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年にふさわしく風にふさわしく病気の時は病気のままに元気な時は元気なままに走りつづけようと思いますそしていつものあいさつですが走る人にも走らない人にも走れない人にもいつもいい風が吹きますようにありがとう …「気分はいつもトライアスロン」高石ともや(ランナーズ)から******フォークシンガー高石ともやさんは知る人ぞ知るスーパーランナーでもあり、トライアスリートでもある。今年65歳という年齢が信じられないほどに若々しい人である。サロマ湖100キロマラソンや阿蘇カルデラ100キロマラソン、揖斐川マラソン、ホノルルマラソン(今年30回連続出場)と、全国あちこちに現れて、多くのランナーとの交流を持たれている。マラソン大会の会場や沿道でギターを爪弾きながら声援をかねて歌ってくれている。その気さくな人柄の中には、恐るべき精神力を秘めているのだと思う。彼がたどってきた轍(わだち)を見ていただければその凄さが分かる。並みの人のように見えて、その実超人的な偉業を成し遂げられているのだから。30代半ばでフルマラソン2時間45分台を記録されているのもすごいのだが、歳を重ねるにつれて彼のチャレンジはエスカレートしていく。48歳でウエストフィールドラン(オーストラリア1018キロ)、52歳でトランス・アメリカ・フットレース(ロスアンジェルス~ニューヨーク4700キロ)をいずれも完走している。言葉で書けばたった数行の記録かもしれないが、30歳で京都~東京500キロあまりを走った自分自身の経験からすると、この二つの記録は彼の年齢から見ても怪物的である。走ることを通じて命は平等であることを氏は唱えている。マラソンを辛いもの・苦しいものと思う人がいる。確かにそれも一部正しいのかも知れないが、辛く苦しいだけのものではないということだけは確かだ。辛く苦しいと感じるのは人生も同じ。楽しいこともうれしいこともきっとある。ありのままに生きる。生きていくうえで同じ日は二度とやってこない。毎日いろんなことがあるけれど、それを快く受け入れてみよう。走っていればいろんな時がある。脇腹が痛くなったり、呼吸が苦しくなったり、足が動かなくなったり…。そうかと思えば、素晴らしい風景に出くわしたり、予期せぬ出会いがあったり、自分の意外な可能性に気づかされたり…。「いつもいい風が吹きますように…」常に誰かにそう祈ることができる自分でありたい。(Photo: 高石ともや氏と 1993年ホノルルマラソンの完走パーティ会場にて)
2006.11.30
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あなたの知らないところにいろいろな人生があるあなたの人生がかけがえのないようにあなたの知らない人生もまたかけがえない人を愛するということは知らない人生を知るということだ …灰谷健次郎「遅れてきたランナー」から*****走ることも旅をすることも自分にとっては同じ意味を持つそれは「生きる」ということに他ならない生きていく中で知らないことを知る喜びを堪能するそして知らない人と出会いお互いを知るようになる旅も人生も走ることも前に進んでいく中でたくさんの出会いがあるたくさんの風景に出会うたくさんの感動がある生きているそれは生かされているということ多くの人に支えられ転ばぬよう倒れぬよう自分が前に進んでいけるようしっかりと見守っていてくれる決してひとりじゃないみんなといっしょなんだ(Photo: マウントクックに向かうハイウェイで ニュージーランド南島 1995年)
2006.11.29
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19日の東京国際女子マラソンで3位に終わった高橋尚子選手がレース後にこんなことを言っていた。「レースのダメージは思ったほどない。今後、どのレースに出るかは、しばらく休んで考えるが、(置かれている状況は)断崖(だんがい)絶壁に近いことになった。二度と同じことは繰り返せない」来年3月の名古屋国際に出場して来夏の大阪世界選手権を目指す計画と、世界選手権出場は断念して、08年北京五輪の選考レースに出場するふたつの計画の狭間に置かれているのが今の状況だという。 レースの結果には満足していないはずだが、表情は明るく、「私はこういうことを繰り返してきた。本来の姿に戻ったのかな。このままで終わるつもりはありません」とも語っている。 「ハングリー精神」「チャレンジャーズ・スピリット」「何くそ魂」…彼女が逆境に強いのは、持ち前の明るさと、何事に対しても貪欲な気持ちで臨むその姿勢にあるのだろう。「このままで終わるつもりはない…」再起をかけてそう語る彼女に、幸運の女神様は再び微笑んでくれるかも知れない。(Photo:跳べ!高く!!)
2006.11.28
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*カナダの21歳バカ男、発熱赤ちゃん冷凍庫へ (スポーツ報知)カナダのアルバートンで、26日までに生後10か月の女の赤ちゃんが発熱し、どうしていいか分からなくなった男性が、赤ちゃんを冷凍室に入れるという事件が起こった。帰宅した恋人が赤ちゃんを救出も、頭部に凍傷を負ったため、入院中だ。24日付の地元紙「シャーロットタウン・ガーディアン」紙によると、幼児虐待・育児義務放棄などの罪で公判中なのは、デリック・ハーディ被告(21)。赤ちゃんの母親とは2004年8月から同居していた。赤ちゃんの発熱に気付いたハーディ被告は、まず顔に冷たい布をあてた。しかし、熱が下がる気配がなかった。今度は、赤ちゃんを抱きかかえて外の夜風にあててみた。が、やはり効果無し。最後の手段としてハーディ被告が思いついたのが冷凍庫だった。そして、肌着しか着ていない赤ちゃんを、冷凍庫に閉じこめてしまったという。ハーディ被告は法廷で、自身に病気の赤ちゃんを看病する能力がないことを認めたうえで「母親が帰ってくるまで、赤ちゃんが冷凍庫に入っていたのはわずか40秒間ほど」と証言。冷凍庫の扉も半開きにしていたと語り、容疑を否認している。しかし、ロイター通信によると、カナダ放送協会は「母親が帰宅したら、冷凍庫に氷やハンバーガーの肉などと一緒に赤ちゃんが詰め込まれていた。扉は閉まっていたと母親は証言している」と報じている。[ 2006年11月27日8時00分 ] *******「常軌を逸する」とはまさに上のようなケースのことを言うのだろう。ここまで人の痛みが分からない人間がいるのかと思うと嘆かわしい。もう「?」を越えてただ唖然としてしまう。頭を冷凍庫に突っ込んで「よく冷やせ」と言いたいところだ。乳幼児虐待はどこの世界でも起こるものだが、最近日本もこの手のニュースが絶えない。若い夫婦が子供を虐待するケースが圧倒的だが、愛人(内縁の妻)の子供に暴力を振るうケースも多い。虐待をする親も、実際幼い時期に虐待を受けている場合があるという。暴力が暴力の連鎖を引き起こしている。暴力はひとたび始まると徐々にエスカレートしていくもの。現実に死に至らしめている状況も起こっている。子供には罪はない。子供が言うことを聞かないのは必ず原因がある。教えて諭すことがしつけであって、痛みや苦しみを与えることは虐待でしかないと思う。親が親で無くなっている国、それが日本であるのだとしたら、この国の未来はもうない。親である前に、ひとりの人間として子供と接するのだということをまず理解しておかねばなるまい。(Photo: 子供は未来の宝です)
