集中力が削がれる。さらには最悪身体を壊す。決して高いものが良いというわけではない。私が一番気に入って使っていたシャーペンはせいぜい500円くらいのものだ。そのシャーペンは廃番になってしまったので、今は今までで2番めに私の手に合う《メール便対応》 ぺんてる シャープペンシル 0.5mm タフ XQE5 ブラック・ダークブルー ◇Pentel TUFF〔xqe5〕価格:264円(税込、送料別)これを使っている。けれども、良い物をと思うと高いものになることも多い。もともと目が弱く、目を酷使する私にとって、PCモニタはナナオ(eizo)以外は考えられない。ナナオのモニターは他社同サイズのモニターの軽く倍の値段はするが、それだけのことはある。ナナオ以外のモニターでは、5時間もモニターとにらめっこしていると涙で前が見えなくなり頭痛がしてくる。最近、作業内容が変わったせいで、EIZOのモニターでも頭痛が起こるようになってきたので、作業ラックを組み直してモニター位置を8センチほど下に下げてみたら、ずいぶん良くなった。ちなみにキーボードは【あす楽対象】 マイクロソフト 有線キーボード[USB] Natural Ergonomic Keyboard 4000(ブラック) B2M-00028[B2M00028]価格:3520円(税込、送料別)コレを使っていた。真ん中が盛り上がっていて、超絶スピードで打ち込むのには向いているが、他の用途には全く向かないというキーボードだ。そもそもとにかくデカイ。当時はプリントを自作することが多く腱鞘炎になりかかっていたので、これのおかげで随分楽になった。ドラマ「リッチマン・プアウーマン」で小栗旬が使っていたので見たことがある人もいるだろう。しかしこれも壊れた。今は以前ほどプリントを自作することがなくなって腱鞘炎も収まってきているので、もうすこし汎用性の高いこちらに変えた。★ マイクロソフト(Microsoft) Microsoft Comfort Curve Keyboard 3000 USB Port Japanese 1 License 3TJ-00030 【あす楽(平日のみ出荷)/代引除く】価格:3078円(税込、送料無料)そして、このところ20年ほど愛用してきたPCチェアがさすがに限界を迎えそうなので新しいPCチェアを吟味していた。お金に余裕があるのならば、こんな感じの【在庫有】アーロンチェアポスチャーフィットフル装備Bサイズ/グラファイトベース/クラシックカーボン価格:153000円(税込、送料無料)アーロンチェアだとかリープチェアだとかが候補になってくるが、お金のない現在の私には、到底手が届かない。無駄にためまくっている楽天ポイントでなんとかしてやろうと楽天中古市場をあさっていた。完全に前のめりの作業スタイルの私には前傾姿勢がとれるPCチェアが望ましい。しかし、前傾姿勢向きのPCチェアは意外に種類が少なく、plusのオーバルチェアか、イトーキのバーテブラか、それともコクヨのトレンザチェアを中古で買おうと悩んでいた。そうやっていろいろ椅子を調べていたところリンク→とある漫画家さんの作業環境この漫画家さんの作業環境にはさすがに感動した。やはりプロはこだわりも半端ない。ちなみに、何が言いたいかと言うと、勉強道具の扱いがいい加減な生徒の成績は伸びにくいですよということです。さらにちなみに、塾では生徒ひとりひとりにデスクを合わせることなど予算上できませんので、デスク、チェアなど作業環境の持ち込みを許可しています。といっても、今までそんなことした生徒は2人だけですが(笑)
2016.06.22
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こういう指導法が正しいかどうかは置いておく。TVならではの演出もあるとは思う。それでも、そんな大人の思惑とか関係なくこの子たちは本気だろう。だから、私は時々こういうものを見る。アイドルからも学ぶべきことはある。リンク→チーム8合宿「結構練習してたしっていうレベルじゃだめなんだ。結果が出せなきゃダメ。それがプロの世界」結構勉強したしじゃ、だめなんだ。というより「勉強」なんかしてちゃだめなんだ。人に強制されてやるのが勉強。自ら動こうよ。追記:あらためて中野郁海はこちらの世界(学問)でもやっていける子じゃないかなと思った。可愛い子がたくさんいるAKBの中で、たいして可愛くないのに(個人的感想であり、一般論として保証するものではありません)&(ファンの方失礼! でも私もteam8では中野郁海推しですよ。)運営からも推されているのも納得。
2016.04.05
