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歴史上最も謎に満ちたリンカーン暗殺事件。その暗殺者ジョン・ウィルクス・ブースの日記から失われた18ページ...恐るべき陰謀が秘められたその一部が発見された。だが、そこにはゲイツの祖先が、暗殺者の属する秘密結社ゴールデン・サークル騎士団の一員として名を連ねていたーー。何者かによって故意に汚されたゲイツ家の名誉を守るために、リンカーン暗殺者の日記をめぐり、ビルとその仲間たちが再び動き出す。前回、アメリカ独立宣言書をめぐって展開した壮大な物語は、今回もまた"自由の女神"を始めとした、誰もが見慣れたはずの物に隠蔽されている驚くべき真実へと迫る。だが、その禁断の歴史と隠された暗号をスリリングに解き明かした彼らの前に、歴代大統領のみが守り継いできた"究極のタブー"が立ちはだかる。究極の真実を求め、舞台はリバティー島の自由の女神からパリ、ロンドン、そしてアメリカの秘められた聖地ブラック・ヒルズ、ラシュモア山へーーベン・ゲイツの新たなる冒険が始まった!! <寸評>前作はDVDで観ました。先日、TVでもやってましたね。いわゆる冒険活劇ですが、「インディー・ジョーンズ」シリーズが好きな人は楽しめると思います。因みに、ニコラス・ケージの相手役のダイアン・クルーガーは、今私が最もお気に入りの女優です。映画「敬愛なるベートーヴェン」で、ベートーヴェン役のエド・ハリス(軍人の役が似合う俳優)と共演していたんですが、この映画でも共演していました。 http://www.disney.co.jp/movies/nt2/ それでは皆さん、良いお年を~。
2007年12月31日
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町の文化会館に勤める飯塚主任は、半年前に市役所から飛ばされてきた典型的なダメ公務員だ。年も押し迫った12月30日の朝、飯塚主任は1本の電話を受ける。それは大晦日の夜に予定している「みたまコーラスガールズ」のコンサート予約確認の電話だった。その横で部下の加藤が青くなっていた。というのは大晦日には「みたまレディースコーラス」の予約も受けていたからだ。さあ、緊急事態発生!「どうせオバさんたちの暇つぶしだから大丈夫だろう」とどこまでも楽観的な主任だったが...。「今もっともチケットの取れないアーチスト」と言われる落語家・立川志の輔の傑作落語「歓喜の歌」を映画化。文化会館のダブルブッキングから巻き起こる騒動を、12月30日、31日の二日間の出来事に凝縮させ、お笑いして最後にホロリと泣かせるハートフルなドラマに仕上げた。「こんなダメダメな公務員、たくさんいそう」と思わせてしまう情けない主任を小林薫が好演。最後に家族や仲間にちょっとだけ"いいところ"を見せるところなど、『Shall we ダンス?』に通じるところもある。「第9」や「竹田の子守唄」「ダニーボーイ」など、本物のママさんコーラスグループが参加してのコンサート・シーンは本格的だ。 <寸評>映画にはどうしても好き嫌いがあるので、私が観て面白くても他の人は面白くないという事が往々にしてあるわけですが、この映画は観た人の9割以上は楽しめると思います。映画を観て笑い泣きしたのは久しぶりです。小林薫が駄目公務員を絶妙の演技で見せてくれます。安田成美(私の理想の奥さん像)も久々の映画出演で、いい演技を見せています。 http://kankinouta.com/
2007年12月26日
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今話題の日比谷公園イルミネーションを見てきました。クリスマスツリーは、日本一の高さだそうです。正月三が日くらいまでやっているらしいので、お近くの方は是非足を運んでみて下さい。見て損はないと思いますよ。 http://www.youtube.com/watch?v=MV11Cs7cRZ4
2007年12月25日
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緊急のバトンです。横浜市の12歳の男の子が行方不明だそうです。!みなさんの力をお貸し下さい! 〓『◆捜索願いです◆』〓 12歳の男の子が、12月6日(木)から行方不明です... 横浜市都筑区東山田 (港北ニュータウン)在住 岩田和輝(いわたかずき)君 皆様の力を貸して下さい。 お願いします... ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 良かったら、この日記をコピーして、貼り付けて日記を書き、 バトンのように回して頂けると、捜索出来る範囲も広がると思いますので、皆さんご協力を! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 詳しい内容は以下のHPを見てください。 クリックhttp://ns.mediagate.co.jp/kazukikun/<連絡先>都筑警察署:生活安全課 TEL;045-949-0110 皆さんのご協力、宜しくお願いします。
