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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌版画集「さかしまに」におさめられている作品を1点ずつご紹介します。秋山巌「奉る」1981年占領地区の牡蠣を将軍に奉る 三鬼西東三鬼 の句をモチーフにした作品は、他に2点。兵を乗せ黄土の起伏死面なす 三鬼機関銃翔けり短き兵を射つ 三鬼昭和15年(1940年)8月31日、西東三鬼は、大田区大森北一丁目の自宅で検挙されたそうです。今日の馬込文学「機関銃眉間ニ赤キ花ガ咲ク」より神戸のお話は読んでみたい本
2020.08.31
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌版画集「さかしまに」におさめられている作品を1点ずつご紹介します。秋山巌「丘で見た」1981年銃後といふ不思議な街を丘で見た 白泉渡辺白泉 の句をモチーフにした作品は、他に2点。戦争はうるさしけむし叫びたし 白泉戦争が廊下の奥に立ってゐた 白泉秋山巌は、昭和16年(1941年)20歳で志願し佐世保海兵団に入団しています。渡邊白泉は、昭和19年(1944年)応召にて横須賀海兵団に入団。1913年生まれなので、31歳で軍隊生活、翌年敗戦となりますね。玉音を理解せし者前に出よ 白泉強烈な一句です。背景を知ると、より作品から伝わるものがあると思います。白泉お勧めはこちら ↓「疾走する俳句」白泉句集を読む中村裕 著 春陽堂
2020.08.31
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌版画集「さかしまに」におさめられている作品は8点。◆銃後といふ不思議な街を丘で見た 白泉渡辺白泉(わたなべ はくせん)秋山巌の木版画「丘で見た」◆占領地区の牡蠣を将軍に奉る 三鬼西東三鬼(さいとう さんき)秋山巌の木版画「奉る」◆母の手に英霊ふるえをり鉄路 窓秋高屋窓秋(たかや そうしゅう)秋山巌の木版画「母の手に」◆戦争はうるさしけむし叫びたし 白泉渡辺白泉秋山巌の木版画「叫びたし」◆大砲が大きな口をあけて俺に向いている初刷 一石路栗林一石路(くりばやし いっせきろ)秋山巌の木版画「初刷」◆兵を乗せ黄土の起伏死面なす 三鬼西東三鬼秋山巌の木版画「兵を」◆機関銃翔けり短き兵を射つ 三鬼西東三鬼秋山巌の木版画「兵を」◆戦争が廊下の奥に立ってゐた 白泉渡辺白泉秋山巌の木版画「戦争が」1点1点、胸に迫るものがある作品集。美術評論家 植村鷹千代氏の紹介文を一部抜粋します。「秋山巌の版画前述のように、仏教哲学の系脈を精神の武器とし、秀れた木版技術の上に、油絵の修練と素養をもつ作家だけに、秋山スタイルは、このシリーズで、また新しい展開をみせている。(中略)作者特有の切れ味のよさが知的なユーモアや諷刺の形で版画に結集し、小説への感動にやはり見事にこたえている。美術評論家 植村鷹千代」五木寛之著「さかしまに」文庫お勧め最安です ↓ #さかしまに#新興俳句 #銃後俳句#プロレタリア俳句
2020.08.30
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌版画集「さかしまに」をご紹介。1981年(昭和56年)発表の木版画シリーズ 五木寛之氏の“新興俳句弾圧事件 ”を題材にした小説「さかしまに」に感動し、自分なりの答えを板に刻んだ木版画シリーズです。高島忠夫さんの紹介文1981年(昭和56年)作品が8点、限定150部で12万円。コレクターの皆様、どうぞご参考に。百鬼夜行の時代平安のむかし、衆生は百鬼の夜行怯え恐れて、夜になると口々に“南無や帰依仏、南無や帰依法、南無や帰依僧 ”と三帰回文を唱え無事平穏な暁を待った、と「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」にみえます。“新生俳句弾圧事件”があった頃の日本は、まさしく昭和の百鬼夜行時代であったと思います。五木寛之さんの作品に感動し、私は私なりの抵抗の賦を板に刻みました。大賢大愚諸々のご批判を仰ぎます。合掌 昭和56年 水無月 秋山巌※新生俳句弾圧事件=新興俳句弾圧事件※三帰回文⇒三帰依文(さんきえもん)か、不明美術評論家 植村鷹千代氏の紹介文作品は次回へ。
