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*「29時間35分のドラマ(総集編1)」をまだ読まれていない方はコチラ4)津~松阪津の中心部で深夜0時となる。日付が変わってしまった。あと40キロはある。深夜0時からフルマラソンの距離を走るなんて前代未聞だ!とはいっても走らないといけない状況は変わらない。松阪方面へとナイトランは続く。ふくらはぎがジンジンしてきている。ペースはあがらない。寒さが気にならない程度に体は温まっている。フリースの手袋の上にゴアテックスの手袋を重ねる。風を防げる分だけかなり温かい。万歩計のデジタル数字がいつの間にか10万歩をクリア(99999までしか測れない)して、さらに0を超えていた。夜の月がきれいだ。街中のネオンも明るい。深夜1時、たいていの人はもう眠っている時間だ。午前2時を回って松阪市内へ。松阪も高架道路があってランナーや歩行者は側道が用意されている(結局は坂道なのだけど)。ちょっとした坂が特に下りでこたえる。「一体いつ終わるんだ?」ブログで応援されている人々のことを考えると、「早く終わらせたい」という申し訳ない気持ちでいっぱいになる。途中で止めてしまいたい…と思っても、ブログで宣言した手前上やはり途中では止められない。旅のさなか、常にいろんなジレンマ(葛藤)が起こるもの。ゴールは逃げたりなんかしない。ゴールはあるべき場所で必ず自分を待ってくれている、そう信じるまでだ。暗闇の中、松阪市を知らせる標識が見えた。伊勢まであと30キロだ。1時間で10キロ(時速10キロ)はいつもの練習のペースだが、今の状況では時速7~8キロ程度が限界か。40代という年齢を無視したとしても、体力が衰えているのか、普段の練習が甘いのか、反省すべき材料は多い。深夜2時を回っても車は結構走っている。カラオケボックスやバーから出入りする人々がいる。すれ違う人はたいてい珍しそうに自分を振り返る。自分が名古屋の熱田神宮を朝早くに出て来たということをこの人たちは知らない。コンビニでうつらうつらしている。10分程度店にいたつもりが1時間近くいたり…。朦朧とする意識の中でまた走り続ける。座っていたいすから立ち上がろうとすると、右足のふくらはぎが痛くて言うことを聞かない。「……」ついに来たか。ふくらはぎの付け根部分が炎症を起こしている。力が入らない。リタイアか?いや左足は使える。右足の分は左足が頑張ればいい。走れはしないが歩くことはできる。2年前と同じことが起こった。それも同じ松阪市内で。松阪中心部から伊勢市内まで約20キロ。もうそんなに遠くはない。走れば2時間だが、歩くと倍はかかるだろう。ただ、足を引きずりながらだとさらに時間を要する。5)伊勢市~伊勢神宮(ゴール)へ行こう。誰も止める人はいないし、止める理由なんかもない。ゴールがある限りはゴールを目指すのがランナーだ。痛みは痛み、どうにもならない。苦しい時、辛い時、すぐにそこから逃げることを考えるとさらに辛く苦しいものになる。ここはその痛みも苦しみもいったん全部受け入れて、次のことを考えていかなければ…。自分が旅を通じて学んできたのはそういうことだ。道はほぼフラット。ただ、高架道になる時に、側道に降りてまた上がらなければならないのが苦痛。真夜中のランナーはなおも走り続ける。時間の感覚がない。ふくらはぎは止まった後走り出す時が一番痛い。動いている内に少しずつ痛みが減ってくる。午前7時前、やがて空が白み始める。走っていてガードレールにぶつかりそうになったり、田んぼに落っこちそうになったり、居眠りランニングが目立ち始める。起きているのか夢を見ているのか訳が分からなくなる。一瞬立ち止まって、立ったまま夢を見ている。「あれ?今どこにいるんだ?」東の空に日が昇る。今年いくつ日の出を見ただろう。自然と、大地と、自分自身とが一体化するのを感じる瞬間。太陽からもエネルギーをもらっているのだということを感じる。旅に出ればいろんなことが分かる、感じられる。明和町は伊勢市のひとつ手前の町。もう10数キロ!ナイトランの装備を片付ける。夜は意外にも短かったのか…?夜間の走行中はまだ意識がはっきりしていたが、徹夜明けがえらい。明るい時ほど眠気が強烈に襲ってくるものだ。天候は晴れ。風が冷たい。伊勢市の標識が目に入った。最後のゴール目指してなおも前進!まわりは田んぼばかり。年末なので車は少ない。正月をみな故郷で過ごすのだろう。こちらはまだ年賀状も書いてないし、部屋も散らかったまま出てきたし、とにかく年がら年中季節感のない生活をしている。帰ってからまずやるのは洗濯か。手袋を外して携帯電話からブログに接続。応援のコメントがたくさん届いていた。元旦にたくさん届いた年賀状を見る気分。うれしいものだ。あったこともないたくさんの人たちがこうやって声援を送ってくれている。2年前にはブログがなかったので、今回、出先からメール更新しながら、同時に自分もたくさんのコメントをもらっていることがやはりありがたい。自分が走っているのをそのままドラマにして、観客の皆さんがリアルタイムで見ているような、そんなインタラクティヴ(双方向的)なコミュニケーションがうれしい。またこれを利用して何かやってみたいものだ。そして、ついにやってきた。伊勢神宮へ。駅伝では伊勢神宮の内宮がゴールとなっていたが、前回と同じく外宮をゴールとした。2年前と変わらぬ風景。前回ゴールしたのは夕方だった。今日も大勢の参拝客が来ている。106.8キロは駅伝での距離。道路規制もあってほぼ最初から最後まで国道23号線を使用しているが、今回は道路規制もなく、ランナー自らルートを選ばねばならなかった。道にも迷い、コースアウトしたりもしたが、地図から推定して約120キロの行程を無事走り終えた。しばらく感動から遠ざかっていたが、辛いことも苦しいこともたくさんあって、最後に心から嬉しいと思える29時間35分だった。旅に出なければ出会えない人々、旅に出なければできない経験、そういったものを大切にしようと思う。旅の始まりはいつもスリリングでエキサイティング、何が起こるか分からないのだけれど、全て終わった旅の最後は逆にセンチメンタル。「もう終わってしまうのか…」という寂寥感が漂うもの。全てゴールというものは通過地点。そのゴールには次のスタートが隠されている。だから、ひとつゴールをしたからといって喜んでもいられないのである。夢はかなえるためにある、と同時に、夢は追い続けるものだということを最近富に感じている。自分にとっては、走ることそのものが夢を追い続けることなのかもしれない。【追記】今回特に驚いたことが二つあった。このブログのアクセス記録数がこの2日間うなぎのぼりに上昇。普段はせいぜい100を少し越える程度だったが、いまだ記録したことがない572(12月29日)504(30日)となったこと。多くの方々が支えてくれていたということに心から感謝です。アイリヴァー社のMP-3プレイヤーT-10を使っていたが、たった1本の充電池でまるまる30時間ノンストップで音楽を再生し続けていたこと。メーカーのホームページではアルカリ単三電池で連続最大53時間とあった。最近のMP-3プレイヤーの品質向上には目を見張るものがある。ふだんはこのプレイヤーで音楽を聴きながら走っているが、特に今回くたびれて走っている時に「ロッキーのテーマ」なんかがタイミングよくかかっていてずいぶん元気づけられた。*イラスト “Runner’s Illusion” by Kay T.(総集編2はコチラ)
2006.12.31
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全身に鋼(はがね)の棒が打ち込まれたかのような、強烈な筋肉痛で目覚めた朝。過去に6回走った100マラソンの翌日もみなそうだった。特に最初に走ったサロマ湖100キロマラソンの翌日は、トイレ(和式)でもかがめないようなありさま。この時はツアーで参加したが、翌日の温泉めぐりでは、温泉旅館の方に「障害を持った方の団体ですか?」と言われてしまった。推定実走距離120キロ。全日本大学駅伝のコースを走ったつもりだったが、歩行者・軽車両進入禁止の箇所があってやむなくルート変更。化学薬品工場の多い四日市近辺は空気が悪く、大雪もあってかコース変更を余儀なくされた。ひとたび国道から外れて元の道に戻るのに苦労したことも少なくはない。地図は持っていたが、駅伝のコースのみを示した概略図だけだったために、迷子になってしまったことも数回。地元の人に道を尋ねながら何とか正しいルートに戻ることができた。普通のウルトラマラソンでは、コースがきちんと設定され、距離表示があり、荷物を持って走ることはまずない。ウエストポーチに小銭やちょっとした食料やドリンクを携帯するランナーもいるが、「ランニング・ジャーニー(あえて今回のようなランをそう呼ばせてもらうなら)」では、1)ルートは自分で設定する 2)状況(気象条件・道路状況など)に応じてスピードやペースは変わる 3)荷物は持って走る(着替えやデジカメ、夜走る際のライトなど) といった準備も必要になってくる。経験に応じて好きなように走れば問題はないのだ。