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まずは解禁ということで一杯。豚肉脱税額で一杯。松坂君の金額で一杯。和歌山県知事で一杯。北ではこれも贅沢品かなあと一杯。陣内めー!と三杯。
2006.11.16
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(中尾彬調に読んでくださいね。) 腎臓もタマタマ2個あると思うから、そういう話になるんだよな。右手と左手みたいに一対で考えられんのかね。片足を事故で失ったら義足をつけるのにさ。 内臓移植は究極の対症療法で、この行き着く先は絶対に臓器売買だぜ。ある国のある村は貧しいから腎臓提供者がいっぱいいて、腎臓村と呼ばれているんだ。そこに世界中の裕福な患者が買いに来るんだってさ。需要と供給とかいってさ、まるで民主主義の自由経済みたいに言ってるぜ。また、ある国は死刑執行した後の遺体は臓器提供にまわされるんだってさ。一見、人道的に聞こえるよな。でも最近、核やミサイルがどうのこうのと言っている国の死刑囚はそんなサイクルに取り込まれたら、たまったもんじゃないぜ。そもそも犯罪者といってもその国の時の権力が決めているだけだからな。現実、死刑の無い国だってあるだろ。そういうドナーは結果的に臓器の在庫管理者で、臓器が必要になったからといって取り出すのかい。そうなると、これっておかしいと思うだろ。 俺? 実は俺も以前はあの黄色い臓器提供カードを持っていたよ。裏に全部どれでもご自由にお使いくださいと書いてさ。嫁さんにも署名させて免許証と一緒に持ち歩いていたさ。でももうやめた。実際、困っている人がいるのは分かる。でもな、医者ならその病気の原因を突き止めれよ。そして政府は国民が病気にならないように考えれよ。という主義に変えたのさ。それが本来あるべき姿だからな。それに黄色いカードを持っていたら海外旅行におちおちと行けなくなるだろ。いつ犯罪者にされるか分かったもんじゃないからな。だいたい、テレビ番組でこの野菜のこの成分が実は○○の病に効くのが最近の研究で分かったとかいうと、翌日スーパーで売り切れになるという国なんだよ。それは次の週はこれで、その次の週はこれというふうになるんだよ。その場当たり的な発想や対症療法では根本問題は解決しないからな。 いつからそんなふうに考えるようになったかって?あんまり言いたくなかったけど、プラーナとかチャクラとか学んで、死そのものに対しては恐れが無くなった時からだな。 いつ死んでもいい?馬鹿言っちゃいけないよ。もうちょっとこの世で遊ばせてくれよ。
2006.11.07
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マスコミで連日のように学校での虐めの問題について報道しています。虐めの先頭にたった教師やそのいじめの事実の存在の認定にのみに右往左往する学校や、保身に徹した名ばかりの教育委員会はまったくの問題外で教育者として致命的な失格者といわざるをえませんが、そのことのみ大きく取り上げて、自殺してしまった子供やその家族はただの被害者として扱って、ことを簡単に治めてしまおうというような報道の姿勢はいかがなものかと思うのです。 勘違いしてもらうと困るのですが、死んでしまった子供が負け組みだったから、しょうがないことだと言っているのではありません。むしろ、その「勝組・負組論」が良くないといいたいのです。勿論、死んでしまった子供さんの悪口を言うつもりはありませんし、子供を失った失意の両親を責めるつもりもありません。虐めた側の子供をかばう気もありませんが、報道を中心に今の世間の風潮がどこか違う方向に向いて動いているような気がしてならないのです。 何はともかく犯人探しや責任問題を論ずる前に、いじめが悪いという前に大至急、子供に自殺は良くないことだと教えてほしいのです。自分を殺すのも人を殺すのと同じで決してしてはなりませぬ、良くないことですと教えてください。会津藩の「什の掟」ではないですが、ならぬものはならぬものですと。 残されたご両親のわが子に向けられたいじめに対する怒りは充分に理解できます。さぞ悔しいことでしょう。情けないことでしょう。しかし、今のその怒りのエネルギーを生きることの苦しさと共に命の大切さ、生きる知恵など苦労話をしながらでも親子で社会の矛盾や理解についての対話や、視点を変えるものの見方とか、大局的な見方とかそういうものができなかったのが残念でたまらないのです。母が子供をかばうように自分以外に守るべきものがあって、生きることに使命感があれば自殺はしないだろうし、親がそういう苦労、例えば生活の糧を得る苦労をしているのを見れば、食に対して、生に対しての感謝も生まれ、自ら死ぬようなことはできないだろうと思うし。自分自身しか守るべきものがなくて、守れないから、応援もないと勘違いしていたから、やってしまったということなのでしょうか。こんなに情報が氾濫しているというのに、身近に感銘を受ける出来事がなくて不幸だというのでしょうか。世界中の不幸な出来事を我が身と置き換えて考えることができなかったというのが自分自身の不幸を招いてしまったということなのですか。ヘレンケラーやマザーテレサなどの偉人といわれる人の例を挙げるまでもなく、不幸な出来事から生まれる人間の優しさについても学ぶこともなかったのですか。 どうか宇宙の大きさについて、銀河系の素晴しさについて、太陽系や地球の美しさや神秘について、マクロ、ミクロの大自然の営みや人類の歴史等について考えたり、話し合ったり、日常の視点を変えて子供の自己評価が上がる、できれば感動するような機会を作ってやってください。 やはり「いただきます。ごちそうさまでした」という日常様々なものに素直に心から感謝する習慣に欠けていたのも一因ではないでしょうか。 そして子供をなんでもかんでも競争社会に組み入れてはいけないですよね。バラエティ番組に限らずマスコミのなんでも勝組と負組の二つだけに決めなければならないという風潮は決して満たされることはありません。白黒つけずとも他の色もグラデーションもあるのですから認めてあげましょう。中間が灰色だけではないということを。そして誰か一人を虐めて喜ぶ罰ゲームもやめましょうよ。怒り声を売り物にする芸人も本当はよくないですね。 やはり、なんといっても「笑う門には福来る」で「泣きっ面には蜂」なのです。大人も子供もお願いですから、好きな人、好きなこと、好きな物、楽しいことをもっともっといっぱい考えて、明るい笑顔でいてくれませんか。
2006.11.06
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