2007年12月24日
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メリークリスマス! 一応クリスマスに因んでちょっと難しい記事を書いてしまったので、お口直しと行きますか! http://www.youtube.com/watch?v=RejXivHvgqYhttp://www.youtube.com/watch?v=6oIEGL56Bi8&feature=related
2007年12月24日
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大分アントロポゾフィー研究会 村上啓二 聖降誕祭を迎える支度をととのえる待降節[アドヴェント]は、今年は12月3日(日)からはじまりましたが、ここ何年か、日本でも12月に入ると‘なんとなく'クリスマスの気分が湧いてきて、漂うクリスマスの雰囲気に包まれているような感じのする日々になってきます。そう感じませんか?......8年前に打ち切りになったJR東海のCM、あの山下達郎の「クリスマス・イヴ」がバックに流れ、「イヴの夜、新幹線に乗って恋人が会いにくる」というCMが、「二十世紀最後のクリスマスだから」ということで、今年は新ヴァージョンで放映されていますし、歳末商戦のアーケード街を歩いていると、あちこちから「ジングル・ベル」や「もろ人こぞりて」「ハッピー・クリスマス」などが流れてくる、あるいは、「ふるさと創成」資金によってはじめられたメインストリートの樹木のイルミネーションが華やかに街路を彩っている、ということもありますけど、これらの催しや演出を生み出している"もの"に注目すると、12月になると日本人の心にもクリスマスの気分が生まれ、クリスマスの雰囲気が漂うようになってきている、と言えるように思われます。‘なんとなく'‘いつの間にか'そうなってきた、という感じですけど、これは、ほんとうは驚くべきことなのではないでしょうか。といいますのは、日本の師走から年末・年始の伝統的習俗からは、このような気分や雰囲気が生まれてくるとは考えられないからです。日本の伝統的な年末・年始の習俗は、「1年分の垢、厄を払い、清々しい気持ちで初日の出を拝んで、『今年もよい年でありますように』と祈願する」もので、そこには、冷たい水で心身を洗い浄めた後の清々しさや清楚さはありますけど、「せめて今日一日だけでも争いが止んで、世界が平和でありますように......、せめて今夜一晩だけでも、食べ物もなく寒さに凍える人が一人もいませんように......」と心に祈りの灯をともす"愛の光"の温かさは無かったからです。日本人が祈願してきた「よい年」とは、「五穀豊饒・無病息災・家内安全の祈願が達せられる平穏・無事な一年」という意味です。この「よい年」には、家族や部族や民族といった血のつながりを超えた"普遍的人問愛"が欠如しています。クリスマスの気分は、普遍的人間愛の"愛の光"の温かさから生まれてきます。日本の12月のクリスマスの気分は、未だ、「遠く離れているため好きなときに会えない恋人たちが、イヴの夜に直接会って生まれる温もり」といった表現しか見出せていないとしても、「JR東海のCMが8年間も中断していたなんて気づかなかった。毎年ずーっと放映されていると思っていた」という人たちが多いこと(再放映の理由)に見てとれるように、クリスマスの季節には日本人の心にも普遍的人間愛の"愛の光"の温かさが芽吹いてきている、と言っていいのではないでしょうか。そうだとするならば、この日本人の心にも芽吹きつつある普遍的人間愛の"愛の光"の温かさは、なぜ、どのようにして生まれてきたのでしょうか?この問いを解く手がかりになることを、ルドルフ・シュタイナーは、次のように語ってくれています。 私たちは、クリスマスの秘儀とクリスマスの祭に、独特の感情を結びつけます。私たちはクリスマスの時期に、恣意的にこのような感情を抱いているわけではありません。私たちが抱く感情と、この時期にクリスマスの祭が定められたという事実との間には関連があるのです。クリスマスの祭が定められている冬の時節には、人間は実際に地球全体がそうであるように--霊に身をゆだねています。このとき人間は、霊が親密に感じられる領域を生きています。その結果、クリスマスの時期から現在の私たちの新年にかけて、人間はアストラル体と生命霊との出会いを体験します。これが、人間が夜毎に経験する自我と霊我の第一の出会いに続く第二の出会いです。そして、このときアストラル体が生命霊と出会うからこそ、私たちはイエス・キリストを身近に感じられるようになるのです。なぜなら、イエス・キリストは生命霊を通して自らを開示するからです。キリストは、アルヒアンゲロイ(大天使)の領域から来る存在を通して、自らを開示します。当然のことながら、キリストは無限に高い位階に位置する存在です。しかし、今日のところはこの点は問題ではありません。むしろここで重要なのは、「キリストがアルヒアンゲロイ(大天使)の領域の存在を通して自らを開示する」という点なのです。