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Qu? ser?, ser? なるようになる(Whatever will be, will be)作詞・作曲:ジェイ・リビングストン(Jay Livingston) & レイ・エバンズ(Ray Evans)アメリカの大女優ドリス・デイ(Doris Day)が映画「知りすぎていた男」(The Man Who Knew Too Much)(1956年)で歌った世界的な大ヒット曲。日本では雪村いずみやペギー葉山も歌っている。あたしがお嫁に行くのはどんな人お金持ち?それとも貧乏絵描き?ケ・セラ・セラ 心配せずに神様の手にまかせましょうケ・セラ・セラ雪村いずみ版(井田誠一訳詞)私が小さい時ママに聞きました美しい娘になれるでしょうかケ・セラ・セラなるようになるわ先のことなど 判らない判らないペギー葉山版(音羽たかし訳詩)原詩を見ないとなんともいえないでしょうが、(原詩と訳は最後に掲載。)井田訳は意訳の範疇を超えてると思うのは私だけ?笑ペギー葉山版における訳が一般的。「ケ・セラ・セラ~なるようになる~」って歌詞で有名。ものごとに行き詰まったときや、悩んでいる時にはこのフレーズが救いになる。もちろん問題がなくなってしまうわけではないが、気が楽になり、俯瞰して物事がみられるようになる。ビートルズの「レット・イット・ビー」、「ライオンキング」(劇団四季)の中の「ハクナ・マタータ」(Hakuna Matata)(くよくよするな)も同じニュアンス。なるようになるサ!ケ・セラ・セラ Qu? ser?, ser?あまり眼前の事に囚われ過ぎないように、この精神でいきましょう!ところで、この Qu? ser?, ser? にはかなり疑問があるようです。そもそも、この言葉自体が何語かもわからん変なもので、意味も単純には定着している「なるようになる」とはならなそう・・・・ペギー葉山版「ケ・セラ・セラ~なるようになる~」の影響なんでしょうね。外国語と日本語のセットで繰り返されると、外国語と次にある日本語の関係は訳であり、つまり、イコールの関係だと思い込んじゃいますよね。それから、みなさんはこのケ・セラ・セラ何語だと思ってましたか?どこで読み聞きしたか記憶にないが、私は勝手にスペイン語だと思い込んでいた。スペイン語の他にフランス語という説も・・・・スペイン語だとしても正しくはLo que ser?, ser?(なるようになる)となり、少し違う。ね。疑問だらけ。この疑問を追及していた人達を見つけました。すごいですよ。詳しくは『People who knew too much』 (「ケ・セラ・セラって何語?」という疑問に、鳩首して侃々諤々議論を重ねた記録。)を見て下さいませ。「Whatever Will Be, Will Be (Que Sera, Sera)」 作詞・作曲:Jay Livingston & Ray Evans When I was just a little girlI asked my mother what will I beWill I be pretty, will I be richHere's what she said to meQue sera, seraWhatever will be, will beThe future's not ours to seeQue sera, seraWhat will be, will beWhen I grew up and fell in loveI asked my sweetheartWhat lies aheadWill we have rainbows day after dayHere's what my sweetheart saidQue sera, seraWhatever will be, will beThe future's not ours to seeQue sera, seraWhat will be, will beNow I have children of my ownThey asked their mother, what will I beWill I be handdsome, will I be richI tell them tenderlyQue sera, seraWhatever will be, will beThe future's not ours to seeQue sera, seraWhat will be, will beQue sera, sera ケ・セラ・セラ (直訳) 作詞・作曲:ジェイ・リビングストン & レイ・エバンズ幼い少女だった頃私は将来何になるのってママに尋ねたきれいになる? お金持ちになる?そうしたらママはこう答えたのケ・セラ・セラ何事もなるようになるのよ未来のことなど予測できないわ自然の成り行き次第よ成長して恋に落ちて将来は何が待っているのって恋人に尋ねた日々虹に恵まれた生活を送るの?そうしたら恋人はこう答えたのケ・セラ・セラ何事もなるようになるのよ未来のことなど予測できないよ自然の成り行き次第よ今は子どもに恵まれて子どもたちは自分は将来何になるのって私に尋ねるの美男子になるの?お金持ちになるの?だから私は優しく答えるのケ・セラ・セラ何事もなるようになるのよ未来のことなど予測できないわ自然の成り行き次第よケ・セラ・セラ「a little girl」と「fell in love」の間に「a child in school」の時が入ってるものもあるが、ここでは省略。一般的な歌詞にした。
2010.10.31
