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宇都宮靖「鳶の笛--黒田官兵衛と宇都宮一族との戦い」(大分県中津市監修・梓書院)を読了。中津の黒田官兵衛資料館で購入した本。母の「邪馬台」同人仲間であった宇都宮先生の著書である。官兵衛は謀をもって宇都宮一族を滅ぼし、豊前の領主となった。この宇都宮一族の末裔がこの著者だ。秀吉の九州征伐に官兵衛は軍艦として参戦し平定する。秀吉は官兵衛に豊前国を賜った。この豊前には鎌倉時代から400年にわたりこの地を治めてきた宇都宮一族がおり、その代表が宇都宮鎮房であった。宇都宮は四国今治に12万国賜ったが、最終的に秀吉の命に従わず、一揆を起こす。官兵衛の子の黒田長政は官兵衛不在のまま、この一揆と戦うが手痛い敗戦をする。官兵衛は秀吉により「奸計をもって謀を考えよ」との下知を受ける。宇都宮との講和をはかり長政と鶴姫との縁組を企画した。その祝宴のため。宇都宮一行は一部を合元寺に残し、中津城内に15人程が入った。その酒宴中に黒田方の野村太郎兵衛が宇都宮鎮房に斬りかかった。長政は刀を抜き切りつけた。場内は乱戦となった。合元寺まで逃れた侍たちは、黒田方に切り殺された。この血はこの寺の壁に飛び散り、何度塗り替えても血がにじみ出てくる。そこで赤く塗られた。この合元寺は赤壁寺の別名がある。豊前地方誌によると、合計20名が死んでいる。子の朝房も肥後で殺害されている。f:id:k-hisatune:20140430064628j:image宇都宮氏は深く地方の民心を得ていた。人々は異口同音に黒田氏を恨みその家の断絶を祈った。その呪詛の祭りは福沢諭吉の時代まで200年以上、1年も欠かさず行われた。百年規模の祭りは大規模で、明治年間に300年祭、1982年(昭和62年)には鎮房の400年祭と遠祖信房の800年祭が同時開催された。黒田家では、長政のひ孫の後には後継男子が生れず養子に頼った。また6代連続で後継者が若死にするなど、黒田家に後嗣が生まれることはなかった。人々は祟りだとうわさした。-----------------------宇都宮靖1926年生。中津市生。大分師範学校卒。中津市立豊田小学校校長などを歴任。「邪馬台」編集委員。剣道七段。俳人。随筆、小説も書いた。-------------------旧天皇誕生日。今はみどりの日。「14代酒井田柿右衛門とJR九州の豪華列車」「同時通訳・永井鞠子(プロフェッショナル仕事の流儀)」「ペントハウスの住人」などの番組を楽しんだ。来訪者累計本日昨日
2014/04/29
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古市憲寿「だから日本はズレている」(新潮新書)を読了。29歳の社会学者の新刊。この本でいちばん面白かったのは「2040年の日本」だ。---------------------相対的貧困率は40%だが、人々は幸せそうだ。階級社会は満足度を上昇させた。最低賃金法の撤廃、公的年金の廃止の強行採決時の反対運動に97歳の田原総一朗が満足。「ハッピーサプリ」は移民相当職の労働者に配られる。富裕層はスマートドラッグを服用し脳が若々しい。人口は1億人を割った。中流層の日本脱出が始まっている。まともな仕事が減ってきたからだ。中国では安全なトリウム原発によって電力は安定供給されている。これはメルトダウンが原理上起きない新世代原発だ。没落した中国は首都を上海に移し都市国家連合として再興を目指している。千葉農業都市が注目されている。地方のコンパクトシティを一歩出ると荒野が広がっている。東京は活気にあふれているがほとんどが老人だ。平成生まれ初の都知事の朝井リュウの「何者(老人編)」。団塊世代は90歳超。救急車や消防車はお金を払わないとこない。公立学校からは体育や音楽が姿を消した。一番売れた本は三浦知良の「死なないよ」。----------------------こういうストーリーで小説仕立てにして書いてもらいたいものだ。 ソーシャル・メディアを活用した企業バッシングにおびえることはない。この共感は冷めやすい。ソーシャルメディはガス抜き装置となて、大規模な不買運動の可能性は抑圧されている。 今の20代は豊かな時代の落し子だ。ハングリー精神はないようにみえるが、社会に対する関心は高い。 「ノマド」は日本で働く会社員の見果てぬ夢だ。 天は人の上下を造らないが、学問が人の上に人を造る。 中小企業の有効求人倍率は3.27倍。欧州に比べたら日本は若者に優しい社会だ。 若者は格差社会の当事者、つまり弱者であるとは思っていない。貧困は未来の問題である。 若者は忙しい。暇な高齢者は社会運動にはまりやすい。その典型が原発問題だ。それは新しい悲劇で、一種のお祭りである。 若者の静かな変革に注目。大きなことを言わないが、粛々と身の回りの100人、1000人を確実に幸せにする。フローレンスやマザーハウス、、。 若者の生き方を具現化したのがシェアハウス。家賃3万で生活費は5万。仕事を辞めて月に数回日雇い労働するだけであとは自分の好きなことをしながら暮らす。固定費を減らし、家にいる友達といつでも遊べる。しかし格差によるフィルタリングはある。シェアハウスは注目を集めていくだろう。 コンサマトリー(自己充足的)。「今、ここ」にある身近な幸せを大切にする感性。手段的な行動をしない。20代の生活満足度は78.4%と高い。 社会のために役にたちたいと考える20代は66%。1975年以来最高の数値。 「今、ここ」にいる自分や仲間を大切にする。生きやすい環境をつくる、それが社会をよくすることになる。優しい革命。-----------------------------------夕方、入院中の八木さんをお見舞い。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140423 | 編集 10時:学部運営委員会:執行部の教授会前の事前打ち合わせ。 10時40分:本年度第1回教授会:フランスからの留学生紹介、新任教員紹介から始まる。2時間。 下井先生と面談 趙先生、石川先生と済州島ツアーのついて。スタディーアブロードの単位、保険、文科大臣、、、。 13時:多摩大学総合研究所の本年度第1回運営委員会:私(所長)、松本副所長、中庭副所長、諸橋委員、彩藤委員。本年度の活動方針、スケジュール、懸案などを確認。総研の位置づけについての合意形成、、、。 14時半:サンリオピューロランド井上社長らと面談。協力関係をさらに推し進めることになった。来訪者累計本日昨日
2014/04/23