2006.11.27
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伊賀上野シティマラソンに参加してきました。受付に行って、いきなり「おめでとうございま~す!!」何かと思ったら、キリ番賞ということでジャスト100番目の受付。ハムの詰め合わせセットをもらうことに。こいつは朝からラッキーなできごと。我が日生学園から中学・高校生合わせて100名近くが参加していたので団体賞をもらうことになっていた。賞品は、バナナ一箱(100本ほど入っていました)と5キロの伊賀米コシヒカリを6袋。バナナは参加者全員で分けて、米は学校の食堂に寄付することに。毎年参加されているある集団(忍者のスタイルで走る人たち)から、うちの生徒たちが「ぜひ忍者の格好で走りましょう」と誘いを受けて、5人がにわかにカラフルな忍者に変身。天候は曇り。時折小雨がぱらついたけれど、濡れて不快感を感じる雨ではなかった。10キロ、しばらくレースは走ってなかったのだけど、朝5時からの1時間ジョグだけでもある程度スタミナは維持できていたのかも知れない。43分台のタイムは一緒に走った高校生には負けなかったけれど、やはりこのところ走れば走るほどタイムが悪くなる。40代で13位。40分を切れるかな…という考えは甘かった。20代後半で出した35分台は無理としても、5年前までは36~8分台で走っていたのに…。体重も増えたこともあるし、練習がまともにできていないのが一番の原因。2月の木津川に向けて体を絞らねば…。マラソン後、忍者ショーがあった。なかなか訓練された人たちばかりで迫力満点。近くの伊賀忍者博物館でもこのショーは定期的に行われているらしい。お楽しみ抽選会では、我が学園の中学生のひとりが折りたたみ自転車をゲット!さらに胡蝶蘭が当たった者も!高校生の一人が近くにあるモクモクファームというレジャー施設のギフト券を当てていた。参加した生徒たちも皆楽しんでいた様子。走るのが好きという中高生は少ないのだけれど、みんなで参加すればいろいろと楽しめる。寮に入っている生徒たちにしてみれば、学校の外に出ること自体が刺激なのです。さあ、まもなく期末考査。生徒たちは試験勉強に。自分はテスト問題作成を急がねば…。
2006.11.26
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明日は地元伊賀市で伊賀上野シティマラソンが行われる。こちらにやってきてから毎年参加しているが、今年で6回目の参加。教え子たちも総勢100名近くが3キロと10キロに出場。天気が下り坂なのが心配だ。話は変わるが、ここはおなじみ伊賀忍者の里でもある。このマラソンにも忍者のスタイルで参加するランナーも珍しくはない。マラソンのサブイベントで忍者のショーも例年行われている。伊賀忍者博物館や忍者にまつわるお土産を扱う店もあったりする。伊賀流忍者店では忍者の衣装、刀、手裏剣などなど、忍者マニア必見の珍しいものがいっぱい。インターネットでの販売も行っている。松尾芭蕉生誕の地でもあるため、俳句に関わるイベントやコンクールも多々行われている。地場産の伊賀牛や伊賀米もマラソンの後に行われる抽選会での景品になっている。明日は気持ちよく走ろう。(Photo:青山高原を走る…明日はこのスタイルで走っています)
2006.11.25
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今日のニュースから: 失われつつある健全な食生活 初の食育白書、警鐘鳴らす (共同通信) 政府は24日午前の閣議で、昨年7月施行の食育基本法に基づく初の「食育白書」を決定した。毎日夕食をともにしているのは4世帯に1世帯になるなど、「望ましい姿の『健全な食生活』が失われつつある」と警鐘を鳴らしている。また今年3月に閣議決定した食育推進基本計画に沿い、具体的実施計画を策定した自治体が11都道県にとどまっていることも指摘、早期に食育推進に取り組むよう促している。[ 2006年11月24日9時43分 ] ******「お母さん、今日のおかずなあに?」「今日かい?今日はハンバーグだよ」「わぁい、ハンバーグだぁ!うれしいなぁ!!」そんな会話が聞こえてくる家庭が今どれくらいあるのだろう。戦後変わったもののひとつ、日本の食生活…。ひとつはコンビニの普及に伴う高カロリー化、及びインスタント化。母親が作る手作りの料理が消えつつある。魚をさばいたことがないという母親。家に調理器具が揃っていないという事実。電子レンジはあるが、鍋がないという家庭…。そして、家族そろって食事を取るという機会が減ってしまったということもある。両親が共稼ぎ。子供は冷凍食品やコンビニで買うもので間に合わせる。一人っ子の世帯も多いために、子供は全く孤独な食事の時間を送る。それよりも、塾帰りにコンビニで買って来たフライドチキンやハンバーガー、カップめんで腹が膨れればいいという食生活の方が一般的なのだろうか。あるいは外食の機会が大幅に増えたということも上げられるだろう。家族とのコミュニケーションも、焼肉やファミリーレストラン(いわゆるファミレス)で何とか保っているという家庭も多いのかも知れない。働く女性(母親)が増えてきたことから、食事を作るのはもはや女性のみの仕事ではなくなった。男性(父親)も厨房に立つべき必要もあるということだ。自分の場合、母親の料理はやはりおいしかった。父も妹も自分も、母親が作る料理がおいしかったから、大学に入って一人暮らしをするまではほとんど外食をした覚えがない。母親も毎日のメニューをいろいろと工夫してくれたおかげで飽きることもなかった。結婚していた頃は、妻も料理学校に通っていたのでいろんなおいしい料理を作ってくれた。できあいの惣菜(おかず)を買ってくるのはタブーでもあったのだ。2週間に一度は外食に出ることもあった。妻の両親と同居していた頃は、外でおいしい物を食べる楽しみも用意されていた。食べることに関してはみんな積極的でそれぞれに好みがはっきりとしていた。妻・娘と別れてもう4年。別れた時に娘は7歳になる前だった。父親といっしょに食事をした記憶は少しは残っていると思う。家庭でいっしょに食事をしていますか?子供の話に耳を傾ける機会・子供と過ごす時間がほとんどないという世間のお父さん、たまには外食でもいいから、家族と食事する場を持ちましょう。「食べる」という基本的な生活習慣が、子供の人格形成や健全な成長に大きくプラスになるということをまず親が知らなければなりませんね。(Photo:しっかり食べよう!ただし食べすぎには注意!!)
