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2月20日……行善寺門前を出て左に進むと…… 境内北側にこんな路地……行かれるのかしら? 本堂裏側からよりも視野は狭いですし、雲が目立ってきましたが絶景です。 私にはけっこう危ない階段ですが、降りられます。 日々使われる方にはお気の毒です…… 二子玉川方面……ほとんど車はきませんでした。反対側の瀬田に向かっては途中から進入禁止の一通になるみたいなので、あまり使われないのか? 道路よりさらに低い所を通っている東急田園都市線にかかる歩道橋…… 1月24日に丸子川沿いを歩いた時の写真……「あれだったのね~」と、確認できました。 上り電車通過……ちょっとシャッター早かった~ 田園都市線はここから地下に入るんですね。 鉄道の上の公園……歩道橋を渡っても行かれるだろうとは思ったのですが、見えたので行ってみました。幅の狭い公園ですが、瀬田の交差点あたりまで続いているみたいです。 学生時代には二子玉川から先を使っていた私ですが、新玉川線として渋谷-二子玉川間の地下鉄が開通してからはほとんど縁がなかったので、かつての風景は知りません。 枝垂れ梅……まだまだきれいになるでしょう。 子供たちについて西へくだります……ストーカーではありません。 緩やかにカーブしながらトロトロくだります……「歩道橋 渡っちゃえばよかった」と、ちょっと後悔…… 直進できない246を迂回するのに曲がってからもまだ下り……逆光嫌い… 目指す坂の下まで到着……振り返るとこんな感じ……たいした坂じゃない… 瀬田アートトンネル……前回くぐったので知っています。 前回は、トンネルを出てこの手前で左折したけどこの日は直進です。 この道のワンブロック左を丸子川が流れています。前回、川にこだわらなければよかったと後悔しました。 見えてきました…… 玉川大師 玉真院……真言宗智山派のお寺で、弘法大師が祀られています。と、ここまではよくあるお寺のようですが……『この仏殿は、私たちのいのちの根源である巨大な”秘仏大日如来さま”の胎内を表す。本堂直下より境内の地下一円に及び、四国88か所 西国33番両霊場のお大師さま・観音さまを悉(ことごと…たぶん)くお迎えし、有縁の方々に結縁す。……竜海和尚心血を注いで昭和9年完成した本邦稀有の秘密マンダラ大殿堂なり……』(頂戴したパンフレットより) 連れ合いに紹介されて、この「地下霊場」を訪問してきた私です。感想から先に言ってしまいますが「怖い怖い……あぁ~怖かった~」 石段を上がって、本堂前でお線香を供えて本堂に上がると隅の方で7~8人の女性たちが説明を受けていました。その説明を耳にしながら、私は本堂内を見学…… ほとんどが私よりご高齢の方々でしたが、いざ地下に向かって出発。「灯りがないので壁に手を付けてゆっくり進んでください」「多少の上り下りがありますから、先の方は声を出して教えてあげてください」あるいは「前の方の肩に手を置いてお進みください」……なんて説明を受けたものだから、みなさん尻込みをして「お先にどうぞ」「いえいえ、あなたから……」なんて譲り合っている。 そんな姿を横目に、むき出しになっていて「嫌だな」と思った帳面(ただの紙を閉じただけ)に渋々記帳し、灯明料(100円)を納めます。私は男だからまだ良いけれど、住所・氏名がフルオープンでさらされているのはどうかしらね? 一応、私は最後に本堂に上がったので最後尾で出発……右手に手すりの備えられた地下に降りるまっすぐな階段を下りますが、途中でストップ。前を行く女性親子が階段を降り切ったところで、進路であろう右を向いて「怖い…私行かれない」と、立ち往生をしている。追い越したくともできない狭さ……「そんなに怖いんかいな?」と思いつつ、しばらく待ってやっと私もスタート…… 蛇足ながら本堂および霊場内は撮影禁止だったので、残念ながら写真はありません。 階段を下りて右を見たらすでにこの状態……真っ暗……「一寸先は闇」って言うけど、1㎜先も見えない。足元も天井も両壁も、何も見えない。ただ左右にある壁に添える手と、地面に付く足裏の感覚だけ。まったく光がないから目が慣れるなんてことは絶対にない世界は初めての体験。心眼など持ち合わせていないから怖いことこの上ないが、目の不自由な方の気持ちを思い知った私…… 前を行く親子の声がしていた間はよかったのだが、あきらめたのだろう、途端に声がしなくなった。見えないから前との距離感が全く分からない。下手をしてぶつかるとセクハラになりかねないから、超スローペースで進んだ次第です。 しばらく行くとこんな具合……かすかな灯り……でも、遠いのか近いのか距離感はまったくわからない中を進むと、観音様を祀った薄暗い洞窟に……そこを出るとまた真っ暗な迷路を壁だけを頼りに右や左に歩きます。(この画像は画面に対しての角度を変えると白っぽい個所がなくなりますが、実際もこんな雰囲気です) ちなみに「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と唱えながらが、ここでのお遍路の仕方だそうです。 薄暗い洞窟を二つほど経て、いよいよ霊場に到着します。広い洞窟のコの字型通路の左右にびっしりと並ぶ88か所のお大師様は圧巻です。と言ってもそれぞれ微妙に異なる表情を拝見するのが精一杯です。自分の数え年の番号の石仏をきちんと拝んでくるのが目的なのですが、台座に彫られた番号を読むのも一苦労。前にいた親子が娘さんの年の前で拝み、次に母親の番号を探すところでした。「お先にどうぞ…」と娘さんが言ってくれたのですが「どうぞどうぞ」とついて行く私。ラッキーにも母親の探す番号は私の一つ前だったので……娘さんが見つけてくれることを期待しちゃいました。とにかく暗いので苦労はしましたが、なんとか発見して私も無事に拝んできた次第です。 真っ暗な迷路を進み、最後にあるのが高さ2m20㎝、重さ約2tのミカゲ1枚石のご本尊・弘法大師さま……たぶん出口から入られてきたのでしょう、お寺の方が待っておられ説明をしていました。100円を置いて鐘を鳴らし、そこだけスペースがあったので皆さんを一気に追い越して退散しました。 石仏総数300尊体、深さ約5m、参道約100m、鉄筋コンクリート造りの奥の院……恐怖体験をされたい方は訪問されたらよろしいかと…… ちなみに、霊場への入り口にはスリッパが段ボールに詰め込まれていましたから借りられます。「水虫移るといやだな~」と、私は使いませんでしたが、足が冷えたのと、靴下が汚れちゃいました。スリッパ持参がいいかもしれません。入場前の説明では所要時間は20分ほどと伺いましたが、当日は30分かかりました。先頭を行けばよかったかも…… インド伝来 長寿の銅鑼(かね)……やっと明るい地上にでて一息つきました。本堂左にありましたが「一打100円」……なんでも100円の同寺です。 本堂右……こちらもなんとなくインド風かも……梅が咲いていました。以前お邪魔した善養蜜寺にも、そっくりな石像がおられました。 本堂右奥から下に降りられたので……境内右側には様々な石塔・石仏がありました。 手水舎と龍…… 観世音菩薩(右)……ぼけ封じ ですって……手を合わせてきた少々ぼけ気味の私… また仏様…… 線香は本堂で供えたので失礼しました。 六地蔵さま……最近、本当によくお目にかかります。 怖いけど強そう……庚申様かしら? 青面金剛かもしれませんね いたるところに浄財ポストがありました。 弘法大師様……巨大でした。 古い手水舎でしょう。龍の頭に柄杓を置いたのは私ではありません。 読みずらいけど撮っておきました。連れ合いなら読めるでしょう。 敬親玉川教会……玉川大師のとなりです。教会だったし、日蓮さんのご関係とは知らずに寄りませんでした……失敗… 慈眼寺坂下……「なんだなんだ ここだったんかいな~」 以前、身延山関東別院・瀬田玉川神社・慈眼寺を訪問した時に通った道です。あの時は玉川大師に気付かなかった私です。 次大夫堀……次大夫橋のところにありましたが、これも以前は気付きませんでした。坂上の寺社を防御するための堀だったのでしょうか? 二子玉川商店街……本当は、反対方向(北)に向かうつもりだったのですが、急に曇ってきたし寒くなったので予定変更…… 高島屋には縁も用事もない私です。「高いんだろうな~」と、横目で眺め……ちゃっかりバスで帰った私です。 最近は完走ならぬ完歩ができませんが、しょうがないです、歳だから…… ということで、瀬田を少し歩いてきた2月20日でした。 いよいよ明日から3月です。今年も1/6が終わってしまいます。日々大切にと思ってはいますが、なかなか難しい私です。さてさて、今日は何をしましょうかしら?
2019.02.28
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日々違うお通しを供してくれる「函館IZAKAYAながまる」さん…… いったいどれだけ引き出しをもっているのかしら? ヤリイカ……当たり前のようだけど、以前酢味噌で供されたときに「私、苦手なんだけど」と言ったのを覚えておいでです。それ以降酢味噌の時は別物が供されます。私だけでなく、みなさん嫌いなものがあるそうです。 鶏つくねと里芋……ショウガが利いています。おろし汁だけでなくみじん切りも少し入っていて食感も良かった。 うなぎ肝……お腹が空いていたので、撮る前に一口食べちゃいました。贅沢なお通し……主はウナギもさばけるそうです。関西に行ったときは「(開き方が違うので)困った~」と、おっしゃっていました。 ワラサと豆腐……上品な脂がのっていました。一かけらの柚子がありがたいです。 生たらこ……函館直送だと思います。切れ子を使っていますが、味に変わりはなく旨い……ご飯が欲しい~ 鶏つくね入りけんちん汁風……同じ鶏つくねでも食感を変えていたり、汁仕立てにしたり……おっと、つくねが隠れちゃいましたね。 豚肉の肉じゃが……どこにでもある献立ですが、上品でありながらしっかり味がある。豚も硬くならずにジューシーでした。 チャーシュー……「これ、お通し?」って量……他につまみ入りません。 巾着たまご……もちろん自家製……作り方を聞いてきたのでいつか作ろうかしら? うどんに乗せても美味しそう。 ネギトロ沢庵入り……私は沢庵の食感が好きです。 帆立の卵とじ風……チビだけどホタテからでた出汁を卵が吸ってベストマッチ……北海道は卵を使うことが多いそうです。 豆腐チーズ……なんともデザートみたいなお通しにはビックリ……でもハイボールによく合います。豆腐とクリームチーズをフードプロセッサーにでもかけたのでしょうが、ヘルシーかも…… ソースがワサビ醤油……ってところにも驚きですが、これがなんとも不思議旨い……私が味音痴なのか? 前回、茶碗蒸し2種を載せたのですが、面倒なので一挙公開……許諾はもらっていませんが、怒られないでしょう。お通しなので正式な名前はありません……私が勝手につけました……為念……さてさて、次回は何が出てくるのかな? 今日は、歯医者に行ったのでこんなのでおしまい。麻酔もしたけど、無視して今年初めての広東麺も食べられたからチョット幸せ……みなさんお元気で迎えてくださり感謝です。ごちそうさまでした。
2019.02.27
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2月20日…以前遠目で見たお寺を訪ねてみました。 1月24日、丸子川沿いのこんな道を歩いた時…… 右手の高台にお寺らしきを発見した私……でもって行ってみました。 法徳寺を後にして「瀬田貝塚跡」の石碑のある角を曲がると、左奥に…… 塀から乗り出している紅白の梅…… 紅 梅……もうすぐ満開でしょう。 行善寺門前……道路工事をなさっていたので、残念ながらこの角度からしか取れませんでした。 ……ということだそうです……書くのが面倒なので写真で済ませる私… 世田谷百景……展望にあこがれて将軍様も寄られたそうだけど、行善寺の雪景色も人気があったみたいです。 山 門……左のヒノキは「三つ又のヒノキ」と呼ばれ、有名みたいです。 観音堂……山門左にあります。如意輪観音様が祀られているそうな… 供養塔……成田山って書かれていましたが「宗派がちがうんじゃないのかしら?」と、私……深く考えないことにしていますが…… 観音堂外の左奥に……守っておられるのでしょう。 右奥にもいらっしゃいました…… 猫 塚……三味線に使われた猫を供養した塚だそうです。逆光苦手…… 木陰でお昼寝かしら? 三つ又ヒノキ…… 保存樹木ですが、とにかく背も高い高い……見上げているとクラクラします。 菩薩様だと思いますが、お姿が美しいので…… 少々逆光だけど回り込んで……手前の石の池にはお賽銭が… 獅子山西光院行善寺 本堂……本尊は阿弥陀如来みたいです。 本堂の扁額……浄土宗の寺院です。 かわいらしい鐘楼……突きやすいようにでしょうが、事務所側にありました。 本堂右に事務所でしか? 灰皿が置かれていたので一服……ありがとうございました。 行善寺八景……本堂左に発見しました。見過ごしていたらえらいこっちゃ~ 本堂脇を通って……この時点でワクワク… 本堂裏側……左のフェンスの向こうに…… 絶景かな絶景かな……見事な大パノラマ展望が待っていました。ほぼ西?北西?を中心にして、左右に150度ぐらいは見渡せるかと思います。快晴だったら富士山も確実に臨めるはずです。 ここでも逆光のため左方向は撮れませんでした。 今日の日記の2枚目の写真は、この場所を見上げたのだと再確認…… ただ、こんな高台の傍に「なぜ貝塚跡が?」の謎は深まるばかりです。遊覧の折に立ち寄った将軍様が、好きな江戸前のアサリを取り寄せ、絶景を眺めながら焼いて食べた殻……なんてことはありませんね。 行善寺八景を引き返すと……手入れの尽くされた境内 こんな石塔もありました……右のは二股の樹……やっぱりケヤキかしら? 青空一人きり……どこに行ってもそうです……連れ合いと一緒に歩きたいですがなかなかそうもいかない……写真を見て堪忍ね~ 後ろ姿と山門……『うしろすがたの しぐれてゆくか』(山頭火) 時雨(しぐれ)=秋の終わりから冬の初めに、降ったりやんだりする小雨 すべてを豪快に洗い流すような夏の雨ではなく、時雨のなかにじわじわと埋もれていく自分の後ろ姿を見つめるもう一人の自分。酒におぼれた日々の反省か? 人生の終焉を感じているのか? 寂しい言葉ですがなぜか好き……私もお酒控えなくちゃね~「時雨」と言えば「あさりのしぐれ煮」だが「牛肉のしぐれ煮」は論外の私……桑名の蛤を使った「時雨蛤」が元祖であり正統派だと思っている私……時雨の時期の蛤が最もおいしいとも信じている私……だって、和可奈(鮨屋)にも8月は煮蛤はないものね。さっと茹でて出し醤油に漬ける調理法が、降ってすぐにやむ時雨に似ているから、と言う説もあるけど貝は美味しいな~ ぼちぼち失礼しようと山門に向かいます…… 山門をくぐって左……モダンな建物ですが客殿と書かれていたのを目にしました。間違っていたらごめんなさい…… 写真の方向は南……二子玉川駅方面に下っていく行善寺坂の道です。 この後、玉川大師に向かった私ですが、先日「えぇ~行ってきたんですか~」と、連れ合いにパンフレットを見つけられちゃいました。そうなんですよ~ ちゃんと恐怖体験してきましたよ~ 続きはまた次回ですが……とんでもなく怖かったけど、写真無いしどないしまひょ~
2019.02.26
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2月20日……「二子玉川のお寺に行ってみてください」と、連れ合いに言われていた私……それじゃ~以前丸子川沿いから見上げたお寺に寄ってからにしようと出かけました。 以前見上げたお寺の場所を地図で確認したら、ごく近隣にも別の寺院があったので先にそちらへ寄ることに。駒沢通りで環8を越え、多摩美からこんな住宅街を西へ来たのですが…… 迷子の私……「この辺の一画にあるはずなのにな~」 キョロキョロ……ぐるぐる回るのだけれど見つからない……なんでやねん!!! 空中渡り廊下は寺ではないはずだと決め込んで、直進はしません。独り反省会で地図を見たら、インターナショナルスクールみたいです。 法徳寺山門……途方に暮れたころ出会いました。やれやれ……スマホを持っているのに、見ない、見られない私がおバカさんです。 山門前の石仏…… 馬頭観音……かしら? 山門をくぐります。お墓参りの方みたいでした。 左は枝垂れ桜でしょう。かなり寺社を訪問していますが、枝垂れ桜の樹、最近よく目にします。 福来山 法徳寺本堂……浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来とのことです。 本堂の扁額……福が来る……良いですね。 本堂の斜め前……後ろは墓地でした。 何かしら? と思いながらも手を合わせる私…… 筆 塚……逆光は苦手です……困るな~ 脇にありました……法徳寺、開基は地元の旧家・白井法徳さんという方みたいです。本名は重安さんだと…… 水子地蔵尊……お花がたくさん……ジュースもありました。 三千萬遍供養塔…… 三千萬遍供養塔脇のカエル……上手に正座しています。 ペットたちの供養墓かしら? ドナルドダックも…… 桜花浄苑……永代供養墓でしょう。比較しては失礼かもしれませんが、ペットとは明らかに大きさが違います。 江利チエミさんのお墓……命日(2月13日)前後に、健在だったころは高倉健さん毎年来られていたそうです……私も手を合わせてきました。「これでだったんですね~」と、連れ合いは合点がいくでしょう。先日、理由を言わずに彼女の名前を口にした私です。 テネシーワルツの音符……台座に刻まれていました。 私にとっての江利チエミさんは、歌手ではなくサザエさん……実写版サザエさんは、まさにはまり役でした。波乱にも満ちた短い生涯でしたが、明るくチャキチャキした姿は脳裏に残っています。 法徳寺の山門を出て右に行くと…… 行火坂……たぶん……下って突き当たった道が「行善寺坂」…左(南)へ下っていきます。次に私が目指すのは行善寺なので、この坂は下らずに右に行きました。下ってまた上るの嫌だものね~ 瀬田貝塚跡……行善寺へ向かう途中にありましたが「ほんまかいな?」とものすごく不思議に思う私。この地点は高台です。次にアップする「行善寺」の写真で、どれだけ高い所かはっきりします。ここが海だった? あるいは海岸に近かったとは…… ということで、今日はこれでおしまい…… 昨日はつまらない絵だったので連れ合いは少々ガッカリしていました。写真が多いのが好きみたいです。今日は25枚と少なめだけど、堪忍ね~ 昨日の散歩の写真整理と反省会もしないとならないからね~
