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『重戦機エルガイム』最終回「ドリーマーズ・アゲン」。放映は1985(昭和60)年2月23日。私の私立大学受験が一段落した頃だ。「ポセイダルは死んだ! 一気にギワザと決着をつける!!」と、エルガイムのコクピットから反乱軍に叫ぶダバ・マイロード。歓声が上がる。旗艦で指揮をとるセムージュ・シャトが応える――「聞いたか諸君! 我らがリーダー、カモン・マイロードは、ポセイダルを倒したぞ! 残るギワザ艦隊を打ち倒し、ペンタゴナに自由を取り戻すのだ!!」次々に反乱軍兵士が続く。「カモンが、ポセイダルを倒したのか!」「カモン・マイロードがいる限り」「反乱軍は勝てるぞ!」――次元は異なるが、「ドラゴン山田がいる限り、Northern Mishima HQ は勝てるぞ!」と湧き上がるような戦いが、できるだろうか…。
2006.10.31
今日で10月も終わり。2006年も残り2ヶ月となった。自分なりに悩み熟慮し覚悟を決めた上で、今年の最後の3ヶ月間の戦いを起こして、ちょうど1ヶ月。できることはすべてやった。もちろん、不首尾に終わったものもあった。すべてが目に見えて良い結果を出したわけでもない。それでも、フル回転で戦ったという1点で、悔いはない。しかし、この疲労感はどうだろう…。充実感をはるかに圧倒してしまっている、深い深いこの疲労感。また3年前の秋のように、持病が再発して倒れるようなことがあってはならない。それに、自分だけが大変なわけではない。皆、いっぱいいっぱいの中でギリギリの攻防戦を演じているのだ。だからこそ、一歩も退いてはならない。にもかかわらず――心身は嘘をつかない。年が明ければ、今のような戦い方はできなくなる。だから、どうしても、今は一気に戦って勝負を決しておく必要がある。ここで倒れるわけには行かない。もっともっと頑健であらねば、私を信頼して立ち上がってくださる周囲の皆さまに申し訳が立たぬ。
2006.10.31
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夕べ、山梨学院大学教授の丸山正次氏の著書『環境政治理論』が風行社より届く。これで、シリーズ「政治理論のパラダイム転換」も4冊目になった。菊池理夫氏の『現代のコミュニタリアニズムと「第三の道」』、寺島俊穂氏の『市民的不服従』、私の『大衆社会とデモクラシー』、そして丸山氏の新著。以下、シリーズは続く…。
2006.10.31
疲れ切っていた夕方。食欲もなく、足に力が入らない。それでも今夜は久々に、文教地域の同世代の青年たちが、ヤマダ宅にやってくる日。掃除機をかける以外に大した掃除もしなかったが、ともあれ最低限の準備はする。遠くは伊東から I葉氏が車を飛ばしてきてくれ、道に迷ったところを携帯電話で私がナビしつつ、私の住まいの隣のスーパーで合流。その後、続々と若人が集い、久々にヤマダ宅の6畳の和室が熱気に包まれる。自分の人生の悩みや苦しみから、逃げない。要領よくやろうとするのでなく、真正面から向き合って戦い、乗り越えていく。そういう心を持った者同士の集いというのは、深い疲れをも吹き飛ばしてくれる。まことに、生命とは不可思議なものである。
2006.10.30
疲労感が深く、ほとんど事務処理的な仕事で1日が終わってしまいそうな今日。そんな中でも、「後期カール・マンハイムの政治思想的考察・序説(二)」の投稿準備を進める。(一)は、自身の問題意識を書き記した「はじめに」の部分がかなり長かったので、それなりの分量になったが、続く(二)の長さはその3分の2にも満たない。夏に準備した原稿に、若干のマイナーチェンジを加え、さきほどプリントアウト。近日中に郵送する。
2006.10.30
「苦しい時は今だと 不思議な力が湧き上がる 孤独の雨に打たれても 瞳は明日を見てるのさ」超電子…
2006.10.30
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思い身体を引きずりながら、出勤すると、職場のメールボックスに、新評論から献本が。開けて見ると、『藤原保信著作集第8巻 政治理論のパラダイム転換』であった。編者の一人である、ICUの千葉眞教授からの贈り物だ。私は、藤原教授と直接まみえたことはなかった。が、1992(平成4)年、エディンバラ留学から帰国して、私の初めての活字論文である「マンハイムの戦闘的民主主義」の抜き刷りを、図々しく送りつけたことがある。ちょうどその前年に発刊されていた藤原教授の『二〇世紀の政治理論』(岩波書店)で、マンハイムが取り上げられていたからだ。それに対して、面識もない私のような若造に、ご丁寧な返書を賜ったことが忘れられない。藤原教授が亡くなったのは、1994(平成6)年。それを私が知ったのは、シェフィールドに飛び出す前のことか、それとも日本を離れた後のことだったか…記憶が定かではない。あの当時、政治思想学会が正式に発足する前後のことだったはずだ。前年1993(平成5)年に出された『自由主義の再検討』(岩波新書)を、当時の私としては興奮しながら読んだのを思い出すが、あの本が生前最後の出版となった。
2006.10.30
月曜日だというのに、朝から疲労困憊のドラゴン山田。今週末は世間一般では飛び石連休なのだろうが、私は大学祭で3日間とも出ずっぱりとなり、休みがない。先が思いやられる1週間のスタートである。力んでも仕方ないが、しかし、もつのか、心身が? この大事な時に…。
2006.10.30