*12月29日7時51分~12月31日13時26分にわたる29時間35分のドラマ1)熱田神宮~川越町7時半ごろには熱田神宮に着いた。境内に入り、交通安全のお守りを買う。宮司さんらしき人がいて、伊勢神宮まで走るということを話したら、車用の交通安全お守りではなく、生身の人間を守ってくれるお守りの方がいい、ということで800円を出して買った。お釣りの200円は賽銭箱に入れる。「世界平和」を祈った。戦争や紛争が起こらない地球になるように。全ての人が平和で健康で幸せな暮らしができるように。いじめや殺人や交通事故がなくなるように。世の中の不正がなくなるように。敬虔な気持ちで祈りを捧げた。朝の早くから何人かおまいりに来ている人がいたが、みんなやさしい眼をしていた。人は祈りをする時にはみな同じ気持ちになるのだろうか。熱田神宮西門前、予定より9分早めて午前7時51分スタート。名古屋市は以前住んでいた町。今も別れた妻と10歳になる娘が暮らしている。もう5年近く会っていない。元気で暮らしてくれているだろうか。特に娘のことを思うと熱く込み上げるものがあるが、そこはぐっとこらえて走りに集中することにする。往路の近鉄電車の窓から、激しく降る雪を見ていた。特に四日市から桑名にかけてかなりの雪が積もっている。太平洋岸でこれだけ降るなんて珍しい。幸い名古屋市内は積雪はなかった。国道23号線(通称名四国道)に入る辺りから雪が降ってきて、次第に辺りにうっすらと雪が積もり始める。走っている分には寒く感じないけれど、いったん止まってしばらくすると寒さがやってくる。携帯電話で写真を撮影する時、ブログ更新のためのメールを打つ時、手がかじかんで指もまともに動かない。かといって手袋をしたままでは携帯電話の小さなボタンは押せない。バッグにはいくらかの食料とスポーツドリンクを入れている。たいていの街の至る所にコンビニがあるので必要なものはその都度買えるからいい。弥富市から愛知西端飛島村へ。何度か車でも通ったことのある場所。車の往来が激しい。帰省ラッシュの乗用車と年末も忙しく走る運送会社のトラックが道路を行き来している。特に乗用車の社内は走っている自分からも良く見える。渋滞でのろのろ運転のさなか、携帯電話でメールをやってたり、プレイステイションか何かのゲームをやってたり、中にはハンドル片手に漫画を読んでいる者もいたりする。よく事故を起こさないものだと思うが、事故は起こってから「しまった」となるものなのだ。愛知県から三重県木曽岬町へ。木曽川大橋を渡ったところでドライブインに入る。雪が積もっている。幸いベトベト状態ではないので靴はまだ乾いているが、この雪が溶け出すと大変なことになる。2年前のPEACE RUN(伊賀市~伊勢神宮60キロ)では、靴の中にしみこんだ氷水が原因で足が冷えて膝もやられてしまった。揖斐川と長良川を越えると桑名市。川越町に入って特に雪が多くなる。車道は雪が全くないのに歩道には10センチ近くの積雪。靴は埋まり、その都度走るのに苦労する。アスファルトと比べて膝への負担は少ないけれど、砂浜を走るのと同じで相当体力を消耗する。スピードとペースを上げようとするとキックを利かさなければならない。ふくらはぎにこたえるのは分かってても、あまりちんたら走ってもいられない。夜遅くになれば気温がさらに下がって道路が凍結するのではないかという不安もあった。時間制限はないもののある程度早い時間に切り上げたいというのが本音だ。後から考えると、ここでキックを生かした走りをしたことが、最後でトラブルが起こる原因となってしまっていたのだ。2)川越町~四日市断続的に吹雪いている。ウインドジャケットのフードをかぶって、首にはフリースのネックウォーマーを巻く。オークリーのハーフジャケット(サングラス)で目に雪が入るのを防いでいる。青空が出て晴れてきたな...と思うのも束の間。冬の天気は変わりやすい。風が吹くと空模様もすぐにガラッと変わってしまう。四日市のコンビナートはいつ来ても強烈なにおいがする。色の着いた煙が出ている煙突もある。昔は「ぜんそくの町」として名高い四日市だったが、今はどうなんだろう?国道を離れて少し内側に入った道を走っていたら何回か迷ってしまった。海山道のコンビニで自分のブログをチェック。ブログをメールで更新。応援のコメントに励まされる。いったん止まると動きたくなくなってしまうのが辛い。この寒さ、この雪の中、何を酔狂なことしているんだろうと自虐的になるが、そこはストイックに行かねばならぬ。自分で決めたこと、自分で責任を取るのはあたりまえなのだ。スタート後約7時間経過。雪のためにペースはかなり遅れている。予定では鈴鹿に入っている頃だったのに。雪上ランニング。ラッセルといってもいいだろう。時々車道に出て雪のない乾いた道を満喫する。路面の硬さが逆にありがたいと思う。路肩のない車道は危険で、高速で走るトラックの泥はねなんかまともにぶっかけられたら嫌な気持ちになるのも分かっている。それにしてもこの雪よ。雪がわずらわしく感じられるどころか、火炎バーナーを持ってきてそこらじゅうの雪をすべて溶かしてやりたいと思うくらい。雪が止んでも寒いのでフードは頭にかぶったまま。イヤウォーマーだけでは頭が寒いのだ。北西の季節風が身に沁みる。なぜ今まで降ってなかった雪が今日になっていきなり降るんだ???のどが渇いたけど、腹が減ったけど、止まって荷物を降ろすのさえ面倒に感じるくらい...横着になる人間は自分を横着と感じるのもめんどうになってしまうものらしい。コンビニで座って食べることができるのは主にミニストップだが、最近はそれ以外のお店もいくらかあるようだ。疲れていすに座ったままうとうと...温かくて気持ちがいい。おにぎりやサンドイッチがいつでも手に入るのがコンビニの利点。自転車旅行にハマってた頃には、ほかほか弁当のお店すらなかった。昔は「よろず屋」がメインだった。たいていおばあちゃんが一人でお店やってて、たばこやパンや飲み物が売られてて、商品の棚には期限の切れかけた缶詰がホコリかぶってて、冷凍庫には冷凍食品とアイスクリームが入ってて、なぜかそのアイスクリームが生臭いと思ったら、冷凍の魚と一緒に保存されてた...とか。3)鈴鹿~津四日市あたりではやたら高架道路が多く、いちいち階段を登って歩道橋を渡る必要があった。鈴鹿から津はほとんど歩道橋がない。これってやはりバリアフリーの考え方だろうか。車を中心に物事を考えてしまうとダメなのだ。乳母車や車椅子の人にしてみれば、階段・段差がいかに妨げとなるか、世の政治家さんたちは、推して測るべしである間もなく日が暮れる。気温が下がれば道も凍るだろう。ただ、鈴鹿に入ってから雪は止み、積雪量も減ってきている。ひょっとしたらこの先、雪はないのでは...と楽観的展望にひたってしまう。だが、「常に最悪の事態に備えよ」が旅での自分のポリシーでもある。予測される最悪の状態も考えておかねば...。午後5時を過ぎて日は西に沈む。白子の手前のコンビニに入り、しばし休憩。ようかんや大福餅など当分取りすぎて少し気持ち悪い。さっぱりとした熱いお茶がおいしい。何もしたくない...という正直な気持ち。頭は空っぽ。ただ走るだけでいい、そう言われてもひとつのことをずっと続けているとどこかおかしくなる。普通の人間なら「もういい、やめる」で終わってしまうけれど、チャレンジャーはそうは行かない。とことんやりつづけて限界が来る前にキリをつけるひつようがあるのだ。「うどん早食い大会」とか王将の「ギョウザ10人前」とか、体を張ってやるイベントはみなそうなんだろう。普通ではないことを普通にさらっとやってのけるのがカッコイイのだ。夜が来た。夜の闇に吸収されてしまわぬように、手にはLEDのハンディライト(1.5ワットで超明るい)、デイパックと体前面には点滅するテールライト。反射素材がついたベストをジャケットの上に着る。両足首にはリフレクタがついたバンドを止める。完全にナイトランの装備である。毎朝5時に走るのもこのスタイルだ。ただ、長時間荷物を背負っていて、肩の部分が擦れてやや痛い。腰にも負担になっている。もうひとつは雪上ランでのキックがふくらはぎに深刻な影響を及ぼしている。膝よりも右足のふくらはぎに問題がある。消炎鎮痛剤のサロメチールを塗布しておくがあと40キロ近く持つだろうか?河芸の24時間営業のスーパーで休む。もう10時だ。夜を徹して走らなければならない状況が迫っている。寒い。震えが止まらない。走っている分にはいいが、いったん止まると体温が瞬く間に奪われていくのが分かる。それに、眠い。仮眠をとろうとしたがこの寒さではさすがに眠れない。眠ってしまえば凍死するに違いない状況だ。ストレッチとマッサージを施して、何とか次に備えることにする。さほどお腹も減っていないけれどおにぎりを食べた。スーパーの警備員さんはひょっとしたら自分を不審者というふうに見ていたのではないだろうか?と思ったら体の前後につけたままのライトが点滅していた。ウルトラマンのカラータイマーじゃないんだから...。津に入る頃には雪は完全になくなっていた。このあたりは降らなかったのだろうか。何度も出張できている場所だけに距離感もはっきりしている。(総集編2につづく) *イラスト“PRAIRIE" by Kay T.
