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祈りとはそのようなものでありましょうか?かみさま。4時4分となりました。本日の断食スタートです。どうぞ、一日あなたをおもって安らかに過ごすことができますように。かみさま?やっぱり土日の週休二日制の週末っていいですね。あなたとゆっくりと週末を過ごせるんですもの。とても楽しいです。 きのう「どんど晴れ」最終話をみたあと、午後3時半に目を覚まし、蚊よけ装備をして長靴はいて家の周囲をとりあえずまわってみようと起きだしました。黄色の小菊、山吹色のコスモスのような、マーガレットのような花、でも葉っぱがそれと違ってます。それと先日家の前でベランダから見つけた黄系の花をつけてた木の枝を二本拝借してきました。 キリン草と呼ばれるセイタカアワダチ草の成育をみてまわりました。これから日の出の頃に、近くの学校の裏庭をまわってみることにしようと決めました。だって、収穫の時期、どんぴしゃりの頃合ですから。その花も黄色、かみさまはこの時期、私に黄色の花ばかり下さいますね。干支表をチェック。 今月をあらわす己酉は10月8日あと1週間ほどです。土は黄色をあらわしますから。今週のどこかで黄色のシャツブラウスにアイロンかけて着てみることにしますね。10月9日以降は庚戌に時の運行は移動し、色は白系に変化します。その白はオフホワイト系ではないかと推察しています。せいぜい白系のブラウスをたくさん着ることとしましょう。 さっき、ベランダにでました。窓を開けた時、空の上がほの明るかったので、もしや?とおもい、外にでてみたのです。高い位置で、あなたが、顔を出していらっしゃいました。円形が少し欠けていました。目をこらして、その月の文様を理解しようとしました。笑っている眉毛の濃いスヌーピーの顔に見えました。笑いました。 これから始めますよ。ご挨拶しました。ああ、どこかの団地のドアに人が入っていこうとしてました。ああ、イッケネッ、その人が私の姿に気きました。素早く中に入ってカーテンを引きました。かみさま、私は気づいたのです。以前もちょっと気づいていたのでしたが、明確に確信せねまま忘れさっていました。 お月さま、これは人の顔と同じです。いま、すこし、丸が欠けてましたが、あなたのお顔がグルリと周っているのです。少しずつ、少しずつ、世界を愛しているのです。様々な所に目を通しながら、あなたは思索しているのです。愛をそそいでいらっしゃるのです。農作物にシャワーのノズル?(意:圧力流体の噴出する筒口)から水がまかれるかのように。 かみさま、最近BGMのチャンネルはピアノ曲ばかり。忙しく、あなたのことを忘れて過ごした数ヶ月、ちっともこの部屋に寄りつきもせず、この部屋に音が流れることもなかったので、USENなど解約してしまおうとしてたのですが、あなたがちょっと待ってとひきとめました。そうですね。あなたとの交流にはBGMって不可欠なのですものね。 そう、夫がこの部屋で過ごすことは全くないのに、夫が続けさせたがったのでした。夫はかみさま、あなたと私を親密にさせたがりました。かみさま、あなたが私をこの地上に誕生させ、その数年後に、夫をこの地上に送り込みました。あなたが、この方を紹介したとき、私には二つの心が生じました。 一つは全くの無関心という曇り空。もう一つは心の奥の方で抜けるような青空と光明。かみさまが言いました。この男をいくら好きになってもいいんだぞ。いくら愛してもいいんだぞ。どれだけ好きを増やしてもいいし、無限に愛を増やし続けていいだよと。愛情の山をどんなに大きく高くしても君の好きなようにしていいんだよ。 「かみさまがこう言ったの私に」そのたびに「うそだ。あなたに、かみさまが話かけるなんてありえないよ。そう、ただあなたが勝手におもいこんでいるだけだ」とは言うけど、そういうこともあるのかな?いま、すやすや夢の中のあなたは、ちょっとはそうおもっているのかも。ああ、今、かみさま、あなたのことを想像します。あなたが、どんなにハンサムでおしゃれな方でいらっしゃるかと。 (いま、アダプターが熱くなったので、タオルを水でギュッっとしぼって冷しています。部屋の東西の窓を大きく開けました。空が白みかけてます。お月さまの白はまわりが明るくなった分ぼんやりと。光ファイバーのチラシみて・・めんどくさいんだけど、やらなきゃいけないんだろうな、ああ、とっても手続きも理解するのもめんどう) (何を言ってるんだい?光ファイバーって、こういうの配慮したの誰だとおもっているんだい?君との交流をもっと素早く、もっと、時間を圧縮して、君ともっと話したいからなんだよ)かみさま、そうだね、そうだよね、インターネットっていうこの時代に時を運んだのも、かみさまの摂理だしね。ご計画だったことだしね、もっと生活をきちっと立て直します。 (そろそろ、きみの部屋に来たいと思っていたの)はあ?黄色い電燈の光を受けて、緑色の葉を引き立て役にした黄色い花たちが、声をかけてきた。ええっ?(きまってんじゃん。この部屋にあがりたかったの)大きく活けた花たちが、ちゃんと意志をもって咲いたのだよと、私に甘えているだ。(もっと褒めてよ。もっと笑ってよ。綺麗だって言って)ええっ?今度は女の子のしゃべり? 私はイスラームの厳格な禁欲主義の者ではないために、断食中は、しょっちゅうツバを飲み込んでいます。このツバは身体の中身をキレイに大掃除してくれる代謝酵素なんです。身体がキレイになれば、かみさまとますます交流がスムーズにできますからね。身体を汚す肉もタマゴや乳製品や油ものは摂らない私って、なんて賢いのでしょう。 緑と黄色の調和、それは小学校の時だったか、アップリケか刺繍をした時だったか、はてまた絵を描いていた時だったか、気づいていましたよ。なぜか、その引き立て役は、黒じゃなくて、グリーンなんですよね。あけぼの直前の闇が最も濃いと言われるその時間、お月さまを仰ぎました。かみさまは闇と光を創造されました。 お月様、あなたに気づくことができたのは、闇のお蔭でした。あなたのその表情を汲み取るのに、その闇がなければ、とうてい知ることのできないあなたのお心でした。(セイタカアワダチ草をみてくるなら、ビワの葉もいくつかとっておいでよ)はい、そうですね。さらし布でビワの葉を差し込むポケットをつくって腰とお腹にぐるりと巻きつける、そういうのを作ってみたいと先日もおもいついたのですよ。 そして湯たんぽを背にして書く、仕事で一日を過ごすってのはどう?(いいとおもうよ)窓から入ってくる鳥の声。たぶん、今日は収穫するの無理じゃないかと思う。まだ、蕾をぎっしりつけてないのじゃないかとおもう。グルリと家の周囲まわってごらん。そうだね、夫が起き出す前に行ってみてきます。では、またあとで。
2007年09月30日
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今より本日の断食に入らせて頂きますのでよろしくお願い致します。午前4時をまわった。このノートパソコンのキーボードのスイツキのよさ、軽やかさ、ピアニストのように、指と意識が一体になるかのようだ。一日職場で触っているデスクトップのキーボードとはあきらかな違いなので、本当にワタシ・ノートとして呼吸もピッタリだ。平日の一日のラマダン・スケジュールのコツが掴めてきた。帰宅20時過ぎ。きもち10分でシャワー。食事。22時就寝。22時~翌朝2時まで4時間睡眠。2時から4時までコーヒーと水でくつろぎの時間。4時過ぎ、その日、一日の断食開始。出勤まで朝方1時間程仮眠。行き帰りの電車で仮眠。分割睡眠を書いた著者のいわんとすることが、ラマダンに入ってやっとわかってきた。仕事も好調。断食してますという顔で一日を過ごしてはいない。努めて笑顔を形づくるが、ほんとうに仕事の終盤にさしかかり、断食明け17時半くらいに水を1リットル飲み干す前後くらいから、どんどん、気持ちも顔も高揚してくるのだ。仕事もいい具合に煮詰まってくる。退社19時くらいには私の顔つきは非常に充実した「仕事楽しい」といういい表情を醸し出す。ラマダンの満月、3年目にして、はじめて、意識的に空を見て過ごした。帰宅時の夜20時くらいには玄関側の東側に月は、ずっと私を見守る。朝方のラマダン日記を書くころには、私の部屋の窓から仰げる西側の空に月は移動している。私は、この大自然の時の運行に添って生きていると実感する。曙時間、日の出、日の入りを意識して生きるって、何て素敵なのでしょう。夫も知らず知らずのうちに、私のこの生活の協力者になっている。食事は夜1回だけしか食べないため、また、すぐ寝る必要もあるため、たくさんは食べれないのだから、少なめの食料を調達。朝方も、必死で起こしてくれる。一度だけ、休みあけ、あけぼの時間前に起きることができなかった。あけぼの時間を15分ほど過ぎて目覚めた。難なく過ごせはしたものの、ちょっと悔しかったのだ。この朝方(あけぼの前)水1リットル、日の入り後に水1リットル、という水の摂り方もなかなか悪くないなと気に入ってきた。職場の10歳年上の女性Sさんが、昨日午後に「眠いわ、眠くない?」ボソッと声をかけてきた。「うん、私は、いつも眠い」と言ってはみたものの、(ああ、私は全く、眠気に襲われないなあ、すばらしい!)絶賛する気持ちになった。Sさん、そう自分で言ったあと、コクッとしてみせ、眠りの波動に包まれ、襲い来る眠気にほぼ負けていた。美食家なのだ。昼は外食も多い様子。森のリーダー格、たぬきサブMのところにイチイチ相談しにいったりするのはとても面倒でイヤといい、できるだけ自分で判断し処理しようとする。ああ、そこが、この仕事のミソなのに。そこに、うまく仕事を運ぶポイントがあるというのに。私は、森のリーダー格にイチイチ相談しにいく。イチイチ報告し、判断を仰ぎ、自分の判断が正確であるかどうかを確かめ、意見を求めていく。そのキャッチ・ボールがお客様との関係に反映する。自分のスキルが育っていく。面白みがジワジワでてくる。眠気と遊んでいられない。顔はいつも楽しげにしている。はじめは、「振り」であるが、しだいにほんとになっていく。今朝、デスクに着く時間が少しギリギリだった。せわしなく、あらかじめ準備してある掃除用ペットボトルの水を、ポケットティッシュの束に湿らせ、パソコンとその周囲をササササッっと、せわ(忙)しげに掃除してから仕事を始めた。(毎日のことで、いつもはゆっくりの動作なのだが)美食家Sさん、気になったのか「潔癖症?」とボソリと言った。(うわあっ、神経質そう)という表情を感じ取ったので、いえいえと手振りで否定する表情で短く笑ってアクションしてみせたが。(潔癖症だったら、家がピカピカでいいんだけどね)とも言ってみたくもあったが、・・Sさんにしっかり印象づけられた(この人は神経質で潔癖症らしい)という意識は拭い取れはしないだろうと観念した。ズシリとおもった。あきらかに、私は潔癖症である。断定したくなった。<潔癖の意>:1、極端に不潔を嫌う性質。綺麗好き。2、極端に不正を憎む性質。<症状の意>:病気の状態。症候(身体に現れる病的変化)~国語辞典によれば。(いつも脇には辞書を置いてます)・・こうしてみると、いいや、私のは病気の症状では断じてない。非常に好ましいものである。以前、Sさんはこうも言った。<私は昼は食べません、間食もしないのです>に徹し、甘いもののおすすめにいつも「はい、お気持ちだけ」とお断りを何度もしてみせた時、「ストイックなのね」とまたまた適確な感想を言ってくれた。<ストイックの意>:1、ストア学派の哲学者。2、禁欲主義者。~辞書より。今、お手洗いに行ったついでにトイレ掃除してきた。洗剤を水で薄めたスプレーを用意しておく。シュッシュして、ペーパーで気がついたら掃除、ペーパーに水を含ませ仕上げする。時々は徹底掃除する。今、お湯を沸かし湯たんぽに少しだけ湯を入れる。布にくるみ腰にあてる。東西の窓の明ける幅を時々調節しにいく。適度に部屋には風が流れている必要があるのだ。ところでストイックとは単に神経質な人の総称かと思っていたが、調べてみてよかった。禁欲主義者とはよく言い当てていると思った。私は自分のことを改めて知った気がした。はっきり言えることは、私の願望として、潔癖な生き方、禁欲主義的生き方をしたがっている。そうでありたいと思っているという事実である。実際は、潔癖な面とズボラな面とが格闘して、いつもズボラに負けている。掃除などの面は、追いついていない。汚れ、乱れは先行し、汚れ乱れを整えたい思いは常にありながらも、身体と時間とそうしようとする強烈な実行力がそれに負けている。けれども、だからといって、生活するのにどおってことはない。適度に調和もしている。けれど、「清濁併せ呑む」が口癖の知人とは、本当の意味では親密にはなれないような気がする。たいがいの場合、そう言ってると、「清」より「濁」が圧勝しているかに見えるからだ。清と濁とを完全に分けたいのである。そうすることの快さ。精神的高み。母親も私に言ったことがある。「妙なところが潔癖症なんだから、おいそれと気楽にものも言えない」人に気を遣わせる人だと言いたいようだ。母は娘だけには本音を言える相手役を求めているのだが、娘は母親に対して正義感が強く出過ぎるきらいがある。母親にはこうであって欲しいという願望と期待がでてしまってたようだ。これまでにおいて。母に対しより成長した愛情を注ぐための計画と作戦をもう少ししたら練ることができるように。親に与えられている生命力は限られているから。地上で身体を持てる期間は有限であるから。私は、やはり、一般的な人からすると、潔癖症であり、人との調和を後回しにしてまでも禁欲主義者でありたがる。