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「市場と権力---改革に憑かれた経済学者の肖像」(佐々木実)を読了。小泉政権で構造改革に突進し、第二次安倍政権で復活を目指す竹中平蔵という人物を分析した好著。第12回新潮ドキュメント賞受賞作品。「自分の思想と他人から受けついだ知識との区別に無神経」「人のものを取り込んでいく」仕掛け人・オルガナイザー・エディターとしての腕前」「シンクタンクという装置は、政治に近づくための手段であり、大きな報酬を受けるための収入源だった。」「税疑惑。、4年間住民税を払わなかった。」「自民党と民主党の両方のブレーンを組織して、どちらに転んでも経済政策が自分の手に落ちるよう細工」、、、。不良債権処理。 三井住友銀行の大規模増資を行ったゴールドマンサックス。ゴールドマンサックスとの特異な契約。竹中の金融行政はゴールドマンサックスを日本に呼び込むことだった。 りそな銀行の経営破綻。繰延税金資産問題で監査法人を使って銀行を破綻させ、2兆円の公的資金投入。自民党への融資の増大がおこった。 盟友・木村剛は論功行賞で新設の日本振興銀行を手に入れる。その銀行の破綻時に木村は自分自身の財産だけを守る。 東京地検特捜部を使って、資料隠しという些細な理由でUFJ銀行を巨額赤字に追い込み、東京三菱銀行に吸収合併させ消滅させる。 りそな破綻で生じた利益は竹中グループで山わけされている。郵政民営化。 財政投融資制度の弊害である資金運用部への預託はなくなっており、民営化する必要はなかった。 350兆円の郵政マネー。金融(郵貯と簡保)の分離で市場に売却。 自民党政府はマッキンゼーとコンサル契約を結んでいた。 「かんぽの宿」の売却先は宮内義彦のオリックス不動産。1000億円異以上の実勢価格を109億円。改革利権。 大量のアメリカ国債購入でイラク戦争のブッシュ政権の戦時経済を支えた。- 産業競争力会議で労働市場の規制緩和を主張。竹中はパソナの会長。 ミサワホームをトヨタホームに変えて、実兄の竹中宣雄を社長に抜擢。以下、登場人物。佐貫利雄。井上宗迪。ケント・カルダー。榊原英資。長富祐一郎。宇沢弘文。高橋伸彰。鈴木和彦。植田和男。ローレンス・サマーズ。ジェフリー・サッスク。本間正明。浜田宏一。伊藤隆敏。船橋洋一。香西泰三。加藤寛。加藤紘一。藤田田。笹川陽平。吉田和男。伊藤元重。大田弘子。堺屋太一。中谷巌。竹内佐和子。樋口廣太郎。日下公人。牛尾治朗。中川秀直。リン・ウィリアムズ。ローラ・タイソン。鳩山由起夫。島田晴雄。八代尚宏。北岡伸一。島聡。宮内義彦。リチャード・カップ。グレン・ハバード。木村剛。岸博幸。前田晃伸。西川善文。川本裕子。歳川隆雄。高橋洋一。ポール・クルーグマン。村上世彰。三澤千代治。竹中宣雄。三木谷浩史。南部靖之。、、、。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140419 | 編集インターゼミ(社会工学研究会)。 学長と打ち合わせ:進め方・学生寮・「市場と権力」、、。 自己紹介:諸橋先生・小林先生。大学院の遠藤、河内、朱さん。f:id:k-hisatune:20140419171522j:image 学長講話f:id:k-hisatune:20140419161958j:image 進化するインターゼミ 課題解決力:全体知が必要 グループ学習:ヨコとタテの知識の吸収。これで解答力が決まる。持ち時間付きゲーム。「君はどう思うのか?」 文献研究とフィールドワーク。勉強不足を感じる。凝縮し、統合し、スパークさせる。 縁。寺島という男への好奇心。方法論、メソドロジーを鍛えよ。マンハイム、マックスウェーバー。裾野。 2つのマップ。ヒューマンリレーション・マップとアセット・マップ。 人的ネットワーク。深いネットワーク。影響力があるか。友達。困ったとき。本気。貢献力がベース。自分はごまかせない。進歩。駒を進める。志。 金、資格、。。増えたか。努力できる才能。 多摩学:ニュータウン、八王子千人同心、中里介山と白洲次郎、浦賀、自由民権運動。物流と人流の変化。相模原のケーススタディ。多摩大総研・日本総研・自動車社会(経産省)・国交省・グーグルとアマゾン・多摩市・多摩信金。 アジア:日本のアジア外交の掘り下げ。17世紀オランダ論。朝鮮通信使。長崎唐人屋敷。江戸時代の日中韓。歴史的視界。 サービス・エンターテイメント:湘南の学部。ホスピタリティマネジメント。観光立国。3000万人。IR(インテグレイテッド・リゾート)。 地域:環境エネルギー班を吸収。復興・環境・エネルギー。東日本大震災から3年。f:id:k-hisatune:20140419162008j:image 今年は各班に広報担当者を指名し記録とPRに使いたい。教員は交代で時々休めるようにスケジュールを組むようにしたい。来訪者累計本日昨日
2014/04/19
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1月から徒歩通勤をしている。季節の移り変わりを感じることができるが、時々面白い光景を見かけることがある。f:id:k-hisatune:20140417073837j:imagef:id:k-hisatune:20140417073841j:image■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140418 | 編集多摩キャンパス 10時40分:授業「マネジメントデザイン論1」の2回目。受講生は多いが、態度がとてもいい。作業中の風景。f:id:k-hisatune:20140417150419j:image 12時:学科名変更の文科省申請書類の確認:金教務委員長・満岡さん。 大学院ビジネスICTコースの朱さん来訪:受講科目などのアドバイス九段サテライト 14:30:学部長・研究科長会議:業績評価規程など。 15:00:学長を訪問されたファンケル社社長室の白鳥マネジャー、福井さんとの面談に同席。新ファシリティ「T-Studuio」での事業の件など。 16:00:大学運営委員会:本日は田村常務理事も出席。 経営情報学部から:事業構想学科文科省届出。新体制の稼働状況(新機軸・深堀りの進行)。ビッグデータ協議会への参加。大学全体の人材像の確認。 学長から:プロジェクトマネジメントスペシャリスト。アジア・ベンチャーネットワーク。森ビルアカデミー。F社との包括協定。企業派遣。NPO/NGO。金沢工大の地域活動。長崎大學多文化社会学部。メリハリ。、、、。・ 17時:自己点検委員会:学長「豊かな立体的な表現の工夫を」。横田外部委員「着実」。 17時半:田村常務理事に多摩ニュータウンの学生寮の設置についての奥山先生からの現状報告に同席。来訪者累計本日昨日
2014/04/18
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多摩大リレー講座2014年春学期が本日から始まった。初回は、寺島学長の「2014年という年の持つ意味」。6年間のリレー講座は、144回、受講者は7万人以上。今回は一般受講363名(過去最高)と学生217名の計580名が受講。f:id:k-hisatune:20140417150419j:image 世界観と時代認識。外は広く、内は深い。全体知。トータルな知性、生きる構え。時代の解説ではなく価値に踏み込んでいる。思想・哲学・宗教など考え方の軸が必要。あるべき方向感。 一つは「株が上がってめでたい症候群」。 外人投資家(ヘッジファンド)は4月4日時点で15.7兆円ほど買い越し。。日本は機関投資家5.7兆円、個人投資家8.8兆円、計14.5兆円の売り越し。外人が買って、日本人が売り抜く構造。外人は年明け以降1.2兆円売り越してきたがまだ売っていない状況。バブル崩壊以降、日本人の資産家が没落。この株価上昇でギンザノミクス。 アベノミクスで通貨切り下げ。円安となったが輸出が伸びない、輸入インフレ、格差と貧困の拡大。 欧州、ロシア、新興国はよくない。したがってまだ外人の株投資資金は日本に滞留。 日本一人あたりGDPは3.9万ドル。世界23位、アジア3位。シンガポール5.3万ドル、ブルネイ4.3万ドル。香港3.8万ドル。貿易は赤字に。経常は4ヶ月連続赤字に。 脱工業化モデルで一人5万ドルにするにはどうするか。