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サッカーのスコットランド・プレミアリーグで、中村俊輔が所属するセルティック。15年前にスコットランドにいた人間としては、それなりに目配りをしないわけではないが、このセルティック、どうしても「ソルティック」と読んでしまいそうになるあたり、やはり私の『ダグラム』病か。放映開始(1981年)より25周年。後番組の『ボトムズ』に比べれば地味な扱いだが、しかし私は好きだ。
2006.10.29
マンハイム論文の校正紙を郵送した後、行きつけの喫茶店・キャロットで昼食を。その後、最低限の買い物をして帰宅すると――2週間たまりにたまっていた疲労からか、午後はダウンしてしまう。決して暑いはずはないのに、びっしょり寝汗をかく。これは、私の神経が参っている時に出がちな兆候だ。12年前のどん底の時に比べればはるかに軽い症状であるものの、しかし侮れない。夜、しばらく会っていない友・Aさんと、久々に電話で話す。週末、小松に出張の後、帰りに金沢に立ち寄ったとのこと。金沢――私も去年の暮れに行くはずが、大雪のため断念したのだった。それにしても、かつては「旅に出ると自分を取り戻す」私だったが、現在では「今いる場所で自分らしく戦う」私に変わっている。学生時代、日常と非日常の間のギャップにこだわり続けた私だが、今はそのギャップそのものを越えようというのだろうか。平凡に見える日常性から遊離することなく、その中で非凡な戦いを…。であればこそ、健康であらねば。
2006.10.29
疲労困憊にもかかわらず、朝に勝つ。それにしても、三島駅前のファミマで、リポビタン11なるものを飲んだ。こういうドリンク剤を口にするのは、いつ以来だろうか? 店頭では「疲労がピークの時に」などと書いてあったが…。『政経研究』に投稿する「後期カール・マンハイムの政治思想的考察・序説(一)」の再校を、セブンイレブンより送る。これで校了となる。引き続き、続編の(二)の原稿のツメを行い、近日中に提出しなければ。
2006.10.29
夜のしじまの、雨の国道136号を伊豆長岡から三島に向かう、白いアコードワゴン。その中で、ふと流れたのが、『大空魔竜ガイキング』(1976年放映)のエンディング・テーマ「星空のガイキング」だった。「遠い流れ星に 願いをかける あれは 地球を守る ガイキングの光 数知れぬ星屑に ただひとつ それが地球 君のふるさと 君もいつの日にか この星守り 力強く生きて欲しい 青い宇宙の果て はるかに響く あれは 平和を願う 君たちの祈り 雄々しくも 侵略に立ち向かう それが地球 君のふるさと 君も命かけて この星育て 続く友に渡して欲しい」当時小学4年生だった私にも、「君も命かけて この星育て 続く友に渡して欲しい」という一節は、かすかな感動を呼び起こしたものだった。また、15年前の1991(平成3)年暮れ、約8ヶ月を過ごさせてもらったホームステイ先・Grant 宅を最後に去る際、当時小学生だった3人の子供たちに見送ってもらった折に、なぜか脳裏にこの歌のこの一節がよぎった。「人材育成」とは、後輩を育てること。後継者を作ること。「続く友に渡して欲しい」という言葉は、限りなく重い。
2006.10.28
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出勤してメールボックスをチェックすると、シャンタル・ムフ著『民主主義の逆説』(以文社、2006年)に寄せた私の書評が掲載された『図書新聞』が届いていた(11月4日号)。ついに完成か。私が初めて経験した、まともな書評という仕事であった。
2006.10.28
木・金の休みなき戦い、および疲労にもかかわらず、ドラゴン山田に休みはない。今日も朝から出勤だ。ぐっすり眠れたとは思わないものの、目覚ましの鳴る前に起床できたことは、自分でエライエライとほめてやりたい。幸いにも好天。どれだけ時間がかかるか、何時に解放されるか分からない仕事が、手ぐすね引いて私を待っているが、ともあれ、まずは戦場に身を置くことだ。そう思って出勤した。
2006.10.28
新宿から水道橋へ。昼食を何とか済ませる以外に休む間もなく、午後に2コマの授業をこなし、慌しく第3回シティズンシップ研究会へ。さすがに、疲労困憊。頭がほとんど働かない状態での研究会出席であった。それにしても――公的領域と私的領域があり、公的領域に参加して自治を行なう自発性を持った人間を「市民」と呼び、その「市民」としての資質、あるいは「市民」に付与される権利および義務を「シティズンシップ」と呼ぶ、というベーシックな理解が、時として「歴史の捏造」につながるかもしれない、という意識を呼び起こされた。あるいは、そのような問題設定で議論することそのものが、アングロ・アメリカ的なバイアスに基づいたシティズンシップ論かもしれない、ということに戦慄を覚える。前日の研究会の後の飲み会の席でも語り合っていたことだが、外国の諸議論を日本に紹介する場合に、そのコンテクストを全く無視して、理論的・哲学的面白さから特定の理論家・思想家ばかり紹介され、その紹介のされ方に問題があるにもかかわらず、それが一定のパラダイムを作ってしまって教科書に載り、若い世代がこのパラダイムに疑問を抱くことなく学習してしまう――というのは悪循環だろうと思う。そして、その悪循環から、自分もまた自由ではないことを、疲れた頭で感じた。饒舌気味だった前夜およびこの日の午前中と比べて、夕刻は(深い疲労もあってか)沈黙気味の私であった。東京駅を20:43発のこだま号に、何とか滑り込んだ。(10月28日記す)
2006.10.27