2019.02.25
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昨年暮れ、パソコンを新調したついでに、連れ合いにもIpadをプレゼントしました。友達のように長いこと愛用していたminiよりも一回り?二回り?大きいサイズ……知らなかったのですが「手書きメモ」ができるペンがあるっていうので、便利そうだから一緒に買いました。 連れ合いが、ペン先で画面をタップしたりスクロールしたり器用に使っているのを見て、ハイボールを飲みながら遊んでみた次第です。 鉛筆で紙に書くときには「手刀」というのか「小指球(しょうしきゅう)」っていうのかを触れて書きますが、画面を汚したくないので手のひらを浮かせた状態でのデッサンは慣れが必要みたいです。たぶん直線や曲線、楕円や多角形など選択できるのかもしれませんが、分からないのでただメモ帳に下手くそなフリーハンド……それでも、結構面白いものですね。 急須と小さい魔法瓶……小さい魔法瓶を何て言うのか?すぐに思い浮かばない……情けなか~ イクラではありません。鮭を焼きほぐしたもので瓶詰め……加島屋かしら? 表で飲んできたのですが、物足りなかったので少しだハイボールを始めたら連れ合いが出してくれました。いつも感謝です。 Ipadはものすごく発色が奇麗になりました。不思議なのは脇にくっついているペン(Apple Pencil)……磁力で付いているのでしょうが、ペンへの充電はこの状態で行います。ペン自体は樹脂製で、通電するための金属の接点などないことをとても不思議に思っている私です。 パスワード代わりの「顔認証」……連れ合いにやってもらって私の顔も認証してくれます。「Hey Siri」って、たずねると答えてくれるのも面白いです。いずれにしてもIpadはほとんど使わない私ですが、またいつか酔っぱらった時にでも何か描いてみましょう。 昨日は予想外にハードな散歩だったので、今日はおとなしくしています。 天気はいいんだけどな~
2019.02.24
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2月10日……未訪問だった池上七福神三か所にとりあえず詣でた後、環8交差点で藤森稲荷の文字を見たので探してみました。 藤森稲荷神社……創建年代や由緒ははっきりしないみたいです。 一之鳥居……階段の中腹と上部にも朱色の鳥居がありました。 手水舎……残念ながら水はありませんでした。 作業中……初午祭2月14日(4日後)とあったので、お掃除中みたいでした。ご苦労様です。 石段を上ると……お狐様は新しそうでした。 こちらの屋根には、千木(ちぎ)ありません。 ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)……日本書紀ではこのように表記されるそうですが、古事記では宇迦之御魂神となっているようです、 少々小高いところにあるため、社殿左はスロープになっていました。車椅子の方もお参りに行かれます……もちろん押してもらってですが…… 私は石段を下りますが……まだまだ達者でいたいです。 初午祭の当日は混むのでしょうか? 石段は狭いので、並んでいるときに倒れたりしないことを願います。たぶんですが、お参りがすんだ方はスロープからお帰りになるのでしょう。一方通行にしないと大変そうです。 藤森稲荷神社脇の道……ゆるやかに上っています。なんとなく誘われてしまいます。 ぬめり坂……って言うそうです。 反対側(南向き)の文字がぼやけていたので、わかるように撮りましたが、なぜかずいぶん違います。 昔の鎌倉街道筋だそうです。『鵜の木に用水を渡ってうっそうとした樹下を登るなだらかな坂がある。なだらかな坂ではあるが、ぬめって上れなかった。付近の豪家に美しい娘があった。娘は人々の難渋を気の毒に思い、自ら望んでその坂に生埋めとなった。以来、その坂の通行は容易となり、大いに付近は繁盛したという』……と、『大森区史』に書かれているそうです。(大田区HPより) かわいそうな娘がいたものです…… 前方に何かが……生埋めとなった娘さんがいたと知っていたら上らなかったかもしれませんが、行っちゃいました。 庚申塔と道標……二股の分かれ道 ぬめり坂庚申塔……青面金剛かしら? 最近では、大森駅前の天祖神社の外でもお会いしましたっけ。こちらは三匹のサルも…… 道 標……「池上本門寺大森・矢口新田神社川崎」と読めます。お供えの徳利、気に入りました。 庚申塔に向かって右へ行くと、洗足池や旗の台方面にでられるみたいです。いくつか寺社も点在しているみたいなので、いつか迷子覚悟で歩いてみましょう。 環8を渡ってやってきました。 光明寺山門……山門左は立ち入り禁止、境内も右側は広く工事中のようだったので、どうしようか迷ったのですが、ちょっとだけお邪魔しました。 倶会一処……「くえいっしょ」なるのは見つかりましたが、難しい漢字は不得意な私です。倶会一処であれば「倶(とも)に一処に会(え)する」と言う意味らしいです。 六地蔵……最近よくお会いします。 上記それぞれ、山門をくぐって左側にならんでおられましたが、ご覧のように鉄板のフェンスで囲まれていました。寺を挙げての大改修中かもしれません。 法然上人かしら……お地蔵さんじゃないでしょう。パイプに囲まれて可哀そうでした。南無阿弥陀仏…… 本 堂……大金山宝幢院光明寺……浄土宗の寺院です。 たぶんですが、仕出し屋さんらしきが回収に来られていたみたいです。トラックと右の建物(阿弥陀堂)を一人で何往復もされていました。 旅立ちの法然さま……右手前……幼少にして父を失った折、出家して比叡山に向かうお姿でしょうか? 若いころ家出の経験がある私……出家と家出とではずいぶん違いますね。 本堂の扁額…… 阿弥陀堂……みたいです。ということは、阿弥陀如来様が祀られているのでしょう。 鐘 楼……本堂右側の塀の向こう側でした。後ろが墓地のようだったので立ち入らなかったのですが、八角堂と墳丘墓があったみたいです。 本堂の左……逆光は辛い…苦手……なので、法然さまの旅立ち姿も正面からは撮れませんでした。 本堂にお邪魔するときには、こちらからでしょう。 庫裏かしら?……地面には、枯葉一枚落ちていないほど、掃除がされていました。日々ご苦労様です。 手水舎……というより、墓地のお参り用みたいですね。 本堂左から……実は、池上周辺の七福神を拝見してから「どっちに歩こうか?」と、下調べで地図を見たときに「光明池」が目に入ったので西に向かってきた私です。光明池っていうぐらいなので光明寺にあるはずなのですが、どうも行かれない雰囲気だったのでこれで失礼した次第です。 わかりますかしら?……左の歩行者用信号の下…… 光明寺道標……があったんですね。嘉永4年(1851年)建立で、上部がちょっと折れているんですが、折れた部分は光明寺内に保管されているそうです。これ以上壊れないことを祈りましょう。 諦めたつもりではいたものの、どうも釈然としない私……光明池が見たくて環8の外側=多摩堤通りへ廻ってみました。駐車場付きのコメダ珈琲、初めてお目にかかりました。車たくさん停まっていましたが、タバコ吸えるのかしら? コメダ珈琲を過ぎて振り返ったところです……左側の錆汚れたフェンスの後ろに光明池があるはずですが、残念ながら完全に隠されていました。覗き見すらできなかっがです。なんでかな~ しょうがないので線路を渡ってみることに……東急多摩川線・鵜の木方面ですが、すでに駅がみえました。 下丸子駅方面……あの電波塔、また見えました。 下丸子商店会……本当は、反対方向の沼部から六郷用水跡を通って多摩川駅まで歩こうと家を出たのですが、光明池が見られなかったので戦意喪失の情けない私でした。 レインボーカラー……どこか別の商店会でも見た記憶があったけ~ 未だに思い出せません。 比較的おだやかな風だったので、じきに撮れました。 居酒屋 太郎……やっているのかしら? つぶれないで欲しいものです。 下丸子駅……ここから電車で帰りました。 東急のアニバーサリー車両……自由が丘で急行を待っていたら見られました。一生懸命に人々の顔をマスキングしたのですが、8割の方はマスクを着用しておいででした。目の部分だけマスキングすれが良かったかもしれませんね。 さてさて、今のところ今日もいい天気です……散歩に行こうかしら? 模型もさわらないとダメなんだけどな~
2019.02.23
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林試の森公園と羅漢寺川緑道とを割り込んでしまいましたが、2月10日…池上周辺の続きです。 微妙庵を後にして南の方角に……池上線のガードをくぐります。 寺らしき発見……ほぼ当てずっぽうで歩くので裏側… 角を曲がるとこんな道……そこそこ広さはあるのですが一方通行です。歩く私にはありがたいです。 端正なお寺みたいです…… 大乗山曹禅寺山門……曹洞宗の寺院です。 山門の扁額……私にも読めます。 本 堂……本堂石段右にある太い柱……室戸台風で流出した、京都三条大橋欄干の柱だそうです。なんでここにあるのかしら? 本堂の扁額……美しい… 石の庭……本堂右手にあります。水が流れていることもあるそうです。 庫裏か事務所か……本堂左手 奥が墓地のようですが、私はその手前を訪ねてきました。 おられました……よかったよかった…… 布袋尊……優しいお顔にりっぱなお腹…… 背後に張り紙『現在、馬頭観音堂の大黒様は養源寺に安置されております…』って……私は知っているものね~ 筆 塚……小さい地蔵さんは青い帽子です。 なにかしら??? とっても古そうでした。 布袋尊まえから見た境内…… 池上大乗霊堂……曹禅寺を失礼して裏にまわるとありました。 宗旨・宗派・国籍にこだわらずお迎えする個人霊堂として、曹禅寺が建立したそうです。行き場がないのは悲しいですからね… こんな道を西へ……東へ西への私……「東へ西へ」作詞・作曲・歌・井上陽水『昼寝をすれば夜中に 眠れないのはどういう訳だ 満月 空に満月 明日はいとしいあの娘に逢える……』 昼寝をすれば散歩に行けない 行けば眠れるはずだけど 裏道 どこにも裏道 今日も思わぬ寺社に逢える… 日蓮宗新聞社……ですって…… 電波塔発見……池上7丁目19 辺りから 全景が見えましたが、なんの塔なのかしら? スリムです。 第2京浜……渡ります。前方は上り方面…… 遊んでみました……地図によれば「東京電力パワーグリッド」ってなっていましたが、電力会社と電波塔? 理解に苦しむ私です。 西へ進みますが、何か匂います…… およよ……油揚げの匂い?……しません…… 御嶽神社……池上線御嶽山駅そばにある嶺御嶽神社の分霊社みたいです。 御嶽神社扁額……地元氏子さんたちの手作り感がなんともいいですね……町民の家内安全と商売繁盛、町の平和を祈念していることでしょう。 御祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)……とのことです。「くにのとこたち」とは、日本の国土(とこ、土台、大地)の出現を表すという説もあるそうです。どうぞ守ってくださいませ。 神社の屋根……角のように突き出したのを千木(ちぎ)と言うらしいけど、様になっています。一口に神社と言っても、屋根の種類はいくつもあるみたいで、千木のない社殿もあります。昔の建築で、内側から突き出した木材を切り落とさなかったことに由来するそうですが、雨漏れなんかがあるので、今は上から置いただけの工法が多いみたいです。 ちなみに、水平に取り付けられているのを堅魚木(かつおぎ)と呼ぶそうです。 例祭日は毎年9月17・18日ですって……土日に開催する寺社が多い中、曜日に関係なく日を固定するのは賛成ですが、お賽銭の集まりが違うでしょう。ちなみに、今年の例祭は火・水曜日ですね。 歩いた道がわかるようにこんな写真……この道は両面通行でしたね… 池上線 千鳥町駅……初めてきました。 千鳥町商栄会……線路の向こう側(東方面)が栄えているみたいです。まっすぐ行くと、徳持神社の裏門前につながる道みたいです。 環 8……田園調布方面の景色……長いこと開通が遅れていたのはこの辺りだったかしら? 藤森稲荷前交差点……「ってことはお稲荷さんがあるの?」と探した私ですが、残念ながら今日はここまでです。 昨日の日記で「書道に出かけた連れ合いは偉い……」って書いたら、間違いを指摘されました。昨日はお花で、今日が書道でした。体調を崩して休んでいた時期があったため、ツケが回ってきて集中しちゃったそうです。厳しい先生だから「宿題(練習)しとかなくちゃ……」と、昨晩も深夜まで練習していましたっけ……私にはまねのできないことです。毎日お疲れ様……
2019.02.22
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いつから貼り出されていたのか? さっき行った時、階段を上がったところに見つけました。 珈琲舎バンが閉店して以降、タバコの吸える平日はメインに使っていたジョナサンも先月店仕舞い……仕方なくそれから通っているこの店まで全時間・全席禁煙だって……喫煙は体に良くないのであろうが、個人の嗜好がどんどん制限されていくのは残念に思う愛煙家の私。いっそのことタバコの販売自体をやめてくれたらスッパリ諦めもつくんだけどな~ と、意志の弱い私です。 さてさて、また店を探さなくちゃね~ 若鶏のグリルランチ……699円(税別)ガスト なぜか今日も目覚めが悪くグズグズしていたので、ランチタイム・10:30になっちゃいました。洗濯をして、書道に出かけた連れ合いは偉い!!! 私だけ先に昼食を食べて申し訳ない……でもチャンと食べないとね~ ご飯が付いているのですが、私は「少なめ」……同一料金で大中小が選べるのだろうと思っていましたが、「大盛は+40円」「少なめは-20円」なんですって。レシートを見たら、ちゃんと22円(税込)引かれていました。 ちなみに、今日はアンケートに答えた「ドリンクバー100円券」を持って行ったので、お得感がありました。 やっと慣れたのに、困った困ったの私であります。今後私の行く先々が禁煙となってしまうのかもしれません。
2019.02.21
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2月18日……歯医者帰りの散歩… 林試の森公園・北門を出た私……歩いたことのない公園に沿って西に向かう道を行ってみることに… 左側の公園は高台になっています。 壁面にパイプの穴……地層にたまった水が流れ出てくるのかしら? いやいや、それにしては壁面に汚れが見られません。 羅漢寺川プロムナード……だって……知らなかった~ 水色で書かれてはいても川はないよ~ 目黒区みどりの散歩道……だって……複雑な交差路ですが、勿論初対面。 区のHPを見たら『身近な公園や、神社、お寺などを結んだ9コース』とありました。 [碑文谷・立会川コース] 西小山駅から小泉寺・円融寺・碑文谷八幡・すずめのお宿・サレジオ教会から碑文谷公園を経て、学芸大学駅まで歩くコース……「コースの総延長約3,400m、徒歩約70分」と紹介されていました。 ちゃんと寺社を詣で、すずめのお宿の古民家を拝見し、そうそう王家・張本家のお墓参りなんかもしたら70分じゃ無理でしょうね。どんな時間配分をしての計算なのか聞いてみたい私です。 羅漢寺川緑道……と書かれていた方向…… 進行方向左側には広い歩道がありましたが…… 私は細い道を行きます…… 左の歩道は高いところです…… 左に階段発見…… 階段を上ってみると…… 小山台公園……ですって……けっこう広い公園……品川区です。林試の森公園の飛び地みたいな場所ですが、まわりは住宅…… 公園は入り口だけで失礼して、羅漢寺川緑道と呼ばれる方へ行きます。 なぜか突き出たマンホール……いくら隅っこにあっても躓いちゃうよ~ すぐそばには普通のマンホールがあるのに……なんでやろ? 細い細い……全面コンクリートではないことを不思議に思う私…… 川があった風景を表現しているのでしょうか? しかし、このカーブの造作はお金かかりまっせ~ 歩いているこの道、左は品川区で右は目黒区……工事費は折半だったのでしょうね。 なんのための側溝なのか? 機会があったら聞いてみましょう。 野草咲く風景……春の予感…… 小山台2-1と目黒本町1-7辺り…… せっかくの緑道ですが、夜道は怖いですね。 やっぱり左は高台なのか? また壁に配水穴がありました。 表通り到着……幹線道路と分かるように、車が通過するのをまって撮る私……暇人です。ちなみに緑道はここで終点です。表通りの反対側に抜けていません。 緑道を出た場所が分かるように、電柱を入れて電波塔を撮っておきました。 何度も歩いている道なのに、この看板は今まで気づきませんでした。 碑文谷ベーカリー……この日はやってました…… シグマのアイスコーヒー……一度訪問したきりで、その後モーニングに行かなかったので寄ってみました。氷もコーヒーで作っておいででした。 まっすぐ帰ればいいものを、寄り道……「飲まず食わずだと、貧乏だと思われちゃいますよ」との連れ合いの言葉が身に染みている私です。 唐ヶ崎電波塔……久しぶりかも? 歩くたび、角を曲がっても目に入ります。 これでもか!!! と存在感をアピールする電波塔…… 車屋の上に建っているみたいに撮りたかったけど、むりですね~ おまけ 中央緑地公園の像……夕方、整形外科に行った帰りに通り抜けました。木の後ろにも唐ヶ崎電波塔がありました。 風と子供……っていう作品だそうです。 良い表情だったので、正面から顔を撮りたかったのですが、背景が悪かったのでこうしました。夕暮れ時であり良い写真ではありませんが、手をつなぎ空を見上げながら走る子供たちの表情を想像するのも良いでしょう。 この日、とどめの電波塔……というか月があったので……スーパームーン前日の白月でした。 さてさて、今日は何をしようかしら……
