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ポツダムの視点をチャーチルに変えて。◇「第28章 原子爆弾/第二次世界大戦4/チャーチル」よりの抜粋 (1945年)7月17日、世界を揺るがすようなニュースが入った。 午後、スチムソンが私の宿舎を訪れ、私の前に一枚の紙を置いた。 それには「赤ん坊は申しぶんなく生まれた」”Babies satisfactorily born”と書かれていた。 ・・・ 彼はいった。「つまり、メキシコ砂漠での実験が成功したという意味です。原子爆弾が現実となりました。」 ・・・ 翌朝到着した一機が、人類史におけるこの恐るべき出来事の詳報をもたらした。 ・・・ 爆弾、あるいはそれに類するものは高さ百フィートの塔のてっぺんで爆発した。 周囲十マイルは立ち入り禁止とされ、科学者や関係者たちはほぼその距離で巨大なコンクリートの壁と遮蔽物の背後にうずくまっていた。 爆風はすさまじかった。 炎と煙の巨大な柱が、わが可憐な地球を取り巻く大気の端まで突き上がっていった。 一マイルの円内の破壊は絶対的だった。 ここに出現したのは第二次世界大戦に速かな終止符を打つもの、そして恐らくその他の多くのものに速かな終止符を打つものであった。 ・・・ 日本軍の抵抗を一人ずつ押え、その国土を一歩ずつ征服するには、百万のアメリカ兵の命とその半数のイギリス兵の生命を犠牲にする必要があるかもしれなかった。 ・・・ いまやこの悪魔のような情景はすっかり消えてしまった。 それに代って、一、二回の激烈な衝撃のうちに全戦争が終結する光景が浮かんだ。 ・・・ 私が常にその勇気に感嘆してきた日本人が、このほとんど超自然的な兵器の出現のなかに彼らの名誉を救う口実を見出し、最後の一人まで戦って戦死するという義務から免れるだろうということだ。 さらに、われわれはロシアを必要としなくともよくなった。 対日戦の終結はもはや、最後の恐らく長引くであろう殺戮のために、ロシア軍を投入することに依存するものではなくなった。 われわれは彼らの助力を乞う必要はなかった。 したがって一連のヨーロッパ問題は、このような利点と国際連合の広い諸原理にのっとって討議されることになった。 ・・・ 原子爆弾を利用すべきかどうかについては、一刻の議論の余地もなかった。 一、二度の爆発の犠牲によって圧倒的な力を顕示し、それによってぼう大な無制限の殺戮を回避し、戦争を終らせ、世界に平和をもたらし、苦悩する人民に治療の手を与えるということは、われわれがあらゆる労苦と危険を経験してきた後では、奇跡的な救いのように思われた。 この兵器の使用に対するイギリスの原則的同意は、実験が行われる前の七月四日にすでに与えられていた。 最終決定はいまや、この兵器を所有するトルーマン大統領に主として依存していた。 ヤルタにおいてアメリカ側に効果的に行使したスターリンの取引き力はなくなっていた。 一方、空と海から日本に対する破壊的攻撃がつづいていた。 七月の終りまでには日本海軍は事実上消滅した。 日本本土は混沌のなかにあり、崩壊寸前だった。──〓勝手に独断と偏見〓 英国の10年ぶりの総選挙ではチャーチルの保守党が敗北し労働党のクレメント・アトリーが首相(1945年7月26日~1951年10月26日)となった。 (ポツダム会談は7月17日~8月2日でポツダム宣言は7月26日) チャーチルは「Babies born」により「ヤルタにおいてアメリカ側に効果的に行使したスターリンの取引き力はなくなっていた」、米ソ英の首脳は同様の感覚を持ち、ソ連は対日参戦を急ぐ。 「七月の終りまでには日本海軍は事実上消滅した。日本本土は混沌のなかにあり、崩壊寸前だった。」の認識下で「一、二度の爆発の犠牲によって圧倒的な力を顕示」。 英国にとって重要なのは自国の利益に関係する戦後の欧州に於けるソ連の押さえ込み、日本との戦争は英国の最小限の犠牲で終息させたい、しかしナチス・ドイツとの戦いに英国以上の犠牲を払った米国に付き合わざるをえない。 チャーチルは1953年に「第二次世界大戦」等でノーベル文学賞を受賞、選考に内容・文学性・真実を追究した姿勢があったのだろうか、第二次世界大戦でスウェーデンはドイツ寄りだった。 また、1945年のノーベル平和賞(ノルウェーが授与主体)は国際連合の樹立に貢献したとしてコーデル・ハル(日米開戦がハル・ノートにより決定的になった)が受賞、ガンディーは候補どまり。
2012.04.29
