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一粒の星砂さんのブログで「この国は馬鹿と金の亡者の集まりに成り下がったのか?」という話題が取り上げられていた。警視庁交通担当の警官が酒気帯び運転で捕まっていたり、損保各社が発表した「保険金の未払い」、これも金融庁の指示があったから明るみに出たもの、さらには、16歳の少女とその友人らが資産家老人から1400万円余りを恐喝し続け豪遊していたというニュース。日本はかつて平和な国というイメージを他国からも持たれていた。日本人は勤勉で礼儀正しく、慎ましい国民とも言われていた。しかし、そういったものは、この20~30年の間に「神話」あるいは「伝説」と化してしまったかのよう。幼い頃、母親のたんすからこっそり財布を持ち出して500円札を抜き取ろうとして見つかり、大目玉を食らったことがある。今でも覚えているが、その時母親は涙を流し、「そんなことをして手に入れた金が何になると思う?悪いことをして手に入れた金は『汚い金』なんだよ。『汚い金』は自分をだめにする。汗水垂らして稼いだ金こそが『きれいな金』なんだ」そんな話をしてくれた。悪いことでも、見つからなければ、ばれなければ、少しくらいはしてもいい、今は大人も子供もそんな風に考える人間が増えてきたということか。悪いことをした生徒を指導する際に、「やってるのは俺だけじゃない。何で俺だけ責められるんだ?」と開き直る者がいる。なぜ素直に「すみませんでした」「ごめんなさい」が言えないのだろう。悪いことを悪いと認識できる内はまだいい。だんだん感覚が麻痺して、それを悪いことと考えられなくなった時に、誰かにそれを見つかりでもしたら…。酒気帯び運転や飲酒運転で事故を起こす人間は、自己で発覚する以前からその習慣があったということだ。「まだ見つかりっこないから…」「事故なんて起こしやしないから…」そんな過信が、甘えが大きな問題を招いている。企業では、トップが悪行を重ねていたら、部下も忠実にそれに従わなければならないのだろう。逆らえば首が飛ぶ。逆らえるわけがない。「悪いことは悪い」少しくらい…ではなく、ハンドルを握る時には、一滴たりともアルコールを口にすべきではない。人のものを取るのは泥棒である。他人からお金を脅し取るのは恐喝である。不正にお金を得ることはすべて犯罪である。保険会社は、保険金を払うのが言うまでもなく業務である。嘘つきは泥棒の始まりである。親も教師も、すべての大人が、子供に対して、何が良くて何が悪いのかを早い時期から叩き込んでおくこと。ちょっとくらい…という甘さが人間を狂わせるということを、誰もが知っておくべきであろう。*****アメリカ、ウィスコンシン州で、15歳の高校生が自分の通学している高校の学校長を射殺したというニュースを今日知った。拳銃と覚醒剤がある限りアメリカから犯罪は消えない。悪いことをして罰を与えるだけでは犯罪は消えない。生まれた時から、正しいことを教え、身にしみこませて行かなければならないのだと思う。「三つ子の魂百までも」の諺(ことわざ)どおりである。(Photo:かぼちゃのある風景3 アメリカ、ペンシルヴァニア州 1991年)
2006.09.30
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「子供の話に耳を傾けよう」 きょう、少しあなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。きょう、聞いてあげよう、あなたがどんなに忙しくても。さもないと、いつか子供はあなたの話を聞こうとしなくなる。子供の悩みや要求を聞いてあげよう。どんなに些細な勝利の話も、どんなにささやかな行ないもほめておしゃべりを我慢して聞き、いっしょに大笑いしてあげよう。子供に何があったのか、何を求めているのかを見つけてあげよう。そして言ってあげよう、愛していると。毎晩毎晩。叱ったあとは必ず抱きしめてやり、「大丈夫だ」と言ってやろう。子供の悪い点ばかりをあげつらっていると、そうなってほしくないような人間になってしまう。だが、同じ家族の一員なのが誇らしいと言ってやれば、子供は自分を成功者だと思って育つ。きょう、少し子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。きょう、聞いてあげよう、どんなに忙しくても。そうすれば、子供もあなたの話を聞きに戻ってくるだろう。 (from "Being the Best" by Denice Waitley) *原文は英語*****教育に関わる仕事をしていて、特にコミュニケーションの大切さを知る。今、自分と話している彼/彼女が、自分を頼りにしている。彼/彼女にどんなアドヴァイスをしてあげようか?今、彼/彼女が言っているのは自己主張か、単なるわがままか?自分のことば一つで、彼/彼女の人生が変わるかも知れない。どんな時にも愛をもって接して行かなければならない。教師も親もそういう意味では同じ。教師対生徒という関係ではなく、人間対人間という気持ちで接していくこと。
2006.09.29
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電車に乗っていて、隣の客が携帯電話を出して大声で話してたり、ヘッドフォンからシャリシャリ音が漏れてきたり、「いやだな」と思うことが誰にだってひとつやふたつはある。実際にあなたが乗車した電車に、もしこんな乗客がいたとしたら…。*注意:恥ずかしいし、周りに迷惑がかかるので決してマネを(普通はしないだろうけど)しないで下さい。【シリーズ:電車男】1)電車の中でも猛勉強 2)通勤時間を惜しんでのトレーニング 3)電車の中ってよく眠れるんだけど… 4)おいおい、ここは… 5)体操選手?小さい頃よくやったけど… (Photo: Central Park, New York 1991)
2006.09.28
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Jからの手紙友人の一人が最近送ってくれた素敵なマントラ[呪文]です。とてもいいものなのでぜひ鑑賞してみて下さい…J.このタントラはインドに起源を発し、既に世界を10周も回っています。心が洗われるメッセージばかりです。幸運を示すネパールのトーテムタントラというものです。幸運を祈願するものとしてあなたに送られました(原文は英語)。 * * * * * * * *「よりよく生きるために…」玄米をたくさん食べなさい人々が期待している以上のものを与えなさい、しかも快くお気に入りの詩を暗記しなさいあなたが耳にするものを全て信じないこと持っているものを全て使わないこと眠りたいだけ眠らないこと「愛しています」という時には真剣であること「ごめんなさい」という時にはその人の目を見つめること結婚する前には最低6ヶ月の婚約期間を持つことひとめぼれを信じること他人の夢を決して馬鹿にせぬこと深く情熱的に愛すること傷つくかも知れぬがそれも生を全うする唯一の方法である意見が食い違っても公正であれ。