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昨日、シゴーニュさんのブログ(こちら)に感化されて散歩に…… 数日前に行ったばかりのエリアでしたが天気がそこそこ良かったので…… 四之橋……岡本1丁目付近の谷戸川にかかる橋を一応の出発点としました。 昨年末にバス事故のあった深沢から246首都高3号線沿いに一気に到着です。事故現場では手だけ合わせてきた私ですが、縫いぐるみをはじめいまだに供え物が絶えません。「風が強い日は散らかるだろうな」と、いつも余計な心配をする私でしたが、「飛び出し注意」の黄色い看板が増えていたような? 前回は見落としていたのかもしれませんが……歩く方向が逆だったからかしら? 五之橋……四之橋の次は三か?五か? 歩きながら想像したのですが、5でした。川伝いに南西方面へ……とりあえず「無名坂」を目指します。 六之橋で、左に聖ドミニコ学園が見られます。 左・東方向へも少々上り道です。 ちなみにこの坂、「病院坂の首縊りの家」で使われた病院坂のロケ地っていう話もありますが、真偽は定かではありません……あしからず。 川の水……けっこう透明度はありました。まだ曇っていたので美しくはありませんが……「谷戸川」プレートも新しかったので、橋げたも直したのかもしれません。橋名は見忘れましたが、学園の切れ目です。 川に沿って歩いた進行方向、右・北西側へは上っていました。でも、私は左折します。 南東方向へ左折すると(左側は学園)…… すぐに二股……私は右です。(あなたは左でしたね~)「坂道行かないの?」って言われそうですが、もうちょっと我慢…… 右手の茂みの奥に見えました…… 静嘉堂文庫……先日(24日)には、あちらからこっちを眺めた私です。 無名坂……ブログで拝見した傾斜21%の坂が左にありました。とりあえず発見できて独り喜ぶ私……ゆるそうな私の写真とは裏腹に、結構きついです。私が勝手に命名している裏鉄飛坂より急かしら? でも、私には階段があるので大いに助かりました。「がんばれ!もうちょっと」ということで、試しに階段をやめてみたのですが歩きにくい~ 何とか坂上に到着……と言っても、少し先まで道路に〇〇が刻まれているところは緩いスロープです。 下を見るとこんな感じ……息切れこそしませんでしたが、日常的には歩きたくない道です。 突き当りのT字路まで両側に立派なお家が並びます。 無名塾……レンガ造りのおしゃれな建物……仲代達也氏と宮崎恭子氏の自宅に設けた小さな稽古場が原点だそうです。無名塾の原点は「役者は生涯修行」らしいが、仲代氏の演技は素晴らしい。『若きもの 名もなきもの ただひたすら 駆けのぼる ここに青春ありき 人よんで 無名坂』1975年始まる 無名塾 仲代達也 隆巴 と、壁面下部のプレートにありました。 ゆるやかに下っていき、一気に落ちる無名坂でした。 仲代劇堂っていうことは、ここで公演されるようです。何名ほど入場できる劇堂なのかしら? 行ってみたいけど、ちょっと遠いかしら? 無名坂を下るのは面白くないのでやめて東側の道に行ってみたら、マンションの入り口に発見…… 武家屋敷門ですって……世田谷区が作ったのでしょうが、有難いです。なければ素通りしてしまいます。 武家屋敷門……元岡山藩城代家老・伊木家の下屋敷にあったと伝えられる「長屋門形式の表門」だそうです。江戸時代中期の建築と推定されるようですが、幾度も移転を繰り返したのに保存状態は良好です。掃き掃除をされていた方が丁寧に対応してくださいました。 世田谷区指定有形文化財のようですが、維持管理費もかかるでしょう……区も大変ですね。「中に入らないの?」って言われるでしょうが、あるのはあくまで門だけです。 武家屋敷門を南に……じゃっかん下っているかしら? おぉ! 明らかに下ってます。って、当たり前でした……無名坂を上ったのだから、どこかで下りになるはずです。 瀬田四丁目旧小坂緑地……前回のはやっぱり裏口だったようです。 緑地内を行ってもよかったのですが、あえて脇の道路を行きます。 右に右にとカーブしていきます。 馬坂 石碑……ありました。かつて利用している坂道が厳しくて、人は上がれたが馬は無理……ってことで新たに馬が上り下りできる道として作ったらしいっす…… ちなみに大田区にも馬坂があるようです。昨年9月に行った「照善寺」からの帰りに通った、田園調布に抜ける坂がそうだったのかしら? 今度ちゃんと調べてみましょう。 また遊んでしまいました。結構車が来るので写真は要注意……よい子のみなさんは真似しないでね~ 馬坂を下り切ると岡本静嘉堂緑地の入り口です。 振り返るとこんな感じ……どうでしょうかしら? 12~13%ってとこでしょう。石碑は中央やや右のカーブミラーの所にありますよ。 静嘉堂緑地を横断しようか迷いましたが、無名坂で疲れたので歩きやすい川沿いでクールダウンする情けない私。丸子川にでたら遊んでいました。寒いのにね~ 岡本公園と八幡神社の入り口……何回きたんだったけ?と素通り。 厠……お借りしました。トイレの場所を知ってるってことは良い事です。 さてさて、今日はここまで……「坂歩き…」と題しましたが、いくつの坂を上ったかしら? はたまた坂とは無縁の寺社にも寄っちゃったりの散歩でしたが、ボチボチアップしてみます。
2019.01.31
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何の予備知識もなくすごいものがすごい 神田松之丞 講談師は「客」の時代が長かった。講談、落語、浪曲と聞きまくった。気持ちを「こじらせて」いて、めったに笑わぬ嫌みな客だった。が、ある日聞いた立川談志の噺(はなし)は「コギャルからじいさんまで」みなを打ちのめすかのよう。こんな世界もあるのかと震えた。噺にかぎらず秀でた芸は不可解なままに人の胸を鷲掴(わしづか)みにする。『絶滅危惧職、講談師を生きる』(聞き手・杉江松恋)から。 (朝日新聞・折々のことば1359.2019.1.28)「何の予備知識もなくすごいものがすごい」というが、予備知識があってもすごいものはすごい。 AXIAL(模型店)主の作品 車やバイクが中心だけど、模型は何十台も作ってきた私……それなりに予備知識はあったつもりですが、シゴーニュ(模型店)さんで主の作った飛行機を見せてもらった時「すごい!!!」と思った私。それ以来、シゴーニュさんに教えてもらい、飛行機模型の作り方の予備知識も少しは備わったはずなのですが、AXIALさんにも「すごい!!!」の私……彼らの秀でた芸には唯々拍手とため息ばかりです。 芸は盗むもの……神田松之丞(まつのじょう)氏とて、三代目神田松鯉師匠に弟子入りしてもおいそれと教えてはもらえなかったでしょう。そもそも、教えられても出来るかどうかは自身の問題なのだから。修練と経験の積み重ねこそが開花への唯一の道であって、近道などないでしょう。「才能ないからな~」と、すぐ逃げる私には芸の道は歩けそうにありません。 裁縫糸巻きではありません。細い銅線です。 先日、桜新町まで歩いたついでに、以前教わった水性色鉛筆のお礼・報告にAXIALさんにお寄りした際、又しても私の知らない知識を披露してくれましたので購入しました。買っただけで、私に使いこなせるかは全く分かりません。 でもって、どう使うのかと言えば、こんな形の物(これは輪っかが大きめです)を作るんです。複葉機の張り線の付け根に埋め込んで、輪っかに釣り糸を通す方法を教えていただきました。 シゴーニュさんから田植えのやり方や、細い金属棒の先端を潰して穴を開けたパーツを用いる方法を教わっていましたが、私にとっては新しい知識です。 一般的な田植えも、上翼に貫通させるか?下翼に貫通させるか?作り手それぞれなのだということも、理由を含めて知識として習得した私ですが奥が深いです。たかが模型…されど模型であります。 ちなみに、この銅線や真鍮などを漬けるだけで黒くする(たぶん腐食のようなものか?)「MASTER Blackening Agent」って液体の商品がありました。今回買った銅線を黒くしたら、F1サイドポンツーン内の電子制御ユニットあたりの疑似配線に使えたことでしょう。もうF1は作らないので、Blackeningは未購入です。 しかし、シゴーニュさんもAXIALさんも、培った技術をよくぞ簡単に教えてくださいます。「素人にはできないでしょう」とは思われていないでしょうが、その通りで知ったからと言って簡単にはマネができません。幾度も場数を踏まないと……踏んでも私には限界があることでしょう。でも、いつか試してみようと思っています。教えてくださった方々に失礼ですから…… 朋有り 遠方より来る 亦た楽しからずや 「有朋自遠方来 不亦楽」 昨晩は、寒い中 知人が訪れてくれました。たくさんおしゃべりができ楽しかったです。暇な私とは違い、皆さんは今日も仕事があるのに、ありがとうございました。お疲れさまでした。
2019.01.30
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お袋が好きらしく、ちょこちょこ買ってきます。 私はさほど好きではありませんが、供してくれるので食べます。普通はデザートなのでしょうが、ウイスキーには合わないので真っ先に食べちゃう私であります。 スカイベリー(左)と あまおう(右)……「食べくらべてくださいね」と出してくれました。私は左、お袋は右だそうです。中側の果肉はスカイベリーの方が白っぽかったけど、食感と微妙に異なる甘さが私好みでした。ごちそうさまでした… スカイベリー……カットしなくても、私はこのままで十分です。ぜいたくを言えば、先のほうだけ食べたいです……甘いから。もったいないからそんなことはしませんが…… 子供のころはミルクに砂糖……イチゴスプーンで潰して食べたものですが、いつの頃からか何もつけずそのままいただくようになりました。 昔、連れ合いと半分ずつ食べた1粒の「ももいちご」…おいしかったな~ さてさて今日は留守番です。 Windows 10 のパソコンを使えるように最新データの移行でもしてみますか……
2019.01.29
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1月24日……岡本から砧公園を抜けて用賀駅に着いた私…「246を越えて、駒沢通りで帰ろうか?」と思ったのですが、「もうちょっとファイト!」って声が聞こえたので、少々遠回りを選択…… 無量寺山門……遠回りを選択して歩きはじめたらすぐにありました。きっとこの寺が私を呼んでいたのでしょう。 門前にありました。後で気付くのですが、この石碑は世田谷区が作ったものかもしれません。同寺は世田谷三十三ヶ所観音霊場の22番札所だそうです。 山門左側……拝見してわかりましたが、無量寺にはたくさんのお地蔵さんや石碑がありました。 十一面観世音菩薩……と彫られているのでしょうか? 同寺の通称は用賀観音と呼ばれるそうです。 左のお地蔵さん……こちらが一番大きかったかしら… 山門右のお地蔵さん……台座に「三界萬霊」とあります。右の石碑には「馬頭観音」と彫られていましたが、像はなくなったのかしら? 山門扁額……崇鎮山(すいちんさん)と読むみたいです。 山門をくぐると右にありました……「南無阿弥陀仏」の石碑 境内に進むと、中央にものすごく大きなイチョウの木……保存樹木であっても不思議ではないのですが、プレートはありませんでした。 趣のある本堂です……『芝の西応寺の末寺…』と境内にある世田谷区教委の看板に書かれていました。 本 堂……浄土宗で、本尊は阿弥陀如来…… 本堂の扁額……昭和36年4月のものみたいです……連れ合いはまだ生まれていません。 観音堂……本堂の左につながっていました。『天正年間(1573~1592年)に品川の浜で漁師の網に揚げられ、用賀の住人高橋六衛門尉直住が観音様のお告げにより当寺に納めたものと言い伝えられている観音像が安置されおり、12年に1回牛の年に御開帳が行われる。』と、やはり区教委の説明書きにありました。牛の年はもう少し……頑張って見てみたいものです。 観音堂の扁額……「大悲殿」と読むのかしら? 大きな悲しみはいやだけど、悲しみを観音様が引き受けてくれるのでしょう。 観音堂の左にありました。無縁仏の供養でしょうか? 右の石碑は6面のお地蔵さんになっています。 事務所……ピンクが目に映ったので近づいてみたら… 紅 梅……ここでも咲き始めていました。 手水舎から見る境内社…… まだ現役なのでしょう……竹垣の後ろが墓地なので、みなさんこのポンプで水をくむことと思います。 ほんとうに立派な銀杏でした。竹も含めて、樹木の境内配置もよくよく計算されているようです。 草木供養之碑……快適さと利便性を求める都市開発により失われていく草木……地球温暖化へと繋がって行くことへのアンチテーゼ? ではないでしょうね… 石造りの境内社…… 月並みではありますが、なぜか心に沁みます…… 石庭風……山門手前右……さまざまな変化を楽しませていただきました。 手入れの行き届いたお寺でした。ありがとうございました…… 無量寺を後にして、桜新町方向に歩いたら用賀3丁目14あたりの、なんでもない道端にありました。「水道みち」なんて名称は初めて知りました。無量寺にあったものと作りがそっくりです。 ちなみに「用水みち」ではないので、水道が始まったばかりのころに水道管を通した道なのかもしれません。しかし、こんなのを撮っているのは私ぐらいでしょうね…… 用賀3丁目1あたりにあり、お顔のツルツルなお地蔵さんが納められていました。洋服着せてもらっていたので寒くはないことでしょう。 修理工場らしきにお尻が見えました。古いランボルギーニ・エスパーダかしら? リアはトランク……っていうことはフロントエンジンだったんですね。たぶん12気筒だったでしょうから、前が重すぎたんじゃないの?……でも、古き良き名車を現在も動かしているのはとても素晴らしいです。 サザエさん通り入口……進行方向右です。そちらへ行けば日体大に出られるのは知っていたのですが…… 桜神宮鳥居……頑張って直進したらありました……やっぱり呼んでいたみたいです。鳥居の上までおさめたかったのですが歩道が狭くてだめでした。 桜神宮本殿……明治16年神田に創建された後、大正8年に「西の方角に直ちに移転せよ」との神託により現在地に移転されたそうです。 手水舎……鳥居をくぐってすぐ右にあります。作法がちゃんと書かれているのですが「ひしゃくに直接口をつけないで下さい」ですって……口を付ける人、私は見たことがあります。 ピンクのリボン……社殿前の桜の木かなにかにたくさん結ばれていました。 社殿脇から……行かれたので行ってみた私…… 後ろが神殿でしょう……ご神体は「御鏡」だそうで、明治初期に伊勢神宮・祭主久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのう)が信任を寄せる芳村正乗に御親ら分霊され授けたもの、と書かれていました。 (分霊) 御鏡もそのままでは、ただの鏡。祭神の分け御霊をお納めして初めてご神体とのことです。 分霊されたご神体を授かったので「世田谷のお伊勢さん」と言われるのですね……納得しました。 境内社……野外神事斎場らしいです。新車のお祓いなど、こちらでされるのでしょう。 今日の分には忘れ物はありませんでしたが、面倒なのでタイトルヘッドはそのままとしました。歩くとさまざまな物が目に入ってきます。独り反省会もちょっとしんどいですが、また次の散歩を考えましょう。