職場で誰かがやってくれた。ネットで今流行ってるらしい脳内○○とかいう姓名を打ち込んで出てくる頭の中にしめているもの。自分の結果をみた時、脳の中心に「欲」の字が一文字、あとは全て「休」で埋め尽されていた。いい得てるなとおもった。今日一日出勤すれば、今月の仕事は終了だ。今後のスケジュールの調整も終えて、今後は土日休みの週休二日でいくことにした。洗いものをしてご飯を炊いてくるとする。BGMを快活ポップなものに変え、後でまた元の書く時ようの音に戻す。圧力釜の火を仕掛ける。蝋燭に火をつけ線香を一本立てる、その間に水を取り替える。夫、おきだしてきた。「おにいさん、おはようございます」「ふむ」圧が上がった。いまから20分、超細火。さて、神さまへメッセージ、これから、土日は一緒に休日を過ごしましょう。お部屋を綺麗に整頓しますから、どうぞ、このソファでくつろいでね。お花も飾ります。この土日は部屋の本棚や、隅々のところまでお掃除を丹念にこころゆくまでしたいので、たえず、報告しながらすすめるので、協力お願いします。ご飯が炊き上がるまであと7分、それまでの時間書きます、神さま。昨日もおとといもみた満月の中のお顔の表情、すっかり記憶に留めました。にこやかに高揚した女性の情感豊かな表情。数年前にみた時の印象ともほぼ一緒です。(このようであれ~)このイメージで私の笑顔のお化粧、お顔いっぱいに表現してみますね。神さま、どうして、私がこんなふうな自分でありたいのか、わかりました。なんとなく、では、ないのですよね。あなたが、そうであられるから、あなたが、そのようなお方であられるから、あなたに、近づきたい私の本性が、そうさせるのですよね。神さま、この山のような家の家事、やり尽くせないもろもろの事務的作業、これらも、あなたに相談報告あなたの意見を求めていこうとしさえすれば、実現可能なのですよね。5分でタヌキ握り完了、夫送り出し、ほとけさまにご飯さし上げ、そろそろ仮眠に入る手前。神さま、このひととき、あなたと過ごせる、この時間、ありがとうございます。(携帯の充電するの思い出した)そろそろ眠くなってきました。この場が、あなたの愛であたたまってきました。いつもの仮眠部屋でなく、今日は、「どんど晴れ」の時間まで、ここで仮眠します。わずかな時間でもあなたが、善い眠りを下さることでしょう。
2007年09月28日
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先生、先生からのタイムカプセルの贈り物を受けとって、もう1週間経とうとしているのです。返信すべく言葉たちは形が整いません。ラマダン中の私は休日をうまく過ごせてません。日中寝てばかりいました。いろいろな考えが、しみでてくるほどに、率直なおもいで、言葉運びがうまくいきません。先生、曙時間の4時、お顔のマッサージを終えて、ベランダの窓を開けました。さっき、満月を顕わしたお月様を見かけたので。お月様に、これから一日よろしくおねがいしますと、ご挨拶しようと思ったのです。ああ、お月様が、どういうわけか、私が、語りかけようとするとき、そのときにかぎって、雲からお顔をのぞかせるのです。短く挨拶をし終えると、また、雲の毛布にくるまってしまいました。「へへへへへッ♪」わらっているように、うたっているように感じられます。さっきもね、えーと、仕事終わってからの帰り道、通り雨が、1、2分あったかとおもったら、すぐにやんで、今のと同じように、お月さまが顔をのぞかせました。「くうちゃん、くうちゃん」えっ?なあに?ときどき、雲に隠れながら、「いっしょに着いてくー」と、私と歩調を合わせて進むのです。「いっしょに、くうちゃんち行きたい」えっー?だめだよ。あなたをおうちへは入れられないよ。ごめんね、あそこのドアからは、私しか入れないんだよ。あそこのドアからは、私一人しか入れないの。あきらめてね。今の話をご飯を食べたあとに、夫に話してきかせた。「はーい、はーい」まったく関心なさそうに、眠たそうに、それから、二人ともテレビをつけたまま寝てしまう。21時半目を閉じ、テレビの音に目を覚ましたのが1時半、4時間しっかり寝たようだ。それから、コーヒーと水、ちびちびやりながら、曙時間4時までテレビに見入って過ごした。「夏の香り」最終話をみたあと、NHK教育テレビの高校講座の地理、これがなかなかおもしろい。3時になってNHK総合を4時まで見入る。世界の風景を見ながら、お顔マッサージしたり、台所の洗い物をヌカで洗い、排水溝を磨き、床掃除をしたり。今、ご飯が炊けた。ほとけ様にお供えしなくちゃ。ヌカで洗った白とブルーの湯のみ茶碗がキラリンと光っている。2合半を6個の湯のみに分け入れてお供え。夫が弁当を持っていくのに、朝炊いた固めのご飯が善いとのことで、そっか、最初のご飯を神仏に供え、そのあとのものを我々が頂く。というのが正しい順番といえるかもしれない。朝、弁当を作るのもわるくない。ああ、神様、今朝の4時、そう、今日の曙時間、仙台時間では4:01とのことでしたが、何か、4数を越えて、これまでの渾沌から突破した、私の心情の様相を顕わしているかのようです。ベランダを開けて、空に向って挨拶しようとしたのですから。これが、祈りというものでしょう。朝起きたら、親におはようと挨拶する。その時、思い出しました。少女たちの踊りを指揮したある人物が、幕が上がる前にお祈りしましょうと目をつぶったか、手をつないだか、その祈りの言葉は「ありがとうございます」神様へ、ありがとうございます。ただ、それだけ。それだけで、美しい祈りであるとわかりました。祈りは、むずかしくおもうことではない。最近、仕事に慣れて、お客様への接客の言葉が、わりとスラスラ出てきます。普段、余分な言葉を発しないぺちゃくちゃおしゃべり能力のない私は、時々、小説のセリフのような言葉をためらいもなく発するので、私自身が、言葉を発したあと、高揚感に包まれたりします。昨日も、帰り際、仕事が上手くいった方に一言ご挨拶して帰ろうとしました。「感動しているお顔、とてもお美しいですよ」などと耳もとで小さく言って、目で挨拶しあって出てきました。相手の方は私より年齢半分の方ですが、4ヶ月程、仕事の先輩の方でいらっしゃいました。新鮮な笑みを浮かべて反応を返してくださいました。先日、お客様との会話で「奥様は貴重なご質問がおおございますので~」これも、普段、まったく使わない言葉。トルストイの小説で、貴族の会話のやりとりを読んでいたときだったからか。けれども、スラスラ、本の中のセリフが自分の言葉になって照れもなく言えてしまうというのは、なんだか妙に自分を感動させる。ちょっと、こういう自分が、好ましくおもえる。自分が、丁寧にもてなされているような、きっと、そういう快さなのだと思う。書きたかったことを思い出した。私はおもったんだ。4時過ぎのお月さまとの対話を。自然の流れに身をゆだねていけばいいって。お月様、あけぼの、日の出、日の入り。昨日、夕刻17時半、ラマダンあけの準備で仕事中、ペットボトルを二つとりだし、空を確認してから、うむ、日がおちていることを見定めてから水を飲む。先生、なかなか、手紙書けないでいますが、小学生の私が、大人になった姿で、作文書くのは、とても恥かしくて、気負いが要ります。なぜ?よく見せたいですか?「裸の王様」だよ。神様は、みっともない自分をよくご存知でしょ。夫は、みっともない私をもっとも熟知した人でしょ。一番、ブサイクな顔を見て暮らしてくれ、それでもって、かわいいとか思ってくれる存在だよね。先生にはおべっかもお化粧も、きらびやかな衣装も必要ないでしょ。普段着のままで、むしろ、そういうスタイルが好まれるでしょう。ふつうでいいでしょう。みっともなくても、弟子は弟子でしょう。あるがままに、ありのままに、自由に表現すればいいでしょう。先生には、全てがお見通しでしょう。先生も、弟子からの美を受けたいという願望がおありでしょう。絵は、この部屋に厚めの包み紙にしまわれたままで、まだ、表にはあらわしていない。ただ、絵が、この部屋にあるというだけで、ここがアトリエになった気分ですよ。夕暮れの木造校舎の教室で、木洩れ日を受けながら、絵の具をつけていった子供の姿、そのゆっくり流れる時間、先生に褒められている眼差しや、信頼されてる情感を受けながら、塗り絵に熱中するのは刺繍や、こぎん刺にも似ている。それらを、先生は30年の時を経て、新鮮な姿形をもって、歳月を経た私をまた信頼し、届けて下さった。私は、そんなに、信頼されるにあたいする人間だろうか。人は、こんなにも貴重に扱われると、本当に貴い人になろうという気持ちに高まるものです。神様、お元気でいらっしゃいますか?私は、なんでも、さいごは、あなたに関連づけたいのです。神様、昨日、トイレ掃除とヌカ風呂とアカスリとお風呂掃除と水行で、気合いを入れ鋭気をといだ状態で、まだ寝ている夫の足裏を20分足もみしました。足裏さんと会話しました。女性の言葉で返してくる足裏さんは、「私がもっとも、おにいさんを支えているのよ。このくらいしてもらわなければワリにあわないわ」と以前そう言っていた足裏さんと、すっかり仲良しになりました。「もっと頑張るからね、仲良くしてね」20分間、すっかり打ち解けて、バイバイしました。日頃の頑張りが報われたような、認められたような安堵感、安心感で、コロコロ笑っていました。足裏さんに続く、ふくらはぎさんは、どうやら哲学的ものいいの男の人のしゃべりに方です。もう、昨日で彼岸明けで、皆さん、帰るべきところに帰られたでしょうか。庭をぐるりと周り、供えるべきお花もいろいろ用意されていたというのに、おかまいもできませんでした。かみさま、人(霊)をもてなそうとしてますか?私。ちゃんと、時を知っている、花たちが、すでに、かみさまの前に、美しく花を咲かせていらっしゃいます。かみさまに、美をかえし、かみさまの愛にこたえていらっしゃいました。「裸の王様」、あなたも神様の子供です。神様の前に裸ん坊で生まれました。何ももたずに生まれました。一番っていうのは辛いですね。でも、あなたは一番ではないので本当は辛くはないのです。あなたの前には、常に神様が一番で前にいらっしゃいますので、自分を神様に見せる必要はひとつもなかったのです。神様の前にへりくだっている姿こそ、うつくしいのです。「どんど晴れ」おもてなしの心・・って、そういうことなのかなあ。一番でないって、なんて自由なんだろう。2、3、4、5、6、7、8、9、10、全てを行き来できます。9番目の月、ラマダーン月、いったん、ここが、節目です。次に備えた究極の9番目です。出直すための旅の時間、整理のために下さった神様からの贈り物の期間です。
2007年09月27日
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先生、最近私は、3時過ぎには目を覚まします。今、夫に「お弁当は?」と聞きにいき、タオルケットをおなかにかけてあげてきました。「今日も要らない。あなた何時に起きたの?」3時過ぎだよ。「目覚ましで起きたの?」ああ、そういえば目覚ましかけていなかった。「よく起きれたね」私の後ろには時間係のひとがいるからね。ほんとうだよ。夫と私の会話は、いつも穏やかでふんわりした調子です。声をあらげた記憶はありません。私の頭の中での設定は、ハンサムな青年のおにいさんと、森で迷子になった小ダヌキの共同生活という絵が最近の構図です。小ダヌキは、冬のある日、川に雪がかぶさって川だとわからないで落ちてしまったのです。悲鳴をあげました。でも森はシンとしていて静かでした。そこでたった一人だけ男の人が、小ダヌキの悲鳴に気づいて、はまった川から引っ張りあげてくれたのです。これはまだ小さい子供の頃の本当にあった話で、正確な年齢は忘れましたが、最近、そういうことがあったのだという話を思い出したのです。多分「氷点」という三浦綾子さんの本を読んだことからだったか。その小説では、小さい女の子が、男の人に命をとられてしまうのですが、私の場合は、命を助けられたのだなと、遠くしまいこまれた記憶が甦ってきたのです。命の恩人でありながら、お礼もきちんと言えたかどうかわかりません。家に帰って、親にそのことをちゃんと報告したかどうかも定かではありません。名前も知らない、神様の御使いのようなその方に頭を下げるようになりました。ある一枚の絵を目にしました。夏の風鈴を飾っている部屋、そこに若いおにいさんが畳の上に寝そべって昼寝をしています。そばに、猫がしっぽを丸めて気持ちよさそうにまどろんでいます。笑えました。その猫が自分に思え、そのおにいさんが夫に思えたからです。この夏、ちょっと外での人との関係であつれき(軋轢)があった頃、私の口から「たぬき」ということばがとびだしました。すっかり人間界のクサクサした、まと(纏)わりついた窮屈から抜け出ることに成功しました。家に帰ってくると、子ダヌキにすっかり変身してしまうと、外での活性酸素(心を老化させサビさせるもの)から完全にのがれることができるのです。想像してみてください。人間の若いおにいさんが、寝そべっていて、足元でぬいぐるみのような小さなかわいい子ダヌキが、一生懸命、おにいさんの足を揉んでいる絵を。いつしか、そのおにいさんと、川におちたチビの自分を引き上げて助けてくれたおにいさんと重ね合わせるようになりました。それで、いま、隣の部屋ですやすや寝ているおにいさんは、私の命の恩人、頭を下げるべきところ、手を合わせて感謝する場所を見つけたのです。ありがとうございます。その方に神様の祝福がありますように。どうぞ神様、その方の陰徳が、その方のいざという時を助けてくださいますように。ああ、神様、あの青年は、ああ、神様あなただったのですね。あなたが、あの青年の中にあられ、なぜか、あの公園に足を向けさせ、私を見つけさせ、私のそこなわれかけていた命をもとに戻してくださったのですね。これまで、通りすがりの方々から数々の恩を受けて、無事に今を生きている自分です。どこに、その感謝を捧げたらよいものか。その手を合わせる場所を見つけました。その思いの集結場所は、いま、眠りの深いところにいっているお兄さんです。全ての感謝の要素を、この方に向ける思いに集めて、神様、どうぞ、この方におそう悪運を、どうかはらいのけてくださいませ。そう思う時、ああ、神様、通りすがりの恩人たちは、実は神様、あなただったのですね。あなたが、その方々を遣わして、その時と場所を設定して、私の前に様々な人の姿をして現れてくださったのですね。(まあね、いまごろわかったの)神様にほんとうに、恩返しをしなければ。この健康を、この生命力を、神様が、助かる、ということにつかうのでなければ。いま、アイリーン・キャディの早朝に綴られていった神との対話を思い出しました。ラマダンの断食時期における恩恵なのでしょうね。私は確かに断食月に入ってから、今まで眠っていたこの時間を、また取り戻したのです。こうして小ダヌキにならずとも、あなたに会いまみえるというよろこびに身を浸すようになったのです。