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人に好かれたいなら人を好きになれ優しくされたいなら優しくしろ信じて欲しいならまず自分の方から信じてみろ俺は俺を信じて欲しいからおまえを信じるよby 川藤幸一 『ROOKIES』2巻『ROOKIES』(ルーキーズ)森田まさのりによる野球漫画。これを原作としてテレビドラマ、映画にもなっている。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載。登場人物はプロ野球(主人公達は阪神タイガース)選手の名前をもじっている。主人公は二子玉川学園高校(通称ニコガク)へ赴任してきた新人教師・川藤幸一。この人、生徒に夢を追いかけキラキラとした学生生活を送らさせてあげたいと、とにかく熱い。不祥事により活動停止中の野球部の顧問となり、その野球部を溜まり場としていた不良達の燻っていた心に火をつけ甲子園を目指す物語。映画は知っていたが、今流行のイケメン映画といった印象しかなく、全く関心がなかったのだが、結構面白かった。設定や登場人物など『飛び出せ!青春』『われら青春!』を彷彿させる。(古いか、今の人はわからんよね 汗 私でさえ再放送世代。)懐かしい青春物語。「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」「天網恢恢疎にして漏らさず」等など、国語教師である川藤は漢文やテニスンの詩など格言を引用しつつ説教する。いい言葉のオンパレード。『飛び出せ!青春』『われら青春!』の主人公河野先生(村野武範)や沖田先生(中村雅俊)の体育会系で情熱だけの先生達とはちょっと違う。でも基本的に情熱バカというところは変わらず、対戦相手の先生を殴ったりとすさまじい。冒頭の川藤自身の言葉の前にも、福沢諭吉の言葉を引用している。人に交わるには 信を以ってすべしおのれを信じて 人もまたおのれを信ず人々愛(相?)信じてはじめて自他の独立自尊を 実にするを得べし福沢諭吉の言葉としか出ていなかったため出典等は分からないのですが・・・いい言葉ですよね。出典が分かれば冒頭に紹介したい位好きな言葉。コミュニケーションの基本ですね。好かれたい信じて欲しい理解して欲しいというのは人情かも知れないが、俺が、わたしがという自分中心の欲求。みんながそう思っているのだから、先に相手のことを考えてあげた方が人間関係はうまくいく。川藤先生に生徒ととして出会っていたら、相当鬱陶しい先生だったと思う。わたしはきっと逃げ回っていたでしょう。でも、最後には川藤菌にどっぷり感染したんだろうな。笑
2010.10.30
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Let It Be (The Beatles)When I find myself in times of troubleMother Mary comes to meSpeaking words of wisdomLet it beAnd in my hour of darknessShe is standing right in front of meSpeaking words of wisdomLet it beLet it be, let it beLet it be, let it beWhisper words of wisdomLet it be ~ omit the rest ~Jhon W. Lennon & Paul J. McCartney苦難のときには聖母マリアが僕のもとに現われ知恵ある言葉をかけてくださるあるがままに暗黒の闇の中であの方が僕の前に立ち知恵ある言葉をかけてくださるあるがままに何事もあるがままに無理に変えようとしてはいけない知恵ある言葉をつぶやいてごらんあるがままに ~ 後略 ~作詞・作曲 ジョン・レノン&ポール・マッカートニー先日の「To be or not to be」でこのbeと同じだと思い出した歌。言わずと知れたビートルズの名曲。タイトルの「Let it be」を直訳すると「あるがままに」とか、「構わないでおいて」という風になる。曲の感じは好きだし、あるがままの自分でいいんだよという励ましの歌というイメージしかなかったので、ここで取り上げるのもいいかと思い書き始めたのだが、どうもそう単純ではないらしい。(載せておいてなんだが、先に載せた訳文、かなりの意訳。原文と全然違うね)いきなりMother Mary(聖母マリア)が出てきてビックリした。聴いてはいても英語が苦手なもので歌詞まで聞き取れていなかった。知らなかった。(;^_^A アセアセ・・・Wikipediaによるとポール自身、1969年のゲット・バック・セッションでビートルズが分裂状態になりつつあるのを悲観していた頃、亡き母メアリー・マッカートニー(Mary McCartney)が降りてきて「あるがままを あるがままに (全てを)受け入れるのです」と囁いた。そのことにインスピレイションを受けて書いた。とインタビューに答えている。とのことだ。そうすると、聖母マリアじゃなく、(ポールの)マリアお母さん、という事になる。超意訳困難にぶつかった時にはマリアお母さんが僕のもとに現われ知恵ある言葉を掛けてくれるあるがままに暗黒の闇の中で彼女が僕の前に立ち知恵ある言葉を掛けてくれるあるがままにあるがままに あるがままにあるがままに あるがままに知恵ある言葉を囁いてごらんあるがままに ~ 後略 ~こんな感じかな?でも??日本人で無宗教の私でさえMother Maryと言われれば聖母マリアを想像する。ましてや、イギリスなどキリスト教国でどう思われるかをポールが考えない訳がないような気がするのだが・・・・・。ポール自身が答えていることなのだから、インスピレーションはお母さんからなのだろう。だったとしても、聖母を意識してないとはどうしても考えにくい。2重構造というか、掛詞なんじゃないの?と調べてみたらありました。あるブログに詳しく載っていた。それによると---概略-----------------------------------------------------天使に神の子を妊娠していると告げられる場面で、マリアは天使に「お言葉どおりこの身になりますように」と答えいる。(ルカによる福音書第1章38節)この部分を英語の聖書(New Revised Standard Version )でみると、 "let it be with me according to your word." この場合の「レット・イット・ビー」とは「あなたの言葉どおりに私に成りますように」つまり、「神様のご意志を私は受け入れます」という意味であり、「イット(それ)」は神の意思。「なるがままにしなさい」とはかなり違う。-------------------------------------------------------------聖書で"let it be." が出てくるとは・・・その意味は「神のご意思のままに」ということだ。そして「宗教というものは文化でもある一面を持ちます。」とも。確かにその通り!Wikipediaよりも納得!やっぱりそうだろうな。イスラム教の「インシャラー」(アラブ語で、「何もかも神の意のままに」)と同じ。想像してたイメージとはだいぶ違ってくる。超意訳苦難のときには聖母マリアが僕のもとに現われ知恵ある言葉をかけてくださる神のご意思のままに暗黒の闇の中であの方が僕の前に立ち知恵ある言葉をかけてくださる神のご意思のままに神のご意思のままに ご意思のままに神のご意思のままに ご意思のままに知恵ある言葉を囁いてごらん神のご意思のままに ~ 後略 ~あらら、随分宗教くさくなってしまった。