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『ニューワールド』つながりで同じテレンスマリック監督の作品ということで、見ました。 まさに太平洋戦争の話。太平洋上のガダルカナル島での、アメリカ軍と日本軍の攻防戦だ。 日本とアメリカはパールハーバーに始まって、フィリピンや、サイパンや、太平洋上の多くの島で戦ったらしいですね。 その中で特にそれぞれの力がフィフティで、なかなか決着がつかなかったのが、ガ島戦だったらしい。しかも、人間同士の殺し合いが直に伝わる白兵戦。戦闘機や、戦艦同士でのうちあいだと目の前で人が死なない分、殺人をしている実感が伝わりにくいのです。 『ニューワールド』と同じように前編静かで叙情豊かに自然の風景を織り交ぜて描かれている。戦争映画だというのに。どうも、この監督の作風らしい。 それにしても、出演者が多くて顔が見分けられないし、誰が主人公かもわからない。ちと、辛いですな。 そして、こちらの映画でも、やはり『ニューワールド』と同じように『やさしすぎる男』が出てくる。ストーリーの中で、日本軍のトーチカ攻防の最前線を突破しなければならないC中隊を指揮する隊長さんがそうでした。 この隊長なんですけどね。自分の隊の兵が怪我すると、そこで立ち止まって一人兵をつけてあげるし、もう死ぬしかない苦しんでいる兵を命がけで助けに行こうとする。もう、目の前の数メートルで決着がつきそうなのに、無理やり突撃すれば、自分の兵達が死んじゃうだろうと言って、まごまごしてるし。いいんですかね。そんなにやさしくて。そこまでやさしいとそのやさしさがあだになってかえって隊が全滅なんて事になんないのですか。っと思って見てたら、業を煮やした指揮官がやってきて、もうがががっと突撃させちゃったのでした。 一体どれほどの日本兵が潜んでいるのか、ほとんど情報のない状態での突撃なんだから、もう、怖いのなんのって。そりゃそうだわよね。つくづく情報って大事ですね。実際にはこの時の日本兵はわずか数百人と、数千人の技術者がいただけ。落としてみれば日本兵はぼろぼろだったのです。 この映画のすごいところの一つが日本兵がちゃんと日本人!!だってことだ。西洋映画にでてくる日本人て日本人の目から見るとほとんど、「まちがってるよ。ちがうだろ。ぜんぜん日本人じゃないですけどー。」っていう感じなんですけど、この映画にでてくる日本人はちゃーんと日本人でした。いやこんなことに感激してても始まらないけどね。でもね、ちゃんと日本人らしいことでこの映画のリアリティが説得力を増すのですよね。 日本軍を落としたところで先ほどの優しすぎる隊長は、指揮官によって除隊勧告をうけるわけですね。この隊長、優しすぎて軍隊に向かないって事ですね。頭はいいし、判断力もあるし、人情も厚いし、勇敢だし、いい男なんだけどねえ。で、この隊長がどのくらいいいやつだったかって言うのは、この後、後半で新しく隊長になったやつがすごーく無能で判断力なくて、意気地もなくって、結局自分の隊を孤立させてしまって、C中隊は日本兵に囲まれちゃうんですよね。しかも、部下が必死に進言してるのにそれでも、わかんないのだモノ。 ところでこのやさしい隊長さん。部下に向かって「君達はみんな息子だと思っている」とか言いながら、でも、「自分はアメリカに帰りたいんだ」とか言って喜んで帰っていってしまうのですね。おいおい。それってどういうこと。何気にホリエモンとその側近達のやり取りに似てなくもないような。しかも、まだガ島戦、終わってないんですけどー。途中でいなくなっちゃうあたり、『ニューワールド』のジョンスミスと似てます。でも、この隊長さんの優しさ。男にとって、そして戦場においては疎まれるものではあるけれど、女性だったらたぶんほとんどの人たちが当たり前のように持っているものなんだけどな。 ところで、いままで、数々の戦争映画作られてきましたけど、こんな風に最後まではっきり戦いの決着がわかりにくい映画も珍しいですね。というそのあたりがまさに監督の狙いなんだろうと思うのですけれど。 戦争映画というのは必ず敵をやっつけて、味方が勝って「やったーすっきりー」という痛快活劇のような終わり方多いですよね。たとえば今までで一番多かったのが主役アメリカ、敵ドイツ軍で、ぜーったいドイツ軍てのは悪者で、そのドイツ軍をアメリカ軍と連語国側がばしーっとやっつけて痛快に正義は勝つんだって言う終わり方の映画が多かったのです。昔はやった『コンバット』とかね。それから敵が、がんがん戦闘機から爆撃してきて、味方がばしばしやっつけられて、血を流してのた打ち回って苦しんでて、「なんてかわいそう。ひどい。戦争ってよくないよ」と見る側に思わせるような展開の話の映画。たとえばこないだまで話題だった、『おとこたちの大和』がまさにそれ。 でもね。この『シンレッドライン』はね。アメリカ側から描いてはあるけれど、だから、日本が悪いというような書き方はしていない。激しい銃撃戦の末に相手軍を落としてみれば相手もまた同じ人間で、痛みや死の恐怖におののき打ち震え、ぎりぎりの恐怖と戦いながら、攻防していただけだ。「俺は死ぬ。でも、お前だって死ぬんだ。」どっちもいつかは死ぬ、同じ人間なんだ。同じようにに戦争が怖くて、仕方なくて戦っている同じ弱い人間なんだ。 今までの戦争映画には描かれていなかった。戦争といえども、人間を傷つければ、傷つけた側の人間の心だって傷つく。いくら神様と祈ってみても、神様のためだ、国のためだ、妻や恋人のためだと自分の心に言い聞かせてみても、人をきづつけ、殺したその心の苦痛を癒すこともごまかすこともできない。たとえそれが自分が戦場で生き抜くための唯一の手段だとしても、どんなに名誉だ、勲章だと言われて見ても、そんなもので人をきづつけ殺した心の痛みが癒されるわけもない。 けれど、その基本中の基本が今までの戦争映画に描かれてきたことはあったのだろうか。 反戦を訴えていながら、そこにはあくまで、ほらね、味方がこんなに痛い思いしないとなんないんだよ。だから、戦争はやめた方がいいよねというような表面的なテーマを元に戦争という材料をおもしろい娯楽作品として味わっていたものがほとんどだったのではないだろうか。 この映画を見た感想として、「冗長で、メリハリもなく、ラストもだらだらと終わってつまらなかった」というのなら、それは映画を見終わった感想として、戦争はよくないねといいながら、結局は戦争映画という娯楽を楽しんできただけなのであって、まさに映画制作者サイドの思う壺にすっぽりとはまっていただけだったのではないだろうか。 戦争が本当に本当の意味でなぜいけないのか。もういちど、この映画を見直して考えて欲しい。 さらに、ところでですが、私はまだ、『プラトーン』も『地獄の黙示録』も見てないです。今度見てみよう。これらを見るとまた、感想が変わるかもしれません。『シンレッドライン』その2もお読みください。
2006年05月31日
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昨日本屋さんに行って見つけてきました。ドラチェリの最新刊。どうせ、楽天じゃまだ売ってないだろうけれど。 ところで国立大学の改革もどーんどん進んでおりまして、東大でも、2008年度入試から、後期日程については理3を除いて、全科類を一本化して、募集。募集人員も前期を増やして、後期は減らすらしい。5教科六科目というように、どーんどん改正されていくらしい。 ドラチェリの連載が始まったのがたぶん、去年かおととしくらい。そして、最新刊の13巻では、まだ、夏ですねえ。話の中では一年しかない期間限定のストーリーなのだけど、現実世界の連載では、既に一年半はたっているようす。このまま行くと、来年の春でもまだ、主人公達は下手すると受験まで行かないかも。 現実世界でどんどん進む改変と、作品の中での東大に特化した勉強方法にずれが生じてきそうなんですけど。大丈夫なのかなあと、たんなる一読者のわたしは心配しております。 主人公達が受験できるのはいつのことやら。楽しみだけど、心配だよーん。 あったよー。アフィリエイト。売ってます。楽天でも。よかったね。
2006年05月30日
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最後まで一気に見られなくて全部みるのに三回かかりました。ほんと例のごとく。 でもねーこのDVDときたら、最初のところに他の映画やDVDの予告とかコマーシャルが入ってたんだけど、それがなんとその部分だけ、早送りとか、先送りが出来ない!! おかげで予告編だけ三回も見たのよーーーー。勘弁してほしいんだわさ。 途中で寝ちゃったり、途中までしか時間の都合で見られなかったりして三回もかけなおし。おかげで通してみられなかったのと、始まって15分くらいでまたまたあきてきてしまった。 作品自体は悪くなかったと思うんですけどね。もっと余裕で見ればよかったのだけれど。 でも、ドイツのグリム童話を書いたグリム兄弟が主人公。だから、ドイツの童話にでてくる魔女や魔法やのろいや呪文、妖精なんかがでてきて、ドイツのクラーい森の雰囲気がなかなかよくでてるんだわさ。 今の科学技術にいたる産業革命がはじまるずっと前のドイツの森は、やはり、人が入り込めないような謎に包まれた深くて暗い神秘があって、それは先日見た『もののけ姫』にでてくる日本の森と同じようにまだ人による支配を許さないかつての森がもつ神秘そのもの。 もっともヨーロッパの木や森って言うのは古代から中世のあたりでヨーロッパの人たちによってほとんどきりつくされてしまったらしくて今残っているのはほとんど人間がその後に植え直したものらしいのですが。ドイツの有名な黒い森はどうなんだろう。 日本の森もドイツの森も人間の技術の発展には勝てなかったんだよなあ。 この映画のラストでも、森の魔法は解かれて、見事な陽光の中で人々が喜び謳い騒ぐところで終わるんですけれど。 一緒に見てた娘は面白かったらしいです。
2006年05月29日
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お昼寝は主婦業の醍醐味ですが、こないだもソファで本読んでたら、当然そのまま睡眠に突入しまして、半分起きてて、半分寝てるようなうたたね。 うとうとしてると子供達が順番に帰ってくる。二人でじゃれたり、それぞれにそれぞれの用事をしたり、部屋の中を行き来して行ったりきたり、途中で娘がでかけたり、息子がゼリーを食べていたり、眠くて眠くて私はそのままソファで寝てる。 ひとしきり、眠ったらしくて意識が戻って目が覚めて、目を開けて、部屋の中を見ると、誰もいない。子供達はまだ、帰ってきていない。部屋の中はシーンとしていて、私だけが寝ぼけ眼でひとり、部屋の中にいる。 どうやら夢だったらしい。部屋の中には日々の暮らしで子供達が残す残像や残留思念やエネルギーの足跡が残ってでも、いるのだろうか。 私が見たのは私の夢なのか、部屋の中の夢なのか。部屋がみている夢なのか。部屋の中に残る過去の記憶に入り込んだのか。 寂しいという感じはなくて、もう少しで帰ってくる子供達を思いながら、不思議な気持ちに包まれる。
