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マイミクのengel roseさんが、5月12日のACIM学習会のときに、 「I AM THAT(私は在る)*ナチュラルスピリット刊」を貸してくださいました。 自分の中で言語化できないことを、 言葉というシンボルを通して、 深い何かを語りかけてくれているように感じています♪ ただ、対話形式であり 質問者の理解力に応じて、 言葉の表現方法が変わるため 言葉尻にとらわれてはいけないなぁ~と思います♪ 私たちは、 身体の目を通して本を読んでいると信じていますが もっとべつのところで それをみている感覚を感じています。 そうすると、言葉の奥にある 意識では気づいていない何か (意識が思い出さないようにしていたものが、 すべてを知るスピリットにバトンタッチされるような)が 理解しようとしなくても 伝わってくる・・・ こんな感覚を楽しんでいます♪ Holy Spiritは、だれの心の中にもある・・・ というか、それがほんとの自己♪ ******************************** マハさんの言葉♪ 人格とは記憶によって組み立てられ、欲望によって喚起されたただの習慣だということを見抜かない限り、あなたは自分自身を、生き、感じ、考え、行動的あるいは受動的で、喜ばされ、苦しめられる個人だと考えるだろう。 あなた自身に尋ねなさい。 「本当にそれはそうなのか?」 「私は誰なのか?」 「これらすべての背後とその彼方には何があるのか?」と。 そうすれば、すぐに自分の過ちを見いだすだろう。 見られることによって消え去るということが過ちの本性なのだ。 バイロン・ケイティのワークの問いかけとちょっと似てますね♪ http://www.thework.com/pdf/JapaneseLittleBook.pdf ケイティの相対性の世界を超えて、その奥を見なさいって 感じがします♪ 「コース」の記述-神使者P195 誰も幻想を直視しない限り、それから逃れることはできない。幻想は見られないことで守られている。幻想は危険ではないから、それを前にしてすくむ必要はない。私たちはエゴの思考システムをもっと間近にしっかりと見つめる用意ができている。 私たちが一緒なら、幻想を振り払うランプがあるからであり、自分をそれを欲していないことに気づいたときから、あなたの用意はできているはずだ。一緒に穏やかに実行しよう。私たちはただ誠実に真実を求めているだけなのだから。 ******************************** じつは最初、engel roseさんにこの本を手渡された時、私はあまり気乗りしませんでした。 1年ぐらいかかったり、読まないかもしれないよと言ったのですが、それでもいいよとengel roseさんがおっしゃったのでそれに甘えさせてもらいました。 でも、ふと以下のようなコースのエピソードがなんとなく、自分の中でよぎり、読んでみようと思いました。 コースの口述者ヘレン・シャックマンに口述を続けなさい、それを励まし続けたウィリアム・ビル・セットフォードが、ヴェーダンタ哲学や世界の神秘思想に共通して説かれている「非二元論的な真理」を知っていたという記述をなんとなく思い出したからです。 そして、その彼が、コースの内容がキリスト教の用語と心理学的な理解とを用いて、現代の読者にもわかりやすく解説するものであると判断したと書いてあったことを含め、あらためて「純粋な非二元論」であるコースの手前の概念、コース以外にもある「非二元論」の真理が書かれている本に興味がわいてきました。 この本で登場するマハラジも、二元論と非二元論を織り交ぜながら語っているので、最初は戸惑ったのですが、コースと同じような考え方だなぁ~と思いました。 コースよりは少ないのですが、500頁以上あるので、 聖霊と共に、しばらく読んでみます♪
2009.05.31