私たちはこの第二の出会いを通して、ゴルゴタの秘儀以来現在に到るまで続いている人類の進化のために、まさにキリストとの特別に親密な関係を獲得します。そして私たちは、生命霊との出会いを「魂の奥深い底で生じるイエス・キリストとの出会い!と呼ぶことができるのです。宗教性を深めたり、宗教的な修行をすることによって霊の意識を発達させるか、あるいは精神科学の観念を受け入れることで宗教的な修行や感情を完全なものにするか、道は様々にありますが、いずれにしても、人間が感情生活を深め、霊化していくならば、生命霊即ちキリストとの出会いの余韻を体験できるようになります。それは、既に述べたように、人間が目覚めた状態で生活しているとき、守護天使との出会いの余韻を体験することができるのとまったく同じです。事実、クリスマスから復活祭にかけての時期には、人間とイエス・キリストとの出会いを意識化するのに都合のよい状況が整います。(「人間の魂と宇宙存在の三つの出会い」松浦賢訳『天使と人間』イザラ書房 p177~178) ルドルフ・シュタイナーによって公開された、このクリスマスの季節における「人間のアストラル体と生命霊との出会い=魂の奥深い底で生じるイエス・キリストとの出会い」こそが、クリスマスの季節になると日本人の心にも"愛の光"の温かさが芽吹いてくる根拠ではないでしょうか。宗教や習俗の違いを問わず、この「魂の奥深い底で生じるイエス・キリストとの出会い」は、地上に生きるすべての人間に起きる出来事です。それが意識化されていなくても、その余韻を体験できなくても、地上に生きるすべての人間は、毎年、毎年、クリスマスの季節に「魂の奥深い底で生じるイエス・キリストとの出会い」を体験してきています。その「イエス・キリストとの出会い」の体験の反復を通して今、日本人の心にも"愛の光"の温かさが芽生え、クリスマスの気分が生じてきているのだ、と考えられます。これが承認されるなら、「キリスト教徒でもない日本人が、なんでクリスマスを祝うのか」などとは、もはや言えなくなります。そして重要なのは、「私たちはこの第二の出会いを通して、ゴルゴタの秘儀以来現在に到るまで続いている人類の進化のために、まさにキリストとの特別に親密な関係を獲得します」というシュタイナーの言葉です。このシュタイナーの言葉から、12月になると"愛の光"の温かさからクリスマスの気分が芽吹いてきている日本人にも、「キリストとの特別に親密な関係が獲得」されてきているのだ、と言うことができるからです。12月になると‘なんとなく'クリスマスの気分がしてくるここ何年かの日本人の状況は、「キリストとの特別に親密な関係の獲得も、キリスト降誕祭としてクリスマスを祝うことも、もはや既存のキリスト教とは関係なく、地上に生きるすべての人々の行為となっていく」と証しているのではないでしょうか。アントロボゾフィー的精神料学は、「既存のキリスト教とは無縁の人々が、クリスマスを真にキリスト降誕祭として祝えるようになる」ために地上にもたらされました。だから、アントロポゾフィー的精神科学を学んでいると、「アントロポゾフィー的精神科学は、まるで、日本人のために地上にもたらされたかのようだ」という感じがしてきます。アントロポゾフィー的精神科学は、地上に生きるすべての人々を「思考による理念体験としてのキリスト体験(キリスト理念の発見)」へ導き、「魂の奥深い底で生じるキリストとの出会い」の余韻を体験できるようにしてくれます。だから、アントロポゾフィー的精神科学に出会いながら、未だ「魂を震撼させると同時に歓喜させるキリスト理念の発見」に到っていない人たちは、「キリスト教文化とは縁遠い習俗の日本の地に生まれ育ったために難しい」のではなく、「自分の魂が毎年クリスマスの季節に体験していることをアントロポゾフィー的精神科学の概念を通して意識化するに到っていない」だけなのです。「思考による理念体験としてのキリスト体験(キリスト理念の発見)」のために必要なのは、時代精神ミカエルによって二十一世紀には地上に生きるすべての人に可能になろうとしている直観思考、『自由の哲学』の核心であるあの直観思考だけです。だから、地上に生きるすべての人々が直観思考をしはじめて、直観思考によってアントロポゾフィー的精神科学を学んでいくならば、「その人たちは一人残らずキリスト理念の発見に到る」と言うことができます。その人たちすべての思考する自我に「キリストが顕現する」のです。なぜなら、キリストはエーテル界(理念界)に再来しているからです。ぼくたちは今、そのはじまりの時に立っています。「アントロポゾフィー的精神科学を学ぶすべての人々の思考する自我にキリストが顕現する時代」のはじまりの時点に。この確信を抱いて、三千年紀の最初のクリスマス祭を祝いたいと思います。
2007年12月23日
