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橋下徹・堺屋太一「体制維新---大阪都」(文春新書)。大阪都構想を掲げる橋下大阪市長の考える大阪と日本の未来がよくわかる本だ。一点突破で現在の閉塞感を打ち破る可能性がある。4年間の大阪府知事時代の闘争に裏付けられた現場感覚とそこから生み出された明快な論理と方向性には納得感がある。---------------- 大阪府庁と大阪市役所を解体し、新たな大阪都庁にする。現在の大阪市を8つの特別自治区に再編。都は大阪全体を対象にした広域行政を担い、特別自治区は基礎自治体として住民サービスを受け持つ。 景気対策や雇用対策、空港、港湾、高速道路、鉄道などのインフラ整備、自治体外交、国との権限折衝、地域全体を考えるのが広域行政。 高速道路、幹線道路、地下河川などの広域インフラ。JR大阪駅北ヤード開発、大阪湾岸ベイエリア部振興、カジノ構想、 OSがウィンドウズ95(140年前にできた行政のしくみ)のままでは、WIN7用の最新ソフトは動かない。 ボロボロの車(大阪府・大阪市)を電気自動車(大阪都)に変える。良い運転手(公募制で選んだ首長)を選ぶ。民主党はいきなり運転席に座って(政権交代)事故を起こし、路線バス(官僚主導)になった。 都市間競争の時代。個々の都市を成長させ、つなぐにの国に役割。 大阪府の改革:1100億円の収支改善目標を達成。職員給与は最低水準。450億円かけて私立高校の授業料無償化。警察力の強化で街頭犯罪ワーストの汚名を返上。負債を5577億円返済。貯金は10億円から800億円になった。伊丹空港廃港問題、水道事業の統合、、、。 首都圏・中京圏・近畿圏が日本全体のGDPの約7割。成長戦略の主体は都市であるべきだ。都市は国を引っ張るエンジン。大阪都は東京に次ぐ、二発目のエンジンに。 今の政治家は組織マネジメントの経験がないから、行政組織を機能させられない。組織の仕事の割り振り、役割分担を決めるのがトップの仕事。組織マネジメントの根幹は意思決定システムだ。 政治家はあるべき方向を示す。行政マンが選択肢を作り、中身をつめる。 人口880万人の大阪府。人口260万人の大阪市。大阪都庁は強い広域自治体、特別自治区はやさしい基礎自治体に。区長は公選。 誰が決定権者か? 府立大・市立大の統合後は公立大では日本ナンバーワン。現在は府・市合わせて200億円かけている。首都大学東京の二倍かかっている。大阪消防庁は1万人の部隊になる。 中継都市、付加価値都市が大阪の成長戦略。 税収増と行政改革で確保した財源を住民サーニスに還元する。これが大阪都構想の都市経営モデルだ。 各地域が独立して州を運営していく道州制が最終ゴール。 大阪で統治機構の変革の実例を見せたい。
2012/01/31
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年末から「歩く」習慣が続いています。自宅から最寄り駅までは、小川に沿って緩いくだりですが、周辺の緑や花を愛でながら、徒歩15分。二駅目の永山駅から多摩大まではほとんど上りで、厳寒の季節ですが、うっすらと汗をかきます。箱根の山の神・柏原になったような気がして、スパートをかけて最後の公園の中の階段を登りきると、職場である大学に着きます。この間25分から30分。また帰る時も、駅までこの道を下っていくこともあり、新しい習慣が身に付き始めたところです。10年ほど前の正月に突然ぎっくり腰になり、その冬は歩きに専念したことがあります。当時住んでいた仙台での朝の散歩、そして東京出張時には、ビジネスシューズではなく見栄えの悪いハイキング用の重い靴を履くようになり、ホテルを出て朝に皇居を一周したり、東京駅から新宿まで一気に歩いたりするようになりました。だいぶ気合が入っていました。このとき、行きつけの整体の先生からは、実年齢よりも15歳も若い体になったと言われました。その年の5月に「図で考える人は仕事ができる」(日経)を上梓し、それが大きな話題になり、その後は出版や講演の依頼が集中したのですが、厳しいスケジュールを何とか乗り切ることができました。今から考えると、数か月前のぎっくり腰がその準備のためのきっかけとなったようです。ぎっくり腰がなければ、超多忙なスケジュールをこなすことはできなかったでしょう。また、最近手に入れたボーズのクワイエットコンフォート3(QC3)というヘッドフォンはノイズキャンセリング機能が優れており、とても気持ちがいいので、歩きの時には、坂の傾斜も気にならないでいつの間にか越えていることもしばしばです。ベートーベンの田園や富田勲先生のシンセサイザー音楽を聴くことが多いですね。歩くためというよりも、音楽を聴くために歩くということにもなってきています。そして、自分でも不思議ななのは、電話で済むような軽い案件でも、そのためにではなく、歩くことが目的で大学まで行くことが増えてきました。本末転倒ですが、これも楽しいことです。音楽を聴くために歩き、気持ちよく歩くために、職場に向かう。こういう循環になってきました。こういった歩きは、夏場は暑くてできないので、冬が勝負です。冬の間に、この習慣が根付き、続けることができたら、どのような体になっているか、それが心にもどのような影響があるか、楽しみになってきました。
2012/01/30
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江東区青梅の日本未来科学館で開催中の「ウメサオタダオ展--未来を探検する知の道具」を見てきた。集合時間の前に、八木さんと待ち合わせて、日本未来科学館のレストランで昼食を食べながらいろいろと相談。NPO法人知的生産の技術研究会主催の見学ツアーで、総勢20人ほどのメンバーが集まった。会員以外では、宮城大時代の教え子で最近弁護士になった石橋君、講談社の大川さん、手帳評論家の舘神さん、ファイリングコンサルタントの小野さん、多摩大大学院の柳生さん、八王子の佐藤さんなど、、。会員は、船山さん、間瀬さん、高橋さん、高山さん、中田さん、山下さん、、、、、。内容は2011年5月に訪問した民博のウメサオタダオ展で見ているのだが、今回はフィールドノートの複製があったり、幻の名著「人類の未来」の目次やこざねなどの展示などの工夫がある。解説の科学コミュニケーターの説明も熱意があり、なかなか聴かせた。終了後には、民博で梅棹忠夫先生の秘書だった三原さんが集合場所にみえるというハプニングもあった。三原さんは梅棹先生のことを詳しく話してくれて、また質問にも丁寧に答えてもらい皆さん満足したと思う。梅棹先生は1920年生まれ、2010年没。2020年は梅棹先生の生誕100周年にあたる。改めて「壮大なる人生」との感を深くした。終了後、新橋に出て中華料理屋で懇親会。自己紹介も含め皆さんよくしゃべってくれて楽しい時間を過ごした。
2012/01/29
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午後、九段下のグランドパレスホテルで、図解アルチザンの出版プロジェクトの件で、菊永さんと相談。前回よりは少し難度の高いものになる。 社団法人科学技術と経済の会の日高主任研究員に学長室の山本さんに紹介してもらって文庫カフェで会う。1966年に設立された会で、日本の製造業を中心とした大手企業が会員となっており、40年以上にわたってセミナーを開催しってきている有名な会である。今はどの組織も生き残りに必死で課題も多いが、いろいろと話を聞いた。今日の成果は学生のインターンシップの受け入れの話題が出たことだ。。 九段サテライトでインターゼミの最終回。事前に学長と少し打ち合わせをして始める。最終的に論文にまとめる段階での苦労や収れんさせていくときの様子などを全員にしゃべってもらった。人物相互の関係・挫折と苦悩・言い回し・現代と過去・論文の難しさ・プレゼン・自分で考える・関係づけ・自分の意見・ストーリー・チームマネジメント・プロジェクトの進め方・伴走、、。学長「プロジェクトマネジメント・人を見ぬく・表層・別の角度から・歴史は単純ではない・・・」私はインターゼミに教員としてどうかかわるかというテーマの話をした。テーマ設定とチーム補充と伴走。 文庫カフェを借り切って打ち上げ。菅野先生の軽妙な司会で楽しい時間を過ごす。学長は中締めと終わりの挨拶。そして最後は4階の寺島文庫でペリーとマッカーサーゆかりの品を解説付きで見るツアー。私は「関東大震災に何歳で出会ったか」というテーマで少し話をする。すでに卒業して就職している一期生も何人も駆けつけてくれた。ボッシュ、市議会議員、、、。インターゼミ(社会工学研究会)も3年のサイクルが終了。
2012/01/28
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大学パンフレットの取材で井入試課の井川さん マネジメントデザイン2の最終講義。佐藤栄作、西川由之、山川庄太郎、今和次郎などの話をする。ロールモデルとする人物の図解とA4二枚の文章のレポートは今日が締切。 昼休みは、菅野先生、樋口先生。 T書店が出版事業に進出するということで出版企画の相談に見える。最近接触のあったU社もそうだったが、異業種から出版に進出しようとする企業が増えている。 九段サテライトで学長主宰の大学運営会議。今回は田村学園側から理事長と常務理事も参加。------------------終わって、帝国ホテルで行われた「朝日賞・大仏次郎賞・大仏次郎論壇賞」の受賞パーティに参加。今回の朝日賞を受賞されたシンセサイザーの第一人者・富田勲先生からの招待をいただき初めて出席した。会場には横尾忠則、瀬戸内寂聴、佐伯一麦など著名人が多かったが、カメラを忘れたのが大失敗だった。まず、富先生にご挨拶。奥様と娘の瀬尾さん、孫の弁護士の正仁さんらにもご挨拶。野田一夫先生と合田周平先生(電通大学長顧問)とご一緒し話が弾む。朝日賞は、学術・芸術などの分野で傑出した業績をあげ、日本の文化や社会の発展、向上に貢献した個人・団体に贈られる賞。富田勲先生の受賞理由は「世界を舞台にした作曲家・音響クリエーターとしての活動」。1月1日の朝日新聞には「今を奏でる革命家」という見出しで、富田先生のことが次のように紹介されている。今年は「イーハトーブ交響曲」を発表する。「光がキラキラ降り注ぐような」宮澤健二のことばの宇宙に愛する東北の車窓の風景を重ねるものになる。「いつも「これが最後」と思って曲を書いているんです。、、子どもの心を忘れず、常に「今」に夢中でいたいですから」。垣根を超えた作曲・編曲活動。音響の革命家。孤高の歩み。NHK大河ドラマ、「新日本紀行、手塚アニメ。今なお新たな創造の可能性を追い続けている。同時受賞は、横尾忠則{常に時代と共振する斬新なグラフィックデザイン・絵画の制作」、上野千鶴子『女性学・フェミニズムとケア問題の研究と実践」、香取秀俊「光格子時計に関する研究」、坂口志文「制御性T細胞の発見を通じた免疫寛容の解明」。横尾忠則「江は70歳を過ぎてから楽しくなった」「大いなる未完」香取秀俊(物理工学者):100億年の時を刻んでも1秒も狂わない時計を開発。「エジソンになりたかった」。魔法波長の光格子を使った光格子時計を実現。国際的な「秒」の定義の有力候補。坂口志文(免疫学者):自分と自分でないものの境界を線引きする細胞を発見。「免疫を突きつめて、新しい治療法を開発したい」優れた散文作品に贈られる大仏次郎賞は、装幀家の司修氏の「本の魔法」。「出来上がった本は自分の作品であって、自分の作品でない」。この本は手に入れて少し読んでいる。選考委員の船橋洋一さんの「我が家の本棚の特等席に並べる本は、詩と和歌と俳句と、それに歴史の本と決めている」という言葉が参考になった。現代日本の現実にかかわりながら、よりよい社会の創造を目指す同区躁的で優れた論考に贈られる大仏次郎論壇賞は、服部龍二氏の「日中国交正常化--田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦」(中公新書)。戦争を忘れない日本と寛容な中国という「日中講和の精神」を説く。この本もさっそく注文した。スポーツ分野で優れた成果をあげた個人または団体に贈られる朝日スポーツ賞は、「なでしこジャパン」。