2007年09月24日
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先生には、独特の魔法があり、なんとなく、ひきだされるのです。多分、絵も。先生の、手の分身になってしまえる。私は、先生と、波長が合ったのでしょうか。先生は、よく、私を褒めてくれましたよね。気分はもちろんよかったですよ。自分が生きてる存在が、みとめられているかのような人間の本性的喜び。救いにあずかったような、生きる場を与えられたような、暗闇から救出されたような、やれやれ、こんないいことも、たまにはあるものなのかという不思議なる安らぎ。そして、実際は、たいしたこともないはずなのに、キレイな衣装を着せてもらったように、実際より見栄えよくしてもらったかのような恩義と感謝の念。けれど、皆の前で、一人の人を褒めたとき、まわりの人たちは、寂しくおもわなかっただろうか、いま、ちょっとそういう心配をしてみたりします。先生は、ほんとうに、そんなふうにまでして、私をもてなしてくださったのです。今年はじめ、建築関係の講座で通っていた場所があったのですが、何かの提出物で、一人の人が、講師に呼び止められて、特別なる賞賛の言葉を受けていました。「君はなかなかの優秀な人物だね」老年の講師は、自身の知的好奇心を満足させてくれる、久々に優れた生徒を発見した喜びを、その目にたたえていました。まわりの人たちは、ちょっと引き気味でした。(ああ~あの講師は優秀な人がお気に入りなのね。どうせこっちは・・およびじゃないのね)私も何か、その講師と距離が出来てしまったかのような、ちょっとしたせきりょうかん(寂寥感)。いま、ちょっとだけ、その頃の自分の心が満たされた分、まわりの皆の心をちょっとだけ寂しくさせ、先生との距離を、わずかにでも、もたせなかっただろうかと思ってみたりしました。先生、先生はそんなふうにしてまで、私の気持ちを引き立てようとなさいました。引き上げて、自信を持たせようと・・「セロひきのゴーシュ」を思い起こします。先生、これは、神様の御心でしょうか。神様が、こうして、私をおよびになっているのでしょうか。神様、あなたは、私を呼ばわる時、私を呼ぶ時、どう呼ばれますか?先生、年賀状を書く時期に、それを書けない無作法な自分であることをわかってください。実は、ここ近年、そういうことが、とても重荷で、ことさら苦手なのです。数年前、それでも、先生に書いたことがありました。先生は、こどもの生徒である私を「○○子」と、呼び捨てで呼ばれました。女子に対しては確か皆に対して、そうだったと思います。そういうふうに呼ばれたのは、今まで生きてきた中で、先生だけだったのですと書きました。そう確認したとき、私の中では笑いが込み上げました。そうです。今まで、人と関わり合う中で、そのように呼んだのは、まさに、先生お一人だったのです。両親は○○ちゃん。夫は、名前で私を呼ぶ時は、必ず、「さん」づけをする人なんです。私の名前をつけたのは母親で、母親は、この名前だったら、誰も、呼び捨てにする人はいないだろうと思ってつけた、などと昔、言っていました。いま、おもったんですよ。神様なら、どう私を呼ぶのかなと。そうしたときに、神様は、やはり、「○○子」と、先生が、私を子供のころ、呼ばれたように、お呼びになるのではないだろうかなと。先生、先生の一回目に書かれた手紙の中では、「○○ちゃん」と書かれていました。二度目の今回の手紙では「○○子さん」と、書かれてありましたね。ちょっと、微笑みを生みました。でも、どうぞ、心の内では、子供の時と、同じように呼んでくださいね。その呼ばれ方、とても、気に入っているのです。神様は、きっと、そのように呼ばれるとおもいます。神様の子だものね。母は、神様に文句は言えません。神様は、母に、この子供を育てさせた、母より、ずっと上の大親の方であり。その「おおおかみ」が、そう呼ばわれるのですから。お母さん、私がお母さんの健康指導をしたら、もっと長生きできるはずなのにな。でも、聞き入れないだろうな。食べ物の好み嗜好品、生活習慣って、その人の信じている宗教のようなものだからな。おしつけることもできない。そういう意味では自由ですよね、長く行くにしても、短めで終了するにしても。何のために、いのちを維持するの?ああ、神様と関連した生き方をするのでなければ、いのちの重みをあらわせない。お父様、神様、神的に生きることができますように。時がきたら、あなたの御心のままに、生きることができるように、私を厳しく鍛錬してくださいませ。昨日、上の方々から、貴重な忠告を受けました。たくさん、たくさん。仕事上のことでありながら、重要な教えだったと思う。この人たちも、おそらく、上の人たちから、学んだノウハウだったのだと思います。自分の年齢の半分ほどの人たちから、こうして、日々鍛錬を受けています。これは、貴重なる訓練なのです。どんな人にでも、仕えることのできる者とならせてください。このトレーニングは必ず私の実力を養い、霊的筋肉をつけさせ、いざという時の時がきたとき、咄嗟に実力を発揮させ、大きな働きをすることになるかもしれないのですから。いま、与えられた環境にあなたが関与くださっていることを思います。昨日のテーマは、人との対話の際の「聞き方」のトレーニングでした。私のわるいクセは、人の話を聞いてる振りをしながら、その実、聞いてない。わかった振りをしながら、その実、別なところに意識がいっていて、本当には、その人の言葉を理解しようとしていない。神様、私は、あなたに対してもそうだったのです。あなたのことを、ほんとうには、もとめようとしてこなかったのです。あなたをたえず無視し続け、あなたをがっかりさせて、失望に追いやってきました。お父様、私が、本当に、今から、12歳から、やりなおすことができますように。かみさま、私をあきらめないでいてください。
2007年09月23日
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先生、今日はどのようにお過ごしですか?おとといの帰り道の空には、ウェディングドレス生地の光沢のお月さまは、半月よりもう少しふっくらしていて、太めの様相を顕わしていました。ああ、もう、ひと月の四分の一が過ぎていたのですね。あっという間にラマダン月は過ぎ去って行きそうです。先生とのこうした出会いも、ラマダン月の恵みなのですね。いま、そう感じました。神様が、先生からの贈り物を通して、私をたずねていらっしゃったようです。そうでしょ、そうなんでしょ、かみさま。(あなたの十二歳の良心の輝きを永遠に失ってくれるな)ささいな、あしきことに、敏感に、良心のかしゃくを感じてくれるように。大きな悪いことを、初期段階でくいとめてくれるように、先生は願っているよ。ちいさなことに、はずかしくおもう気持ちをうしなってくれるなよ。そういう先生からのメッセージではないのですか?≪神様が、その方になって、あらわれてくださった≫これは、私が、夫と出会ったときに、旅をしながら、山や森を歩きながら、作った歌のフレーズ。当時、私は、夫のことをもっと慕えるようにと、こうであったらいいなという言葉をつむぎながら、メロディーをからませ、たくさんの歌をつくったものでした。そのような曲を30曲あまりも作ったものです。私のマイナス的なおもいは、それらの前向きな歌を何度も繰り返し歌うことによって感化され、遠く離れた夫のもとに、善き波動を伝えたこととおもう。いまもなお、その日々、賞賛する言葉を発することは、私の生きる呼吸そのものである。あなたは神様のような方です。いろいろな言葉を通して、そう相手に伝えています。先生、先生のその30代の時の、ハスキーなお声、聞こえてくるようです。今、70代くらいでいらして、どのようなお声になっていらっしゃるか・・。先生も、今の私の声を電話などで、あまり聞きたくないのではないかとおもいます。私も、お聞かせする勇気は、全くありません。先生、子供の時の私が、どういうしゃべりで、どういう声で、多分、記憶は全くないと思います。なぜって、先生、私、ほとんど、しゃべらない子供だったじゃありませんか。何かの座談会のような録音するような場があったかとおもいます。私が、何か、発言する機会があったのだとおもいますが、言い終わったあと、誰かが、「おまえ、あの~が、○回もあったぞ」それが、12回だったか、24回だったかは忘れましたが。時々、ドモリもあったように思います。ああ、なんということでしょうか。けれど気にしてません。聖書のモーセも口が重い人だったといいますし。「人を生かす」の著者デール・カーネギーも、訥弁(とつべん)だったそうで、そもそもしゃべりがまずかったのに、後に人を感動させる話をする人となりましたものね。先生、それで、今、私はどういうおしゃべりをする人かというと、私はどうも、おしゃべりが、あまり好きではない人のようです。職場でも、空き時間など、ぺちゃくちゃおちゃべりに花を咲かせる明るい陽気なタイプでは、やはり、いまも、そうではありません。ほとんど、必要な最小限のことしか、しゃべろうとしない人です。雪国生まれのこどもらしいです。でも、ほんとうは、話すことは、実は大好きで、しゃべりたいテーマと、意気投合できる相手が、たまたまそこに居ないだけです。けれども、自分の内側では、たえず、おしゃべりをしています。たえず、心の内側ではカラダさんと、ココロさんが、対話しています。興味あることは尽きなくて、話題は豊富で、おもいから、とびだしてくる言葉たちは、ときどき、自分をドキッとさせます。いまの、書き留めておきたいんですが、ああ、いま、仕事中なんで、ちょっと無理かも?いいや、やっぱり、そういうときは、工夫してでも、走り書きのメモをこっそり残そうとおもいます。先生、話が、あっちこっちに飛ぶ私です。そういう私は、よく、注意を受けます。毎日です。様々な指摘をしてくれます。会社生活してますと。それらが、非常にありがたくて。たえず、会社生活では、私のあらゆる雑多な要素が、じゃがいも洗い機に入れられたじゃがいものように、あっちこっちにぶつかりながら、泥と薄皮を剥がしていってくれます。毎日、否定されるって、洗練されるってことです。傲慢にならないってことです。たえず、腰を低くしていられる、頭を下げていられる。それって、すごい刺激だなとおもえるのです。人の下で働くって、私の性分には合っているのです。謙虚に生きるということが、最高に自分を安定させてくれるポイントだとわかるからです。先生、いま、こうして、一方的なるおしゃべりを勝手にしています。私の文はまとまらないダラダラ文です。心の中も、いろんな思いつきや言葉らが、さくそう(錯綜)して動いています。先生、実は、こうして、私は、先生といいながら、神様に書いているのかもしれません。なぜか、書きながら、霊的なこころもち、軽い疲労感があるのです。いいえ、それはほんとうかどうか、わかりません。いつもなら、この時間、6時半くらいになると眠くなって、仮眠をとりたくなる時間ですから。朝のテレビ小説が始まるまでの間、目を閉じて横になってます。近頃の生活習慣。先生、先生、小学校4年生の時のノートが送られてくるなんて。どうして、先生が持っていらしたのでしょう。私のところにあったなら、とっくの昔に葬りさられていたものです。絵もそうです。捨てられていたものです。それを先生は、どうして、こんなにも、大切に、保管されていらっしゃったのでしょうか。先生という方は、どうしてこんなことができるのでしょう。誤字脱字の多い、しゃべりの下手そうな、まとまりのない昔の感想文ノートの文を読みながら、私もなんだか、泣けてきたのです。先生、先生のもとで、「ノートに文を書くという」ことをするとき、頭の中で何を書くか、まとまっていないのだけれど、書き始めてみると、しだいに、こう書いてみよっ、ああ、そうだ、こうも書いてみよっ、という思いつきがおこったりして、自然とスラスラ熱中しているのです。それが、妙に楽しかったりして。快感だったり。書くことの面白み、これは、提出先が、先生であったからだと、今、おもえます。(つづく)
2007年09月23日
