JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.08.22
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』 👈リンク
【​ 鎌倉の寺社リスト ​】 👈リンク

「足利公方邸旧蹟」から金沢街道まで戻ると右手にあったのが
「日本キリスト教団 鎌倉泉水教会」。



「鎌倉泉水教会」へ入る橋。



「虹の橋」。橋の名の由来は??



「鎌倉泉水教会」 ​ 👈リンク は 日本 基督 教団 に属するプロテスタントの教会。
昭和30年(1955年)2月が起源で、市内東部の浄明寺地区で伝道するために鎌倉教会の

鎌倉市浄明寺5丁目4−2



そして引き返し金沢街道を更に進み「泉水橋」交差点を右折する。



「滑川」に架かる「泉水橋」を渡る。



「滑川」に架かる橋の名を確認できた。



そして次の目的地の「曹洞宗 松久寺(しょうきゅうじ)」の案内表示が。



鎌倉市浄明寺の住宅街の路地を右に折れ進む。



そして前方に「松久寺」の境内が見えて来た。



「曹洞宗 長盛山 松久寺」。
右手には駐車場が。



「佛の十戒
一、生きとし生けるもの生命を大切にしなければならない。
ニ、盗みや不正を犯してはならない。
三、夫婦の道を乱してはならない。
四、うそ偽りを言ってはならない。
五、迷いの酒や思想に溺れてはならない。
六、他人の過ちを言い触らしてはならない。
七、おのれの自慢ひとの悪口を言ってはならない。
八、物でも心でも与えることを惜しんではならない。
九、激しい怒りで自分を失ってはならない。
十、佛陀の教えを疑ってはならない
これはわれら佛教徒の生活信条である。」



「松久寺」の参道入口に向かって進む。




鎌倉市浄明寺5丁目9−36。



「曹洞宗 松久寺」の「掲示板」。



「告諭
いま、私たらは多くの苦難に直面しています。新型コロナウイルス感染症の全世界的な拡大
により、多くの尊い生命が失われ、人びとは深い悲しみの中にいます。
また、戦争、貧困、格差などの社会不安、近年頻発する自然災害は、私たちに大きな痛みを
もたらしています
今日、曹洞宗の信仰に生きる私たらは、どのような生き方を目指すべきでしようか
お釈迦さまは、人生における苦悩の中で、菩提樹の下、坐禅を重ねられ、お悟りを開かれました。
その御教えは、祖師方によって相承され、いま、私たちも頂くことか出来ます。身を調え、
息を調え、心静かに坐りましょう。
仏さまの智慧と同じ正信心により、ものごとを正しく見ることが出来ます。その時、おのずから
他者を思いやり助け合う慈悲のこころが育まれるのです。
私たちの社会ではさまざまな分断が現出しています。感染症の広がりにより人間関係のさらなる
希薄化が進む中、いまこそ、一人ひとりが菩提心を発し、人と人との温かなつながりを深めて
いかなければなりません。お互いに手を携え、四摂法の「同事」のおさとしを行じて
まいりましょう。
すべての人びとが救われることが御仏の願いであります。
日々の生活の中で、仏さまに掌を合わせ、世界中の人びとが安らかに暮らせるよう祈り念じ、
皆ともに菩薩行を進めてまいりましょう。  合掌。
南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)
南無高祖承陽師道元禅師(なむこうそじょうようだいしどうげんぜんじ)
南無太祖常済師瑩山禅師(なむたいそじょうさいだいしけいざんぜんじ)」



参道の坂の両脇には石仏が。何故か今の管長(上の写真)に似ている!?



こちらは、歴史を感じさせる石仏。



石灯籠も。







祈りの石仏。



「觀窓如空童子」、「宝永六 己丑年 1709) 二月十三日 」と刻まれた石仏。



小さなやぐらの中にも。



参道のモミジ葉の緑を楽しみながら更に進む。



寺務所・本堂への入口が見えて来た。



寺号標石「曹洞宗 松久禅寺」。



本堂への入口扉には「梅鉢紋」が。
ここが「山門」なのであっただろうか。



そして現代的?な彫刻も。



「衹管打坐(しかんたざ)
道元禅師は、座禅に目的や手段を設定せずただひたすら座りそのまま仏道の実践であると
説示された。」



「寺務所」内。



寺務所の「天井画」は祈りの手の姿が。
作家・木下晋さんの「無」という作品とのこと。



「山門」を入ると左手には「木の根置物」が。



「山門」から「本堂」を見る。
「本堂」には五色の幕が。
「五色の幕は、「五正色幕(ごせいじきまく)」・「五間色(ごけんじきまく)」などといい、
寺院における特別な行事が執り行われる際に本殿の正面に取付けられる幕で、寺院にによっては
「赤・青・黄・白・緑」の五色であったり、「赤・白・黄・紫・緑」や「青・赤・黄・白・紫」
などの五色であったりと多少色が異なることがありますが、古くは中国から伝わった陰陽五行説の
五行配当色の「赤・青・黄・白・黒」からきており、「緑・紫」などはその中間色と
なっています。」とネットから。



