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江戸時代初期の寛永年間から正保年間にかけて、皇族の一条恵観の別邸として京都
西賀茂に創建された茶屋である。戦後、鎌倉に移され、国指定の重要文化財となった。
江戸初期の朝廷文化を今に伝える建物として、京都の「桂離宮」に並ぶ貴重な遺構である。
その外観は田舎家風であるが、茅葺屋根の内側には杮葺の屋根が葺かれ、自然の形を
活かした建材の数々と細工のなされた建具、モダンに描かれた杉戸絵など、皇族の雅で
自然を愛する趣向が随所に盛り込まれており、風雅な好みを感じさせる。
庭の枯山水・飛び石も合わせて移築されており、一部は茶人の金森宗和の好みと伝わる。
一条恵観(いちじょうえかん)
慶長10年(1605年)~寛文12年(1672年)
江戸時代初期の皇卿。後陽成天皇の第九皇子。五摂家のひとつ一条家の養子となる。
名は兼遐(かねとう)と称し、のちに昭良(あきよし)と改める。
摂政・関白を二度ずつ務め、兄である後水尾上皇を支えた。後年、落飾して
智徳院恵観となる。
和歌をはじめ書や茶の湯に長け、能楽や絵画、立花、香など数々の文化芸能に精通し
建築の知識にも優れており、自ら山荘の造作について全て指示したという。
茶の湯については金森宗和に学び、山荘と庭園造営に際しては助言を得ていた。」
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