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邦題「カッコーの巣の上で」(1975年、アメリカ、ミロス・フォーマン監督)学生時代に観て大きな衝撃を受けた作品。当時は主に内容と画面に流れる一部の露骨な映像が印象に残り、何とも重い気分を味わったものだが、48年ぶりにDVDで再鑑賞してみれば、昔とは違った感想も得た。決して明るい映画ではないものの、時代や国を超えて語り継がれる普遍的なテーマを持つ傑作。(あらすじ)1960年代のアメリカ。若い娘との淫行騒ぎを起こし、刑務所での強制労働を嫌ったマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)は、精神障がい者を装って、田舎の精神病院に入る。そこで見たものは、「治療」の名のもとに、個々の人間性を抑圧して患者を徹底的に管理する病院体制。そのシステムに君臨するのが、看護婦長のラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)だ。根は陽気でリーダーシップもあるマクマーフィーは、非情な病院側の態度に反発し、無気力にされた患者たちに徐々に「自分」を取り戻させるが、、、。ラストは哀しいと言うべきか、一筋の希望をつないだと言うべきか。ただ、これだけはわかる。母親を極端に恐れる患者の1人、ビリー(ブラッド・ドゥーリフ)への温かい気遣いからもうかがえるように、マクマーフィーはとても優しい人のいいヤツだったのだと。プラス、病院に限らず、学校でも介護施設でも、さらに職場でも国家でも、過度の管理は禁物。人間は人間。皆、自分の考えを持っているし、それを表に出す権利もある。写真はWikipediaより。
2024.08.30
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健康食品の部類には入らないけれど、イメージ的にそれに近い商品のデモンストレーションを、商品の製造販売元、すなわちメーカーの営業マンと実施したことがある。場所は、近畿地方の某下町にあるスーパー。営業マンは、ぱっと見、20代前半から半ばのお兄さん。グリル鍋で調理(と言っても焼くだけ)するデモンストレーターの私の隣に立ち、出来上がった試食品を一口大に切って盛った小皿を数個トレイに乗せ、「いらっしゃいませ。このほど新発売された、〇〇社の△△品です。今日は宣伝販売をさせていただいております。どうぞお気軽にご試食下さい」と、デモ場所の周りをカゴ持参で通るお客様の1人1人に懸命に訴えかけるが、はて、お客様は片手を振って拒むか彼の存在そのものを無視するかのようなそぶりを見せて無言で去るばかり。この繰り返しが、デモ開始から半時間ほども続き、彼は私に溜息混じりにこぼした。「ポンポン試食が出て、ポンポン△△が売れると思っていたのに、皆さん、食べてくれないし、当然、買ってもくれませんね、、、。こんなはずじゃ、、、」いえいえ、「こんなはずじゃない」なんてことはありませんよ、、、特にこういう、お客様の9割以上までが地元の人を占める、こぢんまりとした店ではね。だって、お客様全員が、お互いに顔はもちろんおのおののバックグラウンドもかなり知っている間柄だもの。「店で立ち食い」なんて、ちょっと恥ずかしいじゃありませんか、、、率直なところ。ただ、お客様間の密度が濃いぶん、1人が試食してくれると、お兄さんがまず望む「試食ポンポン」現象が生まれる。ある種の同調意識だ。となりゃ、肝心の商品も動き出す。これも、お兄さんが望む「ポンポン」ではなくても、まあ、「ポツポツ」ぐらいには。そうですよ。お客様の財布の紐は固いのだ。1個の商品を売るのが、どんなに大変か。ここいら、お兄さんも営業職なら、今後は身に染みてわかってくるはずだ。写真は、3人の孫。
2024.08.29
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しつこく、しつこく、トマトジュースネタを続けましょう。2024年度の新物トマトを絞ったジュースのデモをしているうち、こんなお客さんに出会った。「トマトのジュースも何も、ワシ、トマトそのものがあかんねん。あのニオイがなあ、、、。いや、最近のトマトはそうじゃないってことは知っているんやが、ワシの子どもの頃のトマトはまことに青くそうてな。その記憶が強烈で」ああ、わかるわかる。食べる前に、まずニオイに抵抗があるというアレね。そして、この感覚、脳細胞や五感に染み渡り、成長してもなかなか消えない。これも、わかる、わかるんだよ。もっとも、これは、トマトに限ったことではない。例えば、この私。宣伝販売の仕事で某漬物会社のたくあんを担当する前は、たくあんが、どうしてもどうしても苦手だった。理由は、トマトに抵抗を示すお客さん同様に、ニオイ。1957年、岡山は東南部の農村に生まれた私にとって、たくあんは身近な食品だった。我が家は非農家ながら、ほぼ専業農家である父方の実家をはじめ、周りのほとんどの家は、地で実る大根を使ったたくあんをおのおのの家庭で作っていたっけ。この時代の農家の自家製たくあんのニオイを覚えておられる方はいるだろうか。ぶっちゃけ、筆舌にしがたいものも少なくなかったことを体験者として伝えておくと同時に、一般に「食べ物は見た目も大事」とされる説に、「それ以前に嗅覚」と、提案したい。そうなんだよ。見てくれよりはまず、食物から発するニオイで、それを食べようかどうかが左右される。これは、トマトやたくあん以外に、納豆やレバー、その他ニオイがきついとされる食品にも言える。反面、その強烈なニオイは個性でもあるんだよなあ、、、。なぜって、「青くさいトマト」や「〇〇〇の匂いがするたくあん」を懐かしむ人も、実は多いからね。難しい問題だ。なお、昭和の夏の風物詩と称しても差し支えない「青くさいトマト」は、ネット検索をかけたところ、「世界一」「ポンテローザ」「ファースト」などの品種で、残念ながら現在では一般の店舗には出回っていないとのこと。つまり、自分で作るしかないのだ!写真は、種の専門店「松尾農園」(長崎県松浦市志佐町浦免1252)が販売する「ポンテローザ」の種。ネット購入も出来るし(楽天にショップを開いている)、YouTubeでもチャンネルをもうけて園芸指導しているから、トマトを育てられる環境にある方は、試してみられるのもイイね!