2020.08.29
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。けふはわかれのへちまがぶらり 山頭火昭和7年(1932年)8月27日山頭火 行乞記より『八月廿七日 樹明居。 晴、残暑のきびしさ、退去のみじめさ。 百日の滞在が倦怠となつたゞけだ、生きることのむつかしさを今更のやうに教へられたゞけだ、世間といふものがどんなに意地悪いかを如実に見せつけられたゞけだつた、とにかく、事こゝに到つては万事休す、去る外ない。けふはおわかれのへちまがぶらり(留別)これは無論、私の作、次の句は玉泉老人から、道芝もうなだれてゐる今朝の露正さん(宿の次男坊)がいろ/\と心配してくれる(彼も酒好きの酒飲みだから)、私の立場なり心持なりが多少解るのだ、荷造りして駅まで持つて来てくれた、五十銭玉一つを煙草代として無理に握らせる、私としても川棚で好意を持つたのは彼と真道さんだけ。 午後二時四十七分、川棚温泉よ、左様なら! 川棚温泉のよいところも、わるいところも味はつた、川棚の人間が『狡猾な田舎者』であることも知つた。 山もよい、温泉もわるくないけれど、人間がいけない! 立つ鳥は跡を濁さないといふ、来た時よりも去る時がむつかしい(生れるよりも死ぬる方がむつかしいやうに)、幸にして、私は跡を濁さなかつたつもりだ、むしろ、来た時の濁りを澄ませて去つたやうだ。 T惣代を通して、地代として、金壱円だけ妙青寺へ寄附した(賃貸借地料としてはお互に困るから)。・ふるさとちかい空から煤ふる(再録) □ この土(ツチ)のすゞしい風にうつりきて(小郡)小郡へ着いたのが七時前、樹明居へは遠慮して安宿に泊る、呂竹さんに頼んで樹明兄に私の来訪を知らせて貰ふ、樹明兄さつそ来(マヽ)て下さる、いつしよに冬村居の青年会へ行く、雑談しばらく、それからとう/\樹明居の厄介になつた。』おわかれはさみしいですね。この句の作品はあるのですが、写真が良くなかったので、また追加でアップ出来たら更新します。今日は、曇り空なのに蒸し暑く、フェーン現象だったのかな。夕方のゲリラ豪雨で、夜中は涼しくなりました。
2020.08.27
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「一人となれば」1996年、秋山巌75歳時の作品です。そういえば、先生は夏になると風邪をひいていました。浴衣地のシャツ、お昼寝、懐かしい姿、思い出します。一人となればつくつくぼうし 山頭火昭和7年(1932年)8月25日この日の山頭火 行乞記『八月廿五日 朝の散歩、そして朝の対酌、いゝですね! 彼は帰る、私に小遣までくれて帰る、逢へば別れるのだ、逢うてうれしや別れのつらさだ、早く、一刻も早く、奥さんのふところに、子供の手にかへれ。 自動車――バスはいやなものだよ、ゆれるばかりで、さうだ、ゆれるばかりだ。 朝の散歩で摘んできたのは毒薬草だつた、ウツグサとかいふのださうな、毒か薬か、毒即薬だ。 一人となればつくつくぼうし □ ・若葉に若葉がかさなつた(酒壺洞第二世出生)残暑といふものを知つた、いや味つた。アキアツクケツアンノカネヲマツ (秋暑く結庵の金を待つ)緑平老へ電報夕方、S氏を訪ねる、これで三回も足を運んだのである、そして土地借入の保證を懇願したのである、そしてまた拒絶を戴いたのである、彼は世間慣れがしてゐるだけに、言葉も態度も堂に入つてゐる、かういふ人と対座対談してゐると、いかにも私といふ人間が、世間人として練れてゐないかゞよく解る、無理矢理に押しつける訳に行かないから、失望と反抗とを持つて戻つた。 夜、Kさんに前後左右の事情を話して、此場合何か便法はあるまいかと相談したけれど乗つてくれない(彼も亦、一種の変屈人である)。 茶碗酒を二三杯ひつかけて寝た。』翌日には、「いよ/\決心した、私は文字通りに足元から鳥が立つやうに、川棚をひきあげるのだ、さうするより外ないから。……」と書いています。一人となればつくつくぼうしつくつくぼうしの鳴き声を聞くと、さみしくなりますね。
