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イヌがヒトに噛み付いてもニュースにはならないが、ヒトがイヌに噛み付いたらこれはもう立派なニュースである。ということで「ヒトがクマを襲った」というニュースから:【男性がクマ一撃KO 顔面に右フック「手が痛い」 大館】襲いかかるクマを右フック1発でKO―。30日午後一時50分ごろ、秋田県大館市雪沢の山林で、同市の男性会社員(59)が体長約1.4メートルのクマに襲われたが、右拳で顔面を殴り撃退した。男性は「よく覚えていない。無我夢中だった」と話している。大館署によると、男性は昼すぎ、1人で山菜を採りに山中に入った。突然、数メートル先の斜面の上の方にクマが現れ、4つんばいのまま滑り落ちるように突進。男性はころ合いを見計らい、右拳をたたきつけると、クマは一目散に逃げていったという。男性は右手甲にかすり傷を負った程度。格闘技歴はないが、一瞬の動きで難を逃れ「クマの皮膚は硬くて手が痛かった」とさらり。大館署のベテラン警察官は「長年、人間がクマに襲われる事案は扱ってきたが、素手でやっつけたというのは今回が初めて」と、男性の気迫に驚いたり感心したり。(河北新報) - 7月31日7時2分更新* * * * * * * *KAY’S WORLDKAY’S ART GALLERY*Summer's Greeting
2006.07.31
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長い梅雨が明けて(東北地方は未だのようだが)、ようやく夏が訪れた。夏は夢を実現させるためには格好の季節だと思う。照りつける夏の太陽は「青春」というエナジーのひとつのシンボルであり、そのエナジーが人それぞれにいろんな形で炸裂して自分だけのドラマを生み出してくれる。そこにはいつも一本の道があった。道は見知らぬ土地へと続く旅の始まりであり、旅は若者の夢と人生の象徴なのだ。たとえ夢破れるようなことがあっても挫(くじ)けてはならない。夢は無限大に膨らむものだから、ひとつ夢が消えてもまた次があると思えばいいのだ。でもひとつ確かなことがあるとすれば、「夢は実現させるためにある」ということだろう。時々想像もつかないような遠い未来のことを考えてみる。20年後、30年後の夏、一体僕はどこでどうしているだろう?60歳になっても70歳になっても、まだ旅の空の下、焼けつく夏の日ざしを浴びながら、また新しい夢を見ているだろうか。夢追い人にはふさわしい光景かも知れない。(写真:アメリカ大陸横断自転車旅行スタート3日目 カリフォルニア州オレンジ・カウンティ1991年6月)
2006.07.30
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僕は旅人である。旅人が旅人たるゆえんは、絶えず移動を繰り返し、ひと所にとどまっていないという点に僕はあると思う。僕はこれまでいろんな土地を旅してきた。旅をするのはきっと帰るべき我が家(home)があるからだろう。いくら長旅に疲れても、温かく迎えてくれる場所があると言うのは実にありがたいことである。「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行きかふ年もまた旅人なり」松尾芭蕉が片雲の風に誘われ、とめどない漂白の思いに駆られるまま「奥の細道」を訪ねる旅に出たのも、彼が根っからの旅人だったという何よりの証拠だ。旅人は道祖神(どうそじん)の誘いを決して拒むことなく、たとえ行く先に何があろうとも、我が道をひたすら突き進むのである。旅の空をぽかんと眺めながら、これまでの自分の人生を振り返ってみる。それを贅沢(ぜいたく)な時間と言わずして何と言えよう。失われたものを追い求めたくなる時がきっと誰にでもやってくる。だけど、旅人は未知なる世界に憧れながら未来をさすらいつづけるもの。あるいはそういう意味で「時空の旅人」ともなりうるわけだ。夏は旅の季節だ。照りつける太陽、突き抜ける青空、どことなく解放的で、なるほど真の自由を満喫するのにふさわしい時期かも知れない。何ものからも束縛を受けないということが大切だ。職場や家庭、わずらわしい人間関係、名誉、地位、さらには欲望からも解放された本当の自分自身を見出すこと。昔から人は旅をしながら自己を改革してきた。旅に出ることでより深く自分と言う人間を見つめ直すことができるはずだから。旅とは教育でもある。旅した先々で出会った人々から様々なことを学び、未知なるものをひとつずつ吸収していくために移動しつづけること。それが旅の本来の姿である。今改めて僕はそんな風に感じている。旅と旅行とは本来別物であった。フランス語で「トラヴァイユ」と言えば本来は「労働」の意味だが、普通「旅」のことを表す単語として使われている。もともと旅とは辛いもの、疲れるものだったということが伺われる。今、旅行と言えば、観光旅行のみを指すようになってしまったが、名所・旧跡を見て、その土地のものを食べ、土産を買い、写真を撮って帰ってくるだけではあまりにもお粗末過ぎるのではないか。もっと自分自身の内面を考察できるような奥の深い旅をどうして我々は忘れてしまったのか。旅行会社に行けば商品化された旅行パックがあって、パンフレットを見ながらごく手軽に、自分の好みと予算に合った旅行が手に入れられる。旅はお金を出して買うものなのか?僕はそう思いたくはない。僕がイメージするのは、あくまで自分自身で創造(create)する旅だ。付け加えて言うのなら、点から点を断続的に移動するのではなく、点と点を一本の線で結ぶ、移動の過程そのものを楽しむのが本来の旅のあるべき姿なのではないかとも思う。この夏も、僕はどこか見知らぬ町の空の下で、旅人になるだろう。いつか感じた胸のときめきを、もう一度確かめるために…。
