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ゆかりさんから「哲学バトン」を頂いた。これが普段なまっている頭をかなり回さないと回答出来ないのだー。Q1 ゆかりさんから受け取ったキーワード「ポリシー」 に対する自分のイメージ 歩くたびに景色が変わり、アップダウンありの山道 (周りに見える物はどんどん変わるけれど、 自分の行く先は変わらない)Q2 私から次の人へ渡すキーワード 「夢」 Q3 今までのそれぞれのキーワードに最初に思いつく言葉「死」 走り終える「時間」 作るもの「信頼」 寄せられてみたい「至福」 眠る前「無駄遣い」反省材料「写真」 過去にタイムスリップする入り口「アート」自分で作ろう 「情熱」 持ち腐れ「家族」 大切なもの「好奇心」忘れるな!でもそこそこに「癒し」一人でのお茶と読書「本」 本が無いなんてありえない「父」 あんな大人になりたかった「掃除」 課題「心」 柔らかく「春」 土と雨の匂い「記憶」 子供のときの夏休み「不思議」 どうしてこの年になったんだろう、この前迄 学校行っていたのに?「ムダ」 生活のあそび「友人関係」感謝感謝 「無」 はじまり「正義」 無い人は困るよ「青春」 い、たたたた「対話」 心で「平和」 祈り「無限」 訪れる「孤独」 慣れると快適な時間「涙」 頭と喧嘩 「欲望」 きりがない「理性」 いつも勝つQ4 送ってくれた人(ゆかりさん)へのメッセージゆかりさんはとどまることのない人。ときどきヌクッ!と落ち着いて家の中を楽しんでいる様子に、自分を休めているのね、と傍観の私は安心するのだけれど、次のぞくとまた全力疾走している。何かまた道の先に見つけたんだな、って思う。走り続けてるのがゆかりさんの持ち味なのかな。きっと表情もきりきり引き締まっていそう。ゆかりさんらしい走りっぷり見せて下さいね。Q5 バトンを渡す人自分と向き合いたい人、ぜひ持って帰ってくださいね!
2006.01.31
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2006年度のスクールイヤー更新が始まっているのですが、相変わらず霧の中の我家。転勤族はこういうとき困る。特に子供の学業環境が完結を観ないからね。よくなったかな、と思うともう次の環境が待っている。今の学校はちょうど8月の学年始まりで入れられただけでも感謝しなくてはいけないかな。結局、我家は今通っている小学校の来年、3rd gradeは更新しないことをアドミッションオフィスへ連絡した。正確にはなんとも今の段階ではわからないので、今回の更新締め切り日には申し込めないのだ、と伝えた。内内示でもなくてでもなんとなく耳に入ってくる異動の話は落ち着かない。夏が来る前に状況が変わったらまた動いてみようと思っている。家族みんなが花粉なのか目をしょぼしょぼさせてくしゃみ連発。そしてみんなそれぞれがアンパンマンの飲み薬、エスタックなど日本からの薬を飲んでいる。
2006.01.30
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静かな日曜日。晴れた週末はこの頃、夫組と娘+私組にはっきり分かれてしまう。もちろんゴルフ組、留守番組だ。娘はそれでも早朝馬場へ行くので、日曜日でも早起き。そしてそれ以前に出かけている夫。馬場の帰りに映画を観た。最近眠りが浅いせいかと思うのだが、どこにいてもすぐ眠くなる。せっかくの映画”Hoodwinked"だったのに、娘の”終わったよー!”という多少顰蹙めいた視線と声で目が覚めた。なんてことだ。土日は可哀相に、娘はたいがい日本語補習校の宿題を片付けるのだが、休んだのでまだ手元にやるべき宿題が無い。事務所に後日受け取りに行くしくみなのだが、すると、今週は4日であの量をやり遂げなくてはならないってことだ。それは、きついわ。娘が日本で春に通っていた小学校の先生も、ときどき子供達の手紙と共に宿題帳を送って下さる。市販の物ではなく、夏休み用などにプリントをホチキスで留めたようなものだ。それも頑張って仕上げて、子供達と先生への手紙を書かせて返送することにしているのだが、日本語補習校の宿題だけでもすでに二重の苦しみ。なかなか三つめまで回らない日常。それにしても、子供達の手紙は素晴らしい。これは一生の宝物になりそう。私の友人の子供もときどき手紙を娘に送ってくれる。すでに漢字も駆使されていて、自分の住所すら上手に書いている。おまけに英語も登場。文章も接続詞を適所に使ってなが~く上手に書くよね。”ところでハナ子ちゃんは今、クラスに好きな男の子はいるの?もしいたら今度手紙に書いて教えてね。”これは、帰ったらたいへんそうだ。
2006.01.29
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金曜日1泊のSleep overパーティーから娘を家へ連れ帰って来ました。9:00には消灯だったらしいのですが、女の子達は1:00まで眠らなかったらしい。私だって普段1:00まで喋り通しているのなんてつらいっていうのに、、、。”なにご馳走になってきたの?”などと聞いてみると、どこのお宅も同じような感じ。アメリカの女の子たちが平均的に好むものを用意してくれているのでしょうね。チーズピザ、パスタはディナーの定番。昨日のサラのパーティーはChick-Fil-Aのチキンだったそう。その後ケーキでお祝いして、チョコレートアイスクリームをどっさりもらってからベッドルームへ。朝はお父さんが何十枚も焼いてくれたパンケーキ、ワッフル、マカロニチーズを出してくれたそう。どれも娘の大好物。”マカロニチーズの味付けが薄かったんだよね。”との一言も。娘はマカロニチーズが大好きで朝から食べたがる程、しかもソースを濃~く、といつもリクエスト。日本でも?年前のCostco上陸で、帰ってからもクラフトのマカロニチーズは手に入るのかな。そのサラ宅、並でない。。。どこかのお家へ伺うたび、”ス、スゴイ、、、なんだ、これは。”とうなってしまう私ですが、サラんちには娘も口あんぐりしていました。オープンになったキッチンと軽く食事をとるためのコーナーだけでも、よく行くオープンキッチンになったイタリアンレストランチェーンの店舗がすっぽり入ってしまう広さ!庭はちょっとしたホテルの中庭プールの規模だし、プールサイドに面してガラス張りのプレイルームがあり、チャッキーチーズかと勘違いしてしまう部屋の中。ピンボールなんかのゲームマシンが並んでた。プールの周りの熱帯植物園かと思うような植栽に隠れて見えなかったけれど、女の子達はそこにあるバスケットボールコートでも遊ばせてもらったそう。その隣には何故かバレーボールコートもあったらしい。ハナ子はこういうところを見続けていったいその目にどう映っているんだろうね。と最初のうちは思ってたけれど。その場その場で感心するものの、意外な程子供はここはここ、へえ~!!!世の中にはいろんなお家(事情)があるもんだ、って受け止めてるみたいだ。