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昨日は、自らをエネルギーという概念でとらえる状態では 「自らの本質=真実=実在=生命=自由=愛を、まだとらえきっていない」 ということを書きました。 その真意をまとめてみると、 エネルギー自体が、電子とか原子というように分離構造を そこに含んでいて、エネルギーを交換することによって それが「存在する(ある)-存在しない(ない)」という点滅として 変化を生み出し続けるという性質があるからです。 これは単に物理的なエネルギーについて、 今ある考え方に照らし合わせた考え方のなかでイメージしたものですが、 相対性理論のなかで、 物質に見える何かは、 その質量に光速度の2乗のエネルギーに変換あるいは置換される とありますが、おもしろいことに 私たちの生命があるうちに身体の中を流れる微弱電流 -心電図・脳波などによって計測されているバイタル・サイン- には、物質的なエネルギーとは明らかにちがう それ以上の何かがあります。 その何かとは、「物質に意識を与える何か?」である あるいは、物質的なイメージに先立ち、 この知覚される世界のあるいはその前にある何であり それは、あらゆる場面で介在し、 さらに、その後、 分断された個のレベルである肉体 物質的な細胞のなかにある 遺伝子にイメージを与える何かです。 (それが意識・無意識であろうと)それがあることで、 これから、時系列上で構成されるであろう 「脳・神経系、その他の組織・内臓諸器官」が はじめてあることがわかり、 それが物質を動かすことになります。 一見すると生体の微弱電流と物理的なエネルギーは同じモノである と錯覚あるいは、混同されていますが、 エネルギーは、ある意識から変換され、それが、 あたかもエネルギーという形ある何かとして 実在するようにみせかけていると 考えたほうがよいように思います。 奇跡のコースでは、物質やエネルギーを装う何かである それを「心」と呼んでいます。 変化し続けるという性質が、もし真実であり 終着点であるなら、 神は変化し続けることを意味します。 神が変化なら、 私たちは、プラスとマイナス、NとS極、陰と陽、善悪という 対極のあいだを 振り子のようにさまよい続けるだけの運命しか 与えられていないということになります。 別の言い方をしてみましょう。 たとえば、神はよく「愛」だと言われています。 神がひとつであるなら、神が創るなにかは やはり「愛」ということになります。 それは「愛」は「愛」でしかないことを意味します。 もし、神が自分とは違う何かを創るなら、 神が「愛」と別の対照的な何かを創ることを意味します。 だとしたら、 その違う別の何かを創造すること、 そして、別の何かとして創造されたものとは、 その対極である 「FEAR(本当のようにみえる嘘の証拠)-恐れ・不安」 が生じたことになります。 この論理では、「神が嘘・不安を創造した」ということになってしまいます。 私が「神との対話」の神が どこかおかしいと考えるようになったのは、 そこに内包されている根本的な概念自体に 「自己矛盾」があるからです。 私は哲学的な考察がとても好きなのですが 神が論理の一貫性をもっていないとしたら、 神は愛でも何でもなく、何も知らなく 宇宙は偶然の産物であり、人間は善でもあり、悪でもあり その時々で、変化し続ける相対的な存在でしかない・・・ そんな世界しかなく、 その結果としての私たちは 何の指標もなく、運命と呼ばれる大海のうえで船にのり 目的もなくさまよい続ける何かでしかない ということになると思います。 このようなことばかり書くと、 私が「神との対話」の神を批判していると思われるかもしれません。 私が言いたいことは、単にどこへ向かおうとしているかという 「指標」あるいは「目的地」について話しています。 論理的に矛盾がある目的地へ向かい、そこへ到達したとしても その帰結としては、矛盾に出会うだけだ・・・ と言っているに過ぎません。 真実を知ることと 矛盾を知ることとの間には そこに大きな違いがあります。 ですが、肉体の目という分断され 一部しか見えなくなっている あてにならない知覚情報からしか物事を見られない 自我(分離の視点)の支配下にある私たちは、 何らかの指標を見いださなければ、混乱し続けると思います。 では、その状態から抜け出すために何をしたらよいかというと、 まず、真実を知るために、 真実(真の自分)ではないものを知る必要が生じます。 今、この世界で目に見える違いを楽しむことについて 私は別にどうこういっているわけではありません。 好きなだけ楽しめばいいと思います。 ですが、最終的に その目に見える違い・分離を求めるということの目的は、 一つであること、真実、とは何の関係もないという結論に いきつくことになるでしょう といっているだけです。 私たちは本能として、 決して変わらない何か 愛-真実-自由を求めます。 