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9時30分に、京王プラザホテルのロビーで、市民セクター政策機構の米倉克良氏と再会する。去年(2005年)2月のように、拙著『大衆社会とデモクラシー』および Democracy and Mass Society: A Japanese Debate の内容に関して、懇談的に語る時間を約1時間余り設けてくださる。 拙著がさほど売れているとは思えない(まして英語版の方は)。おそらく、風行社の「政治理論のパラダイム転換」シリーズに入れていただけなかったら、出版の機会もなかったかもしれない。それほどまでに、現代においては「大衆社会」をめぐる言説は少ない。私が長年、「自分のテーマに意味があるのだろうか?」と悩み続けた要因もまた、そこにある。しかし他方、大衆社会論の今日的意義という問題関心を共有し、拙著を読んでくださる方々もおられる。自分の思っている以上に、重いテーマを抱えてしまっているようだ。マス・デモクラシー、参加デモクラシー、ラディカル・デモクラシー、熟議デモクラシー…等々、デモクラシー論はこの約1世紀の間にさまざまな様相を呈してきている。おそらく20世紀以降、マス・デモクラシーは(そういう表現を用いるか否かを別にして)、松下圭一氏の著書名の通り「現代政治の条件」なのだろう。と同時に、新しい社会運動が提起したニュー・ポリティクス、差異の政治やアイデンティティの政治など、論点が多様化・複雑化したことも否めない。しかし、20世紀前半から中葉にかけてのデモクラシー論と、20世紀末から今に至るデモクラシー論との性質のあまりの違いから、飛躍と思われるかもしれないが、私は当時も今も一貫して問われている問題の一つは、「異質な他者と心を開いて対話できる人間をいかに輩出するか」だと思っている。ファシズムはまさに、多様性をおしつぶす全体主義であった。その後の高度経済成長を遂げた「豊かな社会」は、「安楽への全体主義」と呼ばれる社会でもあった。そして、「文明の衝突」が叫ばれ、民族問題や宗教対立の噴出といったポスト冷戦期の諸問題をくぐりぬけた現代、「異質な他者と、共通の世界を構成しているのだ」という議論は極めてアクチュアリティを持つ。そして、そういう議論をする場合、必ずアレント=ハーバーマスといった問題構成をとる必要はないのではないか――というのが私の素朴な想いだ。熟議デモクラシーという、新しいデモクラシー論だとされる諸議論が、確かにハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論を下敷きにしていることは確かだろう。だが、同じような議論は、20世紀前半に、ジョン・デューイやカール・マンハイムがしていたではないか。にもかかわらず、彼らの議論は教育学で語られ続け、政治学の領域ではほぼ忘れられていた…。アレントやハーバーマスが重要じゃないと言いたいのではない。そうではなく、アレント=ハーバーマスというラインを前提に思考し、必ずこの両者に言及しなければ熟議デモクラシーが語れないといった風潮が、単なる「ひとつの解釈」「一定のパラダイム」に過ぎないという自覚が必要だろう、と私は考えている。(10月28日記す)
2006.10.27
昨日26日(木)、東京に1泊し、今日は朝からぶっ通し休みなしで戦い続け、へとへとになって夜三島に帰宅。死ぬほど疲れているはずなのだが、新幹線の中では一睡もしなかった。神経が張り詰めているのだろうか?
2006.10.27
研究会を終え、深夜に四谷の宿へ。恩人・T村氏のご厚意による、ゲストルームへの宿泊である。三島から富士宮へ、そして東京へと駆けずり回った1日。疲れていないはずはない。しかし、翌日27日(金)は、さらに休む間もないスケジュールになっている。入浴して寝るということの重要性を感じつつ…。(10月28日記す)
2006.10.26
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富士宮の某高校で模擬授業を終えたのが、15時過ぎ。そこから新富士駅までは遠いのだ。結局、新富士を16:10発のこだま号に乗り込んだ。東京に着いたのは17時半近くだ。水道橋へ向かう。日大・法学部の6号館。かつて私が博士課程の院生だった時代に、1階の会議室での研究会に何回か出させていただいた。そこでこの日の夕刻、非常勤でいらしている武蔵野大学教授・中村孝文氏を囲んでの研究会があった。シェルドン・ウォリン――避けては通れないと思いつつも、きちんと向き合ってこなかったこのアメリカの政治理論家の、最近翻訳された著書(原著は1980年代中葉の出版)をもとに、デモクラシーと立憲主義に関する報告をうかがう。ちゃんとした勉強もしていない私の発した、質問になっていない質問を、真摯に受け止めてくださった中村氏であった。ウォリンが1970~80年代にアメリカを批判して述べた「政治経済体制」とは、内容的には1950年代にC.ライト・ミルズが「パワー・エリート」論で主張したこととほとんど変わらない。が、50年代にはミルズのような一種の階級論に対して、D.リースマン、R.ダール、S.リプセット、D.ベル、W.コーンハウザーといった社会学者・政治学者たちは、アメリカ社会は多元社会だからデモクラシーなのだと反論を加えていた。しかし、50年代に「多元主義」と言われていた諸議論は、今日のデモクラシー論においては「利益集団多元主義」と批判的に語られ、それに対してミルズに近いウォリンの時代診断が登場し、参加デモクラシー、ラディカル・デモクラシー、熟議デモクラシーなどという形のデモクラシー論が展開されている。となれば、1970年代のアメリカ政治学は一体デモクラシーに関して何を語ってきたのだろうか…?デモクラシーをめぐる20世紀の諸言説を、時系列的に一度きちんと整理しなおす、という、これから私が数年かけてやろうとしている仕事が、自分が思っている以上に重要かもしれないことを、感じさせられた夕べであった。思えば、こうした着想もまた、シェフィールド時代、および八戸時代初期にさかのぼる。(10月28日記す)
2006.10.26
