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[1] 読書日記 乙一の「小生物語」を読んだことで、別の乙一作品を読みたくなった。 かって乙一にはまっていた頃の再燃とまではいかなかったが、これまで読み落としていた 作品を読む切っ掛けにはなった。 そのおかげで、ちょっと前に再読する機会があった尾関修一「麗しのシャーロットに捧ぐ ―ヴァーテックテイルズ」(富士見ミステリー文庫)が、乙一の某短編の流用であったこと に、今更ながら気づかされた。 世間様の判断は知らないが、こと自分に関していえば、この流用はかなりアウトの部類に 入ってしまう。 まんま設定を使っていることを考えれば、意図的なオマージュと取れないこともないが、 作者自身が「あとがき」において井上雅彦の作品からの影響を言及している以上、同様に 「設定をまるまる借用しました」との言及はあって良いように思う。 それに、この作品が新人賞の応募作と考えれば、自分のオリジナルアイデアで勝負すべき だったのではないかとも思う。 そして他にも色々と思うことはあるのだが、以下割愛。 少なくとも自分の中で「麗しのシャーロットに捧ぐ」の株が大幅下落したことだけは、 確実である。 今回改めて、先行作品からの影響も知らずに本の評価をしてしまうことの難しさ、危うさ というものを、思い知らされた。 それを無視して評価することも可能なのかもしれないが、自分にはできない。 小生今後、無責任な本の評価を控えたいと思う。
2007年12月17日
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[1] 読書日記 昔、知り合いが「安部公房と伊坂幸太郎の違いは、以後新作が読めるかどうかだ」という 名言を吐いていたが、これは安部公房を読み尽くした読者であるから言えることであって、 後発のファンにとっては関係のない話である。 北森鴻 「緋友禅―旗師・冬狐堂」(文春文庫) 読了。 新作を待たずとも、このシリーズの作品が、この作者の未読の作品が、まだまだ自分には ある。 幸せである。 旗師(店舗を持たない骨董屋)・冬狐堂こと宇佐美陶子が関わる(巻き込まれる)、骨董 絡みの4つの事件を扱った短・中篇の作品集。 本格ミステリ。
2007年11月28日
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[2] 読書日記 自分にとっては、まさしく帯の謳い文句通りの<待望の単行本化!!>。 これほどまでに、1巻が出るのを待ちわびた漫画も久しくなかった。 くらもちふさこ 「駅から5分」<1>(集英社クイーンズコミックス) 次号から「コーラス」での連載も再開されるようで嬉しいが、とりあえず次の単行本分の 話がまとまるまでは中断することなく続けて欲しい、というのがいちファンとしての率直な 思い。 そういえば映画に合わせて、「コーラス」誌上において発表された、同作者の「天然コケ ッコー」はどういう形で単行本化されるのであろうか。 ちなみに「チープスリル」という作品でこの作者にはまり、今でも手の届く範囲に常時、 置いている。
2007年11月19日
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[1] 読書日記 最近、読み終わった本を片っ端からダンボールに放り込んでいるのだが、ごく稀に手元に 残しておいて、時々読み返したくなるような本に出会う。 そんな本はダンボール行きの変わりに、読後本ばかりを集めた本棚か、今こうしてパソコ ンを使っていても手の届く位置にあるカラーボックスのどちらかに、置かれることになる。 言うまでも無く後者が、前者より一層の、自分のお気に入りの書架である。 そこに新たな本が一冊加わることとなった。 エッセイ本では、初である。 米原万里 「魔女の1ダース」(新潮文庫) を読了。 <同一の事象や現象が、視点を違えるだけで全く別なものに見えてきたり、同一の単語 や語句が、文化的歴史的背景や身分階級時代など、置かれた文脈によって思いがけな い意味をおびたり> <ある国や、ある文化圏で絶対的と思われてきた「正義」や「常識」が、異文化の発想 法や価値観の光を当てられた途端に、あるいは時間的経過とともにその文化圏そのも のが変容を遂げたせいで、もろくも崩れさる現場に何度立ち会ってきたことだろう> といった事を扱った、通訳を生業とする著者の手によるエッセイである。 <「絶対絶対なんていうけど、物事に絶対なんてことは絶対にないんだからね」> これは著者である米原女史が、通訳術の師として仰ぐ中川研一氏の発言を、本書の中で 名言として取り上げているものであるが、まさしくこれが本書を貫くテーマである。 本書の内容については、彼女がもう一方の師と仰ぐ徳永晴美氏が、本書巻末で書いている 解説に詳しい。 <期待どおり本編でもシモネタが豊富。(中略)それらが哲学、言語学、心理学、文化 人類学的な文脈で顔を出し、「常識」に冷や水を浴びせる。 他方、通訳、異文化コミュニケーション論、IMF・ロシア・国際経済論、人類史、 宗教、文学、読書、教育、ハンサム、恋愛論、アリストテレス以来の政治学など、目 が回るほどのテーマ展開で、逆転の発想を披露する。宝石箱と汲み取り式便槽の中身 を一挙にブチマケタような、おぞましい知の万華鏡の世界だが、恐れてはならない> (※上記、「(中略)」は筆者による。このブログ上にて使用不可能な文字を含んでい た為に、徳永氏には失礼かとも思いますが、削らせていただきました。) 本書の中で、<情報の送り手と受け手が相対峙するのではなく、同じ方向を向いていると いう関係>という言葉が出てくる。これは、エッセイにしても当てはまることではないだろ うか。この<同じ方向を向いているという関係>的な、同じ感覚を共有していることの再確 認みたいな内容よりも、やはり<相対峙する>内容であった方が読んでいて楽しい。そして 本書は、まさにその好例ともいえる本である。 更に、随所に散りばめられているエピソードは、日常会話の中で話のネタとして使えるこ とも、請け合いである。
2007年11月19日
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[1] 読書日記 「青空の卵」から始まる鳥井(探偵役)&坂木(ワトスン役)の「ひきこもり探偵」シリ ーズ三部作の完結編、 坂木司 「動物園の鳥」(創元推理文庫) を読了。 ミステリ(日常の謎)。 シリーズ初の長編(中篇?)。 <「そして、お前の行動には必ず大義名分が、つまり言い訳がついている。 みんなが行くから、みんなのためだから、有名なところにはみんなに支持される だけの価値があるから、お前を見ていると終始そう叫んでいるようだった」 自分が行きたいところを、自分で選ぶ。至極当たり前のことなのに、それができ ないのはなぜなんだろう。> 最後は必ず、人の心の問題へと着地するのが、本シリーズの特徴。 本作品でも、野良猫の虐待事件に端を発し、最終的には加害者、傍観者、そしてシリーズ 全体に深く係わってきた登場人物たちの「心」の中へと、「問題」の解決へ向けて踏み込ん でいく。 小説の価値を、プラグマティズムに判断するのもいかがなものかとは思うけども、下手な 新書本を読むよりも、対人関係の処方箋としては、本シリーズが何十倍も役に立ちそう。 今ブログを見直してみたら、面白かった先の二作品(「青空の卵」,「仔羊の巣」)のレ ビューを書いてから、ひと月以上も経過していた。 日々、物語を大量消費する毎日を送っているにもかかわらず、少しでも終わってしまうの を先延ばしにしたい、と思ってしまう作品を未だ自分が抱えていたことに、驚いた。
2007年11月15日
