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2016年2月23日放送の「AKBINGO!」はダンスロワイヤル前半戦。 審査員は「FISHBOY」「エグスプロージョン」「パパイヤ鈴木」、 戦うのは「HKT48」「Team8」「SKE48」「AKB48・NGT48」「NMB48」「AKB48」の6チーム、「Team8」の分類は特殊。。 「Team8」が「HKT48」と「SKE48」に勝利、来週は後半戦。 「Team8」のダンスは何度も観たくなる、「HKT48」と「SKE48」は好きじゃない部分がある。 「HKT48」(熊沢世莉奈・松岡はな)は熊沢世莉奈が目を伏せている状態が目立つのはチームが2人の為かもしれない、そうゆうものなのか、可能なら顔を上げるのがメインのダンスを見たかった。 「SKE48」(斉藤真木子・石田安奈・竹内舞・山内鈴蘭)では、ダンス前から山内鈴蘭の様子が変でダンス途中ではミスの傷を広げるようにキョロキョロ、うろ覚えの部分が散在しているように見えた。 負けが決定すると山内鈴蘭は涙声で何かを言おうとしたが、一緒に踊った竹内舞が「もう泣かなくていいよ」。 練習に参加する時間が他のメンバーより短かったのか。 山内鈴蘭のカルメのダンスは良かったと思う、結果的にマイナスイメージを背負うことになったが、他のメンバーが完璧だったとは思えない。 出だしは大人のダンス(他のチームと比べて)で良かったのに途中からワザとなのかシンクロ感が弱まった、「SKE48」は練習時間の割には内容を詰め込みすぎたのだろうか。 番組は楽しく見れた、いまいちはバラエティ的な対処や涙に逃げた場面、大変なのだろうがガチをつらぬいたほうが気持ちが良い。 後3チームのダンスが残っている、このまま「Team8」(横山結衣(15歳)・本田仁美(14歳)・中野郁海(15歳))が勝利するのだろうか、横山結衣(総監督の横山由衣とは別人)の存在感は強烈、ダンス内での世界が私には理解できないレベル、他のダンサーもそうで、勝手なことを投稿しているだけ。 来週、メンバー同士が競っているチームが出てくるとキビシイのか。 「HKT48」の熊沢世莉奈はチャンスをものできなかったのは残念、松岡はなは加藤綾子風の美人になるような感じ。
2016.02.26
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国民を直接・間接にマインドコントロールしていたのは指導層・マスメディア・論壇そして教師 「何事も天皇のためだという教師の教えをまっ正直に信じていて、それを疑ってみるだけの知恵もまだなかった」 マインドコントロールの核となるのが天皇の存在。 1941年に海軍に志願した少年兵の渡辺清は宮城を遥拝し謹んで天皇に言上した 「私は愈々明日帝国海軍の一員として皇国の海の護りに就きます。この上は粉骨砕身軍務に精励し、以て醜の御楯として本分を全うする心算であります。もとより私の体は天皇陛下よりお借りしたもの、いつの日か戦場にて必ずお返し申し上げます」 【1945年10月】・10月01日:「現人神」ではなくなった昭和天皇・10月03日:昭和天皇の意志による日米開戦・10月07日:新聞とラジオの豹変・10月11日:連合艦隊の解隊、一億総懺悔・10月14日:天皇は政治的にロボット?、停戦の決断も?、「かつての忠誠勇武なる水兵さんも変わったものね」・10月17日:村祭り、戦場からの母への手紙に出てくる「天皇陛下の御為」、天皇に戦場で命を賭けていた、<<戦時中なら死刑になりかねない言葉が続く>>・10月19日:稲刈り、自決に関して宇垣中将・東条大将など、第一次戦争犯罪人・10月21日:トルーマン発言、「天皇制の運命、選挙に問うのも一案」、「天子さんにむかってそんな罰あたりなこと言うもんじゃにゃあよ」、昭和天皇のマッカーサー訪問の意味の推測・10月22日:庭の菊が咲き始めた、マッカーサーの天下、「バスに乗りおくれるな」の標語、あと一月ちょっと満20歳、男女同権と参政権・10月24日:武蔵が撃沈された日、同年兵は一人残らず死んでしまった・10月25日:「歌御会」の題が「松上雪」、海戦の夢・10月26日:天皇責任と近衛公爵、金さんはこの暮れに朝鮮に帰る。・10月31日:遺骨の帰還、役所の前で出迎えている人が少ない受け容れ儀式もなし、マッカーサー司令部から遺骨迎えは内輪との指令、自分が先頭にたって旗をふって万歳万歳と見送っておいて敗けたとわかると「校長の野郎、ふるえあがっちゃって今日も知らん顔」〓勝手に独断と偏見〓 「バスに乗りおくれるな」とフランスに勝利したドイツに乗りおくれずに三国同盟締結、が対米戦前に主張されていた。・「昭和の戦争報道(40) 日独伊三国同盟と新聞メディア/前坂俊之」によると 『東京朝日』(十一月二十六日)の朝刊は「日独防共協定調印さる」「東西相呼応して赤化の脅威に対抗」「不動の国体擁護」と一面つぶして報道した。 『東京日日』(同日)朝刊の見出しも「日独防共協定成立す」「世界平和脅威の抑へ、画期的の我外交協定」「特定国を目標とせず、背後に特殊協定なし」と報じた。 戦後はマッカーサー・戦勝国のバスに乗りおくれるなの状況が発生している。 昭和天皇のマッカーサー訪問の衝撃。 9月30日「おれにとっての”天皇陛下”はこの日に死んだ。そうとでも思わないことにはこの衝撃はおさまらぬ」 10月1日「おれのこれまでの天皇にたいする限りなき信仰と敬愛の念は、あの一葉の写真によって完全にくつがえされてしまった。」 新聞とラジオは「聖戦完遂」「一億火の玉」「神州不滅」と公言していたが降伏後は、 「戦争ははじめから軍閥と財閥と官僚がぐるになって仕組んだものであり、聖戦どころか正義にもとる侵略戦争であった」と盛んに主張している、「新聞で本当なのは死亡広告だけ」。 宣戦の詔書「朕か陸海軍将兵は全力を奮て交戦に従事せよ」。 すべてを天皇のために、すべてを天皇の統治したもう祖国のために。 戦中・戦前に於いて渡辺清と同じ感覚を共有していた大日本帝国の国民は多数存在したと思う、昭和天皇もその一人ではなかったのか。 靖国神社や伊勢神宮への参拝と行幸と親拝、立場によって異なる、奉られている神との上下関係より異なる、死ねば神になるといっても神にも上下がある。 人は天皇のために戦って死ねば靖国神社の神になる、しかし「遺骨の帰還」に対して 『自分が先頭にたって旗をふって万歳万歳と見送っておいて敗けたとわかると「校長の野郎、ふるえあがっちゃって今日も知らん顔」』
