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私はかつて女性の部下を数多くもったことがある。そこでわかったことであるが、上司の立場から考えてみると、男性の部下よりも女性の部下の方が接し方や指導方法がずっと難しかった。なぜなら女性と対峙する時は、相手の人生と真っ向からぶつからないとやっていくことができないからである。男性は、仕事や組織を生きている人が多いが、女性は、人生を生きている人が多いと思う。言い換えると、男性は仕事を中心に生きているが、女性は人生の中に仕事があるということだ。男性は、仕事を人生における最優先事項として扱う人が多いので、興味や悩みも昇進や異動などに関することが多い。そのようなことについて相談を受けたとしても、自分の経験や同僚や上司の話も参考にすることができるので、何かしらの答えや指針を示してあげることができる。しかし、女性から受ける質問は、現在行っている仕事の意義、それが今後のキャリアに与える意味、次の仕事が自分の生活にとってどういった影響があるか、自分の仕上げた仕事の反応など、ケースバイケース、その人その時々によって答えが変わるような深い相談が多い。だから女性の部下を多く持った上司は大変だ。仕事の意義などを聞かれたら的確にアドバイスしなければいけないし、その人がもつキャリアやその現状、将来設計まで考えて指導しないと相手は納得してくれない。かといって、女性だからと意識しすぎて機嫌を取ったりちやほやしても相手は喜ばない。女性はそれほど甘くないし、そのような魂胆はすぐに見透かされる。当然のことを言っているようだが、実際のところはそれができずに、部下である女性を使えていない上司が多すぎる。部下との信頼関係を構築するためには、仕事上の関係である以上、あくまでも仕事中心で行動することが当たり前なのに、人間関係を良くしようということにばかり注力して、その人の能力向上や仕事の出来についての話を正面からしないから部下からの信任が得られないとに気がついていないのだ。そのような考えで接していれば、もちろんぎりぎりの仕事を求めることになる。しかし本当に必要なことならば、たとえきつい課題を課しても、厳しく指導することがあったとしても問題ではない。その過程でどのように励ましていくかが上司の役目なのだ。女性には激励が重要である。男性を励ますような叱咤では効果が出ないことも多いので注意しなければいけない。また、一つ問題が解決した際や成長がわかった際などには、次の課題を与えることも大切だ。それによって相手が成長する道筋をきちんと伝えてあげることができれば、がんばることができるからだ。航空会社に勤務していたとき、客室部門に長くいたことがある。機内のサービスなどを行う担当のスチュワーデスは女性にとっての花形職業だった。かつては昇格して現場から離れたくないという女性、管理職から逃げる女性が多かった。昇格させようとしても本人から「やりたくない」と苦情を受けることが多かったのだが、お客様と直接的に接すること、現場に出ることばかりが仕事なのではなくそれをマネジメントすることは重要な仕事だということを会社全体で示し始めてからは、逆に「管理職をやらせてくれない」という苦情が多くなってきたという経験がある。仕事の意義をきちんと伝えることは、指導の上でとても重要なことなのである。選択する自由は広がり、制度面での保障は改善されてきているとはいうものの、出産や結婚など、女性にとって避けて通ることが出来ない問題は残っている。仕事のことだけ集中して考えればよいのではなく、女性は人生そのものを考えた上で現在や将来の仕事を考えなくてはならない。女性は男性よりも真剣に考えなくてはならないことが多いので、上司としても男性に対する時よりも力を入れて真正面から向かい合わないと心の交流までは進まない。逆に男性にも、漫然と仕事をしているばかりではなく、女性のように真剣に人生を考えよと言いたい。
2007/01/31
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客員教授をしている中国・吉林大学のエン先生(国際交流センター長)が仙台に見えたので、夜は歓迎の食事会となった。奥さんは吉林大学行政学院の教授で20日間ほど東北大学に講義で来ているので、ご主人が名古屋出張の折に仙台に寄ったとのことだ。この人が4年前に宮城大学のわたしの研究室に現れたのがきっかけで吉林大学の東北亜細亜研究院の客員教授になり、毎年大学のある長春(昔の満州国の首都・新京)を訪れている。この大学との縁も丸3年になる。この会には、宮城大学一期生(社会人)でビジネスで活躍している蔡英俊社長、道路関係の会社を経営する社長、旧知のIT企業の社長などが集まって、賑やかに懇親を深めた。道路関係の社長さんは、ここ十数年で150回以上中国を訪問していて、中国残留孤児のお世話や長春に大学を設立したりして中国に深く関与している方だ。全員が吉林大学の関係者である。吉林大学は学生数が6万人を超える中国最大の大学である。伝統のある医学部の校舎は日本建築で立派な建物だったが、旧満州国国務院として建てられた建物だったことも思い出した。この大学は町のいたるところに大学の校舎が散在しており、「長春は吉林大学の中にある」とまで言われることもあることが示すように巨大である。懇親会の会場の江陽グランドホテルには江沢民主席が仙台を訪問したときに泊まったホテルである。揚子江にのぼる朝陽のイメージから江陽という言葉を使ったとのことで、中国とは縁が深い。地下鉄広瀬通り駅の真上にあるこの場所は、七十七銀行の本店があった場所である。途中で中華料理のシェフが現れた。一度会ったことがあるが、この人は江沢民の食事を任された料理人でもある。長春も雪が少なくなったこと、中国の自動車事情、北京の地下鉄の値下げ、上海---杭州間の新幹線開業(日本製)、吉林大学の博物館建設の話、東北亜細亜研究院の李院長以下の先生たちの消息、ハルピンの氷祭り、北京オリンピック観戦ツアー、そして最近の日本の様子などを話題にしながら楽しく旧交をあたためた。帰りにエン先生から鹿の角でつくった漢方薬をお土産にいただいた。今年も中国に行くスケジュールをたてなければならない。
2007/01/30
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折に触れて自分を励ます偉人の格言をコツコツ集めている。それももうすぐ400に達する。次に出る本に少し使ってみたが、今後はこういう使い方も増えてくるかもしれない。---------------------一体、金を溜めるということは、人生の副産物であって、本来の面目は金を溜めること以外になければならぬ。すなわち精神を磨いて、一身の品性を高め、引いて、感化を周囲に与え、結局は国民の品性を高め、更に子々孫々の品性をたかめむる点に出来るだけの力を注ぐことが、我々のこの世に生存する第一の面目であることに先ず考え至るべきものであろう。(高橋是清)私はドゴール大統領よりも偉いし、マキシムの料理長より、作家のアーサー・ケストラーよりも偉い。なぜなら、私はドゴールより料理が上手だし、マキシムの料理長よりはたくさん旅行している。それにケストラーよりはテニスがうまいのだから。(ジョージ・マエックス)
2007/01/29
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知研フォーラム293号(2007年1月15日)がたまたま大宅壮一特集だった。昨日のブログで大宅文庫訪問記を書いたが、今日はその延長である。・大宅壮一特集 青地しん(ノンフィクションライター)昭和48年4月23日の知研セミナー・このカードができれば、旅行記の三分の二ぐらいはできたようなもので、あとは実際にソ連に行って、メモと事実を引き合わせて間違いを直すようにすればよい、といいます。・特徴を拡大強化して描けば、人物論になる。ちょうど春画やマンガの筆法と同じなわけです。それが人物論のコツだと言っていました。・(大宅は20万冊の本と雑誌を集めた)徳富蘇峰という人は蔵書家として知られていますが、彼の蔵書は5万冊です。、、この20万冊という数は、個人で集めた本・雑誌ということではおそらく日本一だろうと思います。・取材や地方講演に行きますと、、、古本漁りをするわけです。----------------------------------------------------- 八木哲郎・大宅壮一ノンフィクション賞 櫻井よし子・山本七平・桐島洋子・柳田邦男・鈴木明・山崎朋子・深田祐介・沢木耕太郎・ドウズ昌代・猪瀬直樹・石川好・吉永みち子・杉山隆男・野田正彰・辺見じゅん・佐野真一・大宅の代表作はルポルタージュと人物評論で、前者の傑作は「裏街道シリーズ」であり、後者の傑作は「昭和怪物伝」である。・大宅壮一語録 ・文章は商品である (最初の一行か二行の書き出し、。説明的な部分は分散、、。ピカリと光る1行、、。) ・わかりやすい文章で書け (難しいbん賞を書くのは概して頭の悪い人に多い。 頭のよい人は物事をそしゃくして、わかりやすく書くものである。) ・ノンフィクションは乾いた文体で書くように努めろ。 ・もの書きは同心円の中に入ったら失格だな ・ゴミを見ればだたいその国の生活水準がわかる、野良犬をみればその社会がわかる ・ぼくは日本じゅうはおろか、世界をまたにかけて歩いたが、 人間が最も関心を寄せているのは人間であることがわかった。 つまり人は他人のことを知りたがっているということなんだ。 ・ばかでは「怪物」になれないが、りこうすぎてもいけない。 複雑怪奇で割り切ることができないばかりでなく、 分母も分子も大きくなければならない。具体的に言うと、 行動半径が大きくて振幅の広いことを必要とする。 ・人物を書くとき、僕は七対三という黄金分割を考え出した。その人物が持っている資質を 十項目挙げて、七褒め、三けなすように心がけるんだ。 大宅は一人息子の歩が32歳で夭折したとき、歩のかわりに若者を育てようと大宅マスコミ塾を始めた。草柳大蔵(塾幹)、青地しん、扇屋正三、三鬼陽之助、大森実、梶山季之、大隈秀夫、村上兵衛、永六輔などが講師であった。大宅の死まで8年間通続いて480名の修了者を出した(八木哲郎は5期生)。プロの作家、編集者、カメラマン、シナリオ作家、作詞家、作曲家などのベテランたちが、どうして自分はプロとして認められるまでになったか、いつどのようなチャンスがあったか、やってきた独自の勉強法、そうした世界での世渡りの智恵、自分の手の内の技術といったものを口移しみたいにして教えてくれたのである。-----------------------------------------------------------この号には「なつかしの知研セミナー」というコーナーがある。・羽に五郎(歴史学者)「都市の論理」(昭和48年10月23日)新聞を読みながら、この方向に世の中が進んでいけば、好ましいことだと思う記事には、赤い印をしておく。逆に、この方向に世の中が進んで言ったら大変だ、という反動的な記事には青い印をつけていきます。・加藤秀俊(学習院大学教授)「情報収集・選択・取材の方法」(昭和52年4月18日)知的生産とは化合物をつくるプロセスである。