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1999年12月24日大分アントロポゾフィー研究会 村上啓二 ◆クリスマスとゴルゴタの秘蹟 聖降誕祭[クリスマス]とは、宇宙の最高の自我であるキリストが受肉することのできる人間、ナザレのイエスの誕生を祝う祭りです。ナザレのイエスという最高の人間が人類のなかに(人類の一人として)出現することによって、キリストは太陽から地球に、ナザレのイエスの身体に降ってくることができました。クリスマスとは、死の力に支配されたこの地上に、死のなかにあって死の力に打ち勝つことのできたキリストを受肉できる可能性をもった人間が降りてくる(誕生してくる)ことを祝う祭りです。 だが、キリストが受肉することができるナザレのイエスという人間が人類の一人として現れたということは、人類を構成する一人ひとりの人間すべてにキリストが受肉できる可能性が開かれた、ということを意味しています。だから、クリスマスとは、地上を生きるすべての人間が、ナザレのイエスがキリスト・イエスとなったように「キリスト・○○」となることができる可能性が開かれたことを祝う祭りです。 2000年前の今夜、パレスティナのべツレヘムにナザレのイエスは誕生しました。なぜ、このナザレのイエスの誕生日を起点にして紀元前・紀元後と世界史の年代を分けるのかといいますと、紀元前の人間にはキリストを受肉できる可能性がなかったのに対して、紀元後の人間にはその可能性がある、いや、ゴルゴタの秘蹟がなしとげられた後の人間すべての中にすでにキリストは生きている、ということを明示するためです。この意味で、ナザレのイエスの誕生は、人類にとっても、宇宙にとっても、決定的な出来事でした。 ナザレのイエスの誕生にいたる人類の歴史(精神史、文化史)は、すべて、ナザレのイエスという人間を人類のなかに出現させるための準備であった、ということができます。インドのバラモン教やヨーガ、そして、仏教(根本仏教)、ペルシャの、ゾロアスター教、エジプトのピラミッドの文化、リュディア(メソポタミア)の占星学をはじめとした科学、ギリシアの哲学や芸術、ユダヤ教、などのすべては、ナザレのイエスという人間を創出し、ゴルゴタの秘蹟を準備する使命を果たしました。 時は満ち、べツレヘムに二人のイエスが誕生し、ナザレのイエスが十二歳のときソロモン系のイエスの自我がナザレのイエス(ナータン系のイエス)に移行します。そして、ナザレのイエスが三十歳のとき、ヨルダン川のバプテスマのヨハネによる洗礼においてナザレのイエスにキリストが進入し、3年間、キリスト・イエスが地上に生きました。 ナザレのイエスの誕生からキリストを受肉できるようになるまでの成長の経緯については、たくさんのことを話さなくてはなりません。今夜はクリスマス・イヴですから、ほんとうは、こちらがメインにならなくてはいけないのでしょうが、時間がありませんのでまたの機会にゆずります。 キリストは、宇宙の最高の自我、神的自我です。宇宙存在である神=キリストが、ナザレのイエスのなかに入りこむのは、想像を絶する苦痛です。 ルドルフ・シュタイナーは、その苦痛を次のように表現しています。 ヨルダン川での洗礼直後、キリストの地上での生涯の初めに於いてはナザレのイエスの体との結びつきは大抵緩いものでした。地上を巡りながら果たされたキリスト存在の働きはまだ全く超地上的なものでした。キリスト存在は人間の力ではできない治療行為を行いました。キリストの語った言葉は人々の内面に入り込んでゆきました。これは神的な進入でした。キリスト存在は単にナザレのイエスと結びついているかのごとく、超地上的存在として働きました。しかし、キリスト存在は徐々にナザレのイエスの体に似てゆき、自らを圧縮して地上的な状況へと入り込み、それと共に神的な力は消え去ってゆきます。これら全てをキリスト存在はナザレのイエスの体に類似してゆき、ある点で下降的進化を遂げることで成就してゆきさます。キリスト存在はナザレのイエスの体に類似してゆくことによっていかに神の力がますます失われていくかを感じなければなりませんでした。キリストは神から人へとなってゆくのです。 自分の体が消え去ってゆくのを見て非常な苦痛を感じるように、キリスト存在はエーテル実体としてナザレのイエスの肉体に似てゆくことによって神的実質が消えてゆくのを見、遂には人間のように不安を感じることができるまでになりました。他の福音書にも記されていますが、ナザレのイエスの体の中にいるキリスト存在は弟子たちと共にオリーブ山から下る時、額に不安のあまり汗をかきます。キリストはますます人間になってゆき、ナザレのイエスの体に似てゆきます。エーテル的キリスト存在がナザレのイエスに似てゆく分だけ、キリストは人間になってゆくのです。そして、神的霊力は消え去ってゆきます。(後略) ヨルダン川での洗礼からこの無力に至るまでの受難の道をキリストは歩んだのです。かつてキリスト存在の超地上的な霊力に驚嘆した人々はもはやキリストを賛美せず、人間になって十字架に懸けられた無力な神を嘲弄して、「おまえが神なら、十字架から下りてみろ。おまえは他の人々を救った。今度は自分を救ってみろ」と叫びます。神的な力の充溢から無力へと至るのが神の受難の道です。人間となった神は人類の苦悩を負って果てしない苦痛の道を歩みました。 この苦痛の甘受が聖霊降臨の日に使徒たちに下った霊を生み出したのです。