なぜ、それを求めることができるのか? それをどこかで知っている(覚えている)から・・・ 今も真実は心の奥に存在し続けているから・・・ しかし、そのよりどころを分離の世界 -自分とは違う何かが見える主体と客体に満ちた世界- -矛盾の世界-のなかで 探しても 愛・真実はみつからない、という結論に達するでしょう。 では、真実を知るためにどうしたらよいのか? これが私たちの今の立ち位置における 真の命題となると思います。 私たちがよく愛と呼んでいる言葉が真実であり明晰さなら、 混沌、複雑さ、無知、それらから生み出されるものは闇です。 闇は、自らの位置を見えなくします。 自らの位置を知らないなら、あるいは忘れたなら 不安が生まれます。 私たちは愛をこの世界では忘れていると思います。 愛という真実を今ここで知っているなら、 闇の中にはいないでしょう。 「・」ドット-闇は、この日記のなかに見える点であり それに続く文字(あるイメージ)のようなものです。 この日記の背景のなかに、 ある「・」や文字を自分自身だと信じている状態に似ています。 (これはマイミクのまるさんによる 真の自己・本質と偽りの自己についての簡単な説明です) その答えを知るための手段として、 私たちは、真実とはちがうものを見極めることから 始めなければなりません。 そのプロセスは、 「私は身体であるのか?」から始まります。 よく悟りのプロセスの問いで 「私は誰か?」という問いがあったと思います。 私が昨日、自分の中に生まれた不思議な問いである 「私が解剖している死人は、身体はあるのになぜ動かないのか?」 にも通じていますね。 この問いの答えは 「私たちは身体ではない」ことの一つの証明にもなります。 「私たちは身体以外の何かが別にあるから、 身体というモノを動かし、生きているようにみえる」と。 そうしていくと、私は目に見えるそれだと信じることはできても 実際には、この相対性の世界のなかでは 「それにあたる何かが絶対に事実であるということができない」 状態が生まれ続けます。 それを排除していく結果として 残ったなにか・・・それがシンプルな答えになります。 そして、それが見えたなら ここに見えるあらゆる何かについて 「それらは、自らの真実ではない」 という指標をもつことができます。 このように。真実を見極めるためには、 真実とは違う何かをまず見いだし それを否定すること-否定を通して、 見極めていくことになります。 奇跡のコースにおける学習過程もたしか、 形而下の話をしているときには 自分は肉体である、という幻想、 自分は心であるという幻想、 のなかでの視点、 つまり私たちが意識的にある程度わかる言葉で説明されたあと、 次に、形而上-聖霊の視点で真実を明確にし、 幻想を見つめなおす、という方法がとられていたように思います。 ミスチル的には、「身体でもなく、心でもなく、愛している」 って感じで昇っていく見方とも言えますかね(笑) そして、そのプロセスは、最終的に2つに絞られることになります。 主体と客体がある世界-相対性の宇宙(物質宇宙) これらのすべてのなかにはあらゆる分離があります。 つぎに、それらの構成要素として知られている 見えない世界-エネルギー-量子(ミクロ)の世界、 ここにも分離がまだ見えるようです。 では、最後に残る真実とは何か? God is
2009.05.22
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3.ダイアネティックスは、ある意味、魅力はありました・・・ もし、出会う順番が逆だったら、私は立派なサイエントロジストになっていたことでしょう(笑)。また、危うさと当時に、Eーメーターと呼ばれる感情のストレスを電気的にみて、過去のトラウマを何度も思い起こし、細部を思い出し続けるテクニックなどで、それをただの記憶にしてしまうのは、とても利にかなった方法だといまでも思っています。 ですが、去年はサイエントロジー教会からとくに海外から1週間に5~6回ほど熱烈なラブコールにあい・・・温厚な私も赦しを忘れて切れました。 っていうか、もともと歩く動物のような人格なので(笑)、私こそ「赦し」を学ばなきゃ、どうしようもない(爆) そのようなとき、マイミクの山本先生からサイエントロジーはカルトですよ~というメッセージもあり、HPを検索していたら、裏話をよみ、宗教ってこわいなぁ・・・って思いました。