2006.01.28
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娘がお泊まり(sleep over)へ出かけたので、久しぶりに夫婦二人だけの金曜日、のはずが、夫は疲労によりダウンです。夕方ベルエアーという街まで娘を送り、仕事帰りの夫と家の側のレストランで合流し夕食のはずでしたが、お替わりのお酒が回る頃夫は、食事中にひどく具合が悪くなり一足先に逃げる様に車で5分の自宅へ帰って行きました。チェックを済ませ、明日の朝ご飯の買い物をして自宅へ帰るとリビングのソファーでのびていた夫。食事中、最初は元気でいろいろ語り合っていたのだけれど、”海外はもう、いいかなー。”ってそんな話をしてた。奥さんはタフ、日本へも気持ちは向いているけれど、まだまだ頑張れる!気になるのは子供の転校だけ。もし新しく夫の会社で開設する南カリフォルニア事務所へ転勤ー!って言われたら嬉しいかも。。でも、仕事という場にいるオット達は解消しきれない疲れが溜まっているのかもね。
2006.01.27
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娘を学校へ送って行く途中、後続車に追突されてしまいました。あー、驚いた、、、結果からすると車も私たちも無傷。(後から見たらナンバープレートと鋲の後がついてはいたけれど、そんな程度)速度がほとんど出ていなかったのです。朝の出勤渋滞でどの道も断続的になんとなく混み合っています。ある交差点で信号待ちしていて、青に変わったのでブレーキから足を離した瞬間に、まるでマニュアル車がエンストして”ガコッ!!”という音とともに大きく揺れる感じ、あれがかなり強くなった感覚で車が揺れました。特に音は車内に響き渡る感じでした。当てられるって一瞬何が起きたか分からない物なのですね。自分の車になにか問題が起きたのかと思いました。でわからぬまま周りを見回すと、後続車の人が下りて来たのでそこではじめて理解!こんなに徐行のスピードでもそれなりの音と衝撃は有るのだから、スピードの出ている時の事故は恐ろしいのでしょうね。幸い後続車のドライバーは非常に感じのよい対応でした。カリフォルニアの夫がいた事務所の夫人たちはみな追突されたことがあり、そのうち一人は詰まって来たフリーウェイの出口で徐行中につっこまれました。しかしハザードを出して停まった後、相手はまったくもって車から降りてくる気配なし。そのうえ、例の“謝罪しないぞ、のちのち不利”のポリシーで運転していた学生は最後迄車から降りず、喋らず、すべて助手席の母親が処理したそうです。もちろんその母親も、大丈夫?の一言あるわけでなし。夫人は気の毒に首をだいぶ痛めて数ヶ月ギブスで固定していました。もちろん車も修理へ。もう一人の夫人は信号待ちの左折&直進レーンで左折待ち中に、スピードを出していた直進車にぶつけられました。そして逃げていってしまったそうで警察の事故処理もすべて相手のいないまま行われました。当てられたハナ子はまた朝から大興奮。”学校へ行ったらMs. D~に言っていいでしょう!!?”たいしたことないアクシデントでしたが、私はどっと疲れました。
2006.01.27
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だらしない自分を変える7つのステップ。本の帯には”机の上の醜態が、あなたの人生そのもの。とある快適整理術の本を冬休みに来た姉が我家に置いて行きました。このだから片付かない。なのに時間がない。(ダイヤモンド社)まさに私のための本!?タイムマネージメント、これが我が旦那談によると私はなっていないそうで、しかも整理整頓下手、興味ないこと、面倒なことは先延ばしにする、この本の帯にあるとおりの人間らしいのです。でもでも、家の中はわりとまともに片付いている方だと最近は思うのだけれど。それに時間にシビアな部活生活、社会人を経て時間管理も改善されたはず、、、うちの夫はまれに見る、”物が見つからない体質”なので、出勤間際に何かが見つからないと騒いでいると、私の整頓状況が悪い、ということになりこっちまでストレス感じます。そんなわけで独身のころは、片付けられない女だった私もだいぶ矯正されてきた気がしていますが、アメリカへ来てからおそろしいペースで物も増え、それらの行き場がなくなってきているのを感じるのです。引越であれほどシンプルな家財にしたのに、、、、しかもこの本の作者がかつて陥った、紙の整理が追いつかないこと、カード決済やチェック送付のための紙類が年がら年中溢れているアメリカ生活、我家もファイルせずつっこんである書類がたくさんあります。物にはひとつひとつ収まるべき場所があるそうで、使ったら戻す!まず戻す!これが出来ないものなのです。とりあえず本に倣い”車にある荷物はその日のうちに片付ける。””子供の学校の書類、郵便、請求書などはその日のうちにファイルに仕分けする。”これを徹底することにしました。我家の2大悪は車の中のごちゃごちゃと家に溢れる紙、だからです。特に車はハナ子の遊び場と化しており、シートのポケット、床などに鉛筆、クレヨン、キッズミールのおまけ、学校の落書き、お菓子のたべかけ、、、数日手を入れないと惨憺たる有様です。そしてそこに馬場での靴の泥までが加わり最悪。昨日はゴミ袋を手にすべて片づけ、消臭パウダー付きで掃除機もガシガシとかけておきました。こうでなくては!でも母と女児の組み合わせで、あれほど車内が荒れているのは我家だけ!?本によると、だらしない自分を変え、シンプルに生きる習慣をつけることによって、どんな生活をするのか快適なそのイメージを持つことが大事だそうで、、。片付けられないごちゃごちゃしている状態でも、全部やろうと思わず、まずは一カ所、たとえば独りがけ椅子の周りを徹底的にシンプルに片付け、くつろげる読書コーナーを作るとかでも効果抜群のようです。一日一カ所ずつ最悪な場所を整理して行くのだそうです。うちの場合はそれが毎日酷使している車だったのです。*******************************さて、昨日の日記に登場した中国の運を呼ぶ置物、ブータを公開します。そして、ブータはちっともブータなんかではありませんでした。元々ハナ子に見せられた時、日本にもこういうのあるよ、と言ってはいたのですが、YahooUSAでいろいろ調べた結果、ブータはおなじみ”布袋様”でした。ハナ子のクラスの子達は皆”Boota"だと信じ込んでいるそうですが、”Buddha"の間違いであります。いろいろな仏陀が存在しますが、布袋様(Hotei)は”the jolly Laughing Buddha”と言われている様です。ブータの正体は布袋様だったのさ。 ハナ子のクラスで熱い人気のブータ様 これは微笑ましい!
