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今日のまとめ1.ブラジルのデモクラシーの歩みには紆余曲折があった2.コロネリズモが汚職体質を生んだ3.ポピュリズモが欧米投資家を震撼させている4.ワシントン・コンセンサスの失敗がポピュリズモの台頭の一因である5.ブラジルの左派は「大人」である6.ブラジルでは大統領選挙の年は株式市場が荒れる7.今回の選挙では誰が勝っても株式市場にとってそれほど悪くないブラジルの政治ブラジルは1891年には既に米国の合衆国憲法に倣った憲法を持ち、民主主義を実施していました。しかし、その後の同国のデモクラシーの歩みは順調とは言えません。例えば1964年4月からはほぼ20年にわたる軍事政権が続きましたし、民政に戻った後、最初に公選により大統領に就任したコロル大統領は2年あまりで汚職疑惑で降板しました。しかし、カルドソ政権以降はブラジルの政治は安定度を増しており、民主主義もしっかり根付いてきた感があります。今日はそれらの点を駆け足で検証するとともに今年10月に迫った大統領選挙とそれがブラジルの株式市場に与える影響などを考えてみたいと思います。コロネリズモブラジルのデモクラシーへの道のりが平坦で無かった理由として、同国固有の国民性、社会の発展の経緯などが指摘されています。その代表的なものはコロネリズモでしょう。コロネリズモ(coronelismo)とは大地主などの地元有力者が政治の実権を握ることを指します。ブラジルでは伝統的に地元有力者が農民や労働者からの支持と引き換えに公共工事を地元に引っ張ってきたり、地方の役職に支持者を優先的に任命するなどということが行なわれてきました。これが大土地所有制と結びつくことによりブラジルのデモクラシーを歪めてきました。最近では都市への人口流出により地方との結びつきが疎遠なブラジル人が増えました。その影響でコロネリズモは弱まりつつあります。しかし汚職体質というのはこんにちのブラジルの政界にも根強く残っており、汚職疑惑が投資家の心理を逆撫でするという局面は最近でもしばしば見られます。ポピュリズモ貧困層の人気取りを目指した政治のことをポピュリズモ(populismo)と呼びます。ポピュリズモは何もブラジルに限ったことではありません。事実、最近はラテン・アメリカ諸国全体にポピュリズモの風潮が強まっています。このトレンドを作ったのはベネズエラのウゴ・チャべス大統領です。チャべス大統領は石油輸出から得られる収入を貧困層にばら撒く政策で低所得者層の歓心を買っています。その行為自体の是非は簡単には白黒決し難い面もありますが、貧富の差をなくすという美辞麗句の裏で民主主義の後退や腐敗の進行を心配する声もあります。また、米国やEUが提唱してきた自由貿易の振興という価値観に真っ向から反対する風潮も出てきています。ポピュリズモ流行の背景そうしたトレンドの背景にはラテン・アメリカ諸国の多くが過去15年近くにも渡ってIMFなどの提唱する経済政策(これを「ワシントン・コンセンサス」と呼びます)に従って経済運営してきたのにもかかわらず、経済が全然良くなっていない点が指摘されます。実際、ブラジルとメキシコの場合、1940年から1980年までの平均GDP成長率は約6%でしたが、1980年から2000年までの平均はその半分にも満たなかったのです。また、ラテン・アメリカ諸国は世界でも最も富の不平等が激しい地域です。そのため、富はもとより雇用機会や社会的な発言力などの点でもごく一部の特権階級にそれらのパワーが集中しており、それが選挙の時に必然的に数の上では圧倒的多数派である大衆寄り、ないしは左寄りの姿勢を打ち出さないと選挙に勝てないという状況を生むのです。ラテン・アメリカ諸国は昔から「ご近所さん」に影響されやすいという傾向があります。従ってべネズエラで人気を博したチャべス大統領のポピュリズモは今、ボリビアなどの近隣諸国に広がっています。特にボリビアのモラレス新大統領は就任早々、資源企業の国有化や外資の締め出し政策などを打ち出し、国際機関投資家を震撼させました。