今が生死

今が生死

2023.03.12
XML
カテゴリ: 読書


中村さんは九州大学医学部卒業後日本国内の病院勤務後1984年(38歳)にパキスタンのペシャワールに赴任してハンセン病の診療に携わり、1986年からはアフガニスタン難民のための医療チームを結成し、山岳無医地区での診療を開始した。
1991年からはアフガニスタン東部山岳地帯に3つの診療所を開設し、パキスタン、アフガニスタン両国にまたがって活動していた。
2000年(54歳)からはアフガニスタン東部が大干ばつに見舞われ、作物が作れなくて多くの人が餓死し何百万人という難民が生じたので、飲料水や耕作水のために井戸を掘ったり灌漑用水路の建設を開始した。

本書はNHKラジオ深夜便や民放ラジオ深夜便で中村さんが喋った内容を中心にまとめたものである。
私は中村哲さんがパキスタンやアフガニスタンに35年間も命をささげてきた動機を知りたいと思った。
ラジオ深夜便の中で中村さんはそのきっかけは実は「遊び」で行ったのですと述べていた。
ちょうどヒンズークッシュ山脈への登山同行医師の話があり、昆虫が好きだったので遊びがてらに参加して帰国後いい所だど思い、医師不足は深刻だなと思って、いつか再度行ってみたいと思っていたところにある医療協力団体からパキスタンのハンセン病コントロール5か年計画に参加しないかとの話があり、前に登山隊と言ったところなので参加してみようということになった。
「別に大それた理想や、思いつめた覚悟などなく、遊びで行ったことがきっかけなんですよ」と話していた。

そのあたりのことを、イーハトーブ賞受賞に際してのお礼の言葉の中で述べている。「動機は何かと多くの人に聞かれるが、人間愛というのも面はゆいし、自分にさしたる信念や宗教的信仰があるわけでもなく、さしずめ宮沢賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」のなかのゴーシュの心境ではなかったかと思う」とのことだった。
この童話はいつも楽長に叱られてばかりいるセロ弾きのゴーシュが10日後の発表会に向けて自宅で練習していたら毎晩のように猫やカッコウや子狸、野ネズミが現れて練習の邪魔をしていた。しかし10日後の本番では楽長に叱られなかっただけでなく、客席からは、アンコールが叫ばれ大成功を収めた。下手で駄目だ、駄目だと言われてばかりいたゴーシュが、野心なく、ひたすら練習して、それを邪魔する動物とも会話を重ねて本番を迎えたら、とても上手になっていたという話で、自分はゴーシュみたいな者ですよと述べていた。
同じ宮沢賢治の詩に「雨ニモマケズ」がある、その最後の所に「みんなにでくのぼーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういうものに私はなりたい」があるが、ペシャワール会会長の村上 優さんは本書刊行に寄せての文章の中で、上記の部分が中村哲さんの偽らざる心境ではなかろうかと記していた。
中村さんは、2019年12月4日水利権のことで一方的に中村さんを敵視していた凶悪5人組に襲われ凶弾に倒れた。73歳だった。
村人たちには命の恩人として慕われていた中村さんなのに、その中村さんを狙うとはとんでもない悪党だとの非難が盛り上がった。
中村さんはお亡くなりになられたが、その遺志を受け継いでアフガン、パキスタンの病人や難民を援助するペシャワール会という組織は今も活動を続けている。私もペシャワール会に協力(寄付)して少しでもお役に立たせて頂きたいと思った。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.03.13 13:22:35
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: