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★今日のフォーカスチェンジ♪風見鶏のように---------------------------- 風見鶏 風の動きを ずうっと見てる 屋根の上で ずうっと見てる 飛べる鳥ではないけれど 喜怒哀楽を知っている とても素敵な鳥なんだ----------------------------これは、以前、ある演劇サークルに参加している女の子が、自分でつくりましたと、私に見せてくれた詩です。自分を表現することが、あまり得意ではなくて、いつも、静かに笑っている女の子です。でも、その目のなかには、不思議な深い光があって、何かを感じているのだろうなと、思っていたのでした。風見鶏。最近は、あまり見かけることもなくなったような気がします。 私が見落として いるだけでしょうか…。また、このことばは、たとえで使われるときには、必ずしも、いい意味では使われないことがおおいような気がします。でも、その風見鶏に、こんな、やさしくあたたかいまなざしを、その子は向けていたのでした。私たちは、日常生活のなかで、ついつい、目立つこと、派手な表現をするものに、こころをうばわれがちです。でも、それらのこと・ものと並んで、ひっそりと存在しつづけること・ものも、また、たくさんあるのです。もしかしたら、その女の子は、その、目立たないこと、静かに存在しつづけるものに、自分のありようを、重ねていたのかもしれません。その自分のありように、そっと、静かなまなざしを、注いでいたのかもしれません。ちいさな揺れるこころを、抱きしめて、抱きしめて、そのままでいいんだよと、そっと、語りかけている…。そのとき、そんなイメージが、浮かんできてしまったのです。もしかしたら、それは、私のセンチメンタルな思いこみかもしれないけれど…。そんなことを考えていたら、なんだか、目の奥が、つんと熱くなってくるのでした。あわただしくすぎていく日々。でも、ときには、立ち止まって、ゆっくりと深く呼吸して、風見鶏のように、風の流れを感じてみるのも、悪くはないかもしれません。胸の底に、思いはあふれて、自分の無力さを、ときにはなげきたくなることもあるけれど、それでも、自分にできるちいさなことを、ひとつ、ひとつ、積み重ねて…。そして、そんなちいさな自分を、何度でも、何度でも、抱きしめて。やさしくささやいてあげたい。「そのままでいいんだよ…」と。今日は、ひとりの女の子からもらった、この一篇の詩から、静かに思いをはせてみました。こころがざわざわするときに、くりかえし、この詩を思い返したいと思うのです。不思議な、やさしさに満ちた、その子のまなざしを、いとおしく思い起こしながら…。風見鶏…風見鶏…。動くことはできなくても、そこに、じっととどまって、風の動きを見守っている。ときの流れを見守っている。風見鶏…。風見鶏…。よろこびも、かなしみも、その胸のなかに、そっと抱きしめながら…。ひたひたと寄せてくる、あたたかな思いを、いま、あなたにも、手渡したいと、思うのです…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2070号(2009年6月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪自分洗脳のススメ「洗脳」と聴いて、プラスのイメージをいだくひとは、おおくはないかもしれませんね。でも、私たちは、つねに自分を洗脳しています。最初の洗脳は、親であったり、そのほか周囲のおとなだったりしますが、その後は、自分で自分を洗脳しています。「自分はだめな人間だ」と思うことも、洗脳です。うそだと思ったら、あなたが本当にだめな人間であることを、客観的に、証明してみてください。「○○ができない」という場合は、その事例に即して、少なくとも10年くらいはさかのぼって、全国統計とか、世界統計とか、きちんと公式記録のあるものと比較し、その結果明らかならば、根拠として提出してください。でないと、客観性はみとめられません。ということは、あなたがいくら「自分は○○ができない」と主張しようとも、世間はそれをみとめません。そのへんにいるヨッパライが、「おれは、ナポレオンの 生まれ変わりだ!」と主張しても、だれも本気にしないのと同じことです。まれに、あなたのことを「だめな人間だ」というひとがたまたまいたとしても、一人や二人では、何の証拠にもなりませんからね。とくに「みんな言っている」というひとは、せめて、世界人類65億人のうち、10%くらいのサンプルをとって検証してくださいね。ほとんどのケースは、成立しないはずですよ。というわけで。あなたが、自分のことをどう言おうと、それがデータで証明されないかぎり、なんの根拠もないことを、勝手に思いこんでいるにすぎないことになります。勝手に、「だめだ」色に、自分を洗脳しているのです。その意味で、洗脳とは、まったく怖ろしいことです。けれども同時に、実に便利なものでもあるといえます。はい。便利です。だって、根拠を必要としないのですから。(^^ゞつまり、あなたが、自分のことを「だめだ」と思うのと同じくらい、自分のことを「すごい」と思ってもかまわないということです。根拠がないという意味では、まったく同じなのですから。大切なことは、根拠があろうがなかろうが、それによって、あなたが、元気になれるかどうかです。勇気が湧いてきたり、希望が芽生えてきたりするかどうかです。もしも、元気や勇気が生まれてくるのであれば、何の問題もありません。じゃんじゃん、自分を洗脳しちゃいましょう!自分洗脳のススメです!方法は簡単です。いつもの逆をやればいいのです。ええ。ことあるごとに、「自分はすごい!」「自分はすてき!」「自分はサイコー!」と、自分に語りかけるのです。 ことばは、何でも 好きなものでどうぞ♪あなたは、これまで飽きず、たゆまず、「自分はだめだ」と、自分洗脳をつづけてきたのです。それだけの根性、継続力があるならば、その逆だって、きっとやりとげることができるはずです。それこそ、それまでの実績が証明しています!さあ、今日からさっそくはじめましょう。まずは、自分洗脳のエキスパートのあなたから♪わくわく、自分洗脳です。そうして、世界じゅうのひとたちが、「自分が好き」と自分を洗脳してしまったら、世界平和も即、実現ですね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2069号(2009年6月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪直感レッスンかめわざワークのなかで、しばしば取り上げるもののひとつに、「連想ゲーム」があります。はい。「連想ゲーム」。何かひとつのことばをとなりのひとからもらい、そのことばから連想したことばをまた、となりのひとに伝えていく。ただそれだけのゲームです。でも、「ただそれだけ」というのが、実はポイントなんです。(笑)連想なのだから、別に、正解はありません。連想なのだから、一人ひとり想像することはちがって、当たり前です。なのに、おおくのひとが、なぜか、それらしいことばを発しようとして、詰まります。あるいは、考えた瞬間に、頭が真っ白になってしまいます。無意識のうちに、正解をさがしてしまうのです。正解なんかないのに、正解を探そうとするから、頭が混乱してしまうのです。そうやって、自分で自分を不自由にしてしまうのです。「連想ゲーム」に必要なのは、「直感」ただそれだけです。ことばを受け取った瞬間に、こころのなかに浮かぶものを、そのままひろいあげればいいだけなのです。お上品なことばでなくても、なぜそれが連想されるのか、意味不明であっても、それどころか、日本語の体をなしていなくても!(^^ゞどんなことばであっても、自分がつかまえたものを信頼する。それが「直感レッスン」。それって、ただの思いつきじゃないのかって?ええ、そうです。でも、どんなことばも、もともとは、思いつきなんですよ。思いつかないかぎり、私たちは、それを取り出すことはできませんから。そして、それが、世間一般のこたえとちがっていたとしても、まちがいなく、それはそのひとにとっての正解です。 ここ、わかりますか? 試験に出ますよ♪ (出ない、出ない!)(爆)自分にとっての正解を、怖れずに、受け入れたとき、こころの回路がつながります。過去の記憶からも、未来の予想からも、周囲の評価や規制からも、いっさい解き放たれた、あなたのこころの回路が。直感が育つと、この回路をとおって、自分のこたえが、浮かんできやすくなります。迷いがなくなります。出てきたこたえが、多少、つじつまが合わなくても「まっ、いっか」と、思えるようになります。(笑)その結果、起きてくる変化を、楽しめるようになります。人生がより楽しくなります。エネルギーが湧いてきて、前向きに生きられるようになります♪実際、私自身がそうやってきました。この「連想ゲーム」もそのひとつです。ゲームそのものは、他愛なくても、そこに意味をきちんとつけたとき、それは、意義あるレッスンに変わります。そうやって、自分の直感を育ててきたのです。どうですか?連想ゲームで、ちょっと遊んでみませんか?こちこちにかたまった頭のなかをシャッフルして、そこに起きる変化を楽しんでみませんか?あ、ただし、やりすぎると、世間一般と、ちょっとずれがおおきくなる場合も、たまにはあります。まあ、そうなったらなったで、そんなあなたにしかできない仕事や、生きかたを選べばいいだけですけどね♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2068号(2009年6月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪300%の愛情何度か書いてきましたが、私は、学生時代、母子家庭のベビーシッター兼ホームキーパーのアルバイトをしていました。仕事で帰りの遅いお母さんの代わりに、4歳の子どもと一緒に、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、寝かしつけたりする仕事をしていたのです。お母さんが、早く帰ってこれるのは、ごくまれです。でも、ごくたまのそんなときに、見ていて、気がついたことがあります。お母さんは、いつでも、300%の愛情を、子どもにたいして、表現していたのです。あなたが大好きだということ。あなたのアイデアが、とてもすばらしいということ。あなたのしていることが、本当に、すてきだということ。ここまで、子どもをほめることのできるひとに、私は会ったことがありません。何しろ、テーブルのうえから飛び下りたときでさえ、「すごーい」と拍手してしまうのですから。(笑)さて。こんなことを書くと、子どもは、さぞやわがまま放題に育つのではないかと思うひとがいるかもしれません。そうではありませんでした。子どもは、そのたびごとに、お母さんの愛情を、全身全霊で感じていたのです。自分のことを、300%愛してくれるひとが、この世に存在するということを、まっすぐに受け止めたのです。それは、そのまま、子どもが生きるうえでの土台になります。木でいえば、根っこのようなものです。子どもは、「自分を完全に愛してくれるひとがいる」という揺るぎない信念を、根っこにして、育つことができたのです。だから、おおきくなって、何かの問題に直面しても、その子は、いつも飄々としていました。いたずらに傷つかないのです。「まっ、いっか」とでもいうような感じです。(笑)もちろん、そこには、気質のちがいもあるでしょう。でも、どんな気質であれ、自分が愛されているという実感は、子どものこころを安定させるのです。自分が真に愛されているというバックボーンの前では、どんな問題も、必要以上に深刻な苦しみにはならなかったのです。愛情は、子どもにとって最高の栄養素です。愛を受け取った子どもは、愛でいっぱいになります。愛でいっぱいになると、自分のことが好きになります。自分のことが好きになると、ひとのことも好きになります。ひとのことを好きになると、ひとと、いい関係をつくりやすくなります。もちろん、現代のさまざまな複雑な問題が、このことだけですべて解決するとは思っていません。それでも、この土台を育てているかどうかで、問題との向き合いかたは、変わってくると思います。子どもが苦しんでいるとき、まわりのおとなは、その問題をなんとかしてあげたいと思います。それはそれで大切なことです。でも、同時に、その子のもついのちのちからを信頼して、そこに、愛を注ぐことが、その子を、深いところで強くしてくれるかもしれません。このときの「強さ」とは、こわばった鋼鉄の強さではなく、どんな強風をも、やわらかに受け止め、しなり、またもとにもどることのできる、柳の強さです。そんな強さが育ったときには、おとなは、ただ、子どもに寄り添ってあげればいいだけであることがわかるでしょう。その子のちからを信頼し、もとめられたぶんだけのちからを貸せばいいことがわかるでしょう。もしも、目の前の子どもと、それだけの関係が、充分に築けていない場合でも、なげく必要はありませんよ。いま、この瞬間からはじめればいいのです。どんなときでも、けっして、遅すぎるということはないのですからね!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2067号(2009年6月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪ともに尊重される方法をずいぶん前になりますが、知り合いの小学校の校長先生が、話してくれました。「子どもがね、よく、 走ってきてぶつかるでしょう。 まわりをよく見なさい!と 大人は怒るけど、 それ、無理なんだよ。 子どもと大人の視野は、 ちがうんだから」そう言って、ちょっと変わっためがねを見せてくれました。レンズの両脇をおおって、見えないようにしています。かけると、実際、ほとんど、前しか見えないのです。「これが、子どもの視野。 おとなは、だまっていても 大体180度見えるけど、 子どもの視野は、そこまで 発達していない。 比喩じゃなくて、本当に、 これしか見えないんだよ」そのことを忘れないために、そんなめがねをつくって、かけてみるようにしているのだと、校長先生は話してくれました。また、たとえば、おとなに、「コップになみなみと水を 入れて、半分かたむけたら、 コップの水はどうなりますか?」と言って、絵を描いてもらったとします。ほぼ100%のおとなが、コップから水があふれて、こぼれている絵を描くでしょう。でも、同じことを言って、10歳以下の子どもたちに絵を描かせると、それこそ、さまざまな絵になるのです。90度以上かたむけたコップのなかで、水がもとのままの状態だったり。ややななめになってはいるものの、こぼれずにコップのなかにとどまっていたり。けっして、ふざけているのではありません。発達段階として、目の前に見えていないものを、論理を組み立てて描くということができないのです。だから、「仲良くしなさい」と、口で言われても、わかりません。「仲良く」は、目に見えないからです。「早くしなさい」と言われても、それだけでは、わかりません。「早く」がどのくらいなのか、具体的にわからないからです。目に見えないものは、子どもにとって、すべて抽象概念です。抽象概念は、理解できないのです。こんなことを書くと、「だから、子どもは幼稚だ」と考えるひとがいるかもしれません。でも、私はそう思いません。たとえば、子どもたちが、お母さんを、家よりもおおきく描いたとすると、それは、その子にとって、お母さんが、それだけ大切な存在であることをあらわしています。その瞬間、子どもは、そのように感じているのです。そのように感じたままを、表現しているのです。子どもは、その瞬間に、完全なる自分絶対の世界を生きているのです。私たち、おとなは、論理という能力とひきかえに、この世界をうしないます。その魔法のちからがあれば、いつでも、世界の主人公になることができるのに…。大切だと感じることやものを、迷いなく、100%、大切にすることができるのに…。最初に書いた、視野の話もそうです。まっすぐに前だけを見て駆けていける能力を、私たちは、視野の広がりとともにうしなうのです。うしなうだけでなく、それをもっていたことさえ忘れてしまうのです。もしも、あなたが、何らかのかたちで、子どもとかかわるひとであるのなら、今日はお願いです。どうぞ、おとなのものさしで、子どもを、はからないでください。そのものさしでは、子どもをはかれないことに、気がついてください。子どもたちが、生きていくために困らないように、社会の仕組みを教えることが、子どもたちの本来もっている無限の可能性と可変性にふたをしてしまうことであってはならないのです。どちらもともに尊重される方法を、私たちは、探す必要があるのです。いま、同じ空間を生きながら、私たちおとなが、見えなくなってしまったものを見、聴こえなくなってしまった音を聴くことのできる子どもたちに、どうぞ、敬意をはらってください。それが、二度と子ども時代にもどれない、私たちにできる、せめてものありかたです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2066号(2009年6月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪まほうのめがねきょうも、おかあさんは、こどもを、おもいきりしかってしまいました。どうして、こんなこともできないの?もっとはやくしなさい!なんどいったら、わかるの!そのたびに、こどもは、しょぼんとします。ときには、なみだをいっぱいにためて、おかあさんのあとを、とぼとぼとついてきます。そんなようすをみると、おかあさんも、こころのなかがちくっといたむのですが、つぎのひになると、こどもは、おなじことをくりかえします。おかあさんも、ついつい、どなってしまい、おなじことのくりかえし…。そのひもまた、おかあさんは、こどもがでかけるときに、はやくしなさい!とどなってしまいました。ためいきをつきながら、げんかんのドアをしめようとしたおかあさんは、あしもとに、なにかあるのにきがつきました。それは、おもちゃのめがねでした。あのこったら、またこんなところに、おもちゃを…。いいながら、めがねをひろおうとしたおかあさんは、おもわず、てをとめました。めがねのグラスが、きらきらっと、ひかってみえたからです。おかあさんは、そっと、めがねを、じぶんのめのまえに、もってきました。ちいさなめがねは、もう、おかあさんには、かけることが、できませんでしたから、そっとこわれないようにもって、ひにかざしてみたのです。そこには、きらきらのひかりがあふれていました。せかいじゅうが、ひかりであふれていました。おかあさんは、めがねをめのまえにかざしたまま、ぐるりと、あたりをみまわしてみました。すると、まわりじゅうも、きらきらと、ひかりであふれているのがわかりました。きらきら…。きらきら…。きらきら…。なにもかもが、ほうせきのようにひかっているのでした。そう…。せかいは、ひかりで、できていました。なにもかもが、ひかりで、できていました。まっすぐにまえをみれば、どこまでも、どこまでもつづく、ひかりのみち…。きがつくと、おかあさんは、ないていました。ずっとずっとずーーっとむかし、じぶんも、こんなけしきをみたことがあることをおもいだしたからです。あんなにすきだったのに…。いつまでもいつまでもあきることなくながめていたはずなのに…。どうして、わすれていたんだろう。どうして、みえなくなってしまったんだろう…。おかあさんは、あふれてくるなみだをぬぐうこともわすれて、なみだをながしつづけました。ただいま。こどものこえがしました。きがつくと、おかあさんは、ぼんやりと、げんかんにすわったままでいるのでした。いつのまにか、こどもがかえってくるじかんになっていたのでした。てもとをみると、あのめがねが、みあたりません。えっ?とおもって、あたりをみまわしましたが、やはりどこにもありません。おかあさん、ただいま!もういちど、こどものこえがしました。おかあさんは、あわてて、ドアをあけました。そして、こどものかおをみて、あっと、こえをあげそうになりました。こどもが、あのまほうのめがねをかけて、そこにたっていたからです。…いえ。そうおもったのは、いっしゅんのことだけで、こどもは、いつものように、そこにいるだけです。めがねなんて、かけてはいませんでした。でも、おかあさんにはわかりました。あのまほうのめがねは…。おかあさんが、なにもいわずにいるので、こどもは、もじもじといいました。ぼく、みちくさしないでちゃんとかえってきたよ。おかあさんは、もうたまらなくなって、こどもを、ぎゅっと、だきしめました。だきしめたまま、こころのなかで、なんどもなんども、くりかえしました。だいすき、だいすき、だいすき…。すると、こどもも、ぎゅううっと、おかあさんをだきしめました。だいすき、だいすき、だいすき…。なにもいわなくても、こどもが、そういっているのがわかりました。それだけで、じゅうぶんでした。まほうのめがねは、いつだってそこにあるんです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2065号(2009年6月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪人間になってください。「そんなことしちゃ、だめ!」「これが正しいんだから、 これをやりなさい」「どうして、できないの?」子どものころ、これらのことばをひとことも聴かずに育ったひとがいたら、そのひとは幸福なひとです。これらのことばは、まちがいなく、下記の図式をつくりあげるからです。1、ものごとには、失敗と成功がある2、失敗をするのは、だめな人間である。3、失敗したくなければ、おとなの言う ことに、だまってしたがうべきだ。生まれたばかりの鳥のひなは、目の前にいるものを、親と認識するそうです。だから、たまたま、人間を最初に見てしまうと、そのひとを、親だと思いこんでしまうのです。これを、「刷りこみ」と言います。とても不思議な気がしますが、でも、それって、人間も大差ないような気がします。私たちは、おさないころは、「失敗」とは何か、「成功」とは何かということを知りません。だから、誰かに刷りこまれるとおりに、その定義を信じこみます。でも、それって本当なのでしょうか?鳥のひなが、人間を親だとかんちがいしてしまうように、たまたまはじめて教えられたから、そのように思いこんだだけなのではないのですか?冷静に、あなたのまわりを見回してみてください。あなたが教わったとおりに、世のなかは、なっていますか?お金をもっているひとだけが、地位をもっているひとだけが、幸福に生きていますか?試行錯誤を繰り返し、いまもたえずトライしつづけているひとは、魅力のない存在ですか?もっと言えば、あなたにその定義を教えたひと自身は、幸福に生きていますか?あなたは、鳥のひなではありません。おとなになったあなたは、ものごとを、あなた自身の目で、耳で、こころで、感じ分けることができます。