ブラジルの左派ポピュリズモはブラジルにも伝統的に存在してきました。また、ブラジルのルラ大統領は労働者党の党首ですから当然貧困層の味方です。しかしこと最近のポピュリズモの流行との絡みで言えば「ブラジルをその他のラテン・アメリカ諸国のポピュリズモと一緒にしないで欲しい」という感じで一線を画しています。つまり貧困層には同情的な政府ではありますが、「国家予算の健全性を損ねる政策や民主主義の後退を招くような政策には走らない」という気概が感じられます。このへんのニュアンスの違いを表に示すと下のようになります。ブラジルやチリの左派はソ連をロール・モデルとしました。勿論、今やソ連は存在しないわけですからこれらの国はソ連の失敗の教訓に学び、ちょうどフランスなどに見られるようなバランス感覚のある左派勢力が主流となっています。この反面、ベネズエラやボリビアはフィデル・カストロのキューバ革命に触発された面が大きいので反米的な傾向が顕著なわけです。ブラジル株式市場と大統領選挙ブラジルにとって大統領選挙のある年は「厄年」です。というのも過去4回大統領選挙のあった年はブラジルの株式市場はいずれも春先に天井を打ち、その後、高値から4割とか5割近い下落を見ているからです。これは投資家が不確実性を嫌うことが原因です。しかし、もう少し丁寧にその原因を分析すると、折角、IMF主導のワシントン・コンセンサスに基づいた経済政策を政府が採用しているのに、「選挙で新しく当選した候補者がそのコミットメントを反故にしたらどうしよう?」という事を欧米の投資家が極端に恐れているのが原因だと考えられます。実際、現大統領であるルラが当選した時は彼の支持母体が労働者党であるということからブラジルの政治が左寄りに急転回することを投資家は大変心配しました。結果的にはルラ大統領はカルドソ政権の敷いた手堅い経済政策を注意深く踏襲しました。今ではルラ大統領に継投して欲しいと考える投資家が大半だと思います。 上のグラフは或るブラジルの世論調査機関によるブラジル大統領選挙の第一次投票の支持率の推移を示しています。ルラ大統領が現在のところ優位を保っています。元サンパウロ州知事のジェラルド・アルクミン候補が差を詰めていますが、アルクミン候補は欧米の機関投資家にとりわけウケの良かったカルドソ前大統領を輩出したブラジル社会民主党(PSDB)に属しており、その意味では仮にアルクミン候補が当選した場合でもブラジルの経済政策が大きく変わる心配は無いと思われます。まとめてみるとブラジルの場合、10月に大統領選挙が控えているため、欧米の投資家は一般にブラジル株に対しては用心深い態度をとっています。特にラテン・アメリカ諸国には今、ポピュリズモ旋風が吹き荒れており、これも投資家の不安を煽っています。しかしブラジルの場合、左派と言ってもベネズエラのポピュリズモとは一線を画した穏健なものとなっており、ブラジルがベネズエラやボリビアと同じ路線に傾倒する危険性は低いです。さらにルラ現大統領が勝っても、アルクミン候補が勝ってもブラジルの経済政策は大きくかわることは無いでしょう。これらのことから選挙に対する不透明感からブラジルのマーケットが大きく売られる局面があれば、それは買い出動のチャンスであると思われます。
2006年07月27日
今日のまとめ1.染料の木がブラジルという国名の由来2.サトウキビのプランテーションが奴隷労働力を必要とした3.大土地所有制度が現在の貧富の差の激しい社会の遠因となった4.ヴァルガスの独裁時代はコーヒー市況が低迷5.軍政下、輸入代替工業化で経済が飛躍6.オイル・ショックの時代に累積債務の問題が深刻化7.「失われた10年」でブラジル経済の国際的地位は低下した8.民主的に選ばれたコロル大統領下で改革が試みられたが失敗9.カルドソ蔵相が効果的な改革を断行10.ルラ大統領はカルドソ路線を受け継ぎ手堅い経済運営ブラジルはポルトガルの植民地だった1494年にスペインとポルトガルの間で取り決められたトルデシリャス協定(Treaty of Tordesillas)によりポルトガルはブラジルを植民地として領有することを認められました。