2006.11.24
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灰谷健次郎氏が逝去された。以下はasahi.comの2006年11月23日15時55分付のニュースから******「兎の眼」「太陽の子」の作家・灰谷健次郎さん死去 小説「兎の眼」「太陽の子」などで知られる作家で、教育問題に積極的な発言を続けた灰谷健次郎(はいたに・けんじろう)さんが23日午前4時30分、食道がんのため静岡県内の病院で死去した。72歳だった。故人の遺志により葬儀はしない。自宅は非公開。 神戸市生まれ。働きながら定時制高校に通い、大阪学芸大(現・大阪教育大)へ。神戸で小学校教師を務め、創作活動も始めた。72年に退職してインドやタイ、沖縄などを放浪。74年、工場地帯の学校を舞台にした「兎の眼」を発表した。 多感で繊細な子供たちや、彼らと向き合う個性的な教師たちを生き生きと描いた「兎の眼」は、児童文学として出版されたが、広く大人にも読まれてミリオンセラーに。国際アンデルセン賞特別優良作品にも選ばれた。 78年、神戸の琉球料理店の少女が、太平洋戦争と沖縄に思いを深めていく「太陽の子」を出版。その後も、寡作ながら絵本「ろくべえまってろよ」(絵・長新太)や、少年の成長を追った大河小説「天の瞳」など、ヒューマニズムにあふれた作品を発表。教員体験や独自の死生観をもとに、子どもや教育をめぐる問題にも積極的に発言した。83年には神戸市に保育園を開いた。 97年に、新潮社の写真週刊誌が殺人容疑の少年の顔写真を載せたことに怒り、同社との出版契約をすべて解消して抗議の意を表した。 作家デビュー後、兵庫県の淡路島で農耕生活を10年余り続けた。91年には沖縄県の渡嘉敷島に住居を移し、漁をして暮らした。04年12月に食道がんの手術を受け、回復していたが、今年9月に再入院していた。 97~99年、本紙家庭面(当時)にエッセー「いのちまんだら」を連載。2冊の本になっている。******灰谷さんがマラソンランナーだったという事実は意外と知られていない。1984年、当時49歳でフルマラソン初完走、走ったのはホノルルマラソン。彼にマラソンを勧めたのはフォークシンガー高石ともや氏と群馬大学教授山西哲郎氏。灰谷氏の「遅れてきたランナー」の中に、なぜ彼が走ることに目覚めたか、走ることについての彼の哲学らしきものが紹介されている。こうめさんのホームページにも「遅れてきたランナー」の書評があるので参考にして欲しい。自給自足をされていた淡路島での対談の見出しに次のようなことが書かれている:『子どもの持っている可能性を引き出すのが教育の仕事がんばるということが唯一の善ではないと思う走ったからって世の中変るわけじゃない。でも走る行為の中には大きな意味があるはやいだけの人生がすばらしいんじゃない走るということには人生の生き方みたいなものがみんな絡まってる心と体は対話のうえで成り立っているはずなのに若者が体を動かさなくなってきたことに危機感を持つ子どものころは自然の中を自然のままに走っていた人間はむかし、野山を駆け巡ってたんだね自然回帰いまは選択の時代魂が躍動する行動と言うのはどこかで自然とつながったもの』そして灰谷氏の結論は「マラソンは心身の調和の上ではじめて成立するもの」ということ。自分自身の心との対話、そして自分自身の体との対話、心と体の声を聴くことで初めて自分の「走る」という行為が完成する。教育関係の著書が多い中で、走るということに関して、灰谷氏の生き方の一面を垣間見る一冊。晩年は自給自足の暮らしを続けておられたということだった。恐らく自然と一体化することで自然に帰ろうという気持ちが人一倍強かったのだろう。享年72歳、亡くなられるにはまだ若すぎた。心より冥福をお祈り申し上げます。合掌
2006.11.23
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Lost wealth may be replaced by industry,lost knowledge by study,lost health by medicine,but lost time is not forever.失われた富は勤勉さによって取り戻されるかも知れない失われた知識は学問によって失われた健康は薬によって取り戻されるだろうしかし、失われた時間だけは永遠に取り戻されることはない(出典不明:英文和訳教材から)
2006.11.22
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24歳ソープ、引き際の美学 「進化」行き詰まり(2006年11月22日07時04分 asahi.com) シドニーで21日に開いた記者会見で、現役引退を表明した競泳男子のイアン・ソープ(オーストラリア)。00年シドニー、04年アテネの両五輪で計5個の金メダルを獲得した水泳界のスーパースターは、24歳で競技の第一線を去る決断をした。惜しむ声が聞こえる一方で、若くしてピークを迎えた天才スイマーゆえの苦しみもあった。 スーパースターの引き際の美学といっていい。アテネ五輪後に競技会から1年間遠ざかって心身をリフレッシュさせたものの、今年は病気や負傷が重なって調整不足が続いた。来年3~4月の世界選手権は自国開催だ。負ける姿を見せられない、と判断したのだろう。人気、実力ともに競泳界をリードした王者の最後のプライドといえる。 10代半ばで世界トップに躍り出た。ゆっくりとした大きな泳ぎは、競泳界を震撼(しんかん)させた。腕を上げた時に一瞬ためをつくり、そこから強く効率よく水をとらえるストロークは、地道な筋力トレーニングの成果でもある。01年世界選手権(福岡)で6冠に輝き、アテネ五輪でも個人種目は200メートルと400メートルの自由形を制した。 だが花形種目100メートル自由形では、頂点に立てなかった。五輪2連覇のピーター・ファンデンホーヘンバント(オランダ)らを上回れなかった。今年もスプリント力の強化にこだわってきたが、故障で十分な練習ができず、進化に限界を感じたのかも知れない。 アテネ五輪男子平泳ぎ2冠の北島康介(日本コカ・コーラ)は「僕と同じ24歳。残念です」と語った。それでもメディア露出が多いとは言えない競泳で、プロとして成功できる例を示した。早過ぎる引退であるが、残した功績は大きい。 ******「Thorpedo(ソープ泳法)」という言葉が生まれるくらい競泳の世界では知られた選手、イアン・ソープ。24歳という若さで引退するというニュースが届いた。数日前からその噂も流れていたが、まさか現実になるとは…。多くのスポーツファンが耳を疑ったに違いない。24歳といえば、プロ野球界やJリーグの世界ではまだまだ駆け出しから数年たったところ。20代後半から30にかけて一番脂が乗った時期とでも言えよう。どんなにすぐれた機械(マシン)も、新品の内に無理して使って壊れてしまえば使い物にならなくなる。使い方を誤れば、長く使えるものも短期間でお釈迦になってしまうものなのだ。先日の東京国際女子マラソンでも高橋尚子選手の引退説が流れ、本人はそれを否定している。北京五輪のマラソン代表をかけて、まだ彼女のチャレンジは続くものと信じているが、実際この先どうなるかは分からない。若手の選手は次から次に現れてくるだろうし、彼女だっていつまでも若くない。高橋尚子やイアン・ソープのようなスター選手には、遅かれ早かれ「栄枯盛衰」ということばがつきまとうようになる。彼ら/彼女たちにとって「引退」とは避けて通れない道なのだ。マラソンを走り始めて21年、自転車に乗り始めて27年、「アマチュアに引退なし」と言い聞かせ、今もチャレンジを続けている。若い頃のようには行かないことは分かりつつも、どこまでやれるのかというのは未知の部分でもある。だからこそチャレンジする価値があるというもの。生きて足が動く限り、マラソンも自転車も「生涯現役」で続けて行きたい。
2006.11.22