2024.08.23
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トマトジュースネタを続けよう。その年の夏に摘んだばかりのトマトを絞って作る、いわば「トマトジュースの新米版」である「新物トマトジュース」を担当し始めて十数年。年毎に固定ファンが出来、今年もデモンストレーションをスタートさせるや「今年も(販売の時期が)やってきたんだね。待っていたよ」とおっしゃって下さた方々が多くいた。まったくデモンストレーターとしては嬉しい限り。そこに、今年はあくまで地域によるけれど、特筆すべき次のような状況が加わった。それは、小さな子どもの試飲者が増えたこと。しかも、付き添いの親なり祖父母なりに「〇〇ちゃんも飲んでみる?」と聞かれて、おそるおそる、あるいはイヤイヤ試飲するのではなく、「あ、トマトジュース! ボク(ワタシ)、飲みたい!」と、自分の方から求めて試飲を実施している場所に寄って来るのだ。自分で飲むことを望むくらいだから、いざ飲み始めても、以前によく見られたような、悪い意味でのビックリ感に満ちた表情はない。自然にゴクゴクと、まあ、さすがに乳酸菌飲料や甘いフルーツジュースを口にした時のような笑顔はないにしろ、まんざら不快でもない様子。まるで「トマトジュースって、こうなんだよね」と、子どもなりに最初からわかっているふうなのである。淡々とトマトジュースを飲み干す子どもと子どもの保護者と、商売トークも交えて少し話すうち、「なるほど。一般に子どもが苦手とされるトマトジュースも、こういうプロセスを踏んだら飲むよなあ」と納得。そこの地域にある保育園だか幼稚園だか(最近はどちらも一体になっている園が珍しくない)では、子どもたちに園内でミニトマトなどの野菜を栽培する園芸教育を実践していたのだ。「自分たちで苗を植えて水をやって育てたとなれば、子どもたちも思い入れがあるんでしょう。昨年の保育便りには、収穫して給食のおばさんにサラダにしてもらった野菜、全部食べたと書いてありました。なので、今年は家(うち)でも作っているんですよ。ミニトマトなら、ベランダでも作れるし、一式そろった栽培キットが売られていますし」と、1人のお母さん。その子ども(5歳くらいの男の子)は、トマトジュースの試飲をお代わりし、私にキラキラした瞳で言った。「ボク、トマト、作ってんで! まっかっかやで! すごく美味しいねんで!」いいことだね。振り返れば、子どもさん2人の野菜嫌いに悩んでいた我が友人も猫の額よりも狭い庭の片隅に鉢を置いてキュウリやゴーヤを子どもたちと育てていたなあ、、、「自分で大きくした野菜は愛着があるし、また、実るまでいろいろあるから、野菜を作る人たちの気持ちもわかるようになって、野菜を食べるようになった」と語っていたし。野菜を材料とした商品や、野菜なしではメニューが成立しない商品(漬物のもと他)を製造しているメーカーも、イベントやキャンペーンの取り組みの1つとして、ぜひ「消費者個人での野菜栽培体験」を検討したらどうだろう?結果、野菜好きが多くなればメーカーのその商品も売上アップになるし、まわりめぐってメーカーのイメージもよくなるし、消費者にすれば食に関心を持つから健康になるし、何より野菜も含めた生き物を大切にする気持ちが目覚めて社会全体の情操にもプラスにならないか。なお、ミニトマトは、我が家でも毎年育てている。ところが、今年の出来はなあ、、、。粒が小さいし、鮮やかな赤にはならず葉もイマイチくすんだ色(写真)。それでも、口に含むと、青くさい昔のトマトの風味がぎっしりなのは、家庭菜園ならでは!