この苦痛から全てを支配する宇宙的な愛が生まれました。この全てを支配する字宙的な愛はヨルダン川の洗礼によって地球外の天界から地球界へと下り、人間に、人間の体に類似してゆき、人間には決して考えることができない程の苦痛を体験し、最高の神的無力を通過することによって、人類の発展の中でキリスト衝動として認識される衝動が生み出されたのです。(シュタイナー『第五福音書』p63~65 西川隆範訳 イザラ書房) 『第五福音書』は、特にこの箇所は、読みかえすたびに胸が熱くなり、涙がこぼれそうになります。なんという凄まじい愛なのでしょうか!? キリストは、まったく自由な決断によって地球に降ってきて、果てしない苦痛の受難の道を歩いてゴルゴタの丘で死を体験し、死の力に打ち勝ち、天界を去って地球に誕生しました。ゴルゴタの丘でのキリスト・イエスの死は、キリスト=宇宙のすべてを支配する愛の地上への誕生だったのです。 そして、この時から、キリストは地球と結びつき、すべての人間のなかに生きています。ぼくらの心の闇のなかに、キリストが生きているのです。 「最後の晩餐」の場面でキリストは使徒たちに語ります。 これ(ワイン)が私の血である。 これ(パン)が私の肉である。「ヨハネ福音書」には、こんな言葉が記されています。 アーメン、人の子の肉を食べかつその血を飲まねば、あなた方の中に命はない。わが肉を食い、わが血を飲むものは永遠の命を得る。わたしはその人を最後の日に復活させよう。わが肉は真の食べ物、わが血は真の飲み物である。わが肉を食べわが血を飲むものは私にとどまり、私も彼にとどまる。(『世界の名著13聖書』前田護郎訳 中央公論社) 人間が自我(精神)と魂と肉体とからなっているように、地球もまた自我と魂と肉体からなっています。キリストが地球と結びついたということは、キリストが地球の自我となり、魂となり、地球がキリストの肉体になったということなのです。だから、地球が生育する植物の汁こそキリストの血であり、地球が生育するパン(穀物)はキリストの肉です。ゴルゴタの丘にキリスト・イエスの血が流れた瞬間から、この地球は、地上の世界は、パウロが発見したようにキリストの生きた力に満たされているのです。 だけど、「光は闇のなかで輝いている。しかし、闇は光を理解しなかった」(「ヨハネ福音書」序章)のです。「光」とは、「私は世の光である」とみずから語ったキリストの精神的太陽の光、愛の光です。「闇」とは、眠りこけているぼくらの意識、ぼくらの認識の闇です。
2007年12月23日
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会場が近く(杉並公会堂)料金も安い(2500円)ということもあって、昨年に引き続き今年も桐朋学園オーケストラの第九演奏会に行ってきました。やはり第九を聴くと年末って感じがしますね。第四楽章の「歓喜の歌」の歌詞は、シラーの詩にベートーベンが多少手を加えたものですが、その詩の内容はキリスト教的というよりも秘教的な印象があります。一説には、フリーメーソンの理念を詩にしたものだともいわれています。 歓喜に寄せて おお友よ、このような音ではない!我々はもっと心地よいもっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか(ベートーベン作詞)歓喜よ、神々の麗しき霊感よ天上の楽園の乙女よ我々は火のように酔いしれて崇高な汝(歓喜)の聖所に入る汝が魔力は再び結び合わせる時流が強く切り離したものをすべての人々は兄弟となる(シラーの原詩:時流の刀が切り離したものを貧しき者らは王侯の兄弟となる)汝の柔らかな翼が留まる所でひとりの友の友となるという大きな成功を勝ち取った者心優しき妻を得た者は彼の歓声に声を合わせよそうだ、地上にただ一人だけでも心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよそしてそれがどうしてもできなかった者はこの輪から泣く泣く立ち去るがよいすべての被造物は創造主の乳房から歓喜を飲み、すべての善人とすべての悪人は創造主の薔薇の踏み跡をたどる。口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を創造主は我々に与えた快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ智天使ケルビムは神の御前に立つ神の計画により太陽が喜ばしく天空を駆け巡るように兄弟たちよ、自らの道を進め英雄のように喜ばしく勝利を目指せ抱き合おう、諸人(もろびと)よ!この口づけを全世界に!兄弟よ、この星空の上に父なる神が住んでおられるに違いない諸人よ、ひざまついたか世界よ、創造主を予感するか星空の彼方に神を求めよ星々の上に、神は必ず住みたもう
2007年12月21日
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初めて映画の試写会に応募して、当選しました「歓喜の歌」という映画です。今まではお金を出して映画を観ていたんですが、これからはもっと試写会を利用しようかな。 http://www.kankinouta.com/index.html