2006.07.29
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23日から連日、顧問をしているテニス部の試合付き添いで、学校のある伊賀市から鈴鹿や四日市・桑名に出かけていた。朝6時から生徒を乗せた車を運転して、炎天下で一日過ごす。テニスはど素人だけど、生徒の試合を見ているのは面白い。県大会のレベルだとかなり高いテクニックを見ることもできる。6日間で1000キロ近く車で走った。去年の今頃は睡眠不足もあってかなり運転もヤバかったのを覚えている。今年も疲れて眠くて帰りの運転は大変であった。まだ8月にもいくつか試合が残っている。「外回りの仕事って大変」と思いつつ、このブログも書いている途中でパソコンに向かいながら何度か意識を失っている。書き始めたのは午後9時過ぎだったと記憶しているが、既に午前0時を回って日付も変わってしまっていた。「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」と同じ文字が何行にも渡って意味もなく打たれていたり、打った覚えのない文章をあとから削除したり…。腕や首筋の日焼けがヒリヒリ痛い。明日は出張の書類を大量に書かないといけない。たまっていた仕事も片付けないと…。こういう時に歳を感じてしまうのも癪である。が、確かにもう若くない…ような気もする。とにかく明日に備えて眠る…とする。(写真:グラス一杯の黄金の水:ビール)この一杯のために「生きていて良かった」と思える瞬間
2006.07.28
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ほとばしる汗 夏の日の午後 蜃気楼初勝利 頬かすめ吹く風の 心地よし
2006.07.27
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誰でもが今日を生きてる 悲しいほどひたむきにそれぞれの胸の奥の熱い夢を抱きしめて微風/岡村孝子 (アルバム「私の中の微風」から)
2006.07.26
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〔雨ニモマケズ〕 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ
2006.07.25
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「梅雨明けは一体いつなんだ?」今年は梅雨前線がいつまでも日本列島に居座っていてなかなか梅雨が明けてくれない様子。すっきりと晴れ渡った青空が恋しい昨今。子供の頃、夏休みといえばまず欠かせなかったのがラジオ体操。早起きして、ラジオ体操のカードを持ってまずは公園に向かう。子供のいる家庭はもちろん、子供のいない家庭でも隣近所がみんなそろって、6時半に一斉にラジオ体操を行う。「ラジオ体操の歌」を元気良く大きな声で合唱する。「新しい朝が来た 希望の朝だ…」この時代の子供は皆素直で健全だったのだ。地域ぐるみでやることは必ず子供も一緒になってやらないといけないと教えられてきたからだろう。ラジオ体操第一と第二をいっぺんにやると着ていたTシャツが汗まみれになった。スタンプを押してもらうのが楽しみで、多くの子供が皆勤賞を狙っていた。8月最後まで頑張れば、大きな袋入りのお菓子詰めセットがもらえる。スポンサーは子供会。いろんなお菓子が入っていて、もらったその日にはうれしくってうれしくってたまらなかったのを覚えている。30を過ぎて、知人が経営する旅館に毎年夏に訪ねていたが、そこの子供さん二人とラジオ体操をするためによく近くのお寺に通った。真剣にやればやるほどラジオ体操というのはハードなものだということを身をもって経験した。今は少子化の時代。地域社会でのコミュニケーションはだんだんと疎遠なものになってきていて、ラジオ体操に参加する機会もほとんどないのであろうか。自分の近所でもラジオ体操のピアノと掛け声が聞こえてきたことは一度もない。夏休み ラジオ体操 蝉時雨(せみしぐれ) 風鈴の下でかき氷食(は)む古き良き時代の日本の面影は少しずつ薄れていってしまっているようだ。真っ黒に日焼けした子供たちというのも昭和という時代の遺物だろうか。エアコンの効いた部屋で一日ゲームをして、顔色も青白く不健康そうな少年が平成の象徴なのかもしれない。昭和という時代の半分近くを生きてきて、人生の大半をも昭和で過ごした。風化させたくない多くの思いを今記憶の中に蘇らせながら、あと3ヶ月あまりで40代後半に突入する。僕は逃げも隠れもしない。老いるのではなく、美しく歳を重ねていく。老けるのではなく、メンタルな面ではますます若返っていくかのように、心がけていこう。幸い、日ごろ10代の若者と接してばかりいるせいか、自分の精神年齢は27歳あたりから進んでいないような気がする。45歳、今まだ青春真っ只中…なのだろうか。