2006年05月28日
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例によって例のごとくこんなものまでやってみる。 ひきこもり度診断 私は56パーセントでした。ビミョーかなあ。 ところでこれ100パーセント出せるんだろうか。いろいろやってみましたがどうしても、93パーセントあたりが限度でした。なかなかどうして難しいのよ。意外と100パーセント出せないのよ。 さて、ここからは100パーセント出してから読んでね。でも、なかなか出せないよー。挫折したら読んでね。 それにしたって、コーヒー飲まないと引きこもりってなぜに。 愚痴もこぼさず、我慢強くて無我夢中になれるっていいことだと思うんだけどね。 部屋にサボテン置いてて、囲碁将棋やってるとあぶないのか? 独り言が多い…ってこれはいえるかも。 デートが映画もよくないらしい。映画ファンの皆さんどうします? 引きこもりになるのもむずかしいのう。
2006年05月27日
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先日杉村タイゾーセンセーのブログが、盗作だということでニュースになりましたね。タイゾー先生のブログは結構面白いし、タイゾー先生もわりに高感度高かったので、このニュースをどうとらえればいいんだろうと、私としては悩みどころです。テレビのコメンテーターさんなんかは気楽に誰か他の人間が書いてるんだろうとか言ってたけど、私は結構タイゾー先生のブログの文章は面白いし、好きだったので、それこそどうすりゃいいんだという感じ。 別に他人に頼まなくたってあのくらいなら、ちゃんとタイゾー先生本人でも、書けますよ。と、思うんですけどね。内容的にも、テレビで見るタイゾー先生とそんなに違和感ないんだけどな。それで、タイゾー先生のブログ久しぶりに読みに行ったら、盗作事件のこと書いてありまして、「自分の体験を書いたつもりだけれど、本は読んでいたので、もしかして、無自覚なうちに同じ事を書いてしまったかもしれない。」と書いてあった。そうですねえ。これ読んでさらにテレビのコメンテーターさんたちはうそばっかりとか。苦しい言い訳だとか、さらに酷評できそうだな。 まあ、真実はわからないし、今日の内容はそのことをシロクロつけたくて書いてるわけじゃないしね。ただ、ほんとにこういうことって実際にあるよね。誰かの本を読んで、あるいは誰かの作品を見て、しばらくして、そのことの記憶があいまいになったころ、まねしている意識は全くなくて、あるいはほんとに自分が生み出したように記憶の奥底にある誰かの過去に見た作品とそっくりのモノを書いたり作ったりしてしまうことってあるものだ。 ところで、それとはまた、別にこうやってブログを書いていると、なにしろこんな風にオープンなので、私の作品がどこか他のブログでそっくりそのまま使われていたり、してたりすることってあるのかなとか考える。たいした文章じゃないけど、それなりに気合と根気とエネルギーと知性絞って書いてるわけで、しかも、星の数ほどあるブログ。もしも、まねされても、そんなのそう簡単に気づかない。発見できないだろうなあ。私としてはそんなことは当然いやだけれど、発見するのも、とめるのも禁止するのも無理だなあ。ブログといえども、ネット上で発表した瞬間に著作権はちゃんと発生しているわけです。でも、実際には、ブログなんて、よその画像も勝手に借りてきて貼れるし、よっぽどでないとクレームもつきそうにないみたい。映画がらみのブログなんかだと、宣伝にもなるので、また、映画会社にすれば、結構なことだろうけれど、それ以外だとどうなんだろう。 文章丸ごとの盗作とかは別として、ちょっとしたブログ上のいいまわしや、アイデアだけの借用だと、本当にそれが盗作なのか、それぞれ別に独自にアイデアが出ただけなのかなんて永遠にわかんないしね。盗作がイヤとなると、もうこれはネットに出すのをやめるしかないけれど、でも、一介の一市民がそれ以外の方法で自分の文章を社会にたいしてオープンにしたいとなれば、書籍として出版するしかないけれど、もちろんそんなの無理。出版社をその気にさせるのはすごくたいへんなことだし、それじゃ自費出版となればお金かかりますしね。 ところで、著作権ということで、以前見た番組で、著作権のせいでいろいろな有効な資料や、作品をインターネット上に公開できない。そのことは社会的損失なのではないかということをテーマにした番組だったんだけれど、ま、ネット上に限らずそれはあるよな。 ネット上の数々のブログにはすばらしいものいっぱいありまして、しかも、ただで、読ませてもらってる。これはこれでありがたいことです。 ニュースなんか見てると、最近ちょっと発言内容やテーマが変わってきて、なんか私がブログで書いてることと似てる気がして、もしかして私のブログ読んでるのかなあとか恐れ多くもたいそうなことを考えてみる。でもこうやってブログの意見が世論を動かして世の中がいい方に変わっていったらいいなあと思う。もしかしたらいい方向に変わっていきそうかもとか思う時は、どきどきする。 ところで、私のブログからの盗作と無断転載は一切禁止ですよ。ニャンコ以外はね。 笹倉鉄平『夕日の街イア』
2006年05月26日
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昨日ハンバーガーやさんに行ったら、店員さんがやけに若い。あれえ変だなあまるで中学生。みたい。よく考えてみたら、そうそう中学生だよ。イマドキの公立中学は二年生あたりで、職業体験というカリキュラムがあるんです。ちなみに長男の行ってる私立にはなかったな。去年までは、二日間だったのが今年はなんと一週間つまり、五日になったそうだ。勉強そっちのけで働いてみようってことで、勉強は働くことにつながっている、働いてみれば勉強の意味もわかるだろうということで、イマドキの中学生は丁稚奉公よろしく、労働しなければならない。まっ一週間だけだけどね。というわけで、昨日のバーガーショップでも、二人の中学生の男の子が実におとなしくまじめにいそいそとコップを洗って並べていた。中学生を働かせるお店の人も大変だよね。しかも、それを直接指導するのは店長とパートの先輩おばさんだったりして。あんまりきつくしかれないだろうし、接客は無理だし、あんまり責任のある仕事もさせられないだろうし、微妙に難しそう。しかも、食器をわられるとか、いろいろ気を使う部分もあるだろうし。ちなみにバイト料みたいなのは支払われるのだろうか。疑問だわ。そのあたりは聞いたことないな。とにかくこのイベントのために先生達は地区のいろんなお店やスーパーや事業所に頼みにまわらなければならないし、生徒全ての人数分の仕事先まで探さなければならない。考えただけで、くらくらしてくるよ。しかも、地区には結構何校もあるし。うちの娘の学校も秋に予定されてるんだよね。 この話をうちのダンナにしたら、「うちの娘にバイトさせるなんてとんでもない。」と、言い出した。なにしろ、このダンナ様、大学を卒業して就職するまで一度もバイトなんてしたことないのだ。一体どこのおぼっちゃんですか。とにかくダメったって学校のカリキュラムなんだもの、やらないわけに行かないでしょう。でも、娘を持つ親とすれば、まだ中学生の女の子が職場でセクハラに会ったりしないのかとかなり心配である。去年までなら、一日ないしは二日だから、そこまで行くまでに終わっていたけど、五日も働いてたら、ありうるジャンと思わないでもない。もっとも、生徒への教師のセクハラだって既にあるしねえ。それでも、まだ、教職についている場合は普通よりセーブが効いていると思われるけれど、普通の職場となるとどうなるかわかったものじゃない。しかも、高校生くらいなら、まだしも、中学生くらいだとどこまで拒否したり、そのこと自体に気づけるかわからない。母としては不安である。文部科学省さん、どうなんですか。さてさて、秋のうちの娘の職業体験はどうなるのかな。こっそり見に行きたいよね。ところで昨日のバーガーショップの中学生、どうしたかな。 それにしても、このくらいの職業体験だと、使う方も気を使ってそうそう難しい仕事もさせられないし、厳しくしかるわけにもいかない。中学生にしてもお金のためとか、生活に困ってとか、切実な理由もなくただ、学校からのお達しで働きにいくだけだし、本気で働くぞっというような気構えも期待できない。こんな状況でも本当に中学生に働くことの意味や、大変さ、仕事と勉強のつながりをどこまで理解できるだろうかとちょっとだけ、考えた。
2006年05月25日
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『ニューワールド』『ポカホンタス』に続いて見ました。『ポカホンタスイングランド編』基本的設定はほとんど同じだけど、ストーリー展開は随分違う。ポカホンタスに関して残っている資料自体が少ないので、それ以外の部分は製作者サイドでかなり好きなように作れる。なかなか面白いネタだということですね。 アニメでは、まずポカホンタスは結婚してないし、外交であることをとはっきり意識してジョン・ロルフとともにイギリスの国王に会いに行く。イギリスでは、死んだはずのジョン・スミスと再会して、二人の男を並べた上でまさに好きな方えらんでいいよって感じで、(おいおいおいおいそれはないだろうと思うんだけど)、結局俺について来いってタイプのジョン・スミスより、紳士的で自分の方がポカホンタスにあわせられるジョン・ロルフとくっつくのです。ポカホンタスもジョン・スミスもわが道を行くタイプということで、一緒になるとけんかになりそうで、ロルフのようなちょっとひきのある、相手にあわせられるタイプのほうが勝気なポカホンタスにはあうんじゃないか。という展開のストーリーなのでした。しかも、最後二人でアメリカに帰って行く。ポカホンタスが死ぬところまではやらないのでした。それにしても、いかにもディズニーアニメらしく、最初から最後まで悪役が徹底的に悪役で、最後は悪役が全て悪かったというように結末を持っていってしまうことで、ネイティブアメリカンと、入埴者側のイギリスの抗争を奇麗事のようにごまかしてむりやりハッピーエンドに持っていった感じでした。 実際のところ、ジョン・スミスとポカホンタスの間に本当に恋愛関係があったかどうかはわからないし、ジョン・ロルフと結婚したことは事実なので、そのあたりの解釈が難しいところでしょうか。ディズニーも、話のつじつまあわせるのに相当苦労したんじゃないでしょうかねえ。 『ニューワールド』を作ったテレンスマリック監督は当然このアニメも見ているだろうし、その上でこの映画を作ったわけだから、アニメで語られた結末にかなりの不満もあったはず。その上で自分なりの解釈で、そして、もう少しまともなポカホンタス伝説を新しい視点で語り直したかったのかもしれません。 ところで、二十代前半でその命を途絶えてしまったポカホンタスですが、イギリスに渡ったことでアメリカ大陸にはなかったであろう数々の伝染性の病原菌に感染したであろう事は当然想像もつくわけで、もし、イギリスに行かなければ、死ななかったかもしれない。