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先生、きのう一日先生のことを思いながら仕事をしていましたよ。先生から受けたもてなし、先生、先生は12歳の子供の私に、私たちに、小さな神様を発見する教員生活を懐古される思いで、昔の弟子のこどもらに贈り物を荷造りされたと思います。私は、どのように、先生にお手紙を書いたらいいんだろう?って、どう自分を表現したら適切だろうかと思ってみたりしました。今日、職場に行くと、前日の夜、ヤマトの宅急便の車の事故で電車が止って帰りが大変だったと、同僚が話していたのを耳にして、ああ、そういうニュースをやっていたな、夫もそういうことを口にしていたな・・はて、先生からの荷物、まさか、その荷物を運んできた車ではなかっただろうか?それだったらどうしたものか・・私の帰りの時間が遅いため、夜の8時過ぎを指定したのでしたが、まさか・・と、しばし思ったのでした。もしかしたら、その荷物が、私のところに届けられる前に、その車に積まれていたままであれば、先生からの届け物は、車の中でぺしゃんこになり、破損していたかもしれませんでした。先生、その車との因果関係がないことを願いますが、また、あえて、探索したくないのですが、ともかく、無事に先生の思いを受け取ることができた幸いを、感謝したいとおもいます。先生、こんなことを思い出しましたよ。先生が、日々、続けざまにバスケットボールを活発にこどもらに指導してた時期、雪道で、車の事故に遭いそうな危険があったのだと、ある朝話されました。ですが、ちょうど、運動で、体を機敏に動かしていたため、咄嗟に危険を交わし、ことなきを得たのだと話されたこと。先生は悪いことの運を寄せつけない、跳ね返す、強運の持ち主であられたのだなあと、そんなことをおもいだしたりしました。先生、今、秋のお彼岸の最中でありますから、用心して、心掛けをよくして過ごさないといけない時期ですね。先生、本当ならば、お電話で一言、受け取りましたと、普通は電話を一本差し上げて、お礼の言葉を言うべきです。ですが、私は、電話は苦手なのです。人との対面も苦手だというのに、見えない電話で、なおさら冷や汗が出るおもいなのです。それで、どうしてもお手紙で伝えるべき必要があるかとおもいます。電話で、どうして、12歳だった子供が、それも大変なる自己表現が下手なこどもが、30数年も経て、上手にどうやって、言葉選びをしたらよいか、先生、わかってくださいますよね。私が、うまくしゃべれない子供だったことを、覚えていらっしゃいますよね。今も、どうしようもない不器用さで生きています。昨日の朝、夫が起き出して、さっそく「みてみて、すごいよ、ほらほら」夫にこどものときの絵を見せました。読書感想文のノートも、先生からの手紙も、「ね、すごいでしょう?びっくりでしょう?すごいと思わない?ドキドキしちゃったよお。涙が出てきちゃったよお」夫が、目を輝かせて、「うわあ、すごいね、上手だね。うわあ、すごいなあ、いいなあ、僕も、こんなふうにしてもらいたいものだよ。でも、ははっ、僕のじゃあ無理だよね。帰ったら、ノート、読んでみたいよ」夫もジーンとした顔で、感動した顔になっていました。喜びを分かちあえて、なおさら、うれしさが、ひろがるおもいです。先生、昨日から、ずっと、じわっとした気持ちに包まれています。はずかしさと、しっぱいと、こうかいと、あ~あと、どうして自分って、っていうためいきと、おろかしいおもいと、いろいろな気持ちが、自分の中で、うずまいて、心の内が、慟哭するおもいに振動して、泣き顔になるのです。ほこれるものなど何もないよ先生、先生、そんなに私をほめないで下さい。ああ、でもその手紙文の賞賛の言葉が、私あてでなく、他の仲間の方々へのメッセージとおもえば、なるほど、うなずけます。なっとくできます。私も、先生が、以前送って下さった絵の作者の方々を尊敬するおもいをもっていましたから。先生が言われる言葉はとてもよくその方々をいいあらわしているとおもいます。先生、私の親は、こういうふうに、だらだら書く、手紙文を、まったく好みません。「何書いてるんだか、よくわからない。読むのめんどくさがって、お父さん、ぜんぜん読まないよ。わかったから、もういいから」十日に一度、親に手紙書き送ろうと思って、今年の一月から四月くらいまで、十日ごとに続けていたのでしたが、母親の電話での一言に、書く気をすっかりくじかれました。私は電話や、話すことが、苦手で、親への電話も一年に一回か二回くらいしかしません。何でもいいから、とにかく、書こうと条件的に実行しようと思ったのでしたが、やはり、とても一方的だったようで、それ以後、やはり、親には手書きの葉書を時々書くというのが、いいんだなと合点したのでしたが、その手書きというのが、どうしたものか、よほどの気持ちを奮い立たせて強い思い入れをもたなければ、なかなかできないものなのです。先生、先生は、また、私たちの違う観点から愛情を注いで下さった親のような存在です。先生が、あのこどもらに、弟子たちに、どれほど関心を持って、愛されたかと思います。そのこどもらが、年をとって、りっぱであっても、そうでなくても、きっと、受け入れてくださるかとおもいます。よしよしと、こどもらの頭をなでてあげたい、そのような心情を深く持たれていらっしゃるかとおもいます。先生、先生のお心を、このような形で、受け取らせて頂いて、私はどのようなことをおもっていたかといいますと、12歳の年齢というのは、もっとも良心基準が高い年齢であると、読み物で目にしたことがあり、なるほどそのとおりだなとおもいました。けど、不純物もまた入り混じっており、無知で渾沌とした、洗練されない処理できない不器用さもあり、自分自身を振りかえると、恥かしさの方が多くて、げんなりするのです。先生、むしろ、そっちの方が大きくて、研ぎ澄まされたものを上手く表現できなくて、よく発揮できなくて、むしろ、先生に合わせる顔がなく、誇れるものがなく、罪なるおもいの方が大きくて、善きものが、すっかり覆い隠されてしまって、どうしようもない気持ちに襲われます。ですが、先生は99%の不純物の中から、1%の神的要素を発見なされ、過大に評価して、拍手して下さったのだとおもいます。
2007年09月22日
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先生、お元気でいらっしゃいますか?先生から送られてきた宅急便を受け取らせていただきました。おととい、留守票の紙を見た時、何だろう?かと思いました。宅急便の担当者の携帯に連絡を入れたときに、ナマモノですかと聞いたところ「児童絵画と書いてありますよ」と言われ、先生、また児童絵画の作品集でも出されたのだろうか?くらいに思っていました。 昨夜、それを受け取り、仕事から帰ってきた自分の波動と、その届け物とは、すぐには波長が合わずに、奥の部屋に隠してしまった。昨夜、夜の8時過ぎ、純白のウエディングドレスの光沢のお月様は半月の形を顕わしていました。「クウちゃん・・へへっ」と茶目っ気たっぷりにお月さまは私と目を合わせると、雲の中に隠れてしまった。 8時10分には家路につき、今日は暑かったため、すぐに水シャワーを浴びて簡単コース10分ほど、石鹸、熱いシャワー、最後水シャワーで、一日の雑多な汗と汚れと疲労と余分なものを洗い流した。 先生、先生のラブレター素敵でした。ドキドキしました。紳士な手紙でした。褒められるって、人に涙させます。人の心を熱くし、心の余分なチリやホコリをすっかり洗い流してくれる。私は先生の熱い思いに触れて、神様に会ったような気がしました。神様はこんなに字が綺麗で、こんなに真剣に言葉を組み合わせて、こんなに熱い思いを一生懸命表現されようとなさる。先生、先生の中に、神様を見ました。 私はすっかりわかったような気がしました。神様の血統の人とは、几帳面で気配りが繊細にゆきとどいていて、その作業のひとつひとつに祈りがあって。先生、先生が下さった届け物、そのテープの貼り方一つ、手紙の筆づかい、先生、どの時間帯にそのような一つ一つの作業をなさったのですか?私は、その剥がしたテープ一つ一つをも捨てたくない気持ちになりました。あまりにも、先生のそのお心を感じて・・。 先生、今、涙がおになってます。12歳の子供の時分の時と、あれから30数年を経た今と、つながっている気がしたのです。その時の小さな小島と、今とこれからに続く大きな島に、橋が架かって、車で行き来するような感覚といったらいいでしょうか。その間にある海が、あの頃と、今の間の30数年間です。 先生、先生の名前を見ながら、先生という一人の人物像を、一人の魂として、一人の一人物として、届け物を手にするまでの一日の間、少し考えてみるひとときがありました。先生って、ああ、傷官の人なんだなあ、私の魂の波動と調和する、何らかの魂の精神的つながりがある方なんだなあと。 昨夜、8時45分から食事を始め、10時には食べることを終了させました。仮眠、夜中、2時過ぎには目を覚ましてしまいました。夫も目を覚まし「きみ、おきるの?わたしを6時半にはおこしてくれる?」と言って私に時計を預け、寝入ってしまいました。ああ、この人、私のこと、「きみ」って呼ぶ人だったんだ。「きみ」とか「あなた」とか、私のことをいってくれる。きみって、呼ばれるの、気分わるくないな。いや、すごく、そういう言われ方、かなり好きだなあ、などとおもったりした。 夜中2時過ぎに目が覚めて、ここで、また寝たら、曙前に起きれるかどうか疑問、起きるべきだ。「夏の香り」録画撮りビデオを1本みて、時間を稼いだ。3:30曙前の準備、軽く食べ、コーヒー、水、3:55分、本日のラマダンスタート。 さて、奥の部屋にしまった、先生からの届け物、開いてみるか。心の準備が整った。児童絵画?って、書いてるけど、絵が贈られてきてもなあ。どおして?いまごろ?ちょっとめんどうな気持ち。思い出に浸っている状況だろうか?みんな。今、いま、生きることに精一杯で、必死で、時間に追われ、立ち止まっている暇なんか、みんな、ないんじゃないかな。というのは、多分、こういう届け物が送られてくるということは、決して、私だけ、特別というわけではなく、その当時の同級生何人かに、送られているに違いないわけであって。みんな、どんな感想をもつのだろうか。数人のそれらしき人たちの顔を思い浮かべてみる。 6時前、朝焼けの光が、白系の東の窓のカーテンに透けて、うごめいている、さーっとカーテンを開けた。朝焼けの光が部屋にはいってきた。まもなく、おだやかな朝の日差しに変わっていった。 ごめんね、先生。先生のセンチメンタルに、善く、こたえられるんだろうか?その届け物は、どうやら、絵が入っているようだ。けっこう、なんでも、どんな絵でも、飾るということはできない私。飾る絵によって、体調が左右される不思議な私の体の反応が起こるから。上手な絵だから、ありがたいというわけにはいかないんです。それに、児童絵画って、興味ないですし。お孫さんの優秀作品でも入っているのだろうか。先生は、どんな気持ちで、こういうものを、こういう時期に送ってこられるのだろうか。 几帳面に貼られたテープを剥がそうとしたとき、先生の思いが、感じ取れた。先生、これは、先生の教員人生の中でも、思い入れのある感情、先生の人生を切り取ったもの。先生の人生の作品。丁寧にテープを剥がす。あっ!ああ~、そうでしたか。こんなにキレイに保存されて・・。それは、私の小学5年生、6年生の時に描いた絵だった。放課後、残って絵の具を塗っていった作品が5枚。こんなに美しく、キチンと保存されていて。30数年もの間、ああ、先生、先生は、ご自分の人生を、いろいろ整理されていらっしゃるのですね。きっと、そうですね。それで、先生が愛した、作品と弟子たちに、絵を渡すということを通して、はたらきかけられたのですね。 私は、おもった。今年、はじめから、父母レターを、先生あてにも書いてみようかと。4月末、母に電話でやりとりした時の些細なひとことに、私はやる気をくじかれた。長い手紙なんて喜ばれないんだ。もう、決して、パソコン文字での印刷での手紙は二度とやるまいと。手書きの「葉書」にちょこっと書く、そうするべきなんだ。と、現実の社会生活に揉まれて、葉書すら書けなくなっていった。約4ヶ月、もう書いてない。父は、少し寂しくおもっているかもしれない。母の生命力も、弱っている気がここ最近してる。とても母の命が限られていることを感じてる。 ああ、先生、私のこの幸せといったら。私は親に愛され、夫に親以上の愛をもらい、先生、先生の愛にも恵まれたのですね。私は何て、幸せな子供でしょうか。それに、神様の愛だって知っている。私が、どれほど、神様に愛されているか。神様が、どれほど、私に執着し、私の教育に熱心に骨をおり、献身的に私を育てたか。 夫を起こしに。「今日のお弁当はどうします?これから炊きますか?」「・・・」こたえを辛抱強くまつ。「・・今日も・・いいわ」やったー。これから寝れます。夫、断食ではないけれど、水分は補給するも朝、昼は食べない、もう1週間くらい続けている。ふうーん、すごいかも。 なんだか、感動して、夜中を過ごしたんです。涙も沸かせて、感動で、軽く疲れ、眠たくなりました。先生ったら、絵だけじゃなくて、小学4年生の時の私の読書感想文ノートまで送ってくるんですもの。「裸の王様」についての昔の作文に、読み入ってしまった。泣けてきた。子供の私が、裸の王様を哀れんでいる。その人の人生の悲しさ、寂しい時を経てきた背景があったんじゃないかって、推察している。良く見せようとする虚栄心や、見栄、正直者という言葉。 先生は児童の感性や作品や感じ方に、小さな神様を発見していたのだ。私は、どうやって、それにこたえればよいのだろう。少年のような先生、おそらく父と同じ年代だから、今、70代でいらっしゃるでしょうか。青年のように、夢があって、理想に燃えていて。先生は本当に芸術家でいらしたのですね。そして、なかなかのスピリチュアルな感性の持ち主でいらっしゃった。 私は、電話は苦手です。まずは葉書を。それから、ゆっくり手紙を。先生と手紙で対話することになるでしょう。私は、人との対面が、さらに苦手ですから。 人って、年齢じゃないんです。人って、魂がどうであるか、それなのです。魂が青年の先生。感性が、少年のように無邪気で、チョウチョやトンボを追いかけて半ズボンの少年の姿。芸術家って、常に感動を求めているので、魂が老けこまないのですね。神様、かみさまって、そういうお方でしょ。神様、あなたの目を、あなたの意識を、それを軸として、私はあなたの目を気にして生きるべきなのですよね。その一点を見て、生きていくべきなのですよね。いま、ざっくりと修正された気持ちになりました。
