JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.08.21
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』 👈リンク
【​ 鎌倉の寺社リスト ​】 👈リンク

この日は7月29日、「古都「鎌倉」を巡る」の11回目。
小田急線、東海道線、横須賀線を利用して鎌倉駅に到着。



鎌倉駅から京急バス・金沢八景行きを利用。



そして「浄明寺」バス停で下車。
この日は、前回訪ねなかった「報国寺」の周辺の社寺、遺跡を巡ったのであった。



まずは少し戻り、前回訪ね忘れた「報国寺」入口の「華の橋」の麓にあった石碑群を訪ねた。



「華の橋」。
この橋の奥に前回訪ねた「旧華頂宮邸」があるのだ。この屋敷が建てられる時に、現在のような

『鎌倉市文化財資料 第7集 としよりのはなし』によると、
「華の橋」のあたりには橋はなく、川に飛石が置かれてこれを渡っていたと。
現在の県道ももっと低く、「旧華頂宮邸」が奥に別荘を建てたときにできた橋だから
「華頂宮」の「華」をとって「華の橋」というようになったのだと。



大きな桜の樹の下の石碑群。



「文字庚申塔」碑。
頂猿型角柱の道標。角柱の頂部に三猿が。
正面には、上部に、日月を浮き彫りし、中心に「庚申供養塔」と刻んでいた。
右側には「ーばんすぎもと道」左側に「二ばんいわどのはしより入」とあり、
坂東三十三ケ所観音霊場巡礼の一番杉本寺と二番​ 「岩殿寺(がんでんじ)」 ​👈リンクを

二番岩殿寺(がんでんじ)は逗子市久木5-11-7にある曹洞宗の寺。
徳道上人と行基菩薩が開き、花山法皇、後白河法皇が参詣し、そしてとりわけ頼朝が篤い崇敬を
寄せた観音霊場。1300年という歴史に思いを馳せることができる希有な寺であると。



右から石仏と庚申塔二基。



「聖観音」は素朴なお顔。







「庚申塔」。天保三( 1832)の文字が。



「五輪塔」。



そして金沢街道に戻り「滑川」に沿って、遊歩道を進む。



左手に「浄妙寺」の駐車場そして「浄妙寺」への路地が見えた。
この寺の開門は9時からの為、帰路に立ち寄ることに。



川底は岩に覆われた「滑川」。
川床をなめるように流れていることから付けられた名といわれているのだ。



右手にあったのが「一条恵観山荘(いちじょう えかん さんそう)」の脇門。



「一条恵観山荘」案内板。



「一条恵観山荘 国指定重要文化財 ◀30m先入口」と。



そしてこちらが「正門」。



「国指定重要文化財 一条恵観山荘」案内板。



​​ 国指定重要文化財 一条恵観山荘(いちじょうえかんさんそう) 👈リンク​

江戸時代初期の寛永年間から正保年間にかけて、皇族の一条恵観の別邸として京都
西賀茂に創建された茶屋である。戦後、鎌倉に移され、国指定の重要文化財となった。
江戸初期の朝廷文化を今に伝える建物として、京都の「桂離宮」に並ぶ貴重な遺構である。

その外観は田舎家風であるが、茅葺屋根の内側には杮葺の屋根が葺かれ、自然の形を
活かした建材の数々と細工のなされた建具、モダンに描かれた杉戸絵など、皇族の雅で
自然を愛する趣向が随所に盛り込まれており、風雅な好みを感じさせる。
庭の枯山水・飛び石も合わせて移築されており、一部は茶人の金森宗和の好みと伝わる。

一条恵観(いちじょうえかん)
慶長10年(1605年)~寛文12年(1672年)
江戸時代初期の皇卿。後陽成天皇の第九皇子。五摂家のひとつ一条家の養子となる。
名は兼遐(かねとう)と称し、のちに昭良(あきよし)と改める。
摂政・関白を二度ずつ務め、兄である後水尾上皇を支えた。後年、落飾して
智徳院恵観となる。
和歌をはじめ書や茶の湯に長け、能楽や絵画、立花、香など数々の文化芸能に精通し
建築の知識にも優れており、自ら山荘の造作について全て指示したという。
茶の湯については金森宗和に学び、山荘と庭園造営に際しては助言を得ていた。」




「庭園一般公開 ならびに 喫茶店舗 臨時休業のお知らせ」。



「庭園案内板」。



「庭園案内図」。



「​ 庭園写真 ​」👈リンク。



「浮かせ花」・「花手水」の数々の写真。
「花手水」は「花を浮かべた手水舎のこともともと、水がないときに草花や草花においた
露で手を清めたことを「花手水」と指していましたが、2017年に京都府の楊谷寺
(ようこくじ)が手水舎に紫陽花を浮かべたことで、その美しさから全国的に存在が
認知されました。」と。