私の日記で影響を受け、もしはまっていたらすいません、としか言えません・・・m(_ _)m 4.クオンタム・ゼイロイド これは楽しい機械でした。この機会のセールスポイントを思い出してみると、人間の生体電流を電気としての「電圧・抵抗・電流(だったかな?)の3つの面から測定できるただ一つの波動測定器、しかもホメオパシー・ベースやで!」ってな売りと、今まで私が学んできた「経絡だとか?」「チャクラだとか?」「前世だとか?」「脳波調整だとか?」「自律神経調整だとか?」「頭蓋仙骨療法だとか?」うんちゃらなんちゃら・・・名古屋人が喜びそうなスペシャルセット・メニューみたいなノリの機械だったんですよ。 これはお金もないのに・・・使うっきゃない!!! と血が騒いだらとまらない!!! そして、また深い罪悪感のわなにおちていく・・ (私にはコースがある・・・Jは聖霊はきっと赦してくれます・笑) この機械は、ある意味で気功的なものでして、電磁場的-周波数セラピーを行うものでした。このオペレーターをしている時間が退屈で、退屈で、自分が行うセラピーとかぶっていたので、えぇ~い、俺が身体つかったほうが早そう・・・ってな気持ちがどんどん大きくなりました。 またこの機械は、正直すぎて、いろいろなセラピーをやりすぎると過負荷がかかり、かえって電磁場的なバランスも悪くなるような状態もしばしばあったんです。また、そのわりには、治療効果もびみょう~ 感覚的に何かを感じられる人も多かったのですが、だから何・・・ってな感じでして・・・また、保守的な名古屋でして、少々もの珍しい機械があってもすぐにはとびつかなかったり、オウム真理教でヘッドバンド?でしたっけ、あれと雰囲気が似ているところから、以前からうちに来てくださっているかたまで警戒しちゃったり・・ さいあく・・・・なにしとんじゃいおれは!!! ってなのを7年間リース終了までやってました・・・ ま・・・私にとってこの機械は、 細木数子さんの天中殺(でしたっけ)みたいな機械ですね(笑) でも、良いこともあれば悪いことある相対性のこの世界、 この間に、スピリチュアル・コンベンションに参加したり、 いろんな人に出会えたことは、それがつなげてくれた縁であり、 そのすべてがエネルギーが織りなす幻想的な私のなかの陰と陽、 善と悪を見事に映し出し続けてくれたように感じています。 そして、私が今、ただ望むことは、 自らに起こった啓示的な体験に対する 純粋な回帰への思いが、 私のなかでどんどん大きくなっているということです! あいだをかなり、はしょりましたが、 いきつくところは、東洋医学でもなく、エネルギーセラピーでもなく あの世もこの世もコインの裏表-心の幻想、 変化し続ける出来事や物事のなかに 絶対的な心の平安を見いだすことは不可能、 また、不完全でちっぽけな人間・身体としての自分を 受け入れて今を生きるなどという虚偽の申告・幻想を (あくまで私の真実に照らし合わせてですが) 人は心の奥にある真実において 受け入れられるわけがない、と私は感じています。 また、身体とその構成要素のように見える エネルギーの世界、 プラスとマイナス、 陰と陽などの二極性 相対性の宇宙、量子的な宇宙 それらのすべてが、 心によって生み出された幻想世界-夢だと 定義しなおしたとき、 自我が見せる移り変わる世界のなかには、 変化し続けるがゆえに、 完璧な状態などはない!!!という 結論に誰もがいきつくと私は考えています。 そして、最終的に誰もが、 心が目指すべき最後の道は、夢のなかにではなく 一つであることだけに定まっていくと思っています♪ ってことで、私が書いた文章のすべてと記憶は、 真実においては、 私の自我イメージに過ぎないってことになります
2009.05.19
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【エネルギー・セラピーの本格的な探究開始 1996/12/01-2009/05】 このときは、大きく分けて以下の4本柱で、それを探究することに夢中でした。 1.3in1キネシオロジーによる身体・潜在意識・意識の探究。 2.神との対話との出会い。 3.ダイアネティックス&サイエントロジーとの出会い (最近、カルトだと気づく、遅いって・・・ここは本だけで留めといて良かった) 4.波動測定と波動セラピーができるホメオパシー由来の機械 「クオンタム・ゼイロイド」の導入。 