2007/01/28
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土曜日に東京世田谷区八幡山にある財団法人大宅壮一文庫を訪ねた。京王線の八幡山駅で降りて非常に大きな都立松沢病院を左手に見ながら赤堤通りを700メートルほど歩くと大宅文庫が現れた。表にある看板には「日本唯一の雑誌図書館」とあり、故大宅壮一の「本は読むものではなく、引くものだ」という警句が示されていた。大宅壮一は私の属すNPO法人知的生産の技術研究会の誕生に関わる人物である。この会を始めた八木哲郎さんは、30代前半の頃東京でルポライターとして著名な大宅壮一が開いた大宅マスコミ塾に通った。この前代未聞の塾には弟子の草柳大蔵などが出講し、目のくらむような体験だったそうだ。ここで八木さんは文章を書くことを中心とした表現の面白さに目覚める。後に勤務先の広島で梅棹忠夫先生が書いた「知的生産の技術」(岩波新書)を読み、ただちにサラリーマンを辞め「知的生産の技術」研究会を始めた。37年目を迎えた知研にとって梅棹忠夫という名前と並んで大宅壮一という名前は大切な名前である。1900年生れの大宅は(日本のシンドラー・杉原千畝と同年)大阪に生まれ18歳の時に米騒動を扇動するような演説を行い中学校を放校処分。旧制高等学校資格検定(専検)に合格し第三高等学校に進学し、卒業後は東京帝大文学部社会学科へ入学するが中退する。後の独特の筆で鳴らす血の気の多さをうかがわせる経歴である。26歳で文芸評論家としてデビューする。時代の風潮を鋭く明快に斬る社会評論は人気があった。この人は警句や造語の名人で、数々の流行語を産出したことでも知られる。「一億総白痴化」「駅弁大学」「恐妻」「昔陸軍、今総評」「自動車と別荘と二号は、使用頻度のわりに維持費がかかりすぎる」など人口に膾炙した言葉は多く、広く一般大衆の心をとらえ支持を得た。大宅の残したものがいくつかある。ひとつは死の直前の1970年に創設された大宅壮一ノンフィクション賞でこの賞はライターの登竜門として意義が高い。もうひとつが父の後を継いで現在も活躍している評論家・大宅映子である。そしてもうひとつがこの大宅壮一文庫である。大宅壮一は世相、事件、社会現象、生活風俗資料の宝庫である一般雑誌の収集に力を入れていた。この文庫では明治から現在にいたる1万種類の雑誌、66万冊を所蔵している。現在刊行しているものでは1000種類を所蔵しており、「その時代の最先端の人物が携わり、その時代の知識、考え方が凝縮されている」創刊号の収集にも力をいれており、6000誌の創刊号が揃っている。埼玉県入間郡には分館があり、こちらは大宅の蔵書などの書籍が7万冊あり、こちらでは遺品も展示されている。「雑誌記事索引」は索引総件数421万件、「人名索引」約12万人186万件。件名索引235万件という膨大な知的遺産が整理されいることに驚嘆する。入館料500円で一般の人は10冊見るたびに改めて入館料を支払う仕組みになっている。個人会員(年会費15000円)になると、1日につき100冊まで閲覧でき、資料のコピーが有料でできる。法人会員は一口1万円で15口以上でなれる。法人としては出版社、雑誌社などが入っているのだろう。大きな道に面した表には「大宅壮一文庫」という看板があるが、本館に続く書庫の方には「競輪補助施設(日本自転車振興会)」とあった。1階は資料検索や閲覧資料の受付、2階は資料閲覧とコピーの申し込み場所となっている。かなりの人が雑誌資料の検索や閲覧をしているのだが、実に静かな空間である。卒業論文などで使っているのだろうか学生風の若者も多い。また雑誌記者やライター、編集者とおぼしき人たちが熱心にずらっと並んでいるWeb版や端末版を操っている。Web版では、1988年から本年前月までの雑誌記事の索引サービスが受けられる。端末版では本月分を引くことができる。また1988年より前の記事は備え付けのリファレンスブックで引くことができる。件名項目検索では、世間の耳目を集めた大きな事件や世相・風俗について検索できる。項目は33の大項目、695の中項目、7000の小項目で構成されている。大項目をすべて並べてみる。政治・その他 経済 農・漁業 世界 探検・移民 天皇 戦争 右翼 左翼 平和運動 労働問題 公害 災害 犯罪・事件 心中・自殺 世相 奇人変人 世代 おんな サラリーマン 交通機関 趣味・レジャー 賭博 スポーツ 芸能・芸術 マスコミ 宗教・思想 日本研究 教育 言語 文学 科学 地方こうやって並べてみると大宅壮一の生きた時代の特徴や大宅の関心がどこにあったかが伺える。試みにWeb版を使ってみた。フリーワード検索で思いつくまま検索してみた結果を以下にあげてみる。寺島実郎237件 浅野史郎116件 野田一夫64件 西和彦132件 久恒啓一34件 樋口裕一110件 白洲次郎168件 白洲正子376件 司馬遼太郎1562件 梅棹忠夫146件扇畑忠雄0件知的生産の技術61件 「知的生産の技術」研究会26件 日本航空1092件 全日本空輸469件三井物産1243件 宮城大学27件 事業構想14件 図解2349件 図解コミュニケーション3件端末版では、タイトル・発言者・雑誌名・発行日・頁数 キーワードが表示される。雑誌の閲覧の申請をして2階にあがると雑誌を閲覧できる。座席は58席。必要な記事のコピーを頼むと白黒で1頁100円(内訳は検索料80円・複写料20円)、カラー200円。大宅のおかげで私たちは明治以降から現在にいたる雑誌記事によって日本の世相を手にすることができ、それぞれの時代に大衆が興味を抱いた事件や世相を見ることができる。現在も増殖しつつあるシステムのもたらす恩恵は計り知れない。これは大宅壮一という存在がもたらしてくれた知的遺産である。帰りに本屋で大宅の著書を求めたが、1冊しかなかった。最近刊行された「だいわ文庫」の「実録・天皇記」である。帰りの電車の中で少し読み始めたのだが、実に面白い。終戦後7年目の1952年の作品であるが、過激な内容が並んでいるのに驚いてしまった。「危なかった血のリレー」の章では、「侍妾百二十人・多産のレコードホールダー・皇室はナゼ死亡率が高いか・江戸城大奥の妊娠競争・皇胤をめぐる暗闘、、」「天皇製造局の女子従業員」の章では、「女王蜂とヴィクトリア女王・性的予備軍・女官の階級・宮廷ありんす言葉・肉体テスト・神聖なる閨の祭典、、」、、「天皇に寄生する男子従業員」、「天皇株を買う人々」、「予想屋としての勤皇学者」、、、「天皇コンツエルン完勝す」、、などが並んでいる。「予想屋としての勤皇学者」の冒頭には、競馬ファンと受験生の直前の様子の酷似、予想屋の繁昌、街の経済学者、一流の経済学者、企業の調査室や研究所、左翼系の学者、そして歴史をさかのぼって勤皇思想の学者なども同じ類で幕府株よりりも勤皇株を買うことをすすめたのと同じだ」と喝破している。一番弟子の草柳大蔵の「あとがき」は、歴史そのものをルポルタージュする原型を日本のマスコミに残したこの本ができた経緯と大宅の資料集めなどの方法論を説明してくれる。大宅の書いた本や、言動、そしてルポの方法論は、もっと読み込みたいと改めて思った。
2007/01/27
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ある靴屋に半年振りに訪れた。二度目である。入っていくとご主人が私の顔を見るなり足のサイズを口にしながら挨拶をしたので、驚いた。お客の顔と足のサイズが一致しているのは見上げたものだと感心もした。整骨院の先生に聞くと、背中をみると顔が目に浮かぶそうだ。・警察官は目がきつくなる・エンジニアは何事も細かくなる・経理マンは数字の間違いに敏感になる・営業マンは口がうまくなる・役人は慇懃無礼になる・教師は人に説教するようになる・銀行マンはすべてをカネに換算するようになる・損保マンは世界の事物ををリスクの対象として眺めるようになる・不動産業者は人をみると年収を想像するクセがつくようになる・政治家は人をみると票にみえるようになる学生時代の友人と久しぶりに会うと、職業や仕事がその人の人格形成に深い影響を与えていることを実感する。職業というものは24時間広く深く思考回路に影響を与え続けているからだろう。思考回路が変わると目つき、口調、しぐさ、服装、そして歩き方なども変化してくる。特徴の特にない同期生が、経理と営業に分かれたて久しぶりに再開すると互いにそれらしくなっているということがあるように、職業や仕事は人生に多大の影響を与える。「らしくなる」ことが職業に打ち込むということなのだが、「らしくない」ということもまた優れた仕事をするために大事なことでもある。
2007/01/26
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2月から3月にかけて出す予定のいくつかの本の出版準備が進んでいる。出版社の編集者と東京出張の折に会ったり、逆に編集者が仙台に来るときに会ったりしているうちに企画が決まったり進行が進んだりする。お互い人間だから何げなく会ってよもやま話をしているうちにグッドアイデアが浮かんだりして、一気に企画が浮上することも多い。そういう意味では、人と情報の結集する東京と新幹線で1時間半という時間距離の仙台という都市は絶妙の位置にあるという感じもする。札幌や福岡では飛行機がメインになって頻繁に会うことは難しい。また新幹線の場合でも秋田や盛岡、青森ではやはり遠すぎる。最近、仙台に住む小説家が多くなって、彼らが色々な文学賞をとるようになった。近年まで文学不毛の地と言われた仙台に現在住む作家は多い。それは都市生活と自然が近いという生活の豊かさを維持しながら、東京での仕事も不自由なくできるという環境に理由があると思う。出版という分野は組織としての出版社より、個々の編集者との関係が著者の仕事の量や質に大きく影響する。編集者はキャリアとしての出版実績を持っていて腕一本で勝負できる職種であるから、移動は頻繁にあり、著者との関係を財産として持ちながら、違う出版社に移籍する人も多い。出版は初版で終わるもの、ベストセラーになるもの、大ベストセラーに届くものと色々だが、編集者の報酬のシステムはどうなっているのだろうか。ある出版社はその年に個々の編集者がつくった本の売れた実績でボーナスに大きな格差がつく。他の出版社は編集部全体の売り上げ成績を重視してボーナスが決まるので常にヒットを飛ばす人には不満があるが、安定しているのでじっくりと企画に取り組むことができる。全体に業績主義ではあるが、その業績の反映の度合いはずいぶんと違うようだ。著者としての編集者との付き合いは、1回きりの関係であれば多くてもいずれは切れていくので、細くても長く付き合える編集者が数人でもいることが重要だろう。私の場合、最近は自分よりかなり若い編集者と仕事をすることが多くなってきた。一緒に育っていくという感覚で長く付き合っていきたいものである。
2007/01/25
