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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。以前に、「秋山巌の書き下ろしジャケット」でご紹介しましたが、YouTubeがありましたので、ご紹介しておきます。 1981年の録音。p: 山下洋輔、ds: 村上ポンタ秀一、vo: 坂田明、tb: 向井滋春、g: 渡辺香津美、b: 川端民生LPは持っていたと思うのですが、ただ今行方不明なので、また見つけたら追記します。2枚組CDはまだ入手出来そうですね。
2015.07.28
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。久しぶりのお好み焼き名店「てんてこ」本店。美味し!やっぱり、ビールはお友達。こちらもビールにはぴったり。夫がよく通っていた居酒屋さんが閉店していたのですが、その理由がすばらしい! 帰宅後、先生には「余市」を。そんな日でした。
2015.07.26
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。 「彦左衛門外記」 山本周五郎著 和56年9月発行 新潮文庫表紙に使われている木版画は、秋山巌の木版画です。私はまだ読んでいなかったのですが、なかなか面白そうです。『身分のちがいを理由に大名の姫から絶縁された旗本、五橋数馬は奇抜な方法で出世を試みる。失意のうちに市井に隠棲していた大叔父の大久保彦左衛門をおだてあげ、戦記を捏造し、なき家康のお墨付きを偽造して天下のご意見番にしたてあげてしまう。それを、侍侠客、水野十郎左衛門たちが担ぎあげたために、大騒動がもちあがる。諷刺と虚構を存分に駆使した奇想天外、抱腹絶倒の異色作』だそうです。(文庫裏表紙より) 秋山巌が描くのにぴったりのお話しですね。今販売中の表紙はこちらのようです。
2015.07.25
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。大砲が大きな口あけて俺に向いている初刷 一石路秋山巌の木版画です。『さかしまに』 五木寛之著(単行本は、昭和56年(1981)6月文藝春秋刊。画像は文庫)繰り返してほしくないない言論弾圧の歴史のお話しですが、ここ数日気になって、読み返しているので、再び書いておこうと思います。タイトルの「さかしま」とは、逆さまという意味と、もう一つ、道理に反すること(またそのさま)という意味があります。五木寛之氏が「歴史上の事実に作想をえた」というのが『京大俳句』事件です。昭和15年、特高警察が治安維持法の名の下に、新興俳句を実践していた京大俳句のメンバーを次々に検挙していきました。俳句誌・俳人に対する言論弾圧事件のはじまりです。「さかしまに」のラスト、クライマックスでは、俳壇から抹殺された鬼才の、句に秘められた謎が解き明かされます。今、また広く読んでほしい小説です。この本の挿画をきっかけに創作された、秋山巌の木版画集「さかしまに」も、秀作揃いです。 あとがきより一部引用「申訳ないことだが、六年前、この物語を書くに当たって参考にした<俳句>その他の雑誌や資料も今はもう手もとになく、記載して謝意を表するすべもない。勿論、これは歴史上の事実に作想をえたフィクションであるからして、登場人物の主なるものも私の創作である。ただし、作者がもっとも頭をなやました<逆句>の中のいくつかは、これも故人となられた山形の近藤侃一氏と、現在、武蔵野女子学院で教鞭をとっておられる島村桂一氏の卓抜な着想に負うところが大きい。」引用ここまで。この逆句が解き明かされる場面が、グっとくるのです。以下、ネタバレになりますので、読んでいない方は自己責任で。特高警察にとらえられた鬼才は、どうしても釈放してもらわなければならない事件が起きて、反省文を書き、転向して国策俳句を発表します。 その転向後の俳句の一つが、<かの男子新妻置きて弾も見き> ↓ カノダンシ ニヒツマオキテ タマモミキ ↓<君もまた 敵を待つ日に 死んだのか> 全部ご紹介したいですが、後は読んで下さいね。 ふたたび、あとがきより一部引用「挿画にご苦心いただいた秋山巌氏をはじめとして、担当編集者茂木一男、村田耕二、藤野健一の諸氏にもあわせてお礼を申し上げたいと思う。 昭和五十六年六月 横浜にて 引用終わり。 この文庫の解説をしている齋藤慎爾氏の文章も価値ありです。反戦をつらぬいた川柳作家、「鶴彬(つるあきら)」の名前もここで知りました。・手と足をもいだ丸太にしてかへし・屍のゐないニュース映画で勇ましい・エノケンの笑ひにつづく暗い明日参考:[紹介]川柳で侵略戦争と闘った若者、鶴彬没後70周年 このあたりの弾圧の歴史も、興味は尽きないのですが、娘としては、一番グッとくる父のサイン。読書好き、活字好き、好奇心旺盛も、父からの贈り物です。
2015.07.23
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。コープ甲陽園にお買い物のついでに、西宮「大池」一周の散策してきました。ちょこっと頭が見える甲山、かわいいです。甲山を見ると、嬉しくなります。お地蔵さんがまつられていました。お地蔵さまも大好き。面白い絵図発見!「旧甲陽園とその周辺回想図」 説明が草で全然読めませんでしたので、画像で解析。『甲陽園の開発は、大正七年(1918)である。開発者は、町名に名を残す本庄京三郎。その内容は、高級住宅、グラウンド、歌舞劇場、動物園、温泉などで総称して甲陽公園と呼ばれた。規模や華やかさは、この地図で偲んでいただきたい。中心は映画撮影所、関東大震災で活躍の場を失ったカツドウヤたちが、すでにあった甲陽キネマを吸収して、東亜キネマをつくり、ここで喜劇王エノケンや名監督山本嘉次郎が、映画人生のスタートを切り、無声映画時代数々の名作を生んだ日本映画史上にのこる撮影所である。大正十二年(1923)に阪急甲陽園線が開通し、近郷近在の小学生の遠足で賑わい高級料理旅館が軒をつらねて夜も華やぐ町になった。しかし昭和二年(1927)不況の波にまず撮影所が閉鎖、歓楽の灯がひとつまたひとつと消えて静かな町へと変わっていった。夢にしては華やかに過ぎ、現実にしてははかなきに過ぎる町のうつろいである。すでに大池(小松ヶ池)はあの頃の池ならず、甲山だけが今日も変わることのない美しい姿を見せている。◆この絵図は、南野武衛氏、堀内 泠氏編の「写真集 明治大正昭和西宮」掲載の絵図を参考にして着色復元したものです。』北側展望台という事なんですが、草木でうっそうとして、展望できるのはマンションだけです。私が来た時には、この絵図もほとんどかくれていたのですが、なんとか見えるように草をどけました。自分の住んでいる街を歩くのは、大事だと思うのですよ。歩いていると、どんな人が住んでいるのかわかります。何を大切にしている街なのかわかります。自分に関心を持ち、家族に関心を持ち、街に関心をもつ。関心を持つと、大切に扱えるんじゃないかと思います。※学校法人常翔学園90年史に「本庄京三郎(校主)と甲陽園」という記事がありました。へぇ~、そうなんだ。と、興味は尽きませんが、5月末の東京滞在中の記事を、さっさとアップしませんとね。みんな下書きのままです。
2015.07.21
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