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宇部の友達からの28年ぶりの大晦日の雪だというメールが届いた。 故郷、福岡も高速道路が通行止めとテレビで報じていた。一週間前のあの暖かさは何だったのかしら。 例の大地震と大津波のの関連はどうなのだろうか。今朝は雪もなく、午後、銀座まで『御節』を受取りに出かけた。地下鉄を降りて地上に出たら、雪が降っている。折りたたみ傘持って出れば良かったと後悔しきり。 スカーフを被って歩いた。『御節』を貰って高島屋へ回った。地階は人・人・人ダウンコートが重たく暑い。 ケーキなど買い物をして、アイスコーヒーで一息つく。大晦日に街に出たのは何年ぶりか。人ごみを縫って歩くと結構疲れるものだ。地下鉄を降りて地上に出たら、新宿は雪が積もって半分溶けかかっている。 坂道を登る車がキキッと滑っている。下を見ながら一歩一歩踏みしめて歩いた。 『今夜は散歩は駄目だね~、冷え込んで凍結したら危ないもの』と息子。いつもの1・5倍くらいかかって家に辿り着いた。『良かったね、29日に来て・・、今日だったら欠航だったかもね』大晦日の雪を誰が予想しただろうか。 今年は最後まで異常気象の一年だったなと、忘れられない年になりそうである。 明日は積雪の予報である。多分、寝正月?だろうね。今日の万歩計は7270歩、消費カロリー155kカロリー。
2004年12月31日
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今年も後1日と数時間、日記を書くのがこんなに遅くなって・・・ 新宿での生活パターンは、九州のそれとは大違いである。一人暮らしは、それなりに規則正しい生活なのだが、息子と二人の生活はお互いすれ違いもあり、夜中目を覚ますと、外国とのメールの送受信に起きて仕事やっていたりで都会の生活の厳しさを感じた。 一緒に過ごすのはお正月の半月あまり、幸せな時間には相違ない。 今日は紀宮の婚約会見やら、奈良の小学生誘拐殺人の犯人逮捕、津波のことなど、ニュースの多い一日であった。 夜になって宇部の友達から『活車えび』が届いた。昨日は『蒲鉾』が、持つべきは良き友人なり。息子と感謝しつつシングルモルトで二人だけのささやかな忘年会である。
2004年12月30日
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都心は雪にはならないでしょうとの予報を信じて、飛行機に乗ったら、東京は雪ですとのアナウンス。暖かな歳末だったのに、私の行いが悪いのかしらね。雪雲の中を降下のときはかなり揺れた。雪の東京とは思いもしなかったのに・・・ 新しくなった羽田を楽しみにしていたのに、バスに乗せられての到着ロビーで何もかもあてあずれ、ボタン雪が盛んに舞っている。新宿行きのリムジンが待たずに乗れたのは幸運だったが・・・ 西口に着いた頃は横なぐりの雪、都営バスの乗り場まで足元に気を配って歩いた。下駄骨折の前科者は、転んで骨折なんてことは絶対にあってはならない。 バスを降りて坂道を歩いてやっと子供のマンションに着いた。今日から休みと聞いていたのにいない。どこにお出かけですかとメールで聞いたら仕事だと言う。 不在伝票がはさんであったので連絡とって配達して貰った。自分の出した荷物である。これから暫く新宿の人である。 宇部の友達からかまぼこが届いた。正月を待たず、板わさで頂いたが、宇部のかまぼこは美味しい。
2004年12月29日
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やっと本格的な冬がやって来た。庭に出て見ると韮も三つ葉も真っ白な霜でぐったりしている。習慣になっている温度計を覗くとちょうど0度。洗濯物を干す指先が冷たい。 宇部の友達から今日はいい天気、8度で暖かいとのメールが来た。やはり瀬戸内は暖かいようだ。 年内の頼まれ物がまだ終わってなくて、まず片付けることにする。 既製品のベストを持って来てこの通りにとの依頼だが、前身が凝っていて、苦心惨憺。出来ないとは一応先生たるもの、言えることではない。私にも誇りはあるから・・・ 昼過ぎやっと完成、お客さんに渡すことができた。やれやれ。若い頃は徹夜作業もやったけど、今はその気力はない。 午後久しぶりに整骨院は行った。外は雪でも降り出しそうな寒さである。 明日は出発なので今から、色々片付けることが山ほどである。さあ気合を入れて頑張ろう。今年も残り4日、明日から東京での日記になる。それにしてもよく続いたものだ。ちょっぴり自分を見直した。
2004年12月28日
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朝から荷造りに大童、押し詰まって少し寒くなったが、この冬は暖かかったり、寒かったりで、何を着たらいいのかさっぱり分からない。 ダンボールを前に、衣類を入れたり出したり、九州より東京の方が暖かなことも多いので・・・とは言え急に寒くなったら困るので、やはり厚手のコートも入れることにする。 テレビで昨日の地震と津波の被害が映し出され、その被害の大きさに愕然とする。天災は盆も正月もないから・・ 毎年、平穏な年であるようにと賀状にかくのだが、今年はあまりにも色々なことがあったような・・・ PCを手に持つのでキャリーバッグも宅急便で送ることにした。電話で集荷を依頼し、一息ついたのはお昼ちょっと前である 一昔前はチッキで荷物を送ったなと、変なことを思い出した。チッキという制度は今もあるのだろうか。もう死後だろうね。宅配で送って身軽で動けるのは有難い。 いつものクロネコさんが集荷に来てくれた。午後、急いで身支度して、バスで落札の品を受取りに行った。車ではわずかな距離だが、バスだと路線が違うので乗り継ぎで思わぬ時間がかかった。 出発まであと一日、編みかけの仕事がまだ残っている。あと頼まれたビデオのダビングも。 友達から転院したと電話があった。脳外科での治療はもう終わったそうで、リハビリ専門の病院へ移ったのだという。 段々遠く、山の上だと聞くと歩いて行けるかなと心配である。さあ、残りの仕事やりましょう。明後日は東京の人になるために(笑)