2024.08.21
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こちらのミスで抱え込んでしまった4日連続勤務(体力の消耗を考え、還暦以降は、4日も続けて仕事を受けたことはない)。想像していたよりはキツくなかったけれど(少なくとも肉体的には)、無事にこなし終えた翌日は報告書書きに追われたこともあって倦怠感が半端ではなく、その感覚は翌々日にも持ち越されたから、やはり疲れていたのだろう。そもそも、左瞼と右手指に生じた、あのむくみときたら!そう! 悲しいかな。早い話が「もうトシ」なんである。日連続勤務の2日までが、トマト・ジュースの担当。トマト・ジュースとくれば、ウォッカとミックスして作るカクテル「ブラッディ・メアリー」を、懐かしく思い出す。若い頃によく訪れていたライブハウスでしばしば注文しており、特に真夏の夜に飲むには格好の風味(ただし、タバスコの量次第では悲惨なことになるので、私は敢えて抜いてもらうよう店にお願いしていた)。このブラッディ・メアリーのネーミング由来は、一説には、16世紀のイギリス女王メアリー1世から来ているとされる。彼女は、プロテスタントを迫害したことから長らく悪名タラタラだったが、今世紀に入ってからは、極端な評価はゆるんできており、それどころか、「あんなク◯親父(イギリス王ヘンリー8世のこと)のもとで育っては、娘も、そりゃキャラクターをやられるわ、、、ま、国の君主してはどうかと感じるが、1人の女としては可哀想なところもあるよなあ」と、同情する人さえおり、この点では、なるほど毒親に支配される苦しみには王族などの高貴な方も我々みたいな下々の者も同じなのだと、妙に感慨深く思ったりするのだ。ちなみに、現在の私は、ブラッディ・メアリーを飲まない、と言うより飲めない。年齢を経るごとに酒に弱くなり、いつのまにか、麦焼酎「いいちこ」の20度を薄めたものかビールしか身体が受け付けなくなってしまったためである(ワインはグラス1杯程度なら飲める)。少し寂しいね。写真はブラッディ・メアリー(Wikipediaより)
2024.08.15
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まあ、何なんでしょうねえ、連日の暑さときたら!もしかして、観測史上最高とされた昨年の2023年の記録を上回るのではないか。目を覚ますやジリジリと陽が肌を焼き始め、湿気混じりの熱風が首筋やら脇下やらに絡むようにまとわりつき、息をすることすら億劫になってしまう、ここ数日。大袈裟ではなく、心も身体も、すなわち存在そのものが、溶けて無くなってしまいそう。果実入りゼリー数種を宣伝販売した先週末も、終日、こんな日だった。当然、暑い中を来店されるお客様も冷たいものが恋しいから、ゼリーは飛ぶように試食が出て、「オレンジとグレープ」「ピーチとミックス」というふうに、2つの味を食べ比べをしてもらいながら試食提供(ゼリーに限らずお菓子でも飲料でも、味の種類が複数ある場合はこの方法をとると、試食数も販売数もアップする)したこともあって、業務報告書の売上欄に数字を書く時に思わず手が踊ったほどの結果を残すことが出来た。反面、四捨五入したら70歳の我が老体は、売場とバックヤードを往復するたびに、南極とまではいかないにしても恐らくはアラスカ の夏くらいの気温から亜熱帯地方の密林(そう! ベトナムも南部にあるミトー市の川をクルージングした時に味わった暑さと同じ種類)に一気に移されるような体感に襲われ、しばしばめまいを起こしたほどのダメージを受けた。宣伝販売の現場仕事は、寒い冬とはまた違う辛さがあるのよ。幸か不幸か、翌日の仕事が急きょキャンセルになったため、翌日は温泉に浸かるつもりで午前中から入浴したおかげもあり、体力は回復できたのだけれど。ややぬるめの湯をたっぷりと入れたバスタブのなかでゆったりと四肢を伸ばしながら、ふと考えた。「私がゼリーを初めて食べたのは、小学校4年の夏。ハウス社から発売されたゼリエースなるゼリーのもとを使って自分で作ったんだったなあ、、、。あの頃の夏も暑かったけれど、はて、こんなに体に負担がかかるほど暑かった?」ううむ???写真は、1番下の孫。子どもは未来に向かって微笑む!気力も体力もあり、少なくとも私みたいに還暦を過ぎた人間とは、暑さ寒さに対するとらえかたが違うのかも知れない
2024.08.02
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