2006.07.24
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毎年6月から9月ごろにかけて、全国各地で水害のニュースを聞く。梅雨、台風、秋の長雨、雨の降り方も年々激しいものになっているような気がする。一時期に集中して雨が降り、あっという間に川の水かさが増し、堤防が決壊し、川が氾濫する。2000年9月にあった東海豪雨の時には、愛知県の西春町(現・北名古屋市)にいて、氾濫した庄内川は家から約3キロのところにあった。当時勤めていたのが県立新川高校。こちらも学校からすぐ100メートルほどの所で新川という川の堤防が決壊し、学校は水に浸かってしまった。水が完全に引くまで数日かかり、その後はしばらくの間悪臭が町を覆った。水に浸かった車や家財道具が住宅街の道路の隅々を埋め尽くした。学校からもボランティアたちが地域のあちこちを訪ね復旧作業に協力した。水害の恐ろしさを身をもって経験したのがこの時であった。地球温暖化が加速しているのだろうか。人類に対する地球からの警告なのだろうか。CO2の削減はマイナス6パーセントどころでは足りないのかもしれない。フランスでは猛暑でお年寄りがバタバタと倒れ死に至っていると聞く。米・ニューヨークも暑さで大変らしい。エアコンを入れることができるのは富裕階級の人間。貧しい家では扇風機すらないのだろう。人間が自然に対していろいろと都合のいいように手を加えてきた結果が「今」なのだ。これから10年20年たつ内にまだ予想もつかないような変化が訪れそうな気がしてならない。COOL-BIZごときで地球温暖化が食い止められるとは思わないが、もっと抜本的な対策を考え、何らかの手を打っていかなければ、「時既に遅し」という状況になってしまいかねない。空からミサイルが降ってくるというのも恐ろしいけれど、連日降り続く雨にも決して油断はできない。雨水で増水した川を見るたびに2000年の東海豪雨のトラウマがよみがえる。せめて川の神様の怒りに触れぬよう祈るばかり…。
2006.07.23
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ミサイルで自分の体が粉々になって吹っ飛んでいくことを想像してみよう。何十発という銃弾が火を噴いて自分のお腹を貫通していく場面を思い浮かべてみよう。自分の家の真上に原子爆弾が落っこちてきて、自分自身が一瞬にして溶かされて、地面の影になってしまうのをイメージしてみよう。友人と歩いていて、その友人がいきなり地雷を踏んで、五体がばらばらに飛び散っていったとしたら…。戦争があって、仮に死なないにしても、両手両足がなくなった状態で生き続けなければならなくなったら…。目を閉じたまま、気がつけば植物人間になってしまって、誰かと口を聞くことも二度とできなくなったら…。戦争のために、最愛の人…親子・兄弟姉妹・恋人…と死に別れてしまう破目になってしまったら…。ある日突然、住み慣れた家が空爆で一瞬の内に灰にされてしまったら…。戦場にかり出され南の孤島のジャングルでたった一人で生きていかなければならないとしたら…。航空兵になって、どこかの国に大量破壊兵器を飛行機から落とせと命じられたとしたら…。今は想像するだけでいいのかもしれないけれど、これらのことは既に事実上この世界のどこかで一度は起こってしまっていること。多くの血と汗と涙が流され、いくつもの魂が消えて行ってしまった。いや、今もそんなことが現実に起こっている。少しでも想像力がある大人なら、すべきこととすべきでないことの区別くらいはつくだろう。100年後の世界には、今いる人間の大半が自然消滅してしまっている。ほんのちっぽけなことが原因で、なぜ争わなければならぬのか。一人ひとりの人間に魂と顔と名前がある。親がいて子供がいる。妻がいて夫がいる。兄弟姉妹や恋人がいる。けれど、虫けらのように大量の人間を殺さなければならない理由はどこにもない。同じ地球という惑星に住む地球人という仲間のために助け合うことはできたとしても、誰かのエゴのために戦う必要なんてこれっぽっちもない。銃やミサイルは要らない。愛と平和があればそれでいい。
2006.07.22
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たまたまpinktigerさんのブログで、「自分探しの心の旅」というページに行き着いた。その中の「Are You Happy?(マイゴール物語)」のページで、彼は「成功する人、しない人」について次のように書いている。『成功する人は、最後まであきらめません。失敗する人は、途中であきらめてしまいます。成功する人は、自分をよく知り、自分の目標やアイデンティティー(個人が、変化・成長しながらも、基本的には同じ自己であり、本当の自分は常に変わらないという感覚)に忠実な人です。失敗する人は、自分に対する認識が曖昧で、衝動買いのような、偽りの目標に翻弄されています。成功する人は、本当の自分を知ることの重要性に気づき、過去の記憶の再生に取り組みはじめます。