2006.12.31
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ミラーの向こうから「こんにちは」
2006.12.30
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万歩計は99999歩で0に戻って、さらに77000。18万歩近く走ったわけです。途中コースアウトして走った距離は120キロ近くあるでしょう。
2006.12.30
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午後1時26分、ついに伊勢神宮外宮にゴールしました。松阪から20キロ、足を引きずって時速4キロ。寒さとふくらはぎの痛みだけが辛かった。熱田神宮を出て29時間35分。雪の四日市での遅れを取り戻すために夜通し走った。途中コンビニで仮眠もとったりしました。何はともあれ、無事にゴールできたのも、応援していただいた皆さんのおかげです。ありがとうございました!
2006.12.30
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皆さんにご心配かけています。情けない話ですが、現在右脚ふくらはぎにトラブルがあり、走らずに足を引きずって歩いています。夜通し走り続けて、睡魔と戦いながらふらふら…田んぼに落っこちそうになったり、ガードレールにぶつかったり。あと十キロばかり。
2006.12.30
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午前2時25分、松阪市内へ。右ふくらはきが痛みます。歩くのもじんじんしてさあ大変。伊勢には着けるのでしょうか?
2006.12.29
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寒くって仮眠どころではありませんね。脚をマッサージして、ストレッチして、ぼちぼち走り出します。デイパック背負っているせいか、肩がすれます。一体何時に終わるやら…。このブログをご覧の皆さん、眠くなったらどうぞ休んで下さいね。
2006.12.29
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四日市での雪中行軍が相当こたえたようです。鈴鹿も津も道はフラット。四日市はやたら歩道橋があって、その都度登り下りしないといけないので大変でした。津市河芸のスーパーで仮眠を取りたいと思います。
2006.12.29
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午後八時五十一分、津市に 入りました。津市中心部まで12キロ、伊勢まで48キロです。皆さんからの応援メッセージ、ありがとうございます!
2006.12.29
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万歩計のデジタル数字はもうすぐ八万歩になります。
2006.12.29
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轍が あとから あとから 追っかけてくる
2006.12.29
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午後六時頃、鈴鹿に入りました。ありがたいのは歩道の雪がなくなって、乾いた道を普通に走れること。雪中のラッセルで右脚ふくらはぎが痛み始めています。現在、白子に近い矢崎海岸を通過して、ファミマで休憩中。ハリーさんが先日走った鈴鹿サーキットもこの近く。ハリーさんのデジカメが見つかるよう、もう一度お祈りしておきます。
2006.12.29
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フォーレスト・ガンプはひたすら走り続けた。道が続く限りは走るべきなのだ。
2006.12.29
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雪は止んでも 寒さは収まらず
2006.12.29
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スタートしてからはや九時間。足に疲れが出て来ています。間もなく鈴鹿。日も暮れ始めています。溶けかけた雪で靴下も冷たくてたまりません。雪は止んだものの、これからさらに気温も下がりそうです。
2006.12.29
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2時11分、四日市市内へ。川越を過ぎてずっと雪上ランニングです。砂浜の上と同じで、体力を消耗するわりに全然スピードが上がりません。靴の中に氷水が少し入ってきました。現在のスピードは時速七キロ。歩くより少し速いくらい。伊勢神宮はまだ先ですね。
2006.12.29
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pantaさん、クロカンができますよ!積雪8センチ!
2006.12.29
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寒さは走るのを止めた時にこたえます。(木曽川大橋にて)
2006.12.29
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11時50分、桑名市へ。木曽川大橋を渡りました。国道23号線は帰省ラッシュで大渋滞の様子。時速10キロで走る方が速かったりして…。
2006.12.29
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11時24分、三重県木曽岬町に入りました。走りはまずまず快調。ただ、この雪の天気が困りものです。
2006.12.29
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まだ雪は降っています。
2006.12.29
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断続的に吹雪いています。今、庄内川を越えたところです。
2006.12.29
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7時51分 熱田神宮西門前をスタートしました。
2006.12.29
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黄金色の 水に癒されて 旅人は しばし憩いの 時を楽しむ
2006.12.28
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テスト送信 大阪ミナミの居酒屋から 明日に備えて栄養つけてます。
2006.12.28
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PEACE RUN2006いよいよ明日決行です。冬型の気圧配置で明日あたり寒くなって雪が降るとか…。4年前の悪夢が…。熱田神宮と伊勢神宮で、まずは「世界平和」を祈願するのが目的です。平和のために祈りを捧げること、これは大切ですね。そして、道行く人と出会い、語らいながら、交流を深め合う。平和っていうのはこんなちっぽけな出会いから始まるんだろうって思います。そういう意味では、私は「平和のメッセンジャー」。最後まで任務を果たさなければ…。もし熱田神宮から国道23号線沿い伊勢神宮まで、走っている私を見かけられた方は気軽に声をかけてください。コース上で、できるだけこまめに写メでブログ更新しますから、明日はこのブログ10キロごとに(10回くらい)更新できるかな…?携帯電話の電池がなくならないように、単三電池で充電できるという秘密兵器も仕入れました。日没後も走ることになるので、リフレクターのついたベスト(工事現場の警備員さんが着てるようなヤツ)、自転車用の点滅テールランプ、足首にもリフレクターテープ、そして手には1.5ワットのLEDライト(かなり明るい)。熱田神宮は午前8時ごろスタート予定です、伊勢神宮に夜の10時?11時?下手すると最終電車がなくなってしまう可能性も…。ま、何とかなるでしょう。明日の朝は5時19分、伊賀神戸発で名古屋に向かいます。それではみなさん、頑張ってきます!!