それでも、そのあと、どっと流れこんでくる入植者達との接触は増えていっただろうから、やはり、どちらにしても、伝染病にかかる可能性はあったわけで、早世してしまう運命にあったかもしれません。ネイティブアメリカンと入植者との壮絶な抗争もネイティブアメリカンが減少した原因であるけれども、それとともに西洋人がもちこんだ虫歯によってかなり多くのネイティブアメリカンが死に至った可能性もあったという話を、以前聞いたことがあったっけ。いやあ。虫歯は辛いし、どうにもならないですからねえ。ま、虫歯に限らず、そののち、多くの伝染病を持ち込まれ、うつされて、そのせいで随分ネイティブの人たちも死んだだろう事も当然想像できる。つまりは、意図的ではなかったにしても、この当時既に生物化学兵器による侵略と戦争をイギリスヤスペインはやっていたってことだ。すごーい。流行の最先端だわサ。 さらにところでなんだけど、西洋のSFの小説やドラマや映画には宇宙人に侵略されるっていうテーマがかなり多い。昔はやった「インベーダー」とかね。結局自分達がやってきたことだからこそ、自分達もまた、やられるんじゃないかという恐怖を感じているわけですね。実際に侵略された側より侵略した側の方が自分たちが侵略されることをより強く恐怖として感じるって言うのもなんとも、因果な話だよねえ。映画『インデペンデンスデイ』なんか、まさにそんな感じ。「こんなやつら(地球人)なんかどうなったっていいんだ。さっさと殺してこの星は自分達のものにするんだ。」といインベーダーの意識を肉体の接触によって感じ取ったアメリカ大統領の恐怖感は<まさに当時のネイティブアメリカンやそのほかの世界中の侵略された側の国々の感覚そのものであって、その映画のタイトルがまさに「インデペンデンス」だって言うのはいったいどんな目論見で作られた映画なんだか。よくわかんないです私には。 ちなみに最近『宇宙戦争』なんて映画もありますね。私、見てないんだな。これ。トムクルーズが嫌いなモンで。それで、こういう目に見えるはっきりした侵略戦争ならまだしも、もし、宇宙人が、生物化学兵器を使ってこちらの全くきずかないうちに地球人が滅ぼされちゃうなんて可能性もあるわけだよねえ。そういう映画は出来ないのかなあ。 ところで、映画『ニューワールド』の中で、ロルフ役の俳優さんが私的には、トムクルーズにそっくりだったので、ロルフよりスミスの方がかっこよく見えたのってそのあたりも原因かもしれない。でもでもやっぱりスミスさんのほうが私の好みなんだわさ。というわけで、今日はまーここまでです。
2006年05月24日
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映画『ニューワールド』を見たので、当然関心がでてきて、ディズニーアニメの『ポカホンタス』も見ました。 アニメの方では、ストーリーや、キャラクター設定が映画よりずっとはっきりしていて、非常にわかりやすい。ポカホンタスは外の世界に出たがっている、開拓型の性格であることをかなりはっきり描いてあるし、アメリカ大陸に向かうジョン・スミスは金を手に入れたいこと現地人を敵とはっきりと認識していて、本来の価値観そのままに描かれている。 最も今の時代に「インディアンなんかやっつけて自分達の国をつくるぞ」なんて描き方の映画を作ったら、大変なわけなので、映画『ニューワールド』では、イギリス人は非常に紳士的に描かれていて、ネイティブアメリカンに好戦的な書き方は出来なかったのだろう事も想像できるけれど。 そして、アニメの中では、現地のネイティブアメリカンもまた、非常に好戦的で部族間抗争に忙しそうである。イギリス側のリーダーははっきり悪役として描かれてもいる。わかりやすいけど、これからはこんなストーリーは作れないだろうな。 さて、ポカホンタスとジョン・スミスが出会って、ジョンスミスも少しづつ意識を変え始める。ラストはイギリス人とネイティブアメリカンとの争いになり、ジョンスミスが負傷してしまい、イギリスに帰ってしまうところで終わる。このあと、もう一巻ポカホンタスがイギリスに渡る話があるのでそれも借りて来る予定です。 映画とはかなり違う価値観で描かれています。『ニューワールド』の方はものすごく詩的に美化されて書かれていたことがとてもよくわかる。ストーリーやキャラクター設定も監督独自のものだったらしいので。ポカホンタスの伝説は細かいところはわからないらしいし。 アニメでは、イギリスははっきりアメリカ大陸を自分達の都合のよいように使うためにアメリカ大陸にやってくるし、ネイティブアメリカンにたいしては、はっきり、敵という認識。そして、外に出ることを願うポカホンタスの勝気な性格もはっきりわかる。ディズニーはどんな方向性でポカホンタスの物語をアニメにしたのだろう。それは、また、続編を見てからですね。
2006年05月23日
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娘も塾にいれました。大変なので、数学だけ。毎週行っておりますが、「おかあさん、こないだ習ったとこわかんなかった。」としょっちゅういいます。聞くと、結構難問。ま、ものすごーい難問てわけじゃなくて、ちょっとがんばれば解けないことはないんだけれど、普通の子にはちょっと面倒かなという感じの問題でしょうか。問題文を聞いてみると、なるほど、ちっょと落ち着いて順序だてて、時間とって考えないと無理だなというかんじですね。それで、娘のノートをみると鮮やかな式で解いてある。先生が板書したものを必死にノートに書いたらしい。で、ノートとるのに手一杯で、肝心の先生の説明満足に聞いていない。だから、理解できたかどうか不明。とりあえず書いてあるだけ。わかんないなら、説明しようかっと言うと大体わかったからいい。と娘は言う。うそこけ。類題が出てきたらぜーったい解けないぞ。母にはわかるんだぜ。と思うが娘はごーじっょぱりで頑固なので、無理である。なるほど、これがうわさに聞く「華麗なる解法」ってやつだなということがなんとなーくわかった。もっとも本物の華麗なる解法はもっと難しい難問の時でないと拝見できないだろうけれど。でも、解答にいたる式がものすごく効率よく無駄なく作られているみたい。でもねえ、「おかあさん、みんなわかんなかったみたい。」と娘が言う。娘のいうことなので、どこまでほんとかは、わからないけれど、まあ、普通の子がこの式の展開とその説明きいても、確かにわかんなかったかも。実際泥臭くても、効率悪くてもいいから、問題を解く糸口の見つけ方から、説明して、地道に一つ一つ理解しながらひとつづつ式を作って、答えにたどり着いていけるような、そんな解き方教えてほしい。そうじゃないと塾行かせてる意味ないんだけどな。華麗で効率のいい解き方なんてよっぽど問題やりこんでなくちゃ作り出せないし、そんな式の展開が、見てるだけで理解できるのは、かなり頭のいい子だろうし、第一そんな子はそもそも塾で習う必要もない。デもって塾に来てる子たちは別に難関私立ねらってるわけでもなく、学校では一応上の方っていう程度でして、とにかく、学校ではやらない普通より、ちっょとだけレベルの高い問題をどう解いていくか教えて欲しいのですよね。そうじゃないと塾の意味ない。難しい問題を頭のいい子じゃないと理解できないような解き方で教えてもらって、それで塾の時間を埋められても、公立上位校に受かる力が果たしてつくかどうか。えーととにかく地道な解き方教えて欲しいのですね。よろしくお願いしたいです。だって別に地域のトップ校ねらってるわけでも、難関私立目指してるわけでもない。それでも、塾の下のクラスはレベル低すぎ。どっちもどっちで親は悩むばかり。払ってる塾代無駄にしたくない。なかなか話題なのでさすがに読んでみた。独特の世界観がなかなか面白かったです。
2006年05月22日
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うちのお嬢さん。春季講習のあと、塾にいれた。今は法規制があるので、塾まで保護者が出向かないと契約できない。それで、塾まで行って契約書書いて、それでだ、そしたら、まあ、お金のかかることかかること、最初だから、施設費やら、テキスト代やらいろいろ入ってくるので、ねえ。まっそれはしょうがないとして、明細をじーっとみてると、季節講習からの入塾なのに、入塾金がしっかり請求されている。あれえ、季節講習からなら、普通、入塾金てとられないものじゃないかい。うーん。どうしたものだろう。しかたないから、「やっぱり入塾金かかっちゃうんですか。」と、言って見た。「え?あ、そうですね。春季講習からだから、半額になるんでした。今直します。」ということでなんとか半額になった。つくづく、油断できない。うーん。お兄ちゃんの時は冬季講習から入れて入塾金かかんなかったのに。それでも、四月からなので、とりあえず半額にはなった。よかった。でもね毎度いつものことだけど、塾ってこういう事務処理がどうも手ぬるい。事務専用に女の人雇わないのかなと思ってしまった。ま、ものすごい大規模の塾じゃないしね。事務処理はあの室長先生が一人でやっるんだろうか。室長先生も大変ですねえ。とにかく気をつけないと。我が家の収入はどんどん減り、支出はどんどん増えていく。私達の老後はかなーり危ない。もういつも思うことだけど、子供のいないところから、子育て税くらいとって欲しいよ。子供が出来る出来ないじゃなくて、現実問題として、お金回してくれないとほんと子供いなくなりますよ。子供は将来社会全体を背負っていくものなのに、子育てしてる家庭だけでその経済的負担を背負うのは今の状況下では、あまりに過酷過ぎる。もし、社会が子供ゼロになったら、みんな老後どうするのでしょう。さて、他の科目はどうしようかな。ちなみに数学よくなってきました。塾の先生これからよろしくお願いしたいです。
2006年05月21日
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例によって例のごとく藤原正彦読んでます。藤原先生によると、数学は今や進みすぎて、数学者を目指して数学を勉強しても、数学研究の最先端まで行く頃には、30歳くらいになってしまうのだそうです。うーん。なにしろ受験受験で、ゆっくり勉強してる暇ないですものねえ。イマドキは。優秀な子は中学受験のために三年間が受験算数でつぶれちゃうしね。それに、今の学校はゆとり教育で進むの遅いですし。難関進学校といえども、文部科学省の呪縛があるしね。それで、いっそ習い事か趣味ののりで、数学だけを学校とはまったく別のシステムで教えるような塾があったら、どうなのかなあと考えてみたりする。受験算数も、学校の算数も数学も、受験も無視して、数学だけを教える。なんていう塾どうでしょうね。それで、数学検定や、数学オリンピックなんかで、よい成績をとれれば、都立の中高一貫校の推薦狙いとかや、私立中の算数特選、高校受験の推薦枠ねらい、そして、東京工業大学の数学特選なんかで、入学する。そして、数学者目指して更に勉強だ。ってどうよ。と、いうわけで、今日の話題はお遊び。数学者の休憩時間を読んでいる。 というわけで、画像ありの本も貼ってみたい。
2006年05月20日