2019.01.28
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1月24日、静嘉堂緑地を見てからのブラブラです。 ちなみに、連れ合いは静嘉堂文庫が所蔵する「曜変天目」なる茶碗を以前見に行ったそう。世界中で現存する曜変天目茶碗(完形品)は、静嘉堂・大徳寺龍光院(京都)と藤田美術館(大阪)にある三碗のみだって。連れ合いは藤田美術館のも拝見したそうで「綺麗ですよ~ 見ていらっしゃいな」と、少々自慢げに言っておりました。 東名高速下……岡本3・2・1丁目をブラブラして、交差点で左を見たらありました。信号はありますが、右を見て、左を見て、もう一度右を見て渡る私です。 高速の向こうが砧公園のはずですが、行かれそうです。 入り口前の道は左からの一通ですが、とりあえず右を見て左をみたらこんな出っ張りのある道路……直線に出来たでしょうが、半円を描いて車が走ります。独り反省会で調べたら「岡本第六天社跡」みたいです。当時は御神体と神木があったのでしょうが、言い伝えに従って江戸幕府も切れなかった神木だけが保護されているようです。ちなみに、現在ご神体は岡本八幡神社の境内に移されているらしいです。どれだったんだろう? 高速下は駐車場でした。たくさん停められますが、駐車車両はわずかでした。後で分かったのですが、美術館脇にも広い駐車場がありましたから、皆さんそちらを使うのでしょう。一通の道路を来ないと入れないこちらは明らかに不便です。 砧公園……ほんとうに本当に久しぶりです。 地図を眺めてトイレ探しの私……喫煙所はないに決まっているので探しません。 昔はこんなにゴチャゴチャしてなかったけどな~ 最後に行ったのは50年ほど昔……翼長100cmほどの作ったグライダーを飛ばしに。ちょうどこんな広い芝生の場所でした。真っすぐに飛ぶか?軽く試して、思い切りの2投目……(じかに投げるわけではなく、数メートルの紐で引っ張り上げる)……良く飛びました。飛び過ぎて、この写真の正面にあるような森にツッコミ、見事に翼が折れました。 今考えると、飛行機は嫌いじゃなかったみたいですね。グライダーはあの一機で止めましたが、竹ひごを曲げて作るゴム動力の飛行機は数機作りましたっけ。竹ひごは蝋燭で炙るのではなく、ヤカンの蒸気のほうがきれいに曲がりましたっけ…… 地図に「バラ園」と書かれていたので行ってみましたが見当たらなかったので、美術館方向へ…… ブルーノ・ムナーリ……『イタリアの画家にして、デザイナー、さらには絵本を多数制作し、子どものための造形教育にも力を注いだ…(1907-1998)』と、美術館のHPにありました。この看板の「役に立たない機会をつくった男」っていうのには魅かれたのですが「1,000円はチョットな~ 撮影禁止だしな~」とパスしました。 美術館前の芝生に置かれたオブジェ…… 日の丸と世田谷区の紋章旗……空は一日中青かった~ 世田谷美術館……いつできたのかしら? 子供の頃はなかった……ちなみに連れ合いは何度か行っていると思います。いつも義母に付き添ってくれているので、悲しいかな私との外出はめったにありません。 アスレチック広場、わくわく広場など子どもたちの遊び場を横目に歩いていたら目に入りました。 休憩所のそばの紅梅……咲いていました。 数本の木がありましたが、もうすぐきれいに開花するでしょう。池上の梅園も行ってみないとなりませんが、あそこは陽当りが今一だから来月でしょうか? こんな出入り口から退場です…… 砧公園を出て、用賀駅方面に向かおうと、しばし東に進むとこんな景色の通りがあったので右折……桜の時期はきれいでしょう。 しばらく南方に進むとこんな歩道が…… 右には砧公園方向にもこんな道……いかにも人工的ですがよく整備されています。 私は駅方向です。独り反省会で調べたら「用賀プロムナード」計画の一部で「いらかの道」と呼ばれるようです。 昔用水路があったか? 暗渠か?は定かではありませんが、水は流れていませんでした。夏だけ流すかもしれませんね。 紫式部……私の陰が写ってしまうのでこんな角度になりましたが、歩道にありました。上を向いて歩かない私なので気付いたのだと思います。 めぐり逢いて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半(よは)の月かな「久しぶりに会ったのに、それがあなたかどうかも分からない間に帰ってしまう。雲に隠れてしまった夜の月のようだったね」と、古い友だちにあてたものだそうです。 紫式部も百人一首も良く知らない私です。 用賀4丁目23から左折しています……ちょっとした児童遊園みたい…… 水なし人工川に橋……遊ぶ子供の姿はありませんでした。寒いものね~ この橋をくぐって遊ぶと絶対に頭をぶつけます……痛!!! いらかの道……座る場所の少ないベンチを見て分かりました。「いらか」=「瓦・甍」カワラを使うのが基本コンセプトだったようです。灰色をした瓦、「淡路瓦」と言い400年の歴史があるそうです。百人一首があった歩道も瓦なのでしょう。 中丸橋とありました。橋があると言いうことはやっぱり川があったのか?……等々力渓谷につながって行く谷沢(やざわ)川の暗渠(あんきょ)かもしれません。 らーめん たつみ……用賀駅そばです。本当にお腹が空いていたので暖簾の隙間から覗いたのですが、カウンター満席でした。ワンタン麺たべたかったな~ と、言うことで水も飲んでいなかったし、用賀からバスがあると聞いていたので「乗ろうか?」とも思ったのですが、頑張ってもう少し歩いてみることにしました。残念ながら最終回は次回です。 ちなみに、岡本あたりのバス停で、都立大学北口行きのバスがあることを発見しました。今度はバスでワープしてみようかしら?
2019.01.27
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1月24日のブラブラ散歩…… 静嘉堂文庫正門……以前、岡本八幡神社と民家園を訪問した際には寄らなかったので、今回は行ってみることに…… 紅葉橋……正門を直進するとありました。 谷戸川……この岡本静嘉堂緑地はもう一つの丸子川とに挟まれています。昨日の下山橋付近で合流します。 橋を渡ると道は左右に……どっちに行けば良いのか? 不案内だったので、他人の進む方へ……犬の散歩だったので近くの方でしょう。 空は青かった…… 進行方向左側は崖状態…… あるところから上り坂になります。結構な上りですが、この緑地は広大です。 右手の景色……どんどん高くなっていきます。 さらにボチボチ上ると…… 静嘉堂文庫……ありました。 大正時代の建築でしょうか? なんとも心地よい眺めでした。 キンモクセイ……保存樹木だそうです。夏の日に木陰でかき氷を食べたいですが、緑地内飲食禁止かもしれません。 貼花神仏文大甕……と書かれていました。「甕」は(かめ)と読むのだろうと、私の推測です。こんな難しい漢字は知りません。やさしい漢字も知りませんが…… 12世紀の中国北部が産地のようで「道教の寺の水甕として使われていたと想像できる」と、これまた古い木札にありました。 静嘉堂文庫美術館……逆光なので映りが悪いです。幸か不幸か休館中で、次回の展示は来週からみたいです。 美術館前から見えました。「進入禁止かしら?」とも思ったのですが、行ってみたら車がダメだそう…… なにやらありました…… 岩﨑家廟……「廟」は(びょう・みたまや)って読むのかしら? 難しい漢字は勘弁してくれないかしら?先祖の霊を祭る建物なのでしょう。 ものすごくモダンであります。 どこまでも青い空でした。 丸子川方面にも下っています。いったい何種類の草木があることか…… 正門まで引き返さないとダメだろうと思っていたのですが、建物裏側から現れた方がいたので聞いておいた私……裏口があるんだって。通用門みたいなのが裏にまわったら確かにありました……ラッキー…… 静嘉堂の裏門を出て極々近く……岡本八幡神社の境内に入れました。社殿右側に、前回気付かなかった石造りの境内社がありました。 この巨大な根っこも気付きませんでした。古木として売れるのかしら? 前回も下りましたが、今回も下ります。撮りそこなった写真があったので…… 岡本八幡神社の鳥居前…… 鳥居の後ろの灯籠…… 灯籠後ろ……この一枚の忘れ物のために行ってしまう暇な私でした。 22~23年前か~ あの頃僕は若かったけど、あっという間だったな~ ここで、どうしようか考えたのですが、また丸子川をたどっても仕方ないので方向転換……北方角に行こうと、もう一度石段を上りました。 社殿脇から細いけもの道みたいなのがあったので踏み込んでみました。社殿・神殿が下に見えます。 ひっそりと……愛宕宮と彫られていました。 岡本八幡宮北参道……長い石段は南参道なのかもしれません。 岡本八幡を出るとこんな景色……起伏にとんでいます。左上は聖ドミニコ学園かもしれません。 少しウロウロするとT字路で発見……砧方面に行ってみようと…… 手づくりパンの店ペトラン……住宅街の中にありました。自宅を改装なさったのでしょうが、お洒落です。私はパンがそれほど好きではないので寄りませんでしたが…… 稲荷社……「ちょっと方向が違うかしら?」と、ある所で右折したらとんかつ屋さんの脇にありました。とんかつ食べたかったのですが、お腹が痛くなると困るので我慢です……この辺りはまったく土地勘がありません。 四之橋…… 谷戸川でしょう。写真の方向に静嘉堂があるはずです。まわり道などせず、岡本八幡からまっすぐ川に出れば良かったですが、まったく頭に浮かびませんでした。 ふり返るとこんな感じ……やっぱり川は低い所を横切っています。ダラダラですが、この坂も年寄りには疲れます。まぁ、ここまでも結構な距離を歩いてはいましたが…… 許容オーバーで写真のアップが出来ないので、今日はここまでです。 先ほど、古い知人のMさんから「小樽しゃこ・アヒージョ」缶詰を頂きました。ししゃもに続けて申し訳ありません。ご馳走になります。
2019.01.26
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前回丸子川沿いを歩いた時、246の下は歩けないだろうとずいぶん迂回をした私……少しだけ抜けた場所があったり、寄ってみたかった場所や、確実に撮り忘れた写真があったので昨日再チャレンジしてみました。 昨日は、時間短縮のために駒沢通りから丸子川に行き、田園都市線高架下だけ迂回してここに出ました。 東急さん、川沿いの歩道も作ってくれれば良かったのに…… 田園都市線……音が聞こえたので、振り返ったら走っていました。 前回は抜けていた川沿いです。抜けていたと言っても、どこも大して代わり映えはしないのですが…… 静かな住宅街…… 右手(東方向)に屋根発見……独り反省会で地図を見たら「西光院行善寺」みたいです。線路の反対側なので「行かれないな~」と思ったら…… 立派な歩道橋がありました。どうしようか迷ったのですが断念…… 246まで来ましたが、やっぱり側道はありません。 嫌な階段…… しょうがないから上ったら、絶対に渡れない場所…… こんな急階段は引き返したくありません。 渋谷方面を見たら別の階段があったし、なにやら車も走っていたので下りてみることに…… 立派なトンネルがありました……ラッキー!! ……と言うそうです。 もろにコンクリートではなく、半円形の鋼材が使われているのでしょう……気持ちのいいトンネルでした。 246の反対側に出られました……前回見た階段です。 バカですね~ 道路しかないと分かっていながら…… 上ってみました……渋谷方面の景色です。この道は二子玉川方向に下っています。ダラダラですが上りは少々辛いかも……40年弱前に歩いたことがありましたっけ…… でもって、前回歩いた丸子川沿いに一目散です。 下山橋到着……前回は「治大夫橋(じだいゆうはし)」あたりで寺社に寄り道したので遠かったですが……あっと言う間でした。「こんなに近かったのか」とビックリ。 下山橋から下流方面…… 昨日は、前回寄らなかった「静嘉堂緑地」も目当てだったので下山橋を右折です。「大蔵通り」と言うようですが、初耳です。大蔵というから「祖師谷大蔵方面に行くのかしら?」と、勝手に想像する私でした。 静嘉堂緑地にたどり着く前に、こんな風情に遭遇…… 瀬田四丁目旧小坂緑地……ですって……知らなかった~ なかなか奥の深そうな庭園です。「旧小坂家住宅」までは遠そうだったので入口付近だけで失礼しました。 庚申塔・2基……玉川4丁目36番(この近く・南方向)に所在した「幽篁堂庭園」内にあったものだそうです。「幽篁堂庭園」は、骨董店を営んでいた方が昭和初期に築造しましたが、数度にわたり所有者が代わり、平成13年7月に庭園が廃止。たくさん所在していた石造物の内、この庚申塔2基は世田谷区に寄贈されたとありました。旧小坂家とは何ぞや? も含めて幽篁堂も調べて、面白そうだったら再度真剣に見学してみましょう。 次に訪問した静嘉堂は、次回です。
2019.01.25