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[1] 読書日記 最近、友人が米澤穂信の「インシテミル」を読んだというのを聞いて、自分が読み終わっ た時に、ディクスン・カーの「緑のカプセルの謎」を読もう読もう、と思っていたことを思 い出した(「インシテミル」の作中に、同作品名が登場する)。 なので、 ジョン・ディクスン・カー 「三つの棺」(ハヤカワ・ミステリ文庫) を読了(再読)。 「緑のカプセルの謎」は、持ってるはずなんだけども、見つけられなかったので。 同じフェル博士ものをば。 有栖川有栖いわく、<本書を読まずして密室ものを語るのは、「スター・ウォーズ」を観 ずにSF映画を語るに等しい>(『有栖川有栖の密室大図鑑』(現代書林)より)。 ダグラス・G・グリーンは、<結末がわかっていても再読に耐え、同じように、いや前よ り楽しめる、探偵小説では稀有な作品である>(『ジョン・ディクスン・カー 奇蹟を解く 男』(国書刊行会)より)と評価する作品。 魅力的な「謎」を残す、二つの事件。 被害者だけを残し、密室から消えてしまった殺人犯。 目撃者のいる袋小路の真ん中から、誰にも姿を見られることなく消えた殺人犯。 雪が積もる二つの現場において、犯人の足跡は全く残されていない。 系統的な発展を続け、数多なミステリが量産され続ける現代にあってなお、本書の中の「密室講義」(有名!)の歴史的価値や、ミステリ読みとしての通過儀礼的な意味を超えて、 面白く、楽しめる作品。
2007年11月14日
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[1] 読書日記 今まで「唇を閉ざせ」や「ノー・セカンドチャンス」といったノンシリーズものは読んで いたが、この作者のシリーズ作品を読むのは初めて。 ハーラン・コーベン 「沈黙のメッセージ」(ハヤカワ・ミステリ文庫) を読了。 ミステリ。 ハードボイルド。サスペンス。謎解き部は本格を装備。 「マイロン・ポライター・シリーズ」第一作。 【概要】 マイロンはスポーツ・エージェント。彼は現在、未来を嘱望される大型新人のフットボー ル選手クリスチャンの契約交渉を行っている。しかし過去に例を見ない契約金を前に、交渉 は難航し、オーナーはクリスチャンの恋人の失踪事件に、クリスチャンが関与している疑い を指摘し、契約金の値下げを要求する。時同じくして、一年前に行方不明になっていた恋人 のヌード写真が載っている雑誌がクリスチャンの元に届けられ、その恋人の父親が数日前に 何者かに殺されていることをマイロンは知る。マイロンとその事務所の仲間たちは、ことの 真相を突きとめる為の調査に乗り出す。 【感想】 ハーラン・コーベンの作品らしい、途中下車不可のジェットコースターのような作品。 展開もさることながら、ウィットに富んだ文章おかげで、飽きずに一気に読める。 どんでん返し的な、意外な真相も、期待を裏切らない。 マイロンの仲間たちをはじめとした登場人物たちも皆魅力的で、キャラクター小説として 読むことも可能。主人公のマイロンにしても、元バスケのプロ選手でありながら、マッチョ でも無ければ、タフガイでもないのも、個人的に高感度が高い。 ただ、出だし数ページが、契約交渉シーンの描写なので、物語に早く入りたい読者や、そ の手の交渉やスポーツにまるで興味がない人には、多少の我慢を強いるか。
2007年11月07日
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[1] 読書日記 プロ野球は、好きでも嫌いでもない。 (と言うより、競馬以外のプロスポーツ全般に興味がない) ましてや、メジャーリーグなんて! という、普段テレビをあまり観ない生活の中でも、 絶対観ないのがスポーツニュースという日々を送っている身ではあるが、 <メジャーリーグの球団アスレチックスの年俸トータルはヤンキースの3分の1でしか ないのに、成績はほぼ同等> <球団経営陣のなかには、同じお金をかけながら、ほかの人たちより勝利を手にするこ とが上手な人たちがいる> というアイデアをもとに書かれた、 マイケル・ルイス 「マネー・ボール」(ランダムハウス講談社) は、良かった。 野球ノン・フィクション。 アスレチックスのゼネラル・マネージャーであるビリー・ビーンの半生や考え方を中心に 描いた伝記。 長編小説家であり、評論家でもある丸谷才一が解説でも書いているように、 <多分これはかなり多くの読者によって、最高の野球ノン・フィクションと認められる はずのものだ。第一に題材がすばらしい。