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ミントティさんから『自己紹介バトン』をいただきました。ブログを始めてはや半年たちました。いまさらですが、こんなです。2、お名前は? civakaでーーーす。3、おいくつですか? やめて。そんなこと聞くの。 架空の世界でせっかくうら若い清純で 心優しい世の中のこと何にも知らない乙女のふりしてるのに。 二児の母といってるのにそれは無理か…。4、ご職業は? すでにプロフィールに書いてあるってばさ。 ただのなんにもしない毎日グーたら暮らしている 世に言う専業主婦ってやつですよ。 22世紀をしょってたつ子育てのための貴重な専門職ですね。5、ご趣味は? 今はやっぱりブログですね。 日々ネタひねりに苦労して最近じゃ映画ネタで日々をごまかしている。 今日はバトンのおかげでたすかった!! 他には、読書、最近ろくすっぽ読んでませんが。 それから、映画と絵画鑑賞ですね。6、好きな異性のタイプ 元官房長官の福田さんみたいなの 7、特技は? そんなものないよ8、資格、何か持ってますか? 簿記二級まで 宅地建物取引業主任者の合格まで (私が合格した年から、合格の後講習を受けないと資格にならなくなった。 しかし妊娠のためみおくりそのまんまである、 ゆえに正確には資格とはいえない) 自動車運転免許 ぺーぱーどらいばーだけどさ、おかげで金色9、悩みが何かありますか? お金が欲しい やせたいのにやせられない 子供が勉強しない 人間関係が下手 10、お好きな食べ物と、お嫌いな食べ物は? 好きなのは 桃、メロン、マンゴー 嫌いなのは キューリ、野菜の半分くらい さしみ(嫌いというより食べられない) 11、貴方が愛する人へ一言 世界で一番愛してるんだからもっとやさしくして (私の大事な愛娘の○○ちゃんへ)12、回す人を5人指名すると同時に、その人の紹介を簡単にお願いします。 5人なんて無茶なことを… ひつじ村さん 北海道在住の二児の母そのたくましさに脱帽です chamokayoさん 難しいシュタイナー教育をわかりやすく素敵に 教えてくれているイギリス在住の二児の母で 数学のセンセーです ☆リエコ☆さん 波乱万丈の人生をおくる名古屋在住の一児の母 今日も元気に世界中のえりすぐりのいい男を こっそり教えてくれてます ekkoblueさん 東京在住の謎の美女詳しくは謎よくわかんない 最近ハンドルネームかえましたね 話題が非常に多種多彩でございます 毎日ミナコさん 大阪在住の謎の美女 最近お知り合いになったのでやっぱりよくわからない パソコンに詳しそうです ぜいぜいぜいぜい これが私のせいいっぱいだわ。 果たしてバトンを受け取ってくれるかどうかは神のみぞ知る。 さえななさんはミントティさんから回っているのでかきませんでした。 沖縄在住の二児の母ですね。 以上ですね。あーやれやれ。
2006年05月19日
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「一生を変えてしまう愛がある」『THE NEW WORLD』 この映画の宣伝コピーです。でも、私はこの二人の出会いは運命の出会いだったんだと思う。ヒロインのポカホンタスはジョン・スミスに出会うことで、みずからの故郷を追われてしまう。そのことにジョン・スミスはとても、悔やんでいる。けれど、本当にそうだろうか。 17世紀初頭、新しい土地を求めてアメリカ大陸にたどり着いたイギリスの船に乗っていたジョン・スミスと、現地に住むネイティブ・アメリカンの長の娘ポカホンタスが出会う。異文明の壁を乗り越えて惹かれあう二人の物語である。 ポカホンタスはとても、好奇心と、知識欲の旺盛な女性なので、たぶん、自分の生まれ育った村の中で一生を送ることに息苦しさを感じていたのではないだろうか。村を訪れたジョン・スミスに彼女はまず、言葉を学ぼうとする。人間には、現状維持型と開拓型の二つのタイプがいるんじゃないかなと思うんだけれど、彼女はまさに開拓型のタイプで、外の世界へ出ることを自ら望んでいたのであろう。そして、たった一人で未知の地へ乗り込んできたジョンの勇気と異文明の社会にすんなりとなじんでしまうその柔軟性と素養に、自分と同じものを感じ取ったのだろう。だからこそ、あんなにもジョン・スミスに惹かれたのだろう。自分を外の世界へ連れ出してくれる人だ。と。 けれど、ジョン・スミスはポカホンタスが自分と結婚することで、彼女をヨーロッパ社会に取り込んでしまうことにためらいを感じた。ヨーロッパ文明の社会の中で、彼女が持つ輝きが失われてしまうことを恐れたのだ。 けれども、ポカホンタスが持つ人間的魅力と輝きは決して西洋世界によって失われることはなかった。後年、イギリスに渡った彼女はイギリスの文明や次々と目に入る新しい知識やモノに目を輝かせてはいても、その勢いに気おされることも尻込みすることもない。女王との謁見にも臆することなくその気品と高貴さで、自らの種族のことを女王にそして、西洋に伝えることもできる。 死んだと思っていたジョン・スミスは実は生きていて、イギリスの地で再会することが出来る。西洋人(ジョン・ロルフ)と結婚し、西洋の洋服を着て、イギリスという西洋文明の中にあっても自らの輝きを失わず、毅然としているポカホンタスを見ることではじめて、ジョンは自分の決断が過ちだったこと、彼女の本質を見抜けていなかったことに気づく。ポカホンタスもまた、自分という人間の本質を本当に見ていたのは夫ジョン・ロルフであったことにきづく。 ジョン・スミスは自らの運命から逃げたのだ。ポカホンタスは身一つになっても、人質という立場になってもそれでも、ジョン・スミスの元へやってきたのに。もしも、二人が結ばれ、二つの文明の緩衝材となることで、二つの文明の橋渡しの役をすることで、あるいは、この後のアメリカ開拓における二つの文明の激突を和らげることもできたかもしれない。そして、イギリスに渡ったのち、帰路でその命が途絶えてしまったポカホンタスとともに二人でなしえたかもしれない歴史的業績を思うと、あまりにも惜しい。 二人の出会いは早すぎたのだろうか。もしも、二人が出会った時、ポカホンタスがせめて二十歳くらいなら、あるいはジョン・スミスにもポカホンタスの持つ可能性を見抜くことが出来たかもしれない。 自らの人生をかけたはずの恋を失い、廃人同様であったポカホンタスの中になお、彼女のもつ輝きを見つけて妻としたジョン・ロルフこそは実は本当にいい男なんだけど、(しかも、そののち、ポカホンタスがかつての恋人ジョン・スミスに会うことも許してくれてるしね) 惜しいかな、作中では今ひとつ人間的魅力で、ジョン・スミスにかなわない。なにしろ、前半部分でのポカンホンタスとたわむれるジョン・スミスはすんごくセクシイなんだもの。 できればやっぱし、ジョン・スミスと結ばれて欲しかったです。絶対この二人が結ばれると思っていたのに、映画を見ていたら、途中でジョン・スミスは死んじゃって、他の人つまり、ジョン・ロルフと結婚しちゃうんだもん。がびーんて感じでしたかね。見に行く前に公式サイトも見てたし、二人の結婚式も見てたのに、スミスとロルフを見分けていませんでした。なんてこと。 17世紀以降世界へと進出していった西洋文明が、果たして良いことだったのか。悪いことだったのか。その是非はわからないけれど、それでも、その歴史はやはり必然でもあったのだろうか。 この作品内では、アメリカ大陸にやってきたイギリス人はかなり紳士的に原住民のネイティブ・アメリカンと接触していて、それなりに平和的にかかわろうとするのだけれど、それでも、双方の価値観のずれによってやはり衝突はさけられず、うーんこんな風にして、西洋文明とそのほかの文明の衝突は起きてしまうものなのかなと思いつつみてましたけれど。そして、現地のネイティブ・アメリカンの長はいずれ争いになるであろうことも予見してジョンスミスを殺そうとする。それでも、ポカホンタスは彼を助けてしまう。どちらが正しいというより、男の感覚と女の感覚ってこんなフウにちがうんですね。男は危険を感じて自分達を守る事を優先するけれど、女というのはちっょと違う。危険を承知で別の選択をしてしまう。両方の絶妙なバランスがあって初めて世の中って言うのは上手くいくのじゃないですかね。 近年ヨーロッパ文明が行ってきた事の一つ一つを検証し直すような映画が結構作られていて、十字軍遠征とか、植民地開拓とか、いろいろ考えさせられますね。 それにしても、相手のためを思ってした行動が逆効果になることもある。ポカホンタスのために身をひいたジョン・スミスだけど、その後のポカホンタスの喪失感はすごかった。親としてわが子のためにする行為が子供にとって逆効果になったり、本来目指すものとは別の方向に子供を誘導したりなんてありうるよな。むずかしいものです。 さて、ディズニーの『ポカホンタス』も見てみないとね。
2006年05月18日
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三谷幸喜・監督・脚本。 イマドキの日本になかった下品じゃないコメディ。『笑いの大学』も面白かったけど、これもなかなかよかった。何しろ舞台はラジオ局のスタジオだけ。すこしだけ、他の部屋とか廊下とか出てくるけどね。なにしろうちの長男とうちのダンナがちゃんと最後まで飽きずにみたんだもの。よっぽどみられる作品だったんだってことさ。 日本でも、こんなコメディが作られるようになって、そして、一般大衆に見てもらえるようになって、私は嬉しい。こーんなコメディがはやるようなよい世の中にどんどんどんどんなりますように。 唐沢寿明の赤い縞柄のシャツがかわいかったな。ちょっと文章が少ない。あとで加筆できるかなあ。
2006年05月17日
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昔読んだ本に、男を選ぶなら、パイロットのような男を選べと書いてあった。女性に表面上優しい男というのは、、要するにアシスタントパーサー(というか、今はキャビンアテンダントだわね。)なんだから、そういう表面上やさしい男じゃなくて、飛行機の運命をせおっているパイロットのような男、表面上は優しくなかったりお茶を入れてくれなかったりしても、しっかり責任をとり、指揮を取るような男を選ぶべきなんだよっと書いてあったかな。 しかーし。今現在、私のダンナは…パーサータイプ。実に表面上はやさしいです。お茶は入れてくれるし、怒らないし、責任感も頭の切れも…ないなあ。で、なんでかって言うと、私にパイロットタイプのようないい男を捕まえる能力がなかったんですね。頭がよくて、責任感があって稼ぎがよくて、危険なときに頼りになる男。理想だけど、全ての女性に供給されるほど、そのての男の品揃えがいいわけじゃないのが世の中の現実。料理が上手で家事が上手で、美人で聡明な女性が世の中にそうごろごろいないのと同じだ。それでも、みんな折り合いをつけて、一緒に生きているのさ。 仕方がないから、飛行機は自分で操縦する覚悟でもするしかない。世の中のダンナがそれほど頼りになるでもなく、だから、世の中の奥さん達がそうそうダンナに頼ってるわけもなく、自力で我が家をきりもりして、墜落しないようにするしかない。自分でがんばるのだって悪くないのさ。だから、うちのだんな様に、「お茶入れて」というとこまめに入れてくれますけどさ。そのお茶のみながら、確定申告の書類をそろえるのは私。子供の塾を決めるのも私。我が家の家計を心配するのも私。 それにしても、どうにもならないような危険な状況にまだ遭遇したことがないので、そういう時うちのダンナがどんな態度を取るのかわからーん。家族の盾になってくれるのか。それとも自分だけ逃げ出すのか。がんばって家族を守ろうとしたけど、あえなく、敵にやっつけられちゃたりするんだろうか。