2004年12月27日
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『今、京都の娘の家に来てるの』と電話を貰ったのは10日ほど前のことだった。中学校の教師をしておられる娘さんのところへはちょくちょく出かけられるので、さして気にも留めてなかった。 出かけるときあわてて出かけたで、暮れなので片付けに帰ったと今朝、電話があった。 聞けば、11月半ばごろ、ご主人が咳が出るからと、糖尿でかかりつけの病院へ行かれたら、『肺炎』の診断で入院設備のない医院なので毎日点滴に通院されたいたのだとか。 でも結果がはかばかしくなく、紹介状を持って隣の市の公立病院へ入院されたのだと言う。そこで、精密検査の結果『肺がん』で余命一年と告知されたという。 お元気で近くの山に登ったり絵画を嗜まれる多趣味な方で、糖尿の養生も専門の先生について熱心に養生されていた。 その話を聞いた娘さんが帰郷され、京大病院へ連れて行くとなかば強引に京都へ行って、検査を受けたと言うことである。『肺がん』は4センチくらい、一部動脈にくっついていて、進行はしているが、1月に入り手術を受けることになっていると言われた。生命の危険はないとの話にほっと胸を撫で下ろした。 深刻な話なのに、友達の声が明るく詳しい病状まで逐一話されて、でも何の役にも立てない自分が情けない。 腫瘍内科医と糖尿の専門医と外科と3人の主治医がつかれているそうで、京都の病院へ来て良かったとしみじみとおっしゃていた。一日も早い快癒を神に祈る他ない。
2004年12月26日
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クリスマスイブはここ2・3年ご近所のYさんのお宅に招かれて、Yさんご夫婦と過ごすことになっている。 それほど親しい間柄ではないのだが、私は一人住まい、子供はいるが東京である。 Yさんには女のお子さんが3人、それぞれ結婚されて関西に二人、末の娘さんは極々近所なのだが、お孫さんが高校、中学となると家族だけでクリスマスを祝うので、とYさんの家に来るのを拒まれたそうである。 それ以来、二人で過ごすのは寂しいと良かったらお出かけ下さいと誘われ毎年お邪魔している。 お料理上手の奥様の手料理は、一人分をちょこちょっこと作る私には見た目もお味も雲泥の差で有難いことこの上なし。 ご主人へのプレゼントは手編みのリバーシブルニットのマフラーと暖かい靴下・奥様へはパシュミナのストール。 先様から私へのプレゼントは黒字に赤の古代文字の部屋着。ご主人が糖尿なので薄味なのが、ダイエット中の私には嬉しい。 姉妹会社に勤務していた関係で、お互いに知合いも多く、話題は現役の頃の思い出話や、町内の話など、ついつい話し込んで、帰りは今夜も午前様。5分くらいの距離だけど二人で送って下さった。 さすがイブの夜は明かりの漏れる家々が多かった。連合いはクリスチャンではないがツリーの飾り付や賑やかな集まりが大好きだった。天国で羨ましく見てたかかもしれない。 今年も楽しいイブをありがとう。Yさんご夫婦に乾杯♪
2004年12月25日
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『もう、お休みなんですか?』いつものメールに返信をと思って、操作するのだが、返信メールの入力画面にならない。 もたもたしてたら電話のベルがなった。『ごめん、返信画面にならないの』『いちど電源切ってみた?』『うん、でも駄目だった』 携帯を使い始めて10数年、3台目の機種である。もう一つプリペイド式の携帯があるのだが、普段、使ってないので、メールとなると、はて?と考え込まねばならない。 しばらくしてPCにメールが届いていた。近くのショップの電話番号とお勧めの機種が記されていた。メールが出来ないとやはり不自由である。 今日はお出かけには不向きな曇り空、長いコートを着るのは久しぶり、年末なのに街は閑散としている。 7350円を支払って、携帯電話は新しい機種になった。お店の人の話では2年くらいで、不都合がでるものらしい。上京したときに機種交換したので、その位になるだろうか。 メールの回数が多いからなのか・・・ 毛糸屋さんに用事があったので立寄った。例年この時節は毛糸屋のかき入れ時だが、広い店内は誰もお客さんはなしで、冷え冷えとしていた。 クリスマスイブなのに、ジングルベルも聞こえないし、洋菓子店のケーキの店頭販売も見かけなかった。今年は違う歳末風景のようである。
2004年12月24日
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毎年のことながら、押し詰まって年賀状を作ることにした。印刷屋さんが、パソコンの普及で3割程度に落ち込んだと聞くが、結婚以来一度も依頼したことはない。最初の頃は裏も表も隅を磨って筆で書いていた。枚数を書くとボールペンより筆のほうが疲れない。 アマチュア無線をやり始めて、『プリントごっこ』が発売と同時にQSLカードの作成に購入、賀状もプリントごっこに・・最初の年は『未年』であったことは記憶に残っている。 どうしてこんなにくだらないことを鮮明に記憶しているのか、どうかすると今、置いたところも忘れるのにねー。 パソコンでやるようになったのは4・5年前だろうか。昨年は、レーザープリンターで手差しでプリントしたが、丸まって出てくるので、片面のプリントに苦労した。 プリンターは4台目、日頃はもっぱらレーザーを使っているので、カラーのインクジェットは初めてである。 CMだとスイスイと刷れるので期待していたら、時間のかかること、裏面だけで昨夜一晩かかってしまった。 今日は朝から、まず住所録の点検から取り掛かり、たっぷり午前中を宛名プリントに費やした。 プリントごっこよりは早いし、すっきりとまあ気に入ったものが刷り上り、一人悦である。刷り損じなしは嬉しい。連れ合いがなくなってずいぶん減らしたのに、その年でなんでそんない覆いのと友達は笑うが、無線関係、ビデオ関係、編物関係諸々150枚。年賀状のみのお付き合いもあるが、お元気な賀状を頂くと生きる喜びも一緒に頂くようで、嬉しいものである。 携帯メールや、電話など時代に即した賀状もいいが、趣向を凝らした年賀状は一味違った趣があっていいものである。 筆で書くのも嫌いではない、年賀状がいつでも買えて書けるのであれば、一日5・6枚書いてもいいけど、それは出来ないし、やはりパソコンで作り続けるのだろう。 今からポストに投函します。やっと間に合った(笑い)
2004年12月23日
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テレビを見ていたら、富山では『鰤歳暮』といって、お嫁さんの親が『鰤』を持って娘さんの嫁ぎ先を訪ねるという。 見事な『鰤』をもって娘に会いに行く。親として嬉しい行事であるに違いない。 私の住む地方では、まったく逆で、歳の暮れに『婿鰤(むこぶり)』といって、お嫁さんの実家に『鰤』を贈る風習がある。 結婚した年の『鰤』は大きくて立派な『鰤』である。何しろお婿さんの立派さを誇る鰤だから、他家に負けない大きな鰤が選ばれる。贈られた『鰤』は厚めに切られ近所の親類に配られる。残りの鰤は、塩をたっぷりして尻尾を縄で結び、台所の梁に吊るされていた。女の子の多い家では何本も鰤が下げられていた。 お正月のお雑煮にも鰤の切り身が入っているし、塩焼きにしても食べさせられた。 二十日正月は『骨正月』とも言われ、その頃には『鰤』は骨だけになっていたのであろうか。 それで出汁を取りお餅を食べた記憶がある。あの頃は冷蔵庫などなかったし、塩鰤や、塩鮭は保存食であった。塩分濃度が云々されるが、子供の頃に食べた、白い塩をふいた焼いた鮭の味は懐かしい。テレビを見ながら子供の頃のお正月を思い出して懐かしかった。
2004年12月22日
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『歩くことによって燃焼する体脂肪量をグラムでお知らせする歩数計です。入力された情報にあわせて計測するので、使うひとごとにちがったパーソナルなデーターを表示します。』この文言に魅せられてTANITAの『POPORO』を楽天で買った。 一昨日、自分のデーターを入力し腰にぶら下げた。パンツのポケットにはもう一つオムロンの消費カロリーが出る歩数計が収まっている。 『POPORO』はプリンセス・アイドル・キャリアと3種類のキャラクターが設定できる。 名前をつけて一緒にダイエット頑張ろうと遊び感覚の歩数計である。 『キャラクターの成長は前日までの脂肪燃焼量平均値によって決定します。各コースにはそれぞれヒミツのコースが設定してあります。しっかり脂肪を燃やしてハッピーエンドを迎えて下さい。』とある。 一日目オムロンの歩数計は3873歩・『POPORO』は2557歩、すごい差である。 そして、翌朝『POPORO』をつけようと見るとなんと『サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ』の画面。彼女に見放されて逃げられたのだ。 『キャリア』に設定したのは私の誤算だった。今日改めて『プリンセス』に入力しなおすことにした。『プリンセス』という柄ではないが、プリンセスならおっとりと一緒に成長してくれるかなと思うのだが、甘い考えかも知れない。
2004年12月21日
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9時頃、ひとしきり雨が降った。斜向かいのご夫婦に誘われて、今日も温泉行き。足のない私にとっては温泉行きのお誘いは有難い。少々の用事は先送りして連れて行って貰う。 筑後川温泉は1時間あまりの行程である。お天気は次第に好転、車も込んでいない。うきはの道の駅でお昼を調達し、温泉旅館へ急ぐ。川べりにある温泉はなかなか風情がある。 庭に足湯がしつらえてあった。足湯に足を浸けながら、お昼を食べる。白い野良猫が目を細めて寝そべっている。暖かな足湯はお気に入りの場所のようだ。 もう一軒梯子の予定だったが、今日は臨時休館だったので、耳納連山をドライブして帰ることになった。 山の尾根をくねくねと走る。対向車もない。シーズンにはハンググライダーも見られるのだが、季節外れである。それでも山頂には歩いて登られた熟年夫婦の姿があった。 連れ合いがいた頃は気にもならなかったが、一人になってから、やけに連れ添うご夫婦の姿が目に付くようになった。おかしなものである。晴れていれば山からの眺望は素晴らしいのだが、もやがかけて真っ白で何も見えない。山々が墨絵のように見えるだけである。 2時過ぎ帰宅。整骨院へ行く。先生の30歳の誕生日、ささやかなプレゼントを贈った。夕方、毛糸屋さん、宅配の人など来訪者が次々でゆっくり出来なかった。 夜は、悪友の長電話で日記を書くのが遅くなった。忙しい一日であった。