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Pfalz D.IIIa eduard 1/48 EARLY VERSION はじめてみようか? と切り出してみましたが…… バリは少なかったけれどちょっと手当てをして、足板とエンジンもどきの一部をセットして……(この写真の足板の位置は間違っています。もう少し前方です。説明書に従って置いたのですが、これでは胴体が合いませんでした。絵が悪い…) 胴体を合わせてみました。左右胴体は部分的に重なりが悪く、矯正しながら徐々に接着した方が良さそうです。まぁ、胴体上下部はパテで均してやるのですが…… 箱絵を参考にすると、下主翼の付け根もパテで埋めた方がよさそうです。緑丸は後で書く問題点の支柱受け穴です。 尾翼付け根もパテで修正が必要みたいです。 機首もパテ埋め……まぁ、パテは大したことないのですが…… 顔を出しているエンジンもどきが塗装時のさまたげです。後からはめ込めないので、外装を塗装する際はマスキングが面倒です。胴体内側の壁面にも入らないようにしないと…… 上主翼に、穴と支柱のサイズを調整して両脇の支柱を立ててみました…… 同様に中央の支柱…… でもって下翼と合わせてみたら「およよ!!!」……垂直ではなく斜めに付けるみたいです。両サイドの支柱は接点だけ合わせてあり、支柱の先端は翼の穴にははまっていません。垂直にしか対応していないパーツと翼の穴なので無理です。 中央部の胴体につながる支柱は顕著……斜めにできないし、三枚目の写真緑〇のように、先端をサイドから入れ込むように作られていない支柱でした。 説明書の絵は、ちゃんと角度を持たせた支柱が画かれていますが、プラパーツは一直線。これを斜めに使うのは不可能です。上級者なら削り取って真鍮線でも埋め込みなおすことでしょうが、到底私の手には負えません。 翼の穴を斜めに開け直すことも考えられますが、角度がどうなのか? 支柱先の出っ張りを加熱して曲げることもありでしょうが、角度も難しいし、そもそも伸ばしランナーになっちゃいそうなので私には無理でしょう。 ちなみに、ピンク〇はこれでは無理です。 FokkerもSpadも、角度のあるべき支柱はちゃんと作られていたのにな~ [EARLY VERSION]とありましたが、初期製品という意味なのかしら? 初期でも後期でもいいけれど、エデュアルドさん、これはいかにもリコール・自主回収でしょう……だって、説明書とパーツ形状が違うんだから…… と、ブツブツ言ってしまいましたが、なかなか恰好の良い機体なのですが「どうしようかな~」……諦めの悪い私ですから、対策をもう少し考えてみましょう。塗装などを全部すませてから翼が乗らないのでは話になりませんから。 制作記1としましたが、これで終わっちゃうかもしれません……
2019.01.24
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昨日、「THE NEW SANNNO(ニュー山王ホテル)」のエントランスを歩道から撮影したら警備員から「消して!」と怒られたことを書きました。 ホテルの形態をしている同施設は、確かに在日米軍の施設です。米軍関係者の東京訪問時の宿泊や、在日米軍の保養所として機能しているのであって、私たち日本人はもちろんアメリカ人であっても軍と関係のない人の立ち入りは出来ない場所だと認識します。ただ、門扉もなく解放された風情を写すこともままならないことにチョット疑問?不満?を抱いた私…… でもって「もしかして」と、見てみたらありました……Googleストリートビュー……アップにしたら奥の噴水までしっかり写っているではありませんか。日本人が撮ったら制止されるのに、Googleはアメリカだから良いのでしょうね~ でも、何のための撮影規制なのか知りたい私でありました。 蛇足ながら、私の撮った写真はGoogleと比べたらとても狭い範囲でしたし、不満でもありましたがちゃんと消したことだけ記しておきます。『統計不正 組織的隠蔽は否定』(朝日新聞朝刊) 厚労省幹部が不正を認識していながらも続けられた「毎月勤労統計調査」……予想はしていたけど次官ら22人の処分であっという間の幕引き。「(組織的に)意図があるとまでは認められなかった。まっしろと言い切っているわけではない。」と監察委員会は締めくくったが「抽出開始の契機」や「補正不公表の経緯」は全く解明さていないにもかかわらず「経緯や原因についての検証はもうしない」だって……何のための特別監察なのやら? まぁ、この手の調査結果は今に始まったことではなく、12年前の「消えた年金問題」以降、重大な疑義が生じても去年も一昨年も同じように未解決報告で終始した。 今回の統計調査の不正により、受取り額が少なかった人への追加支給は当然だが、システム改修など手続きに要する不要な巨額費用は誰が持つのか。大半は企業や従業員の保険料で運営する労働保険特別会計から賄うようだが、不足分6億5000万円を国庫負担として赤字国債で支出するらしい。 そもそも必要のなかった負担を国民に強いる幕引きは本当にこれでいいのかしら。原発被害のツケも国民が背負わされる一方で、消費税増税時のバラマキ政策……私ら庶民とは無縁の治外法権なのだろう。 今日も空は青い青い……11時12分 久しぶりのブツブツ独り言……ちょっと疲れたな~ 昨日はノンアルだったから、今夜はガン飲みだよ~
2019.01.23
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1月13日、歯医者に行ったついでにチョットだけブラブラ…… 何年か通った街なので懐かしいところも…… 松 月……サラリーマン時代、2回ほどお邪魔したかと……ここまで来たということは他店が休みの日曜日だったはずなのですが、休みのようでした。残念ながら昼食はおあずけです。 喫茶店キャンディ……この店も2回ほどサボりに? 気分転換に入ったことがありました。「コーヒーだけでもいいか~」と思いましたがやっぱり休み…… 長寿庵……相当お世話になった蕎麦屋さんなので日曜日が休みなのは勿論知っています。冷やしタヌキ、カツ丼セット、何よりありがたいのが夏でもやっている鍋焼きうどんでした。歯医者帰りの連れ合いをつかまえて、1回だけ一緒に行ったことがあります。覚えているかしら? 長寿庵の脇を流れる古川……全国的現象かもしませんが、水は少なくなっています。亀は冬眠に入ったのかしら? 五の橋からの眺めです……首都高速2号目黒線……随分前に補修をしていましたが、大丈夫なのでしょうかしら? 首都高下をくぐると明治通り……正面には光林寺…… そうそう、この辺りで明治通りを汗だくで走っている清原和博氏とすれ違いましたっけ。引退した後でした。つかまる前でした。やり直して、また頑張ってもらいたいものです。期待していますよ~ 新 坂……文字通り新しい坂なのでしょう。明治通りを渡ると住所的には南麻布……有栖川宮記念公園に行かれます。 入口付近はたいしたことがないのですが、先に行くと結構しんどいです。私は下りしか体験していません。港区のコミュニティバス「ちぃばす」って言うのが上って行ってくれます。100円だったはずですが、今でもそうなのかしら? 光林寺……駐車場広いです。何度前を通ったことかしら…… お地蔵さん……駐車場に配されていました。 山 門……扁額にあるように慈眼山光林寺…… 山門を入って右手にありました……りっぱな手水舎だと思い近づいたら線香に火をつける場所のようでした。 社務所かしら?山門の正面…… 本 堂……臨済宗妙心寺派だそうです。 大きな大きな桜の木…… とにかく天気は良かったです。 本堂正面……全景が入りきらない大きな本堂でした。本堂前にも大きな桜の木があるのですが…… 日陰だったのでシルエットしか写っていませんが、桜の蕾は着実にできていました。昨日のニュースでも言っていましたっけ……春は意外と近いかもしれません。 境内から山門……光林寺にさようならです。 きらく亭……ランチタイムにも営業していた時代、何度もお世話になりました。夜の時間は行ったことがありませんが、肉質、コスパ、接客……私的には三本の指に入る焼肉屋です。忘れ物を会社に届けてくれた連れ合いとランチしたことがありました。覚えているかしら? ビールも付けてあげたよね~ 僕は飲まなかったよね~ フランス大使館……きれいになっていました。 アメリカ国旗……日本であっても日本ではありません。治外法権…… エントランス正面から写真を撮ったら「ここは写真禁止です。消してください…」と、ピストルを腰にぶら下げた怖い顔の警備員がすっ飛んできました。撮影禁止の立て看板を置くか、本当に見られてはならないことがあるのならフルオープンにせず門を付けるべきでは? 何十回、何百回と前を通るたびに眺めていた私……奥にあるライトアップされた噴水、綺麗だったんだけどな~ どういうとこかって?……こういうところです。路上で、ここへ行くアメリカ人に道を尋ねられたこともあったし、チャンと教えてあげたりもしたのにな~ 天現寺山門…… 通過するだけで入ったことはありませんでした。 天現寺社務所…… 社務所側から本堂……臨済宗大徳寺派だそうです。 ピカピカの扁額……「多聞山」と山門にはきざまれていましたが、ここには「多聞天」…… 日向ぼっこができたら最高だったのですが…… 天現寺は、小日向御箪笥町より移転した普明寺を改め、良堂和尚が開山、創建は享保4年(1719年)だとのこと。良堂和尚は、その後品川の東海寺五十四世に転住とありました。目黒川沿いに歩いた折に川の対岸に見た寺であり、不思議と親近感があります。 石 仏…… 芝生は立ち入り禁止です… 手水舎……足元だけ新しいです。地震対策か木材劣化防止なのかもしれません。つまらない所に目の行く私です。 山門外は「天現寺交差点」……「天現寺橋交差点」が正しいのかもしれません。 割烹 久田……天現寺交差点を広尾駅方面に向かったあたり……夜、接待で2回伺いました。まだ続いておいでのようです。 広尾ガーデンの隅っこ……時期に合わせて置物が代わります。 思いついたので、本当はイケないのでしょうが、雪だるまからマンションの駐車場を通らせてもらい裏側に……まわってくると大変なんです。 広尾稲荷神社鳥居……鳥居脇の社号碑には「廣尾神社」と彫られていますが… 高いマンションのお蔭で、陽当りは良くありません。通勤時にこの道も使いました。 とても小さな境内です。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)だそうです。 慶長年間(1596~1615年)徳川秀忠が鷹狩りのみぎり、当地に稲荷を勧請したそうです。戦後、富士見稲荷の御神体が本殿に合祀されているともあります。 手水舎……浄めてからお賽銭を入れ、拝礼してきましたが、社殿内を清掃中だったので至近距離撮影はやめました。 社殿左手には庫が並んでいます。神輿が納められているのでしょう。 庫の脇に神狐像……小さな小さな稲荷社もありました。 苔むした具合は良いのですが、崩れているのは残念……修復・補修すればいいのにね~ みんなに見られているようでした。 使えるのかしら? 古そうです。子供の頃、庭にあったポンプとはちょっとだけ形が違うような…… 大きな大きな常夜燈でした。 ということで、歩きなれた場所を駆け足で通り抜けた私です。結局、呼んでいる飲食店がなかったので昼抜きで帰りましたが、さすがにお腹空いた~
2019.01.22
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1月13日、歯医者に行ったので帰りにちょっとだけブラブラ……以前勤めていた会社のエリアだから知ってはいたけど、寺社をしげしげと眺めたことがなかったので見学してみました。 松秀寺山門……冬嶺山本寿院の号をもつ時宗のお寺だそうです。以前、清正公・覚林寺を訪問した際に見かけたのは裏口だったようです。 松秀寺宗祖一遍上人像…… 申し訳ないと思いつつもお腹が空いていた私……日曜日だったので天山飯店の休みは覚悟していたので、次なる候補店に急いでいたため、ゆっくりはしませんでした。 立行寺山門……松秀寺山門を出て角を曲がると見えます。ピンクがとても目を惹きます。 法華宗だそうです。 智光山……私にも何となく読めました。 立行寺本堂……創建は1600年代・麻布六本木のようですが、移転を経験しているみたいです。理由は様々ですが、多くの寺が移転しています。 鐘 楼……良い音がするんだろうな~ 大きいのには『大久保彦左衛門忠教頌徳碑』と彫られています。左の小さいのには『一心助碑』とありますが気づきませんでした。山門に『史蹟 大久保彦左衛門墓』とあったので、そればかり気にしていたお粗末な私です。そもそも、行き当たりバッタリなのがいけません。 どうやらあそこらしいぞ~ 本堂の南側に広がる墓地の一角に失礼しました。 真逆光だったので撮るのに一苦労……立派な屋根つきのお堂 大久保講……奉納された方々なのでしょうが、上段右側の左端に「〇囲みに質・八幡屋」ってあります。質屋さん、儲かっていたのでしょうかしら? こういうの大好きな私です。大久保講の上には格好の良い龍が彫られていたのですが、上手く撮れませんでした。 左右と正面に大小さまざまなお墓がありましたが…… これまた立派な屋根つき……これが大久保彦左衛門のお墓だそうです。石碑にあった「忠教(ただたか)」が本名だと改めて思いだす、歴史音痴な私です。ちなみに、この寺は大久保彦左衛門が開基したそうで、通称を大久保寺として知られているんだって…… 独り反省会で、一心太助の墓もあることを知りました。たぶんですが、前の写真の右・石碑の奥にある屋根つきみたいです。でも、架空の人物のお墓ってちょっと合点がいきませんが、大久保彦左衛門には付き者なのでしょう。お洒落です。 静かな境内……私の行くところ他人なしです。 「それにしても腹が減った!」……朝からコーヒーだけだったので、すでに井之頭五郎状態の私…… バス通りに出ました。救急車が向かい合って停まっていたので、そここその渋滞です。目指すはすぐそこ…… 大 五……以前三回ほど昼食に行きました。私的には三本の指に入ります。ビフテキは食べたことがありません。だってランチには高過ぎたし、午後の仕事が嫌になっちゃうので……でもって、せっかくとんかつのお腹にしてきたのに数人並んでいたので断念しました。「立行寺に寄らなければよかったかしら?」と、後悔は先に立ちません。 大きな鳥居……山門と参道の方角こそ違え、立行寺とは地続きの場所です……ここも逆光なので撮りにくい… 白金氷川神社……歩きやすい石段でした。ここは少々の高台ですが、周辺にはもっと起伏がある場所があります。私の後ろ側(北)には、渋谷川・古川が流れているので低い所です。 比較的広々とした境内……社殿周りの緑の木々が良い景観です。 社務所……社殿に向かって右です。「港区で最古の神社」と言われているようですが、それぞれ昭和の時代に再建されたのでしょう。 手水舎……立派な天然石で作られていました。 氷川神社社殿……本殿は奥にあり、御祭神は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」「日本武尊(やまとたけるのみこと)」「櫛稲田姫尊(いなだひめのみこと)」だそうです。 境内社・建武神社……社殿左側にあります。 二社鎮座しています。御祭神は「後醍醐天皇」「護良親王(もりよししんのう)」「楠木正成」など、吉野朝の諸忠臣が祀られているそうです。 到着した時、不自然な車の停め方だったので「もしかして?」と思ったのですが、やっぱりそうでした。新車のお祓いでした。お邪魔しました…… 三光坂下……氷川神社を後にして西に向かうとすぐです。 ほぼ南に向かっているこの坂を行くと八芳園あたりに出ます。目黒通りへは最短コースですが、上りは辛いです。下りは数回使ったことがあります。 知らなかったのですが、塀に貼ってある町内地図にあったのでチョットだけ三光坂を上ってみたらこんな階段…… お寺、ありました……でも入れません。 専心寺……門扉の隙間から失礼しました……だって、せっかく上ってきたんだものね。松宮山三葉院と号す浄土宗のお寺だそうです。ちなみに、立行寺も氷川神社もこの専心寺も同じブロックにあります。 専心寺前からの眺め……古川方向へゆっくり下っていきます。「あのビル、勤めていた会社からも見えたっけ~」と、つまらない景色ですが天気が良かったので撮っちゃいました。「ショルダーバックかけて撮るんだった……」と、今頃反省… 三光坂交差点の反対側です。信号青です……渡らなくちゃ~ 西光寺……称名山慈雲院と号し、浄土宗のお寺。偶然なのか? 立行寺と同じで、創建は麻布六本木で、後にここに移転したそうです。センサーが付いているようで、門を一歩踏み込んだら「ピンポーン…」って鳴ったのでここで失礼しました。 金峯山本妙寺……日蓮宗のお寺 円融寺の第十世日瑞聖人が退隠した後、円融寺近くに創建されて、延宝4年(1676年)にここに移転されたそうです。 でも、円融寺は日蓮宗じゃなかったよな?と思いきや……仁寿3年(853)天台宗法服寺として創建されたが、弘安6年(1283年)日蓮上人の高弟日源上人によって日蓮宗に改宗したって。この時に寺号も妙光山法華寺と改め、400年にわたり栄えた名刹だったのだが、不受不施の教義を強く主張したことにより江戸幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698年)に元の天台宗に戻されちゃったと……吉良上野介の時代だわな~ ということで、円融寺が日蓮宗の時代だった名残とも受け取れる本妙寺であります。 幸福の科学大悟館……本妙寺の向こうになにやらあるぞ!と思ったら、大川隆法氏の住まい兼、参拝施設だそうだ。白金高輪駅前にもビルがあったし、泉岳寺そばにも凄いのがありましたっけ。すっかり幸福の科学村になってます。 ということで、今日はここまでです。