2006年05月16日
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中二のむすめ。今年学級委員になった。びっくりである。 私は他人様のために働こうなんて中学生の頃、夢にも考えていなかったので、我が娘が、しかも、立候補でそんな殊勝なことをやろうと考えるなんて、思っても見なかった。しかも、本人の感想「楽しい。」なんである。ますますびっくりである。まあ、高校受験のためでも、あるのでそんなに純粋な理由でもないんだけど。しかも、娘が「おかあさん、すごい楽しい。来期もやりたいかも。」だそうです。 とにもかくにも、びっくりでした。 私なんていつもいつも図書委員やってたけど、それは別に受験のためでも、人様のためでも、ボランティアでもなく、ただ単に、自分が図書委員だと、学校の本を借りるのに、面倒なてつづきをしないで勝手に借りたり、持って帰ったり出来たから。 それで、その頃、結構学校の本を読んでたな。受験勉強のために、ゆっくり本が読めないのがうっとおしかった。 今は勉強の出来る子はほとんど私立にいっちゃうし、勉強の出来る子が学級委員になるという不文律もないので、さらにごく普通の子が学級委員だったりしますが。 本当におとなしい子だったので、最近の娘の学級委員とついでにギャル化もしはじめていて、もうほんとに私とは別人格なんだわあ。
2006年05月15日
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何回も見たつもりだったけど、よく考えたら、二回目。劇場で見た時は、動物の喋りがよく聞こえなくて、なんて言ってるのかわからなくて困ったんだよね。今回テレビで見てたら、わりと聞き取れました。なんで、音が割れちゃうんだろう。それで、そしたら、このあたりをきちんと聞き取れないと話がわからない。ということがわかったのでした。 それにしても、宮崎駿って、すごい才能だよね。自然と人間の対決。徹底的に突き詰めて、そして、さあ、あなたも考えてくださいというエンディング。だな。けちつけるところが全然なかった。そして、ちょっとでも、気を抜くと話がわからなくなる。すごいストーリー展開だよね。絵が上手いのは当たり前としても、絵とストーリーと、効果と展開とバランス。が、すごいんだよね。 時代的には、たぶん、戦国末期。鉄砲があるからね。でも、ヤックルがでてきたり、東北地方の雰囲気がもっと前っぽいのですよね。でも、鉄砲が出てくるんだから、当然、戦国末期。ただ、日本っぽいけど、日本に似た設定のファンタジーってこともありえるような…。 たたらということで、この村は製鉄業をしてる。だから、多分山陰地方。鳥取か、あるいは島根。あたりかな。山からとった砂鉄による製鉄。そのための山や森の伐採。自然破壊。私は、公害や、自然破壊というのは、20世紀になってからだと、ずっと何気なしに思っていた。だから、この映画を見てこんな昔から、自然破壊があったんだというのは、なかなか驚きだったんですね。 自然と人間の技術が共存できないものだという初めての摩擦の瞬間。 自然の中から生まれ、自然の中にあるものをそのままに受け止めていた生命達の中で、はじめて、自然のものを自分達の力で変容させていこうとする人間という存在の出現が、自然のあり方を危うくし、自然と人間のせめぎあいを生む。 人間が生み出そうとするものが自然を破壊していく。 それぞれがそれぞれの立場で自分の存在を維持するために戦う。あるいは、滅び、あるいは生きながらえ、それぞれがどうかかわっていけばいいのか苦悶する。 その戦いのまさに中間ポイントにいるのが「もののけ姫」だ。人間でもあり、動物にはじまる自然でもあり、また、人間でも、自然でもない、微妙な存在である「もののけ姫」という存在がまさにこの物語の中で重要な位置を占め、それがいっそう、物語を面白くもし、複雑にもする。 そして、その対極に「えぼし様」がいる。科学技術の進化の最先端をおのれの力で引っ張って行こうとしている。「えぼし様」の実業家としてのさらにリーダーとしての資質、技量はすごかった。「たたらの里」にいるのは、つまり、社会的にはあまりモノ、ハグレモノの存在ばかりを集めている。なにしろ、この物語の中にらい疾患の人々がでてくるのだ。これは、ジブリではあるけれど、けっして子供向けに作られているわけではない。それはもちろん、サムライや、野武士の首や、手がばっさりきられるシーンが数回でてくることでもわかるのだけれど。らい疾患、あるいは、娼館に売られた女、男達もたぶん、外では与太者、暴れ者などの、存在であったものたちなのではないだろうか。他に行くところのない、あるいは社会からやっかいもの、じゃまもの扱いされてはみだしてしまったようなものたちが、集められているのだ。行くところがないのだから、こんな山奥の僻地のたたらばといえども、苦しくともしんどくとも、彼等にとってはよっぽど世間よりは居心地のいいところなのだろう。この地で初めて人間扱いされたのではないのだろうか。だから、たたらばのらい疾患の人たちも、たたらをふむ女達もとても元気で生き生きとして、自分達の里に自信を持って暮らしている。そういう人間達を集めてその信頼をえて、里をまとめているその技量はすごい。 物語の前半、自然を破壊し、たたり神までうみだした、「えぼし様」は悪者のようにうつる。そして、その「えぼし様」をさらに、だまし、うまく使い右手まで落とさせてしまったより上の存在もまた、人間社会という自然とはさらに対峙する存在である。あまりの人間の変容に自然はあらがうけれども、しかし、進化しはじめた人間達の技術力にはとうてい勝てない。この先、ますます進化し続け、その技術力を増して、自然を破壊していく人間達にいったい、どう対抗していけるのか。その対決のシーンは、壮絶だ。真正面から対決して、滅んでいくいのししたち。高見の見物をしていたはずが、結局参戦してしまう山犬とサン。そして、「未来少年コナン」そのもののアシタカ。アシタカの体力、運動力、弓の腕も、剣の腕も、すごかったですね。山犬と同じスピードで、山の中走ってるんだもん。ふつう出来ないでしょう。 自然破壊をしつづけ、自然にとっては敵である「えぼし様」は、人間界では社会的弱者を集めてその生きる場を与えているという、良き存在であったりする。人間の社会で生きて行こうとする「えぼし様」、そして、自然破壊につながるとわかっていても、なお、後戻りの出来ようはずもなく、科学の発達によって生きて行こうとする。自然破壊に対して、なんら迷いをみせないえぼし様は、自然破壊につながることをしなければこの先人間が生きていけないことに覚悟を決めているのだろうか。自然の中にうまれながら、その自然を破壊することで自らの生きる道を開かざるを得ない人間達と、自らの存在を危うくする人間とどう接していくのか結論のだしきれない自然との、せめぎあいの歴史の最初の部分を描いた物語だったのであろうか。 物語のラストで自然界の生命力を象徴する「コダマ」が一匹だけ現れる。こんなことぐらいで、自然は滅んだりしないんだよ。と、言っているようでもある。自然と人間は対立していくものなのか。共存していくものなのか。 ・もののけ姫@ぴあ映画生活
2006年05月14日
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ネットには、いろいろな性格診断や、おもしろい診断プログラムがあるものですが、(特に最近はWEB解析が面白かったですね)、今回のこの性格診断はなかなかシビアーでした。性格診断そして、適職診断。将来なんの仕事につかせるか悩んでいるうちの長男にもやらせてみようかな。その前にうちのダンナにもやらせよう。 いやところで、私の診断結果はなかなかどうして、なるほどーというものでした。普通わりとゆるい診断結果が多いものですが、この診断はなかなかズバズバと、真実をつかれたような気もします。日々の自分の行動を少し考え直して見るべきかもしれない。ところで仕事に悩んでぃる人にも参考にはなりそうです。 でも、これ、 転職のアイアムという転職支援サービスのサイトさんなんですよね。だから、ほんとは仕事をさがそうって人にすすめないといけない。子育てが一段落した、あるいは専業主婦なんてもう飽きたというそーんな人いますね。 それじゃあやってみてね。これです。↓ 後であなたの結果を聞かせて…とは言えないですよねえ。
2006年05月13日
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随分前に『楽天ブログで、行間設定が出来るようにしてほしい』と言う記事を書いた。 そのとき二人の方から、その解決方のコメントをいただいたのだけれど、その方法がいまいちわからなかった上にやはり、クリック一回で、出来るような設定にならないかなあと思いつつ、しかも、親切に丁寧に説明していただいたにもかかわらず、それでも、どうやるのかよくわからなかったのである。ナサケナイネ それで結局その時は保留にしたまんまだったのだけれど、 ところが最近、ジャンクフードマニアさん経由で、私の疑問を真剣にさらに突っ込んで考えてくださった方がいたのである。いやもうびっくりですね。 という訳で、8時ちょうどのAzusa2号さんの記事を読みまして、その後さらに試行錯誤を繰り返しまして、なんとか、理解した。 それでやってみたら、すこる。さん、の方法だとどうも、行あけが消えてしまう。私のやり方がわるいのかな。いやそれでも、こんな方法考えられるなんてすごいです。が、という訳で8時ちょうどのAzusa2号さんの方が字数も少ないし、行間の幅設定も出来るし、わかりやすいです。いやそれでも、行間あけるのにもこんなにいろんな方法あるんですね。 私のブログは文字設定が中になっているので、あまりあけると全体がぼけらーっとして。しまりがないです。行間設定あけさえすればいいのだと単純に考えていたんだけど、行間あけすぎると、全体が間延びして、微妙にレイアウトに影響する。という訳で、8時ちょうどのAzusa2号さんの方法でさらに、1.4にするのがちょうどよかったです。 それにしても、ブログってかなり楽にサイト運営ができる代物だったのですね。そして、ブログといえども、コンピュータを使いこなして更にいろいろな指定が出来るものだったんだというのは結構発見でした。 ところで、くうふうさん経由でかずさかさんのところも拝見してエロトラ対策も勉強しましたが、いやそれでも、対策やっても、やっても、あたらしいエロトラがついてくる。イタチゴッコといいますか。アメーバのように増殖していくようだ。こんなものにくじけていたら、サイトなんてできんからね。 それで、さすがにかずさかさんの部屋さんのサイトはすごいですよね。エロトラ対策のほかにも、楽天専用のいろいろなサイトの作り方が書いてあって初心者には勉強になります。 それで、ここで、いろいろ見てたら、「こんなに何行もいろいろと設定入れないといけないのか。プログラム組んだり、サイトデザインしたりするのってこんなに大変なものなんだ。勉強するにしても、文系人間にはそうそうはできないな。」というのが感想です。勉強する気はありますけどね、私個人としては。 いままで、ホームページ作成や、ネット世界って結局つまり、理系人間の世界だったわけで、そんな大変な世界にパソコンの苦手な人間や文系の人間が参加できるようになった、ブログという存在はすごいってことだ。 ブログによって文系人間が参入し、ネットの世界が理系社会から、ちょっと雰囲気や流れをかえはじめているのかもしれない。文系人間やパソコン苦手の人達なんかの参入によって、ネットの世界で新たな面白い文章や、理系の人とはちっょと違った価値観なんかも、入り込んできたかもしれない。 だから、なおさら、ブログ初心者でも、すぐ使える行間あけやそのほかのいろんな機能が楽天ブログの中で、充実して欲しいと思うのです。 おもしろいですね。これから、を想像すると。 えーと、8時ちょうどのAzusa2号さん、すこる。さん、汪さん、ありがとうございました。