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日本(軍)の無条件降伏を望む連合国は1943年にカイロ宣言、1945年5月8日に「日本國民諸氏 アメリカ合衆國大統領ハリー・エスツルーマンより一書を呈す」なるビラを投下、7月26日には原子爆弾投下の為に免罪符の意味合いを含めたポツダム宣言が行われるが内容に新鮮さはない。 また、原子爆弾の存在を明確にせず国体護持に対しても明言しない。□「資料 マンハッタン計画/大月書店 第五部:原爆投下 2.原爆と対ソ関係」より◇資料:204「スチムソン日記(抄) 1944年12月13日-1945年8月9日」(抜粋)・7月24日:昨晩、作戦の実施時期を知らせてきたハリソンからの電報を大統領に見せた。大統領は、まさに願ったり叶ったりの知らせだ、とても嬉しい、警告を出すきっかけを与えてくれるものだ、と言った。また、蒋介石が警告を出すことに加わってくれるかどうかを確かめるため、ついさっき彼に警告文を送ったところだ、蒋が了解してくれたらすぐに、彼(トルーマン)は警告文を発表するつもりであり、そうすれば、ハリソンが知らせてきたきた計画と時間的にぴったり合う、と言った。 このあと私は、日本側に皇朝の存続をあらためて保証することが重要だと考えている旨を発言した。私は、正式の警告文にそのことを盛り込むことが重要であり、それが日本側に〔降伏を〕受諾させるかどうかの決め手になるだろうと考えていたからだ。しかし、私はバーンズから聞いていた話によると、バーンズたちは、そのことは書かないほうがよいと考えており、そして、蒋にメッセージを送る以上、そのように修正するのはもはや不可能だ、ということだった。私は大統領に、注意深くようすを見まもり、日本側がその一点に関してぐずぐずためらっていることがわかった場合には、外交経路をつうじ口頭で彼らに保証を与えるよう希望した。大統領は、そのことは心にとめているし、また、そのように心がけるつもりだ、と言った。 S-1計画について、さらにひと言ふた言話し合ったが、私は大統領に対し、提案されている目標のなかの一つを除外すべきであると私が考える理由を再び述べた。大統領は、この問題について大統領自身の賛成の考えを、この上なく力をこめて繰り返し述べた。私が、もし除外しない場合には、そのようなむちゃな行為は反感を招き、戦後、長期にわたってその地域で日本人に、ロシア人に対してではなく、むしろわれわれに対して友好的な感情をもたせることが不可能になるのではないか、と提言したところ、大統領は、とくに力をこめてこれに賛同した。 このようなわけで、それは、もしロシアが満洲を侵略した場合、われわれの政策上必要なこと、つまり、米国に対して好意的な日本をつくることを妨げる要因になりかねない、と私は指摘した。◇資料:205「ウォルター・ヴラウン日記(抄) 1945年7月3日-8月29日」(抜粋)・7月24日:ロシア駐在日本大使は、自国政府に対し、戦争を継続すれば、ドイツがこうむったのと同じ運命が日本にも降りかかるだろう、と警告した。天皇は、無条件降伏に多少の修正を加えないかぎり、最後の最後まで戦う、と述べたそうだ。──〓勝手に独断と偏見〓 原爆による早期終結、日本の親米化、日本には国民主権・人権が重要、が混在。 トルーマン日記の17日「彼(スターリン)は8月15日に対日戦に参加するだろう。そうなれば日本はおしまいだ。」 25日「この兵器は、今から8月10日までの間に日本に対して使用される予定である。」 原爆が未完成だと、広島・長崎には焼夷弾等の攻撃が行われ、ポツダム宣言では国体護持に言及、ソ連は多量の権益を米英に認めさせ勢力圏を拡大、また本土決戦の可能性は高くなったと推測。 国体護持を出せば日本の降伏は早まるの感覚は米国にあった、また天皇の存在や天皇を象徴する文化の否定は日本を硬化させるだけとの判断もあったのではないか。 斜に見ると、日本に於いては臣民より天皇・天皇制が重要であるの考えを指導部が持っているを米国が認識していたの意である。 「ロシア駐在日本大使は、自国政府に対し、戦争を継続すれば、ドイツがこうむったのと同じ運命が日本にも降りかかるだろう、と警告した。天皇は、無条件降伏に多少の修正を加えないかぎり、最後の最後まで戦う、と述べたそうだ。」 ドイツが無条件降伏なのに日本は有条件には納得できる理由が必要、また日本の外務省への電報の暗号解読にソ連は成功したのか。
2012.04.22