元気が出る言葉を紹介したいという趣旨にあってるのかな?励ましの歌になる?でも、この歌のように信じることができたら、すごく強くなれるのかも?! ??なんて・・・私はこれからこの歌を聴くにしても、音の響きを楽しむだけでしょうがね。笑「天は自ら助くる者を助く」(マックス・ウェーバー:社会経済学者)という言葉がある。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という名著(らしい。私は読んでいないので知らない・・・汗)を残している。この中で述べた言葉かどうかも分からない。でもタイトルからしてキリスト教でしょ!確かなのは、キリスト教的に言っても「神の意のまま」というのは「努力もしないで」ということではないということ。困難に遭った時、目前の問題に振り回され、無理やり解決を図ろうとして、かえって泥沼化してしまうことがある。こういったときには、神の意かどうかは別にしても、あるがままに受け入れる事が必要になるだろう!(Let it be)しかし、何から何まで神様の意思だと盲目的に受容していては進歩がない。ん、自分で紹介しようとした言葉に反論してる。笑混乱してますね。うーー~ん、うまく言えない。時には「あるがままに、すべてを受け入れる」ことが必要だ。ということですね! 無理やりだぁー!マックス・ウェーバーまで出して、知らない。読んだ事ない。・・・寡聞浅学を露呈してしまいましたね。(;^_^A アセアセ・・・
2010.10.27
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Life's but a walking shadow, a poor player人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だマクベス 『マクベス』(Macbeth) 第5幕第5場 シェイクスピア夫人の死の報せを聞いて、マクベスがつぶやく台詞。3日連続でシェイクスピア。韻を踏んでいて美しく、印象に残る台詞を取り上げてきたが、今日はシェイクスピア自身の人生観が垣間見えるようなものをご紹介。人生は劇場であり舞台、人間は役者という彼の世界観・人生観があらわされた台詞はいろんなところに出てきている。先ずは冒頭の台詞をもう少し長く。Tomorrow, and tomorrow, and tomorrowCreeps in this petty pace from day to day,To the last syllable of recorded time;And all our yesterdays have lighted foolsThe way to dusty death. Out, out, brief candle!Life's but a walking shadow, a poor playerThat struts and frets his hour upon the stageAnd then is heard no more. It is a taleTold by an idiot, full of sound and furySignifying nothing. 明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、昨日という日はすべて愚かな人間が塵(ちり)と化す死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、 つかの間の燈火(ともしび)!人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう。白痴のしゃべる 物語だ、わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない。 マクベス 『マクベス』(Macbeth) 第5幕第5場もっと端的に表されているのがこれ、All the world's a stage,And all the men and women merely players.この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ、それぞれ舞台に登場してはまた退場していく、そしてそのあいだに一人一人がさまざまな役を演じる。 ジェイクイーズ 『お気に召すまま』(As You Like It) 第2幕第7場同じ作品で少し遡った場面でもThou seest we are not all alone unhappy:This wide and universal theatrePresents more woeful pageants than the sceneWherein we play in. 不幸せなのは我々だけではないようだ。この世界という広大な劇場は、我々が演じている場面よりもっと悲惨な見世物を見せてくれる。 (追放された)公爵 『お気に召すまま』(As You Like It)他にもI hold the world but as a world, Gratiano, A stage where every man must play a part. グラシアーノ、世間は世間それだけのものだろう。つまり、誰もが一つの役をこなさなけりゃならない舞台だ。 アントーニオ 『ベニスの商人』(The Merchant of Venice)When we are born, we cry that we are comeTo this great stage of fools. 人間、生まれてくるとき泣くのはな、この阿呆どもの舞台に引き出されたのがかなしいからだ リア王 『リヤ王』(King Lear) 第4幕第6場How many ages henceShall this our lofty scene be acted over.In states unborn and accents yet unknown! どんなに時代が過ぎようと、我らの行なったこの崇高な場面は、まだ生まれていない国で、まだ知られざることばで、繰り返し演ぜられることであろう。 キャシアス 『ジュリアス・シーザー』(Julius Caesar) 第3幕第1場最後のはちょっと違うかも知れない、自分達の業績が凄くて芝居として演ぜられる事を予期しているようにも取れる。(実際、そうなってますからね。