2019.01.21
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Pfalz D.IIIa eduard 1/48 scale いつかは釣り糸の張り線にチャレンジしようと思い「超初心者用」をシゴーニュさんに探してもらいました。「高いのでない方がいいですよね」と、失敗してもよさげなのを出してくれました。 ファルツと言う航空機製造会社の飛行機で、D.IIIaはメルセデスのエンジンらしいです。伺ってきませんでしたし調べていませんが、なんとなく幌ではなさそうな機体です。 パーツはこんなものです。なにしろ張り線の初トライが目的なので、細かさにはさほどこだわっていません。 胴体に比べて、上主翼がとっても大きいです。直列6気筒エンジンもどきがついています。エンジン上部が機体からはみ出しているようなので、胴体塗装時のマスキングが面倒かもしれません。 1/48ですが、それでも小さいパーツがあります。もっと面倒そうなのもあります。折らずに削れるかしら? と、ビクビクしていますが、今まではなんとかなりましたっけ…… 素人の私にはありがたい……エッチングパーツではないプラの椅子です。「今回こそ木目入れて、木調風にするぞー」って思ったら、指定色は「黒」なんだって……なんでやねん!!! 木製の椅子だったら木目入れてからクリアーブラックとかスモークでも吹いてやろうかしら? メーターパネルはウッドブラウンなので、これには木目入れようかしら? あまり意味はないと思いますがね~ メーカー別の塗料ナンバー表にびっくり!! タミヤが先頭に……今まで作った3機の説明書ではすべて「クレオス」だったのに……以前はタミヤだったのかもしれません。私のラッカー系はクレオスなので、大差はありませんがちょっと困りものです。 ちなみに知らない名前のHUMBROLはイギリスだって。TESTORSはアメリカみたいですが、なんで四ケタの番号が必要なのかしら? AEROMASTERはよくわかりませんが、「たくさんの国の人々に作ってもらいたい」との、かつてのeduardの姿勢を感じました。日本とて大きな国ではありませんが、エデュアルドのあるチェコは、ドイツ・オーストリア・スロバキア・ポーランドに囲まれた小国ゆえ、周りの国に買ってもらいたい思いは充分理解できます。MPMっていう模型メーカーもチェコだったんですね……知らなかった~ さてさて、本品もパーツを切り出して合い具合を確認してみないとなりませんし、釣り糸も0.3号から0.7号ぐらいまで買ってみないといけません。塗装を考えた上で組み立て・接着を行うので、説明書の順番通りにはいかないでしょう。大したものではないのですが、ちゃんと考えてから始めないと後悔することに。考えて思いついてもすぐ忘れちゃうんですが…… まだ何を作るか決めてはいませんが、懲りずに今年も面倒に取り組むであろう私です。
2019.01.20
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古い知り合いのMさんに頂戴しました…… 国分の『缶つまプレミアム』というらしいです。『卵のたくさん詰まった北海道産のししゃもをオリーブオイル漬けにしたもの』と書かれていましたが、安い居酒屋で提供されるのはししゃももどきで姿と味が微妙に違います。やっぱり北海道産は美味しいです……でも高いけど……上手に焼くとプツプツの卵が美味しいです。ずいぶん食べてないな~ 内容総量75gですが、固形量=ししゃもは50g……でもって調べたら、なんと1,500円(税別)/1缶ですって!!! 高価なものを頂戴してありがとうございました。「なかなか売ってない…」と伺っていましたが、楽天、アマゾン、問屋国分ネット卸……どこも『現在、お取り扱いできない商品です』だって。人気者がある一方で、ししゃも自体の収穫量も減っているためと思われます。『温める場合は別の容器に移して…』って書いてありましたが、このままトースターで温めました。オリーブオイルもしつこくなく、何と言っても立派な子持ししゃも……母と連れ合いに一匹ずつ分けてあげて私は三匹……とても美味しく頂戴しました。焼いたししゃもだったら日本酒ですが、これはハイボールでもOKでした。 御馳走様でした……
2019.01.19
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1月10日、大森貝塚からギャラクシーや寺社を見学しながらブラブラしました。 春日橋交差点から環7を北上すると右手の路地入口にありました。 直ぐに突き当りみたいですが、植え込みが続いているのかしら? と、ちょっと魅かれた私です。 旧池尻川跡……池尻川なんて知らないけど、「跡」となっているから埋められちゃっているのだろうと想像……このプレートは伸びた枝葉で隠れていたので、どけてやりました。 馬込文士村 散策のみち……このあたりの山王から馬込にかけて、多くの文豪が移り住んでいたようです。『人生劇場』の尾崎士郎記念館や、徳富蘇峰(ジャーナリスト・思想家)の記念館「山王草堂」なんかがあるそうです。山王1丁目らしいので、帰りのルートからはちょっと外れていました。今度行ってみますか…… 山本有三氏の作品はまともに読んだことのない私ですが、シゴーニュさんの正月ブログに登場していたので、なにか親近感がありました。 続いているか不明でしたが、入ってみたら植え込みの続く道がありました。 植え込みは良く手入れされています。 右に左にクネクネくねくね……「環7から余り外れないでね~」と、祈りながら歩いた私です。 気付くと右側の家々が上げ底というか、高台になっていました。 昔の文士たちは高台が好きだったのかしら? 「山王」恐るべし…… 私のような年寄に、こんな石段は厳しい……お住まいの皆さんの心中お察しいたします。 右手は高台が続きます。そして道はクネクネ…… 引越し屋さん大変だろうな~ 日々の郵便局員や宅配も健脚でないと辛いです。 高台が途切れたころ右を見たら、なにやら奥の方で呼んでいました。 静かな住宅街。いつもどおり、ちょっと遊んで……行ってみたら…… 山王厳島神社 一之鳥居……神社はもう寄らないと決めていたのですが、なぜか呼ばれてしまいます。匂いがするわけじゃないのですが…… 手水舎……たぶん天然石の手彫りなのでしょう。でも、お清めは失礼しました。 二之鳥居から社殿……弁天池の真ん中の島の上に社殿があります。碑文谷公園と同じです。 噴水も作ってあったりしましたが、湧水が出ているそうです。 厳島神社社殿……狛犬はとても古そうでした。 小さい広場ですが、遊具もありました。寒くても元気に7~8名の児童が遊んでいましたが、顔修正が面倒なので写らないように撮りました。 と、言うそうです。 迷子になると困るので、また散策のみちにもどりました。車が通らないのでとても歩きやすい道です。 どこまで行くのか? 地図がなかったので不安ではありましたが「まぁいいや~」の私です。 室生犀星…… ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや「抒情小曲集」より「小景異情その二」「ふるさとは遠きにありて思うもの…」…遠く離れた都会に生き、たまに故郷を思い涙ぐむ……室生犀星にとってのふるさと感なのかもしれないが、ふるさとの「犀川(さいがわ)」をペンネームに取り入れているのだから、ずっとふるさとと共にいたことでしょう。 千疋屋にクリスマス・ツリイを配達させていたようだから、すっかり都会っ子になっていたのかもしれません。 若い頃、信州上田を抜けて金沢の犀川に行ったことがありましたっけ……川に投げ込まれた錆びた子供用自転車……クロスフィルター付けて写真を撮りましたが、残念ながら残っていません。フィルムだったからしょうがないですね。つまらないことは覚えている私です。 またしてもちょっと高台みたいです。地下にあたる場所がみなさん車庫でした。 榊山潤……歴史はあまり好きではないので、読んだことはありません。 でも、「無銭飲食」ではなく「無銭飲」だって……このパネルには面白いことが書かれていました。拡大できる方は読んでみてくださいませ。パソコンをお使いなら、[CTRL]キーを押したままマウスのダイヤルを上に回してやると大きくなりますよ~ 藤浦洸(こう)……プレートにも書かれていましたが「別れのブルース(淡谷のり子)」を筆頭に、「悲しき口笛(美空ひばり)」などなど私も知っている歌の作詞家のようです。 散策のみちはこのへんで終了みたいでした。そもそもの旧池尻川がどこまで続いていたかは不明のままの私です。いつか調べてみましょう。 環7に出ました。 馬込銀座歩道橋……上りたくなかったのですが…… 横断歩道がありませんでした。すこし? 50mほど遠回りをしないとならなかったので渋々歩道橋を使いました。 歩道橋の上から……上馬方向です。 反対方向……海方向です。しかし、この交差点は歩行者に優しくありません。渋滞緩和なのかもしれませんがひどいです。Y字路だから難しいのかしら? 16時16分……日暮れは近かった… 上に新幹線、下に横須賀線かしら? 急いではいたのですが、電車が通ったのでツイツイ撮ってしまいました。 線路発見…… 池上線はほとんど知らない私……地図を見たら後方が「長原駅」でした。「来た来た」と思ってデジカメを構えましたが間に合いませんでした。お尻だけちょびっと写っています。仕方ないですね……3両なんだから… 遠くのビルが赤く染まっていたので撮ってみました。池上線、次の駅旗の台は目と鼻の先です。旗の台方面から西小山を抜けての道も頭にはあったのですが、やっぱり最短コースは環7だろうと判断しました。 ハーレーダビッドソン……先日、バスに乗った時「このへんにハーレーのお店がありますよ」と、連れ合いから言われました。私と違い、何十回も通っている道なので都度車窓から眺めていたのでしょうが「よく見てるね~」と感心させられた私です。そもそも[HARLEY-DAVIDSON]なんて横文字で書かれても、すぐに読めない私であります。 ということで、大森までかけ足で行ってきましたが、さすがにちょっと疲れた私です。歳がまた一つ増えたから仕方ないですね。つまらない写真ばかりで失礼しました……
2019.01.18
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昨日、思いついたようにバタバタと出かけてみました。 環7から世田谷通りをまわり、世田谷駅前交差点を左折したとたんの光景です。予想はしていましたが人人…人…人…人で溢れかえっていました。 最初の写真が真南に向いていたので逆光……暗いから、ふり返って撮りました。正面は円光院。道の両側に並ぶ露店をのぞき込みのは結構ですが、真ん中で立ち止まってしゃべっている人や、立ち食い立ち飲み……まったく前に進めません。行った私が愚かでした。 安土桃山時代に当地で開かれた「楽市」がボロ市の出発点という話もありますが、明治20年代以降に古着やボロ布が主流となったそうです。正式名称となったのは第二次大戦後のようです。 ボロ布ではありません。 玉電に乗って祖父に連れられて行った、幼少の頃の遠い記憶の断片があります。骨董市とばかり認識していたのですが、確実に時は変わってしまったようです。 1/16だったかしら? プラではなく骨組みは木材だそうです。 チビFokkerが終わったので「次は何にしようか?」考えていた私……複葉機の釣り糸を使った張り線のやり方をもう少し聞いてみたくて、シゴーニュさんに一旦避難させてもらいました。店の前も露店でふさがれていて、どこだっけ?と探すのも入って行くのも一苦労。幸いお客さんがいなかったので、あれやこれや質問ができたり、余計なおしゃべりをさせてもらい私にはラッキーでした。 しばし、いやいや随分と有意義な時を過ごさせていただき「少しは空いたかしら?」と表に出ましたが、全く状況は変わっていませんでした。この通りがメインなのでしょう、世田谷代官屋敷に行く道なのですがちっとも進みません。700店もの露店が軒を連ねているのだから当然です。 これらは古着なのかしら? 1個300円だって…… ペコちゃん…500円とか1,000円 立ち止まっているのが申し訳ないので、人垣の間から手を伸ばして適当にパチリ…… この出展者ではありませんが、結婚式の引き出物も売られていることがあるそうです。皿の裏に両家の名前が入っているんだって…… 手袋屋さんに、なぜかゴジラ……値札が付いていなかったから売り物ではないのでしょう。よくわかりませんが、なかなか良い顔をしているのでは?「代官餅」に興味はないし、天気が曇ってしまい寒くなったので、片側だけ露店が並ぶ歩きやすい道で脱出をはかる私でした。 SANAIストリート……なんだかわかりませんが、絵になりそうだったので撮っちゃいました。帰りはいつも歩いたことのない道を選んでいるので、初めて目にしました。 希望の像……駒沢小学校創立80周年記念だそうです。ちなみに同小学校創立は明治34年(1901年)ですって……歴史があるんですね。私が通った小学校は、尋常小学校として昭和に入ってからの開校です。 と言いうことで、雑踏体験をしてきた私でありました。 ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく (石川啄木) 自らの寂しさと懐かしさを満たすため、上野駅の人ごみを求めた啄木……盛岡は遠かったでしょう。 今日は留守番です。すっ飛ばしてしまった大森最終話の写真整理でもしましょうかしら……