2020.08.25
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。ゲリラ豪雨で雷がゴロゴロ、長野県小諸市で農作業中に雷に打たれ、外国人の方が亡くなったそうです。雷を侮ってはいけません、気をつけましょうね。秋山巌の作品にも、雷様がけっこうあります。今日はユニークな2点をご紹介します。「鬼のねんぶつ」1983年【鬼の念仏】は、大津絵(滋賀県大津市の民俗絵画)の代表的な画題です。片方の角が折れた鬼が僧衣を着て、首から鉦(かね)を下げ、撞木(しゅもく)で打ちつつ、奉加帳(ほうがちょう)持って行乞している姿。【鬼の空念仏】とも云われ、冷酷で残忍な者が、表面だけ慈悲深いように取り繕ったりすることのたとえです。角が折れているのは、「鬼も角折る」ということわざから来ているそうです。鬼のような悪人でも、なにかのきっかけで善人に変わることのたとえです。この絵を貼っておくと、子供の夜泣きが止まるという言い伝えもあったそうです。秋山巌の版画になると、鬼も可愛いですね。秋山巌「かっぽれ」1983年鬼どん念仏和尚はカッポレ いわをもう、こちらは「カッポレカッポレ!」と唄って踊るしかなさそうです♪和尚さんの後ろ姿がなんともいえません。
2020.08.24
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。2020年(令和2年)8月19日、種田山頭火顕彰会 代表の窪田耕二さんが逝去されました。長年、山頭火の顕彰に取り組んでこられ、秋山巌もお世話になりました。山頭火ふるさと館の完成には、窪田さんも多大な貢献をされたと思います。10月7日にやっと記念館がオープンしました pic.twitter.com/5TGwd6xKKN— 窪田耕二 (@kubotakou) October 30, 2017窪田さんのフェイスブックでのお知らせ『いつもFBFの皆様には、大変お世話になっております。父 窪田耕二儀かねてより病気療養中ではございましたが、令和2年8月19日、急逝いたしました。生前のご厚誼に心より御礼申し上げます。葬儀の日程につきましては下記の通りです。会場:シティホール防府防府市八王子1-4-62通夜祭:20日(木)18:00~神葬祭:21日(金)10:00~喪主:窪田真人(長男)時節柄、葬儀は家族葬で執り行う予定としておりますので、参列はご遠慮いただきますようお願いいたします。(誠に申し訳ありませんが、特に、県外からのご参列につきましては、ご遠慮ください。)またご会葬の際には、マスクの着用や、距離をおとりいただく等、感染予防へのご協力をお願いします。子ども一同』来年、山頭火ふるさと館での企画展のお話があり、療養中の窪田さんに、メッセージを送っていましたが、お返事がなかったので、心配しておりました。まだまだ早い、とても残念に思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2020.08.19
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。虫が鳴く一人になりきった 山頭火昭和7年8月16日の句山頭火の日記 行乞記より八月十六日 いよ/\秋だ、友はまだ来てくれない、私はいはゆる『昏沈』の状態に陥りつゝあるやうだ。 待つてゐる物が――それがなければ造庵にとりかゝれない物が来ない。 今日もやつぱり待ちぼけだつたのか。・虫が鳴く一人になりきつた ・けさも青柿一つ落ちてゐて今日も酷暑でしたね。お風呂の残り湯で打ち水しても、焼け石に・・・状態でした。どうぞ熱中症にも気をつけてお過ごし下さい。大丸東京の個展はまもなく19日からです。
