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東北太平洋沖大震災での被災者たちの為に何かしてあげたい!そう思っている心やさしき皆様ちょっと立ち止まって以下のリンクの記事をご一読下さいませ 被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~~僕の浅はかな体験談~http://chodo.posterous.com/45938410 とても素晴らしく、色々考えさせられる体験談でした。でも諸事情により23日には削除されてしまいますのでブログ主の意志を尊重して私も記事の内容の転載ではなくリンクのみさせて頂く事にしました。ブログ内のコメント このエントリーおよびブログは3/23日で削除することにしました。内容の誤解により今後のボランテイア活動を阻害する恐れが出てきたからです。注:~なので、この記事のリンクは23日をもって消滅します 阪神大震災と東北太平洋沖大震災とは被災地の状況が全く違っています。以下、じっくり読んで頂ければと思います。http://npo-uniken.posterous.com/46132557 私は阪神大震災の被災者ですが今回の被災は私たちが経験した被災とは被災状況が全く違います!阪神大震災に基づく間違った情報で被災地の命が危険にさらされています。
2011.03.19
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今そこで両手にトイレットペーパーを持っているあなたスーパーで山盛りのカップ麺を持ってレジに並んでいるあなたちょっと待って下さい私のバリ友旅にゃん日記のokoさんのお友達が困っています以下、旅にゃん日記からそのまんま拝借しました今回の東北関東大地震にてお亡くなりになられた方へ心からご冥福をお祈りします。そして、被災された方々、懸命に救助活動されてる方々、福島原発で対応されてる方々、その他大勢の関係する方々、ありきたりな事しかいえません!しかももう十分がんばっていますがそれでも言いたい がんばってください!今の現状を多くの人に知ってもらいたいので今日はブログをUPしました。たくさん報道されているからもちろん皆様も知ってると思います。買い占めのことです。買い占めることで起こるこんな問題も知ってください!私の食品メーカーの友人からの切実なお願いです。被災地への送り込み物資の製造を優先したいのに、スーパーの棚がカラになって、発注が怒涛の様に来ています。発注に応えないと取引を切られてしまう。どうか買い占めをやめて下さい。被災地の為の商品を作らせて下さい。少しだけ待って下さい。お願いします。あまり拡散希望とかそういうのをしたくはないんです。でもこれは大切な大切な友人の切なるお願いなんです。出来れば他の皆様にもお伝えしていただければと思います。oko
2011.03.17
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気になっているのですが・・・いろんな状況の方々が被災されてとても困難な状況に直面しているとは思いますがそんな中でも特に特殊な状況を抱えて闘病中の方たちはどうなっているんでしょう?食物アレルギーや透析を受けている方々もそうなんですがたとえば・・・私の父のように免疫機能が全く機能していないような患者さんは命からがら避難所に避難したとしてもその他大勢の方と環境を共にするだけで死んでしまいます。ものすごく特赦な環境と特殊なケアを必要とするのですがそれこそ免疫機能と言うのは全く目に見えないし世間一般、白血病と言う病名は知っていても白血病を本当に理解している人は少ないと思うしそのケアの難しさや繊細さは理解していない方が多いのではないでしょうか。 本当にこの震災で父のような、血液疾患を抱えている方たちが犠牲にならないようしっかりサポートされている事を願うばかりですが・・・
2011.03.17
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東北地方の地震発生より6日目・・・いろんな事が見えてきました。被災状況は目を覆うばかりで・・・私たち神戸市民も、あの大震災から16年を経てまるで阪神大震災の時のフラッシュバックのように映し出される被災地の状況に、涙が止まりません。残された被災者にはこれから過酷な復興という形の人生が待ち受けていると思いますが。でも、どんなに苛酷で大変な人生も全て命あればこそです悲しくも一瞬の内に人生を閉ざされてしまった方々には苦しんでのたうちまわる事さえ許されなかったのです。何もかも失って次の人生の開拓は本当に大変だと思いますが人間てうまく出来ていて、どんなにつらい事も時間が経てば思い出に変わります愛する人を思って泣いて泣いて泣き明かしたら、大地を踏みしめて歩き出して欲しいです。なんか、うまく言えなくてもどかしいですが日本国中の人々が被災された方たちを見守っています日本国民が思いを一つにして、支援の輪を築いていこうと懸命ですみんなで一緒に頑張りましょう!!私も小さなことからコツコツと頑張っていきます!
