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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。赤山地下壕のつづきです。この壕はどのように使われたのだろう 防衛庁防衛研究所に、「館山航空基地次期戦備施設計画位置図」という図面があります。太平洋戦争末期につくられたこの図面を見ると、赤山地下壕の位置には、「工作科格納庫」「応急治療所」「自力発電所」と記されています。天井が高い壕は、格納庫として使われたのかもしれません。戦後の赤山地下壕跡 終戦後は「忘れられた存在」になっていましたが、温度が年中一定していることから、昭和30年前後頃より、キノコ栽培に使われていました。国内の他の戦争遺跡にも、戦後しばらくキノコ栽培に使われた地下壕があります。この風呂やボイラー、コンクリートブロックなどは、そのときに設置されたものです。 この赤山地下壕には、戦後、人が住んでいらしたのです。そのおかげで、他に見られるようなゴミ捨て場にならずにすんだのかもしれません。NPO安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄先生が、この赤山地下壕の調査に入った時は、腰にロープをつけて、ちゃんと入った所に戻れるようにしていたそうです。ここに住んでいらした方は、一人でキノコ(というより菌?なのでしょうか)の研究をなさっていたそうです。調査に入られた愛沢先生と、初めて鉢合わせた時には、お互いにびっくりして動けなかったとか・・・。愛沢先生が、時間をかけて少しづつ、キノコ研究の方と人間関係をつくり、赤山地下壕の様子を調査されたのだと想像できます。(友人の恵美子ちゃんから聞いたとことからの推測です)キノコ研究の方は、もうお亡くなりになっているそうですが、亡くなる前に、自分は731部隊だったと、告白されたそうです。今日もここまでにしておきます。
2009.01.31
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。今日は、館山市指定史跡「赤山地下壕」をご紹介します。詳しい説明は、館山市のホームページでどうぞ。現在の海上自衛隊館山基地のすぐ南側にある、標高約60mの通称「赤山」と呼ばれる小高い山に、総延長約2kmの地下壕と、巨大な燃料タンク基地跡などが残っています。こちらの地下壕も、安房文化遺跡フォーラム理事長の愛沢伸雄先生が、かなり詳しく調査研究されているのですが、中の様子から、海軍の専門工作部隊によって建設されたのではないかということです。(資料もなく、証言も少ないのです)発電所跡 ヘルメット着用です。 ガイシ なんと「たまゆら」がいっぱい! たまゆらがこんなに写っていてびっくりでした。地質学的にみても、すごいところです。続きはまた。
2009.01.29
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。今日のニュースで、自衛隊の落下傘降下の事故の様子・・・輸送機に引っかかったままで降下出来なくなった隊員の映像・・・を見ました。無事に地上に降りたそうですが、未だに危険なんですね、落下傘降下は・・・。前回に引き続き、館山海軍砲術学校跡に関して、安房文化遺産フォーラムが発行している「あわ・がいど 1 :戦争遺跡」より、下記、転載します。この本は、写真入りでとても解りやすく構成されているので、ご興味のある方は是非、入手したください。以下、転載です。『館山海軍砲術学校跡』海軍の学校で陸上戦闘の専門家養成 海軍の学校には、海軍大学、海軍兵学校をはじめ、さまざまな兵種や兵務に関わる海軍独自の学校や養成機関がある。その1つに主に艦船に配備されている兵器の操作技術、つまり海上での砲術を学ぶ学校として横須賀海軍砲術学校があった。 海軍でも陸上戦闘(以下陸戦と略)を行っていたので、横須賀海軍砲術学校がその作戦にあわせた戦闘員の養成をしていた。ただ、この兵種の部隊は必要に応じて臨時編成になる場合が多く、日中戦争でも特別陸戦隊が編成されていた。 陸戦に関わる砲術や訓練の養成機関は、日中戦争の実践の中で必要とされてきたこともあり、また間近に対米英戦が想定されたので、海軍上層部は組織を分けることにした。 