日本語なんてキャシアスが知ってるわけもなく。)このような事は、これからの歴史でも繰り返し行われる事だ。つまり芝居とおなじだ。という風にも取れるんじゃないかなっとここに載せてみたがどうだろう。なんにせよ、シェイクスピアが世界=劇場と捉えていたことは確かのようだ。この世界劇場観どのように感じますか?冒頭のマクベスの言葉などは、深い絶望から発せられた台詞であるだけに、むなしく何の救いもない虚無的な印象を受る。『ベニスの商人』のアントーニオの言葉には虚しさはあるかも知れないが、現実を受け入れそこから力を発揮する為のものともとれる。ひょっとするとシェイクスピア自身は虚無的な人生観だったのかも知れないが、私は、アントーニオを取る!状況が困難であっても、これは困難に立ち向かう役を演じていると思う事で、前向きに生きる事ができる。誰もが一つの役をこなさなけりゃならない舞台だ。A stage where every man must play a part. 最後におまけで、虚無的といってしまった『マクベス』から前向きなのをThe night is long that never finds the day.どんなに長くても、夜は必ず明ける。マルカム(マクベスを討伐する軍勢の将軍)もう一つおまけマクベスの言葉と「Life is but ~」つながりで"Life is but an empty dream !"「人生はうつろな夢に過ぎぬ」ヘンリ・ウァーズワス・ロングフェロー(Henrry Wadsworth Longfellow)という人のA Psalm of Life人生の賛美歌という詩の言葉。ちなみにここでのbutはonlyと同じ意味らしい。※日本語訳は主に「シェイクスピア全集」(白水Uブックス)から引用させていただきました。 シェイクスピア戸所研究室さまにも大変お世話になりました。 ありがとうございます! マクベス お気に召すまま
2010.10.24
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Fair is foul, and foul is fair. 魔女 『マクベス』第一幕第一場 シェイクスピア『マクベス』(Macbeth)四大悲劇の1つで、その中では最も短い作品。野心家の妻にそそのかされて王を弑逆した勇猛な武将マクベス。その王位簒奪者がたどる転落の物語。スコットランドの実在の王マクベス(在位1040年~1057年)がモデル。 今日もシェイクスピアの中の台詞。正直何のことやら意味不明。理解不能。なのだがとても印象的な言葉。To be, or not to be.と似ている。韻を踏んでいて、妙に耳に心地いい。これもまた、いろんな訳があるようだ。福田恆存 「きれいは穢い、穢いはきれい」小田島雄志「いいは悪いで、悪いはいい」木下順二 「輝く光は深い闇よ、深い闇は輝く光よ」「フェアはファウル、ファウルはフェア」野球だったら、珍プレー好プレーに出て来そうだし、先日亡くなられた大沢親分に『この審判、喝!』と一喝されそう。笑まんざら冗談でもなくfairはフェアプレーのフェアだし、foulは反則のファウル。そのまんま直訳すれば「公明正大は反則、反則は公正」なんでしょうが・・・fairとfoulの二つの言葉から連想されることわざ、fair face may hide a foul heart.(きれいな顔には汚い心が隠れているかもしれない)からすると、「きれいはきたない、きたないはきれい」が正しそうにもみえる。 後に続く、Hover through the fog and filthy air.(濁った空飛んでいこう。)を見ると天気の事にも思える。「いい天気は悪い天気、悪い天気はいい天気」???魔女がマクベスをそそのかしに行く前の台詞という事を考えると、「忠義を貫いていたら王様にはなれない、王を弑逆するという大罪を犯す事が王様になるという事においては正解なのだ。」という風にとれる。つまり「正しい事は、(時に)間違いであり、間違った事が、(時に)正しい」というような意味合いなのじゃないかと思う。結局、素直に直訳通りなんだろうと・・。日本語で言うと、「正直者はバカをみる」。勿論、錚々たる訳者の先生方の訳に比べて、私の解釈にさして意味はない。私としてはこう思うというだけの話。でもこういう解釈だったとしたら、あなたはどうしますか?目的の為なら手段は問わない?ここで思い出したいのは、シェイクスピアはこの台詞を“魔女”に語らせていること。そしてそれに踊らされたマクベスと夫人の悲惨な運命。やっぱり、正直、誠実が正しいのだ。教訓。Fair is fair, and foul is foul.「正しい事は正しい。間違ってる事は間違ってる。」
2010.10.23
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To be or not to be, that is the question. 生きるべきか死ぬべきか、それが問題だハムレット王子 『ハムレット』第3幕第1場 シェイクスピアウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)イギリス(イングランド)の劇作家、詩人。エリザベス朝演劇の代表的な作家で、最も優れた英文学の作家とも言われている。その卓越した人間観察眼と内面の心理描写は、今日でも最高度の文学レベルをなしている。その人間観察眼の鋭さから欧米の大学特に政治学科ではシェイクスピアを学ばせる事が多いとも聞いた事がある。四大悲劇 『ハムレット』 『マクベス』 『オセロ』 『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』 『ヴェニスの商人』 『夏の夜の夢』 『ジュリアス・シーザー』など多くの傑作を残した。『ハムレット』(Hamlet)四大悲劇の一つ。シェイクスピアのなかで最も長い戯曲。デンマーク王子ハムレットが、父を殺し母を奪い王位を簒奪した叔父を討ち復讐を果たす。登場人物のほとんどが死んでしまう。死屍累々。まさに悲劇。この台詞の訳に関しては諸説ある。角川文庫『新訳 ハムレット』の「訳者あとがき」で、この部分の翻訳一覧がある。●「生きるか、死ぬるか、そこが問題なのだ」(市川三喜・松浦嘉一、1949年)●「生か、死か、それが疑問だ」(福田恆存、1955年)●「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」(小田島雄志、1972年)●「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」(河合祥一郎、2003年)他にも●「世に在る、在らぬ、それが疑問じゃ」(坪内逍遥、1909年)なんてのもあったりとこの一文だけで大騒ぎ。