2006.12.28
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ありふれた毎日を繰り返しながら、2006年もあと4日ばかりを残すのみとなった。この1年も実にいろんなことが起こった。今、過ぎ去った日々を振り返って、失ったものと得たものについて考えてみる。レポート用紙の中央に線を引き、その左側に失ったもの、右側に得たものを書き出してみよう。これまでの人生に比べれば、失ったものはさほど多くはないかも知れないが、得たものについても、これといって喜べるほどのものもない。ある意味では失った分だけ何かを得ることができた1年だったとも言える。今まで過ごしてきた中では、まあまあ平凡な日々が続いた1年だったのだろう。たいした災いもなく、マイペースでここまで来れたことに感謝しよう。過ぎてみればあっという間の1年なのに、いざ振り返ってみると何があったのか、かすかな記憶を頼りに大まかなことは思い返すことはできても、その細部まではほとんど思い出すことができない。人間の記憶なんて本当にいいかげんなものである。しょせん時間は過ぎ去っていくものなのだし、ちょうど電車の窓の外を流れていく風景のように、流れるままにしておくのがいいのだろう。しばらくたって、嫌がうえでも思い出さずにはいられないようなできごとだってきっとあるはずだから。平成という時代が始まってもう19年目を迎える。つい昨日、昭和が終わったばかりだと思っていたが、嘘のような速さで時間は過ぎていってしまった。何かを失うことを恐れずに、何かが得られるという特別な期待感を抱くことなく、明日という日に向かってひたすら突っ走る。そうすることが今の僕に一番ふさわしい生き方だと言い聞かせるのだとしたら、道はおのずから開けていくだろう。僕の求めている「新天地」もきっとどこかに見つかるはずだ。いつも心をピュアな状態にして明日を夢見ていたい...。「明日」という字は明るい日と書くのね...」そんな歌が何十年も昔に流行っていた。生き方しだいでは明るくも暗くもなるはずのこの人生、確かに様々な可能性を秘めた「明日」が毎日やってくるというのに、これまで僕はそのチャンスをいくつも見逃してきてしまったようだ。何と悲しいことだろうか。「明日」に流されることなく、自分の意志で前進しよう。僕は決して「さまよえる子羊」ではない。ただ自ら求めてさすらい続ける「気ままな風」になりたいだけなのだ。Where there's a will, there's a way. (意志のある所に道は開ける=精神一到何事か成らざらん)僕は自分の意志が求める道を信じよう。自分自身のために、自分が見つけた一本の道をたどっていく。2007年はそんな1年でありますように...。そして、2007年こそ、この世の全ての人々が平和で、幸福に満ちた日々を送れる1年となりますように...。(Photo: 「時代」という川は流れる…Yellowstone River, Wyoming)
2006.12.27
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年末、特に大掃除らしきものはしないのだけど、物置状態の部屋を少しはすっきりさせたいので片付けはしている。今の部屋は4年前から借りているけれど、寮での生活が中心だったため、本格的に片付けをしだしたのは今年の4月から。ずっと押入れの中に仕舞われてあるものの内、捨てずにそのままにしてあるものがいくつかある。ひとつはカセットテープ。500巻?いやもっとある。一番古いものだと1970年代後半、自分が高校1年生くらいの時のものもある。あの頃はTDKやマクセルといったメーカーが元気だった。FMもよく聴いていた。エアチェックということばは今はもう死語になってしまったけれど、新しい曲がFMでオンエアされたら、それをカセットに録音して楽しむということも日常茶飯事だった。部屋の押入れの中には実はLPも大量に保管されている。針を使うレコードプレイヤーは今また人気が徐々に出始めているということも聞いた。 大学2年の時、SONYが初めてのウォークマンをこの世に誕生させる。第一号機は自分も使っていた。自転車で走りに出かける時も、耳にヘッドホンをしながら走っていた。大学4年ごろになってレンタルレコード(もちろんLP)店が登場する。 毎週いろんなLPを借りてカセットにコピーした。ジャケットが気に入ったLPは、アーティストが誰であろうととりあえず借りて聴いてみた。就職して一年目にはCDプレイヤーが登場した。夏のボーナスでCDプレイヤーを買った。当時CDは3000円くらいで売られていたのを覚えている。クラシックだと3800円だったか…。中古CDショップがあちこちにできてくると、せっせと足を運び、昔LPで買ったものの再発盤を買い集めていく。そんなこんなでLPは押入れへ。今はCDも1000枚を超えるコレクションがある。1980年代、CDとほぼ同時期か、それより少しあとになってPIONEERがレーザーディスク(LD)を開発。自分も、CDとLDが使えるプレイヤーを購入した。映画を見る楽しみも増えたわけである。LDからVHSにもコピーをしたりもしていた。10年ほど前、1990年代半ばにMDプレイヤーが登場。PIONEERのMD+カセット+CDが聴けるステレオを手に入れ、それからしばらくしてSONYのMDウォークマンを買った。カセットは押入れに仕舞われて、MDがまた増え始める。ずっと仕事でワープロを使っていたが、2000年に最初のノートPC(シャープ メビウス)を買い、インターネット元年を迎える。MP-3プレイヤーは登場して間もなしに、当然のごとく我が家にもやってきた。音飛びがしないので、走りながら聴くには最適である。DVDが使えるハードディスクレコーダーも2年前に買った。まだ数回しか使っていない。テレビはあるのだが、アンテナをつないでいないせいで、DVDかビデオ(時折LDも)しか見ない。MDはたまにステレオで聴いているが、今は音楽を聴くのもPCがメイン。押入れの扉を開けると、LPやVHS、カセット、LD、MDが物言わず静かに居座っている。自分が死んだら、いっしょに火葬してもらおうか…。物を捨てるのが苦手な性格。幼い頃から、お菓子の空き箱や、段ボール箱、サランラップの芯など、捨てずにとっておくのが習慣になっていた。これは父親譲りの性格か。母親は何でもいらないものは捨てるのが当たり前という考え方。自分自身も、結婚する前にかなりいろんなものを捨てた(捨てさせられた)覚えがある。別れた妻もすぐに物を捨てるタイプの人間だった(自分も捨てられたのかも…[笑])。捨てればゴミ、捨てなければ資源・骨董品・宝物にもなるものがある。30年前のカセットテープ、一度再生してみようと思う。あの当時の、今はもう忘れ去られつつあるいろんな思いがきっと自分自身に蘇るであろうから…。 (イラスト:“CROSSING”KAY作)
2006.12.26
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2006年もあと数日。29日、午前8時ごろ名古屋熱田神宮前を出発する。目指すは三重県伊勢市の伊勢神宮。距離にして106.8キロ。コースは毎年11月に行われている全日本大学駅伝とそっくりそのまま同じコース。2年前に企画した“PEACE RUN”自宅のある三重県伊賀市から伊勢神宮(約60キロ)、さらにそこから熱田神宮を走るつもりであったが、松阪市あたりでヒザを痛め、伊勢神宮までの20キロを足を引きずって歩いた。今回はその続編ともなるべきリヴェンジ・ランである。休憩をはさみながら約15時間はかかるであろうか。2年前は雪が降り、道路がベトベトになって靴の中も氷水でびしょぬれの状態。旅にあればハプニングは起こるもの。何が起こるか分からないものだ。当日は携帯電話によるメール更新で、途中経過をブログ報告する予定です。コースマップはコチラ
2006.12.25
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1991年6月1日~10月9日、北米大陸横断単独自転車旅行を成功させた私は、帰国後、地元の羽曳野市役所を訪ね市長を表敬訪問、旅の報告をした。この後、朝日・読売・毎日・産経新聞各紙に記事が取り上げられ、すぐあとには大阪の朝日放送のワイドショー「おはよう朝日です」から出演依頼を頂く。また毎日放送ラジオでは「桂文珍のアクセス塾」という番組でゲスト出演。大阪枚方のサイクリングショップ「CSタケウチ」 には出発前からいろいろとお世話になった。店長がサイクルスポーツ編集部に電話していただいたことから、取材を受けることになり、写真と記事を用意した。「サイクルスポーツ」 1992年2月号では、カラーページ2ページ、モノクロ2ページ分を割いていただいた。テレビやラジオ、新聞・雑誌に登場したおかげでいろいろなところから電話や手紙をもらった。その中には、かつての卒業生や小学校時代の同級生もいたし、「自分もバイクでアメリカを横断したい」という若者や、「ぜひお話を聞かせてください」という若い独身女性もいたりした。マスメディアの力、恐るべし…と思わずにはいられなかった。以下はサイクルスポーツの記事である。もしバックナンバーお所有しておられる方は本棚から取り出してページを探して欲しい。PAGE1PAGE2PAGE3PAGE4(イラスト:"ORION" KAY作)PHOTOアルバム
2006.12.24
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サンタになってみました。世の子供たちに夢と希望と力をプレゼントできるかな…?
