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友人が、沖縄などの旅行の写真を持って遊びに来た。彼女はもう少しで50代に突入。独身で、最近リストラもどきで退職し、その退職金であちこちと旅行してきたと言う。結婚の意志が無いわけではなかったけれど、縁が無かったのかずーっと独身。「あーあ、これから仕事を探すってもなかなか難しいし、誰かいい人がいたら結婚して食べさせてもらいたいなーあなたはいいねえ、生活の心配ないもの」と、冗談とも本気とも言えない口調で笑う。「まあ、そりゃあそうだけど・・・。でも、本気で結婚したいのなら、もっと違う行動してると思うよ。結局は、一人で自由に生きる方が合ってるんじゃない?」昔馴染みだから、辛口に言い返す。人生は、トランプ・ゲームのようだと、時々思う。生まれてくる時に、神様からそれぞれカードを貰って、「これで何とかやりくりして、元気に生きなさい」と言われてきたのではないかと。人によっては、何枚もジョーカーを持って生まれたように思う時もあるけれど、それがある時、突然ラッキーカードになったりもする。能力や美貌に恵まれて生まれたからと言って、それが必ずしも、幸せが約束されているカードとも言えない。だからこそ人生は面白いし、最後まで結果もわからない。結婚することも幸せならば、一人で生きるのも幸せかもしれない。それぞれが、今、手に持っているカードを上手に活用して、できるだけ楽しく、充実した毎日を過ごしたいものだと思う。
2003年07月31日
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一昨日、通りかかったビデオ店で、レンタル料金が10円と言うのに驚き、ついつい三本のビデオを借りてしまった。三本借りても30円だもの、衝動借りも仕方がないところ。いくら10円とは言え、見なければ何にもならない。というわけで、今日はその一本の「パウダー」を、昼食のパンをかじりながら見た。1995年、アメリカ映画、監督・脚本はヴィクター・サルヴァ(私は映画には詳しくないので、全く知らない)。嵐の夜に雷に打たれ焼死した母親から生まれた少年の話。遺伝性疾患である白皮症(いわゆる白子)で、電気エネルギーを吸収する体質の彼は、雷などを受けやすい特異体質。そのせいもあり、祖父が死ぬまで外にも出ず、家の中で本を読んだり、夜間に農作業をしながら育った。施設に引き取られた彼が、周囲から奇異の目で見られたりいじめられたりする経緯の中で、彼が天才的な知能と特殊な能力を持っていることが明らかになってくる。誰にも理解されず、父親からも拒絶された出生の記憶を持つ彼の孤独、人の考えていることを見通すことによる切なさ、その力を誰かのために役立つことを知った喜びなど、様々な心理描写を通して、人間存在を考えさせられる映画であった。私はあまり映画を見る方ではないのだが、たまに見る時にはほとんど感動する。そして、「あー、映画って面白いな」と思うのだが、また次の偶然のチャンスまで自分で見ようとはしない。ということは、それほどの感動をしていないうことか・・。まあ、映画やビデオより、本のほうが好きなことは確かだ。
2003年07月30日
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4年ほど前から、夫が蕎麦を打ち始めた。全くの独学で、何冊かの本を見ながら試行錯誤。のし板や麺棒、蕎麦を切るときに押える板なども、手作りである。最初はそば粉を買っていたのだが、やがて私の実家の空いている畑に(かつては農家だったので、家の周辺は畑)蕎麦を蒔き、収穫し、天日干にして脱穀、製粉、みんな自家製である。そのおかげで、終戦前後に実家で使っていた脱穀機などが、現役復帰している。全くの独学なのだが、経験を重ねるうちに腕が上がり、最近ではちょっとした蕎麦屋よりはずっとおいしい。定年後の再就職をした現在は、休日の昼食は夫の蕎麦に決まっている。また、職場の若い人たちを次々に連れてきては、蕎麦をごちそうするのが夫の趣味と言える。その場合の私の仕事は、天ぷらを上げることと「茹で」である。この茹で加減で、蕎麦の味が変わるので責任重大。これも経験を重ねるうちに、上げるタイミングや冷水での洗い加減など、我ながらプロの域に達しているのでは?というわけで、今晩も三人の職場仲間がやってきている。蕎麦を食べた後も、天ぷらやチョコチョコしたおつまみで、ビールを飲んでいる。少々みんなとのお付き合いにも疲れた私は、こうしてパソコンに向かっている次第。
