JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.09.18
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』 👈リンク
【​ 鎌倉の寺社リスト ​】 👈リンク

「光照寺」を後にして、県道21号線・横浜鎌倉線に向かって歩く。
前方に橋の姿が。



「宮の台橋」。



下を流れる川。



「小袋谷川(こぶくろやがわ)」。
小袋谷川とは、神奈川県鎌倉市の小袋谷、山ノ内、大船などを流れ、柏尾川と合流する
鎌倉市管理の河川。



県道21号線・横浜鎌倉線に出て右折して北鎌倉駅方面に進む。
左手にあったのが「鎌倉小坂郵便局」。
鎌倉市山ノ内739。
JR横須賀線の北鎌倉駅から歩いて5分、
「鎌倉小坂郵便局」は1899年(明治32年)に山ノ内郵便局として開局。
初代の局舎は関東大震災で壊れ、2代目は母屋の一部を局舎に。
3代目は1938年(昭和13年)に建築、現在の建物は4代目になる。
蔵造りのような堂々たる「鎌倉小坂郵便局」の入る建物は、元々あった建物の面影や雰囲気を
残す設計で造り替えられたのだと。
「鎌倉小坂郵便局」はこの建物の一階で営業しているのであった。
昭和な「丸ポスト」も懐かしくかわいいのであった。
写真では判りにくいが、美しい勾配を持つ「むくり屋根」と白壁、重厚な造りが目を惹くので
あった。「むくり屋根」とは緩やかに上向きの弧を描いて軒先へと落ちて行く構造の屋根。



「北鎌倉女子学園前」交差点を右折する。



プレートには「北鎌倉女子学園 入口」と。
私が高校生の時は「北鎌倉高等学校」と称していたが昭和53年(1978)9月学校名を
「北鎌倉女子学園高等学校」に変えたとのこと。併設中学校もある女学校。



進んでいくと、小袋谷川に架かる「藤源治橋」。
この地には刀鍛冶藤源治の屋敷があり、刀鍛冶職人が大勢住んでいたことからの
命名であるようだ。



そして右側にあったのが入口の壁が黒く塗られた建物。
Googleマップではアートギャラリー「雨 北鎌倉」と表示され訪ねたのであったが
現在は「カフェ「COTONOHA (コトノハ)」」に変わっているのであった。



ガラスの出窓には「花手水」の如き作品が。



店の前の駐車スペース。
ネットによると、古民家ナチュラルカフェの「COTONOHA(コトノハ)」は
今年2021年2月8日(月)に、北鎌倉で肉好きでも楽しめるヴィーガンカフェとして
リニューアルオープンしたと。



ヴィーガンカフェ&レストランは、動物性食材(鳥肉・魚肉・その他の魚介類も含む)・卵・
乳製品・白砂糖を使わず料理を提供する店のことと。
加えて、添加物や化学調味料なども使わずに植物由来・天然食材を使って調理をしているのだと。
3店舗目となる「COTONOHA」は、地元の鎌倉野菜をふんだんに使い、見た目も鮮やかな
ヴィーガンメニューを用意していると。

ヴィーガンとは、食事においても日常生活全般においても、動物性食品や製品を使わずに生きる
ことを選ぶ人。肉と魚だけでなく、卵や乳製品といった動物に由来する製品を摂取しない。
ハチミツもアウトなのであると。
ヴィーガンとベジタリアンの違いは? ベジタリアンより更に上?の「完全菜食主義者」?



