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怒りや悲しみは一体どこからやってくるのだろう荒れ狂った感情をむき出しにして人は幸せにはなれない憎しみや争いから得るものは何もない他人同様に自分自身を憎むことさえも決して許されることではないすべてこの世はこともなしそう言える平穏な日々の中にいる自分自身でありたい
2006.04.30
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池に石を投げ込めばきれいな波紋が水面に広がる何かいいことがあった時にはそんな風に心もきっと揺らいでるゆらゆらゆら放射状に広がった波紋がうれしそうに波打っている心が躍るわくわくした時間うれしそうに微笑む誰かのそばで自分自身の心も揺らぐだろうか
2006.04.30
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どうしようかと迷うことああでもないこうでもないと思いつつためらってしまえばもうそれまで思い切りが肝心なはずなのに躊躇したが最後そこから踏み切れない人間なんて弱いものためらっている時 迷っている時 不安な時心の中ではきっといろんな色が混ざり合っているんだろう決断すればはっきりとどんな色かが見えてくる優柔不断はよどんだ灰色思い切った決断は明るい光の色どんな色であっても曇らぬ自分でなければ
2006.04.29
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時間が歪み 空間が歪む 宇宙の摂理が歪み やがてそれが自然になる 歪んでいても誰も文句言わない 歪んだものをすべて正しいと見ればいいわけだから
2006.04.28
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どこにでも行けるという自由どこにも行かないという自由ここにとどまることもできるしとどまらなくてもいいすべてを決めるのは自分の自由意志何ものにも拘束されることなく何からも束縛を受けることもない旅人なら自由を選ぶだろう職業人なら自分の居場所を見つけるだろういつか来た道をまたたどるのだろうかバックミラーには過去しか映らない未来を見つめるのは自分自身の二つの瞳ただそれだけだ
2006.04.26
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どうして人の心はこうも硝子のように脆(もろ)く傷つきやすいのであろう世のすべての人に鋼(はがね)のような心があれば誰をも傷つけず誰にも傷つけられず平穏無事にことは済む人を傷つけることも人に傷つけられることも知らなかったあの頃誰もが笑顔で自分に何かを語っていたそして自分自身もまた笑顔でそれを聞いていた愛を知り傷つけることと傷つけられることを知った願わくば誰をも傷つけず誰にも傷つけられず平穏に生きて行きたい自分をうまく理解できていないから自分をうまく表現できないから自分をうまく生きていないんだろうか訳もなく悲しくなったり思い出し笑いをしたり1分が1時間に感じられたり10年前を昨日のことと錯覚してしまったり研ぎ澄まされた鋭利な刃物のようにシャープな心を持って一分一秒を真剣に生きていくべきなのだろうけど闇夜にぼんやりと浮かぶ上弦の月を見ていたらそんなことどうでもよくなってきたよ空が曇っていても月は必ず雲の後ろにあっていつも変わらずにその光を放っている風が雲を取っ払ってくれさえすれば月は気持ちよく輝くことができるものそんな風が吹きさえすればいいのに
2006.04.19
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ゆったり、まったりでいいんだよ。
2006.04.17
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ここ数年お花見と言うものをしたことがない。年度初めが猛烈に忙しいせいもあるが、休みの日に桜が満開であるというのは、自分の誕生日が日曜日に当たる確率よりもはるかに低いと思う。そういえば、秋の紅葉狩りを経験したという記憶も実際には乏しい。「誰か」と「どこか」に行ったという記憶がかなり欠落していると言うことに今気づかされる。もともとひとりで行動することが多かった(小学校1年生の頃から家の近くの銭湯にひとりで通っていた)から、家族がデパートに買物に行くという時でも、ひとり部屋で本を読んでいたり、プラモデルを作ったりしていた。