2012/01/27
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小田急線の鶴川という駅から歩いて15分ほどのところに旧白洲邸武相荘がある。2006年5月の訪問以来、先日三度目の訪問を果たした。ここに住んでいた夫婦は二人とも個性の強い人物だった。夫は白洲次郎(1902-1985年)で吉田茂首相のブレーンをつとめた快男児で、「マッカーサーを叱った男」として有名だ。妻は白洲正子(1910-1998年)で、こちらは本物の生活を営んだ日本文化の目利きの女性として死後も人気が上がり続けている女性である。おしゃれな男性老人、着物姿の女性たち、中年から老境にある女性の友人同士、そして老夫婦など見学者が多い。白洲次郎は、通商産業省の創設など日本の早期の独立と経済復興に黒子として活躍し、57歳で東北電力会長を退いた後は、この武相荘で車と日曜大工とゴルフに興じた逸話の多い人物である。次郎はダンディの見本として雑誌で特集が組まれるなど今なお人気があるが、ダンディの条件について次のように語っている。筋を通す、弱者にやさしい、私(わたくし)しない、見た目にそこそこカッコいい。要するにダンディとは「やせ我慢」のことだろうか。また次郎は、プリンシプルという言葉を大事にして、それを原則、筋、武士道などの日本語をあてている。自分なりの「美学」を持てということだろう。「志」にも近いと感じた。妻の正子は、明治の元勲・樺山愛輔の次女で、女人禁制の能舞台に演者としてはじめてたっている。その後、「お能」を刊行し,「能面」「かくれ里」で読売文学賞を2度受賞しているなど古美術、古典文学,紀行などはばひろい分野で活躍した。正子の「西国巡礼」の中で多田道雄が「白洲さんにくっついて行った巡礼の終わりになって、その旅が実は自分を発見する旅だったことに気づくはずである」と述べている。巡礼は自己発見の道行(みちゆき)なのだ。正子は「今は命を大切にすることより、酒でも遊びでも恋愛でもよい、命がけで何かを実行してみることだ。そのときはじめて命の尊さと、この世のはかなさを実感するだろう」と書いている。この武相荘には河上徹太郎夫妻が疎開し、小林秀雄、今日出海、青山二郎、大岡昇平などが訪ねて酒盛りが何度も催された。「今、私が曲がりなりにも物を書いているのは、先生たちの恩に報いたいためで、幽明境を異にしようとも、彼らは私の心の中で生き続けており、私が死んだあとまでも生きてほしいと願うからである。」と正子は晩年に集中した膨大な執筆量の動機を述べている。イギリス流のカントリージェントルマンだった次郎と、日本の古典文学と古美術の美しさを再発見した正子。旅に出るとせっかちな次郎と、道草の好きな正子。「野人と韋駄天 世紀のカップル」という表現も武相荘で見かけた。韋駄天お正は、自分の眼で見、足を運んで執筆する姿勢を終生貫いた行動派だった。最近横浜の百貨店で開催された二人の企画展のキャッチコピーは「時代に媚びない。時代を染め抜く」とあったが、次郎と正子をそれぞれ的確に説明してあった。次郎と正子は、この武相荘で次郎の趣味の家具と、正子が蒐めた骨董に囲まれながらそれぞれの天命を生きたのである。------------------------ 学長室ミーティング ホームページ打ち合わせ 多摩大総研打ち合わせ(中庭先生) J出版社の取材(2時間) 矢内事務長 ホームゼミ(本年度最後) 樋口先生、豊田先生 後援会事務局の宮沢さんから相談------------------------今日のゼミは、4年生と3年生の就職関係の報告と、2月3月の春休みの目標を考えてもらい発表する時間にした。充実した春休みを過ごして欲しいものだ。3年生「就活。SPI」「説明会に積極的に参加。就活。Jリーグの応援」「6月からの留学に向けてバイトで資金。海外旅行も」「夏までに内定。2-3月は就活に専念。SPI」「自動車ディーラーを受験」「多くの業界の選考説明会に参加」「静岡に帰省」「親との情報交換」。2年生「中国北京に語学留学」「就活について調べる」「本を読み図解に挑戦!」「車の免許。簿記と宅建などの資格の勉教」「就活準備のために情報収集。公務員も」「バイトと遊び」「将来を考える。資格。バイトして弟にプレゼント」「向いた仕事を探す」「就活を考えながら趣味とバイト」
2012/01/26
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佐藤栄作日記第四巻を読了。佐藤栄作は連続在任期間は1964年から1972年までで歴代総理中最長の7年8ヶ月という長期政権だった。私の大学時代までずっとこの総理だったし、在任当時はあまり評判のいい人ではなかったのであまりいい印象は持っていなかった。この人が書いた24年間の日記40冊が6巻の書物になっているが、この中の第三次内閣を組織した1970年と1971年の二年分を読み、その印象を変えた。69歳から70歳という年齢で総理大臣という激務の中、土日は必ずといってよいほど鎌倉の別荘で過ごし、息子の龍太郎や信二とゴルフをしている。この別荘は旧前田家の別邸で、今は鎌倉文学館になっているから一度訪れたことがある。素晴らしい庭のある建物で、三島由紀夫の「春の雪」の舞台になったところだ。精神の健康も含めて毎週のゴルフに対する執念は意外だった。バックティーで打っている。この人にとってもゴルフはうまくいかないのは微笑ましい。ただホールインワンも達成していた。また日記の中には寛子夫人の動静と息子や孫たちとの食事会などの様子が短く紹介されている。この人は家族関係にも恵まれた人だったのだという思いを強くする。定期的な健康診断の結果の記述、「大臣病患者の訪問にはほんとにあいそがつきる」というような慨嘆、少ないが愚痴のような言葉、事件や法案に対する感想、人物譚、そして友人・知人たちとの交流の基礎になっている会合の記述、デノミ要請などの政治案件、日航よど号事件、朝日新聞への攻撃、ファンである司馬遼太郎「坂の上の雲」などの読書、都知事選、陛下への内奏、三島由紀夫事件、沖縄本土復帰や繊維交渉に関する断続的な記述など、実に興味深い。政治に関しては三木、福田、田中、中曽根、細川などの後の総理がよく出てくるが、誰に肩入れするということもなく、公平に淡々と記している。「中曽根君がはりきりすぎて波紋、、」「田中幹事長のおしゃべりには閉口、、電話で叱る」、「叱りおいた」「注意事項を話する」「後継者が三木君以外に育つかどうか問題」「此の天この人の欠点か」「説得して帰す」「田中幹事長に注意する。走りすぎにブレーキ」「いずれ時期が解決するものと思ふ」「油断大敵。いつでもこの言葉を忘れてはならない」「油断なき様と余計の事だが注意する」「親類は出来るだけ顔を合す様に努力しないと遠のくものと思ふ」「大臣へ自己推薦したので叱りおく」「選挙後の人事が一つのねらいか」「「やや自慢でもある」「数はいるが人はいない」「この評価は後世史家の評価に待つ」、、。やはり「人事の佐藤」と言われたことが納得できる。出てくる名前は、浅利慶太、梅棹忠夫、茅誠司、盛田昭夫、江田三郎、松尾静麿、田中耕太郎、石田礼介、石原慎太郎、石原裕次郎、山岡壮八、安岡正篤、中山素平、三浦雄一郎、松下幸之助、大宅壮一、東郷青児、岡本太郎、、、、。また、家族、孫、友人、先輩、そして数多くの陳情をこなすなど、佐藤栄作という人物はバランスの良い人だったと思う。「問題は何といっても一つ一つ対策をたてて実効あらしめる事、議論ではない」佐藤は本人自身が「当方も晩成なので、、」というように五高同期の池田総理の後塵を拝したが、その後に総理の座を射止め、結果的に長期政権を達成した。この点は師匠の吉田茂と似ている。-----------------大学で諸橋学部長と。今泉先生、豊田先生、下井先生、望月先生。今日は久しぶりに、自宅から堀之内、永山から多摩大の往復を歩いた。
2012/01/25
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石川県自治研修センターで県庁職員を対象に丸一日の講義と演習。f:id:k-hisatune:20120124155321j:image主事、主任主事、主任技師、専門員、技師、主幹、などの肩書の職員36名。比較的若い層だ。以下、所属。総務課、中能登総合事務所、小松県税事務所、金沢県税事務所、石川中央保健福祉センター、総合看護専門学校、地域振興課、空港企画課、経営支援課、労働企画課、監理課、都市計画課、建築住宅課、県央土木総合事務所、土地開発公社、営繕課、農業政策課、石川農林総合事務所、農業基盤課、南部家畜保健衛生所、生産流通課、ろう学校、小松市立中海中学校、白山立朝日小学校、野野市市立中学校、中能登町立鳥屋小学校、出納室。f:id:k-hisatune:20120124122811j:imagef:id:k-hisatune:20120124122807j:image以下、アンケートから。「最後はクタクタになりました。おそらく普段使わない脳を使ったからでしょう」「学校と地域社会の関係が悪化したとき、なぜ抜き差しならない関係に陥りやすいのか、その答えの一端を見たように思った」「今日は頭が疲れました」「刺激的、驚きと発見にあふれた講義」「作業中は一生懸命、そして楽しくできました」「図解ホームページに驚き。多摩大鳥瞰図絵も手作り感があって素敵」「本質が見えてくる」、、、。f:id:k-hisatune:20120124122800j:imagef:id:k-hisatune:20120124122807j:image前回は鈴木大拙館をみたが、今回は昼休みに県立美術館で開催中の「古美術優品展 山川コレクションを中心とした茶の湯の美」を見る。金沢の素封家山川家は、初代の甚兵衛、二代の甚平、三代の庄太郎と美術品を収集していた。山川庄太郎(1876-1961年)は近代数寄者だった。高名な芸術家の作品が並んでいた。以下、作者の名前だけを記す。長谷川久蔵、小野道風、藤原俊成、加納常信、千利休、尾形乾山、古田織部、阿部仲麻呂、高山右近、狩野元信、狩野探幽、久隅寺景、尾形光琳、本阿弥光悦、俵宗達、松尾芭蕉、後宇田天皇、、。
2012/01/24
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新宿伊勢丹でボーズのヘッドフォンQC3を購入。赤坂の野田一夫事務所で昼食をごちそうになる。f:id:k-hisatune:20120123134723j:image羽田から小松空港へ。加賀友禅作家の久恒俊治夫妻と、金沢工大の久恒彩子先生と会食。浅野川沿いの昔ながらの料亭や茶屋が並ぶ主計町(かずえまち)の風情のある店で歓談。金沢市では東山とともに種別茶屋町で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。茶屋町として明治期から昭和戦前期に栄えた。加賀藩士・富田主計の屋敷があった。f:id:k-hisatune:20120123205248j:image帰り際に近所の店から芸者さんが出て来るのを見かけた。f:id:k-hisatune:20120123221920j:image