失敗する人は、本当の自分を知ることの利益に気づきません。したがって、本当の目標が設定できません。成功する人は、記憶力の強い人です。それは多くの知識を持っているということではなく、他人から受けた恩や感謝を忘れないということです。失敗する人は、記憶力の弱い人です。他人から助けられたことをすぐに忘れてしまいます。成功する人は、子供の頃の夢を持ち続けています。失敗する人は、子供の頃の夢を忘れたままです。成功する人は、自分の中に子供を実現できます。自己実現へのエネルギーをどれだけ引き出せるか。それが、成功する人、しない人の分かれ目となるのです』思い当たる節が誰にもあるだろう。「あの時もっと~してればよかった」「~することもできた」と後悔しても始まらない。次の瞬間どうすべきか、本当の自分自身を知っている人間ならば、今を通じて未来をいくらでも変えられるのではないかとも思わされる。うだうだ不満ばかり言って、自分の失敗を他人の責任にばかりしてしまうようでは、なおさら人生は変わらない。失敗からひとつずついろんなことを学び、それを次の成功に活かし役立てている人間は必ずいつか成功する。地道にこつこつあきらめずに頑張り続けることが大切だと常々思っていても、なかなかその頑張りを継続していくことは難しい。「全力」を出して精一杯、一生懸命にことに当たること。常に10の努力をしている人は7や8の努力はさほど苦にならない。いつも手を抜いて3や4のレベルの努力しかしない人間は、5以上の努力は苦痛である。10の力を持っていて、12,13の努力をし続ける人はそれ以後もまだまだ力を出せる人。楽をしていては決して成功しないと言うことだ。以前にも一粒の星砂さんが「オーラの泉」で書いていた松下幸之助氏のことば:「努力し続けていても成功するとは限らないが、成功している人間は必ず努力している」常々肝に銘じておきたいことばである。
2006.07.21
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FoE Japanが「スターバックスに暑中見舞いを送ろう」というキャンペーンを実施している(写真上:韓国のスターバックスで実際に出されているマグカップに入ったフラペチーノ)。韓国をはじめ日本を除くいくつかの国では、スターバックスはリユース容器(温かい飲み物は陶器のマグで、冷たい飲み物はガラス製のマグ)を使うようにしているらしい。2004年からのFoE Japanの取り組みで、店内ではマグカップを使う店舗も増え始めたそうだが、夏の冷たい飲み物については依然としてプラスチック容器のままだという。プラスチックは石油から作られており、たった一杯のコーヒーを飲むために限りある資源が無駄にされてしまうことに「もったいない」と思わなくなってしまっている人間も現実にいる時代なのだろうか。FoE Japanのホームページでダウンロードした写真で暑中見舞いのはがきをつくり、スターバックスコーヒージャパン本社や各店舗あてに送るか、自分が利用するスターバックスの店員さんに渡すといった方法で、このキャンペーンが展開される。環境のために戦うのだとしたら、こういった方法も有効であろう。京都議定書で決められたCO2削減目標数値「マイナス6パーセント」は、多くの人間の意志が伴わなければ実現できないもの。世の中にはそういった運動に関して無頓着な人間も実際に多い。ノーベル平和賞受賞者でケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさんが唱えた「もったいない」の精神を、まず我々日本人が形ある行動で実践していきたいものだ。
2006.07.20
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「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行き交(か)ふ年月もまた旅人なり」松尾芭蕉が「奥の細道」の中でとらえた時間に対する観念はまさに旅人のそれであった。時間というものが一体どこからやって来てどこへ行くのかは分からないけれど、それはあたかもさまよえるジプシーのごとく、永遠にとどまることを知らない。古き良き時代を懐古することはできても、時間そのものを止めたり、逆行させたりすることは我々にはできない。ミストラル(季節風)が勢いよく吹き抜けていくように、時間という、過ぎ去っていくものの後ろ姿さえ捕らえることができないまま、この一瞬一瞬に別れを告げていく、それが生きとし生けるものの宿命なのだ。走ることを哲学だと主張するつもりは毛頭ないが、走ることに精神的な浄化作用を求めているのはおそらく自分だけではあるまい。腕を振り、足を使って一歩一歩前進する。ただそれだけの原始的な行為がもたらす影響は計り知れない。ハイハイをしていた赤ん坊が2本の足で立ち上がり歩行することが可能になった時、彼/彼女の世界観はそれまでとは全く違ったものになるであろう。そして、歩きから走りにシフトチェンジすることを覚え、今までにはなかったスピード感を体験する。2本の足が一本の道をたどり、時を刻み続ける時計の秒針のように、着実に、少しずつ、僕たちは前進すればいい。日々の人生を確実に自分のものにするために必要なのは、ただそれだけなのだ。