シンガポールモデル(医療・教育・カジノ、、)。デンマークモデル(5.8万ドル。IT・バイオ、)。観光立国、産業としての「観光。IR(インテグレイテッド・リゾート)。 クリミア問題:石油130ドルと高騰。エネルギー制裁ができるかがカギ。EUは脱ロシアカードは切れない状態。日本はロシアのウクライナ併合で股裂き状態。 中国はリコノミクスで引き締め。ロシアには金は向かわない。日本の成長戦略を見極めている状態。 アメリカは実体経済が良くなってきている。金融引き締め。エネルギー革命(シェールガス・石油)とIT革命パート2(クラウド・ビッグデータ)。雇用量が増加。資金はアメリカに向かうか? 日本の成長戦略が重要な局面。アベノミクスは外人主導の株高幻想に終わる可能性。ビジョン計画から具体策へ。観光立国、自動車以降の産業サイクル、食糧自給、、。 一つは「プチ・ナショナリズム症候群。中国・韓国になめられやくないという意識。日本のイスラエル化お危惧。やっかいな同盟国化。日本に巻き込まれて米中戦争にならないか。2月10日の在日米軍司令官発言「軍事介入はしない」。アメリカの東アジア政策は影響力の最大化だ。中国とは米中戦争を避けるという合意。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140417 | 編集 プレゼミ:授業登録・フェイスブックとLINE登録。まずはコミュニケーションのインフラづくり。 本日の日経新聞トップ記事「ビッグデータ300社連携」の記事。データセクションなどが「データエクスチェンジ・コンソーシアム」を設立の記事を発見。理事長に就任したデータセクション橋本大也さん(多摩大大学院客員教授)からFBで連絡があった。ラウンジで今泉大学院ビジネスコース長と協議し参加を決定。今泉先生にも橋本先生から連絡あり。すぐに連携に入った。 午後、学長:拙著「日本一わかりやすい図解日本史」を献本。午前のデータエクスチェンジ・コンソーシアムの件を報告、了承と励ましを受ける。 リレー講座の学長講義。 ゼミ:新2年生に対して4つのプロジェクトのプレゼン。その後、各チームとの懇談。来週には所属チームを決める。f:id:k-hisatune:20140417182109j:image ラウンジで教務委員長の金先生と情報交換。途中、入試委員長の小林先生と言葉を交わす。-------------------------多摩大ホームページの「ゼミの多摩大」コーナーでゼミ動画をみることができる。久恒ゼミ・中庭ゼミ・梅澤ゼミ・彩藤ゼミ。だんだん増えていく予定。各ゼミの様子がよくわかる編集。http://www.tama.ac.jp/guide/seminar.html------------今年の卒業生から入社企業での配属位希望先の相談がフェイスブックであった。若干のアドバイスをする。フェイスブックのグループはずっと生き続けるから卒業生と将来にわたってずっとコミュニケーションをとれることになっている。予測していた通り、OB会が自然にできあがることになる。来訪者累計本日昨日
2014/04/17
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田中光顕「最後の志士が語る 維新風雲回顧録」(河出文庫)を読了。この本の冒頭に司馬遼太郎が「歴史の証言」というタイトルで短い文章を書いている。幕末には長州の高杉晋作、その後は土佐の中岡慎太郎、維新後は長州系の傍役として数々の要職についたと書き「いわば典型的な二流志士」であるとした。それゆえに西郷、木戸、大久保、坂本など一流の志士とはべつな視点を持ったとしている。この本自体は、語り下ろしのような筆致で維新までの動乱を事件と人物をたどりながらの体験談という形になっている。尊王攘夷という思想的な話題はなく、もっぱら事件史である。この本の中で興味深かったのは、高杉晋作、坂本龍馬などの英雄の実像とその人物の活写である。最も心酔していた高杉に関する言葉。 「兵に臨んでまどわず、機をみて動き、奇をもって人に勝つものは、高杉東行、これまた西の一奇才」と後に陸援隊を率いた中岡慎太郎が語っている。 「孫子に、大将厳を先とすとある、、」と高杉は奇兵隊を率いた考えを述べている。 高杉は王陽明全集を読んでおり、王陽明の詩を田中に紹介した。 「四十余年、舜夢の中。而今、酔眼、始めて朦朧。知らず、日はすでに亭午を過ぎしを 起って高楼に向かって、暁鐘を鐘く」 「およそ英雄というものは、変なき時は、非人乞食となってかくれ、変ある時に及んで、竜のごとくに振舞わねばならない」 「男子というものは、困ったということは、決していうものじゃないい。、、、平生はむろん、死地に入り難局に処しても、困ったという一言だけは断じていうなかれ」と堅くいましめられたそうだ。田中の孫の田中光孝が「やかましくいわれたことに「困った」という言葉を決して使ってはならない、ということがありあす」とも書いているから、座右の心構えであったのだろう。 木戸孝允の「世の中は桜の下の相撲かな」という言葉も含蓄がある。桜の下の相撲では、勝ったものには花が見えない。仰向けに倒れたものは花をみることができる。国事に奔走したものはこの倒れたものなのだということだろうか。85歳の光顕は「幸いいして生きながらえている私どもの事業としては、国家の犠牲となって倒れたこれら殉難志士の流風余韻を顕揚することにつとめねば相成らぬと深く考えている」と書いて終わっている。昭和43年(1968年)の日付で孫によれば、田中は志士たちの遺墨、遺品、写真などを収集し、各命日にはその遺墨を出して香をたき、冥福を祈っている。それらが散逸しないように、高知の佐川文庫、大洗の常陽明治記念館、東京都北多摩郡桜ヶ丘の多摩聖蹟記念館に寄贈したのである。「二流の志士、そして最後の志士」の視点と人生観が興味深い。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140414 | 編集「現代の志塾・多摩大」。現2年生全員の「私の志」の一覧は圧巻です。http://www.tama.ac.jp/kokorozashi/index.html来訪者累計本日昨日
2014/04/14
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2014/04/13