ポルトガルは最初にブラジルに進出した際、金鉱脈を発見することを期待していたのですがあいにく金鉱脈は発見できませんでした。そこで赤い染料が取れるパウ・ブラジルの木を伐採して、それをフランダース地方などへ輸出することを始めました。ブラジルという国名はこのブラジルの木に由来しています。サトウキビ時代1530年代に入るとサトウキビのプランテーションが始まりました。このプランテーションにおける労働力の確保の為にポルトガルはアフリカから黒人の奴隷を連れて来るようになりました。大土地所有制度の起源となったセズマリア(sesmaria)制度が出来たのはこの頃です。さらにサトウキビ畑の耕作・運搬作業などの為に牛が輸入され、後のブラジルの牧畜業のはしりとなります。しかしライバルのオランダがカリブ海地方でサトウキビの栽培をはじめた為、ブラジルのサトウキビ産業は1600年代半ばまでには衰退しました。ブラジルはサトウキビのプランテーションの衰退を補うため牧畜業に力を入れました。金の時代1700年代初頭にミナス・ジェライス地方で金鉱脈が発見され、鉱山開発の時代が始まりました。しかし、ブラジルの金生産は1750年頃には早くも衰退しはじめます。この後、ブラジルは50年ちかい経済停滞期を迎えます。この時期ポルトガルはブラジルにおける製造業を禁止した為、製造業は発達しませんでした。ポルトガル王室の「遷都」1808年にナポレオン戦争を避けるためポルトガルの王室はブラジルに避難します。ブラジルに移ったポルトガル王室は英国寄りの外交政策を採るようになり、英国のアドバイスに従って広く世界と交易する方針に改めると同時に製造業の禁止を解きました。1850年には黒人奴隷貿易の禁止が決められました。コーヒー豆の時代コーヒーがブラジルにもたらされたのは1700年代初頭ですが、大々的に栽培されはじめたのは国際市況が上昇した1820年代以降のことです。コーヒー栽培は手間がかかります。また、黒人奴隷貿易が禁止されたこともあり、国内の余剰労働力はコーヒー栽培によって吸収されました。その意味でもコーヒーの輸出はサトウキビや金生産より遥かに大きな影響をブラジル経済に与えたと言えます。世界恐慌の時代1930年代、世界恐慌が始まるとコーヒーの価格が暴落し、ブラジルも利払いの停止を発表せざるを得ませんでした。1930年にクーデターにより登場したジェツリオ・ヴァルガスは第二次世界大戦の暗雲が世界を覆う中、1891年に米国憲法を模倣して制定された憲法を排し、政党を解散するなどし、独裁体制を敷きます。戦後の輸入代替工業化時代第二次世界大戦後のブラジルは戦時中に蓄えた外貨をもとに貿易に関する規制を撤廃します。しかし、当時のブラジルの通貨、クルセイロ(Cr$)が経済の実勢より割高に設定された為(当時は固定相場制)、輸出の不振を招き貿易収支が悪化しました。ブラジル政府はそこで通貨を切り下げるのではく輸入ライセンス制度による輸入の抑制に踏み切り、石油や工作機械など経済政策上優先順位の高い商品だけ輸入を許し、消費財は輸入できないようにしました。これによりブラジルの製造業がはじめてテイク・オフしたわけです。ブラジル政府はこれを見てブラジル経済の構造をこれまでの第一次産業中心の経済から工業中心の経済に移行することを目標にします。このように為替レートや輸入ライセンス制度により国内に製造業を根付かせるやり方を「輸入代替工業化」と呼びます。このやり方の問題点は輸出の不振から貿易収支の悪化を招くことです。このためブラジルは戦略的に重要な輸入品目とそれ以外の品目では違った為替レートを適用するなど、苦しまぎれの政策を始めます。軍事政権下での経済1964年のクーデターでブラジルは軍政下に置かれます。軍事政権は為替制度の簡素化、インフレを加味した定期的な為替相場の切り下げ、直接投資の奨励、外資の誘致、輸出の奨励などを打ち出します。