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ワキ腹が締めつけられる。ヒザが痛み、脚が重くなり始めた。腕を振るたびに肩がだるくなり、いよいよもう走れなくなりそうな予感がする。アゴが上がり、息も絶え絶えに、ピッチは落ち、ストライドもこれ以上伸びない。乱れた足並み、崩れたフォーム、走っているのだか喘(あえ)いでいるのだかさっぱり分からない。今立ち止まったらもう絶対に走り出せなくなるような、そんな感じだ。ここまで走ってきたのに何だ、この不様(ぶざま)な自分は?ゴールまでまだもう数キロある。弱い自分をまざまざと見せつけられ、こんなはずじゃあ…と思ってしまう。自分に言い訳をしても始まらない。だからいやおうなしに走る。惨(みじ)めな自分の姿を沿道の観客にさらしものにしてももう構わない。まあ、長く走っていればこんなこともあるさ。開き直ってさらに前進。立ち止まらず、振り返らず、一歩ずつ、一歩ずつ…。自分自身と対峙(たいじ)することで、ありのままの自分を知るいい機会でもある。凡人の肉体と精神がいかにお粗末で不完全なものであるか、走り続けていれば自(おの)ずと気づかされる。「よく見るがいい、これが偽らざる真のおまえ自身の姿なのだよ」そう言って、僕の一番弱い部分を神が自分だけに示してくれているのかも知れない。いくら鍛えられた人間であっても、限界は必ずそこに存在する。その限界に挑むことが、実は己(おのれ)の弱さを知ることなのだ。限界を恐れていたのでは決して強い人間にはなれまい。限界に一歩近づいた時、その限界を乗り越えようとする強さが欲しい。ともすれば、限界なんて幻みたいなものに思えてくるはずだから。どんなに強靭(きょうじん)な肉体であっても、鋼(はがね)のような筋肉をつけたとしても、そこにハートが伴わなければ、それらのものは皆単なるファッションで終わってしまう。いわく、「健全な肉体に健全な精神が宿る(“A sound mind in a sound body.”)」心が解き放たれた時、肉体の苦痛はもはや問題にならない。肉体の苦痛はいずれ消えてなくなるものだし、痛みは単なる痛みに過ぎない。自分を束縛するすべてのものから自分自身を解放するために、黙々と走り続ければいい。禅僧のように心も頭も空っぽにして、ただ自分の進むべき道を見つめ続けること。終りのない旅、ゴールのないレースをただ一人走ることで、自己満足に浸る。いや、本当は満足できることなんて何一つないのかも知れないけれど、納得できるまでとことんやるしかないのだろう。究極のランナー、それは悟りを開いた哲人か、はてまた俗世間から逸脱(いつだつ)した孤高の聖人なのか…。いずれにしても、満たされるべきは『心』である。(Photo: 1988年篠山ABCマラソン)
2006.11.21
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最近3食とも米を食べるようになった。そのおかげで体重が少し減少気味である。不思議な話と思われるかもしれないが、米は炭水化物であっても太る食品ではないということだ。米をきっちり食べる分間食をとらなくなったし、運動は継続して行っている。夏と違ってビールや発泡酒もレギュラー缶一本(350cc)だけで済ませている。朝と夜は白米に発芽玄米を3分の1だけ混ぜたものをとるようにしている。「ミルサー」と呼ばれるものを買った。早い話がミル(コーヒーなどの豆を挽く機械)とミキサーがミックスしたものだ。緑茶の葉をパウダー状になるまで粉砕し、ヨーグルトに混ぜて朝食べている。これもビタミンCをはじめ食物繊維たっぷり。お茶は飲むとなると茶葉を捨てることになるが、粉砕してしまえば捨てるところなし。ニンジンとリンゴを混ぜたり、バナナとミルクを混ぜたりしてジュースにもできるし、料理の下ごしらえにも活用できる。かぼちゃなどペースト状態にしてパンプキンパイを作るなんてのもいい。ゴマをペースト状にしてトーストに塗ってみようかとも考えている。いろんなレシピが用意されていて、このミルサーなかなか使い応えがある。自分が買ったものは8000円程度のものだが、安いのは4~5000円から揃っているとか。健康のために投資することは惜しまない主義だ。サプリメントもいろいろ使っているが、基本的な食生活は20年来変わっていない。朝から20~30品目食べているし、食事のバランスも考えている。肉はあまり食べないで魚と野菜・穀物をたくさんとるようにしている。体重は大学2年の頃からほぼ一定で65~7キロを推移。マラソン全盛期の頃は63キロあたりがベストだった。46歳になっても10歳以上も若く見られるのは運動と食生活によるものが大きいと思う。20代の過ごし方が30代に影響を及ぼすし、30代の過ごし方で40代が決まってくる。世の中年の皆さん、生活習慣病は日々の生活の見直しが大切ですよ!(Photo:イワタニ製ミルサー)
2006.11.20
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ここ数年忙しくて仕事中心の生活が続いていたこともあるけれど、毎日出会う人間が限られていた。仕事以外のことで人と会う機会が極端に少なかった。忙しさにかまけて、できるだけ一人の時間を持とうと思ったがそれもなかなか難しかった。実際、食事と風呂とトイレと寝る以外は一人になることもなかった。あるブログでは、「運気向上のためにはいろんな人と出会って、幸せの波を作ることが大切」というようなことが書かれていた。感謝の気持ちを忘れず、人を恨まず憎まず、誰をも許す気持ちを大切に、そして愛される人になるためには、どんな人にも安心感を与えられる人になるということ。「流れる水は腐らない」というけど今の自分は澱んだ水なのかもしれない。「転石苔を生ぜず」というけど今の自分は苔だらけなのかもしれない。ならば流れる水になろう。転がる石になろう。旅に出ていた頃には、自分は常にオープンの状態だった。出会った人は誰とでも話せたし、すぐに親しくなることもできた。出会う人たちからいろんなエナジーをもらうこともできた。そしてまた誰か出会った人にそのエナジーを分け与えることもできた。幸運の女神様が自分のすぐ近くにいて、どんなチャンスにも敏感に反応できたのかもしれない。幸せをつかむ人は、チャンスがめぐってきた時に、幸運の女神様の存在に気づき、すぐさま行動に移せる人。幸せを逃してしまう人は、チャンス到来という時に、幸運の女神様がいることに気づかず、そのままやり過ごしてしまう人。心のアンテナはいつもいろんなものをキャッチできるように感度をよくしておかなければならないし、絶えず新しいものや情報や人と接することを心がけるべきなのだろう。人生をマンネリズムの対象としないこと。「明日は常に新しい日、何の失敗もない」(映画「赤毛のアン」から)「ありふれてる今日を いとおしく生きたい せつなすぎる時間(とき)を いつか越えてめぐりあえた今を 大切にいきたい ずっとそばにいるわ どんな時も」(岡村孝子「TODAY」)今日を昨日の続きだと思っていると、延々と同じ毎日が続くもの。東の空に朝日が昇る時、新しい生命が誕生するかのように、この大地に命が吹き込まれる。今日という日を生まれたばかりの最初の1日と思えるようにしよう。今この一瞬は帰らぬ時間、この世で自分という命に与えられた限られたもの。そして同じ時代を生きている人々に愛と慈しみの気持ちを持とう。今という時代を生きることの喜びを分かち合えるように。石は転がり続けることでカドが取れ、やがて丸くなってくるもの。永遠に転がり続ける石でありたい。(Photo:オーストラリア ナラボー平原 1995年 南オーストラリア)
2006.11.19
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神様はいるのだろうか?私はいると信じている。大自然の中で、何か目に見えないとてつもなく大きなエネルギーを感じる時、神様が近くまで来ておられるというのを察知することができる。あるいは夢の中で、神様が自分に、何か予言めいたメッセージを送ってこられることもある。多くの場合、それは正夢となっていることが多い。「神様がいるのだとしたら、なぜ神様はこの世を平和なものに、そしてこの世の人々を全て幸福にしないのだろうか?」そんな疑問を抱く人も多いだろう。「だって、すべて神様が人間の思い通りにこの世を作ったりしたら、人間は誰も努力しなくなるじゃないか」自分ならそう答えるだろう。神様だって、この世を平和にして、全ての人々を幸せにしたいと思っておられるはず。でも、それは我々の手で作り出さなければ意味のないものになってしまう。神様は自分の中にもいる。時として、宇宙とは自分自身の中にも存在するのではないかとさえ思う。あるいは、宇宙は自分自身とつながっているのかも知れない。この世の終わりに、あるいはこの世界の果てに、過去も未来も現在もない、生も死もない、時間も空間もない場所があるのだろう。そこでは全てが始まり、全てが終わっている、と同時に全てがつながっているのだ。全ての真実がその中で明らかにされる場所…。ジョン・レノンが「イマジン」の中で描いていた世界とはそんなものだったのではないだろうか。「神様とのインタビュー」で神様からのメッセージを読んでみてください。