松久寺は、1655年(明暦元年)、心霊牛道(暉山吐光禅師)が開いた曹洞宗の寺院。
山号は長盛山。
本尊は地蔵菩薩。
東京都港区芝白金にありましたが、1966年(昭和41年)にここ鎌倉に移転。



境内にあった「稲荷社」。



そして帰路の参道からも「稲荷社」を見る。



駐車場隅にあった歌碑。
「濁りなき 心の水に すむ月は 波も砕けて 光とぞなる 光とぞなる」
道元禅師の仏足石歌であると。
「濁りなき心の水にすむ月」とは、坐禅の心に宿る月と考えられます。坐禅の心で日常生活に
向きあうとき、悩みや迷い、とらわれや邪な念い、煩悩といった「波」が砕けて「光」となる。
すなわち、行じ続けて深まりゆく坐禅の心が、ゆるぎない安らぎへと導かれることである と。



そして再び金沢街道・県道204号線の「泉水橋」を渡る。



「泉水橋」。



県道を朝比奈切通しに向かい、ハイランドへ分かれる「明石橋」交差点の手前の左側に
十数個の石塔が並ぶ一角があった。
五輪塔、無縫塔、石仏、供養塔、庚申供養塔などが建つ塚(墓地)。
金沢街道と滑川に囲まれた場所であり、奥に「泉水橋供養塔」と彫られた供養塔や、手前には
中央に「大阿闍梨法印辨算‥」と彫られた弘化2年(1845年)銘の石碑と無縫塔が建ち、
無縫塔と石仏が2列に並び、端にたくさんの五輪塔が置かれている。この地は大慈寺の丈六堂の
跡地と考えられる辺りで、この丈六堂は江戸時代までが存在していたが、その後廃絶になった。
この辺りは三代将軍源実朝が創建した広大な境内を持つ大慈寺があったとされ、滑川を渡った
側には「大慈寺跡」石碑も建っている。大慈寺跡にあったお墓に江戸時代までに渡って石碑や
供養塔、石仏が建てられてきたのであろう。
無縫塔が並ぶ。
鎌倉市十二所934−1。



中央に「大阿闍梨法印辨算‥」と彫られた弘化2年(1845年)銘の石碑。



10基前後の石仏が並ぶ。



別の角度から。石仏・庚申塔がコの字型に並んでいた。



こちらが「二ツ橋児童遊園」側の「庚申塔塚」への入口。



「二ツ橋児童遊園」の中を歩き「二ツ橋」を渡り進む。
かつて橋の下に2つの石があって、橋から落ちても怪我をしないので「けがなし石」と
呼ばれていた。この石は、五大明王を祀る五大堂に使われていた礎石の一部だったという。



正面に「明王院」の石碑、参道があったが、ここは帰路に訪ねる事とし
手前を左に進んで行った。



そして、山道を進んで行くと左手には「やぐら」の如き姿が。
この「やぐら」には何も安置されていないようであった。



その先、右手にあったのが​ 「salon de 酔鯨館」 ​👈リンク。
美術館で芸術家・石丸雅通の自宅アトリエを「Salon de 酔鯨館」として公開している。
収蔵品は、石丸雅通の大型レザーアート作品をはじめ、長男の運人の作品も展示。
また「Salon de 酔鯨館」では、室内楽のコンサートや舞踏ステージ、映画のロケにも
使用されている と。



玄関脇の巨大サメがお出迎え。



振り返って。左手が館の入り口。



正面のモニュメント。



芝生の横庭。



庭には一頭の巨大鯨が。



ベランダ。



ベランダの壁のモニュメント。
これは何を表現??



次に訪ねたのが「梶原井戸」。
山の斜面に小さな石の祠があった。



笹の葉が生い茂り、井戸らしきものは見当たらなかったが。



ここが「梶原井戸」の場所であろう。
隙間から僅かに水面が見えたのであった。



そして帰路にあった「​ 八百善 ​」👈リンク。
鎌倉十三仏詣の一つである明王院の敷地内にある、本格的な江戸料理専門店。
創業は江戸中期の1717年。11代将軍徳川家斉や勝海舟らも食したという高級店として
東京都内で代を重ねていたが、同寺院内にあった旧財閥の別荘を借り受けたことをきっかけに、
ここ鎌倉の地に開いたのだと。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 16:15:27
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