2006.01.25
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Chinaについて勉強中の2nd grader達、今日は朝から古い中国の宮殿、庭、焼き物などが屋外展示されているらしいForbidden Gardensへハナ子たちのクラスはフィールドトリップへ出かけた。こうしてフィールドトリップは学習内容にそって突然10日くらい前に知らされ、該出時間も8:30-1:00程度と、あっさりと終わる。Forbidden Gardensはヒューストン郊外、I-10近くにあるようでホームページをざっと見た感じ建物の展示が中心だから子供たちも喜びそう。中国に興味を持ちはじめた子供も多いようで、お箸やチャイナ服もCool!なんだそうだ。きわめつけがブータ(発音、スペル自信なし)という翡翠のような石で彫った布袋様のようなお腹の出た人形。その温厚な笑い顔を見て、丸いお腹をさすると幸運が訪れるそう。そしてブータをほしがる子供が続出。ハナ子も香港モールへ行ってブータを一人買ってよ!と言い始めた。ところが昨日お迎えのカープールで乗り込んで来たハナ子、手の平サイズのブータを持っている。なんでも新年についてShow and Tellした友達が、クラスの子全員分仕入れて来て配ってくれたそうだ。かわいいでしょー!とブータをさするハナ子だが、本トわかんないわ。。。Forbidden Gardenが見所いっぱいなのかは、帰って来てからのお楽しみ。
2006.01.24
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週末のNBCニュースで気になったニュース。スーパーマーケットの食品、衛生について調査した結果について驚愕の事実。そしてワースト10なるスーパーのリストが挙げられていた。挙げられていた会社は例えば、市内にたくさんあるKroger、でもここはあまり利用しないかな。Albertson、カリフォルニアには一杯あったけれどここにはないみたい。ショックだったのがCostco!ここは倉庫、安売りなのに食品の質もよく、綺麗な状態で売られていると思っていたから。商品の状態、衛生管理面からも厳しい点がつけられたらしい。なんでも従業員の使うトイレに石鹸がない店舗がある、とか保冷温度を守らず仕入れしても不適正な温度で保管している鶏肉などがあり、最悪な品質になっていたとか。悲惨だった1位はカリフォルニアに本社があるSafeway。ここは元我家の最寄りで、何かきらしたとき駆け込みスーパーだった。とても清潔に管理されている雰囲気だったんだけれどな。中国系スーパーのLion(獅子城)の名もあった。カリフォルニアのFreamont,San Joseなどにあって肉こそ買ったことは無かったけれど、生の海老、中華食材と一緒によく買い出していたなあ。ニュースによると、スーパーの食品を摂取して流感のようなひどい症状、中毒になったりすることも増えているらしい。一種のバイオレンスであるとすら。やはり週末にカート一杯に買い出して冷凍保存のスタイルではなく、安心出来る店で質の良い物をそのつど食べきれる分だけ買うという本来のスタイルに戻ろうか。
2006.01.23
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小さい子供がお小遣い稼ぎに外で物を売る。アメリカへ来た当初は庭石を75セントで売る前の家の男の子に驚いたものだったが、それもいいな、と感じる様にいつしかなっていた。自分で計画を立てて労働し(この場合は庭石を拾い集めてコレクションし、売る)お金を稼ぐプロセスを身を以て体験しながら成長する、っていうのは大事なことだ。社会経済活動の縮図と言うか始まりだね。ちゃんとセールストークも子供それぞれ。庭石のクリストファーは通りを挟んだ前の家の住人で当時5歳。私がアメリカへ越して来て間もない頃、大切そうに紙の箱を持ってうちへやってきた。見るとどれも小石、25セントの州コインもいくつか混ざっている。それら売り物の石はバックヤードに通じる木戸への道に敷き詰めてあるあの小石。”どこで集めたの?格好いいね!””どれか欲しいの、ある?”これなんて、いいね、と指差した石はなんと、75¢だった。ああ、これ、売っているのね、、、”国民性、文化の違いだ~!”とそのときはなんで外で石を売り回って、しかもバックヤードの木戸の前にちらばっている石だし、とけげんに思っていた。石の後もガレージ前に何度か日よけを出してレモネードの徳用パックをカップに入れて通りすがりの住人に売り、時にはかき氷を売り、クリストファーはお小遣いを稼いでいた。日本人たちで集まったときうちの前の子は庭石を75¢で売ってるのよ。と話題に出すと、うちのコミュニティーではゴミのコンテナーで小径をふさいで、回り道する大人から通行量を取っている。とか様々な話が出て来た。クリストファーには当時3rd gradeのお姉さんがいて、このレイチェルはやはり私が玄関先で作業していると、”元気ですかー!?”とやってきた。見ると何かカタログのようなバインダーを抱えている。ここからが彼女なりのセールストークで、いきなり”買いませんか!?”とは言わない。”この中でどれが良いと思う?”とガールスカウト活動のひとつ、お菓子のカタログを広げ始める。さて、うちのハナ子のブラウニー部隊も1-2月はガールスカウトクッキーを売る時期。月曜日の最終集計で誰が何箱販売したか申告する。レポートや宿題に追われながらブラウニーのベストを着込んで住宅地をクッキー販促運動するハナ子。でも子供の時から落ち葉かきやペットシッター、石売りなんかでお小遣い稼ぎを頑張って来たであろうお父さん、お母さんの世代はハナ子の”クッキーを売っているのですが、良かったらいりませんか?”の声に”Sure!”と購入のサインをしてくれた。ハナ子はもう別のガールスカウトから買っちゃったから、などと断られることもあったが概ね販促は成功。自分で売った数を誇らしげに記録する。80年代に青春期を送った私、アメリカの生活文化はいろいろな物を通じてとっくに知り尽くしていたと思っていたけれど、住んでみてわかることってまだまだあるな。小学生の頃夢中だったSNOOPY。谷川俊太郎氏訳のペーパーブックを揃えて何度でも読んでいたけれど、あの頃からクッキーを売る下心の為にチャーリーブラウンに近づく少女、庭の落ち葉かきやネコのおもちゃを作って売り歩くライナス、数¢で精神カウンセリングをするルーシーなどのエピソードがたくさんあった。暑くなったら洗車やレモネード販売で働いてお金を稼ぐというのは筋金入りの文化だったのね。