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激闘の翌朝は、なぜか目覚ましの鳴る1時間前に起床。珍しく、疲れも取れているようだ。今日、明日と過酷なスケジュールが続くことには変わりないが、何とか行けそうな気がしてくる。早朝の職場で、いささかの読書。 午後には富士宮の某高校で出張模擬授業。その後上京して、都内で研究会である。
2006.10.26
シェフィールド時代、あれは1995(平成7)年3月頃と記憶する。ショッピングモールの The Moor 付近でメガネを新調し、ついでに近くの CDショップで買ったのが、『The Very Best of Kiki Dee』のカセットテープではなかったか…怪しい記憶。ともあれ、1991(平成3)年にエディンバラに留学するまで、洋楽などには縁の薄かった私が、それでも Kiki Dee の "Amoureuse" などはいい曲だと思っていた。それも収録されたこのカセットテープには、他にも "Don't Go Breaking My Heart" "Loving & Free" "Chicago" などの名曲が収録されている。あれから11年。このテープのCDを探していたが、ずっと見つからずにいた。しかしながら、UKのアマゾンでたまたま中古でこのCDを発見。それがようやく届いた。留学時代には金がなかったから、CDなどそうそう買えたものではなかったが、あの当時カセットで聴いていたものが、また一つ、CDで手元に置けるようになった。なお、このCDの発売年を見ると2004年になっている。1994年の間違いではないのか…?(10月28日記す)
2006.10.25
気持ちよい秋晴れの空とは対照的に、ドラゴン山田の苦しい戦いは続いた。午前中は、書類の作成やらコピーやらメールの返信やらでほぼ終わってしまい、昼食の後には頭脳が回らず研究にならない――という悪循環が、ほぼ定着してしまっている。これを何とか打破するべきなのか、それとも今の体調を考慮して成り行きに任せるべきなのか…。「おお青年よ、君達に期待された重大な任務を考えよ」(エミール・ゾラ)。
2006.10.25
早朝のNHKニュースで、いじめ問題の小特集を見る。いじめている方は「遊びのつもり」「軽い気持ち」「ただのふざけ」でやっている。いじめられている側がどんなに苦痛を感じ、屈辱的な仕打ちに甘んじているか、という想像力が働かない。当然、自分たちの行為が「いじめ」であるという認識もない。教師の目からも、「友だち同士遊んでいる」としか見えない(あるいは、「いじめは存在していない」という思い込みから、真実を見抜けない? 真実を直視したくない?)。本人や親や、あるいは隣近所の人々が、学校や警察に訴えても、とりあってもらえない――。1980年代が「校内暴力」「家庭内暴力」の時代であったとすれば、それ以降、現代に至るまでは、可視化されない「いじめ」の時代か。可視化されるのが、自殺者が出てからだとしたら、あまりにむごすぎる。もっとも、確信犯で、殴る・蹴るの「いじめ」をしている場合もある。夕べのニュースでは、やりきれない証言を聞いた。いじめで逮捕・補導された加害者が、「相手が抵抗しないので、やった」という。もはや子どもの世界もまた、大人社会と同じで、弱肉強食の世界と化しているのか。確かに、ある面からすれば、子ども社会の方が残酷だ。いい意味での大人と違い、他者への配慮とか遠慮というものが働かず、むきだしの暴力がはびこる面があるからだ。しかし、だからと言って短絡的に「子どもが本来的に残酷である」ということにはなるまい。子どもは、大人の「言うこと」は聞かなくても、「やること」は鋭敏に感じ取ってしっかり真似している。「子どものいじめは、歪んだ大人社会の反映だ」というのは、単なる抽象論ではないのだ。また、「いじめなんて、昔からあった」という声も聞く。しかし、それはどういう意味で言っているのだろうか? 「昔からあったいじめ問題が、人権が普遍化した現代でもなくなっていない。問題だ」という意味だろうか? それとも、「昔からあったことなのだから、騒ぐこともない。放っとけばいいんだ」という意味か? 昔からあったとされることに、「いじめ」という名称が与えられることによって、初めて可視化されるようになった、というのは事実だろう。それによって、「そこに『問題』があるのだ」ということに気づかされるようになったのだから。「悪気はなかった」にせよ、「単なるからかいのつもりだった」にせよ、被害者が苦痛を感じるならば、それは「いじめ」なのだ。にもかかわらず、「大人になったらイヤでもいじめられるのだから、子供のうちから『訓練』しておいた方がいい」などという認識の教員もいるやに聞く。また、逆手にとって、自分が不快に思うことをすべて「いじめだ!」と受け止め、気に食わない友人を陥れるために「いじめを受けた!」と訴え出る悪知恵の働く人間も出てくるだろう。客観的に、「ここからここまでは『いじめ』ではない」「ここから先は『いじめ』だ」という線引きができないところに、この問題の厄介さがある。しかしいずれにせよ、いじめに耐えて強くなることが「訓練だ」などというのは、かつての軍国主義にもつながる悪魔的・暴力的発想としか思えない。私は、教育の専門家でも、心理学者でもセラピストでもない、一介の政治学徒に過ぎない。その私に、何ができる…?? 今朝は、この問いから1日が始まった。
2006.10.25
届いた! 年末年始のカーディフ行き航空券。それにしても、Carole Pateman 教授からは、年末のスケジュールについて何の音沙汰もなし。去年5月に John Keane 教授を招聘した時もそうだったが、どうも欧米の人々は、2ヶ月も3ヶ月も前からスケジュールを練って決めるということがないような気がする。おかげでこちらは、宿も取れずにいる。こうなったら、Pateman 教授にいつ会うことになってもいいように、ずっとカーディフ滞在すると腹を決めて宿を確保してしまおうか――と考える。