2011.03.16
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節電のお願いです!! 電力を東北へ! 現在現地の情報網や良い情報、悪い情報が混ざり合い 不確かな情報の拡散等を控えないといけない状況です。 そんな中、シンプルで正確、確実な協力方法があります。 ■■■ヤシマ作戦(節電)です。■■■ 今すぐ身近な所にある不要な電源を止めて下さい 東北地方太平洋沖地震の影響で、電気の供給能力が不足して 停電のおそれもあるとして東京電力が節電への協力を呼びかけています。 東京電力 http://www.tepco.co.jp/i/au/press/11031227-j.html ネルフ http://nerv.evangelion.ne.jp/ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 気をつけましょう!! 間違ったチェーンメールが出回っています!!関西からの送電は周波数が違う為出来ないそうです。でも、今関西にいる私に何が出来るか解らないので引き続き節電は心がけて行きたいと思います。阪神大震災で被災したのに・・・今被災して苦しんでいる方たちに一体何をしてあげたらいいのか的確な答えを見つけられない自分が情けなく悲しいです。。。★・3月16日追記・★関西電力より周波数を変換して関東方面へ出来る限りの電力供給を行っているそうです!!変換機能に限りは有るみたいですが関西に住む私たちの節電も決して無駄にはなりません!!!節電頑張りましょう!! 募金と節電が被災地から離れた我々の出来る 正確で最大の支援です。 (ヤシマ作戦サイトより引用)
2011.03.13
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今朝ほど掲載させて頂きました被災された方々へのメッセージが一部内容訂正されていましたので、こちらでも訂正させて頂きます。果たして、被災された方々にどれほどのネット環境が有るのかはなはだ疑問では有りますが私も被災して16年、全国の方々からいただいた温かいメッセージで今は元気に生きています今はどん底で何も考えられなくても命さえ有れば、なんだって出来ます!命さえ有れば、人生何度だってやり直せます!!生きているだけで丸儲け大変だと思いますが凹まず、くじけず、頑張りましょう!!! 以下、そのままコピペです★★コメントくださった方のご意見★★ 訂正文が出ていましたので貼り付けます。 地震が起こったら、必ず窓を開けてください。そして、家にいる人は、今、お風呂に水をためてください。まだ、電気が通じる人は、ご飯を炊いてください。 ※地震が起こったら窓には近付かないでください。 窓ガラスが割れて怪我をするおそれがあります。窓を開けるのは地震が起きる前か、揺れが収まってから、窓ガラス割れていないことを確認してから開けましょう。 まずは開けるなら『ドア』です。避難場所を確保してください。 ※さらに、お風呂に水を溜めることはしないでください。 水は貴重です。 全家庭が水を大量に使用すると、火災現場や炊き出し等に使う水が不足します。 また、避難の際に水を出しっぱなしにしてしまうケースが多いため、水不足が懸念されます。 被災地に近ければ近いほど水の使用は制限してください。 ※さらに一番危険なのは米を炊くことです。 今はまだ余震が続いている状態です。 もし、ガス漏れがあった場合、引火し爆発するおそれがあります。(米を炊くのはガス漏れの危険性がない地域限定にしましょう) 辛いとは思いますが炊き出しを待ちましょう。 さらに、地震の影響で泥水が混ざっている可能性があるので十分な注意が必要です。 あと、避難の際は必ず運動靴を履いて逃げてください。 今は足元に危険な物が多数落ちている場合があります。怪我防止に努めましょう。 日記にもその他の情報書いてますので、よろしくお願い致します。 被災地の方、まずは暖をとってください。 なるべく1人で行動しないでください。 特に女性の方は性犯罪に巻き込まれないように注意してください。 過去、トイレorお風呂貸します等で女性が騙され襲われるといった性犯罪が起きてます!絶対に1人で行動しないようにお願いします。 小さいお子さんや、迷子の子どもが近くにいたらそっと抱きしめてあげてください! 大人でさえパニックに陥る中、子ども達はもっともっと不安で心配で恐怖を感じているはずです。「大丈夫」たった一言でも声をかけてあげてください。 