2006年05月12日
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最近話題のこのニュース。先日読売新聞でたっぷり 1ぺーじ使って「基礎からわかる竹島問題」という特集がありました。せっかくだから、がんばって読んでみた。なるほどーーー。でも、この記事。かなり気合はいってるし、親切に丁寧に解説してあってよかったんだけれど、一番肝心なことが抜け落ちていた。これを抜いちゃあ意味ないじゃんと思うんだけど、あまりにも当たり前すぎてね書いた人は思いつきもしなかったんだろうと思う。それって言うのは、 二百海里つまり、排他的経済水域 のことだ。これは国連海洋法条約というものらしい。いやあ、二百海里というのは、昔学校で習ったので、さすがに覚えてましたけど、国連海洋法って始めて知った。ネット検索したんですよね。そしたら、こんなに詳しいサイト見つけましたけれど。それで、ここを読んでいたら、いまさらもう私の書くことないです。でも、ほんとにこのあたりが読売新聞の特集記事に抜けていたんでしょうね。 本来三海里くらいまでが常識だったのが戦後のアメリカの主張によって二百海里になってしまったらしい。 だってね。竹島なんてあんな小さい人も住めないような島、本来欲しいなんて思わないでしょう。それがこんなに揉め事の種になるのって結局二百海里のせい。ですよね。 で、そもそも、戦後にきまったこの法令。国ごとの海の権利をはっきりさせることで揉め事を減らそうとしたという部分もあると思うのだけど、結局は新しい揉め事になっただけ。成立当時から問題点はわかっていたのに、決まっちゃったわけで、だから、 竹島問題ということはつまり排他的経済水域をどこまでにするかという問題からはじまっているのだし、もういっそのことそもそもそのあたりから、国際的に考え直すべきなんじゃないんですかね。 結局揉め事の元を作ってるのはアメリカなんだよね。ま、細かいことは私にはよくわからん。 というわけで、読売新聞さん、そのあたりもう一度お願いしたいです。
2006年05月11日
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昨日のニュース。お向かいの中華料理店とその隣の居酒屋のカラオケの騒音と路上駐車に業を煮やした理髪店の店主が、偽装の出前などの嫌がらせのあまりの行き過ぎの為、とうとう逮捕された、というニュースなんですけど。でも、このニュースって結局どちらも被害者で、どちらも加害者ですよね。あの過剰な出前や、葬儀屋、花屋まですごいんだけれど、あそこまでされて、された側はなぜ、そこまで相手が怒っているのか、もう少し真摯に考えるべきだったのでは。あそこまでするからには相当怒っているわけで、それに対して、もう少し被害者側もなにか対策をとることをなぜしなかったのでしょう。 テレビのニュースで見ていると、中華料理店の人は旅行の時の御土産をもっていったり、顔を見れば挨拶したりしたというけれど、たかが旅行のお土産程度で、騒音にたえる辛さや迷惑駐車の不愉快が治まる訳ないと思うんですけど。ちょっと謝ればいいぐらいにしか考えなかったんでしょうか。テレビ局がちょっと取材にいったって、なぜ理髪店が怒っていたかわかるのに、ずーっと近所に住んでいて、相手の家のいらつきが想像つかないのでしょうか。カラオケがうるさいのだから、止めるとか、防音処置をするとか、迷惑駐車しないですむように、駐車場をかりるとか、なぜしないのでしょう。近くにちょうどいい駐車場なかったかもしれないけれど。それでも、ここまでされているなら、もう少し自分たちなりの対策をたてるくらいのことなぜしないのでしょう。 実は私も、はす向かいの自動車修理屋さん。飼っている犬をガレージに残して自分は自宅に帰ってしまう。夜中に犬は寂しくてずーっとないている。自分は他の場所にいるからいいけど、私達近所の人間はうるさくてしょうがない。しかも、夜中。おちおち寝てられないんだよ。あんまりひどいので、嫌がらせをしようかとか、無言電話でもしようかとか、思わずいろいろ考えちゃいました。いやいやでも、やっぱ、いけませんね。正攻法で行きませんと。という訳で理性を取り戻して、相手に電話しました。「毎晩オタクの犬がうるさいからなんとかしてください」って。「ちゃんとめんどう見れないのに何で飼うんですか」。とも。でも、普通なかなか面と向かって苦情や、文句や、不満を言うことってないですよね。ダンナのいろいろな不行跡に怒ってる奥さん達だってむっとして、だまっちゃったり、口利くのやめたり。内心いらいらしつつ、表に出さずに、不満をためたり。普段の人間関係だって、相手の行動に腹が立っても、いじめてみるだけで、「あなたのここがわるいから、私は不愉快なんだから、直せ」なんて面と向かって言われることって少ない。なかなか正面きって言うことなんてできないよね。 我が家のお向かいも倉庫業なので、(住宅地だというのに)しょっちゅう大型トラックが止まる。しょっちゅう路上駐車してる。それで、我が家の自動車を出す時はしっょちゅう「車をどけてください」と言わなければならない。自分ちのガレージから、自分ちの車をだすのに、いちいち相手に言わなきゃならないこの腹立たしさ。でもね向こうはずーっとそれをやり続けているのですね。なんどもやってるのに相変わらず平気で続ける。都会ってこういうところ。ある意味しかたないんだろうな。それでもさすがに怒りは蓄積されていくわけで、だから、あのニュースみてると、理髪店よりあの無神経な中華料理店のほうが腹立たしかったりする。とにかくまずはっきり自分の側の不満を相手に言うしかないけれど。言ったからといってすぐ改善されるかどうかはわからないけれど。そして、あの嫌がらせもやっぱり度を越していてひどいとは思うんだけれど。 ところでうちのはす向かいの修理屋さん。最近はさすがに、犬、置いていかなくなりました。結構このあたり一体で、話題のことだったらしい。お向かいもなんとかならないかな。 そういえばあの騒音おばさん。あの事件だってあれだけあのおばさんを怒らせたんだから、被害者の人だってそれなりのことしたはずだと思うんだけど、ニュースをいくら見てても、なぜあのおばさんが怒っているのかちっともわからない。そのあたりもう少しはっきりして欲しいと、あのニュースを見るたびに思うのですけど。 とにかく都市に住むって言うのは、ある意味忍耐が必要な場所なんだってことだよね。便利な分不愉快も多い。完璧に静かな状況も無理だし、空気も悪いし、どこまでが我慢で、どこからが我慢を超えるんだろう。 でも都会に住むからこそ、迷惑にならないような気配りをすべきでもあるんだろうな。被害者のはずが、加害者になる。本当に怖い。
2006年05月10日
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『ゲド戦記』の中で、人々は、真の名、本当の名前を他人に知られてはならないことになっている。もし、真の名を知られれば名前を知った相手に支配されてしまうからだ。魔法を使う時もいろいろなものや動物などの真の名を唱えることで、魔法となるからだ。だから、物語の中で登場人物たちはみな、通り名で暮らしている。 自分の本名を使っちゃいけないなんてそんなものなのか。と、その時は思った。今の自分達の生活は本名を使うのは当たり前で、逆に偽名であることがばれれば、怪しいやつということになる。本名を名乗らないなんてきっと何かあるに違いないと言うことになる。それに、そもそもほとんど本見ようで生活していて、特に問題もないし、普通のことである。 しかし、今、まさに本名を名乗れず、偽名で暮らす世界がある。 ネット世界である。 インターネットの中では、掲示板にしろ、チャットにしろ、サイトの管理者にしろ、皆必ずハンドルネームという偽名を名乗る。インターネットの世界で本当の名前を名乗ってはならないのである。さらに顔写真すらさらしてはならない。 ま、ブログでは意外とみんな本名をそのままハンドルネームにしてたり、自分の写真や知り合いの写真公開しちっゃてたりしてますけどね。だから、はじめ、びっくりしました。ただ、ブログというのは、掲示板と違って、要するに固定ハンドルを使っているようなものなので、それなりの規制があるわけなので、掲示板ほどには自由に書けないかもしれないなと思います。掲示板においても、アラシをしているのはごく一部の人間であって、普通の人たちは普通に書いているし、ブログでも、普通の人たちは普通に書いているので、そのこと自体で問題が起きるわけでもないのですね。とりあえず問題起きなきゃかまわないし、それほど問題が起きているようにも見えないので、いいのかな。商売がらみで意図的にだしてる場合もありますしね。 それでも。基本的には本名を名乗ってはならないのがネットの世界。うっかり本名を晒すと、どんなおそろしいことになるかわからない、場合、もあるから。それは、別に書き込みをした場所で何が起こるわけではないにしても、不特定多数の人が見ることのできる場所なので、悪意のある誰かにチェックされたり、記録されたりするかもしれない、そして悪用されるかもしれないということですね。だから、商売コミのサイトは別として、普通の人はあんまり本名や写真は出さないほうがいいと思うのですけれど。 まさにネットは仮想現実。バーチャル。ファンタジー。 ネットの世界ってファンタジーそのものなのかな。 自分とは別の人格を演じることも、多人のふりをすることも、自分を隠したまま、悪事を働くことも出来る。それでも、あの迷惑TB何とかして欲しい。ま、それはそれとして、 剣と魔法の幻想世界なのでしょうかね。
