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今日も、ギャラリーMamiではなくて、元【シアタースキャンダル】劇団員の秋山珠実です。先日は、シアタースキャンダル主催の玉井敬友さんの近況を書きましたが、今回は看板女優だった【高杉かほり】さんの事を書いておきますね。「昭和の不思議101」という雑誌で、高鳥都氏が4頁にわたり記事を書いています。鬼龍院花子を演じた女 高杉かほりそのはかなきアングラ女優人生(文・高鳥都)「鬼龍院花子の生涯」では、夏目雅子さんの「うちは 高知九反田の侠客 鬼政の娘じゃき・・ なめたら・・・なめたらいかんぜよ!!」という台詞がインパクトありすぎて、映画を見終わった後に、あれ?夏目雅子は花子じゃないのか?!って気がつく人も多かったのではないかと思います。記事では、高杉かほりさんが花子役に大抜擢された経緯や、シアタースキャンダルでの活躍がすばらしくまとめられています。セブンイレブンで販売していたのですが、もう在庫はなさそうですね。電子書籍版で読めますよ♪せっかくなので、玉井さんがお持ちの当時の雑誌から、高杉かほりさんをご紹介。記事中にも掲載されていますよ。「ジプシーローズ」シアタースキャンダルの稽古風景など。当時事務所のあった六本木界隈を走ったのです。「曽根崎心中」あ、そうそう、私も電話インタビューで少しお話させていただきました。「鬼龍院花子の生涯」花子役の人って誰?っていう人は是非に。他記事もなかなか昭和ですごい読み応えの雑誌です。ではこのへんで。
2020.12.19
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌の写真整理中に、見慣れない写真が1枚ありました。約57×87の小さな写真です。裏には、竹之助の父 秋山玄省の従兄島根(県知事?)丸山重俊と書かれています。この写真のように、アルバムから剥がしたと思われる写真がいっぱいあるのですが、誰なんだろう?とネット検索しましたら、ウィキペディアに【丸山重俊】が載っていました。秋山巌の父「秋山竹之助」は、明治27年(1894年)生まれ。戸籍に父親の名前は無く、「出生事項知ること能わざるにつきその記載省略」とあります。母親は「柴原ツイ」明治42年(1909年)竹之助15歳で、長崎県西彼杵郡小ヶ倉村「秋山玄省」と養子縁組しました。「秋山玄省」は、明治9年(1876年)生まれ。玄省は四男で、熊本から分家していています。明治45年(1912)3月22日 朝鮮京城?町1丁目1番地において死亡。その玄省の父が「秋山玄信」で、【丸山重俊】は従兄だというわけなのです。【丸山 重俊】安政2年(1856年)~明治44年(1911年)幕末の熊本藩士、明治期の検察官・警察官僚。官選島根県知事。旧名・一平私が興味深かったのは、「明治38年(1905年)2月、大韓帝国の招聘を受け警務顧問となり同国警察の近代化に尽力。統監府警視、同参与官を歴任するとともに、明治40年(1907年)8月、韓国警視庁警視総監に就任」した事。(調べすぎてまとまらないので、ここまでにしておきます)それで、この写真をみつけて「あっ!!」と繋がったのが、今年、秋山巌7回忌で分骨をしてきた、大分県竹田市「瀧上寺」さん。武家の方しかお墓を建てられないと聞いていました。ですので、武家の血筋なのだろうとは思っていましたが、父から直接聞いた事がなかったので、竹田の武家屋敷「五衛門谷」に祖母と住んでいたというのに、合点がいきました。また少し前進したと思いますが、各方面にご教示いただきながら、調査も進めていきます。
2020.12.15
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。 人生はかぎりなくたのし 貢秋山巌の木版画「たのし」1984年秋山巌 生誕100年2021年3月21日まで、あと100日!!早いですね、資料整理が追いつかない。。。「人生はかぎりなくたのし」この句というか言葉は、「貢」という方のものです。秋山巌にとって、先生だったか、先輩だったか、一度だけ聞いた事があるのですが、うろ覚え。。。(すみません)幼くして実母と死別、旅館で下働きと新聞配達、海軍に入り落下傘部隊、復員、警察官、そして、絵描きに。、生死を分ける体験も、度々あったでしょう。それでも「人生はかぎりなくたのし」として生きた93年だったと思います。昭和42年(1967年)1月16日岡安氏の個展にて愉しそうに飲んでますね、個展会場?いつでも、どこでも、こんなでした。
2020.12.11