2003年07月29日
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私と同世代の知人が、仕事をしたいと言う。専業主婦として家と夫を支え、子どもを育て上げ、夫は退職して第二の職場で働いている。家庭のことや子どものことで、いまだに心配事はあるけれど、一度社会で働いてみたいと言うのだ。ご主人は、妻を働かせたくないらしく、彼女が仕事に出ることに首を縦に振らないらしい。仕事をしたいという気持ちである資格を取り、今、仕事への誘いがかかっているから、このチャンスを逃したくないと言うので、「それなら、『これが最後のチャンスだから、働くから』と宣言したら?」と言ったけれど、決心はつかないらしい。長い結婚生活を、夫の顔色を気にしながら、すべてお伺いをたてて生活してきた、今時珍しいような「日本女性」である。「私達の残り時間は、そう多くはないんだよ。能力も体力も、もう低下の一途だし、チャンスだっていつもあるわけじゃない。本当にやりたいのなら、勇気を出して嫌な思いをすることも覚悟でやってみたら?」一緒に話をしていた二人が、異口同音に彼女にエールを送った。彼女が本気でその仕事をしたいのなら、どのようにしたら家族を説得できるかにエネルギーを使ったほうがいい。自分の未来を切り開くのは、自分の「意志」でしかない。私は運命というものの大きさも解っているつもりだけれど、その運命だって、自分の意志というか、思いの強さによって、自分にとって少しでも良い方向に向けられると信じている。しかし、あまりにも過酷な人生だったり、痛い思いをし続けた結果、「諦める」ことが習性になってしまうことがある。「諦めるのはいつでもできる。可能性が消えるまでは頑張ってみようよ」ほぼ諦めているようで、それでも諦めきれないような彼女の顔を見ていて、私にはそのくらいしか言う事ができない。そして、あらためて自分に言い聞かせた。「やりたいことがあったら、とにかく手をつけることにしよう」
2003年07月28日
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その日まで、あと2週間。今日は、最後の実行委員会であった。北海道各地から集まった実行委員が、それぞれの分科会や役割について、最後の打ち合わせをした。なにしろ北海道は広く、かつ実行委員は本州の人もいるので、全部の実行委員が顔をあわせるのは当日である。思いつく限りの調整や準備はしているけれど、当日は様々な思いもよらないことが起きて慌てるのではないかと、かなり不安である。一つの分科会の世話人代表の立場でもこのように不安なのだから、事務局を始めとした中心メンバーの気苦労は大変なものだろう。一日の会議を終了して帰宅すると、何だか疲れてしまって頭痛もする。全国からの参加者がそれぞれ満足していただけるようにと、今は祈るばかりである。
2003年07月27日
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宮城県で大きな地震が発生。今のところ死者などは出ていないようだけれど、雨も降っているようだし、被害に遭われた人たちはどんなにか不安なことだろう。阪神大震災のとき、長男が神戸で大学生活を送っていた。朝のテレビで神戸の地震を知り、あわてて電話をすると「無音」。ツーツーも呼び出し音も全くなくて、ただ無音というのは、不安を一気に増幅させた。それから約一時間、私は震える手で受話器を置いてはリダイヤルを繰り返した。脳裏には最悪の事態がぐるぐる回り、全身がワナワナしてくるような感じだった。息子の方から電話があり、元気そうな声を聞いた時の力が抜けたような安堵感を、昨日のことのように思い出す。自然の威力の前に、人間は無力である。どれほど科学技術が発達したとしても、完全な安心など手に入れられるはずがない。自然の力の前には、私達はその運命を受け入れるしかない。しかし、人為的な暴力(戦争)に対しては、人間はもっと制御方法を身につけるべきだろう。イラク復興特措法の成立への動きを見ていて、違う意味の無力感を覚えている。
2003年07月26日