第二に書き方がうまい> メジャーリーグという世界に予備知識も無ければ、登場人物たちについても全く知らない けれども、同じく私が事前に知るはずもない、作家が想像力で産み出した剣と魔法の世界で あり、その住人たちの冒険譚を読むのと大差がない、面白く、興奮のある物語として読み進 めることができた。 ただ、やはり野球自体に対してそれほどの思い入れが無いために、途中、野球の描写部分 が長く続きすぎると、やはり集中力が切れ、ダレた部分はある。 そして、 <『マネー・ボール』はいろんな世界で応用がきく。科学者が読んでも頭が刺激される し、デザイナーが手に取つても参考になる。ましてや経済関係の人には非常に有効だ らう。マーク・ガンソンといふ銀行家はこの本を評して、「単にマイケル・ルイスの ベスト・ブックであるだけではなく、これまでに書かれた最上のビジネス・ブック」 と言つたさうだが、これは決して褒めすぎではない> 馬券ジャンキーの私も、確かに馬券戦術を考えるうえで学ぶべき点がある、と思いなが らページを捲っていた。 物語としての面白さと、実用書としての知的興奮を兼ね備えた本。 「あとがき」まで、読み物として楽しめる。
2007年11月06日
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[1] 読書日記 例えば、オポッサムという生き物。 <敵を察知すると死んだフリをするのだ。だが我々がクマに見つかったときにかますで あろう子供だましの死んだフリなどとは格が違う。悪臭のある唾液で漂わせる死臭、 うつろに開いた瞳、ぐったりとした肢体、かすかな痙攣とともに徐々に息絶えていく さまは、まさに迫真の死にっぷりで、猟犬がくわえて振り回しても正体を見せないと いうド根性をも見せてくれる> 「ガラスの仮面」も真っ青である。 早川いくを 「へんないきもの」(バジリコ) を読了。 世の中には、今まで見たこともないような生き物が多数存在している。 そんな生き物ばかりを集め、紹介している、タイトルまんまの名鑑。 素敵。 実物が見たくなる。 おやじギャグと紙一重なユーモアを発散させる文章ながら、読み進めるうちにその文章 さえ心地よくなってゆく。 折角なので、本書に出てくる生き物たちの、マイ「へんないきもの」ベスト3でも選び たかったのだが、どの生き物も甲乙つけがたく、すぐには決められなかった
2007年11月05日
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[1] 読書日記 勢古浩爾 「まれに見るバカ」(洋泉社新書y) を読了。 バカとは? <本書で「バカ」呼ばわりするバカは自分だけが後生大事の「自分」バカのことであ る。自分が正しいと信じて疑わぬバカ、自分から一ミリも外にでようとしないバカ、 恥を知らないバカ、自分で考えようとしないバカ、のことである> <バカになにをいっても無駄である。なぜなら、他人の言葉など右の耳から左の耳に 素通りしてこそバカだからである> <バカは当人のあらゆる細部に宿っていて、否応なく、無意識のうちに現れてしまう> <ひとはバカに生まれるのではない。バカになるのである。親子という縦の系列によっ てバカになり、友人・社会という横のつながりによってもバカになる> <わたしたちは、できることなら責任なんか負いたくない。他人のことの心配なんかま っぴらである。難しいことよりも易しいこと。苦しいことよりも楽しいこと。不自由 よりも自由。貧乏よりは裕福。まどろっこしいことよりはすぐに成果が見えること、 に流される。努力するのも金輪際イヤである。 これらの諸条件を満たすものは必然的にバカになる。自分中心主義で、モノを知らず に、自分の頭で考えることができない。考える努力もしない。だから、人に頼りたが り、人の責任にしたがる。このような意味において、人間はいとも容易くバカを志向 する> <バカになるのに訓練や努力はまったく必要ではない。欲望と感情だけがあれば十分 だ。そしてどんな人間も欲望と感情だけはもっているのである> <ひとは「バカ」といわれると無条件に腹が立つものである。名指しでいわれることは もとより、「女は」とか「若者は」と書くだけでもダメである> <テレビがテレビである以上、動きがなくてはならない。ラジオでも活字でもない。そ う、「動き」の意味を田原は知っているのである。