2006.11.18
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2年前の年末に企画して、途中リタイヤした“PEACE RUN”。2004年に考えていたのは、伊賀市~伊勢神宮(伊勢市)~熱田神宮(名古屋市)。11月に毎年行われている大学駅伝では、この内熱田神宮から伊勢神宮の106キロを走る。伊賀市から伊勢神宮までは約60キロ。2年前は積雪と膝の痛みで、松阪市から伊勢神宮の20キロを足を引きずりながら歩き通した。完全な練習不足だった。過去に100キロマラソンを6回走っているからといって完全になめていたようだ。今はほぼ毎日朝5時から1時間かけて10キロは走れる。長い距離はほとんど走っていないが、年に一度走る木津川マラソンではまだ3時間台で走っている。冬休み特別企画は「PEACE RUN:伊賀市~名古屋市」に決めた。100キロより少し長いかも知れないが距離に不足はない。国道166号線から津で23号線に入り、ひたすら東へ。15時間あれば何とかなるだろうか。目指すは熱田神宮。「青年は荒野を目指す」が「中年は名古屋を目指す」。
2006.11.17
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教師という職業上、人様の子供を預かる立場にいる。悪いことをすれば叱り、説教し、正しい方向に導いていくのが我々の仕事である。世の大人に問いたい。「他人の子供を叱れますか…?」と。昔、日本の社会はコミュニティがしっかりとした形で存在していた。他人の子供でも自分の子供と同じように、いいことをすれば褒め、悪いことをすれば叱るのが当然だった。今は、そのコミュニティがほぼ崩壊している状態。「他人は他人、自分は自分」という考え方が大人から子供まで浸透しているように見える。子供が悪いことをしているのに、大人が叱らなければ、子供はそれを悪いこととは認識しなくなる。子供は親が育てるものでもあるが、社会が子供を育てる機会も決して少なくはない。子供社会も変わった。昔は「番長」と呼ばれる親分的な存在があった。喧嘩もするし悪さも働くが、決して弱いものはいじめないというルールが暗黙の内にあったはずだ。番長は組織をつくり、その中のルールを守ることで調和の取れた組織を維持していた。喧嘩しても、急所は決して攻撃しないし、ある程度痛めつけてそれで相手に負けを認めさせれば喧嘩もその時点で終了するのが常だった。今の時代はどうだろう。真面目に見える・真面目に振舞う子供が突然豹変して人を死に至らしめるという事件が特徴的ではないか。人と接することに慣れていないために、いじめも極端に陰湿であったり、犯罪も凶悪なものになってきている。人の痛みを自分の痛みと感じられないからだろう。自殺する子供があとを立たない。大人も自殺するし子供も自殺する。年間3万人、1日800~900人が自殺する社会ニッポン。自分が子供の頃から見ればこれは異常な社会としかいえない。いろんな要因があるのだろうけど、大人も子供もその多くが孤立してしまっているように思う。人の立場でものを考えられない。自分のことは分かってもらいたいけど人のことは分かろうとしない。人の気持ちを汲み取れないから、いじめる側はいじめられる側の心情を理解しようとはしない。死ねばいろんな苦痛や苦悩から逃れられるからという安易な気持ちになるが、あとに残される者の気持ちを考えずに死に急ぐ若者。個人主義が利己主義と誤解されていく中で、近代文明は孤立化することをいっそう奨励してきたと考えるべきか。自動車、携帯電話、パソコンなどなど、すべてがpersonalなものとして扱われているものばかり。世の全ての子供よ、旅に出よ。旅に出て人の恩を知るべし。自分が一人で生きているのではないということを肝に銘じれば、考え方も少しは変わるだろう。昔から言われてきたことわざがある。「可愛い子には旅をさせよ」ニートは自然に生まれるものではない。親が、社会がつくりだしているのだ。自分の娘にはもう4年来逢っていない。真っ直ぐに、全うに育ってくれているものだと信じたい。(Photo:もう悪いことしたらダメだよ)
2006.11.16
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生涯忘れることのできないいくつかの場所がある。いくつもの街を訪ねてきた。行く先々で数え切れないほどの人と出会ってきた。旅の途上、恐らくこの先二度と出会うことはないだろうという気持ちで語らい、名を名乗りあい、そして別れを告げた。まさに「一期一会(いちごいちえ)」「千載一遇(せんざいいちぐう)」である。最初で最後だからという理由でその出会いには重要な意味があった。旅にあっては、別れるための出会いというものがあるのだろうと思う。「逢うは別れの始め」出会わなければ別れることもないのだろうが、別れるために出会わなければならない必然的な何かがそこには含まれる。この地球で、この時代に、この街で、この人と逢う。それは奇跡か運命かあるいは偶然か。仕組まれたものであろうとなかろうとどちらでも構わない。出会ったことそのものに大きな意味があるのだから。「今日はどんな出会いがあるのだろう?どんな経験をするのだろう?」旅の朝はそんな風にしていつも新鮮な気持ちに満ち溢れていた。何があろうとも、誰に会おうとも、甘んじてそれら全てを受け入れる覚悟ができていた。寛容であること。旅を通じて身につけた能力とでも呼ぶべき特殊な才能。ありふれた日常と人はいう。だが、決してそんなことはない。一見同じように見える毎日ではあるけれども、昨日と同じ今日なんてありえない。ただ自分自身がそんな風にとらえているだけなのだ。明日という日は今日とは違う新しい一日。見方を変えれば全てが違って見えるもの。街が秋色に染まり始める頃、いつもカナダ・ケベックの街を思い浮かべる。紅葉に染まる山という山が、西に沈む夕日を浴びて、さらに赤く染まるのだ。山も空も一分一秒ごとに変化していく。自分自身もまた然り。すべてが移り変わっていく中で、今という時間を生きている。今ある自分を大切にする、そうすることが今自分にできるベストなのだ。(Photo:アラスカ北極圏 ダルトン・ハイウェイ 道に並行して走っているのはトランスアラスカパイプライン=北極海から石油を運ぶパイプ)*****「秋風の香り漂うモン・ロワイヤル・パーク」
2006.11.15
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自転車マニアの愛読誌といえば、昔は「サイクルスポーツ」か「ニューサイクリング」だった。自転車に乗り始めて自分も「サイクルスポーツ」をかなり長期にわたって定期購読していた。アメリカ大陸横断後、1992年の2月号に自分自身が登場したこともあった。81年の7月号の表紙(↑)である。古めかしい自転車、ロードバイク(グェルチョッティ・伊)である。まだ当時はエアロダイナミクスがパーツやフレーム(涙滴型)に汎用され始めた時代。この自転車は、ブレーキワイヤの処理がハンドルバーのバーテープの中に入れられてなかった。当時はこれが普通だった。自転車全体で見れば、ツーリストは「ランドナー」がメインで、レーサーはロードに乗っていた。ランドナーは26インチで1+3/8のタイヤ仕様が主な特徴。ロードとランドナーの中間的存在として、700Cタイヤを履いた「スポルティフ」という車種も存在していた。マウンテンバイクは80年代後半になって登場する。ちなみに自分はミヤタの「アイガープロ」という初期のマウンテンバイクを88年に手に入れた。91年にその自転車でアメリカを横断することになる。この81年7月号である人物が紹介されている。当時20歳、大阪産業大の2回生井手氏という人物。彼は日本列島をロードバイクで縦断(北海道宗谷岬~九州佐多岬2,683キロ)した。2度目のチャレンジで当時の最速記録を更新したことで取り上げられていた。記録は5日と7時間36分。平均時速21キロ。母親がワゴン車で伴走、何度か車の中で仮眠しながらも1日平均500キロ(初日は600キロ走破)を駆け抜けているのだ。青森~函館間は、今はなくなっているが「青函連絡船」というフェリーが運航されていた。このフェリーでの待ち時間もこのタイムに含まれている。睡魔との闘い、伴走のメンバーからのマッサージを受け、食料も車の窓から自転車の上でとることもしばしば。パンクすれば、ホイールごと交換してすぐさま走り出す。彼は小学校4年で自転車に乗り始め、中学1年で四国一周を経験。中2の頃から競輪選手に憧れてピスト場にも通っていたらしい。高2で琵琶湖一周、大阪~静岡のノンストップランなどを行ったという。1度めの記録7日と19時間26分を大幅に縮めての記録更新、5日と7時間36分。彼はさぞかし喜んだに違いない。自分とほぼ同じ世代なので、彼も40代半ば。どこで何をしているだろう。今、ネット上で彼の名前を検索しても該当するものはない。もう自転車の世界からは足を洗ったのだろうか。ちょっと気になるところである。