2006.12.23
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街がクリスマスセールで浮かれている間にも、僕には走る道があった。大陸からやってくる冷たい北西の季節風に吹かれるまま、ウインドブレイカーに包まれたこの細身の体は二本の足に支えられ、大地を縦横無尽に疾駆するように初めから造られていた。少なくとも僕にはそう感じられた。獣のように荒々しく地面を蹴り、大空をはばたく鳥のように華麗に宙を舞う。僕の中の野性が目を覚ます瞬間、僕の脚は鋭利な刃物のごとく、研ぎ澄まされた空気の流れを切り裂いていく。全てがこの一瞬で砕け散ってしまうほどの勢いが、僕の理性や感情を超越した独自の世界を創り上げていた。気がつけば、いつもそこには風が吹いていた。僕は風の吹く方向に目をやり、風の匂いからその風がたどってきた道を推測してみる。そして、この風が行き着く先に思いを馳せ、ほんのしばし、風になった自分を頭に思い描いてみようと思った。風の言葉は分からなくても、僕のハートに語りかけてくれる何かがそこにはありそうな気がしたのだ。正確に言うならば、風が語るものは言葉ではなく、歌だ。思い思いのメロディが、気まぐれな風に乗って宙を舞う。耳をすませばそれは聞こえてくる。いつの時代の、どこの世界のメロディかは分からない。だが、その歌に耳を傾ければ妙に懐かしい気分になって、まぶたを閉じれば遠く離れた故郷の風景がおのずと目に浮かぶ。見慣れたはずの故郷の山や川のイメージが風とともに僕の脳裏へとたどりつく。そして僕は、この風がいつか自分の生まれ故郷で吹いていたものだということを知らされる。僕はそんな心地よい風の歌に酔い痴れるようにして、さらに一歩ずつ前進する。遠く、遥か彼方の世界からやってくるであろう僕の未来に向けて...。
2006.12.23
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冬である。ここ伊賀地方ではまだ雪の便りは届いていない。が、しかし、冷え込みの厳しい時はやはりこたえる。朝、車のフロントガラスにお湯をかけると、数秒後にはそのお湯も凍りついてしまう。道路の交差点にあるミラーも凍ってて何も見えない。寒さのあまり自転車通勤もストップしている。朝走る分にはこのくらいの寒さがちょうどいい。大学を出て1年目にはいろいろなアウトドアを経験した。クロスカントリースキーやテレマークスキーもそうだ。歩くスキーを持って京都北山の林道を走り回ったことも懐かしい。2時間も走り回ればアンダーウェアは汗だく。1日動き回るだけで3キロは確実にウェイトが落ちた。その当時も片道11キロの通勤には自転車を使っていた。マラソンを始める2年ばかり前のことである。スタミナは元々あったのかも知れないが、自転車に乗るようになってから鍛えられた部分も大きい。テレマークスキーもクロスカントリースキーの延長、エッジのついた板でゲレンデを滑降したり、キャンプ道具一式を持って、滋賀県湖西の箱館山でスノーキャンプをしたり、決して自分ではスキーは上手だとは思ったことなどないが、転ばずに何とかすべることはできる。アルペンスキーは大学4年の体育会主催のスキーツアーが初体験。上級者の仲間たちといきなり上級コースの一番上から滑ることになる。リフトに乗る時に板が外れて転んだり、リフトから降りる際にも転倒。みんなの笑い者になりながら、転げ落ちていく。「スキーのどこが楽しいんだ?」全身は雪まみれ。足首をねじりかけたり、レンタルの板はビンディングが不調で何度もつけたりはずしたりの繰り返し。誰にもスキーを教わることなく、周りで滑っているスキーヤーの様子を観察しながら見よう見まねでスキーの技術を覚えていく。ただ始めからインストラクターについて教えてもらっていればそんな苦労もせずに済んだことだろう。体で覚えるのは痛みを伴うもの。ここ数年スキーにも行ってない。雪山の写真を見ているとスキーを履いて歩き回ったあのころのことを思い出す。静かな山の中腹では、全ての音が雪に吸収されて完璧なる静寂の時間を用意してくれていた。私はそんな空間に包まれて、自分だけの世界に浸るのだった。******12月21日のメインディッシュ: エビチリソースとスモークサーモン最近シーフードが多いけれど、エビは久々に食して身がぷりぷり。衣をつけて油で炒める感じになったけど、うまい具合に作れました。ただ、レッドチリペッパーを使いすぎて、唇がただれるくらい辛かったのです。唇を湿布しないといけないかと思いました(笑)。
2006.12.22
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一生をかけてでもできないであろうことを「やろう」と決めるのに1秒もかからない人生を変えてしまうような大きなことにチャレンジしようと決断するのは一瞬のことやるかやらないか人生は選択の連続決めるのは誰でもない自分自身自分で決めたことの責任は取らねばならないそしてその結果も甘んじて受け入れることたとえそれが成功であっても失敗であっても優柔不断は愚か人生を変えうるものがあるとすればそれは決断と行動なのだ
2006.12.21
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予想通り1週間鍋は続いた。 それはキムチ鍋に始まり、カキやスジ肉、おでんの具を入れたりして、 最終的には名もない無国籍料理と化して終結した。 初日に入れたカキは2日目で全てなくなったかと思っていたら、 ひとつだけ底に沈んでいた。ずいぶん縮こまってしまったが、 かろうじてその形をとどめていた。 二日前に入れたしょうがのフレーヴァーがスープに残っていた。 一口飲めば全身からポカポカ温まってきそうだ。 今日は白ねぎとしめじを少し足した。 とどめはマカロニ。 ペンネという茹で時間3分のデュラムセモリナ。 野菜や肉のさまざまなエキスを含んだスープをたっぷり吸って、 フニャフニャになるまで煮込んだ。 見た目がまるでワンタンのようになってしまった。 鍋はいい。 さまざまな具がひとつの鍋の中で調和する。 どんなものを入れてみても、最終的にはそのスープの中で 自分自身のエキスを出してうまくまとまってしまう。 それは、まるで気の合った仲間が集まって、 独特のいい雰囲気をかもし出しているかのようだ。 砕けたスジ肉の破片が見つかった。 「おや、スジ肉さん。まだ残ってたんですか?」 「ああ、牛蒡天(ゴボテン)さん、もう6日目ですよ。 すっかりだしが中にしみこんじゃって… ほら、見てください。トロトロですよ」 「いい具合じゃないですか。ところで 餅巾着(もちきんちゃく)さんは一日でいなくなりましたね」 「ええ、何せ人気者ですからね。あまり長くいると 中の餅がどろどろに溶けちゃいますからね」 何だかそんなほのぼのとした会話が鍋の中から聞こえてきそうである。 具を全部すくい上げた。 最後まで残しておいたちくわが 名残惜しげに私の胃袋の中に消えた。 スープの最後の一滴まできれいに飲み干し、 私の心も体もポカポカ暖まって、鍋はハッピーエンドを迎えた。 年内に再度鍋を計画しよう。 次はちゃんこ鍋だ。
2006.12.20
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今年も残すところあと12日。 仕事の方は、2学期の成績処理がおおむね終わって、冬期講習の準備に入る。講習中(12/21~24)は午後にクラブ活動があって、27日には近隣の県立高校へ練習試合に出る。28か29にPEACE RUNの続編を走る予定だ。当初伊賀市~名古屋と考えていたけれど、最終的には大学駅伝と同じ、熱田神宮~伊勢神宮間の約100キロにするつもりだ。スタートは朝の早い時間に、休み休み行けば15時間以上はかかってしまう。前回の青山町~伊勢神宮の時のように雪に見舞われて、シューズの中が氷水でべちょべちょになるのも困る。 年末には、福井県小浜市の「ふじや旅館」を訪ねることにしている。20年近い付き合いのある関係で、今は第二のふるさとになっている。 去年はスノーシューを手に入れて、数十センチの積雪の中でジョギングがてらに走ってみた。ストックを持って走るとなかなかいい運動になる。 2月に京都木津川マラソンを申し込んだものの、体重を減らさないと厳しいものがある。スタミナはさほど衰えていないのに、スピードがいっこうに上がらない。ウェイトがおもりになっている。3キロは落としたいところ。アルコールと間食をやめないとダメだろうか…? クリスマスに正月、暴飲暴食は慎まねば…。 2007年は、クールに、ストイックに生きてみよう。ただの中年オヤジではない、シャープでキレのある男になろう。 そう決断して、この年末100キロのSHORT TRIPに出かけます。 携帯電話からのメール更新で、随時レポートをするつもりです。 (イラスト:久々に描きました。タイトルは「森羅万象」)
2006.12.19