そして再び県道21号線・横浜鎌倉線に戻り更に北鎌倉駅方面に向かう。
「十王堂橋(じゅうおうどうばし)」を渡る。
昔、この付近に「薬師堂」と「十王堂」が有った事から「十王堂橋」の名が付いたと言われている。
今は「薬師堂」も「十王堂」も無く、この橋に「十王堂」の名称が残るのみであると。



そして左手に「JR北鎌倉駅」。



更に進み、「​ 円覚寺 ​」👈リンク への入口前を通過。
JR横須賀線の踏切の先に「円覚寺 総門」が垣間見えた。



その先、右手には「​ 東慶寺 ​」👈リンク。



「文学案内板 東慶寺
東慶寺 は、文学に大変ゆかりの深い寺で、江戸時代より紀行文や川柳に描かれ、明治以後は
小説 、短歌 、俳句など、多数の文学作品に描かれています。また、境内や墓地には文学碑や
文人の墓が多いことでも知られていますが、この案内板では、寺内の文学関係碑と文人などの
墓を紹介しました。
●文学関係碑(五十音順)
朝比奈宗源 漢詩碑·太田水穗 歌碑·三枝博音 句碑·四賀光子 歌碑·釈宗演 と佐佐木信綱 歌碑・
高見順 詩碑・田島絹亮句 碑・田島房子 歌碑・田村俊子 記念碑·徳富蘇峰 漢詩碑·中村汀女 句碑·
野田大塊 句碑·真杉静枝 墓背誌·松下隆章 句碑
●文人の墓「現代日本文学大辞典」明治書院 収録者)
安倍能成 (哲学者)・岩波茂雄(岩波書店創業)・太田水穂(歌人)・川田順(歌人)・小林勇(随筆家)・
小林秀雄(文芸評論家)・三枝博音(哲学者)・亡志心亡(小說家)·佐佐木茂索(小說家)·
四賀光子(歌人)·神西清(小說家·翻訊家)·鈴木大拙(教学者)·高見順(小說家)·田村俊子(小說家)・
西田幾多郎(哲学者)・野上豊一郎(英文学者)・野上弥生子(小説家)·真杉静枝(小說家)·
和辻哲郎(哲学者)
尚、詳細は鎌倉文学館(鎌倉市長谷)にご照会ください。
平成二年三月
鎌倉市教育委員会
鎌倉文学館」



石段の上に「東慶寺 山門」。



前方にJR横須賀線の「第三鎌倉道踏切」が姿を現した。



踏切手前を右折し、「鎌倉五山 第四 浄智寺」方面に進む。



「​ 浄智寺 ​」👈リンク が建立されたのは弘安4年、1281年。北条正宗、北条師時が開基。
吾むした参道の階段や、階段の上に鐘楼がある珍しい山門がある寺。
正面に「総門」。







「甘露ノ井」碑。



この日は立ち寄らずに脇の坂道を上って行った。
浄智寺の山門は、中国式鐘楼門といわれる珍しい様式の門。



右手に拝観受付。



本尊の三世仏を安置する曇華殿(どんげでん)と呼ばれる仏殿。 



更に上っていくと、目指す「源氏山公園 850m先」の案内表示。



「北鎌倉 宝庵」の案内表示。



茶室「宝庵」、「たからの庭」、「たからの窯」の案内板。



風情ある苔門の宝庵の入り口。苔むした屋根が美しい門。



普段は非公開であるが、門が開いていたので中に入らせて頂く。
正面に「宝庵(ほうあん)」。



廻り込んで。
「宝庵」の茅葺きの「夢窓庵」は、京都高台寺・遺芳庵を模して昭和9年に造られた。
利休考案とも言われる一畳台目の小間は、最小にして究極の茶室であると。



「北鎌倉 たからの庭」案内図。


   【https://takarano-niwa.com/free/rental】より

「レンガ煙突」が前方に。



「母屋」。



「たからの窯」。



そして急ぎ足で引き返して山門の屋根の苔にフォーカス。



更に進み、右手に入り葛原岡ハイキングコースの浄智寺から葛原岡神社への山道を上って行った。



葛原岡ハイキングコースは葛原岡・大仏ハイキングコースの北鎌倉側の半分のコースを指し、
北鎌倉の浄智寺から葛原岡神社・源氏山公園へ抜ける約1kmのコース。
浄智寺からしばらくは民家が点在する舗装道。そこを過ぎてつづら折りの坂を上ると
山道に入る。距離は短いですが、木の根が這う歩きにくい場所や急坂もあるハイキングコース
なのであった。左奥には切通しの如き場所も。ここを歩くのは2回目。