1940(昭和15)年、横須賀海軍砲術学校の分校を設立するにあたり問題となったのが、分校に併設する広大な演習場をどこにするかにあった。 太平洋諸島での上陸作戦を実践訓練するにふさわしい自然の砂丘ということや館山航空基地もすぐ近くにあるということで房総半島南端の館山市布良(めら)・相浜(あいのはま)から伊戸(いと)の間にある白砂青松の平砂浦(へいさうら)海岸が、演習場に選ばれたのであった。 翌1941(昭和16)年6月1日、海軍は館山市佐野(さの)の地を選定して、陸上砲術の実地訓練を主たる目的とした館山海軍砲術学校(通称「舘砲」)を開校したのである。『対米英開戦の先陣「舘砲」パラシュート部隊』 対米英戦の戦術戦略上において、「舘砲」には開校直後から、最高機密の特命をもった特別陸戦対養成が課せられていた。 なかでも対米英開戦直前に関わるセレベス島メナドのランゴアン飛行場と、チモール島クーパン飛行場への奇襲占領作戦を狙った横須賀鎮守府第一特別陸戦隊と横須賀鎮守府第三特別陸戦隊の編成と訓練であった。 この特別陸戦隊は海軍初のパラシュート部隊で、41年9月、全国から隊員にふさわしい体力と気力をもった精鋭たちが集められ1500名の編成が発令された。「舘砲」ではわずか3ヶ月という短期間で特殊任務のパラシュート兵を養成することが命ぜられた。 実地訓練では館山航空基地そのものを敵の飛行場と想定し、狭い航空基地内にパラシュートで正確に降下することが要求された。この猛特訓では降下に失敗し死亡事故もあった。 対米英開戦直前にメナド奇襲作戦は敢行され、多大の犠牲を払って飛行場を制圧し、海軍初のパラシュート部隊による奇襲作戦が成功したのであった。
2009.01.27
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。今日は、「館山海軍砲術学校」跡をご紹介します。といっても、看板だけですが・・・ 書いてある説明は、館山海軍砲術学校跡 第二次世界大戦以前は、海戦における主な攻撃力は、大砲であると考えられ、明治時代以来旧海軍の砲術教育は、神奈川県横須賀で行われていました。 昭和16(1941)年6月1日、陸上砲術の実地訓練を目的とした、館山海軍砲術学校(館砲)が新設されると、それまでの海軍砲術学校は、横須賀海軍砲術学校(横砲)と名称をあらためました。「館砲」の特色は、士官候補であった大学出身の海軍予備学生が訓練を受けていたことです。陸戦、対空、化兵(3期以降)の3班にわかれ、陸戦班では、敵前上陸や対戦車戦闘などの訓練が、対空班では、高角砲などの射撃訓練が、化兵班では、毒ガス戦の訓練が行われていました。「館砲」で訓練を受けた学生は、海軍予備学生の1期から6期に及び、開講直後は、軍医学生が海軍士官としての素養学ぶ、基礎教育の場でもありました。 昭和19(1944)年10月に入隊した5期予備学生等の4,000名は、5ヶ月間の基礎教育を受けたあと、それぞれが術科(各職種)学校に進み、館砲には655名が入校したとされています。 訓練施設としては、広大な平砂浦演習場、東砲台、西砲台の対空訓練砲台、犬石射撃場、飛行特技訓練プールなどがありました。 昭和20(1945)年4月25日に、館砲は横砲の分校となり、終戦を目前にした同年7月31日には閉鎖されました。その理由は、アメリカ軍の本土上陸が想定されていたなか、太平洋岸の平砂浦で、教育訓練を行うことが、適当ではなくなったためといわれています。 平成18年3月 館山市・館山市教育委員会旧館山海軍砲術学校施設略図 参考文献「館山海軍砲術学校五期学生二期生徒敢闘録 懐旧平砂浦」とあります。道路を挟んで反対側には、こちらの看板。 館山海軍砲術学校と訓練に向う予備学生隊(真継不二夫氏撮影)説明文昭和18年10月、この館山海軍砲術学校へ入学した海軍第三期予備学生は1,440名であった。かれらは全て全国の官公私立の大学、高等専門学校より馳せ参じ、選抜されて入隊した学徒である。昭和18年10月 8日入校式が行われ海軍第三期兵科予備学生を拝命、直ちに日夜の猛訓練が開始された。翌昭和19年1月末基礎教程を修了、引続き術科教程に入り、陸戦、対空、化兵の各班に分科し、夫々第一戦指揮官としての専門教育を受けた。同三月末、あるいは五月末術科教程を修了。卒業式が行われ、即日海軍少尉に任官し、戦雲まさに急を告げる太平洋全域からインド洋に亘る前線に赴任し、激烈なる戦列に身を投じたのである。