これらが功を奏して1968年から1973年までは年率平均11.1%という高度成長の時代が到来します。工業セクターは年率平均13.1%で成長し、鉄鋼、セメント、発電、自動車、耐久消費財などの産業が大きく開花しました。オイルショック軍事政権下でのブラジルは確かに急成長を遂げ、加工品、原材料などの輸出も好調でしたが、それにも増して輸入が急増しました。貿易収支は悪化を辿ります。この帳尻を合わせたのが海外投資家からの資本投資でした。1973年のオイル・ショックの際には石油の輸入価格が高騰し、貿易収支は一挙に悪化しました。ブラジルは過大評価されていたクルセイロを切り下げるのではなく、輸入代替工業化を一層押し進める事でこの難局を乗り切ろうとします。鉄工所やアルミ精錬工場、化学プラントなどを次々に作り、これらの商品を国内で自給できる比率を高めました。この政策は短期的には成功でした。実際、1974年から1980年までのブラジルのGDP成長率は平均して6.9%であり、これはオイル・ショックに世界中が苦しんでいるときの成績としては上出来の数字です。しかし、経常赤字は1973年の17億ドルから1980年には128億ドルまで膨張しました。1979年のイラン革命による第二次オイル・ショックが引き起こした世界的なインフレで世界の金利水準は大幅に引き上げられ、借金の借り換えのコストの急増を招きました。失われた10年オイル・ショック後に世界を襲った不景気でブラジルの経済も「失われた10年」と呼ばれる長いスランプに陥ります。1981年から1992年までブラジルのGDP成長率は平均して1.4%にとどまりました。また1985年に軍政から民政に移行した頃から狂乱インフレが起こり、ブラジル政府は価格凍結、賃金の凍結、住宅ローンや家賃の凍結などの極端な改革を断行します。これらの改革で一時はインフレが押さえ込まれたかに見えたのですが、暫くするとまたインフレがぶり返しました。コロル大統領の登場軍政後最初の公選により大統領に選ばれたコロルは規制緩和や対外貿易の振興、政府支出の抑制など、先進国受けする一連の政策を掲げて経済の建て直しに乗り出しました。しかし、1992年には汚職疑惑から大統領を罷免されてしまいます。その後を継いだフランコ政権は暫定政権ということもあり実効ある成果は上げられませんでした。カルドソ政権しかしフランコ政権の良かった点は財務相にブラジルきってのインテリで知られるカルドソを起用した点です。カルドソはレアル・プランと呼ばれる経済安定化計画を発表します。その骨子は:1.議会により均衡財政が義務付けられること2.賃金、税金、金融資産などをインデックス(指標)化すること3.ブラジル・リアル(R$)の導入などです。均衡財政が義務付けられたことは公的部門のインフレ期待を駆逐する効果を上げました。インデックス化はいろいろな財やサービス間の相対価格を適正な水準に固定することを助けました。それらが定着した後、新通貨が導入されたわけです。その後、カルドソは1995年には大統領に就任しこの経済改革を継続します。ルラ大統領の時代2002年の大統領選挙では貧富の差を縮めることを公約した労働者党のルラ党首が勝利し海外の投資家は折角軌道に乗ったブラジルの経済がまた悪い方向へ向き始めるのではという懸念を抱きました。しかしルラ大統領はカルドソ政権の残した手堅い経済運営のやり方を注意深く踏襲し、現在に至っています。
2006年07月20日

今日のまとめ 1.ブラジルの国土は世界で5番目に大きい 2.多人種の国家でありながら国としてのまとまりはすこぶる良い 3.貧富の差などの問題は深刻 4.エマージング諸国のリーダーとして外交に独特の存在感がある 5.BRICs諸国の中では唯一、パラダイムのシフトを経験していない 6.ブラジル経済の進歩はGDP成長率だけでは測れない 7.ブラジルのADRは優良株でいっぱい ブラジルのイントロダクション ブラジルは国土の大きさではロシア、中国、米国、カナダに次いで世界で第5番目です。国土の9割が赤道と南回帰線の間に位置することから世界最大の熱帯の国であると言えます。