2004年12月20日
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どんよりとしたお天気が、一層暗い気持ちに拍車をかける。ビデオ仲間が入院して後数日で2ヶ月になる。知らなかったが10月30日私が脳のCT検査をした時には、同じ病院に入院していたのだ。 軽い脳梗塞で一度入院しているので2度目である。それから3度見舞いに行ったが、酸素吸入もはずれ、3回目のときはベッドに腰掛けていた。母上から『脳梗塞・心不全・糖尿』と聞いていたが、点滴もなく、手の腫れもなくなって、見た目には少し快方に向かっているように思えた。『正月には帰れるの?』『多分無理だろう、ひょっとしたら手術するかも・・・』とこんな会話で病院を辞した。 『手術』の言葉が気になった。私の連れ合いは倒れて2度開頭手術を受けた。2度目の手術で『先天性脳動静脈奇形』という病名を知らされた。結果は手術は成功と言うことだったが、意識は戻らず、長期入院の後不帰の人となったのだが・・・ 昨夜、友達の母上に電話を入れた、そして辛い言葉を聴かされた。医師の話では一度は手術も考えたけど、心臓が手術に耐えられないだろうし、手術しても脳の回復が期待できないということだったという。 まだ50代である。83歳の母上の心境を思いやるとかける言葉が出てこなかった。本人の日ごろの不摂生が招いた結果だとは言え、治らないと宣告された母上はどんなに辛いだろうかと、数十年来の友達だけに、昨夜は熟睡できなかった。 当の本人はお昼ごろ電話をかけてきて、『ここにいても薬の投与だけで何もないし、退院したい』と言っていたが、『リハビリ病院へ転院らしいよ』とだけ告げて受話器をおいた。 これからどうなるのか、明るい展望は望めない、人生一寸先は闇というが本当だなと思った。がんが怖いと思っていたが、脳の病気も怖い。
2004年12月19日
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アルミ梯子を持って来て、一段一段気をつけながら上る。玄関の外灯の電球が切れたので、交換するためだ。2箇所しっかりと捻子で固定されている。かなりの歳月交換してないので自分の力ではずせるかどうか、手ぶらで上ったのが我ながらおかしかった。 電球は40Wだったので、改めて上ることにして、梯子を車庫に戻して、コンビニへ電球を買いに行った。帰って見たら梯子が畳まれて片付けてあった。 斜向かいのご主人が、私が片付け忘れたと勘違いして片付けられたのであろう。梯子を抱えてうろちょろしていたら、当のご主人が見えた。『まだ交換してないのなら』と気軽に仕事を引受けて下さった。地獄に仏である。やはり男には敵わない。 いとも簡単に交換は終わった。有難い。父が5歳の時他界したので、男手がなく大抵のことはするのだが、高いところと、蜘蛛など虫は苦手である。 連れ合いがいた頃は『お父さん・お父さん』と叫んでいたものだが、今はそうはいかない。段々怖いものがなくなって来た。人間変わるれば変わるものだと自分でも呆れている。 でも人は一人では生きられない。近所の方や友人に助けられ、支えられながら頑張るほかない。 午後からどんよりとした空模様、明日は雨だろうか。
2004年12月18日
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天気は上上、今年最後の温泉旅行に出かけた。佐世保市の西海橋コラソンホテル、緑の中に佇む南欧プロバンス風の洒落たリゾートホテルである。 橋の隣には新しい300mのアーチ橋が建設中であった。側のお店で名物の『あらかぶ定食』を頂く。生簀の鯛の刺身がこりこりと美味しい。あらかぶの味噌汁は減塩中の舌にはちょっと辛かったが、新鮮な魚は何よりのご馳走である。 海の面した大浴場と露天風呂、3人だけでの貸切である。『今年は今日で終わりね。』『幾つ位行ったかしらねー』『はしごしたこともあるし50箇所は行ったのでは?』湯船に浸りながら『あそこがよかった』『ここが良かった』と温泉談義。 『少しドライブして帰ろうか』橋を渡って、西海楽園に回った。シーズンオフで観光客はない。白衣観音に参った。ビデオクラブで撮影会に来たところだ。あの時のメンバーの顔が思い出される。もう10年にはなるだろう。帰らぬ人となった人も何人かいる。一人感慨にふける。 元気で一年を過ごせたことを嬉しく思った。家に着いたのは6時過ぎ、来年まで温泉行きは当分お休みします。
2004年12月17日
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山口のミヨコさんから素敵なプレゼントが届いた。絵手紙のカレンダーである。関東におられたときのミヨコさんの先生の作品だが、それにミヨコさんの絵が添えられている。 昨年は『世界に平和が訪れゆたかな地球が到来しますように。佳人お年いお歳をお迎えくださいませ。』のおおらかな文字と柚子が2個、見ているだけで口が酸っぱくなるようなみず水みずした絵である。 今年は縦長の和紙に水仙が3輪、『ことしはあたたかくせいたかのっぽさん』ミヨコさんの人柄をしのばせるいい絵である。そう言えば我が家の庭の水仙も背高のっぽさんである。 ミヨコさんとの出会いは2年前、北海道旅行でのことである。4人の旅行メンバーの一人が急病で入院、友達の弟のお嫁さんであるミヨコさんが急遽仲間に加わって下さったのだ。 初対面だったが、物腰の柔らかな素敵な奥様だった。4日間一緒の部屋に二人で泊まった。 それ以来折りに触れ、絵手紙を頂戴するようになった。季節の花々や野菜が描かれ、素敵な文が添えられている。 今は故郷の公民館で絵手紙の先生をしておられるのだ。一期一会、私に出来ることは手編みのベストを送ることかな。糸を探して編まなきゃ~