腹を立ててはならないその両親で人を判断してはならないゆっくりと話すこと、しかし迅速に考えること自分が答えたくない質問をされたらにっこり笑いなさい最大の愛情と大いなる成功には、さらに大きな危険がつきものであるということを忘れないことだれかがくしゃみをしたら、「お大事に」と言うこと負けた時にはそれを教訓にすること母親に電話をすること3つのRを忘れないこと:自分自身に対する誇り、他人への敬意と、自分自身の全ての行動に伴う責任である大きな友情を台無しにするようなささいな誤解を許さないこと間違いをしたことがわかったら直ちに改めること電話に出るときは笑顔で、たとえ誰があなたに電話してきても笑顔は声に表れてくるもの話し好きな男性/女性と結婚しなさい歳をとれば、人と話す能力は他のどんなものよりも重要になってくる時にはひとりで過ごす時間を持ちなさい自分自身が変わることをためらわないこと、しかし自分の価値を投げ捨ててはいけない時には沈黙が最適の答えであることを覚えておきなさいテレビを見るより本を読みなさい充実した、人に誇れる人生を生きることのちに歳をとって過去を思い返すことがあるだろうが、過去を二度生きることができることを知るだろう神を信じなさい、しかし車にはキーをしておくこと和やかな家庭の雰囲気は大切である愛情に満ちた平和でくつろいだ雰囲気をつくるためにできることは何でもすること愛する人と意見が食い違ったら、現在の状況を重視すること過去を持ち出さないこと言葉に表されない部分を読み取ること友達の友達は皆友達である、友達をたくさん作ること。それが不老不死の道でもある地球にやさしくあれ祈りなさい、祈りの中に素晴らしい力が秘められているあなたに愛情や思いやりを示してくれる人を煙たがってはいけない自分の仕事に精を出すことキッスをする時に目を閉じない男性/女性を信じてはいけない年に一度は行ったことのない所を訪ねなさいもしお金がたくさんできたら、生きている間に人を助けるために与えなさい。これは幸運があなたに与えてくれる最高の喜びである欲しいものが手に入らないことが、時には幸運でもあるということを覚えておきなさい最適の関係とは二人の間の愛情が、お互い必要としている以上に大きいものだということを知っておきなさい成功とは、あなたがそれを手に入れるために放棄しなければいけないものに関わっていると判断しなさいいくぶん捨て身の気持ちで愛情と料理をごちそうしなさい誰も聞いていないようなつもりで歌わなくてはならない誰も傷つけないようなつもりで愛さなくてはならない誰も見ていないようなつもりで踊らなくてはならない地球上に天国があるつもりで生きなくてはならない*原文はコチラ(Photo: Movement and Tranquility, Pacific Coast, California 1991)
2006.09.27
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ジャズとの出会いは、幼年期、小学校に入る前のことだったと記憶している。父はいつも日曜日にヒゲを剃る時に、決まってナット・キング・コールの「キサス・キサス・キサス」かルイ・アームストロングの「セ・シ・ボン」あるいは「聖者の行進」をかけていた。当時はまだ「デジタル」という言葉が存在しなかったばかりか、アナログという言葉すら聞いたことがなかった時代だ。モダンな我が家には、既にビクターのステレオセットがあった。スピーカーとレコードプレイヤー一体の箱型ステレオだ。33回転のSPレコードが何枚もあって、父親のコレクションはもとより、クラシック好きの母親もかなりたくさんレコードを所有していた。ジャズという音楽を知るのと同時に、日本の「歌謡曲」という、今は「ジャパニーズ・ポップス」と呼ばれるジャンルもずいぶん昔からあったと記憶している。最初に覚えた歌は山田太郎の「新聞少年」だったか、もしくはアイ・ジョージの「硝子のジョニー」だった。45回転のEP(ドーナツ盤と呼ばれたシングル盤)に合わせてよく歌ったものだ。我が家に父の友人が来られた際にはたいてい自分が歌ってもてなしたりもした。グループサウンズ全盛期、ジャッキー吉川とブルーコメッツの「ブルーシャトウ」やタイガース(阪神ではない)の「花の首飾り」や「君だけに愛を」は歌詞を見ずにそらで歌えた。ピンキーとキラーズの「恋の季節」も十八番(おはこ)だった。中学2年生になって、英語を担当してくれた先生の影響でポップスを聴くようになる。カーペンターズやサイモンとガーファンクル、ビートルズにモンキーズといった流行の歌にハマってしまうこともしばしば。今も実家に残っている「イエスタデイ・ワンス・モア」と「ミセス・ロビンソン」のシングル盤は擦り切れるほど繰り返し聴いた思い出の曲。初めて英語で歌えるようになった曲もこの2曲だった。教師になって再びジャズに恋焦がれるようになる。パット・メセニーやキース・ジャレット、ビル・エヴァンス、マイルズ・デイヴィスは車の中でもよく聴いている。デジタルの時代だからこそ、アナログでアコウスティックな音に自然と惹かれてしまう。特にギターやピアノ、サックスといった楽器は心に染み入る音を奏でてくれる。このブログを書きながらナタリー・コールの「アンフォゲッタブル」を聴いている。古き良き時代のアメリカを彷彿とさせる華々しいメロディラインが聴く者に活力を与えてくれるから、仕事で疲れた時、特に夜ひとりで聴くのがいい。父がジャズを聞いていたあの頃、世の中は今と比べてすべてがスローでメロウだった。世間全体がのんびりとして大らかな時代だった。今みたいに人々がせかせかと生きているような時代ではなかったから、誰もがマイペースで生きていればそれで良かったのだ。1960年代、いろんなものが軌道に乗っていこうとして、至る所で新しい動きが見られる時代だった。心を病んでいる人もそんなにいなかっただろうし、新しいことを始めるのに最適の時期というものがあった。ナット・キング・コールやルイ・アームストロングの音楽は、強くたくましく生きるアメリカそのものを象徴していた。日曜の朝、「さあ、今から何をしよう」というこの世に生まれたばかりの、生命力あふれる赤ん坊のような音楽だった。ヒゲをそりながら、体をくねらせながら、スイングしていた父の後ろ姿が今も忘れられない。あの頃、ジャズを聴くことが強い男のポリシーなのだということを、幼年時代の僕は薄々と感じ取っていたのかもしれない。(Photo:カボチャのある風景2)
2006.09.26
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100円ショップ(正確には105円ショップだが)が好きだ。自称「100円ショップ評論家」というくらい100円ショップに関しては造詣が深いつもりである。街に出ればたいてい寄ってしまう場所。出張先でも旅行中でも、身近にあれば必ず入りたくなる場所。その昔、わずかながらの小遣いを持って立ち寄った駄菓子屋のように、見て楽しむ、すなわち、商品を手にとって眺めながら買いたい物を選ぶことができるのが何よりも楽しい。100円ショップなら2時間でも3時間でも過ごすことができる。100円ショップで買って、使われずに放置されているものも案外多い。それに加えて、100円ショップであえて買わなくても、ディスカウントショップやドラッグストアなどで、98円とか88円で売られているものもある。その昔、100円ショップでガールフレンドを見つけた男性の話を聞いたことがある。もちろん100円で彼女を手に入れたわけではなく、レジでアルバイトしていた女の子が彼女だったというわけだ。彼女は100円ショップでバイトしているわりにはブランド志向だったらしく、誕生日やクリスマスには何万円もするバッグやアクセサリを求めてきたという。100円ショップで安易な気持ちで手に入れた彼女だったが、彼にしてみればかえって足が出るくらい高くついたということだそうだ。(Photo:だまし絵…男性に見えますか?それとも柱に見えますか?)