2019.01.17
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今朝は「ガスト」っていうのに行ってみました…… モーニングA……を頼んでみました。トーストかご飯とかが選べるようです。黄身が半熟以下だったので食べにくかったです。「ご飯大盛」と頼んでいたお客さんがありましたのが、大盛も料金同じかもしれません。それより、彼はご飯に目玉焼きをのせてから醤油をかけ、卵かけご飯にしていましたっけ……食べやすいだろうと思いました。 トースト……私にはちょっと多いです。初来店だったからちゃんと完食しましたが、次回は「半分できますか?」って言ってみます。目玉焼きも「もう少し焼けますか?」って聞いてみましょう。ジョナサンは「半熟で大丈夫ですか?」と、先に好みを聞いてくれる店員さんもいましたが、今日ほど浅い焼き具合ではないので大丈夫な私でした。付いてくるバターはジョナサンと同じ物でしょうが、塗りやすいようにか? 表に出してあるようで柔らかでした。私は冷たくて硬いの好きですが…… ケチャップもジャムもジョナサンと同じものが付いていました。使わないので、いつもお土産です。料金は539円(税込)…… 2か月弱 通ったジョナサンの「ライト・モーニング」……私には丁度良い量でした。カリッと焼いたベーコンやソーセージ、パンもこちらの方が良かったな~ と、私の個人的感想です。593円(税込)でありガストより54円高いですが、紙おしぼりを出してくれたり、ドリンクバーの品数はジョナサンの方が多かったかと。何種類もたくさんは飲まないけれどね~ ブレンド……味はたいして変わらないけど、ジョナサンはパルスイートも置いてあったっけな~ 価格に合わせたサービス体系なんでしょう。 ダージリン……お茶の入れ方はどちらも同じですが、ガストはステンレス風の茶こしでした。清潔感があって良いと思います。「お湯はどこかしら?」と探してしまった私でした。 できあがり~ 茶葉の種類はジョナサンの半分ぐらいだったかしら? 感心歓心!……ガストも醤油はヤマサでした。同じグループだから当然ですが… こちらも読売新聞が置かれていました。 喫煙ルームの席……ちょっと狭いですが贅沢は言えません。喫煙席数はジョナサンの方が多かった……満席になることもあるかもしれません。昨日まで平日は毎日ジョナサンにおられた男性も私より先においででした。空調が少々悪いです。 禁煙席……ドリンクバーまで遠いんです。ジョナサンは隣だったんだけどな~ ちなみに帰る頃には何組もお客さんがいました。来店者の数はジョナサンより多いかもしれません。わずか100m足らずの距離に、差別化がはっきりしない系列2店舗を作ってもダメでしょうに……と思う私です。 モーニングH……トースト&ゆで卵にスープとドリンクバーもついて323円(税込)……庶民の味方かもしれませんが、びっくり価格でありました。 ということでガストに行ってみましたが、明日はどうしようかしら? 天気が良いので散歩でもしながら考えてみましょうかしら?
2019.01.16
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1月10日、大森駅界隈をブラブラ散歩した続きです…… 大森駅あたりから東に行ったら「平和島競艇」が見られることは分かっていたのですが、ボートレースは無知な私だったので目的の模型店「ギャラクシー」を見学……店を出た後、それでもなんとなく東方面に線路を渡ってみることに……東海道線が通過……熱海もずいぶん行ってないな~ 踏切が開くかと思いきや、京浜東北線が来ました……近いから「あぶない危ない…」と、ちょっと後ずさりの私でした。 広い踏切です。正面は大森方面……左の茶色いビルはドン・キホーテですが、奥がここまであるとは流石に大きいです。 東伏見稲荷大明神……って幟に書いてあります。扁額には「不入斗」ってありますが、「いりやまず」と読むみたいです。地名にもなっているそうですが、寺社領などで貢納(こうのう)の免税地だったみたいです。 あっちを向いているのは猿かしら? と確認したかったのですがなにやら他人の敷地みたいだったので止めました。石屋さんみたいでしたが、違っていたらごめんなさいです…… 少し行くと「根岸神社」の幟が連なっていました…… でもって脇道を進む私……暇人です。 大六天根岸神社!!……ありました。後に載せる「根ヶ原神社」と共に新井宿村に属しており、第六天『面足命(おもだるのかみ)・惶根命(かしこねのかみ)』を祀っていることから関係があるみたいです。でも、詳細は分かりませんでした。独り反省会も大変です…… 手水舎……とても渋いですが、口をすすぐのはちょっと躊躇した私です。ごめんなさい。しかし、この日は何度手と口を浄めたことか…… 手水舎の彫刻も見事でした……「こんなの、やってみたいな~」と出来もしないのに思う私…… 建て替えたのでしょう、コンクリートの社殿……幟がちょっと邪魔ですが、正月気分が抜けないのでしょう。 奉納された石碑でしょうが、比較的新しそうです。 素晴しい神輿が収納されていました。 現住所は大森北ですが、昔々は根岸と呼ばれていた地域なのかもしれません。 ユーミンの「山手のドルフィンは静かなレストラン…」は、JR根岸駅でしたね~ 関係なかったかしら? 銅葺かしら? 社殿屋根はしっかり造られていました。 コンパクトな神社ですが、地元の氏神様として親しまれていることでしょう…… と思いきや「なんでやねん!!!」……ゴミ捨てないでよね~ 悲しい~ ぼちぼち帰らなければと真剣に思い、方向感覚を頼りに住宅街の裏道を歩いたら…… また出会ちゃいました……お賽銭も乏しくなっていたのに……駐車場風情の場所なのにね~ 長田稲荷神社……というらしいです。 扁 額……手彫り感があって好感が持てます。熊野神社の神主・長田氏が創建したということを、独り反省会で目にしましたが定かではありません。 邸内社……本当にもう帰ろうと、池上通りを越えたら更地にありました。住宅を建て替えるのでしょう… 環7から脇を見たらこんな景色が目に入ってきました。 後で分かったのですが、写真左の春日造りの建物が社殿後方にある「本殿」だそうです。 いにしえの東海道……『この道は時代により、奥州街道・相州鎌倉街道・平間街道・池上往環などと呼ばれてきた古道です』と記されています。東海道が海岸沿いに整備される以前はここを通っていたのかもしれません。 石碑だけで、古道としては特別な配慮はされていませんでした。 春日稲荷……立派な鳥居でした。私の立っている鳥居前の道は、右に進むと池上本門寺門前につながっています。現在の池上通りの北側に並行した道なので、古くはこちらがメインだったはずです。 手水舎……鳥居をくぐり社殿に向かって右側 迫力のある龍でした…… 境内稲荷……手水舎に向き合うように配されていました。 狐にかごが被せてありましたが、意味があるのでしょう。逃げないようにしてあったり……そんな分けないわな~ 神楽殿……旧社殿を建て替えた際の木材が使われているそうです。むこうは授与所から社務所… 大森春日神社 社殿……良く手の入れられた神社です。 現在は、山王・大森北・大森西・南馬込といった住所ですが、旧新井宿村の時代から氏神として見守ってこられたことでしょう。 節分の案内がでていました。賑わうんでしょうね~ 帰ろうと表通りにでたら、またお会いしてしましました。 代六天 根ヶ原神社……小さなちいさな神社です。 この水で口を浄めるのは私には出来ませんでした……ごめんなさい… 根岸神社は「大六天」と書かれていましたが、こちらは「代六天」……ネットでは「第六天」ともされていましたが、その時代時代の表記なのだろう、ということにしておきます。 社 殿…… というわけで、模型店を出てから極めて近い場所にたくさんの神社がありました。お賽銭がなくなっていたので「もう寄らないよ~」と心に決めて帰路に着いたのですが、さてさてどうなったでしょうか? 続き(最終回)はまた…… 蛇足ながら、やっと馴染んできたジョナサンは今日が最終日……便利に使いだしたのに残念です。仕方ないのでガストを試してみようかな~ とのん気な私で申し訳ありませんでした。
2019.01.15
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1月10日、大森貝塚から池上通り沿いの商店街を見てブラブラした続きです。 目的地であった模型店「ギャラクシー」を目指していたのですが、ドン・キホーテを過ぎたところでまたまた呼ばれてしまいました。模型店とは反対ですが、足が勝手に行ってしまう私です。 路地を進むと「神社じゃないの?」……手前の掲示板に「日蓮宗」って書いてあるし、どう見たってお寺の山門です。 善慶寺本堂……もとは法光山と称して正応5年(1292年)に建立されたそうですが、現本堂と書院は昭和5年建立とのこと。 なるほど、扁額は法光山とあります。 コンパクトですが趣のある山門です。 さてさて「神社はどこかしら?」と思いきや、本堂左側の奥に鳥居を見つけました。寺の山門から一之鳥居へとつながる参道……神仏習合時代の典型的な姿でしょう。 熊野神社参道……正面へと進む石段と、右にもあります。 とりあえず中腹に境内社らしきが見えたので、右側の石段を上りました。 ちなみにこちらを「女坂」、正面を「男坂」と呼ぶそうです。どっちも楽ではないのですがね~ 衆善稲荷神社……「衆善」は、後にちょっと書く「新井宿義民六人衆」に由来するのでしょう。 男 坂……女坂の衆善稲荷からも上まで行かれそうだったのですが、一度もどって上りなおしした私……だって一応男の子だものね~ 手水舎……二之鳥居の所にあります。センサーが付いているようで、近づいたら水がでてきました。電気は点きっぱなしかしら? 手水舎左にも道がありましたが、とても危なっかそうなのでパスしました。昔々の石段なのでしょう。 やっとこさ上って、境内到着……この灯籠にも「若者中」って彫られています。 山王熊野神社社殿……木造ではなくコンクリートみたいなので、再建されたのでしょう。朱色は渋いです。 左端にあった庚申塔と狐碑の写真をちゃんと撮ったのですが、整理している時に誤って消してしまいました。なにをやっているんでしょうね……庚申塔の頭だけこの写真にあるから勘弁してやります。 神楽殿……こちらは少々年季が入っています。フルオープンだけど、台風なんかの時は大丈夫なのかしら? と、心配性の私でした。 社務所……左わきにも鳥居があったので、裏からは道路に出られるのでしょう。そうでなければ何につけても大変ですから…… 天祖神社の石段とは大違いで歩きやすいのですが、要注意です…… 新井宿義民六人衆の墓(善慶寺境内の墓地内)……江戸時代、旱魃(かんばつ)や洪水・長雨などの天災にもかかわらず、過酷な年貢収奪に耐えかねた村民は減免を願い出たが黙殺された。勇気ある百姓6人が将軍家綱に起訴しようとしたが、密告によって捕えられたあげく処刑されたとのこと。 高校の教科書にも掲載されているらしいけれど、私は知りませんでした。歴史嫌いだったので……しかし密告した奴は誰だ? おぬしも悪やの~ 連れ合いは、大森貝塚の博士の名前も東大もちゃんと記憶していたけど、これは知っているかしら…「天地人災物故者之各霊」「戦死病没殉難之各英霊」と両脇に刻まれていました。風車も立ってたから水子供養も考えられます。 お釈迦様がお休みになっていました。永代供養墓みたいです。今日の朝刊にも永代供養墓増設の記事がありました。 やすらぎ……ペットのお墓でしょう。 供えてある花もきれいでした……善慶寺さんは管理が行き届いていました。 寄り道ばかりしていましたが、模型店への道です… ギャラクシー……前の写真のちょうど突き当りにありました。袖看板はタミヤが作ってくれるんでしょうかしら? 「モデルショップ」だって……「ちょっとお邪魔します……」と断って入店すると、主らしき「おかあさん」が「どうぞどうぞ…」と迎えてくれました。私の母よりも年上なので「おかあさん」とお呼びしても良さそうです。とにかく話し好きで、旦那さんのことや苦労話をたくさんたくさん聞かせてくれました。 入口中央のショーケースにはお客さんの作品が展示されていました。ガンプラはよくわかりませんが、複数台あった車・バイクなど綺麗に作られていました。スバルBRZは複数ありましたが、タミヤのは作りやすいからかしら? 戦車と飛行機もちょっとだけありましたが、残念ながらさすがに複葉機はなかったです。 写真左上……アオシマかしら? 電車にバスまで置かれていることに感心しました。 ガンプラが一番多かったですが、車・戦車・飛行機……「新しい物がほとんどだから、欲しい物ないでしょ?」と言われましたが、仕入れはおかあさん自ら問屋に行かれるそうです。長男に車で連れて行ってもらうけど「仕入れは自分でやらないとダメなの」とおっしゃっていました。働いていることが元気の源だそうです……頭が下がります。タミヤが多かったですが、飛行機も車もアオシマ・ハセガワなどもちゃんと扱っておいででした。 私が一番感心したのが、ところどころに見られた商品の面出し陳列……「サンダーボルトⅡ」ってのはちょとだけ呼んでいましたが、エンジンが変なところに付いているので塗装が面倒そうです。そもそも私の趣味ではないし、持って帰るのも面倒……と、面倒がり屋の私です。 こんな写真を撮らせてもらっている間も、話しっぱなしのおかあさん……レジ前の椅子に一日中座っているのは飽きちゃいますものね。たまには話し相手が欲しくもなるでしょう。 師匠が上手に作られた「ピバー」も面出しでありました。渋い仕入れです。 何も買わないのは失礼なので腐らない筆を5本購入しました。筆の品数は少なかったですが、平筆ばかりで面相筆が1本もなかったのが残念です。たぶん見分けがついていないのでしょう……教えてあげようかとも思いましたが、またまた話が長くなりそうなので黙って失礼しました。 丁寧に出口まで見送ってくださった「おかあさん」…ありがとうございました。いつまでもお元気で地元のモデラーさんのお役に立ってくださいませ。 窓にあったメーカー広告ですが、タミヤ・アオシマ・ハセガワ、各社貼ってありました。ご立派です…… と言うことで、今日はここまで…… 続きはまた明日…… 写真の整理が面倒なので、元気があったらですが…… ゴミ箱に保管などせず、いきなり完全消去する私なので、消しちゃわないように注意します。