2004年12月16日
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『ラベンダー外来でがんばってある皆様に素敵な贈り物です。一年間のご褒美に、ドレスアップして素敵なレストランでのお食事会を行いませんか。どうか皆さんご出席してくださいね。』病院からの招待状である。 場所は、繁華街の側の洒落たレストラン。全員出席の食事会になった。ランチメニューは、 豆腐と水菜のサラダ 赤だし ほうれん草とえのきのお浸し ご飯(三色米) エノキと豚バラ肉のみぞれ和え デザート(シフォンケーキ) 焚き合わせ(わかめあん) コーヒー 甘鯛西京焼 鶏松風 鴨治部煮 おからコロッケ こんにゃく田舎煮こがつを和え 茶碗蒸し これでカロリー500キロカロリーだと言う。今日は貸切でメニューは病院の栄養士の関先生とオーナーとシェフで考えられた特別メニューだということだった。 見た目・味・ボリュームみんな満足であった。出来れば、ワインが欲しかった(笑い)お茶はゴーや茶、コレステロールを下げるそうである。苦味がなくて美味しかったですよ。 このレストランは無農薬の野菜にこだわっているそうで、いつもは、日替わりランチ1050円だとか、一度教室の皆と出かけたいと思った。 新しいメンバーの体験談を聞いたり、一足早いクリスマスプレゼントを貰って楽しい半日であった。 会費1000円、病院から500円補助があるそうで感謝、感謝。 今晩の体重測定が楽しみである。アンケート用紙に度々こんな催しをやって欲しいと欲張りなことを書いて出してきた。 ※肥満外来で検索するとラベンダー外来が見られます。整形 外科でやっているのは珍しいとか。
2004年12月15日
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日中は11月半ばの気温だというが、朝の冷え込みは厳しい。今朝は3度であった。 おにぎりを作るのは、ほんとに久しぶりである。いつものメンバーで『焼き牡蠣』と温泉の日帰り旅行である。昨年立ち寄った牡蠣小屋で、おにぎりやビールは持参下さいと言われていた。 『焼き牡蠣』を食べさせる店は近くにもあるが、海の匂いのする、牡蠣小屋で薪を焚いて焼くのが一番。 有明海沿いに車を走らせると『やきかき』の赤い旗が風にはためいている。 煙の立ち上る小屋に入ると3組の先客が、美味しそうに牡蠣をほうばっている。 バケツ一杯の牡蠣が1000円、5人で3つ頼んだ。金網の上に丸みのある方を下に並べる。牡蠣の焼ける香ばしい香りと煙が立ち込める。左手に軍手、右手に金の牡蠣を挟む道具を持って、殻が口を開いたら食べごろである。減塩をしている私にはちょっぴり辛いが、新鮮な牡蠣は美味である。 ハマグリが一個50円。海を幸を満喫して、嬉野温泉へ行くことになった。神仙閣は老舗旅館、日本の名湯100選の温泉はすべすべつるつる美肌の湯である。庭園風呂と謳ってあるとおり見事な庭園であった。旅館の方の話ではもう少し遅い時間だとかなり混むそうで、いい時間帯に見えましたねと言われた。『今度はゆっくり泊りがけでお出かけ下さい』の声に送られて車中の人になった。 忙中閑あり、命の洗濯が出来た。日々好日である。
2004年12月14日
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腫瘍内科医というのを初めて知った。病院によって、がん手術後の生存率にかなりの差があることも知った。自分ががんになった時、通院に便利とか、近くで有名だからとかいう基準で病院を選ぶことの怖さを知らされた。 抗がん剤治療の副作用には個人差があり難しいものらしい。専門医は副作用を出来るだけないように、抑える薬を選んで治療してくれるという。 治療を受けながら、社会の第一線で働いている人もあるおられる。如何にしてよりよい病院を探せるかが、がんになった時の課題のようだ。 抗がん剤専門医は日本では4000人は必要らしいが、現在500人位で、放射線治療医が1名の県が2つ、2名の県が7県だということだ。厚生省も専門医を増やすことにしたらしいが、一朝一夕には解決することではない。だとするといい医師を、病院を探すしかないだろう。がんにならないことが先決だけど、絶対に回避できる保障はないから・・・
2004年12月13日
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やらねばならないことが山ほどあるのに、やる気が起きないのは何故なんだろう。と言って何もしないでゴロゴロしてる訳でもないのだが。 季節の衣類の入れ替えも中途半端、だってこの冬は本格的な寒さにならないから・・・やらなくても困らないってこと。 白菜の漬物漬けも、暖かさと白菜が高かったのでまだやってない。庭から大根葉を採って来て一夜漬けで間に合う。過ごし易いのは有難いが、やはり夏は暑く、冬は寒い方が、生活にメリハリがつくような気がしてならない。 天気が良ければ入院中の友達の見舞いに行こうかと思ったがどんよりした空模様にそんな気分にはならない。 全日本実業団女子駅伝を見ながら、編みかけのメタリックリボンのプルオーバーの袖を編む。 昨夜のブロードキャスターの中で、和歌山のニット自動編み機?の会社紹介があったと編物仲間からメールが来た。 改良されて、糸をセットすれば、編み上がったセーターが機械からポロっと出てくる・・と言うのは友達の表現である。綴じ、接ぎなしで、1着が60gという軽量だという。 主にシャネル、サンローランのオートクチュールを作っているそうで、ベネトンが12台導入したとか。コスト削減、人件費の安い中国に出すよりいいのだそうだ。 セコセコと手を動かして編むのはなんと効率の悪いこと。それでも、手を動かすとぼけ防止に役に立つというし、小学生の頃から親しんだ編物は、私にとっては生涯の友、止めることなど考えられない。押入れに編み切れないほどの糸も眠っているしね~。