2019.02.20
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昨日は歯医者に行きました。先月抜歯した傷跡の具合を見るためだったのですが、別の個所で「歯茎がちょっと腫れている」って……レントゲンを撮って、とりあえずの処置をしてもらいました。少し前から自覚はあったのですが、ほぼ快方に近いと素人判断をしていたのですが、流石にプロ……ちゃんと発見して対処してくれることには感謝しています。 ただ、薬を投入したので「30分ほどは飲食ダメ」と言われてしまい、困った私です。治療など思ってもいなかったので「終わったら天山飯店で広東麺食べよ~」と、決めていたのに残念無念……近くでブラブラする手もあったのですが、30分経つと店の外に行列が出来ちゃうので悔しいけれど断念した次第です。せっかくお店の開店時間に合うよう歯医者の予約を取ったのに……後ろ髪ひかれる思いで退散…… モーニングも食べていなかったし、珍しくすっかりお腹は空いていた。どうしようか考えながら電車に乗ったけど、武蔵小山で途中下車して珈琲太郎へ…… 大盛りサラダ……太郎さんではコーヒーしか飲んだことの私。「嫌い」と言うほどではないが、普段から進んで食べない私には良いことでしょう。 ナポリタン……初めて頼んでみましたが、まず麺の細さにビックリ!!! ケチャップとソースが基本のスタンダード味ですが、たぶんウスターソースじゃないみたい……甘めの味付けでした。ケチを付けるつもりはさらさらありませんが、具が無い……親指の爪程のハム?2切れと、同量の玉ねぎ(多分)……コーヒーが付いて700円(税込み)だから仕方ないですね~ それにつけても「珈琲舎バン」のナポリタンが懐かしい……朝刊を少し読みながら「どっか歩いてくるか?」と考え、「河津桜を見に行こう」と思いつきました。 武蔵小山駅から裏道で「かむろ坂」の通りを越えたところ……「この辺からでも入れるだろう」とは以前から思っていたので行ってみました。 広い歩道もあるけど、前の人も車道を歩いていたので私も真似をして車道……車は全く来ません。 車道がなくなりましたし、なんとなく公園の匂い……左になにかあります… なぜか水車小屋……水は流れていないので停止状態… 水車門……林試の森公園にはいくつもの出入口がありますが、ここを使ったことのない私……良かった良かった。 水車門から入ると園内は冬の景色…… この公園は東西に700m、南北に250mと細長いです。外周の遠路をぐるっと一回りすると40分ほどで回れる広さです。私が入ってきた水車門は東西の中央にありますが、迷わず階段上りを選択……東に歩きます。 階段わきに咲いていました。名前はわかりませんが、不思議きれいな花です。 枯れ木の空…… 「青空、ひとりきり」(井上陽水)『楽しい事なら 何でもやりたい 笑える場所なら どこへでも行く 悲しい人とは 会いたくもない 涙の言葉で ぬれたくはない 青空 あの日の青空 ひとりきり……』 まさに、そんな心持ち…… 振り返ると……公園内も起伏があります…… 常緑樹の空……『……何かを大切にしていたいけど 体でもないし 心でもない きらめくような 想い出でもない ましてや我が身の明日でもない 浮雲 ぽっかり浮雲 ひとりきり……』 大切にしたいものがないことほど悲しいことはない…… 芝生広場……河津桜が咲いているはずだと、真っ先に向かってきたのに悲しい~ 一昨年はとっくに満開だったのに……(2017.2.12) 手前と奥の方の木はみんな河津桜ですが、まだ一分も咲いていなかった。 それでもやっと見つけた元気な二輪…… ところどころに開花直前まで膨らんだ蕾……頑張れ~ 広場奥の日当たりの良い場所まで行ってみたけどボチボチバラバラ…… ここだけ見ると「結構咲いてるじゃない?」と思われるでしょうが、まだまだ……今年は遅いです。2年前の2月は、1日から毎日のように屋外塗装をしていたみたいだから、暖かかったのかもしれません。 石 碑……林業研究発祥の地 坂口勝美書 とありました。 明治33年(1900年)6月に当時の農商務省林野整備局が「目黒試験苗園」としてスタートし、その後「林業試験場」に名称変更して林野庁の付属となり昭和53年まで使われた。筑波研究学園都市の建設に伴って、移転した跡地を整備し「目黒公園」の暫定開放期間を経て、平成元年6月1日に「都立林試の森公園」として生まれ変わり開園したそうです。目黒、品川の二つの区にまたがっているので、区立は無理だったのでしょう。 池と流れ……林試の森はかつて湿地だったそうですが、その姿を残すためか上池と下池、そしてその池を結ぶように小さな水路が設けられています。 せせらぎ橋……と呼ぶそうですが、水路の上にかかっています。 ペンギンもどきが三匹……ならんでいるのか? と思いきや…… ジャブジャブ池……って言うそうな……夏場はペンギンもどきの頭から水が噴き出してくるんだって。どうりでパイプみたいなノズルが付いていました。この辺りまで浅瀬ができるんでしょう。 もっと奥まで水路がありましたが、今は立ち入り禁止です。このクサリ危ないかもしれません。うっかりすると引っかかって転びます。 低学年までの子どもたちの水遊びだそうで、石で動物のデザインが描かれたりしていました。ペンギンもどきがいたところは「滝石」って言うそうな…… 遊べるのは7月7日から9月2日の10時~15時で、掃除の日(木曜日)・雨降りの日・気温が25℃以下の時だって。 ちなみに「水泳用でないオムツのお子様」は池の中で遊べません……って書いてあったけど、水泳用オムツなんてあるんだね~ 森の広場……見つかりませんでしたが、梅を探してさまよい公園の西の方に来ました。この他にも「(ただの)大きな広場」とか「プラタナスの広場」なんていう広場が点在しています。プラタナスではゲートボールみたいなのを高齢の方たちが楽しんでおられました。グラウンドゴルフだったのかもしれません……悪しからず。 管理施設……この公園はありがたいです。園内でタバコの吸える場所があるんです。来年になったらダメになっちゃうんでしょうね~ 林試の森公園の松ぼっくり……管理施設の資料室に展示してありました。 みんな「松ぼっくり」ですが、こんなにたくさんの種類の松の木が園内にあるようです。 フランスカイガンショウ(仏蘭西海岸松)……とにかくでかい!!! こんな巨大なの見たことありません。歩いているときに落ちてきたら危ないかも…… 北 門……複数の門があるのですが、ここから失礼しました。 北門を入って左への通路は、左右が石垣になっているスロープで上っています。ブラタモリ風に考えると、少々高台になっていた土地を削って通路を作った、と言うことでしょう。車椅子も入園できますので、良い設計です。 方や、門を入って右へは階段になっています。この距離でスロープにするには少々しんどい……結構な傾斜ですが、この石段なら大丈夫な方も多いでしょう。 残念ながら河津桜はまだまだでしたが、晴天の下で少し歩けたから良かったです。 おまけ ノンアルだったこともあり、昨晩はなかなか寝付けなかった私……おかげで今朝はモーニングに出かける時間にもグズグズ……義母がなくした書類の再発行を依頼しに出かけた連れ合いとは心意気の違う私。 それでも何か食べなくちゃ、とガストのランチに行ってみました。サラリーマン時代に2度ほど同店に入ったことがありますが、あまり良い印象はなかったのですが……今日頼んでみた「若鶏の熟成醤油もろみ焼き」は私向きでした。メニューの写真通りで付け合わせの野菜がこれだけなのもGoodです。ご飯は少なめってお願いしたのに普通に出てきました。大盛も同一料金みたいですが、すごい量なのにみなさん結構頼まれていました。ちなみに、この鶏料理はハイボールや生ビールが欲しくなります。飲んじゃおうか? 喉が呼んでいましたが我慢させたお昼でありました。
2019.02.19
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2月10日……前回池上梅園近くの嚴定院を訪問した際、弁財天にお目にかかった。池上七福神の内、未訪問だった「馬頭観音堂・大黒天」「微妙庵・毘沙門天」と「曹禅寺・布袋尊」を訪ねてみることに…… 未訪問だった3か所は池上本門寺総門からは少しだけ外れ……南西方面だったので、とりあえず今回は呑川沿いをひた歩き第二京浜を越えたところで南に下った私……でもって、住宅街を歩いていたらいきなりこんな景色……木が邪魔していました。 少し進むと、およよ…良い歩道…… ますます良いね~ 小泉次太夫物語 用水工事……だって。 水利土木技術を代々受け継ぐ家に生まれた小泉次太夫……徳川家康の家臣として江戸に入り多摩川の治水奉行に任命される。幾たびも氾濫する多摩川で荒廃していた村を救うため、農業水路の開削と新田開発に尽力したそう。 時は変わっても、毎年繰り返される水害……昔とはけた違いに力を発揮する重機もある現在だけど、残念ながら本気で考え、取り組む人は見えてきません。 変則交差路の真ん中になにやらあった…… 題目塔……ポツンと独り…「ポツンと一人きり」 (歌:ビートたけし 作詞:島エリナ 作曲:田中真美)『雨降る朝は ベッドにもぐり 作り話に 二人おぼれた 悲しいほどに 嘘つきだった 淋しがりやの 似た者同士 …… …… なぜ わざと愛に 目をそらすのだろう 今 思い出抱き ポツンと一人きり なぜ 優しさだけ 想い出すのだろう 今 風吹く街 ポツンと一人きり』 なぜだかビートたけしのCDもIpodに入っている私…… 南無妙法蓮華経…… 昔は用水があったのかもしれません。多摩川駅から沼部・鵜の木方面に今でも所々顔を出している六郷用水の続きかもしれないね~ 水 仙……咲いていました。『水仙や 寒き都の ここかしこ』(与謝蕪村) 多年草だから時期が来ると自然と顔を出す花ですが、アスファルトで覆いつくされた今とは違い古くはにぎやかだったでしょう。こんな歌を書く私も古いです…… 柑橘類……誰にも取られないみたいだから、酸っぱいのかもしれない。 歩道は日陰なので少し寒かった……車は来ないので車道を歩きます。右の建物は池上警察署……おかげさまで「あっしには関りはありません」……「喧嘩しないでくださいね…」と、日々連れ合いから言われていますので、肝に銘じています。烏賊の肝はおいしいです。 警察の裏通りを右折すると……小さくて分からないでしょうが、猫があるいてた。人の気配に敏感なのか? ちょこちょこ私を振り返りながら去って行った。猫好きではないけど、嫌われてはいないと思っている私……『雪でした あなたのあとを なんとなく ついて行きたかった……』 作詞・作曲:吉田拓郎で歌っていた「猫」さんたちはどうしているのかしら?『ねえ君 なに話してるの だからさ ききとれないよ……』「地下鉄にのって」もなつかしい……詩はやっぱり岡本おさみさんだったかしら? 同名の小説は浅田次郎さんだったかしら?……やっぱり古い私…… あった、あった…… 池上七福神……くたびれた看板だけど… 今にも壊れそうな門扉は閉ざされていた……くやしか~ 馬頭観音堂……『現在、馬頭観音堂の改修工事のため、大黒様は養源寺でお預かりして、恵比寿様と並んで安置されていおります』と張り紙がしてありました。「でも遠いよな~ ここからじゃ読めないじゃないの」と私…… 荒れた庭には石碑があったけど、入れないので由緒由来は不明…… しょうがないから石段を下りる私……ちょっとがっかり… 気を取り直して毘沙門天を求めて南下すると、遠くからでも呼ばれちゃったので近づく私……暇人の証です。肥満児ではありません。 正面に立ったら「ひょっとして裏口?」…… 狛犬は立派……苔をまとった姿から年季が感じられます。左右共に角のない獅子像でした。 徳持神社社殿……回り込んだらありました。創建は建長年間(1249~1255年)、豊前(現在の大分県)の宇佐神宮よりご分霊を勧請したそうです。その後「池上競馬場建設(4年足らずで廃止)」のために遷座したり、さまざまあっても現在立派に存続しています。徳持神社のHPに「八幡神社(久が原西部八幡)」「八幡神社(久が原東部八幡)」「諏訪神社(大田区多摩川)」「東八幡神社(大田区矢口)」「十寄神社(大田区矢口)」が、兼務社として案内されていました。 御祭神は、誉田別之命(ほんだわけのみこと)十五代高応神天皇とのこと。誉田別之命は八幡様として信仰されるそうだから、よく伺います。源氏一族をはじめ武人の神様でもあるんですって…… 神楽殿……まか不思議……たぶん社務所であろう建物から突き出していました。 社殿に向かって右側……境内社の鳥居と左に手水舎 手水舎……ここまでしっかり囲みのある手水舎は初めて…… と思っていたら、この大きな大きな手水石にも初めてお目にかかりました。 徳持田中稲荷神社……つらなる朱色の鳥居をくぐります。 昭和41年に徳持神社社殿とともに再建されたそうです。裏手には、明治初期に植えられた夫婦ケヤキがあるとのこと……裏口から見えたかも…… 立派なお稲荷様でした。 お稲荷様の使いである狐はどこかスリムでした。写真は向かって右の狐ですが、神様のご神徳を象徴する芳珠(ほうじゅ)をくわえています。ちなみに左の狐は、巻物のようなものをくわえていましたが、知恵の象徴なんですって。 神輿蔵……でしょうね~ たぶん、おそらくこれまた立派な神輿が収められていることでしょう。こちらの神社は、近隣の方とおぼしき人々の参拝が後を絶ちませんでした。地元の氏神の姿を見たようなきがします。 空はこんな具合……足取りは重くても心は軽やか……お腹はちょっと空いた… 正面参道脇の狛犬も無角でした。 私の後ろは池上通りだったんですね~ 道路まで出ないと写真に納まらない大鳥居でした。境内の清浄を守る注連縄(しめなわ)も、しっかり張られていました。 拝殿では、なにか神事が執り行われていたようなので、静かに静かに失礼してきた私であります。 毘沙門天様にやってきました……池上三丁目37……徳持神社と同一区画にありました……小さなお寺なので見過ごしそうですが、幟が目に入ります。 微妙庵……お寺だとおもうのですが、扁額も「毘沙門天」……幟も「海中出現毘沙門」の一色……ちなみに「びみょう」ではなく「みみょう」とお読みするみたいです。 毘沙門天様……安永2年(1773年)9月、江戸に向かう舟にて品川の海を渡っていた小原甚助(15歳)は、海中に光り輝く仏像を見つけそれを拾い上げる。そのまま家主の物置に入れて数日、主人の木原市之助が突然高熱で倒れることから始まるらしいっす。それ以降、丁寧に祀ってきたのでしょうが、昭和20年の空襲からも毘沙門天は難を逃れたそうです。ご加護なのでしょうと信じる私です。信じる者は救われる…… お供えのワンカップ・大関……親しみがあります。おいしいです…… 本堂左に祀られています……(左)地蔵様……(右)馬頭観音様で「イボとり観音」とされていました。妙見堂におられたのは、いぼとり地蔵様でしたっけ…… 供養塔……と彫られていますが、詳細不明です……ごめんなさい… 初寅祈祷会……2月10日と書かれていることに、今気付きました。開始は午後2時だったようですが、私が訪問した時(13時16分)には行列などありませんから無視してしまいました。「いやぁ~まいったな~」気付いていたら参加させていただいたのに……残念残念…… 元来、毘沙門天の縁日が寅の日なので、一年で最初の寅の日に毘沙門天に参拝すると福徳をいただけると伝えられる、と独り反省会で学びました。御祈祷会には参加しませんでしたが、当日拝めたことはよかったのでしょう。家族の健康と世界平和しか祈らないので、きっと叶えてくださることでしょう。 残る七福神・布袋さんは後日となりますが、連れ合いが淋しがるのでとりあえず今日はちゃんと絵の多い日記にしました。 毎日ありがとね~
2019.02.18
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日々違うお通しが供される「函館IZAKAYAながまる」さん…… 考えるの大変でしょうね~ 節分の日のお通し……一口サイズの恵方巻はありがたいです。 そもそも関西で仕事をさせられたときに初めて知った恵方巻……東京でもこんなに流行るとは思いもしませんでした。巻き寿司1本丸かじりのようなので最初は細巻きだったと聞いたことがあります。そのうちに太巻きになっていったのは、海苔業界の画策(言葉が悪いから戦略にしましょうか?)だとの説もありましたっけ。まぁ関東では馴染みのなかった文化だから、この日 寄らなければ口にしなかった私です。 当日の店の白板には刺身の品書きがごくわずかでした……「(刺身)使いすぎちゃった…」と、店主が言っていましたが手作りです。握り寿司もやれるし、フグの調理師免許もお持ちのようです。刺身の切り口を見ると年季がわかります。 茶碗蒸しのお通しは幾度も頂戴したのですが、驚くべきは作るたびにメインの具材を変えていること。この日は餡かけというかソースがかかった茶碗蒸しでした。チーズを使ったクリームソースでありました。 そうそう、柚子がちゃんと乗っているんですが、洋風ソースにも不思議とマッチしていたのには驚きました。日々勉強をされているのでしょう…… 余談ですが、今朝は久しぶりにドトール珈琲農園に行った私…… やってきたウェイターさんに「グラタンとブレンド」と言ったら、「グラタンは売り切れました」「トーストも売り切れです」だって…… 8時40分だというのに、モーニングメニュー5品中の2品が売り切れとはどういうことか? と少々立腹の私。店内はガラガラだったし、開店時間から1時間10分で売り切れはないだろう……モーニングタイムは11時までなのに、こんな時間から売り切れはどう考えてもおかしい…… 私はいつも「3種チーズのあつあつたまごグラタン」にしていますが、あるとき「チーズが1種類ないのでできません」と言われたことがあった。「2種類でいいから作って」と頼んだらやってはくれたのだが、今日もチーズやパンがなかったんだろう。店の発注ミスか、納入業者のミスのどちらかで材料がそろわなかったのが事実だろうと推測するが、それを「売り切れました」と表現することに違和感を覚えた私でありました。 今日は天気が良いので、気分転換に掃除をした私。 放り出してしまったPfalzの面倒を見てみようかしら?