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大学院2年生の修士論文の審査がたけなわだ。今年は自分が指導している大学院生が一人、サブとして論文審査を行う院生が三人という担当になっている。今日は、朝8時半から3つの審査会で各院生の修士論文を審査した。合間に会議が3つ入っていたので学内を動き回ることになった。院生は指摘事項を踏まえて修正を行い、2月8日には最終審査会が行われる。
2007/01/24
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「U7」という雑誌から取材を受けた。この雑誌は社団法人学士会が発行元である。学士会といえば「学士会館」という古い由緒ある建物を持つ団体で、旧帝大系の7大学の卒業生で構成する社団法人である。学士会という古い名前の割にはモダンな雑誌だなあと思っていたら、会員資格を持つ若い現役学生に向けて出しているという。若い会員を増やすことがこの組織の命題となっているようで、随分と洗練された編集になっている。「各界で活躍されている方に、同世代及び後輩へのメッセージも含め、現在の活動、その原点としての学生時代の経験、大学での思い出、学生時代で培われたもの等を方っていただきたくインタビューを掲載しております」と取材の趣旨が文書で届いている。昨年だったか、学士会報に原稿を頼まれて書いたことがきっかけになった。インタビューの項目は以下。・九大時代、およびその後のキャリアの変遷について・「図解」に着目した発端と、方法論確立までの経緯・「知的生産」の定義、研究成果ほか・後進の指導、および方法論の伝達について・現在取り組まれているテーマ、及び今後の課題写真撮影を含め2時間の取材だったが、インタビュアの質問が的確で気持ちよく情報を提供できたと思う。カメラマンは「顔」と「手」を中心に撮影をしていった。カメラマンによれば「僕はあなたの「顔」が撮りたいと思います。そしてあなたの目や頭が考え、見、聞き、判断したものを具体的に形にしてきた「手」を撮りたいと思います」というのが撮影のコンセプトだ。この「U7」で登場した私の同窓の方。鮎川誠:シーナ&ロケッツ・ギタリスト、ミュージシャン(農学部卒)末廣香織:建築家(工学部卒)村山由香里:フリーマガジン「アヴァンティ」創刊者・編集長(文学部卒)古野隆雄:合鴨農法・農家(農学部卒)私が出る号は3月号で、各大学の卒業式でも配るので部数が多くなるとのこと。5ページ。この号は10万部の発行。古色蒼然たるイメージの学士会も新たな生き残り策を模索中といったところだろう。
2007/01/23
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仙台の紅陽グランドホテルで行われた宮城県経営者協会水曜会で講演。出席者は宮城県内企業のトップや人事労務担当者で、70名ほど。講演テーマは「考える社員を育てる」。1時間半の講演の後、懇親会で多くの人と話をする機会があった。各業界ごとの事情、そして採用から人事、労務という幅広い仕事の現在かかえているテーマなどを直接伺うことができて、いいインプットの機会となった。以下、名刺交換をした人(名前は省略)。皆さん要職にあり心労が多いだろうと推察。東北インフォメーションシステムズ 常務経営企画室長東日本コンクリート 常務七十七カード 総務部長北日本電線 取締役総務部長東北計器工業 取締役総務部長アイリスオーヤマ 取締役待遇社長室長アイリスオーヤマ 総務部マネージャー東北電力 岩沼営業所長日本貨物鉄道 東北支社支社長代理住友商事東北 常務藤崎 人事部長宮城テレビ 事業局長河北新報社 企画局企画委員東北電機製造 取締役総務部長東北電力 宮城支店人財総括リーダーユアテック 労務統括課長宮城交通 労務課長東洋刃物 常務管理部長東北特殊綱 取締役企画管理部長本山製作所 総務係長仙建工業 総務部長青葉緑化工業 常務総務部長青葉緑化工業 課長代理河北仙販 常務営業本部長総合エンジニアリング 相談役本間組 東北支店長日本通運 仙台支店次長会津碍子 理事仙台支社長東北用地 取締役部長東北電広社 常務取締役エルク 取締役総務部長宮城県経営者協会 専務理事宮城県経営者協会 事務局次長
2007/01/22
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初めてヨガに行ったことをこのブログに書いたのは11月19日だったから通い始めて2ヶ月経った。ヨガはもともとインドで生れた修行法だが、今はアメリカで洗練され健康法として認知されている。実際のヨガでは宗教的な部分といえば音楽くらいだろうが、自分の肉体と内面を強く意識する時間となっており瞑想に近い感覚なので、この時間は気に入っている。土日を中心に週2回というペースで通っている。1時間のコースなので初めは時間が気になった。しょっちゅう時計を見ながらなかなか時間が経たないなあと思っていた。しかし今ではそういうことはなくなった。集中しているのだろう。ヨガの基本は呼吸法で、息を吐くことが基本になっている。鼻から吸って鼻からできるだけゆっくり吐く。最近仕事や生活の場面でもこの呼吸法を時折ためすこともある。ヨガを終えると体が締まっている感じがある。そして活性化している感覚もある。また戦闘態勢にあった頭がクールダウンするのもいい。体の硬さは相変わらずだが、呼吸を時どき意識するようになったのと、ベルトが少しゆるくなったことが成果だろうか。-------------------------------------------------「Wikiペディア」より。(wikiペディアはボランティアによって作成されている百科事典で、自由に利用可能)ヨーガ (Yoga) とは、インド発祥の修行法。個体魂の、神への結合及び結合を実現する方法を指す。仏教ではサンスクリット語を漢字で音訳して瑜伽(ゆが)、意訳して相応ともいう。詳細は該当記事参照。様々なアーサナ(asana 姿勢)、bandhas(気の錠 呼吸法の意味)などを用いて精神統一し、解脱に至るといわれている。「ヨガ」と発音する人がいるが、サンスクリットで「O」(オー)の字は、常に長母音なので、「ヨーガ」が正しい。修行者はヨーギ (Yogi) (ヨギ、ヨギー、ヨーギー)、女性のヨーギはヨーギニ (Yogini) と呼ばれる。日本では昭和時代に紹介され単なる健康法と認識され盛んになった。宗教としてのヨーガの新興宗教である麻原彰晃こと松本智津夫によるヨーガ道場「オウム神仙の会」が成長したオウム真理教による一連の事件のため、健康法としてのヨーガも一時下火になったが、2004年頃から再びブームとなり、ダイエット方法の一つとしてテレビで紹介されたり、CMで使用されることが増えた。これはインドから直接流入したものではなく、アメリカ(とくにニューヨークやハリウッド)での流行が影響したものと考えられ、近年では、これがインドへ逆輸入されている。フィットネスクラブなどでは、エアロビクスと同じようなスタジオプログラムの一つとして行なわれている。 なお、伝統的ヨーガ系のグループでは現在もイニシエーションを行なうなど宗教団体的側面をもつ。-------------------------------------
2007/01/21
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山田風太郎の「人間臨終図鑑」は不思議な書物である。2巻・3巻を入手。2巻は56歳から72歳までで死んだ人々3巻は73歳から100歳代で死んだ人々以下は、50代後半で死んだ人々のリスト。-----------------------------------------------------------------56歳で死んだ人々・ダンテ・明智光秀・三浦按針・柳沢吉保・リンカーン・ニーチェ・小村寿太郎・ドビッシー・ウエーバー・萩原朔太郎・ヒトラー・アイヒマン・市川団十郎十一世・双葉山・吉田満・越路吹雪57歳で死んだ人々・ベートーベン・水野忠邦・パークス・寺田虎彦・北原白秋・中野正剛・南雲忠一・安達二十三・大松博文58歳で死んだ人々・シーザー・杜甫・菅原道真・マキャベリ・黒田如水・尾形光琳・岩倉具視・黒岩涙香・種田山頭火・阿南惟畿・溝口健二・高見順・中川一郎59歳で死んだ人々・司馬遷・モンテーニュ・クロムウェル・スタンダール・柳亭種彦・ハイネ・コント・フローベル・マゾッホ・孫文・徳富蘆花・田山花袋・ジョイス・山本五十六・中里介山・本間雅晴・徳田球一・辻政信・五味康祐
2007/01/20
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千葉県幕張にある市町村職員中央研修所。全国の市町村職員の研修を一手に引き受ける大きな施設である。地方公務員の研修の仕組みはよくできていて、全国規模のこの研修所以外に、地方(例えば東北というくくり)や各県ごとに職員研修所や公務研修所などの名前で建物とステムがあり、公務員は研修をうける機会が豊富に設けられている。また期間の長さも多様で、私がかかわった研修だけでみても2週間とか1ヶ月などの泊り込みの出張型の大型の研修も結構ある。研修のメニューの多様で充実しているという印象も持っている。首長や総務省の役人やそのOB、大学の自治関係の研究者、ディベートなどの講師などを含む民間の講師など、公務員の能力アップに注力している。今回は、専門事務研修課程の「企画事務」という分野の研修だった。北海道から沖縄までの市町村職員が17日から26日まで10日間というスケジュールで、私の担当は3コマだ。最年少は25歳、最年長50歳で平均年齢は36歳。男性45人、女性5人。市が38人、指定都市1人、町村11人、総務省1人、階層で見ると課長補佐級が4人、係長・主査級が18人、主任・主事・技師等が28人。職務警官で見ると、1年未満が9人、2年未満が11人、3年未満が5人、3年以上が5人。地域でみると北海道が2人、東北が9人(宮城県は仙台市と名取市)、関東が6人、北信越が2人、東海が8人、近畿が2人、中国7人、四国4人、九州9人、その他1人。企画調整課・産業経済課・総合政策部政策推進課・財政部企画調整課・観光推進課・政策推進課・政策企画課・総合政策課・企画政策課・福祉総務課・地域振興課・教育委員会総務課・議会事務局・企画課・住宅課・商工観光課・地域づくり支援課・総務課などが受講生の所属の名前である。市の長期総合計画などを担当する重要部門である。長期総合計画は10年ごとにつくるということになっているのだが、私の見聞では、前の総合計画を総括している自治体は皆無である。10年前の計画をリファーせずに、新しく夢を描くのである。なぜなら人口10万人の市は10年前は12万人の市にするという計画だったが、実際は8万人に減った。だから責任問題になるからこの計画は人目に触れないようにお蔵入りにして、人口8万人を前提に10年後の10万人のを市になる計画をあらたに立てる。こういうことになっている。なぜうまくいかなかったかという原因を調べたり、総括するという当たり前のことが行われていなくて、市民や議会も当然のこととしている。また市民のニーズの深堀りが不十分でいきなりプランから入るという大雑把なやり方も問題である。PLAN-SO-SEEというが、本来はSEEからはじめなければいい計画ができるはずがない。こういったことはどの県の長期総合計画も同じになっている。だから失敗してきたというのが私の見方である。だから、財政が破綻して合併という方向に向かわざるを得なくなったのである。形はできているのだが根本がおかしい感じがする。こういうことに担当者も疑問を持たねばならない。今回もこの点も指摘しておいたが納得してもらったと思う。この研修所は通称で市町村アカデミーという。過去に女性だけの受講者のプログラム、広報関係の担当者、財政予算担当者、企画担当など、様々なプログラムで教えてきた。受講者のかなりの部分は私が毎週出しているメルマガ「ビジネスマン教授日記」を見てもらっているから影響は持続しているはずだ。途中数年なかったが、もう、6-7年通っていると思う。私にとっても市町村の現場で何が起こっているを知る勉強の機会でもある。