意味とすれば、最悪ともとれる状況を運命と受け入れ耐え忍ぶか、それとも困難な復讐を企て死をも覚悟し闘っていくか、という事でしょう。後の文を見てもそう取れます。復讐をするべきかするべきでないか?!と苦悩している台詞。とんでもなく困難なので、復讐すなわち自分の死となる。そこで、生か死か、生きるべきか死ぬべきか、という訳になるのかな。物語の中身は知らないまでもこの台詞は知っているというぐらい有名なモノ。私が見聞きしてきた範囲では、これが日本語としての定番だろうと思い冒頭の訳とした。台詞としてかっこいいしね。ドラマチックだし。でも、全体の文脈を考えると、小田島雄志氏の訳の方がすっきりするんだよなぁ。(超生意気な発言・・・・ご容赦を!)このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ 私達は復讐するわけでも、死の危険を冒す必要もない。だがこの言葉は役に立つ!単に美しく印象的な台詞と受取るだけではもったいない。「今のままでいいのか、何かを変えるべきなのか、何か工夫できるところがないのか」人生にしろ仕事にしろ、人間関係にしても・・・色々なシーンで役に立つ、魔法の質問!いつでも現状維持が安全で楽ちん。新しい事には未知の恐怖があり、当然リスクがついてまわる。改善のつもりが改悪になることもあるだろう。ましてや改善・改良ではなく全くの革新であればなおさら。でも進化していかない事には生き残れない。最も強い者が生き残るのではない、最も賢い者が残るのでもない。唯一生き残るのは変化する者である。チャールズ・ダーウィン 『種の起源』たまにはこういう事をマジメに考えてみるのもいいのかも。To be or not to be, that is the question.このままでいいのか、いけないのか、それが問題だおまけ今日の言葉にすごく似ている一文を思い出したので・・・・大昔に出された問題。To be, to be, ten made to be.知ってる人には怒られそうだけど、考えてみて下さいませ。答えは最後に・・・・後の文とか言っておいて、触れずじまいだったのでご参考に。To be, or not to be, that is the question:Whether 'tis nobler in the mind to sufferThe slings and arrows of outrageous fortuneOr to take arms 'gainst a sea of troubles,And by opposing end them?このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。どちらがりっぱな生き方か、このまま心のうちに暴虐な運命の矢弾ををじっと耐えしのぶことか、それとも寄せくる怒濤の苦難に敢然と立ち向かい、闘ってそれに終止符をうつことか? 「飛べ飛べ、天まで飛べ」単にローマ字読みだったんです。 ごめんなさーい!笑
2010.10.22
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「垓下歌」力拔山兮氣蓋世時不利兮騅不逝騅不逝兮可?何虞兮虞兮?若何力は山を抜き、気は世を蓋う。時、利あらず、騅、逝かず。騅の逝かざるを奈何にす可き。虞や、虞や、若を奈何んせん。 項羽 「史記」(司馬遷)※騅は項羽の愛馬。虞は項羽の愛人、虞美人。一昨日(2010.10.17)の孫文に関するおまけで載せた詩でしたが、そのままおまけのみだと勿体ないので改めて・・・超意訳我が力は山をも抜き去り(突き破り)、我が気迫は天下を包み隠すほどだった。しかし、時が味方せず、愛馬の騅(すい)も進もうとしない。騅が進もうとしないのはどうしたことか。虞よ、虞よ、お前を残して行くのは心残りだ。どうしたものか。中国の歴史書「史記」にある項羽と劉邦の戦いの最終局面、項羽は回りを漢兵に囲まれ絶体絶命。すると回りの漢兵から自分の故郷の楚の歌が聞こえてきた。これは自分の配下であった楚の兵までも皆、漢に下って自分達を取り囲んでいる。万事休した状況。いわゆる「四面楚歌」の場面で項羽が歌う詩。四字熟語「抜山蓋世」(ばつざんがいせい)の元になった漢詩。勢いが非常に強く、自信に満ち気力の雄大なさま。勇壮な気質のたとえ。意気盛んなこと。英雄の気概をいう。「山を抜き世を蓋(おお)う」とも読む。類義語:抜山倒海 / 気宇広大 / 気宇壮大 / 大胆奔放 他の武将が一緒になり束になって当たってもかなわないほど強かった、万騎不当(万夫不当?)の豪傑、項羽にしては寂しい最後だった。最後の最後に天下を取れなかった悔しさよりも虞美人のことを気に掛け、連れて行くわけにはいかないのに未練たらたら。項羽って本当に我侭なお坊ちゃんで人間臭い人だったんだと分かる。が、流石、項羽。自分の有様をこうも雄大に詠うとは・・・私も自分の事をでっかく冗談をいうことがあるし、回りにもそういう知人は多い。でもこの人は本気!すごい。爆ま、実際そんだけ凄かったんだろうけど、結局は自分中心になって他に人材がいなくなり追い詰められちゃった。誰も適う人がいない凄腕の営業マン社長あたりは気をつけたほうがいいかも。笑『史記』等の史書ではその後の虞美人について一切記述されていない。その後どころか垓下以外では記述がない。小説によると、項羽は美しい女性であり殺される事はないと諭して、虞美人を死地には連れて行こうとしない。虞姫は項羽の足手まといにならないために、又、自分だけ助かったとしても二夫に交わる事はできないと自害している。その際に下記の歌を残し、返歌としたという。漢兵己略地四方楚歌声大王意気尽賤妾何聊生漢兵すでに地を略し、四方に楚の歌声す。大王の意気尽きたれば、賤妾(せんしょう)なんぞ生をやすんぜん超意訳漢の兵士は既に大地(楚の領土)を攻略した。四方から楚の国の歌が聞こえてくる。大王(項羽)さまの溢れる気概が無くなれば、この賤しい身分の私はなんで生きていけましょう。この自殺についても、女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代からそのような話が出てくるようになったといわれ。歌も後世の創作とする意見の方が多いようだ。ただ、自害して果てた虞美人の墓の傍らに、一輪の花が咲き、虞美人の死を憐れんでその花・ヒナゲシに「虞美人草」という異名がつけられたそうな。ちゃんちゃん抜山蓋世の気概を持って生きたいものです。