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ブログ「今日も生涯の一日なり」の2013年分の冊子3冊が届く。合計で1045ページとなった。昨年の1036Pを超えて過去最高記録。1pは1000字(原稿用紙2.5枚)とすると2612枚換算。単行本1冊を300枚とすると、ほぼ9冊分に相当する量を書いていることになる。毎日7枚。ちなみに本日で連続記録は3482日目。f:id:k-hisatune:20140412060756j:image2004年9月28日--2005年12月31日 471P A5判 自費出版 10冊(自分用・親兄弟用)2006年 513P A5判 自費出版 10冊(自分用・親兄弟用)2007年 657P A5判 自費出版 10冊(自分用・親兄弟用)2008年 870P はてなブック3分冊 1部(自分用)並製2009年 912P はてなブック2分冊 1部(自分用)並製2010年 854P はてなブック2分冊 1部(自分用)上製本2011年 881P はてなブック2分冊 1部(自分用)上製本2012年 1036P はてなブック3分冊 1部(自分用)上製本2013年 1045P はてなブック3分冊 壱分自分用) 上製本------------------本日は、江戸城無血明け渡し1868年の日。----------------------伊藤潔「台湾--四百年の歴史と展望」(中公新書・1993年)から。台湾―四百年の歴史と展望 (中公新書)台湾―四百年の歴史と展望 (中公新書) 作者: 伊藤潔 出版社/メーカー: 中央公論社 発売日: 1993/08/25 メディア: 新書 購入: 1人 クリック: 54回 この商品を含むブログ (16件) を見る1971年ニクソン大統領訪中後に、台湾は国連脱退。1979年台米断交。同年台湾関係法成立。1988年蒋経国総統・国民党主席死亡。憲法の規定で李登輝副総統が総統に昇格。台湾人で初めて国家元首に。蒋経国は李登輝を後継者と考えてはいなかった。お飾りの副総統だったが、国民党は主席に選出した。李登輝は1923年生まれ。旧制台北高校、京都帝大、在学中に学徒出陣、台湾大学卒。米国アイオワ大学で修士、コーネル大学で博士。1972年行政院政務委員(国務大臣)、1978年台北市長、1981年台湾省政府主席。1984年副総統、総統就任は65歳。李登輝は台湾人の絶大な支持と期待を支えに権力を掌握していく。二期目には蒋介石の次男・蒋緯国の副総統就任を強硬に阻む。党、特(情報)、軍、そして連戦を行政院長に起用し政も掌握した。李登輝の民主化改革 党が国家の上位であってはならない。 軍は国家の軍でなければならない 一党独裁であってはならない 実務外交を推進すべきである 中国政府・中共政権と対立してはならない 政治犯の存在は民主国家の恥辱である1992年の初めての総選挙で李登輝率いる外来政権の国民党は、初めて台湾統治の正当性を得た。---------------------------■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140411 | 編集 マネジメントデザイン論1の初回の授業。期待感を高めるという趣旨のオリエン的授業。アンケートを読むと十分の目的を達したと思う。大人数だが非常に静かな、いい雰囲気の授業ができた。 ラウンジにて、樋口先生と諸橋副学長と歓談。 研究室に大学院生の朱さん来訪。来週から秘書の近藤さんと一緒に中国語会話の個人レッスン受けることにした。本日は、教科書選定と発音練習。 福中さん:教員業績関係の規程案 小林君と和田君とゼミの相談。 矢内事務長 高野課長:問題解決学関係の資料を渡す 教育サポート室で給与関係書類を渡しながら懇談。斎藤S先生、石川先生、清松先生、飯田先生。面談が済んだ。 金子さんと総務と一緒に研究室の空きを確認。ミニ会議室に。 杉田先生:卒業見込み証明書の件来訪者累計本日昨日
2014/04/11
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本日プレゼミで訪問した旧聖蹟記念館をつくった田中光顕という人物についての記述。-----------------------天保14年(1843年)閏9月25日、土佐藩の家老深尾家々臣である浜田金治の長男として、土佐国高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)に生まれた。土佐藩士武市半平太の尊王攘夷運動に傾倒してその道場に通い、土佐勤王党に参加した。叔父の那須信吾は吉田東洋暗殺の実行犯だが、光顕も関与した疑いもある。しかし文久3年(1863年)、同党が八月十八日の政変を契機として弾圧されるや謹慎処分となり、翌元治元年(1864年)には同志を集めて脱藩。のち高杉晋作の弟子となって長州藩を頼る。第一次長州征伐後に大坂城占領を企図したが、新撰組に摘発されたぜんざい屋事件を起こして大和十津川へ逃れる。薩長同盟の成立に貢献して、薩摩藩の黒田清隆が長州を訪ねた際に同行した。第二次長州征伐時では長州藩の軍艦丙寅丸に乗船して幕府軍と戦った。後に帰藩し中岡慎太郎の陸援隊に幹部として参加。慶応3年(1867年)、中岡が坂本龍馬と共に暗殺(近江屋事件)されると、その現場に駆けつけて重傷の中岡から経緯を聞く。中岡の死後は副隊長として同隊を率い、鳥羽・伏見の戦い時では高野山を占領して紀州藩を威嚇、戊辰戦争で活躍した。維新後は新政府に出仕。岩倉使節団では理事官として参加し欧州を巡察。西南戦争では征討軍会計部長となり、1879年(明治12年)に陸軍省会計局長、のち陸軍少将。また元老院議官や初代内閣書記官長、警視総監、学習院院長などの要職を歴任した。1887年(明治20年)、子爵を授けられて華族に列する。1898年(明治31年)、宮内大臣。約11年間にわたり、同じ土佐出身の佐々木高行、土方久元などと共に、天皇親政派の宮廷政治家として大きな勢力をもった。1907年(明治40年)9月23日、伯爵に陞爵。1909年(明治42年)、収賄疑惑の非難を浴びて辞職、政界を引退した。政界引退後は、高杉晋作の漢詩集『東行遺稿』の出版、零落していた武市半平太の遺族の庇護など、日本各地で維新烈士の顕彰に尽力している。また志士たちの遺墨、遺品などを熱心に収集し、それらは彼が建設に携わった茨城県大洗町の常陽明治記念館(現在は幕末と明治の博物館)、旧多摩聖蹟記念館、高知県佐川の青山文庫にそれぞれ寄贈された。その他、1901年(明治34年)に日本漆工會の2代目会頭に就任、久能山東照宮の修理をはじめ漆器の改良などの文化事業を積極的に行っている。晩年は静岡県富士市富士川「古渓荘」(現野間農園)、同県静岡市清水区蒲原に「宝珠荘」(後に青山荘と改称)、神奈川県小田原市に南欧風の別荘(現在の小田原文学館)等を建てて隠棲した。昭和天皇に男子がなかなか出生しないことから、側室をもうけるべきだと主張。その選定を勝手に進めるなどして、天皇側近と対立した。また、昭和11年(1936年)の二・二六事件の際には、事件を起こした青年将校らの助命願いに浅野長勲と動いたが、叶わなかった。1939年(昭和14年)3月28日、静岡県蒲原町の別荘にて97歳で没した。口述筆記による回顧談『維新風雲回顧録』(新版が大和書房のち河出文庫)がある。他に『維新夜話』と『憂国遺言』が遺されている。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」1404010 | 編集プレゼミ。Kグループはバートル先生、椎木先生、私が担当教員。簡単なオリエンテーションの後、徒歩15-20分の旧聖蹟記念館を訪問。多摩大の近隣を知るという目的。学芸員の高橋さんから30分ほどの詳しい説明を受ける。全員で写真撮影。f:id:k-hisatune:20140410101027j:image明治天皇は1881年以降、連光寺村で鮎漁を楽しまれ、この地は皇室の御猟場に指定された。名前を変えた多摩村は大正時代まで続き、皇室はゆかりの深い土地となった。昭和3年(1929年)、宮内大臣として長く明治天皇に仕えた田中光顕(1843年生まれ)という人がこの地に着目。田中は70歳で引退した後、明治天皇の偉大さを伝えること、明治の志士たちを顕彰することを志した。田中は97歳までの長寿を全うしたから、余生は四半世紀に及ぶ。これは余生というべき長さではない。95歳の時の等身大の写真があった。九七叟。かくしゃくとしている。最後の志士であった。