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ジャングルの特集を観ていて・・癒されましたあ。神様の創造の世界の映像に。いのちの循環に。新しいものも、やがては古くなり・・それは犠牲というニュアンスではない。さびしくも、かなしくもない。打たれることも、あたりまえのこと。いのちの法則。今日一日の自己否定は、何かの養分になってくれてる。ここから、いちだんと飛躍できると予感するあたらしき朝。ふるいものが、あたらしいいのちの養分になって役立っている。あたらしい生命をあたりまえに支えている。自分という存在も、今という時も、その一部分なのだなあ思えた。そうしましたら、現実のグッサリくることなんかは、なんでもなく思えてきました。気持ちが下降気味になってきた時は、(ああ、そっかあ!)神様のことを思えばいいんですね。何で気づかなかったんでしょう。・・切り替えが早くできます。ご先祖さん・・っていうと、気持ちがぼやけてしまうのですが、神様・・っていうと、気持ちが鮮やかになるんですね。苦しいときこそ、神様に近づけるチャンスなんですね。春なので、急に気温が上昇してみたり、肌寒かったり。日々の社会生活も、良かったり、悪かったり、いろいろです。お彼岸が一つの節目で、時節の霊界がガラリと違ってきたと感じているところです。■本日【庚申/劫財・帝旺(劫財)】自己否定の一日でした。私を励ます言葉たちを探しにいき、収穫した名言です。夫の苦労をみていて思ったこと。(夫を支えるのが私の使命だな)・・そう決意した一日。●世の中に無神経ほど強いものはない。(勝海舟)●人の言葉は善意にとれ。その方が5倍も賢い。(シェイクスピア)●侮辱は相手のせいではなく、侮辱されたと思い込むせいだ。(エピクテトス)●世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。(シェークスピア)●全ての規則に従っていたら、楽しみを全部逃がしてしまう。(キャサリン・ヘップバーン)●大きく考えよ。大きく考えれば、あなたはきっと大きな体験をするでしょう。(マーフィー)●人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である。(シラー)●幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。(トルストイ)●もっと人生を本当に楽しめるときがいつか訪れるだろう。その時をあなたは心待ちにしなさい。(ジョン・キーツ)■ 【脳内革命】より下記抜粋(p51~56)欲求レベルが高いほど快感も増す・・現実の人間にあてはめたとき、みんながみんな第五の欲求まで到達するわけではありません。「自己実現の欲求」まで到達する人はむしろ少ない。第三の「所属と愛の欲求」まではほとんどの人が到達しますが、そこにとどまってしまう人、あるいは第四の「承認の欲求」止まりの人がほとんどといってよいでしょう。ところが脳のはたらき、とくに脳内モルヒネが教えてくれるのは何かといえば、人間は第五の欲求、すなわち「自己実現の欲求までチャレンジしなさい」ということなのです。脳を上手に活用しようと思っている人にとっても一つのポイントになる点です。脳内モルヒネが教えてくれるのは、自己実現を目指して生きることが、人間にとって最高の喜びであり、汲めども尽きない至福の人生を手に入れるカギなのです。脳内モルヒネの研究からだんだん明らかになってきたのは、人間は並列的に並んだいくつかの欲求を選択するのではない。マズローがとなえたように、段階的に欲求レベルを高めていっていることが一つ。そしてもう一つ、ここが肝心なのですが、「欲求レベルが高くなるほど脳内モルヒネの快感も増していく」ことです。そういうレベルの高い境地に達すると、めったに病気にもならず、至福の感情をもったまま長寿が保てる。つまり脳内モルヒネの研究でわかったのは、正しく立派な生き方、世の中のためになる生き方をするほど、人間は若々しく健康で病気に無縁でいられるということなのです。このことを物質で説明すると、人間にはホメオスターシスというメカニズムがある。一般に「恒常性」といわれる調整システムのことです。たとえば寒いと毛穴が縮んで体熱の発散を防ぐ。暑ければ毛穴が開き発汗して体温上昇を防ぐ。体の中にはいたるところにホメオスターシスが張りめぐらされているのです。ホルモンも同じでノルアドレナリン、アドレナリンが出ると、それをおさえるセロトニンというホルモンが必ず出ておさえる側にまわる。これを負のフィードバックとわれわれは呼んでいます。電気ごたつのサーモスタットのように、何事もオーバーヒートしないようなメカニズムを人間の体はもっているのです。脳内モルヒネにもギャバという抑制物質がはたらきます。ただ一つここに不思議な例外があるのです。人間のもっとも高級脳である前頭連合野が刺激されて脳内モルヒネが分泌されるときにかぎって、この負のフィードバックがなぜかはたらかない。そして脳内モルヒネがどんどん出るのです。他の場合では必ずある抑制物質が、なぜ高級脳がはたらくときだけ出ないのか。人間がそのもっとも進歩した脳をはたらかせて何かをするとき、β-エンドルフィンは抑制されることなく分泌して、どんどん気持ちよくしてくれるということは、私には「そういう世界を目指しなさい」という神様のメッセージのような気がするのです。性欲とか食欲は満たされればそれでおしまいです。またこの種の欲求は貪欲に求めると、必ず副作用をともなうことも共通しています。生命を支える欲求は強力ですが、過ぎれば必ずマイナスに作用する。そういうものには抑制するために負のフィードバックがあるということなのでしょう。だが人間が高級脳を生かして世のため人のために尽くすようになるとき、それを止めるものは何もないのです。止めないだけでなく、どんどん脳内モルヒネが出て、最高に気持ちのよい状態にしてくれる。私はそこに何か大きな天の意志のようなものが感じられてならないのです。マズロー博士は、もっとも高次な欲求である自己実現を果たした人々が感じる最善の状態のことを「至高経験」という言葉で表現しています。これを脳内物質で説明すれば、β-エンドレフィンがかれることなく涌き出ている状態といってよいでしょう。私たちも脳を上手に活用すれば、そのような状態になれるということです。
2007年03月27日
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昨日、お薬を飲んでいるRちゃんから電話がかかってきました。Rちゃんの事情はよくわかっているという気持ちで、お話することができました。彼女の全てを肯定しました。「今のままで大丈夫、全く問題ない、それでいいんだよ」と。彼女と接する方法が、わかりかけてきました。彼女は声のトーンを上げて、「うわあー、そう言っていただくと、うれしいです。わかってもらえると、安心します」と言って、どんどん話し始めた。(ああ、こういう時は黙ってきいててあげたらいいんだなあ、話の腰を折らないように、話を遮らないで)と、自分が自分にアドバイスし出した。というのは、つい最近の私自身の体験です。全てを肯定する話法(話し方)で、対面してくれた方がいました。私自身も気づいている、自分の問題点を、何も指摘するでもなく。(しかし、だけど、だが、だって、でも)など否定言葉を使わない。これがカウンセリングだなって思いました。聞き手が相手の在り方を(認めてくれる、尊重してくれる)話の聞き方。目、聞く姿勢、その情感とか雰囲気。受け入れられていると思うと、安心できて、どんどんこちらから積極的に話し出す。心にあった思いが、言葉を通して表面化される。それらが、はっきりとした映像となるため、自分で自分を客観的に見つめることが出来るようになる。自分がどうしたいのか。何を求めているのか。それに、自分が気づく。そうすると、【エネルギー】が出てくるんだと思います。カウンセリングから、やる気が出てくる。(ああ、こうしてみよう)と、次なる行動が閃いてきたり。問題解決が見え出し始めたり。話し相手になってくれた人は、何をしてくれたかというと、ただ肯定して(わかってくれ、理解を示してくれ)話を聞いてくれただけだったのです。これといったアドバイスがあったわけではありません。けれど聞いてもらった後、やる気がおこってきたのです。その聞く姿勢の中に、(私はあなたを大丈夫だとおもっている、あなたを買っている、評価している)というメッセージが込められていると、感じさせてくれた。そうすると、(あなたが私のことを、良く思ってくれているように、本当の自分を発揮してみようかな)という積極的な気持ちが沸き起こってくる。人にやる気を与える心理学のコミュニケーション法ですね。●心の中で発せられる言葉の影響子供に愚かだと信じさせると、一層愚かな行いをする。(ジョン・ホルト/歌手)この言葉は、いろいろなことに応用できると思います。相手に対してどう思っているかという気持ちとは、すでに心の中で人の声と言葉で発せられています。「この人、すごい!」と心の声が発っせられると、それが目の光、顔全体の表情、皮膚の細胞の反応で、その賞賛の霊波は相手方に伝えられている。無言であっても、伝わるものです。「この人、この程度か」という言葉が、内側で発せられると、相手に対する、自分の顔から吹く風が、そういう不快な風として送られてしまう。人は敏感だ。人とはそもそも霊能者である。敏感な人ほど傷つきやすい、そうすると本来の力が発揮しにくくなる。<幻聴>という霊現象までいかなくとも、人の心には自分の声で、相手には聞こえないシークレットな発言がなされている。拒絶反応、イヤ感、反撥心、マイナス発言だったり。それは、ここでいう<霊>と呼ぶべきものと似ているとも思いました。一方、(まあまあ)と言って、口の悪く下品な声をなだめる役割の人格者が働き掛け、押さえの調整をはかろうとします。けれど、両者は時々葛藤したりする。人格者さんが心弱くなる時に、口の荒い下品な人の勢いに押されてしまい、心全体をまとめるリーダーシップを取れなくなりそうになる時。それを一般的に「葛藤」というのでしょう。(荒くれ男風の<霊>の力が強くなる時、お薬の助けが必要となるのでしょうか。そのへんのところは、私はよくわかっていません)(テレビに出てくるスピリチュアルの江原さんが、若い時霊現象に苦しんで滝行を続けたとのことですが)<霊>のしわざということを考える時、それらを寄せつけないための、邪魔者を追いやるためでもあるかもしれません。今、ふと、思いました。悪さをする<霊>は、少しひねくれているので不良のようです。人前でぎゃあぎゃあ泣き喚き、親を困らせようとする子供のようです。親の関心を引きたいのです。理解を示されたい。認められたい。愛されていることを確認したい。カウンセリングは、話して力が出るという人が、近くにいてくれたらありがたいですね。●お薬を上手く使って、効果をあげているRちゃんという人姉妹のRちゃんは「食」にも多く影響を受けるといいます。食事が乱れると霊界の作用もよくないと、ある時期から玄米菜食に食を改善されました。それでも、時々、お薬は必要なのだそうです。高貴な高級霊の協助を強く受けている人で、「私には厳しい人がついていて、叱咤激励される。(行者らしき)その厳しい人の言われる通りは頑張れないので、負債の気持ちが沸く。私の体にも事情がある。大変な時はお薬でうまく調節しないと。食べていかなければならないので、調子が悪いといって休んでもいられない。社会生活を普通にこなすために」肯定カウンセリング・・ということを考えた時、彼女に言った。「高級霊さんには、高級霊さんの人生があった。それも認めてあげようよ。その方はその方でいいんですよ。肯定してあげようよ」と電話でいいながら、Rちゃんについている厳しい方を賛美し・認め・重要感を与えている私。「Rちゃんは、Rちゃんで、今のままでいいんですよ。よくやってる。十分過ぎるくらいよくやってきたし、今も精一杯やってる」そう言いながら、私はあることを思っていた。厳しい(熊さん)の言葉に、どうも反撥したくなる言葉が、この2週間心に沸いてくる。「一方的」「要求ばっかり」「人の話は聞く気なし」「普通のコミュニケーションは出来ないものか」・・そういう思いが沸き立つと、どうも力が出てこない。と、その時、ある言葉が目に止った。「人を動かす」(著/デール・カーネギー)の中で、「議論しないこと」というテーマを読んで、(なるほどなあ)議論し合って、打ち負かしたところで、何も得られない。ここで、人とぶつかって足踏みをしている場合ではない。相手の目的も、私の目的も、同じところにあって。生きる動機も、実に同じところにあって。力を合わせて効果をあげること。その利益を生むために、出会っている両者であるということ。原点に帰らせられた。相手の立場や事情を理解しよう。相手を認め、肯定しよう。そして、自分の正直な気持ちも受け留めてあげたい。あなたをも認めてあげ、肯定してあげたい。自分の出来ることをしよう。自分は何を持って世の中に貢献できるのか。と、自己カウンセリングしてみる。「人を動かす」を繰り返し読み込むと、魔法がかかり、泣けてきた。内容は、ビジネスにおける人間関係の中で、困ったお客(霊)の心を、原理的話法と自分の心を変えることで、ひっくり返してしまう(屈服させる)、おとなしくさせてしまう。困った悪霊を善霊に変えてしまうと話だなと思った。(ほめる。名前を覚える、呼ぶ。認める。重要感を与える。相手に関心をもつ)などの実践の仕方など。これらは、困った客が来たときのためのマニュアルではなく、(本来は神様をもてなす心得というべきものではないか)という思いがきた。そう思ったら涙が出てきた。
