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どうやら誤解されている大漁旗。
隣国からの言い掛かりに逆上するあまり、自国文化を 捏造
してしまう人々がいるようですから、史実を追究しました。
派手な大漁旗は、戦後、漁業が盛んになり、化学染料が出回った結果、全国で見られるようになりましたが、戦前までは地味な 紺一色の旗 だったと思われます。
■「 Japanese Style -- 和のよもやま話 -- 道具のお話 」
http://lotusland.fc2web.com/dougu.html
カラフルな色味が目に飛び込んでくる大漁旗。
元々は漁船が港まで帰る時、大漁を知らせる為に掲げるものでした。
無線のない時代に 魚の荷揚げを効率よく行う為のサイン
で、旗を見た陸地の人々は箱や塩を用意して、船が着くのを待っていたのです。
大漁旗の始まりは江戸時代で、当時はただ、 むしろ
を掲げるだけ
でしたが、いつしか 船の名前
や 屋号
などを染め抜いた
旗が使われるようになったそうです。
ただ、 今の様に カラフル
な大漁旗
が使われる様になったのはずっと後の事で、 昭和・戦後になってから
。
千葉県の銚子港の網元が、大漁の時に船子に配る晴着から、ああいう形になったという説があります。
いずれにせよ、青い海に白い波線を描きながら大漁旗をなびかせて走る船の姿は、1つの映像として、色彩が鮮やかでとても美しく見えますよね。
■仙台市 藍染師 永野勘兵衛 http://www.hanten-happi.com/about/staff.html
・・・・
二代目である『永野 勘之助』のころになると、・・・・。戦後、様々な業種(大工さん・左官さん・庭師さんなど)で半纏を制服に取り入れたことにより半纏の受注が増えました。戦後から仙台の復興を目指す職人さんたちに、当店の半纏が愛用されたのでした。
三代目『永野 光夫』の代 では、糊置きや染めの技術が認められ 昭和六十年 に仙台市より技能功労賞を受ける名誉を頂きました。半纏やのれんの他に漁業の発展に伴い造船が盛んに行われ、仙台港の湾内では染物職人が染めた カラフル な大漁旗 が力強くはためいていました。
■静岡市の資料 http://www.city.shizuoka.jp/000077919.pdf
冷凍マグロの水揚げ日本一の清水において、大漁祝いに船主らが、船子たちに印半纏を配る習慣がありました。この印半纏を万祝(まいわい)と言います。 ・・・・ 第二次世界 大 戦後 になると、この万祝を継承し、大漁の知らせを港で待つ人々にいち早く知らせるための目印として「大漁旗」を掲げるようになります。漁に出る者、陸で待つ者、双方の守り神の意味を併せ持っていたようです。ただ、 今日のような 図柄 の入った大漁旗 の歴史は意外と浅く、 昭和 30 年代前半 と言われています。
(駿河和染 http://www.city.shizuoka.jp/000077918.pdf )
(駿河和染 http://www.shizuoka-kougei.jp/012.html )
(浜松注染そめ http://www.shizuoka-kougei.jp/021.html )
■ 南房総郷土史 手工業史 万祝の歴史
http://www.mboso-etoko.jp/kyoudo/syukougyou/maiwai_01.html
マイワイは大漁祝いに網元や船主が、網子や船子たちに配った晴れ着です。そもそも、大漁時の祝宴をマンイワイといいまして、その引き出物として祝着の反物を送る風習がありました。そして次第にその祝着をマイワイと呼ぶようになったと言われています。
配られた反物は着物に仕立てられ、みんなお揃いで着て、神社仏閣にお詣りに行ったそうです。 ・・・・・
大漁祝いにマイワイを配る風習は、 明治から大正期をピークに昭和 40 年代まで 続きました。
●「渚の博物館」...旧県立安房博物館より伝統工芸の資料を継承した館山市立博物館分館
http://www.city.tateyama.chiba.jp/hakubutukan/page020599.html
注. 銚子外川港は、17世紀、万治元年にイワシ漁を目的に紀州出身の漁業者によって築かれ、良好な漁場に接している。
●友禅染め製品「万祝い着」および「萬祝式大漁旗」の由来
http://www.choshikanko.com/archive/tokushu/maiwai/index.html
■「 波伝谷の民俗 --宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相」25-26頁
http://www.thm.pref.miyagi.jp/archives/book_pdf/minzoku/hadennya_minzoku.pdf '
■「 日本統治期の朝鮮漁業の評価をめぐって 」
http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/2947/1/AA112829850140007.pdf
■悲話「 戦時徴用船 」
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/senin-his.htm
漁船も多くの船が徴用され、10,000人を超える船員が犠牲となっている。
大型の漁船は、商船同様に徴用され輸送船団に組み入れられている。軍によって改装され海防艦として使われた漁船(キャッチャーボート)もある。
小型の漁船は、約400隻が海軍の洋上監視艇として徴用され、さらに多くの漁船は作戦地域の輸送のために徴用されている。鰹・鮪のトロール船は軍の食糧確保のため、陸軍糧秣廠に漁労を目的として徴用された。
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