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鎌倉・御霊小路(ごりょうこうじ)を歩く。
御霊小路は、御霊神社の脇から収玄寺の脇を通り、長谷寺参道の入口に
繋がる長谷通り(県道32号藤沢鎌倉線)に出る小路のこと。
長谷寺参道に入ると鎌倉オルゴール堂が右手に。
長谷寺山門が正面に。
長谷寺は観音山の裾野と中腹に分かれた2つの境内を持ち、下境内は回遊式の庭園を
持つ浄土宗の寺院。
境内にはさまざまな花木が植えられ、一年を通して絶えず多くの花が。
また、境内からは海を望むこともでき、山と海と両方の美しさを楽しめるのです。
山門の前に十一面観音とお地蔵さんが。
山門の大きな赤提灯は長谷寺のシンボルで、記念撮影には最適の場所。
飲み屋の赤提灯より流石にかなり大きい。
長谷寺境内MAP。
境内に入り階段を上って観音堂に向かう。
観音堂への石段途中の良縁地蔵。
いたるところに和み地蔵が。眺めているだけで心和む時間。
地蔵堂手前の右手には奪衣婆(だつえば)と懸衣爺(けんねおう)が座っている「卍池」が。
なるほど池の形が卍の形。
千体地蔵。
水子や先亡諸霊のために奉納されたもの。3月と9月の18日には彼岸会が行われると。
不幸にしてこの世に生まれることのできなかった子供たちのために、
無数のお地蔵様が供えられていた。
更に階段を上がると鐘楼が。
梵鐘は文永元年(1264)鋳造の銘を持つ、鎌倉でも3番目に古いと。
昭和28年に国の重要文化財に指定され、現在は宝物館において収蔵展示中。
かきがら稲荷。
ここ長谷寺の十一面観音像は、721年(養老5年)、徳道の願いによって彫られた
二体の観音像のうちの一つ。
一体は奈良の長谷寺に安置されたが、もう一体は有縁の地で人々を救うようにと、
行基によって海に投げ入れられたのだと。
それから15年後、体に付着した「かきがら」の導きで、三浦半島の長井の浦に
流れ着いた観音像。間もなく鎌倉に移されたのだと伝えられていると。
鐘楼横のこの「かきがら稲荷」は、「観音さまのお導きがあるように」と祀られたもの。
阿弥陀堂。
鎌倉幕府初代将軍である源頼朝が、自身の42歳の厄除けのために建立したものと。
阿弥陀如来像を外から望遠で。
観音堂。
その創建は本尊である長谷観音流着の縁起に由来し、天平8年(736)まで遡ると。
当山が鎌倉でも有数の古寺に数えられる所以。
その後、関東大震災による長谷寺の罹災は甚だしく、旧来の建物は止む無く建替えとなり、
災害から本尊をお守りするため、鉄筋による再建が進められた。
そして、昭和61年、罹災から実に60年以上の歳月を費やし現在の堂宇は完成したと。
本尊である十一面観音像は、錫杖を右手に携え、岩座に立つ独特の像容。
http://www.hasedera.jp/about/ 】より転載。
久米正雄胸像と右手に聖観世音菩薩尊像。
久米正雄は、1934年(昭和9年)から始まった「鎌倉カーニバル」の開催に尽力し、
1936年(昭和11年)には、「鎌倉ペンクラブ」を結成して初代会長を務めた。
関東大震災時には長谷にいて、長谷寺に避難。大地震の模様を『鎌倉震災記』に
記した人物。
長谷寺展望台から由比ヶ浜方面を望む。
遠く相模湾の先に逗子マリーナが。
石造釈迦如来坐像のまわりの四天王。
周囲に色鮮やかなあじさいの花が。
四天王はそれぞれ守る位置が決まっていると。
持国天:東 増長天:南
広目天:西 多聞天:北。
持国天は右手に剣 。
広目天。
右手に筆、左手に巻物を持つ。
増長天。
足下に邪鬼を踏みつけ、左手に戟(げき)を持ち、右手を腰に当てた姿。
石造釈迦如来坐像は青いあじさいの花を抱いていた。
仏足石。
釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。
大黒堂前に立つ石造聖観世音菩薩尊像。
そしてこの下には高浜虚子の句が。
経蔵。
経蔵は一切経を収める建物。
経蔵内にある「輪蔵」と呼ばれる回転式の書架を一回転させると、全ての経を読んだのと
同じ功徳があるといわれている。
ネパールに行った時、多くのネパール仏教寺院で廻したマニ車の巨大番の如し。
現在は「輪蔵」保護のため、回転させることができるのは観音様の縁日である18日に
限られているのだと。
経蔵脇の竹林が夏の風に揺れて、ここだけ涼しげ。
鎌倉・鎌倉大仏殿高徳院へ 2023.04.09
鎌倉・長谷寺へ(その3) 2023.04.08
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