2007年03月27日
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「おめでとうございます」晴れやかな声と響きとを、本日は何回も耳にすることとなった。十日前、ただ一つだけ受けた会社面接試験の内定通知を受けた日。晴れて一週間後には正社員として入社式に参列することとなった。好運気を実感している。働きたくてたまらなかった。体を動かしたかった。適度なストレスも恋しくなっていた。この十日間、心も体も塞がってしまったかのように、むずかしい気持ちを通過していた。もし、拒絶されたら。もし、振られたら。立ち直れるかな?最悪の結果を想定して、励ますシナリオも考えていた。が、どうしても、そこの会社で働いてみたい気持ち、そこの会社の仲間になって動いてみたい願望も膨らんで強まってもいた。とても堅い会社で、神経質そうでもあり、こむずかしそうでもあり、けど、そういうところも気に入っていた。とにかくよかった。がんじがらめの心と体が釈放された。ふわっと解けた。私は思った。人は、こんなにも、人に認められたい存在である。その存在の重要感を持たれたいという欲求がある。大事に扱われたいという欲求がある。希望の会社、人から評価されることで、こんなにも元気になる生き物である。昨日の睡眠時間は足りなめなのに、内定報告を受けてから、沈んだ細胞がたちまち元気を回復してみせた。自尊心を傷つけられずに済んだわけである。期待されている。この人ならやってくれると、面接官に予感を与えた。その人の心を捉えることに成功したのだ。このブログで本に関する記事をたくさん書いたことが、面接試験の助けになった。もし、本をまるきり読まず、話すネタがなかったら、あの空間をどう埋めることができたか。と思えば、この場で時間を過ごした日々がありがたく思えた。私の中には、語りたくなる言葉が豊富に準備されていた。今後もスピーチの準備は整えておこう。今日、「人を動かす」を読んでいて、「人と議論してはならない」というテーマがあった。心の中で、人の言葉を受けて、議論を戦わせたい思いに駆られていた。ここ、2週間のこと。それは違うのではないですか?相手に不満を訴え、指摘したくなる欲求がたえず沸いてきて、心が殺伐とした。議論を戦わせ、勝ったところでなんにもならない。双方の目的から、ずれてしまっている。私の考えもよし。相手方の考えもよし。肯定しようではないか。Rちゃんから電話がかかってきた。精神科のお薬を飲みながら、うまく調整してるとのこと。そういう人はまわりにいっぱいいるという。眠れないと言っていた知人の気持ちを、そういう状況になってみて、今、理解すると言う。Rちゃんについている高級守護霊さんらしき人は、とても厳しく、もっと頑張れないのかと喝を入れてくるという。苦しくなるという。負債な気持ち。私って、だめだわという気持ち。あたしは言った。「Rちゃん、Rちゃんは、今の状態で、それでいいから。いいんだってば。後ろの厳しい行者さんは、その人の在り方で、いいんだってば。」「両方とも、それでいいのさ。肯定してあげよう。今のままでいいんだって」Rちゃん、「そう言って頂くと、うれしい。わかってもらえて」・・先日、私をカウンセリングした担任先生の受け売りだ。ハタと気づいた。あたしの心の中の2週間の葛藤が解けた。あたしが言い返したいと思っていた人の言葉、やり方・・ああ、その人はその人で、いいんだ。で、あたしは、あたしで、精一杯だ。結論を急ぐな。まだ、相手のことを、ほんの少ししか知らないのに、結論をくだすのは早すぎるというものではないか。バカだな、あたし。相手の立場に立って、相手の事情を考えてみよう。きっと、私には、わからない苦労があり、事情があり、涙があるのだ。その人の生きる中心的テーマをみる時、どうしてその人をやり込めることができようか。私は、どちらも傷つかない方法にたどりついた。また、違った角度から、その人(熊さん)を研究してみよう。そして、皆が繁栄する方法を見出していこう。道が開けていきそうだ。デール・カーネギーさん、あなたと、きっと親しくなれる。私は2年前より、もっと、あなたを理解しはじめた。このノウハウを新しい職場で、絶対に実践するんだ。そして、ここを報告の場にするのだ。もうすぐ、深夜12時になります。私の、とっておきの天徳の日:【己】が静かに終わろうとしています。今日は、いろいろな面で、この良き日を活用できました。今日はいい風が吹いた。部屋の掃除も、開け放しと、水撒きで、おはらいがよくできた。日中、こんなふうに、部屋の浄化をよくすれば、夜の時間は落ちついて、いい空気の中で、良い思考が出来るのだな。家の掃除は簡単だ。まず、洗濯物を仕上げよ。で、一区切り。布団干し、掃除機、開け放し、水撒き。布団入れ、仕上がった洗濯ものを畳む。なんて簡単なのだ。◆◆◆「脳内革命」( 著・春山茂雄)p45~51抜粋◆◆◆マズロー博士の五段階説と脳のはたらき・・人間の基本欲求は段階的に高まっていく(マズローの欲求的段階説)。その欲求はちょうど階段を一段一段登るように、低次元から高次元へと段階的に登っていきます。1、生理的欲求性欲、食欲、睡眠欲・・本能とか欲望。生命を支えるために絶対に満たされなければならないもの。この欲求の出所は爬虫類脳と考えられます。2、安全の欲求空腹の時は恥も外聞もなく食物を求め、そのために危険をおかしても平気ですが、それが満たされると今度は自分の安全ということを考えるようになります。3、所属と愛の欲求第一、第二の欲求が満たされると、その次に出てくるのは自分をなんらかのかたちで社会の一員として存在させたいという欲求です。社会帰属の欲求。対象を必要とする愛する行為もこの中に含まれます。空腹も満たされ、安全も保障され、社会の一員として集団に属することもできた。しかし、人間はここまでの段階ではけっして満足しないとマズロー博士はいいます。4、承認の欲求これは一般的に自尊心と他者からの承認の欲求といわれるものです。自分が人よりすぐれていることへの自信、能力への確信、達成の実績、自立の確認、こういったものによって自尊心を満足させたいという欲求と、そういったことを他者からも認めてもらいたいという欲求です。他者から認められた証として、表彰、名声、地位、評判などがこの欲求の具体的な内容になってきます。人間はただ社会的集団に帰属するだけでは満足しない。帰属すればしたで必ず自分が他人から承認されることを望むというのです。それでも人間はまだ満足しない。5、自己実現の欲求第四の欲求まで達した人間は次に「なれる可能性のある最高の存在になりたいという願望をもつ」(マズロー博士)これは神の世界にも通じる心境といえます。孔子のいうところの「七十にして心の欲するところに従い、矩(のり)をこえず」の世界でしょう。すなわち、他人と自分の間に境がなく、心の命ずるままに行動して、気がついてみたら、世のため人のための行ないになっている。そのような理想郷の世界ではないでしょうか。「自己実現の欲求」までの五つの欲求が、人間のもつ基本的欲求であるとマズローはいう。この説が「欲求段階説」と呼ばれるのは、これらの欲求が第一をクリアして第二へ、第二をクリアして第三へと、必ず前の欲求があるていど満たされたあとに次の欲求が生じるとマズローがいっているからです。この説は人間の基本的な欲求を脳生理の側面から理解するうえでまことに当を得ているといえます。
2007年03月26日
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(前ページからの続き)『只今、午前四時です。書いた時間は、午前三時半(寅の一刻)~四時の間です』と私の内なる秘書が言う。午前三時半という時間帯は、一日の内で最も波動の高い時間帯です。いつも、このくらいの時間に書く文は、いい文が書けています。心が澄んでくる時間帯です。その時間から朝型に向けて書く文は、人に希望を与えるそうです。■【朝書く】と言われているのは、詩人の坂村真民(しんみん)さんです。そのような生活をされて、2006年12月に96歳で霊界へ。こんな詩が人々に愛されています。 【念ずれば花ひらく】 念ずれば 花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった坂村真民さんは早朝に書かれた詩などを手紙にして、多くの人々に送って晩年を生きた方です。私は手紙を両親宛てに送れるなんて、何という幸せなものでしょうか。■テーマは「相手に関心を寄せる」・・話をカーネギーの「人を動かす」の話に戻します。おさらい。まずは、相手を理解するようつとめてみる。自分の要求は、後回しでよい。コレってまずは、家族関係に応用したいと思います。縦の関係である<親子>にもOKです。横の関係である<夫婦>にもOKです。私は生活を共にする厚臣さんに対して、おおいに活用してみたい。厚臣さんとの関係、夫との関係をうまくすれば、きっと他の事もうまくいきそうだ。厚臣さんの心を動かせたら、他の人の心も動かせそうだ。 「あっ!」と時計をみる。『オールイン』が始まる時間ではないか。(これは2005年4月の日記を編集したものです)「お母さんはね、イ・ビョンホンが好き。『オールイン』で好きになった。」と、以前電話で母が言ってたっけ。母はどういうところがイイと思ったのかな?第一回目を見逃してはならない。そうそう、さっそく実践の場が用意されたようだ。母の好きなことに関心を向ける。数時間後、見終えた感想は?「母の言うとおりだ。これから面白い展開になりそうだ」【追記】:全部見終えた後の「オールイン」の感想は、(愛する人と、倹(つま)しい生活でいいから、ただ一緒に暮らしたいだけの望み。ただ一緒に生きていきたいだけが望みなのに。ただそれだけなのに、それが何とむずかしいことであるのか)という主人公の心の世界に涙した。韓国ドラマを見たとき、自分を彼ら主人公たちと比較してみた時に、(何て自分は幸せなのだろう)と思わせてくれる。韓ドラは観客を幸せにする。何が一番幸せかっていうと、好きになってくれた人が、「たった一人だけ」ということです。もし、二人の人に好かれたら大変やっかいです。あまり美人過ぎたら困ります。だから、よかったあー。ただ一人だけの人と巡り会えて、私は本当に幸せなんです。 ■「人を動かす」・・次のテーマは『ほめる』です。(先ほどの日記の続きです)ねぇ、知ってる?桜って人間に向かって咲いているんだよね。・・「押し花」が共通の趣味で親しくなったお友達:カヨさんと、仕事帰り、「満開の桜、今日が見納めだね」と、見てまわったの。その時に「あっ!ほんとうだ」っておもったの。<桜は人間に向かって咲いている>って本で読んだことがある。本当に私に向かって咲いているようだった。「ねえ、ワタシ、きれい?かわいい?キラキラリン♪」というふうに、桜の妖精さんが私に向けて、語りかけた。「桜」・・(万物の創り主は神様だから、神様が人間を喜ばすために、この「桜」もデザインされたのだろうなあ)「桜」・・世界中の多くの人々の心を掴(つか)んでいるだろうと思われるこの作品。そのように、ヒットしているということは、神様もひときわ丹念に、情熱込めて、この「桜」をお造りになられたのに違いないね。つまり、創り主は、誰だって自分が創った物を、「きれいだね」「カッコイイね」「よくできてるね」って言われたいしね。(人間も同じですよね。お母さんが「おたくのお嬢さん、キレイねって人から言われると、親はうれしい」賛美されたい欲求、その存在を認めて欲しいっていう欲求は、人間の本性だしね。それは、人間の創り主の神様の本性から来ているものなのだよね。桜の木は、日本の国を象徴する木でもあるしね。そっかー、日本という国は神様から愛され祝福された国なのだね。毎年、春先には「桜」「さくら」と名のつく歌が流行する。ヒットメーカーはとっくに、このカラクリを計算済みだ。神様の親心と情緒をほろりとさせるものを作れば、成功するということを。こういう私も、神様の関心を惹きたくて、チャンスがあれば何でも神様を引き合いに出して、賛美しまくりで、神様をくすぐったり笑わかし合戦を繰り広げてしまう。そう、それは、一種の癖である。家にいると、夫・厚臣さんを賛美しまくる。もともとは母が、それをやっていた。父に対して、「お父さん、お父さん」ホイホイホイと持ち上げまくる。私は母からそれを受け継いだ。「ほめる」というのは口ずさむ歌のように出てくる。私の場合は、母よりもっと超越している。この子の口から出てくる言葉は「賛美・それだけマシーン」・・マイナス要素には、いっさい無反応。ひたすら、ご主人様をくすぐる言葉だけに、興味と関心を示すキャラに出来あがっているとキテル。かなり、なついている「仔犬」に近いといえる。(笑)(本の中でも、仔犬の喩え話が数回出てくる。主人に関心をもち、なついてくる仔犬は可愛がられます)それは、単に、自分もそうされたい!(関心を持たれたい、ほめられたい)ということを、しているだけなんだけど。持ち上げられたい、くすぐられたい、愛されたい。そう、子供時代は親に愛され、大人になってからは、その時々の自分を取り巻く人々に愛され、結婚したら夫・厚臣さんが360度の愛をくれた。<親の愛・夫の愛・兄弟の愛・親友の愛>・・愛という愛を、くれ続けてきた方。私にとっては、神様と、厚臣さんは、どういう違いがあるというのか。私にとって神様とは?厚臣さん、そのもの。厚臣さんとは?神様そのものなんだ。厚臣さんは、いつも私に向かって存在しているんだよね。私だってそう、「桜」と同じようにね。(終) ◇ ◇ ◇上の日記は二年前に書いたものなのですが、少々照れます。けれど、今も同じことを思うのです私。父を好きな娘は、結婚しても夫と仲良しでいられる。また逆も有りなのだそうです。「家系を科学する」という本に書いてありました。父親が娘にプレゼントする最高のものは何かというと、「奥さんを大切にすること」だと書かれていました。お父さんはお母さんの面倒をみていらっしゃる。すごいなあ。女性からしたら理想の男性像です。掃除、洗濯、食事、買い物、お父さんに全部してもらえるお母さんは、何て幸せなんでしょう。お母さんは、夫運のある方です。「建禄」(けんろく)という星を持っています。私も同じくその星を持っています。夫を支える、夫運の良さを意味します。「オールイン」の私が一番感動した世界です。質素な生活でよい。他のものは要らない。ただ好きな人と一緒に暮らしたい。ただそれだけが望みである。どんなボロ屋でもかまわない。その人と一緒にいられるなら。それが一番の幸せ、望み。その相手の人が、自分に関心を寄せてくれ、ほめてくれ、かけがいのない重要な存在だってことを認めてくれたら、天にも登るような幸福感に満たされます。お父さんが、お母さんに良くしてくれるため、私も厚臣さんに良くしてもらえるのだと思います。お母さんが言っていました。「お父さんとお母さんが一番愛し合っている時に生まれたんだよ」って。「だから、あなたは優しくていい子なんだ」って。お父さんお母さんありがとうございます。