2006.09.25
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日曜の朝、いつもと同じ午前4時40分に目を覚ます。軽くストレッチをして、ランニングに出かける準備を整える。ポラールのハートレイトモニター、オムロンの万歩計をつけ、シューズを履いて、MP3プレイヤーでお気に入りの音楽を聴きながら走り出す。まずは1キロ6分のジョグペースでゆったりと。BGMはマライヤ・キャリーの「ヒーロー」だ。午前5時半を過ぎる頃になるとようやく空が明るくなり始める。近所のおじさんやおばさんが散歩し始めるのもこの時間帯だ。2匹の愛犬(ビーグル犬)を連れてしょっちゅう出会うおじさんに挨拶をする。「今日もいい天気だね」「ワンちゃんはいつも元気そうですね」何の他愛もない会話だが、こんな出会いからもエネルギーをもらえそうな気がする。お決まりのコースは平坦な田んぼの周回コースと、峠を二つ越える山周りコースとを組み合わせたもの。朝寒かったのでウォームアップスーツを着込んできて正解だった。6時を過ぎて日の光が差し始めた。ラスト20分は峠を越えて下り坂の勢いに任せてスピードを上げていく。音楽はパット・メセニーの「ファースト・サークル」16ビートのリズムに合わせて、腕も足も高速スピードに対応するように、ピッチとストライドも徐々にレベルアップする。後半どれだけ気持ちよく走れるかがその日一日の気分を左右する。ウォームアップスーツの下のTシャツが既に汗まみれだ。ハートレイトモニターは170を優に越えている。10キロのロードレースのラスト1キロを想定した走りだ。フィニッシュ!見えないゴールテープを切って、歩きながら呼吸を整え、体の各パーツをチェックする。「問題なし」******シャワーを浴びて、朝食を準備しながら、ラフマニノフのピアノコンチェルトをBGMに流す。青空、白い雲、乾いた空気とそよ吹く風…秋の始まり、窓を開ければさわやかな空気が僕の肌になじみ始める。かぐわしい匂いはベーコンエッグがいい具合に焼けているしるし。オレンジジュースをグラスに注ぎ、僕はテーブルに着く。時間をかけてゆっくりと朝食をとる、これほどのぜいたくはない。誰にも平等に与えられた時間を自分ひとりだけで楽しむ。それもまた快感。久々に作ったフレンチトースト。見事なまでに芸術的に焼けた。コンデンスミルクをかけた上にシナモンシュガーを振りかけて食べる。エスプレッソメーカーが噴き出した蒸気で何か歌を歌っている。ちょっとしたカフェでくつろぐよりもリッチな時間。窓の外に近くで飼っている三毛猫がやってきた。せっかくだから少しおすそ分けしてあげよう。指でちぎったフレンチトーストを投げてやると、ぺろりと食べてしまった。「もうないよ。また今度」三毛猫はことばが分かったのか、そのままどこかへ消えてしまった。******キャンプ場で過ごす旅の朝はいつもこんな風にゆったりとした時間が流れていたような気がする。何ものにも束縛されず、誰にも追い立てられることなく、自分が思うままに使える自由な時間がたっぷりとあった。ちょうどストップウォッチのストップボタンを押すみたいに、好きな時に時間を止めることもできた。何かに退屈したり、疲れてきたら、リセットボタンを押していつでもスタートの0(ゼロ)に戻ることも可能だった。時間よ止まれ。ほんのしばらく時間を止めて、リフレッシュしてみよう。今の自分でしか楽しめない、この永遠という一瞬を…。(Photo:かぼちゃのある風景1 アメリカ、ペンシルヴァニア州1991年)******エッセイ「やさしさに包まれたなら」
2006.09.24
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例えば、「今あなたの人生に何が一番必要ですか?」と聞かれたら、多くの人が「時間」と答えるかも知れない。だが、よくよく考えてみると、24時間はすべての人に平等に与えられている。太陽が東に昇って西に沈むまで、誰もが物理的に共通した一日を分かち合っている。本当に必要なのは「時間」なのではなく、1日24時間を実質24時間として感じることのできる「心のゆとり」なのではないか。「時間がない、時間がない」と言っている人の多くは、時間があるにもかかわらず、忙しさの中に自分自身を埋没させてしまって、1日24時間を24時間と感じられないくらい追い詰められた生き方を強いられているのだろう。確かに時間は待ってはくれない。そうこうしている内に、残された人生の貴重な時間がいつの間にかどんどんどんどん失われていってしまう。「俺は今まで何をしてきたのだろう?」気がつけばもう人生の折り返し地点を過ぎて、人生の終焉に向かってラストスパートすべき時間にたどりついている。あせらずあわてずあきらめず。どんなにあわててみたところで何も変わらない。ならば、今この一瞬にすべてを賭けて、全力で生きてみよう。どんな生き方をしようと誰も咎めはしない。自分自身の命が喜ぶ生き方を、求めてみよう。(Photo: Yellowstone River, Wyoming 1991)
2006.09.23
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人間だけでなく、この世に存在するすべてのものに「こころ」があるのだと最近感じている。例えば、英単語ひとつにしても、その中に「こころ」があって、その英単語の「こころ」と自分の「こころ」が通じ合うことで初めてその英単語が自分のものになるのだ。自分のことばや行動のひとつひとつにも、きっと「こころ」は存在しているはずだ。そんな風に感じるのを言葉にするのは難しいけれど、他人の「こころ」に何かを訴えかけるのはそうたやすいことではない、と思う今日この頃である。
2006.09.22
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人は誰も ただ一人旅に出て人は誰も ふるさとを振り返るちょっぴりさみしくて 振り返ってもそこにはただ風が 吹いているだけ*****はしだのりひことシューベルツ「風」作詞:北山修 作曲:端田宣彦 編曲:青木望(Photo:鶴岡100キロマラソン)
2006.09.21
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足が折れるまで走り続ける足が折れても走り続ける何かに追いかけられてそこから逃げるために走るのではなく何かを必死になって追い求めるために走りたい足が動かなくなれば手で走る手も使えなくなれば体の使える部分で走る五体の自由が利かなくなったら気で走る気で走れなくなったら魂で走る死ぬ時はベッドの上ではなく走りながら前のめりに倒れたいと思うどれだけ長い時間走れるだろうどれだけ速く走れるだろうどれだけ遠くまで走れるだろう道がある限り走る道がなくなれば自分で道を作ればいい振り返った時に自分のつけた轍(わだち)を見てこれが自分の人生だと言えればいいランナーとして恥ずかしくない生き方立ち止まらず 振り返らず 後悔せず一歩先にいる自分が未来だ不撓不屈のランナーたち:テリー・フォックス(カナダ)クリス・ムーン(イギリス)島袋勉(日本)(写真:カナダ横断を義足で走るテリー・フォックス)
2006.09.20