この隊列(写真)の中にも多数の戦没者がいる。戦没者は比島、硫黄島を第一として各地域の部隊および艦船における戦没者は次のとおりである。大和 9、武蔵 6、山城 6、長門 5、扶桑 3、那智 3、大鷹・大鳳・熊野・羽黒・葛城 各1 グアム、テニアン、パラオ、比島方面、インド洋方面、ビルマ、ビアク、ボルネオ、セレベス、ラポール、南漢島、マレー方面、スマトラ、舟山島、東シナ海、モルッカ諸島、マリアナ群島、黄海、内南洋、アンポン、ニューギニア、ペリリュー島、サイパン方面、硫黄島、東シナ海方面、台湾方面、沖縄方面、南西諸島方面、千島、内地近辺、合計229名。この外基礎教程後他術科へ転出後戦死者 若干名。法務死 若干名。 ここに館砲校全景を伝える希少な写真を展示し、「鬼の館砲」といわれた猛訓練を受け、勇敢敢闘の末倒れた万余といわれる将兵・同期生たちの護国の想念を偲び、深き感謝と鎮魂の想いを捧げる次第である。上記 ↑ の説明文は、今回とても参考になっているサイト「殉國の碑」 さんより、転載許可をいただき転載しております。相馬市のお隣、原町出身の特攻の方がいることも、教えて下さいました。第一神風特別攻撃隊敷島隊 海軍少尉中野磐雄 「殉國の碑」様、私も訪ねてみます。ありがとうございました。
2009.01.24
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。父、秋山巌は、志願して海軍砲術学校にて訓練し、通称「横三特」、横須賀鎮守府第三特別陸戦隊に入ったそうです。横三特の福見部隊は、昭和17年(1942年)2月20日チモール島クーパンに降下していますが、父は、横一特のセレベス島メナド降下にも参加したと言っていました。その後は、ニューギニア、ガダルカナルに行ったそうですが、約70年前の記憶をたどるには、ゆっくり聞き取り調査をしないと難しそうなので、私のほうで勉強しておく必要がありますね。横須賀鎮守府第一特別陸戦隊、「横一特」の堀内豊秋中佐に関しては、大変詳しいサイトがあります。「NPOマナドネットジャパン」の中の<トアン、ホリウチと呼ばれた男>以下かなりのボリュウムで掲載されておりますので、興味のある方は是非読んでみて下さい。さて、館山戦争遺跡ツアーです。 「海軍落下傘部隊の碑」を後にして、海上自衛隊館山航空基地の庁舎前で、記念撮影。 ここは、館山海軍航空基地本部庁舎をそのまま使っているそうです。空襲も受けた所です。館山海軍本部庁舎 (南房総データベースよりお借りしました)そして、あまり知られていない「海軍落下傘部隊訓練用プール」へ周りに柵があって、近づけないのですが、脇の道路からとった写真。 そして、ぐるっと廻って別荘が建ち並ぶ小高い丘からの写真がこちら。 今は崩れてないのですが、もともとはプールの横には飛び込み用の塔があり、隊員達は一番恐怖があるという20メートルからプールに突き落とされ、落下傘の訓練をしたそうです。手前がかなり深くなってますよね。このプールは、保存があやうくなっているらしいのです。館山市で、是非ともしっかり保存して、ここで訓練して戦地へ向かった兵隊さんの事を、語り継いでいってほしいです。NPO安房文化遺産フォーラムの皆様、保存運動応援していますので頑張って下さい!今日はここまで・・・。
2009.01.23
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。実父、秋山巌から「館山の海軍落下傘部隊の碑に、わしの名前が入っているよ」と聞いていた私は、父が元気なうちに確かめておきたいと思いました。私が小さな頃、落下傘部隊が降下しているアルバム?のようなものを見ながら、父の話を聞いていた記憶があるのです。旧友の恵美子ちゃんは、本当によく調べておいてくれました。それもそのはず、彼女は館山の戦争遺跡を含む文化遺産を保存・活用する「NPO法人 安房文化遺産フォーラム」の役員だったのです。9日(金)の朝9時から恵美子ちゃんと待ち合わせて、まずは海上自衛隊館山航空基地内にある「海軍落下傘部隊の碑」へ。東京では初雪が降ったこの日、館山でも冷たい雨が降る中、自衛隊の方の案内で私達は落下傘をモチーフにした碑の前に立ちました。すぐさま、碑の裏にまわって「秋山巌」の名前を探すと・・・ ありました!この碑の説明もあります。 