協調性がないといわれてきたのもそういった性癖が大きく関わっているのだろう。歳をとればとるほど人と人とのつながりが疎遠になっていく。インターネットのおかげで人と会う機会もますます減ってきているように思う。そういえばしばらく同窓会なんていうのも出席してなかった。時間に余裕ができたこともある。誘いがあれば進んで出席してみようと思う。桜の花びらが散っていく。ちりぢりばらばらに散っていく桜の花びらも、土に返ればまたひとつになるのだ。大地というふるさとがすべての桜をひとつにつないでくれている。桜の花びらが散るのをいとおしく思う自分も、実はこの大地においてすべてのものとつながっているに違いない。そんなことを考えながら、心地よさそうに風に舞う桜をじっと目で追っている。窓の外は花曇(はなぐもり)。なかなか青空が広がってはくれない。空は決して桜に意地悪をしているのではないだろうけれど…。「無重力状態で桜の花びらは一体どんな風に散っていくのだろうか」というどうでもいいような疑問が自分の頭をよぎる。花冷えの四月の午後、自分を取り巻くこの空間では、時間だけがただゆったりまったりと過ぎていく。「すべてこの世はこともなし」なのである。
2006.04.13
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.It's now or never. (やるなら今しかない)
2006.04.11
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自分自身が変わることをためらわないこと、しかし自分の価値を投げ捨ててはいけない(Open your arms to change, but do not throw away your values.)…ネパールの幸運を導くタントラ(呪文)から
2006.04.09
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わが父高繁泰治郎は俳人で「夢の白鳥」という句集を過去に出版している。自分もいつか「僕は気ままな風になる」というタイトルでこれまでの旅(アメリカ本土、アラスカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア)の記録をエッセイ集としてまとめてみようと考えている。アメリカ横断自転車旅行から既に15年。気がつけばもうそんなに時間がたってしまっていた。学生時代からの夢をひとつかなえて、ひとつだけでは物足りずさらに次へ次へと進んでしまった。飽くなき野望を追い求めるのが男の生き方、そんな考えはきっと今も変わってはいないのだろう。生きていると言う確かな実感は、自分が望む生き方をしている者にのみ得られるものなのだ。旅をすることで成長を遂げてきた。旅人はやはり旅の途上にいて初めて旅人たりうる。道祖神の声がどこかから聞こえる。そして例によっていつもの風が吹き始める。*「夢の白鳥」については→こちら
2006.04.08
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4月から寮監と担任の仕事を離れた。今までと同じ午前4時50分に起きて、そのあと1時間(約10キロ)走って、軽くエクササイズ&ストレッチして頭も体も目覚めさせてやる。MP-3プレーヤーでお気に入りの音楽を聴きながらスローペースで走るのは気持ちがいい。朝はもうそんなに寒くないし、朝日が昇り始める頃の田園風景は美しい。自然からエネルギーをもらっているということを身をもって感じている。 インターネットでニュースやメールをチェックしてから朝食。これまでは寮で購読している朝刊を読んでいたが、今はもっぱらネットに依存。その内朝刊も配達してもらおうか。 朝は味噌汁(ほうれん草や納豆など10数品目入り)にフルーツたっぷりのヨーグルトを食べ、朝から既に30品目ばかり食べている。加工品は極力とらず、自然のものを食べるようにしている。仕事が夜遅くまであると夜食に頼ることが多く、この1年で体重が3キロばかり増えてしまっていた。甘いものもできるだけ控えなければ…。7時半には職員室に出向いて一日の勤務が始まる。今年は6年生(高校3年生)を中心に英語を教える。受験を控えた彼等の将来がかかった一年。夢をかなえるための力を彼ら/彼女らに与える力が自分には必要だ。苦しいことも辛いことも、そこから逃げ出したりせずに、真っ向から立ち向かっていく勇気を持たせてやろう。絶望の淵に立たされたとしても、一縷(いちる)の希望を胸に前進していく人でありたい。