2007/01/19
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小説家の童門冬ニが「小説 佐藤一斎」という本をものしている。77歳になる著者は88歳まで生きた佐藤一斎に学ぶという姿勢で書いた。童門は現代では90歳を超えてベストセラーを連発した日野原重明先生も励みにしながら小説の執筆を続けているそうだ。門弟三千人といわれ、幕末・維新の英傑たちを育てた人間通である佐藤一斎は、西郷隆盛(西郷は弟子ではないが一斎の書物を繰り返し読んでいた)、渡辺崋山、川路聖あきら、佐久間象山、山田方谷、横井小楠などに大きな影響を与えた儒学者である。朱子学と陽明学の大家だ。一斎の主著である「言志四録」は、「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志てつ録」の四書である。この中にある言葉には励まされる言葉が多い。この本でもいくつか紹介されている。・無文の武は真武ではなく、無武の文は真文ではない・人の言はすべからく居れて之を択ぶべし。はばむべからず。又惑うべからず。・学、問、思、弁はこれ知の事。篤行はこれ行いの事、程朱既に定説あり。ただ拘執すべからざるのみ」(「掲示問」)・美濃岩村藩藩主の三男の松平乗衡が大学頭である林家の養子に入り、松平定信の寛政の改革の大きな柱であった「文教改革」を担当することとなった。この林術斎は林家所管の湯島の聖堂(昌平坂学問所)を幕府官立の大学に昇格させた。林家には別に私塾があって兄貴分の術斎から頼まれて塾長になったのはこの私塾であり、昌平坂学問所ではなかった。その後、術斎が74歳で亡くなった1841年に70歳だった一斎が昌平坂学問所(後の東大)の実質的な総長に任命された。「陽朱陰王」といわれた教授法、表向きは正式な朱子学を教え、陰では陽明学を教えたというこのやり方が実行できたのは、私塾においては陽明学も教えたということになる。これが童門冬ニの仮説である。朱子学は賢愚それぞれ順序を追って進むことができる。陽明学は心を主体にしているので愚か者が学ぶと危険、賢い者が学ぶと人間性の本質に迫ることができる。こういう説明をこの本ではしている。童門冬ニは都政の大立者だった。東京都庁の広報室長や企画調整局長などを歴任して52歳で退職し、以後本格的な作家活動に入った。この本を書いた時点で77歳だから四半世紀にわたって小説を書いた。歴史に題材を求めて「組織と人間」をテーマにすえた作品を多く書いている。この人も役人として個人と組織の葛藤に関心が深かったのだろうと思う。童門は「生涯の師」の存在が重要だと考えている。童門の心の師は、太宰治と山本周五郎で、二人の書いた作品は単発のものでも全集でもすべて購入し手元に置いているという。確たるテーマと、仰ぎ見る師匠の存在も本物になるための条件である。
2007/01/18
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昨日の夜、地元のテレビ局から電話があって、仙台近郊に新たにできる大型ショッピングセンター(名取市のダイヤモンドシティ・エアリ。2月24日オープン)がもたらす影響についての取材をしたいとの申し出があった。よく聞くと「取材は明日」ということだった。何事も経験だと思って、専門分野でもないのだが引き受けて、本日の11時から1時間ほどカメラも入った取材を受けた。昨日の夜、少し調べて図解にまとめ、それを見せながら解説と自分の見通しを述べてみた。この半日の時間の中で商圏の今後、都市間競争、改正まちづくり三法、シェア戦略とパイ戦略、交通機関の影響、、など自分の中では一気に整理が出来た感じがする。表現の場が先に設定されて、しかるのちに内容が生れてくる。逆ではない。テレビというメディアは、詳細な打ち合わせという丁寧さはないし、準備の時間も許されない。いわば暴力的なメディアである。数年前、準レギュラー格で週末の番組に時どき出ていたことがあるが、毎回プロデュースする側も出演する側もやっつけ型の仕事だった。短い時間で的確にキーワードを提出する訓練だった気もしている。今まで、様々のテーマでテレビカメラ取材を受けていたり、スタジオ出演してコメントしていたことを久しぶりに思い出した。町内会の活性化、ロフト開店、動物園の経営問題、キャリアデザイン、都市のサービスレベル、行政改革、スタジアム問題、、、など実に多彩なテーマをもらって、短い時間に必死で自分で考えてコメントする。気がつくといろんな問題に自分なりの考えができあがっているという不思議なサイクルを経験することができた。ラジオの場合は、手元に資料類を置いておけるから、テレビと比較すると心理的な余裕は若干あるが、テレビは瞬間芸的な要素が強く、緊張を強いられる。新聞の場合は、今日申し込みと取材があって翌日紙面に登場するというペースではなく、時間的に少し余裕があるから、こちらもそれなりの準備ができるから、安心感はある。この10年、今まで何事も「断らない」という主義でやってきたから、なかなか経験できない分野にも首を突っ込むことができた。これも考え方というより、性格が大きな影響を与えているのだろう。
2007/01/17
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日本人はもともと修養、自分を磨くということに長けている民族だと思う。私の母親もそうだが、俳句や川柳を好む年配の方は多い。サラリーマン川柳や短歌の大会などには、数多くの作品が集まる。ものすごい数の愛好者がいるのに驚くことがある。そのように一生涯かけて自己を磨いていくことが教養を身につけることでもある。常に頭を使っていることが、日本人が長生きする理由の一つなのではないのかとすら思えてくる。樹が太くなり年輪を重ねていくように、少しずつ徐々に自分が成長していく。一歩一歩踏み固めながら登っていくと一気にそこから落ちるということはない。これからは、修養や研鑽や鍛錬という言葉がキーワードになってくる時代になるのではないか。今は金儲けばかりに注力している人や企業が多いから、社会がおかしなことになっている。そのような企業の社長の話をテレビで聞いて、なるほどと思うことがあっても、どこか嫌悪感が拭い去れない。自分ならばこの人の下では働きたくないと感じる若い人も多いのではないだろうか。雑然とした情報を体系化したのが知識である。しかし知識があるだけでは私たちは生きてはいけない。この世の中でいかに生きるべきかを常に問い続けながら毎日を生きていきたい。そのためには、自分の立ち位置をつかんでおかねばならない。縦軸の時代の中で自分の生きている今がどんな時代であるのか、横軸の中で自分の住んでいる日本や地域はどのような特徴があるのか。そういった歴史と地理の中で、自分はどのようなテーマを抱いて生きていけばよいのか。そういうことを毎日自問している人が教養のある人というのである。
2007/01/16
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学部ゼミ、卒論指導、講義を終えて、大崎市へ。第4回の大崎市行政改革推進委員会(会長)。今回も伊藤市長、二人の副市長も参加。15時半から18時まで熱心な議論が続いた。今日のテーマは、「政策プライオリティ(優先順位)の判断基準」と「コミュニケーション形成の考え方、行政改革大綱とパブリックコメントである。政策プライオリティについては議論沸騰したが、方向としては了承され、次回にさらに具体的に検討することになった。職員にかいてもらった「私の仕事図」はこの日で1130枚揃った。委員にもみてもらったが、職員の頭の中がよくみえると好評だった。18時半からは場所を移して委員と市側も含めた懇親会。市長、副市長、行革課長、そして委員たちとじっくり語り合うことができた。
2007/01/15
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長年にわたり東北の歌壇をリードし続けた扇畑忠雄展が仙台文学館で始まった。1911年(明治44年)に中国の旅順で生れた扇畑は、広島高校時代に19歳で「アララギ」に入り、短歌の道を歩み始める。教師となった扇畑は1942年(昭和17年)、31歳のときに仙台の第二高等学校に赴任する。1946年(昭和21年)には、「東北アララギ会」を結成し、歌誌「群山」(むらやま)を発行し、東北を基盤として旺盛な創作活動を開始する。その2年後には現在の佐藤利枝と再婚する。この扇畑利枝も有名な女流歌人である。39歳のときに東北大学助教授となる。扇畑は宮本憲吉、斉藤茂吉、土屋文明という大御所の教えを受けている。46歳、東北大学教授、56歳教養学部長となるが数年間大学紛争収拾に奔走。刑務所や療養所での作歌指導、河北新報などでの選にあたる(選者として目を通した歌は数百万首に及ぶ)。78歳で日本現代詩歌文学館(岩手県北上市)館長に就任し89歳まで11年間つとめる。2005年に94歳で死去。13日のオープニングの日の午後に訪ねたのだが、ちょうど扇畑の主宰した「群山」(むらやま)の同人の会が開かれていた。かなりの年配の男女の歌人たちが参集している姿を眺めた。これらの人々は扇畑の残した遺産だろうか。2003年のときに北上市で開催された「扇畑忠雄展」で挨拶をする92歳の扇畑の姿が館内のビデオで見ることができた。大きな目が印象的だ。京都大学時代の恩師から「学と芸との綜合を目指して欲しい」と激励を受けた。扇畑はこの教えを生涯忠実に守り抜いた。そのことは今回のテーマに同じタイトルがついてることからもわかる。学とは学問研究のことで具体的には万葉集研究であり、芸とは創作のことで具体的には作歌活動である。仙台市内、県内各地の小学校、中学校、高校、大学の校歌の作詞も手がけており、展示しているものでは、八乙女小学校、台原中学校、宮床中学校、将監小学校、東北福祉大学などの校歌が目についた。八乙女小学校の校歌には「泉ケ岳」、宮床中には「七つ森」など地元の自然が詠み込まれている。「追悼集」がテーブルに置いてあったので手にとってみると、渡辺礼子という名前が目に入った。宮城県歌人協会副会長とあったが、この人は私の母の歌の友である。この正月にも母と二人で歓談したときに送っていったので会っている。