2012/01/23
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八王子市長選挙で投票。3人がすべて無所属。そこで一句。 なんだこりゃ みんな無所属 市長選町田市民会館。鶴川の市民会館で妻の公文の習字教室の年賀状作品が展示されているということで一緒に見に行く。f:id:k-hisatune:20120122115629j:image藤田留吉の碑。市民会館の脇に碑があった。土木業で巨万の富を築いた人物が故郷の学校建設のために二千坪の土地を寄贈したという碑が建っていた。この人はどういう人だろう。「財が過ぎれば子孫たちにわがままな心が芽生える。おごることなく仕事に精をだすことこそ家を守る道である」f:id:k-hisatune:20120122121230j:image武相荘。この武相荘も三度目か。f:id:k-hisatune:20120122122823j:image田の字の民家は家族の成長に従って土間を洋間に変えたり変化させていける。なるほどそういう知恵が古い日本の民家にはある。家族の成長に沿って家を売り買いしてきたがこれは失敗だったかも知れない。白洲次郎は57歳で東北電力会長を退いてから、軽井沢ゴルフクラブの理事長になって人生を楽しんだ。その通勤手段として使ったポルシェ911の同型のクラシックカーが飾ってあった。次郎はやや距離のある田舎に住んで中央を見つめ、何かあったら出ていくというカントリージェントルマンという生き方。正子は晩年はこたつ式の机で韋駄天のように執筆三昧の日々を送った。変なバス。f:id:k-hisatune:20120122140950j:image行先は多摩市。ナンバーは八王子市。バス会社は神奈川中央バス。そして走っているのは町田市。何か変だな?西山美術館。道を間違えて走っていたら、知らない美術館着いた。これがとんでもないしろものだった。f:id:k-hisatune:20120122152810j:imageロダン・ユトリロ専門館で、ロダンの彫刻52点。ユトリロの絵画76点が展示されていた。ナックという会社の創業者に西山由之(1942年生まれ)という人が6年前に建てた美術館。6千坪の広大な敷地。f:id:k-hisatune:20120122145429j:imageロダン作品。鼻のつぶれた男、考える人、青銅時代、バルザック、バスティン・ルパージュ、永遠の青春、、。ロダンは77歳でローズ・ブーレと結婚式を挙げるが、その15日後に73歳の妻は死去し、本人もその年に77歳で死去する。ロダンについてはもっと勉強の必要がある。この美術館では40万円のマイセンのカップで紅茶などを楽しめる。f:id:k-hisatune:20120122150814j:image
2012/01/22
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多摩学研究会。10名の教員が参加。今日の講師は農工大・多摩小金井ベンチャーサポートインキュベーションマネジャー室の大野裕深シニアインキュベーションマネジャー。この人は新卒後、野村証券系の投資ファンド・JAFCOで19年間、中小企業に投資し株を売却し回収するという仕事をして、北大で産学連携を4年、産総研で2年、コンサルを経て、厳粛で2年という経歴。ベンチャー育成をテーマに仕事をしてきた人だ。始まる前に少し歓談。中小企業基盤機構は、全国に332あるインキュベーション施設のうち、32というから約1割を担っている。都内には100ほどのインキュベーション施設があるそうだが、ほとんどはSOHO,IT,サービスで、大学施設内に会社があり、大学と協業している施設は珍しい。セミナー開催、助成金情報、販路開拓、資金、経営支援などあらゆる分野の仕事があるそうだが、事業化を推進し、地域とのネットワークをつくりながら入居率を高めていくのがミッションだ。技術系・医薬系・バイオ系のベンチャー育成の施設の運営状況を詳しく聞いた。こういうインキュベーション施設の成功というのはどういう考え方がありますかとの私の問いには、3年で3割ほどの企業が立ち上がったらまず成功ということですかねえという回答だった。人事委員会。本日の教授会ではかる非常勤講師についての合意形成。就職勉強会。過半数の17名の教員が参加し盛況。履歴書の書き方がテーマ。教授会。寺島学長が出席。学長から新年の方針。以下、キーワード。「奇策でなくじっくりと・教育の質の向上・ゼミ中心・手作り・社会人基礎力(1、2年のうちに)・アジアダイナミズム・地政学的知・世界観・思いやり・偏差値の刷り込みからの脱却・教員の質・指導力・大学への主体的参加・三位一体のボトムライン・創立25周年・アメニティの充実・多摩学・多摩に無くてはならない大学に・同窓会と後援会・大学というビジネスモデルの進化・アジアからの留学生・社会人・経営情報学部はフラッグシップ、、。」諸橋学部長の任期終了に伴う来年度からの経営情報学部長に学長から小生が推薦され、投票で信任される。「学部長人事が何よりも重要。久恒さんを推薦したい。長い間の信頼関係に加え方向感を共有。方針を浸透させ成果をあげていきたい。この局面で力を発揮して欲しい」挨拶「二人の人に大きな影響を受けている。野田一夫先生と寺島実郎先生。野田先生が創り寺島先生が現学長の多摩大。今回の人事は天命と受け止めたい。いい大学になるように皆さんと一緒にやっていきたい。」との簡単な挨拶をする。終了後、教員ラウンジで、杉田先生、趙先生、豊田先生と歓談。
2012/01/21
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講演や研修という形でいろいろな組織を訪ねてきましたが、あまり入れないところでは裁判所があります。最初は、8年前に最高裁判所から手紙が届いたのが始まりです。何か悪いことでもしたかなあ、何がばれたのかなあ、と恐る恐る開けてみると、そうではなく講演と研修の依頼だったので、安心したことがあります。東京の皇居のお堀に面して建つ威厳のある建物は入る人に精神的な圧力と圧迫感を与える、そういうつくりになっています。まるで宗教団体の総本山のような雰囲気です。その最高裁で勤務する若い職員が対象でした。その後、何度も最高裁には出かけることになりました。「先生が痛烈に裁判所を批判していたのだが、聞いているうちに確かにそのとおりだと妙に納得してしまい、思わず苦笑した」というアンケートの感想にもあるように、「文章と箇条書き」の総元締めの法律を攻撃する論法は、最初は違和感を覚えるようですが、終わるころには半分以上が「そうかも知れない」と思うようになるのが面白いですね。因みに、最高裁は過去最も安い講演料でした。仙台からの新幹線の方が高いのです。それを皮肉って講義では「最高裁判所ではなくて、最低裁判所だ」と冗談を言うと職員はこの時だけは苦笑していました。その後、評判を聞きつけて、東京高等裁判所、仙台高等裁判所、宇都宮地方裁判所などから講演の依頼が続きました。東京高裁は東京地裁と同じビルの上の方にありました。やはり偉い方が高い所にあるということでしょう。ちょうど、ホリエモンの東京地裁での裁判の時でした。「これからの裁判所制度に活用されるのではないかと思われた」との感想をもらいました。仙台高裁では「管理者としてのコミュニケーションスキル」というテーマでの講演でした。「裁判員制度については、最近、特に広報が不足していることがマスコミから指摘されているところだが、講義では法曹界が「司法方言」を使い続けることの危うさが問題提起され、この点でもとても参考になった」との感想をもらいました。宇都宮地裁では「職場の活性化とモチベーションの向上について」がテーマでした。「嫌味がするほど、刺激的な講義だった。裁判所で用いられている言語(法律用語も含む)は方言であり、一部の人にしか理解できないという言葉が印象に残った。」という感想も。多摩大に移ってから、先日横浜家庭裁判所に招かれて係長を対象とした講演をしました。家裁は家族関係など複雑な案件が多く、図解を用いた仕事の方法が適しているという人事部の見立てでした。結果的に最高裁、高裁、地裁、家裁という司法の世界のタテの系列を見るという得難い経験をしたことになりました。やはり私の睨んだとおり、法律の世界こそ「図解コミュニケーション」という考え方で改革すべき時代になっていると確信を深めています。-------------------------午前。「ビジネススクエア多摩」運営委員会。多摩市・多摩信金・多摩大。午後。ラウンジで、豊田先生、樋口先生、金先生、諸橋先生と雑談。期末試験の金子先生の中級簿記の監督の補助。夜。品川キャンパスで大学院講義の秋学期最終回。大学院講義打ち上げ会。
2012/01/20
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今日はカメラを駆使して会った人を撮影。写真版「今日の一日」。学長室ミーティング。江東都税事務所から講演の依頼。ゼミの4年生が来訪。小田原市消防局に合格!ある本の出版プロジェクトが進行中。金先生と高野課長。夜は、拙著「遅咲偉人伝」の編集者と新宿で食事。
2012/01/19
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午前は、大学新設予定の関係者が来訪。学内の施設を見たりして学長室の高野課長と一緒に懇談。多摩大の「教員ラウンジ」に興味を持ってもらった。新設大の施設は「コミュニケーション」をキーワードに設計することをアドバイス。教員同士、学生同士、教員と学生、教員と外からのお客様、教員と職員、職員同士、職員と学生、、、。今泉先生とカリキュラムについての意見交換。午後は、JR東日本本社でセミナーの講師。今日も120人と多い。終了後、来年のセミナーの打ち合わせも。夜は赤坂で友人と久しぶりに食事。20代の頃に札幌で知り合い一緒に勉強会をやっていた人。建設省の役人だが当時は北海道開発局に勤務していて同世代の人たちと中東のオマーン王国をテーマとした勉強会を開いていた。最後に「オマーン王国の研究--混迷する中東の近代化と日本の役割」という論文を全員で書いた。途中で私は海外勤務になりロンドンから帰国した後、結婚式の司会をしてもらった。もちろん彼の結婚式にも出ている。菊川さんは今は国土交通省の道路局長。
2012/01/18
