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今日もマスコミに苦言を呈したい。 最近の報道番組では、その放送局に事件当事者の音声がない時、アナウンサーがまるで声優かモノマネのように当事者に代わって声を吹き替えしているのが、聞いていて鼻について困る。「お前がその場で直に聞いて、その上でその人を真似てるのかー!」と突っ込みをいれたくなる。声優でも、モノマネ芸人でもないから、一言でいえば「ヘタクソ」。 想像で口調や声色を作り現場の雰囲気を出したいのかもしれないが、まったくもって余計なお世話である。「事実を知りたい視聴者」なのに、下手な作り物を見せられたのではたまらない。 捕まった容疑者の自供内容ともなれば、どうせ警察発表によるものだろうと素人でも想像がつくというのに、あたかもその現場に立ち会っていたかのように、さもなくば聴取の現場録音を聞いたか録画でも見たかのように、何故そこまで「想像上のモノマネ」に作り上げてしまうのだろうか? 取り調べは、聴取する者とされる者との会話のやり取りであり、取調官から発表者へという又聞きの又聞きに、さらにその内の一方だけの発言を取り上げて、下手なモノマネに仕立てても臨場感も現実味も何もない。というより、最早それは「胡散臭い脚色」といってもいいだろう。報道というものは脚色をしてはいけないと思うのだが、今の放送局にはそういう認識はないのだろうか? 言葉をカットされて、発言の一部分だけを取り上げて誤解を招いたことも今まで多々あったはずなのに、カットにカットを重ねさらに脚色したら、それは真の報道のあるべき姿ではもうなくなっているといっていいだろう。どうやらこの手の作り物(下手なモノマネのような吹き替え)は「ヤラセ」ではないから報道の倫理規定の範疇にあたらないらしい。 「ニュース・ショー」と呼べばそれらの行為は許されるというのだろうか?それではハキチガエも甚だしい、視聴者を軽んじた姿勢というものだ。世論の扇動になってはいないか?マスコミはたえず自問自答してほしい。私は「報道にモノマネは要らない」と思う。
2015.04.26
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イスラム国をどう呼ぶべきか、イスラミックステート、テロリスト集団ISSR、色々な論議があったが、どれもいまひとつで、「こうだ!」と主導権を握るようなマスコミの論調も出てこず、この話は立ち消えになってしまったような印象である。 その関連といってはなんだが、中国や韓国の人をマスコミでとりあげるとき、人名表記は原則的にすべて「カタカナ(もしくは英語)の音表記」にした方がいいと思う。 かつて日本では、朴(パク)を「ぼく」、金(キム)をそのまま「きん」と日本語読みしていた時代もあったが、日本に併合された時代を思い起こし屈辱的であるという当時の韓国世論に合わせる形で、今の現地の発音に近い形に日本国内での読み方を変えたといういきさつがある。 きん・だいちゅう(金大中)をキム・デジュン、ぜん・とかん(全斗換)をチョン・ドゥファンと意識的に国内マスコミが言い換えた始めたあのころに遡る。したがって当時も国交がない北の人たちにも南の例に倣い、にっせい(日成)をイルソン、しょうじつ(正日)をジョンイルと、読みを現地の方々の発音になるべく近づけるように代えた。正恩にいたっては当初からジョンウンである。 これら現在の読み方・呼び方を日本国民に広く定着させたのはヨン様かもしれない。でも私はいまだに朴槿恵(パク・ウネ)大統領のウネを漢字で書けと言われてもスラスラと書くことができないでいるし、カタカナで書けば漢字で書く用もない。彼女以外にウネという名の知人もいない。と、ここで思い出した。いた!李ウネ。そう、元北朝鮮諜報員の金賢姫(キム・ヒョンヒ)の日本語指導をしていたとされる拉致被害者の田口八重子さんの現地での呼び名がリ・ウネ(李恩恵)だった。大事な、決して忘れてはいけない話だが今回は話が横にそれるのでやめておくことにする。いずれにしても、私にとってあの字は大統領の登場で初めて知った漢字である。日本語ワープロでも自分で登録でもしない限り、変換でパクが朴と出ても「うね」が槿恵や恩恵と出てくることはない。 なのに何故、中国に関しては今でも習近平「しゅうきんぺい」と言っているのかが分からない。彼はシー・ジンピンだそうだし、本当は王がワンで、毛はマオだということは日本国民周知の事実である。 言いたいことは、日本のマスコミには統一性がなく、行き当たりばったりで、ポリシーがないということである。日本の当用漢字にないから、都度「○○偏に□□」という、さして重要でもないと思われる漢字の構成情報に、書き手も読み手も余計な神経を使わざるを得ない状況になっている。 「そうなんだぁ?あっちではこう読むのね」と言っていた時代の方が、幻想と言われてもしょうがないが、ちょっとかの地に親しみと興味を抱いていた。あぁ、あの時代が懐かしい! 逆に「なまじっか同じ漢字を使用するからといって、勘違いするなよ」と言ってきたのはあちらのほうであり、今では「漢字の使用料を払え」とさえ言いだしそうな始末である。 とまれ、幻想が妄想になってはいけないから話をまとめるが、中国や欧米の人がおかしな発音で日本人の名前を呼べばやはり違和感を覚え、訂正してあげたくなるものである。また、自分の名前の中国流の読み方を知っている日本人がどれほどいるだろうか?中国流の読みであなたが自分の名前を呼ばれたら、あなたは素直に返事ができるだろうか?そう考えると、人名、地名はできるだけ現地の発音に近づけるというのがやはり礼儀というものだろう。日本のことを西洋人に合わせるように国内でもやたらとジャパンと言い換えているのだからしょうがない、とは言わせない。ましてや今回静岡地裁での判決とは趣旨が違うので念のため。(男性は韓国籍だが日本で生まれ育ち、日本名の通称を使用。被告である社長は、他の社員の前で「朝鮮名で名乗ったらどうだ」などと繰り返し発言し、男性は屈辱と精神的苦痛を味わったと主張。社長側は「在日韓国人らは誇りを持って本名を名乗るのが本来の在り方と考え問いかけただけだ」と反論していた。→男性勝訴)
2015.04.24
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