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~最近のニュースから~クマがガラス戸割る むつ市の小学校 (共同通信)19日午前6時ごろ、青森県むつ市川内町の市立蛎崎小学校で「クマがガラス戸を壊していった」とむつ署に通報があった。午前4時40分ごろ、近くを散歩中だった同小学校の用務員の女性がガラスの割れる音を聞き、確認したところ、校舎と講堂を結ぶ渡り廊下のガラス戸2枚が割れていた。ガラス戸にはクマのものとみられる毛が付着、付近にクマの足跡が20カ所ほど残っていた。[ 2006年9月19日15時35分 ] クマが衝突死 特急などに遅れ 山梨・中央線 (毎日新聞)18日午後9時45分ごろ、山梨県甲州市のJR中央線甲斐大和―勝沼ぶどう郷駅間で、大月発韮崎行き下り普通電車がクマに衝突した。乗務員が線路上に体長約1メートルのクマが死んでいるのを確認。乗客にけがはなかった。電車は約25分停車し、後続の下り特急など計7本が最大約50分遅れ、約1500人に影響が出た。[ 2006年9月19日3時6分 ] クマ襲撃 町助役が発砲後に反撃され重傷 新潟・阿賀 (毎日新聞)16日午前6時40分ごろ、新潟県阿賀町の林道で、近くに住む同町助役の阿部昭八さん(64)がクマに襲われ、肩や頭などに重傷を負った。県警津川署の調べでは、阿部さんは同日午前6時半ごろ、クマを駆除するため散弾銃を持って1人で入山。クマを見つけて発砲、地面に落ちたため近寄ったところを襲われた。[ 2006年9月16日21時00分 ] *******クマに関するニュースが最近あとを絶たない。人間や自動車・電車に接触する機会が増えているということは、自然界にクマの居場所がなくなりつつあるということを意味しているのだろうか。1994年のアラスカ北極圏~カナダ横断自転車旅行中に、何度かクマに遭遇している。道端にクマのふんが落ちていることもしばしば。自転車で走っていて、ほんの30メートル前方に体長2メートル以上ありそうなグリズリーベア(北米に生息するヒグマの一種=灰色熊)がのそのそと歩いていて、何か食べるものを探しているようだった。→タイガとツンドラの原野を行く奈良公園の鹿が放し飼いにされているのならまだ許せるが、鎖や紐で縛られていないクマが放し飼いにされていたものだからたまったもんじゃない。全速力で走ればクマは時速50キロのスピードで走れるという。荷物をフル装備した自転車は、平地でせいぜい時速30キロが限界であろう。登り坂ともなれば時速10キロ未満。それに向かい風でも吹けば時速4~5キロが関の山。クマと競争しても勝ち目はない。カナダ、オンタリオ州の国道で車に轢かれたクマ(ブラックベア)の亡骸を目撃したことがある。かなりでかいクマにぶつかった車の方もきっとへこんでいたはずだろうが、クマは高速で走る車に飛び出してきて即死だったのか、追突されただけで遺体の傷はわりと浅かったようだ。日本のクマの個体数も減りこそはすれ決して増えてはいない。これまでの乱開発が原因でクマも生息場所を奪われて、えさを確保できなくなれば当然人里に接近することもやむをえないのかも知れない。クマのプーさんみたいな可愛らしいクマはめったにいないだろうけど、決して憎まれるべき存在ではないはずなのだが…。対人間の殺傷事件発生率からすれば、ヒトにとって危険なのはむしろ人間の方なのかも知れない(笑…えないか…)。その内、クマの方から集団テロと称して、ある集落を一斉に攻撃して食べ物を奪いに来たり、乱開発禁止の要請のためにデモ行進のパレードなんか…やりっこない…か。どんなニュースも、決してクマには罪はないはずなのだが、クマの悲しいニュースを聞くたび心が痛む。ムツゴローさんみたいにクマの言葉が分かればいいのだろうけれど…。(写真:アメリカやカナダの国立公園内では野生のクマに決してえさを与えないように警告している。一度人間の食べ物の味を覚えたクマは、次にその食べ物を手に入れるために必ず人間にコンタクトしてくるからだ)
2006.09.19
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朝、出勤後、職場から銀行に出かけたら閉まっていた。勤めているのが寮のある学校だが、土曜日の午後から生徒たちは帰省に入っている。「なぜ今日銀行が休んでいるのか?」不思議に思って職場に戻り、新聞を見て今日が敬老の日だということを知った。そうか…。体育の日や敬老の日がハッピーマンデーに変わっていたのだ。休みも関係なしに仕事しているとこのあたりの感覚がおかしくなっている。午後は家に戻ってピーナツバター&練乳トーストを作って食べた。食パンにバター&ピーナツバター(クランチタイプ)を塗り、トーストしたあと、練乳とシナモンを振りかけるだけの実にシンプルなもの。でも冗談抜きで美味しい。エスプレッソといっしょに6枚切りのパンを3枚食べ、オレンジとバナナとキウイフルーツでフィニッシュ。何か朝食っぽいメニューになってしまった。台風が既に北に行ってしまったようだ。多くの被害が出たみたいだが、いつもいつも水害やら土砂崩れやら、台風や豪雨のたびに死傷者が出てしまうのは何とかならないものなのだろうか。税金がどのように使われようと文句は言わないけれど、こういった災害対策をまず優先してやってほしいものだけど…。パソコンのメモリを大阪のソフマップで買ってきて、今日256MBから512MBに自分で交換した。おかげでパソコンの作業がスイスイはかどる。これまで、WINDOWS MEDIA PLAYERで音楽を聴きながら、ホームページビルダーを使って、インターネットやろうものなら、すぐにパソコンがフリーズしていらいらしてたけど、その心配ももうなさそうだ。夕方、マウンテンバイク“VIENTO号”を駆って1時間走り、そのあと1キロ6分のジョグ・スピードで1時間で10キロロードワーク。今日は夕食にサーモンの刺身を買って来た。久々に土鍋で米を炊こう。地元の伊賀米の新米がもうすぐ店頭に並ぶだろう。このあたりはコシヒカリがおいしい。何の変哲もない平和な1日。これもまた良しとしよう。(Photo: オマエモナ~リザ)
2006.09.18
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素直に 純粋に ありのままに許すこと 信じること 愛すること優しさ 穏やかさ 温かさとらわれず こだわらず しばられず
2006.09.17
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ざわざわざわ一本の木が風に揺れている木は風に逆らっちゃいない枝や幹がたわむことで風をやさしく受け入れている葉も同じ風の吹くままに散っていくものあるいは葉全体で風を感じ取っているその根っこだけが風を直接受けることなく風で揺れる木全体を一生懸命支えているそれとも木は風としばし対話を楽しんでいるのだろうか
2006.09.16
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ハリーさんが思いの他楽しんでいただいたようなので面白画像第2弾!! ネット上で拾ったものを集めています。 このブログでの画像使用において問題がありましたらご一報下さい。 「命懸けの戦い」 「アクロバット」 「場内乱闘」 「今日のテレビ何見ようかな~」 「ミラクルボールだニャン!!」 「ウインドウズの終了:気の短い人向き」 「IT時代の逮捕劇」 「シャル・ウィ・ダンス?」
2006.09.15