2004年12月12日
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朝10時頃、Yさんはいつものように、ディバッグを背負い両手に袋を提げて我が家に姿をみせた。『月が出た出た月が出た♪』の炭坑節で知られる田川からバスで福岡天神まで1時間、私鉄特急で久留米まで30分、さらにバスで20分、我が家まで2時間はたっぷりかかる。 玄関で荷物を下すなり、『ごめん、朝ごはん食べてないの、パン買ってきたので』と言う。急いでスープを作った。 腹が減っては戦は出来ぬである。とても86歳とは信じ難い元気さである。一息つくと、手提げから毛糸とかぎ針を取り出す。熊本へ一緒に講習へ通ったリバーシブルのベストを編むのが今日の目的であるのだ。一刻を惜しんで手を動かす彼女は活気に満ちている。 彼女は『歳だから・・・』という言葉が大嫌いで、絶対口にしない。生涯現役、なのである。 12月なのに南に面した部屋は太陽が射し込んで暖かいこと、汗ばむほどである。『大牟田の4人殺人事件、国選弁護人の引き受け手がなくて、あみだくじで決めたんだってね』『そう、逃走したり、自殺未遂したり問題ばかりだもんねー、すすんで引受ける人はいないのだろうけど・・』手を動かしながら、異常天気や、景気の話、北朝鮮の拉致など・・今『着いたよ、お世話になりました』と電話が来た。お疲れ様でした。
2004年12月11日
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カップヌードル(カレー×2)・りんごジュース・イチゴ大福×2・ジャムパン(市販パン)・ツナサンド(長方形)マクドナルド・チキンタッタ・てりやきあーがー×2・チキンフィレオ・神田精養軒変わりシュークリーム8りんご?)×2・ウーロン茶生茶・京うどんカップ・以上一枚目のメモ。パジャマL(厚くもなく薄くもなく)・はら巻(厚)L(厚手で乾きにくい、もう1枚)・パンツL×3・苺のケーキ・苺カルピス・えびグラタン・おにぎり以上2枚目のメモ。3枚目は下にあってシャンプーの文字と本屋さんでというのだけが読める。 以上のメモは引きこもりの娘(27歳)が会社へ行く父親に毎朝渡す買い物リストだというのだ。 『働くって?若者の今・3』子ども優先 老後描けぬ親という見出しが目を引き付けた。 定年後再就職した父親の現在の手取り20万はこうして娘の出費で消えてしまうとある。節約のため新聞ん購読もやめたという。 昨年秋『子どもにかけるお金を考える会』が出来たという。子どもの養育は親の義務だが、成人した子どもをどこまで見るのか、子どもにお金をかけ続けることが、自立を妨げているのではないか。獅子は千尋の谷へ子を落とすという。 戦後の困窮時代はそれぞれが生きることに必死で親も子も、働かざるを得なかった。今にして思えば幸せな時代だったといえるかも知れない。 生活が豊かになって、働かなくても親が養ってくれると、引きこもりが増えたのだろうか。子どもの歩く道を先回りして躓きそうな石を取り除く、踏まれても起き上がる雑草のようなたくましさが、今の子どもにはないようだ。 高校卒業後、首都圏の大学に進学、故郷へは戻らず社会へ出て自立した子を持つ私の子育ては、まあ合格点かなと新聞記事を読みながら思った。老後のが描けぬ親は大変である。そうした親子の親離れ・子離れを祈るのみである・
2004年12月10日
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整骨院へ通院するようになって今日で一年になると院長に言われた。へエ~そんなになるのって感じである。 整形外科で変形性膝関節症と言われ、まず、体重を落とすことと一年で7kの減量をした。サポーターなしでは歩けなかったし、寝ていてもずきずき痛んでいたが、整骨院の電気治療とマイクロ治療、矯正で今はサポーターなし、階段も痛みを感じることなく上り下り出来るようになった。 完治することはないと思うが、現状維持、これ以上悪くならないように気をつけることが肝要だと思う。 病は仕方ないが、怪我は本人の不注意だから転ばないようにと、口うるさく子どもや姪にお説教される。 怪我して痛い目に遭うのは私自身だから十分、分かっているのだが、ちょっとした段差に躓きそうになったりする。 これからも出来るだけ毎日行きますのでよろしくね、先生。
2004年12月09日
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今日は何の日?と問われて太平洋戦争の開戦の日だと即答できる人は、どれくらいいるのでしょうか。 今朝は濃霧だった。63年前のこの日は寒かったように思う。まだ小学生だったがあの頃は九州もよく雪が降っていた。開戦の翌年か翌々年の今日8日、大詔奉戴日はかなりの積雪であった。学校から近くの神社へ武運長久を願ってお参りした後、雪の積もった筑後川の土手を裸足で走らされた。 そろそろ物資も不足がちではあったが、精神鍛錬の持久走である。雪道は走り難いし、川面を渡る風は冷たく、足はじんじんして冷たいより痛い。60数年経た今も当時のことは忘れられない。 開戦、やがて敗戦、そしてこんにちの繁栄があるのだから、今日という日はひとつの節目であることは確かだ。 私世代は、そういう意味では波乱万丈の人生だったと思う。だから、平和を願わずにはいられない。 濃霧のあとはぽかぽか陽気、所用で街に出かけた。グンゼフェアーで下着を買ったら、ビンゴゲームで賞品をくれるという。籤運はいつも悪いのでどうせと思いながら参加した。 1等から7等までビンゴならず、賞品はみんななくなった。参加賞かと思っていたら、もう一個、賞をやるという。最後の賞にビンゴ完成でフードプロセッサーが貰えた。今日はいい日なのかな~。