おまけとしてアニューという自然食品の会社のネットワーク・ビジネスなどにも手を出してみる(笑) これは、このお店がマクロビオティックとか波動転写器なんかも売ってたから。今はやめて、アロマの「ヤングリヴング社」のネットワーク・ビジネスは、感情開放のツールとしてムードを変えたり、アロマ・キネシのために必要最低限度で活用してやってます この時代は、ほんと長かった、お金もいっぱいかけました ・・・つかれましたよほんと・・・ 1.スリーインワン・キネシオロジーは、いまでも治療や精神・感情的ストレス(肉体・精神・心によって生み出された信じ込み・偽りの自分の体系)をみるうえで、今でも活用しています。 ACIMを学ぶことになり、最終的に私の肉体・心理セラピーの集大成のようなキネシオロジーまでも幻想として考える必要があったとき、かなり落ち込みましたよ・・・ 「コースよ、Jよ、どこまで手放せっていうんじゃい!!!」てね(笑) でも、そのすべてを捨てたと思った瞬間、これも聖霊の道具として肉体の声ではなく、身体を通して聖霊の声を聴くという気持ちで活用することができるようになり、私のなかで問題は消えました。ただ最近、スリーインワン・キネシオロジーの本部と私自身の真実とブレがあるように感じ、スリーインワンの資格を更新せず退会することに決めました。これも一つの流れを感じます♪ 2.本「神との対話」は、今までの私のなかにあった宗教的な神の概念を完全に覆してくれたり、「愛と不安」の2極性の概念や、ある程度、輪廻の仕組み、「自我の誕生と宇宙創生の関係」をみるうえで、とても重要な時期でもあったように思います。そんななか、2年ほど前から、ACIMと「神使者」が私のなかに入ってきました。 ミクシィで信念体系のバトル(笑)をくり返しながら、少しずつ、「神との対話」の概念には大きな欠陥がある・・・ことに気づきました。 たとえば、「神との対話」の神は「自らを何者であるかを知るために2極性を創造した」という記述があります。神がそうであるなら、「神は最初、自らを知らなかった」ということが真実ということになります。そこにおいて「愛はひとつではなく、分離している存在によってしか、自らを知らない神がいる」という事実を意味します。そして、「愛と不安(本当のようにみえる嘘の証拠)」の歯車ともゆうべきシステムをつくりだし、その喜びのあまり爆発し、宇宙が創りだされた。それがビックバンだ(このあたりは記憶があいまい)というような記述があったように思います。 さらに、「神は神聖から、おぞましいものまで・・・という選択肢の膨大なメニューでもある」というような記述もありました。 私は、ある方との対話のなかで、はじめは「神との対話」の擁護派だったんですが、「神の使者」の記述などと比較対象を行うにつれ、「神との対話」の神は・・・「エゴ-創世の神話のようだ・・・」、その考えは、なんでも赦してくれる神ではありますが、言っていることは、昔から霊的な文書といわれている考え方を単にリニューアルし、マイルドにした神話と大差ない、と考えざるをえなくなりました。 もし神がこの世界を創造したなら、それは善も悪も含む神があることを意味します。この神は、私たちのことを神の身体だとも表現しています。そして、私たちは神であるとし、「神の分霊である魂が愛を知るために愛ではない状態をわざわざ選んだゆえに、この世界にいる」ということだったと思います。 このような神を私たちの真の神と考えるとしたら・・・ なにが起こるのでしょうか? 神が神聖でもあり、悪でもあるなら、 その分霊である私たちも、そのようにこの世界を創ればいいでしょ♪ ってことになりませんか? 「神との対話」の神はよくこう言います・・・ 「今、愛ならどうする?」と・・・ でも自分で分離をつくっておいて、愛ってなによ? ひとつであることって何よ・・・みたいになりません? 分離は、階層構造を生み出し、それは進化の名を借りた 複雑化によって、真実を見えなくしているとも言えます。 より高度に進化するなら、神へ行き着くというなら、 いつまで待つことが必要なのか? 2000年前から、この地上ではそんなことのくり返しが起こっています。 進化しなければだめだ、という考えは、 あなたは今のままでは十分ではなく、神の愛に値しない・・・ というような考えを生み出します。 また、それが階級や階層があることの中に「愛」があるなら、 神は差別をし、優劣を容認することになるでしょう・・・ 神が矛盾に満ちているなら、私たちも矛盾し混乱します・・・ 話は少し変わりますが、「愛の戦士」という言葉があります。 