2019.01.14
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今日は、第32回 鷹番住区「火まつり大会」です。 これから歯医者に行かなくちゃならないので、準備風景を見ながら管理運営をされている知人に御挨拶だけしてきました。寒い中、みなさんご苦労様です。「火入れは正午」みたいなので、今年は見られない私……(去年の火入れ) 門松・しめ縄など「11時半までにお持ちください」とありますから、まだ間に合いますよ。でも、家庭ゴミはだめですよ。 連れ合いはこれから持って行ってくれます。ご苦労様ね~ たぶん「焼き芋」だと思われます。早くからのご準備……本当にみなさんご苦労様です。今年も一年、ご健康でありますように…
2019.01.13
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1月10日、大森駅前の喫茶店で休憩してから池上通りを南下しました。 通り沿いの商店街……まいばすけっともありましたが、下町っぽくて好きです。 ちょっと進んで左を見たらこんな風情…… 1ブロック進んでもこんな風情……帰りに上ってこないとならないから嫌だったけど、呼ばれます。 マークがあるから「ウサギのうさぎ」っていう小料理か? いやいや黄色い満月らしきもあるから「月のうさぎ」かとも思ったのですが、大きな間違い……素直に「のうさぎ」という店名みたいです。「野うさぎ」ぐらいにしておいてよ~ 山王小路飲食店街……スナック、Bar、小料理…古き良き時代を彷彿とさせる飲み屋さん街です。「和風スナック久美」っていうのは、割烹着を着たおかあさんがやってるスナックかしら? こういう場所の馴染になったら、はしご酒で大変です。毎日午前様……財布がついていかないですね。遠くでよかった~ 大森駅西口から見たら、道の反対側で呼んでいます。 上りだけどいいか? 山王=「山の王様」っていうことなのか、起伏に富んでいるエリアです。幹線道路を車でしか通過したことがなかったので、初発見でした。 八景天祖神社参道……ありましたけど、細くて急な階段にちょっと尻込みの私……「若者中」……奉納なのでしょう、他でも目にしますが正確な意味を私は知りません。「若い人は中を行け」ってことかしら? なんてバカなことを考えて、取りあえず上ってみることに…… お稲荷様……すぐ左にありました。古そうです。灰皿の後ろにあるのは「八景碑」だそうです。私が歩いて来た山王口あたりからの池上通りを「八景坂」と言うそうで、昔昔は大森海岸はもちろんのこと遠くは房総まで一望できたとのことです。 ヨタヨタなんとか石段を登りきるとシンプルな境内…… 天祖神社社殿……通称「神明山天祖神社」「八景天祖神社」といい、御祭神は「天照大御神」のようです。 左の灯籠前の立札に『お焚き上げには、家庭ゴミ・ぬいぐるみ・陶器……ペットボトル等の持ち込み禁止』と書かれていました。嘆かわしいかな、いずこも捨てに来る人がおいでのようです。 神楽殿でしょうか? 赤い手すりがあるのでそうなのでしょう…… 手水舎……比較的新しいです。 夫婦椎(シイ)……と呼ぶみたいです。とにかく立派な椎の樹でした。石は「力石」かもしれません。 まだ先が長いので退散しようと…… 参道の上まで来ましたが「往き(行きは)はよいよい、帰りは怖い」……踏み外したらあの世行きです。「僕はまだ死ねません」ということで見回したら…… 片隅にありました……やさしそうな迂回路が……こうゆうのがなかったら私ら年寄りは参拝できません。 庚申塔……外の道を使わなかったらお目にかかれなかったです。祠には「青面金剛尊」が祀られています。ちょっとだけお姿を拝見できました。 天祖神社脇のこんな階段を下りてきましたが、参道を使うより長かったです。でも無事がなにより…… TAPAS&TAPAS……スペイン・バルのようなお店みたいです。しばし若いカップルが店先で立ち止まっていましたが、決心したように入って行かれました。 まったく頭の片隅にもなかったのですが、最寄駅の西口にもあるみたいです。「そう言えばあったな~」と、飲食店音痴の私です。 少しの間だけ、池上通りとJR線路が隣り合わせになります。通過中は京浜東北でしょうか? 最近、電車はタイミングよく走ってくれます。 池上通りに沿って、屋根の付いた商店街が両側に続いて行きます。反対側(左側)は「ウイロード山王」と言うんだって… 私が歩いた商店街は、こんな名前だって……まず緑色の「NY AVE」を「ニューヨーク アヴェニュー」と認識した私。「HARM」って「害」だけど、と戸惑う私。小豆色の丸印を「O」と認識できるまで時間を要したのですが「デザインが悪い」と、人のせいにする私でありました。正解は「山王ハーモニー アヴェニュー」なのでしょう。 消費の低迷が如実に表れているみたいで、残念ながら人通りのまばらな商店街でした。安倍首相は、オランダや英国見学なんか行かないで、庶民の暮らしを視察すればいいのに……山王小路飲食店で酒を飲み、庶民の声を聴けばいいのに……とも思ったけど、警備費(税金)の無駄遣いになるから止めておきましょう。 山王COCO……「ここはどこ?」「ここはココ」だって!!! いったい商店街の名称は幾つあるのかしら? 反対側は「山王三番街」ですって…… MEGAドンキ……師匠が、模型店を教えてくださった折に仰っていたドンキホーテです。まともに入店したことのない私……正確には「ドン・キホーテ」と「・」が入ることをこの日 認識しました。小説の主人公は「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と、中点がたくさん付きます。ミュージカルになると「ラ・マンチャの男」になるんでしたね。 先にもドンキの入口を発見……いったいぜんたいどうなっているのかしら? とにかくデカい……MEGAだものね~ 入ってみようかとも思ったのですが、先が長かったので渋々省略しました。 ドンキの外階段……なんであんなところまで草が生えているのか? 枯れてはいましたが不思議に思う私でした。つまらない物ばかり目に入る、変な私でもあります。 集中力がないのでしょう……この日記を8割書いた時、誤ってページを閉じてしまい、全部パーにした愚かな私。書き直したので倍近く時間を要してしまいました。「これでおしまいなの~ コーヒーでおしまいは寂しいよ~」と、昨晩連れ合いから言われたので、もうちょっと先まで行きたかったのですが今日もこれでおしまいです。昨日は24枚で、今日は30枚だから堪忍ね~
2019.01.12
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チビFokkerも一応終わったし、昨日(1月10日)散歩にでました。「どこに行こうかしら?」と考えて思いついたのが、以前師匠から教わった山王の模型店……住所まで書いてくださったので、近辺の地図情報だけ頭に入れていざ出発…… 幹線道路沿いは歩かない私ですが、目的地の環7と池上通の交差点へはどうやっても環7に沿って歩くのがベスト。何度か通った夫婦坂交差点までは脇目もふれずに歩きましたが、未歩きの地に入ったので撮ってみました……「リコー」立派な建物です。「ありゃりゃ、予備バッテリー充電してなかった…」と、ここで気付く私。目的地の写真が撮れないと困るので、しばらくデジカメ温存です。そのくせ、馬込銀座交差点に到着した時「どうせなら駅の方も行ってみるか?」と左折して大森駅への近道を進んでみた私です。「そうだ、こんなのがあったんだよね~」と、大森駅前・山王口でキョロキョロしたら発見しました。 下りて行くみたいですが、管理責任者が「NTT データ」の表示にちょっと驚きました。土日祝も面倒を見てくださるのかしら? 表通りからビルの間を抜けて行きます。なぜか?この通路は玉砂利でした。「およよ…」ずいぶん下までグルグル階段…… 階段途中の踊り場に貼ってありました。横浜から新橋へ向かう車窓から貝塚を発見したとありますが、モース博士の視力はいかほどだったのかしら? と、つまらない事を考えるわたしですが、「日本電信電話公社」の時代から保存会だったんだと納得もしました。 東海道線の線路脇まで下りて来たらこんな石碑がありました。「貝塚」だと言うので、何かそれらしいものがあるのかと思った私がバカでした。独り反省会で調べたら「大森貝塚遺跡庭園」と言うのが近くにあるみたいです。 Discovered……モース博士が1877年に発見したと刻まれているだけ……ちょっと寂しいかった私でした。 しょうがないから、階段を上り始めると衣類らしきが木に引っ掛かっています。高層マンションのベランダから飛んできたのでしょうね。 貝塚を出てきたら、池上通の反対側に見えちゃいました…… 路地の奥に見えました。「連れ合いは、先日義母に連れ添って成田山行ってきたよな~」でもって私もご挨拶にと向かいました。「進入禁止」……「外側をまわってお寺へお越し下さい」と書かれていましたが、地図がはっきりしないのでどっちに行けば良いか分からなかった私… 成田山圓能寺……真言宗智山派で、元来は海光山明王院だったのを昭和27年に成田山新勝寺の末寺院となったそうです。ご本尊が不動明王なので、提灯にも書かれていました。 申し訳ないけれど、一歩だけ踏み込ませてもらってパチリ…… お釈迦様でしょう……熱心にお参りされていました。私もお参りしたかったのですが、見てのとおりフェンスで通せん坊……なので断念しました。 境内に遊具が置かれていたり、ようするの「若草幼稚園」として使われているみたいです。園児の安全を考えての通行禁止だったようです。見つかったら不審者に思われたことでしょう。 日枝神社……圓能寺の隣にありました。たぶんですが、神仏分離令によって別当として管理していた圓能寺から独立したのでしょう。あくまで私の推測です… 手水舎……正月のなごり? 真新しい提灯… テントが能楽堂を隠しています……ちょっと残念…片付けてくれる氏子さんがいないのかしら? 立派な社殿でした。御祭神は大山咋命(おおやまくいのかみ)・大己貴命(おおなむちのみこと)だそうです。 とても残念なのが社殿左側……紅い上りの立っている場所に稲荷社が二つあるみたいですが、テントに邪魔をされて行かれませんでした。ここでも通せん坊の私でした。 でもって踵を返し、日枝神社を後にする私…… カフェ・ド・クリエ……チェーン店なのでしょうが目にしたことはありません。「喫煙可」の表示に惹かれて立ち寄りました。トイレも行きたかったので…… ブレンド……260円(税込)……安いけど、ドトールより美味しかったような気がしました。店内もトイレも大変綺麗で、好感が持てます。新聞を広げて読める席もあり、近かったら毎朝行くんだけどな~ レシート下方にありました。2杯目は100円ですって……ありがたいですね。早く近くに出来てくれないかしら? ということで、久しぶりに少々歩いたら疲れた私です。なさけないですね~ 申し訳ないのですが、今日はおとなしくしています。 ちなみに続きはまた後日……なんだかんだ、200枚近く写真を撮ってしまったので選別が大変なので……
2019.01.11
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変装してるんですよ、みんな。 阿久 悠 そこはかとない淋(さび)しさ、やるせなさ。何かが欠けているというそんな「飢餓感」が沁(し)みだしてきても、人は気を振り絞って、それに蓋(ふた)をする。でも、ときには「少し化粧を落として」みたらと、作詞家は言う。歌とは「時代のなかで変装している心を探す作業」。「死角に入っていた心のうめき、寒さ」に「ボールをぶつける」ために歌を書いてきたと。『書き下ろし歌謡曲』から。 (朝日新聞・折々のことば1156・2018.7.2)「袋だたき」気にせず発言続ける……と、昨日の朝日新聞に音楽家・坂本龍一氏のインタビュー記事が載っていた。「…原発や基地が必要だというなら、東京に造ってはどうでしょう。それでも国家は田舎のほうに押しつけようとする…」「…反対する者とまともに議論しようとしない日本政府の姿勢は、トランプ大統領のマネをしているんでしょう…」と発する坂本龍一氏…… SNSですぐに拡散する時代においても、「僕はリスクは背負って立場を明らかにし、これからも言いたいことは言わせてもらいます。」と締めくくった上で、「多くの国民が意識を向けていないことが一番大きな問題」だと指摘していた。 隠し事は日常的に行われ、数の力で押し通し、真実を追求しようとするメディアには嘘つき扱いする政府のやり方には不満だらけだが、「呟いてみてもしょうがない…」と知らんぷりの多い最近の私。頭の片隅にくすぶっている「心のうめき」ってやつにボールをぶつけられたような気持だ。『購入費上積み 100億円超え・馬毛島 進まぬ移転、米不満受け政府』『日韓不信 悪化の一途』『医師の残業「年2000時間上限」厚労省案 特例で長時間追認』…… 今日の朝刊にも大きな見出しが並ぶ。討議せねばならない問題が山積みなのだが、通常国会召集が大幅に遅れても首相は外遊。英国やオランダ訪問の方が重要らしい。医学部入試不正も発覚したが、「医師不足だから仕方ない」と年2000時間もの残業をさせてよいものか? 特例は35年度までとしているようだが、1年でも2年でも早く解消できる策を検討し、講じるべきだろう。改憲には期限まで口にして急ぐ首相だが、命に係わる問題は後回しにされていることを悲しく思う。 『嘘つきは、戦争の始まり。』……今月7日・宝島社の2面広告だが、人々はどのような思いで見ただろうか? ≪余 談≫ 先日「黙りとおした」のキーワードから「襟裳岬」の詩を引用した私ですが、森進一にもう一つありましたっけ……「冬のリヴィエラ」 襟裳岬は岡本おさみと吉田拓郎のコンビだったけど、リヴィエラは松本隆と大瀧詠一のはっぴいえんど組。『…冬のリヴィエラ 男ってやつは 港を出てゆく 船のようだね 哀しければ 哀しいほど 黙りこむもんだね』 おしゃべりな男はもてないようです。寡黙(かもく)がいいのかな~『…彼女は俺には過ぎた女さ 別れの気配をちゃんと読んでて 上手にかくした旅行鞄に 外した指輪と酒の小瓶さ…』 別れを決めた男と、それを察する女のドラマが画かれています。多くの歌手に詩を提供している松本氏ですが、松田聖子がダントツでしょうか? 彼女の歌はよく知らない私ですが、岡本おさみ氏と同様に大好きな作詞家であります。 今 気付きましたが、両氏とも名前に「本」が付くんですね~ また余計なことまで書いてしまいましたが、今日は何をしましょうかしら?