2006.07.19
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「お母さん、平和ってなあに?」「そうだね…。天気予報で『明日の天気は曇りのちミサイルです』なんて言わないことかな…」* * * * *KAY’S WORLDKAY’S ART GALLERY
2006.07.18
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「ごめんね。遅れちゃった。だいぶ待った?」「いや。そんなに…。2時間半くらい…」「あなた何注文したの?カフェオレ?相変わらずね。あたしのソルティドッグ頼んでおいてね。ちょっとお化粧直してくるわ」「分かったよ」* * * * *「今日も暑かったわね。クライアントと喧嘩しちゃって、あたしのことオバタリアン呼ばわりするから、履いてたハイヒールでほっぺたを思い切りひっぱたいてやったの。そしたらどうしたと思う?」「どうしたの?」「泣きながらドアの方に走っていって、『もうあんたのとことは一切契約しないって』叫んでたわ。40半ばになってマザコンオヤジがよく言うよって思ったけど」「また社長に怒られるだろ」「いいの、社長はあたしの味方よ」「あまり無茶苦茶するなよな」「でさ、今日はビッグニュースがあるの」「何だい?」「あたしね、決めたわ。結婚するの」「えっ?誰と?」「もちろん、あなたとよ。決まってるじゃない」「ぼ、ぼ、僕と?」「そうよ」「はい、婚姻届きのうもらってきてあなたの分も書いておいたから。ほらここにサインして実印押せば完了よ」「ちょ…ちょっと待ってくれよ。そんなに急に決めちゃっていいのかい?」「だって、お互いの両親にはもう暗黙の了解になってるでしょ?あとは優柔不断なあなたが決断すればそれでOKなのよ」「ゆ・ゆうじゅう…ふだん?」「もう…じれったいわね。ふんぎりがつかないあなたみたいな人のことを言うのよ!でね、式は2週間後ロイヤル・プラザ・ホテルの薔薇の間にしたわ。両家からだいたい50人ずつは招待できるわね。新婚旅行はモルディブよ。海岸べりのホテルでカウチにもたれて、ワインでも飲みながらリラックスできるわ」「モルディブってどこにあるんだ?」「もう…どこだっていいのよ。飛行機に乗って居眠りしてる間に着いちゃうところよ。あなたは私に任せてれば大丈夫だから…」「君っていつもリーダーシップ発揮しすぎだよ」「いいの!ぐずぐずしてたら何もできやしないじゃない」「さ、行くわよ。お勘定払っておいてね」「え、どこ行くの?」「今夜は忙しいの。これからエアロビ行って、帰りにエステでフェイシャルマッサージしないといけないから。あなたの相手してる暇なんてないんだから」「僕はどうすればいいんだ?せっかくデートするって言うから仕事オフにしてきたのに…」「あなたはね、経済新聞でも読んで株の勉強でもしてたらいいの。それともいっしょにエアロビ行く?」「い、いや…今腰痛がちょっと…」「じゃ、家帰ってゲームでもしてなさい!」Vincent Van Gogh(1853-1890) "Cafe Terrace"
2006.07.17
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「おじさん、何が釣れるの?」「何が釣れると思うかね?」「…」「夢だよ。チャンスだよ」「大きいの?」「ああ、大きいよ」「釣れそう?」「ああ、釣れるとも。ただ、じっと待ってるだけじゃダメなんだ」「じゃ、どうするの?」「一生懸命念じるんだ。心の中で、夢よ釣れろ、チャンスよ来い、って祈らなきゃいけないんだ」「そうすれば…釣れる?」「ああ、幸運の女神様が微笑んでくれるよ、きっと」「僕も釣っていいかな?」「ああ、やってみるかね。ただし、失敗しても、誰の責任でもない…自分の責任だよ。いいかい?」「うん。わかった。失敗したら僕の責任だよ。おじさんの責任じゃない」「よし。じゃあ道具を貸してあげよう。おじさんの横で、一生懸命念じてごらん」「うん…」「…何を念じてる?」「チャンスよ来い。おじさんのところじゃなく、僕のところにって」「ハッハッハ。そうかね…。大丈夫さ、お前のところに必ずチャンスは来るよ」「もし来なかったらどうなるの?」「来るまで念じ続けるしかないよ」「なぜ…?」「なぜ?なぜってかね…?それがこのゲームのルールだからさ」「ルール?」「ああ。終わりのないゲームのルールさ。途中で投げれば失格。最後まで頑張り続けた者が勝者なんだよ」
2006.07.16
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おおよそ生きている内に時間を見つけて次のことをしよう1)本屋さんで買えるだけの本を買って自分の部屋に引きこもって浴びるほどの読書をする2)ありったけの欲しいCDを買ってきて片っ端から聴いていく3)見たくても見れなかった映画をすべて自分専用のAVルームで見続ける4)世界地図を買ってきて行きたい国・都市・町をリストアップして順番に訪ねて行こうその土地の人たちととことん語り合って根っからの旅人になる時間も金も限られたものなのだろうけどすべてを自由自在にできれば怖いものなしでも自由が利かない現状だからそんな夢もうまれてくるこの世で残された時間の内でいったいどれだけのことができるだろう貪欲に生きていかないと自分だけ馬鹿を見ることにもなりかねないただ誰かのためにいくらか自分を犠牲にしなければならないってこともあるってわけすべてが思うようになってしまえばそれはそれでまた面白くないってこと夢と現実バランスが大切