更に右側に川を見ながら進むと前方に橋が見えて来た。



石橋の下を流れる川は「滑川(なめりかわ)」。



橋の名は「青砥橋(あおとばし)」。



「青砥橋」の先の民家の竹垣は「光悦寺垣(こうえつじがき)」であろうか。
光悦寺垣は反弓形になだらかな曲線を描く、とても優雅な仕切り垣。
寛永の三筆の一人である本阿弥光悦の創作であることが名前の由来と言われているが
定かにはなっていないようだ。



その先の民家の生け垣の中に石碑が。
鎌倉市浄明寺5丁目2−1。



鎌倉幕府時代から室町幕府時代中頃まで住んでいた
「青砥藤綱邸旧蹟」碑。
「鎌倉執権ノ美績ヲ談ズル者 概(おおむ)ネ先ズ時頼 時宗ヲ称ス 蓋シ(けだし: 恐ラク)
其ノ間 両代ニ歴任セル青砥左衛門尉藤綱ガ捕益ノ功ニ負フ所ノモノ 亦(また)必ズ
少ナカラザルベキナリ 藤綱逸話ニ富ム 嘗(かっ)テ夜行キテ滑川ヲ過ギ  誤リテ銭十文ヲ
水ニ堕(落)ス 乃(すなわ)チ五十文ヲ以テ炬(たいまつ)ヲ買ヒ水ヲ照ラシテ之ヲ捜レリトノ一事 
特ニ最モ人口ニ膾炙(かいしゃ:話題)ス 此ノ地ハ其ノ藤綱ガ居住ノ旧蹟ナリト言フ」

【鎌倉の将軍の善い行いを言う時、大体まづ北条時頼(ときより)、北条時宗(ときむね)の
名前がでます。しかしその間にあって、両将軍に仕えた青砥藤綱の業績が大きく貢献している
ことを忘れてはなりません。藤綱には、逸話が多くあります。ある夜のこと、滑川(なめりがわ)を
渡るとき、失敗してお金十文(じゅうもん)を川に落としてしまいました。
そこで、五十文でたいまつを買って、水を照らしてお金を探したと言う話は、特に多くの人々が
話題にしました。この場所は、その藤綱の屋敷の跡であると伝えられています。】

「青砥藤綱(あおとふじつな)は鎌倉時代の武士で「青砥左衛門尉」という名で史料に見られるが
詳細は不明である。執権の北条時頼に仕えたとされる。藤綱に関する文献として『弘長記』と
いう書物があるが、後世の偽書の可能性がある。この石碑に書かれている話は『太平記』に
見えるもので、他にも裁判の公正のため賄賂を受け取らなかった、自らは倹約質素につとめ、
執権時頼を諌めた、など逸話が多いが、いずれも後世の創作と考えられている。
この橋のあたりは昔は大きな屋敷があり、付近はうっそうとした雑木林に囲まれていた。
また、関東大震災で倒壊した後、移築された英勝寺の山門もこの近くにあった。
現在は屋敷は宅地として分譲され、山門も復興工事のため解体の上、英勝寺に移されている。」
とのネット情報。



再び「青砥橋」に向かって引き返す。



金沢街道を「十二所」方面に向かって進む。



左手の路地の先の民家の前に石碑があった。
鎌倉市浄明寺4-3付近。



「​ 足利公方邸旧蹟 ​」👈リンク 碑。
「頼朝開府ノ初足利義兼居ヲ此ノ地ニトシテ以来二百数十年間子孫相嗣イデ此ニ住ス尊氏覇ヲ
握リテ京都ニ遷ルノ後其ノ子義詮二代将軍トナリテ京都ノ邸ヲ嗣ギ義詮ノ弟基氏関東管領ト
ナリテ兵馬ノ権ヲ此ノ邸ニ執ル而シテ之ヲ子孫ニ伝フ子孫京都ニ比擬シテ公方ト僭称ス享徳四年
公方成氏執事上杉憲忠トノ不和ノ事ヨリ下総古河ニ遷ルニ及ビテ遂ニ永ク廃虚トナル」

【足利義兼(よしかね)が、源頼朝が幕府を開いた時に、この場所に家を定めました。
その後ニ百数十年間、この地に子孫が代々住みました。足利尊氏(たかうじ)が権力を握り、
京都に移った後に、その子の義詮(よしあきら)が2代将軍となって、京都の家を継ぎました。
そして義詮の弟の基氏(もとうじ)が関東管領(かんれい)となって、軍の指揮をこの家から
とりました。こうして、足利家は子孫に引き継がれました。子孫は京都にならって、
公方(くぼう)と名乗っておりました。1455年に公方成氏(なりうじ)は、上杉憲忠(のりただ)と
仲たがいし、下総(茨城)の古河(こが)に移ったために、ついに足利公方邸は廃墟となりました。】

​​


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                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 16:15:07
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