2007年03月26日
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■【今、読んでいる本の紹介】・・非常に有名な本です。この本では人との関係について、≪こうしたら人間関係が円滑にいきます≫という方法論が書かれています。ビジネスに関する、事実あった話が多く紹介されていますが、まずは家族の間で実践してみて欲しいと著者は語っています。その中の項目≪関心をよせる≫という見だしがあります。(今回のお彼岸が終わってからの教訓でもありますね)二年前の今頃に、初めて読んだのですが、今、二回目を精読(せいどく・・細かい所まで注意してよく読むこと)以前は電車の中でサラサラと読み流していました。今日は、二年前の日記から紹介します。 ◆◆◆「人を動かす」(著/デール・カーネギー)を読んで◆◆◆ある人が言いました。「『人を動かす』その本を読んだら、絶対いいよ。営業マンが家に訪ねてきたら、必ず読むよう薦める」というのです。そういえば「家にあるな」と気づき、読み始めたというわけです。(厚臣さんが買った本で、私は一度も開いたことなしでした。)この本は、親子・夫婦・兄弟姉妹・友達・職場の人々、その他関わり合う全ての人とのつながりを、楽しくさせる秘訣が詰まっている。キラッとした笑顔を生み出させる予感を、60ページくらいまで読んで感じさせてくれた。一回サラッと読んで、流してしまったらいけない本なんですね。(もったいない、それじゃあ意味がない)同じ所を二度読むように、とも書いています。少しづつ読んで、ちょっとづつ実践してみる。仕事で家を出ると、一日に色々な人達と関わりを持って、時を過ごしているわけです。仕事中、毎日がセミナーみたいって思ったのは、一回二回じゃない。稼ぎながら、有意義なセミナーに参加してるという一石二鳥。 この本をテキストにすれば、もっと高性能なセミナーを展開することができるはず、と直感する。日記にも、おのずと活かされるだろうし。仕事で全国トップを狙えるのは言うまでもない(?)・・ともあれ、企業にあって収益型人間でありたいのだし、《自信》と《誇り》という給料をも受け取りたいのですから。テーマは「人を喜ばす・人の心を満たしてあげることだけを考える」そのためには「相手に関心を持って、その人の気持ちになって理解しようとする」純粋にそれを試みる時、自分の事は後回しになっている。さらには自分を忘れている。そんな人は、人に好かれるに決まっている。今日読んだページは、《相手に関心を寄せ、相手を理解するようつとめてみる。》自分の要求は後回しにして。つまり相手を喜ばせることを考えればよいというわけ。相手の心が喜び満足すれば、「それじゃあ、せっかくだから、あなたの要求にも応えてあげようか」という心が出てくる。心が「無」になっている状態。それが、「コツ」だろうか?(そっかー、「無」の心に神様が働くんだー)・・んん?もしかして、人の心には、神様が住んでるってこと?いつもは、知らんぷりの寝た振りで、目をつむっているけど、人が「いい心」を寄せてきた時だけ、パカッと目を開けられる。「おいおい話、聞いてあげたら?」と口添えしてくださる。「まあ、あなた様がそうおっしゃるのでしたら、聞いてみますか」と、人は心の中で暗黙のうちに、瞬時にそのようなやりとりをしていて、「それで、何?」と、タイミング良く、聞く耳が用意され、相手に応じようとする。!わかった。自分の《主人》は、いつもは寝た振りの神様なんだよ。そうそう、代表取締役の社長さまが自分の中に、知らないふりして住んでいらっしゃるんだよ。で、自分本人は、それに従う《担当者》なのだよ。まあ、専務としておこうか。ん?専務といえば、ご子息さまが一般的に多い。あるいは専務の立場が、奥さまだったりする。つまりは、神様とは家族の関係であって、<親と子>もしくは<夫と妻>か。これは面白い!こんな発想は初めてです。たった今、一瞬の思いつきと、ヒラメキ。この喩えは、なかなかイケテマス。このインスピレーションを受けたのは何時?(つづき)
2007年03月26日
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■【十日に一度の日は、何を目安にしているか?】・・お父さんお母さん、十日に一度の手紙の日がやってきました。干支の暦で【己】(つちのと)という日が、私が目安にしている十日に一度の日なのです。その日は、私にとって天徳の日で、良い日なのです。一番私を強力に守ってくれる守護霊さんが活躍する日とでもいいましょうか。また、【己】(つちのと)は読み方のごとく、(土)を顕わします。(土)とは私にとってお父さんを象徴する日でもあるのです。(土)から(金)は生み出されます。私は(土)から生み出された(金)の人なのです。(土)は親のように、子である(金)を助けてくれます。だから、私はなぜだか昔から、お父さんのことが好きでした。(私がお父さんになついているのを知っていましたか?)品格のある存在として何かしら誇らしい存在だったのです。それは、子供の頃から抱いていた思いです。今日がその【己】(つちのと)の日ですが、この日は私にとって「書く」意味をも持つ星で、そのため、いつも投函する朝の、前の時間に書いているわけなんです。いつしか私にとって十日に一度のこの日は、かなり楽しみな日になっています。親の家に帰ったという感じ。親子水入らずで、こたつに入ってお茶を飲んで、お菓子を食べ、おしゃべりしている映像を思い浮かべつつ。(干支(かんし)の話は、細木数子さんの師匠でもある安岡正篤さんが詳しい本などを書いています。私は四柱推命の本で読み勉強しました)■【春のお彼岸が終わりました】・・ところで、春のお彼岸1週間(3月18日から3月24日)が終わったのですが、お父さんお母さん体調の変化はみられなかったでしょうか?私は体がとても重くて鉛のように動かなかったのですが、どうしたことでしょうか?お母さんは、敏感に感じていませんか?確かに気温の変化もありますね。今年、ウチでは灯油缶を二つ買ったきりです。まだ、いっぱい残っています。通常、書く部屋では湯たんぽ(大正の頃の型)と毛布でくるんで書いていますが、湯たんぽもあまり使いませんでした。≪春のお彼岸とは「春分の日」3月21日を挟んだ前後3日間、計7日間を総称したもの≫とのことです。「彼岸の明け(最終日)には、あんころ餅を食べるんだよ」と、厚臣さんがあんころ餅を最終日に買ってきて、お供えした後に頂きました。(へえ、厚臣さんの方が習わしなどよく知っているのだなあ)・・これまで私自身、そういうことを意識して良く出来ませんでした。(昔からのしきたり等)この期間、本を開いてようやく知り得たという感じで。けれども、スーパーでは色々なものが良く売れて、安くもないようなので、巷(ちまた)の人々は、お彼岸をキチンと準備されているのだなあと思います。■【お彼岸の期間、体が重かったのです】・・どうして、こういうことを書くかというと、この一週間、あまりにも体が重かったからです。家事も思うように上手くいかず、睡眠時間も長かった、先祖さんらしき人たちの夢も多くみた、食も乱れた、気持ちも下降気味だったりで。(お彼岸の時は、先祖さんのことによく関心をはらって、お供え物など、いろいろなことに気持ちを表わしてくれないかな)先祖さん方に、戒められた感じがしています。ちょっとお叱りを受けたような気がしています。 お彼岸が終わって、縛られていたものから、解放されたような感じで今います。次のお彼岸は、秋分の日を挟んだ前後3日間なので、次は前日から準備がちゃんとできますように。やはり先祖代々受け継いできたしきたりごとなどは、おろそかにできないものだなと思ったのです。
2007年03月26日
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【母への手紙】お母さん、おじさんの年賀状(「おふくろを大事に/小生も八五才となりました」)に返信の葉書を送りました。お母さんと13歳も離れているんだなあと思いました。おじさんが元気なうちに一度お会いしてみたいなあという気持ちが最近おこりはじめました。おじさんの誕生日っていつなんでしょう。オーラの泉で小池栄子がゲストで出演した時、調べてみたら、フサさんと似たタイプでした。「大奥」ドラマは小池さんの昔のドラマそのもの、そのまんまと江原さんが言ってました。小池さんとフサさんは似てますか?いつか聞きたいと思っていました。【注釈】(私が親元にいた18年間、叔父夫婦と義理の妹である母は不仲にあり、一度も叔父とは対面したことはない。帰省した時、電話帳で見つけて住所を控え、ある時期から年賀状を私の方から書くようになった。最近、年賀状は数年、誰にも書いていないのですが、叔父からは必ず来るため、今年も一月末、ようやく返事を書いた。話題は、去年も今年も祖母フサさんのこと) ◆◆◆里村叔父への葉書(2007/1/28(日)早朝)◆◆◆■おじさん、おばさんこんにちは。ごあいさつがいつもこのような時期になってしまうことをお許し下さい。おばあちゃんのフサさんの命日が確か2月だったような、と思っていましたら、10年前に自分で調べて、手書きで書いた家系図が、今朝片付けていたら出てきました。2月11日夕方5時過ぎに霊界に旅立たれたのですね。さっき、カレンダーのその日にマルをつけました。なんと、満56歳という若さだったようです。(若いですよね)以前、父から聞いた時、病気のデパートのような方という表現をしていましたので、さぞ精神的にも気苦労が多かったのではないかと察します。その家系図の紙を広げて、フサさんのところを見ていましたら、なみなみとそそがれたコーヒーのカップをたたみにジャーっとひっくり返してしまいました。「あっ!フサさんが来られている!」と思いまして、おじさんにそのことを伝えたくなったのです。(追記:もしや、私はカップに指を触れてなかったかもしれません。不思議で、ふしぎで)ふだんは忘れてしまっている先祖さんへの感謝の気持ちが、久々にふつふつわいてきているこの頃です。以前、とっても意識したのが10年前の今頃の冬でした。その時、先祖さんを思ってお経とかお供物をあげていたら、同じようなことがありました。(追記:●先に仏様に自分たちが食べるものをお供えすると、食べたいという欲が小さくなるみたいです)ジュータンの部屋でコーヒーをジャーっとまいてしまいました。そんなことが2、3度あって、「あっ、先祖さんだ」とやはり思いました。おじさん、私はなぜか、フサさんが好きみたいです。命日にはお経とお供物してみます。(終) ◇◇◇追記(2007/1/29/月)◇◇◇■お母さん、私の好物がコーヒーなのです。フサさんの好物は何だったのでしょうか。私が干し柿や、干し芋が好きだったりするので、それらは昔人(むかしびと)の方々の好物のようにも感じてきました。気づき・・「ジャーっとまいてしまう」その後、畳をタオルで拭きました。絨毯の時は、雑巾で念入に拭き取ったら絨毯がキレイになったので、こぼしたことが良いことのように、うれしく感じたりしました。通常、コーヒーカップを倒すということが、まず、ありえないことなのです。霊界からのメッセージと受け留めました。もう一つ、そのジャーっとこぼすというのが、まるで赤ん坊のお漏らしのようにも感じ取れました。霊界からのメッセージ、私に出来ることがあるのなら、霊界から教えて頂きたいと思います。お金は容易には準備できませんが、きっと、私にできることがあるんだと思います。