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ドクターペッパーは、120年以上もの歴史を持つ、世界中で今も飲まれている最も古い炭酸飲料。コーラのような味がするがコーラとは全く製法が違うという。20数種類の原料で作られているというが製法は非公開。アメリカ南部(特にテキサス州)では広く飲まれている。私が初めて飲んだのは1988年のホノルル。トム・ハンクス演じる「フォレスト・ガンプ」の中で、彼がフットボールのアメリカ代表選手となった時にケネディ元大統領にホワイトハウスに招かれ、何本もドクターペッパーを飲んでトイレに行きたくなるという場面があったのを覚えている。 一方ルートビアは、アメリカ合衆国において、家庭で作られる伝統的なハーブ飲料であった。わずかながらアルコール分を含んでいたりもして咳止めとして使われることもあったらしい。アメリカではルートビアは広く飲まれており、市民にとってなじみ深い飲み物のひとつ。沖縄には、AアンドWというルートビアを扱うファストフードチェーンがいくつかある。大阪や名古屋、東京などのディスカウントショップでこの二つは手に入る。なぜかどちらも日本人にとっては好き嫌いがはっきりと分かれるようだ。私自身はたいていの日本人が好まないゲテモノ的な飲食物が好きになる傾向があるため、この二つはお気に入りになっている。この二つに共通するのは、1)歯磨き粉的な味がする 2)湿布薬のにおいがする 3)清涼飲料水というより薬品に近いものがある 4)苦味・辛味・甘味が複雑に入り混じっている という要素だろうか。アメリカやカナダで映画館に入ると、「リコリス(Liquorice)」と呼ばれる「甘草(カンゾウ:ハーブの一種、日本では漢方薬店で手に入る)」で作ったグミキャンディのようなものが売られている。本来はイギリスのお菓子だというが、細長くスティック状で柔らかい。これもたいていの日本人は好まない。この成分も恐らく二つのドリンクの中には含まれていると思われる。ドクターペッパーも、以前は全国の限られた地域でしか売られていなかったが、最近では全国のファミリーマートでも販売されるようになったとか。ルートビアの方はまだ沖縄や小笠原諸島、あるいは街のディスカウントショップでしか手に入らない。幸い今はインターネットのおかげで全国どこででもいろんなものが手に入れられる。個人的には、炭酸飲料は日本でほとんど飲むことはないのだが、この二つに関しては例外。皆さんもぜひお試しあれ。■AアンドW ルートビアー 24本(1ケース)■ダッズ ルートビアー 355mlx24缶■ ドクターペッパー USA 355ml缶 24本入ドクターペッパー公式サイト ドクターペッパー倶楽部ILDP.JAPAN
2006.12.18
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昭和30~40年代には「駄菓子屋」なるものがたいていの地域にあった。駄菓子屋にはお菓子だけでなく、子供心をわくわくさせるようなモノがあふれていた。ゴジラやキングギドラ、モスラなどのカラー写真(ブロマイド)は今でいうトレーディングカードになっていた。アニメのブロマイドもあったように記憶している。様々なサイズの飴にたこ紐をつけたものがいくつかぶら下げられていて、紐を引っ張るとどれかが当たるといったもの。大きな平たい箱をいくつもの仕切りで分けて、それぞれの中にお菓子やおもちゃが入っている。ふたがしてあるので、中に何があるかは開けてみるまで分からないというようなものもあった。幼い子供のギャンブル心をかきたてながらも、駄菓子屋には新しい発見がいつも隠れていたのだ。銀玉の鉄砲も懐かしい。火薬の玉がついているものもあって、弾が飛び出すとともに「バーン」という音がなるものも中にはあった。ヨーヨーや面子(関西では「べったん」と呼ばれる)、ビー玉、コマ、今の子供はそんな遊びがあったことなんて親から聞かされてもいないのだろう。アナログ世代の人間は、既製品では満足しない。ないものは「創り出す」という精神が自然に身についていたのかもしれない。娘が小さい頃には、割り箸と輪ゴムで作る「ゴム鉄砲」を作ってあげると大喜びしていたのを思い出す。銃身を長くしてライフル風にするとゴムの飛距離と破壊力も倍増した。******100円ショップ(いわゆる「百均」)は、さしずめ現代版の駄菓子屋だろうか。見る楽しさ、選ぶ楽しさ、買う楽しさ、大人にとってもいろんな発見がある。使いもしないけれど買っておきたくなるものがいくつもあったり...。我が部屋には100円ショップで買ったものがそこらじゅうにある。すぐこわれたりで長持ちしないものもあるのだが、そこは100円(実際は105円)という値段が魅力。新たにまた買いなおせばいいことだ。最近は100円以上の高額(?)商品も置いてあったりで、その様相も変わってきてはいるが、自称「100円SHOP評論家」の私としては、街に出ればたいてい100円ショップをはしごして、いろいろと商品研究に余念がない。いったん店に入れば1時間以上店内をうろついていることも珍しくはない。100円ショップの商品のいくつかを組み合わせていろんなモノをつくるのも楽しい。授業で小テストをしたりして優秀な成績を収めた者には、こんな記念品をプレゼントしたりしている。・全力キーホルダー・全力キーホルダー(拡大写真)・全力ismキーホルダー・全力キーホルダーの山この世にひとつしかない手作りのオリジナルというのが喜ばれている。こまめに近隣の100円ショップを訪ねるようにしている。毎回行くたびに新しいものが置かれているというのはうれしい。 「いつたずねても同じものしかない」のではありがたくない。毎日更新されているブログのように、常に変化があるというのもやはり100円ショップの魅力なのだ。 大阪や東京では食料品や生鮮品を扱う店も増えてきている。さまざまなニーズにこたえるために100円ショップ側もいろいろと考えてくれているわけだ。 物価の高い日本であるがゆえに、在日の外国人の方々もよく店に来られるようだ。そういえば、アメリカやカナダ、オーストラリアにも“DOLLAR SHOP”があった。国は違ってもワン・コインで買える手軽さが人気なのだろう。駄菓子屋感覚で楽しむ100円ショップ、私にとってはやはり癒しの場、憩いの場であることには変わりない。 ***** ■あなたの街の100円ショップダイソー キャン★ドゥシルク オレンジ(Photo:手作りの「全力」キーホルダー)
2006.12.17
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キムチ鍋 キース・ジャレット 白ワイン鍋がまだ続いている。3日目になるだろうか。スジ肉が完全にとろとろになってゼリー状である。白菜も初日に入れた分はいい具合に柔らかになっている。野菜や肉のエキスが混ざり合って、鍋としては最高のだしが出ている。 乾いた部屋で、ボーズのスピーカからはキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」のピアノが奏でられている。静かだ。静けさの中で鍋からの湯気が踊っているようにも見える。ぐつぐつと茹だっている鍋の具たちはみな踊っているのだ。 キース・ジャレットのピアノでキムチ鍋のダンス、なかなかシャレている。 新しい白ワインが二日で空いてしまった。そんなに飲むつもりではなかったのに、気がつけば二本目ももう半分。 ステレオのボリュームを上げる。ここは高級レストランでもホテルのバーでもない。 私は自分の部屋でキムチ鍋をつつきながら、キース・ジャレットのピアノに耳を傾ける。とろとろになったスジ肉を一口食べる。しばらく噛むこともせず、舌の上でもてあそぶようにしてスジ肉をころころと転がしている。スジ肉を堪能したらその食感を歯で確かめて飲み込んでしまう。 キースのピアノが乾いた空気を振動させている。白ワインを胃袋に流し込んだ。キムチ鍋の唐辛子とあいまって胃が熱くなっている。 本格的な寒さはまだこれからだ。ハロゲンヒータの赤外線ランプを見つめ、私は遠き昔に思いをはせる。 部屋にいる限り、凍えて死ぬことも飢えて死ぬこともない。そしてキースのピアノに心を癒されている。 冬の夜は暗く冷たく、そして長い。鍋の具はまだなくならない。 明日は、ビル・エヴァンスに麦焼酎で行こう。
2006.12.16
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Tomorrow is another day.(明日は明日の風が吹く…明日はまた別の日)…「風とともに去りぬ(Gone with the Wind)」から ***** マーガレット・ミッチェル原作の小説「風とともに去りぬ」は、同名の映画でもヒットした。ヒロインのスカーレット・オハラがラストシーンで、このセリフを言う。「明日は明日の風が吹く」昨日は昨日、今日は今日。明日は、昨日や今日とは違う、また新しい一日がやってくる。もう一度やり直そうという気持ち。行き詰ったらスタートから出直せばいい。辛いことや苦しいことを乗り越えていくためには、そんな考え方も必要なのだろう。過去にはこだわらない。今頑張って新しい未来を創っていくこと。今を生きる私たちに必要なメッセージかも知れない。
2006.12.15