そもそも、「失敗」と教えられた、あのことは、本当に失敗だったのでしょうか?それ以前に、そのひとが教えてくれた「失敗」の定義は、本当に正しかったのでしょうか?さらに、もっと言うならば、「成功」「失敗」という定まった定義があるという考えかた自体、本当なのでしょうか?私は、長いこと、子どもたちの劇づくりの現場にかかわってきました。そのかん、ずっと言いつづけてきたのは、このことです。「もしも、いっこの失敗もしないで、 ゴールにたどり着いてしまったら、 そのひとは、ほかのひとに ひとつの方法しか 教えてあげることができないよね。 でも、10回失敗して、ゴールを 見つけたひとは、10通りの トライの方法を、ひとに 教えてあげることができるよね。 ゴールにたどり着く道は、 いろいろあることを、 トライすることはむだではない ことを、教えてあげられるよね。 どんな困難なことがあっても、 あきらめなければ、きっと たどり着くということも、 伝えてあげることができるよね。 そしたら、そのとき、その失敗は、 本当に失敗っていうのかな? それは、本当は、体験なんだよ。 人生には、体験があるだけで、 失敗なんて、存在しないんだよ」もちろん、私のこたえが「正解」であるかどうかはわかりません。正解であるかどうかは、実際、問題ではありません。「失敗はない。体験があるだけだ」このことを受け入れた子どもたちは、どんどん、元気になりました。さまざまなことに、自分たちのアイデアを発揮しながら、チャレンジするようになりました。試行錯誤も、紆余曲折も七転び八起きも、七転八倒もありましたが、(笑)それをも糧にしていったように、私には感じられました。大切なことは、あなたが幸福に生きることです。あなたが幸福に生きるために、どんな考えかたを選択するか、だけなのです。そのときに、いっこの正解以外は、すべて価値がないとする考えかたのほうが、快適なら、それを選んでもかまわないのです。でも、忘れてならないことは、それは、あなたにとっての正解にすぎないということです。100人いれば、100通りの正解があるのです。それを正解と言うこと自体、意味があるかどうかもわかりませんが、ともかく、誰からも、こたえを押しつけられる必要はないのです。また、誰か(たとえ我が子であろうと)に、押しつけていいものでもないのです。もしも、あなたが、これまで、鳥のひなのような生きかたをしていたなあと感じたなら、どうぞ、今日から、人間になってください。(^^ゞええ、繰り返しますとも。あなたは、人間なのです。鳥のひなではないのです。だから、自分で考えて、自分で選んで、自分で決めて生きていいのです。あなたを、「人間」あつかいしていないひとの言うことなど、もはや聴く必要はありません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2064号(2009年6月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪いつでも思い出せるように。私たちは、誰もが、幸福に生きたいと願いながら、なかなか、そのとおりにいかない現状に悩まされます。その最たるものが、人間関係といえるでしょう。逆に言うと、さまざまな問題をかかえていたとしても、人間関係が良好なら、ひとは、かなりの度合い、幸福に生きられるとも言えるのです。では、幸福な人間関係を生きるためには、どうしたらいいのか?そのためには、自分が、どのような人間関係を生きたいのかを、はっきりさせる必要があります。このときのポイントは、限界を設定しないことです。一切の前提条件なしに、望みが完全にかなうとしたら、どんな人間関係を、手に入れたいと思うのか。そんなふうに考えてみるんです。もうひとつのポイントは、そのときの感情を、しっかりと感じることです。私たちは、ついつい、目に見えるモノ、かたちに、理想を求めてしまいますが、本当にほしいのは、そこで得られるであろう感情です。あなたが、幸福な人間関係を生きているとしたら、そこにどんな感情を感じていますか?おだやかさ? やすらぎ?それとも、わくわく感?それを感じているとき、あなたは、どんな表情をしていますか?からだは、リラックスしていますか?どんな呼吸をしていますか?どうぞ、ありありとイメージしてみてください。それが、その状態が、あなたが本当にほしいと願う人間関係を得たときなのです。その感覚、感情、呼吸、からだの状態を、細部までしっかりと覚えでください。思い出したいときに、いつでも思い出せるように。それが、あなたにとっての羅針盤になります。そして、あなたが日々の人間関係を生きていくときの、チェッカーになります。いま、人間関係がうまくいっていないというひとは、あなたが思い描いた理想の状態を、繰り返し繰り返し、思い起こしてみてください。あなたの進むべき方向は、そこにあるのだということを、しっかりこころに刻むのです。あなたにとっての幸福な人間関係は、他者によってもたらされるのではありません。あなた自身が、選ぶのです。あなた自身の生きかたが、あなたの人間関係を決めるのです。そして、ここからが実践編。それを実現させるために、あなたは、今日、どんなふるまいをしますか?あなたがいまとっている、そのふるまいは、あなたの理想に近づくやりかたですか?もしもちがっていたら、ほんの少しでいいから、軌道修正をするのです。理想の人間関係を生きる自分であったなら、こんなとき、どんなふうにふるまうかをイメージしながら。ポイントは、あなたがどうあるか、です。仮に、それをはばむような存在があったとしても、理想のあなたなら、そんなとき、どうあるのか。 「どうするか」で 混乱しそうになったときは、 必ず、「どうあるか」に 帰ってください。一度や二度では、うまくいかないかもしれません。三度や四度でも、うまくいかないかもしれません。でも、どうぞあきらめないでくださいね。まちがっても、自分を否定的に、ジャッジしないでくださいね。大切なことは、ありたい自分を見失わないこと。何度でも、何度でも、何度でも、自分の内がわから呼び覚まして、感じ直してみるのです。その感覚、感情、呼吸、からだの状態を細部まで。あなたには、幸福になる権利があります。幸福な人間関係を生きる権利があります。どうぞ、それを自分から放棄しないでください。幸福な人間関係をめざすあなたを応援します!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2063号(2009年6月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪二つの感覚ときどき、自分のなかに、ことなる人間が住んでいるように感じることがあります。ふだんは、いわゆる胆汁質。ものごとを、率先してばりばりとすすめていきます。アイデアもどんどん出てくるし、人前に出て、目立つことをするのも大好きです。仕事をする上では、この胆汁質は、とても都合がいいのです。そして、私自身、この感覚が、けっこう気に入っています。でも、ときどき、ふっと、もうひとつの憂鬱質の自分が顔を出します。いえ、私は、本来は、憂鬱の気質をもって生まれてきているのです。だから、こちらの感覚のほうが、ずっとなじみ深いのです。憂鬱質の私は、一日じゅう、ひとりで海を見ていても、飽きることがありません。人前には、あまり出たくないし、知らないひとに話しかけることも、苦手です。ひとりで、ぼーっとしているほうが、好きなのです。これは、私の無意識のバランス感覚のようなもので、胆汁的な日々がつづくと、必ず、憂鬱的な自分がそっと顔を出すのです。そして、突っ走りがちな私に、静かにブレーキをかけてくれるのです。以前は、このブレーキが、うっとうしくて、しかたありませんでした。やらなくてはならないことがたくさんあるのに、このモードに入ってしまうと、どうにも動けなくなってしまうのですから。でも、胆汁質の私が、全面に出ているときは、仕事はすすむかもしれませんが、ひとりよがりな面が、出てきやすくなるようです。ものごとを、自分の思いどおりにすすめるために、強引な対応に出がちです。憂鬱質の私が出てくるのは、そんなときなのかもしれません。もっと加速したい!というときにかぎって、まるで、ブレーカーが落ちるように、エネルギーが途絶えるのです。そんなときは、たいてい、仕事をがんがん詰めこんでいたりするわけですから、「それは、胆汁質の私が 引き受けてきたことで、 いまは、憂鬱質の私だから、 ちがうひとなの」なんて言いたくなるのですが、通用…しませんものね。(笑)最近、ようやくその二つの感覚と、上手につきあえるようになりました。単純に言ってしまうと、受け入れたのです。できないときは、できないなりに、無理をしないで、そのなかでも、できることをやるのです。憂鬱質の私は、無気力なのではなくて、憂鬱質の私なりのリズムとテンポがあるのです。胆汁質のテンポやリズムとは、ちがうというだけなのです。憂鬱質の私のテンポとリズムでやっていくと、ペースはダウンするけれど、それなりにちゃんとすすむのです。いえ、すすんでいると、みとめてあげるのです。(^^ゞどちらも、OK。いまやれることを、できるだけここちよくやる。そんなふうに、自分に言い聴かせながらね。そして、実は、ちょっと自覚することによって、この二つの感覚は、自分でも、ある程度、使い分けることが可能です。たとえば、何かの集まりで、リーダーシップをとるひとが誰もいずに、膠着しているようなときは、胆汁質の自分に、スイッチを入れればいいのです。逆に、その場に、なかなか溶けこむことができず、躊躇しているひとがいるようなときは、すっと、エネルギーを落として、そのひとに寄り添うことができます。どちらもOKにしているから、使えるのです。どちらの自分にも、いい・悪いのジャッジをしないでいるから、そのときどきに必要な自分に、出てきてもらうことが可能なのです。あなたのなかにも、さまざまなあなたが、いるのではないでしょうか。どのあなたも、あなたです。すべてまるごとで、かけがえのないあなたという存在です。どうぞ、受け入れてあげてくださいね。そのときどきで、その自分と、ここちよく向き合ってあげてくださいね。自分を好きになる、ということは、案外、こんなことなのかもしれません…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2062号(2009年6月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪似たもの同士「引き寄せの法則」というのが、一時期、流行りましたね。 え? いまもですか? スミマセン、世事にうとくて…。あれ、わざわざ言うまでもなく、当たり前のことなんです。引き寄せの法則の大原則は、同質のものである、ことです。栗の木に、ぶどうがならないように、ことなるもの同士は、くっつけても引き寄せられません。というわけで、本日は、私の引き寄せのお話。しかも、けんかの話です。(笑)私は、こう見えても(どんなだ)、けっこう、けんか好きです。以前、ある組織に参加していたときのことです。 念のため。宗教ではありません。 もちろん、 マフィアでもありません。(笑)会議が終わって、メンバーといっしょに飲みに行きました。私は、こう見えても (だからどんなだ)ウワバミです。(爆)がんがん飲んで盛り上がっているさなか、ふとしたことから、ひとりのひと(年上)と、意見が対立しました。ふだんは、とても尊敬しているひとなのですが、なぜか、そのときは、対立してしまったのです。お互い、アルコールが入っていたせいでしょう。「やめちまえ!」と、そのひとは、どなりました。「ああ、やめてやる!」と、私もどなり返しました。 はた迷惑なヨッパライの けんかです…。m(__)m会議のあとの飲み会ですから、時間もかなり遅くなっていました。もう終電しかないことに気づいて、みんな、あわてて店を飛び出しました。そのひとと、私は、途中まで、帰る方向が同じでした。けんかの余波で、離れた席にすわり…、二人とも…そのまま、爆睡してしまいました…。 おやじじゃん!(>__
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪まじめな、いい子たちです。横浜市青葉区小中高生ミュージカルの演出家・井上弘久さんは、このミュージカルではじめて、子どもたちとの劇づくりにかかわりました。それまでは、おとなの、しかも、小劇場系の作品をつくってきたひとなのです。当時は、出演者を、小学1年生以上としていました。 現在は、3年生以上です。なので、低学年の子が、けっこうたくさん参加してきました。もっともおおかった時期には、約80人の出演者のうち、20名近くが、低学年の子どもでした。さて。お芝居の稽古には、「だめだし」という時間があります。そこまでの稽古のなかで、修正したいところを、ことばで指摘していくのです。井上さんは、子ども相手であっても、手抜きはしません。真剣に指摘をしていきます。そんなとき、子どもたちも、真剣な表情で聴いています。そして、井上さんが最後に、「わかった?」と聴くと、それはそれは元気よく、「はいっ!」とこたえます。本当にまじめな、いい子たちです。井上さんも、ごきげんで、「じゃあ、やってみよう」と、さっきの場面を繰り返します。すると…。カンのいい読者のあなたなら、すでにお気づきでしょうが…まーったく変わっていません。(爆)さっきの「だめだし」が、みじんも生かされていないのです。 ええ、みじんもです。(^^ゞそんなことが、何回もつづきました。子どもたちは、本当は、まじめでも、いい子でもなくて、演出家の言うことをきかない、悪い子たちなのでしょうか?いいえ。おとなの演劇しか体験していなかった、井上さんはまだ知らなかったのです。子どもは、ことばで言っても、理解できない生きものである、ということを。(爆)発達心理学的には、論理的思考ができる、(つまり、抽象的思考を、 自分の頭で考えて理解できる)のは、10歳を超えたあたりからだそうです。代わりに、どうやって理解するかというと、からだの感覚で受け止めるのです。つまり、子どもたちは、井上さんの真剣な態度に、反応していたのです。その真剣さを、そのまま、再現していただけなのです。その意味で、子どもたちは、「わかって」いたのです。(^○^)だからこそ、迷いなく、「はいっ!」とこたえていたのです♪ああ、なんて、まじめな、いい子たちなんでしょう♪♪♪あれから、8年。(2009年現在)「だめだし」の時間。もはや、井上さんは、ことばで、子どもたちにわからせようとはしません。伝えたいときは、みずから、からだを使って表現します。そこに必要な感情を、まさに感情をこめて伝えます。すると、着実に、次の稽古が変わっていきます。からだで伝えること。感情で伝えること。それが、子どもたちにとっての「ことば」なのです。子どもが言うことを聴かないと、なげくおとなのなかには、このことを理解していないひとが、けっこうたくさんいます。それは、らくだにむかって、「コケコッコー」と話しかけているようなものなんです。 意味不明のたとえという ツッコミは却下!(^^ゞ通じません!(爆)「いえ、うちの子は、 説明すればわかります」というひともいますが、たいていの場合、子どもは、「こう言われたときに、 こう反応すると、 お母さん(おとな)は、 ごきげんになる」ということを学習しているに過ぎないのです。(あちゃー)どうぞ、子どもに、何かを教えたいと思ったならば、ことばではなく、態度で、表現してあげてください。感情をしっかり使って、伝えてあげてください。子どもは、まねしなさいと言わなくても、まねします。それが、子どもというものなのです。子どものことばなのです。ちなみに、私の体験では、からだと感情を使う伝えかたは、中学生くらいになっても有効です。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2060号(2009年6月19日発行)より●追記私自身は、2011年をもって、この子どもたちのミュージカルの活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 ★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪支配される必要はないのです。あるひとと、話をしていたときに、たまたま「解離性同一性障害」のことが、話題になりました。以前はしばしば、「多重人格」という呼びかたをされていた症状のことです。自分でありながら、自分とはまったくちがう人格があらわれてきてしまう…。そのことにたいして、「つまり、私たちは、 どんな自分にもなれる ということなんですね」と、相手のかたは言ったのです。この病気をおもちのかたにとっては、それは本当に大変なことであると、わかりつつも、私は、そのとき、思わず、こころのなかで、「なるほど!」と、叫んでしまっていたのです。あくまでも、病気の問題とは切り離して、考えてみると、私たちは、いっこの固定した性格だけをもって生きているわけではありません。ふだん気の弱いひとが、あらゆる場面において、気が弱いかというと、そうでもなかったりします。ふだんおおざっぱなひとが、びっくりするくらい繊細な面を見せることもあります。その意味では、私たちは、あらゆる可変性(このことば、最近気に入ってます♪)を、自分のなかに秘めているといっていいのです。実際、演劇をやるときには、この感覚を、無意識的に使っているのかもしれません。私たちは、本来の自分らしい自分と感じる性格や感覚をもっています。でも、それだけが自分ではないということを、ちょっと受け入れてみてもいい、と思うのです。そして、ときと場合によって、それを活用してみたらいいと思うのです。このことのひとつの助けとして、「アニマル・レッスン」という演劇の手法があります。本格的なアニマル・レッスンは、それなりの時間を要するものですが、ここでは、それを軽く応用してみましょう。ある種の動物を思い浮かべるとき、その動物によって、それぞれに、ことなるイメージが浮かぶと思います。たとえば、りすと言われて思い浮かぶイメージと、ライオンといわれて浮かぶイメージはちがいますよね?同じ状況におかれたときも、りすのタイプのひとと、ライオンのタイプのひとは、きっと対応もちがうでしょう。この感覚を、意識的に使ってみるということなのです。あなたが、もしも、いつも、自分の気持ちをひとに伝えられないとしたら…。意見が対立しそうになると、逃げてしまうというようなパターンをもっているとしたら…。そのとき、自分のなかで、いつもの自分とはちがうタイプの動物を思い浮かべてみるのです。そして、その動物の感覚で、相手に向き合ってみるのです。いつもなら、引っこんでしまうひとが、そのときにかぎって、言い返せたりするかもしれません。いつもなら、相手にたいして、攻撃的に出ていたひとが、ひと呼吸置いて、待つことができるかもしれません。私たちは、どんな性格や、気質をもっていようとも、そこに支配される必要はないのです。自分のありようはありようとして、受け入れつつ、でもそうではない自分も、ときと場合によって、使いこなしてみてもいい、ということなのです。もちろん、練習は必要ですよ。でも、どんなことでも、トライしたぶんだけ、自分のものにすることができます。まずは、自分の内がわには、無限の可変性と、可能性があることをみとめてみましょう。そして、その、どれを使ってもいいのだということを、自分自身に伝えてあげましょう。ゆっくり、ゆっくりでいいです。チャンスあるごとに、それを、使ってあげるんです。あなたが、あなたの人生をより快適に生きるために、ね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2059号(2009年6月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪マイナスとは受け止めません。最近、会うひとに、しばしば言われることばがあります。ひとつは、比較的最近出会ったひとたちから。「(話を聴いていると) 短いセミナーでも受けたような 気持ちになりましたよ」えええー?! 私、なんか、えらそーなこと、言ったのか?!…と、最初のうちはどぎまぎしましたが、このごろは、ひらきなおって受け止めることにしています。昔から、「年の功より、かめの功」ということばもありますしね♪(ないって!)もうひとつは、古くからの友人にいわれることなのですが。「ドリプラ2008 http://s-url.jp?43801 に参加してから、 さらにパワーアップしたねえ」こちらも、えええー?!です。パワーアップだなんて…。せっかく、「かわいい女」になろうとしてるのに!!(爆) 詳しくは、こちらを参照♪ http://s-url.jp?43799でも、二つのことを振り返って、思ったことがあります。ひとは、どこまでも変化していける生きものなんだなと。二つとも、本当に、最近、言われるようになったので、よけい、象徴的に感じたのです。そして、この二つのことばを手がかりに、自分自身をあらためて検証してみたのです。そして、気づきました。もしも、この数年をかけて、私が一番変わった点をあげるとするならば…それは…それは……自分の欠点を見なくなったことです。(爆)それって自己中やんかあああ!…というツッコミは、ひとまず却下して。(^^ゞでも、本当にそうなんです。たとえば、何かミスをしたり、やりとげようとしたことが、できなかったりしたとします。以前の私であれば、そこで、自分を責めていました。そして、落ちこんでいました。でも、それって、客観的に見ると、何のメリットもないことだと思うんです。自分を責めても、事態は変わりません。むしろ、行動力が落ちて、かえってマイナスです。落ちこんでいる時間があったら、外に出て、ごみひろいのひとつでもしたほうが、よっぽど社会のためになります。自分を責めても、落ちこんでも、誰のためにもならないのです。何よりも、自分の人生の時間にたいして、申しわけないのです。いろいろな学びを経て、私は、生きかたを変えました。どんな事態におちいっても、自分を責めるのをやめました。そして、少なくとも、そこにトライした自分をみとめることから、はじめました。やったことのなかで、どんなにちいさなことでもいいから、できたことを、ほめました。ひとりでは、うまくいかないときは、がんばらずに、友だちに助けをもとめました。愚痴を聴いてもらったり、ほめてもらったりなど、サポートをしてもらうようにしたのです。すると、当たり前ですが、元気が回復してきます。自然と、問題に対処するエネルギーも湧いてきます。気持ちも冷静になって前にうまくいかなかったことにたいしても、対応策を見つけることができるようになりました。たくさんの「へこみ体験」が、結果的に、私に、語るだけの何かを身につけさせてくれたのかもしれません。それが、前者の「セミナー」発言につながるようになったのかもしれません。ドリプラ2008 http://s-url.jp?43801への参加は、夢を実現するための決意と意志を、私に確認させてくれました。問題が起きても、そこであきらめない強さを、私にあたえてくれました。