ブラジルは歴史的にポルトガルをはじめアフリカやイタリア、ドイツ、アラブ、日本など実にさまざまな国からの移民を受け入れてきました。その意味では人種のるつぼであると言えます。しかし、彼らはいずれもポルトガル語(識字率は88%)を話すブラジル人として共通のアイデンティティーを持つに至っています。(勿論、僻地に住むごく一部の先住民だけは例外ですが。)ブラジル人がこのように「ひとつの国民」、ないしは「ひとつの国家」として一体感を持っているというのは彼らの祖先の多様性を考えたとき、驚くべき事だと言えるでしょう。一般にブラジル人は人好きのする開放的な性格だと言われています。2000年の国勢調査によるとブラジルの人口は1億6979万人で、世界で6番目に人口の多い国です。人口の74%がカトリック教徒であり、世界最大のカトリック国であるとも言えます。さて、ブラジルの国民が共通の帰属意識を持っている反面、実際の人々の暮らしぶりを見ると経済的には裕福層と貧困層の間にたいへん大きな格差があります。そもそもラテン・アメリカの国々は貧富の差が激しいところが多いのですが、その中にあってもブラジルは特にひどい格差社会となっています。下のグラフは国連の「ヒューマン・デベロプメント・レポート 2004年」に収録された各国のジニ係数から主要国を抜粋したものです。ジニ係数は所得分配の不平等の度合いを測る係数ですが、下のグラフの場合、100が「完全に不平等な社会」で、0が「完全に平等な社会」という風に読みます。ブラジルの59.1という指数は大変不平等な社会であることを示していて、実際、アフリカの一部の小国などを除くと世界で最も不平等な大国であると言えるでしょう。 さらにブラジルは大国だけに場所により自然環境も大きく異なります。所得面や社会的インフラ面などでも地域格差が大きく出るのはある程度仕方ない気がします。しかし、格差が出たのはそういう地理的な問題だけにとどまらず、歴史的、人為的要因も影響しています。具体的にはポルトガルの植民地の時代にアフリカから沢山の奴隷が連れてこられたのですが、その奴隷労働力を基盤としたプランテーション経済の在り方が不平等のルーツとなっているという点も指摘できると思うのです。 ブラジルの歴史はそういう多様な人種、経済的背景、地理的要素などと折り合いをつけてゆく歴史であったと言えます。その結果として今日われわれが見るブラジルという国は特にBRICs4カ国の間での比較では政治的に随分成長した、「おとな」の国というイメージではないでしょうか?。特に外交面ではとかく自己主張が強くなりがちな他のBRICs各国に比べると温和で協調的な姿勢が印象に残ります。さらにWTOなどの場では低開発国、発展途上国の側の論理、ないしは利害というのをきちんとアピールしてゆく、言わばエマージング諸国の兄貴分的な役回りを演じています。ベネズエラのチャべス大統領のように米国をはじめとする先進国に対して挑発的なリーダーが衆目を集めている今日、ブラジルの持つ、先進国と後進国との間の仲介者的な役割は近年ますます価値が上がっていると言えるでしょう。 ブラジルの経済さて、BRICs諸国にあってはブラジルだけが「共産主義ないしは混合経済から資本主義へ」というパラダイムのシフトを経験しなかった国です。通常、そのような大きな社会の変革があるとそれまで停滞していた経済が一気にスパートしたりするので、経済成長率の面からだけ見るとそれらの国の方が遥かに良いように見えるものです。実際、下のGDP成長のグラフを見てもブラジルのそれは「物足りない」と感じられるかも知れません。 それはブラジル経済の歩んできた道が他のBRICs諸国とは異なるためであり、その意味では変化率が異なるのは当然です。しかし、単にGDP成長という表層的なデータだけを見るのではなく、もう少し丁寧にブラジル経済で起こっていることを調べてみるとブラジルでも他のBRICs諸国同様、たいへん大きな変化が起きていることがわかります。