その追悼文は「望郷の人」というタイトルである。「春の野にわが行きしかば草なびけ泉かがやくふるさとの道」という宮中歌会始の応制下歌を題材に扇畑忠雄論を展開している。「望郷の歌はふるさと回帰願望の求心力と遠心力の相克から生れていると私は考える」と実に素晴らしい分析をしている。また「真の「写実(りありすむ)とは「在るもの」を基として「在らざるもの」を層沿いすることである」とも喝破していることに驚いた。この扇畑忠雄の一生を眺めて感じたことがある。この人は「続ける人」だったと思う。19歳で入会したアララギの継続、そしてその後70年以上にわたる短歌一筋の道、ときおり望郷の年に駆られながら60年以上にわたって東北の地に住んだこと、そして歌誌「群山」(むらやま)は、昭和21年から平成19年1月までで62巻通巻717号に及んでいる。実に62年にわたって続いているということになる。この人の本質は、止められない、あるいは続ける人ということに尽きるのではないかと感じた。それが膨大な業績を生み、また同調者や後継者を生んでいく。94歳で亡くなるまで現役でいたらからその間に影響を受けた人たちの累積は途方もないことになってしまっている。続けることの価値だろう。扇畑の人脈と仕事を展望するとこのことを痛感する。そして歌人として高名な夫人・扇畑利枝の今後の活動も踏まえると、扇畑は東北の地に大きな財産を残したと感じる。最後に示してある短歌で、私が気に入ったものを挙げたい。・北の国に来り住まへつ六十年 わがたましひの鎮まりどころ・ながらへてつひにみちのく人たらむ 流民のごとき生の道程・ヘルメット奪ひ投げ合ふ学生群 荒廃のはての何の日のため・反応なくノートにとられゆく言葉 世代へだってし寂しさのみならず・偽装とは鶏肉のみにあらざらむ 政治家も学者も歌よみも亦・これの世に仕残しこと在るごとく 又無きのごとく思ふのみにて・ふるさとの果てのふるさと生まれたる 旅順はつねにわが胸に棲む・戦争を放きしてわれら守るべき一つ平和を誰かうたがふ・衰ふる視力はげますこの幾夜 いにしへの代の文学を拾ひて・戦後10年をかりそめのものと思はざれ 「群山」一つ守り来たれば・わが前に死刑囚二人素直なり 日本語の文法のことも尋ねて「老いてなほ美しきものを吾は見む 若かりし日に見えざりしもの」この歌はタイトルに挙げたが、大変こころに残った。
2007/01/14
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1942年のミッドウェー海戦の大敗北から3年後の1945年2月、硫黄島を守備する2万千人の日本軍は、6万千名の米軍上陸兵力の総攻撃を受ける。5日間で終わらせるつもりだった米軍は36日間という予想外の時間をかけることになった。この間、日本軍は約2万人の損害を出したが、米軍は約2万9千人の損害(戦死者5500人)を蒙った。これに引き続く戦いとなった沖縄では米軍は4万9千人の大損害を出す。この二つの猛烈な日本軍の戦いが、100万を超える米軍犠牲者の予測を生み本土上陸作戦を思いとどまらせたのである。最も過酷な戦闘を戦った将兵たちは、会えるはずのない内地の家族に宛てて手紙を書く。その数百通の手紙は最後の突撃にあたって砂に埋められる。その手紙が60年後に発見されるところからこの映画が始まる。東京から1250キロの位置にあり、中継基地としての利用が可能な硫黄島が落ちると、マリアナから米軍によるB29による東京空襲がしやすくなるため本土が危なくなる。指揮官・栗林忠道中将は、持久戦を選び米軍に大きな損害を与え続ける。ラストサムライで西郷とおぼしき人物の名演技で有名になった渡辺謙が演じる栗林は実に魅力的に描かれている。「大本営は国民をあざむくばかりか、われわれもあざむくつもりか!」と憤慨しながら、「予は常に諸子の先頭にあり」という言葉を何度も口にし最後まで兵の士気を維持し続ける。栗林は「我等は各自敵十人を倒さざれば死すとも死せず」「我等は最後の一人となるも「ゲリラ」に依って敵を悩まさん」という「敢闘の誓」を部下に叩き込んでいる。陸軍と海軍の連携の悪さ、旅団長や参謀の立てた作戦の大幅な修正と反抗に遭いながら、「我々の子供らが日本で、一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には意味があるんです」と、自らの信じる作戦の目的とそれを実現するための作戦とその実行に立ち向かう。栗林の訣別電報は大本営によって改ざんされる。武器弾薬にも事欠く状況をあらわした「徒手空拳」という言葉は削除された。また「国のため重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」は、末尾を「散るぞ口惜し」に変えられたという。梯久美子が書いた「散るぞ悲しき」という本があり第37回大宅壮一ノンフィクション賞をとっている。帰りに寄った書店で購入した文藝春秋にも、「硫黄島 栗林中将 衝撃の最後」というこの作家の文章が載っていた。このタイトルには「ノイローゼ、部下による惨殺説の深層」という注がついていて驚いたが、筆者の梯久美子はそういった説を否定している。この文春2月特別号には「ヤクルト400」という飲み物の広告が出ているが、キャラクターは渡辺謙だったので、驚いてしまった。監督は76歳のアメリカ人のクリント・イーストウッド(「ミリオンダラー・ベイビー」などの優れた映画監督作品でアカデミー賞を受賞している)だが、主役の渡辺謙は「僕自身は、この作品は日本映画だと思っています」とインタビューで語っている。アメリカ映画らしく戦争シーンは迫力があるが、この映画の真骨頂は日本軍の将兵と米軍の兵士の故郷に残した家族に対する愛情の物語である。反逆あり、死への恐怖あり、犬死あり、裏切りあり、投降ありという物語の中で、二宮和也演じる兵士・西郷と指揮官・栗林との幾度かの交流のシーンが縦軸となって展開していく。司令部で育てているヒヨコの成長を娘に書き送ったりする栗林の姿が何度か描かれているが、内地に残した家族とのきずなを感じさせるシーンだ。映画の中で兵士たちが語った言葉をいくつか。「国のために尽くすが、無駄死にはしたくない」「靖国で会おう」「どっちが陛下の御ためか」「墓穴を掘るのかな、俺」「米軍は腰抜けだと聞いていた。しかし違った。鬼畜米英と教えられた。 しかし母からきた文面の内容は私の母と同じだ」ロッサンゼルスオリンピックの馬術で金メダルをとった西武一が捕虜にしたオクラホマ出身の米軍兵士と英語で語り合うシーン、栗林の米国駐在時の回想シーンなど、、、。映画館で買ったパンフに「未だ故山に帰れぬ1万3千余柱の慰霊の島」という元北硫黄島主舞台指揮官のインタビューが載っていた。経歴をみると大正12年生まれだった。そうすると6年前に亡くなった私の父と同じ年ということになり感慨を覚えた。もう80代半ばになるこの遠藤喜義氏は、硫黄島協会を設立し戦死者の遺骨収集、遺品返還、硫黄島渡島慰霊追悼式などの責務を果たしている。硫黄島にはいまだ1万3千名の遺骨が眠っているそうだ。現在は海上自衛隊管理の航空基地が設置され、一般人は許可なく島に立ち入ることはできない。最初のシーンで、「岸信介」という名前がプレートに書かれていたように思うが、戦後の内閣総理大臣として岸が掲げたものだろう。「硫黄島からの手紙」は日本人にもアメリカ人にも、そしてあらゆる国の人にも深い感銘を与える映画だと思う。-----------------------------------「U7」という雑誌がある。「学士会」(旧7帝大の卒業生の会)が若い対象者向けに出している。そこから取材依頼があって3月号に出ることになった。見本が届いてみると、硫黄島のことで2006年度の大宅壮一ノンフィクション賞をとった「散るぞ悲しき」の著者の梯久美子(北大出身)さんがインタビューを受けていた。この人はアエラの「現代の肖像」の常任ライターでもある。この欄のライターは力のある人しかなれない。・丸山健二さんから「梯さんみたいな人が、栗林中将のことを書けばいいんだけど」と言われる。・あそこで亡くなった兵士は、間違いなくここで生きていたんだということを実感できた・亡くなった人を書いたのはこれが初めて。というよりすでに死んでいる人を好きになったのが初めて、と言ったほうがいいのかな。・本にした内容は取材したことの10分の1程度・テーマとしては、しばらく亡くなった人に会いに行き、知り合いになる旅を続けてみたいと考えています。(1月15日追記)
2007/01/13
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私たちは日常生活では常に選択に迫られている。どちらのプランを採択するか、どんな戦略で行くか、赤いシャツを買うかグレーのシャツにするか、誰を食事に誘うか、状況や重要度に差はあるものの、様々な場面で決断をしなくてはいけない。その時にすぐに判断を下せない人が案外多い。時には何事も決断できず、決断しても満足行く結果が得られないと、結局「失敗した」「損をした」と後悔ばかりする。そのような人が、非常に難しい問題でも早く決断できるようになる方法がある。どちらでもいい。そう信じることだ。自分が選んだ方が正解なのである。私も大学時代、何事においてもどちらがいいか選べない時期があった。自分の出す決断に自信が持てなかったのである。しかし、岡本太郎の『原色の呪文』という本を読んで衝撃を受け、それから、どのような状況でも早く判断ができるようになった。私が影響を受けたのはその本の中の、「迷ったら、失敗する可能性が高い方、自分がダメになる方を選べ。そうするとエネルギーが湧いてくる」という言葉だった。実際は、それをそのまま受け止めたわけではなく、常に苦しい方を選ぼうとは思わなかったが、私が迷う原因は、成功しそうな方、得をするであろうという方を選ぼうとすることだと気がついた。よく考えてみれば、成功しそうな方を選んでも失敗するかもしれないし、苦しい方を選んでも結果的にうまく行くかもしれない。つまり、どちらを選んでも、その後の自分の行動や心掛け次第で結果は変わるのだ。それならば、決断を下す時点で重要なことは、どちらかをとにかくはやく選ぶことだけなのだ。それからは、「迷ったら、どちらを選んでもいいのだ」と思えるようになった。どちらでもいいと思うと、早く決断できる。決断が早いと悩んでいる時間が少ないので、気分が楽になる。楽に考えることが習慣になると、どちらを選ぶかというような苦しい判断をする場合でも、あまり悩まなくても選ぶことができるようになった。就職先を選ぶ時でも、真剣にどちらがいいかを悩んでも誰が考えても正解だという答えはでてこない。不確実を承知でどちらかを選ぶという決心で前途を切り拓こうという気概が生れてくるのだ。また、どちらかを選ぶという選択肢ではなく、「どちらも」という選択肢もある。あまり早めに決めることは避けて、ある期間同時並行でやっていくと、自然に決まってくるということもある。自然な流れの中で進むべき方向が見えてくるのだ。曖昧さをかかえたままで、ある期間過ごすということも必要なのである。
2007/01/12