2004年12月08日
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行く先は熊本県玉名温泉、古くは立願時温泉と言ったが、玉名市になって玉名温泉呼ばれるようになった。途中、小栗峠の道の駅に立ち寄り、お昼を摂った。小皿に盛られたバイキング方式、5人がメインの団子汁とご飯は同じだが、小皿料理はそれぞれ違うものを持ち寄って、色々楽しめた。山菜など田舎料理は趣があっていい。 黄金館は落ち着いた雰囲気の純和風旅館。撮影があっていてちょっと待たされたが、貸切風呂である。 山茶花と竹林に囲まれた露天風呂は最高である。熊本の温泉行きにはもう一つの楽しみがある。それは名物の『馬刺し』の土産である。 いつも買い付けのお店がある日、立ち寄ったら駐車場に縄が張られ、店内はそのままなのに貼り紙もなく閉店していた。2・3度寄ったが閉まったままで、『倒産』『夜逃げ』頭の中をそんな思いが駆け巡る。 『開いてるそうよ』と聞いたのは最近である。帰途寄ることにした。今までの人と違う女性が一人いた。『経営者変わったのですか』と聞くとその女性は店員さんで経営者は以前の方だと言うことである。 話を聞くと娘さんがお店の前で交通事故死されたそうで、ショックで10ヶ月お店を閉じていたとのことであった。 やがてお店の女主人が帰って見えた。『久しぶりですね』白髪が増えておられて、心労が一目で見て取れた。店の駐車場での事故とは・・・ 駐車場にパンジーを植えた小さな花壇が作られていた。事故の現場だと店員さんがそっと教えてくれた。亡くなられた娘さんの冥福を祈りながらお店をあとにした。 今夜は馬刺しで一杯な~んて・・残念ながら下戸である。
2004年12月07日
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マンツーマンの教室は疲れる。生徒一人のために一日を拘束されるのは肉体的にも精神的にも経済的にも採算が合わない。 元々週一の教室だったのだが、些細なことで二人が対立、一人だけ違う日に来たいと半ば強引にこういう事態になったのである。 暫く様子を見て、何とか和解をと他の生徒達も試みたが、強烈な個性の持ち主はそう簡単に事は運ばず、私一人が貧乏くじと言う訳である。わが身の不徳、当分疲れも厭わず頑張るほかない。 今日は夜になっておまけがついた。長電話である。一人暮らしは、先方にとっては都合のいい話し相手であるらしい。『少し時間いいかしら・・・』長電話である。黙って話を聞くだけで、なんの助言もしないのだけど、話せば気が晴れるらしい。メールの返信が遅れると『また長電話ですか、お疲れ様』子供からのメールである。『電話ボランティア』だって。 今日は疲れました。明日は温泉へ行きます。仲直りの妙薬が欲しいです。
2004年12月06日
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眠たい。いつの間にか転寝をしていた。温泉帰りの車ではついうとうとというのはあるが、日頃は、家でお昼寝は全くないと言っていい。それなのに、今日は居眠りである。 肝心な福岡国際マラソンの尾方の優勝インタビューも聞かないで眠っていた。 福岡国際マラソンには色んな思いがあるのである。44年前のまだ朝日国際マラソンといっていた日、この家に引越してきたのである。5日ではなくて4日だったが・・・ まだ、我が家にはテレビがなかった。オルガンの椅子にのっけたラジオでマラソンの実況を聞きながら、トラックから荷物を降ろして運んだりした。引越し業者などなかったし、会社の軽トラを借りての引越しである。洗濯機なし、冷蔵庫なし当時言われた3種の神器は、若い私家族には無縁であった。 わずかばかりの家具と小さな家、住宅金融公庫での建築は16.5坪と制限があった。畑の中の一軒家、北は農林省の農業試験場で南はずーと向こうまで畑ばかり、まさきの生垣は60cmほどの苗木である。 歌の文句ではないが『狭いながらも楽しき我が家』である。この地区で2番目の家であったが、その後建った家はみな建て直されて、現在は我が家が最古参の家になった。土壁の家はもう多くないが、ここで子供は成人し、家の歴史がぎっしりと詰まっている。 マラソンの日は昔を思い出させてくれるのである。転寝の夢には何も出てこなかったけど・・・ 日本人が優勝と2位良かったな~
2004年12月05日