でも、それもまた、豊富な(笑)「へこみ体験」があったからこその、結果ではないかと感じています。いまでも、問題は、てんこもりにありますが、だからこそ、やりたいことへの気持ちも高まります。するすると解決してしまうことなんて、夢にも何にもなりませんものね♪これも、ドリプラ効果です。(笑)いま、私は、マイナスをマイナスとは受け止めません。それは、より高みにいたるためのプロセスなのです。それをひとつ超えるたびに、自分自身がみがかれます。同時に、誰かをサポートするためのノウハウを身につけている、とさえ言えるのです。こんなことでは、私、ますますパワーアップしつづけてしまいます。(爆)かわいい女には、いつになったらなれるんでしょう♪あ、それが、人生最大の壁…だったりするのかも!(^^ゞ(きゃー)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2058号(2009年6月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪けっ!お上品ではないことばでいきなりすみません。m(__)mでも、本当にそう思ってしまうことがあるんですよ。たとえば、小学校などで「みんな仲良く」なんて目標が貼ってあったりすると。「けっ!」思わず、そう言いたくなってしまうんです。(^^ゞなぜって、それってたいてい、おとながつくった目標か、おとなが誘導して、子どもに書かせた目標ですよね。そのくせ、この目標を、本当に守れるおとななんて、存在するんでしょうか?自分ができもしないことを、子どもに押しつけちゃいけません。あえて押しつけるときには、みずから範を示すべきです。めちゃくちゃカゲキに書き出してしまいましたが。これ、ものすごく重要なことなんです。子どもは、おとなのことばで育つのではないからです。子どもは、おとなのすることを見て、学習するのです。だから、実際に仲良くできて、幸せに生きているおとなを見るとき、子どもは、そのことばを納得して受け入れ、自分もそうありたいと、自然に行動するようになります。でも、そう言っているおとなが、誰かといがみあっていたり、陰で悪口を言っていたりすると、子どもは、まちがいなく混乱します。まるで、これはみかんだよと教えられていたものが、店先で、くらげといって、売られているようなものです。「みんな仲良しって、 ああいうことを言うの?」子どもが、そんなふうに認識してしまったら、おとなの責任重大です!では、「仲よくすることを教えなくてもいいのか」というツッコミがきそうですが。はい、いいのです。だって、仲良くしたいひととは、別に、四の五のいわなくたって、ちゃんと仲良くできますもの。大切なことは、意見や行動に共感できないひと、あるいは、あからさまにぶつかってしまうひとと、どうかかわるか。そんなときに、こころを隠して、表面だけ仲良くしているように見せかけることは、詐欺にひとしいので、やめましょう。では、どうすればいいのか?おとなが、ちゃんと向き合う姿を見せてあげればいいんですよ。世の中には、仲良くかかわれるひとと、あまり仲良くは、かかわれないひとがいる。でも、そうであっても、お互いをお互いに尊重できるし、わかりあう工夫もできる。そのことを、具体的に示してあげればいいのです。そのためのひとつの方法が、「けんか」です。言っておきますが、相手の言うことを無視して、一方的に自分の主張だけするのは、けんかとは言いませんよ。それは、ただの暴力です。相手に、自分の思いを、しっかりとぶつけるのです。そして、相手の思いを、がっぷりと受け止めるのです。そう。まるごとの自分とまるごとの相手との強烈なコミュニケーション。そのやりとりこそを本当の「けんか」というのです。本当の「けんか」ができたとき、本当の「仲直り」が成り立ちます。…これ、わかりますか?言い換えれば、徹底的に、ちゃんと「けんか」をしていないから、いつまでたっても「仲直り」もできないんですよ。そして、本当の「仲直り」が成り立つと、その瞬間に、大親友になっちゃうかもしれません。(笑)そのとき、ひとは、「仲良くする」のではなく、「仲良くなる」のです。そしてね。子どもたちは、本来、けんかの天才であり、仲直りの天才なんです。さっきまでけんかしていた相手と、手をつないで遊んでいるなんて、日常茶飯事です。おとなが教えるまでもなく、ちゃんと知っているのです。だからね。「みんな仲良く」なんて目標は、とっととはずして、「しっかりけんか」に貼り替えちゃったほうがいいくらいなんですよ。そして、おとなのあなたも、どうぞ、しっかりけんかして、しっかり仲直りしてくださいね。そのほうが、よっぽど子どものためになりますから♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2057号(2009年6月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪宇宙抱っここのところ、何かと追われることがおおく、気持ちがちょっとがさがさしているなあ。めずらしく、腰に痛みが出ているなあ。 私の場合、無理をすると、 腰の痛みというサインを からだがくれます。そんなことを感じていたので、ひさしぶりに、瞑想をやってみました。瞑想CDの誘導を使って、自分のイメージのなかに、どんどん入っていきます。最初にやってきたのが、無限の宇宙でした。なぜか、色が反転していて、真っ白ななかに、ぽつぽつと、黒く、星のありかが見えます。ただ、ただ、無限に、真っ白な宇宙。その広がりのなかに、私は、まゆに包まれたさなぎのようなかっこうで、ただよっているのでした。「宇宙抱っこ」そんなことばが浮かびました。真っ白な真っ白な光に抱っこされて、たっぷりただよってから、地球にもどってきました。次のシーンは、森でした。朝もやに包まれた草原がどこまでもどこまでも、広がっていました。遠くに村は見えるのに、不思議と、ひとの気配はなくて、ただただ静寂だけがあり、まるで、透明な森の妖精のように、私は、森のなかに溶けこんでいるのです。今度は、気がつくと、ひろびろとした、流氷原の上にいました。私は、鷲でした。ぎろりとしたまなこと、黒くておおきな翼。、太くて曲がった爪で、しっかりと、海のなかの岩に止まっていました。飛び立つと、翼がゆったりと風をはらみ、凛とした清涼な空気が、からだのまわりを流れていくのがわかりました。流氷原の向こうは、白くかすみ、その果てに、空と水平線とが、ひとつに溶けていました。その真っ白な海の上を、私は、悠々と、気持ちよく、どこまでも飛んでいくのです。どこにいても、おおきな存在が、私を包んでいるのがわかりました。どんなときでも、私は、宇宙に抱っこされているのです。今回の瞑想をつらぬいていたのは、「白」でした。それが、何を意味するのかは、わかりません。原点にもどれ、ということでしょうか。おそれずに、まっさらなこころで生きよというメッセージでしょうか。いずれにしても、こわばりがちだったからだは、ゆったりとほぐれ、こころは、おだやかな状態をとりもどしていました。さて。こんなまったく個人的な体験が、あなたにとって、何か意味があるかどうかはわかりませんが。それでも、もしも、つたえられることばがあるとするのなら…。私たちは、すべて、宇宙に抱っこされる存在です。だれひとり、この宇宙のふところの外に、放り出されてはいないのです。どんなに孤独に感じるときも、宇宙は、いつでもあなたを抱っこしています。誰も、自分を受け入れてくれないように感じるときも、宇宙は、おおきくおおきく、あなたを抱っこしているのです。そのことを、思い出してもらえたら、うれしいです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2056号(2009年6月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪意識を脱ぎ捨てて昨日、道を歩いていたら、ふっと、こんなことばが、自分の口からこぼれました。「意識のなかにいるのは、 きゅうくつだなあ」はい?…と思わず、聴き返してしまいました。次の瞬間、ああそういうことかと、わかって、笑ってしまいました。私たちは、いつでも「こうあらねばならぬ」という思いこみをもっています。この思いこみのおかげで、私たちは、現在の発展をとげることもできたわけです。「かくありたい」状態に向かって、努力することができるのが、人間ですから。でも、その意識は、同時に自分をしばりもします。「かくあれない」自分が、まるで本当の自分ではないように感じてしまうのです。「かくありたい」と努力しているときも、「かくあれない」と苦しんでいるときも、意識と格闘していることに、変わりはありません。いい・悪いは関係なしにね。でも、私たちは、どんな状態であっても、自分自身であることに、変わりはないのです。私たちは、生まれてから死ぬまで、自分自身以外になることはできないのです。そして、この自分自身は、つねに、無限の可変性をもった存在なのです。 いつもであれば、 「無限の可能性」と 書くところなのですが、 今日はなぜか 「可変性」ということばが 出てきましたので、 そのまま書くことにします。「生きている」私たちにとって必要なことは、この自分が、自分自身に、OKをあげることだけです。どんな状況にあっても、どんな事態においても、どんな事情をもっていても、自分にOKを出した瞬間に、私たちは、自分の生きている意味、自分の役割を受け入れたことになるのです。あえて「生きている」と書いたのは、これは、自分が生きているあいだにしかできないことだからです。自分が死んだあとで、他人がいくら自分を評価し、みとめたとしても、何の意味もないことだからです。私たちは、いま、この瞬間に、完全にも不完全にもなることかできます。私たちは、いま、この瞬間に、幸福にも不幸にもなることができます。意識と、どう向き合うかによって。「意識のなかにいるのは、 きゅうくつだなあ」一体、私のなかの誰がそんなことを言ったのかはわかりませんが、(笑)まさにそのとおりなのです。私たちは、人間という存在を生きるために、便利だから意識を使っているに過ぎないのです。だとしたら、その意識に、しばられる必要はないのです。意識を脱ぎ捨てて、無限の可変性である自分自身として、その自分を受け入れてみてください。私たちは、いまこの瞬間に、すでに完全であり、どの(意識の)自分を選択するのも自由であることがわかるでしょう。そのことを知って、どうぞ、自分の役割を選んでください。もちろん、選ばないこともまた、選択のひとつです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2055号(2009年6月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪自分の役割私は、自分でもびっくりするくらい、衣食住に関心がありません。部屋は、殺風景だし、(装飾物に興味がないのです)服は、同じものを着ていても全然平気だし、食にいたっては、胃に入っていればいいという…。(^^ゞ あ、アルコールだけは、 ちょっとうるさいかも。(笑)これは、いまにはじまったことではなく、子どものころから、そうなのです。服は、高校を卒業するまで、母が買ってくれたものを、文句も言わずに着ていました。髪も、中学1年まで、近所の床屋さんで、刈り上げ!でした。 さすがにまずいと思った 母が、美容院に変えました。(^^ゞでも、自分を卑下しているわけではありません。自分が脚本でかかわっている舞台の公演のときなどは、思いきり派手な衣装とメークで、受付にいるのが好きです。どんなふうにすると、きれいに見えるかも、知っています。ただ、そのために、自分の人生の時間を使うことに、興味がないだけなのです。それ以外に、やりたいことと、人生でやるべきと、自分が決めていることがありますから。それを最優先にやることが、この人生における、自分の役割なのだと思っているのです。こんなことを書くと、とても傲慢に聴こえるかもしれません。でも、私は、衣食住の価値が、それに比べて、低いと言いたいわけではないのです。ひとによって、その自分の役割のためには、手放さなければならないものがあることを、感じているだけなのです。そして、それがなんであれ、ひとには、必ずそのひとなりの、役割があることに、気づいてほしいということなのです。とりわけ、自分には価値がないように感じているひと。自分は無力だと思っているひと。今日、私が伝えたいことは、ごくごくみぢかなもののなかに、あなたの役割があるかもしれないということ。それがどんなにささやかなものであっても、そこを大切にしてみてほしいということ。食事を楽しめるひとは、食にかかわるひとに貢献しています。服にこだわりをもてるひとは、服飾にかかわるひとたちに、よろこびをあたえることができます。住む場所を大切にできるひとは、建築やデザインを考えるひとたちの仕事を、支えています。それらは、日常的なことですが、日常的なことだからこそ、たくさんのひとに貢献できます。「ドラマ教育」という私の活動は、残念ながら、日本ではまだまだマイナーで、ごく一部のひとにしか、提供することができません。 「ドラマ教育」とは、演劇的 手法を使って、子どもをはじめ、 すべてのひとの、まるごとの 可能性を広げていく活動です。でも、いまはまだ、それでいいと思っています。どんな仕事にも、プロセスがありますから。このプロセスを体験していくこともまた、私の役割のひとつなのだと思っていますから。もう一度、書きます。ひとには、それぞれに、それぞれの役割があります。どうぞ、一人ひとりが、その自分の役割に気づき、大切にしてほしいと願います。一人ひとりが、自分の役割を大切にすると、それにつながるひとたちも、そのひとたちの役割を生かしていけるようになります。そうすると、私たちは、誰もが、自分の存在する意味を、肯定的に受け止められるようになります。誰もが、自分の存在意味を肯定できる社会…。考えただけで、わくわくするでしょう?そのためにこそ、どうぞ、自分の役割に気づいてください。その役割を生かすことで、ひととつながってみてください。あなたにとっても、まわりのひとにとっても、それは、神さまからあたえられた祝福なのですから。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2054号(2009年6月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪手放すためにだけ…私は、ワークショップを受けるのも好きですが、自分がやるのも大好きです。どのくらい好きかというと、お金を払ってもやりたいくらい、好きです。(笑) ちなみに、ここでいう ワークショップとは、 こころとからだを使って、 自分を表現したり、 ひととコミュニケート したりする内容のものです。なぜそれほど好きかというと、ワークは、一人ひとりの内がわのかがやきを、あますところなく引き出してくれるからです。自信のないひとも、自分を好きではないひとも、どんなひとのなかにも、まちがいなく、そのひとだけの、かがやきがあります。そして、ワークは、そのひとが意識していようがいまいが、その魅力を、勝手に引き出してしまうのです。なかでも、もっとも好きなのは、子どもたちのワークです。はじめはおずおずと遠慮がちだった子が、次第にのびのびと自分を表現しはじめます。その瞬間が、なんともいえずうれしいのです。私がかかわっている、横浜市青葉区小中高生ミュージカル(※2009年当時)などの現場でも、さまざまな子どもたちが参加してきます。そして、子どもの時代にはかならず終わりがありますから、その子たちは、いつか、「卒業」していくわけです。どんなにその時間が楽しくても、どんなに、一人ひとりの子どもを好きになっても…。それは、永遠につづく時間ではありません。だから、ワークをしているとき、私は、いつも、一期一会の気持ちで、子どもたちを見ているような気がします。そして、一期一会であるがゆえに、いつでも、その子たちにとって、最大限の体験を提供したいと、こころから思うのです。でも、これは、ワークにかぎったことではないのかもしれません。少なくとも、誰かの成長にかかわる立場にあるひとは、みんな、そうだと思うのです。親であれ、先生であれ、上司であれ…。出会って、手渡せるだけのものを手渡したら、あとは、手放していくだけなのです。だって、そこから先は、そのひとの人生ですから。そのひとの人生は、そのひとにしかつくることが、できないのですから。たとえ、足りないように見えるところがあったとしても、それは、この子たちのこれからの課題。自分で切り開いていく、未来に向けてのプレゼント。だから、何もかも、かかえこむ必要はないのです。いいえ、かかえこんではいけないのです。そのことを思うたびに、目の前の子どもたちが、いっそうかがやいて見えます。私たちに必要なことは、この子たちの、そのかがやきを、目のなかにとどめておくことだけ。そんな気持ちになるのです。そう。手放すためにだけ…、私は、いま出会っているのだ。手放すためにだけ…、私は、ここにいるのだ。手放すためにこそ…、私は、かかわっているのだ。繰り返し、自分に言い聴かせながら…。今日も、子どもたちと、出会いつづけたいと思うのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2053号(2009年6月12日発行)より●追記文中に出てくる子どもたちのミュージカル。2011年をもって、私は、この活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 ★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪あなたにできるちいさなこと。メールマガジン「今日のフォーカスチェンジ」を発行するようになってから、早いもので、5年半経ちます。1本のメルマガを書くには、早くても1時間、長いと2時間くらいはかかりますから、仮に、1時間としても、2052本×1時間=2052時間。 計算式を立てる必要あるのか?!(爆)24時間で割っても、すでに、81日ぶんに相当する時間を、このメルマガのために費やしていることになります。もちろん、基本的には自分の楽しみのためにやっているわけなのですが。それでも、発信したものに、まったくなーんにも反応がなかったとしたら、とってもサビシクなりますよね。(笑)山に向かって、「おーい」と呼んでも、こだまがかえってこないような感じです。 いや、それは別の意味で怖い!私自身も、たくさんのメルマガを読んでいますので、発行者さんの気持ちは、それなりにわかります。だから、できるだけ感想を送りたいなと考えます。とはいえ、なかなかそれだけの時間がとれないのが現状です。 何しろ、いただく感想に さえ、確実にお返事できない 状態なのです。ごめんなさい。それで、最近、もっぱら活用しているのが、ランキングボタンです。すべてのメルマガではありませんが、けっこう、ランキングボタンのことを書いてあるメルマガっておおいんです。読んで、「いいな」と思ったら、 (↑ここはポイント♪)ぽちっと、押します。1秒もかかりません。もちろん、1円もかかりません。でも、その反応は、確実に、発行者さんに伝わります。1秒もかからないことで、発行者さんをよろこばせることができるのならと思って、けっこう、まめにやってます。(笑)それで、さらにいいメッセージが発信されるようになるのなら、自分にとってもおトクですものね♪さて。本日書きたかったこと。日常のなかで、ほんのちいさな手間をかけるだけで、誰かをよろこばせたり、勇気づけたりできることって、案外たくさんあるんじゃないかな…ってことなんです。自分ひとりが、とか、一回くらいとか、と思って、やらないでしまうことって、いろいろあると思うんです。でも、そのちいさなはたらきかけが、もしかしたら、誰かを元気にするかもしれません。だとしたら、やらない手は、ないとは思いませんか?道を歩いていて、ごみを見つけたら、ひろってみるとか。電車で、席をゆずるとか。自転車が倒れていたら、起こしてあげるとか。いいえ、もっともっとささやかなことでもかまいません。コンビニやスーパーで、レジのひとに「ありがとう」と伝えること。外食をしたら、お店のひとに「ごちそうさま」「おいしかったです」と伝えること。席を立つときに、椅子をもとの位置にもどすこと。トイレを出るときに、便器のふたをしめること。なんでもいいんです。ちなみに、私がやってみて、気持ちがいいなあと感じたのは、上記のことのほかに、公共施設の玄関で、くつをそろえること、でした。これは、時間がないときには、なかなかできませんが。くつの数が少なかったり、時間があるときなどには、けっこうやるようにしています。そうすると、見た目にもすっきりするので、自分自身がいい気持ちになるのです。朝起きてから、夜眠るまでのあいだに、あなたにできるちいさなこと。今日はちょっと、振り返ってみませんか?あなた自身のこころを元気にするためにもね♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2052号(2009年6月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪攻防戦横浜市青葉区小中高生ミュージカルの活動にかかわりはじめた9年前。(※2009年当時)当初は、小学校1年生から受け入れていたこともあり、参加者は、最大で80人近くにもなりました。 現在は、小学校3年生から。そうなると、配役だけで大変です。主人公など一部の登場人物以外は、「子ども1~10」とか、「中学生1~5」なんていうふうに、つけていくことになります。子どもたちは、どんな役でも、一所懸命、演じてくれます。もちろん、こちらも、どんな役にも、必ず、光る場面、おいしい場面は用意しておくわけですが…。ところが、本番が終わって、お疲れさんの会のときの「ひとこと感想」では、「楽しかったです」「またやりたいです」ということばのあとに、こんな声が続出するのです。「次は、名前のある役が やりたいです」(笑)2007年。この年は、さまざまな事情から本公演ができず、有志による小公演がおこなわれました。最初の稽古日。前半だけ仕上がった台本をもって、稽古場に行きました。「台本、わたしまーす」というと、子どもたちが歓声をあげて集まってきます。ところが、登場人物名を見るなり、「あー、名前がない!」(爆)そうでした。時間がなくて、すべての登場人物に「子ども1~」と、番号だけふっておいたのです。子どもたちの非難がましい視線が、私に注がれます。(汗)実は、時間がなかったこともありましたが、このときは、特定の役によらず、全体で舞台を構成するイメージが私のなかにはありました。ある意味、主人公のいない、全員が主人公の劇でした。それを説明するのですが、子どもたちは納得しません。やっぱり、「名前」がほしいのです。(^^ゞそこで、後半を書き上げてもっていくときに、一計を案じました。「名前だけ」をつけたのです。名前はつけてあるけれど、劇のなかで、実際に、その名前を呼び合うことはありません。はい。ついてるだけの「名前」なのです。