2016.02.21
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一億総懺悔を首相である東久邇宮稔彦王(陸軍大将)が1945年8月17日の記者会見で主張、また9月5日の施政方針演説でも主張。 「前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、我々は今こそ総懺悔し、神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして、戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各々其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります」 反省者に天皇・皇族が含まれていない、文中の「神」は天皇の意か。 日本国民は戦時中に責任を取っている、責任を取らないといけないのは指導層たち及び其の周辺である。 【1945年9月】-2・09月02日:「天皇陛下が処刑されるかもしれない」、天皇の責任の取り方・09月04日:8月15日から戦闘停止だったがミズーリ号で降伏調印式が行なわれた、国敗れて山河あり・09月05日:復員して7日目だが一歩も外に出ていない、村には戦死者が多い復員後の挨拶回りに躊躇・09月07日:新聞発表で陸海軍関係の戦死傷者数は8月現在で約15万7千人、死におくれた無念さが胸を打ってあるれた、大本営は「皇土には敵の一指も触れさせぬ」と言っていた・09月10日:世話になった人、帰ってこない人・09月13日:東条英機大将が自殺未遂、東条が公布した「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪科の汚名を残すこと勿れ」、復員船の乗務員としての誘いを断る・09月18日:人前で戦場の話だけはしたくない、言葉ではとても説明しきれるものではない・09月24日:畑仕事、戦場の情景、東条大将は生命をとりとめ新聞に「一発で死にたかった。時間を要したことを遺憾に思う。(略)陛下の御多幸を行く末までお守りしてどこまでも国家の健全な発達を遂げることが出来れば幸いである。責任者としてとるべきことは多々あると思うが、勝者の裁判にかかりたくない」・09月26日:同級生の復員兵、同級生で戦死したのは6人、徴兵年齢の引き下げでの戦地での戦死・09月27日:復員前の物資のぶんどり、全員ではないが士官・下士官・兵が行なった士官の方が大掛かりで巧妙だった・09月30日:天皇はマッカーサーを訪問、新聞に写真が大きく出る〓勝手に独断と偏見〓 戦中・戦前に於ける日本人の意識の一つ「神聖にして侵すべからず」なる天皇を頂点とした美意識・選民思想が敗戦により崩れつつある。 敗戦国の元首と国民の身の処し方が戦前・戦中の美意識とは異なる場合が表面化する、刑法から「皇室に対する罪」が削除されるのは1947年10月、治安維持法は1945年10月4日にGHQが廃止を要求したが東久邇宮稔彦王内閣は拒絶し幣原喜重郎内閣により廃止された。 所謂「人間宣言」は1946年1月1日の詔書だが敗戦及び昭和天皇のマッカーサー訪問(訪問は1945年9月27日、会見写真は29日付の新聞に掲載)等により天皇=現人神の構図は崩れたと感じられる。 阿南惟幾大将のように責任を果たして一人で亡くなった人もいると思えば、身柄を拘束されそうになって死んだ者、死ななくていい部下を引き連れて死んだ者、連合国に殺された者。 哲学者の三木清は治安維持法で拘留され1945年9月26日に48歳で豊多摩刑務所にて亡くなっている。 東条英機は身柄を拘束されそうになっての自殺未遂、東条が国民に主張していた美意識と正反対の行動だった。 対米戦を行なわなければ日本人が日本人でなくなってしまうの美意識が戦争を始めた理由の一つではないのか。 東条英機の自殺未遂と「戦陣訓」との差は日本国民にはきつかったと思う、指導層及び其の周辺は自らの責任を東条に押し付けるのをやりやすくなったのではないか。 「砕かれた神」の9月13日では、東条の自殺未遂は「恥」として捉えられている。 「軍人の最高位をきわめた陸軍大将が、商売道具のピストルを射ちそこなって、敵の縄目にかかる。これではもう喜劇にもなるまい。 東条はこの失態によって、彼自身の恥だけでなく、日本人全体の恥を内外にさらしたようなものだ。おれは東条大将だけは連合軍から戦犯に指名される前に潔く自決してほしかった。あの阿南陸相のように責任者なら責任者らしく、それにふさわしい最後を遂げてほしかったと思う。」 極東国際軍事裁判より殺された者には冤罪による判決があると思う、また死刑廃止論者は東条などに死刑が執行されたことに対して憤りを覚えていると思うがどうだろう。
2016.02.07
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