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暇を見ては(忙しくてあまり暇はないけれど)、画像加工したり、コラージュを作ったり、面白画像をコレクションしたりしている。よろしければご覧あれ…。「台風の目」「エンドレス」「辛酸」「パソコンの電源」「スヌーピーのある雪景色」「全力1年生(8月号)」つづきはまたいずれ…。(写真:ひまわり七変化)
2006.09.14
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The secret of happiness is not in doing what one likes to do, but in liking what one has to do.幸せの秘訣はやりたいことをするのではなく、やらなければならないことを好きになることである Barrie Sir James (バリー・ジェイムス)*ピーターパンの原作者 (写真:青森県十和田湖 1988年8月)
2006.09.13
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だめな生き方でもいいから私らしくいたいありのままの自分を見つめてるからほんの少しの好奇心を大切に生きたいまだ知らない未来(あした)に出会えるようにアルバム「オード・シエル」より******1989年、サロマ湖100キロマラソン出場のため、大阪から旭川に向かう飛行機の中でこの曲を何度も聴いていた。旅客機の小さな窓から真っ青な空を眺めながら、岡村孝子の澄んだ声がとても爽やかだった。「だめな生き方」というものがどんなものだか良く分からないけれど、自分の生き方を振り返ってみて、本来の自分の姿を絶えず見つめ続けてさえいれば、決してそれは「だめな生き方」ではないのだろうと思う。この歌のテーマは、ズバリ「自分らしさ」だ。どんなにちっぽけでつまらない存在であったとしても、それはこの世に一人しかいないかけがえのない自分自身。誰かをうらやんだりねたんだりして、自分というものをなくしかけている時に、あらためて「自分らしさ」を求めたくなる。誰かが自分を導いてくれるわけではない。どんな方法でもいいから、自分自身が求めることで「道しるべ」は見つかるのだ。「未来」を「あした」と歌い、「時間」を「たび」と歌う。そんな心遣いが、彼女の知的で求道的な生き方を物語っている。100キロを走っている間、自分の頭の中で、何度も何度もこのメロディが繰り返し流れてきた。そのおかげで、少しは「自分らしく」走ることができたような気がする。暗い闇を越えて、いつかは夢をかなえられるという自信を持ち続けたい。
2006.09.12
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*もうゴールはすぐそこに*「もうゴールだよ」同じペースで並んで走っていたおじさんの口から僕はその言葉を聞いた。その言葉はきっと魔法の呪文か何かだったのだ。この言葉のおかげで、僕の体の中にある疲労物質がほとんど消え去ってしまったかのようだった。そして、ほんの少しだけ僕たちのピッチが上がった。「もうすぐですね」と僕が言う。実際もう1キロもなかったのだ。ゴールを示す旗が風になびいている。人々の歓声が聞こえてくる。本当に嘘みたいな話だ。100キロも走ったなんて。ゴールの200メートルほど手前にいたのは、見覚えのある顔だと思ったら、やはり高石ともや氏だった。僕に手を差し伸べてくれていたのだ。僕は感激して彼の手を力一杯握り締めた。「うれしいなァ!応援に来てくれたんですね!!」僕はかなり興奮してそう叫んだ。「もうすぐだよ。もうすぐだからね」彼はいつもどおりの笑顔でそう言ってくれた。さあ、いよいよ待望のゴールだ。どんな表情でゴールしようか。僕とおじさんはもう目前に見えているゴールラインをしっかりと見つめた。そしてゴールの手前約50メートル手前で手に手を取り合った。僕はゴールテープを見ながら、ずいぶんとゴールテープって言うのは太いものなんだなと思った。両手を高々とあげて僕たちはゴールラインを通過した。時計は9時間33分を示していた。「これが100キロなんだ」ボランティアの女の子が完走メダルを首にかけてくれて、さらには完走Tシャツやお弁当まで届けてくれた。目の前が一瞬白っぽくなった。僕はよろめきながら芝生のところまで行き、そこで横になって目をつぶった。「終わった」ということしか分からなかったが、それだけで十分だった。胸の鼓動が聞こえる。ドクドクと激しく、強く。僕は胸に手を当て、自分が生きていることを感じた。神様が自分の心臓に宿っているような気がした。「これだ…自分が求めていたのは…これなんだ…」今生きている、いや生かされている。それだけがたまらなくうれしい。苦しみや喜びを味わえるのも、こうやって心臓が体中に血液をおくってくれるからなのだ。*スタートラインに立ってみれば*ナポレオンの辞書には「不可能」なんて言葉はなかったらしいが、本当に不可能なことなんてないのではないかと思う。「限界」とか「不可能」とか、結局は自分の頭だけで決めてかかっているだけなのかも知れない。「1キロを走るのも、10キロを走るのも、42.195キロを走るのも、100キロ、あるいは1000キロを走るのも、基本は同じ。まずスタートラインに立ってみることだ。そこから一歩を踏み出してみないことには結果なんて分かりっこない」完走パーティで高石ともや氏が言ったその言葉がいつまでも耳にこびりついていた。*参加者 628人 *完走者 491人 *記録 84位
2006.09.11
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*長く苦しい道だけど…*80キロ地点。エゾスカシユリの美しいオレンジ色の花が咲き乱れる。ワッカの原生花園だ。左手にはサロマ湖、右手には紺碧のオオーツク海が広がっている。それにしてもまあ良くここまでやって来れたものだ。と自分でもつくづく感心させられてしまう。この二本の脚が本当に頼もしく思えてくる。もうあと20キロだ。ペースは落ちる一方。それもそのはず、引きずるような足取りでは、一向にストライドは伸びないし、ピッチも歩くより少し速い程度のものだから、5キロのラップタイムが35分になるのもうなずける。折り返してきたトップ集団の選手たちとすれ違う。苦しそうな表情は皆同じだけれど、十分に走り込みを積んだ彼らのスピードは決してまねのできないものだと納得する。何人ものランナーに抜かれて、もうすっかり悔しいのを通り越していた。ただひとり、40歳くらいのがっしりとしたおじさんとペースが合って、しばらくいっしょに走る。85キロを過ぎて折り返し点に達する。梅干の入ったおにぎりがうまい。熱いお茶が胃袋にジワジワしみてくる。確かに僕は生きている。生きているから走るんだ。何か歌の文句みたいだけど…。*この苦しみはみんなのもの*折り返してからいろんなランナーがいた。ヘッドフォンステレオで音楽を聴きながら走る人、二人で会話を楽しみながら走る人たちもいる。航空自衛隊のマークが入ったTシャツを着たランナーは、両腕に黒マジックで「根性」と書き込んでいた。辛さの真っ只中にいるはずなのに、そんなランナーたちの顔を見ていると何だか幸せな気分になり始めて、100キロも走っている自分がすごくぜいたくに思えてしまう。本当にぜいたくな走りだ。