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天気予報が良く当たる。昨日の小春日和が嘘みたいに朝から冷たい雨が降っている。久しぶりの雨に大地も草木も喜んでいるだろうけど、やはりお日様が恋しいね。 斜向かいの良恵ちゃん母娘と3人でお昼を食べに隣の市へ出かける。私の誕生プレゼントとして3000円の食事券が携帯へ送られたので、急遽行くことにしたのである。 一度立ち寄ったお店に携帯電話で登録を勧めるチラシがあったので、興味半分登録していたのである。 『にぎりすし御膳』と『いか御膳』水槽で泳いでいた烏賊の姿造りの美味しさは格別である。下足は天ぷらにして貰った。 良恵ちゃんの息子『まー君』は小学5年生である。先日学校通信に『3階の教室の窓からトイレットペーパー』を運動場に垂らして遊んでいた子がいて、叱っていたら、近所の人から『そんなに大声で叱らなくても・・市の教育委員会へ突っ込むぞ』と抗議があったが云々と言う記事があったそうで、いたづらっ子がいるなあと思って読んだと言う。 まさか、『まー君』の仕業とは全く予想もしなかったと良恵ちゃん。それから暫くして、担任の先生から『今日学校にお菓子を持って登校しました、親には言わないでといってましたが、先日もトイレットペーパーでいたづらしたので・・』と電話があって、『あらっ、よその子と思っていたらうちの子だったんですか』夜『貴方似で悪くて困る』『いや、お母さん似だ』と夫婦で言い合って笑ったけどとけらけら笑っていた。 教室がトイレの横だそうで、子供は色んないたづらを考えつくな~とおかしかった。将来、東北高校に行って巨人の選手になるのが夢だそうだ。漢字を覚えるのは苦手なのに、野球選手の名前は難しくてもみんな覚えて書けるというから面白い。 大きくなるにつれ、夢の実現が難しいことに気付くだろうが、今は元気で大きな夢を持てるのが何よりである。今日は市民球場でプロの選手の野球教室に行っているそうである。雨で体育館での教室であろうが目を輝かせている『まー君』が目に浮かぶ。
2004年12月04日
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早く行けばよかったのに、午前中、街に出かけていて、整骨院へ行くのが遅くなった。同じ隣組の中島さんが杖をついて少し前を歩いている姿が目に入った。行く先は同じ整骨院なのだ。 知らない人なら追い越してもいいが、そうもいかない、と言うより『お先に・・』と言って追い越せないのだ。 母の実家で育てられたから、周囲に気を使う母を見て、自分自身もいつの間にか、そのような性格に育ってしまったのである。奔放に意見を述べたり行動できる人達が羨ましくてならない。三つ子の魂百まで、性格はそう容易く変えられるものではないから・・・ 整骨院は男子高校生で溢れていた。運動の盛んな高校が近くにあって、柔道部の生徒患者が多いのだ。素直に順番を待つことにする。生徒はマンガを読んでいるが、新聞は家の新聞と同じなので、スポーツ紙を読むしかない。 野球とサッカーと卓球と愛ちゃんの記事を読むとそれで終わり。元々右膝がわるかったのだが、最近は左膝の内側が痛い。電気とマイクロと通称ガタガタがコースである。最後に先生の矯正で終わる。待ち時間がないと一時間で済むのだが、今日は2時間近くを要した。 とっぷりと暮れた道を急ぐ。今夜は豚汁、冬は暖かいものが美味しい。
2004年12月03日
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もう12月、早いな~、一年がこんなにも早いと感じるのは歳のせいなのか。それにしても最近明るい話題が少なくて、暗い残酷なニュースが多すぎるよね。 国士舘大学サッカー部の事件など、いや~なニュース。学長が『スポーツ選手として、してはいけないこと』と謝罪会見で述べていたけど、スポーツ選手としてでなく、人間としてしてはならないことだよね。 集団で淫行行為など、人間のすることではない。時代が変わったと言えばそれまでだが、私が若い頃は、大学生はある種尊敬の念で見られたものだが・・・ 政治家が一億円の献金を受けて、事実だろうが記憶にないとか、平然と言う時代だから、大学生も欲望の趣くままに行動するのだろうか。 残り少ない2004年これから明るいニュースを聞きたいと思う。
2004年12月02日
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偶々あるところで読んだローカル紙に面白い記事が載っていた。『食卓の向こう側』という連載ものである。食に関して自分が無知なこと、誤解していたこと色々ある。 『こしょく』孤食・固食・小食、同じ読みでも3通りあると、孤食は一人で食べること、固食は同じものしか食べない、から揚げならから揚げだけという食事、小食は少食である。 子供の少食の理由はスポーツ飲料も含めた甘い清涼飲料水のがぶ飲み。500mlの清涼飲料水には10%の砂糖が入っているそうです。10%というと50g・角砂糖が一個3gでなんと17個分の砂糖が入っているというのである。 子供の糖尿病も多いと聞くが『納得』と頷ける。私自身はジュースは飲まないのだが・・・ 隣の県のH市の学校給食で筍から虫が出てきたら、二日後には大騒動で教育長が記者会見で謝って2度とこのようなことはしないと。一方同じ県のU市では、給食用の畑を農家に頼んで作ってもらっているとのこと、時々虫が入っているそうですが、『先生虫が入っとー』『そりゃ虫がおるけん安全たい』と。我が家の小さな菜園も穴の空いたほうれん草や、大根葉が育っている。最小限の消毒しかしないので虫食いなのである。 でも収穫してすぐに食べる菜っ葉は甘みがあって美味しい。『食卓の向こう側』はこれまでの連載をまとめた本が3冊発行だとされているのを知った。読んで見たい本の一つである。 夕方のニュースでスーパーや焼肉店でも『牛』の登録番号で産地や年齢など表示されると言っていた。 番号を入力して検索するのだというが、焼肉店へ行ってそこまでやるだろうか。私はやらないな。食べに行くのを止めた方がいいような・・・
2004年12月01日
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