そして近くの方となるべくコミュニケーションをとって、力を合わせてください。 特にお年寄り、子ども達、女性、妊婦さん。もちろん1人の男性にも声をかけてあげてください。心に余裕がある方で大丈夫です。もし今心に余裕が無くてもまわりの方と言葉を交わすだけで少しでも不安が和らぎます。 家族、友達、同僚、親戚...あなたの大切な方と連絡が取れない状況が続いていると思います。でも慌てず落ち着いてください。必ず、会えます。会いましょうね。大丈夫。 1人では微力かもしれないけど、まわりの方と力を合わせたら少しは大きな力になります。大阪からですが、みんなで情報等まわしています。一緒にがんばりましょう。 これ以上被害が広がりませんように。 なるべく多くの方が無事でありますように。 緊急時伝言ダイヤル 171番 ※119や110が非常に繋がりにくくなってます。安否確認はなるべく上記の171番やmixi、Twitter等のネット経由でお願いします。 【拡散希望】外国人の方で地震情報を求めている方がいらっしゃいましたら、現在NHKラジオ963にて英語、中国語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、フランス語の各言語で地震情報を放送しています。 東京避難所23区内 http://cgi.mobile.metro.tokyo.jp/aps/tosei/bousai/hinan.htmlよりコピペ 事前に避難場所を決めておいて、家族や実家に知らせておくと良いと思います。 また、家族の写真なども用意しておくと、身元確認がスムーズに行えます。 世界中が祈ってます。 心配になったり、悲しくなったりするけど、こんな時こそ、勇気が出る、元気が出る言葉を沢山話しましょう! 祈りましょう!
2011.03.12
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以下。Mixiからのまるまるコピペです緊急拡散希望です。 お知り合い、マイミクさんにお伝え願います。 ↓↓↓ 阪神大震災の経験者の方の経験則のお言葉だそうです。 有益な情報も多いので、ぜひご一読&お伝え下さい。 ========================== 地震が起こったら、必ず窓を開けてください。 そして、家にいる人は、今、お風呂に水をためてください。まだ、電気が通じる人は、ご飯を炊いてください。 阪神淡路大震災の経験から、皆さんに伝えます。 X字の亀裂が入っているとこはすぐに崩壊するから注意! 携帯と充電器、ラジオ、ペットボトル水必要! ヒール履いてる人は折る! 食料は最低3日間は自立しなきゃいけない。トイレは基本ないからビニール袋を。 火事などの2次災害に注意! パニックになったら周りもパニックになるからしゃがんで「落ち着いて!」と叫ぶ。 ストッキング履いてる女性はできるだけ脱ぐ。火傷したら広がるから。あとナプキンがいい止血帯になるから覚えておいてください。 安否確認はダイアル171! できるだけ安否確認で電話は使わないで!救急ダイアルが混乱するから。 あったらいいもの お金 水 ペンライト お菓子 携帯 応急セット ハンカチ ティッシュ 被災者のために持っている情報を無駄にしたくないので日記にコピペして拡散してもらえると助かります。 テレビのむこうだけをじっと眺めているだけではいけない。 追記 屋内の場合 ●家の中 ・テーブルの下にもぐる(無理なら座ぶとんなどで頭を守る) ・ガラス片が危険なため、素足で歩かない。 ・火の始末はすみやかに。 ●デパート・スーパー ・バッグなどで頭を保護。 ・ショーウインドウや売り場から離れ、壁際に。 ・係員の指示に従う。 ●ビル・オフィス ・机や作業台の下にもぐる。 ・ロッカーなど大型備品の転倒、OA機器の落下に注意。 ●集合住宅 ・ドアや窓を開けて、避難口を確保。 ・エレベーターは絶対使用しない。避難は階段で。 屋外の場合 ●路上 ・かばんなどで頭を保護し、空き地や公園などに避難。 ・ガラスや看板などの落下に注意。 ・建物、ブロック塀、自動販売機などには近寄らない。 ●車を運転中 ・ハンドルをしっかり握り徐々にスピードを落す。 ・道路の左側に車を寄せ、エンジンを切る。 ●電車などの車内 ・つり革、手すりに両手でしっかりつかまる。 ・勝手に車外へ飛び出さず、係員の指示に従う。 ●海岸付近 ・海岸からすぐに離れ、高台へ避難する。 