テレビがバカでなくてはつとまら ない。筑紫哲也がおもしろくないのは、田原の「バカ」がないからであり、久米宏が おもしろくないのは、「バカ」を装って「バカ」に失敗しているからである> (田原 = 田原総一郎) <「おれってバカだなあ」「ほんと、わたしってバカなのよ」というのは態のいい免罪 符なのだ> → 同じカテゴリーとして ・「マジ」「やべえ」「テメエ」 <下品な言葉、がさつな言葉、過激な言葉を使える自分に、オレはただの ひ弱で品行方正の甘チャンじゃぁねえぜ、という自己陶酔があるのでは ないか> ・「バカばっかしやってますよ」 <自分はけちくさくない「まじめ」なんかじゃないと、周囲から認めても らいたいらしいのだ> ・「君はまじめなんだねぇ」 <いってる本人が他人に対してそう言うことで、「おれはまじめじゃない」 ということをしきりにアピールしたがっている> ・「自分らしく生きたい」 <世の大半の「自分らしく」派は、努力もせず困難も求めずいかなる向上心 もなく、ただ現在ある自分をそのまま認めてくれ、といっているだけ> <自分という個性はそのまま他人が認めるべきだ、と思っているらしい> <なんの影響であれ、バカになったのはだれでもない。自分である> <バカでない生き方や世界はこの社会や時代にもあるのに、そちらに見向きもせず、結 局、多数で、楽で、なんの努力もいらないバカの道を選んだのは、ほかならぬ、その 後生大事な「自分」なのだから> パフォーマティヴな本である。 でも笑える。 思想家やジャーナリストというよりは、書評家の作品。真面目に本を読み、人の話を聞い ていれば、自ずとこういう考えを持ち、こういうことを言いたいのもわかる。 ただ、ところどころ「?」と思うところがないでもないこともないというか、結構ある。 【本書で「バカ」として挙げられている著名人一覧】 宮台真司 小室直樹 寺脇研 渡部昇一 芹沢俊介 田嶋陽子 石原理沙 田原総一郎 三田誠広 佐高信 田中康夫 渡辺淳一 浅田彰 大橋巨泉 など
2007年11月01日
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[1] 読書日記 お酒で例えるならばカクテルのような、本であり、作家がいる。 書かれている内容は、アルコール度数としてヘビーなのに、飲み口が良いからついつい 飲んでしまう、そんな本であり、作家のことである。 大石圭 「殺人勤務医」(角川ホラー文庫) 大石圭 「復讐執行人」(角川ホラー文庫) を読了。 この作家の作品は、まさにそれ。 本屋や古本屋で見つけると買ってしまい、他の本を読んでいる時でもつい気分転換に手 を出してしまう。今回は「殺人勤務医」を読みながら、「復讐執行人」に手を出し、更に 同作者の「水底から君を呼ぶ」、「人を殺す、という仕事」(共に光文社文庫)を併読し てしまい、とりあえず上記2冊をほぼ同時に読み終わったというような状態。 ただ大石圭の登場人物たちは皆、ナイーヴで似たような性格設定であることが多いため、 各人の過去のエピソードを混同してしまう恐れがあり、作者に対して大変申し訳ないので、 あまり推奨される読み方ではないと思う。注意されたし。 それはさておき一冊ずつ感想など。 【「殺人勤務医」感想】 要約するとタイトル通りの内容なのだが、このセンスの欠片もないタイトルのおかげ で、かなり損をしている感は否めない。例えば(未読ながら)「世界の中心で愛を叫ぶ」 に「白血病で死んだあの娘が忘れられないんだ!」というタイトルが付けられているよ うなものである。 同じようなタイトルのつけられたB級ホラー映画は巷に溢れているが(例えば、アルバ トロス社の「殺戮職人芝刈男」や「女子高生チェーンソー」)、そんなものの何倍もこち らが面白い。というか、そもそも同じ土俵で論じることすらおかしいのだが、これまたタ イトルによる弊害である。 作者のあとがきの、 <人に与えられた時間は100年にも満たない。僕たちはすぐに、いなくなる。 ことあるごとに僕はそう書いてきた。だが、この100年という時間がどれだけの ものなのかを、実際に感じることは難しい。 そういうときは『年』を『円』に置き換えてみると少しは実感しやすくなる。 