海軍落下傘部隊発祥の地碑の説明 海軍落下傘部隊はこの地、館山航空隊に於いて幾多の犠牲を顧みず激しい訓練を重ね、昭和十六年十一月下旬当地を移動、大東亜戦争に参加。 横須賀鎮守府第一特別陸戦隊は、昭和十七年一月十一日セレベス島のメナード。 横須賀鎮守府第三特別陸戦隊は、昭和十七年二月二十日チモール島のクーパンの各攻略戦に参加、奇襲降下に成功して多大な戦果をあげ、その武勲顕著なるを以て、時の連合艦隊司令長官山本五十六大将より感状を授与された。その蔭には多くの戦友が犠牲となった。ここに当時を偲び、思い出の地を落下傘部隊発祥の地として、永く後世に伝えると共に、再び戦争を繰り返すことのないよう永遠の平和を願い、有志の方々の、ご協力により記念碑を建立した。平成五年十一月吉日 落下傘会員の詩館山戦跡ツアーは、まだまだ続きます・・・。
2009.01.18
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。先週、愛車のランドローバーディスカバリー1のオイル漏れが見つかり、近所のショップで応急処置をして、本格的に専門ショップで見てもらうことになりました。動かなくなってしまったら、修理にとんでもない経費がかかってしまうので、以前にも見てもらっている千葉県の印西市にある「マイスター」さんにお願いする事にしました。車で千葉まで行くのだったら・・・館山まで見に行ってしまおうかしら?ふっ・・・と思ってしまったのです。父から聞いている、あの「碑」を確かめに・・・。確か、館山には恵美子ちゃんがいたはず・・・と、過去のメールを検索してみると、ちゃんと連絡先が書いてありました!「恵美子ちゃん?久しぶり! 実はね、父から聞いたんだけど・・・中略・・・その碑を確認したいの」「わかった、調べてみるわね!」彼女からは、本当に的確な返事がメールで届きました。さすが恵美子ちゃんです!『 珠実さま久しぶりのご連絡をありがとうございました。お父さんの言ってる碑はどっちかなあ。。。1,館山海上自衛隊の基地内にある記念碑これはパラシュートの形をしたモニュメントですが、説明文によると、遺族有志が建てたって書いてあるね。2,安房神社の境内にも、落下傘部隊の慰霊碑があるので、そっちかもしれない。。。もし自衛隊のほうなら、事前に見学申請を提出して許可を得なければなりません。申請書は以下より。同行者も、住所・氏名・年齢・職業などを一覧にして添付が必要です。現在の自衛隊は、旧・館山海軍航空隊。隣接して、旧・洲ノ埼海軍航空隊。ちょっと離れた旧・館山砲術学校で、海軍初の落下傘部隊が編成されました。今も、落下傘訓練プールが残っています。当時は、全国から筋骨隆々の猛者が集められたそうです。できれば、お父さんの軍歴も確認しておいてください。お宿は、ほどほどの良さなら「いこいの村」がオススメです。リーズナブルのお勧めは「幸田旅館」。ところで、お父さん棟方志功のお弟子さんというのは知ってたけど、プロフィールを見ると、坂本繁二郎にも師事してるのね!さっき、青木繁の話をしたけれど、≪海の幸≫を描いたとき、坂本繁二郎も館山に同行してるのよね。さらに、青木繁の記念碑は、坂本繁二郎が建立発起人の一人です。私たちはこの保存運動もしています。http://aoki-shigeru.awa.jp/なんか、天の采配を感じますね。それでは、ご連絡をお待ちしています。』まさに、天の采配でございました。お宿は「幸田旅館」を予約して、館山に向かったのは先週の8日(金)です。会うのは10年ぶりなのに、変わらない恵美子ちゃんでした。女将が素晴らしいのよ、とお勧めの「幸田旅館」さん、創業100年の感謝企画で、もともとリーズナブルなのに、さらにお安くなって一泊二食付で、5,250円!恵美子ちゃんは、夫とも旧知の仲だったので、あっという間に楽しい時間が過ぎて行きました。恵美子ちゃんと私私達夫婦の後ろは女将くじら料理も出て、館山ならではお料理とお酒を堪能し、お風呂に入ってバタンキューでしたが、 翌日の館山戦争遺跡ツアーが、こんなに強烈な出来事として、私の人生に刻まれるとはこの夜、思いもしませんでした。
2009.01.16