どうぞ、お伝え下さい。霊界の方々への手紙になってしまいました。(終) ◆◆◆2月11日はフサさんの命日ですね◆◆◆■(2007/2/9)お母さん、お元気ですか?いつも心配させるようなことばかり言ってしまい、お母さんはどんなに私のことで気を揉んで来られたことでしょうか。もう、間もなく聖地巡礼の旅に行って参ります。これまでの過去の全ての罪をキレイに洗い流すために。ホコリがキレイにとれたら、さぞかし心はきもちよいことでしょう。そして、私が聖地巡礼に行くことをフサお祖母さんは、とても喜んで下さっているように感じます。抱っこもしたことのない孫なのにって、きっと、私のことを可愛らしく思って下さっていることでしょう。お母さん、これまで多くの苦労をおかけしたことをお詫びしたく思います。お母さん、こういう性格の私のことを、人とうまくやっていけないのじゃないかと、案ずる思いを持たれていたことでしょう。「頑固でわがままで、人の言うことをきかない」と、きっと言われますね。この十年、多くの人と仲たがいをしてきました。十年前はキモノの先生方によく仕えられませんでした。女性の方々と、ぶつかったことが多かったように思います。こういう私が、Nさんの母に、良く仕えられるでしょうか?そう、考えますと、お母さんと私との母子関係を良くしていきたい。強めていきたい。そういう気持ちを持ちます。親と仲良く出来ない人が、神様と仲良しになれるはずがありません。今日は、なんだか、お母さんに甘えたい気持ちです。2年前から書き始めた日記は(いつか、お母さん宛てに出せたら・・)と思った下書きのつもりでした。けど、それはなかなか実現しませんでした。「親」と言うと、お母さんがまず思い浮ぶ私でした。お父さんとは、あまり話をしたことがなかったので。どう話したらいいか、とっさに言葉が出てきません。けれど、お父さんが、私のことを案じてくれていることを知り、私は新たに父を得たような気持ちになりました。お祈りは、なかなか出来ない私ですが、ふつうの信仰者の方は祈る時、「天のお父様」とか「おとうさま」と、呼びかけるではありませんか。手紙の書き出しに「お父さん」と書き出すと、どんどん、言葉があとに続いて出てくるのですから、とても不思議ですね。それで、「お父さんへ」という書き出しで、手紙を送ることが実現し始めたのです。寂しく思わないで下さいね。時々はお母さん宛てに送ります。私のお姉さん役のY子さんに、「父に手紙を十日に一度書いてるんですよ」と言いましたら、「続かないとね」という言葉がポツリと返ってきました。(ガックリ)何でも長続きしないと思われているようです。それは正しくもあるため(そうだな)と思いました。けれども、あとで考えなおした時に、(あっ!大丈夫だ。あたし、続けられる!)と、思いたちました。二年間、書きためてきた原稿は、一つのタイトルにつき原稿用紙の文字数で、五枚から十枚くらいの原稿を、三百篇以上も作ったので、ネタには困りません。「感動したことを書き留めておこう」と途中から思うようになりました。(終)//////////
2007年03月24日
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春のお彼岸の最終日は土曜の休日、昼の部「芋たこなんきん」で目覚めました。出版社の編集者:北野さんと、町子先生の秘書:純子さん(いしだあゆみ)は互いに片思いを胸におさめて、これからもいいお友達でいくそうだ。北野さんが純子さんにいいお友達として報告。「僕、結婚します」「あらぁ、おめでとう」複雑な驚きと笑顔、女ごころ。北野さんよりとっても年が離れていると思われる純子さんの選択と生き方。今も現役の田辺聖子さんの秘書をおつとめになっている方がモデルになっている。興味しんしん。扮する(いしだあゆみ)さんも実に巧みな演技をなさる。若々しい北野さん役の俳優さんは誠実そうで、優しく溌剌としていて実直そうな好青年をいきいきと演じている。。純子さんの選択は正しかったようだ。父への手紙をUPしています。最初の話題は先祖さんの話だったりしてたんだな・・と、今読み返してみて思っている。お彼岸の時期にぴったりの話題を私が味わうため私が読み返す必要があったのだ。本日の目覚めは非常に良かった。それに体もかなり軽い。今、仏様にワゴンで水と炊き立てご飯を差し上げた。水はコップの他に、ボールとどんぶりにも入れてお供えした。 ◆◆◆ご先祖の徳力のお蔭で、災難から守られた話◆◆◆【父への手紙】(2007/1/30早朝)お父さんが、私の手紙を楽しみに待っていてくれるんじゃないかと思うと、書くのが生きがいのように楽しくなってきました。いったん気持ちが通い出すと、話したいことが、どんどん、泉のように沸いてきて、お父さんを驚かせたり、涙を誘わせてみたくなります。いつか、こうして手紙が書ける時がくればいいと、下書きで日記をつけるようになって二年になります。去年は「オーラの泉」を見た感想文をたくさん書きました。その中で私の出来事を紹介します。●(2006/7/1)日記より・・・「守護霊さんとは1500年代前後に実在した人物?!」「守護霊さんは、四百年前から七百年前の先祖であることが多い」守護霊さんの生きていた時代があきらかになった。「オーラの泉」で宮本亜門さんと江原さんの会話「心惹かれるイタリアの建築彫刻家がいて~」「いつの時代の人?」「中世の~(1500年代)」「あっ、その方が守護霊さんですね!」江原さんが言いました。 霊能者の下ヨシ子さんの本に「自分自身は七代前のご先祖様の魂と同じ可能性がある」という箇所があり。それが、守護霊さんとは書いていませんでしたが、関連があるのかな?と思いました。それで、思ったことは今、テレビで見る時代劇の時代が、ちょうどその年代にあたるということです。私が見ている中心的な番組は三つで、「オーラの泉」「チャングムの誓い」「功名が辻」です。そういうことを意識してみると、もっと時代劇の中に入り込めるかと思いました。また、そこから、受け取るメッセージや教訓を、もっと鋭く感じ取ることができそうな気が。「ギン!」窓の所で、音がしました。ああ!・・「そうだよ」っていうメッセージ?(部屋で起こる音とは「ラップ現象」といわれてるようです) 事故で、九死に一生を得たという宮本亜門さんは、四柱推命的にみると、(月・傷官/年・偏官)の方です。ちなみに私は(月・偏官/年・傷官)と、似たような並びの命式なのです。 ◇◇1985年1月/22歳の時、交通事故で奇跡的に助かりました◇◇私も、交通事故で奇蹟的に助かってます。救急車で病院に運ばれた時、医者が即座に言いました。「奇蹟だ!」と。オートバイがぶつかってきて宙高く舞い、コンクリート地面に叩き付けられました。普通なら植物人間で寝たきりになっていたと言われました。それが三日の入院、四十日の通院で回復。二十二歳の時でした。オートバイに乗っていた人は、同じくらいの年の男性で、「町に靴を買いに行ったところ、いいのが見つからず、むしゃくしゃしていてスピードをあげていた」とのこと。左足の骨折だけで済んだのです。それも軽かったと思います。(が、足をとられるとはいいことではありませんね)病院では折れた足を固定するために石膏で固めるくらいのものでした。オートバイの人がお父さんと一緒に見舞いにきました。そのこわばった泣きそうな表情、申し訳なさそうな辛そうな顔を見て、気の毒に思った私は「初めてなんですが、入院もわるくないですね」などと明るく言ったりしました。人を気遣う余裕を見せ、ニコニコ振る舞ったりしたのです。たいしたことがなかったので、親には連絡しませんでした。心配をかけたくなかったので。そして、その後、忙しさの中にまぎれ、後から話すのも忘れていました。今、改めて感謝の気持ちを深くします。助けて下さったご先祖様、守護霊さんに。【追記】事故というのも、前から予定されてたのかと今、振り返ります。それから二十年程が過ぎた頃、あの時期「事故注意」という内容を四柱推命の資料で見つけました。物事は何となく起こるのではなく、用意されたものが、起こるべきしておこっている・・今、しみじみ噛み締めます。「偶然は無く全ては必然」なのだということ。なぜ、今こういうことをお父さんに伝えたかったのでしょうか。ちょうど今頃の時期、1月の末の出来事だったのです。暦をよく見ますと、その年は天徳貴人の年回りでした。≪天徳とは、ご先祖の徳力のお蔭で、全ての危険や災難を除くことができ幸いをもたらす≫と、書いてあります。奇跡の理由・・お父さん、私はお兄さんのお蔭で助けられたんです。今、お兄さんに対する感謝の気持ちが、初めて生まれました。 ◇◇奇跡の理由・・兄がくれた大型リュックが頭と腰をすっぽり守った◇◇なぜかといいますと、事故の前、まだ独身だった兄のアパートに掃除に行きました。スキー用のものらしい大型リュックを見つけて、コレいいな、とおもい「ちょうだい?」「いいよ」ともらってきたのです。事故当時、私はそのリュックを背負っていました。しかも、中には、なぜかクッションになるような柔らかいものが沢山入っていたのです。今思えば、そのリュックがあまりにも大きかったのだと思います。そのおかげで、頭と腰がすっぽりと守られたのですから。また、前日と当日、靴を片方だけ無くすという、いつも起こらない出来事がありました。予告されるようなシグナルがあったわけです。「ビン!」霊界の音が、また窓際で。(やっとわかってくれたか、おまえ。渾身の力でおまえを助けたのだぞお)という霊界からの言葉が伝わってくるようです。あの時の難を逃れることが出来たので、今の私が生きています。人はもっとご先祖さんや、守護霊さんとかのことを知って、親密になり一体となるべきですね。私は何をなすべき使命があるのか、しつこく質問し聞き、話し合う必要があるように思われます。 【追記】お父さん、今、こういうことをお父さんに報告できてうれしいです。親元を離れてから、お父さんもお母さんも、子供たちのことを心配されたと思います。けれども、成長する子供の行動範囲はどんどん広くなり、助けたい親の手には届かないのです。けれどもちゃんと親の化身のように神様、ご先祖、守護霊さんが守り導いて下さっているということですね。 お父さんも、お母さんも、その方々に頭を下げてお礼を言って下されば、サポートしている方々も働きがいがあるかもしれません。実は死にそうになったことは、一回や二回ではないのです。口の重い私は、何も報告しないで来てしまいました。お父さん、これから少しずつ、親の知らないところで、どんなに人様から助けられたか、お話していければと思います。(終)///////////
2007年03月24日
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「人間のもつ性情のうちで最も強いものは、他人に認められることを渇望する気持ちである」(心理学者ウィリアム・ジェームズ)父母への手紙の中で、「人を動かす」(著/デール・カーネギー)の研修を実践できたらいいな・・今、ふっと思いました。人の本質的欲求≪重要感を持たせる≫・・父母にそのような接待をしたならば、どうなるであろうか。信徒よりあがめられる神様のように、子供から尊敬され慕い求められる接待を受けたなら?父母は、本当に神様のように崇高な魂に引き上がっていき、どんどん魂のレベルが上がっていき、神様らしく振る舞おうとするのではないか。そうなることと共に、≪神様の愛≫らしい愛を、子供に注ぐようになるのではないか。(なんて素晴らしい空想なんでしょう)そのように、ご先祖様を接待したなら、どうなるでしょうか?より良い人になろうとするのではないでしょうか。「人を動かす」に出てくる実際の例題は、苦情を訴え困らせるお客が、まるで悪霊と呼ばれて皆に嫌われている人のようです。人を動かす原理を実践していけば、グレた悪霊(お客)が、たちまち神様の愛に包まれて、いい人になってしまうという話なのです。先程、私は体を動かして、具体的な清掃と食物の接待を頑張ろうなどと、少し自身にプレッシャーを与えてみましたが、はやり体は動きませんでした。Nさん帰宅時間までやはり横になって睡眠中、夢に縛られました。食事はNさんが、協力を惜しまずサポートしてくれました。今、「オーラの泉」森公美子篇を思い出しました。幽霊に「お茶飲んでく?」に対して、「幽霊だもの、要らないよ」という会話。聖書の「マリアとマルタ」の話も思い出しました。食事の接待に追われて汗して頑張っているマルタより、イエス様のお話にただじっと傍にいて耳を傾けているマリアの信仰、心情を評価された。だから、私は、今の自分を肯定しようと思う。【お彼岸の接待】こうして書きながらでも、おいでになっている皆さんに対して気持ちを注ぐことはできます。「重要感をもち」「誠実な関心をよせ」「笑顔を忘れず」「聞き手にまわる」そのような気持ちで過ごすことに致しましょう。ここまで書いてきて、すっかり気持ちがラクになってきました。≪わたしらは、おまえの味方だよ≫・・ありがとう、おばあちゃん。 ◇ ◇ ◇■【父への葉書】(2007/1/15/(月)朝*投函した葉書より)お父さん、おはようございます。今朝は美しい赤の朝焼けの東の空です。玄関のとびらを5分程開け放ち、西の窓を開け、深呼吸します。お線香に火をつけます。その一本のお線香が終わるまでの間、私はお経を口ずさみながら立ち働きます。圧力釜で玄米ご飯をたきます。白い布で仏さまの場所をきれいにふいて、お水を新しくします。