2010.10.19
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「小さき者へ」 有島武郎お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。お前たちがこの書き物を読んで、私の思想の未熟で頑固なのを嗤う間にも、私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかないと私は思っている。だからこの書き物を私はお前たちにあてて書く。・・・・・・・・・・・・・・・人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。・・・・・・・・・・・・・・・お前たちの若々しい力は既に下り坂に向おうとする私などに煩わされていてはならない。斃れた親を喰い尽して力を貯える獅子の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。・・・・・・・・・・・・・・・小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸に秘めて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。 行け。勇んで。小さき者よ。 もっと詳しく読みたい方はこちらに 有島武郎日本の小説家。札幌農学校に進学、新渡戸稲造・内村鑑三の影響を受ける。北海道に縁の深い作家。志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜みなく愛は奪ふ』がある。小さき者とは、ご明察どおり有島の3人の子供達。この前年に母親を失った子供達に向けた手紙である。普通ならばそれを励ます所なのだろうが、有島は「お前達は不幸だ。人生は既に暗い」と突きつける。お前たちは去年一人の、たった一人のママを永久に失ってしまった。お前たちは生れると間もなく、生命に一番大事な養分を奪われてしまったのだ。お前達の人生はそこで既に暗い。そこを出発点として、逞しく育っていく事を望んだのだろう。非常に切ない。痛切な心持が伝わってくる。お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡(くりひろ)げて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。こう言ったパパはその後不倫の末、人妻と心中してしまう。師匠だった内村鑑三は「この度の有島氏の行為を称えるものが余の知人に居るならば、その者との交流を絶つ」(大意)と言明したという。まったくだ!バカな事をしたもんだ。この手紙を書いたときの心情に嘘はないのだろうが、台無しだ。私は心中などしない。我が子よ!安心して私を置き去りにして高みに上っていけ!父よ!・・・・・私もまだまだだな。これから高みに登るゼ! 苦笑前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。 行け。勇んで。小さき者よ。もう小さくはないが・・・・恐れず、勇んで行こう!!
2010.10.18
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わが心が、これは行ないうると信ずれば、山を移し海を埋めるような難事でも、ついには成功の日を迎える。わが心が、これは行ないえぬと信ずれば、掌(てのひら)をかえし枝を折るような容易なことでも、成功の時は来ない。心の作用はかくも大きいのである。心とは万事の本源である。孫文孫文(孫中山)貧しい農家の次男として生まれる。中国の清末~民初期の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」と呼ばれる。 思考は現実化する!と同じ事を言っている。ポジティブシンキング。洋の東西は問わない真理なのだろう。この人が共産主義中国の成立に大きな貢献をしているというのも、皮肉な話だ。この生きる気力を奪う政治システムだと思うのだが・・・まっ、そういうことは置いといて。表現がすごいね。山を移し、海を埋める事もできる。「思考は・・・」とか、「思った通りの人間になる」という言い回しより、直接的な比喩で迫力がある。西楚の覇王項羽が詠った「垓下の歌」が思い出される。あの四面楚歌の状況で詠った奴。中国では一般的な表現なんでしょうかね。心とは万事の本源である。その通り!失敗ばかりを思い浮かべずに、うまくいく事を、うまくいく様に考えましょう!ちなみに「垓下歌」力拔山兮氣蓋世時不利兮騅不逝騅不逝兮可?何虞兮虞兮?若何力は山を抜き、気は世を蓋う。時、利あらず、騅、逝かず。騅の逝かざるを奈何にす可き。虞や、虞や、若を奈何んせん。※騅は項羽の愛馬。虞は有名な虞美人。
2010.10.17
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「明日は、明日こそは」と、 人はそれをなだめる。この「明日」が、彼を墓場に送り込むその日まで。ツルゲーネフ19世紀ロシアの代表的な小説家の一人。ロシア帝国の貴族。何かの本で読んだ言葉で、ツルゲーネフの言葉なのは間違いないはずだが、小説の中で台詞として出ていたものなのか、ツルゲーネフ自身がどこかで語ったものなのか、詳細は分からない。汗申し訳ない。(;^_^A アセアセ・・・どの小説の、誰が、どんな時に言ってた台詞・・・・云々をご存知の方いらっしゃったら教えて下さいませ。Tomorrow never comes. 明日という日は、永遠に来ない。ノストラダムス(古っ)や映画2012年のマヤ暦による終末論でもない。明日になればその日は今日になってしまうという言葉遊びでもない。「明日こそは」と当てにしている人が、「明日やる」と言っても、「本当にやる」その日は来ない。やると決めたその時から少しでいいから始めてしまう人がドンドン実行し、成果を出していくのだろう。墓場に送り込まれる事のないように!今日から、いや今から始めましょう!今今と 今という間に 今ぞ無く 今という間に 今ぞ過ぎ行く (道歌) 明日ありと思う心の徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 親鸞心配する事が多いのは 今をけんめいに生きていないからだ 石川洋
2010.10.16