子どもたちは、台本を見るなり、「わー、名前がある♪」と、だまされてくれました。(笑)でも、稽古がはじまると、たちまち、見抜かれました。「名前だけだー!」(^^ゞそれでも、名前って、あるだけでも、うれしいのですね。公演が終わったあとのインタビューで、一人ひとり、「○○役の□□です」なんて、あいさつしているのですから。それにしても、こんなふうに、自分がほしいものを、しっかりと要求できる子どもたちって、すてきだなあと思うのです。これは、いわゆる、単なるわがままとはちがいます。自分の役を大切にしたいのです。大切にあつかわれたいのです。その気持ちのあらわれなのです。だから、私も、けっしてどうでもいいような役は、書かずにおこうと思います。どんなに出番が少なくても、いえ、少なければ少ないほど、その瞬間に、ちゃんと光るせりふ、印象に残る場面をつくろうと、こころをくだくのです。それも、これも、この子どもたちとの攻防戦があるから。お互いに切磋琢磨して、いいものをつくっていく同志として、向き合いつづけたい。そんな気持ちにかられずにはいられません。そして、2008年度の公演「ハヤブチノヌシ、帰るとき」。人間と、自然の生きものたちが、登場する物語です。とんぼやカエル、鳥たちなど、さまざまな生きものたちの登場する場面を、私自身、楽しみながら、書きました。実際の舞台も、歌やダンスに工夫がこらされ、子どもたちは、存分にその表現を楽しんだようです。そして、そんな、生きものたちの演技にたいして、お客さんからも、好意的な感想が寄せられました。さて。舞台が終わって、ひとりの女の子が近づいてきました。生きもの役のひとりです。「どうだった?」と聴く私に、「楽しかったです!」と満面の笑顔でこたえます。ふふふ、よかった。そう思う私の耳に、彼女の次のことばが入ってきました。「今度は、人間の役をください」(爆)…攻防戦は、まだまだつづきます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2051号(2009年6月10日発行)より●追記2011年をもって、私は、この子どもたちのミュージカルの活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 ★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪その体験と、学びとをみきちゃん(仮名)は、おとなしいけれど、そのまなざしのなかに、深い思いをたたえている。そんな感じのする子です。いつも、黙々と稽古をし、けっして、手抜きをしない誠実さをもっていました。横浜市青葉区小中高生ミュージカル有志による小公演。リハーサルも終え、あとは本番を待つだけの、2日前のことです。演出さんのもとに、一本の電話が入りました。みきちゃんの家からでした。通っている学校の運動会が、雨で順延になり、本番と重なってしまうというのです。その可能性については、実は、出演申し込みの際に、ちらっと聴いてはいました。が、最近は、そんなときも、理由を話して申告すれば、学校のほうでも配慮してくれるようになりました。だから、おおきな問題にはしていなかったのです。さっそく、連絡をとるように手配しようとすると、電話の向こうの声がくもりました。そうではなく、みきちゃんのお父さんが、「学生は、学業が優先。 学校行事のほうに出るべき」と、ゆずらないというのです。みきちゃんは、泣きました。公演時間や距離を考えると、運動会が終わってから駆けつけても、間に合わないことははっきりしていました。せっかく稽古を重ねてきたのに、出られないくやしさ。何よりも、いっしょに舞台をつくってきた仲間たちにたいする、申しわけなさ。みきちゃんのなかでは、さまざまな思いが、うずまいていたことでしょう。けれども、私たちスタッフが、家族の問題にまで踏みこむことはできません。話を聴くかぎり、お父さんの意志が固いことも伝わってきていましたから。「代役を立てよう」演出さんは、決心しました。夜のうちに電話で、依頼をまわし、すべての手はずをととのえました。「間に合ったら、もちろん、 みきちゃんにやってもらう」と、約束して。本番当日。舞台がはじまりました。私は、客席の一番うしろで、記録用のビデオカメラをまわしていました。集団演技の場面。みきちゃんの姿はありません。直前の稽古では、みきちゃんの欠けた部分を、ほかの子が、埋めるように、修正され、舞台上の違和感はありません。そして、いよいよ、みきちゃんの歌の場面。代役のさくやちゃんの姿を予想していた私は、あれっと思いました。登場してきた役者さんが、どう目をこらしても、みきちゃんに見えるのです。私は思わず、カメラをズームアップさせ、確認してしまいました。まちがいありません。みきちゃんです!みきちゃんが、間に合って、いま、舞台の上で、自分にとって、今回一番大切なシーンを演じているのです!あとで聴いたところによれば、みきちゃんが、息せき切って、舞台裏に駆けこんできたとき、舞台はすでにはじまっていました。けれども、集団演技の場面をパスして、着替えをすれば、後半のこの場面には、ぎりぎり間に合う時間だったのです。演出さんがGOを出しました。みきちゃんは、大急ぎで着替えをし、何事もなかったかのように、この場面をつとめたのです。「よかったですねえ。 よく間に合いましたねえ」しみじみと言う私に、演出さんは、「気づかないの?」というような表情を見せました。「みきちゃんの出場する競技が 終わったら、早退させて くれたんだよ」だれが?…そう、お父さんでした。お父さんが許可しなければ、運動会を抜けることだって、できなかったはずですから。直接、確認したわけではありませんが、この2日間、娘の反応を見るなかで、お父さんなりに感じる何かがあったのでしょう。その結果として「早退」という配慮をしてくれたのでしょう。だれも、まちがってはいないし、だれも、悪くはないのです。それぞれが、それぞれの信じるところにしたがって、考え、行動したのです。その結果として、みきちゃんは、自分で自分の行動を選ぶことの意味を学び、また、自分を支えてくれる仲間の存在に、あらためて気づいたことでしょう。仲間たちも、みきちゃんを支えることで、よりいっそう、きずなを深めることができたでしょう。また、どんなアクシデントにたいしても、対応していける強さやしなやかさを身につけたかもしれません。そして、みきちゃんのお父さんも…。そんな、みきちゃんと仲間たちの関係に、何かを感じてくれるにちがいない。舞台が終わり、いつもと変わらず、明るく笑いあっている子どもたちを、そしてその輪のなかに、溶けこんでいるみきちゃんを見ながら、そんな気持ちが、静かにこみあげてきたのです。舞台という、ひとつのドラマの内がわにも、外がわにも、たくさんのドラマがありました。おそらく、みきちゃんだけでなく、一人ひとりの子どもが、その胸のうちに、さまざまなドラマをかかえているでしょう。その体験と、学びとを、大切に重ねていってほしい。そっと祈らずにはいられない私なのです…。●追記2011年をもって、私は、この子どもたちのミュージカルの活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 --かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2050号(2009年6月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪たしかな成長さくやちゃん(仮名)が、はじめて、横浜市青葉区小中高生ミュージカルに参加してきたのは、小学校4年生のとき。小柄で、お人形のようにかわいらしい女の子。彼女が最初にやったのは、遊園地で、みんなとはぐれて泣く場面でした。ところが、この「泣く」が、できません。そうでなくても、小さな声しか出ないのに、「泣く」場面になると、恥ずかしくて、かたまってしまうのです。そんな彼女ですから、あまり目立つような、おおきな役はあたったことが、ありません。けれども、毎年の参加者募集には、必ず応募し、楽しそうに、稽古に参加してくるのです。そのさくやちゃんも、今年は、中学3年生です。ほかの3年生たちが、受験準備や、その他の理由で、不参加が相次ぐなか、この6月の小公演に、しっかり申しこんできました。そして、やはり、目立つ役ではないのですが、あたえられた役を楽しそうに稽古していました。ところが、本番2日前のことです。ひとりのメンバーが、突然、ある事情で、本番に参加できないかもしれない、という緊急事態が発生しました。集団演技の場面は、ほかの役の子に、せりふを割り振ることで、応急措置。が、どうしても、ある場面だけは、その役を抜きにしては、成り立ちません。せりふはなく、歌だけの場面ですが、それだけに、責任も重いのです。演出さんは、さくやちゃんに、代役を頼むことに決めました。「万が一、本役の子が、 都合がついて参加できること になったら、そのときは、 その子にやってもらうことに なるけど、それでも 引き受けてもらえるかな?」さくやちゃんは、うなずきました。歌は、練習用CDを使って、ひと晩で覚えます。実際に稽古できるのは、本番の直前、わずか1~2回のみ。立ち位置、歩きかた。指示されたことは、一度で覚えなくてはなりません。それらを、さくやちゃんは、淡々とこなしていきました。最後の確認の稽古で、舞台に立った彼女を見て、私は、こころのなかで思わず声を上げていました。「おおきくなったねえ!」いつのまにか、すらりと背が伸びて、とてもしなやかな歩きかたをするのです。あの、泣く声さえ出ずに立ち往生していた4年生のさくやちゃんのおもかげは、どこにもありませんでした。演出さんが、ほかの誰でもなく、さくやちゃんにこの代役を頼んだ意味が、ようやくわかりました。そして、本番。なんと、本役の子が、この場面の直前に間にあって、会場へと駆けつけたのです!さくやちゃんが、急きょ稽古した場面は、もともとの役の子がやることになりました。舞台は、なにごともなかったかのように幕を開け、そして無事に終了しました。最後のミーティングのとき、演出さんが言いました。「こころよく、せりふを 分けもってくれた子たち、 ありがとう。 そして、あの場面での役を、 ひょっとしたら、やらずに 終わるかもしれないことを 承知で、引き受けてくれた さくやちゃん、ありがとう!」みんなのあたたかい拍手が、さくやちゃんに注がれました。さくやちゃんは、ちょっと恥ずかしそうな表情で、ちいさくうなずきました。あとで、演出さんから聴きました。ある日の稽古のとき、中学生たちに、小学生たちのダンスをサポートしてほしいと頼んだこと。それを、すっとやってくれたのが、さくやちゃんだったこと。演出さんもまた、そのとき、さくやちゃんの成長を、しっかりと感じていたのです。今回の公演が終わると、ミュージカルの活動も、またひと休みになります。さくやちゃんも、受験態勢に入っていくでしょう。今年の本公演で、さくやちゃんの顔を見ることは、残念ながらできないでしょう。それでも、今回の公演をとおして、さくやちゃんが教えてくれたことを、私はきっと忘れないでしょう。ひとは、必ず、そのひとのなかで、たしかな成長を重ねているのだということ。たとえそれが、外がわには目立つものでなくても、私たちは、けっして、それを、見落としてはならないということ。ああ、本当に、子どもたちは、私にとって「先生」です。今回も、そのことをあらためて教えられました。さくやちゃん。来年、もしも帰ってきてくれたなら、きっと、またひとまわり成長したあなたに、出会うことができるのでしょう。そのときが、とてもとても楽しみです!●追記2011年をもって、私は、この子どもたちのミュージカルの活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 --かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2049号(2009年6月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪その尊厳とともに「コンタクト」という映画があります。(1997年/ロパート・ゼメキス監督)「宇宙の声」にしたがって、送られた設計図を組み立て、一人乗りのポッドに乗りこみ、一瞬にして時空を超えたどり着いた先で、至高体験をするのですが、地球で観察していたがわからは、主人公の乗ったポッドは、宇宙には飛ばず、発射に失敗して水中に落ちたとしか見えず、また、録画・録音の記録が残っていなかったことから、彼女の体験は、ただの幻想として否定されます。裁定の場でうったえる主人公のせりふが、ずしんと胸にひびきます。たとえすべてが幻想であったとしても、この体験によって、自分は変わったと…。揺るがない真理が、彼女のなかに宿ったことを、切々と語るのです。 いいシーンなので、 チャンスがあったら、 ぜひ観てくださいね♪現実において、私たちは、しばしば、それが「正しい」か「正しくないか」をよりどころに、ものごとを判断しようとします。そして、「正しくない」と判断されたものは、その結果さえも、かえりみられることがありません。けれども、ちょっと考えてみてください。私たちが、「正しい」と思いこんでいること。それは、これまでのいわゆる「科学」という手法によって、たまたま証明された事実に過ぎなかったりするのです。そして、科学は、つねに過去の証明を塗り替えて、発展してきたのです。だとしたら、本当の「正しさ」って、どこにあるのでしょうか。もっと単純に、考えてみましょう。たとえば、ある朝、突然、自分の耳が、犬と同じ能力をもつ耳になってしまっていたら?あるいは、同じく、突然、自分の目が、みつばちと同じ目になっていたら?私たちは、一瞬、自分の耳や目が、おかしくなってしまったと感じるでしょう。でも、犬やみつばちにとっては、それは当たり前の世界なのです。 ちなみに、みつばちは、 花の蜜の部分だけが、 ちがう色に見えるそうです。ほんの少し、立場や状況を変えただけで、何が本当なのか、正しいのかなんて、簡単に揺らいでしまうものなのです。だとしたら、私たちが本当に大切にすべきは、この自分自身の感覚しかないのではありませんか?自分自身の感覚で体験し、受け取ったことだけが、ある意味、「真実」なのではないでしょうか?私自身、とても空想癖の強い子どもでした。私の語ることは、しばしば、空想として、ときにはうそとして片づけられました。それでも、私は、まちがいなく、自分だけの世界を見ていたのです。風と遊び、光と遊び、無限の世界とつながっていた、あの体験が、いまの私をつくっているのです。どうぞ、もっと、自分自身の感覚を信じてください。それを「正しい」「正しくない」のフィルターに振り分けるのではなく、ただ純粋に、体験として、受け入れてみてください。私たちは、正しさのために生きているのではありません。この五感を使い、こころとからだを使って、受け止めることのできる世界すべてが、私たちが生きることにつながるのです。生きることのゆたかさに、つながるのです。今日は、あなたの内なる真実にフォーカスします。あなたが、あなた自身の感覚をまるごと受け入れ、そこから無限の可能性と、無限の学びを、引き出すことができますように。そのとき、あなたは、あなたのなかに、宇宙があることを知るでしょう。宇宙の永遠とともにあることを知るでしょう。その尊厳とともに、どうぞ、生きてください。その尊厳を、すべてのひととわかちあってください。私の、こころからの願いです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2048号(2009年6月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪一番ちいさな単位から世の中では、おおくのひとが、「成功すること」とは、たくさんのお金を得ることであったり、地位や名誉を得ることだと、考えているようです。あるいは、有名になることや、有名なひとたちと仕事をすることが、成功だと考えているようにも感じられます。私の生きかたの基本は、「何でもあり」「どっちでもいい」ですから、もちろん、それを否定する気持ちはありません。そして、どんなかたちであれ、そのひとが、そのひとらしく、幸福に生きていけるといいなあ、と思っています。そして、そのためにこそ、思うことがあります。どんなときでも、そのひとの「原点」を大切にしてほしいなあ、と。そんなことを思ったのも、マザー・テレサのこのことばを思い出したからです。(「世界平和のために、何を したらいいのか」と聞かれて)「帰って、家族を 大切にしてあげてください」ときどき聴くことがあります。平和の活動をしているひとが、実は、隣の家のかたと、境界線争いをしていた…、あるいは、家庭のなかはばらばらだった…、など。そのかたの仕事が、どんなにすばらしくても、それは、どこか、ちがうのではないかと、感じてしまうのです。一番ちいさな単位のことを、大切にできないひとが、おおきなことを、本当になしとげることができるでしょうか。一番ちいさな単位のことのなかにこそ、そのひとの原点があるのだと。マザー・テレサは、そのように言いたかったのではないかと感じてならないのです。私は、演劇的スキルを、教育のなかに生かすことで、子どもたちが、生き生きと自分らしく生きられることを応援したいと思っています。そのための活動をすることが、私のライフワークであり、そのためのネットワークづくりや、人材育成なども、おこないたいと、思っています。そして、実際、少しずつですが、それらにかかわる仕事をはじめてもいます。実は、それらの仕事が拡大しはじめていた時期、私は、12年半つとめた、中学校演劇部の外部指導員の活動をやめたのです。私が積み上げてきたスキルを、もっとたくさんのひとと共有していくためには、もっと外に出て、仕事をする必要があると感じたからです。それから、2年あまりが経ちました。うれしいことに、活動は、徐々にですが、広がりを見せはじめています。まったく知らない団体から、講師の依頼を受けることも増えてきました。でも、同時に、おもしろいことにも気がつきました。8年前からかかわっている横浜市青葉区小中高生ミュージカル(※2011年にて活動を離れました)など、地域の活動へのかかわりもまた、以前に増して、強くなっているのです。もっとおおきな仕事のために、中学校演劇部の活動を離れたはずだったのに…。ああ、ここに、「原点」があるんだな…と思いました。一般のひとたちに、演劇的スキルを用いた自己表現やコミュニケーションの方法を伝えることも、より多くのワークショップリーダーを育てることも…、それら、すべての根っこは…。いま、こうして、はじめて演劇にふれる子どもたち、はじめて、演劇をとおして、自分を表現することや、ひととつながることを体験していく子どもたち。この子たちからはじまっていくのです。この子たちが、受け止められないものを、誰に理解してもらうことができるでしょうか。何も知らないという、一番ピュアな、原点にいる子どもたちこそが、私にとっての、一番の「先生」でもあるのです。この子たちと深い結びつくことこそが、私にとってのライフワークを実現することに、つながっていくです。「帰って、家族を 大切にしてあげてください」マザーのことばが、あらためて胸にひびきます。子どもたちこそが、私にとっての「原点」でした。自分にとって、一番高い目標を達成するためにこそ、一番みぢかな、一番ちいさな単位の仕事を、大切にしていこうと、こころから思いました。その気持ちを、一生忘れずにもち続けようと、決意することができました。あなたの「原点」は何ですか?その「原点」を、大切にしていますか?あなたが幸福に生きるための、手がかりが、そこにあります。マザーのことばとともに、どうぞ、もう一度、見直してみてくださいね。あなたの仕事が、あなたの生きかたが、あなた自身を幸福にし、そして、あなたとかかわるすべてのひとを、幸福にしてくれることを、こころから願います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2047号(2009年6月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪チャンスがあるだけなのです。かめおかが脚本担当でかかわっている、横浜市青葉区小中高生ミュージカルでは、公演(稽古)期間以外の時期、不定期の自主ワークショップを開催しています。(※2009年当時)ミュージカルに出演する子も、歌やダンスをちょっとだけ体験してみたい子も、気軽に参加できる会です。あるとき、ひとりの女の子が、「ミュージカルに出たいんです!」と、やる気満々の目をかがやかせて入ってきました。名前を、さちえちゃん(仮名)としておきましょう。さちえちゃんは、持ち前の明るさで、みるみるうちに、みんなのなかに溶けこみ、また、歌もダンスも、ぐんぐん上達していきました。ところが、まもなく、公演の稽古がはじまるというころ。さちえちゃんが、困ったような顔で聴いてきたのです。「稽古、何回くらいまでなら、 休んでも平気ですか?」わけを聴いてみると、以前から参加している、ある団体(演劇以外)の発表会が、こちらの公演の一週間後に決まってしまったそうなのです。そちらは、小学生だけが参加できる団体なので、6年生のさちえちゃんにとっては、そのときが最後の発表会となります。しかも、何年もやってきたさちえちゃんは、その団体のなかの、グループリーダー的存在なのです。ずっとずっとやりたくて、待って待ちつづけたミュージカルの公演。「絶対に出たい! でも…」調整をつづければつづけるほど、そちらの責任者のかたの反応が、きびしくなるようなのです。ワークショップのたびに相談に来る、さちえちゃんの目に、涙が浮かんでいることが、何度もありました。私も、演出家の先生も、意見は一致していました。「最終的には、 さちえちゃんの気持ちを 尊重するよ。 稽古が重なったときには、 休むのもしかたない。 それでも出たいなら、 出番は少なくなるけれど、 歌の部分だけでも、 いっしょにやれるように 配慮するよ」けれども、責任者のかたがつける条件は、さらにきびしくなりました。とうとう最後は、こんなふうに言ったそうなのです。「こちらの稽古を一回も 休まないのであれば、 ミュージカルに出てもいい」それは…、さすがに、無理な条件でした。さちえちゃんは、これ以上、見ひらけないというほど、おおきな目で私を見て、言いました。「今回は、ミュージカル、 …あきらめます」それは、その団体のグループリーダー的存在として、がんばってきたさちえちゃんの、誠意であり、責任感のあらわれなのだと思います。「わかった。さちえちゃんが、 自分で決めたのなら、いいよ。 精一杯、いい発表にしてね。 そして、次の機会には、 いっしょにやろうね!」こころのなかでは、私も涙があふれそうになりながら、そう言って、さちえちゃんを送り出しました。誰が悪いのでもありません。思いと思いが、つながらないことは、あるものなのです。そして、そのたびに、何かを選び、何かを決め、超えていくチャンスがあるだけなのです。