2006.01.21
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久しぶりに暗記もの発生!明日はOpen Workボランティア、公開授業に親が持ち回りで入る順番。掘り下げテーマ"China"はけっこうやりやすいのではないかと名乗り出たのだけれど、3人一組、今日先生から渡された私のstationのテーマは”ABACUS"。中国のそろばん!他にオーデン母は中国のお月見団子調理指導、もう一人は知らないけれど、ああ、お月見団子にしてくれれば良かったのに。指導要項によると、まずは子供たちに”ABACUS"の歴史的バックグラウンドを説明せよ、とある。数行の英文を丸暗記(せねばやっていけない。)。次の作業は紙とビーズなどを使って実際に“ABACUS"を作る指導をせよ、と。紙にPunchし、Weave to back and out hole...String...っていう具合に紙製簡易そろばんを子供たちとつくらなくっちゃいけない。ここまではなんとか行けそう。しかし”ABACUS"とはそもそもなんぞや、どうして便利なの?ということについてお話をし、更に”ABACUS"を使っていくつか計算問題をやらせる。夕飯の後もレポートとにらめっこ。”どうして私はABACUS係になったのかな、おだんごじゃなくって。”と隣で宿題をやる娘へ向かってつぶやくと”ああ、それはね、わたしが先生にママはABACUSがいいよ、って言ったから。日本人はそろばんするんでしょう。ママもしたことある?”そろばんでスケートごっこして怒られたことならある。小学生のとき算数の授業に2時間くらい単元があったと思うけれど。本当は息抜きでblogを書いている間にも”ABACUS"の歴史について書いた物を暗記せい!なのだ。言葉を自分のものにできない箇所は丸暗記するしかないのだ。半分、気楽に行こう!なんだけれど、やっぱり母親の面子というものもあるぞ。せっかく夫の出張中だというのに、いきなり眠れぬ夜になってしまった。
2006.01.19
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チャイニーズニューイヤーを前に1月の掘り下げ学習テーマ”CHINA"のShow,Write and Tellの発表期間が始まった。去年は19人クラスの子供たちの発表はアルファベット順だったのでHanakoは真ん中に回って来ていたので、リサーチとプレゼンの製作物の時間はたっぷりあった。でも今年は1番目になっちゃった。先週と今週、現地校の宿題、補習校の宿題とこのプレゼン準備で、ハナ子はかなり時間に追われていた。ランタンフェスティバルをテーマに選んだハナ子はプレゼンボード、レポート、資料の香港スーパーで買い集めたランタンやお年玉袋などを袋に詰めて登校。やっと今月も終わった。でも中国ってやはり同じアジアの国なんだなって思った。昨年末のアメリカコロニアルの暮らしをリサーチしたときは資料を集めるにも、プレゼンの為のものを作るのにもこころもとない感じで自信が無かった。今回の中国は同じ様にネットで資料を出したりしているのだけれど、集めやすく小物の買い出しもスムーズ。旧正月のイメージもはっきり湧いてくる。***************************夫は出張中。いつもはその間になにかごそごそ作ったり映画を見たりするのだけれど、今回は毎晩、娘と同時に休んでいる。これが身体の安まること!本を読みふけるのもテレビも全部やめて小学生時間に寝てしまうと、翌朝は目覚ましのなる前に自然に目が覚める。
2006.01.18
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6週間ぶりの矯正歯科。娘を8:00に学校で落とし、予約時間まで歯科医の近くにあるカフェでコーヒーとパンの朝ご飯を取りながら、文庫本を読んで時間調整。矯正のワイヤーの締め直しは5週間ごとだ。本当ならばお正月明け早々だったのだが、一度締め直してしまうと数日は食べ物を噛むたびに痛みが走るし、前歯があたっただけでも顔をしかめてしまう。日本の親族たちが来ている間はやめておこうって今週にしてもらった。だから締め直す前は食べだめ傾向にあるのだ。揚げ物、ステーキ、野菜などの固いものやブレースにからまって厄介な長いパスタ類、半透明のラバーバンドが染まってしまうカレーやトマトソース系のものも、予約前までにせっせと食卓にのぼるもの。今日からはしばらく湯豆腐、魚、ひき肉系、柔らかい煮物中心になる。久しぶりに行くと受付システムがちょっと変わっていた。ここは待合室にパソコンが置いてあって自分の名前のところをクリックすると診察台の電子カルテと連動するのだが、その受付画面に、今回から自分の特大アップ写真が登場する様になった。ぎょっ!恥ずかしいわ。締め直しは30分で終わった。しかも今回は痛みが少ない。食べることを引き続き楽しめそう。******************************今日から娘の学校で、春学期のアフタースクールプログラムが始まった。マッドサイエンス、テニス、チェス、アートから選んで申し込みする。プログラムの展開がアメリカらしいね。もちろん有料、参加は任意。ハナ子は水金で馬場に通いかなり宿題や自宅でののんびりには支障を来しているので、ずっととらないでいたが本人もようやくペースをつかめて来たらしい。今季はアートを取ることにした。これは母にとってもなかなか嬉しいことで、アートの日はお迎えが普段より一時間遅いのだ。で、私も今季こそ市民講座で英語を再開することにした。どうやらアメリカ生活も先が見えて来たし、今更あせっても始まらないけれど、3ヶ月数十ドルで生きた会話も文法も週2回勉強出来るところが帰国後どこにある?カリフォルニアのアダルトスクールは更に太っ腹、週4回、午前中一杯のESLで無料だった。しかし毎回なんでも終わりがみえて、焦って詰め込む良くない癖だ。。。荷物整理だけは早めに手をつけよう!