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「今和次郎採集講義」という企画展が汐留のパナソニック汐留ミュージアムで開催中だ。今和次郎(1888-1973年)は、「考現学」の創始者である。最近、〇〇考現学というような言葉がメディアで出てくるが、そのきかっけとなった学問である。何となく新しい感じの、ややいかがわしい感じの言葉という印象があったが、これは考古学を仮想敵とした概念だった。古いこと(昔のこと)を考えるのではなく、今現在を考える学問である。今和次郎は、13歳年上の日本民俗学の父・柳田国男から「君の目がいいよ。俺と一緒に旅行して歩かんか」と誘われて、日本の民家を訪ねる旅を始める。柳田は新渡戸稲造らと一緒に民家研究の「白茅会」をつくって活動していた。この会には小説家の内田魯庵、貴族院議員の細川護立、新渡戸稲造などがいた。東京美大出身の今和次郎は、この旅で盛んにスケッチをしてまわる。日本のほとんどの県に足を踏み入れている。これが後に民家研究の草分けとなる「日本の民家」(鈴木書店1922)に結実する。1923年の関東大震災は様々な人の人生を変えていく。今和次郎の場合は日本の田舎を対象とした研究活動をしており、都会は大きすぎて手に負えなかったのだが、一面焼け野原と化した東京をみて研究対象を都市に変えるきっかけとなった。原始的な状態になってしまった東京の復興を細かく記録することにしたのである。人々の生活や風俗を克明に記録していく。これがきっかけとなって「考現学」が形をなしていく。同時に今和次郎らは「バラック装飾社」を立ち上げて、日比谷講演公園内の開新食堂や東條書店など、震災後に次々に立ち上がるバラックに美しい装飾を施していく。「本所深川 男の欲しいもの」「帯の色調査」「蟻の歩き方」「丸ビルモダンガールズ散歩コース」「茶碗のワレ方」「おしめの文様」「東京場末女人の結髪」「女のあたま」「井の頭講演自殺者地図」、、、、など驚くべきテーマで上手な絵とイラストを描きまくっている。見ていてまことに楽しい。今和次郎は、26歳で早稲田大学の講師になり、32歳で教授、40歳で結婚、71歳で定年退職、85歳で亡くなるまで教壇に立ち続けている。この人はジャンパー姿がトレードマークだった。この庶民的な姿で現場を歩いていったのだ。1940年に描いた「新時代の生活方向 家庭の各員の生活マジノ線を防御しませう」という図が面白い。「家計」「主人」「主婦」「息子」「娘」「子供」「老人」「乳幼児」というタイトルで、それぞれが一枚の見事な図になっている。今和次郎の仕事では、透視図や俯瞰図といったものに優れたものが多い。図解的な仕事をした人である。----------------------------------------------午前:トランスコスモス社の会長、常務、人事本部長がインターンシップ関係で大学に見えたので諸橋学部長と対応。 豊田先生、今泉先生と履修モデルの件で意見交換。午後:パナソニック汐留ミュージアムで「今和次郎採集講義」夜:赤坂の森タワーで「文庫リレー講座」に出席。最終日の本日は寺島塾長。168人。日本の帝国主義と米国のアジア進出の同時化・抑圧的寛容・無極化(全員参加型秩序)・金融資本主義の制御・空洞化からキャピタルフライトへ・川上インフレ川下デフレ・山本義隆と秋田明大・分配の公正化の問題・資産家の没落とサラリーマンのゆでガエル化と生活保護者の増加・マネーゲーム批判・間違った戦争イラク戦争・解説的教養主義でなくあるべき方向感を提示する政策科学。、、。
2012/01/17
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9月に多摩大学・東北「道の駅」大震災調査隊の団長として岩手・宮城・福島の被災地を調査しました。私は宮城チームを引率して8つの道の駅を回りました。その報告会を仙台で開催します。寺島実郎多摩大学長が基調講演を行います。私は冒頭のご挨拶を担当する予定です。東北、宮城、仙台の方々、参加しませんか。ご来場者には本調査の報告書を進呈いたします。以下、案内文。詳細・申し込みhttp://www.tama.ac.jp/guide/managementcenter.htmlhttp://www.tama.ac.jp/guide/managementcenter/120116_michinoeki/michinoeki_pj_fax.pdf-------------------------ご承知の通り、昨年3月11日に起こった東日本大震災は、日本全土に大きな被害を与えるとともに、日本の防災やまちづくりのあり方に大きな転換を求めています。東北の「道の駅」は、震災直後に被災者救援の拠点となっただけでなく、自衛隊・消防等の基地・物資の集積配送場所、市場の開催場所など復旧・復興支援の拠点としても機能したと言われています。本研究プロジェクトでは、「道の駅」が果たした救援、復旧・復興支援機能の実態を明らかにするため、被災地の29の「道の駅」や地方自治体に行ったヒアリング調査と、139の全東北「道の駅」を対象としたアンケート調査を行いました。本報告会では、その結果を報告するとともに、関係者のパネルディスカッションを通して、「道の駅」が今後果たしうる、平常時と災害時の双方に適応した地域の多機能型交流拠点としての役割を議論、提案します。テーマ : 『東北「道の駅」の震災対応の実態と新しい役割』日 時 : 平成24年2月14日(火)13:00~18:00参加費 : 無料場 所 : せんだいメディアテーク(http://www.smt.jp/info/access/) 〒980-0821 仙台市青葉区春日町2-1主 催 : 多摩大学地域活性化マネジメントセンター協 力 : 特定非営利活動法人 東北みち会議【プログラム】13:00 開会 (12:30 受付開始)13:10 基調講演 多摩大学学長 寺島実郎 『東北から考える日本創生への道~「道」という視点の重要性~』 15:00 調査結果報告16:10 パネルディスカッション 『道の駅に求められる新しい地域連携機能とは』 ≪パネリスト≫(予定) 国土交通省東北地方整備局 道路部 道路情報管理官 赤川正一 道の駅「三本木」駅長 遠藤栄悦様 ・ 道の駅「ひらた」駅長 高野哲也 他17:20 質疑応答18:00 閉会【申込方法】参加申込書にご記入の上、平成24年2月7日(火)までにFAXにてお送りください。定員(200名)になり次第、締め切らせていただきます。【主催者連絡先】多摩大学地域活性化マネジメントセンター 〒206-0022 東京都多摩市聖ヶ丘4-1-1 TEL 042-337-7766 / FAX 042-337-7765 (担当:久恒、松本、中庭、酒井) (事務担当:武井)http://www.tama.ac.jp/guide/managementcenter.htmlhttp://www.tama.ac.jp/guide/managementcenter/120116_michinoeki/michinoeki_pj_fax.pdf【申込に関する問い合わせ先】特定非営利活動法人東北みち会議 〒980-0014 仙台市青葉区本町1丁目13-32 オーロラビル2F TEL 022-398-5518 / FAX 022-722-3381 (担当:安藤、岩舘)---------------------------------
2012/01/16
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センター入試の二日目。駒沢女子大と多摩大の共催で会場は多摩大といういつものパターン。本日の主担当は駒沢女子大、ということで私はいつもの主任監督者ではなく、タイムキーパーの担当。理科と数学の試験は無事に終了。帰って「佐藤栄作日記」を三分の一ほど読む。戦後最長の政権を担当した佐藤栄作は1952年の元旦から倒れる前日の1975年まで、延べ24年にわたって日記を書いている。私が手にしたのは全6巻のうちの第4巻で、1970年から1971年までの二年分だ。佐藤は昭和天皇と同じく1901年生まれであるから、69歳から70歳あたりの日記になる。詳しくは全部読んだ後にしたいが、週末は鎌倉で毎週のように息子の信二たちとゴルフで気分転換をしている。総理としての仕事は激務だろうが、すぐに鎌倉で静養とゴルフという週末生活だ。この別荘は、確か以前訪れたことのあるあの鎌倉文学館らしい。旧前田侯爵家の別邸で、三島由紀夫の傑作「春の雪」の別荘のモデルになった場所である。長いアプローチで辿り着く洋館には、「長楽山荘」(聴濤山荘から変更)という表示があった。眺望の優れた気持ちのいい邸宅だったが、佐藤首相はここを1964年から借りて週末に使っていた。この本を少し読んで食事を終えて、テレビを見ていたら山崎豊子原作の「運命の人」をドラマをやっていた。沖縄返還時の密約をすっぱ抜いた毎日新聞の西山記者の物語だ。モックン演じる弓成は毎朝新聞の敏腕政治記者として活躍するが、ライバルの読日新聞の山部一雄はのモデルは、読売新聞の渡辺恒雄ではないかと調べたら、やはりそうだった。このドラマも見たいし、本も読みたい。1971年の沖縄返還協定の調印の日の佐藤栄作の日記を繰ってみた。「沖縄返還協定調印式をインテルサットを利用しての、、初めての試みで行う。正文は東京で作成する。この調印式の前に夜の八時半から閣議決定。九時すぎ式場に入り予定通り進行、無事調印を終える。一部の学生を中心にしての調印反対のデモが行はれたが、大した事はない。沖縄も同様。一部の反対者の所論は諒解に苦しむもの。軍国主義化に反対か或は日米安保に反対なのか、何れにしても困ったもの。、、」
2012/01/15
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袖井林二郎「マッカーサーの二千日」(中公文庫)を読了。日本の戦後の方向に決定的な影響を与えたマッカーサーの個性の分析と、占領政策とその効果についての記述が勉強になった。以下、事実関係を中心に興味ある部分を解説する。マッカーサー元帥が日本の占領政策の総責任者だったのは、65才から71歳の期間だった。米国陸軍のトップである参謀総長を経て、フィリピンの軍事顧問であったマッカーサーは、日米の開戦まじかに、新設の米極東陸軍司令官に任命される。その後連合国最高司令官となって日米の戦いにようやく勝利したマッカーサーは日本の厚木飛行場にコーンパイプをくわえて降り立つ。その時点でも日本の陸軍は、関東平野だけでも二十二個師団30万人が完全武装で残っていた。そこへ丸腰で降り立ったのだ。マッカーサーは、第一生命ビルに総司令部を置き、1年365日、土日も休むことなく仕事に全エネルギーを注いだ。第一次大戦時、マッカーサー少佐は陸軍省に新設された広報部担当となり、新聞校閲係を経験する。後のマスメディアを自在に操る技術をこの時に獲得する。38歳で准将、そしてウェストポイント士官学校の校長を経て、44歳の若さで史上最年少の少将に昇格、50歳では陸軍のトップである参謀総長に任命される。しかし、陸軍でのキャリアはそこが天井であり、マッカーサーは縁のあったフィリピンで軍事顧問となるのだが、日米開戦で歴史に名を残すチャンスに恵まれたのだ。マッカーサーは天皇の戦争責任を問う内外の声から護り、戦犯として起訴されることを防ぎ、そして天皇を通じて日本国民を支配した。それは将軍家の機能だった。マッカーサーは、二千日の間に、日本の国民や指導者を前に公開の演説や放送をまったくしていない。マッカーサーは日本占領の期間を通じて、優れた部下に原理的な命令を与え、あとはすべて任せるという方針をとって成功したのである。マッカーサーは陸軍の高官であった父親の見果てぬ夢を追いかけていて、「どうです、お父さん、私もやっているでしょう」と誇らしげに語りかけている姿を目撃されている。また、彼は子供の頃から激しいマザー・コンプレックスの人だった。そのエピソードは多い。「3年たつと、どんな軍事的占領もそれ自身の重みで崩れ始める」とよく語っていたそうだが、彼の統治期間は5年8か月に及んでいる。1950年に起こった朝鮮半島での北朝鮮軍総攻撃の知らせをを受けて、70歳の彼は10年は若返ったという副官の報告がある。そして博打であった仁川上陸作戦は大成功をおさめ、ソウルを再び国連軍の支配下に戻した。大勝利をおさめる。しかし中国人民解放軍によって大敗北を喫し38度線の南に追いやられる。その後、押し戻し38度線に達する。この時、大統領の外交権を無視して共産軍司令官と会談する用意があるとの声明を発する。このためトルーマンはマッカーサーを解任する。マッカーサーは解任後、わずか40日で日本を離れてしまう。日本国民に圧倒的な尊敬の念を受けていたマッカーサーは、修身国賓のアイデアや、マッカーサー記念館の建設計画があったが、上院の軍事・外交合同委員会の証言で「日本人12歳論」を述べる。このことでそういう空気は急速に失われてしまう。その時の正確な言葉は以下のとおりだ。「科学・美術・宗教・文化などの発展からみて、アングロ・サクソンは45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれちほぼ同年輩である。しかし日本人はまだ生徒の時代で、まず12歳の少年である」この発言だけで、「マッカーサー記念館」の建設計画がとん挫したのはいささか行き過ぎと感じてしまった。