2006.10.24
もと福島県知事、佐藤栄佐久氏が、ついに逮捕。わが故郷が全国ニュースになる場合、悪い事件の場合が多いような気がするのは私だけか?同日、浜松市が来年4月から政令指定都市になると閣議決定された。地方はどうなるのかね? 分権化は必要だが、統治能力と自浄能力がどこまで期待できるのやら。
2006.10.24
早朝に医者へ。これまで着ていた薄手のジャケットではなく、秋・冬もののジャケットに切り替えて出かけるも、ちょっと暑いかと思っていた。ところが、診療が済んで長泉町のサイトウスタジオに立ち寄った後、いつしか雨に。天気予報では、大雨の可能性もありとか。暑いのか冷えているのか、よく分からない嫌な気候が続く。「きらめく稲妻 とどろく雷鳴 吹けよ嵐 呼べよ嵐 嵐よ叫べ!」
2006.10.24
去る17日(火)に長伏で語ったことも、昨日22日(日)に修善寺で語ったことも、突き詰めれば「自分は自分でいいんだ!」という一言に尽きる。人がどう言おうと、何をしようと、自分で自分をつくった人が勝つ――まさに「セルフ・メード・マン」の謂いであろう。“自分らしさ”を大切にすれば、やがてはにじみ出てくる良さがある。「自分らしく生きる人」とは、「自分で自分を励ませる人」。そして、自分の良さを信じるゆえに、人の尊さも分かる人に違いない。
2006.10.23
変な言い方になるが、最近(と言っても、ごく最近のことではなく、数ヶ月前からの話だが)、自分の「ものを見る目」をあまり信用しないようになっている。自分の目に「いいな」と映るものが、自分にとって本当によいものだとは限らないからだ。大した人生経験もないが、これまで何度そういう経験を経てきたことか…。まぁもっとも、本当に自分にとって大事な「本筋」からは、幸いにも外れることがなかったので、それは非常に有難いことだが。「ものを見る目」も、自分の器、境涯のあらわれである。自分が迷っていれば、その迷いや不安を早く払拭したいばかりに、安易な答えに飛びつこうとする。が、そういう時こそ、自分が試されているのだ。自分の境涯が変わらない限り、「ものを見る目」も変わらない。そうすると、形や状況は異なっても、いつもつまらない「思い込み」によってつまづく、ということを繰り返す。自分の「傾向性」とか「宿命」とか言うものは、何かよく分らない抽象的なものなのではなく、常に「具体的に」自分の生活の上に表れているのだ。それに気づくかどうかは、所詮は自分次第だ。自分が願っていることが、自分にとってよいことだとは限らない――これは一見して残酷なようだが、しかし逆に言えば、それは、自分が思ってもみなかったような「よいこと」が別にあるということであり、そう捉えればそれは大いなる「希望」にもなるか。「思った通りの結果を出す」のでなく、「思ってもいなかった素晴らしい結果が出る」ことの方が、一歩深い次元での喜び、「痛快さ」なのかもしれない。要するに私には、「中途半端な幸福は許されない」という宿命があるのだろう。まぁ、もともと悲観主義者だった私だが、自己嫌悪が長引かなくなったこと――これが、約20年かけて自分の境涯を変えた一つの結果かもしれない。ささやかなことかも知れないが、しかし私にとってこれは大きな意味を持つ。「たくましき楽観主義」の本領発揮は、これからである。
2006.10.23
さすがに、この金・土・日は過酷だった。無茶をしたつもりはないが、それにしても疲れた…。おそらく周囲からは、相変わらず「元気のかたまり」のように見えているのだろうが(苦笑)。
2006.10.23
「おぉ ドラゴン山田 ドラゴン山田 荒野を走れ 西へ 東へ 自由の大地へ~」と、風雲ライオン丸のノリで、今日の激闘を振り返ってみよ~。10時半に、I田宅に集まった未来っ子たちを激励。すでに「あ、ドラゴンが来た」と、私の存在は定着している(笑)。仲本工事が声を担当したアニメのDVD『スリハンドク』は、なかなかよくできていたぞ。先月は、練りわさびの入ったおはぎ(!!)を食べさせられるという凶悪な企画があったが、今月はそれはなくて胸を撫で下ろした。ファミマで買ったおにぎりを車の中で慌しく腹に入れ、そこから修善寺に向かって疾走。例によって、国道136号の二日町交差点は、凶悪な混み具合で、やはり迂回すればよかったと後悔する。それでも、待ち合わせの13時には、狩野川公園に到着。W辺氏という方の案内で、中伊豆・修善寺の立野というところで、私の留学時代の体験談を語る。会場となったお宅はヤマダさんだった(笑)。千葉でお医者さんをなさっているという方が、私の話に感心してくださり、終了後も種々語り合った上に、証拠写真(!)まで撮られてしまう。いつの間にか雨。しかも知らないうちに有料道路を走っており、しかも夕方の渋滞にはまる。三島に戻るのに、1時間以上はかかっただろうか。夕飯の買い物をして、そそくさと食事を済ませる。再出撃は今度は徒歩。19時に地元地域の discussion meeting へ。会合の中心者がこれまたヤマダさん。普段は女性の方が圧倒的に多いのだが、今夜は男性陣が多数派であった。珍しいこともあるものだ。「語る」ことは戦いである。と同時に、「語る」ことが成立する前提条件は、まずこちらが「聴く」ことである。相手が少年少女であれ、同世代であれ、人生の大先輩方であれ…。
2006.10.22
さぁ、この1週間の締めくくり、最大に過酷な日の夜が明けた。精神力でも体力でもない、その奥の奥にある、根本の「生命力」が問われる1日だ。「過酷」と捉えれば、重荷になる。が、「戦野が拡大する」と捉えなおせば、「自分の力量を試してやる」と挑戦の心に変わる。ともあれ、走る!