地球ができてから46億円。最初の生命が誕生してから40億円。恐竜が絶滅してから 7000万円。ヒトがチンパンジーと別れてから500万円。文字が発明されてから6000 円。イエス・キリストが生まれてから2000円。そして――僕たちに与えられたのが 80円か90円。多くてもせいぜい100円だ> という表現も、是非パクって自分のオリジナルアイデアとして流用したいほど。 【「復讐執行人」感想】 作者自身があとがきで、 <凶悪事件の加害者の主観で、読者が凶悪事件の加害者に感情移入できるように 描かれた作品というものがほとんどなかったということもあって、僕のように 凡庸な男が作家として生き残ってこられたのではあるけれど……この作品では 僕はほかの作家たちと同じように、犯罪の被害者の絶望や苦しみについて書い てみようと考えた> と語っているように、これまで加害者側の視点での作品を多く発表してきた作者が (上記「殺人勤務医」も、連続殺人鬼である中絶専門医の視点で語られている)、 加害者と被害者の主観をカットバックを使い交互に描き出す手法をとった珍しい作品 である。 折原一の諸サスペンス作品を彷彿とさせるものも読みながら感じたが、エンターテ イメント性と最後のどんでん返しに重きが置かれる折原作品と違い、あくまで登場人 物たちの内面を描き出すことが第一とされており、読み終わった後に何も残らない折 原作品と違い、ラストまで良い感じの余韻が残る。 被害者側からの「ミッシングリンク」もの、あるいは加害者の「ホワイダニット( 加害者の動機は何か?)」もののミステリとしても読め、そのための伏線もなかなか 秀逸である。
2007年10月30日
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[1] 読書日記 昨日観た映画「パンズ・ラビリンス」の感想について書こうと思っていたが、「ローグ アサシン」を観に行ったときの予告編で流れていた、 上甲宣之 「そのケータイはXX(エクスクロス)で」 (宝島社文庫) を、そういえばだいぶ前に買っていたよな~、というのを思い出して、先ほど読み終わ った(映画タイトルは、「XX(エクスクロス) 魔境伝説」)ので、そちらの感想を優先する。 ミステリ。 概要については、上記映画の公式サイトの予告編でも観てください。 良い(笑)! 1章読んでだ時点で放り投げず、最後まで読みきって良かった。 自分的に、「そうそうこういうのが読みたかった!」という作品ではないが、もし自分が 小説を書くのであれば「そうそうこういう物語を書きたいんだよね」という作品。
2007年10月24日
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[1] 読書日記 「週刊現代」に連載の「リレー読書日記」の、ちょっと前の桜庭一樹の回で取り上げ られていた(「週間現代」2007年09月29日号)、 ライナー・チムニク 「クレーン男」(パロル舎) を購入。 そして読了。 170ページ程度から成る絵本で、大体、右側ページが文章で、左側が挿絵という構成に なっており、すぐに読み終わる。 俗に言うところの「大人の絵本」というカテゴリーに分類される本だと思う。 でも、別に「子どもに見せたくないような残酷な絵本」という意味合いではないので、 漢字にルビさえ打ってやれば、小学生の低学年でもひとりで読めるし、楽しめる本。 <町がしだいにひろがるにつれ、 貨物駅では、 山のような荷箱や石炭や、 牛やブタをさばききれなくなった。 そこで市長と、大臣と、十二人の市会議員たちは、 町の正面の空き地に、 貨物の積みかえ用のクレーンを一台、 すえつけることにきめた。> という文章から始まる、ある町の復興と、その町に住んでおり、町にできたクレーンに ほれこむあまりにクレーンを運転するクレーンオトコとなった男を描いた一代大河ドラマ。 巻末の作者紹介で、 <いずれの作品も、 簡潔な絵と文章で、 独特な世界を構築しており、 寓意性が高く、 批評精神とユーモアがあふれている。> と説明されている通りの作品。 切ない。 いや切ないとは違うか。 なんだろう?