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。今日12/3は、山頭火の誕生日です。 種田山頭火 明治15年(1882年)12月3日生まれ 生きていたら138歳! 種田竹治郎とフサの長男「種田正一」として、 山口県佐波郡西佐波令村第百三十六番屋敷(現・防府市八王子二丁目十三) に生まれる。 山頭火生誕の地の句碑の前では、「山頭火生誕祭」が行われ、献酒・献句が行われました。(写真は山頭火検定公式テキスト)春陽堂さんからは、「漫画 山頭火」が出るそうです。ふるさとで大切に語り継がれる、嬉しい事ですね。
2020.12.03
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。画像は、秋山巌の木版画「あくび猫」です。猫もいっしよに欠伸するのか 山頭火昭和5年(1930年)12月2日の山頭火は、前日に引き続き、後藤寺町の近藤次良氏宅に滞在中。 (秋山巌の木版画は「欠伸するか」となっていますが版画表現とご理解ください)以下、山頭火の日記 行乞記より十二月二日 曇、何をするでもなしに、次郎居滞在。毎朝、朝酒だ、次郎さんの厚意をありがたく受けてゐる、次郎さんを無理に行商へ出す、私一人猫一匹、しづかなことである、夜は大根膾をこしらへて飲む、そして遅くまで話す。 次郎居即事 朝の酒のあたゝかさが身ぬちをめぐる ひとりでゐて濃い茶をすゝる 物思ふ膝の上で寝る猫 寝てゐる猫の年とつてゐるかな 猫も鳴いて主人の帰りを待つてゐる 人声なつかしがる猫とをり 猫もいつしよに欠伸するのか 猫もさみしうて鳴いてからだすりよせる いつ戻つて来たか寝てゐる猫よ その樅の木したしう見あげては・なつかしくもきたない顔で 徹夜働らく響にさめて時雨 家賃もまだ払つてない家の客となつて・痒いところを掻く手があつた 機械と共に働らく外なし・機械まはれば私もまはる・機械動かなくなり私も動かない 人は動かない機械は動いてゐる・今夜のカルモチンが動く・投げ出された肉体があざわらつてゐる寸鶏頭君、元寛君に、先日来方々から寄せ書をしたが、感情を害しやしなかつたか知ら、あまりに安易に、自己陶酔的に書き捨てゝ、先方の感情を無視してゐた、慙愧々々。或る友に与へて、――私はいつまでも、また、どこまでも歩きつゞけるつもりで旅に出たが、思ひかへして、熊本の近在に文字通りの草庵を結ぶことに心を定めた、私は今、痛切に生存の矛盾、行乞の矛盾、句作の矛盾を感じてゐる、……私は今度といふ今度は、過去一切――精神的にも、物質的にも――を清算したい、いや、清算せずにはおかない、すべては過去を清算してからである、そこまでいつて、歩々到着が実現せられるのである、……自分自身で結んだ草庵ならば、あまり世間的交渉に煩はされないで、本来の愚を守ることが出来ると思ふ、……私は歩くに労れたといふよりも、生きるに労れたのではあるまいか、一歩は強く、そして一歩は弱く、前歩後歩のみだれるのをどうすることも出来ない。……この猫の句は、近藤次良さんのところの猫だったのですね。秋山巌の猫のモデルは、アトリエの近所の野良猫さんたちです。
2020.12.02
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。本日12月1日は、夫の誕生日でもあります。平日はお酒(アルコール)も飲まないので、今日は簡単にお祝い♪久しぶりに西宮の洋菓子名店「ケーキハウス・ツマガリ」のショートケーキ。関西人の夫は、お好み焼きも大事。クリスマスと一緒に、またしっかりお祝いします。
2020.12.01
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。あっという間に12月ですね!スーパーにパック餅が並んでいて、クリスマスを通り過ぎてお正月が迫って来ている感満載でした。画像は、秋山巌の木版画「朝酒したしう」です。朝酒したしう話しつゞけて 山頭火昭和5年(1930年)12月1日、福岡県田川後藤寺町の近藤次良氏宅に滞在中の句。(秋山巌の木版画は「話しつづける」となっていますが版画表現とご理解ください)以下、山頭火の日記 行乞記より十二月一日 曇、次郎居滞在、読書、句作、漫談、快飲、等々。 朝酒したしう話しつゞけて・落葉掃かない庭の持主である(次郎居)・撫でゝやれば鳴いてくれる猫( 〃 ) 猫はいつもの坐布団の上で・捨炭車ひとりで上下する月の捨炭山(改作)次郎さんは今日此頃たつた一人である、奥さんが子供みんな連れて、母さんのお見舞に行かれた留守宅である、私も一人だ、一人と一人とが飲みつゞけ話しつゞけたのだから愉快だ。猫が一匹飼うてある、きいといふ、駆け込み猫で、おとなしい猫だ、あまりおとなしいので低脳かと思つたら、鼠を捕ることはなか/\うまいさうな、能ある猫は爪をかくす、なるほどさうかも知れない。秋山巌生誕100年まであと100日ちょっと。日暮里の太平洋ギャラリーで企画展開催します。お楽しみに!
2020.12.01
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