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今日は、以前から計画をしていた、「カンボジアに絵本を届ける活動」の第一回目。私は、不登校や引きこもりの子どもを持つ親を中心とした話し合いの会の世話人をしているのだけれど、4月にカンボジアを旅して以来、学校に行かずにいる子ども達と一緒に、カンボジアに絵本を届ける活動をしたいと考えていた。それが、やっと今日始まったのだ。今日の参加者は、小・中・高生各一名と、10代社会人一人の4人。資料や写真などでカンボジアの現状や、なぜ絵本を送るのかということを説明してから、日本で出版された絵本にクメール語の翻訳シールを貼る作業をした。この活動は「シャンティ国際ボランティア会」の活動への協力という形をとっている。シールを貼りながら、カンボジア内戦のことや今の生活の様子の一端など、話はあちこちに飛んだ。それぞれ、不登校であったり、その体験をしたことがあったりと、学校を楽しくは感じていないはずの日本の青少年が、貧しさゆえに学校に行けなかったり、本を読んだりする機会の少ない子ども達のために絵本を送るための作業をした。自分と違う生活をしている人たちに思いをはせる時、違う視点を得ることがある。違う視点から見たら、今まで見ていたものも違って見える時もある。この活動を通して、本に飢えているカンボジアの子供たちに絵本を届けたいし、豊かな日本に育ちながら、何かが不足している日本の子ども達のことも考えたいと思う。
2003年07月25日
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昨日から何となく頭が重かったのだけど、お昼頃に寒気がしたので熱を測ってみたら、37.5度あった。平熱が36度前後と低体温の私にしたら、熱が高い状態。一昨日のモエレ沼散策で強い風に当たり、治っていた風邪がぶりかえしたようだ。でも、風邪薬を飲んで少し寝ていたら、何だか楽になってきた。日頃、あまり薬を飲まないので、効果はてきめんなのである。この程度なら普通は薬など飲まないのだが、明日・明後日と用事があって寝込んでなどいられないので、今日のうちに回復しておく必要があるのだ。「病は気から」というけれど、「気」は健康に大きな役目を果たすと思っている。私が病気で寝込んだりするのは、仕事や生活に差しさわりのない時が多い。多少熱があろうと体調が悪かろうと、「出かけなくてはならない」とか、「これをやらなくてはならない」という時には、気合で具合の悪さを退治するタイプだ。もともと健康な体質だからなのだろうが、そのお陰で子育てや仕事をしている頃は助かったというか、疲れるというか・・。「病気になって寝込みたい」と罰当たりなことを思ったことも数知れず。時には、「入院してぐっすり眠りたい」とも思ったものだ。そんな不謹慎な願いを神様が聞いてくれるはずもなく、私が入院したのは出産の時くらい。やっぱり、健康な体を授かったことに感謝しなくてはならないのだろうね。
2003年07月23日
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図書館から借りてきて、なかなか読めないままになっているこの本を、少しだけ読んだ。著者のフランソワ・ビゾは、フランスの民族学者で、カンボジア内戦前にアンコールワット等の遺跡や遺物の研究に従事していたのだが、クメール・ルージュに捉えられ、スパイ容疑で収容所に送られた。そこで、死の恐怖と向き合いながら生き延び、プノンペン陥落後は通訳としてクメール・ルージュやフランス大使館との間で様々な悲劇と向き合うことになったようである。4月にカンボジアに行って以来、私の心には以前よりも強く人間の本性について考えてしまう。どのような人間も、状況如何で悪魔にも天使にもなりうる。しかし、そこには共通するプロセスがあるはずだ。日本全体を震撼させている少年の事件も、必ずしも「特異な事件」とだけ言い切れるものではないだろう。忘れてはならないのは、私達人間は例外なく「闇」を抱え、状況によってその闇から本人の想像もつかない悪魔の手が伸びてくる存在だということだ。他人の闇を詮索するよりも、自分自身の闇を見詰め、それを制御することを身につけ、誰かの闇に気付いたならば、親切な行動でサポートする方法を考えなくてはならないだろう。とにかく、早いことこの本を読み終えて、期限までに返却しなくては。
2003年07月22日