床をパッパとふきます。顔、歯みがき、手を洗って、仏様の前に来てみたら、うわぁ、ろうそくの火が大きくなってる。ご先祖さま、喜んでいらっしゃるのじゃないかという気がしました。25分が過ぎた頃、お線香一本分が終わり、ご飯がたきあがりました。その圧力釜をコタツの中に入れて、ご飯がむれるのを待ちます。その間に、今、お父さんに葉書を書いています。うれしくて、うれしくて、うれしくて。(以下省略)■【父への手紙3】◆◆◆私の魂が葉書に乗って旅をしているよう(2007/1/16早朝)◆◆◆お父さん、朝書いた葉書を書き終わり、神様と仏さまにご飯を供えた後、葉書を持って家を出ました。近くの郵便局へ寄ろうと、いつもより少し早く家を出たのですが、なんと、学校に行く途中のセブンイレブンの前に赤いポストがあることに気づきました。それが、また、なんだかうれしくて。授業中は、うつらうつらして授業に集中できませんでした。ポストに投函した私の葉書が車に揺られて、今頃、どういう旅をしてお父さんのもとへ届けられるんだろうと思ったり。私の魂が、葉書に乗って、旅をしている気分になりました。あきらめていた聖地巡礼の旅、それを行けるようにして下さったのが、お父さんです。私がどれほどお父さんに感謝しているか、このことを思うと涙があふれて止らなくなるのです。今も、顔が蒸気して、やっと涙がおさまったところです。その聖地巡礼の旅に行ってきたという人から、どうだったか話を聞くようになりました。大井さんという友達ですが、「オーラの泉」の江原啓之さんのように、霊の存在が敏感にわかる人です。大井さんは、帰ってきてから感動が止らなく思いがあふれてくるので、毎日、書き留めていると言っていました。「親に対する気持ちが大きく変わった」とも言っていました。「長年の心のつかえが解けた」「ずっとついて離れなかった重荷から解放された」とも言っていました。大井さんは、ここ半年間、「もうこの世から消えてしまいたい」という思いが、ずっとあったと言っていた人です。「その思いは完全に消えてなくなった」と言われます。ふっつり、その思いは来なくなったと言います。「自分の中にいた苦しんでいた霊が解放された」それがわかると言います。大井さんの言葉を通して、霊界のことを、わかりやすく教えていただいているようです。彼女は私にとって霊界の通訳者です。【追記】≪大井さんの特徴は顔がお公家さんのようです。(私の顔もお公家顔かも?)言葉遣いが何故にこんなに丁寧?というほど美しい。家にはテレビを置いていない。もう3月の下旬ですが、今年に入ってまだ1回しか顔を合わせていません。時々思い出したように電話がかかってきます。謙虚、精神の純粋性、超越しているお人です≫ ◆◆◆書くことじたいが供養につながるのではないか◆◆◆何かといつも助けてくれる大井さんという友達。お父さん、私が、どれほど友達をつくれない性格であるか、ご存知でしょうか。わいわいしている人の輪の中に、協調性を持って入り込まない人。頑固なまでに入り込もうとしない。人と馴染もうとしない性格。この間も学校の忘年会(飲み会)は当然断りました。わいわい騒いだり、はしゃいだりすることは、ちっとも楽しくなく、昔っから、一度も楽しいと思ったことがない。お父さんもきっとそういう人かも?(お父さん、葉書では書き足らなく、もっといっぱい書きたく伝えたいので、封書にしたいと思うのですが、読んで頂けますか?)それで、ほんのわずかな友達というのは、よほど気の合った存在です。私はそれで幸せ満足です。大井さんの話を聞いて、「書くということじたいが、供養にもなるんじゃないか」と、閃(ひらめ)いたのです。思いをあらわした文面を書いて、送り届けるだけでも、霊界の人達と交信し会話することにつながるのじゃないかなって。私にとってお父さんは、アベ家の先祖さんの代表です。私の守護霊の方は、アベ家の7代前の男の先祖の方で行者さんのようです。去年秋のお彼岸の時に、お供え物とお経をあげて祈りました時に、そう浮んできたのです。 ◆◆◆十日に一度の手紙が続けられますように(2007/1/25/木)◆◆◆お父さん、十日ぶりにまた手紙を送ります。書きながら、手紙もまた、ご先祖さんへ捧げる供え物のように感じられます。これから、十日に一度お父さんに手紙を書くことを続けられたら、私はとても成長するような気がします。日々思っていることを書くことが出来たらいいなと思い描いていました。 お父さん、学校での授業を受けながら思いました。私はお父さんが大好きなんだなと。(お父さんに書くようになってから、Nさんにも毎日の心情報告を書くようになりました)お父さんは神様のようです。私に新たな力が生まれてくるようです。お母さん、いつも祈っていて下さりありがとうございます。(終)//////////
2007年03月23日
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「止まりさえしなければ、どんなにゆっくりでも進めばよい」(孔子)・・今日、この言葉を目にして「ありがとう」と言いたくなりました。体がテキパキ動かない。でも、ゆっくりでもいいんですね、家事。気がラクになりました。それと、今の期間はお彼岸の時で、皆さん、いらっしゃっている時だから、私の体を訪ねてきているのでしょうか。と思うと、また違った解釈が持て、解決策にあせることはありません。仕事など、どうでもいいから、今は皆さんのことを考えてさしあげるのが第一ではありませんか。そうでした。ズレていました私。十分なもてなしが出来なくてごめんなさい。ここ数日供えたものは<ぼた餅、桜餅、ヨモギ餅>など。お経をあげるところまで気合いまだ入らず。昼休み、「人を動かす」(著/デール・カーネギー)読んでいて、(こうしている場合じゃない。銀行関係もろもろ、ことを進めなければ)と本を閉じ立ち上がった。家に帰ってきてご飯食べ、今日のところは電話・FAXで用が済み、あとは又、その続きをちょこちょことやればよろしい。結局、早退して、この喫茶店で書いています。「人を動かす」・・泣けてきた。これは事業をやっている人たちの処世術ともいえる例題が多いのですが、人に対しての関わり方を学習できます。けれど、なんてこった・・これは、人と人との間柄だけのことじゃない。人が神様に対して気を配る、その方法をも説いているのじゃないか・・なんてだいそれたことを考えたわけさ。そしたら泣けてきた。赤線引っ張りながら、これは神様の気持ちだなって。神様は、人と同じことを思うだろうに。人の原型なんだから。≪賞賛を受ける立場、重要感ある存在、関心を持たれるべき存在、当然肯定されるべき受け入れられる存在であり≫それなのに、多くの場合、知らん振りだものね。人間、無視されるほど辛いものはないよね。神様、私この本もっと学習して神様をもてなすことのできる人元になります。なりたい。この気づき・・あたしが頂いたメッセージだよ。あたしは真摯に取り組むべきだよ。そう思ったらさ、霊界に行った人たちへの気配りっていうやつも同じじゃんかって、気持ち起こってきて。なのに、あたしときたら、やっぱり自分のことに関心はらってやんの。自分のことばっか。なんて人間ちっさいのか。やっぱ自分かよ。なさけなかです。お彼岸は明日までだ。まだ、今から気持ちを改めれば間に合うよ。まだ、待っていて下さってるって。昨日の晩、やっと仏さまのところ、簡単に布で拭いて、ご飯と水を供えて。最近、それらを運ぶのにワゴンなんて使っている。サササササと体が踊るように動かなくて。で、今、お手洗いで閃いたんだけど、最近朝夢見てる。ちょっと重い夢だ。ドラマのようにストーリー性があったり。親戚のタクおんちゃんが家に来た。クニジおじさんが夢の登場人物に悪く言われている。今朝も死人の油の話だったり。その人たちの体がどこでどのように扱われているか、壁に遮られていて誰にもわからないようになっているなど、かなり不気味な夢だった。昨日朝の夢は、汚い工場のようなところを自転車で走って通り抜けているあたし。薬局の前にきて、女性オーナーが「責任者の名前は?」などと聞く。それには答えず「運送です」なんて答えているあたし。女性オーナーが言う。「あなたは、そんなことをしている人じゃないでしょ。私と一緒に仕事をする人でしょ」などと白い顔で霊能者のような言い方をする。まわりに若い女性たちが集まってきた。ある人が「アベ姓・・といったら仏壇ね」と言ってみたり。私の下の名前を口ずさんで、(ああ、この名前だと、うんうん)などと言って、頷(うなず)いて見せたり。人々は皆、白い服を着て清楚な面立ち、白っぽいお化粧。乙女のかんじ。一人の人が「お久しぶりね」と懐かしそうな顔をした。んん、どこかで会ったような顔の人だな。けど、知らない人だ。この人たちは霊界の住人だったのかもしれない。≪「ビン!」≫と今、窓辺で霊界の音が響く。また、ネズミ、犬などの動物の肉の映像。「あたしはこういうのは食べないんだから」なんて拒絶している私。今日の夢で、袋に安い服を何点か入れている。それを妹らしき人にあげようとしている場面。その袋をワゴンに積んで、妖しい工場のような館に入っていこうとした。「こっちだよ」と手招きしている人がいる。やせてる妹なのに、LLサイズのもまぜちゃったよと気づいてる。まあ、それはLLサイズの人にあげることにして・・とか。その場面より、もっと前に、死人の油から再生されたという女性が現れた。体の大きさは幼稚園児くらい、後ろ姿はかわいらしい。が、顔は大人で顔つきは暗く辛そうな表現をわざわざ作っているともとれる。その人は何かを伝えるための案内人であり、一時的に作られた人のようで、形は人間だけど、人形のようでもある。昨日の夢は、ちょっと面白く、今朝の夢はちょっと重く感じた。ああ、そうそう。最近、私は体が重たく、妙に疲れている。それで、昨日も、Nさんが帰ってくるまで横になって寝ていた。Nさんに気づいた。起きた。その時、思ったこと。もし、「上司をお連れしたよ。悪いが接待の用意を頼むよ」という設定場面が突如起こったら・・そしてその時、私が疲れて辛い体の状態だったら、どんなに大変だろうかと。お彼岸・・それでも、上司を接待するように夫の顔を立てるため、ご先祖様の接待をするのが、こういう時なんじゃなかろうか。今は、仕事のことも、お金のことも、しばし忘れて。夫の親族のために仕えよ。今、ここまで書いて、このことを私にわからせたかったんだろうか。そんな気がしてきた。そうだね。今の自分の動きのペースであっても、ちょっと頑張ってみようかと思います。 ◇ ◇ ◇【追記】韓国で買った高麗人参石鹸、アカスリグッズ、韓国海苔に魅せられました。その地で食べた胡桃入りレーズンパン、ロールケーキ、今までで一番「おいしい」と思わせるほどのものが。やみつきになりました。食べれば食べるほどおいしいのです。私の味覚に魔法がかかったかと思われました。≪「ビン!」≫霊界の音。 ◇ ◇ ◇ 【父への手紙2】お父さん、私の祖先が「貴人に食を供える職」にあったと本で読みました(アベ姓の祖先は「天皇の料理番だった家系」らしい)がすぐにはピンときませんでした。けれども、今お父さんのことを考えていましたら、(ああ、そうなのかもしれないな)と思い始めています。(追記:父は現役の頃、パンやケーキをつくる人でした)去年の夏、大量の家のガラクタ捨てと、大掃除をしましたら、その後のお掃除が勢いづいて、とてもラクに体が動くようになりました。(追記:今また物が溜まってきて、断食で体重が減ってきたというのに体が少し重いと感じます)テレビと本で読んだ、松居一代さんの掃除法にも影響を受けました。さて、それが一段落した頃には、お盆の季節が近づいていました。ガラクタ捨てを終えてみて、(お盆の用意を今年はキチンとしてみよう)と、初めて思い立ちました。これまで、「お盆に先祖の霊が来られる」とは、多分、信じられなかったのです。けれども、部屋の空気が整然となってみますと、来られるのではないか!そんな気がしたのです。(追記:今またお彼岸の時です。ご先祖の霊を意識して、お掃除で家と心の粉塵を祓うことが出来ますように)十年前、一度だけお供え物に心を込めたということがありました。その時、(掃除をしてきれいにお供え物をすることは私の趣味のように楽しい)という思いが沸いたことがあったのです。掃除とお供え物の意味について考えてみました。 家に神の霊を降臨させるとか、先祖の霊や、高い精霊を招くとか、そのような意味があるのかもしれません。まずはお掃除。要らない物、余分な物をいったん捨てて空っぽにしてこそ、神からくる良いものは入りやすく、来やすくなるのではないでしょうか。次に食物のお供え。今、お部屋に気持ち良い気が充満しているように感じられます。 ◆◆◆高橋姓の原意は、神降臨のために高々と建てられたポールである◆◆◆■日本人十数万名字には、それぞれ秘められた歴史があり、その秘密の暗号を解くと、わからなかった祖先がハッキリと見えてくる。全国の墓地などの調査等を収集した膨大な研究資料が証す初めての祖先史は、一族のルーツの秘密を解明する。アベ氏は貴人に食を供える膳夫の役を受け持っていた。その職を引きついだのが、高橋姓。橋は水平の二点を結ぶことに多く使う。天と地を結ぶハシもある。高橋さんの原意は神降臨のために高々と建てられたポールなのである。(アベ姓と高橋姓は兄弟の間柄とも別なところで聞きました) いまも昔も、神様のことを柱という。もともとは、神を招くために建てた棒、この柱を建てる儀式が、祭りの中でもっともたいせつなのだ。庶民は、なにか願いごとがあると、すぐ柱を建てる。そして、そのもとには縄張りして聖地をつくり新屋をつくる。神の座所だ。こうしておいてからはじめて神を招く。膳というのは、天皇や神に食膳をささげる役職の人たち。天皇に食膳を供えることは絶対の信任のあるしるしである。≪『名字でここまでわかるおもしろ祖先史』(著・丹羽基二/日本家系図学会会長)より抜粋≫(終)//////////
