今が生死

今が生死

2023.02.28
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テーマ: 同級生(29)
カテゴリ: 読書

脳梗塞発症後、約10年間病気との格闘の途中で前立腺がんにも襲われて76歳で生涯を閉じたが、その業績はあまりに偉大で、残して下さった教訓は多い。その中のエッセー集「寛容と希望」の中の「人それぞれの鵺(ぬえ)を飼う」を読ませて頂いた。
鵺というのは伝説上の怪獣で頭は猿、手足は虎、体は狸、声は虎鶫の鳴き声に似ている。虎鶫(とらつぐみ)はスズメ目ツグミ科の雀に似た鳥で夜ヒョーヒョーと口笛を吹くように鳴く。
 本編の内容は千葉大学医学進学過程に入学した多田と同級生関沢、秦、そして関沢の小石川高校時代の同級生土井の交流物語である。当時は医学進学過程の学生がすべて医学部に進学できるわけでなく2年修了した段階で医学部の試験があり、それに合格した者だけが医学部3年に進学できるシステムであった。
関沢は小児まひの後遺症で足が不自由で松葉杖をついていたが富山県の大病院の御曹司でお金はふんだんに持っており当時はまだ売春禁止法が施行されていなかったので、学生の身でありながら秦、土井を従えて毎夜のように遊郭に繰り出していた。大学にも殆ど出席しなくて勉強もしていなかったので恐らく2年修了時の医学部試験には多田もあまり勉強していなかったので関沢、秦、多田の遊び仲間は全員不合格だろうと思われていた。
特に秦は女好きで遊郭の女性だけでなく看護婦や事務員、大学食堂で働いている女性等次から次にものにしていた。挙句の果ては下宿のおばさんまでものにしてしまったというから相当の者だったと思う。
医学部試験の結果は関沢、秦は不合格で誰もが納得する結果だったが、多田も自分では不合格だと思いその次のことを考えていたが、幸運にも合格していた。その違いが彼らの進路の明暗を分けた。
多田は遊郭にこそ入りびたりにならなかったが関沢達との仲良し遊び仲間だった。その仲良し4人組の将来はどうなったのであろうか。
多田は世界的な免疫学者になったが、土井は大学卒業後フジテレビに就職したがフジテレビの屋上から飛び降り自殺してしまった。秦も若くして脳出血で亡くなってしまった。

多田は土井、秦、関沢、そして自分の4人はそれぞれの鵺を飼っていたのではないかと思った。鵺とはその人にとりついてその人の意に反して暴れまわるものだが、土井も秦も内なる鵺に振り回されていたが、鵺が死んだとき自らも死んでしまったのではないかと思った。関沢は小児麻痺による障害のコンプレックスを表には出さなかったがそれは巨大で、鵺のように暴れていたのではないかと思われた。
多田自身についていえば医学部試験の時はっきり医者になるという目標が定まっていなかった。合格したいという強い気持ちがなく、関沢達と遊んでいて受からなくてもいいと思っていた。
しかし幸運にも合格してその時に、社会に役立つ研究をしようという鵺が入り込んでその鵺に動かされて大きな研究を続けることができたのではないかと思う。
人それぞれが鵺を飼っていてそれで自分が滅びることもあるし、高みに連れて行ってもらえることもあるのだなと思った。
良い鵺を飼うにはどうしたらよいかが人生の大問題なのだなと改めて思った。





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Last updated  2023.03.01 22:49:47
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