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以前から行ってみたかった、札幌郊外にある「モエレ沼公園」に夫と共に行く。イサム・ノグチが基本設計をしてから約15年。現在もまだ造成中の広大な公園である。大きなガラスのピラミッドが最近完成し、それに合わせて「イサム・ノグチ展」が明日から開催されるが、それに先立って今日までは無料公開していた。公園に入るのも、駐車場も、とにかく全てが無料なのにはビックリ。とにかく広くて、公園全体が壮大な造形であり、緑の芝生や子ども達が水遊びできる場所などもタップリ。あちこちでお弁当を広げている家族も多く、愛犬連れの人たちも多かった。ゆっくり歩き回って約三時間、ハイキングのような心地良い疲労感で帰宅した。イサム・ノグチという世界的な彫刻家のことも、このモエレ沼公園のことをきっかけに知った。彼の心の軌跡についても興味があるが、この人が100年前に生まれていたということに、何だか感動する。
2003年07月21日
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私の結婚の条件は、「仕事を続ける」ということだった。夫は、積極的な協力もしないが、文句は言わないという形で協力してくれたと思う。二人の息子達は、半年過ぎたら保育所生活。私は、仕事・家事・育児と髪振り乱して毎日を過ごした。それでも、仕事と家庭を両立したいという思いが、心身ともにハードな日々を支えてくれた。だが、三十年前は今以上に男性優位の社会であった。私の力不足もあったであろうが、男性の三倍ほど頑張って、やっと「あいつは仕事もそこそこやる」というくらいだった。次第に、「一人前に認められたい」という意地が強くなり、仕事で認められお給料も人並みになった頃に、私はヘトヘトになっていた。そんな私を見て、息子は育っていった。男女同権の意識が、きっと育っているだろうと思っていた。・・が、その息子は、妻は一歩下がって自分を支えてくれる人がいいと思っているようだ。子どもは、親の思うようにはならない。しかし、親を見て色々なことを感じ、自分なりの夢を育てていくものだ。私は息子から非難されたり文句を言われたことはないが、私とは違うタイプの女性を理想像としているようだ。それも当然なことであるが、ちょっぴり寂しく感じてしまうのも事実である。
2003年07月20日
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児童福祉関係の仕事をしている知人からメールが入った。最近、立て続けに少年犯罪が世間を騒がせ、少年達に対する世間の目が一層厳しくなっていることを憂えていた。そして、「警察白書」や「司法統計」によれば、少年犯罪はけっして増えていないという事実を、メディアはほとんど取り上げないと嘆いていた。(以下、メールの引用)***************************古今東西、殺人を犯すのは、最も闘争的で競争心の旺盛な世代である20歳代前半が、次に10代後半が圧倒的に多い。しかし、日本の若者の殺人率は急減している。 ・人口100万人当たり殺人率は1955年から1994年で1/4に減少している。 ・20歳代前半では、これが1/13に、10歳代後半では1/10に急減している。(中略)「少年の凶悪犯罪は激減している」から、現に起きている事件を重視しなくてもいいということではありません。むしろ、特異な事例をとらえて、「最近の子どもは、親は」と過度に一般化し、大人(とりわけ現在の社会システムの権益に与る人々)にとって都合の悪い子ども像を肥大化させ、管理強化を図ろうという動向にもっと注意を払う必要があるように思うのです。***************************私も全く同感である。私達はともすれば、声高に叫ぶ人たちの声に惑わされてしまいがちだ。大きい声や多数の声が正しいとは限らない。しかし、いくら正しいことでも、声を出さなければ届かない。何が事実で、何が幻想なのか、そして自分自身はどう感じてどう考えるのか、自分で確かめた事実に基づいて考えていきたいものだと思う。
2003年07月19日
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息子夫婦が、三歳半の孫を連れて「花火大会」に行った。我が子を喜ばせてやろうと張り切って出かけたのに、孫は打ち上げの大音響に驚き、怖がってズーッと泣き通しだったとか。孫は男の子なのだが、万事に慎重でマイ・ペースのタイプ。冒険心とは無縁な平和主義者で、男の子が好むような「戦いもの」のテレビ番組も大嫌いだそうだ。好奇心旺盛で、少し目を離すとすぐに姿が見えなくなって探し回った息子の遺伝子は、今のところ痕跡も見えないくらいだ。(しかし、顔立ちはクローン人間のようにそっくり!)