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幼少の頃から私たちは、「食べ物を粗末にするな」、「食事は残さず食べろ」と言われて育ってきた。もちろん、物を粗末にしないことや感謝の気持ちを持つことは大切なことである。しかし、人生全体における優先順位を間違えてしまうと身を滅ぼすことにつながりかねない。食事の際に腹八分目になっているにもかかわらず、残してはもったいないと考えて食べてしまうと太ることになる。太っていれば病気がちになる。いくら食べても太らなかった学生時代とは違い、社会人になれば食べた分だけ蓄積されていく。健康と食べ物に対する感謝の気持ち、どちらが現在大切なことだろうか。もしも健康を取るならば、食事は残せ。残して捨てた方が良い。先日、指揮者の岩城宏之さんが亡くなったが、岩城さんの書いた本に『男のためのやせる本』という名著がある。彼はものすごく太っていたが、一時期とてもやせたことがあった。そのときに書いた痩せるための本である。いわく、太っていると感覚と皮膚との間に肉ができ、外界を正しく認識できないそうである。なるほどたしかにそういった感じはわかるような気がする。太っていてゆっくりしているおおらかな人は、動きが悪く鈍い人が多い。若い時から太っていると、フットワークとか精神上の健全さなども失われるので精神がたるんでくる。普段から節制しなければいけないのである。私もビジネスマン時代、社会人になって金が入ってきたので食事代くらいはあまり問題なく出せるようになり、少しずつ太っていった。社員食堂で一緒に定食を受け取って別の席で食べ終えた先輩が、私の食事がほとんど減っていないことに気がついて「どうしたんだ」と声を掛けてきたことがあった。私は一つ目を食べ終え、二つ目の定食を食べ始めたところだったのだ。大学時代の感覚で、定食を二つ一気に食べていたのだ。そのような暴食をしていれば太ってくるのも当然だろう。そのうち私は丼もののご飯を食べないとかいったダイエット方法を実践し、太るのがとまったことがある。たしかにやせてくると、太っている頃よりも、フットワークが良くなったし、周囲のできごとに関する勘がよくなったり、日常生活でも仕事面でも感度があがってきたような気がする。方法はどうあれ、やせることが健康の近道であることは間違いない。太っている動物のオスは、動物の本能である生殖の場面でも、生存をかけて自己を主張する度合いが減ってくる。闘争心が失われるのである。だから自分のメスが他のオスに取られても戦って取り返そうとしなくなることが多いそうだ。これは動物としての堕落だろう。社会人は戦っている。太っていては戦えない。
2007/01/11
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残業してはいけない。だらだらと非効率的な仕事になるし、必ずその日に終わらせなくてはいけない仕事でもないのに、同僚が帰らないからとか、何となく理由で残っている人も多いはずである。本来すべきではないはずの残業が、すっかり日常の習慣になってしまっている。そんな人は、定時に帰るように、自ら状況を変えていくことが必要だ。残業はだらだらしてしまうので効率が悪い。疲れているし腹も減っている。だからといって簡単な食事を摂れば頭の働きが鈍くなる。そして残業を終えると、うさばらしに酒を飲んでしまう。こうしてどんどん悪循環に陥っていく。残業をしなければ仕事が終わらないという人も多いだろう。しかし、そのような場合でも定時で帰ることができる方法はある。後ろのものを前にしたらいい。始業時間前に仕事をすればよい。残業だと2-3時間かけてだらだらとやってしまうような仕事でも、始業時間前、つまり「前業」だと、始業時間という締め切り時間があるために集中力が高まり、1時間くらいで終わる。しかも、朝は夜に比べて頭もよく回るので、時間は短くても密度が濃い仕事になることも多い。朝早くから仕事をやっていると、「あいつはよくやっているな」と周りの者は思ってくれるだろう。上司が帰らないから帰れない人も多い。しかし、いい仕事をしていれば上司も文句を言わない。必ず帰るんだという決意を持って、帰ってしまうことが重要だ。終わってなくいなくても帰る。翌日の始業前に爽やかな頭で仕事をやればいい。ほかの人が来る前に終わらせようと必死になるので、いい結果がでるはずだ。はじめは罪悪感があったりするものだが、先に帰っても、案外周囲はそんなに気にしていない。慣れてくると、何か言われたとしても「明日の朝やります」と流せるようになる。人生の目的は自由の拡大にあると思う。経済的、時間的、肉体的、精神的な自由、それらは生活に困らない程度のお金や、自分の好きなことをする時間や家族との時間、健康な身体や満足できる毎日のことである。よい仕事をする人ほど自由が多く手に入る。時間もある程度自由になるし、多少のわがままも許される。幸福への近道は、残業ではなく「前業」にある。
2007/01/10
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何のために仕事をしているのか。生活をしていくため、日々を暮らしていくという理由はもちろんであるが、それだけではない。誰だって自分の仕事の意義を見出して、いい仕事をしたいと思いながら仕事をしている。その結果、何が得られるかというと、仕事が得られるのである。よく間違える人がいるが、お金ではない。そのことがわからずにお金のことだけしか考えていないと、結局いい仕事ができず、お金も手に入らないままだ。中曽根内閣時代の経団連の会長に土光敏夫さんという人物がいた。彼は石川島播磨重工業や東芝の社長を経て経団連の会長に就任した人物であったが、「仕事の報酬は仕事である」という言葉を残している。つまり、自分の仕事についてきちんと考えて、努力をしながら自分の能力も磨き、いい仕事をしていれば、また次に仕事が回ってくる。そして、次の仕事でもいい働きをし、それをどんどん重ねていけば、もっとやりがいのある仕事や大きな仕事を任されるようになるということである。いい仕事をしていると仕事が連鎖していくのである。自分のした仕事の対価がお金なのだから、いい仕事をするということに集中していれば、徐々に仕事もお金も自分のもとに回ってくる。それを、お金のことを最初に考えてしまうとおかしいことになってしまう。現在、利益をあげればそれでいいというような企業のあり方が問題になることが多い。そういう企業は、いい仕事が先だということを社長が理解しておらず、そして社長の言うことを鵜呑みにする社員も多いのだと思う。上司の言うことをそのまますべて鵜呑みにしてはいけないのである。もちろん上司の指導や方針に対して素直な姿勢を持つことは重要だが、それは鵜呑みにすることとは違う。上司の指導や方針だって間違っている時があるし、考えが足りない場合もある。その時に、上司の言っていることの意味を考え、おかしいと思ったり、もっと改善できると感じた時は口に出すことが、素直に聞くということである。おかしいと思ってもただ従うだけで、より良い方法があることにも気がつかないということが、鵜呑みにするということである。鵜呑みにしてしまう原因は、考える社員が少ないということからきている。今の日本の問題は、考える人が減ったということだ。優良な企業には考える社員が多い。私は企業から講演を依頼されることが多く、講演後に感想のアンケートを書いてもらうのだが、大抵の企業の社員は「ためになりました」、「よかったです」という感想が多い。しかし、トヨタ自動車に講演に行った際のアンケートには、「あの部分はどうしてですか」「私の仕事ではこうなのですが、どうすればよいのですか」という質問が多かった。何事も鵜呑みにしないで考える社員が多いということだろう。大企業でも、社長の言うことが間違えていたらつぶれる。どのような部門や現場でも、会社全体としての位置づけ・役割をよく考えて、自分の部門の課題を咀嚼して語れるリーダーがいないと危ない。そのようなリーダーの下では、部下も自分の仕事を深掘りし、そのリーダーが間違っている方向に進んでいればおかしいことに気がつくからだ。
2007/01/09
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大崎市役所行政改革推進課から、大きな袋が届いた。昨年末に行った行革講演会の成果である、職員が描いた「私の仕事」の図である。12月22日締切だったが、1000枚以上ある。これを部毎・課毎・係毎にまとめたものだが、あまりに数が多すぎて3分冊になっている。ほとんどの職員がパワーポイントを使って、図を提出している。今回の宿題を機会にこのソフトを使えるようになった人もいるらしい。市民への説明という趣旨でつくってもらった図であるが、ざっとみたがさすがに壮観である。総務部:危機管理監・総務法制課・秘書課・人事課・行革推進課・市政情報課・消防防災課・ 検査課企画財政部:企画調整課・財政課・市民税課・資産税課・資産課税課・納税課市民生活部:市民活動推進課・男女共同参画推進課・市民安全課・市民課・環境保全課保健福祉部:社会福祉課・介護福祉課・保険給付課・子ども家庭課・健康推進課産業経済部:産業企画課・農林振興課・農村整備課・商工観光課建設部:建設課・建築住宅課・都市計画課・下水道管理課・下水道整備課学校教育:教育総務課・学校教育課・施設整備課・各小学校・各幼稚園・各小学校・各中学校生涯学習:生涯学習課・文化財課・各公民館・図書館・各支所議会・監査委員事務局・選挙管理委員会事務局・農業委員会・会計課水道部:総務課・給水課・施設課・配水課古川総合支所・松山総合支所・三本木総合支所・鹿島台総合支所・岩出山総合支所・鳴子総合支所・田尻総合支所仕事図とともに「私の仕事」を1-2行に一文でまとめてもらった。それを以下に抜粋する。「安全で快適な市営住宅の提供」「住民が快適に暮らせる安全で快適な道路網をつくること」「情報化の推進を図ることにより行政サービスの効率化や高度化を実現し住民福祉の向上に寄与すること」「市民の居住環境を良くする町づくり」「豊かな長寿社会の実現に向けて高齢者福祉・障害者福祉対策等の充実を図ること」「市民ために働く職員が良い仕事ができる環境を作ること」「市民の身分の正しい記録管理と公平なサービスを提供すること」「総合支所内と本庁とのバランスをとりながら市民の信頼を得ること」「税収による自主性の高い行財政システムの構築」「園児が楽しみ安心して生活できる場を提供すること」「子どもたちのために安全かつおいしい給食をこころを込めてつくること」「生涯学習への支援と利活用しやすい施設つくり」「水道使用者に適正な料金で安全な水道水を提供すること」「議会の広報マンと探偵」「市民が積極的に政治参加できりる公正な選挙の執行」「「公金の流れをチェックすること」「心身ともに健やかな幼児を育成すること」、、、、、、、、、、、。この図は、業務分掌に記されている仕事の羅列ではなく、現在の自分が仕事をどのように捉えているかということが一目でわかるので、貴重な資料である。あらためて眺めてみると、行政の仕事はあらゆる分野にまたがっており、業務は膨大であり、職員一人ひとりの守備範囲は実に広い。大崎市は2006年4月に1市(古川市)6町の合併によってできた市であり、人口は13.9万人。この図も活用して行政改革の実をあげていきたい。