ミュージカルの稽古の数か月、私は、それでも、ときどき、さちえちゃんの、いつもの元気な笑顔を、稽古場のどこかに探してしまうのでした。そのくらい、さちえちゃんがいることが、私のなかでは、当たり前になっていましたから。そして、ミュージカルの公演が終わり、ふたたび、ワークショップの期間に入ったときです。「おはようございます!」ドアを開けて、元気よくさちえちゃんが入ってきました!「終わったのね? どうだった?」「はい。無事に成功しました!」その表情は、以前よりひとまわり明るくかがやいているように見えました。自分の責任を、精一杯果たしたという気持ちが、そこにはあったのかもしれません。これでよかったのだと、こころのなかで思いました。もちろん、次の舞台では、満面の笑顔で歌い踊る、さちえちゃんの姿があったことは、言うまでもありません。そして、これは、ミュージカルにかかわって、私が体験した、数々のドラマのひとつに過ぎません。子どもって、すごい!そんな体験をさせてくれる、この活動が、ますます大好きになってしまう、私なのです。●追記2011年をもって、私は、この子どもたちのミュージカルの活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 --かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2046号(2009年6月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪やめるときもう、2000本以上書いている(2009年6月時点)この「今日のフォーカスチェンジ」ですが、いつのころから、決めていることがあります。「書くことがなくなったら、 やめよう」ということです。朝、目が覚めると、次の瞬間にすることは、パソコンのスイッチを入れることです。 私には、「まどろみ」という 感覚がありませんから、 目が覚めたら、すぐに 行動を起こしてしまいます。そして、メールマガジン「今日のフォーカスチェンジ」を発行するのが、私の朝一番の仕事なのです。仕事といっても、別に、原稿料をもらっているわけではありませんし、(笑)もとより、誰かに頼まれたわけでもありません。よもやこんなに長くつづくとは、自分自身思いもせず、気がついたら、まるで顔を洗うように、歯を磨くように、習慣になってしまっていました。それでも、いえ、だからこそかもしれません。いつのころから、思うようになったのです。「惰性で書くくらいなら、 書かないほうがいい。 自分の人生の時間を、 こうして使っているのだから、 一本一本に、思いをこめよう。 もう書くことはないと思ったら、 その瞬間にやめよう」この感覚は、実は、ずっと昔からもっているものです。何のために、それをやるのか。それが自分をつき動かしているのだから、それがなくなったら、つづける意味がないのです。そういえば、高校時代に参加していた演劇のサークルは、地域の高校生を中心につくられた自主組織でした。まさに、誰に頼まれたわけでもなく、自分たちがやりたくてつくったサークルです。それでも、毎年、新しいメンバーが入ってきます。新しいメンバーにとっては、そのサークルがあることは、既成の事実です。だからこそ、毎年、年度のはじめに、確認したのでした。「私たちは、何のために このサークルをやるのか」「自分(あなた)は、 ここで、何をしたいのか」そして、そのときも、決めていたのです。「それが見えなくなったら、 サークルを解散しよう」と。「やめるとき」を決める。それは、ある意味、覚悟のいることです。でも、だからこそ、毎日、一瞬、一瞬、本気で向かい合うことができます。「やめるとき」と、「何のために」は、セットだと思います。この「何のために」は、「自分にとって」です。「自分にとって」を意識することは、ときに、きついこともあります。私たちは、社会のなかで生きているわけで、、自分の思うとおりにならないことはたくさんありますから。でも、それでも、「だからこそ」なのだと思います。どんなときにも、「自分がどうありたいか」を、忘れないこと。その一点に照らして、自分の行動を選ぶこと。そうすれば、紆余曲折しても、まわり道しても、(ん? 同じ意味?)(笑)必ず、自分の生きたい道にもどってくることができます。たとえ思うようにならないことが多くとも、そのなかで、自分にとってのベストを探しつづけることができます。「やめるとき」どんなことでもかまいません。あなたも、ためしに決めてみませんか?決めた瞬間から、そのこととの、向き合いかたが変わります。向き合いかたが変わると、たぶん、人生が変わります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2045号(2009年6月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪そのおおもとがわかれば地域や子どものミュージカルにかかわっている私ですが、実は、ダンスが踊れません。(笑)うまい・下手ではなく、それ以前に、まず、ステップが覚えられません。歌も歌えません。というか、まず、楽譜が読めません。(笑)では、踊ること、歌うことがきらいかというと、実は、そうではありません。たとえば、道を歩いていて、風を感じると、からだが、自然に動き出しています。また、気がつくと、よく、はなうたを歌っています。鳥のさえずり、光のさざめき、川のうねり、草のそよぎ。あらゆるものが、私を、表現へといざなうのです。あるとき、私は、気づきました。太古の昔には、きっと、ステップはなかったよね、と。太古の昔には、楽譜も、ドレミの音階もなかったよね、と。ただ、世界から発せられる、さまざまな音、光、におい…、それら五感を刺激するあらゆるものに反応して、自然に声を出していったら、それが歌になり、自然にからだを動かしていたら、それが踊りになった…。それを、仲間とともにひとつのものにしていくとき、みんながわかりあえる共通の音階を見つけたり、共通の動きのパターンをつくりだしていった。それを、後世の私たちは、そのまま受け取っているのだと。(何しろ、最初から考えなくて すむので、便利ですからね)(^^ゞもしかしたら、あらゆる学びの原点が、そうなのかもしれません。あのちんぷんかんぷんだった数学の公式も、みんながひとつの原理を理解するために楽ちんだから、編み出されてきたものなのかもしれません。だとしたら、そこに、点数をつけること自体が、本当は、おかしなことなのかもしれません。大切なことは、なぜ、それを知る必要があるのか。なぜ、そうしたことがそこに存在するのか。そのおおもとがわかれば、あとは、それをどうするかは、一人ひとりのありように、まかされるべきものだからです。考えてみるまでもなく、自然は、もともとそうなっているのです。水は、自分がどの方向に流れるかで、悩んだりはしません。ただ、流れるままに流れるだけです。猫は、一日の睡眠時間が長いとか短いとかなんて、いちいち考えません。ただ、眠りたいだけ眠るだけです。自分を苦しめていたのは、そこに、評価を下す存在があったためでした。それはたいていは、社会を含む周囲のおとなでしたけれども、でも、本当は、その評価を受け入れる自分が、自分を一番苦しめていたのです。そのことに気づいたときから、私は、ほとんどの束縛から解き放たれました。点数や評価や他人の判断に、振り回されなくなったのです。もちろん、点数も評価も、他人の判断も、変わらずに存在しつづけます。でも、その点数や評価は、私の価値を決めるものではありません。ほかのひとが何を決めても、それはそのひとの価値判断、基準に過ぎず、私自身が生きることとは、イコールにならないのです。風のまま、光のままに踊るとき、私は、たとえようのない解放感に満たされます。音程を定めずに、声をどこまでも延ばしていくとき、私は、世界が無限に広がっていくのを感じます。いつでも、そこにかえっていけばいいのです。そこが、原点なのです。もしも、あなたが、自分を表現することが得意ではないと感じていたり、他のひとと同じことができないと感じているとしたら。どうぞ、思い出してください。本来、すべてのことに、評価は存在しませんでした。あなたが、ただ、あなたのままでいることが、世界のすべてでした。もう一度、そこからはじめればいいだけなのです。いつでも、そこからはじめればいいだけなのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2044号(2009年6月3日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪愛の時間をじゃましないで!私は、早起きです。たいてい、3時から4時のあいだに起きます。しかも、目覚まし時計を使わずに、時間が来ると、ほぼ自動的に起きます。家族全員が、早起き(4~6時)だったので、それが当たり前だとずっと思っていました。なので、おとなになって、朝、起きられないひとがいることを知ったときには、実は、驚愕しました。(笑)私は、睡眠時間は、そのひとそのひとによって、一番いいパターンがあると思っているので、必ずしも早起きを推奨するわけではありません。ただ、毎朝、毎朝、家族または目覚まし時計のお世話になって、なおも、なかなか起きられないことをぼやいているひとには、こう言うことにしています。「それって、時間のむだだよ」…スミマセン。「起きられないんだから、 しょうがないでしょ!」という抗議の声が、即座に聴こえてきました。(爆)でもね。今日はあえて言います。やっぱり、それって、もったいないです!朝起きられないことがもったいないのではなく、朝の貴重なスタートを、「自分の意に反したこと」からはじめてしまうということにたいしてなんです。 はじめがかんじん、ということばがあるくらいです。もちろん、人生は、いつだってやり直しはきくのですが、何も、それをわざわざ、毎日体験する必要はないと思うんですよ。(爆)「わかってるってば!」と、またまた抗議の声が殺到していますが、(笑)ひとは、本当に「わかったら」、変わるのです。「わかる」という字は、「分」…刀で、二つに切るという字です。刀で切り分けてしまったら、もう、もとにはもどれません。本当にわかったら、起きられるはずなんです。さて。抗議のメールで、メールボックスがパンクしないうちに(笑)、今日の結論をお話ししてしまいますね。あなたが、どうしても、朝起きられないというのなら、ずばり! あなたは、本当は、「朝寝」を愛しているのです。そうです。あなたは、毎朝、「朝寝」という、最愛のパートナーとともに時間を過ごしているのです。有限の人生という時間を、毎朝、愛する存在とともにいられるなんて、最高に幸福なことではありませんか!まずは、そのことに気がついてほしいんです。あなたは、愛する存在にたいして誠実でいなくてはなりません。執拗な家族の声だの、複数の目覚まし時計の時間差攻撃などに、貴重な愛の時間をじゃまさせてはいけません!いますぐ、きっぱりと、家族に宣言しましょう。「愛の時間をじゃましないで!」目覚まし時計は、すべて、たたきこわすか、○フオクに出品するか、必要なひとに、ゆずってあげてしまいましょう。そして、こころゆくまで、あなたの愛のパートナー、「朝寝」とともにいる時間を味わい尽くすのです!「でも、学校が…」「会社が…」まだ言っているのですか!もしも、今日、この世が終わるとしたならば、私たちは、きっと、最愛の存在とともにいたいと願うはずですよ。そのときに、あなたは、会社を選びますか?学校を選びますか?あなたの魂の深いところの声にしたがいなさい!本日のメッセージはここでおしまいです。…。…。…。(^^ゞで、終わりにすると、ミモフタモナイので、ひとことだけ補足しましょう。愛しあうもの同士が、末永くうまくやっていく方法です。あなたがこれまで、「朝寝」と別れることができずにきたのは、実は、家族の声や目覚まし時計という、愛の障害があったからこそなのです。何しろ、毎朝毎朝、泣く泣く、別れさせられてきたのですからね。でも、そこは、やはり他者のちからですから、それなりの不快感もともないます。ですから今度は、その障害を、自分自身がつくりだすのです。ふとんに横たわったまま、そっと、やさしく、「朝寝」にささやくのです。「愛してるよ、ハニー。 でも、行かなくちゃならない。 どんなに離れていても、 おまえを愛しているよ。 つらいだろうけど、明日の 朝には、またきっと会える。 だから、ハニー、 しばしのお別れだ」(ちゅー)そして、そっとふとんから起き上がるのです。愛するものと引き裂かれるかなしみと、翌朝にはまた会えるというよろこびは、あなたのこころに、熱いほのおをともすでしょう。それは、あなたに、まちがいなく、その日一日のエネルギーをもたらすでしょう。ちなみに、多くのひとが、朝起きられないのは、「朝寝」のもつ「まどろみ」の魅力のせいだといいます。実は、私が、朝、すぐに起きられてしまうのは、その「まどろみ」がないせいなのです。何しろ、朝、起きた瞬間には、100%覚醒しているので、そのまま黙って、ふとんに横になっているというのは、無意味以外のなにものでもありません。ほとんど、拷問にひとしいです。(爆)だから、とっとと起きて、その日の活動をスタートさせてしまうのです。まあ、そんなさびしい人生もあるわけですから、(笑)あなたの愛の時間と、愛のパートナーを、どうぞ、大切にしてあげてくださいね。私たちは、自分の生きるどんな時間も、そまつにあつかってはいけないのです。その第一歩を、ぜひ、朝の時間からはじめてください。パートナーのいない私としては、指をくわえて、応援します。(爆)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2043号(2009年6月2日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪わなっ!私たちは、本来、誰ひとりとして、不幸になりたい、自分のことを否定的にあつかいたいと思ってはいないでしょう。けれども、まわりを見渡してみると、そのような状況でこころを痛めているひとが、とてもおおいのです。なぜ、自分を否定的にあつかってしまうのか。生きてくる過程のなかで、いつのまにか、そのように思わされてしまったのです。自分でも気づかぬうちに、それが真実であるかのように、思いこんでしまったのです。誰に?ときには、家族やまわりのひとに。ときには、社会のきまりとか常識などと呼ばれるもののために。あるいは、ごくかぎられた集団の、、そこでしか通用しないような、あやまった価値基準のもとで。今日は、ストレートに、このメッセージを、あなたにお伝えしたいと思います。それは、まちがいなのです、と。あなたは、自分のことを、おとしめてはいけない。あなたは、あなただけの尊厳をもって生まれてきたのです。あなたの尊厳は、誰にも汚すことはできないのです。ただ、そのことを、あなたが気づいていないだけです。いえ、魂の深いところでは、本当はわかっているけれど、あなたの表層の意識が、だまされているために、それを見失っているのです。ええ。そうです。だまされているのです。あなたは、本当は、輝く魅力をもって生まれてきたのです。あなたは、あなただけがもっているその魅力を、もっと輝かせていいのです。そのためにも、気づかなければなりません。あなたの尊厳をおとしめるすべてのものは、わなであるということに。ええ。わな、なのです。あなたが、あなたの尊厳と魅力に気づいてしまうと、困るひとびとがいるのです。あなたをコントロールして、あなたを言いなりにしておきたいと思っているひとびと。あるいは、そのひとたち自身、何らかのかたよった価値基準を、思いこまされている場合も少なくないのですが…。だから、あなたから、断ち切ってあげるのです。それが、わなであることに気づいて、決別するのです。あなたをおとしめるもの。あなたのこころをくじくもの。あなたの存在を、取るに足らないものと思わせるもの。それらにたいして、毅然として言ってあげてください。「それは、わなです!」いいえ、そんな生やさしい言いかたでは、まだまだ甘くみられます。(^^ゞここは、よりパワフルに、ストレートにいきましょう。「わなっ!」そのひとことでいいのです。そのひとことで、あなたをおびやかす存在を、撃退してしまいましょう。大切なのは、あなたがそのわなに気づくこと。気づいて、決別すること。どうぞ、姿勢を正して、しっかりと、まわりを見わたしてください。もう二度と、あなた本来でないものによって、だまされてはいけません。そして、すべてのわなを終わらせてあげるために。だまされない感性を、しっかり身につけてください。あなたが、あなたを生きるために。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2042号(2009年6月1日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪無力な自分だからこそ子どものころ、私は、ひとに頼るのが苦手でした。こころのどこかで、ひとと自分のあいだに、見えない壁を感じていたせいかもしれません。表面的にはうまくいっていても、私のこころのなかには、いつも怖れがありました。「ちゃんとできる自分」でないと、受け入れられない。なぜだか、そんなふうに、決めつけていたのです。それは、おとなになってもつづきました。ひとの二倍も三倍もの仕事をして、それでも、充分だと感じることができませんでした。まだ、足りない。受け入れてもらうためには、まだまだ足りない…。そんな強迫観念が、私をせきたてました。そして、いつも疲れ果て、ひと知れず落ちこんだり、無言で、その場を離れてしまったりしたのでした。いま、思うと、私は、不完全な自分にたいして、強烈なバッテンをつけていたのだと思います。もとより、完璧になどできるはずがないのに、完璧でなければ、みとめてはもらえないと、勝手に自分を追いつめていたのです。いま、思い返しても、つらく苦しい時期でした。暗いトンネルを、ひとりで歩いているようなものでした。結局のところ、そんな自分を解放してくれたのは、演劇でかかわった仲間たちだったような気がします。ぼろぼろになって、もう、これ以上、どうすることもできないと、倒れた私に、「そのほうが、あなたらしいよ」「いまのほうが、ずっと、 みぢかに感じるよ」そんなふうに、声をかけてくれた仲間たち。はじめは、信じられませんでした。どうして、こんな私でOKなの?なぜ、いまの私のほうが、私らしいって感じられるの?それまでの自分の苦しみは何だったのかと。一瞬、裏切られた気持ちさえしたものでした。それから、まだしばらくはまわり道をしましたが、ゆっくりゆっくりと、私は、自分を受け入れる歩みをつづけてきました。自分を受け入れることができるようになるにしたがい、私は、ひとに頼ることができるようになりました。無力な自分でいい。無力な自分だからこそ、ひとに頼ることをとおして、ひととつながることができる。ひとは、頼られることをとおして、誰かの役に立つよろこびを感じることができる。そして、それはお互いさま。私が誰かに頼るように、私も、必要なときには、誰かの助けになればいい。それだって、同じ内容のことが相手にたいしてできるわけではないのだから、誰かに何かをしてあげたことが、また、誰かの役に立って、その誰かが、また誰かに何かをしてあげたことが、誰かのよろこびになって…。そんなふうに、おおきなところで、つながって、OKになると思っていればいい。いま、私は、深く呼吸しながら、しみじみと思っています。「助けて」って言える自分が、好きだなあって。無力さを受け入れたからこそ、もたらされた、ギフト。だとしたら、無力さもまた、マイナスなんかじゃない。おおきなところで、つながっていくための、プロセスの、ひとつ…。どうぞ、あなたの無力さを、受け入れてあげてください。そっとやさしく、愛してあげてください。それは、あなたが、誰かとつながり、誰かによろこびをもららすための、すてきなギフト(才能)にほかならないのですから…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2041号(2009年5月31日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪反応癖ひとは誰でも、「反応癖」をもっています。たとえば、話をしていて、ことばに詰まったときに、「えーと」「あのー」と言ってしまう、なんてのは、わかりやすい例です。台所のすみなどで、あのかたに遭遇して、(笑)思わずかたまるひと(私)と、瞬時に戦闘態勢に入るひと。これも、一種の反応癖です。と、このあたりまではわかりやすいのですが、ひととの関係においても、反応癖は隠されています。そして、おおくのひとは、自分の反応癖に気づかず、「これは、誰でも同じこと」と、考えてしまいがちです。あるいは、相手または自分に問題があると、勝手に決めつけてしまいます。反応癖は、私たちが生きていく上で、都合がいいと判断したからこそ、身についてきたものです。たとえば、子どものころに、親にがみがみ叱られたとき、言い返して、もっと叱られてしまったとしたら、じっと黙っているのが得策だと、考えるようになるかもしれません。すると、のちのち、この癖(パターン)は、同じような場面に遭遇すると、相手が親でなくても、自動的に出てくるようになります。高圧的な上司を前にすると、思わずかたまってしまう、というふうにね。そして、「こんな上司にどなられたら、かたまってしまうのが当然」と考えます。ところが、まわりを見ると、そんな高圧的な上司にもかかわらず、平気で談笑している同僚がいたりします。あなたは、当然、そこに納得がいきませんから、「あの同僚は、上司に えこひいきされているんだ」と、決めつけたりします。(笑)あるいは、自分だけが冷遇されていると、決めつけます。もちろん、実際に、えこひいきや冷遇という場合も、あるかもしれませんが。おおくの場合は、自分の反応癖で、同じパターンを引き寄せてしまうケースが、おおいということなのです。これを書いていて思い出したのが、子どものころのできごとです。片づけをしなかったりして、妹と私は、しばしば、母に叱られたものですが、妹は、実に要領がいいのです。何かの口実をもうけて、さっと、その場からいなくなってしまうのです。(驚)かたや、私は、母が指摘をしているあいだは、その場にかたまって動けません。動いてはいけないと、勝手に思いこんでいたのです。あるとき、母が言いました。「あんたがそこにいるから、 いつまでも叱っていなければ ならないでしょ!」(爆)そのときは、なんじゃそりゃあと思いましたが、いまになると、母の気持ちがよくわかります。母のなかでは、最初の瞬間こそ、怒りがあったかもしれませんが、話しているうちに、それは、さっさと完了していたのです。ところが、目の前に「叱られつづけること」を選択している私がいるものですから、方向転換ができなかったのですね。(笑)その意味で、妹のとった態度は、賢明だったというわけです。こころの仕組みがわかるようになるにつれて、この子ども時代の体験は、私に、いいヒントをくれました。自分にとって好ましくないパターンにはまりそうになるとき、それを、しなくてもいいという選択を、自分にあたえることができるようになったのです。