2012/01/14
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大学教授になってから、そしてベストセラーを書いてから、随分と多くの講演やセミナーをしてきました。中央省庁、省庁の出先機関、県庁、市町村までの行政のタテの系列。そしてトヨタ・日産を代表とする自動車メーカー、キャノンやパナソニック、富士ゼロックスや資生堂、またエーザイなど多数の製薬企業、新聞社を中心とするマスコミ、そして大学医学部、病院、看護師や保健師の業界、ついにはパチンコ産業の総元締めの団体などへのヨコの広がり、、、。この10年ほどで500回を超える講演やセミナーの経験が積みあがっていますが、私にとっては、産業の現場、医療の現場、教育の現場、海外援助の現場、行政の現場など自分の知らない分野のことがわかる機会なので、少々の無理なテーマであっても引き受けてきました。「いったい何を講義しているのだろうか。相手先の事情や専門分野のことを知っているのか?」といぶかしく思う人もあるようですが、私の述べているのは様々な現場の共通の課題とそれを解決する考え方と方法の提案なので、どのような分野からの依頼であっても引き受けることができるという面があります。依頼者である経営者や人事担当者と頻繁に接触した結果、彼らが異口同音に言っていることは「わが社には(役所)には、考える社員(職員)がいない」という嘆きでした。「考える力の欠如」こそが日本全体を覆う本質的な課題です。その課題に立ち向かう考え方、方法論が欲しい、そういった強い要請の中で、「図解コミュニケーション」という考え方を土台に、ビジネスマンとしての20年ほどの経験、県立大学教授として地域の問題に深く突っ込んでいった10年の経験、そして日本のタテとヨコの様々な現場を垣間見た経験、そういったものが組み合わさって、現在の自分の立ち位置が形成されてきたと思います。「文章と箇条書き」に凝り固まった日本の組織と仕事のやり方は、すでに限界に達しています。欧米から直輸入したままの理論の無理な適用による失敗、前例の踏襲による無気力の横溢、マネとパクリの解決策の押し付けによる疲弊、、、。未来への希望がない中で、仕事の現場には疲労感と徒労感が充満しています。講演やセミナーの終了後、記述式のアンケートを自由に書いてもらうのですが、必ずと言っていいほど「目からうろこ」という感想があります。このような言葉は大人は普段あまり使わないと思いますが、「常識を真向から否定された」ことが新鮮だということなのでしょう。この「図解革命」は、はまだまだ続ける必要があるようです。----------------------------10時:学部運営委員会。昇格人事。一年秋のゼミの件。問題解決学総論の進め方。私からは学部中期計画の素案を提示。学長から問い合わせの電話。12時半:編集ライターの柴田さんと蕎麦屋で昼食。ビッグニュースあり。13時:S出版社の仁科さんと柴田さんと書籍刊行の打ち合わせ。最近は、出版社でも営業主導になってきている、いわゆる書店よりもTSUTAYAなどの店での仕掛けが売れ行きに影響が大きいということだそうだ。今回の本はそういう仕掛けをすることになっているので楽しみ。15時半:多摩市の阿部市長と飯高市民経済部長が年始の挨拶に来訪。諸橋学部長と対応。多摩市・多摩信・多摩大の三者協定にもとずく関係をさらに推進することになった。18時:調布のパルコで知研の八木会長と打ち合わせ。19時半:会員の高山さんが到着したので、三人で食事をしながら今後の活動について話し合いながら懇親。明日から、センター入試。
2012/01/13
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地域活性化マネジメントセンター運営委員会リレー講座の最終回:講師は寺島実郎学長ゼミ:2年生の発表あり。永山でゼミの3年生との飲み会。就職活動の状況確認と激励。------------------------------------------------「マネジメントデザイン2」の講義は後一回を残すばかりとなった。この講義においては、「近代日本をつくった明治期を中心とするわが国の偉人の生涯(経営者・政治家・芸術家・作家・ジャーナリスト、、)を題材に、いくつかの切り口----仰ぎ見る師匠の存在、敵との切磋・友との琢磨、持続する志、怒涛の仕事量、修養・鍛錬・研鑽、飛翔する構想力、日本への回帰----を用いて今日のビジネス社会で生きる知恵について学び、自らのライフマネジメントについて深く考えてもらう。」という趣旨のもとに、自らのロールモデル(お手本)を選び、図解と文章で、その人物についてのレポートをもらうことにしている。前回の授業で、どの人を選んだかを聞いた。それが、以下である。近代の歴史上の人物から、現代の・タレント・仕掛け人・アスリート・起業家・ミュージシャン・教育者などを挙げている。実に多彩で興味深い。-----・イブ・サンローラン:現代ファッション業界へ多大な影響を与えた人物が、どんな人であったのかを知りたい。・ウォルトディズニー:以前彼の生涯を学び、様々な苦楽を送って来た彼を好きになったから。・手塚治虫か、太宰治か、高杉晋作・野口英世:彼の生き方が素晴らしいと思ったから。・石ノ森章太郎:昔から特撮も見ていて影響を受けたので、図解してみたくなった。・秋元康:ブームを生み出す人だから・原敬:気になったので・古関裕而:記念館が高校の通学路にあったが全く知ろうとしなかった。自分の家から最も近く、祖父母と同じ出身の高校だったので驚いたため。・ウォルト・ディズニー:単純に好きなので。・夏目漱石:もっと調べて常識として知識を高めていきたい。・宮崎駿:内部を見つけていきたい。・松下幸之助:独特な経営方法に興味を持った・司馬遼太郎:高校の頃のイメージと違ったため・与謝野晶子・夏目漱石・重光葵:日本のたに動いた政治家は近年では見られないから。・久恒先生 か、石原裕次郎・真田幸村:現代の歴女と呼ばれる人達からの人気が一番あるから。なぜか気になり、何をしてきたのか興味を持ったからです。・夏目漱石:誰も知っている人物でより深く知りたいと思ったから。・フレディマーキュリー:興味があるから。・David Bowie・マジック・ジョンソン:あこがれていて、HIVと戦った人だからです。・母親と父親:今の自分があるのは両親のおかげだから。・明智光秀・江戸時代に活躍した人・久石譲・プロ中のプロの作曲家だと思う。音楽に対する考え方はとても尊敬できる。・松下幸之助:経営の神様について知りたいから・ゲッベルス:第2次世界対戦におけるドイツの宣伝相・東野圭吾:本を読んでいて、彼の生きてきた道に興味があったから。・スティーブ・ジョブズ:私が欲しい要素を持っているからです。・徳川家康:彼の我慢強さに惹かれたから。・ニッコロ・マキャベリ:代表作「君主論」考え方はヒトラーに近い。・織田信長・スティーブ・ジョブズ:歴史に残る経営者だと感じた。・GACKT:改めて尊敬できた。・宮崎駿→スティーブジョブズ を考えている・松本人志:笑いの天才・ロバート・キヨサキ:小さい頃の状態が自分に似ている。お金持ちになりたい願望が強い。・イチロー:日本人で一番メジャーリーグで活躍していると思う。彼を深く知りたくなった。・坂元龍馬:人間性などに興味があるから。・宮崎駿:彼の作品が好きなので。・ウォルト・ディズニー:世界的に人気なディズニーを創り上げた人物で、生涯が気になったから・EXILEのHIRO:大好きなEXILEのリーダーであり、LDHの社長あり、下積みから社長になるまで追いかけてみたいから・父:身近な人で、自分をここまで育ててくれたから。・渡部陽一:彼の行動力・志に共感したから。・アイルトン・セナ:世界最速のレーシングドライバーだから・デール・カーネギー::「道は開ける」を読み興味を持ったから。・イチロー・渋沢栄一:日本の企業のあり方を明確に示してくれた人はいない。・野口健:尊敬する人であり、今までの人生に興味を持ったから。・ハンス・ウルリッヒ・ルーデル:旧ソ連において唯一“黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士十字勲章をもらい、アドルフ・ヒットラーに”死なれては困るからもう飛ぶのは止めてくれ“と言われた人物。・山本五十六:「道は開ける」を読み興味を持ったから。・坂元龍馬:色々な事に挑戦する人であり、自分と同じタイプ7の人だと思ったから。・野口英世・藤子不二雄・安孫子素雄が同級生で小学生の頃から漫画の世界を目指して、親友でもあり、ビジネスパートナーになった。これこそ世界のマンガだと思った。・リチャードブランソン:常に新しい事に挑もうとする姿は自分も真似したいです。・松岡修造:彼の志、教育など、様々な内面を知り、私の意志に反映されたから。・司馬遼太郎・hyde:中学のころから大好きで、hydeの作る音楽をずっと聞いていて、人間としても本当に尊敬できる人だから。・所ジョージ:生き様が好きで注目していたのでまとめたい。遊びに徹底している所を尊敬している。・松下幸之助:冬休みに本を買った。・スティーブ・ジョブズ・レディーガガ:マイケルジャクソンの様な運命を辿りそうだから。・宮澤賢治・池波正太郎:一番好きな時代劇小説家だから・スティーブ・ジョブズ:アップルを追い出されたり、苦労をしてきたことと、ジョブズが語ってきたことに興味を持った。・スティーブ・ジョブズ:芯の強い人間だと強く感じた。企業トップや何か新しいものを創り出そうとする人間は、曲げない心と、反対に、柔らかい心が必要だと思った。・渡邊美樹:私は将来居酒屋を起業したいと思っており、居酒屋を創業してきた人々を調べてみたいと思ったから。「わたみん家」というワタミグループの居酒屋で働いているので、その頂点に立つ人はどんな人なのか、気になったから。・グレース・ケリー:素晴らしい人生、シンデレラストーリーを送った人物として有名だから。・西郷隆盛:祖母の家の近くに西郷隆盛館があり、印象に残っているから。・ウォルト・ディズニー:実際調べて見たら大変な人生を歩んでいるということが分かった。・アインシュタイン:理系の偉人が気になった。・ビートルズ:世界中の偉人もビートルズを見て育った影響を受けたという人はとても多いと思う。僕の好きなサッカーのクラブも、ビートルズが生まれた街のクラブです。・白州次郎:留学後のGHQとの対立するときでもプリンシプルの思想を持って行動していた事に影響を受けた。・徳川家康 か、石井琢朗・スティーブ・ジョブズ:iPhoneを生み出したから・石川遼:こんな20歳は見たこと無いから。・水谷修:中学生の頃、学校に講演にきてくれました。・スティーブ・ジョブズ:自分の意志をあそこまでつらぬいたのは凄いと思ったから。・マザーテレサ:中学のころ、マザーテレサがしてきたことを知ってから、ずっと尊敬しているから。・オードリー・ヘップバーン か、美空ひばり・夏目漱石:有名だから・中田英寿:とても多才で、今は税理士になるための勉強をしつつ、世界の為にいろいろ活動する姿を見たから。・島田紳助・ビートたけし・柳井正:今の不景気の中でも着々と業績を伸ばしているから。・宮崎駿:映画が好きなので。・乙武洋匡:Twitterでいくつか名言と呼ばれるような発言を目にして人間としての器の大きさと、深さを感じた。・棟方志功:私の故郷が青森なので、とても尊敬しています。・森鴎外:舞姫を高校時代に読んだから。・イブ・サンローラン:現代ファッション業界へ多大な影響を与えた人物が、どんな人であったのかを知ることは、少しでもこの業界について知るキッカケになるのではないかと思った。-------------------------------