2007年12月20日
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町村信孝官房長官は18日午後の記者会見で、未確認飛行物体(UFO)について政府が存在を確認していないとの答弁書を作成したことについて、「政府答弁は政府答弁であり、私は個人的には、こういうものは絶対いると思っております」と語った。会見の詳細は以下の通り。-先日民主党の参院議員から未確認飛行物体(UFO)に関する質問主意書が出され、本日、政府としては存在の確認していないなどとする内容の答弁書が出されたが、この質問の内容や答弁書の内容について長官の考えは「うーん、まあ、あのー、政府のそれは公式答弁としてはですね、UFOの存在は確認していない。だから、対策なども特段検討していないという極めて紋切り型の答弁しかないだろうと思いますけれども、あのー、私は個人的には、こういうものは絶対いると思っておりまして。個人的な、個人的な意見でありまして、政府答弁は政府答弁であります。そうじゃないと、いろんなところにあるね、ナスカ(の地上絵)のああいう、説明できないでしょ。と、思っているんですけれどもね。ま、ちょっと、これ以上広げないようにします。どうも。毎回、こういうご質問をお願いいたします」 町村官房長官、ナイスです!
2007年12月19日
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ある朝、母がカルト視される宗教に入ったことを知った息子。その現実に直面して、彼は母にカメラを向けた。次の日、印鑑などの購入の他に、多額の献金をしていることが判明する。どうしてこんなことになってしまったのか?母は特別信仰心に篤い人ではない。 3年前に父が亡くなったことが原因かもしれない。あるいは、仕事を辞めて毎日一人で家にいるのが悪かったのかもしれない。繰り返される様々な対話。淡々と続いていく母の日常。やがて疑問の矛先は彼自身に向けられる。彼はうつ病を患っていた。苦しむ息子を思いやる母。母はもしかしたら自分のためにカルトに入ったのではないか?彼は事実を知ろうと思う。カルトとは何か?そして、家族とは何か? この映画は、監督自ら全編撮影し、母親をはじめとする家族、宗教信者、宗教識者、心理学者、弁護士らとの対話によって制作されました。しかし本作を「カルト問題についてのドキュメンタリー」とだけ見ることは適切ではありません。これは、監督自身の母親への愛の告白であり、同時に母親の息子への愛の告白であり、そして家族というものがいかに成り立っているかということの記録でもあります。自分の母親と話がしたくなる、そんな映画です。 ヨシュアさんのブログで紹介されていました。私は統一教会にいた頃、当事者として霊感商法に携わっていました。いわゆる霊能者の先生(トーカー)として、ゲストに献金をさせていたわけです。当時は文教祖をメシヤとして信じ、ゲストの救いを思ってやっていたわけですが、先祖の救いという方便で多くの人たちに献金をさせ(時には借金をさせ)、結果的には騙していたわけです。統一教会がカルトだと知った今、元統一教会員としてその事実を伝える義務はあると思います。今後、東京でも公開される機会があれば、まだ現役の家内と一緒に観たいと思います。 http://www.devenir.info/belief.html
2007年12月18日
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数年前にNHKでやってたんですが、はまりました。パントマイム(ほとんど台詞が無い)でこれだけ笑わせるなんて大したもんです。http://www.youtube.com/watch?v=etUq95XKGiw&feature=related もうすぐ映画も上映します。もちろん観ますよ~。http://www.mrbean.jp/
2007年12月16日
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氏神様の石を取られたら不安だとか、方位方角が良くないとか、今まで持っていたお札を放すと罰が当たるよとか、私たちはいろんな迷信で動かされています。もうそういう迷信から卒業しなければいけません。仏像も溶かせば単なる真鋳なのです。お札も単なる紙切れなのです。石は石なのです。なぜ私たちはそういうことに早く気がつかなければいけないのでしょうか。それは、そういったことを利用して、悪用する人が出てくるからです。そういう心を利用してお金を儲けようとする人も出てきます。その結果、いつも恐怖に苛まれ、不安に苛まれる心の犠牲者も出てきます。心臓を動かしているのは、私たちの意思ではありません。毛細血管はつなげると地球を一周するくらい長いといわれていますが、その毛細血管の隅々にまで休まず血液を送っているのも、私たちの意思ではありません。食べたものは消化吸収し、血液となり肉となり、要らないものは前と後ろから排出されます。