2006.11.14
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21年前、25歳からマラソンを始めて、ここ数年(普通運転免許を取った5年位前)からは自転車から遠ざかっていた。しかし、楽天ブロガーの天神橋5丁目さんやG-ベイブさんらに影響されて、自転車通勤を再開した。雨が降っていない限り愛車VIENTO号(ミヤタ製、1990年びわこアイアンマンのためにセミオーダーしたメインフレームカーボンのロード)で片道5キロの道を走っている。朝5時からの1時間10キロのランニングも欠かしていない。勤務先が山の中にあるので、往路復路とも必ず峠(大した高さではないが)をふたつほどクリアすることになる。この登りは勾配10パーセントのところが一箇所あって、42×21でもダンシングしてもがかないといけないほどの登りだ。自慢ではないが、国内の峠越えで押し歩きは経験したことがない。ただ、アラスカ北極圏の、ダートロードで勾配が12パーセントほどもあるローリングヒルズ(登りと下りが1~2キロ間隔で交互にやってくる)ではさすがの自分も押し歩きを余儀なくされた。16年前の自転車ではやはり時代遅れなのだと感じる。1ヶ月ほど前から、ルイガノのフルカーボンロードに恋焦がれている。ボーナスで大枚はたいて手に入れたいと思うくらい熱い思いを抱いている。それで、先週はじめ、11月11日11時11分11秒に買いたいという気持ちがあれば買おうと決断して、気持ちが変わらなかったので自転車のプロショップのネット販売で買うことにした。ただ、現在予約販売ということで2007年2月か3月ごろに日本に現物が届くということだ。16年ぶりに新しい愛車が誕生する。しかも外車(MADE IN CANADA)である。風を切って走る快感はサイクリストにしか分からない。休みごとに林道に繰り出している天神橋5丁目さんの気持ちはよく分かる。人力で走るから自転車は素晴らしい。まだまだ地球に轍(わだち)を残していきたいと考える今日この頃である。(Photo: 1990年びわ湖アイアンマンを走る私と愛車VIENTO号、ステアリングはDHバー仕様 この時バイクパートの180.2キロを5時間35分で走り切った)
2006.11.13
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A THOUSAND WINDSDo not stand at my grave and weep, I am not there, I do not sleep.I am a thousand winds that blow;I am the diamond glints on snow.I am the sunlight on ripened grain;I am the gentle autumn's rain.When you awake in the morning hush,I am the swift uplifting rushOf quiet in circled flight.I am the soft star that shines at night.Do not stand at my grave and cry.I am not there; I did not die.(Author Unknown) 千の風僕の墓の前に立って涙を流さないでくれ僕はそこじゃない 眠ってなんかいない 僕は吹き抜ける千の風雪の上で輝きを放つダイヤモンド収穫された作物に降り注ぐ陽の光しっとりと静かに降る秋の雨君が朝の静けさの中で目覚めると僕は宙高く舞い上がるアマツバメ静寂の響きの中で空に円を描く僕は夜空に柔らかな光を放つ星僕の墓の前で泣き叫ばないでくれ僕はそこじゃない 死んでなんかいないんだ(作者不詳 日本語訳:KAY) ******天国に行った本田美奈子さんは、恐らくこんな気持ちで天国から私たちを見ているような気がします。命はつながっている肉体が滅びても魂は永遠のもの再び誰かの肉体に宿ることができるひとつ命が消えても必ず新しい命がどこかで生まれている美奈子さんの魂ももう既にこの世に新しい命として生まれてきているのかも知れないそう考えると世界中のすべての人が 生き物が「命」としてつながっているように思えてくる吹き抜ける千の風はどこにでも行けるしどこからでもやってこれる魂という目に見えないエナジーが千の風を吹かせているのかも知れない
2006.11.12
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クマ駆除し過ぎ、と栃木県が狩猟自粛要請 (読売新聞)栃木県は10日、15日から始まる狩猟期間を前に、ツキノワグマの狩猟を自粛するよう県猟友会などに要請した。出没が相次いだ今年度、同県内で有害鳥獣として殺したクマは過去最多の79頭に上っており、生態系維持のためとしている。県自然環境課によると、ツキノワグマは繁殖率が低く、殺し過ぎると急激に減少し、絶滅の恐れもある。このため、県は「ツキノワグマ保護管理計画」を策定。年間に殺すことができる上限を45頭に設定し、3年間の平均値が上限を超えないようにしている。駆除や狩猟で殺したクマは、2004年度が27頭、05年度が42頭。今年度は、春先の長雨の影響で餌の木の実が不足したせいか、人里に現れて殺されるクマが急増。今年度分を含めた3年間の平均はすでに上限を上回っている。 [ 2006年11月11日付 ] ******人間の都合で勝手に殺しておいて、個体数が減るからできるだけ殺すな、なんてそんな身勝手な考え方があるだろうか。「年間に殺すことができる上限を45頭」に設定するだなんて45頭までは殺してもいいということなのだろうか。動物愛護団体から何らかのクレームは来ないのか?熊が人里に接近するようになったのは、乱開発が元で熊のえさが不足し、やむなくエサが見つかりそうな民家のある集落に出てきたからではないのか。「絶滅しそうな動物は遺伝子コントロールで、いくらでも個体数を増やせる」だなんていう科学者もひょっとしたら出てくるかも知れない。人間とは何とご都合主義の生物なのだ。少子化が進んで、日本人という人種も絶滅危惧種に指定される…なんてことはまずないだろうが、熊を守るための法整備や環境づくりをぜひ勧めてもらいたい。******(Photo: 麻酔銃で撃たれた熊、滋賀県で=読売新聞提供)
2006.11.11