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金持ちじぃさんの日記のブログを読んでいて「貧富の差はなぜ生まれるか?」というテーマで書かれていた中の一節。******なぜ、貧富の差が拡大するのか?ふと、考えてみた。自分の人生を振り返ると、やっぱり「勉強をやったかどうか」が大きくかかわっていると思う。私の場合は、若いころの環境(親、兄弟、経済的な事情)が恵まれていたので、勉強をやらせてもらうことができた。若いころの勉強は「数学 国語 英語 理科 社会」などの基本的なこと。将来、そのまま、役に立たないかもしれないが、我慢してやることによって、「頭の訓練」や「物事を成し遂げる手法(段取り、工夫)を身に着ける」ことになる。今の若者は、「勉強できる環境なのにやらない」様な気がします。もったいない!不動産事業は、不労所得といわれ、蔑まれることもあります。しかし、いろんな知識が必要で、そのベースとなっているのは、「数学 国語 英語 理科 社会」です。たとえば、(簿記記帳は数学、社会情勢に通じてなければ、ならないので社会が必要)*****お金を稼ぐには頭が必要。スポーツ選手だって肉体だけではなく、メンタル面や知性面で他人よりも優れている必要がある。現役時代に有名だった選手が、後になって犯罪に関わっていたりするというのは悲しい。地位や名誉を得たあとに、築き上げたものが音を立てて崩れていくようなものである。今や、かの東大(東京大学)でさえ、年収1千万円未満の家庭からは進学していないという時代。エリートでお金持ちの家庭の坊ちゃん嬢ちゃんのみが東大生になれるというのもよく聞く話。親にお金があるから、子供の教育に関してはいくらでもお金がかけられる。経済的に厳しい家庭では、子供を塾にやるのも難しい。今の職場で、中学生のクラス担任をしていた頃、教え子の一人は一週間に5つも6つも習い事をしていたと記憶している。学習塾はもちろん、空手や乗馬、ピアノ、書道や英会話など、学校が終わってからはかなり忙しい。本人は「いろいろなことができて楽しい」と言っていたようだが、そこまで親がさせてくれるなんてうらやましい限りである。経済的なバックアップがあれば、親は子供に質・レベルともに高い教育を受けさせられる。言い換えるなら、親に経済的な余裕がない限り、その子供も、その孫も、受けられる教育の質・レベルが限られるということ。金持ちの親の家系からは金持ちの子供や孫が誕生してくるようになるものなのだ。「ワーキング・プアー」という、以前は聞いたこともないような言葉を最近耳にするようになった。働いても働いても暮らし向きがよくならない。安い給料で厳しい労働を課され、最低ラインの生活しか保障されない人々が増えているのだという。「二極化」の波はいろんなシチュエーションにその波紋を広げている。この国の行く末を占う時に、この「二極化」現象は必ずやマイナス方向に作用し、日本に「凶」の未来を示唆するであろうことは間違いない。家が中流家庭ならどうするか?やはり「学問」なのだ。適当に学んで、いい加減な学生時代を送れば、「ワーキングプアー」への道を歩む運命。誰よりも必死になって学ぶことで、少しでも自分の、あるいは自分の子孫のために暮らし向きをよくして行かなければならない。宝くじが当たることを期待するのは自由だが、運だけで自分の人生を変えられるとは思いたくはない。努力することを嫌う学生が増えている。しんどいこと・辛いことは避けて、できれば楽をして学校生活を送りたい。適当な学校に入って、適当にやって、そこそこの企業に就職して、普通に生活できればいい。そんな風に考えていた結果が「ワーキングプアー」だとしたら…。望まずして、望まぬ運命にぶち当たるのが人生。自分の人生を思い通りにするためには、ものごとの道理を学ぶべきなのかもしれない。「学問」である。知性と教養と、それに伴う経験が自分の人生を豊かにする。先人の知恵を、我々の未来に生かす、やはり、そのためには「学問」が必要なのである。私もまだまだ未熟者。人は生涯をかけて学ぶべき存在なのだ。
2006.12.14
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2040年、北極の氷が解けてなくなるというニュース。地球温暖化はとどまるところを知らない。今のままだと確実に「日本沈没」が現実のものになってしまうことになる。京都議定書のマイナス6パーセント、クールビズやウォームビズが浸透しつつある様子だけど、現実には今のCO2のレベルはどんなものなんでしょうね?暖冬といいつつも、ここ伊賀盆地は寒い時は思い切り底冷えします。車のフロントガラスがガチガチに凍ると朝は大変。前の晩からナイロンシートを車にかぶせておかないと…。寒い時は「鍋」。昨日もまたおでんの具と野菜をたっぷり買ってきて、カキを使ったキムチ鍋の始まり。カキがこりこりしておいしかった。身も心もあったまります。一人で食べるのがもったいないくらい。大鍋で煮込んでいるので、材料を継ぎ足しながら1週間は持つでしょうね。今日は豚肉と豆腐を入れてさらに煮込みます。雨が降ったりやんだりですっきりしません。朝の内は雨ではなく霧がすごかったので、走っているとジャケットがびしょぬれ。しばらく自転車も乗っていません。タイヤを700×23Cに換えて、ハンドルもアナトミックの新しいものに交換。バーテープはコルクのものを、その下にはゲルパッドを入れたので、長時間握ってても痺れないでしょう。ルイガノのカーボンロードが2月に届くまでが待ち遠しいですね。面白い画像を一枚見つけたので貼っておきます。一瞬「サーファー?」って思ったけど、ただのおばさんがアイロン台に乗ってるだけ。でも、いいですね、この表情。波に乗ってサーファーになりきってるところがオシャレです。髪の毛にカーラーを巻いたままってのもお茶目です。こんな愉快な人が世の中にもっとたくさん出てくると、世の中の人々はみんな心もあったまってくるのでしょうけど…。今夜は新しいワインを開けて鍋を楽しみます。鍋は作り始めてから2~3日目が最高です。
2006.12.13
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今日は漢字の日。12月12日を1995年に財団法人日本漢字能力検定協会が「いい(1)じ(2)いち(1)じ(2)」(いい字1字)の語呂合わせで設定したからだという。次のようなニュース発見。 「漢字が書けなくなった」大人85%--漢字力低下要因、学習方法ともに"デジタル化"自分自身、漢字が書けなくなっているという(単に老化で記憶力が減少しているのか…)気がしている。 読めてもなかなか書けない漢字…薔薇、檸檬、傀儡、乖離…高校時代はこんな字もすらすら書けたのに…。自慢ではないが、寿司屋の湯呑みに書かれている魚へんの漢字も大半覚えてしまった。読むのも書くのもバッチリだったはず。大学受験で覚えた英単語は確か8000~10,000語はあった。今その内どれだけ頭の中に残っているか、疑問である。 職業上、黒板に板書するために、普通のデスクワークをする人間に比べれば、漢字を書く機会は多いはず。ただ、黒板に向かっていて、ど忘れしたり、急に思い出せなくなったりして恥をかくことも増えてきた。勤務先の学校では、全員漢字検定を受検することが義務付けられている。老化防止に漢字を覚えるのもいいのだろう。任天堂の漢検DS、やってみたことはないが、ゲーム感覚で漢字をマスターするにはいいかも知れない。ケータイやPCのおかげでますます文字を書く機会が奪われているのは事実。日本人として漢字という文化を廃れさせてしまうことはあってはならないだろう(時々国語の先生が間違った漢字を使っていたりもするが…)。本を読まないから漢字を知らないという若者も増えている。 自分は「少年マガジン」や「少年サンデー」などの雑誌で、小学校1年生までに小学4年生程度の漢字力があったと自負している。マンガのフキダシ中の漢字はすべてルビが振られていたので、たいていの漢字は見てすぐに覚えてしまった。明日は日本漢字能力検定協会が「今年の漢字」を発表するであろう日。午前10時になればネット上でその漢字が分かる。どんな一字が選ばれるだろうか…? *私の予想はコチラ(Photo:パソコンを使う機会が増えているが…)
2006.12.12
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2006年のホノルルマラソンが現在行われている。日本時間で今朝、日付の変わった午前0時分(現地時間10日午前5時)がスタートだった。3万5千人という驚異的な数の参加者、日本人も相当数が走っていることだろう。ホノルルのあるオアフ島が参加するランナーの 重みで沈んでしまうのでは…というジョークをいつも見ていただいているCinammonさんのコメントに書かせていただいた。Cinammonさんはハワイ在住で、今この時間もコース途中のエイドステーションでボランティアをされているそうだ。恐らくランナーに水の入った紙コップを手渡されているのではないだろうか。(Cinammonさん、もしこれ見てたらまた詳細を教えてくださいね)ランナーの祭典、ホノルルマラソンのスタートラインに立ってみればそれが分かる。わざわざ走るために、3万5千人もの人間が世界中から集まってくる。酔狂といえばそうなのだろうけど、それには意味がある。何を求めて走るのか---ただ走りたいから、そこに道があるから走る。同じ目的を持った人間がそれだけ集まれば、それはひとつのエナジーになる。「ちょっと走ってみようかな…」と普通に思っていた人間までもが、「ぜひ完走してやろう」という気持ちにさせられる。魔法のような力がそこには働いてしまう。今年6月に走り始め、10月に四万十川100キロマラソンを完走されたハリーさんも、来年当たりホノルルに参加を表明された。ひとたび参加すれば、ホノルルの魔力からは逃れられないと思う。きっと何度でもホノルルに来たくなる。ホノルルマラソンというのはそういうものなのだ。午前5時、氷点下2度の三重県伊賀市の朝を走る。ホノルルはこんな寒くはならない。日はまだ昇っていない。ホノルルマラソンのスタートも夜明け前の真っ暗闇の中で行われる。同じ地球を走るという行為を、2本の足が動く限りは続けて行こうと思う。そしていつかまたホノルルマラソンのスタートラインに、自分も立つのだ。 (Photo:ホノルルマラソン1992年 ダイアモンドヘッドの登りの直前にあるエイドステーション付近) ホノルルマラソン公式サイト(英語ページ)1989年ホノルルマラソン完走記
2006.12.11