つまり、自分の反応癖に気づき、変更することができたのです。たとえば、こんなふうに。私は、イメージのなかで、母のこころのなかに入ります。すでに怒りは終息しているのに、目の前には、神妙に頭をたれている、子ども時代の私がいます。母は、あわてています。この場を終わらせる方法がわからず、困っています。途方に暮れています。そのようすは、なんだかとてもかわいらしいのです。だって、数えてみたら、母は、まだそのころ、30代そこそこでしたものね。親として、わからないことがあって、当然だったのです。イメージのなかで、私は、子ども時代の私のがわに行き、母に、笑いかけました。母も、ほっとして笑いました。それで完了でした。私は、私のやりかたで、パターンを終わらせることができたのです。あなたの日常を振り返って、これはどうしようもないこと、と思いこんでいることはありませんか?そこには、もしかしたら、あなたの反応癖が、隠されているかもしれませんよ。反応は、結局のところ、過去の反復にすぎません。あなたは、過去ではなく、いまを生きているのですから、いくらでも、それを変えることができるのです。そのために必要なことは、まずは、自分が、どんな反応癖をもっているかに、気づくことです。気づいたら、どんな自分でいることが、好ましいかを選択することです。最初は、できるだけちいさなことからね。あせらずに、ゆっくり、ゆっくりとね。ちなみに、私は、冒頭に例としてあげた、「えーと」「あのー」の口ぐせも、あのかた(笑)と出会ったときの反応も、変えることができましたよ。(^^ゞ あのかたのほうは、 まだちょっとだけ かたまりますが。(笑)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2040号(2009年5月30日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪目覚ましチャイム「腑に落ちる」ということばがあります。演劇の指導をしていると、このことが、実によくわかるのです。役者さんの演技にたいして、さまざまな指摘をすると、「はい、わかりました」と返事がきます。で、実際にやってもらうと、「わかっているかいないか」が、歴然とわかります。(^^ゞ演劇を体験したことのないひとにとって、演技とは、しばしば、「ふりをすること」と同じ意味に使われるようです。でも、実際はちがいます。役者さんは、いつでも、その瞬間、瞬間に、その役として、その感情をしっかりと感じています。その人物として、こころが動き、そして、行動しています。役の気持ちがわかっていないときの動きは、まるで説得力がありません。いかにそれらしく演じてみせても、ちっともこころにひびいてこないのです。ところが、ひとたび、その感情、その感覚が、役者さんのなかで、ぴたっと落ち着き場所を見つけると、まさに劇的な変化が起こります。表情がまったくちがってきます。動きも、当然、変わります。技術的な洗練は、もちろん課題としてありますが、少なくとも、ここからがお芝居としての出発点なのです。「腑に落ちる」と、考える必要がなくなります。というか、考えているあいだは、「腑に落ちて」いないのです。まるで、禅問答ですね。(笑)実際、いくら考えても、わからないときには、その人物に似たひとを観察するのが一番です。観察して、そのまま動きをまねてみるのです。動きをまねすると、その動きに見合った、こころが生まれます。本当に観察するのは、実は、その部分です。ああ、この動きをしていると、こんなこころの状態になるんだと、からだが、気づくのです。つまり、「腑に落ちる」のです。もう、おわかりですね。こころとからだは、わかちがたく結びついています。もっと言うと、こころとからだは、別ものではないのです。その証拠に、私たちは、こころだけでは存在できないし、からだだけでも存在できません。そして、私たちは、自分の内がわに、無限の可能性をもっています。こころとからだを使うことで、自分の内がわに眠っているさまざまな自分を引き出します。ええ。もともと、それは、自分のなかにあって、たまたま使われずに待機しているだけなのです。役者の仕事は、その眠っている部分を揺り動かすことです。だから、自分とはちがう(と感じるような)人物でも、演じることができるのです。さらに言うと、この感覚は、さまざまな体験をしてきたひとほど、活用が可能です。いわば、たくさんの目覚ましチャイムをもっているようなものですから。失敗を怖れて行動しないひとは、体験を積むことができません。すると、鳴らせるチャイムの数が、減ってしまいます。かぎられた部分の可能性しか、呼び起こせないことになります。だから、体験すること、つまり、行動する必要があるのです。どんな体験も、否定しなければ(受け入れるならば)、それは、あなた自身の糧となります。やがて、あなたがあなた自身の可能性をひらいていくときに、きっとちからになってくれます。怖れる必要はありません。こころとからだまるごとで、体験していってください。もともとすべて、あなたのなかにあるのですからね!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2039号(2009年5月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪「今日のフォーカスチェンジ」の書きかた「今日のフォーカスチェンジ」という名前でメルマガをはじめて、約5年半になります。(2009年5月時点)もう、2000本以上の原稿を書いてきました。(2009年5月時点)当然ながら、玉石混淆。さくさく書ける日もあれば、やたらと時間のかかる日もあります。でも、書いているうちに、だんだん気がついてきたことが、ありました。それは、誰のためにメッセージを書いているかということ。はっきり言って、全部、自分のためなんですね。自分で体験して、気がついたことを、忘れないため。忘れていたことを、思い出すため。ただ、何年も書いているうちに、ときどき、自分でもなぜこんなメッセージを書いたんだろうと思うときがあります。もちろん自分で書いてはいるのですが、読み返すと、「へえー、こんなことを考えているんだ」なんて新鮮に思えたりするのです。文体も、いつになく断定口調になっていたり、物語ふうになっていたりすることもあります。それで、そんなときは、ちょっと茶化して、「降りてきた」系と呼ぶことにしています。もちろん、私はチャネラーさんでもなんでもありませんので、それが、本当は、自分の深いところからやってきているのだろうとは思っているのです。でも、それでもちょっと不思議な気持ちになるときは、あるのですけど。そんなふうにして書いたメッセージを、こうして、日々のメルマガに載せているのです。たまたま同じ気持ちのひとが、共感してくれれば、それはとてもうれしいです。何かのヒントになったり、勇気をだすきっかけになれたりしたら、もっともっとうれしいです。でも、あくまでも、基本は自分のため。押しつけるつもりもないし、これが正しいと主張するつもりもありません。当たり前ですけれども、すべてのひとに、共感してもらえるメッセージなんてありません。そして、それでいいんだと思っています。だから、今日のは自分には合わないなあと思ったら、スルーしちゃってかまわないのです。もう、読まなくても、ヒントは充分に得られたと思ったら、卒業してもかまわないのです。そんなふうに、すべては、受け取ってくださるあなたにゆだねることにしています。さまざまな読者さんがいらして、このメルマガを、自分のこころの調子のバロメーターにされているかたもいらっしゃいます。すっと入ってくるときは、比較的調子のいいとき、入ってこないときは、自分のなかに、何か引っかかるものをかかえているときなのだそうです。常連のかたのなかには、おみくじ読みといって、その日その日のメッセージではなく、ぱっと直感で選んだ日のものを読むひともいるそうです。気持ちの転換をしたいときだけ、ひらくのだけれど、いつもそのときどきにぴったりのメッセージになっていると言ってくださるかたもいらっしゃいます。いずれにしても、自分のためにはじめたことが、誰かのお役に立てるなら、私にとっては、それで充分に幸いなことなのです。さまざまな感想をいただき、一つひとつに感謝しながら、今日も、自分流のメッセージを書き綴っていこうと思います。以上。かめわざ流「今日のフォーカスチェンジ」の書きかたでした♪あなたへのこころからの感謝をこめて。今日も、読んでくださってありがとう!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2038号(2009年5月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪真実だけを見てください。私たちが、この地上で生きていくためには、「かたちとして ちがいを確認できるもの」である必要がありました。分離のない世界では、自他を区別することができなかったからです。けれども、この自他を異なるかたちにしたときから、私たちの苦しみもはじまったのかもしれません…。誰かに怒りを感じるとき、その底には、相手とつながりあえないかなしみがあります。怒りは、かなしみが姿を変えたかたちです。かなしみの底には、つながりたいという愛があります。かなしみもまた、愛が姿を変えたかたちです。悪意と呼ばれる感情の底には怖れ、または失意があります。100%まるごと自分を受け入れてくれる存在にたいして、ひとは、悪意はいだきませんから。自分の思いどおりにならなかったり、自分を攻撃されたと感じるとき、 たとえそれがどれほど エゴに満ちたものであれ。ひとは、自分をおびやかす(と感じる)相手にたいして、復讐を仕掛けます。すると、相手は、自分が攻撃されたと感じ、応戦します。そして、互いの正義を主張するたたかいがはじまります…。私たちは、知らなくてはなりません。目の前にあらわれること・ものは、すべて、現象に過ぎないということを。それは、水に映る月を見るに等しいのです。いくら水に手をかけても、月をすくうことはできません。現象に、目をうばわれているかぎり、私たちは、いつまでたっても、その本質にたどり着くことはできないのです。すべて、この世の目に見えるものは、目に見えないものの写し絵です。すべてのかたちあるものは、すべてのかたちなきものの象徴として存在します。私たちにできることは、現象を現象としてとらえ、その底に隠されたもの、真実の姿を見抜くことです。では、その真実の姿とは何なのか。私たちは、もともと、分離した、ばらばらの存在ではありません。おおきなつながりのなかの、ひとつの存在なのです。だから、一見、他者を傷つけているように見えることであっても、結局は、自分を傷つける結果になるのです。それは、いま、地球の置かれている状況を見ればあきらかです。空はどこまでも途切れなくつづき、海の水もすべてつながっています。右の手で捨てたものは、いつか、左の手が拾うことになるのです。おおきな流れのなかで、私たちは、ひとつであるということが、本当にわかったなら…、もはや、自分を傷つける必要も、他人を傷つける必要もないことがわかります。自らの本質が愛であることを受け入れ、ただ、愛のままにふるまえばいいことを知るのです。ただし。私たちがそのことを真に学ばないかぎり、現象は、かたちを変えて、繰り返し、私たちの目の前にあらわれつづけるでしょう。私たちが、すべてほろびてしまうまで…。あなたの目の前にあらわれる現象を見てください。現象に振り回されず、現象に解釈をほどこさず、その現象の底に隠された、真実だけを見てください。そこに、こたえがあります…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2037号(2009年5月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪何の問題もないのです。突然ですが、好きなひとに告白するときって、どきどきしますよね?ことわられたらどうしよう?顔も見たくないなんて、言われたら、どうしよう?明日から顔を合わせるのが恥ずかしい!!…なんて。 え? いまどきコクる くらいで、そんなに パニクるひとはいない? …失礼シマシタ。(^^ゞそれでも、やっぱり、当たり前ではない、特別な行動だと思うんです。だからこそ、必要になるのが、「勇気」です。そして、この勇気を必要としている場は、ほかにもあります。そう、それが、「受け取らない」ことなんです。ひとの頼みをことわれないひとは、大勢います。(私も、かつてそうでした)そのひとは、やさしさにあふれているからこそ、そうなってしまうのですが、あえてきびしい表現をすると、「いいひとでいたい」枠を抜け出せないひとである場合が少なくありません。ことわらないことは、一見、美徳のように見えますが、ひとつには、自分の人生のなかで、本当に大切なことは何かを見失ってしまう危険性があります。また、安易に引き受けることで、相手を依存させてしまい、相手の自立を妨げてしまう可能性をもはらんでいます。相手にきらわれたくないために、いやなことも引き受けるのは、相手にとっても、自分にとっても、マイナスの結果をまねくことになりかねないのです。だから、本当の「いいひと」は、相手の魂の成長を願うきびしさも、もちあわせていなければなりません。たとえきらわれてもいいから、言うべきことをきちんと言う。それもまた、勇気なのです。いつも書いているように、どんなことも、練習なのです。一度に、完全をめざしてはいけません。まずはちいさな、それほど波風立たないことからこっそり練習してみるのです。同じことわるにしても、渋い顔をするよりは、にっこり笑って、気持ちを伝えてみてはどうですか?そういえば、セールスの電話をことわるとき、明るくさわやかに、きっぱりと、「ありがとうございます。 でも…」と言うようにしたら、相手も、快く電話を切ってくれるケースが増えました。遠まわしにすればするほど、相手はいらぬ期待をいだきます。感情はポジティブに、事実は、はっきりと。このほうが、お互いに、すっきりすると思いませんか?これでも、「でも…」と悩んでしまうかたには、「段階的おことわり方法」をオススメします。まずは、いったん、きっぱり、おことわりをするのです。それから、つづけて、「でも、この部分については、 やってもかまいません」と、お引き受けするのです。そうすれば、あなたも、相手に少しは貢献できますし、相手も、自分でなんとかする気持ちになるかもしれません。そして、このお引き受けするパーセンテージを、徐々に減らしていけばいいのです。あら、なんだか、赤ちゃんの離乳食と似てますね。(笑)大丈夫。きちんとことわって、相手が引き下がるのであれば、それは、最初から、あなたが引き受けなくてもいいことだったかもしれないのです。何の問題もないのです。本当に、相手にとって、あなたのサポートが必要なときは、ことわっても、絶対にあきらめませんよ。(笑)そのときは、大変でも、覚悟して引き受けましょう。それもまた、もうひとつの勇気なのだと思いますから。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2036号(2009年5月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪ちょっとずつの正義「ふはははは。この俺さまが、 地球を征服し、すべてを 思いどおりにしてやるのだ」「おおお、さすが総督さま。 この世に、悪の栄えあれ!」…などという場面は、ひょっとしたら、アニメでは存在するかもしれませんが、 会話がベタというツッコミ は、却下します!日常生活では、あらかじめ、悪意をもって何かしようとするひとは、いません。たぶん。こんなことを書くと、「じゃあ、他国を侵略して、 無実の民を殺戮している 某国はどうなんだ」とか、「振り込め詐欺はどうなんだ」などと、反論がくることが予想されます。はい、悪意はありません。ただ、前者は、自分だけが正しいという、かたよった価値観をもっているだけであり、後者は、世の中は、だまされるがわに非があるのだという、やはりかたよった価値観をもっているだけです。あるいは、ともに、そうしないと、自分は生き残れないという恐怖が、根底にあるのかもしれません。直接お話しして、たしかめたわけではありませんが…。ひとは、自分が、正しい道からはずれているとは思いたくない生きものなのです。だから、何かするときに、自分は正しいのだという定義づけをしたがるのです。だって、マスコミがそういうふうに言っているから。だって、政府が決めたから。だって、常識がそうだから。だって、世間体がゆるさないから。だって、みんながやっているから。…そんなふうにね。常識がそうだから、みんながやっているから、絶対的に正しい…とは言えないことは、歴史から学べるはずなのに。私たちは、相も変わらず、トイレットペーバーを買い占めたり、お米を買い占めたり、マスクを買い占めたり…をやってしまうようです。そのために、困るひとたちから見たら、私たちは、まさに「悪意のあるひと」なのにね。「買い遅れるほうが悪いのよ」ひょっとしたら、そう言いたくなるかもしれませんが、でも、それって、なんだか、振り込め詐欺さんの、「だまされるほうが…」と、そっくりですよね?(^^ゞ今日のメッセージが、もしも、批判的に聴こえたらごめんなさい。私たちの内がわに、もともと悪意が存在しないように、すべてのひとのなかにも、純粋な悪意は存在しないということ。他者にたいして恐怖や脅威を感じたときに、自分の存在を守りたいと考え、そのために、自分を正当化してしまいやすいということ。このことに気づいているかどうかが大切だということを、お伝えしたかったのです。真の正義というものなど、存在しません。ひとの数だけ、正義が存在するのです。真の悪意というものも、存在しません。それを悪意だと定義する相手が存在するだけです。だから、私たちは、自分は正しいことをしていると感じたときには、それを少しだけうたがったほうがいいのです。そして、自分を批判している声にも、少しだけ耳をかたむけたほうがいいのです。あくまでも、少しだけ、ね。何を決め、どう生きるかは、結局、自分次第なのですから。それでも、私たちが、それぞれのもつ正義を、ちょっとずつみとめあい、ちょっとずつゆるしあい、ちょっとずつわかちあえたなら、世界は、とてつもなく変わっていくような気がします。すべてのひとが、お互いのちょっとずつの正義にOKをあげることができたなら、ひとりとして、悪人が存在せず、ひとりとして、正義の味方も存在しない世界が出現します。そのときには、悪のヒーローが大活躍するアニメがヒットするかもしれませんね。見たことのないものくらい、興味深いものはありませんから♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2035号(2009年5月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪受け取らないレッスン日本人は、和を尊ぶ民族だといわれています。それはとてもすてきな感覚だと思います。ただ、まわりを見ていると、ときどき、そこにひずみが出てくるケースもあるような感じがします。全体の輪を尊重するあまり、自分があとまわしになってしまうのです。あとまわしだけなら、まだあとから回復できるけれど、自分を抑えたままになってしまうことも、しばしばあるように思います。すると、こころは、行き場をうしなって、どんどん苦しくなります。なぜ、自分がこんな思いをしなければならないのだと、怒りを感じるひともいます。あるいは、こんなことになってしまうのは、自分に問題があるからだと、自分を責めるひともいます。どちらの場合も、そのひとのこころは、閉ざされます。それが嵩じていくと、こころやからだの症状となってあらわれてきます。あのとき、たったひとこと、「ノー」といえばいいだけだったのに。自分の気持ちを、はっきり伝えればよかったのに。そんなふうに思ってみても、どうにもならないところまで、こころもからだも、追いつめられてしまうのです。もしも、そんな状態に、こころあたりがあるのなら、今日からはじめませんか?「受け取らないレッスン」悪気をもっているひとは、誰ひとりとしていません。みんな、よかれと思って、生きているのです。その自分の「正義」に照らして、ひととかかわっているのです。でも、私たちは、ひとのこころを、すみずみまで、読むことはできません。相手が、それを押しつけてくる(ように感じる」としたら、相手は、あなたの気持ちをわかっていません。わかっていない相手には、きちんと伝えてあげるのが、本当のコミュニケーションなのだと思うのです。勇気はいります。相手を傷つけないだろうか。相手を怒らせないだろうか。悪く思われないだろうか。今後に影響しないだろうか。さまざまな思いが湧いてきます。でも、あなたが、自分自身を本当に大切にしたいと思うなら。自分の内がわに、うそをつくことを苦しいと思うなら。学ばなくてはなりません。「受け取らないレッスン」を。大切なことは、「事柄」をことわるのであって、相手の「存在」を拒否するのではないということです。だから、まちがっても、相手の人格を否定するような表現を使ってはいけません。それこそ、相手を傷つけます。関係を、こわしてしまいます。むずかしい、と感じるひとが、多いでしょうね。それだけ、あなたのなかには、優しさに満ちた和の精神があふれているということなのだと思いますよ。それでも、私たちが、本当に自分自身を大切にするために。ひいては、すべてのひとのありようを尊重するために。まず、自分自身からはじめなくてはなりません。ゆっくりと、ゆっくりと。できるところからでいいから。どうぞ、はじめてください。「受け取らないレッスン」を。私たちが、お互いに、お互いのありようをみとめあうことができたなら、そのときこそ、そこに、真の「和」が、生まれるでしょう。あなたの勇気が必要なのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2034号(2009年5月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪何を手わたしたいのか私たちは、生まれ、そして、いつか死にます。生まれかたにも、死にかたにもさまざまあるけれども、とにかく、それだけは、共通しています。生まれるとき、そうだったように、死ぬときもまた、私たちは、何ひとつ、もつことはできません。その昔、自分の死と道連れに、何千何万の奴隷や家畜をともに埋葬した、かの国の王は、常世の国で、自分がたったひとりでたたずんでいることを、知ったでしょう。所有とは、生きているあいだだけの、幻想なのです。所有を否定しているのでは、ありません。生きているあいだには、生きているあいだにしか、できないことがあります。所有しているからこそ、できることがあります。それは、「あたえること」。あなたのもっているものを、誰かに、手わたすこと。もちろん、それは、物質とはかぎりません。いずれにしても、何かを手に入れるということは、何かを、手ばなすことでもあるのです。どのみち最後には手ばなすことになっているのなら、誰かのよろこびになったほうが、いいとは思いませんか?そして、もしも私たちが、この世に生きたあかしをのこしていけるとしたら、それよりほかにない、という気がするのです。何を手わたしていくのかという、ただそれだけのこと。どうぞ、今日は少しだけ時間をとって、考えてみてください。あなたは、生まれて、生きて、そして、何を手わたしていきたいのか…と。そして、もしも、この問いを自分に投げかけたとき、「自分は何ももってない」「自分にはあたえられるもの は、何もない」と感じてしまうひとがいるとしたら、もうひとつの問いを、投げかけてみたいのです。あなたは、生まれて、生きて、そして、何を受け取りましたか…と。この世に生まれて、生きた無数のひとびとが、生きたあかしとして、のこしてきたもの…。もしも、誰ひとりとして、受け取ってくれるひとがいないならば、どんなにかさびしいことでしょう。あなたが受け取ること。その瞬間、それは、そのひとのよろこびに変わるのです。 たとえ直接会うことが ないとしてもね。そのとき、あなたもまた、受け取ることのよろこびを知るでしょう。あたえることは受け取ること。受け取ることはあたえること。この宇宙の真理のなかで、生かされているよろこびを、知るでしょう。そうしたら、どうぞ、もう一度、最初の問いに立ち返ってください。あなたは、何を手わたしたいのですか?何を手わたすために、この世にやってきたのですか?もう迷う必要はありません。受け取った、それを、ただ、差し出すだけでいいのです。けれども、実は、すでに受け取った瞬間に、それは、あなただけのギフトに変わっているのです。あなたにしか手わたせない、あなただからこそ手わたせる何かに…ね。今日のメッセージは、ちょっと抽象的だったかもしれません。でも、よかったら、こころのどこかに、止めておいていただけるとうれしいです。私たちは、受け取るために、この世にやってきました。私たちは、手わたすために、この世にやってきました。そして、いままさに、どのように受け取るか、どのように手わたすかを、学んでいる最中なのです。この宇宙のレッスンを、どうぞ楽しんでください。生きているからこそ、できるお楽しみです♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2033号(2009年5月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.27
