今が生死

今が生死

2022.02.01
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カテゴリ: 生き方
今朝の新聞に一人親の子供の支援などを行うNPO法人を立ち上げたご僧侶が紹介されていて、子供の頃は自分が寺の子供に生まれたことを本当に嫌だったと述べていました。学校では「坊主丸儲け、お前の家には金が沢山あるのか?」「お前も坊主になるのか?」などいろいろ言われて嫌で、家を継いで坊さんにはなりたくないと思っていたそうです。どうしてこの両親の所に生まれてきたのか恨めしかったとのことです。
その後色々な遍歴を経て結果的に坊さんになったとのことですが自分の生まれた家や両親を恨めしく思ったことがある人は他にもいるのではないかと思いました。医者の家に生まれて嫌だと思った人もいるだろうし、貧乏な家に生まれたけれどもっと金持ちの家に生まれればよかったと思った人もいるかもしれません。
私は農家に生まれて周りの子供も殆ど農家だったので何の疑問もなく自分は何ぜこんな家に生まれたのかとは思いませんでした。でも世の中には大都会などで生まれた子供はお金持ちの家に生まれてもそれが嫌だったという人もいるだろうし、もっと器量よく生まれたかったのになぜこんな不器量の両親のところに生まれてきたのかもやもやした気持ちの人もいるのではないかと思います。泥棒の所に生まれた子供は小さい頃はそれが当たり前で疑問を感じなくても物心ついて両親が悪いことをしていると知ったらショックを受けて何ぜこんな両親の所に生まれてきたのか疑問に思ったり嫌気がさしたりするのではないかと思います。
殆どの人はそこに生まれてきたのは仕方ないことで別の所に生まれてきたかったなどとは思わないだろうと思っていましたが今朝の新聞の坊さんは嫌な所に生まれてきてしまったとずっと思っていたとのことで他にもそのような人もいるかもしれないと思って紹介させて頂きました。
この坊さんは「忘己利他」という仏教の教えをまもり、宗派を超えてあらゆる業種の人と手を組んで困っている人を助けるNPO法人の中心者として活躍しているとのことで、お寺に生まれて忘己利他という言葉に巡り合えたことだけでもよかったのではないかと思いました。
人は自分から望んで金持ちとか教養高い家とかに生まれることは出来ません。自分での選択権はなく、生まれる所に生まれるしかありません。その代わり生まれてから後どう生きるかで人生は決まってくるのだと思います。生まれてからどう生きてどう死ぬかは自分で決めなければならない、逆に言えば生まれてからの人生は全て自分の裁量にかかっているのだと言うことを実感させていただいた記事でした。
私はもう人生の大半を生きてしまって残りの人生の選択範囲は狭いですが、誰にも道は選択自由という特権があるので、自由に考え自由に行動して有意義な人生を締めくくりたいと思いました。





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Last updated  2022.02.01 14:06:29
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