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原爆実験の成功がポツダムにいる米ソ英首脳に何時伝わりソ連の対日参戦や勢力圏拡大に影響を与えたのか。◇資料:204「スチムソン日記(抄) 1944年12月13日-1945年8月9日」(抜粋)・7月16日:午後7時30分、S-1爆弾の実験に関するハリソンの最初のメッセージが届いた。ただちにそれを大統領の宿舎に持って行き、トルーマンとバーンズに見せた。・7月17日:私は、彼[チャーチル]が門へ向かって歩いて行く途中、彼にハリソンのメッセージのことを話した。 大統領は、スターリンとの最初の会談について手短に私に話してくれ、満州の門戸開放の件に決着をつけたと思う、と言った。・7月18日:ハリソンから、二番目のメッセージが届き、実験について広い範囲にわたる詳細を少しばかり伝えてきた。ただちに大統領のところへそれを持って行くと、大統領は大変喜んだ。・7月19日:12時にチャーウェル卿が訪ねて来て、彼とバンディと私は木陰に腰をおろし、S-1について話し合った。チャーウェルは、ロシアに知らせる件については、きわめて理にかなった考え方を示し、われわれとほぼ同様に疑問を感じていた。・7月21日:11時35分、グローヴズ将軍の特別報告書が特別伝書使によって届けられた。・・・最高度に重要な裏付け文書が添えられえいた。それは、実験が大成功したことについてかなり詳しく、かつ、生き生きと報告するとともに、S-1がわれわれの期待をはるかに上回る破壊力をもっていることを明らかにしていた。・・・私は、バーンズ長官に来てもらうよう大統領に頼み、それから報告書の全文を読みあげ、三人でそれについて検討した。・・・大統領はひどく元気づき、その後、私と会うたびに何度もそのことで私に話しかけてきた。大統領は、これはまったく新しい自信を与えてくれた、と言い、私が会議に同行し、このような形で彼の力になっていることについて感謝のことばを述べた。・・・私が報告書をチャーチルに渡すと、彼はそれを読み始めたが、5時から行われる三巨頭会談に出席するため、5時数分前、途中でやめた。彼は、報告書を全部読みたいので、あしたの朝もう一度来てほしい、と言った。・7月22日:10時40分、バンディと私は再び英国代表団の宿舎に行き、1時間以上にわたって首相およびチャーウェル卿と話し合った。チャーチルは、グローヴズの報告書を全部通して読んだ。彼は、きのうの三巨頭会談のさいに、トルーマンが何らかの出来事によって明らかに大変元気づき、きわめて力のこもった、きっぱりとした態度でロシア側に立ち向かっていることに気づいた、と言った。ちなみに、トルーマンはロシア側に対し、彼らのいくつかの要求について、それは絶対に無理だ、米国はそれには全面的に反対だ、と述べたのだ。・・・彼(チャーチル)は、今やその件についての情報をロシア側に知らせることについて危惧をもたなくなっていただけでなく、交渉のなかで、むしろそれをわれわれに有利な主張の手段として利用しようという意向に傾いていた。・7月23日:夕方、ハリソンからの電報を受け取った。それはS-1の準備が整うと予想される日時について、可能なかぎり正確に知らせるものだった。─「資料 マンハッタン計画/大月書店」より〓勝手に独断と偏見〓 対日参戦により極東での権益拡大をヤルタの密約で保障されているソ連、原爆の予想以上の破壊力にソ連の対日参戦はカードの意味合いを弱める事になる、7月21日の詳細な報告で米ソの立場が逆転し米国はソ連に依存しない戦争終結を前提にソ連の勢力圏拡大を押さえる。 資料:205「ウォルター・ヴラウン日記(抄) 1945年7月3日-8月29日」の7月24日の項には 「きょう三巨頭会談のあとで、トルーマンは不意にスターリンの前に現われ、さりげなく原子爆弾のことを話した。・・・スターリンは「それはすごい。彼らにそれをくらわしてやれ」と言っただけだった」 また、7月18日の項には 「スターリンは、日本側はロシアが参戦するものと認識していると思う、なぜなら、彼らは国境にロシア軍の姿を見ることができるからだ、と言った。スターリンは、日本に対する攻撃開始態勢は8月15日前には整わないと、言った。」 スターリンはトルーマンから原爆投下の実施案を知らされ極東に於ける利権拡大の為に対日参戦を早める、また前提として米ソ首脳は原爆投下により日本の降伏が早まるの認識を持っていたと推測する。
2012.04.15