津波から身を守る為のポイント】 津波警報が出たら、ただちに高い場所へ 小さな揺れでも油断しない 津波のスピードは速いので注意 繰り返し襲ってくるので注意 テレビ・ラジオなどで正しい情報を確認 追記2 【緊急拡散希望!】 【人命にかかわります!!】 電話の使用は極力避けてください! 非常の為の119番や110番がかかりづらくなっています 安否の確認は災害用伝言ダイアル171番 またはツイッターなどのネットの利用でお願いします 【拡散】電話の使用は極力避けましょう。 緊急の連絡(119,110)で必要としています。 安否の確認は災害伝言板ダイヤル171、ツイッター・ネットやSkypeを使いましょう。 RT願います。 地震が起こったら、必ず窓を開けてください。 そして、家にいる人は、今、お風呂に水をためてください。 まだ、電気が通じる人は、ご飯を炊いてください。 阪神淡路大震災の経験から、皆さんに伝えます。 中越地震経験者として言えることは、避難してください 地震は大きな余震が何度でもきます 一週間は覚悟してください 家には帰れないと思ってください 帰らないで下さい おねがいします 命より重い財産はありません おねがいします 倒壊した家屋に戻った結果余震で怪我をする方が多いんです 災害に乗じて犯罪が増えているようです。女性を狙った性犯罪(公衆トイレは危険だそうです)、警察と偽る詐欺電話・訪問、空き巣・強盗など。 停電している家でもブレーカーを落として窓を開けて風呂に水をためて下さい。 ビニール袋があれば雨水を溜めましょう。飲めます。 家が壊れていない場合、防犯対策をきっちりとしてください! 建物に赤い紙が貼られているのは「全壊」の判断を受けた建物のようです。倒壊の恐れがあるので近寄らないで下さい 広い道路の真ん中を歩く。沢山の人が帰宅します。慌てずに。出来れば、側にあるビルには入らずに。ブラジャーとストッキングは止血に最適です。安否情報は各キャリアの伝言板へ。自分の位置情報を書き込んで下さい 意識を失っている場合むやみに揺すったり名前を読んではいけません!! 地震とか二次災害が起きても慌てずに情報をインターネット・ラジオなどから得ること 嘘の情報も流れている可能性があるのでしっかり見極めて判断すること 通信各社の災害用伝言板は以下の通り。 ▼NTTドコモのiモード災害用伝言板サービス →http://www.nttdocomo.co.jp/info/notice/page/110311_01_m.html 伝言板にメッセージ登録が可能なのは青森県、秋田県、宮城県、山形県、福島県。 PCからメッセージを確認する場合はhttp://dengon.docomo.ne.jp/top.cgi。 ▼KDDIの災害用伝言板サービス EZWEBトップメニューかauoneトップから災害用伝言板へ。 安否情報の確認はhttp://dengon.ezweb.ne.jp/。 ▼ソフトバンクモバイルの災害伝言板 →http://mb.softbank.jp/mb/information/dengon/index.html Yahoo!ケータイの災害用伝言板メニューかMy Softbankからアクセス。 安否情報の確認はhttp://dengon.softbank.ne.jp/。 ▼NTT東日本 →http://www.ntt-east.co.jp/saigai/index.html 災害用伝言ダイヤル「171」と災害用ブロードバンド伝言板「web171」。 ▼ウィルコムの災害用伝言板 →http://www.willcom-inc.com/ja/dengon/index.html ウィルコム端末からのアクセスはhttp://dengon.clubh.ne.jp/。 他社携帯やPCからのアクセスはhttp://dengon.willcom-inc.com/。 ▼イー・モバイルの災害用伝言板 →http://emobile.jp/service/option1.html#saigai アクセスは、ブックマーク(お気に入り)→EMnetサービス→災害用伝言板→災害用伝言板トップページ。 安否確認はhttp://dengon.emnet.ne.jp/ ■通信各社の災害用伝言板■ view_news.pl?id=1531519&media_id=32 、であります。ご注意を。
2011.03.12