2019.02.17
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LANCIA STRATOS HF '1977 ハセガワ 1/24 模型を作り始めた翌年2013年に買ったもの…… 1・2月は寒いから「屋外塗装はむりだよね」と特に車は避けていたのですが、ちっとも進まないのだからボチボチ切っているうちに暖かくなるだろう……ということで開けてみました。 ボディー周りのパーツを切って、目立つ個所にサンドペーパー……よくよく考えたらサンドペーパーなんて4か月ぶり……なんという体たらく! なかなか良さげなフォルム……窓のクリアーパーツは合いそう。フロント上部のスリットが全くバラバラ不完全だったので、とりあえず少しだけカッター処理。 リアのオーバーフェンダー…でかい!!! 一発で定位置にがっちり着けられるか? 接着後に内側を少しだけ削る必要があるかも…… リアの跳ね上がったエアロパーツ……このパーツも接着しづらいだろうけど、なにより隙間ができちゃう。できても良いのかしら? せっかく空気の流れを制御しているんだから、隙間から逃がしちゃだめだと思うんだけどな~ 大いなる疑問……こんな所にスリットあるの? 私の常識では不自然でおかしい……パテ埋めして削っちゃおうかしら? このデカール、まったく自信がありません。緑と赤、塗装で塗り分けた方が確実そうですが、一か所だけ文字がかぶっているデカールと色がそろわないでしょう。なんてったって色調合は下手な私ですから…… そうそう、フロント上部のスリット部分もベタ貼りみたいです。どうなっちゃうのかしら? 貼ってから、ちまちまカットするのかしら? 想像するだけで寒気がしますが、とりあえず少しずつ切り出してみることにします。パーツ結構あるので時間がかかることでしょうが、1日30分でも取り組んでみましょう。なにかに躓いたらすぐ止めちゃうつもりで……
2019.02.16
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2月4日……池上梅園の梅を見ていから、寺社をウロウロしてたどり着きました。この日の最終目的地です。 蘇峰公園……徳富蘇峰(そほう)の居住跡(山王草堂)を公園にしたところです。 以前、大森を歩いた時の独り反省会で存在を知りました。徳富蘇峰氏のことは名前すら知らなかった私ですが、「知ってみよう」と行ってみた次第です。 居住跡とのことですが、とっても広いです。庭園は植え込み、梅林や池などがあり落ち着いた雰囲気です。イチョウ、松、クヌギ、アジサイやカタルパなんて樹木や花が見られるそうですから、四季折々楽しめることでしょう。当日も、庭園整備の方々が働いておられました……ご苦労様です。 廿三夜(にじゅうさんや)碑……陰暦八月二十三日の夜、月待をすれば願いごとがかなえられるという二十三夜待ち信仰に由来するそうです。はっきりとは見えませんが、上部に信仰のシンボル=日輪と月輪が彫られているみたいです。 徳富蘇峰銅像……『明治から昭和期にかけて活躍したジャーナリスト、評論家。「国民之友」を主宰・創刊し、1890年に「国民新聞ん」を発刊。当初は平民主義を主張したが、後に皇室中心の国家主義思想家として活動。作家の徳富蘆花は実弟。』(2006-07-15 朝日新聞 夕刊 文化芸能1 より) 蘇峰氏は知らなかったけれど、作家・徳富蘆花(ろか)は私もコピット知っています。蘆花氏は、兄とともに雑誌を発行した「民友社」の記者から作家になったんですね。兄弟そろって秀才だったのでしょう。 山王草堂記念館……月曜日なのに開いていました。入園無料もありがたいです。 昭和61年(1986年)に静岡新聞社から大田区が蘇峰の旧居を譲り受け、昭和63年(1988年)4月に開館したそうです。 蘇峰により山王草堂と名付けられた旧居の一部が拝見できます。 与謝野晶子夫妻や勝海舟などゆかりのある人々から寄せられた書簡が多数展示されていました。管理者の方が丁寧に説明してくれたのですが、私には存じ上げない方も多く恐縮至極でした。「よくご存じなんですね」と言うと、「学芸員から教えてもらいました」とおっしゃっていましたが、勉強しないとすらすらでてきません。学芸員による説明会も時にはあるみたいです。これこそ予備知識なくしては参加できませんね。 斎藤茂吉……私も知っています。 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり (赤光・しゃっこう) 16歳のころ出会いましたっけ……「垂乳根」垂れた乳ではなく、満ち足りた乳=若い母と使われた歌は少ないみたいです。 ちなみに「蓮華寺小吟」とあるのは「近江番場八葉山蓮華寺小吟」の原稿でしょう。与謝野晶子も親近感がありましたが、文字が小さかったので撮りませんでした。自筆を拝見できただけで、ただ幸せです。 蘇峰と勝海舟のコーナー……「老龍庵」は勝海舟自筆とのこと 徳富蘇峰……昭和9年(1934年)成簣堂文庫(せいきどうぶんこ)内での写真だそうです。1863年生~1957年没……長生きされました。 蘇峰自筆の扁額「和神養素」と屏風……「和神養素」とは、精神をやわらげて平素から学芸を養っておく、という意味らしいです。日頃の鍛錬なくして緊急時には役に立ちませんものね。 書 斎……山王草堂2階にあった書斎を再現したようです。代表作とされる『近世日本国民史』は、大正7年(1918年)56歳のときに着手し、昭和27年(1952年)90歳にして完結。全100巻のうち半分以上を大森山王時代に書いたそうです。 ちなみに蘇峰は大正13年(1924年)この地に移り住み、昭和18年(1943年)熱海伊豆山に移るまで山王草堂に暮らしたそうです。 カタルパの樹……アメリカ原産の落陽樹で、6月には香りのよい白いベル状の花をつけ、秋にはサヤエンドウのような実をつけるって……国内では全国的にみても珍しい木のようです。覚えていたら白い花を見たいですね。 同志社英学校(現同志社大)時代の恩師・新島襄氏が、アメリカから持ち帰った種を蘇峰に贈ったと伝えられているそうです。 もみじ池……って言うそうです。紅葉が映った池はきれいでしょう。 梅一輪……わずかにほころびだしていました。 ランシンボク・欄心木(和名)……昭和15年、中国山東省にある「孔子廟」からもたらされた苗木を、正装した蘇峰自らが移植したとのこと。蘇峰氏は、毎朝草堂の一木一草に挨拶をかわすほどの人物だったと……良い人だ……だから様々な方が贈ってくださるんですね。 記念館の裏側の木戸……たぶん、実際に使われていたのでしょう。 成簣堂文庫跡……木戸の傍に記されていましたから、成簣堂文庫はここにあったのでしょう。文庫には収集した10万冊におよぶ和漢書が保管されていたそうです。 静嘉堂文庫も先日知ったばかりですが、似たような名前にちょっと困惑する私です。 なぜか馬頭観世音……いくつかの石仏も目につきました。 休憩所があったのでベンチで一休みしました。ここまで立ちっぱなしだったものね~ 池の向こうに記念館……一休みしながらパチリ……わかるように園内は起伏があります。 天気はこんな具合でした……気持ち良いのでのんびりしたかったけれど、いつまでも座っているわけにはいきません。 徳富蘇峰の胸像があった台座……戦時中に供出してしまったと……戦争はいけません!!! 布袋さんかしら……笑顔に惹かれました。園内の各種石造物は、二男・萬熊氏が収集したと言われているようです。 井戸でしょうか?……脇の梅がさいたらもっと絵になります。 カタルパ……札が立っていますがまだまだ子供です。「カタルパの小径 開通記念樹・平成25年6月」とあります。裏の入り口・階段が出来た時なのでしょう。 そしてカタルパの小径を園外へ…… 大森駅から訪れる方には、こちらの入園通路はありがたいでしょう。 こんな入り口ですよ~ うっかりすると通り過ぎるかも? さてさて、蘇峰公園カタルパの小径を出て右に…… 尾崎士郎記念館……あっという間に到着です。昭和29年に建てられた居宅のうち、書斎、客間と書庫を再現したそうです。 門の前にちゃんとありました…… ということで、建物内には入れませんでした。 外からはOKみたいなので、木戸をくぐって…… 庭に行ってみました…… みなさん石が好きなんですね~ 鉄砲の稽古をしたケヤキの木……相撲好きで有名だったそうで、昭和7年(1932年)大森相撲協会を結成して文士仲間と相撲をとり、戦後は横審の委員も務めたそうです。しばしばふんどし姿で鉄砲の稽古をしたって…… 書斎でしょうか? 『エネルギッシュな執筆活動を伝えるために、特に机周りの雑然として雰囲気を活かした展示を行っている』らしいですが、整理整頓されているじゃない? お酒も好きだったようです。お猪口や徳利は実際に使われた物でしょう。 尾崎士郎が癌で危ないらしいと耳にした文士仲間の川口松太郎が送った色紙……尾崎士郎の臨終まで枕頭の床の間に飾られていたと…… 書庫でしょう……川端康成、吉川英治、谷崎潤一郎などの本が目に入りました。「人生劇場」文学碑……昭和8年(1933年)に都新聞に連載され、昭和10年に挿絵を担当した中川一政の斡旋で出版……しかし人気がなかった折に川端康成が絶賛すると一変して一躍有名になり、様々なシリーズが刊行されたそうです。川端康成様様ですが、認め合えた仲間たちなのでしょう。 藤 棚……陽も陰りだしたのでベンチには腰掛けず退散です。 ジャーマン通り……幹線道路はこう呼ぶみたいです。云われは不明です…… ということで池上梅園を見学してから、けっこうウロウロした私でありました。よせばいいのに写真を取り過ぎたのでアップが面倒でしたが、懲りずにこれからも続けることでしょう……
2019.02.15
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「レシピ」……なんてタイトルだけど、秘訣は知りません。 やべさん作・ハンバーグ……子どもの頃から母がよく作ってくれた味に限りなく近いです。デミグラスソースなんて洒落たのではなく、ケチャップとソースだから同じようになるのでしょう。肉の大きさとかふんわり具合もそっくりで、美味しいです。毎日用意があるわけではないので、暖簾をくぐった時、白板に書かれていたらラッキー……角切りチーズを入れたのも食べましたが、最近はスタンダードなのが主流です。まぁ、私は別途6Pチーズをもらうからいいのですが…… 私は好きなのでマヨネーズをもらってかけますが、そもそもはかかっていません……為念……「かけ過ぎちゃうの~」って、誰かに言われそうです。 お通しのポテトサラダ……おでん屋さんだけあって芋は常時下茹でしてあるので、ポテトサラダは作りやすいのでしょう。メニューに載る日もしばしばありますが、この日はお通しでした。従って、ハンバーグができるのを待って皿の脇に乗せた私です。 店主には申し訳ないのですが(こんなことでは怒らない店主です)、連れ合いのポテトサラダの方が私は美味しいと思っています。芋を茹でるときにコンソメを使うそうです。アマチュアのレシピになっちゃいましたが、いつも色々工夫をしてくれているようでありがたいです。 そうそう、古い知り合いのMさんが言ってましたよ……「干し数の子の戻し方は、連れ合いの方が上手だった」と…… もう数年来ハンバーグを作らなくなった母……それ以外もなかなか自分でやらないのが習慣となってしまいました。長唄も三味線も辞めてからめっきり衰えが目立ちます。庭の草いじりは相変わらずですが、寒いのでこのところは控えめです。早く温かくなって欲しいと思いますが、私とて同じでした。ブツブツ日記は書かなくなっちゃったし、模型も遠ざかり気味……老いが加速しそうです。「何を作ろうか」なんて考えてばかりいないで、さっさと手を付けてみるべきなんでしょう。「途中で断念することも良し」と最初から決めておけばいいのだから……押し入れ覘いてくるとしましょうかしら……
2019.02.14
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2月4日……池上梅園から寺社をブラブラ…… 太田神社から山王1丁目を目指し北東へ…… 蓬莱坂……進行方向左・北西に向かって上っています。しかし、このような坂の名を記した柱が立っていると嬉しいです。 中央6丁目・5丁目あたりはどこも北西に上っているみたいです。サイドブレーキを引いて、ちゃんとパーキングに入れておかないと車は危ないです。 いきなり左手にこんな景色……手前は保育園でした。 あそこまで登ったら景色はよさそう……でも、他に人がいなかったら物騒かもしれません……誰も上っていきませんでした。 佐伯山緑地……だそうです。まったく知りませんでした。 行ってはみたかったのですが、時間の関係でこの日は断念……実は足もそこそこ嫌がっていました。いつも風任せ足任せの私です。 緑地内には子供向けの遊具ななく、遊歩道とベンチぐらいらしいですが見晴台からの眺めはよいでしょう。たぶん、東から南にかけて一望できるかと推察します。ちなみに、夜は門が施錠されるみたいです。 とにかく気持ちの良い日でした。 緑地の北東側の結構広い敷地は工事中でした。旧佐伯栄用学校の跡地らしいですが、マンション計画が公園の拡張に変更されたみたいです。たぶん、こちらの裏側からも上って行かれる階段でも作るのでしょう。 私の好きなこんな裏の細道を行きました。 細道を抜けると看板発見…… 龍子記念館……看板が出ていたところにあるのか?と思いきや、前の写真で私の右でした。 龍子とは、ご存じ近代日本画の巨匠・川端龍子(1885~1966年)……文化勲章受章と喜寿とを祈念して1963年に設立されました。当初から運営を行ってきた社団法人青龍社の解散にともなって、1991年から大田区が事業を引き継いだそうですが、大田区の予算確保も大変でしょう。大正初期から戦後にかけての約140点あまりの龍子作品が所蔵してあるそうです。 嫌な雰囲気……入り口とおぼしきところは閉まっていました。 月曜日休み……是非是非、拝見したかったのですが残念でした。年中無休の寺社に慣れっこな私ですが、こういう場所は月曜日は要注意でした。ちなみに、65歳以上は池上梅園同様に入園無料のようですが、こちらは[要証明]とあります。しっかりしていますね~ 2月24日(日)は、天皇陛下御在位30年を記念して入館無料みたいです。きっと混むでしょうから私は遠慮します。 ずいぶん奥までつながっているみたい……立派な記念館ですが、まぁ140点も所蔵しているなら当然かもしれません。 龍子公園……記念館の正面にあります。 旧宅とアトリエが保存されているみたいです。 残念ながらこちらもお休みでした……ショックショック!! 拝見したかったな~ 見たことのある看板が門前にありました。 馬込文士村 散策の道……「こんな方にもあるんだ」と…… 川端龍子……昭和期の作品が好きです。平面でありながら奥行きと、風がなびくさまの感じられる画風は圧巻。金閣炎上は力強さだけでなく不思議な魅力があります。横山大観と同じような時代を生きたのですが、お互いをどう思っていたのかしら? 興味があります。「大観VS龍子展」なんてのやらないかしら…… 龍子記念館・公園に入れないまま、後ろ髪をひかれるようにこんな道を、とりあえず環7に出るよう歩きました。 環7に出ると、以前大森をウロウロしたときに初めて目にした「山本有三」「片山広子」のプレートが道路の向こう側に見えました。散策の道っていうのは、あの道だけではないみたいだと知った日でした。 ポルシェ911カレラ……模型だったら作りやすいでしょう。 軍手も山積みになっていたので、作業着のお店かしら? 値札は安いみたいです。 ワークショップ……働く方の衣類などを扱っているのでしょうが、作業着なら丈夫な素材で作られているから長持ちするでしょう。