2019.01.10
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Fokker Dr.Ⅰ eduard 1/72 scale ProfiPACK edition 後悔と不満はたくさんありますが、とにかく終わりにしてしまいました。 第一次世界大戦時の飛行機なので実物自体が小型であるにもかかわらず、それをさらに小さなスケールで臨んだ私が浅はかだったようです。 左が1/48scaleで、右が今回の1/72scale……実機の全長は5.77mだそうなので、1/48だと12.02cm、1/72だと8.01cm。たかが4cmの違いじゃないの? と思うのですが大きな違いでした。 ちなみに、第二次世界大戦時になると[メッサーシュミットBf 109G]ってのが全長9.02mで、[零戦二一型]の全長が9.05mといったように大きくなります。従って、この手の飛行機なら1/72scaleでも12.5cm程の大きさになります。1/48scaleのFokkerと同じような大きさになるはずなので、私にもなんとかなるかもしれません。 1/48scaleには付いていなかったエッチングパーツ……今回のには同封されていました。小さいのでプラの造形でなくエッチングパーツにしたのでしょうが、機銃先端部などは私の手には負えませんでした。 最も残念だったのが、コクピット前・機銃の脇から上翼へのフラップ操舵の張り線を付けてありません。機体と機銃との隙間が全くなく、0.1mmの線も入りませんでした。「機銃の根元を少しだけ削ってやればよかったのに…」と、後で思ったのですが手遅れでした。そもそも説明書にもこの個所の指示は書かれていませんでしたし、肉眼ではおそらくはっきり見えないでしょうが、下手なりにこだわる私でありました。いずれにしても、手順ってのをもう少し考えておいた方が良かったと反省しています。 反省と経験を次回に生かせれば良し、と言うことにして今回の自己評価はなしです。応援やご教示をくださった方々、制作中に幾度となく紅茶を運んでくれた連れ合いに感謝いたします。 今日は、連れ合いも義母に連れ添って成田山に出かけたので私は独り留守番……次作は何にしようか考えましょう。
2019.01.09
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取り立てて店の宣伝をするつもりはありませんが…… 平日は16時、土日は15時に開店するので私にはありがたい店です。早い時間は酔っぱらいのお客さんは来ないし、大声でしゃべりまくる方も見かけませんから静かにお酒を楽しめます。 ある日のお通し……手羽となぜかウインナーの煮たの ある日のお通し……カニカマとオニオンスライス ある日のお通し……本マグロの中落ち 毎回変わるお通しも楽しいです。茶碗蒸しは2回出会いましたが、メインの具が異なっていたり、お通しにも気遣いをする主のようです。 この中落ち美味しかったな~ 納豆とチーズ入りオムレツ……他のお客さんのを見て、私も頼んでみました。お子ちゃまなのでケチャップをもらったりしましたが、タバスコもなかなか合いました。しかし納豆+チーズは伸びるのびる…… 一番多く頼んでいる「炙りタラコ」……いつもは紅芯大根を添えてくれますが、この日はこんなでした。買ってきた大根の状態が良くなかったそうです。 アサリの酒蒸し……貝好きな私にはありがたいです。 殻はこんな具合に積み上げるのも好きな私です。 他には、「マグロ刺身」「蛸刺身」「ホッケ開き」などを食べたことがありますが、いずれも美味しかったです。そうそう、刺身も開きも「ハーフ」でお願いすることもできるみたいです……他の方が「マグロ ハーフ」ってオーダーしてました。思えば、私もホッケの開きは半分だったですね~ 懐かしいホッピー……この店ではまだ頼んでいません。 ビールと樽ハイとが一緒になっているんです……樽ハイもタンクがあるなんて初めて知りました。 樽ハイがどんなものか飲んでみました。ウォッカサワーだけど甘い甘い……アルコール分8%みたいだけど、これじゃ酔えそうにありません。 国稀……北海道にこだわる主の日本酒。まだ試していなかったかしら? お客さんのキープボトル……みなさん一升瓶です。 水鏡無私……この焼酎を入れているのは1人だけ……物静かでとても良い方です。米なので、店売りのをロックで一杯頂いたことがあります。飲みやすい焼酎です。 カウンターとテーブルはこれだけの小さな店です。 テーブル席の脇に、箸袋で作った皆さんの折鶴があったので、私も真似をしてみました。たぶん一番きれいにできたと自画自賛しています。 昨日、中島みゆきの「元気ですか」を書いた時に頭にはあったのですが、面倒だったので省略したため、ちょっと追記しておきます。 コンピレーションアルバムと言うのか? トリビュートアルバムと言うのか? 中島みゆきの楽曲を他の歌手が歌っている『元気ですか』と言うタイトルのアルバムがあります。 収録曲と歌手は……「糸・Bank Band」「狼になりたい・小谷美紗子」「時代・徳永英明」「化粧・坂本冬美」「空と君のあいだに・槇原敬之」「元気ですか・小泉今日子」「アザミ嬢のララバイ・浜田真理子」「ファイト・福山雅治」「後悔・小柳ゆき」「ヘッドライト・テールライト・奈歩」「恋文・岩崎宏美」……となっています。 徳永英明、坂本冬美、福山雅治、岩崎宏美は各自のアルバムにも収録していますし、中島みゆきとは違った魅力を放っています。ところが、残念ながら小泉今日子の「元気ですか」だけは受け付けない私……このアルバムも含めて100数十曲の中島みゆきの歌がIpodに入っているので、模型を作りながら流しっぱなしにしているのですが、彼女の朗読だけはスキップする私であります。下手とか上手とかの問題ではなく、詩と人物とのギャップを私が勝手に感じているのでしょう。小泉今日子氏を非難するものではありませんことだけは明記しておきます。 余談ですが、先日 前川清を聴きながら模型をさわっていたら「モデラーに前川は合わないんじゃないですか?」と、紅茶を運んでくれた連れ合いに言われました。「僕はモデラーじゃないからいいの」と答えましたが、やっぱり合わないかしら? 蛇足ながら『おとぎばなし-Fairy Ring』に収録されている「あの人に似ている」も好きです。作詞・作曲はさだまさしとの共作で、歌も両者のデュエット……サビはみごとにハモッているのですが、サビ以外の部分の曲作りがすごい。同じコード進行の中で、さだ氏とみゆき氏のメロディーは別……複雑な構成を見事にまとめ上げてしまうのは流石プロです。 また、余計なことに時間を使ってしまいました。今日は何をしようかな~
2019.01.08
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昨夕、歯医者に行ってきました。 半年前から指摘はされていたのですが、ぐずぐず延命させて使っていた私です。医師の予想的中で、年末に悪化したので応急措置をして年越し……でもって渋々抜歯してきた次第です。 2016年の12月には反対側の奥歯が悲鳴を上げたので抜歯し、一年かけてインプラントにしたのですが、また今年も歯医者通いが増えそうです。でも、ちゃんと耐えられるあごの骨が育ってくれたらのことですが……今日も抜いた個所には骨になりやすい素材を入れてもらいましたが、ひ弱な私なのでどうなることでしょうか? 抜歯をした時は、麻酔が切れる前に1錠だけ痛み止めを飲んじゃう私ですが、歯医者の受付が大混雑だったので水をもらわずに出て来ました。 でもって、珈琲太郎で飲もうと武蔵小山で途中下車。日が暮れてからこんな所へ行ったことがなかったので1枚パチリ……師匠から教わった『丸清』2Fのホームセンターには、たくさん面白い物が並んでいます。大概がプロ用なのでしょうが、模型の塗料があったりもします。私は15cmの金尺しか買ったことがありませんが、ぐる~と見ているのも楽しいです。 麻酔が効いていたのでブレンドは止めて、ストローで飲めるアイスコーヒーと薬を飲んでからブルブラ家路へ……裏の細道大好きですが、襲われたら困るので明るい方へ… ちなみに、関西ではレイコって言うんですよね、アイスコーヒーを……きっと冷たいコーヒーの略称でしょう。『怜子 いい女になったね 惚れられると 女は 本当に変わるんだね…』 中島みゆきの『怜子』は字が違いましたっけ……『…ひとの不幸を 祈るようにだけは なりたくないと願ってきたが 今夜 おまえの幸せぶりが 風に追われる 私の胸に痛すぎる…』 みんな持っている人の性(さが)をさらっと詩にするところに好感を持った私だが、ヒットした「わかれうた」や「世情」が収録されているにも関わらず、「怜子」を2曲目に持ってきた『愛していると云ってくれ』には感嘆しきり。 LPに針を落とすと、オルガン独奏曲をバックに中島みゆきの朗読『元気ですか』で幕を開けるアルバム……『「元気ですか」と 電話をかけました あの女のところへ 電話をかけました いやな私です やめようと思ったけれど いろんなこと わかってるけど 電話をかけました あの女に 元気かとききました あの女に 幸せかとききました わかっているのに わかっているのに 遠まわしに探りをいれてる私 皮肉のつもり 嫌がらせのつもり いやな私…… あいつに嫌われるの 当たり前…』 別れた彼が付き合っている自分の知り合いの女性に電話をする……最後は、『…うらやましくて やっぱり うらやましくて うらやましくて うらやましくて 今夜は 泣くと…思います』 で終わるのだが、スローテンポのイントロから入って行く『怜子』への連携は見事だった。 3曲目ご存知『わかれうた』…『…別れの気分に 味を占めて あなたは 私の戸を叩いた 私は別れを 忘れたくて あなたの目を見ずに 戸を開けた』 目を見ずに戸を開ける女性はどんな人なんだろう……「開けるなよ!」と、言いたい私には女心は分かりはしないのだろう。でも、確実に心情が伝わってくる…… 4曲目『海鳴り』…『海鳴りが寂しがる夜は 古い時計が泣いてなだめる 遠く過ぎて行った者たちの 声を真似して 呼んでみせる …… 海鳴りよ 海鳴りよ 今日もまた お前と 私が 残ったね』 なぜにこんな悲しい詩が書けるのか?『化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど せめて今夜だけでも きれいになりたい…』 で始まる5曲目『化粧』…『…あたしが出した 手紙の束を返してよ 誰かと二人で 読むのはやめてよ 放り出された昔を 胸に抱えたら 見慣れた夜道を 走って帰る』ここまで聴いてきて、「元気ですか」が再び頭をよぎる……『流れるな涙 心でとまれ 流れるな涙 バスがでるまで…』 谷村新司の「忘れていいの」とそっくだけど、「化粧」の方が断然古い……谷村氏も聴いて、頭の片隅にはあったことでしょう。 6曲目『ミルク32』……『…ねえ ミルク またふられたわ ちょっと 飛ばさないでよ この服高いんだから うまくは いかないわね 今度はと 思ったんだけどな…』 と、札幌の喫茶店「ミルク」のマスター相手の、コーヒー休憩のごとき1曲を挟むあたりも計算でしょう。 7曲目『あほう鳥』…『あたしは とても おつむが軽い あんたは とても 心が軽い 二人並べて よくよく見れば どちらも 泣かない あほう鳥 …… 忘れます 忘れます あんたが好きだったって こともね 忘れます 忘れます あたしが 生きていたって こともね』「阿呆鳥」じゃなく「アホ(バカ)」の意味合いだろうけど、良くぞこれほど言葉が出てくる中島氏……文科省の国語審議会委員を務めたことがあるだけのことはあります。 8・9曲目は疲れたので省略ですが、「元気ですか」に始まりラストの「世情」につながっていく本アルバムは構成を含めて素晴らしかったな~『愛していると云ってくれ』のタイトルもアルバムを象徴したGoodネーミングだけど、「愛していると云ってくれ…嘘でもいいから」にしたいと懐かしむ私でありました。 明るい通りに出ても、ほとんどシャッターが下りているし人は歩いていませんでした。日曜日だし、今日から仕事の人も多いでしょうから当然かもしれません。 とっても良い匂いが漂ってきました。寄りたかったけれど、飲んじゃダメと言われたのでグッと我慢の私でありました。 交通事故ですって……ガラガラの通りなのになんでかな~ 年明け早々に残念ですが、怪我人のないことを祈りました。 年末に予約をした時「6日の16時以外しばらく空きがありません」と言われたとおり、超満員の歯科でしたが益々人気が出ちゃったようです。昨日も何の痛みもなく抜いて、チクリとも感じず縫ってくれたものね。 お陰様で、一夜明けた今日も痛みはありません。後で整形外科に行ってから、関所をのぞいてこようかな~ チビFokkerもやらなくちゃね~
2019.01.07