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この間、後輩に聞いてもらった話を、GWでこちらにきていた橋本ドクターや玄太くんにも話してみた。後輩同様、諸手を挙げて賛成などしてはくれない。自分の中では、十分考えたつもりでも、まだまだ甘い点、考えが及ばなかった点が続々と浮き彫りになってくる。自分の脳がフル回転し始める。だからこそ、意見を求めるのだ。相手の力を認めているからこそ、その意見がほしい。尊敬できる相手だからこそ、批判がほしい。もちろん、相手の言ったことをやるのかやらないのかは、結局は自分の意志だ。それでも、批判があってこそ自分の考えに磨きがかかる。相手の批判を上回るアイデアを出せば、より成功への確率が高まる。私自身も、大西先生が今進めているプロジェクトに対しても橋本ドクターの進めているお話にも、意見するし批判も正直に述べている。そもそも「あんたのしたいことなら好きにやりなさい。」なんて言ってくれるのは親くらいだ。言って良いのも親くらいだ。親だけが、子どもに、子どものしたことに責任がとれるからだ。相手に一生付き合う覚悟があるのは親くらいなのだ。最近の世の中じゃ、パートナーですら逃げる。なにせ離婚率が世界で6位にまで上がっている。私たちは他人のすることに責任が取れない。責任はとれないのに責任感は感じてしまう。だから、本当の他人(どうでもいい相手)の言うことなら、無責任に賛成することはあっても、友人の相談に対しては親身になって相談にのる。ところがどれだけ親身になっても、真に親の身にはなれない。だから、おかしいと思ったこと、相手の考えが及んでいないところにつっこむのだ。考えが甘ければ、考えなおせというのだ。考えなおせというのはやめろということではない。やめることも含めて考えなおせということであって、考えが甘いという指摘である。私は、よく生徒に言っている。「親を説得もできないようじゃ、社会に出たらやっていけないよ。」まともな親なら、最後は子どものしたいようにさせてくれる。子どもから、子どものしたことから逃げない。そんな”甘い”親すら説得できないようじゃ、何のプロジェクトも通せない。どこの面接も受からない。何かをしようとしたら、必ず異論が出る。違う考え方をする人がいる。そういうことも私の塾では合宿の運営を任せていくことなどを通じて学ばせている。とはいうものの、だからこそ、親は有難い。子どもを信じ、やりたいことをやらせてくれる。私たちは生徒を信じていないのではない。信じたい。責任をとりたい。だが、実際にはできないからこそ、いろいろ言うのだ。そうか。学校の先生の進路指導が無難なのも仕方がないのか・・・。
2015.05.05
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Study links brain anatomy, academic achievement, and family incomeIn middle-schoolers, neuroscientists find differences in brain structures where knowledge is stored.という研究結果がMITとハーバード大から発表された。裕福な家庭で育った学生の脳は視覚認知・知識集積に関連する領域である大脳皮質がより厚いことが判明したそうです。なぜ、このようになるのかは依然はっきりとはわからないものの、従来の研究によれば、低所得者層の子供は幼児期に音声言語に触れる機会が少ないこと、より多くのストレスに曝されること、教育的リソースが不足がしていることなどが原因として考えられています。アメリカでの研究なので、そのまま日本に当てはまるかというと疑問が残ります。日本と違い、アメリカの低所得者層は本当に低所得です。また学校制度も違います。学校は保護者からの寄付を募り、その寄付金をもとに学校の設備を整えます。それが富裕層の教育的リソースが多いというひとつの原因となります。参考)アメリカの教育事情このように単純に日本にあてはめるわけには行かない研究ですが、「東大生の親の年収」を見ると、日本においても経済格差と学力格差の間に相関関係がみられます。ということで、常々言っているように、自分の志望校は好きにすればいいけれど、親になる気があるなら、国語力、思考力は出来る限りあげておかないと子どもがかわいそうという話になるわけです。低所得者層の子どもが音声言語に触れる機会が少ないのは、親の共働きなどにも原因があります。これはいたし方ないことですが、教育的リソースの不足は、親の教育レベルにも左右されます。この部分は親の努力次第です。子どもが最初に覚えるのは一番身近な親の使う言葉であることの意味をよく考えてください。また、親が単純な考え方しかしないのであれば、子どもの思考も自らの思考方法を獲得するまで単純なままです。双葉においては、「勉強」する意味のひとつとして、「自分の子どものために勉強する。」をあげています。
2015.04.20