郷里高知に青山文庫、千葉県大洗に常陽明治記念館、そして多摩に旧聖蹟記念館を建てた。田中光顕は、1843年土佐に生まれた。坂本竜馬(1835年生まれ)より8歳年下。武市半平太・瑞山の土佐勤王党に参加、陸援隊の一員となった。警視総監、学習院院長、などを歴任した後、宮内大臣を11年努めている。1939年没だから日中戦争を経て、大東亜戦争のさなかまで生きていたということになる。「長生きの術はいかにと人問わば 殺さざれし故と答えたり」という田中の歌があった。館内には、明治天皇騎馬像の彫刻がある。また坂本龍馬を描いた絵、勝海舟の書なども。勝海舟「得失は一時にして、栄辱は千歳なり」。ウィキペディアで田中光顕を引いてみたが、まさに明治維新から二・二六事件までの生き証人だった。この人の一生を追うと江戸、明治、大正、昭和が一つの物語としてみえてくるかもしれない。f:id:k-hisatune:20140410101303j:image--------------------来日中の吉林大学沈教授とラウンジで歓談。金先生、中村その子先生も加わる。大学同士の交流協定の締結を進めようということになる。10年ほど前に宮城大時代に私は吉林大の客員教授となった。その時、旧満州の長春は残留孤児を育ててくれた土地であることから、私の名前をつけた孤児を対象とした奨学金を出していた。沈教授には長春でお世話になった。多摩大では、金教授、バートル準教授という北東アジア研究者と吉林大の沈教授が共同研究をしており、来日時には必ず食事の機会を持っている。そういう経緯があり、今回の協定締結の話になっている。国際交流とは本来はこういう積み上げの上ででてくるものだろう。10年ほどかけて実りの最初の段階が見えてきたきたところだろう。----------------昼休みは非常勤の先生たちへの辞令交付。多摩大との関わりの多様さと大学の歴史もわかる。 安田峰俊先生:中国語、現代中国入門を担当していただいている。 山本博聖先生:自然科学概論担当。 柏原伸也先生:プロジェクトゼミ担当。 十市勉先生とは挨拶。-------------------高野課長:3つの系の人材像と具体的人物の表現の仕方について。多摩大型問題解決学について。------------------ホームゼミ2-3年生合同のオリエンテーション。-------------------ラウンジにて。大森学生委員長:新入生の様子を聞く。いくつか問題もでているようだ。金教務委員長:自己点検関係。川手教務課長:卒業の集いの日程調整来訪者累計本日昨日
2014/04/10
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古川勝三「台湾を愛した日本人--土木技師・八田與一の生涯」(創風出版)を読了。著者は1944年生まれ。愛媛大卒業後、教職の道を歩む。36歳から3年間台湾省高雄日本人学校に勤務。このとき八田與一を知る。47歳、「台湾を愛した日本人」で土木学会著作賞を受賞。松山市の中学校校長を歴任した後、定年退職。今は「台湾を愛した日本人?-蓬莱米の父・磯永吉 蓬莱米の母・末永仁を取材中。台湾はもともと無主の土地であった。 オランダ人が日本、中国、バタビアの中継貿易基地として、1624年にゼーランド城とプロビデンジャ城を建設し、以後37年間の植民地支配を行う。 1661年、鄭成功が清朝打倒の基地として台湾に侵攻しオランダ人を降伏させる。子孫による支配は22年間。 清朝は212年間にわたり台湾を支配する。 1894年、日清戦争で勝利した日本は下関条約により台湾とぼうこ諸島を譲り受け、日本初の植民地となる。 1945年、第二次大戦で日本敗北。中国共産党から追われたた国民党が台湾に上陸し中華民国台湾省となる。日本植民地時代の台湾は、当初は土匪との戦いに明け暮れたが、第4代総督・児玉源太郎と後藤新平民政長官時代に、大成功をおさめ、以後台湾は急速に近代化する。その台湾近代化の過程での一人の若い人物が、大きな仕事をする。それが東洋一のダムをつくった八田與一である。このダムによって洪水と干ばつと塩害の三重苦にさいなまれていた不毛の大地嘉南平原は緑の沃地に変わり、台湾最大の穀倉地帯となった。香川県に匹敵する感慨面積である。この工事は1920年に開始され、1930年に完了する。10年の歳月を要した。総工費は現在の価値で5000億円以上。計画時32歳だった八田與一はこのとき44歳になっていた。農民の収入が増え、生活が豊かになり、粗末な家がレンガ造りになるなど衣食住は急速に改善された・人造湖・珊瑚潭を見下ろす丘に八田與一の銅像が建っている。物思いにふける座った像である。中華民国が支配することになった台湾では、日本人の銅像の類は撤去されたが、この八田與一だけはかろうじて残った。今残る唯一の日本人の銅像である。八田與一は1942年にフィリピンに向かう途中アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け、東シナ海で死亡。享年56歳。その3年後、妻の外代樹がダムの放水路に投身自殺。夫婦の墓がある。中国に「飲水思源」という言葉がある。水を飲む時には井戸を掘った人のことを思い感謝して飲むという意味だ。まさに台湾に人にとって、八田與一は井戸を掘った人となった。 人類のためになる仕事をし、後の世の人々に多くの恩恵をもたらすような仕事をした。 大きな仕事は、30代か40代までに行わなくては駄目だ。 過去の文献や事例を徹底的に調べ上げ、それをもとに現場に合う合理的な方法を組み立てていく。1998年、台湾の歴史教科書「認識台湾」に八田技師が取り上げられる2000年、烏山頭ダムに八田技師記念室が開館2001年、「台湾を愛した日本人」の台湾語版が出版2004年、金沢市ふるさと偉人館に常設展示コーナー3・11東日本大震災の時に、台湾からは200億円を超える義捐金が届いた。この額は世界最大だった。その陰には、八田與一のような素晴らしい日本人の貢献の蓄積の歴史があったのだ。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140409 | 編集 大学院ビジネスICTコースに入学した朱さん来訪。今泉コース長と受講プログラムを検討する。終了後、研究室で懇談。 今泉先生・彩藤先生:問題解決学総論のまとめについて意見交換。多摩大型問題解決学の構築ヘ。 非常勤講師の先生たちに今年度の辞令を渡しながら懇談。英語、アジア若者論、地域活性化、、、、。ラウンジにて。 中村その子先生(国際交流委員長):海外留学(ハワイ)の件。 趙先生と豊田先生と小保方さんの記者会見を見る。 金子さん:ラウンジに新聞を配備する件。テレビ、、。 梅澤先生(就職委員長)・杉田先生(副委員長):本日の就職委員会の報告あり。新4年生も好調。 金子先生(FD委員長):共同研究の審査スケジュール 金先生来訪者累計本日昨日
2014/04/09