ブラジルは地下資源、森林資源、農業などの点で超大国ですから、今後、中国などに対するそれらの資源の供給者としての重要性が増すことは当然です。しかし、それ以外でも例えば工業部門では優れた航空産業やバイオフュエルなどで世界的なリーダーとなっています。さらにインフレの克服により金融システムが上手く機能するようになってきました。それはとりもなおさず銀行サービスの開花、ひいては消費セクターの隆盛を意味します。そういう訳でブラジルの巨大な潜在国内消費市場が今、目覚めようとしているのです。さらに株式市場ではブラジルの優良企業の多くは90年代半ばからニューヨーク市場にADRを出しており、コーポレート・ガバナンス(企業統治)、ディスクロージャー(情報開示)などの面でも優れています。経営の効率性などの面でも長足の進歩を遂げました。このため欧米の投資家にとってブラジルのADRには信頼感、親近感の面で他のBRICsの企業とは比べ物にならない優位性があります。
2006年07月12日

今日のまとめ ロシアの粗鋼生産は世界第4位 ロシアの鉄鋼業界はいろいろな理由から今世界から注目されている 90年代に後退したロシアの鉄鋼業は今、回復の途上にある GDPとの相関から見た長期的な需要見通しは明るい ◆ロシアの鉄鋼業界の重要性ロシアの粗鋼生産は中国、日本、米国に次いで世界第4位(市場占有率は5.91%、2006年1月~5月の累計、IISIによる)です。また、輸出量だけを見るとロシアは日本に次いで世界第2位の粗鋼輸出国です。IISI・・・国際鉄鋼協会 これらの事実からだけでもロシアの鉄鋼セクターは世界的に見ても重要な存在であることがわかりますが、ロシアの鉄鋼セクターの重要性はそういうデータからでは十分語り尽くせないと思います。その理由は:(1)現在、世界の鉄鋼メーカーは劇的なM&Aの渦中にあり、 ロシアの鉄鋼メーカーがその中で重要な鍵を握りつつあること (2)世界の自動車メーカーがロシアに工場進出中であり、 ロシアにおける鋼材の提供能力の有無が鉄鋼メーカーのグローバル戦略上、 重要な差別化のポイントになりつつあること (3)シベリアなどにおけるパイプライン・プロジェクトの進行により 大口径鋼管の需要増が予想されること (4)ロシアは石炭、鉄鉱石など製鉄にまつわる原料に恵まれており、 垂直統合の度合いが高いことから、これらの原料確保の点からも戦略的に重要であること などによります。 ◆復興途上にあるロシアの鉄鋼業界ロシアの鉄鋼業界は1970年代には世界で第1位の時期もあったのですが、ソ連崩壊後、他の多くの産業セクター同様、経済混乱の中で大きく生産量を落としました。需要の消滅、設備稼働率の急落など、諸々の問題を抱え込んだわけです。この間、中国はどんどん粗鋼生産を伸ばし、大きく差をつけられてしまいました。 ロシアの鉄鋼業界が息を吹き返したのは2000年からで、これにはロシアの石油ならびに天然ガス業界が設備投資を再開した事が背景にあります。パイプライン、精製施設、その他建設セクターからの需要が増えたわけです。その後、国内鉄鋼需要は一旦横ばいになりますが、現在は原油価格の高騰などから再び設備投資ブームに入りつつあります。また、建設セクターの需要も増大が期待されます。◆長期的需要見通しロシアの現在の一人当たり鉄鋼消費は約200ドル強であり、この数字は今後ロシアの一人当たりGDPが増えるとともに下の図のように暫くは増加し続けると考えられます。工業化の過程では一人当たりGDPが増加するにつれて一人当たりの鉄鋼消費も増加します。しかし、工業化が完成すると一人当たりの鉄鋼消費量はピークを打ち(例:韓国)、その後は一人当たりGDPが増えるに従って逆に一人当たり鉄鋼消費量は減少に転じます(例:ドイツ、米国)。ロシアの場合は未だ上昇サイクルが始まったばかりですから、当分の間はGDP成長と鉄鋼消費の間には正の相関があると考えられます。
2006年07月07日
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