2007年03月23日
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「人を動かす」(著/デール・カーネギー)を精読している。本の中の≪相手に関心を持つ。笑顔。人に重要感を与える。心から褒める≫などを感じさせる人がいた。20分程のカウンセリングだったか。その人はニコニコの温かい笑顔で、人の話に関心を持って聞く。そして、それらを一切否定せず、むずかしい顔もせず。「だいじょうぶ」「いいんじゃないの」「それもその人の人生ですから」と言った。その人の顔を見た時、(あっ!あたしだいじょうぶだ。できる)そんな気にさせてくれた。 ◇ ◇ ◇書いて書いて書きまくる。それが元気の源だから。心に言葉を充満させていてはいけない。すっきりさせなきゃ。ここは、聞いてくれるマスターがいる。全てを肯定してくれるマスター。「だいじょうぶですよ。いいんじゃないんですか。はい、それも、いいんじゃないんですか。ああ、それ、いいですね。それもその人の人生ですから。いいんですよ。もんだいありません」6ヶ月お世話になった学校の担任講師の言葉。60歳~65歳くらいのお父さんという感じのいつもニコニコしている先生で。この方の面談カウンセリングには参ったな。テストの点数には、さほど関心がないという風で。多少の失敗を目にしても「まあ、たいしたことありませんよ。だいじょうぶ」と笑顔。(ああ、だいじょうぶなのか。なーんだ。心配して損しちゃったあ)安心感を与える人。なんだか、昔のお坊さんのような、大きな宇宙をみている人のような。後日、その方のカウンセリング力、話法によって、非常なやる気を引き出されたことなどを伝え、その方の重要性を賞賛しに行った。心の内に深い感動が起こっているな・・そういう風が、その方のお顔に感じられた。「先生は、全てを肯定してくれました。そうしたら、なんだか、方向性が明確になってきて、父とも話せるようになったんですよ」父に電話をしたのは、先生のカウンセリングを受けた後、そんな気持ちが起きてきたのだった。その電話の後から、私の手紙道の開始が起こったのだから。父母との関係が円滑になったら、絶対人生うまくいく。あたしは、今、面接内定の連絡が来なくて、心が不安定だと言わんばかりだけど・・。あなたなら、どこに行っても、上手くやっていけるよ。あなたの身に起こることは全てベストなことだ。何の心配も要らない。あなたにとって、一番いい環境と仕事を神様がお考えになっていないわけがないだろう。そして、来月、あなたはどこかに所属して、どこかに向って道を歩いているだろう。そう、もうじっと座ってばかりの日々には飽き飽きしている。動きたくてしかたないのだ。(2007/3/23寅の一刻・丙辰)近頃BGMは韓国ポップスです。 ◇ ◇ ◇【手紙というお供えもの】父母宛ての手紙<A4用紙を3枚分、6ページ>には、ちゃんと二つ穴を開けて閉じれるようにして送っています。自分の手元に置く分の控えの6ページ分もファイルに閉じてあります。ですから印刷する時は、1回目、A4用紙6枚(6ページ分)を初め印刷します。それを仏様のテーブルに広げます。2回目は、順番をずらして、その裏6枚を印刷します。そうすると、相手方とこちら側の二つ分が出来上がります。要領を得てきました。また、こうすると、6ページ分を仏様(神仏を総称した私なりの呼び名ですが)に最初に供えることが出来るのです。神仏に言葉、祈りを供えているわけだな、(ふむふむ)と気づきます。これらのファイルをお茶を飲みながら、けっこう読み返しているのです。そうしながら、ジーンときたりして、(さて、親の膝元から立ち上げるか。さて、しごとにかかるか)という気になれるのです。お彼岸の後半ということで、Nさんにあんこのお供えものを頼みました。あんこは霊界で愛情を顕わすとある霊能者が言われましたが、そんな気がします。 ◇ ◇ ◇【気づきメモ】6ページという6数を目にして思ったこと。手紙道を始めたのは1月初めだったけど、1月後半、私は番号くじを引いたのだ。将来を暗示する番号くじ。その数が「6」番だった。それが暗示する意味とは?≪私は将来、カナダに行くことがあるだろう≫アフリカの暑いところだったらどうしようという不安をおさめて、「エイ!」と引いた。私は寒いところでこそ、霊性をコントロールできる人である。 ◇ ◇ ◇【心の窓を開く】(2007/3/17庚戌4:00日記/会社面接・翌朝)窓を開くことにした。換気。部屋は閉じっぱなしではいけない。毎日、窓を開けて換気する。空気の入れ替え。ドアを開けて出かけては帰ってくる。人は一人では成長できない。否定を2割覚悟して、1割神様のメッセージを届けてくれる人との出会いを求めてみよう。(そのうちコメントスペースの再オープン)またこの店に(ここのまっさらなスペースに)やってきました。独りごとを言える店、ヒヤシンスさんの喫茶店、またお店を営業しましょうよ。ところで今年まだヒヤシンスを花屋の店先で見かけていない。もう3月後半だというのに。ヒヤシンスの精霊さんをここに招待しなければ。今度、花屋を通ったら店員さんに聞いてみよう。店主の私はとってもリフレッシュされた。これまでの古い角質をすっかり落として、新生復活したよ。溢れんばかりの心情が湧き起こっている。それをキャッチできる人、場、って?・・!ここのカウンター(喫茶店のイメージ)に決めた。ここに立ち寄って、ひとやすみしながら、次の行動を起こすよ。私は書く人になりたいんだ。小学卒業の文集には「作家」と書いた。よくその人物を遡る時、小学卒業文集を持ち出すよね。意味があるんだなってある朝思った。12歳の時というのは最も霊性の純粋性が高められているから、良心基準も高くて敏感だ。その人の本質の底、その人の基本的素養。(もっと言えばどういう能力を持った霊人、先祖さんの影響を受けているのかが顕れる)そうだ。今だったら、喫茶店にノートパソコンを持って書く作業をする人がいるものね。そういう環境設定で、私は、心に降りてきた溢れてくるものを、文章に表面化させていこう。そうしながら生きていこう。これからずっと。そこからきっと心の部屋は整理されて、神様にお祈りする、高められた言葉が起こって来るかもしれないから。いいや、きっとそのようになるだろう。その為の下書き、自由ノートがここの場。きっと精霊スタッフさんが、ふっくら肌の笑顔で相手になってくれる。コーヒーのおかわりはいかがですか?とか言って。(大丈夫だいじょうぶ、それもいいんじゃない)(ああ、いいですね。それもその人の人生ですから、いいんですよ)などと相槌を打ってくれる。ありがとう、精霊スタッフの皆様。(今度お礼にお食事のもてなししなくてはね)◆◆元気を沸き起こすため≪「脳内革命」(著・春山茂雄)読書ノート≫何度も繰り返します◆◆ ■『(p24)自然界には麻薬のモルヒネがあります。このモルヒネは中毒の危険がありますが、脳内モルヒネにはその心配はまったくありません。しかもその効力は麻薬のモルヒネの五、六倍もあるのです。一部の人たちが法を犯し、廃人になる危険を知りながらも麻薬のモルヒネに走るのは、それが気持ちいいからです。でもそんな危ない橋を渡らなくても、神様は私たちに脳内モルヒネを与えてくださっている。※これは神様からの次のようなメッセージだと思うのです。「人生を愉快に生きなさい。愉快に生きればいつも若々しく健康で、病気にも無縁で長生きできますよ」―と。脳内モルヒネの存在は神様が正しく生きる人間にくれたごぼうびともいえます。■(p26~28)【マイナス発想はなぜ病気になるか】・・プラス発想とか肯定的思考「物事はよいほうに考えるとストレスがたまらない」「なんでも前向きに取り組んだほうが結果はよい」というほどの意味と理解。医学の世界でもいわれはじめた。 ※心と体はいつも対話している。「心で考えること」は、抽象的な観念などではなく、きちんと物質化されて「体に作用する」ということがわかってきた。人から何かいわれて「いやだな」と思うと、老化を早めたり発ガンを促進する物質が体内に発生する。 ※反対に「ありがたいな」と思うと、若さを保ち体を健康にする物質がつくられる。医学的にも私たちの体にはこういうメカニズムがはたらいているのです。したがって、なんでもプラス発想する人は病気に強い。「心のもち方」の差がひじょうに大きな意味をもっている。 心のもち方によって体内に生じる物質とは一般にホルモンといわれているもの。心のもち方に関係する主なホルモンとして、アドレナリン、ノルアドレナリン、エンケファリン、β-エンドルフィンなど。≪人は怒ったり緊張すると、脳内にノルアドレナリン≫が分泌されます。≪恐怖を感じたときはアドレナリン≫です。ホルモンとは細胞間の情報伝達物質のことで、脳の指令を細胞に伝えるものですから、怒りの情報が伝達されると、体はシャキっとして活動的になる。その意味では生きていくのに欠かせない物質なのですが、どういうわけかものすごい毒性もあるのです。つまり、いつも怒ったり強いストレスを感じていると、ノルアドレナリンの毒のせいで病気になり、老化も進み、早死にしてしまうのです。※一方、いつもニコニコして物事をよいほうへ、よいほうへととらえていると、脳内には脳細胞を活性化し体を元気づけるよいはたらきのホルモンが出てきます。これらのホルモンは若さを保ち、ガン細胞をやっつけ、人を楽しい気分にさせてくれます。 ※人生を楽しく健康に過ごし、生活習慣病にかからずに長生きしようと思うなら、このようなよいホルモンが出る生き方をすればよいのです。人を楽しくするこのホルモンが、私のいう脳内モルヒネです。 物質の構造式が麻薬のモルヒネによく似ているからそう名づけたのですが、麻薬のモルヒネは依存性や副作用の危険がありますが、脳内モルヒネのほうは、その心配がまったくありません。 人間に快感をもたらすホルモンは約二十種類ほど知られていますが、作用の仕方、強弱の差はあってもその薬理作用はほぼ同じなので、本書ではこのような快感ホルモンを総称して「脳内モルヒネ」とよぶことにします』(終)//////////
2007年03月22日
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「わっかいなあ!」という驚きの声、よほどうれしかったようです私。(ほおー!自信回復です)履歴書の写真と実物の写真を交互に見ながら、驚きのパフォーマンスをしてくれた面接官の支社長の言葉。「皆に若いって言われるでしょう?」フォロー役の女性支部長も優しく言ってくれる。就職面接会場での一場面。「いえいえ、とんでもありません」と手を振り言ったのだったか?いいや、私はこう言ったのだった。「そうですかあ!うれしいですぅー!」明るく笑顔で。実に全く誰にも言われません。「若い」・・だなんて。まあ、周囲に私の年齢を公表する機会はそうそうありませんが。それに、つい最近までひどい顔をしていましたし。あれぇ?あたしの顔、どこにいっちゃったんだあ?自分でも、どういう顔の人だったか、わからなくなっていました。久々に前日の美顔、当日の化粧で眉毛を整え、鏡にスマイル。ああ、懐かしの顔の復活だ。長い間、この顔はお休みしていたようです。懐かしい友と再会したような喜びです。顔の激変は旅行が転機でした。断食も解除しましたし。2月21日から高速バスで出発し、2月22日早朝フライト、23日、24日、25日と韓国に3泊しました。Nさんとの二人旅は北海道旅行以来6年振りです。旅のコーディネートはツアー・チケットに頼らず、一から私が組み立てました。ソウルの移動は地下鉄と路線バスを使い、初体験でしたが計画通りに成功しました。帰国後、二人は高熱を出し倒れました。ここからは友人カヨさんに宛てた手紙で報告します。 ◇ ◇ ◇■『インフルエンザ、みごとに(?)克服しました。7年ぶりの高熱でした。関節にきて、持病の腰痛にきたりして、トイレに行くのも、やっと決意してという状態だったり。1週間休みました。7年ぶりに寝込んだわけです。熱が普通に戻ってからは、なんと、カヨさんが、この時期、必ず心配してくれる花粉症状態です。が、寝込んでいた状態からしたら、花粉症など、なんでもありません。 花粉症の克服法・・ちょっとわかりかけてきました。まず、外出先から家に戻ってきたら、お風呂かシャワーを浴びて、汚れと花粉を落とす。目がかゆくなったら、思わず、かいてしまいそうになるけど、その都度、顔や目や鼻を洗う。紙でばっかり洟(はな)をかんでると、皮膚が痛くなるし。それと、昨日、洗濯や掃除をしながら、窓を開けるべきかどうか、少し迷ったけど、ドアを開け放して、水をジャージャー外にまきました。 で、おもしろい!と、今日思ったのです。熱を出していた時から、洟(はな)水や、痰や、とにかく、顔の鼻から水分がごっそりでて、ティッシュの山を毎日つくっていましたが、な、なんと!(顔が良くなった!)今日、鏡を見て、そう思ったんです。顔から毒素がいっぱい出たっていうことなのでしょうか?顔つきの悪さ、シミだらけのくすんだ状態の全体像が、ピチピチになっていたんです!(笑) 私、去年の10月から、曙時間から日没迄の日中断食を、結局、今年の2月末まで5ヶ月やってました。何となく続いたし、なぜだか出来たんです。2月末に旅行があって、断食を解除しました。で、帰ってきてから高熱で寝込んだものですから、そこから日中断食はあえなく完全終了の形をとることとなりました。咳が出るたびに大根シロップを飲む必要がありましたし。 で、この頃は、大根おろしや、玉葱と玄米と生姜おろしの雑炊なんかを食べたりしてて、鼻や喉に良さそうなものをよく食べています。それも効果があったのか、とにかく、顔から悪いものが出たっていう感じがして、ああ、本当にカゼって、体に溜まっていた毒素を出してくれるんだなあって実感しているところです。断食も毒素排泄にいいだろうということもあったのですが断食最中美的には・・んん、ちょっと(?)でした。はっきり言って、見られない顔つきになっていて・・(この顔、どうしよう?もう、なおらないんだろうか・・)かなり、あきらめモードで、人とあまり対面したくない状態でした。(日中水も飲まない断食だったため顔の血の巡りが悪く、表情が活性化せず)いま、かなり普通に戻りました。【追記】:その後の就職面接では「若い」「若いって皆から言われるでしょう?」しきりに言われました。・・ああ、顔、持ちなおしたらしい。(ほっ)(中略)今、両親に10日に1度の手紙を実践しはじめました。ところが、私は字が下手です。手書きでは、1年に1通も書けない私です。と、ところが、カヨさんの「ワード」を使って、印刷したものを送るようになったのです。それなら、親に書いて出せるのです。10日に1度くらい平気で出来るから不思議です。「ワード」とってもキレイでありがたい。(字体はMSPゴシック、文字の大きさは「12」で書いています) 本当は手書きの方がいいに決まっていますが、それだと、限りなく手紙ゼロに近い私です。手紙ゼロよりは、印刷したものでも10日に1度、送られてくる方が、親も育てたかいがあるというものです。(・・ですよね)私ときたら、電話も苦手だったりするし。20年前から、10日に1度手紙を出せたら、素晴らしいなあ・・と漠然と思っていましたが、実行に移せる見通しは、全くついていませんでした。 手紙の内容は、日常生活の報告とか、日々の生活の中でちょっと感動したこととか、なんでも心の内を書いています。父に最初、手紙を書きだして。で、父宛てに投函したあと、5日後に、母宛てに出したりして。そうしているうちに、私の心のウツ傾向が、(・・治ったな)と思えたことがあって。実際は、心の内を書こうと思えば、きっと親は心配するかも?だから、ふつうは書かないでおこうとか、黙っておこう、ということが多いと思うのだけど。ですが、マイナス的なことでも、報告すると、問題としていることが終了し、次のステップに進めるという気がしています。親っていう存在は、つまり神様と同じなわけなのです。神様へのお祈りとかの意味って、挨拶とか報告とか相談とか連絡とか・・そういうことなのかなって。親が他界している人は、お墓参りをするわけで。お墓や仏壇の前で、手を合わせて、何か言葉にしているわけであって。親が健在である私の場合は、心の思いを書いて送っています』(以上カヨさんへの手紙抜粋)【追記】:お墓参りと読み返して・・春のお彼岸の時期と改めて意識しました。(春分の日を挟んで前後3日間、計7日間)後半、気合い入れ直します。(終) ◇◇◇「脳内革命・2」(著・春山茂雄)p124~127抜粋◇◇◇■声を出して鏡に語りかけなさい・・プラス発想の習慣化で私自身が実行していること、それは「鏡に語りかける」ことです。朝起きて洗面所で鏡と向きあう。そのとき声を出して鏡に映った自分に「おはよう。今日はすごく気分がいいよ」と語りかける。 頭が重かったり、気分のわるいときでも、にっこりほほえんで気分がよいことにするのです。「おはよう。今日も元気でがんばるからよろしくね」神社の前でお賽銭を出して手をあわせているのも似たようなものです。これは一種の瞑想なのです。 患者さんに瞑想をやってもらうとき、楽しいことばかりではなく、抱えている問題を解決するイメージとか、願望が実現していくイメージを描かせ、初心者には「おお、解決できたぞ」とか「望みがかなったぞ」「うれしいな」とわざわざ声に出してもらいます。 われわれが言葉にしたものが物質化して、左脳から脳梁を伝わって右脳の遺伝子まで到達するからです。だから鏡に向かって「最近、君はずいぶん生き生きしてきたじゃないか」と語りかけると、本当に生き生きしてきます。 「肌の色つやがよくなって少し若返ったんじゃないか」といえば、少なくとも細胞はその方向へと機能しはじめる。自己暗示を用いた自律訓練法でもはっきりと証明されている。AとBの二人の人間がいて、右脳も左脳も同じようなレベルだったとします。 Aは鏡に向かって「おまえはすごいんだ、すごいんだ」といい続け、Bはとくに何もしなかったとしたら、何年かのちにものすごい人生の違いになって現われていることでしょう。人間のやることを一つひとつ見ていけば、そんなに大したことはやっていません。 語学だって単語一つ覚える努力はみんな同じです。でもそのとき、口でブツブツいって覚えるか、黙って目だけで覚えるか、見た目の差はないようですが、先へいって希望の学校に合格するか不合格かくらいの差はゆうに出てきます。 鏡に向かって語りかけると、自分がだんだん好きになってくるはずです。そうしたら、できるだけ鏡の中の自分をほめてやることです。自分でそういい続けていると、脳というのはその気になるのです。(終)//////////【追伸】:「私はキレイ、私はキレイ、私はキレイ」と鏡に向かって一週間言ってごらん。本当にキレイになるからと教えてくれたのはカヨさんです。この習慣マスターしようと思います。
2007年03月21日
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【父への手紙1】(2007/1/13(土)早朝)に書いた第一回目の手紙を紹介します。10日に1度の手紙を実践してから3ヶ月が経とうとしています。20年前から、それを実現できたらどんなにいいかと漠然と思っていました。2年前から又、思い始めました。親や、神様を求める時はどんな時でしょうか?困った時です。「お金送って欲しい」とか。うまくいっている時は、有頂天になっていて・・親のことを忘れてしまっています。今回、書くきっかけとなったのは、はやり困っていたことを助けられたことからのお礼状からです。最初は葉書にびっしり、原稿用紙1枚半の分量を書きました。気持ちが通じたな・・という感触を得て、もっと書きたくなった。もっと、気持ちを伝えたくなった。報告したいことって、だいたい親が心配するようなことばかりかと思います。けど、書くと解決が、何故か早いと感じます。心配もさせ、その後、「ありがとう」もいっぱい言える。全く音信不通の交流ゼロより、よっぽどいいかと思います。私は親への手紙習慣が、神様への報告習慣につながってくれるということを信じています。父と母は私の専属の守護神です。子供が大勢いても、多く報告しにやってくる子供に心を多く使うようになるでしょう。ならば神様だって同じです。人類という大勢の子供を抱えている中で、多く「お父さん」と慕い求めてくる子供に耳を傾けざるを得ない。いっぱい心配させて、いっぱい感謝する。父母の心には心配させられた思いは、ザルから流れ出ていってしまい、感謝された賞賛と喜びだけが心に留まることでしょう。そして、私の手紙は、父と母の夫婦の話題を支えることになるでしょう。 ◇ ◇ ◇【父への手紙1】慕わしい、私のお父さんへ・・お父さんへ、手紙を書きたくてたまらない気持ちです。私は書くことが好きだというのに、なぜ、これまでお父さんに手紙を書くことが出来なかったのでしょう。きっと、何をどう書いていいのか、わからなかったのです。 けれども、先日、お父さん宛の葉書に、心の悩みや、今の現状を書いているうちに、しだいに心がスカッとしてきたではありませんか。私の精神状態が、晴れ晴れとしてきたのです。今、思いますと、母がヒントを与えて下さいました。電話で「年末は心が鬱状態になるので、今回もまた年賀状は書けない」という話をした時に、テレビ番組は何を見てるかという話題になり、「細木先生の番組は為になる」と母が言ったのです。細木さんの番組を見かけました。母の言葉を思い出し、チャンネルを変えずにそのままにして見ていましたら、お笑いコンビのスピードワゴンの小澤さんへ、「息詰まったら父親と話せ」というアドバイスがありました。小澤さんは「父親は苦手」と顔を渋めましたが、「いいから話せ」と念を押されました。今、鼻詰まりが治ったように、心がスカッと動き出すようになったのは、そういうことなのだと思います。父親と、うまく話しをすることが出来なくても、こうした一方的な手紙で、自分の心を伝えるだけでもいいのだと考えるようになりました。真剣に伝えようとすれば、親は、ちゃんと耳を傾けて、話しを聞こうとしてくれる。娘の手紙に目を通して「うん、うん」とうなずいてくれる。それだけでも、心のやりとりは成立するのだと思いました。私は、ただ父に「うん、うん」とわかってもらえるだけで十分幸せです。そう思いましたときに、(お父さんって、神様みたいなんだな)と思いました。人間と神様は、簡単にはお話が出来ません。それは、神様の子供である、人類始祖アダムとエバが、親である神様の言うことを守らず堕落してしまったからであると、聖書では言われています。それで、親子の関係を回復するために、人間は神様に「祈り」を捧げるようになりました。「天のお父様」と呼びかけて、もともとの親子関係を修復しようと、取り戻そうとしてきたのです。細木さんが、「息詰まったら、父親と話せ」という言葉は、理に適(かな)っているのだと思いました。お父さんの存在が、私の精神を大きく救うきっかけになるのではないかと予感しました。運を開くきっかけが、わかりかけてきました。お父さん、ありがとうございます。私を、受け入れて下さってありがとうございます。どれほど、お父さんの深い愛情を感じたかしれません。このご恩は、宝物のように、お守りのように私の心を温めます。そのご恩に対する返信の気持ちを、手紙を書くということを通して、報告できるとするならば、どんなに素晴らしいことかしれません。(終)//////////
2007年03月21日
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「自分に起こることはすべてベストである」と言い聞かせている最中です。会社の面接を受け内定待ちの状態で、心身とも落ちつきがありません。掃除や片付けなども、気合いが入らず。けれど、「お先真っ白」、「一寸先は光」です。私は必ず神様に用いられる人となる。 ◇ ◇ ◇ お久しぶりです。いよいよ、ここに書かないことに限界がきました。最近まともな日記を書いていないのです。父母宛てには10日に1度、ワード6ページを編集して送っています。以前、ここに書いた日記を編集して、最近の出来事1ページ程を新しく書き加えて。「文章は誰宛てに書くか」で違った内容、仕上がりになります。宛て先の相手方様に、合わせた書き方をするものです。この場は、特に宛て先の相手方様は特定されていません。私はノートに書き殴るようにして、思いついたことを書き留めておく下書きの場が欲しいのです。私は気づきの人です。それを文章化する人です。そうしながら、さらに気づきを起こしていく人です。それで、今、あなたは何をするべきか、自身に指令を与えます。納得して行動を起こします。書くことによって、悲しみをやわらげ、喜びを倍増させようとしています。瞑想の意味が最近わかりかけてきました。自宅喫茶店で、白熱灯の柔らかい灯りのもとでコーヒーを口にしながら佇(たたず)みます。(佇む・・立ち去ることが出来ないで、そこにしばらく居るの意)私の魂は一時(いっとき)自身の体から抜け出ます。(イメージですが)屋根裏にすーっと抜け(イメージ)、白い小鳥のように屋根裏、小屋裏の広いスペースにとどまり、ものごとを考えます。小屋裏には壁のしきりがないので天井の大きさと同じスペースが広がっています。「くよくよするな。おちこむな。ダメージを受けるな。ショックを受けるな」如何程のことも有るまい。たいしたことはないということだ。とらわれものとなるなよ。≪ああ、神様、あなたは縄に縛られて長き間、人質になっておられたのですね。一番信頼していた忠臣と思っていた臣下に愚弄され・・≫(「チェオクの剣」最終回場面を見ての気づきより)それに比べたら何でもないということ。私に落ち込むような場面が来た時は、あなたの悲しみをお慰め致しましょう。私が評価され、賞賛を受け、存在の重要性を認められた時は、あなたが本来喜びの神様であることを思いあなたを褒め称えましょう。私はあなたの道具として仕え生きることを最上の喜びと致しましょう。自分が無いなんて、何て素晴らしいんでしょう。デール・カーネギーの「人を動かす」を再び読んでいます。赤ボールペンを持ちながら。以前は、通勤電車でサラサラ読み流しました。先日、初めて正社員としての就職面接を受けました。面接官の支社長さん、随分、根掘り葉掘り見下すように質問を投げかけるんですね。はっきり言って、不快な気分に襲われました。