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Fokker Dr.Ⅰ eduard 1/72 scale ProfiPACK edition「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られそうだし、ダラダラやっている自分がなんとも情けなかったので追い込んでみました。 まったく合わなかったプロペラのシャフト…… 結局、リングを削って0.5mmのプラバンをかませました。最終的には先端を若干カットして長さ調節…………実は、シャフトを削っている段階で「論理的にはワッシャー付けなくてもOK」だと確信があったのですが、「せっかくプラバン作ったしな~」と、無駄に付けてやった私です。 苦労の甲斐あってなんとか納まりましたが、バカな私です……エンジンの前後が間違っています(この写真)……剥がしてやり直し……Gクリヤーでよかった~ プロペラにデカールを貼ってやったので、明日以降にクリアーかけます。 足かけ?なんでしょうか?……このエッチングパーツ、フニャフニャなので出っ張っている切削個所にヤスリはかけられませんでした。素人だからこんなもんでしょうが、なんとか接着できたから良しとします。 この状態まで作ってから、瞬間接着剤のはみ出した個所などを筆汚し……早くやっておけば良かったタイヤのグレーも筆塗りで済ませてしまいました。明日以降、艶消しクリアーかけてから汚しますが、残すところタイヤとプロペラで終わります。切出しを始めてからちょうど丸3か月……いったい何をやっていたのでしょうかしら? 夕方、また歯医者に行かなくちゃならないので、少々憂鬱です。大の大人が何を言ってんだ! と叱られそうですが、歯医者が好きな人なんて居ないでしょうね~ 治療のお蔭で今日はノンアル……明日は飲めますように……トホホ≪おまけ≫ 日記で予約をしておいたので、昨晩は連れ合いが美味しい茶碗蒸しを作ってくれました。ちゃんと正しい三つ葉を添えてくれました~ おーきにね~ 頑張って歯医者行ってきますよ~
2019.01.06
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現代人が失いかけているのは「話しあい」などではなく、むしろ「黙りあい」だ。 寺山 修司 やたらコミュニケーションの必要が説かれる時代だが、「黙りとおした」ことのない人に「語りつくせる」はずがないと、歌人・演劇家は言う。人は話し相手を見つけることが幸福への糸口だと勘違いしていると。言葉を呑(の)み込んだ相手の思いにあれこれと想像を巡らすより先にもう「返信」している、そんなネットの世界が出現するはるか前の発言である。『歴史の上のサーカス』から。 (朝日新聞・折々のことば1194・2018.8.10) 黙りとおしたことなど絶対にないだろうお客が目立つようになった居酒屋……独りでほっこり飲みたいから行くのだが、顔見知りが増えてくるとそうもいかなくなった。聴き耳を立てているのか? 離れた席からでも会話に割りこんで一方的に引っ掻き回すも、最後は「それ知らない」なんてことも。 どうでも良いことなのでいつもは黙っているが、ある時、どうしても教えてやらねばと思い言葉を発する。三段論法のごとく、相手のレベルに合わせて四段論法をと「大前提」を口にした途端「●×△■※□……」……ちょっと待ってと手で制す。「第二大前提」を口にしたら、こちらの話の途中でまたまた割り込んでくる。聴かずして理解できているとは到底思えない相手。「小前提」も同様だったから手振りに「待って!」の言葉を添えるが、何か言いたそう。でも私の「結論」は測りきれないだろうから、「待って!」と再び制してやっと結論を口にした。 たかだか1分程度の話を、黙って聴いていられない者にはうんざりする。そういう人に限って口数が多く、ワイドショーネタなどは機関銃のごとく連発する。誰もそんなこと聞いてないよ、と思うことまでしゃべりまくる。 そんなこんなで馴染になった居酒屋へはすっかり足が遠のいた私……ごく少数ではあるが、黙りとおしたことのない人の傍には近寄らないことにしている。 「襟裳岬」作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎 北の街ではもう 悲しみを暖炉で 燃やしはじめてるらしい 理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうちに 老いぼれてしまうから 黙りとおした 年月を ひろい集めて 暖めあおう 襟裳の春は 何もない春です やっぱり「黙りとおした 年月」だから詩になります。「しゃべりとおした年月」じゃ、シャレにもならない。 しかし、岡本おさみ氏はよかったな~ 早くに亡くなっちゃったけど……吉田拓郎とのコンビはダントツだけど、多くの歌手に詩を提供してきた。森山良子の「歌ってよ夕日の歌を」、大橋純子の「坂の上の家」……どちらも「坂・坂道」が出てくる。私にとっては1970年代が蘇る名詩だけど、今日は時間がないので詩は省略です。 連れ合いが作ってくれる茶碗蒸し……この日は三つ葉なかったな~ でも、いつも美味しいです。 今日の晩御飯は、茶碗蒸しと生姜焼にしてくださいね~ 僕はおとなしく留守番しながら、チビFokkerの手当てでもしてますよ~
2019.01.05
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竹の骨組みに紙を張った凧……正月にはよく揚げたものだが、最近は見かけたことがありません。凧揚げのできる場所がないからでしょうが、寂しい限りです。「ゲイラカイト」なる三角形の凧は比較的簡単に揚がるみたいですが、私の時代は四角い昔ながらの角凧……足の長さや結び目を調節して風の具合に合わせてやる、論理的説明などできはしなかったけど、子どもながらに楽しかったな~ 蛸……年末が近づくと毎年登場します。カチカチだけど水でもどして蛸飯にします。美味しい一品です。一昨年は頂戴したけど、昨年末はいろいろあったので断念しました。 ネギマとレバー……個人的な事情でお寄りする回数が激減した12月……焼鳥好きなのですが思えばこの日だけだったな~ やべさんの焼鳥食べたの……2回しか行かなかったものね。 牛筋とキノコのトマト煮……モーニングだけだったのでお腹が空いていた私でしたし、このメニューは初めてだったから頼んでみました。ハヤシライス風なので、ご飯にかけても美味しそうでした。牛筋もやわらかで良かったです。 ボトルの残量を見て、若い頃は「もうこれしかないの?」と思っていた私ですが、「まだあるじゃない」と考えるようになった私です。歳のせいでしょうかしら? さてさて、やっと馴染んできたジョナサンのモーニングですが「15日までで閉店」だって……店内に張り紙は見当たらないが、顔見知りになった店員さんが教えてくれました。まったく「なんでやねん!!!」であります。 後は「しゃぶしゃぶ屋」になるみたいなので、モーニングなどないでしょう。ジョナサンも常連客が多かったので、またまた喫茶店難民が増えるということです。みなさん、どこに行くのかな~
2019.01.04
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今年も年に1回、交通機関を使っての連れ合いとのおでかけ…… 杉並区堀之内妙法寺に無事行ってきました。 仁王門(山門)に御挨拶をして…… お線香を供えて…… 祖師堂……例年ほど並んでおられませんでした。 お陰様で、今日も空は青かったです。 梅かしら? とおもったら違いましたね……桜の仲間でしょうか? 連れ合いが年末にお願いしていたお札を引き取ったりしている間に、私は猿軍団の猿芸を見ています……毎年の恒例行事ですが、500円寄付したら今年はくれました。「猿の手形」だそうです……ちゃんと指紋があるんですね~ 本堂(三軌堂)でお屠蘇を頂戴し、お土産にもらいました。もう、十二支の盃は集まったかもしれません。例年10時開始のはずなのですが、今日は10時前から並ばずにあずかれました……ありがとうございました。「日朝堂」「二十三夜堂」「浄行堂」にもお参りができたので、今年もなんとか一年大丈夫でしょう… バスで渋谷に出て、ランチ……連れ合いとの外食は年に2~3回ですが、今日だけは例年の行事になっています。今年もできてよかったです。 エンジェルリング……ビールだけでなく、グラスが綺麗に磨かれていないとうまくできません。まぁまぁでしょう… オードブル……チョビットで私はいいんです… エスカルゴ……トマト煮だったかしら? 殻付きがいいんだけどな~ ファーザーズ アイズ……っていうそうな……ナッツと蜂蜜の味が感じられた、そこそこ美味しいワインでした。栓(せん)がコルクだったのも満足でした。最近は金属キャップもありますから……イタリアのシリコンはまだ許せるんですが、コルク素材も少なくなっているのでしょう。 マルゲリータ……毎年同じ物を食べていますが、ここのピザは薄いので好きです。今年はチーズが少な目? トマトが多め? だったかしら……年1回なのに、うるさい客であります。 雲丹クリームパスタ……半分ずつに分けてくれるのがありがたいです。小さい貝柱が、私の皿には1つ、連れ合いの皿には3粒あったようです。連れ合いが満足してくれれば、それで私は充分です。 クリスマスも大晦日も混んでいた渋谷スクランブル交差点……こんな景色を撮るのでしょうかしら? それほどの人ではありませんでしたが、福袋を求めてこられるのでしょう……≪おまけ≫ 醤油団子……妙法寺門前には、13日・23日……3の付く日に運が良ければ団子屋の屋台が登場します。醤油辛いこの焼き団子が私は大好きです。写真は、昨年末23日に連れ合いが買ってきてくれたものです。確か6本頂戴した私でありました……残念ながら正月は来てくれないんですよね~ ということで、今年もじわじわと始まって行きます。 平和に穏やかに過ごせることだけを願います。
2019.01.03
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わずか「タ」と「チ」の違いで何十年も年をとる 三木 成夫(しげお)「よちよち」から「よたよた」へ。たった一音の響きの変化が数十年の時の経過を表すと、解剖学者は言う。人はやがて「よろよろ」になり、いつかは「よぼよぼ」「よれよれ」になりもしよう。人や物の姿や様子を音に転写するオノマトペ(擬態語・擬音語)は、ほんの一音ずらすだけで意味の大きな地滑りを引きおこす。まさに≪音で描かれた絵≫である。『内臓とこころ』から。 (朝日新聞・折々のことば1186・2018.8.2) すでに「よたよた」の私だけど、昨日は昼前から日本酒を飲んで、晩はハイボール……相当飲んだお蔭でけっこうな「よれよれ」だったかもしれない。仕事をしていた時代は「酔え酔え」と自分に言い聞かせて呑んでもまったく酔えなかったのに、いとも簡単に酔えるようになった。ストレスがないからだろうと思っているが、「あかんあかん!」少しはストレス作った方が良いかもしれないとも考えるわたし……模型の難題に取り組んでストレス増やそうかしらね。「やめといてな~」と、連れ合いに言われちゃいますね。 ジョナサンに行ったら「済みません、正月は全席禁煙です」と言われちゃいました。土日祝だけだと思っていたのに、三が日は禁煙だそうです。お客さん一人も居なかったのに……でもってドトールに行き「コロッケサンド」にしました。初めて食べた時は明らかにミスだったのでしょう「ソース付いてないじゃない」と思った私。リベンジしたらちゃんとソースの味がしたので、以後数回食べています。ソフトだから歯に優しいです。少量しか仕入れないのでしょう、11時には完売していますから、早めにゲットしましょう。 今日も青い(11時12分) 天気は良いけど、寒いからチビFokkerでもさわってみるとしましょうか?
2019.01.02
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明けまして おめでとうございます。 皆様方のご健康とご多幸、世界平和を祈ります。 良き1年でありますように…… 今日も晴天です。風もなく穏やかな元旦となりました。(8時20分) ここ数年、良い天気です…… ≪2017年元旦の空≫ ≪2018年元旦の空≫ ありがたい有難い…… 地元の氏神様にお参りしてきました。同じような時間に訪問しているのですが、今日はこんな感じ……並ばずに楽々でした。 去年はフルオープンだったお稲荷さん……今朝は閉まっていましたが、理由があるのでしょうかしら? 今年もお酒を飲める屋台は一軒もありませんでしたから、墓参りに寄って素直に帰って来た私です。帰宅時にはポストに年賀状が届いていました。郵便屋さん、早朝からご苦労様でした。 さてさて、お雑煮食べてお神酒 頂戴しましょう。 今年もご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申上げます。
2019.01.01
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