2006.07.15
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最高に暑かった。熱かった。ネクタイにスーツ姿で我が母校関西外国語大学の入試説明会に参加してきた。知っている先生がほとんどおらず、キャンパスも移転して全く以前とは打って変わったものになってしまっていたのは寂しい限りだ。卒業してかれこれ23年、もう四半世紀近く経ってしまおうとしているのだ。変わらないものがないほうが不思議と言っていいだろう。かつては学生街だった町も、活気を失ってしまったか、雰囲気もがらりと変わったかのよう。4年半もの間下宿していた花池荘を訪ねてみたが、今はワンルームマンションに変わっていた。ただ、道や周りの風景は一部そのままに残されていて、面影を感じ取ることはできた。ふと見知らぬ風景を歩いていて、はっと気づかされた。それが昔歩いたよく知った町並みの一部だったということ…。映画「猿の惑星」のラストシーンでチャールストン・ヘストンが胸元まで砂に埋まった自由の女神を見た瞬間のような衝撃を受けてしまった。浦島太郎が玉手箱を開けようとした気持ちが良く分かる。懐かしき恋人と歩いた町、酒飲み仲間とぶらついた町、ひとり寂しく歩いた町、すべてがこの町に凝縮されていたのだ。自分を育ててくれた町…。青春時代真っ只中を過ごしたその町にいつも畏敬の念を持っていた。思い出がたくさん詰まった町並みに囲まれて、僕は思わず涙ぐんでしまった。3年間アルバイトした酒場(牧野酒道場:写真上)だけは残されていたことが幸い。マスターには会えなかったけれど、元気でいるだろうか。失われた過去を追い求めようとする時、時間の重みにつぶされそうになって、耐えられなくなることがある。今からどこへ行けばいいのだろう。もう過去という時間の中で生きることはできやしない。失われたものの意味を探すことも、帰らざる時間を取り戻そうとすることも、もう意味のないこと。去り行く時間…過去と訣別しながら、僕らはみな今という時間を生きることしかできない。そんな単純な事実に今気づいて、僕は途方に暮れるばかり。どこかに行こうとして、どこにも行けなくなった、いつまでも18歳のままの自分が今ここにいる。
2006.07.14
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あらゆる不平不満の元となっているのは能力の差などではなくて絶対的な努力の差にある
2006.07.13
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地平線の向こうにあるのはいつも未来振り返ればそこに一陣の風が吹く雲を追いかけ風と戯れ過去ではなく未来を見つめる人となる我が人生は一瞬という永遠の時間の中に凝縮されて時の狭間(はざま)を駆け抜ける通りすがりの旅人も吹き抜けるミストラルのごとく今を精一杯生きているいざ舞わんかな歌わんかな風の宴(うたげ)に誘われて今宵はいずくんぞ旅立たん
2006.07.12
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運命が90%だから努力しなくていいということにはならんね。けれども努力したから必ず成功すると考えてもあかんよ。しかし成功するには必ず努力が必要なんや。 松下幸之助(松下電器創業者)
2006.07.11
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教え子の一人が大阪府堺市でエステティックサロンを経営している。「PRANA(プラーナ)」という名前の店で、自宅を改造して「隠れ家的サロン」ということで、最初は細々とやっていたそうだが、ホームページやブログを通じて、人気が人気を呼び、口コミで客もどんどん集まり、今では予約が何ヶ月も先まで詰まっていて大繁盛ということらしい。その彼女のブログやホームページからいろんなことを教わった。教え子の中にも優秀な人物がたくさんいて、自分自身教えられることも少なくはない。「出会いは宝」すべての出会いに意味があって、そんな中から自分自身を変えるきっかけも生まれてくる。運命がどこかで変えられるとしたら、それはやはり「出会い」からであろう。一粒の星砂さんがそのブログ「オーラの泉」で井上喜久美氏の「ある日突然玉の輿」を紹介されていた。自分自身も興味を持ったのでアマゾンで検索してみたら、次のような著者からのコメントがあった。私の始めての本をお届けします。出版することが、小さいころからの夢でしたので、こうしてその機会を得たことに感謝しています。「本気で願うことはいつか必ず実現する。」私は、自分自身の節目にいつも、この言葉を思い起こします。強い想念は現実となって、目の前に現れると信じているからです。そして、その想念は、新しい出会いを結び付けてくれます。「出会い」こそが、自己の運命を大きく開いていくアイテムです。自分にとってよい出会いも、よくない出会いも、ひとつの帯の中に組みこめられていて、すべてあなたの運命に必要なことだと想います。