あなたは何様でしょうか。腹が立ちました。どこかにぶつけたかった、このおもい。けれど合否は神様、あなたの御心に委ねます。そうしたら、もう気分は害されない。おしまい。2時間にも渡る面接、私だけの為に時間とエネルギーとを投入して下さった。無料で。いずれにしても、これは私にとってセミナー体験だったと思う。一人舞台をせざるを得ない状況に。どんな本を読んだか。どの部分が心に残っているか。どのような人にどのような影響を受けたか。(・・本当にしちめんどくさい質問ばっかりしやがって・・)私は面接会場から出た後、いきつけの喫茶店で気のおけないマスターに愚痴の一つでもこぼしてみたかったんだろうと思う。本当に人から点数をつけられるのはシャクにさわります。けれどもね、こうもおもったよ。地上での肉身生活が終わって、霊界で面接試験を受けようという時、やっぱり過去の履歴書を持って、これまでの歩みを説明せよと言われるんだなと。(その時の舞台稽古であると思えよ)今回の面接試験終了後(そう試験だったんだ)、数日に渡って、再度あの質問に対してはこう説明をすればよかったとシュミレーションを繰り返してばかりいた。過去の履歴に関する問題点などが解明されていった。私小説を客観的な目で見ることにもなった。全ての物事に感謝。 ◇◇◇「脳内革命・2」(著・春山茂雄P215~220)◇◇◇ ◇◇◇ 「どんなときでもプラス発想できる法」より抜粋 ◇◇◇◆『プラス発想の真髄は、とてもプラスに思えないことをプラス発想で考えるところに存在する。最愛の肉親を亡くしても、天をうらむのではなく、「自分に起こることはすべてベストである」(船井総研の船井幸雄会長)と思うような場合である。マイナスにしか思えないような事態でどうプラス発想するかは最大のテーマです。最愛の人を失ったとき人はどう感じるのか。自分になんの落ち度もない、相手にもないという場合がいくらでもあります。天を呪いたい気持ち、しかし呪ってどうなるでしょうか。 その話は聖書の有名なヨブ記に出てきます。富、家族、名誉と世俗のもので何一つ不自由なく、また信仰心においても並ぶ者がないといわれたヨブ。彼にあらゆる厄災がふりかかったとき一時は天を呪いますが、やがて自分にその資格がないことを悟る。被造物たる人間に創造主の意図はわからないということです。医学的に見てもわれわれの体のつくりにはわからないことがいっぱいあります。脳細胞も百八十億個のうちほんのわずかしか使っていない。しかし最近になって一つだけはっきりしてきたことがあります。それは、脳が私たちに「健康になりなさい」「成功しなさい」「人生を楽しみなさい」といっていることです。人間には自由意志が与えられています。人生を幸福に生きたいと思う人には、そのような人生を選ぶことができる。それが脳内モルヒネの発見でわかってきたのです。ただしそれには条件があって、さっきのヨブ記ではありませんが、どうも創造主の意図するところに反すると、いくら幸福になりたいと思っていても、逆方向へと向かわせられる。ノルアドレナリン、アドレナリンの世界がそれです。脳の命令とは創造主の命令と考えられます。では創造主が何を意図しているか。それを医学的な見地からみていくと、結局は自己実現を目指しなさいといいうことに帰着します。では自己実現とはなんなのか。マズロー博士のキーワードを借りれば、それは真、善、美、躍動、個性、完全、必然、完成、正義、秩序、単純、豊富、愉しみ、自己充実のことです。要するにだれが考えても正しい生き方、立派な生き方、人から非難されることなく楽しく充実した生き方。そういう生き方をすることが自己実現ということであり、人間が生まれてきた目的もこれにあるなら、至福の喜びを感じられるのもこれだというのです。脳内モルヒネに関連するエー・テン神経のはたらきを考えると、やはりこのへんに人生の真実があるように思えてきます。エー・テン神経は原脳にあって、爬虫類も犬猫も備えている神経です。この神経は快感神経と呼ばれ、ここの細胞が刺激されるといい気持ちになる。快感と呼べるものはすべてこの神経細胞が刺激されることからはじまる。脳内モルヒネの源というわけです。ただこの神経には不思議なことが一つあります。ふつうどんな神経でも正負の関係があって、どこかでブレーキがかかる。どんなに性欲が強くても満たされれば、負のフィードバックといってそれをおさえるはたらきのホルモンが出てきてブレーキをかけるのです。ところがエー・テン神経が人間のいちばん上位脳である大脳の前頭連合野と連動するときだけは、ブレーキに相当するものがいっさい見あたらないのはどうしたわけなのでしょうか。つまり人間が真善美にかかわったり、正義の行動をしたりするときには、それを防げるものがない。脳内モルヒネはいくらでも出てくる。脳内モルヒネは自然界のモルヒネにくらべて効力が強いですから、人間が自己実現しているときの快感は尽きることがない。このことに私は創造主の意図、目的を感じるのです。一般に芸術家が長生きなのは、彼らの扱うものが真善美だからでしょう。彼らには脳内モルヒネが絶えず分泌し、それが創作意欲になると同時に創作の喜びにもなっていることは想像に難くありません。ナイチンゲール、シュバイツァーが九十歳の長寿を保ったのも、世のため人のために生きたからでしょう。「つらいことが多いだろうに、何が楽しみであれだけのことができるのか」と思うでしょうが、実はわれわれが感じるのとはケタ違いの快感を味わっていた可能性が大きいのです。偉人賢人たちの跡をながめて「ご苦労なことだ」と思うのは、俗人の浅知恵というもので、とんでもない隠し財産を彼らは保有していたことになります。世の中がいま大きく変わろうとしていることとあわせて、そこに見えざる何者かの意志を感じるのは私だけではないでしょう。立派すぎることには、いままで畏怖尊敬の念は抱いても、それに自分が挑戦してみようという勇気は俗人たる私たちにはなかなか湧かなかったものです。なぜなら、それはとてもつらそうで、少しも楽しく思えなかったからです。だが事情は一変したのです。人間にとって最高の喜びは、前頭連合野とエー・テン神経を連動させることである。それはマズロー博士の説によれば自己実現である。自己実現する人間は「至高体験」を味わっている』(終)//////////
2007年03月21日
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霊人体が「ちょっと待って」と言って、頭上二メートル上の屋根裏に小鳥のように止る。(白色の鳥)考え事をする時の風景。 ◇ ◇ ◇≪走り書きメモ≫3月16日(金)午後1時の約束の時間より早めに到着。支社長と支部長を前にして二回目の会社訪問での面接。正社員の会社面接は初めてのこと。根掘り葉掘り聞かれる。裁判官のように上から見下ろした紋切り型の口調。空白期間に話が及ぶ。大きく息を吸い、ゆったり構えてみせる。通り過ぎた。来るなら来い。受けて立ってやる。背筋が伸びた。顔つきからニヤケ消え。目が据わる。顎を引く。くちびるを引き締め、ひたいに意識を集中させる。呼吸を整える。魂と魂の勝負を挑んでいるかのようだ。刑務所で、権威ある人から、「あなたは今まで何をしてきた人なのか」を問い正されているようだ。言葉尻をとって、さらに追求して責めたててくる。どこかに嘘があったら暴いてみせるという波動を放っている。「わかってるね」暗黙の霊波の光線が、その人の顔から出ている。様々な質問状は、その人間の素地が浮き彫りにされるように仕組まれている。いぶかしそうな顔で淡々と質問を放っていく。面接官の支社長、何枚もあるプリントの項目にチェックを入れていく。最後、「消費者金融の借り入れがあったらゼロにして下さい。それが採用の条件です」ピシャリときた。「ではこれから健康診断を受けてきて下さい」「予約は入れてあります。もちろん料金は会社負担です」面接終了。とにかくその調子にあおられてしゃべらせられる。返答が質問の意図に合っていなければ、同じ質問が再度繰り返される。その面接マニュアルはあえて高圧的に作られているようだ。健康診断で、「胸を開けて下さい」「はい」胸を開けて、若い異性の医者に聴診器をあてられているようだ。決していい気分ではなかったのだが・・。私の内なる人は、なぜだか気落ちもし、腹も立てていた。「あんた、何さまだ!」・・最後、捨てゼリフを言われたような。身柄を釈放されたような。いつもの場所にしゃがみこみ。「キッサテーン!」と言って白熱灯のコンセントを差し込む。お湯がぐらぐら沸くのを待っている。霊人体が「ちょっと待って」と言って、頭上二メートル上の屋根裏に小鳥のように止る。(白色の鳥)考え事をする時の風景・・瞑想中とはこういうことか。メモ用紙をとってくる。書く。コーヒーを飲む。水を飲む。(終) ◇◇◇『脳内革命』(著/春山茂雄)抜粋*読書ノート◇◇◇ ■(p26~28)数ある脳内モルヒネの中で、最強の快感ホルモン物質はβ-エンドルフィンで、その効力は麻薬のモルヒネの五、六倍は楽にあります。これだけの快感物質が私たちの脳内でつくられることは何を意味しているのでしょうか。(※)神様が私たち人間に「楽しみなさい」といっているのだと思います。人間はけっこうわるいことも考えるし、実際にそれをやってしまいます。たとえば「人をおしのけてでも自分が得をしよう」と考える人がいます。そうやって大金を儲けたとします。あるいは地位や名誉を得たとします。そのような願望が実現すればその人はうれしい。うれしければ脳内モルヒネは分泌します。(※)しかしなぜだかそのような楽しみは長続きしないのです。必ずどこかでおかしくなる。世のため人のためにならないこと、人からうらみをかうようなことをすると、どういうわけか脳がその人を滅びの方向へと誘導してしまうようなのです。(※)これはたぶん、神様が理想とする生き方にあった者だけが生き残れ、それにあわない者はできるだけ消していこうとするメカニズムが、遺伝子というかたちで体の中に残されているのだと私は解釈しています。 脳には先祖の記憶までインプットされていますから、そういうことがあってもおかしくないと思うのです。 ■(p28~32)【ビジネス戦死が早死にするのはなぜか】・・世の中をよくするために自然を含めて地球上のあらゆる生命力と「共生しよう」という考え方を唱える人がだんだん増えてきました。これからの世の中のあり方を考えるとき、これはなかなか斬新で魅力的なアイデアだと思います。私が尊敬する経営コンサルタント、船井総研会長の船井幸雄さんやEMの発見者である琉球大学の比嘉照夫教授などが、この言葉をよく使われています。私もこの考え方には全面的に賛意を表したいと思います。(※)私は医者ですから、医療を通じて新しい世の中のために何か役立つことをしたいと念願しているのですが、それは私自身のためでもあるのです。世のため人のためにならないことをすると、脳は必ず滅びのほうへと個体を誘導するようなのです。(※)船井さんは「宇宙には創造主の意志がはたらいている」といっておられますが、それは遺伝子に刻み込まれているのではないか。それにあったものだけが生き残れ、あわないものは滅ぼしてしまおうというメカニズムがきっと体の中にあるのです。実際、私たちが意欲的に仕事をしていると、脳がひじょうに活性化してドーパミンというホルモンがふんだんに出てきます。ドーパミンというのは人間に意欲を起こさせるホルモンですが、出過ぎるとエネルギーを使い過ぎて早死にしてしまうのです。死ななくても精神分裂症とか癲癇のような症状をおこす。出なければ出ないでパーキンソン病や痴呆になってしまいますが、出過ぎるのも問題です。過去に天才といわれる人物が早死にしたり脳の病気が多いのは、ドーパミン過剰と関係が深いと考えられます。脳のはたらきからみれば脳内モルヒネの活用がうまくできなかったからともいえるのです。人にすぐれて大きな仕事をするには、それに見あうエネルギーが必要になります。だがエネルギーの出方を上げれば病気か早死にが待っている。これは二律背反のようですが、実はすごいバイパスがあるのです。それが脳内モルヒネの活用なのです。ドーパミンをどんどん出しますと、エネルギー消耗でバテてしまうが、そういうときに脳内モルヒネが分泌すると、少しのドーパミンで十倍も二十倍もドーパミンが出たのと同じようなはたらきをしてくれます。つまり脳内モルヒネにはテコの原理に似たエネルギー増幅効果があるのです。いくら意欲があってもドーパミンの出し過ぎは副作用があります。ドーパミンとかノルアドレナリンは必ず活性酸素を大量に出す。(※)脳内モルヒネの場合はそれがないので、少量のドーパミンを脳内モルヒネで増幅して使うのが理想的な脳の活用方法といえます。昔から偉いお坊さんは高いレベルで世の中を見とおし、人を感化する力をもっていました。いつの時代にあっても相当な長生きをしています。彼らの生き方、考え方を調べてみると、脳内モルヒネ系を駆使したとしか思えなかったことがたくさんあります。悟りを開いたような人が一般的にいって長生きなのは病気に強かったということですが、これも脳内モルヒネのおかげなのです。こういう人なら、たとえひどいエイズ菌をもらっても、ふつうの人のようには発病しないでしょう。免疫力が高く自然治癒力も強力なはずだからです。(終)//////////
2007年03月16日
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