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多摩大付属聖ケ丘中学・高校の入学式に参列。学部長として来賓祝辞。ゆっくり、はっきり、こころをこめて話す。-------●外的世界の拡大は内的世界を深化させる 探検部。地理的探検(極地・山・鍾乳洞・宇宙、、)人類=世界観の拡大 個人=中学・高校への進学・就職、転勤、結婚、、。 外的世界を広げよ!(先生・友人・クラブ、、)●何故勉強するのか? ・少壮老死。・少にして学べば即ち壮にしてなすことあり。・若い時に勉強しないと、・人生のテーマ(志)が決ま らない(フラフラ、ふあふあした人生)○時代 アジアユーラシアダイナミズム:2040年=世界GDPの半分 2030年の世界? 16年後 30歳前後。 ソト:現在の貿易=中国20%。大中華圏30%。アジア50%。米10% 2030年?中国・?米国・?インド・?日本・?ブラジル(上位4カ国に3国) ソウル・北京・上海・シンガポール・香港・ムンバイ、が「舞台。 ウチ:2027年:日本=中央リニア(東京名古屋:40分)。大阪まで67分:7000万のメガシティの誕生 相模原の橋本に駅(品川10分)激変!多摩大=現代の志塾・現代=アジア・ユーラシアダイナミズム・志(こころざし)=社会の不条理の解決に貢献(問題解決)・塾=ゼミによる全人教育●「考える力」を身に着けよう 考える=全体の構造と部分同士の関係を考えること。関係を変えていくことが問題解決!アスリートたちの言葉。●ソチ・オリンピック・メダリストの言葉 15歳の平野歩夢:スノーボード銀メダル いままでやってきた積み重ねは、全部意味があったんだなと思いました。 19歳の羽生結弦:フィギュアの金メダル 自分のスケートをもっともっと高みへもっていきたい。●サッカー(私のゼミは東京ヴェルディを応援) 誰よりも準備をし、誰よりも走って、誰よりも努力しているという自信はある。(長友佑都)インテル。 努力 勝負を決めるのは準備。 なかでも気持ちの準備以上のものはないと思う。(本田圭祐) 準備●野球 自分にコントロールできることとできないことを分ける。自分で制御できないことに関心を持たないことです。(イチロー)4000本安打へ。 心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる(松井秀喜) 1768試合連続。 若いのに感銘を与える人物)●野球 日本ではモチベーションを保つのが難しくなってしまった。 (ダルビッシュ) 高み! 3年目今季初勝利 打たれたからといって、今までやってきたこと自体を変える必要はない。(今まで通り練習をしていれば)何かし ら修正ポイントは見つかるから。(田中将大が則本へ) メジャー初勝利! 修正の連続 田中=7年160億円=年俸23億円=一日630万円 単純労働=一日8千円(時給1000円) 788倍の格差 メッシは1週間1億円(56億円)=田中の2倍以上! グローバリズムの光と影(かけがえのない能力)○勉強して、グローバルに通用する能力と技術を獲得せよ!○見事な日本人になることがグローバルに通用することだ。 台湾出張 八田與一(1886-1942年) 台湾で東洋一のダムを設計、建造。水田! 今なお感謝。中学の教科書。銅像(日本人唯一) 3・11に台湾の大規模な援助! 台湾人「日本精神・日本にまだありますか?」 ・ うそをつかない ・ 不正なお金を受け取らない ・ 失敗しても他人のせいにしない ・ 与えられた仕事に最善を尽くすアタマはグローバル・ココロは日本人に!■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140408 | 編集多摩大付属聖ケ丘中学高校入学式に参列。中学110名・高校119名、計229名。付属の中学・高校での来賓挨拶という仕事も学部長の仕事の一つだ。f:id:k-hisatune:20140408101332j:image新任の五十嵐校長の式辞には著名人の名前がたくさん出てきた。 渡辺和子「置かれた場所で咲きなさい」 亀井勝一郎「人生は邂逅の連続である」 金子みすず「みんな違って、みんないい」最後は国語の先生らしく、短歌二首でしめられた。厳粛な雰囲気の中で行われ、教育という神聖な仕事の重みを感じる時間だった。--------------------教員ラウンジ 高野課長、渡辺客員教授:健康談義 法学担当の非常勤の石岡先生と懇談 ビジネス数学基礎担当の3先生に挨拶 杉本さん:教員紹介パンフ 小林先生:入試委員会懇親会 金先生:非常勤教員との面談の報告。刺激とヒント。 酒井先生・豊田先生来訪者累計本日昨日
2014/04/08
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夜は新宿で岡山大(日中韓の共同研究)へ来日中の中国・吉林大学の沈教授と懇親。10年ほど前に長春にある吉林大学の客員教授をしていた時以来の友人。専門は日本政治。現在の肩書きは、北亜研究センター副主任・北亜研究員教授・日本研究所教授。日中関係についてさまざなな意見交換を行ったが、冷静に日中関係の将来を見ている視点は貴重だ。f:id:k-hisatune:20140407204226j:image唐通事、、、、。---------------------------------------学部長日誌「志塾の風」140407 | 編集入学式。多摩センターのパルテノン多摩。総入学数454名。父母は250名ほど。私は壇上。 寺島学長25分。f:id:k-hisatune:20140407102819j:image 大切な4年間。真面目な大学。 物事の筋道を考える力。実学志向。問題解決力。ゼミ中心。手作り教育。参画せよ。 アジアダイナミズム。アジアを見よ。 アルバイト、インターン、ワークプレイスメントなどで現場とかかわれ。 多摩は思想。地域を深めることがグローバルにつながる。天領というDNA.八王子千人同心。新選組。北海道。ロシア・レザノフ長崎。多摩は一つの思想。生きるスタンス。 多摩大卒業生は7000人超。次なる25年。新使節で地域に開かれた大学へ。4年間の人間関係が財産。人間は人間によって育てられる。 田村常務理事「現代の志塾。実学。志。とことん考え抜く。語学の大切さ。未来は変えられる」 八木多摩信金理事長「多摩市・多摩大と三者協定。グローバルと同時にローカルを大事にしている大学。自然、水、起業。生き方」 経営情報学部新入生代表の三浦君「長崎国見高校。スポーツビジネス。フットサル部。大きな志。日本一。ゼミ活動。問題解決。実社会。」 グローバルスタディーズ学部代表のスカイさん「カナダ。町田。ボランティア。英語。少人数。親切」引き続き、新入生と父母に対するオリエンテーション。学部長、教務委員長、学生委員長、国際交流委員長、プレゼミ担当より説明。----------------------大学にて。 秘書と打ち合わせ 趙先生と雑談来訪者累計本日昨日
2014/04/07
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古川勝三「台湾を愛した日本人--土木技師・八田與一の生涯」(創風社出版)を読み始めた。詳しくは読了後に書く。若干32歳の若き技術者が今日の金額で五千億円の巨額工事「東洋一の巨大ダム建設」を指揮した物語。台湾における唯一の日本人の銅像が建っている。最近入手した「台湾国民中学歴史教科書 台湾を知る」の83ページから84ページにかけて八田與一の名前が出ている。台湾を知る―台湾国民中学歴史教科書台湾を知る―台湾国民中学歴史教科書 作者: 国立編訳館,蔡易達,永山英樹 出版社/メーカー: 雄山閣出版 発売日: 2000/03 メディア: 単行本 購入: 4人 クリック: 61回 この商品を含むブログ (5件) を見る農業改革の項で、「水利工事を行い、耕地灌漑面積を大きく増加させた。その中でも有名なのが八田與一が設計、建造した嘉南大?で、灌漑面積は15万甲に達した。」と讃えている。そして「嘉南大?の水源基地工事図」として写真を載せている。以下、参考情報。 ダムの送水站の脇に「八田技師記念室」が平成12年に開館。 金沢市ふるさと偉人記念館に八田與一技師を顕彰する常設展示コーナーが平成16年に開設。 台湾の人のいう日本精神。「今日の台湾の発展は日本精神のおかげです」。 嘘をつかない。不正なお金は受け取らない。失敗しても他人のせいにしない。与えられた仕事に最善を尽くす。---------------今日の収穫。70代は前半と後半がある。80代は3つに分かれて前期、中期、後期だ。90代は毎年違う、と諭された。(阿刀田高)-----------------「図解ウェブ」を春バージョンに変更。桜を咲かせた。http://www.hisatune.net/index.html来訪者累計本日昨日