2006.01.17
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よみごたえがすごくある日記のかれんさん。テキサス繋がりです。今日はかれんさんからバトンをいただきました。1自分を色に例えると?緑です。何でも緑が入った物を選んでしまうのでつい身体に染み付いてしまったのでは!自分で感じるラッキーカラーなのです。でも、鮮やかな緑ではなく、ちょっとトーンの落ちた緑かな。2自分を食べ物に例えると?ちょっと庶民的な洋食定食。サイドにポテトやマカロニサラダ、白いご飯にシバ漬けやこだわりすぎないお味噌汁もついている。3自分を動物に例えると?見た目はかえる、さる、だちょうあたり。さるは群れ集団だが、私はけっこう集団より孤独でいるのも気が休まって好きだけど。だから実は単独行動派なネコなのかも。4好きなキャラは、これ、難しいなあ?!アメリカのアニメではスポンジボブとScooby Doo映画はスティーブマーティンキャラは全部のめり込んで好きになれる。Something's Gotta Give,ジャックニコルソンと共演のダイアンキートン、あんな女性になりたいものだなあ。5次にバトン回す三人を色に例えると?ぴかさん・・・暖かくて活発でおしゃれなオレンジ系。Mayakoさん・・・マリンブルー→生活そのものがハワイの 海の色という印象。はながらさん・・・トルコブルー→小粋な鮮やかな色の印象。
2006.01.16
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ダウンタウンにあるホビーセンターでミュージカル、アニーを観て来た。夕べは千秋楽だったらしく満員大入り。7:30からの開演に合わせて軽い食事をとってから行こうと、ギャラリア近くにある”南北和チャイニーズカフェに寄った。ここは安くて早くて美味しい!お店の構えも清潔、で在ヒューストン日本人にはもちろん、この辺りの人々に圧倒的な支持を受けている中華らしい。看板のから~い麻婆豆腐をごはんにかけながら汗をだらだら流して食べた。食べきれずに容器に入れて帰ったが、ミュージカルの後、車に戻ると麻婆の匂いが充満。ああ、もっとうちの近くにあるといいなあ。毎日でも食べられるんだけれどな。このところ私が、知って良かった!と思う店舗の一つはI-10を西に行った“SANDY'S MARKET"。テキサスにはTrader Joes"がなくてつまらないな、と思い続けて来たが、この"SANDY"は”地味TRADER JOES”って感じだ。農協のお店のような展開で、香辛料やジャム、茶など安心出来そうなものがかなりの品揃え。なにより野菜が気持ち良い。果物も美味しい。今出ているカリフォルニア産の苺と赤いブドウなんて驚く程甘く後を引く美味しさだ。ここはお助けマップにも”ビタミンが豊富”ってことで載っているけれど、店内の真ん中にあるビュッフェも昼時にはランチを食べにくるアメリカ人でいっぱい。ランチは8.99ドル。ディナーは9.99ドルで食べ放題。ヘルシービュッフェとの看板通り、野菜中心の温かい数品と、豊富なサラダ、フルーツバーが用意されている。3.99ドルでTo Go容器もあり。こちらも南北和とは違った境地でうちのすぐ側に欲しいと思うわ。さて、本題のアニー、普段8:00にベッドへ押し込まれる娘には時間的に辛そうだった。でも、アニー役の声量の素晴らしさ、子供たちのダンス、犬のサンディーの可愛らしさにひきこまれ何度か船をこぎつつも10:00の終演まで起きていた。ところが私2幕目で眠ってしまったらしく夫につねられて起きたその場面は、クリスマスの大きな箱からサンディーがのぞく最後の見せ場。すぐにカーテンコールが始まった。会場みな総立ちで大喝采だった。
2006.01.16
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日本のご近所幼稚園の知り合い、Tさんから年賀状が届いた。Tさんは私の知り合いの中では数少ないお受験マダムだ。というのもハナ子が一瞬通い、Tさんのお子さんが今通っているその幼稚園は全体的に小学校受験人口が少ないのんびり園だったから。Tさんのお子さんは週7日幼児教室へ通い、合間にジムナスティックとアトリエ指導を受けていたそうだ。学校説明会も自分の子供の該当する年だけでなくその前、数年間参加し続けることも基本らしい。Tさんのお子さんはなんと女子は7倍強のS学園へ春から通うことになったそうだ。良かったね、Tさん、とその利発そうなN子ちゃんの写真を眺めながら思ったのだが、同時に昨年一時帰国したときご近所の幼稚園仲間で集まった時のことも思い出した。縦割り園のハナ子、N子ちゃんのところはすでに受験を終わらせて進学先を決めた年長組の子供たちがちょっとだけいた。その場に居合わせたハナ子の数少ない日本の仲良しA子ちゃんは*学園に行くことがすでに決まってお祝いムードだ。この*学園、受験日が遅いため国立や難関校の併願にされて、Tさんによるとそのせいで定員割れするそうなのだが、自主尊重、自己表現の確立という校風と教員の教育研究勉強会を重ねた自主編成の教科書などに惹かれて私も帰国後ハナ子はここへ通えたらなと興味津々だった。幼児教室で受験準備をして入るような学校ではないというところも○!ところがTさん、母たちが集っている輪の中で”うちのN子はこんなに勉強頑張っているのに結局*学園だったら、もうどうしよう。去年の年長さんで何校も受けたJ子ちゃんもすごく可哀相で全部落ちて結局は*学園だたのよね。。。”とため息をつきながら言うではないか。ひきつるA子ちゃん母。隣でちょっとひきつる私。Tさ~ん、、、お茶会を終えた後がっくりと肩を落としているA子ちゃん母だった。そんなTさんとうちは窓から回覧板渡せる程の隣組なのだ。時が経つにつれA子ちゃん母の消沈はTさんへの激怒に変わって行った。ちょっと場が読めないTさんには違いない。