2007年10月22日
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[1] 読書日記 <「ここんとこ仕事関係の人としか口きいてないよーっ、って煮詰まったりしない?」 「坂木くん、結論まで長いのは、悪い癖だって言ったでしょ」 眼鏡越しに、強い瞳が僕をとらえる。 「ごめん。で、佐久間さんだったら、煮詰まったときどうする?」 「そりゃ、遊ぶに決まってるでしょ。友達呼び出してカラオケで歌いまくったり、 飲み明かしたり、喋り倒したり」 「だよね。吉成は、それがうらやましいんだよ」 「は? なにそれ。吉成だって、さんざん遊んでるじゃないの。 確か今年の一月はオーストラリアでビーチリゾートとか言ってたくせに」 冷たい佐久間さんの視線を、吉成はばつが悪そうな表情で受け止めた。 「だからさ、そういうどーんととった休みは、違うんだよ。 うまく言えないんだけど、普段の切り替え方なんだよな。 佐久間は、どんなに疲れてたって遊ぶだろ?」 「もちろん。生理休暇だって、ウソついて会社休んででも、遊ぶわよ。 じゃなきゃもたないし、仕事の効率だって悪くなるもん」 「俺はさー、最近、疲れると遊ばなくなってきたんだ。 それって、ちょっとやばい感じがしないか?」> (「仔羊の巣」より) 巻末解説において、有栖川有栖が<今、読まれるべき小説である>と評する、 坂木司 「青空の卵」(創元推理文庫) 坂木司 「仔羊の巣」(創元推理文庫) を続けて読了。 【本の説明】 「日常の謎」系ミステリ。 「ひきこもり探偵三部作」の第一作と第二作。 「僕」こと坂木司の身近に起こった様々な謎を、友人でひきこもりの鳥井真一が解き明か していく連作短編集(第三作「動物園の鳥」は長編)。 坂木と鳥井、二人の交流&成長物語でもあり、家族形成譚でもある。 そして、癒し系のアフォリズム(箴言)のワード集でもある。 <がんばってみようよ、ワトスンくん。 いつもホームズの横でがんばっている君のことだもの、大丈夫さ> などの言葉いっぱい。 こういうの気持ち悪いと思った人も大丈夫。一応、上記の場合は、 <やっぱり、ワトスンはワトスンということか> と最終的にオチはついている。 【本の感想をば箇条書き】 文章は読みやすく、あっというまに流れていく。 それぞれの物語で取り上げられるテーマやモチーフは、探偵役がひきこもりという出発点 からも分かるように、ジェンダー、旦那が定年後の熟年夫婦、身障者など社会的で今日的。 漫画でもCLANPの作品群でしかお目にかからないほど、登場人物たちの人間関係が濃密。 特に、主人公たち二人の友人関係が。 親子関係、恋人関係、あるいは性的なものを介さない間柄でありながら「ここまで!」と 思わせる作品は、なかなか無い。 そしてミステリとしての各物語で解き明かされていく「謎」も、その様々な登場人物の関 係性や、各人の対人行動の解釈を中心に置いており、他の「日常の謎」系のミステリとも一 線を画する味わいがある。
2007年10月10日
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