この心臓はある一定のリズムで動いています。髪の毛は伸びるけれど、眉毛は伸びません。目は暗いところに行くと、パッと瞳孔は開きます。現代技術でいくら研究しても、この目はできません。男女が出会って妊娠し、子どもが生まれる頃には、自然とおっぱいが出てきます。まさにこれは宇宙の神秘なのです。私たちは自分であって自分ではないのです。まさに神の現れといってもいいのです。私たちが頭で描く自分ではなく、もっと大きな見えない力に動かされているのです。自分の意思で動かせるのは、手と足と、目と口が少し動かせる程度で、ほとんど見えない世界で動かされているのです。これを神といわずして、何というのでしょうか。人間が作った真鋳だとか、紙切れだとか、そんなものを私たちは拝んでいるのです。もう本当のことを知らなければならないのです。もし、敢えて仏像を拝むとしたらお釈迦様のあの柔和な美しい顔が心に反射をし、その心があなたの心から出てくる呼び水として拝むことです。神はあなたの中にいるのです。そして、あなたは神の現われなのです。それがわかれば、何も怖がるものはありません。宇宙には方位方角はありません。宇宙は、あなたが愛そのものに目覚めていった時に、全方位になるのです。あなたの行く所総てが喜びと愛と感謝に満ち溢れた世界が、無限に広がっていくことでしょう。これからは、神である本当の自分に目覚めていくことが大切なのです。
2007年12月15日
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今日、免許の更新に行ってきました。「更新のお知らせ」には、手続きに必要なものとして「免許用写真1枚」とあるのに、結局必要ありませんでした。(免許をコピーした)写真代の700円、どうしてくれるんだ!講習区分が「違反」なので、2時間も講習を受けなければなりません。その中で、「破滅への道」というビデオを見たんですが、なんと出演していたのが里見浩太朗と原田龍二。「水戸黄門」コンビです。数年前に実際に板橋区であった事件(酒酔い運転)だそうで、加害者役を原田龍二が演じていました。酒酔い運転で二人の子供を車で撥ね、一人は死亡、もう一人は重傷。加害者の奥さんは心労で自殺してしまいます。このビデオを見て、遺族も確かに被害者ですが、加害者の残された家族も被害者だと思いました。退屈な講習をダラダラ受けるよりも、こういうビデオを見たほうが余程インパクトがありますね。 http://news.livedoor.com/article/detail/1455561/
2007年12月12日
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以前にこのブログでも紹介したことがある、ドンキホーテ系列のコンビニ「情報空間」が開店して一年も経たないうちに閉店してしまいました。個人的には5円コピーが使えるので重宝してたんですが、残念です。結局、6店舗あったうちの5店舗が閉店したようです。近所の「情報空間」は、近くにセブンイレブンとファミリーマートがあるんですが、結局既存のコンビニに負けちゃったんですね。西国分寺の「情報空間」は、同じ建物の隣がセブンイレブンでした。ドンキホーテも今回の出店は失敗だったようですね。 http://www.power-cvs.com/
2007年12月12日
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懐かしいドラマを見つけました。「青春の巨匠」森田健作主演の「おれは男だ!」です。中学の時、このドラマに感化され剣道部に入ったんですが、防具が臭くて一ヶ月で辞めました。因みにこのドラマの主題歌は、私のカラオケの十八番です。 http://www.youtube.com/watch?v=_s7hmWHrGtw
2007年12月12日
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You Tubeで見つけました。数年前の映像ですが、今まで語られる事のなかったデビュー当時からアメリカに渡るまでの秘話が語られています。彼女のファンにとっては、お宝映像ですね http://www.youtube.com/watch?v=5jdw7o0URj8&feature=related
2007年12月11日
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「アメリカの夜」高校生の時見た映画です。この映画を観て、ジャクリーン・ビセットのファンになりました。映画製作の内幕を描いた映画で、アカデミー賞外国語映画賞など数々の賞を取りました。音楽も良かったです。「男と女」これも高校生の時観ました。←マセガキこの映画がきっかけで、クロード・ルルーシュ監督とフランス映画のファンになりました。この映画も、カンヌ映画祭グランプリやアカデミー賞外国語映画賞など、数々の賞を取りました。フランシス・レイの音楽(全編に流れるボサノバ調の曲)とクロード・ルルーシュの映像が見事にマッチしています。 http://www.ongen.net/search_detail_album/album_id/al0000021405/