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。毎年恒例となりました伊勢丹松戸店での個展開催中です。 最新作発表 秋山巌・豊英 木版画展1月14日(水)~20日(火) (最終日4時終了) 伊勢丹松戸店 本館9階 美術画廊父・巌氏のモノクロの世界、息子・豊英氏の多色摺りの世界が対照的な親子の二人展を開催。巌氏の描く山頭火や菩薩・フクロウ、豊英氏の描くユニークな動物たちなど、30余点の作品を展示販売いたします。作家来展 各日1時~5時(最終日4時終了)秋山巌氏は、1月17日(土)18日(日)の来展となります。以上、伊勢丹案内より抜粋。 お近くの方は是非ご高覧下さい。
2009.01.14
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。昨年、ブログで何度も書いた、大ファンの「我武者羅應援團」が、本日NHKに出演しちゃいました! めでたい!!!NHK『ゆうどきネットワーク』で17:20~約15分も出演しました!昨年の活動を密着取材した時の様子が流れ、その後、な・な・なんと生出演!我武者羅應援團の皆様、しっかり録画しましたよ。ますますのご活躍を期待しています。※我武者羅應援團は、やっぱりライブが最高です。 CDも号泣ものです。※1月12日の成人の日には、渋谷に出没するそうです♪ HPでチェックしてね。
2009.01.07
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。お客様のKさんに、先月に引き続き、今月もお花を生けていただきました。お正月にふさわしいお花です。今月もありがとうございました。お花が完成したあと、Eさんの差し入れの船橋やのシュークリームで、楽しいひとときを過ごしました。
2009.01.06
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。山頭火の1月の句の中から、実父で木版画家の秋山巌が、木版画「山頭火シリーズ」で発表している作品を抜粋しました。山頭火の句作年月日、句。秋山巌の作品番号・タイトル・版画のサイズの順です。見てみたい作品がございましたら、遠慮なくメールくださいませ。 山頭火 1月(睦月)の句昭和5年1月 「涸れきった川を渡る」 212 川を渡る 半切 「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」 230 捨てきれない 半切 昭和6年1月10日 「ヤスかヤスかサムかサムか雪雪」 安 寒 15 安か安か 太子 7年1月8日 「鉄鉢の中へも霰」 76 あられ(絶版) 半切 308 あられ 特寸 1月24日 「朝凪の島を二つおく」 267 朝凪の島 全紙 「黒髪の長さを潮風にまかし」 83 潮風にまかし 半切 8年1月22日 「雪空から最後の一つをもぐ」 22 一つをもぐ 太子 1月27日 「雪ふるひとりひとりゆく」 237 一人一人ゆく 半切 「大きな雪がふりだして一人」 829 大きな雪 太子 1月28日 「ひとり雪みる酒のこぼれる」 139 ひとり雪見る 半切 昭和10年1月11日 「おわかれの酒のんで枯草に寝ころんで」 121 枯草に寝ころんだ(絶版)半切 「時間、空間、この木ここに枯れた」 156 時間空間 半切 1月18日 「おもひでがそれからそれへ晩酌一本」 新作 晩酌一本 インチ 「ひっそり暮らせばみそさざい」 838 みそさざい 半切 1月31日 「ふるっくふうふういつまでうたふ」 783 いつまでうたう 四つ 12年1月1日 「ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で」 39 着ぶくれ 半切 1月25日 「月が酒がからだいっぱいのよろこび」 115 よろこびいっぱい(絶版) 半切※参考資料 春陽堂「山頭火の本」1~14巻 春陽堂 山頭火百二十句「道の空」 村上護
2009.01.02
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。新年、明けましておめでとうございます。今年は、ギャラリー馬美の15周年に加え、秋山巌先生が米寿となる節目の年です。皆様に喜んでいたでけるような企画をあれこれ考え中です。今年も、どうぞ宜しくお願い致します。
2009.01.01
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