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3月5日の土曜日、六甲病院緩和ケア病棟で昨年中に亡くなられた患者遺族の家族会が有りました。午前10時30分から12時30分までの開催と言う事で、出席はちょっと難しいかな~と思いましたが比較的近い場所に職場が有るので、都合をつけられない事もなく一応出席のお返事は出しておいたんですがやはり、土曜日でちょっとバタバタしていて、時間的に間に合いそうもなく元々行きたい気持ち半分行きたくない気持ち半分だったのでお花だけ届けて出席するのはやめる事にしました。でも、仕事が12時過ぎに一区切りつき、その後2時間くらいぽっかり時間が空いてしまい(出席予定で1時半頃まで予定入れていなかったので)家族会は12時30分閉会予定なので、タクシーすっ飛ばせばぎりぎり最後くらいには間に合いそうで…。ここはスパッと気持ちを入れ替えて、きれいにラッピングされたお花を自分の手で届けがてら、お世話になった病棟の医師や看護師さんにご挨拶くらいはして来ようと思い、急遽六甲病院まで行く事にしました。到着すると、ボランティアの方たちが、相も変わらず優しい笑顔で出迎えてくれました。父が入院中にもボランティアスタッフの方たちには本当にお世話になりました。緩和ケア病棟は、医療スタッフはもとより、このボランティアの方々の存在なくしては成り立たないのではないかと思えるほど、ボランティアの方々はとても重要な存在で有ると私は思っています。六甲病院の緩和ケア病棟が、終末期を迎えた患者の治療や患者家族の心のケアなどのフォローがきちんと出来ていたのは、心やさしいボランティアの方々がしっかりと、医療スタッフの手の回らないところのサポートを請け負っていたからだと言う事も忘れてはいけない事だと私は思っています。ボランティアの方の案内で家族会の会場に入ると、ちょうど緩和ケアの看護師さんが最後のご挨拶をされているところでした。私の到着は本当に会の最後2~3分だけの参加となってしまいましたが、閉会後に懐かしい先生や担当看護師のMさんと少しだけですがお話する事が出来ました。みなさん、父亡き後の私の事を気に掛けて頂いていたらしく、元気に少し太った私を見て心底ホッとして頂いている様子がとてもうれしく、重い気持を振り切ってほんの少しの時間だったけど、参加出来てよかったと気持ちが軽くなりました。昨年の12月、家族会の案内状を受け取った時に私は、その封書の病院名を見ただけで大泣きしてしまったので、本当に出席する事がつらく、かなり迷って、それでも、いつまでもめそめそしているんじゃない!と、自分で自分の背中を強く押して、出席の返事を出したのですが、実際の所は家族会の当日になってもまだまだ気持ちの踏ん切りがつかず、仕事にかまけて欠席しようと考えていたのです。でも、頑張って六甲病院まで行き、懐かしい皆さんの変わらない優しい笑顔に再会して本当によかったと思え何となくですが、父を蝕んだ成人T細胞白血病の呪縛から解放されたようで、ちょっとは明るく軽い気持ちになる事が出来ました。自分自身ではとうに父との闘病生活には踏ん切りをつけているつもりではいたのですが実際は全然吹っ切れていなかったようです。私は、ホスピスと言う所は、治療の手立てが無くなった患者が苦しむ事なく穏やかに最期を迎えるところだと、漠然とした知識だけで苦しむ父を何とか救って欲しくて、ここでなら父も少しは楽になれるんじゃないかと、すがる思いで父の最期を託した訳ですが入院して初めて私は緩和ケアと言う言葉を知り、ホスピスと言う所は患者本人の苦しみを緩和してくれるだけでなく、患者家族の行き場のない心の緩和ケアもしてくれるんだと言う事を知り、どれほど感謝した事か…。治療の最前線の病院から、静かに死を迎える病院へ・・・私は今でも時折、この選択が正しかったのかどうか切ない思いに駆られる事があります。父の人生の幕引きを私がしてしまったことへの後悔。本当は父はもっともっと病魔と闘いたかったのではないか!?有り得ない事だったとは思うけどひょっとしたら、あのまま市民病院で治療を続けていれば、父は病気を封じ込め今も元気に生きていたかもしれない・・・。・・・本当の意味で病気に負けたのは、父ではなく、私の心の弱さだったのかもしれない。 なんか色々思いだして、久々に泣けてきちゃいました。この続きはまたいつか、もっと心の整理が出来て、私なりの結論が出た時にでもまた書く事にしましょう。
2011.03.10