2007年12月11日
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中東エルサレム。ヘロデ大王の税金取り立てに苦しむ村ナザレに住むマリアは、ヨセフとの婚約中に身籠ってしまう。天使ガブリエルから「それは神の子だ」と告げられたマリアは、両親にも告げることができずにいた。その頃、"救い主"誕生の預言に怯えるヘロデ大王の命により街の人口調査が始まり、"救い主"になる可能性のある者は抹殺する命令が下る。マリアはヨセフの故郷ベツレヘムへ、二人で旅をすることを決心するのだった。『最後の誘惑』『パッション』『聖衣』...イエス・キリストを描いた映画は数々あるが、キリスト誕生に至る母マリアと父ヨセフの物語は今までほとんど映画化されることはなかったそうだ。マリアがひとりの女性としてどう葛藤し、妻としていかに愛を育み、母としてどう決心したかをつぶさに描き出している。クライマックスの「馬小屋のシーン」は感動的だ。弱冠12歳でオスカーにノミネート(『クジラの島の少女』)されたケイシャ・キャッスル=ヒューズが、少女から女へ、そして母の顔に変わっていくさまを見事に演じきっている。 <寸評>3年前に同じ映画館で観た「パッション」のインパクトに比べれば、この映画はある意味教科書的で物語りは淡々と進んでいきます。私もキリスト者の端くれとしてこの映画を観て、この世に救い主を頂いたことに改めて感謝の思いが沸きました。すっかり世俗化してしまった巷のクリスマスですが、この映画を観て少しは主に思いを馳せてみるのもいいのではないでしょうか・・・・・・。 http://maryandjoseph.jp/index.html
2007年12月10日
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●スーパーに買い物に出かけた家内と遭遇しないように、いつもと違うコースを行ったらばったり鉢合わせしてしまった。お互い無視して通り過ごす・・・・・・。 ●たまたま乗った電車が、私の誕生日の時刻だった。(シンクロニシティ) ●HMV(CDショップ)で、私の方を向いて笑顔で手を振っている女性がいた。「えっ」と思ったら、私の後ろにいた人に手を振っていたのだった。
2007年12月10日
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お客さんから頼まれて、お付き合いで今月一ヶ月だけ「聖教新聞」を取ることになりました。統一教会でも「世界日報」を出していますが、こちらは一応一般紙。聖教新聞は、池田先生の顔写真がデカデカと載っていたり、大半は創価学会関連の記事で占められています。統一教会で言えば、「中和新聞」に近いですね。せっかくなのでこの機会に、創価学会の勉強でもしますか。←小嘘
2007年12月04日
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深夜の社殿の中で、井坂伊織ら9人の侍が上役の汚職を暴き出そうと密談していた。意気が上がる若侍たちの前に社殿の奥から1人の浪人が現れた。粗末な身なりに口も悪く、腹が減っていると見える。しかし、話を聞くうちに、井坂は浪人に類のない頭の切れを感じ、仲間に加わって欲しいと頼む。反対する侍もいたが、井坂は三十郎と名乗るその素浪人にえもいわれぬ魅力を感じていた...。黒澤明監督の名作『椿三十郎』が森田芳光監督の手により、時代を超えて帰って来た。主演は、織田裕二、豊川悦司ら今の映画界をリードする若き侍たちだ。ある夜、密談する若侍たちの前に現れた男は、一見、無精ひげを生やした素浪人だが、類まれなユーモアで人を挽き付け、卓越した知識と剣の腕前で危難をなぎ倒していく。三船三十郎が威圧感でグイグイ引っ張って行くのに対し、織田三十郎は、協調性で若侍たちを惹き付ける。時代の違いこそあれ、理想のリーダーとしての三十郎を作り上げている。また、仲代達矢が演じた室戸半兵衛を豊川悦司が颯爽と好演している。脇を固める風間杜夫、小林稔侍、藤田まことらの演技合戦も見ものだ。 <寸評>黒澤監督のオリジナルの方は、観ていません。でもこの映画を観て、オリジナルも観てみたいと思いました。脚本はオリジナルのものをそのまま使っているそうで、やはり本が面白いと映画も面白いですね。殺陣も結構迫力がありました。やはり日本人は、こういった勧善懲悪ものが好きなんですね。ただ、最近ビデオで「東京ラブストーリー」を見たばかりなので、椿三十郎とカンチが時々被さりましたが・・・・・・。(「東京ラブストーリー」でカンチの上司役をやっていた、西岡徳馬(今回は敵役)も出ていたので尚更・・・・) http://www.tsubaki-sanjuro.jp/index.html
2007年12月03日
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