その言葉自体には語義矛盾があります。 その理由として、神が愛であり、すべてとひとつである存在なら 戦う相手などいません。 ですから、「愛」と「自他を区別し誰かと戦う」という概念は決して、 両立しないことがわかると思います。 神がこの世界を創ったとしたなら、 この世界の物質と神の同一化は避けられないと思います。 やがて、それはお金も霊性である、 というようなとらえ方までも生み出すと思います。 それが正しいとするなら、物質的な成功者は、 悟りに近いということを意味します。 お金とスピリチュアルと何の関係があるのでしょう・・・ これらの考え方の違いについて、簡単にまとめるなら・・・ ひとつであることと 分離していること(分離の概念であるエゴ)とは 互いに相容れず、相反しているシステムである、ということです! 一方、ACIMにおける神の概念は、神はスピリットとしてただあり、そこから放たれた思考の光である神の子も完全なスピリットであり、それ以外はないとしています。その神の子は、神と同じくどんなときも神聖である。これをACIMでは「神の意志」と読んでいます。 ACIMでは、その対極の世界ともいうべき、物質宇宙の創造そのものに神はいっさい関わっていないことを明確にしています。この物質宇宙の創世に関する話題は「神の使者」にて、とてもわかりやすく説明されているように思います。そのアウトラインとしては、自我という、神を離れてみたら、自分の世界を創造できると考えた聖霊から生まれたある一つの考え-小さな心が「分離-神から離れるという夢」を思い描くことによって、生まれたとされる(生まれたようにみえる)幻想世界だとしています。また、物質宇宙、そしてそれを覆うように見える多次元宇宙、あの世とこの世の概念のすべてが幻想であるとしています。 ここにおいて、真実と幻想という2つの選択肢だけを見ることにより、はじめて世界に見えるあらゆる問題への答えがある、と私は考えるようになりました。 最近、ひそかに話題の人物、超天才Dr.苫米地英人さんも コースの思考体系である 「この世界を神が創らなかった」と言われちゃうと 「神はいない」って数学的な理論の根拠すらもなくなっちゃうので 反論できなくなっちゃいますね♪ http://video.google.com/videoplay?docid=-707769785683613840&hl=ja 3へ続きます♪
2009.05.19
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エネルギーもまた幻想・・・ この考え方と、 身体と心も幻想という考え方を受け入れるまで 私はとても長い時間を過ごしました・・・ 私自身の学びのプロセスとして、 「肉体の治療」 -身体こそ大事、それ以外になにがあるというのか!!! -テクニックこそすべて!!! -神なんてどこにいる!!! と息巻いていた時代がありました(笑) ↓ 【カイロの学生時代-卒業 1988-1993】 -5年の時、解剖実習にて、死体を見て「なんでこの人死んでるの?」 「死人も身体はある、生きている人とどこにちがいがあるのか?」 という不思議な疑問に出会う。 (このことに対する私の考えについては(以下にある、神との対話、キネシオロジー、サイエントロジーなどの話題についても、ミクシィを始めてからそれらについての考察を包み隠さず書いてあります)ミクシィのどこかに書きましたが、探すのがめんどくさいので・・・もし興味をお持ちでしたら私の日記をさまよっていただければと思います) ↓ 【付属院に就職-退職 1993-1995】 -キネシオロジーとかSOTとかオステオパシーとか、こつこついろんな 本を買い集めたり、MRT仙骨療法だとか、気功だとか、導引術だとか、 病気が治るといわれる本をひたすら収集し読みまくる。 【開業 1995-とりあえず、まだ生きてます♪】 -SOT関連とキネシオロジー、構造医学などに特に興味をもち、 東京・大阪などにセミナーへとお金を注ぎ続ける日々・・・ 奥様にただいな罪悪感を感じつつ・・・(笑) -世紀末ということで、船井系の本を読むようになる。 -ニューエイジ系、占い系の本にまで手を出し始める。 -風水にこり、数十冊の本を読んで、お水取りとか方位とか だんだん怪しい方向へ・・・ -江本氏の波動にも興味をもちセミナーへ行き、MRIを体験したりした。 -DCLCという会に所属し、アメリカでカイロの学校を卒業した 著名な先生たちと交流を持つ。 テクニックの有効性について、質問をしまくるけど、 どれも納得のいく答えがなかった・・・ 「エネルギー・セラピーへの興味 19??-2008」 -肉体の治療から、マインド・心-エネルギーの世界へ 混乱は混乱を呼び、何が真実かもわからなくなっていった・・ -そんななかで、身体もなにもかも消えてしまう体験を得る。 【レイキ・ヒーリングとの出会い 1996/11/24(ティーチャー取得)】 -やれどもやれども一時的な満足しか得られない肉体の治療の探求に かなり嫌気がさしていた。いったい、どの理論が正しくて、どの 理論がまちがっているのか・・・ もうどうにでもなれと、神にすがる思いでヒーリングのセミナーを 受講してみる。なにかよくわからないが、変な体験と受けられた人 の感想を聞くと前世回帰するようなシーンなども見る人がいた。 で、いつものごとく(誰も知らないと思いますが)自分が納得する まで患者さんに効果を試させてもらう日々を続けたところ・・・ 「先生がその治療やるなら、私はここにもう来ません」と言われてしまう そこで、軌道修正の必要性を感じる・・・おばかな私♪ 【3in1キネシオロジーとの出会いと決別 1996/11/30-2009/05/】 -レイキ・ヒーリングのヒーラー仲間から、キネシオロジーで精神・ 感情的ストレスまでとる方法があることを聞き、 東京へ飛ぶって新幹線だけど・・・ -OLのかわいい人からおじさん、おばさんにいたるまで (当時の私はまだ30代だった自分がおじさんの自覚はない いまもない・笑) いとも簡単にキネシオロジーの奥義を簡単にできてしまうことに 唖然とする・・・治療家の時代は終わったと・・・ 3in1キネシオロジーのレベル1で、私が隠していた絶望と暗闇が 白日のもとにさらけだされる・・・ その翌日、3in1の正規メニューにはない、 「お互いに心臓の音を聞きあう」というワークをすることになった。 最初は、若い女の子もいて「ほんとに聞いちゃっていいんですか?」とはしゃいでいた・・・ でも、そのあとに起こったのは、そのすべてがぶっ飛ぶ体験でした。 一人目はコース・リーダー♂の心臓の音を聞きました・・・ なぜか、自分の中で「心臓が割れた・・・」ような感じがした。 二人目は、だっこ療法をされていた中年女性の方の心臓の音を聞いた。 そして、そのあとにそれが起こりました。 なんともいえない苦痛と絶望の闇が現れたような気がして、 すべてが真っ暗で、足元から崩れ落ちたような気がした瞬間、 そこには「ただ光だけがありました」 身体もなく、時空間もなく、その光の思いは私のすべてを 瞬間的に癒し、すべての感情を一気に感じるような歓喜と エクスタシーしかそこにはありませんでした・・・ そのままでいたかったけれど・・・ ふと気づくと、セミナーのメンバーが私を取り囲んでくれていて 私をなぐさめている言葉が耳に入ってきた。 どうやら、そのときの私は「ただ泣いていたらしい・・」のです。 「もうがんばらなくていいよ・・・」「我慢しなくていい」 そんな、みなが自分自身に言っているような、 私に言ってくれているような言葉を聞いて、 私はまたひたすら泣きました・・・(今も思い出して、少し泣く) 霊的な一体感と同時に、肉体的にも癒された状態を はじめて感じる体験でした。 1996/12/01 そして、すべてが逆転してしまい、今までの世界観のすべてが 嘘に思え、混乱の日々は続く・・・ この日記も続きます(笑)
2009.05.19
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ここに奇跡の本がある それにふれるものはすべて 自らの真実にであい そこに光があったことを思い出す それにふれれば 真実はどこにも隠されていなかったことに気づき 疑いのきもちは、心の中でゆっくりと 少しずつとけだしていく この本はシンボルとして顕れ 私たちが始めたと信じていた 旅・時・幻想の終わりを告げる最後の物語のようだ・・・ この本を閉じ、それが役割をとげたとき 形のなかの必要性もまたなくなる・・・ そうしているうちに ふと あることに気づく 心をとおして 愛がいつもメッセージを送っていたことを・・・ そのとき、 本は光となり、 私とひとつであることを教えてくれる 今も、これからも 私がときを終わらせる日を選ぶまで 見守り、導いてほしい 「A Course in Miracles」よ♪