2006.01.14
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チャイニーズニューイヤー、中国のお正月が始まる。1月からひと月かけてクラスでほりさげる学習テーマは、CHINA。親が授業に入るOpen Workも、Show,Write and Tellも中国について進めて行く。娘の選んだテーマは”ランタンフェスティバル”。今日はこれからチャイナタウンにあるマーケットへランタンを買いに行くつもりだ。毎回その月のテーマに沿って教室が飾られる。先月のコロニアルなどは自分たちの国だけあって考証もばっちり。ピルグリムとコロニアルの違いも忠実に表現してあったと思う。さて今月のテーマ”China"になって初めての登校の朝。教室の外テラスになっている廊下の軒に中国風の赤と金色で飾られたランタンが揺れている。中国人の人形の飾りも一杯。その中にひときわ目立って揺れている二つの提灯をハナ子と私は見逃さなかった。”ママ!あれっ!日本のだよ。”それらはただの飲み屋に下がっているような赤提灯で、江戸風の文字で”寿司” ”刺身”。。。中国ではなくってただの日本の飲食店のサインなんですが。アメリカ人のイメージするところのアジアなんて、こんなものです。私たちも例えばラオスとカンボジアのお料理の違い、お祝いの衣装の違いなんてよく考えたらわかっていないものね。今週末はOpen Workのボランティアだからいっちょ、言ってみるつもり。
2006.01.13
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数年を過ごしたアメリカ駐在が終わろうというとき、最後だからと旅行して回る人が多い。カリフォルニアで仲良かったAさんは、帰国2ヶ月前あたりから現地校をひんぱんに休ませてオーランドのディズニーワールド、ハワイ島へ引越荷物の整理と並行して出かけ、楽しい思い出を一杯作って来ていた。先日本帰国したBさん、こちらは現地校がクリスマス休暇に入るとすぐにカリフォルニアを発ち、ハワイ経由で日本へ。引っ越し荷物はハワイ行きの前にやっつけてしまったらしい。旅先で知り合ったテキサス駐在だったDさん、同じくヒューストンからはまっすぐ日本へ行かず、当時私の住んでいたサンフランシスコへ滞在。ナパへ出かけたり、一緒にバーベキューをしたり盛夏でも爽やかなカリフォルニアを楽しんで帰られた。Dさんは”うわー、ここ、涼しいんですね!テキサスはお正月明けでもクーラー要る日がありますよ。”と、夏でも木陰に入ると肌寒い程のカリフォルニアの気候に感激してくれた。さて、私たち、本帰国の噂も流れては来ているところ。いまとても曖昧な状態なのだ。現地校は5月末に年度末で長い休みに入る。6月生まれのハナ子は”夏休みに入ったらすぐに日本へ帰っておじいちゃんたちとお誕生日をやりたい。”と言っていた。現地校の無い間の一時帰国だ。でも、仮に辞令が秋付けだったら?もうとっとと荷物をまとめて日本の2年生の1学期に転校して行ったほうが、今後の彼女のためになるのではないかしら。アメリカ生活締めるのが旅行という形でなくても良いのだが、もう一度だけカリフォルニアへ行ってみたい。夫に何処か行きたいところはあるか、聞かれた。”僕は南米のペルーに行きたいよ。”私は”ヨセミテのテナヤ湖(Tioga Roadで登った高地)でキャンプ。イエローストーンでキャンプ。セコイアのロッジポールのキャンプ場。””全部行ったところじゃない。せっかくだから行ったことのないとこにしようよ。”と夫。行ってみてすごく良かったところに何度でも行きたいと思うほうなので、たぶんヨセミテは日本へ帰ってもずっと想い続けそうだ。娘は日本へとっても行きたがったているわけだが、アメリカでの最後の旅行は”Mendocino(北カリフォルニアの海岸沿いの小さな街)のトレイル”だそうで、こちらもかなりのカリフォルニア郷愁病。”どうしてそんなにカリフォルニアが好きなの?”来週カリフォルニアの隣州ネバダへ出張すると言う夫に、いいね、いいね、と言っていたらそう聞かれた。夫は私がずっと同じ街で暮らし続けて大きな引越経験もないまま、カリフォルニアへ来たから第二の地元のように思い入れが激しすぎるんじゃないか、と言う。ハナ子は日本の生活の記憶はきれぎれだからわかるけれど。アメリカへ越すってことは私に取ってはそれはもう大事件、鮮烈な生活の転機だったのよ。
2006.01.12