2006年05月09日
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ゴールデンウィーク。どこいっても混むから今年は旅行も行かずひたすら家でのんびり。いやあ、よく寝られた。やっぱ疲れてたんだわ。それに夜更かししてるし。 それでも、さすがに一日くらいということで、横浜に行った。 横浜に行くと、行くのが当然のごとくかならず中華街なんだけど、適当にそこらのお店に入ると体外普通の味。まずくはないんだけどね。でも、 なにもわざわざ中華街にこなくても、そこらの中華料理店で食べるのと味のレベルが同じ。以前は気合でおいしそうなお店を探したものだけれど、最近はてきトーに行き当たりばったりで、お店に入る。そうすると対外ハズレル。 わざわざ中華街まできて、この程度の味なのかあ。しかも、お店の人はそういうことに何の疑問ももっていないらしい。 今回入ったお店なんてねー。メニューの下のほうにね、 混んでるから追加注文はしないでください。点心だけの注文はご遠慮ください。 と書いてあった。 なんとなーく追加しながら、食べるのが、中華街における中華料理の醍醐味じゃないのか。特に点心をちょこちょこ頼みながら食べるのが楽しいんじゃないのか。 しかし、このお店品数も少ないし、点心もロクスッポないし、 その上 食べ終わったお客さんに、「待ってるお客さんがいるから、早く出てください。」と、言っていた。信じられない。 そりゃー確かに混んでますよ。ゴールデンウィークだしね。でもね、だからってね。 しかも、このお店、ゴールデンウィークにしては、すいてたし。 次回は気合でお店探しをします。 それにしても、中華街でおいしいお店をみつけるハウツーはないのかな。基本はやはり、人が並んでいるお店だけどね。お店の外観じゃ味の想像はつかない。 むずかしいですね。結構広いし。 ところで、チョウケイ(漢字がわからーん)飯店でお土産に買った餃子。五個いりを二パック。これがでかかった。写真がないよ、写真が。家族四人で肉まん四つと、餃子二パックでおなかいっぱいでした。中華街の肉まんて大きいんだよね。 それから、マンゴーも買いました。これがまたデカイ。ふつうの三倍。なにしろ、一個900円でしたから。 昨日食べようとしたら、うちのダンナが明日誰もいなくなってから一人で食べればと言った。900円を一人でぜーん部。 という訳でさっき、900円を一人で食べた。美味かった。 そうそう、ゲッペイも、上手かった。一個500円ですからね。相変わらず高いですね。いやでも、中華街のうれてるお店だとゲッペイも新鮮ですね。皮が。ぱさぱさしてなかった。やわらかくてしっとりしてた。売れてるお店のゲッペイって新鮮で、できたてなんだ。出来立てのゲッペイってうまい。 なんだか、食べることばっかりですね。またまた、散財しちったから、これからさらに、おとなしくしてませんと。でもこないだ、通信教育の請求書がきたばかり。しかも、まだ、ふりこんでない。 とにかく、ゴールデンウィークも終わって家族もいなくって家の中もかたずいてやれヤレでございます。掃除機かけませんと。
2006年05月08日
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もうゴールデンウイークもおしまい。今年はいつまで経っても寒い。いつもはもう、冬物なんて要らないはずなのに。でもね最近暑い日もあるよね。ゴールデンウィークも終わって、もう時期夏が来るんだなあ。イヤだなあ。また、あの灼熱の地獄のような猛暑の日々を耐えなければならないかと思うと憂鬱。 ここ数年は酷暑の連続。いくらクーラーをいれても、その不快感はスペシャル。涼しく快適に過ごすために発明されたはずのクーラーですが、そのクーラーの室外機のだす、熱気のおかげで東京の夏は死ぬほど暑い。どこの家にもクーラーがあるので、一人クーラーをいれずにがんばることもままならない。我が家の玄関をでた、お隣の庭に、我が家の玄関に向けて、熱気が出るように室外機がすえつけられているのである。 「おい、いい加減にしろよ。ふざけんじゃねーよ、ここはうちの玄関なんだぜ、ちったあ頭働かして違う向きになるようにクラーつける位のことしろよ。わかってんのかよ。ばかやろー」 なんていえるほどの気概もない小心者なんで。 それはそれとして、ああ、今年も暑い夏がやってくる。毎年毎年ひたすら、忍耐で過ごしているけど、果たし今年の夏、私の忍耐は残っているんだろうか。昔はね、まだ我慢できる程度の暑さだった。せいぜい31度から、32度くらいまでだった。ところが最近の東京の暑さときたら、軽く34度とか、35度とか行くんですよ。絶対クーラー入れなきゃ死んじゃうような暑さ。しかも、その猛暑の中子供がクーラー入れると「寒い」というんだよね。これが。クーラーいれても、不快だし。しかたがないから。お風呂に水はって、つかってるしかない。それでも、やっぱり暑い夏はえんえんとつづく。 いやだなあ。 夏はどこか涼しいところで快適に涼しく過ごしたいです。別荘がほしいです。
2006年05月07日
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フランス料理のフルコースを食べた後にはお茶漬けが食べたくなる。海外旅行から帰ってきた日に回転寿司屋に入りたくなる。海外で日本人に会うとほっとする。無理にしゃべらず、笑顔も作らず、それでも、日本人同士の共通意識にほっとする。 まあ、そんなことはいいとして。 かつて、高校三年生の時、授業が選択制になり、世界史の後半が取れなくて悔しい思いをした。前半は二年生でやったので。そして、我が子が高校生になってみたら、やっぱり世界史が取れない。特に理系を選ぶと日本史はとれても、世界史はとれない。どうしてですかときいたら、世界史は覚えることが多すぎて無理だからということでした。結局国立大学を目指そうとすれば、七科目。勉強することが多すぎて、世界史は断念せざるを得ない。 学生に、主要三教科にとどまらずなるべく広く勉強させるための国立大学の受験システムがあだとなってイマドキの高校生もまた、世界史を勉強することができない。 愛国心だ、祖国愛だと最近なにやら世間が騒がしい。しかし、世界史の後半も勉強できず、近代史も現代史も学校でろくすっぽ教えていない今の学校の教育システムを棚に上げて、悪いのは国民だ、若者だ、学生だといっているような今の風潮に私はひたすら腹立たしいばかりである。 総合の時間に株取引なんかやってる暇があるのなら、なんで、今現在の世界情勢や近代史や現代史を教えないのだろう。結局学校で勉強できるのはせいぜい明治までか、第二次世界大戦までがいいところである。近代史や現代史をきっちり学ばなければ今の世界のことも、経済のこともわからない。そんな薄識の状況で株取引を勉強してみたところで、所詮損をするのが関の山だと思う。グローバルなつながりをもつ現在の世界の経済状況を理解する上で、現代史は欠かせないはずなのである。 だから勉強していないわが身ではテレビのニュースを見ていてもよくわからない。 たとえば、現在の朝鮮半島の現状に至る経緯や、朝鮮戦争のことも、イラクとクエートが戦争にいたるまでにイギリスがかつて植民地時代に行ってきたことが絡んでいることも、インド、パキスタン、バグラデッシュがもめるにいたった経緯も、わずか、この二十年の間にも世界の変化は激しい。私もそのあたりはよっぽど勉強しなければわからない。 私の場合はもう学校を卒業してしまったあとの歴史なので、自力で勉強するしかないけれど、テレビのニュースをみているだけではわからない。 このあたりの世界的な経緯を学ばずに愛国心を持てといわれても、ちょっと無理なんじゃないと思うわけですね。 今の高校にも政治経済や、現代社会という科目はあるのだけれど、子供に聞いてみても、この科目で、現代史を教えているわけでもない。 近代史、現代史はどうしても、思想がからむので学校で教えるのはむずかしいのだろう。 それでも、それらを学ばずして、日本の今も世界の今も理解せずして、国を愛する真意も世界のあり方を考える基盤も育てようがない。 日本に住んで、日本人として国を愛するのは当たり前なことであって、その上で更に自国を愛するのと同じ愛と敬意をもって他国のことを考え、思い、関わっていかずして、どうするのだろう。 自分が自分の国を愛するように相手も相手の国を愛している。お互いの立場を思い、相手の国への愛を理解し、敬意を持って接することのその先にはじめて、見えるものがあるのではないのだろうか。 まあ、それはそれとして。ですね。 私は日本が好きですよ。 ローズヒップの妖精
2006年05月06日
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おとといNHKを 見ていたら、三時間の時事問題特集やってましてね。なんだけど、ずーっとみてるとね、なんだか、日本が世界の中でいかに上手く立ち回って、損をしないように上手にやっていくかを識者のえらい先生達がよりあつまって相談している。普通の個人の人間だって、自分が損しないようにこずるく上手く立ち回ることだけ考えているようなやつなんてぜったいばればれだし、嫌われると思うんだけど、この人たちそんなこと考えないのかなあ。家族がうるさくて、あんまりちゃんと見られなかったけれど、なんだか、日本の将来を考えてると言いながら、いまいちテーマがせこくないですか。とテレビを見ながら思ったのでした。
2006年05月05日
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もう、いまさらなんですけどね。 『アドルフの画集』と『ヒトラー最期の12日間』を見て、結局どちらの映画も映画を製作した監督が言いたかったことは同じなんだな、と。 同じことを外国の監督が、そして、ドイツ本国の国内の監督がドイツ国内から、作ったんだ。 ドイツでは、今でもヒトラーは禁句。ヒトラーを人間として描くことは長く禁止されていたらしい。というのを他のブログで読んできたんだけどさ。他のブログでも大体骨のある記事を読んでいると感想は同じ。 今まで、第二次世界大戦は全てヒトラーが原因とされてきた。ヒトラーは悪魔のような人間で、ドイツはヒトラーに先導されていただけだ、と。 けれど、悪いのはユダヤ人で、悪いのはヒトラーで、と、全てを他に転嫁するような姿勢でいても、事態はかわらない。 大戦の原因がドイツ国内の国民の全体の意識にあったことを、二人の監督がほぼ同じ時期に映画にしている。 『アドルフの画集』では、反ユダヤ主義でも思想家でもなかったただの普通の画家志望の青年だったアドルフが、周りからの声で、ヒトラーへと変貌していく様が描かれている。 『ヒトラー最後の十二日間』では、ヒトラーが本来の自分とは違う「総統」という役柄を演じていることを、ただ、恋人だけが知っている。そして、追い詰められた状況でヒトラーは言う。「これ(戦争)はかれら(ドイツ国民)が望んだことだ。私にどうしろというんだ。」と。ぎりぎりまで、総統ヒトラーを演じたけれど、もう限界だと。そして、部下達より先に自害してしまう。 大戦を起こしたのは、本当にたった一人の人間か。いや、ヒトラーという人間を、ヒトラーという偶像を作り上げたのは自分達ドイツ人ではないのか。と、監督は問う。 二つの映画が時期をほぼ一つにして、同じ問いを外側から、内側から、ドイツ国民に、そして、世界の全ての人々に問う。 たった一人の人間だけが出来ることではなかったはずで、そこには、それをたすけ、賛同し、応援したほかの人間達がいたはずだと。 たった一人の人間のちょっとした意志と意識と行動が折り重なるように集まって、一つの偶像を作り上げる。 一人一人の意識が知らない間に集まり、よどみ、流れて、大きな流れを作る。悪いほうへと流れていくのか。あるいはよい流れとなっていってくれるのか。 流される渦中に入りこんでしまえば、もうわからないのか。流れを変えることはできないのか。でも、ほんとうに? ところで、ドイツにはいいものもいっぱいありますね。ベンツもワーゲンもいい車ですね。アメリカも日本もどうしてもかなわない。そして、環境対策やゴミ対策も見事なものです。おいしいビールや、ワインもあるしね。 それで、あんまり追い詰めすぎてはいけないのは、人も国も同じなのかな。 数々の独裁者が近年非業の死を遂げているけれど、もうそんな結末は止めといて欲しい。