2007/01/08
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中学や高校のときの教科書に出てきた高村光太郎の妻・智恵子(1886年生れ。1938年に53歳で没)に対する愛情の深さやそれをあらわした詩のいくつかは今も覚えている。岩手県花巻市にある夫の光太郎の記念館は既に訪問したが、福島県・二本松の安達という町の智恵子記念館で、久しぶりにその詩に遭遇した。瀟洒な白いつくりの智恵子記念館は智恵子の生家の庭の一角に建っている。智恵子の生家は清酒「花霞」を醸造する造り酒屋の長沼酒店で、隆盛を誇った。杜氏部屋、酒男部屋、男衆溜まり場、女中部屋などもある大きな屋敷である。智恵子の部屋は2階にあって見れなかったが、光太郎の影響でベートーベンの第六交響曲田園を聴いた蓄音機や習っていた機織機などが一階の部屋に並べてあり、往時を偲ばせる。裏庭に建っている瀟洒な記念館は、当時の酒蔵をイメージしたとのことだが、一階と地下のある記念館はそれにしては綺麗なたたずまいだった。「樹下の二人」という大判の四百字詰原稿用紙に書かれた光太郎の詩があった。「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川。 ------------------- ここはあなたの生れたふるさと あの小さな白壁の点々が あなたのうちの酒庫。 ---------- -------------------」地下に降りると、智恵子の描いた珍しいデッサンがあった。ミロのビーナス像と男性裸像の二つである。油絵の「静物」もあったが、智恵子が描いたものは現在この3点しか残っていない。この地下の展示室には、千数百点といわれる紙絵の一部が展示されている。日常生活で目にするあらゆるものを題材に既に狂った智恵子は作り続け、光太郎が来ると恥ずかしそうに見せるのであった。展示している紙絵は美しくこころを打たれる思いがした。「千数百枚に及ぶ此等の切抜絵はすべて智恵子の詩であり、抒情であり、機知であり、生活記録であり、此世への愛情の表明である」と光太郎の言葉が胸を打つ。「智恵子は東京に空が無いといふ ほんとの空を見たいといふ、、、、」で恥じ舞える「あどけない話」、「あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」で覚えている「レモン哀歌」などの詩と光太郎が智恵子尾を語った言葉が、知恵子の紙絵と交互に並べられている。智恵子はいくつかの雑誌に頼まれて文章も残している。「必要以外何物も有たないこと 本能の声を無視しないこと どんな場合にも外的な理由に 魂を屈しないこと 赤裸なこと、、、」という言葉を記した「貧しく、飾らず、単純であれ」というタイトルの文章が大正12年9月号の「女性」という雑誌に載っている。記念館の展示物を丹念に見ると、光太郎と智恵子の純愛、夫婦愛には心を洗われる気がする。智恵子関係の本を買おうとして入った店に「レモン会報」という小冊子が置いてあった。発行は「智恵子の里 レモン会」で「智恵子光太郎の思い出」「霞ケ城智恵子抄詩碑建立由来記」などと並んで「仙台文学館にて」というエッセイが載っていた。昨年5月に仙台文学館で開催された「高村光太郎・智恵子展」の訪問記だった。私も見ていたのでよくわかった。地元では今でもこういう形で智恵子の足跡を深めようとしているのだ。光太郎の弟の豊周の「光太郎回想」という本(実の弟の回想だけに父光雲や肉親との関係や、素顔が描かれていて面白い)に、智恵子の精神病の様子が描かれている。「医者に唾を吐きかけたり、たたいたりの乱暴、、、」「アトリエのそばの交番のところで、「東京市民よ、集まれ!」と智恵子の声がする。」「往来にいる子供達に演説するのも度々で、どこで覚えたのか浪花節を語ったりする。」智恵子が狂った原因はなんだろか。光太郎は「智恵子回想」という文章の中で「私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の退廃生活から救い出される事ができた経歴を持って居り、、、」「制作するものの心はその一人の人に見てもらいたいだけで既に一ぱいなのが常である。私はそういう人を妻に持っていた。」「---大きな原因は何といってもその猛烈な芸術精進と、私への純真な愛に基づく日常生活の営みとの間に起こる矛盾撞著の悩みであったであろう」いわば四六時中張りきっていた弦のようなもので、その極度の緊張に堪えられずして脳細胞が破れたのである。精根つきて倒れたのである。」以前読んだ他の本には、あまりにも偉大な芸術家の夫を持ったがゆえに、自らの才能の至らなさに絶望し、神経が狂ったとの解釈もあったが、光太郎は自分を守るなかで智恵子の病状が現れたと解釈している。このあたりは永遠の謎だろう。
2007/01/07
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年末年始を仙台で迎えた母を空港まで送っていった。今年の夏は父の7回忌。父は77歳で没しているのだが、同じ年齢で誰が亡くなっているのかという面白いリストがあったので書き留めておく。------------------------------------------------------------------フリーダオーギュスト・ロダンチェット・アトキンスベニー・グッドマン犬養 毅鶴ヶ嶺昭男/先代井筒親方ニールス・ボーアシャルル・ミュンシュ暁烏 敏ジュール・ヴェルヌハイドン天本英世田辺 元ヘンリー・フォンダ ジャネット・リー 左 卜全 藤原義江徳川夢声G.S.オーム飯田蛇笏ルードヴィッヒ・ケッヘル池野成一郎吉田 正川上澄生嘉納治五郎ヘレン・B・ポターフルシチョフ中村光夫三浦綾子吉屋信子カール・ポランニー森 敦仲谷 昇伊藤 仁斎福田甲子雄大木金太郎田村高廣三船敏郎塚本幸一三波春夫マルセル・モース長 新太ガウス周恩来/チョウエンライメビウスレントゲンガリー・ベルティーニ壷井繁治ジョン・ドルトンル・コルビジェガリレオ・ガリレイラプラスジョナサン・スウィフト
2007/01/06
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上司には細かく報告すべきか。部下にはどう接するべきか。クレームをいう顧客への接し方はどうすべきか。ガンは告知すべきか。人間はどう生きるべきか。青春をどう生きるか。経営者はどう振舞うべきか。こういう議論は私たちの日常で常に議論されている。私たちはあらゆる問いに一般的な回答があると思っているから、他の意見や見解に遭遇すると白熱した議論に巻き込まれる。しかし、人間一般、上司一般、経営者一般というものが果たして存在するのだろうか。ある文化人類学者によれば、地球上にあらゆるタイプの人が存在し、人という一般的な言葉でひとくくりにはできないのではないかと思うことがあるそうだ。ガンを告知すべきか否かではなく、事実はガンを告知すると落ち込む人がいるし、残りの人生を燃焼したいから教えて欲しい人がいるということに過ぎない。そして誰がそれを誰に告知するかということも見逃せない。相性もあるのだ。上司への接し方という原則があるわけではない。細かい報告は自分には必要ないという上司と、反対の志向の上司がいるということに過ぎない。そしてその按配は上司と部下の関係しだいということもあるだろう。会議でいつも反対する人は議題にかかわらず反対しているはずだ。それはその人の性格である。私たちはこの性格という点に案外無頓着で過ごしてきたのではないか。私たちは性格という基本ソフトの性能や性質にしたがって毎日を生きているのではないか。マネジメントの一般論がなかなか現実の役に立たないのは、人間の性格というポイントを軽視しているからである。仕事を選ぶ場合でも、能力や興味といった要素もあるが、性格にあった仕事に就くのがもっとも幸せなことだ。看護師という職業にはある性格タイプが多いという統計もある。それは人を助けることに生きがいを感じるという性格である。スチュワーデスという職業にはいろんなものに興味を抱く冒険者的なタイプが多いとも聞く。科学者や技術者には常に対象を観察するという性向が強い人が多い。集団を率いる場合、プロジェクトを進める場合、リーダーは個々の成員の性格を意識しながら進めていかなければ成功はおぼつかない。集団は性格タイプの組み合わせであるという観点が入っていない人事が多いから失敗する確率が高くなるのだ。多くの一般理論に欠けているのは性格という視点である。
2007/01/05
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小泉内閣の経済司令塔の役割を5年5ケ月にわたって果たしてきた竹中平蔵大臣は、毎日短い日誌をつけ始めた。歴史的瞬間に立ち会うという意識で始めたとあるが、使命感を持って歴史づくりにあたる様子を記しておきたいと願ったためだろう。その日誌はA4で3000ページ近くになったという。竹中はこの日誌をみながら、小泉改革を実践する現場の司令官としての仕事の総括を試みた。この本のタイトルは大臣日誌であって大臣日記ではない。日誌とは日々の出来事を記すものであり、日記は日誌を踏まえて自らの心の動きを記すものである。タイトルを日記とせずに日誌とした真意はそこにあると思う。全体の記述のトーンをみても敵や味方に対する具体的な人物評や心情は省かれている。一貫して乾いたトーンで書き綴っている。第1章は小泉内閣の発進。第2章は不良債権処理に立ち向かう金融改革の様子、第3章は改革の本丸・郵政民営化をめぐる攻防、第4章は政策プロセスを変えた経済財政諮問会議のあり方、そして終章は今後の日本経済の進路についての論考である。小泉改革は不可能と思われていた不良債権問題を解決し(8%台だった不良債権比率が半減以下)、誰も手をつけなかった郵政民営化を実現した(2007年10月から)。いずれ歴史の中で評価が定まるだろうが、傑出した歴史的な政権だったと思う。この本は構造改革の過程を経済財政担当大臣、金融担当大臣、総務大臣という立場で一貫して携わった竹中平蔵がみた改革と政策実現のプロセスに焦点をあてた内容である。ほぼ与党・自民党とのやり取りであり、野党民主党の記述はほとんどないことが示すように、仕事の大半は自民党対策だった。抵抗勢力といわれた議員、官僚との熾烈な戦いの様子がわかる。また、この改革は時間との戦いであったいうことができる。改革の成果が出るまでの間につぶされないかという戦い、設定されたスケジュールた総理や同僚に対する根回しの時間の確保との戦い。私的なブレーンと手を携えながら、常に先手、先手をとりながら布石を打っていく仕事振りがわかる。一瞬たりとも気を抜けない仕事だったのである。与党、野党、マスコミ、利害関係者などから常に批判にさらされながら、その都度考え方を整理し、打って出る。こういうことが可能だったのは、小泉総理の節目、節目のぶれない決断と的確な指示、そして信頼があったからだろう。歳出削減と景気回復による自然増収によって過去4年間にプライマリーバランスの赤字幅は28兆円から14兆円へと半減した、今後3%成長となれば歳出削減または増税による収支改善努力は毎年2-5兆円で、2011年のプライマリーバランスをプラスに転換するという目標が実現できる。2%成長なら消費税5%、4%なら消費税増税は必要なくなる。これが現在の政府の立ち位置である。ここ数年の舵取りが大切である。これが竹中の最後のメッセージであるが、自分は政策専門家の育成と政策ウオッチャーとしての活動を開始するという宣言を行って本書を閉めている。今回は日誌を公開したのだが、日記にあたる部分には個々の役者の言動が記されていることになるだろう。本書では個々の政治家の言動の一部は記されてはいるが、実名と感想が入ったものも読みたくなる。没後50年たって公開された原敬日記では人物評なども辛らつに書かれているが、そういう部分はいずれ明らかになるだろうか。年末に読んだ飯島首席秘書官の「小泉官邸秘録」もそうだったが、この本も強い意志で抑制的に書かれていると感じた。政権の中枢にいる人たちの観察は、首席秘書官と大臣では違った景色が見えているのは興味深い。今後、こういった回想録がいくつか出てくるだろうが、そういう証言を積み重ねながら政権の実態に迫りたいものだ。だいぶ前に読んだ「サッチャー回顧録」は圧巻だった。主人公が自ら語る政権運営は実に魅力的であった。いずれ「小泉純一郎回顧録」を読みたいものである。