ニッカポッカでもはいて屋外塗装をしてみましょうか? 職人になった気がするかもしれません。 やきとり みや……環7 馬込銀座交差点手前で看板が呼んでいます。KIRINがいいですね~ サッポロも好きですがアサヒでないのがなによりな私です。陽は高いからまだ寄りませんけどね~ でもって、焼鳥には似合わないこのランチの袖看板……ワンコインのフワトロ・オムライスには引き付けられましたが、すっかりランチタイムは終了している時間でした。「いつも何にも食べないし飲まないし、本当に貧乏に思われちゃいますよ…」と、いつか連れ合いが言っていました。散歩途中でお腹が満ちると、帰るのが面倒になりそうなので基本的に寄り道をしない私です。味もわかっている地元の店が安心ですし…… 馬込銀座交差点から山王一丁目に入りました。 山王商店会……幹線道路の1本裏側です。 山王かまぼこ……私の好きなおでん種・練り物がならんでいました。ちくわぶ150円…安い……まだ寄り道をするため、買いませんでした。 西洋髪結……「すいぶんとお洒落じゃないの!」 大学生4,000円・中学生3,000円・小学生2,500円・小学生未満1,500円……とありましたから、ご婦人ばかりの美容院ではないみたいです。しかし、お子さんをお持ちの家庭は大変ですね……私の散髪代は小学生未満に近いです。 蘇峯公園の入り口に、大きな看板がありました。一枚では納まらないので、後々のために分割して撮っておきました。川端龍子の近くにもあったみたいですが、臼田坂を横切ってしまったみたいです。 これでは道が分かりませんが、多数あることだけは知りました。「鐙(あぶみ)坂」「おいはぎ坂」……呼ばれます。「蛇坂」もあるみたいです。南馬込1丁目11番と24番の間らしいです。環7と新幹線との交差近くみたいなので覚えておきます。大丈夫かしら? 基本的に現在は他の方がお住まいなのでしょうが、ちゃんとプレートが置かれているのかしら? 何人記載されているか不明ですが、大田区は予算があるんですね。『天祖神社脇の階段を登り、八景園跡を通り過ぎて弁天池へ至る道は、馬込へ抜ける文士たちのお決まりのコースのひとつでした』と書かれています。「おぉー行った行った」天祖神社も弁天池のある厳島神社も先月行きました。要所は押さえているんだな、と自画自賛の私です。 反省会で発見しました……『馬込文士村ガイドブック』っていうのが大森駅周辺の書店で販売しているみたいです。200円! 上のラフな地図では歩けないので、今度買いに行ってみましょう。 今日はここまで……さっしの良い連れ合いは気付くでしょうが、最終回は蘇峯公園と尾崎士郎記念館です。
2019.02.13
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2月4日……池上梅園の周りからブラブラの続き… 法養寺山門……堤方神社と向き合うようにありました。 法養寺境内……ビニールシートは何かしら? 山門を入って左……供養墓でしょうか? 新しいそうです。 やはり山門を入って右にあった堂宇ですが、不明です。残念… 法養寺本堂……勿論、日蓮宗のお寺であり本門寺の子院(しいん)=「大きな寺の境内にある偉いお坊さんの住坊。禅宗では塔頭(たっちゅう)と称すみたい」だと思ったのですが……『天正15年(1587年)頃、神田三河町に開創。慶長年間(1596~1615年)幕命により下谷稲荷町に移転。江戸城西御丸と大奥の祈祷所となり「わら店の法養寺」とよばれた。また、境内に熊野稲荷大明神を祀り、江戸市中の信仰を集めた。 明治43年(1910年)当地にあった妙教庵と合併し、翌年この地に移った。妙教庵は、もと当地にあった蓮光坊が荒廃したため九代将軍徳川家重に仕えた妙教尼が寛保3年(1743年)に再興した寺である。』……と書かれていました。 本堂前からの境内…… 一心欲見佛……立派な石碑です。どこか他でも見ましたっけ… 新編法華経439頁に「一心欲見仏(いっしんよっけんぶつ) 不自借身命(ふじしゃくしんみょう)」……「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず」ということだそうです。身命を惜しまずに修行しなさい、ということでしょう。 ちなみに、貴乃花の横砂昇進時の口上は「不借身命」だったかしら? 山門の枝垂れ桜……咲いたら本当にきれいでしょう。 右に法養寺、左に堤方神社の道を南東に歩きます……すぐそばから落ちて行きそう… めぐみ坂……やっぱり坂道でした。坂を上がる左側に「大森めぐみ教会」があるため、そう呼ばれることが多いようです。 明治中期、徳富蘆花(ろか)の小説「富士」にも出てくる料亭「あけぼ乃楼」が現在のめぐみ教会敷地にあった頃は「あけぼの坂」と呼ばれたみたいです。坂の名前も時代と共に変わってしまうんですね。 下っていきます…… 右カーブしながらまだまだ…… このあたりの右手が教会です。 めぐみ坂……下から見るとこんな感じ……左右にクネクネした坂です。 長勝寺山門……山王方面を目指していたので、めぐみ坂下から北東方面に歩きましたが、この辺りの道はとても変則なのでちょっと難儀しました。太陽の向きが方角を知る一応の頼り……土地勘がないので、電信柱に町名があっても私には役に立ちません。 長勝寺山門前の石碑…… こちらも枝垂れ桜かしら? 本堂の扁額……覚應山 長勝寺……密集した子院からは少し離れますが日蓮宗のお寺です。 本堂の鬼瓦……獅子舞みたいです… こちらは、まさに鬼瓦……「大増長天王」と書かれているみたいです。増長天とは、仏教の守護神らしいです。 事務所でしょうが、この枝垂れ桜咲いたらきれいなことでしょう。今年の開花も早いみたいですが、法養寺ともう一度見に行こうかな? 供養塔……不受不施派の巨頭、池上本門寺の15世長遠院日樹(1574~1631年)……幕府の裁許により信州飯田に流された。日樹の三十三回忌に近在の信徒集団によって建てられた供養塔だとのこと。不受不施信仰は根強く存在してたのですね。 長勝寺本堂……正保3年(1646年)田中長勝が創建したと伝えられるそうです。 江戸幕府によって弾圧された不受不施派のリーダーの一人・大野法蓮寺(千葉県市川市)18世日完上人によって開眼された「日蓮聖人坐像(非公開)」がおさめられており、大田区文化財と書かれていました。 供養塔の書き物には、日樹上人を15世と記述してありましたが、坐像の説明の後半では16世となっていたのが気になりました。つまらないことが気になる私です。第4話・永寿院でも16世は日遠聖人と書いたのですが…… 太田神社……長勝寺と同一区画にありました。 石段はちょっとありますが、行かないわけにはいきません…… たやすそうでしたが、上れども上れどもまだまだ…… やっと境内 見えてきました……あぁ~しんど~ 静かな境内です…… 手水舎……プッシュ型の蛇口…初めてお目にかかりました。撮ったつもりだったのですがありません……[運家]との文字が刻まれていました。古くは「家運八幡宮」とも呼ばれたそうです。 お稲荷様……境内手前の右手です…… 北東方面の景色…… 狛犬と拝殿……主祭神は誉田別命。近隣の[竃神社(かまど、と読むのかしら?)][稲荷神社][貴船神社]を合祀したそうです。明治のことなのでしょう…… 一願必中の幟……那須与一公の守本尊を御神体としてお祀りすることから、勝負事をはじめ良縁成就、家運興隆など願えば叶わぬことなしと多くの人々に信仰されているそうです。扇の的を一発で射抜いた那須与一、だから「一願必中」なんですね。 東京大空襲で社殿や神楽殿は焼失したようですが、御神体は旧別当寺「長勝寺」に安置されていたため免れたそうです。よかったですが、戦争はいけません…… 神楽殿……社殿左にありました。手前は神輿がしまってあるのでしょう。 太田神社を引き返します。社殿裏からも道はありそうでしが、行き止まりを含めてとにかく歩きにくいのでとりあえず来た道へ……「石段いやだな~」と思いながらも下りました。 東の方角……景色は最高でした。法養寺、長勝寺、太田神社……お邪魔しました。 『おまけ』 こちらには日樹上人は「15世」…… こちらでは「16世」……私の目が悪いのか? 見方が違うのか? どうもモヤモヤが抜けないので見ずらいのもあったけれど載せておきます。連れ合いが解読してくれることを期待しましょう。 ファンタメロンソーダ……今日は朝刊が休みだったので暇なモーニングでした。いつもはコーヒーと紅茶なのですが、初めて一口試してみました。たまにはこれぐらいなら良いかもしれません。
2019.02.12
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コンビーフ大好きな私……以前はコンビーフのカレーをよく作ったのだが、数年間はまったくご無沙汰。カレーライスは勿論のことだが、グラタン皿にカレーを入れてピザ用チーズを乗せてオーブントースターで焼いたのもおいしかった。酒の肴にもなった。 ある時から缶詰の値段がめっきり上がってから作っていない。ニューコンビーフは嫌いだし、へんなこだわりを持ってはいけないのだろうが…… ながまる作・コンビーフと玉ネギ炒め……鉄板でコンビーフと玉ねぎを炒めて、最後に玉子を落とす。隠し味は醤油をちょっと……もちろんニューコンビーフは使わないそうだ。 でもって、熱々のうちに玉子と一緒にかき混ぜてできあがり……とても簡単な料理だがハイボールによく合う一品だ。この鉄板1枚で作れるし、後片付けも楽だ。「あっても良いな~」と思うことが幾度もあったけど、未だ我が家にはない。今度、散歩ついでに見つけて買ってみよう。 ちなみに、ながまるさんのメニューには同じ鉄板を使った料理に「ウインナーと玉ねぎ炒め」がある。以前、他のお客さんが頼んだのを横目で見た……美味しそうだったが私一人では食べきれない程とってもボリュームがあった。なのである日これを頼んでみた私……久しぶりのコンビーフ、美味しかった…… 昨日も少し散歩したし、池上梅園からの続きの独り反省会が済んでいないので、今日はこんなのでお茶を濁した。駄目だね~ 後で頑張って反省会しよーっと…
2019.02.11
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2月4日……池上梅園を拝見してから、近隣の寺社をブラブラ…… 理境院山門を出た私…… 左をみたら池上本門寺の石段ではありませんか……なんと理境院の山門は、本門寺総門の内側にありました。ビックリでした……総門内に山門を持っていることからも理境院の位置づけがうかがえました。 池上本門寺の石段……この石段、加藤清正(1562~1611年)の寄進によって造営されたと伝えられ「法華経」宝塔品(ほうとうほん)の偈文(げぶん)96文字にちなみ、96段に構築されているそうです。 偈文とは『仏教で、偈を記した文章』……偈とは『仏典の中で、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの』と、辞書にありました。ちなみに多くは「げもん」と読ませるみたいです。上記で「げぶん」としたのは、境内の説明文にしるされた文言を引用しました。 石段の右側に「女坂」(白っぽいのです)が整備されました。前の写真だけでも良かったのですが、女坂も入れたくてわざわざバックして撮りました。つづら折りっていうのか、緩やかですが161段らしいので段数は1.7倍程になっちゃいますが……もっと言えば総門を入らず右折して「池上会館」のエレベーターを使わせてもらう手もあります。後で書く朗師坂の上に出られますから、足の悪い方でも平行移動で参拝できます。 記憶にある限りでは、この石段を上ったことはない私……上れども上れども頂上は遠かった~ でも、先に歩き始めた若者たちは抜きましたけど…… 此経難持坂(しきょうなんじさか)……と呼ばれるみたいです……右に書かれていました。 池上本門寺仁王門……以前もお邪魔したので、この日はここで手を合わせて失礼しました……ごめんなさい。 振り返ると……前日だったらたくさんの人で大変だったことでしょう……プロレスラーが多いのですが、豆撒きは他にどんな方がいらっしゃったのかしら? この石段とても疲れましたが、私はまだまだ厳しい96段で頑張ります。 日蓮大聖人説法像……祖師堂・本殿へは進まず、石段上の東方向におられました。こちらも記憶している限り初めてです。 宗祖七百遠忌記念として昭和58年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されたもので、斯界の権威 北村西望先生の制作だそうです。 険しいけれど、良いお顔をなさっておいでです。 日本看護婦会慰霊塔……墓地の一角にありました。『昭和12年に勃発した日華事変から大東亜戦争の終結までに日本赤十字が派遣した救護班は960班、延べ人員33,156人の「戦時救護看護婦」が戦地に派遣され、戦地における敵襲・病院船への魚雷攻撃・病院勤務中の空襲・原爆による殉職救護員は1,143名、負傷者は4,689人に達した。しかし従軍したのは日赤の看護婦だけではなく、陸・海軍の召集看護婦「ひめゆり学徒隊」等女学生にも及び、その方たちの犠牲を合わせると殉職者の数は膨大な人数に上るが、正確な記録は残されていない。』そうだが、次のさらなる事実を私は知らなかった。『戦後、昭和25年に朝鮮戦争が勃発した際、九州地方では日赤をはじめ国立、公立、民間から千人以上の看護婦が再び召集され、米軍博多キャンプの野戦病院において米軍看護婦の指揮下で働かされ、また南朝鮮の戦場に送られ米軍傷病兵の看護にあたらされた看護婦もいた』……と……現首相はご存じなのかしら? 殉職した従軍看護婦の慰霊碑・慰霊塔は「日赤」をはじめ「靖国神社」「山梨県護国神社」「舞鶴引揚記念館」「呉海軍基地」などなど全国各地にあると聞く……合掌……戦争が繰り返されないことを切に祈ります。 朗師坂(ろうしざか)……池上本門寺の墓地南側を東に歩くとありました。 朗師とは日蓮門下六老僧の一人、日朗(1243~1320年)のこと。日朗は祖師入滅後、寺窪(現在の照栄院付近)に草庵をつくり、以後30有余年毎日この坂を上り、山上の日蓮御廟所(ごびょうしょ)へ参拝したそうです。みなさんご立派な方ばかりです。 降り切ると池上小学校だと思います……さすがに途中までしか行きませんでした。照栄院からだったら此経難持坂を上るより近いでしょうが、当時は石段なんかじゃなかったのでは? 朗師坂改修の石碑……月村初五郎さんが尽力されたのでしょう。昭和36年7月とありますが、連れ合いの生まれる前からある石碑です。これから何百年もここに名前が残るんですね。 永寿院山門……墓地の切れ目を南東に入ったあたり……池上会館の東側です。 寛永7年(1630年)7月、本門寺16世として心性院日遠聖人が晋山。日遠聖人は翌年5月本門寺を弟子の日東聖人(本門寺17世)に任せ鎌倉に隠棲。その際に日遠聖人の隠居所として日東聖人が建てた庵室が永寿院の始まりだそうです。当初は日東聖人の院号に因み「蓮乗院」と呼ばれていたとのこと…… 不変山永寿院本堂……日蓮聖人御尊像底部には、寛永7年と開眼年が墨書きされ、胎内にはお題目と仏師の名が記された文書が収められているそうです。本堂は、明治末と大正年間に二度の火災に遭っているようですが、ご尊像を救い出された先師の思いの深さに感じ入ります。 本堂前の松の枝ぶり、見事でした。 見守り観音堂……山門を入ってすぐ左…… 種々な難に遭うときに『南無観世音菩薩』と一心に称えれば難を逃れることができると言われます。多くの人々の祈りが込められている観音様です。 