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・ヘンリー・ルイス・スティムソンは、陸軍長官、フィリピン総督および国務長官を務めたアメリカの政治家である。保守的な共和党員であり、ニューヨーク市の弁護士でもあった。 スティムソンは、ナチス党政権下のドイツに対する攻撃的な姿勢のために、陸軍とその一部である陸軍航空軍の責任者に選ばれ、第二次世界大戦期における民間人出身の陸軍長官として最もよく知られている。1,200万人の陸軍兵と航空兵の動員と訓練、国家工業生産の30%の物資の購買と戦場への輸送、日系人の強制収容の推進、また原子爆弾の製造と使用の決断を管理した。─ヘンリー・スティムソン/ウィキペディアよりの抜粋 トリニティ実験が行われた1945年7月16日午前5時29分45秒(現地時間)にスティムソン陸軍長官はポツダムにいる。◇資料199:「機密 大統領に供する覚書」(「スチムソンからバーンズ国務長官にあてた覚書 ポツダム 1945年7月16日」の同封文章-抜粋) 「日本に対する警告」 われわれは、いま、日本に対して警告を発する絶好の時期にあると思われる。海軍およびすでに地歩を固めた陸軍から、日本がますます大きな打撃をこうむりつつあるなかで、その戦闘地域に空軍と地上軍を新たに大規模に集結すれば、日本の軍事指導者たちですら、思案せざるをえなくなる。それのみならず、この会談がもたらす効果と、ロシアの参戦という差し迫った脅威が加わるのであり、しかも、会談は、その脅威を強めるものとなる。 さらにまた、日本がロシアへの接近を試みているという最近の情報にかんがみ、私は、すみやかに警告を発するよう強く主張する。したがって、私は、この会談期間中に、それも遅くなってからではなくむしろ早い時期に伝達すべき対日警告を、陸軍省が起草し、確か国務・海軍両省もすでに承認した草案の趣旨に沿って作成するよう主張したい。その間、われわれの戦術上の計画は、ひき続き中断することなくこれを実行すべきであり、もし日本があくまで抵抗を続ける場合には、より新しい兵器の全威力を浴びせ、その経過のなかで、新たに投入する軍隊の戦力と、おそらくはロシアの実際の参戦を背景にして、より厳しい警告をあらためて伝えるべきである。 この点についてあらかじめわれわれの意図をロシア側に通告すべきかどうかは、ロシアの対日参戦の条件に関して同国との間に、われわれにとって満足すべき合意が得られているかどうかにかかるであろう。 ・・・ ヘンリー・L・スチムソン─「資料 マンハッタン計画/大月書店」より〓勝手に独断と偏見〓 スティムソン陸軍長官の主張は当然ながら対日戦の早期終結。 「日本に対する警告」の前項「対日戦の遂行」には米側の戦争継続負担の拡大が指摘され、日本兵は「最後まで戦う決死的な防衛能力をいもっていることを立証しており、本土においても間違いなく、ひき続きそのような防衛能力を発揮するであろう」として「できるだけ早期に日本の降伏を達成することを目的とする警告を同国に伝えるべきであると主張せずにはおられず、その理由を、閣下あて1945年7月2日付覚書のなかですでに指摘した」 (1945年7月2日付覚書は「敗戦-10:米国の対日戦計画」に纏めを記載) 「より新しい兵器の全威力を浴びせ」の記述から今回の覚書はトリニティ実験の成功を受けてと推測する、考えとしては原爆を使用するが基本にあり、ソ連に対しても前回より強気(余裕)の提案になっている。 日本の指導部でポツダムでの米ソ英の首脳会談が欧州の戦後のみに関してで日本とは関係ないと思っている者はいないだろう。 日本はソ連に対して米英との講和の仲介を依頼しているが、ポツダム会談によりソ連の対日参戦が現実味を帯びて来た事を感じていたと思う。 「HP:日本国憲法の誕生」によると5月8日に投下されたビラ「日本國民諸氏 アメリカ合衆國大統領ハリー・エスツルーマンより一書を呈す」には 「戦争の持久は日本国民の艱苦を徒らに増大する・・・日本軍部が無条件降伏に屈し武器を棄てる迄は断じて中止せず」 「日本を現在の如き破滅の淵に誘引せる軍部の権力を消滅せしめ前線に悪戦苦闘中なる陸海将兵の愛する家族農村或は職場への迅速なる復帰を可能ならしめ・・・無条件降伏は日本国民の抹殺乃至奴隷化を意味するものに非る」 トルーマン大統領が主張する「軍部の権力を消滅せしめ」には大元帥たる天皇が含まれているように思える、所謂国体護持が保障されていない。
2012.04.08