2009.05.16
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しずかな夜に 聖霊(あなたの真実)は あなたをやさしく包み込む あなたがあなたの真実を どんなに否定しても あなたの真実は あなたを否定することなど ありえない 悪夢とは ただ真実を隠そうとしている 煙幕にすぎない 暗闇のなかでも 星は道を示し続ける 疑いという暗闇を 通り抜ければ ただそこに 真実があることだけがわかる 彼はあなたの真実だけを見つめる・・・ 彼はあなただからだ 彼は隠されていない 闇の中で真実だけを照らし続ける 闇はあったのだろうか? いや ない そこには夢を見ていたという記憶だけがある それは夢であるが故に かつてあったように見えていたものに過ぎない 通り過ぎていった何かは なにもなかった ただの物語だったということだ だから眠っていると信じている御子よ なにもこわがらなくてもいい 物語はただのおとぎ話なのだから 私はいつもあなたと共にあり 物語がただ終わるのをまつ あなたがあなたの夢に 物語に 終わりを告げるまで 私はいつもあなたの心の中でまっている あなたがそのおもちゃにさよならを言うとき 時は終わる それはいつもハッピーエンド♪
2009.05.13
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昨日は、急遽、大阪のアキマー(ACIMを実践して楽しんでいる人たち)の江舞さん、まるさん、みっちょんさんが名古屋に遊びに来てくれるということで、ほんと久しぶりに名古屋で学習会が開催されることになりました♪ 名古屋のメンバーは、ふうさん、ますみさん、engel roseさん、飛び入り参加の梶浦さんそして私、合計8人です。 コースや、四方山話、そしてこの世界とコースのギャップ、江舞さんのヒーリングって感じで盛り上がりました。 コースの朗読は、梶浦さんが「奇跡のコース」についてまったく知らないということだったので、コースのテキストの本文、「第一章 奇跡の意味 1奇跡の原理」をみんなで一つずつ読んだりしました。 個人的な感想は、人はだれもが聖霊に導かれていて、「ただ、ある道(コース)」にたどりつくようになっている・・・そんな気がしました♪ 会の後半で、江舞さんと梶浦さんが、よく視覚的に光りの流れ?あるいは光のシャワー?のようなものが見えるということで意気投合されていて、へぇ~って思いました。ちょっといいなぁ~って(笑) あと大阪のほうでは、「つけて味噌、かけて味噌」という商品がないそうでして、それがお土産になったみたいです それにカルビーとかどやというごま油の会社とコラボしてできたポテトチップ「しおとごま油風味」は、地方限定みたいで、大阪のほうではないということなので、食べてもらいました♪ そこで、私は「いやぁ、このポテトチップは聖霊の味がするでしょ!?」なんて、おばかで意味不明な言葉を発しながらも、なごやかで聖霊と共にあった・・・そんなひとときを楽しませてもらいました♪ それで、会も終わり後片付けをしていると、ふとまるさんとみっちょんさんが江舞さんの買い物につきあったあと、そのまま帰ったのかなぁ~と思っていたら、ひょっこり現れ(笑) それから飲みに行くことになりました~ 「七福」という炭火焼きのやきとり屋さんで、ミクシィでのやりとりとか、いろいろと裏話を聞かせてもらい、こちらはまたこちらで、みんなとつながりっているんだなぁ~と余韻にひたっちゃいました♪ なにはともあれ、大阪アキマーのみなさま、そしてふうさん、engel roseさんおつかれさまぁ~♪ そして、かちゅみん師匠ととしさん、スカイプで乱入ありがとうございました♪*********************************楽天・ヤフーのほうでは、最近、あまり日記を書いていませんが、とりあえず元気でやっています♪上記のメンバーは、ミクシィでの交流が主なので、楽天・ヤフーの日記のかたで私の日記をよんでくださっている方にはまったくわからない内容だと思いますが・・・「奇跡のコース」に興味をお持ちの方は、こちらの日記にコメントしてくださればと思います♪
2009.05.13
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