救いの手を素直につかめない人、そんなうまい話はないと疑いの心を起こす人……そんな人々の受けとめ方によって、千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音など様々な名前と形を変えて、観音様は私たちの前にお姿を現すとのことです。ありがたや、ありがたや…… 妙見(みょうけん)堂裏……永寿院を後にして、来た方とは逆を見たら目に入りました。以前、照栄院を訪問した際、石段の足元まで行って上るのを断念した私にとってはとてもラッキーでした。 お堂をまわりこんで、反対側の石段……けっこう急なのですが、前回はバッテリーが切れちゃったので帰ってしまったのでありました。 申し訳ないので、少しだけ下ってから参道を上りなおしました律儀な私です。前回のリベンジ… 妙見坂……というんですね。前回は坂名は分かりませんでした。とにかくラッキー! 百度石……石段に近い方……確かもう一つありました。 妙見堂……慶応2年(1866年)の再建で、明治時代に増築工事がされたそうです。 妙見菩薩立像(木造寄木造り、玉眼、彩色、箔押。像高43㎝)を奉安する。この像を安置する厨子扉に記された銘文から、寛永4年(1664年)に、徳川家康の子で紀州徳川藩の祖である頼宜(よりのぶ)の「現世安穏後世善処(げんせあんのんごせぜんしょ)」を祈念して造像されたことがわかるそうだ。当時の本門寺貫主、日豊(1600~1669年)の開眼墨書銘があり、製作年代、由来等が明確な妙見像として貴重とのこと。 手水舎……水道蛇口のひねり金具、ちゃんと付いていました。 本堂にむかって左の境内……奥になにやら並んでいます……以下に右から いぼとり地蔵……初めは呑川の南に鎮座した村方の地蔵菩薩だったのが、河川の氾濫改修等で徐々に北に移動し、ついに妙見堂まで上がってきたって。いぼに悩む人が参拝し、祠(ほこら)から小石を一つ頂き、朝夕それを患部に当てると不思議にいぼが落ちると伝えられているそうです。いぼが治ったときはその石ともう一つの小石を祠に納めるので、祠は小石であふれるため時々 土に埋めるんだって。僕もいぼが出来たらお願いします。 チャンギー受難者慰霊碑……第二次世界大戦の後、シンガポールのチャンギーでBC級戦争犯罪人とされた日本の軍人軍属の裁判があり、多くの被告が極刑宣告を受けてチャンギーで処刑された。照栄院の住職だった田中日淳上人は教誨師として死刑に立ち会ったとされるが、幸いにして極刑を免れ日本に帰国した人々が相談して、ここ慰霊碑を建立したそうです。慰霊祭は、毎年4月の第2日曜日に営まれるとのことです。つくづく戦争はいけません…… 不思議いい話……昔々、伊豆から一人の若い僧が「檀林(だんりん)」にやってきた。学期が終わった後、彼は一人妙見堂に籠って一週間の断食行……学問を修めていつかは貫首(かんしゅ・かんじゅ)となりたいと一心に祈る。行を終えてもうろうとしながら妙見堂の参道に立つと、大樹のもとに立つ一人の老人が言いました。「仏道の修業は猊座(げんざ)」に上って高価な法衣を着るためではない。地に降りて人々のかたくなな心の衣をはがすためだ。」と……僧がはっとすると、もう老人の姿はありませんでした。数年して学成った彼は故郷に帰りますが、後年、再び妙見堂を訪れたとき、あの大樹は台風で倒れていたのですが、彼はその木で老人の姿を彫らせてここに納めたと…… ※[檀林]=仏教寺院における僧侶の養成機関。 ※[貫首]=最上位の人。各宗派の本山や諸大寺の官長の呼称。 ※[猊座]=仏のすわる座。転じて高僧の座。 樹老人祠……池上七福神の一つです。残念ながら、初代の樹老人像はいつのまにか失われ、現在の像は後年の再刻だそうです。これまた残念ながら、拝見できませんでした。 来るべき年の善星皆来悪星退散を祈り、毎年12月の冬至の日に「星祭り」が営まれるそうです。早朝より十数人の僧侶が交代で読経を続ける他、午後1時には本門寺の貫首さまもお見えになり読経と法話をされるとのこと……拝聴したいものですが、12月22日、寒いでしょうね~ 法養寺案内……妙見堂を後に少し本門寺の墓地方向にもどり、この日の散歩の最後はどうしても山王1丁目と決めていたので、東の方角に進むとありました。 道しるべの先を緩やかに右に曲がると、らしい景色ですが「お寺じゃないよ」と独りつぶやく私。左手は大森四中です。 堤方神社……社殿・神殿の脇にでました。 堤方神社鳥居……右の工事中はおそらく神楽殿と思われます。 手水舎…… 堤方神社社殿……『創建の年代はわからない。もと若宮八幡社とよばれていたが、明治42年旧堤方村村内にあった三所神社(江戸期には熊野社といった)、十二神社(江戸期には十二天社といった)、稲荷神社、境内の稲荷神社を合祀し、翌43年堤方神社と改称した。(大田区の神社より)』 ご神祭は大鷦鷯命(おほさざきのみこと)・仁徳天皇とのことです。 大木の手入れもきちんとなされていました。しかし空の青い青い、とても気持ちの良い日でした。 堤方神社の端から南東の景色……池上本門寺境内・墓地からここまでが高台のようです。 紅 梅……二分咲きでした…… しかし、毎度のことながら独り反省会ではたくさんの発見があります。とりあえず写真だけ撮ってきて、後で調べてみると知らないことだらけ……知ったからと言ってもどうってことはないのでしょうが、歩かない日の楽しみにもなっています。 この後は山王1丁目を目指しながら北東に進んだ私ですが、今日はここまで…… 昨日のこの辺は大雪にならなくて助かりました。雲はあるけれど、今日はそこそこの天気……コピット散歩してこようかしら?
2019.02.10
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2月4日の散歩…… 西之院門前……日蓮上人入滅後40~50年ごろの開創だそうです。日蓮上人が池上宗仲公の館に逗留されていたとき、直弟子日興聖人の庵室として創建されたと伝えられ、その弟子日法聖人を開山とする……って書かれていました。白金高輪の立行寺山門もピンクでしたが、もうちょっと派手だったかしら? いつもは梅園を横目で眺め、實相寺から大坊本行寺境内を抜けて大坊坂を上るのが私のルートでした。従って、この日はそのお隣からまだ拝見していない寺社を歩いてみました。 ちなみに實相寺の門は大型の薬医門で、本殿と共に登録有形文化財だそうです。この日最後に寄った場所で「どうぞ」と言って頂いた「大田区ミュージアムガイド」に載っていました。初めから知っていたら、もう一度撮ってきたのですが…… 嚴定院山門……西之院とは地続きです。嚴定院「ごんじょういん」と読むみたいです。 門前の石碑……ピカピカツルツルでした… 嚴定院本堂……池上本門寺二世日朗聖人に直弟子・嚴定院日尊聖人が正応2年(1289年)開創したそうです。 本堂の扁額……山号を慧光山……もちろん日蓮宗です。 鳳凰でしょうか?……毎度のことですがミゴト!!!です。 本堂前左……白砂の上に鬼瓦らしきが置かれていました。 本堂前右も同様に白砂の庭に鬼瓦……こちらは巨大です。奥に弁天堂…… 弁天堂……昔は木造だったのでしょう…… 弁財天……ちゃんと琵琶(ビワ)を抱えておいでです。池上七福神の一つです。「本成院」は以前行きました。「養源寺」は呑川下りをした折、川向うの姿を撮ったっけ……この日は後で「妙見堂」行ったから、残りは「馬頭観音堂・大黒天」「微妙庵・毘沙門天」と「曹禅寺・布袋尊」……いつか行ってみよう。 南之院道しるべ……池上本門寺の広大な敷地西側をさらに南下するとありました。正面が本門寺……たぶん上って行かれるのではないか?と思います。今回はパスでしたが…… 南之院山門……逆光だったので撮りにくい撮りにくい……撮影済み画像もディスプレイでの確認がまともにできないくらいです。 山門の日陰から何とかパチリ……曲がってますね… 南之院本堂……またしても逆光に悩まされる私……やっぱりコンパクトじゃないデジカメ買おうかな? 買ってもちゃんと使えないかもね~ と、いつまでもあきらめの悪い私です。 逆光をさけて本堂脇から……日蓮上人の直弟子の一人、日昭聖人の坐像が大田区文化財に指定されているそうですが非公開のようです。 南之院の境内は梅が多いみたいです……こちらは白梅… こちらは枝垂れ梅でしょうか? 紅梅でしょう……赤い蕾ができていました。満開になったらとても美しいと想像します。 鬼 瓦……山門の内側にありました。「山門 庫裏屋根瓦改修」とありましたから、以前のものでしょうが立派です。 覚源(かくげん)院山門……「よく行きますね~」と言われそうですが、おっしゃる通りです。自覚していますが訪問しちゃう私……この時点で、すでにお賽銭の心配をしていました。 覚源院本堂……ご本尊は一塔両尊四士とのこと…… 本堂扁額……山号は「廣布山」……言うまでもなく日蓮宗のお寺です。 コンパクトな境内でしたが、素敵なお寺でした。 覚源院からさらに南下すると見えてきました……独り反省会で知りましたが、手前の道を左に行くと本門寺仁王門左手に上がれるようです。坂道のはずですが、今度行ってみましょう。 本町稲荷神社……この日は初めての神社でしたっけ… 長栄稲荷、玉造稲荷、田上稲荷を合祀して当地に社殿を建立したそうです。 手水舎……いたずらして出しっぱなしが多いのかしら? 水道の蛇口、ひねる金具が取り外し式になっていてありませんでした。 社 殿……左の狐はボールみたいなものを手にし、右の狐は子どもを抱いていました。多分夫婦なのでしょう。「境内でのボール遊び禁止」の看板がありましたが、狐はあちこち傷んでいました……残念ですね。 右の狐……お母さん狐でしょうが、結構怖い顔です。わが子を守るために見張っているのでしょう。児相や教委の方々には、是非見習っていただきたいものです。 神楽殿……狭い境内なのでお祭りは大変かもしれませんが、地元の方々にとっては大切な氏神様です。 理境院……私の得意な裏口入院でした…… 白御影石や大理石の白い表札が多いのですが、こちらは黒……黒御影でしょうか? 門柱が白っぽいのでよく目立ちます。 本堂にまっすぐに向かう境内は手入れが行き届いていました。裏門入園だった私は写真左から割り込ませていただきました。 理境院本堂……ご本尊は三宝尊、読経像だそうです。 元享年間(1321-1324年)池上本門寺三世 日輪聖人の主坊として開創され、「大坊本行寺」「照栄院」と共に池上三院家の一つだそうです。やった~! これで三院拝見しました。 本堂の扁額……山号は妙祐山…… 本堂前からほぼ東に向かう参道……帰りは正門から失礼します。 理境院山門……通称「池上の朱門寺」と呼ばれるそうですが、品のいい朱色でした。(写真は色感が悪かったです) 門前左の石柱には『両山三世 当山開基 日輪聖人草庵跡』とありました。 今日の第三話は平たんな道ばかりでしたが、続きはどうなるかしら? あてずっぽうの散歩はまた今度……
2019.02.09
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マツダキャロレーシング アリイ 1/32 オーナーズクラブ NO.42 第2回日本グランプリ…1964年5月3日カラリと晴れ上がった日曜日、鈴鹿サーキットで400cc以下によるT-1クラスのレース……古い古い話です。 東京オリンピック開会式で、ブルーインパルスが空に描く五輪は生で見たし記憶に残っているけど、この時代のカーレースはまったく知りません。それでも、なんとなく買ってしまったのでしょう。 パーツはこんなもの…… オーバーフェンダー付けるみたいです…… ボディー上部にまっすぐ入っているラインが気になります……アリイだけでなく他のメーカーにも良くあることですが…… フロントグリルはボディーと別です。バンパーも一緒なのは嫌いですが、安いからぜいたくは言えません。クラウンは一体成型だったはずですが、あれはバリバリでひどかったな~ これも合わせてみないと何とも言えませんが…… お約束のようなバリバリバリ……バリがなくなったらアリイじゃないかもしれない、と思うようになっている私です。「タイヤの金属シャフトが入ってない!」……と思ったら、プラパーツだって。太いしこれもバリバリ…… 外は寒いし室内での筆塗りには向いているのですが、デカールも結構あるから筆でキレイ系にするのは私には無理。最初から汚し系ならなんとかできそうですが、デカールが複数ある筆汚しの車は作ったことがありません。 やっぱり、複葉機のようにラッカー系でエアブラシしてデカール貼ってクリアー、最後にエナメルで汚すのが今の私には向いていそうです。でも屋外作業はつらいしな~ と、日々迷っている私であります。 連れ合いはがっかりでしょうが「池上梅園から」は画像アップができていないので今日はお休みです……堪忍ね~
2019.02.08
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2月4日……梅の開花状況を見学に池上梅園に行ってみました。初めて入園料を払って訪問しましたが、梅園だけではなく北側には庭園がありました。 茶室 清月庵……私は心得がないのでお茶室には興味がありませんが……佇まいは好きです。インフルが猛威を振るっているこの時期のお茶会は難しいでしょうね。 伊東深水のアトリエを設計した川尻善治という方が、自宅に建てた離れだったそうです。川尻氏は大正時代、池上門前で温室園芸と料理屋を営んでおられたらしいですが、小倉氏といい、料理屋さんはもうかったのかしらね? 川尻家の離れですが、マンション建設が計画された折に保存運動が起こり、区内在住の華道・茶道家中島恭名という方が尽力され、買い取って大田区に寄付しここに再建されたようです。みなさん太っ腹ですね…… お茶は全く分からない私ですが、これも扁額っていうのでしょうか? 木の木目がいい具合なことは理解します。 清月庵 裏木戸……かしら? 木戸をあけて -家出する少年が母親に捧げる歌-(詩・曲・歌・小椋佳) あなたの後ろ姿に そっと別れをつげてみれば あなたの髪のあたりに ぽっと灯りがさしたよな 裏の木戸をあけて 一人夜にでれば 灯りの消えた街角 足も重くなるけれど 僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない 許してくれるだろうか 僕の若いわがままを 解ってくれるだろうか 僕のはるかなるさまよいを …… …… …… 僕の遠いあこがれ 遠い旅はすてられない 夢を追いたい、旅立ちたい思いとわだかまり、木戸に手をかけた瞬間に吹っ切れる……甘酸っぱい青春の香りがプンプン…… 1971年だったかしら? 親にねだって、山水電気の4チャンネル・シンセサイザーを買ってもらった。ついてきたLPレコード『青春の詩』(非売品・山水がデモ用に作ったのかも)に収録されていた。小椋佳を知ったのもこの時、「六月の雨」「街角へ来ると」……まさにタイトルどおり青春の詩だったな~ 木戸の所にも案内があったのでくぐってみたら、今度は左へ行けって…… 清月庵の裏庭……とでもいうような場所 一つの庭園として独立させたかったからか、こんな石段がちょいと配されています。 座輪梅……まだ咲いていない右の樹です。「…当園の座論梅は一つの枝に対になって花が咲き、その姿が中国の賢人が座論を交わしている姿に似ていることから命名された」となっていますが、なんだかよく分かりませんね。 石碑を寄贈される方がおいでのようです。 聴雨庵……清月庵のとなりにもう一つ茶室があります。政治家藤山愛一郎氏所有の茶室だったそうだ。芝白金の自宅には三棟の茶室があり、岡田啓介・米内光政・末次信正らを集めて東条内閣打倒の密議が行われたのは聴雨庵だったらしい。 なんとなく政治家らしいネーミング…… 清月庵よりも大きいです。炉のある茶室も9畳と7畳の二部屋……茶会・句会などの催しには貸してくれるそうです。