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2009年9月14日(月)抗がん治療開始よりちょうど1週間、父は急激な弱り方で有る意味抗がん治療の効果が出ていたと言う事かもしれませんが、父の体調はものすごく悪く一人でベッドから起き上がる事は勿論、歩く事も困難な状態で、ほぼ寝たきり状態になっていました。その上、抗がん治療の副作用で免疫力が低下した事により高熱が続いていて感染症を防ぐために抗生剤の投与と輸血をしたけど、効いているのかいないのか…。免疫力低下による感染症での副作用は顕著ですが、治療効果は全く目に見えないのがもどかしいです。勿論そんなに早くに治療効果が出ない事など百も承知ですが期待していた下痢症状も全く変わりなくほんとに、自力で起き上がる事が出来なくて、それでも高熱でつらい身体を頻繁に起こしては簡易トイレに座る父が可哀そうでこの頃の父の写真も有りますがちょっと切なくてここに載せる事は出来ませんでした。 2009年9月28日(月曜日)抗がん治療開始より3週間多分副作用の倦怠期から抜けだしたのだと思いますがずっと続いていた無気力状態が少し緩んだのか少し元気を取り戻した父は、お散歩を嫌がらずに付き合ってくれるようにはなりましたが抗がん治療以前は自力で歩けていたけど、この頃には車いすに座るのが精一杯でそれもそんなに長い時間座っている事は出来なくなっていました。 相も変わらず、この頃は主治医から何の説明もなかったのでこの当時の私は、父の一連の症状が抗がん治療の副作用で毎日続いた高熱も、免疫力の低下からいろんな菌に次々と感染していたからだと言う事も知らずまた、父の副作用の治療にどのような処置や処方をしたのかも聞いていませんでした。まあ、この頃は私自身もほとんど寝たきり状態になってしまった父の世話を焼く事に必死で、いろんな事を知りたいだとか、治療に関して疑問を抱いている余裕もありませんでした。ほんとに何としてももう一度父を生きて自宅に連れ帰るんだ!と言うような思いだけで、毎日を必死な思いで過ごしていたように思います。で、父の抗がん治療ですが、副作用で免疫力が落ちた時期とその後、その倦怠期を抜け出して治療効果が見えてきた時の状態が目を見張るようで、抗がん治療と言うのは、本当にすごいなあ~と、ちょっと感動したりもしました。でも、本当の意味で何よりすごかったのは父の頑張りで精も根も尽きたような状態でも、自分に甘えることなく気分が悪くてどうしようもなかったはずなのに必ず誰かの手を借りて起こしてもらっては、トイレで座り、力ない手で歯ブラシを握りしめ、食後(おもゆ程度)の歯磨きに消毒もきっちりこなしものすごく生きて行く事に執念を燃やして頑張ってくれていました。本当にこんな状態にあっても、親の親たる由縁を体を張って示してくれる素晴らしい父でした。そんな頑張る父を目の当たりにした鬼のような娘は(笑)更に頑張るんだとはっぱをかけて、更なる頑張りを強要していたのですから今思うと、もうちょっとだけ優しくしてあげても良かったかななどと思ったりもしています。
2011.03.09
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今日…というか既に昨日の事我が家のかわいいニャンズにとっては1年で一番嫌いな日予防接種と身体検査ですほんで、毎度かわいいお友達のカナちゃんのでもみの木動物病院へまずはいつでもどこでもマイペースなハナちゃんうふお医者タンなんてへっちゃらよな、なにかちら・・・ちょ、ちょっとシチュレイいたちまちゅな、なんかオトコマエのおにーちゃん増えてるしぃ~~~うっおにーたん、ハナコのタイプでしゅけどチクッチクッチクッうぎゃあぁぁぁーーーー な、なにするねん ネコごろしいぃぃぃ~~~~ で、なぜだか本日もたった1枚しか写っていないちびたろーくん 目つきすこぶる悪いし 血液検査の結果は1週間後ですが予防接種も無事終わり身体検査結果も問題なしでした でも・・・ちびくんの体重6,6キロ 肥満度123%ハナちゃんの体重4,6キロ 肥満度110%飼い主さんの体重~~キロ 肥満度115%(タブンネ肥満がかわいいなんて誤った考えは捨て肥満は万病の元と、飼い主さんもしっかり意識改革して家族そろってダイエットに励みましょうと、叱られちゃいまちた~~
2011.03.07