2020.08.16
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。敗戦から75年。父、秋山巌に言わせると「惨敗忌」だそうです。写真は、母が書いた慰問文が父に届き、母に会いに来た時のものです。慰問文は、女学生みんな書かされたそうですが、母のところには、父以外にも逢いに来た方がいたそうです。昭和18年(1943年)サイパンへ進出する前、館砲時代に合いに行ったのでしょうか。貴重な写真が貼ってある古いアルバム、大切な記憶をきちんと記録したいけれど、さて、どうしたものか。。。75年前、捕虜となり、占領軍の施設作りに動員され、ラバウルからの復員船に乗り、帰国したのは昭和21年(1946年)5月。それから、再び母に会いに来たのは2年後の昭和23年(1948年)です。(九州から逢いに来たのですヨ!)とうとう、慰問文がきっかけで、結ばれてしまいました。この話をすると、母は、いつももう一人の逢いに来た人の話を付け加えます。他にも好意をもっていた先生がいたそうです。父に、押し切られてしまったんですね。圧迫骨折で入院中の母、もっと話を聞いておきたいから、回復を祈ります。
2020.08.15
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。古い写真、裏には「1968年初夏」と書いてあります。初個展? コラージュ作品ですね。夏のお着物の母。今月が誕生日なのですが、圧迫骨折で入院してしまいました。3回目。。。コロナ禍で面会はできません。売れない絵描きをずっと支えてきた母。秋山巌生誕100年、一緒にお祝い出来るように天からエネルギー送って下さいね、お父さん!!
2020.08.08
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。8/19~大丸東京店の個展ご案内です。~自然と向き合い語り続ける~秋山巌・豊英 木版画 二人展会期:2020年8月19日(水)~25日(火) 10時~20時 ※最終日は17時閉場会場:大丸東京店 10階美術画廊木版一筋に自然と向き合い、天命93年の生涯を全うされた故・秋山巌氏と、父に師事した豊英氏の親子による個性豊かな木版画展。素朴でかつ遊び心溢れる作品の数々をこの機会にお楽しみくださいませ。板画・山頭火もまだまだ販売中!板画・山頭火/秋山巌
2020.08.06
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(NPO安房文化遺産フォーラムのお便りより)秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。館山まるごと博物館展のご案内です。秋山巌の作品も展示されます。海軍落下傘部隊に所属し、館山で訓練。館山海軍砲術学校での集合写真も展示予定。<戦後75年平和祈念>館山まるごと博物館展 入場無料会期:2020年8月8日(土)~30日(日)会場:渚の駅たてやまギャラリー 千葉県館山市館山1564−1以下、NPO安房文化遺産フォーラム お便りより赤山地下壕跡(館山市指定史跡)をはじめ館山の戦争遺跡は、平和学習の拠点として多くの方が来訪します。信州上田の戦没画学生慰霊美術館「無言館」でも、館山海軍砲術学校在籍者の作品があります。“鬼の館砲”と呼ばれた厳しい訓練の日々の中で、休日になると画学生は隣村の布良へ行き、美しい景観に癒やされ青木繁に思いを馳せ絵筆を執っていたかもしれません。終戦直後、館山は本土唯一「4日間」の直接軍政を敷かれました。古くから海路を通じて海洋世界と交流し「平和の文化」を培ってきた精神で、平和裡の戦後日本の創出に貢献しました。また風光明媚な景観は多くの画家に愛されました。青木繁の複製画とともに、平和を願う館山ゆかりの寺崎武男や秋山巌らの原画作品も展示します。
2020.08.05
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