*ゆっくり、確実に*95キロだ。スタートしてから8時間57分が経過していた。あとわずか5キロなのだ。5キロはいつも練習している10キロのたった半分の距離だ。エイドステーションにいるボランティアの高校生たちも必死になって声を張り上げ応援してくれている。「ここまで来た以上は絶対走り抜こう。できないわけがないさ」僕は素直にそう考えた。ただ一歩ずつ、一歩ずつ進むだけでいいのだ。すれ違う後続のランナーの中には、足を引きずっている者もいる。走りが歩きになってしまった者もいる。どんな走り方(歩き方)を選択するかは、自分がどんな生き方をするかという選択と同じ。自分で決めればいい。自分で決めた道を自分なりに走る、それでいいじゃないか。「頑張って!!」僕はすれ違うランナーのひとりひとりに声をかけた。微笑みながらうなずいてくれる人、「ファイト!」と言い返してくれる人、憔悴しきった表情を浮かべて手を振る人など、さまざまだ。折り返してからは、この道を走るすべてのランナーが、まるでひとつのファミリーのように感じられて、頭や体が疲れていたにもかかわらず、僕は何だかうれしくてたまらなくなった。不思議だ。タイムや順位なんてもうどうでもよくなって、ラップタイムすら気に留めようとさえ思わなくなった。ただ100キロを走ることだけに価値観を持ち始めていたのかも知れない。僕は僕なりに頑張っていたし、また周りにいたランナーもそれぞれに頑張っていた。同じ空間で、同じ100キロを走る。それだけでも素晴らしいことではないか。(次回最終回につづく)
2006.09.10
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1989年7月2日 *100キロに挑む*おそらくどんな人間だって不可能と思えるようなことがこの世の中には果てしなくあるものなのだろう。だがその中には、何らかの手段でもって可能にしうることさえある、と僕は思う。「100キロを走る」と最初学生時代の友人に話してみたら、「お前狂ってる」と言われてしまった。確かに正常な人間なら、こんな突拍子もないことを考えるものではないのだろう。1989年7月2日、少し曇り気味の空の下、とうとう100キロのスタート地点、湧別町体育館前に僕は立った。気温は10度前後だろうか、ランニングシャツでは少し肌寒いほど。*スタート*午前5時、ピストルの音とほぼ同時に、僕は未知なる世界への記念すべき第一歩を踏み出した。これからゴールまで、600数十名のランナーとともに10時間近い旅が続くのだ。考えるだけでも気の遠くなりそうな話だ。生まれて初めての100キロマラソン。フルマラソンの2倍よりもまだ10数キロ長いというこのウルトラマラソンのスタートに、僕は「まあ何とかなるだろう」という楽天的な気持ちで臨んでいる。のんびりとしたペースで15キロまで進む。1キロ5分から5分30秒。前半はできるだけ無理なスピードを控えるつもりでいたが、ずいぶん体調が良かったし、足取りも軽かったので少しだけペースを上げてみる。だが、これが後半のペースダウンの原因となることなど、この時点では予想すらできなかった。*イーヴンペースが大切*15キロから20キロの5キロを21分というフルマラソン並みのペースで走る。少し無茶なことをしたと反省して、20キロから35キロの区間では少しペースを落とした。フルマラソンなら35キロ辺りは一番苦しいところだが、まだ100キロの3分の1をちょっと越えたばかりだ。へばってなんかいられやしない。平野の田園風景には牛の群れがいて、特に何も悩むことなどなく干し草をムシャクシャ食べていたりする。どことなくのどかで落ち着いたムードが漂う。そんな北海道らしい平和な風景がまたいい。けたたましすぎるほど賑やかな街の道路を走るのには慣れっこになっているけれど、こんな風景が一番気持ちよく走れる。5キロごとのエイドステーション(給水・給食所)ではドリンク類やバナナ、キャンディ、スライスしたレモン、梅干し(レース後半にはおにぎりもある)などを自由に口にすることができる。42.195キロ地点に計時塔があり、通過タイムを確認。3時間25分04秒。まだ予定のペースよりはかなり速いみたいだ。そういえばずいぶんたくさんのランナーをぶっちぎってきたような気がする。気温が低く、走りながら振っている腕が寒さで痺れそうだった。汗はほとんどかかない代わりにトイレが近くなる。そのたび近くの林の中や牧場の木立の陰に入って用を足すわけだ。男性ならではの特権ということか。45キロからは峠がいくつかあって、何度かアップダウンを繰り返さなくてはならない。登りよりはむしろ下りの方が足への衝撃が大きくて膝にこたえてしまう。50キロを4時間02分で通過。単純に2倍すれば8時間04分。そんなに事がうまく行くわけはないけれど、かなり上位入賞が期待できそうな気がした。*痙攣(けいれん)に苦しむ*しかし、そんな夢も65キロを過ぎた地点ではかなくも崩れ去ってしまった。痙攣だ。右足大腿部からふくらはぎにかけて、硬直した筋肉がピクピク引きつっている。僕は立ち止まり地面に腰を下ろした。走る気力があっても、足が言うことを聞かなければどうしようもない。ショックだ。このまま棄権するなんて考えるのも嫌だった。とにかくしばらくストレッチングを繰り返し、足が元通りになるのを待つしかない。5分ほどしてようやく立ち上がることができるようになる。ゆっくり歩きながら、跳躍してみたり足を前に蹴りだしてみたりした。よし、何とか走れそうだ。それは涙が出そうなくらい悲惨な場面だった。もしこのまま走ることを断念しなければならないとしたら、僕はきっと声を出して泣いていたに違いない。これまでどんなレースでも、歩いたり棄権したりしたことがなかった。それだけが自分にとって誇りでもあったのだから。65キロから70キロは、この痙攣のために32分もかかってしまった。さらに、75キロまでにもう2回ほど同じような状態が起こった。二度目には監察係のおじさんに「大丈夫ですか?」と聞かれて、何も言うことができなかったが、引きつった表情で首を縦に振り、足を引きずらせて何とか走る格好をしてみた。歩く方が速そうなものだが、自分自身意地を張っていたのだろう。長い道だ。でもこの道が必ずゴールに続いているのだと思えば少しは安心できる。ゆっくりでもいいのだ。ゴールは逃げたりなんかしないから。(つづく)
2006.09.09
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1キロを走るのも10キロを走るのも42.195キロを走るのも100キロ、あるいは1000キロを走るのも基本は同じまずスタートラインに立ってみることだそこから一歩踏み出してみないことには結果なんて分かりっこない1989年サロマ湖100キロマラソン完走パーティで高石ともや氏のスピーチから(Photo:1989年サロマ湖100キロマラソンスタートライン付近にて)
2006.09.08