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2006年元日、Old San Juanで迎えました。おせちも無し、お雑煮も無し、ホテルでの朝食ビュッフェのホットビスケット、ソーセージ、フルーツサラダカプチーノが朝食はじめです。アメリカへ来てから思えば毎年どこかしらで新年を迎えて来たため、お正月らしい華やいだ元日の食卓とはしばし無縁。でも2007年はビザも切れることからもしかして久しぶりに日本の家で紅白、おそば、お雑煮の年越しが行けるかもしれない。ちなみに関西出身の夫の家に倣って京野菜と丸餅を柔らか~く甘い白みそで煮込んだお雑煮と、私の母の味こんがり焼きもちとゆずと三つ葉のお雑煮、2種類を毎度作ります。夫の甘いお雑煮は年を重ねるごとに舌に馴染んで来ています。夕べからOld San Juanへ宿替えした私たち、年越しの夕食はメキシコ料理を出すスポーツバー。バーガーなどの普通のアメリカ料理も出しているので肝心のメキシコ料理は期待出来ないかと思ったら、これがとても美味しく、マルガリータなどのお酒類も親族皆口に合ったようで喜んでいました。元日の朝食の後は車2台で、San Juan市街から南東に1時間ほどのエルユンケという熱帯雨林へトレッキングに出かけました。この1時間というのは26→3というハイウェイをちゃんと道を間違えないで走って行った場合で、私たちは思いっきり迷ってしまい、現地集合ね、と別行動で走っていた2台が、無事エルユンケの麓にあるビジターセンター”エルポータル”に揃ったときは猶にお昼を越えていました。でも本来ならここへの行き方はとても簡単です。視力がよくて、標識を見落とさないことがポイントかも。ユンケはこの島で一番の高い山で、鬱蒼とした熱帯雨林となっていることもあり山に入るとそこだけ気候が違う気がしました。ここでトレイルを歩く人はフード付きのレインコートが必携です。豪雨に何度も遭い、そのたびに大木の陰に身を寄せて雨宿りしたり大きな熱帯植物の葉っぱを拾い集めて傘にしたりしました。お天気がよければミナという滝の滝壺で水遊びも出来るとあり、子供たちは水着も持って行ったのですがとにかくこの日はのべつまくなし豪雨でした。2日は大人たちの楽しみ、Old San Juan港の対岸にあるバカルディー社のラム工場ツアーに行くことにしました。Old San Juanのピアーからフェリーが出ていますが、車が有る場合は工場敷地迄、これも迷わなければ30分でたどり着けます。この工場見学はよく環境も整備されていたし、見学前にカウンターサービスされるラムも素晴らしくうちの夫はプエルトリコでバカルディーが一番良かった!ようです。カウンターには数種類のフレーバーのラムが並び、絞り立ての果物、ミントの葉っぱなどのケースから好みのカクテルを作ってもらえます。乾いた気候と涼しい海風があたるテースティングコーナーでのラムは実に美味しい!子供も、もちろんラム抜きで絞り立てのマンゴーなどをサービスしてもらえます。ハナ子はもともと工場見学が大好きなので酒工場だろうとなんだろうと楽しんでついてきました。ラムが振る舞われた後は英語かスペイン語かのツアー選択をして、トラムに乗りこみ、工場へ。入り口ではオーディオツアー(英語かスペイン語のみ)の為の機材を渡され、見学コースの展示物に掲示されているナンバーをそれに入力して耳にあてると説明が流れてくるという仕組み。3カ所程のカテゴリーに分かれていてカクテル講座などもあり楽しめます。私もこのラム工場は結構楽しかったな。帰りは東岸にある海辺の街まで足を伸ばし、夜Old San Juanへ戻りました。翌3日、帰宅の日でしたがパブロカザルスの家がミュージアムになっていることを調べ上げていた父、そこだけは絶対いくのだ!と朝食もそこそこにOld San Juanの町中へ出て行きました。パブロカザルス、父にとっては思い入れのある人物の様です。手荷物で持って帰ると言って、ミュージアムショップで大きなリトグラフを抱えていました。姉と甥っ子は中心部にあるチルドレンズミュージアムへ。手作り感が全面に出ている和みの空間でした。子供7ドル、大人(つきそいだから)5ドル。サンフランシスコやヒューストンのものより規模が小さく自宅を開放してやっていますといった風情。子供連れ旅行者にはおすすめ。ところで都合が合って夫は先にプエルトリコから帰ってしまったのですね。そうなると残された集団を滞りなくチェックインさせ、空港に1台となったレンタカーも返しつつのりきれない親族はタクシーに乗せて、無事にヒューストン行きの便に乗り込む、、、ヒューストンではロングタームパーキングへ移動して、、、この作業がなかなか疲れてしまいました。その間にも親族のホテルの部屋のトイレが溢れたとか、あれこれちょっとしたことが起きるものです。3日夜遅く我家の玄関にたどり着いた時は安堵しました。そして夫は何故か高熱を出して薬を飲んで寝込んでました。。。
2006.01.10
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プエルトリコ、2006年はここで迎えました。ヒューストンからは飛行機で4時間ほど。時差もしっかり2時間あります。ここはアメリカ合衆国自治区とはありますが、街に出てみると英語併記はかなり少なく、レストランもチルドレンズミュージアムもマクドナルドのメニューもスペイン語だけ。もちろんフリーウェイなどの道路標識もほとんどがスペイン語です。一生懸命勉強した簡単な覚えたてのスペイン語で話しかけて、かえってくるヨロコビのようなものを感じることが出来ます。英語を習いたての頃、日光の林間学校で外国からの観光客と会話が通じた時のあのヨロコビです。語学をまなぶ楽しさって、そこから私の場合始まります。しかしこのスペイン語の道路標識にはかなり惑わされました。東西を何度勘違いしたことか、、、そして今回親族の参加があまりに多かったのでレンタカー2台での旅。San Juan空港のAvisからしっかり夫と私で2台にドライバーが分かれ、なんとなく不安。しかもプエルトリコの信号はただぶら下がっている箱に過ぎないとか、方向指示器を出して来た車を見たら加速しろとか、、、事前にプエルトリコ流運転作法の情報を叩き込まれた私はかなり憂鬱でした。