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2009年9月8日(火曜日)この日、やっとの事で治療が開始されました。一時はこのまま何の手の施しようもなく、原因不明のまま死んでしまうのじゃないかと思っていたので、たいていの方が結構暗い気持ちで受けるであろう「抗がん治療」ですが、私たち親子は心待ちにしていたので、山のように積まれた点滴を見てウキウキした気分になった事を思い出します。あの時の私たち親子にとって、抗がん治療に突入できると言う事は、父がまだまだ生きていけると言う事の保証を得たようなものだったのでしょう。朝11時頃から始まった点滴の山この日1日の点滴の量はこの3倍くらいは有ったように思います。治療が始ま直前の父です私のうれしい気持ちが伝染したのか、とてもうれしそうです。この時の父は今から始まる点滴の山が、抗がん治療だとは全く知りません。ただ、自分の行き場のない体調の悪さがこれでやっと改善されるんだ!これで下痢ともおさらば出来るんだ!!と言うような軽いノリだったと思います。ほんとにどんな事にもポジティブで、とても明るくかわいい父でしたこの日始まった抗がん治療ですが、その当時始まる日には病院側からは何の説明も有りませんでした。勿論、数日前に主治医と面談して、今後の治療内容の説明は受けてはいましたが、いざ治療開始すると言う前日にも当日にも「いついつから治療はじめます」と言う告知はなく(いつ終ったのかも、一体何日間での治療だったかもいまだに知りません)運び込まれた点滴の山を見て、たまたまお休みで居合わせた私の方から看護師に質問してわかったのですから。本当ならとても繊細なはずの抗がん治療な訳ですから、何日から何日までの何日間で治療して、もし傍に居てこういう症状が出たらすぐに看護師呼んで下さいとかの、簡単な注意と言うか説明くらいは有っても良かったのではないかと思いますが、その頃の私はまだまだ病院にも不慣れで、医師や看護師たちに全幅の信頼を置き、病院内での治療に於いては決して間違いが起ころうはずもなく、病院側が患者側に大した説明もなく治療を始める事は病院側の権利で、その事に患者側が口を挟むものではないと無意識の内に思っていたのだと思います。ほんとにあの頃の私はかわいかった(笑) 兎にも角にも、私たち親子が身を焦がして待ちわびていた治療がやっと始まり成人T細胞白血病リンパ腫との戦いの火ぶたが切って落とされると同時に私たち親子の最後の時間のカウントダウンの時計が回り始めたのです父の写真の間に写っていたにゃんズです主治医の頭を抱えさせた我が家のペットですがこの子たちの癒しがなければ私たち親子はもっとずっと早くに果てていたかもしれません
2011.03.04
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やっとの事で重い腰を上げこの日の続きへと参りたいと思います2009年9月4日(金曜日)この日、私の職場に初めてN医師から父の病状説明と今後の治療について話したいので、早急に会いたいと連絡が有ったので、私は夕方早めに仕事を切り上げ、N医師と初対面の席につき父の病気についての説明と今後の治療方針の説明を受けました。その時の話の内容は、私が自分ですでにネットなどで調べていた通りで、治療方法も「CHOP療法」で行くとの事でした。ただ残念な事に父は既に病気を発症して時間が経っている事と、下痢の症状がかなり深刻で体力的にもかなり厳しい状態ではあるという事で、何とかこの治療法でまずは父の下痢を止めてあげましょうと言うお話でした。N医師のお話の内容は大体が下調べの範疇でしたが、抗がん治療をしてまずは下痢を止めようと言う説明に驚いた私は「父の下痢は抗がん治療が成功しないと止まらないのですか?」と、まさか長々と苦しんでいる父の下痢が抗がん治療でないと止まらないような深刻なものだとは思ってもみなかったので、ほんとにまさかまさかと思いながら質問したのですが「そうです。お父さんの下痢は成人T細胞白血病の症状として出ているので、まずはこの病気を封じ込めない事には収まりません。」と言われました。このN医師の説明で、今さらながらに、父が下痢症状を呈して2ヶ月半…私たち親子は何んと無駄な時間を過ごしてきた事か…。そして、色々な医療機関での医師たちの父に対する診療の危機感のなさを恨みました。人生に於いて、「もしも」や「たられば」は有り得ないとは言いますが父の止まらない下痢を訴えて診てもらった医師たちの中で、誰一人として何カ月も止まらない父の下痢に不信感を抱く者はおらず、皆さんそれぞれが最も簡単な診断…「高齢だから」との診断を下していたのです。ほんとにこの中の誰か一人でも、父1の止まらない下痢に「異常ですね!ひょっとすると何か得体のしれない病気が潜んでいるかもしれないですね!」と、診断してくれていたら…とは、思うけど…、そんな宝くじの1等賞に当選するような夢物語を描いてお医者様に文句を言うのはとんだお門違いだと思うのでやめておきましょう。