2007年09月21日
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ラマダン日記、忘れた頃にまた書いてみる。仕事が終わって帰りの電車で仮眠をとって、いつもの駅に降り立った時、(ああ、ラマダン3回目、回を増すごとにラマダンの質は良くなってきているな。前回とは違う発見があるな。体の反応も、状態も、ますます鮮やかなる発見がおこるな。おもしろいな。やみつきになるな。やめられないな。また来年もやらずにはおれないだろうし、今回もラマダンの期間が終わってしまっても、この水飲みの方法は、続けていけたら、すごく体に有益なことがもたらされるかもしれない。まずは、仕事終了後、疲れていないということが一番の喜びだ。目覚めたばかりのような、(ああ、これから私の一番のほんとうの時間だあ!わあ~い)と、一人トクした気分になれること。こんな喜び、他の誰も知らないだろうな。とにかく、仕事が終わって、「お疲れさま」と挨拶して会社を出て行く時、私の顔は鮮やかなにこにこ顔で、元気に満ちているのである。夕方6時、たっぷりの水分を補給した私の心身は、乾いた鉢植えにたっぷり水を注がれて、花も葉っぱもパリッ!ピン!と、いきいきした状態になるニチニチソウのような状態になる。夕方6時を迎えるまでの時間は、もっとも仕事がこみいって、仕事に熱中するあまり、時間を完全に忘れている。一番仕事が過熱し、一番稼げる時間帯であり、一番濃い時間帯であり、仕事の質も向上する頃となるのである。つまり、断食明けの時間帯はあらゆる意味でピークに達する。その日の仕事を完結する時間帯で、私の顔がいっそう輝く頃となるのだ。それで、また、断食がおもしろいな、面白い効果をもたらすなと、ますます私を断食愛好家にさせるのである。その都度、断食の効用、発見、体の面白い変化を携帯メールで夫に報告を、短い文でこまめに書くようになった。「イスラームでないあなたが、ラマダンとか言うのはよしなさいよ。ただ、断食と言えばいいじゃない」と、言われて、(うーん、そうかもしれないよなあ、イスラームの人からみれば、不快におもう人もいるかもしれないしなあ。ラマダンという言葉をつかうのは不謹慎なのかなあ)今年もゲスト参加で、お客さんで、旅行者のたまたま参加、気まぐれな自由参加なのであるけれど、イスラームの人はそんなケチなことは言わないだろう。私たちは、善き隣人同士であり、人類皆兄弟姉妹という意識のもとで、きっと温かく親しみをもってみてくれるに違いない。唯一の神様は、隔たりなく、誰をも包み込んで下さるのでありましょう。今日、同じ月を皆、見ているのだろうと思う。19日の夜8時半にみた月は月初めの細い月から1週間たった月に成長していた。帰り道、空を眺めて歩くのはわるくないな。やっぱり、ラマダンって言葉、私にも使わせていただきたいと思う。それを許して欲しい。ラマダン、いい響きだ。書店で、ラマダーン(断食)という文字を見た時、ドキッとしたのだから。何?それって何?私は、そもそも、断食じたいに興味をもっていたのである。昨日の朝、同僚に「あら今日素敵ね、女学生みたい」おしゃれな人に声を掛けられた。うーん、そうだなあ。ちょっといい気分かも。断食って、くたびれた大人を、若き青年によみがえらせる。澄んだ思考にさせ、冴え冴えとした顔つきに生みかえさせる。汚れや、くたびれをどんどん解消させていってくれる。そんな自分の変化を日々目にする自分のモチベーションが一番あがるのではないか。外気を完全に善き状態で遮断させてくれる。いっこうに社会生活に支障をもたらさない。護られている。誰にとっても断食は善行なのである。聖書に断食してますという顔をするなと書かれている。それで、いっそう、お顔のお手入れと笑顔に気を配ろうと些細な努力を試みる。が、それが、わざとじゃなく、わざわざじゃなく、イタについてきた。心から笑顔の状態が生み出されてくる、そういう状況設定を与えられるのである。小説がハカがいかなくなってきた。読めなくなった。この期間が始まって。いつも本を読んでいた電車の中、昼休み、この時間帯が仮眠の貴重な時間帯となった。電車での行きの20分、昼休み公園での池のほとりで20分、帰りの電車で20分、幸せな仮眠の至福を味わうこととなった。電車で降りる一駅前には、うしろの精霊さんらしき断食援護者が私を起こしてくれる。昼寝の時も、ちょうどいい時間に私を起こしてくれる。曙前の3時過ぎには、ちゃんと私を目覚めさせて下さる。もう、めちゃめちゃ信頼関係できてます。(だいじょうぶ!起こしてもらえるもん!)夫も時々、協力してくれる。「3時だよ。起きないの?」善なる協力をおしまない夫は、しだいに、私の断食の影響を受け始めている。昼時、人と一緒に過ごす必要のない時は、「弁当はいらない」という。「本当は食べたくないのだけど、人の手前、食べないでいるわけにもいかず、しかたなく持っていくのである」ということのようだ。体は食べたくないんだって。私の職場では、「あの人は昼、食べない人。間食もしないんだって」というのが、公認されてきた。ラマダンはじまる43日前から、そういう状況設定を準備してきた。食べ物をすすめにこなくなった。理解を示してくれるようになった。去年のラマダンは今年の2月半ばまで続けたが、旅行などをきっかけに打ち切りにした時、これまでの魔法が消えて効かなくなってしまったかのように、凡人に戻った気分だった。いつでも、何か食べていた凡人、一般人の嗜好に戻ったとき、なんだかつまらない、しらけた気分になった。断食している間は、それじたいが、善行だから、精神が充実するのだろうか。その後、また新しい環境の中で、やはり、人目を気にして、昼あたりまえに食べるという生活になっていったが、その時期は人とのコミュニケーションも重要だったのである。が、しだいに、だんだんとダラケテきて、ある日、食べないで用事を済ます必要性から昼食べない日の爽快さを味わったことを機に、「昼は食べない」ということにしてしまった。それが、今年の8月1日、昼休み、図書館への往復で食べそこなったことがきっかけだった。今日からお彼岸です。仏様のお供えものの買い物、夫にお願いしよう。去年のラマダンも「秋分の日」がラマダンの始めにあったはずだった。とくに、霊界が近く接近してくるので、注意深く、精神的に善く過ごすことができますように。今日から、家に帰ってきたあとは、ご販を食べる前に、ビール酵母を水で解いて食べよう。それから食事にしよう。体の細い小路をことごとく、モップをかけてピカピカにするのだから。それで、きのう、思いついて、キャベツとビール酵母を買ってきたんだ。ああ、小学校の担任先生(児童画家の先生)から画集が送られてきていたらしい、宅急便のお留守でしたの紙。12歳の最も良心基準の高い時期に共に過ごした恩師に、今も愛されている教え子の私。定年までお勤めされた中で、たくさん出会ってきた児童たちの中で、先生の心に印象深く残された12歳の私。先生、決して、12歳の時が、一番、良心基準が高かったとはいえません。何も知らないという面では純朴であったかもしれないけれど、無知という中には、子供ながら、虚栄心、比較する思いから喜んだり寂しくおもったり、心は貧しかったのです。本もあまり読めなかったし。自己中心の心貧しい子供でした。今の方が、よっぽど、純真で生きてます。体は清貧にみごとに包まれて、雑草のように、野草のように生きています。
2007年09月20日
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生きやすくなった。呼吸しやすくなった。秋晴れの澄んだ空気、青空と透明感のある良質の空気を特別吸うことのできる、そんなラマダン期間の特典ではないか。ラマダン生活スケジュールに入ってから、まさか、こんなに疲れなく、豊かな自分の時間を持てるようになるなんて、考えもしなかった。むしろ、どうなるんだろうかと思っていたというのに。なんて幸せな時間が、生み出されたことか。とても気持ちいい。窓の外は、もう完全に闇から抜け出た朝の明るさだ。5分、外に出て、夜食べる野草を摘んでこようか。6時半になった。これから圧力釜でご飯を炊いている間に。 ◇ ◇ ◇ 本日のラマダンAM3:49~PM5:46迄。曙時間前30分前に起き水を1、5リットルとコーヒー飲む。今日は夫が、「目覚まし鳴ってるけど起きないの?」起こしてくれた。昨日も今日も3:20くらいには起きあがる。3時間寝たが、ぐっすり熟睡できた。起こしてもらえる、後ろの方々に応援されているという感触、ひしひしと感じていて、全く孤独ではなく、さびしくなく、非常に精神世界は充実している。時間が濃く、豊かなのだ。そして、ラマダン時期の眠りが非常に安らかなるものなのである。8月のお盆から、私は職場の人間関係で、こんな体験をした。精神分裂関係の薬を飲んでいる人が、耳元で人が自分の悪口を言っているとか、ささやき声が聞こえるとかいう話。人の言葉にぐっさり心を痛め、職場で大泣きしたこともあった。お盆の前後の時期だ。そのような症状を抑えるため、薬を飲むのだときく。私は薬とは無縁の人なので、薬、病院という発想は起きない。(霊界だな、霊界の仕業だな)と思いながらも、呼吸が苦しいという状況を始めて実感した。それで、私は、そういった状況にあったとき、ずーっと出勤の際、歩きながらも、道々お経を唱えていた。悪い映像が描かれないように、人の負なる言葉と声を受け付けないように、自己防衛力は鋭く働いた。今、私が働く職場空間はガラリと変わった。その方の美点をよく気づくようになり、その方の悲しい人生をも、飲み込めるようになった。理解できるようになった。その人の先祖の徳分も。その人の顔立ちが、鼻断ちがスーッと高く、切れ長の目、頬の盛り上がり具合が、「弥勒菩薩に似ているね」きっと、とくに、若い頃、そう言われて尊ばれてきた人だったのではないか。高貴な背景の方である。私はその方から学ぶものがある。また、もう一人の、私を泣かせた人は、9月に入ってから、私の目に入らない所に移動となったようだ。大殺界の一年目、神様は、このような隣人を贈り物として下さり、私の悪運を消費させてくれた。私を、こういう形で助けたのだ。この年、(信じられない、こんな人がいるのか?)大殺界で去年もおもった感想。が、しかし、今年、私を夜中までうなされるおもいをさせた人たちは、いずれも、<月・傷官/年・偏官>で、日干が、庚の傷官の男性と、戊の傷官の女性だった。なんのことはない。私は、自分自身の映し鏡を見たまでのことである。<辛*月・偏官/年・傷官>の私は、戒められたのである。あなたも、変な時があったわけだよと。また、今後も注意しなさいよと。変な風な感じを、人に与えるようになった時は、病気の兆候でもあるよと。ニチニチソウが、ラマダン開始時期に時を合わせたようにして、いっせいに咲き出した。濃いピンクの神様の愛、そのもの、芸術、作品。神様の心情が、その花のかわいらしさに表現されている。1週間ほど、断食させていた。今朝、曙前に、自分と共に久々の水を吸ったのである。
2007年09月15日
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断食、食事改善、少食がもたらした贈り物、美しい皮膚、丈夫な皮膚。足の裏の美しさは、その人の運勢を物語っているかのようだ。この夏、サンダル履きのためもあり、毎日、軽石をあて、足の裏を磨いた。お顔マッサージとセットでふくらはぎから足先をオリーブオイルでマッサージしてからお風呂という習慣へ。 ◇ ◇ ◇昨日、朝の出勤で、歩きながら、ふと思いついたこと。足の裏の話。食事改善をして約7年、劇的変化は、皮膚が良くなったこと。それも、足の裏が、とくにすべすべになったことではないか。アトピー、湿疹など、およそ無縁である。うおのめ、たこ、いぼ、イボコロリっていう薬が昔あった。父が昔使っていた。足の裏の固くなった突起した皮膚を父は「よのめ」と呼んでおり、削ったりもしていた。それを思い出したのだ。皮膚が比較的丈夫でキレイだった父でさえ、足の裏にいぼがあったのだな。私も子供の頃からそうだったのだ。乳製品、たまごも過多だった。それらを今は、買い物カゴに入れることがない、ほぼそういう生活7年。玄米菜食、素食、少食、断食習慣、コンビニ弁当など全く食べない。辞書より~≪うおのめ(魚の目)・・皮膚の一部が変化して真皮内に食い込んだもの。多く、てのひら・足の裏にできる。/いぼ(疣)・・いひぼ(飯粒)の転・・皮膚の小突起物。/たこ(胼胝)繰り返し刺激を与えたために、皮膚が堅くなったもの≫掲示板で、50代の人たちがどんな水虫の薬を使っているかという話題に盛り上がっていた。・・我々は無縁である。夫の足の裏の、その美しさったら。もともと手足の皮膚がキレイな人なのだが、特に手は、手のモデルをさせたいくらいキレイな人なんだが。私が夫の足裏や、ふくらはぎマッサージをする際、足の裏を自分の頬っぺたに、くっつけながら、韓ドラ見ながら揉んでいる。もし、この人の足が水虫だったら、足裏マッサージはしないだろうし、してあげられない。する気になれない、しない、できないのだ。私が若い頃、皮膚が特に良かったのは、顔。お手入れが良かった時は当然。体が冷たかった、血の巡りが悪かった、手足の皮膚は硬かった。特に手は、おばあさんのような手と自分でも言っていた。手荒れがひどかったので、冬場の食器洗いは夫が「いいよ、自分がするから」なんて言ってたこともあったのだな。今、フライパン料理は全くしないので、つまり油はほぼ使わない。洗剤が不用である。時々、ヌカをつかうような生活。冷蔵庫もスイッチを消して2年程経つ。食べる分しか買わない、作らない。今、玄米2合とワカメを洗って水につけておいた。炊いたご飯を湯のみ茶碗ほどの器に6コ分盛る。ほとけさまに供える。2つ分は夫の弁当。夜夫が2コ分食べ、私が夜2コ分食べる。食の量は、命の量、計って今日の分を頂く。