2003年、中近東のシリアで私もひとつのご縁と出会いました。その縁を本当によいものにしていくには、きっと、幾多の試練もあるでしょう。畏れずに自分を信じて進んで生きたいと願い、「出会いの記念」にこの本を書きました。人生のほんの一ページですが、年老いた時にきっと、なつかしく思い出すことでしょう。皆さんにも、きっと「書き残したい思い出」があると想います。いつか、書いてくださいね。人生いろんな出会いがある。旅を通じて出会った人は数知れない。自分にとっていろんな意味を持つ出会いがあった。出会いがあれば別れがある。すべての出会いを無駄にしないためにも、一つ一つの出会いを宝物として受け止めていかなければならない。井上氏の言う「幾多の試練もあるだろうけど、畏れずに自分を信じて進んで生きていく」ことが大切なのだ。自分は本当にこれでいいんだろうか、と懐疑心を抱くことも少なくはない。自分のような中年オヤジには多々ありがちなことだろう。信念…いつまでも色褪せることなく、本来の自分のままで生きていくために必要な指針とも言うべきもの。揺らぐことのない不動心は信念があってこそ生まれてくる。エステシャンをやっている彼女が高校3年生の時、彼女のクラスメートたち全員が自分の最後の授業で、岡村孝子の「夢をあきらめないで」を大合唱してくれた。あの感動は今も忘れていない。「この瞬間のために生きていてよかった」そう思わせてくれる体験のひとつだった。誰もが年老いて行く中で、それぞれに守り続けなければならないものがある。生涯において出会った人々すべてとの縁を大切にして行こう。出会いのエネルギーがいろんな意味で自分のプラスにできるように。「一期一会」の言葉通り、その出会いが必ず何らかの意味を持っているということも忘れずにいよう。「出会いは宝」この世で60億分の1の確率で出会った人たちを、心の底から愛おしく思えるように…。
2006.07.10
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今日も何枚か絵を描いた。最近はランナーとサイクリストの絵ばかり描いている。朝走りながら、いろいろと風景に対しても考えるようになった。野山の色とりどりの草花にも自分の心を投影して、自分自身が自然の中の一部になってしまうのだ。時々、鳥になった自分を思い描いて見たり、高い高い潅木になっててっぺんから走っている自分を見ろしてみたり…。雲の切れ端になって、自由気ままに風に乗って旅をする。想像は尽きることを知らない。ゆったりとした時間が流れていく。心を完全にオープンにして、開かれた自分自身がいる。自分自身を解き放つとはこういうことを言うのだ。ピュアな自分がいることで、安らいだ心を持つことができる。そんな時に絵を描けば、自分自身が100パーセント表せそうな気がする。人は誰でも自分の内に芸術家的な要素(=Artistic Factor)を秘めているのかもしれない。旅をしていたあの頃の、やさしさに包まれた、まるで少年時代の無垢な自分が自分のところに帰ってきそうな気がする。汚れを知らない、自由奔放なままの自分がはしゃぎまわって、大声でゲラゲラ笑っている。本当にうれしそうに笑っている。それを見ている自分までがうれしくなってしまって、なぜか泣けてくる。自分のどこかに、まだ大人になりきれていない部分があるってことだろう。そんなひとかけらの部分でも、僕は大切にしまっておこうと思う。* * * * * * * *KAY’S WORLDKAY’S ART GALLERY
2006.07.09
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「君、時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだよ」シェイクスピア「お気に召すまま」より
2006.07.08
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たたずめば風わたる空のとほくとほく種田山頭火「山頭火句集2」より
2006.07.07
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その日の午後3時、僕はサークルKにいて、入り口のすぐそばにあるUSA TODAYを手に取り、北朝鮮のミサイル発射に関連した記事を眺めていた。ブッシュ大統領のコメントに目を移した矢先、右手入り口前方から耳をつんざくような銃声が聞こえた。「動くな!全員両手を挙げて一列に並べ!騒ぐんじゃない!いいな!」男が撃った弾丸は、店の天井に黒く小さな弾痕を残した。店内には僕を含む6人の客と、レジ係の男性が一人。みんな突然の出来事にその場にぼう然と立ちすくんでいた。男はサングラスと帽子で顔を隠し、レジの男性の胸に銃を突きつけてこう言った。「有り金を全部このバッグに入れろ。小銭もすべてだ」男が差し出したのはコットン製のダッフルバッグで、軍隊で使われていたものらしく、相当色褪せていた。レジ係は震える手でキャッシャーを開け、ドル紙幣と小銭をわしづかみにしてそのバッグの中に入れた。「よし、いいぞ。ついでにそこのチョコバーも5,6本入れろ。急げ!」その間、男は、ソフトドリンクサーバーでMサイズのカップにダイエットペプシを注いでいた。