で、引き続きN医師のお話としては「お父さんには時間がないので、出来るだけ早急に治療に入りたいと思いますが、今の時点で、お父さんはかなりの菌に感染していて、まずはその菌を有る程度殺してから治療に入らないと、ただでさえ免疫力がないのに、更に抗がん治療をして白血球が極端に低下して全く無防備な状態に陥れば本当にごく簡単に感染症で命を落とす事になるので、出来るだけ安全に治療に取り掛かれるよう、既に治療に先行して抗生剤の投与を開始しています。」「抗生剤で有る程度菌の抑制効果が出てくれば、週明けにでも直ぐに抗がん治療に入ります。」というような内容で、他には、仮に抗がん治療がうまくいったとしても、今後は免疫力のないお父さんは常に感染症の危機にさらされることになり、感染症に寄って簡単に命を落とす事もあると言うことを覚悟しておいて下さい。と言う事でした。この時N医師には、まず父の治療の最初の目的は、下痢を止めてご飯を何とか口から摂れるようにしてあげましょう!と言われましたがほんとに父が下痢になって2ヶ月半、食事を摂らなくなって1カ月半この目標としている治療での症状の改善は願ってもいない事では有ったけど…やはり本当に欲しかった言葉は「病気の封じ込め!!」だったので心の片隅で、うれしいような悲しいような、厳しい抗がん治療が奏功して得られる結果が「下痢と食欲」なのか・・・と、少し凹みましたがこの事については、後々の治療経過から察するに単に治療の第一段階の説明をしていただけで、まずは目の前の階段をしっかり一段一段踏みしめて登って行こうと言う事だったのだと思います。話の最後にN医師は、本当ならこの病状説明と治療方針については父に直接話し、父の了解を得なければならないけど、私の父に告知はしないで欲しいと言う言葉を受けて、私が父の病状・治療の説明をしっかり理解したとして、私の承諾を父の承諾として治療に入りますと言う事でした。そして、お話が終わってN医師から、何か質問は有りますか?と言われまだまだこの病気の本当の大変さを分かっていなかった私の、ヘッポコ質問が「あのぅ~、父には免疫力がないと言う事ですが、万が一にも父が回復して自宅に戻れたとして、我が家にはかわいいにゃん子が2匹いるのですが、大丈夫ですかね??」ほんとに、N医師にちょっと笑ってもらうつもりでした質問だったのですがN医師は頭を抱え込んで「う~~ん。。。動物は厳しいですね!」「まあ、捨てろとは言わないですけど、お父さんとは全く接触しない別の部屋で飼ってもらうか、隣の部屋からこっそり眺めるとか、最低でも絶対触ってはいけません!!」「たとえば、少し爪で傷がついただけでも、どんな菌に感染するかわからないので、動物との接触はお父さんにとっては命懸けという事になります!」まさかこんなに真剣な答えが返ってくるとは思わず私は随分びっくりしたのと、免疫力のない事の大変さを少し認識したのと何よりも、N医師が自宅での生活をこんなに真剣に危惧してくれた事で私の中で半分以上諦めていた父の命の灯が、大きく輝いたうれしい瞬間でもありました。
2011.03.02
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ほんとに年をとると時間のたつのが早くて今年も、ついこの間お正月やったと思ったら、今日は3月…ほんとに時間の経つのが早くて・・・1年前の今頃は、父が大腸に穴があいて緊急手術の後恐ろしい程の回復力であの「成人T細胞白血病リンパ腫」を発症してから最も元気な時間を過ごしていたときで私自身父のその元気な姿にもう病気はどっかに行ってしまったんやものすごい恐ろしい病気やと思っていたけど結構チョロかったやんとか思っていた頃でまさかその後1カ月もたたないうちに再発6月には天国へ逝ってしまうとはゆめゆめ思っていない頃でしたと言う事で久々ですが父の病気発症の頃の日記の続きへ舞い戻りますこの日記の続きから始めますが、父の事のいきさつをご存じでない方には何のことやら???な、話になってしまいますただ、 「成人T細胞白血病」なんて病気に興味をもたれた方はリンクからお勉強して頂き私のブログのATL・HTLV-1・医療センター中央市民病院・闘病記などのタグから検索して頂きますとこの病気の恐ろしくも悲しい経緯を解って頂けると思います。 で、またまた前置きが長くなったので肝心の父の闘病記の続きは次回から始めたいと思います
2011.03.01
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