区内の住民なら[清月庵:2,200円]・[聴雨庵:4,200円](どちらも午後の3時間半)だそうです。昼寝じゃ貸してもらえないのかしら? 水琴窟(すいきんくつ)…… 絵が下手だったのでよくわかりませんでしたが、菊の紋みたいな石にかけるんですね。聴雨庵といい、水の音を楽しむ方が多いみたいです。風流ですね……『浴衣の君は尾花(ススキ)の簪……』こんなのを書いていたら終わらないから止めよーっと…… 和 室……庭の方へは「一方通行出口」って看板が目に入ったので、ここで失礼… 薬医門の案内……back gateってあるから出られるんだろうと思い、行ってみたら閉まっていました。なんてこった……園内管理には入退出口は一か所が良いのでしょう。 石 塔……次へ行く私には、薬医門から退園できたらありがたかったのですが、渋々もどったらありました。 和 室……戻りついでに一方通行入り口から入ってみることに……手前の梅がもう少し咲いていたらより良い絵になったでしょう。[さくら][やなぎ][くるみ]の和室各8畳……区民は600円(午前)・840円(午後)でお借りできるそうです。 池もありました。生物は未確認です。 急な石階段……和室庭園を見学して「さぁ出るよ」と、思ったら見つけちゃいました。なんでかな~ 好きなんです。 まだまだ元気だったので上りますが、そこそこな勾配…… とりあえず下の方……ちょっとだけしか上っていないのに結構高い…… 足元がしっかりしているので歩きやすかったけど、これで終わりじゃない…… 折り返してやっと終点かしら? 結構高いよ~ 梅園入り口方向……手前はツツジかしら? 800株あるんですってツツジ… 見晴らし台……らしいっす… 線路が見えました(南西)……池上線でしょう…… 満開ならきれいでしょう。来園者はポツポツでした。受付の女性は暇で困る事でしょう。門の前に立っている方もご苦労様です……一日中立ちっぱなしは今の私にはできません。 上りとは違う階段で退散です。見晴台のそばでお弁当を食べていたご夫婦がおられました。荷物を下げて上がっていかれますが、彼女たちもランチかしら? 梅はまださみしいから、花より団子ですよね~ 花より男子ってのもあるみたいですが…… 受付近くのこの階段の方が上りやすいです。上に行かれる方はこちらから…… 園外にでました。以前工事をしていたのはこの道だったようです……とてもきれいになっていました。 薬医門……梅園外を南へ向かう私……やっぱり完全封鎖中でした。 この後、近くにある未訪問の寺社をたどりますが、続きはまた今度…… 今日も散歩に行きたいけど、天気は今一……どうしようかな~
2019.02.07
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2月4日……天気が良かったので梅の咲き具合を見て、いつものように寺社をブラブラ……最後は前回見落とした山王を訊ねてみました。 夫婦坂……いつものように環7を南東に進み、下り坂の途中にある夫婦坂交差手を右折しました。初めて歩いた時には見落としていて、その後は夫婦坂交差点の手前を斜め右にショートカットできることを知ったので通りませんでした。今回はボーっと歩いていて気づいたら交差点……近道をしなかったので見つけられました。 そもそも、環7の坂を夫婦坂と言うのだと思っていたのですが、横切るこちらの道のようです。知らんかった~ 貝塚坂……前の写真で分かるように、進行方向へは二股に分かれます。右への緩い下りを貝塚坂と呼ぶみたいですが、これにも初めて気付きました。いくら横断歩道途中の分離帯とは言え、何度も歩いたのに見ているようで何も見ていない私です。 お酒の自販機は、まだあったんですね。年齢確認ができないから止めたとばかり思っていました。これなら高校生でも買えます。 東海道線の橋の上から……南西方面ですが、高いのは武蔵小杉あたりかしら? 左右上が欠けているのは金網に邪魔されました。 西の方角ですが、遠くの山並みは神奈川かしら…… 新幹線通過……上り……あわててパチリ! 橋の上にいたときに来てくれればよかったのに…… 馬込給水所……以前に載せましたっけ……東京都水道局が管理する巨大水槽です。民営化に向けて動く政府ですが、安全安心な水の供給が確保できるか不安です。利を得ようと裏で画策している方もおいでなのでしょう。 下り坂……私は高台の道を南に向かっているのですが、当然のように進行方向右は下りです。 とても見晴らしがいいです……一番近い駅は西馬込(私の背中方向)ですが、そちら側からも上ってくるの大変そうです。 右へはどの道もけっこう急坂です…… イチゴ鉢植え……いつも見て通るビニールハウスにありました。 シクラメン育てている園芸なのにね~ もう時期は過ぎちゃったのかもしれませんが、シクラメンも残っていました。「宅配承ります」とあるから冬が来たらお値段を聞いてみましょう。「承ります」=「うけたまわります」とは、なんと丁寧なことでしょう。私は舌を噛みそうです。 大尽(だいじん)坂……これも以前載せましたっけね~ 池上に向かうには最短コースなので幾度も通過しました。 平らな道を第二京浜に向かって直進する私ですが…… 馬込中学校(左)あたりから下ります。道幅が狭いからか? センターラインがありません。 たいした坂ではありませんが……電信柱が邪魔で歩きにくいです。車に轢かれないようにしないとなりません。「もっと中央を走れよ」って思うのですが、左に寄ってきて歩道の白線をまたぐ女性ドライバーによく遭遇します。避けてあげないと確実にミラーが当たるのに……まったくおちおち歩けない。 道路交通法第十八条二項……歩行者との間に安全な間隔を保つことができないときは徐行しなければならない、と定められている。三か月以下の懲役または五万円以下の罰金だってことを知らないんだろう。交差点での歩行妨害を含めて、どんどん取り締まってくれないかしら? 振り返るとこんな坂でした…… 池上梅園……無事到着!! 池上梅園入場券……園外から眺めたことはあったのですが、入園するのは初めて。入り口に「入園料 大人100円」と書いてあったので、受付で500円玉を出すと、「いいんですよ」とお姉さんが言う。「えぇ、なんで?」と手渡そうとするのですが、又しても「いいんですよ」と同じ答え。今一度問いかけると「65歳以上は無料です」だって……「すみません、私ちょっと足りないんです」と100円払ってきました。「ごめんなさい、難しいんですよね」とおっしゃっていましたが、顔で判断するのは無理でしょう。しかし、そんな歳に見られるようになってしまったみたいで、コピット ショックでありました。 蛇足ながら、「半券を提示すると当日の再入場は無料」って大田区のHPに書かれていましたが、この入場券に日付のスタンプありません。ナンバーで確認するのかしら? つまらないことが気になる私でした。 梅園案内図……予想以上に結構広いです。梅園だけだと思っていたのですが、違うんですね……半分ほどは庭園でした。 北半分というから現在の梅園部分なのでしょうが、戦前までは「月白山荘」と呼ばれた日本画家伊東深水の自宅兼アトリエだったそうです。残念だったでしょう……戦争はいけません…… ちなみに、戦後築地の料亭経営者小倉氏が南半分を拡張し、別邸として使ったそうな……すごいな~……小倉氏没後、ご遺族の遺志により東京都に譲渡されたって……太っ腹! ボチボチぼちぼち……今月末にもう一度行ってみようかしら? 半券持って…… 左は枝垂れっぽいです……咲いたところを見てみたい……たぶん枝垂れの梅は見たことがありません。 この一本だけはみごとに咲いていました。ありがたや…… まだまだですね……370本の梅(白梅150本・紅梅220本)、30種ぐらいあるそうです。わずかに紅白……天気が良かったのでこれはこれで良しとしましょう。 世田谷を歩いた時には紅梅が目立ちましたが、ここは白が先みたいです。 いつもは、園外からフェンス越しにこのあたりの梅を見て通っていました。 梅一輪 一輪ほどの 暖かさ 服部 嵐雪(らんせつ) 一輪、また一輪と開くにしたがって暖かさが増していくでしょう。 春はもうじき…… 今日はこれでおしまい……次回は庭園です。写真の整理しなくちゃね~
2019.02.06
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1月30日……グニャグニャ歩いてたどり着いた世田谷区成城…… 成城三丁目緑地は変わった形です… 地図にあった坂を求めて、いったん園外の路上を……右手が明正小学校の南側 ヘビ坂入り口……少し進むとヘアピンのごとく180°方向転換……ほぼ直進する道は上ってきたときに使いました。 今度は右にクネ……パクさんではありません。 またまたクネ…… どうやら終点みたいですが、クネクネしているからヘビ坂なんでしょう。この緑地、本物の蛇が出てきても不思議ではないでしょうが、今は冬眠しているかしら? マンション棟の一か所に……世田谷通りの一本内側の道に出られるみたいです。 道路に出ても仕方ないので、上ることに…… 犬の散歩……デジカメのバッテリー交換をしていたら、抜かれちゃいました。平然と上って行かれる女性に脱帽です。 赤い実……なにかは分かりませんが、鳥の餌……手の届くところになっていたら試しに食べてみたのですが… 緑地の一番西側上部…… 三丁目緑地を出ると右に道が……「あぶないので自転車はおりてください」だって…… お茶屋坂……江戸時代初期にこの地域を治め、幕府のお目付け役を務めた喜多見重勝という方の茶室がここにあったらしい。遠景の眺めを楽しみながらのお茶……さぞかしおいしかったことでしょう。 ほぼ南に下っていくこの坂、とても長いです……自転車はあぶないかもね。 戻ってこないとならないので迷いましたが、行っちゃいました……男の子だものね~ でも、ヒザの踏ん張りがきかないので小走りになる私でした。 二段どころか三段・四段グリーンのような坂でした。平気で上っていく小学生の女の子がいました。元気ですね……若いって素晴らしい! ヒーヒー言いながら坂上に戻ってきました。進行方向・北西に進めば小田急の線路にぶつかるだろう……そうしたら迷わず駅に行かれるだろうと…… 成城三丁目10あたりで左を見たら…… せたがや百景…… 桜ともみじの並木……桜は勿論ですが、秋の紅葉のトンネルも素晴らしいことでしょう。 未舗装だから私道だろうと思ったのですが、少しだけ奥に入らせてもらいました。行き止まりの道みたいです。 不動橋……線路にぶつかると思っていたのですが、下を通っているみたいです。写真の方向に駅があるのですが、沿って行かれません……ショック!! 関東の富士見百景……しかし、このようなプレートがあっちこっちにあるんですね。 南西の景色……野川を越えて喜多見駅……天気が良ければ、そのずっと先に富士山が見えるのでしょう。 駅に行きたかったので、しょうがない……少し引き返してこの角、右の方からなにかが呼んでいたので行ってみたら…… こんな看板……たった今まで「なんだかんだの坂」と認識していた私です。パッと見で勝手にそう思い込んでいました。 多くの植物がありそう……でも冬だから花は咲いていないだろう……と思いながらも行っちゃう私です。『この坂の下には昔「中野田(なかのだ)」というたんぼがありました。中野田と崖線(がいせん)の上をつなぐ坂が「なかんだの坂」と呼ばれるようになりました。』との由来が書かれていました。「なかのだの坂」でもよかったでしょうにね…… 踏み込んでみると、まずは狭く短いアプローチ…… 180度折り返し……こんなのを数回繰り返します。 下までは遠いんだな~ 土の上に木材を置いた階段……けっこう危ないです。周りの草木を見る余裕はありません。うっかりするとコケちゃいます。下まで行っても通り抜けはできないので、人はめったに来ないと思います。怪我をしても助けは期待できません。 終点…… 下の方にあったベンチで小休止しながらパチリ……帰りはしんどいな~ 孟宗竹が目立ちました。 市民緑地を出て、来た時と反対の南に向かう道も下っていました。「もう、坂はいいや~」と、戻ります。 住宅街を駅方面を目指します……立派なお家ばかり…… ヒマラヤスギ……子どものころ通ったお絵かき教室の玄関前にもありましたが、これはまた見事!!! 巨大でした。電線には邪魔でしょうが、残してもらいたいです。 足元にはツタがしがみついて…… 世田谷区は力を入れているみたいです……頑張ってくださいませ。 坂を歩いたせいもあってか足取りが重かったし、「早く瓶・缶の不燃物回収箱、入れなくちゃ」なんてことを口実にして都立大学までバスを使ってしまいました。5%Offのイオンに角瓶を買いによりましたが、2階までの階段もいつも通りには歩けなかった情けない私でした。 今日は曇り、明日は雨も降るそうな……大人しくしていようかしら…
2019.02.05
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1月30日の散歩です…… 東宝スタジオ……世田谷通りの向こう側に見えました。北に上っていく仙川をたどっていけば成城学園駅に出るでしょうが、広いスタジオ敷地が邪魔をしているのでは?と思った私。たぶんスタジオ見学などできないだろうし……そう考えて仙川とはここでサヨナラ…… 世田谷通りを左折して南西方面に向かったら、すぐ左の路地に看板が見えてしまいました。「妙法寺だから、やっぱり行かなくちゃ」と向かうと、路地の出口にお地蔵さん……杉並区堀之内の妙法寺には毎正月出向くので、ご縁を感じました。 東光山妙法寺山門……「法華門」と言うそうですが、やはり私にはご縁があったみたいです。 碑文谷法華寺(現在の円融寺)の庫裏の門として1615年以前から立てられていた門だそうですが、明治30年、地元の角田氏が金200円でこの門を買い取り、昭和30年代に堀之内妙法寺へ奉納した。その後いたみも激しく堀之内での再建が難しい状況となり、縁あってここ東光寺妙法寺に移築した。昭和61年5月、復元再建したそうです。転々としながらも400年以上の時を生きているんですね。 左の柱に「おおくら大佛」って札がかけられています。通称「おおくら大佛妙法寺」と言うみたいです。 山門の扁額……「嘉永5年(1852年)壬子(みずのえね)」と書かれています。きれいですが古いものみたいです。 本 堂……日蓮宗、ご本尊は三寳祖師像だそうです。 本堂の扁額・感応法閣……杉並堀之内妙法寺・祖師堂の扁額もこれだったはずですが、意味は知らない私です。次回訪問時に、連れ合いが聴いてきてくれるでしょう。お願いしますね~ 時期が来たら桜もきれいでしょう……もうちょっとです… 桜の木の下に、なぜか花菖蒲の句碑…… 本堂に向かって左……惹かれました… 観世音菩薩様……かしら? 美しいお姿でした。 カエルの後ろの石が気になった私……雨だれで穴ができたのでしょうね…… 本堂右手……立派な石の後ろが事務所でしょう。ベンチに灰皿……ありがたやありがたや…ありがたや… ということで、ベンチで一服させていただきながらパチリ… ベンチから見えたので行ってみました。本堂左は竹林……本堂裏が墓地でした。 おおくら大佛……墓地の奥におられましたが、ここでビックリ仰天!!! 高さ8m、重さ8tのブロンズ製らしいのですが、なななんと1回転するんだって!!! 朝9時から夕方5時までは本堂の方向(この南向き)、夕方5時から翌朝までは反対の世田谷通りの方に台座から回るんですって。要するに、一方だけでなくあらゆる方角の安全や平和を祈念しておられるのでしょうが、驚きました。ビックリ仰天でなくビックリ回転でした。 もし私が大佛さまをお参りすると、大佛さまが私を見守ってくれる……足元にありました。 国土安穏……ありがたや……日中米韓ロ……よろしくお願いいたします。 