2012/01/12
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大学で事務局職員との打ち合わせ。出版社のJ社とは数年前から企画の相談があったのだが、ようやく始動することになった。関係者が4人ほどみえて2時間ほど打ち合わせをする。夏までに終了する予定。午後は新宿のJR東日本でのセミナー。講演・セミナーは昨年の秋はラッシュでスケジュールがきつかったが、年が明けていくぶん楽になる。それでも週一のペース。いつもは100人を超えているが、今回は70人ほど。終了後は、受講生の懇親会に出席。今回は、秋田支社と高崎支社の若い社員と話ができた。また、システム企画の部長さんらとも懇談。アンケートの今回の「目からウロコ」は二人。講演は3月初めにかけて、JR東日本(2回)、石川県自治研修所、消防大学校、江東都税事務所、国際協力機構(JICA)、自治大学校、徳島県立総合看護学校、愛知教育大学と続く。-------------------篠田節子「銀婚式」を読了。就職氷河期に証券会社に就職したビジネスマンが、ニューヨーク勤務時に東京本社の破たんに伴って、日本に戻り損害保険会社、地方の大学の教員と移っていくのがヨコ糸。そしてニューヨークで精神的な病気になり離婚した妻と、息子との関係をタテ糸として、仕事と家族というテーマを追いかけた作品だ。主人公の心情に共感する。高杉良風の経済小説的な内容で、篠田節子には珍しいが十分に楽しめる内容だった。地方の私立大学の内情や抱えている問題が上手に描かれており、大学人として共感したり、自分の大学の状況と比べながら読み進めた。証券、保険、大学という分野の情報をどのように吸収したのかなあと考えながらページを繰っていると、最終ページに参考資料が掲げてあった。「会社研究シリーズ」「よくわかる〇〇業界シリーズ」「山一証券破たんと危機管理」(草野厚)「会社葬送-山一証券 最後の株主総会」(江波田哲夫)「図説 〇〇ビジネス」「損害保険の知識」「損害保険論」「保険代理店ビジネス43の常識」が挙げてあった。また、人では、野村総研、ドイツ証券、名古屋大学、江戸川大学の人などが挙げてあった。小説家は新しい分野の内容とそこで働く人たちのエピソードは、こういった入門的書籍と、業界の案内者から得るということだ。
2012/01/11
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天野恵斗という人が開いている書評ウェブの「2001年版ランキング」で、「記録文学部門」に拙著「遅咲偉人伝」(PHP)が取り上げられていました。この本は私にとっては新ジャンルに挑んだ大事な本なので嬉しいことです。「騙されたと思って、取り上げた本の中から気になった本を一冊読んでみてください。目からウロコが落ちること必定ですよ?」との弁が添えられています。-------------------------バカでも読めてアホでも分かる入門書http://lounge.vitaeaqua.jp/memo/ranking/book-ranking2011a.html記録文学部門 遅咲き偉人伝 久恒啓一明治から昭和にかけての偉人の後半生を紹介した本。読書レポートはこちら。丸六年で約400館の記念館を訪ねて回り、今やライフワークになった全国の人物記念館を巡る旅を続ける著者が、還暦を過ぎてから輝きを放ち続けた日本の偉人を紹介した本。セミリタイヤ? それって美味しいの?人生の後半こそ長い時間をかけて何事かを為すことができるし、その姿が、少なくなる若者への無言の教育にもなる、と著者はこの本の前書きで説きます。まったく、その通りだと感じます。この本では老いてますます輝きを増した人生を送った著名人を多彩型、一筋型、脱皮型、二足型に分けて紹介しています。取り上げられている人物は、松本清張、森繁久彌、与謝野晶子、遠藤周作、武者小路実篤、牧野富太郎、大山康晴、野上弥生子、本居宣長、石井桃子、平櫛田中、徳富蘇峰、寺山修司、河田龍吉、森鴎外、新田次郎、宮脇俊三、村野四郎、高村光太郎といった、そうそうたる面々。六十、七十は洟垂れ小僧、男盛りは百から百から読んでいて意外だったのが、松本清張や森繁久彌と並んで与謝野晶子や武者小路実篤、大山康晴や寺山修司の名があるところ。四十三歳の時に作家デビューした松本清張や若い時に苦労した森繁久彌らは遅咲きの人生だと思うが、後の四人は若いうちから名が売れていたはず。そう思いながら読み進めていたのですが……正直自分の浅学さが恥ずかしいです。はたして、隠居は正しい老後の姿なのか?十一人の子供を育てながら、評論や歌や詩を発表した与謝野晶子。プロレタリア文学の台頭により、失業の苦境に立たされた武者小路実篤が起した「新しき村」運動。十八期保持し続けた名人位を失った、大山康晴の「五十歳の新人」として戦う気概。俳句から短歌、短歌から演劇へと舞台を飛躍するにつれ輝きを増していく寺山修司の表現力。積み重ねたものだけが放てる輝きというものがあることを、この本の偉人たちに教えられました。渋江抽斎→森鴎外→吉野俊彦→?この本ではビジネスマンとして働きながら、転身してまったく別の分野で活躍した人物を紹介しています。松本清張、川田龍吉、新田次郎、宮脇俊三、村野四郎らがこれに相当すでしょうか。軍医と作家の二足のわらじを履いた森鴎外も当てはまるか。老いることをネガティブに捕らえないこと。遠藤周作はこう言っています。「老いる時は老いるがよし」年を取ったからこそ出来ることがある、と。定年を迎えた団塊の世代の方々にこそ、この本を読んで欲しい。そして、目標を定め生き生きとした人生を送って欲しい。夢を見失った若い人たちの希望となって欲しい。覚悟してください。この本を読んだら楽隠居なんて出来ませんよ。この本は、老後は遊んで暮らしたいと考えている怠け者に、仕事が生き甲斐であった偉人たちのエピソードを紹介し、仕事とは何かを問いかけた本です。……その胸に少しでも情熱が残っているなら、老いてますます働けるのではないでしょうか。
2012/01/10
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寺島実郎さんが雑誌「世界」に連載中の「脳力のレッスン」の118(2月号)は、特別篇「世界認識の鮮明なる転換--2012年日本の覚悟」だ。寺島さんの論考の特徴の一つは、キーワードの連鎖で物事の本質に迫ることである。今回も華麗なキーワードを繰り出しながら、冷戦時代から冷戦後の世界への向けての意識の転換を主張している。事象の本質をえぐるキーワードの関係性の連鎖で思考を積み上げていくというやり方である。会話調のためににカッコで括られた言葉を除き、カッコで括られたキーワードを以下に並べてみると、論考の概要とストーリーが見えてくる。-------------------「3・11の衝撃」「適応障害」「世界史のダイナミズム」「アラブの春」「中東の民主化」「無極化」「日米欧トライラテラル」日本「不幸な自然災害による苦闘」「原発安全神話の崩壊」米国「イラクの失敗」「正当性の消失」「財政の疲弊」」「リーマンショック」「冷戦後の唯一の超大国」。欧州「共通通貨ユーロ」「欧州の実験」。2001年の歴史的意味の再確認「資本主義対社会主義」「55年体制」「自民党対社会党」「一極支配」「唯一の超大国アメリカ」「米国流資本主義の世界化」「グローバル化」「平和の配当」「9・11」冷戦後20年」「9・11から10年」「内向」「縮軍」「債務不履行」金融資本主義の肥大化と歪み」「ドル下落」「超大国米国」「ネオコン」迫られる世界観の転換「AESANプラス3」「綱引き」「ソ連の脅威」「日米関係は米中関係である」「海兵隊の欧州駐留」「米中戦略経済対話」「米中シェールガス・タスクフォース協定」「アメリカの虎の尾、、」「沖縄の負担軽減」「抑止力」「日米戦略対話」「普天間の辺野古移転」問われる日本の自覚「知米派米国人」「トモダチ作戦」「抑圧的寛容」「思いやり」「分断統治」「ジャパンハンド」「安保マフィア」「舞台裏の本音」「全員参加型秩序」「冷戦型思考」「自由と繁栄の弧」「日米同盟の深化(進化ではなく)」「米国周辺国」「冷戦孤児」---------------------118回目の連載、ということはほぼ10年間この連載が続いているということだ。時代と並走しながら、「本質を見抜く眼識で新たな時代を切拓く」論考を継続的に積み重ねることは容易なことではない。
2012/01/09
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天気がいいので、「多摩よこやまの道」を歩くことにして、妻とトライ。この道は八王子市長池公園のあたりから多摩市諏訪の多摩東公園の脇までの整備された歩道で、全長は10キロ近くある。多摩市と都市再生機構が整備し、2006年に完成した。府中方面からみた時に横に連なる高台の道と見えるために「横山の道」と古代から呼ばれていた。武蔵野(東京・埼玉)と相模野(神奈川)の両方を眺めることができた交通の要衝だった。武蔵の国の国府であった府中から八王子までの多摩丘陵の尾根道は「多摩の横山」(東西が横、南北が縦)と呼ばれていたが、この東西に続く道は東国と西国を結ぶ要衝で、武蔵の国と相模の国の双方を眺めることができる高台だった。遠い九州での守りに着くために、この道を東国の防人は歩いて行ったのである。陸路で都へ、そして難波津から瀬戸内海を通り九州へ。この横山に南北に交わる形で、長池公園の向かい側の唐木田給水所から、奥州廃道(多摩市総合福祉センターの横)、奥州古道、鎌倉裏街道(一本杉公園あたり)、鎌倉街道上ノ道(南野高校のあたり)、鎌倉街道(多摩ニュータウン市場のあたり)、古代東海道(展望広場のあたり)。この道は多摩東公園、多摩武道館まで続いている。現在ではこの横山に沿って尾根幹線道路(通称オネカン)が続いている。防人たちが見たであろう丹沢(相模)から秩父(甲斐)の山系とその先にある富士山は、この横山の道の府中側にある私の研究室から眺めることができる。毎日眺めている景色は、古代から中世、江戸時代に渡って、政治、軍事、文化、産業、社寺参詣などを目的として東国西国間の交易を行う商人や武士団、諸国霊場を行脚する巡礼者や都の貴人・官人、また幕末の新撰組なども行き来したから、その人たちが見た山々なのだ。ということで歩き始めた。