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★今日のフォーカスチェンジ♪かめわざ流セミナー活用法自分で言っちゃいますが、私は、セミナーおたくです。(笑)これまで、かなり広範囲のセミナーやワークショップを受けてきました。いまでも、月に数回は、何らかのセミナーを受講します。それは、ひとつには、「知らないことはおもしろい」と感じてしまう、私のお子ちゃま体質にあります。(^^ゞだから、自分の専門分野以外の、関係なさそうなところにも、いろいろ参加しています。新しい講師の名前、新しいセミナーの名前を見ると、一度は行ってみたいと、うずうずしてしまいます♪セミナーに行くと、たいていは、メモをとります。これは、ほとんどのひともすることだと思います。ただし、私の場合は、ときどき、そのメモの内容が、ほかのひとと、たぶん、ちょっとちがっています。というのも、これだけ多くのセミナーに参加していると、まったく新しい内容というのは、そうそうないんです。ある程度は、どこかで聴いたことと同じなんです。だから、内容についていちいちすべてメモをとることは、ほとんどしません。 ひとつには、そのセミナーの組み立てを見るんです。どんな話からはじめて、どこで話を変えるのか。どんなタイミングで、具体例を出すのか、テーマを繰り出すのか。あるいは、間をとるのか。質問を入れるのか。実習を入れてみるのか。それを、時間軸に沿って、見ていくんです。そうすると、講師のかたが、何を伝えるために、どんな流れをつくっているのかが、見えてくるんです。もちろん、そのときどきの語り口調や、声の強弱も、しっかりメモってます♪感動するセミナーには、やはり、それなりの組み立てがあります。その仕掛けを学ぶことは、実に勉強になるのです。 でも、講師のかたには、 いやがられそうですね。(^^ゞ実はもうひとつ、ちがうメモのとりかたがあります。私は、脚本書きをしたり、いろいろな企画を立てたりしています。そんなとき、アイデアに詰まることがあるんです。そこで、セミナーに出かけるわけです。アイデア発想法のセミナー…ではありません。「このひとはおもしろい」と感じるセミナーに、です。それも、そのとき煮詰まっているテーマとは全然関係なくても、です。セミナーがはじまると、そのときの自分のテーマをノートに書き出します。セミナーの講師のかたのお話を聴きながら、そのテーマをじっと見ます。すると…浮かぶんです!(笑)「こんな案はどうかな」「こんなやりかたもありだ」渋滞が解消されるときのように、あたまのなかが、スムーズに動き出すんです。そこで、せっせとメモをとるんです。セミナーの内容とは全然関係なかったりするメモを。(爆)(詫)これ、どういうことかというと…。自分がいいなと感じるセミナーに参加すると、わくわくするでしょう?そうすると、脳が活性化するんですよ。それが目的で行くので、内容は、関係なくてもいいんです。(殴)え? わくわくするのが目的なら、映画や演劇のほうがいいだろうって?もちろん、そういうときもあります。でも、映画や演劇はやはりストーリーがありますので、ついつい、そちらに集中しちゃうんですね。そこへ行くと、お話中心のセミナーは、そのあたりの感覚がほどほどなので、気持ちよく、メモがとれる…というわけなんです♪だから、講師のかたがしゃべっていないときにも、モーレツにカキカキしている…なんて、アヤしい状態になることもあり…。この裏話を公開してしまうと、出入り禁止になってしまうかもしれないと、心配です。(^^ゞ でも、書いちゃう♪というわけで、かめわざ流セミナー活用法。いかがでしたでしょうか?メッセージというよりも、個人的なネタばらしになっちゃいましたが…。でも、せっかくなので、一応こじつけていうと、(こじつけかよ)せっかくの有意義なセミナーを、ただ受け身で聴くのはもったいないってことなんですよ。受講費を払ったぶん、2倍にも3倍にも活用したほうが、もとがとれるじゃありませんか♪そして、私が尊敬する講師のかたがたは、きっと、こんな受講のしかたも、きっと喜んでくれるはず。…ということにしておきましょう♪(^○^)あ、もちろん、これは、はじめてセミナーを受講するとか、あまり聴いたことはありませんというひとには、オススメいたしません。しっかり真剣に受講して、メモをとってくださいね♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2032号(2009年5月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.26
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★今日のフォーカスチェンジ♪止めているものときどき、こんなかたがいらっしゃいます。あることで、ずっと悩んでいるというのです。「何をやっても うまくいかないんです」「あれもやりました。 これもやりました。 でも、みんなだめでした」それは大変だなあと思いながら、よくよく話を聴いてみると、あれっと思うことがあります。 もちろん、すべてのかた ではありませんが。たしかに、いろいろやってはいるのです。でも、そのおおくが、ちょっとかじってみただけで判断してしまったり、やりかたが、指示されたとおりでなかったり、ときには、ちゃんとやってみる前に、自己判断してやめてしまっていたり…。その結果として、「うまくいきません」と、言っている場合が、多いような気がするのです。それって、結局、「うまくいかない」確率を、自分で高めていることになると思うんです。(^^ゞもっと言うと、「うまくいかない」ことを証明するために、あれこれやっているようにさえ、思えるのです。そんなことを書いてしまうと、「自分はこんなにも 真剣に苦しんでいるんだ。 うまくいってほしいと 思っているに 決まっているだろう!」という、抗議の声が殺到するような気がしますが…。(^^ゞでもね。ちょっとだけ気持ちをしずめて、考えてみてほしいんです。私たちが、表面の意識で、「こうなりたい」と思ってることを、無意識のレベルでは、受け入れていないことが、しばしばあるということを。自分が願っていることが、本当にそうであるかどうかは、実は、簡単にわかります。実際にかなったところを、ありありと想像してみればいいのです。頭のなかの想像だけでは足りませんよ。いま、目の前で、それが実現しているかのように、五感を使って、具体的にイメージするのです。実現した一日を、朝から夜眠るまで、一つひとつ、リアルに、想像するのです。私も、つい最近、それをやってみました。実現したらいいなあと思っていたことが、まさにいま、そこに実現したかのように、目の前に見、音に聴き、においや感触までも…。すると、どうもそれは、自分にとって、あまり居心地がよくないものであることがわかったのです。自分にとっては、まだ、受け取れる準備のできていないものだったんですね。「うまくいってほしい」その願いは、けっして、うそではないと思います。にもかかわらず、うまくいかない現実ばかりがやってくるようなら…。自分のなかに、それを止めているものがないかどうかを、確認してみてほしいのです。そう。五感を使って、想像してみるのです。そして、本当に、自分がその苦しみを終わらせたい、次のシーンに踏み出したいと、決意できていることが確信できたなら、実は、あとは、方法は、何でもいいのです。これまで、さんざん、いろいろなことをやってきているのですから、方法については、むしろエキスパートでしょう。「あれでいこう!」と、自分で決めちゃってもかまわないくらいです。(笑)決意ができたら、止めるものは何もありません。あとは、驀進あるのみです!もう一度、おさらいです。自分のなかに、変化を止めるブレーキが、隠されていないかどうかをチェックする。本当に、それを変えたいのか、いまの自分を終わらせて、次のシーンに進みたいのかを、自分に真剣に問いかける。そこに、くもりがなければ、「やる」と決意する。ちなみに、真に決意すれば、途中であきらめることは、ありえないはずですが。そこは人間ですから、くじけかかることはあるかもしれません。そんなときには、「あきらめない理由」をセットにするといいですよ。http://archive.mag2.com/0000119721/20090421090000000.html?start=20さあ、これでもう、うまくいくしかなくなってしまいましたね!報告、楽しみにしています♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2031号(2009年5月31日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪甘く、甘く、どこまでも甘く♪新婚さんのお話ではありません。(笑)スウィーツの話でもありません。私たちが、毎日を快適に過ごしていくための方法です♪これは、あくまでも私の体験からの感覚ですが、「自分にきびしいひと」ほど、自分のことを、「自分に甘い」と思っています。ええ、逆説的ですが、「私は自分に甘いんです」というひとほど、実は、自分にたいして、きびしい目を向けているんです。これ、とっても簡単な原理なんです。なぜならば、本当に自分に甘い人間は、絶対に、自分を責めませんから!(きっぱり)たとえ、予定したことが、できなくても、たとえ、うまくいかないことがあっても、たったひとこと、これだけですんじゃいます。「まっ、いっか」(爆)自分にたいして甘い人間は、誰よりも自分を優先するのです。「優先」という字をよく見てください。先に優しく、と書きます。そうです。あなたが自分にたいして、先に優しくしていないとするならば、あなたは、自分のことを「自分に甘い」という資格はありません。きっと人生のどこかで、「甘い」ということばの定義をまちがって覚えてきたのです。いますぐ、訂正しましょう!そして、今日から、真に自分に甘い人間の王道を生きましょう♪(^○^)…と。ちょっと茶化して書いてしまいましたが、ここからが本論です。 前置き長すぎっ!!(^^ゞ考えてみてください。先に自分に優しくすることができるようになると、毎日が本当に快適になりますよ。だって、文字どおり、自分に優しいのですからね。そして、常連の読者さんならば、もうお気づきでしょう。自分に優しくして、元気の出ないひとはいません。うまくいかないことも、失敗しちゃったなあと感じることも、優しく、甘く、ゆるしてあげることができるのです。そしたら、また元気が出て、もりもり、やる気になるじゃありませんか。結果的に、ものごとが、うまくすすむようになるんですよ!甘く、甘く、どこまでも甘く。これ、人生の鉄則です!これまで、自分にたいして「私は自分に甘い」とかんちがいしていたひとは、今日からこころをあらためて、本当に自分に甘い人間になるための修行をはじめてください。自分を責めそうになったら、すぐにこれを唱えるのです!「甘く、甘く、どこまでも甘く♪」できたら、何か、甘くて自分がおいしいと感じるものを、いっしょに連想するといいです。ほっぺたが、ふるんと、たるんでくるような、幸福感ともに、その感覚を、自分のものにしていくのです。そんな気分になったら、ひとを責めたい気持ちだって、なくなっちゃいます。そう。自分に甘くすることは、ひとに甘く(優しく)することにもつながっていくんです。甘く、甘く、どこまでも甘く♪そうして、世界じゅうが新婚さんのようになったら、戦争だってなくなっちゃいそうですね!(^○^)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2029号(2009年5月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪うまくいく理由先日、ある会社の会議がありました。年度計画などを話し合う会議で、そこに出席した友人から電話がありました。このご時世です。なんでもうまくいくなんてことはありません。けれども、経営陣の発言があまりにも後ろ向きすぎる感じだったそうで、友人は、「言いわけしてもはじまらないじゃない」と、ぶち切れていたわけです。(^^ゞ「もっと大変なところは、 いくらでもあるんだから」と。なるほど、たしかにそうです。少なくとも、この日本で仕事しているということは、いきなり爆弾が落ちてくる環境には、いないわけです。(ごくまれに例外はありますが…)屋根もあり、電気も通じ、、インターネットだって使えます。多少の借金はあるとはいえ、中小企業のそれですから、たかが知れています。差し押さえにあっているわけでもなければ、サングラスをかけて、ほおに傷のあるお兄ちゃんが、「おらおら~」と、ドアを蹴るわけでもありません。 あ、最近は、そーゆーのは あまりないですか?(^^ゞつまり、経営陣は、「できること」ではなく、「できていないこと」をことさらにピックアップして見ているのです。「だから、もうかってない」「うまくいっていない」ということを、一所懸命、証明しようとしているのです。でも、それって、うまくいくための役に立ちますか?全然、立ちませんよね。それどころか、応援したいと思っている友人の気持ちまで、萎えさせてしまいます。というわけで、今日は、手っ取り早く、結論です。「うまくいく理由」を考えましょう♪「うまくいかない理由」は、探さなくたって見つかります。そしてそれは、どんなに積み重ねたところで、うまくいくことにはつながりません。だったら、時間と労力とエネルギーのむだです。代わりに、「うまくいく理由」を、考えるんです。どんなにちいさなことだっていい。どんなに荒唐無稽のことだっていい。思いつくかぎり、書き出してみるんです。少なくとも、三十個くらいは書き出してみたいですね!え? そんなにたくさんは無理?だいじょぶ、だいじょぶ。もう一度繰り返しますよ。どんなにちいさなことでも、どんなに荒唐無稽なことでもいいんです。あくまでも、いま思っていることでいいわけですから、結果はとりあえず置いて、あなたが、「うまくいく」とみとめさえすれば、なんでもあり!なんです♪それは、そのまま、あなたの「やる気」の表明になります。そんなちいさなことでも、そんな荒唐無稽なことでも、あなたにとっては、それが「やりたいこと」なんです。むしろ、細かければ細かいほど、荒唐無稽であればあるほど、あなたの本気として、まわりのひとに伝わっていくんです。そして、そんな思いを、熱く語られたとしたら、あなたなら、どんなふうに感じると思いますか?なんだか、応援したくなりませんか?できることなら手伝ってあげたくなりませんか?それにね。語っているあなた自身も、だんだん、エネルギーが湧いてくるでしょう?そうか。すべてがうまくいかないと思っていたけれど、それって、ただの錯覚だったんだ。こんなにもたくさんの「うまくいく理由」があったんだ…って、自分で自分を元気づけることができるんです!というわけで。おわかりでしょうか?「うまくいく理由」はね、「うまくいく」と考えたときから、うまくいく方向に動き出す仕掛けになっているんですよ。書くことによって、あなたは、自分で自分を、その方向に舵取りしたわけですからね!まわりのみんなを、その方向に、誘導したわけですからね!「うまくいく理由」これ、もちろん、会社だけでなく、組織や個人の場合でも、同じ効果がありますよ。どうぞ、「うまくいく理由」を見つけ出す名人になってくださいね!そうすれば、あなたも、あなたのまわりも、そのまたまわりも、超HAPPYになっちゃいます!そうなったら、もう、天下無敵ですね♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2028号(2009年5月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪つまようじワークあなたが、いま、どうしてもゆるせないひとがいて、絶対にゆるさない!と決意しているのなら、このワークは、まだ時期尚早です。(^^ゞでも、そう決意してはいたけれども、そのために、いつも、こころがやすらかになれない。この苦しみを手ばなしたい…と思うようになってきているのなら、よかったら、こんなワークをやってみてください。まず、つまようじを用意してください。ええ、つまようじです。(^^ゞそれも、大量に! 100円均一のお店なら、 300本入りくらいのが 買えると思いますから、 あれを、何個か用意 するといいと思います。あなたにとって、ゆるせないひと、ゆるせない事実を思い出してください。思い出すのもいやなひとは、それが何年前のことかだけ、思い出してください。あなたは、その日からずっと、苦しみつづけてきました。ゆるせないことで、ゆるさないでいることで、あなたの魂の平安もまた、うしなわれてしまったのです。あなたは、人生を、どんなこころで送ることもできました。幸福に満たされて生きることも、笑顔をかわして生きることも。でも、あの日を境に、あなたの人生は、怒りとうらみと、いきどおりに満ちたものになってしまったのです。一体、あなたは、どれだけそんな日々を過ごしてきたのでしょうか。ためしに、数えてみませんか。つまようじを、1本1日と換算して、並べてみるのです。もしも、それが、1か月前のことであるなら、つまようじを、30本、並べてみてください。1年前のことであるなら、365本並べてください。3年前のことであるなら、…計算に弱いので、 これ以上は、 各自でお願いします。(爆)並べ終わったら、それをすべてながめわたして見てください。それらは、すべて、かけがえのない、あなたの人生の時間です。いかようにも生きることができたはずの、あなたの人生の時間です。どんなふうに見えますか?どんなふうに感じますか?泣いても笑っても、この人生を生きることができるのは、あなたです。にくんでもゆるしても、この人生を生きているのは、あなた、ただひとりです。今度は、それらを背にして、反対がわを見てください。まだ何も置かれていない床。それが、これからのあなたの人生の時間です。このまっさらの床に、あなたは、どんなつまようじを、置いていきたいですか?怒りで染め抜いた真っ黒なつまようじですか?にくしみでどろどろになった、ねじれたつまようじですか?たしかに、非は、相手にあったかもしれません。相手は、七代先までうらまれてもしかたない極悪非道の輩かもしれません。それでも…、あなたの人生を歩くのは、あなただけなのです。たとえパートナーがいようと、孫や子どもが100人いようと、あなたの人生は、あなただけのものです。いま、この目の前に、あたらしいつまようじを置けるのは、あなただけなのです。もう一度、過去を振り返ってみてください。あなたは、もう充分に苦しみました。つまようじの数を見れば、それがわかります。その一本一本のつまようじに、「ありがとう」と、言ってあげてください。この苦しい人生を、投げ出さないで歩んできてくれて、ありがとう…と。そして、決めてください。これからの人生を、どのように生きるのか。どんなつまようじを、置いてみたいのか。ゆるしは、ほかの誰でもない、自分自身のためなのです。仮に、あなたの怒りやなげきやのろいが、黒魔術のように効いて、相手を不幸におとしいれることができたとしても、その結果は、あなたを本当には幸福にはしてくれません。そのことは、もう、充分あなたにもわかっているはずです。あたらしいつまようじを置きましょう。なんだったら、色をつけてみてもかまいませんよ。赤やピンクやオレンジや…あなたが好きな色をね。ゆるしを受け入れると、あなたは、どんな人生も送れるようになるのです。どんなつまようじも、選び放題に選べるようになるのです。未来に向かって並べられた、あたらしいつまようじをしっかりと見てください。もうおわかりですね?そのつまようじは、あなた自身が置いたのです。あなたの未来は、あなたがつくることができるのです。このことを、どうぞ、しっかりと受け入れてください。そうしたら、もう、つまようじを並べる必要さえ、なくなります。あたらしいつまようじは、あなたのこころのなかで、未来に向かって、どんどん、並べられていきますからね。いかがでしたか?つまようじワーク。○万円のセミナーにかよわなくても、すっきり、こころのケアができちゃいますよ。おためしあれ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2027号(2009年5月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪素直にためす自己実現、あるいはビジネスセミナーでも同じですが、効果の出るひとには共通点があります。