光背に四菩薩を配した久遠実成の本佛お釈迦様を現しているそうです。 ちなみに、久遠実成の本佛とは、法華経の一番ありがたい佛さまで、佛の命が過去から現在、未来へと永遠に続くことを表し、その佛さまを拝む人類の生命、地球上のすべての生きとし生けるものの命が永遠であることを説いたお釈迦様の姿……だとのことです。しかし、美しいお姿でありました……合掌… 山門手前の右に、鳥居があったので寄らせていただきました。 石井戸稲荷大明神……と、扁額にありました。 昔、近くの大蔵団地の辺りは崖になっていてその崖からは湧き水がでており、石から水が出るという事と、この地域に住んでいた石井氏の名前両方を兼ね合わせて「石井戸」と呼んだそうです。 凛々しいお狐様です……大佛さまの足元と同じ文言がありました。 足が少々重かったので一瞬迷ったのですが、お寄りして良かったと思いました。ありがとうございました。 妙法寺山門脇のT字路を、路地に引き返さず来てみたら、ちゃんと世田谷通りに出られました。渡って直進すれば駅に行かれるのですが、私は左折…… 世田谷通りを西に……カーブしながら緩やかに下っていきます。 成城通り……右にあります。交差点の所だけラインがありますが、上っていくと広くないのでセンターラインはありません。両面通行なのにね~ 入り口はこんな傾き…… そこそこの上りです……40数年来たことがありません…… 若かりし頃、駅の北側にあった区民センターだったかホールで「100円コンサート」をしたことがあります。約束の時間ちょっきりに冷房が切れると暑い暑い……おまけはしてくれませんでした。機材を運ぶのにタクシーがつかまらず、急遽親父に頼んだことを覚えています。なぜか、何も言わずに車を出してくれました。 目黒や、等々力駅そばのホールでもやりましたっけ……素人でも100円なら税金の申告が要らなかったんです。それほど集客はありませんでしたが、楽しかったです。等々力の時は、ひっそりとお袋も来てくれたみたいです。あの頃僕はとても若かった……仲間たちはどうしているかしら?「へぇーそうなんだ~」と連れ合いには言われるでしょう…… 病院坂……「首くくり」ではありません。昔、野戦病院があったからとも言われていますが、今は病院ありません。 坂の途中からですが、カーブしているので交差点が見える場所から撮りました。信号から先は「多摩堤通り」と名称が変わります。ついていけば京急鎌田に行かれます。 ほぼ坂上に到着……この辺りの歩道は広いのですが、途中は狭く、自転車が来ると困りました。ちゃんと譲ってあげましたけどね~ 左が成城三丁目緑地で右奥が明正小学校…… 当然のことながら、この緑地は南に急激な傾斜……黄色いKEEP OUT……危ないから行かないでね!ってことでしょうが、子ども時代の私なら行ったことでしょう。 三丁目緑地の入り口の地図で面白いものを見つけたので行ってみることに……この緑地は変な形をしているので、いったん園外にでました。目的地直前から振り返っての写真で、左は明正小学校です。 ということで、今日はこれでおしまいです。いくつかの坂を歩いてきたのですが、最終回は私にとってこの日 最難関の坂を往復することに……どうなることやら、こうご期待です。
2019.02.04
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なんとも「えぇ~」っていう缶詰を頂戴しました。 K&K缶つまプレミアム「しゃこのアヒージョ」だって…… 前回頂戴した「ししゃものオリーブオイル漬け」も珍しかったけれど、こちらは超珍しい私……だいたい国分のHPにも載っていない……販売量が希少の裏メニューなのかしら? 品名がまたなんとも言えない「シャコ調味液漬」だって。 アヒージョってのは、ニンニクとオリーブオイルで煮込むものだと思っていたけど、「ワイン」も書かれています。確かに、表には「北海道ワイン ケルナー白」って表記してあります。ドイツ原産品種ケルナーを余市で栽培しているようですが、それで作った国産ワイン、なかなかおいしいみたいです。今度、イオンで見てみましょうかしら? でもって、開けるとこんな感じ……なななんと、3匹しか入っておりません!!! 一体全体おいくらなのでしょうか? きっと高いよな~ 小樽のしゃこだもんな~ 取り分けようとしましたが、ほぐれやすいので箸では上手につかめませんでした。立派なしゃこでしょうがオイルで煮ちゃってあるんだから仕方ないですが、なんか残念です。爪のアヒージョならよさそうな気がしますが、どうなんでしょうかしら? しかし、しゃこは久しぶりでしたが、特にこの珍しい「調味液漬」……冥途の土産に食べさせていただきました。ごちそうさまでした。 そうそう、タラバガニもアヒージョにしたらおいしいかもしれない……機会があったら試してみましょう。 野沢菜とチーズ……しゃこでハイボールを飲んだのですが、連れ合いが出してくれました。いつもは6Pチーズなので、クリーミーウォッシュというチーズは初めてでしたが、なかなかおいしかったです。 みなさん、ごちそうさまでした…… 旧暦2月の別名「如月(きさらぎ)」は「衣更着」の字もあてられるそうだ。衣を重ねて寒さをしのぐからだろうけど、今日はとても暖かい。明日はもっと暖かいらしいから重ね着は要らなそう。 アメリカは大寒波襲来で体感温度は零下54℃……一方 豪州は異常な猛暑、南部で46℃越えだって。上下の温度差はなんと100℃……どうなっちゃっているのか? 地球が悲鳴をあげているのだろうね。 昨晩「明日は池上の梅を見に行こうかな~」って言ったら、「豆まきだからどこも混んでますよ」と連れ合いに言われました。そうでしたね……今日は寺が呼んでいても行かれません。なにをしようかしら?
2019.02.03
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1月30日……無名坂・馬坂からの続き… トヨタ MR-S……ごっついウイングが付いていたのでパチリ! 永安寺を出て、仙川沿いに歩こうと水神橋に引き返す途中に停まっていました。往きにはなかったはずなのですが…… 水神橋……寺社見学でちょっと遠回りをしてしまいましたが、戻ってきました。 水神橋から上流(北)の眺め……東名高速とその先は大蔵運動公園です。 ちなみに、運動公園にはC57だったか蒸気機関車が置いてあります。世田谷公園にはD51がありましたっけ……置いておくだけにしても維持管理にはお金かかるでしょうが、世田谷区は楽しませてくれます。 仙川から右手(北東)の眺め……あきらかに高台になっています。 西谷戸橋……水神橋の次の橋ですが、なんとも私の頭がごちゃごちゃになる名称です。谷戸という地名があったのかどうか? 第1話で通ったのは「谷戸川」……ここは仙川なのに谷戸が付いています。谷戸川の西にあるからかしら?……と、つまらないことで悩む私でありました。 西谷戸橋を進行方向右(北東)の眺め……けっこうな坂だこと!!! 岡本三丁目35と36との間の長い長い坂道です。無名坂と同様に車道わきに階段があるのでありがたいですが、この階段、段差がごくごく浅くて歩きにくいことこの上なかった私です。幼児やお年寄りには優しいはずです。 上れども上れどもなかなか進みません。お母さんと一緒に先に上っていた小さい子、もうちょっとです。よく頑張ります。 もうちょっとの所で階段をやめて車道を歩いてみましたが、しんどいしんどい……思わず息がはぁーはぁーでした。 坂上から先の景色……今度は、少し先から下っているようです。ちなみに、直進すると第1話冒頭の谷戸川四之橋に行きますが、同じ道に行くようなことはつまらないので私はしません。 関東の富士見100景……だそうですが…… 残念ながら富士山は望めませんでした。 坂上から坂下の眺め……普段の歩行では使わない足の筋肉がイヤイヤをしていたのですが、頑張って下ります。 途中まで来ましたが先はまだ長い……上らずともよかったのですが、高いところは嫌いでない私…… 住宅が建っていない途中から、南の方角です。 仙川にもどるとドライビングスクール……以前、二子玉川近くの野川脇にあった教習所と同じみたいです。やっぱりアウディーのナンバープレートは「1」でした。 仙川に沿って、東名高速の下まで来ました。 清水橋……仙川は初めてですが、なかなかの川幅……橋も立派です。橋と道路のつながりも、盛り上がったりしておらず上手に工事がされています。呑川緑道の一部とは大違い…… 進行方向右(東)へは少々上っています。自転車乗ってこられたのですが、降りちゃいました。電動アシストじゃないようです。 川は右にカーブしています。「反対側(インコース)を歩けばよかった」と、後悔する私…… 中之橋近くの川……止まっているように見えていた流れですが、勢いはあるみたいです。 道路わきにありました。なぜここに? 川向うに鳥居と祠が見えました。近くの橋を渡っても、手前の敷地がロープで囲まれていたので「行かれないな~」と断念。世田谷区のHPによると、弁財天の鳥居のようで、脇に小さな小川が流れているらしいです。 この辺りの緑豊かで湧き水を有する斜面地を、地元では「愛宕山」と呼ばれ「愛宕神社」が祀られていたそうです。ちなみに、ここにあった愛宕神社は、昨日の大蔵氷川神社に現在合祀されているとのこと……遠回りをした甲斐がありました。 大蔵五丁目8付近の橋の上から……上流方向… スジすじの雲……面白かったので撮りました。デジカメはいいです……フィルムと違い、何枚撮ってもお金かかりませんから…… 解体作業中……ジオラマ作られる方は好きそうです。 東京都住宅供給公社大蔵住宅……地図を見たら、世田谷通りを越えて30棟ほど建っているみたいですが、4期に分けて計1,250戸を建て替え整備するそうです。1年ほど前から解体工事に着手しているとのことですが、南から始めたんですね。 上谷戸橋……やはり谷戸って地名があるのでしょう。 世田谷通り目前……右に何やら発見…… おおくら大佛……ですって! 赤い矢印には「車は次の交差点右折」って書かれていました。寄ってみたかったのですが「戻るの嫌だな~」……おまけに右の建物には「動物霊園」と書かれています。動物霊園の大佛様だったら縁がないので直進した私です。 岡本の坂往復の疲労が尾を引いていた私ですが、もうちょっと頑張りました。続きはまた今度です……
2019.02.02
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無名坂・馬坂を歩いた1月30日…… 岡本公園からまだ歩いていなかった丸子川を上流に行ってみました。 岡本公園から丸子川に沿って北西についていきます……川の右に住宅が並びます。 川にかかった橋が住宅の駐車場です… 堂ケ谷戸橋を過ぎると、両岸に道路ができました。 川の水はこんな具合……立派な柳の枝が下がっていました。柳の時期は知りませんが、葉がでたらきれいだと思います。 白い飛行物体キャッチ……サギの仲間でしょう。詐欺ではなく鷺です。 住民が作った橋かしら? 親水公園……というけれど、子どもたちは遊ぶのでしょうか? 目前の橋を右折するつもりでいたのですが、正面にみえる林が気になる私です。 水神橋……歩いたことのない仙川沿いを行こうと思ったのですが…… 仙川の上流方面の景色ですが、この辺りで写真右の丸子川を作っているようです。結局曲がるのはオアズケにして、呼んでいた林方面に行ってみることに…… 道路わきに小さな神社……「これじゃーないよな~」 桜並木がある西に向かう道です。 大蔵六丁目3あたりの右の道です。やっぱり呼んでいました。 大蔵氷川神社……入り口に到着です。石段上には鳥居がありますが「下にもあったら良いのにな~」と、身勝手に思う私です。 右手にありましたが、昔の手水舎でしょう。「奉納手洗鉢」って彫られています。 庚申様……入り口左にありました。 鳥居までの階段ですが、それほど段数がなかったので助かりました。 鳥居の手前から……石造りの狛犬は結構結構古そうでした。鳥居とのバランスが合いませんから、鳥居は近年の物でしょう。 石段下のが手水舎かと思ったら、ちゃんとありました。 社 殿……暦仁元年(1238年)埼玉県大宮市の氷川明神を勧請したものらしいです。1656年に再建され、文政の初め(1818~1830年)にも本殿および拝殿が再建されたと、書かれていました。 神 殿……脇にも回れたので来ちゃいました。 祭神は「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」だそうです。 神殿の屋根の出っ張り……何ていうのか知らないのですが、きれいだったのでパチリ……比較的新しく改築されたのでしょう。 愛宕宮と七つ宮……合祀された社だそうです。 コンパクトではありますが、比較的広々としています。盆踊りなどもできそうです。ちなみに秋の例祭は10月2日みたいです。 神社の東はじにひっそりとありました。石造りの境内社ですが、説明書きがなかったので不明です。 失礼しようとしたら鳥居の左わきにありました。「力石にしては小さいしな~」と思いながらも撮ってしまう私です。 階段はさほどの段数ではありませんでしたが、正面の南(野川や多摩川)に向かって下がっていくので高い場所です。 子どものころは、こんな手すりにお尻をかけて滑り降りたものです。もう、到底できません。 永安寺門前……氷川神社境内の説明書に『…もと大蔵町の永安寺が別当であった…』と書いてあったので、「近くに寺があるはず」と、探してみた暇な私です。桜の時期には、山門に色を添えてくれるはずです。 山門前の両脇に石仏が並んでいる景色は好きです。 向かって左の石仏たち… 右手には馬頭観音や供養塔が立っています。 大イチョウ……樹齢何百年なのでしょうか? この永安寺は 世田谷百景に選ばれているそうです。 だんだん空はいい色になってきた。高いところの枝切り、怖そうです…… 本 堂……龍華山 長壽院 永安寺・天台宗のお寺で、創建は鎌倉だそうです。 本尊は千手観音とのこと…… 本堂の扁額……「怖くない」のか「怖れがない」のか?……想像できかねる私です。訊ねてみたいのですが、私の訪問時には誰もお見掛けしません。 庭園から事務所……石灯篭も年代を感じました。 本堂脇にありましたが、鬼瓦でしょうか? とても大きいです。 六地蔵……墓地の入り口に祀られていました。 六地蔵前から境内の眺め……手入れがしっかりされていて気持ちが良かったです。 不動堂……不動明王が安置されているようです。残念ながらお姿は拝見できませんでした。元旦など、御開帳は限られえているのでしょう。 開山堂長春殿……ご本尊は十一面観世音菩薩様……江戸時代にはこの場所に「観音堂」が建立されていて「十一面観世音」が祀られていたそうですが、その後は何かの理由で梅林になっていたって。当山開山六百年、再興五百年記念事業として新たに建立したそうです。 鎌倉の故地にあった「龍華樹(りゅうげじゅ)」と名付けられていた桜樹を、清仙上人がこの堂前に移植したといわれ、それにちなんで永安寺の山号を「龍華山」としたそうです。 長春殿扁額(右)……永安寺が応永5年(1398年)に鎌倉に建立された時の院号「長春院」にちなんだもの、とありました。鎌倉当時は臨済宗だったと。 開山堂扁額(左)……内部は椅子式で仏事に利用されているようです。ちなみに、長春殿には大広間があるそうなので、都度使い分けているのでしょう。 ということで、今日は「坂歩き」と題したタイトルとは縁遠い寺社で失礼しました。一日の写真アップ量に限度があるので、続きはまた次回です……はてさて、今度は坂が登場しますでしょうか?
2019.02.01
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