2014/04/06
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ブックオフや古本街に行くとあまりにも安いので本を大量に買い込んでしまう。そのうちの軽い本を風呂場で読み終わる。高任和夫さんの「依願退職」(講談社文庫)。100円だった。[asin:4062733676:detail]この人は私より4つほど上で、東北大法学部を出て、三井物産に入社。作家とサラリーマンの二足のわらじを履き、50歳で27年勤めた企業を退職し作家活動に専念というキャリアだ。39歳で最初の本、42歳で2冊目の本、、、。私のキャリアにも似ているので親近感をもっている。私のビジネスマン向けの本を新聞で取り上げてくれ、共感したと書いてくれたこともある。以下、共感できるところと私の感想。 サラリーマンが上司に恵まれるのは、一生を通じて2割か3割。(その通り!上司は悪いのが普通と思うべきだ。よければ幸運ということ。) 私の会社生活は、さまざまのものを蓄積しながら、自分が本当にやりたいものはなにかを探しつづけてきた人生のようだ。(企業は学校だ!) 人事は業病。(人事をやれる立場になったら、邪念を捨てて権力を行使しなければならない。) 出ない杭は腐る。(打たれるか、腐るか。どの選択をするか。) 会社は、意欲ある人にとっては、孵卵器の役割を果たす時代になった。(会社というのは実務で学びながら起業・転職などの準備ができるありがたい組織だ。)コラムを書くことになって困ったのはネタを拾うことであったそうだ。メモ帳にヒントをメモする。そうすると、それまでまともにモノを見ていなかったことに気づく。ぼんやりと生活していたということだ。見る、聞く、感じる、考える、書く、、、。私も日経ビジネスの編集者が当時住んでいた仙台に来て「図解コミュニケーション」をテーマとした連載を依頼され1年半ほど続けたことがある。月1回だが、常にネタを考えていた記憶がある。気合を入れて毎回書き続けたら、それを読んだ単行本の編集者から執筆を勧められた。その年配の編集者は「あなたは、本当に書くべきことをまだ書いていない。図解の本質は考えることでしょ。そこを書きなさい」と言われた。その通りだった。ど真ん中に球を投げ込まれた感じがした。そして取り組んだ結果が「図で考える人は仕事ができる」(日経)だった。そこから私の人生は一変したのだ。今でもその日経の名編集者には感謝している。この本の最後に同じく作家の江波戸哲夫さんの解説が載っている。この人も会社を辞めて作家になった人だが、「辞めてよし、辞めなくてよし」と言っている。同じようなキャリアをたどった人のエッセイは共感に満ちている。---------------------ヤンキースの田中マー君が初登板で初勝利。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140405 | 編集品川サテライトで大学院入学式。f:id:k-hisatune:20140405140623j:image 始まる前に学長と懇談 入学式。35名。内ビジネスICTコースは5名。今年は留学生が多いのが特徴。 学長「社会人大学院。高度な知見。深い意味の2年間。自分の時代認識と独自の世界観。文献研究とフィールドワーク。先人の方法論を探り独自のメソドエロジーを持つ。出会い。人間関係。問題解決の力を高める」 田村常務「実務を経た一流の教授陣と志の高い院生が特色」 徳岡研究科長「実学とは実践知。知恵。フロシネス。対話。深く考えていく。「知の逆転」。事実から考える。質問力。古典。リアルタイムで活かす。」 武井同窓会長「会員720人。9月にイベント」 直井院生会長「中年の危機。リアルな力、具体的な力。強く思うことと偶然。同期生とのつながりとタテのつながり」 辞令交付。大学院の特任、客員。f:id:k-hisatune:20140405144445j:image オリエンテーション:金先生からインターゼミとリレー講座の説明。 知り合いの新入生・朱さんと今後についての相談。 徳岡研究科長 カフェで金先生と志賀先生と雑談。教務、MIC、、、。---------------------「致知5月号。 学校改革に成功した二人の対談が載っている。品川女子学院の漆紫穂子校長と金沢星稜大学の堀口進路支援センター長。堀口:「企業を選ぶな。打席を増やせ」「バーバー星稜」「ヒーローとヒロイン」「就職活動は人生の逆転ホームランを打つチャンス」 もう一つのインタビュー記事は私も大好きな日本酒「獺祭」の桜井社長。先日、多摩大で講義をしていただいた。この旭酒造も大逆転組み。「品質」「逃げない」「業績が悪すぎると危機感やモラルがなくなる」「絶体絶命から社長の方針どおりに会社が動くようになった」「純米大吟醸だけ」来訪者累計本日昨日
2014/04/05
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吉村昭は、前野良沢を描いた「冬の鷹」という逸書を書いた折に、親しかった高山彦九郎(1747-1793年)を知った。「高山彦九郎日記」全五巻を参考に書いたのが「彦九郎山河」(文藝春秋社)である。細井平洲を師と仰ぐ高山彦九郎は、足利幕府以来の武断政治を仮の姿とし、朝廷による文治政治が日本本来の政治の姿であるとの確信を持っていた。そのことは徳川幕府に対する疑念となっており、反幕の思想であった。この考え方は日本国内に深く浸透し「尊王攘夷」という思想を産んだ。それが明治維新に連なっていく。この反幕の思想家は幕府の追求にあって、最後は自刃で命を断つ。f:id:k-hisatune:20140405070657j:image彦九郎は、自らの天命を背負って、日本中の同学の徒を訪ねる旅に暮らす。蝦夷地に入ろうとしたが果たせなかったが(司馬遼太郎は松前に渡ったとしている)、北は津軽から、南は薩摩まで恐るべき健脚をもってくまなく歩き続けている。この旅は風呂敷の中に筆立て、硯、手ぬぐい、半日の食料などが入っているだけであった。「彦九郎山河」は、その足跡を丹念に負った書物だ。当時、東海道五十三次は15日、ゆっくりいくと一ヶ月かかった。九州までは二ヶ月近くかかった時代だ。歩いた距離と、会った人の数、そしてほとんどの人が彼の人柄と学問に魅せられていることが描かれている。先日訪ねた高山彦九郎記念館では「高山彦九郎 五千人の交遊録」という企画展をやっており、公家、儒学者、無名の人々などその交遊の広さに驚いた。高山は今で言うネットワーカーだったのだ。ネットワークをつくり、つなげながら、自らの思想を練り上げ、日本の中に伝播していった人である。