今が生死

今が生死

2023.02.26
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カテゴリ: 読書
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新版 日蓮の思想と生涯 [ 須田晴夫 ]
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読みだすと眠くなり、睡魔に襲われながらもなお読もうとすると文字が赤く見えた。横になったり、腹ばいになったり仮眠をとったりしながら何とか最後のページにたどり着いたというのが実情である。
時は鎌倉時代、日蓮は漁師の子として生まれたが勉強好きで清澄寺に学僧として入れてもらい仏教の勉強をしていた。大変向学心が旺盛で比叡山などにも留学している。
数ある釈迦仏の教えの中で法華経が最高の教えであり、その法華経を自分なりにさらに深めた南無妙法蓮華経を覚知してそれを広めることを決意して1253/4/28、32歳の時に立宗宣言している。
1260年39歳の時に立正安国論を顕し、前執権で実力者の北条時頼に提出している。その頃大地震や大雨による洪水、大火災、伝染病の流行、飢饉が深刻化して死人の山が築かれていた。これは悪い宗教、念仏宗を庇護しているからだ。それを改め日蓮を用いなければ災害は続き、さらに蒙古による他国侵逼難や謀叛などの自界叛逆難が起こると予言して国家諌暁を行った。
時頼がそれを聞き入れて念仏を退けて日蓮を採用してくれなかっただけでなく、当時国で庇護され、信者数も最大の真言・念仏宗信者から恨みを買って夜討ちをかけられたり、命を狙われたりする法難が続くことになった。
伊豆流罪になったりするが中でも最大の難は1271年50歳の時竜の口で首を切られることになり死刑執行侍が刀を振り上げた瞬間光物が現れ、一同驚いて死刑は中止になり佐渡流罪になった。
恐らく雷だったのではないかと思っていたが、その後様々な研究がなされて雷ではなく、流星のかけらみたいなものだったのではないかと言われている。この不思議な出来事で自らを上行菩薩と内証し、佐渡から信徒に何通もの書状を書き、南無妙法蓮華経が書かれた曼陀羅も渡した。3年後佐渡流罪を許されて甲斐の国身延に入山して弟子の指導に当たった。その時の講義の内容を後で一番弟子の日興が筆録してまとめたものが御義口伝である。
御義口伝の思想の①は種脱相対で日蓮の法華経は従来の法華経28品ではなく、南無妙法蓮華経を指すものである。

本書には数えきれないくらい日蓮の手紙(御書)が引用されているので一々紹介できないが、立正安国論のテーマは何だったのか著者の言葉を借りて紹介する。様々な迫害を受けながら国家諌暁した日蓮の心底は、国家及び権力が存在する意義は、民衆の生命、生活を守るためにあるという民衆根本の国家観があった。それには低い教えである念仏や禅宗ではだめだという強い思いがあり、身命をかけて戦ってきたのだと思われた。
晩年、自らの病状が重く、食事も殆ど食べられないような時に弟子南条時光が命にかかわるような重病に陥った。その時自らの体調も顧みず、渾身の力で時光宛ての激励のお手紙を書いている。時光は師匠の鬼神をも呵責しているお手紙の気迫に触れ、無事回復したが師匠自らはそれから8か月後に入滅なされた。
日蓮という人類史的巨峰に近づくために著者の須田晴夫さんは多数のお手紙(御書)を閲覧し、参考文献を調べて精一杯書いて下さっていたが、467ページのこの本ではとても書ききれなかったと思う。
その本の感想もとてもこここで書ききれるものではないが、日蓮大聖人を知って頂く一助になって頂ければと思って書いた。





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Last updated  2023.03.09 12:58:51
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