父親としての息子は、そのような我が子が物足りないらしく、「このままでは、どんな男になるのか」と心配している。私は、子育ての時に、できるだけ「男の子だから」という言葉を使わないように注意していた。「男だから強くなければ」とか、「男だから大目に見よう」という発想は大嫌いで、できるだけジェンダーにこだわらない人間になってほしいと願って育てたつもりだ。ああ、それなのに、我息子は私の意に反して、ジェンダーにしっかり絡め取られた男になってしまった。そんな息子を物足りなく見ている私と、男らしくない我が子(孫)を物足りなく思っている私の息子。なんとも複雑な気分ではあるが、似たもの親子と言えるのだろうか。
2003年07月18日
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最近、ある人にとても嫌われてしまったようだ。別に、好かれようとも思ってないが、色々なところで顔を合わせる人だから、あまり苦手意識は持ちたくないと思っているのだが・・。私から見れば「ある日突然」突っかかってこられるようになり、その瞬間、何故なのか見当がつかなかった。しかし、日頃の私の言動が、その人にとっては歯向かっているように感じたのかもしれない。私は、人と争うことがとても苦手だから、自分の信念に反すること以外は、相手に合わせていることが多い。しかし、「これは譲れない」と思ったり、「ちょっとまずいぞ」とおもう時には、出来るだけ誰にでも納得できるような筋道で、一所懸命意見を言うことにしている。それが、多少頑張りすぎた時があったのかもしれない。今まで私は、一歩外に出たら、かなり人間関係には気を使っていた積りなのだが、まだまだ甘かったようだ。一度ギクシャクした関係を修復するエネルギーは、かなりのものだ。これからその作業をしなければならないかと思うと、ついため息が出てしまう私である。まだまだ、修行が必要なようだ・・。
2003年07月17日
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今日は、町内会の「健康づくりミニ講座」。保健センターから保健士さんが来てくれて、血圧測定のあと「転倒防止体操」の指導を受け、その後健康相談などをしていただく。その後は参加者で昼食をはさんでのおしゃべり会という日程だった。地域のつながりが希薄になっていると言われて久しいけれど、私達の町内会もその例に漏れない。町内会行事の参加者はいつも同じ顔ぶれだし、毎年増えてゆくマンションの住人は、町内会にも加入してくれず、町内会の財源もジリ貧状態。役員の人たちは、少しでも地域のつながりをと頑張っているのだが、その努力は少々から回り状態と言える。この私にしても、最低限のお付き合いはこの町に住む義務だと思って、可能な限り行事には協力しているけれど、それ以上の旗振り役になろうとは思っていないのだ。顔なじみの町内会行事の常連メンバーも、次第に高齢化している。だから、行事も「パークゴルフ、温泉行き」など、高齢者向けになってしまう。いよいよ若い人達は参加しないだろう。あー、これからの町内会は、どうなっていくのだろう。ちょっぴり心配になってしまった。
2003年07月16日
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今日は、久しぶりに庭の草むしり。それにしても、雑草の生命力にはいつもながら感心する。まあ、力強くてどんどん増えてゆく草達に対して「雑草」と言っているわけで、バラや百合などと比較して価値が劣っているわけではないはず。人間様が勝手に「雑草」と言って邪魔にしているだけだ。いつも草むしりをしながら、そんなことを考えてしまう。かといって、そのまま放っておけば庭は草むらとなり、せっかくの花壇の花も覆い尽くされてしまう。ここはやっぱり、雑草たちには申し訳ないけれど、身を引いていただくしかない。ほんとうに、折角頑張って成長したのに、ごめんなさいね。
2003年07月15日