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今年の中学生には、「国語力」のひどさにずいぶんあきれさせられました。本当に本を読むという経験が不足しています。そこで小さな頃からの「読書習慣」が大切になってくるんですが、下の写真のような「絵本ラック」を小さな頃から用意しておくと良いと思います。文字の読めない子どもが自ら本に興味をもつには、絵で釣るのが早い。背表紙には文字しかないので、普通の本棚のように縦に収納すると、文字の読めないお子さんにはどれがどれかもわかりません。また、絵本はどこのうちにもあるでしょうが、使ったものをきちんと元の場所に戻すという習慣をつけるには、絵本ラックがあったほうがいいかと思います。普通の本棚の場合、小さなお子さんは片付けるのが面倒になります。私たち大人でも、本屋で一度抜いて立ち読みした本を元に戻そうとした時、ギュウギュウにつめ込まれていると戻すのが面倒で下に置いちゃったりします。それと同じことです。できれば、長く使えるようにシンプルなものがいいと思います。小学生、中学生になったら「教科書入れ」」として使ってください。表紙が見えているので、忙しい朝に教科書を探す手間が大いに省けます。忘れ物が少なくなったり、「あ、英語の宿題あったんだった。」と予習、復習をする可能性がアップすると思われます。この記事も参考にどうぞ。
2015.02.28
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麻雀は29か30日、または両日らしい。何時からかは全く知らない。いつのまにか復活したらしいLINEのグループトークで話し合われているらしく、よくわからない。少なくとも12月16日以降の話の進展について報告を受けていない。さすがに当日になっているので、知っている情報だけはあげておいた。場所はたぶん塾なので、場所は提供する。いわゆる「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」には懐疑的な私だが、相談だけされてその後何の報告も連絡もないのや、何の情報も与えられず要求だけされるのはさすがに好きではない。まぁ本来、そんな固い集まりでもないので、学生のノリで適当にどうぞ。
2014.12.29
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小学校でシャープペンシルが禁止されている理由ですが、2ちゃんねるかどっかでまた議論になっていたので、以前書いたものを定期上げしておきます。結論から言うと幼児から小学生にシャーペン、マジック、ボールペン、フェルトペンなどを使わせないほうが賢明ですよ。幼児にはクレヨン、小学生には鉛筆を使わせてください。以前の記事を参考にしてください。小学校でのシャーペン禁止1シャーペン禁止2
2014.12.28
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午前中は、高2が一人来ていたのみ。昼休憩に、高校生のための問題集を買いに宮脇書店へ。昼から来ている中学生はいない。終業式の日ってクラブあったっけ?新中3の中には、入塾以来一度も土曜日や日曜日に自習に来ない者さえいる。その程度の意欲で成績が上がるはずもないのだが「そんな装備で大丈夫か?」「大丈夫だ。問題ない。」ということらしい。何度言ったところで一部の生徒は聞く耳を持たない。こちらとしては、土曜日・日曜日に強制補習をする気はほとんどない。自発的でない自習など「学習」には無意味であり単なる勉強に過ぎない。それでは情熱的なクラブの指導者となんら変わらない。「稽古」が「鍛錬」「練成」「授業」「勉強」と呼ばれるようになった現代ではいろいろ見失っていることは多いように思う。強くなれる要素があるからとむやみやたらに強くすればよいというものではない。それは文字通り「きちがいに刃物」(あえて使用)としかならない。注)「きちがいに刃物」 判断力が無い者に危険なものを持たせると 非常に危険であることのたとえ知識であれ、技術であれ何であれ内面がきちんとしていないものほど危ういものはない。どれほど高度な技術・大きな力をもっていてもそれを行使する人間がきちんとしていなければどこかで破綻がおこる。ある意味、原子力がそうである。といいつつ、今年の新中3には、半ば詰め込みのような方法もとらざるを得ないのかもしれない。学習の本質と、志望校(志はなくとも・・)に受からせてはやりたい狭間で揺れ動く。
2011.03.25
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何が起こっているのか。なぜこうなったのか。誰が何をしているのか。きちんと見ておくこと。きちんと考えること。知識がないとなにもわからないことを知ること。知識がないときちんと行動できないことを知ること。きちんと考えることができるようになるためには落ち着いて普段どおり学習することそれが一番大切なことです。三重にいる私たちにできることは今はほとんどない。できることもないのに右往左往するほどばかげたことはない。ならば、日常の中で普段どおりそれぞれの役割をこなすことが私たちにできる支援だ。物資を送ったり、お金を送ったりボランティア活動をしたりそういうことに目がいきがちだが物資を送るにはどこかでだれかが物を作らなければならない。送るお金を稼がなければならない。前線に立つだけが支援ではない。被災していない地域の人たちがきちんと日常の活動をこなすことも立派な後方支援になる。こどもたちにとっては今回の震災を覚えておくこと今回の震災からきちんと学ぶことそれが将来の財産となり将来への支援となる。