「巡礼古道の代官坂と欧州古道の辻」、「鶴見川源水」、「京と東北を結んだ奥州古道と影取池伝説」、「棚原の館跡」、「小山田氏物語」、「都立小山田緑地」、「多摩よこやまの道 野草の素顔」、「多摩の尾根で出会う虫たち」、「奥州廃道(長坂道)」、「古戦場伝説と勝負塚」、そして東京国際ゴルフ倶楽部の脇を通る。f:id:k-hisatune:20120108120758j:imagef:id:k-hisatune:20120108121039j:imageそこから道を間違えて多摩丘陵病院の方に曲ってしまった。どんどん行くと日大三高方面に向かってしまうので、途中で尾根を越えて「よこやまの道」に戻ろうとしたら、大きな霊園に出てしまった。f:id:k-hisatune:20120108130907j:image霊園では、墓石に言葉を彫っているのが面白かった。「安穏」「慈愛」「楽園」「敬愛」「絆」「憩」なども文字が並んでいる。自分だったら、どういう言葉にするだろうか、、、。そこから強引に峠を越えようとやぶ漕ぎを開始し登ってみたが断崖に突き当たり、退散する。昼食をとる店も全くなくて、多摩丘陵病院の食堂を目指すが、日曜日で閉まっていていて、売店でおにぎりをほおばる羽目になったが、スリルもありそれはそれで楽しめた。多摩よこやまの道の表示も分かれ道のところにはあるべきではないか。多摩丘陵病院前からバスに乗って多摩センターへ。丸善で本を何冊か購入。今日は多摩よこやまの道の三分の一くらいしか歩けなかったが、歩数では1万五千歩だった。途中で、KDDIの敷地では太陽光パネルと風力を組み合わせた発電施設、ゴルフ場、白樺の木、大妻女子大、などをみる。歩いている人、自転車の集団、そしてあるところでは小型トラックの細い道を通り過ぎるなど、なかなか面白かった。再度トライして踏破してみたい。f:id:k-hisatune:20120108114644j:image
2012/01/08
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昼は大学院教授会(品川) 寺島学長より講話。以下、キーワード。 業態の変容。時代のニーズの産業的解決者。社会人大学院の価値。志人。知的武装。産官学の相関とシナジー。ひとかどの存在。知的装備。品川というロケーション・八王子・連携大学院。粗製乱造の法科大学院。MBAは合従連携と切磋琢磨の時代。他のMBAは教員が弱いというコンプレックス。弱者連合はダメ。中身の強化。 橋本研究科長の続投が決定。 来年度カリキュラムが決定。私は春は八王子、秋は品川。科目名は「図解コミュニケーション」に変更。 始まる前に学長に「17世紀オランダが日本の近代化に投げかけたもの」の図解の修正版の手交。 夕方はインターゼミ(九段) 学長より講義。以下、キーワード。「死にたい老人」(幻冬舎新書)。税金を上げることにネバーギブアップという首相。税は手段。目標? 魅力あり力のある国。競争者を考えていない。知的劣化。愚かな国。グローバル化の怖さ。昨年は円高による空洞化。今年はキャピタルフライト(資産の海外逃避)。国家と国は別という論議。突き上げるアジアダイナミズム。会社の流動化。やりたいことは何か。 12月24日に提出した各チームの論文を年末年始に指導教員が読み、それをフィードバックした。私の担当した「震災と日本再生」は頑張った。来週の1月14日が最終締め切り。現在のところ、A4で50-70枚の労作になっている。 大学パンフの取材:インターゼミと多摩学チーム。私はインターゼミの全体像を説明。 前後に学長と意見交換。
2012/01/07
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夜は品川の大学院で、拙著「図で考えれば文章がうまくなる」(PHP)の内容を実習も交えて講義。以下、受講生がフェイスブックに書き込んでくれた感想です。 今年最初の講義は図解文章法。文章は図のアウトプットであるという考えで、書くべき内容を図で表現し、デザインが完成すれば文章は迷いなく書くことができることを実感出来ました。図で構成を表現することで、物事の関係や繋がりの強弱、抜けているところなどが明解になるのでしっかりした内容の文章が書けることを感じました。修士論文はまず図解で全体の構成を考えてみようと思いました。ありがとうございました(#^.^#) 本日は図解文章法について学びました。私は文章を書くのが大変苦手だったのですが、本日の2時間ほどの授業で苦手意識がなくなりました。おおげさですが(いえ、本当にそう思ってしまうほどです)、私でも本を出せるのではないかとさえ思ってしまいました。自分の日頃大切にしていることを図にまとめて、文章にしてみたいと思いました。仕事でも図解の威力を日々感じています。2012年も図解女でいきたいと思います! 本日の講義にて、図解とは内容×表現であることが重要であることを理解できた。この内容を図解で書く事で、自ずとストーリーを築けていることであり、図解で構成を設計し、文章でアウトプットするとより自身にとって明確な訴求となる。また、関連性を持つ部分を図解をする事により『こざね』のように繋いでいくと、より内容の精度が深まり、展開が深まって行く。それを自身一人ではなく、他の人達も見れば、更なる図解を使い展開が膨らみ、企画が発展し新たな機会を設ける事が出来る?なるほど、目から鱗が落ちる講義でした\(^o^)/ 図解で考えることの良さは、テーマを広く見ることが出来る。自分だけで作って終わりにするのではなく、その図をメンバーの前に曝し、自分とは違った視点で、図を加えていくことが大切だ。一度曝してしまった図は人格をもっていないので、自由に意見を言って図を付け足すことが出来る。自分が出した図の間違いを修正することを躊躇する必要もない。これが文章だと、人格がこもっているので、一度出されたら、変更や修正を言い出すことが難しい。特に上司の文章にクレームをつけることは、ほとんど不可能である。結果として、視野の狭い案が実施されることになる。これでは、組織の叡智が生かされず、上司のレベル以上の案は出てこない。図解は、現代の浄玻璃のようである。 今日の講義は、レポートや論文を書くにあたって非常に役立つ事が分かりました。テーマが決まったら、何を言いたいかを決め、それに沿って内容を決定し図解化すると、全体がよく見えてくると思いました。 図解化された内容に肉付けしてゆくと、抜け落ちている部分も見えてくる事も分かりました。 目次から書き始めるのではなく、全体の構想をよく練り内容を作り上げ、その内容を表現してゆく事で自然に文章化できる事は素晴らしい発見でした。また、文章化する時には接続詞が重要な役割を持っている事も学ばせて頂きました。早速レポートの作成に応用させていただこうと思います。最後に、お母様の万葉集の句碑を巡る旅のお話しを聴き、我が母の俳句集を引っ張り出し、読んでみようと思いました。 ありがとうございました。 今は,先生の授業を受けています。今日は,このテーマは,わたしによく役割を立つと思います。それて,辛抱できないで,感想を書きます。「図解を使って,うまく文章がでくる」は今度の内容です。私は外国人だから,日本語はまだまだ分からないことがいっぱいあります。文章は書くのは下手です。そして,毎回,レボートを書くとき,人生の一番の苦難と思います。どうやって,三ベージのレボートを書くかな?一つを頭に出るとき,すぐ書きます。後は,次のことを考えます。そうすると,文章の全体感がありません。いろいろの問題があります。今度の,先生の言ったを通り,先生の例をやってみて,すらすらにかけました。驚きました。先生の方法は,よく考えて,確かにそうなことです。それ以降,私はよく使って,レボートなど,楽になっていると思います。 図から、文章にしてみる…文を書いているとき、何かデザインをしているような感覚がありました。単語と単語、文節と文節、段落と段落をどの順番でどこをふくらませて組み合わせようかと考えていると、作文が楽しくなりました。ふくらませてすぎて、脱線しそうになったら、改めて図を見て、そうそう私はこれが言いたかったんだ、とそもそもの軸に戻れて便利ですね。内容が肝心ということを実感しました。さて、修論に活かせるか… 今日の感想!今日もやはり目からウロコでした。論文作成のヒントを頂きました。論文作成のはじめに箇条書きで目次から書き始めてはいけません。今日の授業では図解から文章にして膨らませるとスムーズに内容のある文章がスラスラと書けるようになります(^o^)論文作成のはじめに箇条書きではなく、図解から始めてみようと思います(^O^)/ありがとうございました。-------------------朝は9時半から大学幹部を集めた寺島学長の挨拶。以下、キーワードのみ。都心との距離感の価値と問題点。社会科学のレーゾンデータるをかけた年に。政治のトンチンカン。競争意識の内甘えと期待。失望感。キャピタルフライト。いい政策に。バランス。内向。マルドメ派。貧困化の進行。35%が200万以下。2割の人しか税を払っていない。ワンコイン亭主以下。まっとうな人の減少。社会不安。社会構造の荒れ。リアリティ。偏差値シンドロームからの脱却。人間力。自信と勇気。500万。大学の6つの方針。年々充実させ進化。踏み固めて進む。入り口と出口。国際化対応、ひと工夫。----2限はネジメントデザイン2の14回目の講義。-----昼休みは、諸橋、樋口、金、趙、菅野ら各先生と新年の挨拶と懇談。
2012/01/06
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大学3年生の就職活動が始まりました。今年は例年より遅く12月からの活動になる短期決戦なので、企業側も学生側も緊張しています。多摩大での私のゼミでは現4年生が実質的に最初のゼミ生なので心配したのですが、年末までに就職希望者のほぼ全員である14名が内定をもらいました。私のゼミは、問題解決の視点としての「顧客満足」、問題解決の武器としての「図解思考」を身に付けることを目標としています。ゼミでは、地域の課題をテーマとしたプロジェクトをいくつか用意して問題解決の最前線に取り組んでもらっています。今年は、多摩の手土産プロジェクト、東京ベルディプロジェクト、多摩市防災マップ作成プロジェクトの3つで活動しています。さて、就職活動にどう立ち向かっていくか。2年生の頃からブログを書くことを推奨してきました。日々反省しながら自己を向上させていく仕掛けとして日記を書くことが効果があるので、その現代版であるブログを使おうというわけです。今後は、facebookなどを活用するソーシャルメディア就活(ソー活)が重きをなしてくるのは間違いありません。そして、ゼミ生には志望企業のウェブを参考にして、社長のあいさつ、企業の理念、中期計画や方針、事業分野などを一枚の図解にして持っていくことを勧めています。企業全体の構造はどのようになっているのか、理念のそれぞれの項目はどのように関係して一つの体系になっているのか、個別の事業同士の相関関係はどのようになっているのか、、。それを一枚の図解にまとめようとするとき、その企業の全体の構造と部分同士の関係が初めてみえてくる。そしてその企業の中で自らが貢献できる分野、関心がある分野が姿を現してくる。こういう作業を一度終えたら、面接では自信を持って受け答えができるようになります。また、企業の人事部は、企業理念が一枚の図になって表現されることに驚くし、社長の挨拶や中期計画などを真剣に読んでいないのが普通だから感激してくれます。図解を描くことのできる能力と技術に目を見張ります。宮城大時代の卒業生にゼミ同窓会で久しぶりに会うと、みな「図解が役に立っています」と言い、その後必ず「もっと図解を見に付けていればよかった」と反省の弁が続き、そして私が「それみろ」と答えることがよくあります。社会に出て苦労すると図解思考の意味と重要性が理解できるということですが、就職活動においても図解コミュニケーションを学んだゼミ生は独特の存在感を発揮できる、そのことを3年生も証明してくれるだろうと期待しています。