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この日記を書くようになってから、いつも感じることがある。この日記は、誰が見ているかわからない。だから、人や地域を特定するような書き方は、出来るだけ避けるようにしている。でも、どうしても批判したいことは、それなりにわかるように書いてしまう。それでも、思っていることの半分も書けたら良いほうだ。若い頃は、毎日日記を書いていた。その頃の日記は、日常生活の記録ではなくて、心の記録的なものだったので、とても他人には見せることが出来ないような「ドロドロ」したものだった。公開の日記は、見る人が不快にならない程度に抑えざるを得ない。このような日記は、私自身にとってどのような意味があるのだろうと、つい考えてしまう。日記を媒介として、見知らぬ人とコミュニケーションが始まる。それがネットの魅力なのだが、このコミュニケーションは、私にとってどのような位置づけなのだろう。今のところ、まだ「丸ごとの人間」というような実感が持てないのも事実だ。しかし、このツールを使って、活発に意見交換をしたり、自分を高めている人が実在しているのも事実。昔、まだ自分が未確立の時に感じた「自分自身の二重性」のようなものを、パソコンに向かった時に感じている。少しずつ、そのような違和感は軽減されていくのだろうか。
2003年07月14日
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8月に、「不登校・登校拒否を考える全国のつどい」が北海道で開催される。私も実行委員の末席なので、今日はその実行委員会に出席。親の会の人たちが中心なのだが、相談機関や関連団体、学校関係者まで、様々な人たちが実行委員になっている。実行委員会ではいつも多彩な人達との出会いがあり、様々なことを気付かせていただいている。様々な事情で子どもが学校に行かなく(行けなく)なった時、うろたえない親はほとんどいない。私は「不登校の親」ではないので、これらのことで学校に行ったり、教育行政関係者と話をする時、よく聞くのが「無理に学校に行かせないと開き直る親が多くて・・」とか、「家庭が甘くなっていて、子どもの言いなりになる親が多い」「生活リズムが逆転していても平気な親も・・」などという、親に対する批判的な言葉だ。最初から開き直ったり平気な親はいない。子どもと七転八倒の戦いをして、無理に登校させようとしたり生活リズムを立て直すために厳しくしたりすることが、何の意味もないことに気がつき、やっと「子どもを見守り応援していこう」というスタンスに立った親の姿が、教師などにはそのように見えるということだろう。立場が違うと視点が違う。視点が違うと、同じ一人の子どもの姿も、全く違って見えるということを、日々痛感している。実行委員会の席上、一人の親が言った。「私達は、学校とのやり取りの中で疲れ果て、ともすれば学校を見捨てたくなる。でも、このような公的教育システムがあるのだし、子どもは何を選択していくかわからないのだから、決して学校を見捨ててはいけないと思う」。いまや、学校は親や子どもから見捨てられる可能性があるのだということを、教育行政関係者はどれだけ気付いているだろうか。
2003年07月13日
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テレビや新聞を見ると、気が重くなることばっかり・・。そのせいか、どうも気持ちが明るくなれない。誰かの気持ちを逆なでするようなことを言っても、「失言でした」と言えばお咎めなしの人たちに、政治をまかせている国の私達。飢えで死ぬことなどないのに、なぜか多い自殺者。物質的には豊かでも、心がすさんでいるように見える若者達・・。心が楽しくなるための手っ取り早い方法は、自分以外の誰かが喜ぶことをすること。でも、それも時には「おせっかい」となってしまうこともある。そういえば先日、ある人が「ボランティアは、結局はおせっかいだから」と言っていたっけ。私はその時、反論せずにはいられなかった。「おせっかいだけで終わってしまうことは、ボランティアとは言えないのでは? お互いに嬉しさを共有できなくちゃ」なんて、偉そうに・・・。今の私は、自分の心が喜ぶことを求めて、おせっかいをしてしまいそうだ。
2003年07月12日
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更新した免許を受け取りに、隣市の警察署まで自転車で行った。距離は約10キロくらいなものだろう。今年の春から、運動不足を補うため可能な限り自転車を利用している。そのために、ママチャリ(三段変速付)を購入したのだが、最近の自転車は本当に軽くて、乗っていてもとても気分がいい。自転車なら、どんな細い道でも裏道でも、公園の中でもすいすいと通り抜けることが出来る。家々の花壇をながめたり、自然公園の木々のそよぎや小鳥のさえずりに耳を傾けたりと、自動車では決して気付くことのない様々なことに心を寄せることが出来る。雨の日や風が強い日は仕方がないが、これからも出来る限り自転車で走り回りたいと思う。今度は、少し遠出をしてみようかな・・・。