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ここ数日、ハリーさんとチプリンママさんのページを読んでて、生と死についていろいろと考えさせられています。自分自身、まだ両親は健在だし、自分自身もまあ健康な方で、特に死を意識したこともなかったし…。ただ、両親も70過ぎて、いつまでもこの世にいるわけでもない。自分だっていつ倒れるか分からない。歌手の本田美奈子さんが2005年11月6日、急性骨髄性白血病で亡くなりました。今勤務している学校にも骨髄バンクのポスターが貼られていて、写真で微笑む彼女の笑顔は現実には二度と見られないものだということに気づかされます。*****"ありがとうよ ありがとう"今までいっぱいのありがとうを言ってきた色々な気持ちのありがとうを・・・ふと"ありがとう"を言ってる時はどんな時だろうと考えてみたお誕生日プレゼントを貰ったとき突然の雨で雨宿りをしていたら 見知らぬ人が傘を貸してくれた時お母さんがご飯のお代わりをよそってくれた時誰かに何かを教わった時・・・誰かに助けてもらった時・・誰かに命を救ってもらった時・・誰かに・・・誰かに・・・お嫁に行くときだって私を産んでくれて"ありがとう"私を育ててくれて"ありがとう"今までお世話になりましたと両親にありがとうと感謝の気持ちをのべるそうだ誰かや何かに感謝をしている時なんだ感謝感謝当たり前の事のように思えるけど大切に心から感謝しながら人生を歩んでいきたいなありがとうよ ありがとう本田美奈子 *****11月6日、彼女の一周忌に、ハリーさんのページでこの詩をみつけました。今日、チプリンママさんのページにもこのことがふれられています。生きたくても生きることができなかった彼女のことを考えると生きられるのに生きようとしない、自ら命を絶とうとする若者たちは一体何なんだって思わされます。感謝の気持ちを忘れずに。本田美奈子さんのいう、素直に感謝できる気持ち、それは、人間にとって一番大切なことのひとつ。生かされているという真実。生かされているという喜び。生かしていただいているということを悟れば今この世に生きている人は皆同胞(はらから)。いじめや殺人や戦争が起こるなんてありえないそんな世の中にしていかなければならない。ねたみや憎しみの感情はエゴから生まれてくるものエゴを捨てて感謝の気持ちを持とう。何よりも尊い命を与えていただいているということに感謝しよう。*あらためて、本田美奈子さんの冥福をお祈りいたします。公共広告機構のページ(Photo: 1987年大阪府立狭山高校グランドにて)
2006.11.10
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「挑戦(=Challenge)」とは内に「変化(=Change)」を秘めている。「挑戦」することで「変化」が訪れるということを意味するのだろう。自分自身を変えたければ、何かにチャレンジするがいい。今まで知らなかった自分に出会うために今までやったこともないようなことに真っ向から取り組んでみよう。新しいものを求めれば、きっと新しい自分になれるだろうから。
2006.11.09
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北海道佐呂間町での竜巻のニュースは衝撃的だった。佐呂間町は自分にとって初めての100キロマラソン(サロマ湖100キロマラソン)完走の地。あの時、沿道やレース会場、ゴールでお世話になった地元の方々の消息が心配である。気の毒なことだが既に9人が亡くなられたという。合掌。家などの建物や人までもが60メートルも飛ばされるというのは常軌を逸している。アメリカ大平原、中西部で吹き荒れる竜巻(=tornado:メジャーの野茂がかつて「トーネード」という投法で活躍していたのも懐かしい)がこの手のクラスのものが多いといわれるが、いざ竜巻が起こったときに備えて、多くの家には地下にシェルターを備えていた。竜巻で物語が始まる「オズの魔法使い」の舞台も確かアメリカ・カンザス州だった。ちょっと昔のアメリカ映画「ツイスター」でもこの竜巻は取り上げられていた。「ツイスター」とは「ねじる(=twist)もの」という意味で、竜巻のニックネームでもある。牛も車も家もみんないっぺんに吹っ飛ばされてしまうほどの威力を持った驚異的な竜巻に、人間がどのように立ち向かっていくかというのが映画のテーマだった。予測できない自然災害が最近頻発しているような気がする。地震をはじめ、火山の噴火、洪水、竜巻、落雷など、身近な地域で多大なる被害をもたらしている現状。自然を甘く見てきたことに対する神の戒めか、人類に対する警告か。「ノストラダムスの大予言」はどうやら単なる予言で終わってしまったが、「JUDGMENT DAY(最後の審判)」は果たしてあるのか。アメリカやカナダ、オーストラリア、大陸を旅する中で、自然の素晴らしさだけでなく、大自然の驚異を身をもって経験してきたつもりだ。人間なんて、取るに足らないあまりにもちっぽけな存在であるということを理解しておこう。生きとし生けるもの、それはすべて生かされている存在。この世でひとりの人間に与えられた時間は限られたもの。人の命も自然の一部なのである。
2006.11.08
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Passion is the most direct route to the most important experience you need to have in your youth, and indeed in life --- the experience of giving 100 percent to something that's important to you. To be honest, it almost doesn't even matter what that thing is.情熱とは、青春時代に、さらに言えば人生で、なすべき必要のある最も重要な経験―あなたにとって重要な何かに100パーセントの力を注ぐという経験―への一番の近道なのだ。正直に言うと、それが何であるかはほとんど問題にすらならない*英語のテキストから引用*(Photo: 月の砂漠をはるばると…)
2006.11.07
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気まぐれな生き方をする者は気まぐれな運命に翻弄(ほんろう)される*******自分流がいいこともある。いいこともある反面、悪いことも少なからずあるだろう。自分自身の人生は、「偶然」に「偶然」が重なっていろんなことがあった。気まぐれに旅に出たり、旅先で出会った女性と結婚したり、結婚して夫婦でアメリカ、カナダを旅したり、旅の途中で妻のお腹に赤ちゃんがいることが分かり、帰国して妻の実家の名古屋で生活したり、のちに単身赴任で三重県に来たり、離婚して一人暮らしを再開したり…。気まぐれで出た旅が元で今の自分の人生があるのだとしたら、気まぐれな運命にもてあそばれているのか…などと感じてしまうこともある。無論それらの運命を自分自身は運命と甘んじて受け入れている。人生何が起こるか分からない。ただひとつ言えるのは、偶然が偶然を引き起こしていると言う事実。気まぐれにした何かが、運命を変えるきっかけになっているということ。46年生きてきて、改めてその事実に気づかされた。これからあと30年から40年、何気なしにやってしまうことが、自分の運命を変えうることだってあるだろう。予期せぬから偶然。偶然だから予期できない。ただ、ある程度は先を見て生きていかなければならないと思う。行き当たりばったりでは、いつか行き詰まるのが目に見えている。もう一度言っておこう。人生何が起こるか分からない。まさに「塞翁(さいおう)が馬」なのだ。(Photo: Ventura Highwayに並行して走るサイクリングロード カリフォルニア州 1991年)
2006.11.06
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仕事を早く切り上げた。夕暮れ時、愛車VAGABOND号を駆って、近くの峠道へぶらっと走りに出る。ひんやりとした空気、さわやかな秋の空、自転車っていいなって心から思える時間。秋は自分にとっていつも旅の終わりの季節だった。アメリカ横断の終わりにはニューヨーク、セントラルパークの紅葉がゴールだったし、アラスカ~カナダ横断もケベックの色づく町並みが最高に美しかった。なぜかセンチメンタルなこの季節がたまらなく好きだ。ハンドルを握り締め、ペダルを踏みながら、自転車との一体感を感じる。西日を背に受け、自転車と自分の長い影がアスファルトの道に映し出される。息を弾ませヒルクライム。登りは嫌いじゃない。これまでどれだけ峠を越えてきただろうか。登り坂があれば必ず下り坂がある。人生も同じ、山あり谷あり。峠を越えた。影を追いながら、ダウンヒル。時速50キロを超える。風を切る疾走感がたまらない。影はいつも自分の先にあった。どうあがいてみても影を追い越すことはできなかった。日が沈みつつある。自転車と僕の影はやがて深い闇へと消えていく。明日もよき一日でありますように…。