2007年09月15日
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ラマダン健康効果・・不思議なことが起こったのです。午後7時過ぎ、エレベーターで職場の名前の知らない方と乗り合わせて、その方は頭を抑えて「つかれたわね」と私に声をかけてきました。え?そお?というふうにしばしキョトンとした。けれど、その方の姿を見たとき、あ~あ!と、少し前までの私の姿が、その方と合致した。私も誰かに言いたかったのだ。(・・「随分疲れる仕事なんじゃないの?ココ!」・・)言いそびれていたのだ。私は、おもいだしたように、力強い口調で「じっさい、つかれますよね」実は、そう言った私は、今、自分が疲れていないことに気づいて、心に驚きが起こっていた。普通は、どんなに疲れるハードな仕事なんだろうかと先日まではシミジミと感じていたのだ。ところが、昨日も今日も、仕事が終了した時点で、朝起きたばかりの爽快さを味わっていた。夕方5時前でその日の断食は終了。午後、決して眠くない。3時、4時、5時、ワクワクしてくるのである。もうすぐだ、もうすぐ水が飲めるぞ・・なんて、密やかな楽しみが、私の心の内には沸き立っているのだろうか。その時間になって、水が注がれる。乾いた植木鉢に、水をやって、さーっと吸収するかのような快感。どんどん、しおれていた体が元気を取り戻す。眠っていた体が起きだしはじめる。仕事もなんとなく、サマになっている。なんと・・昨日も、今日も、劫財・比肩と、仕事が冴えない日だなと、変な先入観を持ってしまうときであるのに、まずまずの成果の出来上がりである。運気の善い時は、棚からぼた餅で恵まれる。運気の善くないときは、ダメとあきらめてるんじゃなく、何か運気を補強する、何かを足して、日々の数字を平均化することができるのではないか?新しいことを発想した。何かを付け足す、たとえば、昨日今日、いつもしない、水を日中飲まないという条件をつけたしていたわけである。8月1日から9月12日までの43日間、休日以外は、だいたい日中、物は食べず、水だけ飲んでいた。ラマダン開始から、その水を、明るい時間は摂らない。それが体に、劇的効果をもたらしているという新しい事実の発見に、心底よろこびを感じた。断食を積めば、体はどんどん記憶して、そのことが、どんどんラクにできるようになる。そして、新たな階段を登るのである。時間を得た。好きなことができる時間を得た。数日前まで、毎日、疲れきっていた。家に帰って、食べて、疲れて、朝まで寝て、また仕事。パソコンも開く元気が出せないでいたのだ。今回は、43日間の準備期間もきっちりあったので、ラマダンがラクで快適である。去年のラマダンのはじめの頃は、めまいと立ちくらみに、事故や怪我などの危険をかんじていたのだ。おそらく、今の職場の人達は、1日が仕事だけで終わってしまうだろう。寝て食べて働いて、そのパターンを繰り返して、すりきれていく、年をとっていく。断食効果とは、あたらしい生命力、活力と、好きなことが出来る時間を得たようだ。お金を得たも同然。いや、もっと豊かな恵みと幸せをもたらしてくれる。いろいろなインスピレーションも与えられる。夫の医療保険のパンフ請求して、夕べ見てたが、(んんんー、なんだかピンとこないな)今朝、それを日記に書いたら、(ああ、コレだ!こういうのが、この人にはいいんだ!)具体的なイメージが、日中、頭に浮んだ。探せば見つかるのかも?もしくは、まだどこにもないかも。あるいは今後登場しようとしている直前か。私が安心できる、一番適切なものと、近々巡り会えるのではないかという予感がした。これで、問題は解決した。夫の顔を見るのが、毎日楽しみだ。夫の顔を見て、健康チェックをしているのだ。夫の足を揉みながら、毒の溜まり具合をチェックしているのだ。夫の足チェック、きわめて良好である。かなり、血の巡りも善いし。顔も、ハツラツとした表情だ。運命のいいなりになってないぞ。けど、遺伝子の問題もあるから、心臓関連少し調べて、悪いものが侵入しないように、私が見張り役になっていよう。今朝、家のお手洗いでクモを見た。そういえば、昨日の朝も、家の玄関で、クモを見かけたのだ。「朝のクモは演技がいい!」という言葉が私の体を駆け巡った。「ラッキーですゼェ!」クモが私にメッセージを伝えているようなノロノロ歩きなのである。「あっ!みつかっちゃった」クモと目が合ったかのよう。今朝、そのクモを咄嗟にペーパーでつかみ、便器の中にポイ!(ああ!なんてことをしてしまったのか、ごめんなさい)あわてた。今朝、オリーブオイルを買わなきゃと気づく。帰り道、量が少ないけど、良質のものが安価で手に入った。使い心地、ああ、求めていた感触である。問題がどんどん解決していく。それに、後ろの皆さん、いろいろありがとう。お礼を言いたい気持ち。また、電車で、降りるべきところで、ぱっと目が覚めて降りられた。ご飯の量もわかってきた。0,7~0,8合で、体が納得してる。夫のいびきが聞こえてきたので、ビデオ撮り「夏の香り」隣の部屋に見に行ってこよう。
2007年09月14日
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ラマダン二日目の朝・・(9月14日(木)辛亥 曙時間3:48~日没時間17:48)朝、出勤前に少しでもラマダン日記をつけていこう。ゆうべは夜8時過ぎに帰り、ご飯を夜9:20まで食べ、ソファベッドにウトウト横になったまま寝入ってしまった。開け放した窓からの、風の冷たさに気づいて目を覚ます。午前3:20、ああセーフ、ありがとう。うしろの皆さん、ちゃんと曙前に目を覚まさせてくれて。感激です。ほんとにありがとう。感謝します。コーヒーを沸かして、時間内に飲めた水はペットボトル1本、目をつむりながらぼんやりしていたら、曙時間1分前、残りのコーヒー飲み干して、水をちょっと口に含んで飲み込んだら、その時間となった。今日もはじまりはじまり。お顔のマッサージをする気になった。ついでに首、ふくらはぎから足先にかけて。ヌカ風呂に入った。アカスリして、お湯、水、交互にして、さらにアカスリして、この頃は毎日アカスリ、血行が良くなる、ついでにお風呂の掃除、最後水シャワーで終了。6時間寝たことになる。これから、この時間の流れでいけたらいい。そうできたらいいなと前々から思っていた。願い通りになれてうれしい。お風呂1時間半のあと、ビデオ撮りした「夏の香り」をみながら、アツジンさんの足もみ。ふくらはぎと足の裏。この善き習慣も続けたい。続けさせてください。昼休み、先日、アツジンさんの四柱推命をネットで観ていた。暦通りなら、この方は、今の時期から病気モードに入るはずなのだ。真剣に医療保険パンフみて、考えあぐねたりもしていた先日だったのだが。毎日、アツジンさんの顔色、血色など、みているわけなのだが。どうも、運命の流れから、この人は、はずれて、自分の与えられたはずの運命という路線に、この方は、距離を置いて、生きている人ではないだろうか。素食、完璧に節制させた生活スタイル。私たちの神妙なる精神的信頼関係。私たちは互いに為に生き合っている。その人の顔色は血色も、運気の光りもツヤがあり、足の裏も非常に美しく、よい、健康的な匂いがするほどなのである。運命どおりの道からそれて生きている、完全に、善い状態である。「夏の香り」を観ながら、天使長ルーシェルと神様との関係を考えていた。曙という最も濃い闇、そこから光りを発する、という働きをした、神様の最も大きな存在だった最初の被造物ルーシェルさん、彼の努力、苦労、頑張りをこの冬の断食期間、感じ入ったりしたものだったのだが、今朝は違って感じられた。曙という闇、そして、そこから発した光、これらは全て神様の偉業だった。神様の成果だったのだ。神様の喜び、達成感を感じた今朝という今朝。かみさま・・神様、びっくりしたんです。昨日、夜6時前、時間がきたので水を飲みました。甘かったのです。びっくりするほど。そして、いつも、ぐったりするその時間。私の体は真空のように軽やかで、すばらしい元気に満ちていたのです。
2007年09月14日
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全国のラマダン仲間の皆様こんにちは。9月12日(水)夜9時帰宅。電車での居眠りで寝過ごした。(後ろの方々への働き掛けをそういえば忘れてた。話かけの交流をしていたら、起こしてくれるのにと今気づく)ご飯食べ、「ホタルノヒカリ」最終話を見てる途中、人との電話で、明日早朝3時起きで、日中断食1ヶ月始めるので準備にすごく忙しいと話したら、相手、長電話のつもりが短く終了。お湯と水でお風呂、簡単アカスリ20分、最近髪を愛するようになった。髪への思いやりは(ヘアパックなど)、後ろの方々への思いやりかも。「夏の香り」のビデオ撮りを見ながら、アツジンさんの足もみし、眠さが限界。1:20~3:20迄2時間睡眠、起きて、コーヒーと水1リットルを曙時間迄ちびちび。本日3:47スタート。ご飯を炊き、トイレ、床拭きなど、環境を整えるなどの整理整頓を6時迄。6:00~7:30まで仮眠。といっても、コーヒーを飲んだからか、寝つけない。分割睡眠療法・・あの方法がいいのかもしれない。「いい睡眠は、いい人生をつくる」(著・斉藤英治)この本を電車で読むことにしよう。この1ヶ月、時間管理の勝負です。けど、今朝、曙時間から日の出までの掃除は、なんともすがすがしく、充実したものだった。新月の始まりを体感するおもいでした。この期間、ニチニチソウの精霊さんと親しくなるつもりでいる。乾いてから水を欲しがる花で、今、テーブルの鉢植えにいっぱい濃いピンクの花をつけてます。短くてもいいからラマダン日記をつけようと思った。浄水をペットボトル3本もった。これから「どんど晴れ」みて、今日もハードな仕事にでかけます。いってきます。
2007年09月13日
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●誰もが至る所で、いつでも自分の最善を尽くしている。例外は無い。(MSI)●不幸な目に遭わないこと、それは多くの幸福に恵まれることに等しい。(エンニウス)●本当の自分を出したいから、半分の人に好かれれば十分。(田村美寿々/ジャーナリスト)●人生において、チャンスは貯金できない。(作者不詳)●不幸せの時くたびれる者は、役に立たざるなり。(山本常朝/江戸時代 武士)●大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。(徳川家康)マスター、夏のかため玄米ご飯と、梅干の甘味と塩で握るおにぎり、ほんとうにおいしいです。いいですね、このメニュー、コーヒーもおいしいです。アツジンさんは和室でテレビつけっぱなしで、お気に入りマットでくつろいでいますよ。我々、ほんとにお互い解放された良き同居人なんです。クウさん、店、手伝ってくれるっていう話っぷりだったのに、また、やられましたね。あなたの手はあてになりませんですね。まあ、待ってください。やるときはやりますから。久しぶりに、自分の鑑定してみたらいかがですか?ああ、そうですね。月も変わったことですし。いやなことは、そうそう続くものではありませんよ。そっかー、そうですよね。いつも、暦は私を救ってきたのですからね。日干・辛酉の私にしてみれば、この年の9月は天徳貴人の月でして、しかも、酉は建録(比肩)してまして、9月8日の土曜日ごろから、ガラリとあなたを取り囲む空は青空となることでしょう。月、火は、みこころのままに委ねて生き、そのあと、3日間より変化の手応えを感じることでしょう。実際、仕事のスケジュールもそうなっていることでしょう。おそれるものは何もありません。その日、一日生きることだけを、ただ、それだけを考えて生きるが良い。いつでも、ここに、休憩しにくればいい。ああ、マスター、そういえば、私は、この9月、ほんとうに、大きな生活の変化をおこします。9月13日の木曜日から、ラマダンを始めるからです。実際に身近に仲間はいません。なんだか、いつも孤独なのですが、今年も、それだけは果たしたいんです。私にできそうな小さなこと。