2003年07月11日
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E市では、9.10か月検診時に、二冊の絵本を赤ちゃんにプレゼントする「ブック・スタート」をしている。今日は、ボランティアとして検診の待ち時間を利用して、赤ちゃんに絵本を読んだり一緒に遊んだりをした。この年齢の赤ちゃんは、それぞれ個性は違っても、みんな純で愛らしい瞳をしている。この子供たちは、どんな大人になっていくのだろう。この子ども達の、健やかな成長を願わない親がいるだろうか。長崎で、とても辛い事件があった。幼稚園児を殺害したのが中学一年生だったことに、誰もが強い衝撃を受けた。子どもを殺された親も、殺した子どもの親も、そして本人も、これからの日々は地獄だろう。誰が、殺人者にしたくて愛する子どもを育てるだろうか。その苦しみを思うと、私の胸も苦しくなる。どこかで歯車が狂っているけれど、なぜなのかを明確に言える人は誰もいない。私達にできることは何なのだろう。せめて、今、目の前にいるお母さんや赤ちゃんと、暖かい時間を紡ぎたいものだと思いつつ、赤ちゃんと一緒に絵本を読んだ。
2003年07月10日
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所用があり札幌へ。その帰りにデパートに立ち寄ると、すでに「夏物バーゲン」が始まっていた。今の私は仕事をしているわけではないので、特に新しい洋服が必要なわけでもない。でも、もしも気に入ったものがあってお買い得なら買ってもいいなと、ブラブラと見ていた。すかさず店員さんが、「お買い得ですよー」と近寄ってくる。実は私は、店員さんに声をかけられるのが苦手だ。ついつい乗せられて、その気もないのに買ってしまったことが何度もある。でも、今日の人は私と同世代で、体型もやや近い人だった。(この人なら、無茶なおすすめはしないだろう)と思ったのが運のつきというか、運が良かったというか・・。結局、カジュアル・スーツとスカートを買ってしまった。予定より少し高めだったけれど、もともと洋服やアクセサリーにお金をかける方ではないので、「たまには、いいか」と自分でも納得。春先から秋口まで着れそうなので、満足している。考えてみれば、デパートでまともな洋服を買ったのは何年ぶりだろう。すっかり中年体型になっていて、最近はすべてがきつくなってきていたのだけど、今回は楽な洋服を買ってしまったので、ますますウェストがだぶついてきそうなのがチョット心配である。
2003年07月08日
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某研修会で、不登校についての話を聞いた。私は、不登校やひきこもりの子を持つ親たちが中心の「話し合いの会」に関わっていて、主に母親の話を聞く機会が多い。蛇足だが、私はカウンセラーでも先生でもなく、ただの「世話役おばさん」である。今日の講師は、教師を退職後、教育委員会の適応指導教室で指導員をしていた人。当然だけれど、立場が違うと視点が違うし、教師と生徒(その親)という関係の中で見える子どもの姿と、私達が親の本音を聞く中で見える子どもの姿は、全く違うと言うことを確認したような気がする。教師と生徒、あるいは親と子は、決して対等な関係にはなれない。そのことを肝に銘じて、弱い立場の人に対して言葉に出来ない声を聞くように耳を澄まさなければ、本当に辛い思いをしている人は心を開きはしない。私も傲慢にはなっていないだろうか。人の痛みに鈍感になってはいないだろうか。そんな怖さを感じてしまった。
2003年07月07日
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とてもよい天気だったので、午後からドライブがてらA町にハスカップを摘みに行く。留守番兼会計を担当しているおじいさんが、「今日は沢山お客さんが来たから、いいのないかもしれんよ」と、申し訳なさそうに言ったけど、せっかく来たのだからと摘み始めた。夫と二人で約一時間、二人で2kgが摘めた。籠を持って計測に行くと、おじいさんが安心したような笑顔で言った。「あー、けっこういいのが沢山あったねー。良かった良かった」良いハスカップをお客さんに提供したいという、農業人の笑顔だった。しかし、今年は一kgが1300円になっていた。以前はもっと安かったような・・・。でも、農作物は毎年何もしないでいてよい実をつけてはくれない。収穫までの、町の人には見えない世話がなくては、特に北国ではなりたたないのが農業。「また来てくださいね」というおじいさんの笑顔を、来年も見たいと思った。