2006.10.22
東京より夕刻戻る。今夜は本来、オフィシャルなスケジュールは入っていない。久々にほへ~っと過ごすことも、不可能ではない。だが、そういう時間の過ごし方は、ちっとも休養にならず、ダラダラと時間を無駄にするだけになりかねない。ヘトヘトで死んでいるというのでない限り、動け! 走れ! 人と会い、話を聞け! 語れ!
2006.10.21
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当時、私は4歳。幼稚園に入園する直前だったはずだ。「俺の使命は人類の自由と幸福を護り、それを脅かすあらゆる敵と戦うこと」――この日、70年代の新しいヒーロー(郷秀樹)が誕生。同日、21世紀の平和のフォートレスもまた…。
2006.10.21
朝一番で、市ヶ谷・法政大学での社会思想史学会へ。10年あまり、会費だけ払ってまともに出たことのない学会だったが、今回は9時スタートのセッションA「社会思想のグローバルな展開」の世話人という立場。世話人と言っても、司会するわけでも進行役を果たすわけでもなく、ただ「居た」だけではあったが。それはともあれ、つい最近、図書新聞にシャンタル・ムフ『民主主義の逆説』書評を寄せたばかりだったが、そこに書いた自身の問題関心にほぼ重なる報告をうかがうことができ、意義深かった。
2006.10.21
東京での仕事を夕刻終え、この日泊まる御茶ノ水のホテルにチェックイン。その足で、人と待ち合わせしている新宿区内の某書店に早めに到着してうろうろしていると…えぇぇ~! 先日お邪魔した、三島のうなぎ屋さんの M上氏とバッタリ出遭うではないか! お互いに「おぉ、こんなところで!」という顔だった。過去にも何度か経験がある。ウィーン南駅でバッタリ、ザルツブルクでバッタリ、ロンドンの大英博物館でバッタリ…「何でこんなところでこの人に会うの?」という経験をしたものだ。今回は新宿。だが、やはり「地球は狭い」。(10月21日記す)
2006.10.20
このタイトルを見て、ダンバイン vs バストール、を思い浮かべる方もいるだろう。ここではそうではない。今日は毎週のように東京での仕事。今夜はそのまま御茶ノ水泊。明日は朝から、法政大学で社会思想史学会である。戦いは続く。もっとも、一番過酷なスケジュールになるのは、今度の日曜日だが…。
2006.10.20
今や、教師が生徒をいじめて自殺に追いやる時代である。当の教師本人は「教育の一環」「訓練のつもり」と無邪気に思っていたのかもしれない。しかし、100歩譲って「悪気がなかった」にせよ、軽い(つもりの)からかいでさえ、された側が「不快」と感じるなら、それはいじめでありハラスメントなのだ――という今どきの常識が、理解されていないらしい。この国は、ただのわがままを「人権」の名で主張する困った人が一方でいるかと思えば、他方では、擁護すべき本来の「人権」の考え方が少しも浸透していない、と思わざるを得ない。このことが逆に作用すると、今度は別の困った現象も起きかねない。教師が学生のためを思ってズバッと本質を突く指導をしたとして、それに「むかついた」学生が、「いじめを受けた」としてその教員を訴えるような場合だ。こういう時には、普段は「人権」について深く考えたことのない社会(親やPTAも含む)も、急に正義の味方のふりをして、自称「被害者」を擁護し、「とんでもない教師だ!」と騒ぎ立てるであろう。そうなれば、教育熱心な教師が社会的に葬られ、またそうなることが怖いばかりに、教師が教えるべきことを(たとえ嫌われても)教えるということをやめてしまう――何か、トクヴィルの言う「多数者の専制」の、さらにたちの悪い社会になりそうな気がしてしまう。ここには、「教員の質の問題」と、「本当のことをハッキリ言われるのを嫌う日本社会の体質の問題」という、二つの問題が横たわっているのではないか。大人が若い世代の手本になり得ない社会も困りものだが、おかしいことを「おかしい」、間違っていることを「間違っている」とキッチリ言えない社会もまた、空恐ろしい。どこが市民社会か? John Keane 教授ではないが、今の日本は uncivil society ではないか、と思いたくなる。
2006.10.19
さぁ、例の会議、開始10分前だ! 断じて、心身を消耗させぬぞ!