それで、早寝早起きの習慣を身につけなければなりません。日中の水分補給をストップさせるという修行です。早朝の曙前に1リットル、日没後1リットルをうまくコントロールしていきます。きっと、しぼる生活しながら、心には抑揚が生まれるから、それだけは確かだから。そうして、この時期、セイタカアワダチ草の収穫を恒例行事として行いたいのですが、かたい蕾のうちに収穫するつもりです。また、学校の裏庭を視察にいきます。たっぷりの水で洗って、ベランダに干していきましょう。今年は、乾燥させたものを、大きなビニール袋に入れたら、大きな布袋に入れて、まずクッションにするつもりでいるのです。本を読む時や、書く時のです。これがですね、精神的効果をもたらすのですよ。先日、米屋に車を出してもらってヌカを仕入れると書きましたが、書いた直後に実現しました。90歳近い米屋のおばあさんに、今年もおめにかかれました。いつもおもいます。そのおばあさんも、そのご子息さんも、顔の肌の血色がなぜだか非常によい。つやつやしているのです。おばあさんは、腰も曲がってるし、髪もベージュがかった白髪を束ねていますが、ちゃんと商売を手伝っています。すばらしいな。今年はどういうわけか、米袋30キロの袋にヌカが入ったものを奥から出してきました。200円でわけてくれました。外の車まで、おばあさん、運んでくれたのですよ。家に帰って、米袋の紐で閉じ、スッポリ入るビニール袋に入れ、布袋に入れて、背もたれクッションにして、今、書いているのです。精神的効果が、あるのですよ。必要な時に、必要なだけ、中からヌカを取り出して使えばよい。本を読むのに、先日、2キロの玄米を3つ、クッションの布袋に入れて寝そべって読んだのです。その時、その効用に気づいてしまった。そうしようと発想したのは、霊的方々が与えてくれた知恵でした。神様、隣の部屋に住む、一番の隣人アツジンさんの存在、神様っていう存在って、人間に引き立てを受けなければ、生かされない主役です。アツジンさん、こんなに苦労して、孤独と疲労と一所懸命に稼いで、今日も食糧の調達を引き受けて帰ってこられました。一番身近なこの人が、癒しをあげられなかったら、この方の命はどうやって報いを受けるのでしょうか。もっと、手をかけて、掃除やら、なにやら、してあげたいのに、この人も、この人で自分のことで精一杯で、あまり期待できない人ではありませんか。今、あの方は気の毒な限りです。けれども、そんなことには気にもとめず、すっかり寝入っています。ほんとうに、この方は、宇宙の自然の一部のような存在で、神様からの贈り物のような存在です。この方の気持ちを引き立てるために、家の中を美しくしたいのですが。キラリンと光る床、玄関、トイレ、洗面所、キッチン、仕上がったお洗濯された衣類など。自分で全てしようと思ったら、どんなに大変なことか、本人よくわかってますから。職場で、若いリーダーたぬき君のワイシャツ、よれよれなのですが。けど、かえって、ビシッとしている人は苦手なので、気が抜けて助かります。確か、奥さんは、出産前なので、「そんなのどうでもいいから」というやりとりが見えるようだ。そうだ、明るい方を観ていこう。そして、私は、ここで明るさを充電する。まだ、ピンクの携帯、充電ランプがついている。時間かかるものだね。私は最近、また、トルストイ読んでるんだ。昔の人でありながら、本を読んでると、その人の魂と交流している気になります。本を読んでると、本の作者が、その時の友達なんだ。私はトルストイさんと気が合うなとおもってるの。こういう人に奥さん、ついていこうと思ったら、やっぱり簡単ではないのでしょうけれど。アツジンさんは、トルストイさんのような人だから、私も空想世界に住む人だから、誰もついていけそうにないアツジンさんとの呼吸はピッタリなのです。その変わり、私も変わり者ですから、普通の人とはうまく付き合っていけません。努力しようたって、できそうにありません。自分のやりたいようにしかカラダも心も動きませんので。私だって、コノ人に(じぶんに)やっとついていっているのです。コーヒー、おかわりください。隣の部屋をみにいってきました。かえるのように寝入っていました。タオルケットをかけてあげましたら、メガネをはずしました。テレビを消し、灯りのスイッチを切って戸を閉めてきました。今日は、コーヒーが素晴らしくおいしいです。カラダにもやさしく作用してると感じます。最近、朝、ちょこちょこ、青草食べてます。ヨモギの先の端の柔らかいところを、気が向いた分だけ摘んできて、さっと水洗いして、朝の水飲みしながら食べるんです。噛み切れない繊維は口から出します。簡単でしょ。青汁がこうして簡単にとれます。庭を歩いていると、わかるんです。食べれる草だなと。おいしそうな草だなとか。そういうことしていますと、顔色が澄んでくるというのがわかります。この青草を毎日まじめに食べていったら、私は完全に善良な人になれると確信するほどです。なかなかできないものですが、朝一番の心掛けが大事ですね。顔色が澄むって、本人としては、こんなモチベーションがあがることってないんです。日中の断食がやめられないのは、自分の姿に、モチベーションがあがるからなのです。会社に行きつくまでに、あらゆるところで、鏡やビルの窓ガラスに自分が映し出されるのを目にする場面があります。そうした時に、背筋が伸び、おなかがすーっとまっすぐに引き締まり、あごがシュッっとなってる。自分の姿に「やる気」を見出すのです。やる気とは、生きる気。
2007年09月02日
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●音楽は精神の中から、日常の生活の塵埃を除去する。(バッハ)●陽気な心は薬のように人のためになる。(ソロモン)●世の中に無神経ほど強いものはない。(勝海舟)●人は必要に迫られるとすぐに実力を発揮する。(ピタゴラス)●時は誤りを摩滅させ、真実をみがきたてる。(ガストン・ド・レヴィス)●われわれは、どれほどの恥辱を自ら招いたとしても、必ず自分の力で名誉を挽回できるものである。(ラ・ロシュフコー)お部屋の整理・・しよう。それしかない。しっかりするには、そこからしかない。アツジンさんが帰ってくる前までには「にんにく酢」を飲んで、きめ細やかな家事に突入しよう。それしかない。人間クウさんに戻って、ちゃかちゃか片付けはじめよう。ダンボールまとめて、要らないもの集めて外に出そう。数年前、少し悲しい時があって、韓ドラ音楽と本とテープやネットに熱中没頭して、全てが洗い流されたなということがあったな。しっかりこの地に足を固定させよう。手を使って、掃除や整理整頓して、自分の気で居場所を護らなくては。夏が終わってしまいました。家事に汗を流すことを通りこしてしまいました。今日は雨もなく、風がきもちいいくらいです。アツジンさんが昨日頑張ったお洗濯物も気持ちよさそうにしています。せめて、私の目に入るものは美しくしましょう。アイロン、糊付け、さらなるお洗濯。お顔のマッサージ、パック、アカスリ。床拭き、トイレ掃除、お風呂掃除、模様替え。キレイにしよう。顔をキレイにすることって、どんなに大事か。アツジンさんが、いつも言う。えがお。人と人との関係。言葉だけじゃない。顔つき、どんな顔で挨拶するのか。会社の研修のとき、Mさんが言ってました。「挨拶って、一番大事だと思います」そう、それで、会社に行って、一番最初にMさんのところを通るので、しっかり挨拶してます私。Mさんというその方も、しっかり挨拶を返してくれるのです。しっかりとは意識的にキチンとということなんです。顔、表情、言葉って、人にいい空気、「気」を与えますもん。私、おかしな方のことばやかおに反応してはいけないです。批判してもいけません。いやとおもってもいけません。反応しないことです。さらりとなにごともなかったかのように、かわさなければ。私はプラスの「気」を、内側から充実させなければならないのです。ユン・ソクホ監督の「夏の香り」映像や音楽や役者さんの表情が、よくできているなと感心します。キレイにできあがっています。絵を眺めるみたいに。自然の森や山に行ったみたいに。彼は続きを作らなくては。自然の色合いって、すごい力を持っています。私、ウツ病患者のような、分裂した言葉並びの文章やめようよ。整理された、きもちのよい文章書けるように、気を確かに持とうよ。立ち直れ。これからは、それができる。自分が決意しなくて、どうしようっていうの?あなたしだいではないの。分別されたんだよ。あなたが、おかしいから、ぶたれたんだよ。そう、それで帳消しになったの。もし、そこで、グダグダが起こらなかったら、別なことで事故が起こっていたことでしょう。全ての物事には意味があるのよ。あなたが、このキーボード、気持ちいいって言うのなら、たたきにきなさいよ。毎日、きなさいよ。たたかしてあげるわよ。心のもやもや、吐き出していきなさいよ。あなたを救うのは、心のもやもやを文にして、出すことよ。そうしてこそ、神様が新たな知恵をあなたにあげられるのよ。わかりなさい。つぎにすすめるように、わかりなさい。早く立ち直りなさい。新しくなりなさい。そうだね、これからは腹筋を100回やろう。汗かこう。からだ、動かそう。爽快な表情の人になりましょう。あなたの苦手とする仕事仲間は、お客様なのです。神経質なお客様もいらっしゃることでしょう。お客様は、おおかた、おことわりするものでしょう。にこやかにことわる人もいれば、ヒステリックにかえしてこられる方もいらっしゃいます。けどね、その方々は、みーんな他人なのですよ。あなたは恵まれているではありませんか。あなたの一番身近な、毎日食べる玄米ご飯のような存在である、アツジンさんはいつも、いつも、笑顔で優しく、いい顔を向けてくれるではないですか。それなのに、ねぎらいのなにもない私だというのに、不満の一つもいいあらわそうともせず。おこることもせず、もんくもいいません。いつも甘えさせてくれ、いつも暗黙のゆるしを与えてくれる。神様は、この方のそばにいるよ。神様、私は、こんなにも、大切なものを、ことがらを、その存在を粗末にしていますね。白い紙・・この場こそ、神様と対話できる、ここは礼拝堂ですね。音楽、空間の部屋、テーブル、照明、空や緑が見える窓、流せ、クウさん、涙をいっぱい流せ。どんどん、どんどん、アカを落としていくんだ。顔に笑みが浮んできた。ありがとう。力、出てきました。書く、このスペース、この状態にしておいて、少し、家事、やってきます。うん。そう、ここに引越ししてきたばかりの時、荷物整理しながら、涙することが、しばしばあって、一休みしながら、その都度、神様にお話しながら、お部屋づくりを進めていってたんだ。
2007年09月02日
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●生きるとは呼吸することではない。行動することだ。(ルソー)●喜んで行ない、そして行ったことを喜べる人は幸福である。(ゲーテ)●自分自信を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。(サイラス)●私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。(モーリアック)●幸運がもたらされても、その全てを使ってはいけない。(コンフューシアス)●人生とは、人前でバイオリンを弾きながら、しだいに腕を上げてゆくようなものである。(サミュエル・バトラー)マスター、はじめまして。ここの噂ききつけてやってきました。別荘地なのだそうですね。緑がいっぱいですね。名前?ですか?タヌーって呼んでください。男か女かって?とりあえず、ここでは詮索しないでください。人間界が嫌になるとき、つかれたとき、タヌーになることにしてるんです。タヌキ村の森の茂みにオフィスはあるんですが、タヌキにも、相性っていうのがあるみたいです。気のいいやつ、合わないやつ、いろいろです。マスター、ここのコーヒーおいしいです。ふだん、朝は食べないんですが、今日はまだ早い時間なのに、久々に規則破って食べてます。たまにはいいでしょ。夏もすっかり終わりですね。毎年、夏は砂浴行ってたんですが、今年はチャンスを逃してしまいました。家の家事もおもうようにまとめられなくて、家の仕事って、けっこう根気がいりますよ。私なんか、外での仕事の方がよほど気楽だったりします。家に帰ると、ぐだーっとしてしまって、食べたらもう眠くなる。朝、お弁当つくらなきゃと、6時半すぎに目が覚める。深夜のテレビも起きてみてられない。昨日も途中から目が覚めて、半分寝ながらみてた。「春のワルツ」から1時間後の「デスパレートな妻たち」面白いんですよね。「夏の香り」小説本、また読み返してます。昨日、またタヌキの先輩からお小言頂きました。おかげで、二人の上の人から同情の眼差しと、温かいねぎらいの言葉を頂戴したりして、その親愛なるお顔の表情はなかなか心を熱くしましたよ。大殺界って、信じられない言葉の攻撃をいつも受けます。ワル役のタヌキ先輩は、そうやって、私の悪運を流してくれてる役回りみたいです。以前、とーっても泣かされた上司がいました。言葉のキツサによく泣きました。その人が栄転で移動の知らせを聞いたとき、本心喜びました。いなくなって、新たな試練に見舞われました。イヤな人がそばにいた時は、仕事は安定していたのでしたが、結局、そのイヤな人がいなくなったら、仕事がまわらなくなったのです。だからね、これらは、すべて、神様の作戦なのですよ。けどね、私のうるわしいところは、人を憎まないことだと思います。その人が幸せでありますように。