でも6日間プエルトリコを運転しまくり、街を歩き回り、私はすごく温かい土地柄に感じました。フリーウェイでは南国の草木が覆いかぶさっているせいもあるのか、急にジャンクションの標識が現れる感じでかなりこれにも惑わされました。標識はすべてスペイン語(ほとんどが)ですから東西南北くらいはレンタカーで動くのならば頭に入れておかなくてはなりません。実感、、、San Juan国際空港(サンファンと発音します)のある北東エリアにはホテルも多く集まっていますが、そこを西の方へ抜けるとOld Sau Juanという旧市街があります。簡単に歩き回れる大きさで石畳の坂道と欧風の街並が良い雰囲気の街です。ここは親戚の叔母たちにも今回の旅行先では一番楽しんでもらえ、私もアメリカにはないその街並がとても新鮮でした。Old San Juanには大きな砦があります。アメリカナショナルパークによって管理されているもので、時を経てきた肌色の岩壁がカリブの蒼い海に映えて風情がある場所です。ここもアメリカナショナルパークの年間パスが有れば無料で入れます。Old San Juan突端にあるエルモロ砦遠景エルモロ砦の周囲は一面なだらかな傾斜のある芝生、子供たちがごろごろ転がっていくプエルトリコでの食事も楽しみのひとつでした。現地のプエルトリコ料理は好きずきが分かれそうですが、食べる楽しみがある料理です。そしてOld San Juanで、ある日の昼、ベネズエラ料理の食堂へ入りました。ビーフの骨でとった出汁の野菜スープ、柔らかいパンに具を挟んで食べるサンドイッチのような物、などを頼んだのですが、そのすべてが絶品。パンは2種類あり、コーンの粉から固めに焼かれたものと下の写真にあるどら焼き、またはパンケーキのようなものが代表的の様です。このベネズエラ風どらやきに黒い豆を挟んで、と頼んで出て来たのがこれ。まるで日本のほっとするおやつのようでした。野菜スープは塩気をいれて炊いたインディカ米のような米飯にアボカドスライスが載ったものが添えられて来て、それにぶっかけて食べます。もっと知りたいベネスエラ料理なのでした。Old San Juan中心部の広場からSan Juanの海岸前半はもっぱらOld San Juanとホテルから歩いて行ける海岸で過ごしました。
2006.01.09
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6日早朝、ヒューストン国際空港。10人までにふくれあがった我家の滞在客も土曜日をもって解散!無事日本へお帰りいただきました。しかしその帰国便、7:00過ぎの乗り継ぎ便なため我家は5:00起きでの出発です。土曜日は手作りお弁当で9:00前に送り出す娘の補習校もあります。空港送迎を夫と私の車で先発、後発2台に分けて、先発から戻って来た私が夫とバトンタッチし、今度は補習校へ娘を送り、夫は後発で空港へ残りの親族をまた送るという計画。聞くだけで疲れてしまうでしょう。今日日曜日になって、東京へ戻った母と電話しながら”目の下がくぼんでいたし、最後は笑顔も減ってきちゃうし、、、”と言われ、私はホストには向いてないと改めて思いました。それでも来ていた親族たちは皆ホテル滞在だけでは味わえない、住んでいるからこそのアメリカを喜んでくれたと思います。海外は実際自分が住むより、身内が住んでいてそこへ滞在するくらいが程よいのかも。正直、今回は娘も2年生になって勉強の負担が現地校でも増えたこと、ヒューストンへ越して通学が長くなったこと、秋から補習校へ行き始めたこと、など小学生を抱える一家としては長期で滞在客を迎える負担がカリフォルニア時代より増えていました。お正月の旅行では補習校の宿題など、広げられても日記くらいかな、とは想像していたので親族の渡米前に頑張って手を付けていましたが、やはり現地校が始まった1月4日以降も、2つの学校の宿題を片付けるはめになりました。現地校から帰って来ておやつもそこそこまずはその日出された宿題を仕上げ、その後はめどがつく迄補習校の宿題です。親族たちは”学校から帰ってずっと休みなしだもの、もう疲れて集中できてないわよ。”と娘のことをひどく気の毒がっていました。でもこれが海外で日本語が日常でない小学校生活を送る子供の姿なのであり、うちのいつものスタイルなのです。半年前迄日本でだったら幼稚園生である娘、なんの因果かこうして走り続けなくてはなりません。まずはアメリカの現地生活を楽しむことを主に置き、自然に任せようと思ったときもありました。しかしただ親の都合でここに住むことを余儀なくされている娘の生活の基本は日本にあります。日本へ戻った時に心地よくまた生活出来る様、親がひっぱっていかなくては、、、。補習校の始まる前日、なんとかお書き初めと硬筆展への課題、日記が終わりました。そしてその夜娘は9度の熱を出してしまうという顛末。この週末は泥の様に母子、眠っていました。本当は東京で常日頃忙しくしている母にここでリラックスして欲しかったのに、逆に疲れて笑顔が最後無かったなんて気遣われてしまって自己嫌悪です。やはり自分に気持ちのゆとりが無いと人のお世話などできないものですね。、、と気分的には情けない年の始まりでしたが、旅行先で迎えた2006年の空と海の蒼さは素晴らしいものでした。また追々に写真など載せて行きたいと思います。*****************************皆様、今年もよろしくお願いいたします。
2006.01.07
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