2011.03.15
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昨夜、剣道部のキャプテンが「先生、絵を描いて。」と4枚ほどの紙を差し出してきた。見ると、どうやら最後の大会までのカウントダウン。塾でいうなら、入試まで後何日というあれだ。聞けば、剣道部の伝統行事らしい。中学生くらいの子が喜ぶ絵を描くくらい私にはたやすい。だが、断る。これを、部員一人一人に担当して描いてこいっていうことは最後の大会への「想い」をこの一枚一枚にのせろってことじゃないのか。そんなものを私が描けるはずもないし何も気にせず描けるほど厚顔無恥でもない。気持ちを込めるっていうことなら別に、絵じゃなくてもいいんじゃないか。書道が得意なんだから、「書」でいいんじゃないか。そう言うと納得したようだ。こういうカウントダウンにしろ練習着を揃えたり、合宿をしたり打上げをしたり、いろんな伝統のようなものがとかく、クラブなどの組織には、つきものである。そして、形骸化しやすい。続けることも、大事だが根底に流れる「想い」をきちんと伝えることやそれを汲みとれるように育てることのほうがもっと大事なことだと思う。
2010.06.11
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昨日は、自塾を休みにしてれいめい塾の国語の授業を見学しに行っていた。理恵先生、ありがとうございました。塾を私的な理由で、休みにするのは初めてのことである。それくらい、今中1・中2に悩まされている。本来的に、学習は言葉で行う。子どもの経験不足が顕著で体罰やスパルタが認められづらい現代ではなおのことだ。教科書を理解するのも、私のアドバイスやお説教を理解するのも世の中の常識を理解するのも言葉を介して行う。だが、今いる子たちにはその言葉の理解が足りないように思える。想像力も足らない。国語力をつければ、劇的に理解力が上がる。読書をすれば想像力が向上する。そんな単純なものではない。それでもやらないよりはやったほうが良いに決まっている。国語の授業を増やしていく方向で授業計画を考え直しているところだ。場合によっては、理・社を切り捨てる。学習塾としては、おかしなことなのかもしれないがうちは、表題どおり「α>>勉強」の塾なのだ。
2009.10.29
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暴言吐きっぱなしなのもどうかと思うのでもう少しまじめにお話してみる。以前から、塾に来ないものの成績など上がったためしがないと書いている。実際は、塾など来なくても良いのだ。自分で学習できるならね。(注:勉強じゃないよ?)だが、家庭で学習どころか勉強すらできてないのでは?今の子たちには本当に学習するという習慣が欠けている。単語一つをとってみてもかつての子たちは単語を覚えようか?と言えばそれが効率的かどうかはともかく休憩時間や自習の時間に裏紙にびっしりと単語を練習したり単語帳を持ち歩いたり黒板いっぱいに単語を書いたりとなんらかの熱意と工夫が見られた。今の子たちからは、そういう気配が伝わってこない。そもそも新しく習ったことを覚えようという気があるのかさえ怪しい子もいる。そういう子が家庭で勉強ができているとは思わない。だからこそ塾に来なさいと言うのだ。今まで5教科200点台からの松阪高校合格など学校の先生に一泡吹かせた生徒は必ず、土、日に自習に来ている。1週間でたった1日や2日余分に来たところでと思っていないだろうか。日曜日に朝から夜まで勉強すれば9時間以上になる。9時間という時間は中1・中2の通常授業1週間分の時間にあたる。簡単に言えば、それだけで2倍の勉強量になる。それがわかっていないのかわかっていてそれでもなのか昨日は、誰も自習に来なかった。かつての生徒たちの中には別に塾に来なくてもいいのにと思う生徒もいた。だが、そういう子に限って塾に来るのだ。昔、昔と言っていると、今は昔じゃないと言われそうだ。とりあえず、暴言はいてないで昔を懐かしむのも止めよう。実際問題として今年の中1には困り果てている。未だに小学生の延長をやっている。うちでは初めてのことになるが年度中での、授業方法の変更を考えるしかない。
2009.10.26