2003年07月06日
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父の81歳の誕生日を、ささやかにお寿司でお祝いする。父は脳梗塞の後遺症があるのだが、生来めちゃめちゃ明るくて、自分の障害をも面白がっている始末。これには、家族を含めて周囲の者が本当に助かっている。同じ生きるなら、明るく生きた方が良いに決まっているのだが、これがなかなか難しいことなのだ。私は、元気な時の何倍も、父を尊敬してしまう。年をとっても、多少体が不自由になっても、それはそれまでとは違う世界を知ることだということを、父の生き様で教えられている。一見マイナスに見えることも、決してそれだけではないということを教えてくれている父は、やっぱり偉大だと感心しつつも、不肖の娘は父にちっとも優しくしていない。・・・反省!
2003年07月05日
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前から見たかったこの映画、今日、見ることができた。70年前のオーストラリアでの実話である。白人との混血のアボリジニの子どもを隔離し、白人に同化させようという政策で収容所に入れられた少女が、母に会いたい一心で逃げ出し、1500マイルを歩き通した物語。本当に白人って傲慢だとと思ってしまう。他の国のことではない、日本でもアイヌ民族は言葉や土地や文化を、白人に近づこうとしている「和人」にメチャメチャにされたのだ。文化って何だろうと思う。その土地で人々が培って、祖先から受け継いできた言葉や知恵ではないのか。主人公の少女は、結婚して子どもを産んでからまたもや子どもと共に収容され、再び脱走したと言う。それほどの苦労をしてまで守ろうとしたものを、今の私達は持っているだろうか。
2003年07月04日
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O議員の「レイプする男はまだ元気」発言にあきれていたら、同席していたM氏も時代錯誤はなはだしい発言をしていた。あの人が失言の常習者と言うことは国民周知のことだから「またか・・」という感じだが、この人が「少子化問題対策」を考えていて、それが政策に反映するとなると捨て置けない。国の少子化対策がうまくいっていない理由は、ここにあったか?!このような人を、高い税金を使って養っていく方が、よほど反福祉的だと思うけど・・。それにしても、同席していて発言の権利のあった女性議員Hさんにも、またまたガッカリ。彼女のスポーツをしていた時の姿に勇気付けられた人は多いと思うが、彼女は政治の世界では全く無能。彼女自身も、あの世界では長所が全く発揮されないだろう。早く自分自身を見極めて、自分に合った世界で力を発揮してほしいと願う。
2003年07月03日
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今日は、絵本の読み聞かせを通してお母さんや赤ちゃんのサポートをするグループの、会報の作成に半日を使った。イギリスで始まった「ブック・スタート」が、近年日本でも広がっている。絵本の楽しさを知った子どもは、本の世界で遊ぶことを通して、しらずしらずのうちに集中力・想像力・読解力が養われていく。また、読み聞かせを通して、人と人とのコミュニケーションの楽しさや大切さも体得していくだろう。絵本を読めばよいというわけではないけれど、少なくてもビデオやテレビばかりをおもちゃにしているよりは、ずっと良い。当市のブックスタートは、9.10か月検診で二冊の絵本を赤ちゃんにプレゼントする。市内の読み聞かせグループは、その会場で赤ちゃんに絵本を読み聞かせて、お母さんにそのテクニックの一端をお伝えするのだ。「子育て支援」なんて堅苦しく言わずとも、赤ちゃんの無垢な瞳やマシュマロのような肌、天使のような笑顔を見ると、それだけで私達も幸せな気分になる。この子達の未来が明るいものでありますようにと、祈らずにはいられない。
2003年07月01日
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