2006.11.05
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男は小説家だった。売れない小説を書いては出版社を回って歩くのが彼の仕事だった。3ヶ月に一度でもその小説が雑誌に掲載されればまだましな方で、小説が売れない時期には、ビルの掃除や警備員をしながら食いつながなければならないこともしばしばだった。ある晩男は高熱にうなされ、三日三晩ベッドから起き上がることができなかった。飲まず食わず寝たきりのまま彼は生死の境をさまよった。そして夢枕に一人の女性が現れ、「自分の見た夢を小説にしなさい」とお告げを彼に与えた。4日目の朝、彼は何事もなかったかのように目覚め、一杯のコーヒーを飲んだあと、自分の見た夢をテーマに小説を書いた。ひとつの作品が完成したあと、彼はまた眠りについた。その際に見た夢があまりにも現実離れして面白かったので、それもまた小説に書いた。1週間で2つの作品を書き、彼はいつもの出版社に行き、担当者に小説を見せた。「これ、面白いよ。絶対売れる。間違いない」それが1作目の感想だった。2作目に目を通している間、彼は東京の本社に電話で連絡を取っているようだった。「いますぐこの2作を単行本にするよう本社に頼んだよ。表紙の装丁はこちらにまかしてもらっていいかな?」「はあ…」男は訳も分からぬ内に話が進められていくので状況がよく飲み込めないようだった。それから2週間後に彼の2つの作品が書店の店頭に並べられた。発売の1週間後には全国のどの書店でもベストセラー1位を記録していた。彼は、その間にもいくつかの夢を見た。夢を見るたびに夢日記を書き、その中から面白そうなテーマを選び小説にした。3ヶ月の間に3編の長編小説と5編の短篇小説を書いたが、長編小説のひとつは某映画会社の方で映画化することが決定した。もはや彼の名前を知らない人間はいないほどになった。翌年の某出版社の文芸賞で大賞を獲得したあとテレビ出演の依頼もあった。見る夢の大半を小説にし、書く小説はすべてベストセラーとなった。大手の書店に招かれサイン会をしては手が痺れるまでサインを求められた。サイン会の現場で彼は自分の頬をつねって夢でないことを確かめた。彼は翌年芥川賞を受賞し、豪邸を建て高級車を買った。パーティにも呼ばれ、多くの芸能人や財界人とも顔見知りとなった。そんなある日、彼はまた高熱にうなされ、三日三晩寝込んでしまうことになった。夢枕にあの時の女性が立ち、「あなたの夢はこれで最後です。この後どんな夢を見ることもありません」と彼に言った。4日目に彼は目覚め、一杯のコーヒーを飲んで小説を書こうとしたが、自分が何一つ書けなくなってしまっていることに気づいた。彼は小説を書くことを諦め、旅に出た。旅先で彼はある農家を訪ね、そこで畑仕事を手伝うことにした。鍬と鎌を持ち、毎日土と戯れた。やがて数年が立ち、彼の名前も人々の意識から消え去ろうとしていた。今まで見てきた夢は何だったのだろう。彼はふと疑問に思った。夢で金を稼ぐなどとは夢のような話だが、彼にしてみればこれらはすべて現実に見た夢の話だった。あるいは、これらは単に夢の中で起こっていた現実だったのだろうか。すべて過ぎてしまった後ではもはやどちらでもいいことなのだ。夢であろうが現実であろうが彼にとって大差はなかった。しばし楽しい時間を与えてもらえたことだけでも人生価値があったと彼は考えている。
2006.11.04
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昨日見た夢…。自分自身がスナフキンになって、旅をしていた。旅先で自由気ままに歌を歌い、詩を詠み、さまざまな出会いを楽しみながら、町から町へと旅を続ける。終わりのない旅。根無し草と言われても、それが自分の人生だとしたら快く受け入れたい。そよ吹く風を子守唄に、夜空の星に見守られ、太陽が昇れば一日が始まる。大地に二本の足でしっかりと立ち、地平線に向かって闊歩する。「僕はここにいる。これが僕の世界だ」そう言い聞かせながら、僕の前にはただ一本の道が続いている。歩み続けよう、立ち止まらず。明日は明日の風が吹く。どこへ行くか何をするかは気分次第。この世に自分に与えられた時間=人生=を心行くまで味わおう。旅に出よう。気ままな旅に。
2006.11.03
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現在3台自転車を所有している。1台は二度目の北米大陸を横断したキャノンデールT-2000(1994年購入)、もう1台は北米大陸横断直後に買ったアラヤ製のマグネシウム・モノコックフレームのマウンテンバイク(1991年購入)、あと1台はびわ湖アイアンマンでバイクパート180.2キロを走ったミヤタ製のカーボンバイク(1990年購入)。車の免許を取ったのが6年前。車に乗るようになってから、マラソンは続けているけれど、自転車はほとんど乗る機会がなかった。最近また自転車が恋しくなって、時々通勤に使うようにしている。10数年の間に自転車も進化した。1990年代初頭、カーボンバイクも出始めた頃は結構値段が張ったものだが、今は多少なりとも安くなって性能も向上している。1週間ほど前に、2007年モデルをネットで検索してて、この白のルイ・ガノ(LGS-RC20)に出くわした時、ひと目ぼれしてしまった。カーボン・モノコックの美しいフォルム、前上がりのトップチューブ…どれをとっても完成された美しさと言える。ぜひ1台自分のところにやってきて欲しい…と恋焦がれる日々。約20万円というプライス…手の届かぬものではないのだろうけど、そう簡単に手に入れてしまっては価値が半減する。一番最初に買ったロードバイクはやはり白だった。風を切って颯爽と走るのなら白が一番、そんな風に考えていた。買おうか買うまいか…買って後悔することはないが、買わなければ後悔するだろう。自宅のパソコンの壁紙に設定して、飽きもせず眺めている。初恋の時のあの甘く切ない気持ちが今懐かしく思い出される。ルイ・ガノとの恋が実りますよう…。
2006.11.02
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人生は全て次の二つから成り立っているしたいけどできないできるけどしたくない*****ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749年8月28日 - 1832年3月22日)はドイツを代表する詩人であり、劇作家、小説家、科学者、哲学者、政治家でもある。また、当時の学者層の人物と幅広い交流を広げ、1800年前後(ゲーテ時代とも言う)のそうそうたる人物と親交が深かった。1800年頃のドイツで最も影響力のあった学者であり、詩人であった。(以上「ウィキペディア」から)*****経験上やりたいことができるのは、せいぜい20代か30代までかも知れない。そのやりたいことに対する情熱がどこまで本物か、あるいはそのやりたいことが、どこまで実現可能なものか、そういったファクターにも大きく影響している。40代ともなれば、やらなければならぬことに追われて、1日、1週間、1ヶ月があっという間に過ぎて行き、気がつけばまたひとつ歳をとってしまっている。扶養家族がいない自分はまだ身軽な方だ。同じ年代で子供が中学生とか高校生になってくると、家のローンやら学費やらで、稼いでも稼いでも追いつかない。あくせく働いても働き足りないと思わざるを得なくなる。穴の開いたバケツの穴を自分の指でふさぎながら水を注いでいるようなもの。若者よ。「できるけどしたくない」なんて決して思わずに、できることならなんでもやってみるがいい。「したいけどできない」時代がいつか必ずやって来る。大人はみんなそうやって反省と後悔の念につきまとわれるものなのだから。(イラスト:矛盾とはつじつまのあわないこと)
2006.11.01
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