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地平線を追いかける日々追いかけても追いかけても永遠に追いつけない地平線地平線の向こうに何があるか知りたいから旅人は来る日も来る日も地平線を追い続けた地平線の向こうにはきっと自分の夢があるのだと信じて旅人は前進し続けた地平線の向こうには未来の自分が待っているそう思い描きながら旅人はただ前へ進んでいった今旅を終えて旅人は自分がいるその場所から地平線の向こうにいた自分を思い描いている地平線の向こうにあった既に過ぎ去ってしまった時間を思い返してみる目を閉じてもう一度地平線の向こうに戻ってみる旅人が一度たどった道を二度と引き返さないように失われた時間は永遠に戻ってこないペダルの一回転一回転が自分の人生そのものだったと今自分の脚は語っているハンドルを握りながら見つめていた地平線日は昇り日はまた沈む地平線の向こうから旅人は今の自分自身をずっと見続けていたのだ今この一瞬が過去になってしまうと同時に今この一瞬は未来にもなりうる今この一瞬は既に永遠という時間に含まれているのだ
2006.09.07
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最近のニュースから:「無灯火自転車、違反です」=今月下旬、全国で一斉指導-警察庁 (時事通信) 警察庁は5日、自転車が絡む夜間の交通事故防止に向け、全国の警察本部に対し、無灯火の自転車への指導を強化するよう指示した。秋の全国交通安全運動期間(21~30日)中、原則25日を指導強化日とし、一斉に指導や取り締まりを行う。 同庁によると、無灯火自転車の指導強化は異例。自転車利用者に対する指導警告件数のトップを無灯火が占めるほか、交通違反との認識も薄いとして、対策強化に乗り出した。 [時事通信社] [ 2006年9月5日19時54分 ] *****同庁のホームページでは、上記に書かれた無灯火のみならず、ヘルメットの着用やリフレクター(反射材)をつけることなどが詳細にわたって書かれていた。年間の交通事故は減少しつつも、まだ1万人近く(自殺が原因による死亡者約3万人の3分の1)いる。自転車による事故も決して少なくはない。交差点での対自動車・対歩行者・また自転車同士の追突事故もあったりする。昔自転車通勤をしていて、自転車通学のどこかの高校生が車と追突して頭から大量に出血している現場を見てショックを受けたことがある。自分自身もトレーニングでは必ずヘルメットをかぶるようにしている。アメリカ横断のさなか、見通しのいい直線の下りで時速82キロ(サイクルコンピュータの表示で)をマークした覚えがある。風圧で顔が潰れそうになったのを覚えている。日本の道路事情で考えればそんなスピードで走ることはまずないが、自転車も公道を走る軽車両の仲間であり、交通ルールは守らねばならない。自転車による飲酒(酒気帯び)運転も同じ。学生時代に居酒屋でアルバイトしていて、店の主人の家のお風呂に入った後、雨の中自転車で帰る途中、雨で濡れた曲がり角の道路(ちょうど路肩の白線の上)でスリップ転倒事故を起こした。転んだ瞬間思わず笑ってしまったのだが、この時結構酔っ払っていて、転倒後数分は起き上がれない状態だった。アメリカ横断中にも、コロラド州ゴールデンシティにある「クアーズ」というビール工場を見学して、グラスに3杯ほどビールを飲み、隣町のボウルダーに行く途中の踏切(線路の上で道がカーブしていた)で転倒。この時も雨が降っていた。体の右側からひっくり返ったので、ひじや腰、ひざなど激しくすりむき、ペダルの一部ですねの辺りを深く切り、かなり血が流れていた。すぐに水筒の水で患部を洗い、バンダナで足を縛ってまた自転車を走らせる。それから医者に行くこともなく、傷は完治したが今もその時の傷跡が残っていて、傷跡を見るたびにあの時の不始末を思い出す。それ以後は自転車と言えどもアルコールの入った状態でハンドルを握らないことにしている。交通ルールは「命を守る」ためにつくられている。罰金や罰則があるから守るという類(たぐい)のものではない。間もなく秋の交通安全運動。ドライヴァーもサイクリストもランナーも気持ちよく走りたい。(写真:オーストラリア ナラボー平原 1995年2月)
2006.09.06
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ハリーさんの9月5日のブログで紹介をしていただいた。ハリーさんは某企業の代表取締役、10月半ばに100キロマラソンにチャレンジされると言うことで、目下トレーニングに励まれる日々。目前の恐怖や不安をものともせず、ひたむきに邁進(まいしん)される姿には頭が下がる。20代から30代にかけての自分自身を思い出しながら、今自分も頑張らねば…という気持ちにさせられる。ブログをいろいろ見ている中で、偶然自転車を趣味とする自分と同じ大学出身の天神橋5丁目さん のこともつい最近知った。大学界隈のなじみの店の名前が出てきたりして、しばし心の中では80年代にタイムトリップしてしまった。同じ町で過ごし、同じ店に通い、時代は違うがほぼ同じ空気を吸っていたのではないかと思う。と同時に天神橋5丁目さんを通じて、彼の自転車仲間G-ベイブさんのことも知るようになった。自分がアルバイトしていた居酒屋をふたりともご存知だったようで、天神橋5丁目さんの掲示板を急に賑わせてしまった。自転車にハマっている人間は世の中に多々あれど、その楽しみ方は様々。自分もロードレースやトライアスロン、デュアスロン(バイアスロン)を経て、旅~ツーリングへと移行して行った。マウンテンバイクを担いで富士山や乗鞍岳にも登ったし、アメリカ・アラスカ北極圏~カナダ横断・ オーストラリア横断・ニュージーランド一周の旅を実現した。必要なだけの水と食料、そして一本の道とペダルを踏むことができる二本の脚があれば世界中どこへでも行けると思うようになった。トライアスロンのサブトレーニングで始めたマラソンも、10キロやハーフマラソンなどのレースからフルマラソン・100キロマラソンにエスカレートして、レースだけでは飽き足らず、個人的に、京都~大阪50キロラン、大阪天王寺~和歌山80キロ、京都三条大橋~東京日本橋までの東海道560キロ11日間走など、走りを旅の手段とすることの醍醐味に魅せられる。特に東海道を走っていた頃、「自分の前世は江戸時代の飛脚だったのではないか」などとも思わされたり…。スポーツも年齢とともにいろんな楽しみ方ができると思う。自転車にしてもマラソンにしても、ガンガン走ってタイムや順位にこだわる者もいれば、ゆっくりマイペースで走ることそのものが楽しいと言うものも当然あって然り。40代も半ばになれば、「激しくシヴィアに争う」という要素から「ゆっくりじっくり楽しむ」という要素がその中心に変わってきてしまった。人生を味わい深く生きるということの意味が、少しずつぼんやりと自分の中に見えてきたような気もする。3年近く仕事を中断し、旅に出ていたことから、自分はやはり「仕事人」というよりは「遊び人」なのかも知れない。どんなものにも少し遊びの要素を加えることで楽しみ方も大幅に変わってくる。いつかやってみたいこと…ランニングによる日本縦断、あるいはアメリカ大陸横断。上岡龍太郎氏がかつて提案して実現したのかどうか知らないが、春、桜前線と同じスピードで日本列島を南から北へ走るなんてしゃれているではないか。大人の贅沢とはおそらくそんな発想から生まれてくるものなのだろう。(いつかやってみたいこともうひとつ:自伝の出版〔写真〕)
2006.09.05