勤務を終えて帰ってきて再び家の近辺を走る。 夕暮れ時はどちらかというとセンチメンタルな気分で走ることが多い。ランナーズハイで気分が高揚していれば、時にはハイペースで3キロ~5キロを駆け抜ける。20年近く前のマラソン全盛期(10キロ35分、フルマラソンを2時間台で走っていた頃)の自分に戻って、颯爽(さっそう)とアスファルトロードを走っていく。周りが水田地帯なので犬の散歩にやってくるお年より以外はほとんど人ともすれ違わない。夕食は自炊を続けている。今のアパートに引っ越して4年目だが、初めて醤油やマヨネーズをスーパーで買ってきた。お米も買った。ここ数年、部屋でコーヒーを入れることもなかった(職場でもインスタントだった)が、挽いた豆を使ってコーヒーを入れてみた。「 コーヒーってこんな味だったんだ」というちょっとした感動があった。何よりも夕食で晩酌なんて何年ぶりのことだろう。決して高い酒を飲んでいるわけではないのだけれど(もっぱら発泡酒か酎ハイ)、 よく働いたあとならなおさらお酒がうまい。平凡ではあるけれど、ささやかな喜びを大切にしよう。明日の頑張るエネルギーはこうやって作られていくのだということを今改めて学び始めている。(写真:いつも走っているジョギング・ロード)
2006.04.07
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ある晴れた日に公園のベンチに腰かけてバドワイザ片手にハムサンドウィッチをかぶりつくこれぞ最高の贅沢サンドウィッチ目当てに寄ってきた野良犬に人生について延々と語り続けることばは語り手の意志とは裏腹に宙を舞い野良犬の耳ではなく魂に届くひょっとしたらこの野良犬の前世は自分自身だったのかも知れないそんな風に野良犬を見つめれば仏教で言うところの「輪廻転生(=Reincarnation)」を信じてもいいと思う僕は野良犬にサンドウィッチの中のハムを一枚くれてやった野良犬は尻尾を振りながらせわしなくハムを貪り食う来世の自分自身に感謝の眼差しを向けられて悪い気はしないものの妙に変な気分だある晴れた日にバドワイザを一気に飲み干す胃袋の中に宇宙を感じる瞬間僕はどこにでも行けるしどこにも行かないハムを食べ終えた野良犬は行儀よくお座りしながら自分がバドワイザを飲み干すのをじっと見つめている午後三時の公園自分たち以外には誰もいない静けさの中で僕はバドワイザの空き缶を片手でグシャリと握りつぶす野良犬は聞きなれない音にニタリと笑みを浮かべる笑みを浮かべたのではなく笑みを浮かべたように見えたのかも知れない銀河系の一惑星の中でそこだけ違った時間が流れたように感じた少なくとも僕にはそう感じられたあるいはそれは何らかのメタファーだったのか…僕にも野良犬にも、もはや知る由(よし)もないある晴れた日に僕の胃袋の中に四次元空間が生じようとしていた神様にはすべてお見通しだった起こるべくして起こったことをただじっとうなずいて見守っているだけ何の不都合もなくごく自然に、ごく当たり前に…野良犬は何度も何度も自分の方を振り返りながらやがて自分の視界から消え去っていった
2006.04.04
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生きているという実感は、努力からしか生まれてこない。努力しない人間は、「失敗してもともと」という気持ちがあるから、努力なしでそれなりの結果が出れば満足なのである。そしてその結果は、たいてい中途半端で不完全なものになってしまうのがオチなのである。すべての努力が報われるというわけではない。しかし、努力なくして報われる人生というものもまたありえない。努力したからといって、すぐにその成果があらわれてくるとは限らない。成果があらわれるまで何ヶ月も、何年も、かかる場合だってある。人生の最後の瞬間にあらわれてくる成果もあるだろう。しかし、努力が報われないからといって諦めてしまえばそれまでのすべての努力は水泡に帰してしまう。種を蒔いたら、芽が出るまでは育て続けてやろう。いつか花が咲くであろうことを信じて、心を込めて育ててやるのである。ただじっと見ているだけでは美しい花は咲かない。丹精込めて育ててきた花こそが一生懸命育ててきた見返りなのである。
2006.04.03
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ないものを嘆き悲しむよりも 今あるものを心から素直に喜べること。
2006.04.02
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