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「♪ハァー ハァー ハァー ビューティフォー サァーンデー♪」 この歌詞を知っている人は若くても30代後半、40代の人は必ず知っているであろうと思われる。1976年に日本でヒットした「ビューティフル・サンデー」、歌っているのはダニエル・ブーンというイギリス人歌手。本国イギリスでは1972年にリリースされ、同年7月までに全世界での売り上げが100万枚を突破。アメリカでの最高位は15位(ビルボード)、イギリスでの最高位は21位で、その後もロングヒットを続けた。日本では当初、全くといっていいほど売れなかったが、1976年にテレビ番組「おはよう720」(1975年9月29日から翌年1976年9月24日までTBS系列 月曜日から金曜日の午前朝7時20分から8時まで放送)のテーマとして起用されて日本だけで再ヒットする。当時私は大阪で高校生だったが、登校する前に必ずこの番組(大阪では毎日放送)を見ていて、この曲を聞き終わった後自転車で出かけたもの。自転車に乗りながらよく口ずさんだのがこの曲だった。同年3月に発売された日本盤はオリコンで15週連続で1位となり、約200万枚ものレコードを売り上げた。日本における外国人アーティストのシングル盤の記録としては未だに破られていない(2005年6月現在)というから凄いものである。また、田中星児(作詞:田中星児、4位)とトランザム(作詞:松本隆、9位)の日本語版カバーもベストテンにランクインした。田中星児氏の父上は私の母校、大阪府立羽曳野高校で音楽を教えられていた。すぐに定年になられたが、星児氏の大ヒットには大喜びだったそうだ。星児氏とあのグッチ裕三氏は何といとこに当たるということも今回分かった。彼はNHK「おかあさんといっしょ」の初代歌のお兄さんとしても知られている。また、森永チョコボールのTVCMにも登場していたことも記憶されているところである。日本で華々しい大ヒットを記録したダニエル・ブーンだが、この後はアメリカ・イギリス・日本のどの国でもヒット曲を出すことはできなかった。いわゆる「一発屋」で終わってしまったわけである。田中星児も1976年のNHK紅白歌合戦で『ビューティフル・サンデー』を熱唱した(当日は金曜日であったが)。もちろんこの年限りのヒットで終わったようだが...。当時、マッシュルームカットで若作りしていた万年青年は、実は今も独身なのだそうだ。その理由として「ビューティフル・サンデー」と結婚したから...とか。(紹介しているデータ等はインターネット百科事典「ウィキペディア」から引用)KAERU CAFE SKYBLUE/Beautiful 田中星児
2006.12.10
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ペットを飼われている方は多いですよね。癒してくれる存在としてペットはやはりありがたいもの。いろんな動物の笑える場面をご覧下さい!1)愛犬とお散歩 2)愛犬とお散歩 その2 3)誰か出して~ 4)誰か出して~ その2 5)カマキリとの対決 6)カマキリとの対決 その2 7)とれないよ~ 8)ネコvs赤ちゃん 9)イヌvs赤ちゃん 10)サルも木から落ちる
2006.12.09
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(本日二度目の更新)いつになっても話題の絶えないビートルズだが、ビートルズナンバーのほとんどを作詞したジョン・レノンの伝記のドキュメンタリー映画である。 彼の妻、オノ・ヨーコ私蔵のフィルムが新たに編集され、ジョン・レノンの波乱万丈の生涯をクローズアップしている。 ミュージシャンであり、ソングライターであり、同時にまた一人の夫、父親としてのジョンが、全編ナレーションをしている。彼の言葉が、歌が、今生きている我々にとっていかに重要な意味を持つか思い知らされる。 愛と平和のために彼は、自分自身の言葉を巧みに使うが、時にそれは人々の反感や誤解を招くこともあった。 オノ・ヨーコという良き理解者に遭遇して彼の人生は新たな軌道をたどっていく。ビートルズは戦後最大の社会現象でもあった。なぜ彼らがあれほどまでに偉大でありえたか、その答えがこの映画の中から見つけられそうな気もする。 ビートルズ時代のコンサート風景、インタビューやレコーディングの際のひとコマなど、ビートルズファンにとっては見逃せないものばかり。前妻や元恋人たちの映像までを収めてあるというのも貴重である。特にタイトルにもなっている「イマジン」は、ジョン自身のピアノが奏でる佳曲。 ■イマジン/ジョン・レノン 特別版(期間限定)(DVD)■ジョン・レノン John Lennon / Imagine (Soundtrack)(CD)
2006.12.08
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想像してごらん 天国なんてないんだと...その気になれば簡単なことさ 僕らの足元に地獄はなく頭上にはただ空があるだけ 想像してごらんすべての人々が今日のために生きていると 想像してごらん 国境なんてないんだと... そんなに難しいことじゃない 殺したり死んだりする理由もなく 宗教さえもない想像してごらん すべての人々が平和な暮らしを送っていると... 僕を空想家だと思うかも知れない だけど僕ひとりじゃないはずさ いつの日か君も 僕らに加われば この世界はひとつに結ばれるんだ 想像してごらん 所有するものなんか何もないと... 果たして君にできるかな 欲張りや飢えの必要もなく 人は皆兄弟なのさ 想像してごらん すべての人々が世界を分かち合っていると...(訳詞:山本安見) ****** 1980年12月8日、ニューヨークのダコタアパート(写真下)の前で、元ビートルズのメンバーの1人、ジョン・レノンは凶弾に倒れた。犯人は自分がジョン・レノンだと妄想していたファンのひとりだった。ジョンの非業の死からもう26年が過ぎた。ニューヨーク、セントラルパークの一角、ストロベリーフィールズはそのダコタアパートのすぐ近くにあって、「イマジン」と書かれた円形の記念碑がその中央に残されている。彼の命日にはたくさんの花束がこの碑に備えられる。 20世紀を代表する名曲とも言うべき「イマジン」。ジョンが抱いていた理想郷が、まさにこの歌の中に存在している。人はもともとは汚れのない純粋(ピュア)な存在なのだ。憎しみもなく争いのない世界...これからの21世紀はそんな世界であって欲しい。きっとジョンもどこかでそう願っているに違いない。 そして今日12月8日は、今から65年前、太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃のあった日。ジョンが誕生するちょうど1年前のことだった。 平和とは何か。幸せに暮らすためには個人も、世界も平和でなければならない。 今もこうしている間に、戦争や紛争があって、どこかで誰かの血が流れている。平和のための祈りを捧げよう。 *世界平和のために
2006.12.08
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『自分が全く予想しない球が来たときに、どう対応するか。それが大事です。試合では打ちたい球は来ない。好きな球を待っていたのでは終わってしまいます』(イチローのことば)*****予期せぬハプニングは人生につきもの。何が起こってもそれをありのままに受け入れることが大切ということをこれまでの人生で学んだ。旅もまた同じ。自転車で走っていれば当然のことながらパンクもする、スポークも折れる、道にも迷うし、事故に遭うことだってあるのだ。思っていることが実現しないことの方が多いのが人生。受験生にとって、予想通りの問題が入試で出てきたら誰だって満点が取れる。自分の身の回りの人間が、自分の思い通りに動いてくれるのなら全てがうまく行って当たり前。悪いことばかりではない。予想以上にいいことも起こることだってある。とにかく毎日いろんなことが起こるのが人生。いいことだけを期待して毎日を過ごすことはできない。「常に最悪の状態に備えておけ」ニューヨーク、セントラルパークで空き缶拾いの仕事をしていたおじさんは元ベトナム兵。生きて帰ってはきたものの、その後15年あまりの間にドラッグ中毒とアルコール中毒に。何とか更生してまともに仕事を続けられるようになったのはつい最近のこと。その彼がベトナム戦争の話題になって、ぽつりとつぶやいたことば。「いつどこで敵が現れるか分かんねぇ。敵と出会ったら殺すか、殺されるかのどちらかだ。選択肢は二つしかねえ。その中間なんてぇのはないのさ。だからいつも、常に最悪の状態に備えておけって自分に言い聞かせてたよ」彼はさらに続ける。「今、こうやって生かされている身分だけどよ、この世に生きている人間は、簡単な話、生きるか死ぬかなんだよ。生きてなきゃ死んでいる。死んだら何もできねぇ。だから生きてる内にせめてすきなことのひとつふたつはやっておかねぇともったいねぇよ」いつか好きなことができると思っていても、その時にはもうあの世からのお迎えが来ているかも知れない。冒頭のイチローのことばをアレンジするならこうなるだろう。『自分が全く予想しないことが起こったときに、どう対応するか。それが大事です。人生ではやりたいことばかりができるわけではない。やりたいことを我慢して毎日を送っていたのでは人生は終わってしまいます』
2006.12.07
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