店内の客はいずれも身動きひとつせず、男の一挙一動をうかがっていた。レンジに入れたピザができあがるのを待っていたタクシードライヴァー。恐怖のあまり失禁してしまった子供と、200ポンドはありそうなその母親。旅の途中か、派手なファッションに身を包んだ老夫婦。レジ係は言葉もなく、冷汗を額に流し、既にかみ締めた唇は紫色に染まっていた。男はレジ係がキャッシュをバッグに入れ終わったのを確かめると、それを彼から引ったくり、銃口を我々に向けたまま出口の方に向かっていった。「悪く思うなよ。俺も生活がかかってんだ。あばよ!」男がドアから足早に出て行った直後、レジ係の若者は青ざめた顔にわずかながらスマイルを浮かべ、ほとんど言葉にならない言葉で言った。「あ、ありがとうございました。またどうぞ!(Thank you. Please come again.)」その無機的であまりにも冷酷な口調に、店にいた客はおそらく皆鳥肌が立ったに違いない。現金1532ドル67セントとチョコバー7本、ダイエットペプシ1杯、それらに加えてあの強盗は、中西部の田舎町にごく当たり前の、午後3時の平穏まで奪って行ったのだった。 (Photo: Philipsburg, Montana)
2006.07.06
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戦争に何の倫理があるのだ大儀のための戦い、大儀なんて何だ。痴者の寝言にすぎない。「きけわだつみのこえ」(日本戦没学生記念会編)The World Peace Prayer Society
2006.07.05
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7月3日、世界のナカタが彼のホームページを通じて引退を表明した。サッカーワールドカップで日本が敗退し、意気消沈していたサッカーファンにとってもうひとつの衝撃とも言うべき事件だった。半年ほど前から、ドイツワールドカップを最後にプロサッカー界から引退を考えていたのだと言う。プロサッカーという旅から卒業し、「新たな自分探しの旅」に出たい、というのが引退を考えたきっかけだったらしい。プロになって、勝たなければいけないという責任・プレッシャーから、サッカーが好きと素直に言えない自分が一時あったともいう。6月22日、プロとして最後のゲーム、W杯ブラジル戦で、「サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった」とも語っている。サッカーを通じて、チームメイトに、ファンに、日本国民に、世界中に、いろんなことを伝えてくれたナカタ。ワールドカップでは負けてしまったけれど、勝てなくても、ナカタはナカタとしてプロサッカー界に十分貢献してくれたと思う。サッカープレイヤーとして、ひとりの人間として、彼が背負ってきたものの重さは想像しがたいものがあるけれど、日本のサッカーレベルをここまで引き上げてきたのは、ナカタという立役者があったからではなかったか。好きなものをとことん好きになるということ。そのためには、いろんな苦難を乗り越えていかなければならない。「愛してやまない…」ナカタがサッカーに対してどれだけ思い入れが強かったか、プロとして自分の職業を誇りにできる人間にしかいえない言葉である。彼が誇り高き人間であったからこそ、自らの人生をかけて守り通してきたものに、最大限のプライドを持つことができる。そしてそんな素晴らしいものを内に秘めた者に、多くの人間が尊敬の念を持てるものなのだ。引退…自分自身の引き際を、潔く決めると言うことは勇気のいること。プロサッカー界から引退したあとも、彼は世界のナカタであることに変わりはない。ナカタの新しい旅に今、エールを送ろう。中田英寿オフィシャルホームページ
2006.07.04
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成功とは、あなたがそれを手に入れるために放棄しなければいけないものに関わっていると判断しなさいJudge your successin relation to what you must renounce to obtain it「よりよく生きるために」"Instructions for Life"
2006.07.03
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終わりのない長い道をあなたはひとり走ってる渇き切ったその喘ぎが私にだけは聞こえてくるCarry on... Carry on...決して孤独は代われないから…"Carry On" by 松任谷由実(アルバム"TEARS AND REASONS"から)
2006.07.02
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人生楽ありゃ苦もあるさ(人生山あり谷あり)Life is filled with many ups and downs.After pleasure comes pain.
2006.07.01
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