2007/01/04
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元旦に近所の賀茂神社で御神籤を引いたら「吉」だった。昨年は「末吉」だったから今年の方がいいと思うようにしよう。この「吉」と「中吉」はどちらがいのだろうかと少し気になった。どっちだろう?年末年始は本を読んでいる。鋭い舌鋒で文芸評論を書く関西大学の谷沢永一は、私は司馬遼太郎の解説者として親しんでいる。この谷沢永一が書いた「執筆論」(東洋経済新報社)を読んだ。200冊を超える著作活動の秘密を垣間見るように読んだ。抽象的な叙述ではなく、具体的な著述に即して書いた本である。一冊一冊が勝負というか、それぞれ力を入れて書いている様子がわかって頭がさがる。上智大学の渡部昇一の本は1976年のベストセラー「知的生活の方法」(講談社現代新書)以来、翻訳もの、歴史もの、時事ものなど、ずっと読み続けている。この本は久しぶりに改めて買って読んでみたが、新しい発見も多い。「本書に書いてあることは、すべてはすべて実感や体験か願望かである」というから説得力がある。自分をごまかさない精神、自分の古典をつくれ、身銭を切って本を買え、能動的知的生活者は書斎とマイ・ライブラリーを持つ努力が必要、時間の考え方、交際・食事・酒・散歩と知的生活など30年前の著作だが、反省を迫る指摘も多い。昭和4年生れの谷沢永一と昭和5年生れの渡部昇一の対談本も読んだ。「人生後半に読むべき本」(PHP)というタイトルで、2人の稀代の読書家による読書論である。後書きを読むと私の本の担当でもあるPHPの若い編集者の企画だと書いてある。この2人の対談を実際に聞くには楽しいだろうなあ。谷沢は司馬遼太郎の研究者としても著名であるが、「自分の後を追跡されたくないので、全部(本や資料)を処分してしまって、足跡をくらましてしまう(笑)」と言っている。「戦国物が済んだら、その資料はポイ」らしい。そうか、だから小説を書くたびにトラック一杯の古本類が届くといわれた資料が記念館にも見当たらないのだろう。渡部は若い頃読んでよかった本も今読むと全く面白くないという経験をあげている。漱石は49歳で亡くなっているから、そういう若い人の人生観察はどうということはない、と述べていて笑わせる。年をとると目が肥えてくるということらしい。2人とも70代後半なので、こういう人が勧める本はいいに違いない。彼らが勧める本をあげてみる。折にふれて手にしてみたい。渡部昇一・ハマトン「知的生活」「知的人間関係」・伊藤整「氾濫」・藤沢周平「三屋清衛門残日録」・松本清張「短編全集」・清水正光「評釈伝記小倉百人一首」・高浜虚子「俳句はかく解しかく味わう」・立花隆「日本共産党の研究」・松下幸之助「21世紀の日本」・本多静六「私の財産告白」・アレキシス・カレル「人間--この未知なるもの」・幸田露伴「努力論」・吉川英治「三国誌」「新書太閤記」」「新・平家物語」・池波正太郎「仕掛人藤枝梅安」」・岡本綺堂「半七捕物帳」・ 「唐詩選」・ヒルティ「幸福論」・伊藤正徳「軍閥興亡誌」谷沢永一・薄田泣菫「茶話」・河盛好蔵「人とつき合う法」・久世光彦「マイ・ラスト・ソング」・和田誠「お楽しみはこれからだ」・野口久光「想い出の名画」・安東次男「完本 風狂始末」・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」・ブローデル「地中海」・大仏次郎「赤穂浪士」・平岩弓枝「御宿かわせみ」・徳田秋声「あらくれ」・リップマン「世論」・シュンペーター「経済発展の理論」・高橋亀吉「日本近代経済形成史」・山手樹一郎「短編時代小説全集」
2007/01/03
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昨年読んだ本の中で一番面白かったのは梅田望夫「ウェブ進化論」だった。この本は話題となってウェブ2.0という言葉が飛び交う契機となった。今日はその続編である「ウェブ人間論」という平野啓一郎と梅田の対談本を手にした。対談という手法はそれぞれの特徴や主張を際立たせるため、双方が本音で対峙する必要に迫られる。このため主張や思想がくっきりと浮かび上がるという方法論である。そういう意味で年齢が15歳下の作家・平野の切込みに対する梅田の丁寧な説明や反論によって、読者は新しい世界に対する理解がすすんでくる。この対談を読んで、内容以前に人間の気質というものを強く感じた。京大在学中に芥川賞を受賞した鬼才・平野の人間の暗部に対する拭いがたい不信感と、ウェブ2.0という革命の最前線の優れたウオッチャーである梅田の楽観論という対照は、取り組んでいるテーマというより、それぞれの気質に影響を受けているように感じる。むしろそういった気質がそれぞれの関心を呼び込んでいるといった方が正確かもしれない。1975年生れの平野の立場はウェブ世界を当然のこととしている世代であるにもかかわらず、人間に対する問題意識が先行するが、この平野が読者に代わって突っ込み、最終的には人間総体をトータルでは信頼する梅田がそれに答えていく。私は気質的に梅田の方に近いようなので、読みながら梅田の議論を中心に追うことになった。梅田望夫の日常のスタイルを追ってみた。ブログはネット上に置いてある自分の分身である。少しまとまった時間があればいつもチェックしている300-400人の日常や考えていることをシャワーのように浴びるため英語と日本語のブログを覗く。毎日2時間くらいかけて読んだ最先端の情報蒐集の成果を1時間かけてブログに書き、そのエッジの情報を無料で公開する。書いた内容が検索エンジンに拾われて新しい出会いがある。旧来のメディアである本を書くとネット上の書き込みが多くなり、その内容もすべて自分で読んで考える材料となる。そういった様々なそしてレベルの高い反応をもらうことによって、謙虚になると同時に深く考える術を獲得する。ネット空間に自分の書いたブログの反応の量が増えてくると、ネット空間をある程度支配できるようになってリアルな自分を防衛してくれるという面も出てくる。悪意や中傷はもちろんあるが、やり過ごしたりする中でネット空間で生きる術も自動的に身についてくる。実名でリアル世界との連続性の中で活動することによってネット世界とリアル世界は自身の中で統合されていく。こういったスタイルを持つ人々はネットという能力の増幅器を使いこなしながら、成長し変容を遂げていく。1995年が日本のインターネット元年で、1997-8年時点ではホームページの永続性は前提とはされていなかったと梅田は言っている。そうすると梅田より10年ほど年長の私が必死になってホームページ(図解Web)を開設したのが1999年2月だから、その先端の動きに何とかくらいついていたということもいえるかもしれない。その後、メルマガ、ブログ、SNSといった新しい波にも何とか乗りここまでやってきたのだが、梅田の日常の動きに近い形で自分も進化を遂げてきたような気もしている。「本、iPod、グーグル、そしてユーチューブ」という章では、本の未来も語られている。ネット情報はフローとして最先端を切り拓き、本は構造化された知識をパッケージという形で提供され続ける、そしてアマゾンやグーグルというネット企業と既存の出版社とはリーズナブルなゾーンに入る、いうのが梅田の予測である。梅田がいう「構造化」もキーワードである。世界を構造化するのが書物であるというのだが、それは構造と関係を用いて世界を解釈するということだろう。私の取り組んでいる図解コミュニケーションもそういうことを強く意識した方法論である。私自身もホームページ、メルマガ、ブログという一連の流れの中に何とか振り落とされないように棹さしているが、もうこの流れから遠ざかることはできなくなっている。それは自己の増殖という感覚、自己成長の確認、世界の中で生きているという実感などが織り交ざった世界に生きているからだと思う。「ウェブ人間」という言葉は若い新しい世代のことをいうのだろうが、自分自身も間違いなくウェブ人間であると思う。外的世界の拡大は内的世界を深化させる。この言葉は大学生時代の探検部のときに大事にしていた言葉であるが、ここでいう外的世界とは、ネットも含んでいると考えるのが自然だろう。私たちは外的世界の拡大のための乗り物を手に入れた。今後、人間は一気に豊かな内的世界の旅に出ることになるだろう。
2007/01/02
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新年明けまして、おめでとうございます!本年もよろしくお願いいたします。今年の達成可能な記録一覧です。(大きい数字から並べてみると、、、)・ホームページ「図解Web」訪問者数 70万ヒット(現在67.7万) http://www.hisatune.net/・ブログ「今日も生涯の一日なり」連続記入 1000日(現在825日) http://plaza.rakuten.co.jp/hisatune/・メルマガ「ビジネスマン教授日記」発行 500号(現在456号) http://www.hisatune.net/mg/mg.htm・「人物記念館の旅」の訪問館数 200館(現在142館) http://www.hisatune.net/kinenkan/kinekan_list.htm・著書刊行数 70冊(現在67冊) http://www.hisatune.net/html/02-kenkyuu/tyosaku/index.htm・仙台生活 10年(現在9年)今年も「継続は力なり」を念頭に、日々精進してまいります。また、メルマガ等でもいくつか新機軸も考えています。今年が皆さんにとって良い年でありますようお祈りいたします。
2007/01/01
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