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九徳 寛而栗 柔而立 愿而恭 乱而敬 擾而毅 直而温 簡而廉 剛而塞 彊而義 彰厥有常 吉哉書経 皋陶謨寛(ゆる)やかにして栗(おごそ)か、柔らかにして立ち、愿(つつ)しんで恭しみ、乱(おさ)まりて敬しみ、擾(したが)いて毅く、直くして温かく、簡(さか)んにして廉(いさぎよ)く、剛くして塞(み)ち、彊くして義(ただ)しく、厥(そ)の常有るを彰らかにす、吉(よ)きかなと。寛大だが不正は断じて許さず、柔和だが為すべきことは必ず成し遂げ、真面目だが丁寧で、事を治める力があるが慎み深く、柔順だが強い意志をもち、率直だが温和で、おおまかだがしっかりしており、剛毅だが内も充実して、強勇だが正しき道を行く人であってください。寛にして栗(りつ)。(寛而栗) ・・・・寛容にして一点の厳しさを持て。逆の意味を考えていくと、こうであってはいけないという姿が浮かび上がってくる。こせこせうるさいくせに、しまりがない。とげとげしいくせに、事の処理ができない。不真面目なくせに尊大で、つっけんどん。事を治める能力がなく、態度だけは大きい。粗暴なくせに、気が弱い。素直にものを言わないくせに、内心は冷酷。何もかも干渉するくせに、全体がつかめない。見たところ弱々しく、うちも空っぽ。気が小さく、こそこそ悪事を働く。書経(しょきょう)または尚書(しょうしょ)は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。儒教の経書の中で特に重要とされる四書五経。五経の一つ。我国の古事記と同様に神話の世界。ちなみに史記 五帝本紀第一(舜帝(しゅんてい))にも「寛にして栗」がある。直而温、寛而栗、剛而毋虐、簡而毋傲。直(ちょく)にしてしかも温、寛にしてしかも栗(りつ)、剛にしてしかも虐(ぎゃく)するなく、簡にしてしかも傲(おご)るなかれ。また札幌にある私立高校、札幌創成高等学校の校訓が「寛而栗 直而和 恵而信」 と少し似ている。調べていて知っただけで、私自身は創成高校とは縁もゆかりもないが、地元の高校でもあり、載せておいた。
2010.10.12
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明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。 マハトマ・ガンジー[Mohandas Karamchand Gandhi] (インドの政治家・民族運動指導者・宗教家、1869~1948) Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever. 今日が人生最後の日だったとしたら、どうやって過ごすだろう。悔いが残らぬように一日一日を精一杯生きる!学ぶ事は、これでいいということはない。最後の瞬間まで、学ぶ姿勢が大事。『富嶽三十六景』で有名な浮世絵師・葛飾北斎は享年90歳と非常に長命だった。死を前にした北斎は「せめてもう10年、いや、あと5年でもいい、生きることができたら、わたしは本当の絵を描くことができるのだが」と嘆いた。この偉大な絵師は、最後の最後まで修業をし、学び続けていた。翁 死に臨み大息し 天我をして十年の命を長らわしめば といい 暫くして更に言いて曰く 天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし と言吃りて死す ちなみに辞世の句は───人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原 意訳人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか。また似たような名言も参考に・・永遠に生きるかのように夢見よ。明日死ぬかのように生きよ。ジェームス・W・ヤング アメリカの映画俳優、ジェームス・ディーンの言葉としてるものもあるようだ。普段、自分とは関係ないような想いでいるが、毎日毎日、死は近づいてきている。たまにはその事をしっかりと受け止めることで、今日を大事にすることができるのではないか。---------------------------------------------------------追記ラテン語のことわざにもあるようだ。Disce quasi semper victurus, vive quasi cras moriturus. 「永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きよ」「ディスケ・クゥァシ・センペル・ウィクトゥールス・ウィーウェ・クゥァシ・クラース・モリトゥールス」ラテン語格言集 (16) 317 ---------------------------------------------------------
2010.10.11
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「独行道」 二十一箇条一.世々の道を背く事なし一.身に楽しみをたくまず一.万に依怙(頼ること)の心なし一.身を浅く思い、世を深く思う一.一生の間欲心思わず一.我事において後悔せず一.善悪に他を妬む心なし一.いずれの道にも別れを悲しまず一.自他ともに恨みかこつ心なし一.恋慕の道思いよる心なし一.物ごとに数寄好む事なし一.私宅において望む心なし一.身一つに美食を好まず一.末々代物なる古き道具所持せず一.わが身に至り、物忌みする事なし一.兵具は格別、世の道具たしなまず一.道においては、死をいとわず思う一.老身に財宝所領用ゆる心なし一.仏神は貴し、仏神をたのまず一.身を捨てても名利は捨てず一.常に兵法の道を離れず 宮本 武蔵剣豪といえばこの人というぐらいの超有名人。二刀流の剣術、二天一流の開祖、宮本武蔵の言葉。「我、事において後悔せず」はきっと聞いた事があるはず。死の一週間前に書かれたとされている。という事は弟子に残した遺訓かと思うが、そうではなく、独り自分が歩んできた道を記した「自誓書」とされている。確かにこんな遺訓を残されたら堪ったもんじゃない。どんだけストイックなのか。恋愛もしない、別れも悲しまない、美食も好まない。道具もいらぬ。目指す道の為には死んでも構わない。ひたすらに兵法の道を歩いた。余人には真似のできないまさしく独り行ってきた道『独行道』。「身を浅く思い、世を深く思う」素晴らしい。わが身が一番大事だと思ってしまうようでは何事も為し得ないのだろうか。いや、日々の小さな幸せを感じていてもいいのだ!武蔵のような厳格な人ばかりの世の中は息苦しい。なかなかできないからこそ偉大な人となれる。