学んだことを、「実際にやってみる」かどうか、です。もちろん、やってみたからといって、100%うまくいくとはかぎりませんが、やってみなければ、何も変化しません。…ですよね?そして、何よりも、この「実行に移す」「移さない」の背景には、ひとつのヒントがあるように思います。それは、「素直さ」です。「花伝書」(世阿弥)に、「守離破」ということばがあります。「守」とは、師に教えられたことを正しく守って、しっかりと身につけること。「破」は、それに加えて、他の教えを取り入れたり、自分なり工夫したりすること。「離」とは、それらを超えて、自分だけの境地に至ること。 かめわざ流で書いてます。 ちゃんと知りたいかたは、 原典を読んでくださいね♪ で、実は、一番大切なのは、「守」ではないかと、最近、思うようになったのです。まず、そのまま受け入れる。そのためには、「素直さ」が必要だからです。セミナーを受けたり、本を読んだりして刺激を受けて、「なるほど」と思っても、そのままにしてしまうのは、ある意味で、当たりの宝くじを放置してしまうことと同じです。なので、それは論外。(爆)まずは、「なるほど」と思ったら、やってみること。もっと言うと、「なるほど」とさえ思わなくても、「せっかく聴いたから、(読んだから)ためしに やってみるか」と、まず「ためしてみる」。すると、いままでの自分が体験したことのない結果が、生まれるかもしれません。あらたな発見が、あるかもしれません。なければないでいいのです。「ああ、なかったんだな」ということがわかりますから。それもまた、一歩前進です。そしたら、また別のことにトライすればいいのです。まずは、受け止める。そして、そのまま素直にやってみる。それは、自分のなかの行動力を育てます。あたらしい刺激をそれだけ積極的に取りこむことになりますから、つねに新鮮な気持ちでいられます。わずかな変化をも、敏感に感じとることのできる感性が育ってきます。そうして、つかんだものがあれば、今度は、それを自分なりに工夫してみればいいのです。そう、それが「離」です。よく、すべてのアイデアは、過去に生まれたアイデアの組み合わせに過ぎない…と言われますが、「破」といわれるものも、たいていは、突然変異のように生まれるのではなく、「守」があって、「離」があって、それらの積み重ねの先に、到達するものなのです。最後にあらわれるかたちは、ときとして、突飛な、まったくあたらしいものに感じられるかもしれませんが、実際には、さまざまな土台が、その裏にあるということです。そのすべてのはじまりが、「素直にためす」ことにあるということなのです。ちょっと説明っぽくなってしまいましたが、(^^ゞ今日のオススメは、まずは行動に移すこと。そう。素直にためしてみることです。はい。このメッセージもそうですよ。(笑)今日、あなたは、どんな行動を起こしますか?ぜひ、楽しみながら、トライしてみてくださいね!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2026号(2009年5月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪健全にうたがう。最近、つくづく大切だなあと感じていることがあります。それは、「うたがう」ということ。え? うたがうことが大切なことなんですか、って?びっくりしてしまうかもしれませんね。簡単に言ってしまうと、マスコミや、他人からの情報を鵜呑みにしないこと。事件が起き、マスコミでおおきくとりあげられると、それにたいして、さまざまな意見が飛び交います。ときには、それを見聞きした第三者から、当事者(加害者・被害者ともに)にたいして、メールや電話が行くこともあるといいます。あるときも、かなりおおきな事件が、マスコミで取りざたされ、当事者を非難する声が続出しました。電車に乗っていても、そんな声が聴こえてきましたし、新聞の投書欄などにも、意見が載っていたりしました。ところがしばらくたって、実は、それは捜査ミスで、そのひとは無実だったことが判明しました。すると、たしかに非難の声はやみましたが、「自分が間違っていた、申しわけない」とする声は、ほとんど聴こえてきませんでした。私は、そのことを、胸が痛くなるような思いで、受け止めたのです。マスコミも警察も、人間ですから、まちがいをすることはあるでしょう。(あってほしくないとは 思いますが)だからこそ、それを見聞きする私たちは、そのことを、ちゃんとわかっている必要があるのだと思います。ほとんどの場合、私たちは、その事件について、自分が実際に調べたり、当事者と接したりしているわけではないのですから。ましてや、実は冤罪であるとわかった場合でも、そのことが、いちいち、マスコミに載らないこともおおいのだそうです。とすると、おおくのひとは、最初の誤った情報を、そのまま信じてしまうということもありえます。だからこそ、「うたがう」ことが必要なのです。疑心暗鬼的な「うたがい」ではなく、ひととして「健全なうたがい」をもつということです。そして、もちろん、すべてのことは、自分の問題に通じます。マスコミの話にしてしまうと、自分とは関係ないような気がしてしまうけれども、同じようなことを、自分もやってはいないかと振り返ってみるのです。自分のまわりで、権威や肩書きをもっているひとのことばを、鵜呑みにしてはいないだろうか。もっと言うと、常識だから…世間がそうだから…いつもそうなっているから…と、やっていることが、本当に、それでいいのかと。「健全にうたがう」それは、自分の考え、自分の行動、自分の生きかたに、自分が責任をもつということです。自分の生きかたを、自分で決めるということです。そして、私たちは、誰もがまちがう存在です。まちがいを一度もおかしたことのない人間は、この世には存在しません。だとしたら、誰かが仮にまちがったときでも、一方的に責めるのではなく、どうすればいいかを、ともに考えることができるのではないかと思うのです。そして、自分自身がまちがったときには、そのことを素直に受け入れ、どうすべきかを、誠意を持って決めればいいのだと思うのです。今日のメッセージは、なんとなく正論?っぽく聴こえてしまうかもしれませんが…自戒をこめてお伝えしたいことでもあるのです。健全にうたがいましょう。誠実に向き合いましょう。すべてのことは、いつだって、自分に還ってくることなのですから。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2025号(2009年5月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪元気の出る考えかた~応援のこころ~どうもいまいち、元気が出ないなあというとき、あなたは、何をしますか?おいしいものを食べる。散歩して気分転換。お風呂に入ってリラックス。いろいろあります。そのどれもが正解です。でも、さりげないけど、ちょっとパワフルな、こんな方法も、ときにはためしてみませんか?それは、「応援」です。あなたのまわりで、何かの活動や仕事を、一所懸命にやっているひと。そんなひとを、応援してみるんです。え? 元気がないときに、ひとの応援なんかできないって?ちっ、ちっ。それは修行が足りません。 (何の?)(爆)これこそ、かめわざ流ミラクル元気回復法!誰かを応援できるひとって、どんなひとだと思いますか?こころに余裕のあるひとですよね。共感するちからの強いひとですよね。やさしさや、ときには、勇気をもったひとでもありますよね。だったら、それを先どりしちゃうのです。応援をすることによって。応援ってね、さまざまなかたちがあるんです。具体的に、いっしょに行動することもできます。手紙やメールや電話で、励ますこともできます。お金や品物で、サポートすることもできます。でも、もっとうんとささやかなかたちでもかまわないんです。本当に元気がなくて、メールひとつ書いてあげられないとしても、できることがあります。それは、祈ることです。ええ、祈ること。そのひとが望むことが実現しますように。かなえたい夢に一歩でも近づけますように。ひとりでも多くのちからが集まりますように。そんなふうにね。祈りのエネルギーは、目には見えないけれど、たしかに存在します。おおくのひとが怒っている場所と、祈っている場所では、まちがいなく、空気がちがいます!そしてね。あなたが本気で祈ったら、本気で応援したら、そのエネルギーは、相手を支え、世界を包み、おしまいには、あなた自身にも還ってくるんですよ。だって、誰かを応援できる自分って、ちょっとすてきだと思いませんか?そんな自分に、「えらい。スバラシイ!」って、声をかけてあげたくなりませんか? 自分というと抵抗の出る ひとは、ほかの誰かに 声をかけるつもりで、 自分に声をかけてみると、 よくわかりますよ♪あなたは、あなた自身のエネルギーで、自分を勇気づけ、支えることができるんです。実は、あなた自身が、あなたにとっての、一番の応援者であったりするわけです♪元気の出る考えかたとは、応援のこころ。あなたの応援のこころが、世界をつなぎます。あなた自身を満たします。レッツ、トライ♪はじめたひとだけがわかります♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2024号(2009年5月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪自分の内面を感じる時間ものごとがうまく進まないなあと感じるとき。あるいは、こころがちょっとがさがさしてきたなと、感じるとき。それは、あなたに「もしかしたら、その方向は ちがうかもしれないよ」と、サインを送ってくれているのかもしれません。以前の私は、何かの活動をすすめるとき、がむしゃらに自分のやりかたを押し通そうとしたり、一方的に、相手を批判(直接でなくても)したりしてしまいがちでした。でも、それではとうていうまくいくはずがなく、しばしば、立ち往生を強いられました。けれども、立ち往生すると、とりあえず、立ち止まることになります。立ち止まると、まわりの景色が見えてきます。ふっと、深呼吸したくなったりもします。深呼吸すると、気持ちが落ち着きます。すると、いままで、見過ごしていたことが見えてくるようになります。気づかないうちに、ひとの気持ちを傷つけてしまっていたこと。自分が伝えたいことを、きちんと、ていねいに伝えていなかったこと。まわりの(誰かからの)メッセージを、無視してきてしまっていたこと。すると、自然に、立ち位置が変わるんです。これまでとはちがった方法でやってみてもいいかなと、思えるようになるのです。ポイントは、立ち止まること。そして、深呼吸すること。それだけでいいんです。でも、それだけではちょっとこころもとないなあと、感じるとき。あるいは、もっとパワフルな実感がほしいとき。いくつかの方法を組み合わせることもあります。手っ取り早いのは、瞑想です。(自己流です)呼吸を深くした状態で、少し時間をかけて、自分の内面を探ります。そのとき、ふっと、湧き上がってきた思いを、大切に活かします。あるいは、カードをもちいることもあります。カードは、いくつも種類が出ていますから、自分のお気に入りのものを使えばいいと思います。カードの示すこたえを、素直に受け入れてみるのです。 ただし、こたえを カードが教えてくれる わけではありません。 内面にあるものが カードによって 引き出されてくるのです。すると、それがヒントになって、的確な方向が見つかったもします。いずれにしても、これらに共通していること。それは、自分の内面を感じる時間をとること。すべてのこたえは、いつでも、自分の内がわにあるのですから。ただそれをしっかりと受け取ればいいだけなのですから。どうぞ、自分の内面に意識を向ける時間を大切にしてください。その内面にあるものを、感じる時間を大切にしてください。それは、あなたが、あなた自身に還る時間です。あなたの一番深いところとつながるための時間です。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2023号(2009年5月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪元気の出る考えかたいろいろなことで、追いつめられる気持ちになることがあります。いくつもの〆切が重なったり、(過ぎたり)(^^ゞ予定していたことが、うまくいかなかったり…と、立ち往生してしまうこともあります。そのたびに、こころは不安でいっぱいになります。うまくいかないかもしれない…できないかもしれない…と、あせりや怖れの気持ちがこみあげてきます。そんなふうに、私たちは、何かひとつの考えが浮かぶと、ついつい、そこにとらわれやすくなります。もう、考えられることは、それしかないような気持ちになります。そして、そんな自分を責めてしまいがちです。でもね。そこまで考えこめるということは、脳というものが、とても集中力がある証拠なんです。ええ。実に、優秀なのです!だから、そんな脳を…、自分自身を、否定的にあつかってはいけないと思うのです。ひとつの考えにとらわれて、なかなか抜け出せないとき。一方的に、自分を責めてしまいそうになったとき。たとえば、こんなふうに、自分の脳に、声をかけてあげてみてはどうでしょう。「脳! 君はえらい! とってもかしこい! しっかりものだ!(拍手!) ここまで考えこめる集中力! ひとつのことを思いつづける ことのできる、信念の強さ! それはおおいに 自慢のできる、君の能力だ。 ただ、いまのその考えは、 自分をあまり元気には してくれていないようだよ。 いくらすぐれた考えでも、 元気が出ないと、次の行動に、 結びつきにくいと思うんだ。 だから、とりあえず、 ちょっとだけ、別の 考えかたを採用してみない? もう少し、 元気の出る考えかたをさ。 え? そんなことは できないって? 大丈夫。大丈夫。 それだけつづけて 落ちこむことができる、 持続力があるのなら、 どんなことも、 お茶の子さいさいさ♪ それに、君は とっても記憶力もいい。 その気になれば、 いつでも、自分を責めたり、 否定したりする気持ちを、 思い出すことができるから。 だから、安心して、 別の考えかたにも、 挑戦してみたらいいんだよ」実際に、声に出してみると、なお効果的です♪え? ばかばかしいですか?笑えちゃいますか?どうぞ、笑ってください。笑うと、自然に気持ちが明るくなります。明るくなると、あたらしい行動を起こすエネルギーも生み出しやすくなります。実際、この方法で、私は何度も、自分の気持ちを切り替えてきました。気持ちがふっと切り替わったら、あとはいつものとおりの宇宙の法則。「見つめたものが拡大する」です。脳は、その瞬間瞬間には、ひとつの考えしか、採用することができません。自分にOKをあげながら、自分を否定することはできないのです。そのまま、がんがん、いっちゃいましょう♪そしてね。ちょこっと蛇足です。マイナスに感じるパワーと、プラスに感じるパワーは、実は、裏と表の関係です。まったくの別ものではなく、むしろ、ベクトルのちがう同じひとつのちからです。そして、それは、引っくり返すだけで、活用できちゃうのです。だったら、利用しない手はありませんよね!さあ。書きながら、私も、元気が出てきました!(^○^)全力で、過ぎた〆切を追いかけます!(おい)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2022号(2009年5月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪人生まるごと疑似体験演劇って、奥が深いなあと、感じることがしばしばあります。今日は、そんな話題から。役者さんで、とぎどき、「せりふが覚えられません」というひとがいます。このとき、お返事は、大きく分けて2通りあります。一つめは、「100回、声に出して 読んでください」です。アマチュアの舞台の場合、たいていの役者さんのせりふは、1本の芝居のなかで、せいぜい20か30くらいです。多くても、50を越えることは、そうそうありません。 (主役であれば別ですが、 主役をやるひとで、 「せりふが覚えられません」 と相談に来るひとは、 まず、いません)(^^ゞつまり、絶対的な練習量が足りないだけなのです。とくに、せりふの場合は、耳を通して覚えるほうが、脳にインプットされますから、声に出すとより効果的です。黙読では効果が薄いのです。これもつまりは、「正しい方法で練習すれば、 ちゃんとできます」ということに尽きるのです。それでも、「覚えられない」と、言い張るひとの場合、(笑)練習方法を詳しく聴いてみることにしています。すると、たいてい、自分のせりふの部分に、マーカーで色をつけて、そこだけを覚えようとしています。これでは、覚えられません。もし、あなたの目の前に、数字盤があるとして、ランダムに指示された、30この数字を覚えろと言われたら、覚えられますか?普通、覚えられませんよね?つながりが必要なのです。だから、せりふの場合、前後のせりふもいっしょに覚えていくのです。その場に誰がいるのか、何をしているところか、どんな気持ちでいるのか、これから何が起きるのか、そんなこともあわせて、インプットしていくのです。そしたら、まちがいなく覚えられますから!もうひとつ。「どう動いたらいいか わからない」と、聴きにくるひとがいます。こちらも、基本は同じ。聴きにくるひとのほとんどは、実際に「動いて」いません。頭のなかだけで考えて、「わからない」と結論してしまいます。あるいは、半分やりかけて、止めてしまっています。実際にやってもいないのに、(やりきってもいないのに)「わからない」のは、当たり前ですよね?今日のメッセージを読んで、「私はお芝居なんかやらない から、関係ない」そんなふうに思うひともいるかもしれません。でもね。人生も同じなんです。たいていの場合、うまくいかないときって、絶対的な練習量が足りないだけなんです。そして、適切な方法を使っていないいんです。あるいはまた、自分のことだけ考えて、全体を見ていなかったり、実際にやりもしないで、悩んでいるだけだったりする場合が多いんです。演劇も人生も基本は同じ。だとしたら、どうしたらいいか、見えてくるじゃありませんか♪うまくいかないと思ったら、絶対量を増やしてみるんです。反復練習をするんです。正しいやりかたでね。正しいやりかたがわからないときは、本を読んだり、指導者についたりすればいいのです。 ちなみに、この場合も、 多少の当たりはずれが あるのは、人生も演劇も 同じです。あしからず。(^^ゞそして、自分のことだけでなく、全体をよく見わたすこと。考えているだけでなく、実際に行動してみるんです。「失敗したら怖い」「とりかえしがつかないかも」そんなふうに思うひとは、とりかえしのつく場で、練習してみてはどうでしょう。 まあ、本当の意味で 取り返しがつかないこと なんて、ないのですけどね。 その話はまたいずれ。セミナーであったり、ワークショップであったり、あるいは、自助グループや、しゃべり場など、疑似体験ができたり、体験を共有できる場で、ちいさな一歩を踏み出してみればいいんです。もちろん、歩幅は、そのひとなりでOKですから!その意味で、人生まるごと疑似体験できる演劇って、あらためておもしろいなあと思うのです。ぜひ、チャンスがあったら、トライしてみませんか?あら。いつのまにか、お芝居のススメになっちゃいました。(笑)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2021号(2009年5月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪沈黙の時間ワークショップのはじめに、ウォーミングアップ代わりに、誘導ワークをやることがしばしばあります。たいていは、2人1組になってもらい、片方が片方を誘導します。たとえば、一人が目を閉じます。もう一人が、そのひとのうしろに立ち、肩に手をかけて、前に押していきます。前のひとは、目を閉じたまま、押されたぶんだけ、進みます。それだけのワークです。目を閉じているので、頼りになるのは、うしろのひとだけ。ふれているのは、肩におかれた手だけです。自然に、しんとなって、ふれた部分から伝わってくる、お互いの感覚に集中します。ところが、このとき、静かにできないひとがときどき、いるのです。「怖い!」「ぶつかりそう!」「誰かが横切った!」たいていは、おおきな声で叫んでいます。そういうひとを見ると、からだにちからが入って、うしろのひとに、重さをゆだねていません。2人で組んではいても、お互いがばらばらです。そんなときは、ひとこと声かけします。「ことばを使うのをやめて、 ふれている部分に 意識を集中してみましょう」すると、たいていは、次第に静かになっていきます。楽しくさわいで遊ぶワークもすてきですが、ときには、沈黙のなかでないと、受け取れないものもあります。沈黙を拒否したままで、ただ、はしゃぐだけでは、本当に深い部分とつながることはできません。けれども、このごろ、この沈黙に耐えられないひとが、増えているように感じます。声かけしても、やはり、変わらず騒いでしまうのです。それは、日常のなかでも、起きているような気がします。みんなで会話しているとき、ふっと沈黙が流れると、たいてい、誰かがあわてて、茶化しを入れます。その沈黙を、なかったことにするかのように。沈黙を、沈黙として、味わってみればいいのです。静かに深く呼吸して、そこに生まれる感覚を、ただ受け止めてみるだけでいいのですから。からだの重さを、相手にゆだね、ただ押されるままに歩いていくと、さまざまなメッセージがやってきます。まぶたにふりかかるやさしい光のシャワー。あるいは、光と影が織りなすコントラスト。耳もとで遊ぶような、さまざまな音のざわめき。ほおをくすぐっていく、風のおとない。足の裏からあがってくる、床のつめたさや、踏みしめるたしかな感触。ふれあった手と肩から伝わってくる、相手のひとの手のぬくもりや、無言のうちのこころづかい。そして、えもいわれぬ一体感。それらは、五感を刺激し、こころとからだにはたらきかけます。わずか数分、目を閉じて歩くだけなのに、目を開けたときには、世界が変化したかのような感覚を覚えることさえあるのです。それこそ、沈黙があるから、受け取れる感覚です。もしも、すこし、こころががさがさしてきたなと感じることがあったら。あるいは、なんとなく気持ちが落ち着かないような気がするときには…。どうぞ、どんなかたちでもかまいませんから、沈黙の時間を、自分にとってあげてみてください。あなたの深いところで、何かが気づいてほしくて、サインを送っているのかもしれません。あなたが、世界とつながるために。あなたがあなたとつながるために。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2020号(2009年5月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.01.11
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