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すべての峠は越えるためにあるすべての登り坂は下るためにある楽をした後の苦労よりは苦労した後の楽の方がいいいいこともあれば悪いこともある悪いことがあればいいこともあるいいことばかりじゃないけれど悪いことばかりでもない 人生楽あれば苦ありそして山あり谷あり楽と苦はきっとほどよいバランスで作られているものなのだ今が苦しければ楽しみを今が楽しければ苦しみを思い描きながら進んでいこうどちらもそう長くは続かないってことを自分に言い聞かせよう人生たとえ登り坂であってもいつも心はダウンヒルちょうど自分の運命には逆らえないように重力には逆らえないものなのだ向かい風が吹く時も心の中には追い風を吹かせよう照る日曇る日雨の日もあれば雪の日もある毎日が同じ日の繰り返しのように見えても同じ日なんてのは決してありえない見方を変えれば今日という日は真新しい1日そして明日という日もまた新しい1日その字のごとく明るい日にしてみようまだ来ぬ日も既に来てしまった日もすべて今日と同じ1日太陽が昇り日が沈むまでの24時間の中で起こりうるドラマペダルの1回転1回転が銀輪を転がすように地道に生きてみようじゃないか深く考えることはないただ前進すればいいのだから自分のペースでゆっくりととらわれるものは何もないこだわるべきものすらどこにもない縛られることも束縛されることもない自分を不自由にしているのは紛れもなく自分自身そこから一歩進んで自分を見つめよう完璧な自由が見つけられるから振り返らず前へ山があっても谷があっても前へ ひたすら前へ前へ進もう
2006.09.04
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「すぐできる!誰でもできる!シンプルクッキング!」*用意するもの:乾燥わかめ(生のものもOK)、スライスチーズ、鮭フレーク、食パン(好みの厚さで)、バター、ごま油、ポン酢、タバスコ*準備:1)乾燥わかめは10分程度水に戻し水気を切っておく2)1)のわかめにごま油とポン酢をかけ、味がしみるまでなじませておく3)食パンにバターをぬり、スライスチーズと鮭フレークを乗せ、2)で用意したわかめを乗せる4)オーブントースターでチーズがとろけるまで焼く5)好みに応じてタバスコをかけて食べる*注意:食パンはあまり厚いものだと表面が焦げやすくなるので6枚切りか7枚切りがおすすめ。ビールに良く合います。
2006.09.03
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二つの銀輪に大きな夢を乗せて地平線の向こうにある無限大の可能性に向かってひた進む旅人の仕事は地平線と自分の夢を追いかけることそして旅人が最後にたどり着くのはなりたいと思っていた自分自身今まで見失っていた本当の自分に出逢えればそれでいい人生はシンプルかつハッピーであるべしと風が耳元で囁けば旅人のハートは軽やかに16ビートのリズムを刻む時間も空間も旅人の中ではひとつ欲望からも解放され完全な自由を自分のものにする風に含まれ大地に同化してやがて宇宙の一部となるさあ行けと追い風がプッシュすれば銀輪と旅人はもう一体時空の狭間を縦横無尽に疾駆する旅人は知っていたこの道が宇宙の果てに続いているということを(Photo: Millersburg, Missouri July 1991)
2006.09.02
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冥王星(Plute)の惑星としての位置づけをめぐって、まだひと悶着…*冥王星外し、米惑星科学者団体が「改善」求める声明発表*asahi.com 2006年09月01日より 冥王星を太陽系の惑星から外した国際天文学連合(IAU)の定義について、米天文学会の惑星科学部会は「将来的に改善が熱望されている」とする声明(8月30日付)を発表した。冥王星の「発見国」の米国では、著名天文学者らが定義を拒否する署名をインターネット上で集めるなど、新定義への反発が表面化している。 声明は、IAUの新定義決定の権限と、決定過程で同部会メンバーの意見が採り入れられたことを「理解している」としながら、定義にすべての点で「不明確な部分がある」と指摘。将来的に改善していくよう求めた。 また声明は、定義は一般社会と科学者の双方が納得するものになるべきだ、との考えを提示。冥王星を惑星とした「現在の学校の教科書を捨てる必要はない」とした。 IAUは8月24日、惑星を「水金地火木土天海」の8個とし、従来は第9惑星とされていた冥王星を「矮(わい)惑星」という新たな分類に振り分けることを決めた。冥王星は1930年、米天文学者のクライド・トンボーにより発見され、これまでは「米国人が見つけた唯一の惑星」という地位にあった。 *米社会から反発も 冥王星「降格」で*2006年08月25日00時56分 asahi.domより 冥王星が惑星から矮(わい)惑星に「降格」されたことを、米CNNテレビは「かわいそうな小さな冥王星」と速報した。 冥王星の「発見国」の米国では、英語名の「プルート」が、冥王星発見の年にディズニーアニメ「ミッキーマウス」に登場したミッキーの飼い犬の名前になるなど、冥王星への愛着が強い。 米天文学会惑星科学部会の理事会は、惑星を3個増やすとした国際天文学連合の当初案を「強く支持する」とする声明を出していた。新定義が米社会の反発を買う可能性もある。 しかし、「第10惑星」(2003UB313)を発見したカリフォルニア工科大のマイケル・ブラウン教授は「国民は歓迎しないだろうが、(決定は)正しいことだ」と米メディアに語った。 *プルート、こびとの仲間に*Yahoo!ニュース 8/25より国際天文学連合によって冥王星が惑星から矮小(わいしょう)(ドワーフ)惑星に降格されたことを受けて、「白雪姫と7人のこびと」のキャラクターの「こびと(ドワーフ)」たちが24日、声明を出し、「ミッキーマウス」の忠犬、プルート(冥王(めいおう)星の意)を自分たちの仲間に迎え入れる用意がある、と発表した。 さて、冥王星の位置づけとして惑星と見るか、新たな矮(わい)惑星として見るか。署名を集めてまで、冥王星を惑星の仲間からはずしたくない気持ち、分からないでもない。アメリカ人が見つけた唯一の「惑星」だけに、その惑星としての76年の歴史をここで終わらせてなるものか、という思いであろう。パソコンでは「矮(わい)惑星」と入力してもダイレクトに変換されない。「わい」だけで変換しても出てこないので「矮小(わいしょう)」という言葉で変換しなければならない。それほど認知度の低い言葉なのである。"dwarf"という言葉の訳語も、「白雪姫」に出てくる7人の「こびと」から「小さな人間」という風にしている。「こびとは人間じゃないのか?」というのがアメリカ人の本音かもしれない。事の発端、「カロン、セレス、2003UB313」ら3つの新惑星の登場が冥王星を惑星から降格させる原因となっているのはご存知の通り。学問的に「仲間を作る」というのはなかなか難しいことのようだ。こどもに「差別はいけない」ということを教えるのであれば、道義的にも冥王星を何とか他の惑星の仲間に入れてやってほしいところ。いろんな人種を受け入れるアメリカ人的な発想から、ミッキーの忠犬「プルート(冥王星の訳語)」を「ドワーフ(こびと)」の仲間に喜んで迎え入れようという。この問題、一体どんな結末を迎えるのだろう。興味津々である。(写真:地球-月、冥王星-カロンの比較図)
2006.09.01
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