できないといって落ち込む必要は全くない。でも、我こそはという人が挑戦してみるなら、すごいことになるでしょう。頑張って下さいませ。(私はもっと気軽な独行道を行きます!笑)原文は下記の様になっている。 獨行道 二十一箇条一 世々の道をそむく事なし一 身にたのしミをたくます一 よろすに依枯の心なし一 身をあさく思世をふかく思ふ一 一生の間よくしん思わす一 我事におゐて後悔をせす一 善惡に他をねたむ心なし一 いつれの道にもわかれをかなします一 自他共にうらミかこつ心なし一 れんほの道思ひよるこヽろなし一 物毎にすきこのむ事なし一 私宅におゐてのそむ心なし一 身ひとつに美食をこのます一 末々代物なる古き道具を所持せす一 わか身にいたり物いミする事なし一 兵具ハ格別よの道具たしなます一 道におゐてハ死をいとわず思ふ一 老身に財寳所領もちゆる心なし一 佛神ハ貴し佛神をたのます一 身を捨ても名利はすてす一 常に兵法の道をはなれす正保弐年五月十二日 新免武藏 玄信(花押)
2010.10.10
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倚(よ)りかからず 茨木のり子もはやできあいの思想には倚りかかりたくないもはやできあいの宗教には倚りかかりたくないもはやできあいの学問には倚りかかりたくないもはやいかなる権威にも倚りかかりたくはないながく生きて心底学んだのはそれぐらいじぶんの耳目じぶんの二本足のみで立っていてなに不都合のことやある倚りかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ茨木のり子同人誌『櫂』を創刊し、戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人にして童話作家。エッセイスト、脚本家等多方面で活躍。代表作は『自分の感受性くらい』『わたしが一番きれいだったとき』等『倚りかからず』は73歳時の作品。凛とした姿勢、自立した考え方、結構、いや大好きだ。茨木のり子さんの事は、確か亡くなられた時に知ったと思う。○○の詩はいい!というお話しを聞いて、フムフムと思っても記憶に留まらない。やはり詩自体に何か感じないとそのままになって仕舞いがちだ。でもこの人を知ったきっかけは直接、詩とは関係なかった。茨木さんは亡くなった時にお世話になった人へ出す手紙を生前に用意していたらしい。まさしく「立つ鳥跡を汚さず」、すごい人だなと思ったのが最初だった気が・・記憶が定かではないが、私が知ったきっかけなんてどうでもいいか! 笑手紙の全文はこちらにあるので興味のある人はどうぞ。 最後まで、倚りかからずに生き、そして旅立ち。ホントにスゴイ人だ。『倚りかからず』は武者小路実篤「一個の人間」を何故か思い出す。全然違うんですけどね。
2010.10.04
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施して報を願はず、受けて恩を忘れず。 中根 東里(江戸中期の儒者 陽明学者) 『東里外集』超意訳人にモノを送ってお礼を期待するな、人からモノをもらったらすぐにお礼をしなさい。人に何かしてあげたらお返しを期待してはいけない、受けた恩は忘れてはいけない。中根東里(なかね とうり)は、出家して僧となったが後に還俗し、荻生徂徠(おぎゅうそらい)門下を経て、幕府儒学者・室鳩巣(むろきゅうそう)に師事し朱子学を修めた。その後、陽明学の神髄を悟るに至った。仏教では、人は恩を知り(知恩)心より感じ(感恩)それに報いなければいけない(報恩)と説かれているそうだ。 それは仏に対する恩が主なのだろうが広く一般にも当てはまる。俺はこんなにしてやったのに・・・・アイツは・・・なんて事ではいかんということ。なかなか難しい事ですが、その方がストレスなく過ごせるのではないだろうか。史記にも似たような話があるのを思い出したので、中国の春秋戦国時代の歴史物語、項羽と劉邦など英雄達の話が有名だが、ほとんどはよくできた人物といわれる賢人の物語。その中で特に名高い戦国の四君と呼ばれる人たちがいたが、その一人、魏の国の信陵君の列伝で似たような話がある。信陵君が言ったのではなく、注意されたというところがちょっと面白い。「魏」のお隣に「趙」という国があったが、この国が「秦」に責め込まられ、滅亡の寸前となっていた。この国には平原君(四君の一人)がいて、この奥さんが信陵君のお姉さんという関係。一旦は魏の王様も援軍を派遣したが、秦に脅され国境で待機させてしまった。信陵君はお姉さんを救いたいとの想いから、王様の割符を盗み出し、勝手に軍を動かし援軍に向かった。割符だけで簡単に軍を任す事はできないといった将軍を殺してしまっての出陣。結局、信陵君の大活躍で趙は助かったのだが、魏の王様はカンカンに怒ってしまい、母国には帰らず趙にて賓客として滞在する事となった。趙の王様は逆に感謝感激で、信陵君に五つの城を褒美として与えようとした。信陵君は見るからに有頂天。この時、お供の食客から注意されてしまったのだった。笑「忘れざることと忘れるべきことがある。恩徳を施して下さった方のことは忘れてはいけない。恩徳を施した方のことはお忘れ下さい。まして今回のことは、趙には功績でも魏には不忠。」信陵君は城の申出を辞退した。誰かに「してやった」ことはきれいさっぱり忘れてしまい、誰かに「してもらった」ことはきっちり覚えていて恩返しをする。こういう風にありたいものだ!「ありがとうございます」を唱えなさいなんて教えもあるようだ。唱えてどうなるもんじゃないような気もするが、感謝の心は必要だろう。五体満足な体を持っているならそれだけで感謝感謝。回りのいろいろな人からたくさんの恩を受けている事にも気づける素直な心を持ちたいものだ、そうすれば感謝の日々を送っていけるのではないか。特に身近な人(奥さん・旦那さん・恋人・両親・・・・)は近ければ近いだけ当たり前になっていて感謝を忘れている。気をつけよう!感謝!中根東里の他の言葉も水を飲んで楽しむ者あり 錦を着て憂うる者あり出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ。初めのは、心の持ち様の事、水で楽しくなったり、せっかく錦を着ても不満げな人。次のは、過去にこだわっていても仕方がないということ・・かな。過ぎてしまった過去に未練を残さず、これからの新たな未来を考えることが尊い。去るもの追わず来るもの拒まず ともちょっと似てるかな。
2010.10.03
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