2006.10.19
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上野千鶴子著『生き延びるための思想』(岩波書店、2006年)の第1章「市民権とジェンダー」を読み進める。差異を否定して普遍性を求めるのか、それとも差異を強調して独自性を主張するのか。このディレンマが、容易に解きがたいものであると改めて痛感する。理論面でも解きがたいが、現実社会の中ではなおさら解きがたいのだ。普遍性を強調すれば、その普遍的な基準なるものが所詮「男性」中心に作られているパラダイムに過ぎない以上、そこではその男性的な権利を女性にも拡大せよという話になる。これは要するに、男と同じになることによって平等に扱ってもらえるという「男並み平等」に過ぎないだろう。その帰結が、「軍人になる女性」であるならば、何ともアイロニカルな話ではある。また、1週間前に A. S. さんとも語ったことだが、男と同じように女性をも深夜まで働かせるのが「男女平等」なのだろうか?だからと言って、差異を強調すると、女性の独自性(それが出産能力であれ母性であれ)を前面に出すことによって、かえって従来の「女性は家庭(私的領域)の中に」という言説に格好の材料を提供することになる。公/私という作られた二分法そのものを脱構築するというが、そもそも「脱構築する」とは具体的に何をどうすることなのか。「脱構築」という流行り言葉を聞くたびに、常にその疑問にとりつかれる私である。
2006.10.19
今週も後半となる。前半、決して調子がよかったわけではなく、相変わらず苦戦を強いられては来たが、それでも何とか五分五分でしのいできた。しかし、本格的に過酷になるのは今日の夕方からだ。そして、明日、あさって、日曜日と、休む間もなく過酷なスケジュールが続く。どこで、どう休息を取るか? 上手に休むことも、また戦いである。
2006.10.19
劣勢続きではあっても、戦い続ける「志」は失ってはなるまい。打った手に、すぐ結果が伴わなくとも、そこに真の「心」が裏づけとしてあったのであれば、必ず時きたりて納得の行く結果が出よう。すべてに無駄はない。いや、無意味などにしてたまるか。「勇気は逆境の中でライオンのように勇敢で大胆です」(コメニウス)「強みは団結にあり、滅亡の原因は邪推と内部の分裂にあった」(シラー)「知恵は心の中にあるようにみえるが、じつは交友の中にある」(ティルヴァッルヴァル)「臆病の虫にとりつかれると、その人はよきことを行なわなくなる」(キルケゴール)「私の人生哲学は本質的には単純な言葉だが辛抱強く頑張るところにある」(デューイ)
2006.10.18
夕刻、長伏という地域の要請に応じ、留学時代の体験を語ることに。三島市内で、国道1号線から南にほとんど行ったことのない私は、いつもお世話になっているうなぎ屋さんの M上氏に PC DEPO まで迎えに来ていただく。三島でうなぎ屋と言えば、櫻屋やうなよしが定番なのだろうが、M上さんのところは、タレでごまかさない、うなぎそのものの味で勝負しているお店だ、と以前に聞いたことがある。今日は時間的に無理だったが、いずれお昼時にでもお邪魔しなければ、と思う。M上氏のお父様に案内されて、会場へ。わずか40分ばかりの私の話だったが、大学の講義のように全身全霊で語ってしまうので、いつものように汗びっしょりかいてしまった。が、私が地獄のような自律神経失調症を乗り越えてきたという話は、集ってくださった方々の一念を大きく変えることになったらしい。聞けば、この地域にも、海外への雄飛を夢見ている学生さんがいるというではないか。私の拙い留学体験が、1人にでも役立つなら、望外の喜びである。時間の許す限り、「お呼びとあらば、即、参上」のつもりでいる――ただし、話のネタはいつも同じだが(苦笑)。
2006.10.17
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ナンシー・フレイザーの『中断された正義』(御茶の水書房、2003年)。なかなか読まずにいたのだが、ようやく、彼女の基本的な問題関心を論じている第1章「再配分から承認へ?」を読む。マイケル・ケニー『アイデンティティの政治学』(日本経済評論社、2005年)を邦訳する際、ケニーと、フレイザーによる再配分と承認のディレンマの問題について種々語り合ったのだが、今さらながら、改めて「なるほどね」とその内容が分かったような気がする。 さて、次はエイミー・ガットマン『民主教育論』(同時代社、2004年)に手を出している。かなり毛並みの違う本ではあるが…。
2006.10.17
修理に出していた自宅のプリンタが、直ってきたのはしばらく前だったが、忙しさと疲労にかまけて、パッケージから出していなかった。今日、ようやく重い腰を上げて、プリンタをパソコンに再接続する。きちんと作動しなかったら、また修理に出すか、あるいは新しいプリンタに買い換えることを考えなければならない。だが…そんな心配はどこ吹く風、ちゃんと普通どおりに動くプリンタに蘇っていた。これで、印刷する場合に一々職場のプリンタ(それも白黒)を使わなくてもよくなったわけだ。それにしても、パソコン本体は動きが遅すぎる。もともと Windows ME が入っていた機種に、後から XP を入れ直して数年使ったのだが、やはり基本スペックが格段に劣っているのだろう。メモリを増やしたところでどうにもならない問題だから、やはり本体は買い換えを考えなければならない。が、いつの話やら。まぁ、年内はあり得ないだろうな。
2006.10.16