2006年05月04日
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数日前にクリアしました。 既に崩壊した村に屍人だけがいて、自分が死んだことにもきずかないままの屍人や、ひたすらかなづちをうっている屍人や、つまり、ゾンビですね。なんかがいる。 要するにモンスターの変わりに屍人をやっつける。そして、謎を解いて、ゲームを進める。 RPGゲームでは、レベルあげのためにモンスターを殺さないとならないんだけれど、それってなんかかわいそうでね。ゾンビとか、屍人だと罪悪感なくてやり易いのですね。既に死んでるし、どうせ後で生き返ってくるし。でも、最初スタートしたときあまりにもグロイので、買ったことを後悔しました。でも、なれた。慣れるとどんなえぐい画面も設定もなれる。人間の方がこわい でも、このゲームなりの深みがあって、人魚の肉を食べると不老不死に慣れるという人魚伝説とか、永遠に行き続けるという八百比丘尼伝説とか、空魚(食う魚)とか、よもつひらさか坂とか、水竜とか、いざなみ、いざなぎの日本神話とか、この花咲くや姫の話とか、すごくいろんな日本の伝承などが盛り込まれていて、すごくストーリーが複雑で、終わった後でどんな話だったんだ?というぅ感じで荘簡単に話がわからない複雑なつくりで、ただのアクションだけではない深みがあって、なんか不思議なゲームなんだよね。ヒロインの女の子は美少女だし、主人公の男の子はなにげ、ジャニーズ系だし。 しかし、なぜに屍人が銃まで持ち出して、戦闘態勢なんだか。 外部からの生存している侵入者まで全部たおして、巣まで作ってこの屍人たち何がしたいの。 最後に復活したラストボスのゾンビドラゴンはどうしようってんだろう。 しかし、昔は怖い話大嫌いだったのに、年取ると平気になるのね。横で子供がきもいから早くクリアしてとか画面見えないように防波堤作ったりしてたけどさ。そうだ。このゲームをやる気になったのは、映画化の話を聞いたからだった。でも、映画はこわそう。映画のストーリーは『サイレン2』になったようです。ぐろいけど、慣れると、面白いのよ。ところで、ゲームっていうのはオタッキーな趣味に見られがちだけれど、それなりにストーリーもあって、小説や映画と同じようにストーリーを考えた作者なりのテーマと主張があるものです。『サイレン』のなかでも、羽生蛇村は、かつて数百年前の飢饉の時たまたま?空から降ってきた魚を食べてしまったために死ぬことの出来なくなってしまった村人の悲壮な運命が語られている。この魚は画面を見る限り、どうも、ジュゴンか、マナティに見える。しかも、山の中の村のはずなのに、どこから来たんだか。さらに、しかも、山の中のはずなのに、ストーリー上、海が出てくる。なぜにジュゴンとか、マナティというのはその姿から、かつて人魚伝説の元になった動物で、しかも、哺乳類。なぜ人魚を食べると不老不死となるのか。うーん。ちょっと研究が足りませんね。このあたり、高橋留美子さんがマンガにしてますけどね。話がずれたけど、それで、つまり、死ぬことが出来なくなってけれど、じゃあ生き続けているかというとそういうわけでもなくて、結局死ねないまま、ゾンビとなって村に行き続ける屍人達。それでも、ゾンビはいやなので、死ぬと村の中央をながれる川にその身を投じて川底で、苦しみながらも存在し続けていた村人達。羽生蛇村の呪いを解いたのは、村にやってきた本物のよそ者であった主人公の須田恭也だった。ゲームの中には他にも何人もの来村者が登場するのだが、ゲーム中数々のアーカイブを集めていくと、須田恭也以外の登場人物たちがみんな、実はもともとこの村の出身者だったことがわかる。結局、村の呪いを解くことが出来たのは真実、羽生蛇村にかかわりのない須田恭也だけだった。というか、彼にしかできなかったのだろう。かつて閉鎖された地方の村では、外部者の訪れは非常に貴重であった。なぜなら、閉鎖された村というのは結局、村の中だけでの婚姻により、村中が血縁関係になってしまっていて、ほとんど血族結婚になってしまうという状況にあった。その閉鎖された状況の中で外部からの新しい遺伝子の訪れは非常に貴重なものだったということだ。それはつまり、閉鎖された村社会の呪いが新しい人間の登場によって開放されるということだ。そしてそれは、ゲーム製作者もまた、ゲームや、ネットばかりしていないで外の世界に出て新しい出会い、新しい人間関係を作らなければダメなんだよと暗にほのめかしてでも、いるのだろうか。いやでも、別にネットってそんな閉鎖された社会ナわけじゃないけどね。とにかく、だから、須田恭也もまた、ゲームサイレンの中で、羽生蛇村の呪いを解く為に長く待たれていた存在だったのだろう。それははたして、必然なのか、偶然なのか。ラストで、須田恭也とヒロイン神代美耶子は村から脱出することが出来たのだろうか。それから、物語の中でもう一人だけ村外者がいた。安野依子。彼女の存在も物語の中で大きい。そして、これだけ暗くて怖い状況設定の中で、信じられないくらい明るい。竹内多聞先生を救い出してくれた、なかなか楽しいキャラクターだった。ゲーム進行上で数々の謎解きがあるとともに、ストーリーの上でも、複雑に構成された謎解きが存在している。これはやはり、このゲームをやるからにはアーカイブ100個全部集めませんとね。最後にサイレン攻略のためのサイトも紹介しておきましょう。攻略サイトを探すのも楽じゃないですよね。 羽生蛇村民会 赤い海からの呼び声 香華園 サイレン攻略の間
2006年05月03日
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コナン見に行きましたか。いい年した大人が一人で。いきましたよ。私。いい年して、ひとりで。いい加減コナンも最初の頃ほどの迫力ないなあと思いつつ。去年は行かなかった。そしてビデオでみたけど。途中で上の空。ゲームしながら見てたせいで、よくわかんなかった。こんなに映画に愛情もってないくせにブログのネタにしてる私って何今回のコナンは面白い人は面白いらしいのだけど、私はやはりいまいち。だってね。ラスト近くで、服部君が言ったせりふには、「別に探偵なんか頼まなくても、警察が既にみんな究明してたことなんだぜ」っというのだ。なにしろでてくる少年探偵三人のうち、二人は親が警察庁だか、警視庁だかの息子。親のコネで情報入手して事件解決してるし、どこが名探偵なんだよーと思うけど、使えるものは親でも使えっていう考え方もあるしね。うーん。次回は探偵でなければぜーったい解決できないような難事件をコナンに解いて欲しいです。 だってね。ホテルの部屋でIDリストでてきた段階でつけちゃイカーンて、想像つくでしょ。でもね、コナン怪我しちゃってかわいそうでした。コナンははたして遊園地見たかったでしょうか。事件解決の方がたのしかったでしょうか。それにしても、レクイエムって程じゃないよね。タイトルだけで、逝ってるよ。来年に期待したい。それから、毎回シリーズ最高って宣伝モンクをつけ続けるのも止めて欲しい。毎回同じ宣伝コピーって芸がなさすぎ。もっといいコピーライター雇ってください。だめだ。書けば書くほどけちばかりになってしまう。やはり、期待が大きいからこそなおさらなんだろうか。年のせいもあるしね。ああ、もうここまで。っす。
2006年05月02日
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最近のファンタジー映画の大ヒットで、普段ファンタジーなんか読まない人も映画は見る。ファンタジーの認知度も社会的市民権も上がって嬉しいことですね。 でも、映画には詳しくても、ファンタジーがなんなのか知らないことが多いので、映画を見てても、ハテナな感想になったりしているなあと思います。 だから、ファンタジーになれた私にはあたりまえな、動物がしゃべるってことだけで、既に疑問符が出てきたりして、うーん困ったね。 だからね。ファンタジーって別に現実逃避の場所じゃないんだ。すごく誤解があるけれど、フアンタジーに描かれる幻想世界の中の全てが、愉快で苦痛のない楽しいだけの世界なわけじゃない。 そして、子供むけの夢物語でも、なんでもありの世界なわけでもない。 私もそれほどファンタジーに詳しいわけじゃないけど、「ナルニア国物語」の感想なんか、特に賛否両論、よかった人と、駄作という人の差が激しい。 ファタジーの中にも厳しい戦闘や戦いがある。それは魔法が万能なわけでもなく、魔法の杖の一振りであっというまに一発消去で悪の象徴の敵役がやっつけられるわけでもない。 現実にあるいろいろの習慣や、因習や、時代的、場所的、社会的、制約が取り払われた状況でシンプルに人と人の対決を描いているのかもしれない。 そして、物語の中で動物と妖精と人間が話したりできるのは、しゃべっているというよりは、意思の疎通が出来ているということで、実際にどんな言葉で会話がされているかということとは違う。 自然界の動物達は人間の下の存在ではなくて、同じように自然界に生きる同じ立場の命を持つ存在であって、人と同じように意思も命も、持っている。 現実世界では人が見ることも認識することも出来ない、妖精や精霊の形で表現される自然の中の命もやはり、人と同じように自然の中にいきる権利と、意思と、命をもって人と同じように生きているのだということが、ファンタジーという物語によって語られている。 だから、ファンタジーの中の世界は、現実とまったく別の異世界ではなくて、楽しいことだけの世界でもなくて、やはり、そこには現実と同じように、勇気や英知やそのほかいろいろの生きていくための数々のものが、物語の主人公にも要求されるのだと思うのです。 それは現実よりもずっとシンプルに、ずっと厳しく、求められていると思いませんか。 ヘリオトロープの妖精
2006年05月01日
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