葛原岡神社・源氏山公園まで300m。
しかしこの先は急坂が続くのであった。



そして小高く盛り上がった場所には巨石があり、その近くに五重塔と石碑が2基建っていた。
ここが葛原岡ハイキングコースの最高峰であっただろうか。



「天柱峰碑」。昭和16年に建立と。やや傾いて?いたが。
「天柱」とは「世を支える道義」のことだと。
浄智寺背後にある標高97mの「天柱峰」は、中国の元の僧で浄智寺の住職も勤めた
竺仙梵僊(じくせんぼんせん)が名付けたと
建長寺二世の兀庵普寧(ごったんふねい)はここからの景色を愛し、麓を終焉の地と定めて
塔所「楞伽院(りょうがいん)」を構えて詩文集「天柱集」を著した。
この人物、建長寺の本尊の地蔵尊を、地位が低いからと拝まなかったりしたそうで、しばしば
物議を醸し、もめごとが多かったそうで、「ごったん」の名から「ゴタゴタする」という
言葉の語源となったのだと。



「五重石塔」
かっては金峰松(金宝松とも)と呼ばれる老松があり、由比ヶ浜を往く漁師たちも海上から
拝んだと言うが、今はない。
浄智寺の山号「金峰山」は、この松に由来したともいい、逆に松の名が山号に由来したとも。



「竺僊梵僊和尚顕彰碑」(昭和16年(1941年)銘)。



「笠仙(僊)梵僊和尚は元の来朝僧なり 建武元年 浄智の詔を受け 天柱峯下に楞伽院を剏し 
興国二年 旨を奉じて南禅に住す 正平三年 病を以て事を謝し 再び楞伽院に回りて寂す 
全身を最勝塔に 葬る 語録天柱集は五山文学の白眉と称せらる
楞伽院常住 笠僊」。



苔生した巨岩。



「竺僊梵僊和尚顕彰碑 」・「天柱峰碑」・「五重石塔」を振り返る。



葛原岡神社・源氏山公園まで200m。



山道を更にひたすら進んで行った。



足元には岩場も。



先達の歴史を感じさせる岩の凹みなのであった。



「瓜ヶ谷(うりがや)やぐら群」。
ハイキングコースからのルートは見つけることが出来なかった。
以下の写真は以前に北鎌倉駅近くからの別のルートで9月初めに訪ねた時の写真であるが。
この時は鎌倉市山ノ内の山合の坂道横の入口から坂道を下って行った。



雑草が生い茂った獣道の如き道を進む。



大きな樹木も倒れかけて。



前方に小さな水田が。



道なき道を蜘蛛の巣を掻き分けて進む。



そして入口から5分ほどで急な上り坂、いや崖が現れた。
ロープが準備されていたが、ロープなしでは上れなかったであろう。
そして現在でも、殆ど管理がされていないのであろうか?



そして眼前に目的の「やぐら」が漸く姿を現したのであった。



「瓜ヶ谷やぐら群」5穴のうち、最大なのがこの「地蔵やぐら」と呼ばれるやぐら。
中央に丸彫りの地蔵菩薩が安置され、五輪塔や仏像などの壁面彫刻も多彩なのであった。



「丸彫りの地蔵菩薩」。



八畳程度の広さであっただろうか。



壁には五輪塔が収められていた(正面左側)。



正面右側も同様に。



「やぐら」内部から入口を見る。
左手の「やぐら」とは内部で繋がっていた。



「地蔵やぐら」の右横の「やぐら」内部にも五輪塔が。



内部の壁の横穴。



その隣の「やぐら」。



「やぐら」が続く。



この「やぐら」は半分以上入口が埋まっていた。



内部にはこれも五輪塔の一部であろうか。



そして帰路に見つけた害獣のトラップ。



そして以下はこの日の散策に戻って。
木の根が這う坂道を更に進む。



漸く本格的な下りへと。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2024.08.28 07:22:00
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