その人の物語を、その生きた背景を、いつも、こっそり祈ってます。だって、その人も、神様の一部分を表現している一人だとわかっているからだと思います。ああ、自分のパソコンって、最高です。心地よいです。両手、あらゆる指が、自由にここでおどりだすようです。ふふふ、楽しいな。最終回の「春のワルツ」みたよ。最後の幻想的シーンの数々、柔らかな人々の笑顔が、ユン・ソクホ監督の四季シリーズの締めくくりなのですね。夢みる少年。必ず、意地悪な人を登場させます。意地悪な人のはじまりは、寂しさ、嫉妬、比較して自分が乏しくおもう、損したとおもう、その小ささ。その始まりは愛と権力と所有欲と。根本は愛情問題で。たぬき先輩の言葉のキツサに、私はこう思ったのです。その方のお母様は、夫の浮気に悩まれたのだなと。夫に愛されなかった。夫の心はたえず、別な女性の方をみていた。なぜ?私はこんなにあなたにために頑張ってるのに。それはあんまりなんじゃない?ひどすぎるわ、その仕打ちはあんまりよ。女性の叫び。たぬき先輩は、母を亡くし今年新盆だったようです。たぬき先輩はバツイチだそうです。子供はいないとのこと。よかった。そのお小言の凄まじさですと、子供に殺意を起こさせます。子供がいないとのことも、神様のみこころかと。私、その方を見て、思い出す人がいます。今、お元気でしたら、もう90歳近くになられるかと思いますが。美貌と家柄と財に恵まれ頭脳明晰でさらに霊感も鋭く。二度結婚した方で、夫はそれぞれ女性がいました。愛されなかったのです。最愛の息子は母を尊敬していました。息子が結婚した後の同居生活は、その嫁姑は、どれほどの熾烈な戦いがあったことでしょうか。まだ、結婚して何年も経たない同居する前、何かで腹を立てた、その母は、大きな家でこう言ったのです。「なによブス」えっ?その方は、たしか、皇室関係の遠い親戚というくらい由緒ある家系の出身と伺っていましたのに、六十過ぎのその女性が、息子のお嫁さんにそんな言葉を発するとは・・言葉が辛辣な人とは、とても常識的に生きてきた方なのだろうと思います。日本の常識は世界の非常識とも言われますのに。なんの意味がありましょうか。その常識的というのは何なのでしょうか。その方と、また、今現在の隣人のたぬき先輩をおもいますとき、私はトルストイの妻という方も、こういう方だったのではと思います。皆、学校の勉強ができる、大人達にもてはやされて、将来が楽しみと言われてきた優秀な女性たちだったのです。マスター、コーヒーのおかわり下さい。(あいよー)甘えられてうれしいな。ここで、こうして、吐き出すと、せいせいします。ありがとう。マスター、ここは礼拝堂ですか。いいえ、礼拝堂って、心のはけぐちではありませんよ。うん、そうだけど、そういう心のチリをとりはらってこそ、神様と対話できるのでしょ。きのう、タヌーね、駅から歩いて帰ってきた。アツジン兄さんの車のお迎えいらないと電話した。ちょっと歩きたかったんだ。すこし、兄さんを休ませてあげたかったし。たまにはね。歩いて、家に近くまできたときに、畑のコインロッカーに、じゃがいもさんが入ってたの。20個以上入って100円という目玉商品。いつもは夜は売りきれなのに。それも、雨続きだったから、最近はきゅうりだったのに。ちょうど、カバンの前ポケットに、裸で100円だま入れてたんだ。もしかして、あった場合と思って。タヌーね、そのじゃがいも見て、なぐさめられたんだ。「どうだい、少しは気分がなおったかい」神様が私に声をかけてくれた。おなじたぬきでも、リーダーたぬきの男の子と女の子のたぬきはニ十代の若さもさることながら、二人ともたいそうな童顔だ。このあいだ、街を歩いてたら、たぬきの大きな置き物を見つけたよ。愛知県を旅してまわったとき、あちこちで、見かけた、たぬきの大きな置き物。たぬきという被造物、これも神様の手作りの作品だよ。アツジン兄さんは、今日も仕事に出かけました。本来は気性の激しい人なんだそうですが、タヌーがここきてもう長いけど、静かな青年といいう印象を持ってますが。「最近笑顔少ないよ」顔の表情、指摘されてます。家事が滞る時、こっそり助けてくれてます。わるいなあ。けど、タヌーは本来森の生活でしたので、ビシッとした性格ではないのです。
2007年09月02日
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●お前の道を進め、人には勝手なことを言わせておけ。(ダンテ)●誰も称賛してくれる者がいなくても自分のことは自身で称えよ。(バートン)●人生における無上の幸福は、自分が愛されているという確信である。(ユーゴー)●それをやりにおれが生まれてきた。そのことだけを考えればよい。(ヘミングウェー)●幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。(ジイド)●幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。(ジェームズ・バリー)心がおちつかなくて・・きてしまいました。ここ、喫茶店。ああ私、神様と対話したかったのですね。ひとつひとつを片付けるためにも、神様に報告しながらでなければ、外的にも片付けがすすみません。 ああ、なんて素敵なんでしょう。ああ、今こそ実現されました。今日から4日間お休みを頂きました。さいこーの気分です。楽しい。夫にもこの気分の素晴らしさをメールで送りました。 今朝、浄水器が使えるようになりました。水道屋さんが、蛇口をなおしてくれました。やっぱりプロの業はすごいのです。感動した。そして、多分四十日ぶりくらいの浄水・・やっぱりうまい。なんかちがう。 U‐SENも3週間くらい前の修理が完了した。けど、テスト勉強だったり、本を読むのに熱中したり、仕事終わって食べてテレビで、一日がどんどこ過ぎていった。ネットも1週間ぶりくらいなのだ。 久々に私のノートパソコンに指先を運ぶ・・それが、すっごい新鮮なのです。毎日、会社のパソコンに触ってて、そして自分のノートPに触れてみると、めちゃめちゃ自分のってよいのです。 自分とこのノートPが、一体化しているのです。思ったことが、そのまま文字になります。ああ、自分の居場所、ここです。好きなことがしゃべれる場。会社でうっかりした一言によって、どんな大変な目に遭ったか。 8月26日(日)仙山線に仙台から愛子に乗った。帰り道、仙台に戻るのを間違えて山形の山寺まで行ってしまった。引き返したら、もうすっかり夜になってしまって。けどね、車窓から眺めた夏の山と森の風景、素晴らしかったな。 ボリビアでよく口にした「viaje(ビアヘ)」、そうそう、ちいさな旅行と思って満喫したんだよ。ユ・ソクホ監督の「夏の香り」の映像を観てて、山歩きしたくなっていたのです。 ああ、山を歩きたいな。野草や、植物を見て歩きたいな。夫に手紙を書こうかと思う。毎日顔を合わせている、電話も、携帯メールも書くには書く。けど、必要最小限の、それも実用的な用件がおもである。 心に流れている言葉は、おもてに現れない。なぜか、じっくり語り合うという機会は一年に数回かもしれない。それほど、日々それぞれは日常の時間に追われて、どんどこ日々を消費していくのに忙しい。 そっか、この日記は下書きだし、これを書いた上で、夫にだけの言葉を、やはり書いていったらいいと思う。夫はPCは触らない。プリントアウトしてバインダーにどんどん増やしていけばいい。 携帯のメールはどうせ残さないし。夫との深い交流は必要である。そうして、私が求めるものを訴えていく。ヌカが欲しい。ヌカを譲ってくれる米屋に車を出して。山へ行きたい。連れて行って。植物園に行きたい。連れていって。 ◇ ◇ ◇ 8月28日、午後7時35分より満月が始まったとのこと。「皆既月食」どんなだったのだろう。もっと空を記録しなくちゃ。職場でのむずかしい人間関係も、そろそろと、ゆるやかなものになっていった。 同期で入ったUさん、職場が変わって、今度は住まいが変わるらしい。そして旦那さんは出て行ったそうだ。20歳そこそこで、ふたりの小さい子を抱えて、かわいいほっぺの彼女じたいが子供の顔をしているというのに。 彼女は親子関係もよくなかった。明るくて、屈託のない、包み隠さず何でもおおぴろげ、人がよすぎる、かえって男から軽くみられるのでは。人との比較も人一倍敏感な人なのかも。ある一瞬、強烈な寂しい表情を垣間見た。 彼女の部署は人間関係が友好的だった。いいな・・若干おもったほど。が、彼女は数字がとれなかった。こっちの私の方は、人間関係が、嫁姑および、嫁小姑模様で、常に青ざめる。けど、その負が、逆によかったのか、私は数字に恵まれた。 結局、私を救ったのは、数字だった。彼女は皆に愛されたが、数字が取れないことで、追い込まれていった。病院にも行っているという。「もう仕事は続けられないかも」一緒になった帰り道、ポソリと言った。 神様が私に、せっせと与えた数字は、やっかむ人々の声を小さくした。私は自分の立場を、存在する場所を、自由を与えられた。やっぱり、営業って、神様と私の二人の世界なんだ。 ◇ ◇ ◇ NHKの番組で、「助産婦=伴奏者」日本屈指の助産婦:神谷整子さん(54歳)のドキュメンタリー番組をみた。りっぱな方がいらっしゃるんだなあ。すばらしい!本当に善なる功績を積まれる仕事だなあと唸った私。 出産は満月の前後が多いそうです。最後のふんばる時の「力水」の話や。日頃、いつ寝て、いつ起きるか、いつ呼ばれるかわからない。化粧は全くせず。顔を洗ったかどうかも、忘れることもあるそうだ。 スタジオでのトークで。さすがに化粧してるのですが、それが、すごくキレイな顔をしているなあと思いました。メイクさんがしてくれたのでしょうが、日頃、鍛えられているその方に、その顔に、その肌に、お化粧を施すとき、光るのですよ。真の美しさが。 日頃の生き方に、薄化粧が施されたという感じです。日頃の在り方が、いざ、スポットライトを浴びるとき、香り高さ、気高さ、品の良さ。プロフェッショナルって、かっこいいのです。たくさんの出産用荷物、「旅行用の車のついたものになさったら」と告げたくなったものです。 ◇ ◇ ◇ ドラマ「ホタルノヒカリ」よれよれTシャツにジャージ姿、まこと君に見られてしまいました。「まことくん・・」まことくんは、立ち去っていってしまいました。そうそう、この場面を観たかったのですよ。 夫と一緒にみてて「こんなもんかよ」私「こんなもんだよ」「見た目だよ」夫。「所詮この世は、みためだよ」そっかー、そうだよねえ。(だから、恋愛って、キョーミないんだよねえ・・ココロのつぶやき) エレガントなあこがれが、実はブタだったら、熱がさめて幻滅し興味が失せていく。何て切ないのでしょうか。つまらないのでしょうか。三浦綾子さんの小説「氷点」で大笑いした場面がある。 男から、情熱の眼差しを一心にうけていた人妻の夏枝。その男が病気になった。久しぶりに再会する場面、内心ワクワクしておしゃれして出迎えるその場面にて。男は療養先から出向いた時、醜く太っていたのだった。 イケメンだった以前の面影が失せていた。とたんに夏枝はガッカリし、おしゃれしたことが馬鹿馬鹿しく思えたのだった。こういうことってありそう。そして、男が健康を取り戻し、また鋭角的な魅力を匂わせたとき、また、心がそそられていったというストーリーの流れです。 ああ、私の夫が、こういうお方でよかったなあ・・しみじみありがたく思ったりした。私のエレガントな部分をみたことがあるのは1%で、ブサイクな部分と99%お付き合いしてきたのだとおもいます。つまり、私は夫の恋愛対象外です。夫の方も、そういうことです。 でも、私、こういうところから脱却しようと、もくろんでいます。やはり、見た目は大事。みばえは大事。形は大事。生きるって、形をかたちづくることです。かたちをつくりましょうということです。女性は太っちゃならないのです。ウエストが細く背中はピシャリとまっすぐであるべきです。 ◇ ◇ ◇ NHK「どんど晴れ」・・自分より優れている従弟を見つめるシンイチさん。人と比較した時、自分の小ささを自覚することは、いつだって辛い。こういう立場は全ての人が通過します。その寂しさ、孤独、陰の存在。引き立て役に回らなければならない時があります。 ◇ ◇ ◇ 70年代の韓国映画「森浦(さんぽ)への道」を図書館でみました。自分一人食べるのにも苦労しているというのに、行きずりの女と所帯を持とうともするが、雑踏の市場の中、若い方の男は故意に女から離れていく。 二人の男とあばずれな女、三人とも、天蓋孤独な身の上のようだ。それぞれが三人三様に根無し草で、ふらふらと行くあてどもなく、さまよっているようだ。貧しさ、うすぎたなさ、お金がかかってなさそうな映画です。 ああ、韓国映画って、昔はこんなふうだったのだなあ。ユン・ソクホ監督の出現から、韓国が美しく紹介されはじめたのは、つい近年のこと。キレイな自然の映像。透明感のある画面と音楽と純愛。 なかなか、まなぶものがある・・今そうおもった。純愛っていうのですが、心の方の愛に重点を置いているのです。カラダの愛は結果的なもので、一緒になればあたりまえのもので、その前の原因的、動機なる、出発なる心の愛を描いているのです。 恋愛小説って・・と、軽くみていましたが、この中に神様の衝動的愛が、描かれているのです。神様は、愛をもっとも、重く構想に置いていらしたし、小説のヒーローは、神様の一部分を描いているのです。そしたらヒロインになりたい意味がでてくるのです。
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