このブログのアクセス記録を見ると、楽天ブログ以外のいろんな方面から、アクセスされているのが分る。特に大学関係だと、東京大学、東北大学、京都大学、早稲田大学、立正大学、名古屋大学、等々、さらには、どの大学かは分らないが「ac.uk」という明らか英国の大学からもアクセスされている。あと、アメリカのテキサスM&A大学というところからも、ちょくちょくアクセスいただいている。それにも増して、感じ入るのは、ほぼ毎日のように、ドイツのマンハイム大学と思しきところからアクセスいただいていることだ。ヨーロッパ大陸に行くと、日本語が読めないブラウザのPCも少なくないのだが、アクセスしてくださっている方は、私の駄文を日本語でご覧になっていらっしゃるのだろうか。場合によっては、ほとんど更新していない本家HP http://www.geocities.jp/j9dragon21/ も見ていらっしゃるかもしれない。ともあれ、どなたかは存じませんが、感謝申し上げます。なおちなみに、私はカール・マンハイムについて勉強はしていても、彼の人生に関係があったとは思えないマンハイムという土地、あるいはマンハイム大学には、直接の縁はない。かつてヨーロッパ大陸旅行をした時、ドイツのマンハイム駅は通過したのみだった。
2006.10.16
私の職場に非常勤で来てくださっている、S氏と初めてお目にかかる。S氏は、八王子のとある私立大学で、通信教育部を担当なさっている。実は、私の「育ての親」とも言うべき三島の I垣さんのご友人 Eさんが、年配なのにこの通教をなさっていて、スクーリングで S氏の科目を受講し、その折にこの S氏が三島に非常勤でいらしていることを知り、「ドラゴン山田というのが三島にいるから会ってくれ」と言ったらしい――という話を、数ヶ月前に I垣さんから聞いていた。その S氏が、一昨日わざわざお電話をくださり、月曜と木曜に三島にいらしていることが判明したので、早速今日お目にかかったという次第。学識高く、礼儀正しく、しかも気さくな方。尊敬すべき方と、こうしてまた新しく知り合うことができたことは嬉しい。
2006.10.16
「夢か幻か」――まるで往年の『タンサー5』のノリだ(懐かしすぎる)。奇妙な夢で目を覚ました。夢に登場したのは、1991(平成3)年エディンバラ滞在中の、名古屋出身の友・Cさんと、1994(平成5)年シェフィールドで夏の語学研修中にお世話になった、美濃加茂出身の Eさん。Cさんは今トルコに、Eさんはアメリカに在住。当然、この2人に接点はない。なのに夢の中では、私を含めて3人が、何やら談笑か何かしていた…。Cさんは、問題関心の近いこともあり、語学研修中の私が日本語で修士論文を書かなければならなかった91年秋の、1つの原動力になってくれた方である。他方、台湾とアメリカに長かった Eさんは、世間知らずで生意気な私の話によくつきあってくれ、今でも変わらず「竜ちゃん」と呼んでくれる有難い存在である。どちらにもしばらく会っていないが、この朝の寝起きには奇妙な懐かしさが伴っていた…。(10月16日記す)
2006.10.15
朝から頭痛を引きずりつつ、またも八面六臂の1日だった。真剣なるがゆえの苦悩、相談できる相手、自分の未熟さと非力さ、にもかかわらず「自分がすべての責任を担う!」との決意と行動、そこに差し伸べられる援助、新たな出会い…、こうして、今日も1日が過ぎようとしている。(22:30)
2006.10.15
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「転機だ!」と言いながら、やはり干からびたようになって帰宅してみると、ポストに早稲田大学出版部より小包が。開けて見ると、名古屋大学の田村哲樹助教授より、共著『比較福祉政治』が贈られたのであった。次々と共著を出される田村氏には、心より敬服するよりない。また、いつも送っていただくばかりで恐縮している。(10月17日記す)
2006.10.14
「形式ではなく、心が大事だ」と言われる。確かにそうだろう。例えば、どんなに立派な贈り物をしても、そこに心が伴っていなければ、相手に失礼だ。心にもない激励をしたところで、それは相手には伝わらない。心の伴わない善行は「偽善」であろうし、それはたちどころに見破られる。形を整えればよいというものではない。日本に帰国したばかりの頃、私の目には、日本の冠婚葬祭に関わることどもが、ことごとく「虚礼」に思えて仕方がなかったものだ。しかし…「真心は、言葉であれ物であれ、何らかの形できちっと表さなければならない」というのも、また理だ。「偽善」や「虚礼」がよくないからといって、何もしなくていい、何も形にしなくていい、ということにはならない。日本の冠婚葬祭に、確かに「虚礼」のにおいがついて回るにしても、やはりそういう文化がある社会に生きている以上、それを無視すれば、「心がない」と見なされかねない。私も社会人になりたての頃、信頼する大先輩に「世界の一流の人物はみな、心をきちんと形で表現する」と厳しく指導していただいたものだった。「心」と「形」――要するに、この2つは別に矛盾するものではなく、「きちんとした真心を、しっかりした形に表す、そういう行動をなせ」ということなのだろう。それも、迅速に! それがお祝いであれ恩返しであれ、「時」を逸してはならない。どんなに「心ではそう思ってました」と言ったところで、やはりそれが目に見える形で表現されなければ、相手には伝わらないし、結果的には「心で何も思っていなかった」のと同じになってしまう。心の中にあるものが「本気」であるならば、行動も「本物」になる、ということだろう。そして、しかるべき時に、自分らしい形で表現した真心は、必ず通じる。その意味で、やはり「形ではなく、心」なのだろう。もっともっと、成長しなければ。(10月15日記す)
2006.10.14
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