知的武者修行でもある。この本の中では、江戸中期の東北の姿が克明に描かれている。浅間山の爆発以降に襲った天明の飢饉の惨状が凄まじい。 津軽領では男女8万7千2百人が餓死。その数は領民の3分の一。それどころか半ばは飢え死にした。 青森では4千軒あったが、火災と飢饉で千軒にみたぬ家数になった。 内真部という村ではひとり残らず死に絶えた。 ついには人に肉を食うまでになった。親は子を、子は親を。人肉にまさる味わいはない。墓地を掘り起こしたあと。こういった惨状は、武断政治の結果であると彦九郎は思う。京都では、幕府におびえる公家たちを励まし、王政復古に向けて強い刺激を与える。彦九郎は彼らの思想を指導する立場になっていく。光格天皇が父・展仁親王に譲位後の称号である上皇の号を贈ろうと考えた。このときの幕府は松平定信が老中だったが、それを認めない。この尊号問題は朝廷と幕府のどちらも譲れない大きな問題となっていた。これに薩摩藩の力を借りようとして彦九郎が旅をする。厳しく検問する薩摩にはなんとか入れたが、二分する藩論の中で目的を果たせなかった彦九郎は九州を彷徨う。そして最後は久留米で自刃して果てる。 「朽ちはてて身は土となり墓なくも 心は国を守らんものを」この旅の途中に、豊前中津藩で長く滞在している。12月28日から3月19日まで3ヶ月近い逗留だった。土地の歴史。そこで善行をした人の魂を認め、褒め、それを書き残す。その土地の優れた人を掘り起こす。親の敵を討った人、農業のやり方を発明した人、洪水を防ごうと工事をした人。神社の歴史。高山彦九郎は質問し、その土地のよいところを引き出す人だった。だから誰もが彼を信頼する。それが同志のネットワークとなって、影響を与えていった。、朝廷が王政復古を宣言したのは、自刃後74年後だった。彦九郎の種が花開いた。来訪者累計本日昨日
2014/04/04
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新聞、雑誌、テレビ、人物など日常接するメディアで、いいなと思った言葉を折に触れて収集することを15年ほど続けている。この言葉の泉もずいぶんと豊かになった。もう1000をはるかに超しているはずだ。これも私の財産のひとつだ。どのような言葉に魅せられるかによって、その人の性向がわかる。今日の収穫は、以下。 女性が魅かれるのは、仕事をしている男であって、仕事をさせられている男ではない。(藤本義一) 大志を抱けば、天下何ものか恐るにたらず。(吉田茂) 静かにゆくものは、すこやかにゆく。すこやかにゆくものは、遠くまでゆく。(イギリスの諺) 失敗しない者は、常に何事もなし得ない。(フェルプス) 戦での勝ちは、五分をもって上とし、七分を中、十分をもって下とす。(武田信玄) 運命は我々の行為の半分を支配し、他の半分を我々自身にゆだねる。(マキャベリ) 運は性格の中にある、という言葉はなおざりに生まれたものではない。(芥川龍之介) 心が変われば態度が変わる。態度が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。(蓮沼門三) 日の光をかりて照る大いなる月たらんよりは、自ら光を放つ小き燈火(ともしび)たれ。(森鴎外) 金だけが人生ではないが、金のない人生もまた人生とは言えない。(モーム)---------------------日本能率協会マネジメントセンターの池淵さん来訪。通信教育「言葉はいらない! 図説力コース」の演習帳のチェック。契約書の擦り合わせ。企業の人事部を通じた受講申込が好調とのこと。次の企画の話題も。f:id:k-hisatune:20140403104726j:image------------------------学部長日誌「志塾の風」140403 |ラウンジにて。 高野課長:大学運営会議関係。3系列ごとの進路資料、、、。 豊田先生:大学院ビジネスICTコースの今後と運営について。 金先生 志賀先生:プレゼミ。 バートル先生:プレゼミKグループの運営打ち合わせ。 杉田先生 今泉先生:ビジネスICTコースの秋学期入学について。問題解決学総論への野田先生出講について。 久保田先生 酒井先生 安藤先生ラウンジ風景f:id:k-hisatune:20140403141605j:image--------------------新入生プレゼミの初回。全教員が参加。f:id:k-hisatune:20140403152848j:image全員配布のパソコン(タブレット)とT-NEXTを使った授業登録。来訪者累計本日昨日
2014/04/03
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熊代亨「『若作りうつ』社会」(講談社現代新書)を読了。1975年生まれの若い精神科医による「年のとり方」を考える話題の本。 世の中はどこもかしこも若さ志向になってきた。 年長者のアドバンテージが減ってきた。IT時代の到来による「使えない年長者」と家事の自動化による「おばあちゃんの知恵袋」の役割の希薄化。 戦後世代は親の世代はロールモデルではなくなった。民主社会のシニアモデルは世界でも欠落。 成人、厄年、還暦などの通過儀礼は地域社会の中で意味があったが、現代の生活環境では機能しなくなった。 人生の始めと終わりが病院になった。生や死が意識されなくなった。 死や病の淵にある人に寄り添うべき医師は、病の克服に役割がシフトしてきた。 年のとり方がわからない社会ができあがった。 生物学的加齢と社会的華麗のバランスが崩れやすく「若作りうつ」と背中合わせの社会になった。 ポケモン、ハオローキティ、アニメ、漫画などのクールジャパンは、換骨奪胎されたアニミズムの産物。日本は未熟社会の先頭を走っている。 職業や居住地が自由になり、「私はこういう人間である」というアイデンティティが決まらなくなった。 父親不在と緊密な母子関係による過干渉な家庭(母親的規範意識による抑圧9で育って、積極性や自己主張を培うコミュニケーション体験は不足している。 持てるもの同士の強いつながりと、持てないもの同士は連帯できず、孤独の度をふかめていく。 社会的加齢を進めるための、年長者と年少者が接点を持つ機会がなくなった。 「若作りうつ」社会や「個人の自己実現」人生とう社会は、「年功序列」人生や「家や国のための人生」と同じくおかしい。「老いることも人士」であり、「後進の成長も喜び」であるはずだ。どのように年をとるべきか、その提言。 年をとるごとに少しづつ、自分の年齢感覚やライフスタイルをずらしていく心持ちをもっておきたい。 単一解を規範とするのではなく、誰の何を足し、誰の何を引いいていくのかを考えていくと理想像がみえてくるはずだ。 身近な年長者・年少者とのコミュニケーションを大切にし、学びあっていくことがいちばん有効な処方箋かもしれない。世代間コミュニケーションを大切にする人を少しでも増やすと、社会全体の年のとり方も変わってくる。世代間コミュニケーションに希望や可能性がある。------------------花見。f:id:k-hisatune:20140402121246j:imagef:id:k-hisatune:20140402121125j:imagef:id:k-hisatune:20140402093424j:image来訪者累計本日昨日
2014/04/02
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