2012/01/05
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表紙の写真は、私の撮った「鰯雲」。写真が採用されたのは初めてです。f:id:k-hisatune:20120105054415j:image ウメサオタダオ展(未来を探検する知の道具)の知研見学ツアー。2月19日(日) PM2時ーー5時。(機関紙「知研フォーラム」では1月19日になっています)日本未来科学館一階企画展示ゾーン(東京都江東区青海2-3-6)当日、新年懇親会を開きます。会員以外の方もぜひどうぞ! 「TPP問題に図解で迫る」多摩大学大学院で社会人大学院生対象の私の「コミュニケーション経営論」の授業を編集部が取材した記事。10月末から11月にかけての二回の授業で、TPP問題を取り上げた。日本農業新聞、日経、産経、朝日、そして寺島実郎さんの論考や講演を材料に、勉強したものです。25ページの大特集。 エッセイの書き方(河村幹夫:「シャーロックホームズの履歴書」の著者)「その人でなければ書けないもの」「長い文章よりは短い文章で、相手に語りかける調子、会話調もやわらかい印象を与える」「エッセイで一番大事なことは相手がいるということです」「語りかけの態度が大事です」「技術的には会話調が入るのがとてもいいですね」「エピソードを入れる」「会話は読者が疲れてきたなと思うときに入れる」「音読」「「朗読」「間」「なだいなだのエッセイ。共感を求めながら書いている」 わたしの読書あれこれ 諌山禎一郎(会員)「森繁のふんわり博物館」(向田邦子)「漢字が日本を滅ぼす」(田中邦彦)「あすの日本語のために」(梅棹忠夫)「アジアをどう語るか」(有馬学) 主張「官僚行政を改革する2つの活動」 八木哲郎「説得型行政から納得型行政へ」として、私がやってきた公務員研修のことを取り上げてもらいました。研修の写真と終了後のアンケートの抜粋も載せてもらいました。JICA、国交省、自治大学校、東京都市議会議長会、市町村アカデミー、静岡市役所、仙台市職員研修所、最高裁判所、東京高等裁判所、文部科学省、宇都宮地方裁判所、、。 「知的生産手帳DIY版」(久恒啓一+NPO法人知的生産の技術研究会)の広告。-----------------------------知研の八木会長と南大沢で打ち合わせ。今年の動きについての相談。
2012/01/04
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袖井林二郎「【送料無料】 拝啓マッカーサー元帥様 占領下の日本人の手紙 岩波現代文庫 / 袖井林二郎 【文庫】 占領下の日本人の手紙」1945年8月30日に厚木飛行場に降り立ったマッカーサーの日本占領は1950年4月16日までの5年8か月、二千日に及んでいる。その間、マッカーサーは日本統治を非常な使命感を持って「経済学者、政治学者、技師、産業経営者、教師、そして一種の神学者」として行いたいと願った。佐藤内閣、吉田内閣に続き、戦後3番目の長さの小泉内閣は5年5か月、1980日だったから、ほぼ同じ長さというか短さだった。この間、多くの日本国民は寛大な施政者であったマッカーサーに感謝の念を抱いて従っており、その熱狂ぶりは1951年5月15日の米上院軍事外交委員会においてドイツとの比較において「日本人はまだ生徒の時代で、まだ 12 歳の少年である」と述べてこの部分だけが伝えられ熱狂が一気に冷却するまで続いている。9月の上旬からこの最高権力者に届き始めた手紙は50万通、小学生から政治家まで、日本全国津々浦々から届きている。公開を念頭にないこの資料は第一級の歴史資料であり、著者の袖井はその一部と格闘し、日本人の本質に迫ろうとした。以下、一部を抜粋。「日本を米国の属国となし被下度御願申上候」「貴国と合併し貴国の命のままに動くことに於いてのみ日本は救われる」「日米の合邦」「なるべくなら植民地のして下さい」「スパイにして欲しい」「米日合併一体となりて救わるるか、さもなくば共産主義制度によりて復興するか、、」「家業を捨てて米軍に入りたい」「アメリカの手先に使用させて下さい」強者への擦り寄り、弱者の恫喝、など、当時の日本人の心の動きが散りばめられており、興味深い。著名人の投書も多い。布施辰治、白瀬中尉の次女、中浜清、児玉清、世耕弘一、鳩山一郎、、、。久米正雄は手紙ではないが当時「「日本はアメリカの第49州となるほうが幸福」との論陣も張っていた。マッカーサー 「三年たつと、どんな軍事的占領も。それ自身の重みで崩れ始める。」 第一生命ビルのGHQに週7日、一年365日通いつめるという猛烈なスケジュール。 日本人の書いた自分の伝記なら翻訳部隊に全訳させて、それを手に入れることさえやる人間 複雑な性格の持主。二面性。 北朝鮮軍が38度線を越えて南に進撃した知らせを聞いたとき、見る見るうちに10歳は若返った。 国家警察予備隊の創設と海上保安庁員の増員の指令。米軍が出動したあとの国内治安維持のための「軽武装の警察隊」だった。日本の戦後を考えるとき、マッカーサーについての本を読むことが必要だ。は同じく袖井林二郎の「マッカーサーの二千日」を読み始めた。----------------------今日は誕生日だったのだが、facebookで物凄い数のお祝いのメッセージが届いた。これほどの祝辞は初めてだ。コミュニケーションツールとしてのソーシャルメディアの可能性を感じる。たまたま上京中の母と弟夫婦と私たち夫婦で食事会をしたのだが、誕生日とは母親が私たちを生んだ日であることに気がついた。誕生日とは子供が母親に感謝すべき日である。横浜ランドマークタワーにて。
2012/01/03
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寺島実郎さんが雑誌「世界」に連載している「脳力のレッスン」は、時代と並走することがテーマなので毎回勉強になっています。ここ1年ほどは「17世紀オランダ」をテーマとした研究を発表しており、近代日本の目覚めの過程がよく理解できる力作です。この6回の中身の濃い連載の図解を寺島さんから頼まれたので挑戦してみました。その図解を見ながら6回の連載を要約した文章を以下に書いてみました。「鎖国をしていた江戸時代後期から明治時代にかけて、日本は東西からの開国の圧力にさらされていた。16世紀前半にオスマン帝国の東方貿易の利権に対する反発から始まった、アジアへの新ルート開拓を目指した大航海時代が始まった。まず16世紀前半に隆盛を誇ったポルトガルは、ザビエルが鹿児島に到着し、西洋文明の曙を日本に知らせている。その後16世紀後半にオスマンを破り黄金期を迎えたスペインから独立し、連邦共和国・プロテスタント国のオランダが成立する。オランダは近代思想が芽生え、絵画芸術が栄え、科学技術が発達し、商業取引のルールが開発されて、17世紀に黄金時代を迎える。オランダは1600年のリーフデ号の豊後表漂着以来、家康を始めとする徳川政権に接近し、それが長崎での日蘭貿易となって、江戸時代を通じて唯一の交易国となって日本に内部から影響を与えていく。そのオランダの影響を受けたのがロシアである。ピョートル大帝から始まった極東開発は、ウラジオストック建設で本格的に力を得て、日本開国に向けて西からの圧力となって日本の北海道開拓を促進させた。オランダは新興の英国との四次にわたる蘭英戦争をへて覇権を18世紀後半には大英帝国に渡すことになる。その大英帝国から逃れたピルグリムファーザーズはオランダで力を養った上で新大陸に渡り、アメリカを建国する。アメリカの独立にあたってオランダは軍需品供給や資金援助などで大いに協力する。このアメリカが南北戦争を経て国内を再編し、東からの圧力となって日本に開国を迫るのである。17世紀オランダの黄金時代は短いが、外壁を巡らした鎖国・日本の内部から近代西洋の影響を浸透させ、そして外部からの開国の大きな圧力を形成し、日本の扉をこじ開けてくる。日本の近現代史においてオランダが投げかけたものは大きい。」「脳力のレッスン」6回の連載の記事の量は多く、質が高いのですが、以下のように図解にしていきました。全文を黄色のマーカーで印をつけながら読み、キーワードをつかみ出しマルで囲み、そのキーワードを抜き出して、A4のペーパーに書きつけていく。ある程度の段階で、この6回の全体像を考えながら、図の構成を考えていきます。日本を中心下に置き、外圧としての西欧・米国をまわりに配置し、その覇権の移り変わりを弧を描くように矢印でつないでみる。契機となった戦争、年号などを書き入れる。西からの圧力と、東からの圧力を強い矢印で描いてみる。日本は、長崎、鹿児島、北海道がポイントなるので外延に配置し、国内は江戸時代から明治時代への時間軸の変化を描く。これで骨格が完成。この後に続く連載は、大英帝国の動向、そしてオランダのDNAが深く刻み込まれたアメリカの動きを中心に続くだろうと予測ができます。ペリーの浦賀来航あたりから日本の近現代史の夜明けが詳しく紹介されていくことでしょう。-----------------------------------------------
2012/01/02
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あけましておめでとうございます。今年は日本創生の動きを睨みながら、「自分創生の年」にしたいと思います。-----------------「個人」。今年は継続するものは続けると同時に、新しいものを始めることにしたい。 継続人物記念館の旅:累計500館を達成する。(後46館)ホームページ:200万ヒットを達成する。(後29万)メルマガ:900号を達成する。(後19号。1000号達成まで後3年)ブログ:連続記入3000日を達成する(後349日)Twitter:フォロワー3000を達成する。(後273人)「日本の名著」の読破に向かう。 新規著作:新テーマ(人物論)に挑戦する(旅・本物・大震災)有料メルマガ「図解達人への道」に挑戦(「図解仕事人の眼」・集大成)フォト俳句:写真と俳句の組み合わせのフォト俳句に挑戦(季節感・気づき・俳句)ウオーキング通勤:永山と多摩大間の「歩き」の継続に挑戦(健康・体力。10年ぶり)facebook:学部の授業・ゼミ、大学院の授業での活用に挑戦(ソーシャルメディアと教育)「梅棹忠夫著作集」の研究に着手(知の泉)------------「私人」。少し動きが出てくる予兆があるので、それに合わせていく。-------------「公人」。寺島学長体制の後半を、「成果を出す3年間」としていくためにチャレンジする。--------------午後から、近所の日枝神社に家族全員(妻・娘・息子・私)で初もうで。おみくじによる今年の運勢は、末吉。(昨年は「凶」、一昨年は「中吉」) のどけしと見えしうなばらかぜたちて小舟危きおきつしらなみ
2012/01/01
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