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「トリニティ実験」が行われ二種類の原子爆弾が完成し開発が終息を迎える、新たな目標や脅威がないと先細りとなる。 原子力発電所とプルトニウム型原子爆弾をセットで考えるや、重水素を使った核融合による水素爆弾の開発が考えられるが、短期間での複数の可能性を考慮した開発設備・人材・資金は削減される。 原爆が日本の都市に使われることに懸念を持つ科学者。 ソ連などとの核兵器開発競争が予想され何らかの協定の必要性が指摘される、原爆使用国はそのリーダーシップを取る事が困難の意見もある。◇資料182「政治的及び社会的諸問題(フランク報告)1945年6月11日」 ・・・ これまでの科学者は、諸国民の福利を増進せずに、互いに殺し合うための新兵器をつくりだしたという理由で、しばしば非難されてきた。例えば、航空術の発見が、これまでのところ、人類に喜びや利益をもたらすよりもはるかに多くの惨事をもたらしてきたのは、まさしく真実である。しかし、過去においては、科学者は、彼らの私欲のない発見を人類が利用したからとて、その結果について直接の責任を負うことを否認することができた。われわれは今や、これまでと同じ態度をとることはできない。なぜなら、原子力の開発の面でわれわれが成し遂げた成功は、過去のいかなる発明よりもはるかに重大な危険性を孕んでいるからである。 ・・・ 過去においては、科学は、科学のお陰で侵略者が手にした新兵器に対する、しかるべき防禦手段をしばしば提供することができた。しかし、科学は、原子力の破壊的使用に対抗しうるような有効な防禦策を約束することはできない。そのような防禦策は、世界的な政治機構によってのみ実現できるのである。 ・・・ 核爆弾は、何よりも今次戦争の勝利に役立てるために開発された秘密兵器であると考えている人々にとくに気に入りそうな方法は、適切に選定された日本国内の目標に対して警告なしに核爆弾を使用することである。 ・・・ 新兵器の示威実験は、砂漠または不毛の島で連合国のすべての国の代表を前にして行うのが最もよいと言えよう。 ・・・ 国際協定達成のための最も望ましい雰囲気を実現することができるであろう。 ・・・ わが国が独占的に核爆弾を「秘密兵器」として自由に利用できる期間は、どう見ても数年を超えることはありえない。核爆弾の製造の基礎となっている科学的諸事実は、他の諸国の科学者達によく知られている。 ・・・ 今次戦争における核爆弾の使用を軍事的便宜の問題とみるのではなく、長期的な国家政策の問題とみるべきであり、この政策は、まず何よりも核戦争手段の有効な国際管理を可能にする協定の実現に向けられるべきであると主張するものである。─「資料 マンハッタン計画/大月書店」よりの抜粋〓勝手に独断と偏見〓 「科学は、原子力の破壊的使用に対抗しうるような有効な防禦策を約束することはできない。そのような防禦策は、世界的な政治機構によってのみ実現できる」・「シラードの証言」のp235~p242によると 米国が「爆弾の威力を示したり、日本に対して使用したりすれば、ロシアはすぐにでも原爆保有国になるかもしれない」とのシラードの危惧に対し。 グローヴズによれば、バーンズはソ連にはウランがないそうだから大丈夫だと述べ、原爆の威力を見せつけることによってこそ、ソ連の東欧における行動を抑制することができると反論した。また20億ドルもの資金を使ったのに、その結果を示さなければ、議会の承認を得られないとも語った。─「資料 マンハッタン計画/大月書店」の「解説」p741よりの纏め 「ソ連にはウランがないそうだから大丈夫」に関して「フランク報告」では 「地球の陸地の五分の一を占めている国(しかも、その勢力圏を含めればさらに広い)で大量の埋蔵ウランが発見されないという確率はあまりにも小さく、したがって、そのことが安全保障の根拠にはなりえない。」としている。 この時期、原爆開発を始める大きな要因であったドイツからの原爆攻撃の可能性は無くなっている。・資料187「米国大統領あての要請書(レオ・シラード)1945年7月17日」 次のことを要請いたします。 第一に、日本側に課される条件を詳細に公表し、日本側がその条件を知ったうえで、なおも降伏を拒んだ場合以外は、今次戦争において米国が原子爆弾の使用に訴えないことを決定するため、最高司令官たる閣下の権限を行使されること。 第二として、そのような場合、原子爆弾を使用すべきか否かについては、この要請書に示した考慮事項のみならず、使用にともなう他のあらゆる道徳的責任にかんがみ、閣下が決定されること。─「資料 マンハッタン計画/大月書店」よりの抜粋
2012.04.01
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