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うちの卒塾生(相可食物調理卒)の日記から引用以下引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・出来ないでしょ? ある人のセリフが頭から離れない。 悔しかったな。だからその為に 出来ないなりに出来るようになるまで頑張ろうとしたのに。。。。 なんか、ポンと出来ないと言うレッテルを貼られたみたいで悲しかった。 やってもないのに出来ないと言う自分が嫌いな分、 やってもないのに出来ないと言う人は嫌いなのです。二度目まではその人の力になれるようにと、その人に少しでもやる気が出ればなと言う気持ちで声はかけるけど、三度目はかけません。 いや、三度目からは全くノータッチとします。私からは。 前の職場でもそんな風に後輩と接してきました。 そして上から指導してもらえる時はそう言う気持ちで構えてました。 それでも悔しくて泣く事もあったし、だらしなく後輩の前で泣く事もあった、だめだめだったあたし。 先輩の足を引っ張り、 仕事を増やして手が上がったこともある。 病院に行ったこともある。でも心底嫌にならなかった先輩は私からみても分かるくらい努力を重ねていた。 人に何かを伝える時は自分の時間を費やして伝える事が必要なんだよと教わった。 てことは、先輩…本を読みたい時間もないくらい私達に時間を費やしてくれてたに違いない。 そんな先輩のもとにミシュランがやって来て評価をした。とてもいいタイミングだったと思う。 本店よりもサービスの評価が高かった事は先輩の力(指導力)だと思う。 評価を頂くタイミングってのもあると思った。 全てが重なったからこんなに喜べたのだと思う。 その報告と同時に後輩から、お礼のメールがきた。当時伝わらなかった気持ちが時間差でも伝わった事が嬉しかった。 見えない努力とはいつしか大きく評価されるのだと、色んな事を見てきて思った。 しかし、神様、 評価をする人を、 タイミングを、 間違うのだけは辞めて欲しい。 今、大きなプロジェクトが進んでる中で 幾度となく色んな葛藤がある。 これから色んな人に声をかけて力を貸して欲しいとお願いをするかもしれない。 その時は宜しくお願いします!! まだ今は発表出来ない企画。でも自分を試すチャンスだと思って引き受けた。 海外を断ってまで引き受けた仕事。 そこに魅力は充分あった。 必ず、笑顔でそのスタートの日を迎えてやるんだー。 それが私の今の目標。 だからそれまでに今までにない仕事でもなんでもやって頑張る事にした。 泣いても泣いても、立ち上がれる力を私は持っているから。 そう信じて、あとは、 なんとかなる精神で。 なんとかならなかった事なんて無いのだから。 今までいろんな崖っプチを見てきたけどなんとかなってきた。 何をするのも、 出来るか出来ないかよりするかしないかの気持ちが大切なのだけど。 そう言う気持ちがある人は必ず前に進めると思う。 ま、人それぞれ考えや気持ちはバラバラだから何とも言えないけど。 あたしの周りにはそんな人が多くてありがたく思う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用おしまいこの先輩は、先日の情熱大陸にも出ていました。見た人もいるはず。勉強でも仕事でも、彼女の言うようにできるかできないかを考える前に「するのかしないのか」が大事。
2009.10.24
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授業中に子どもたちに年齢や出身大学を聞かれることは塾講師なら多いと思う。これに対して私はまずまともに答えない。「不惑の年だったかな?」とか「永遠の16歳だよ」とか「ごめん1億以上の数え方しらないんだ」とか「モスクワ大学のほうから来ました」とか消火器販売の詐欺師のようなことを言う。(ちなみにまだ不惑には達していない。永遠に達しない気がする。)なぜなら、答えるに値しないからだ。質問に意味を認めないからだ。私が本当に16歳だったら、なにか問題なのでしょうか。私が高校すら出てなかったら何か問題でも?(16歳は労働基準法違反だから問題ですねw)そもそも私の年齢を知って、何かメリットでもあるんでしょうか。人と付き合っていく中で、年齢など本来何も意味は無い。年下であろうと、すばらしい人には敬意を払う。年齢を聞くのは、会話上その必要がある時だけで十分。私たち講師が、子どもの年齢を聞くのは指導上、必要があるから当然。だが、そういう必要がないなら質問すること自体が無粋・無教養だと思われても仕方ない。親しくなれば、そういう必要もあるだろう。その時に正しい情報を伝えることは決してやぶさかではない。どこかは失念したが、よく伺う塾ブログで質問検定というのがあったと思う。質問がちゃんとできるようになってくると級が上がるようになっていた。何を質問するのか、またどう質問するのかで、学力が上がったかをある程度計ることもできる。同じようなこと考えている人がいないかと検索してみたらちょっとおもしろいHPを見つけたので貼っておく。そちらも見てほしい。生活を豊かにする30のマナーちなみに、中学校の英語ではどの教科書でもHow old are you?これを習うが、ヨーロッパなどでこれを使うことはあまりないそうだ。というより、使わないほうがいいと聞いている。
2009.06.10
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