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「つばさのおくりもの」小川糸、ポプラ社【書籍の内容】「ぼくは、オカメインコ」著者による新作長編『リボン』から生まれた、もうひとつの物語。出会いと別れが一羽のオカメインコの視点でつづられる。GURIPOPOの魅力的な絵で彩られた小さな本。「リボン 」小川 糸、ポプラ社【書籍の内容】宝物は、一緒に過ごした時間のすべて。ある日、なかよしのおばあさんと少女が小さな鳥の卵を見つけ、ふたりで大切にあたためはじめる。少女のてのひらの上で生まれたのは、一羽のオカメインコ。黄色い小鳥は、羽ばたきとともに人々をやさしく結びつけていくのだった。懸命に生きる人々の再生を描く物語。この作品から生まれた小さな物語『つばさのおくりもの』も同時刊行。小川糸(おがわ いと)1973年生まれ。著書に『食堂かたつむり』『ファミリーツリー』『つるかめ助産院』『あつあつを召し上がれ』『さようなら、私』など。他、食や旅のエッセイや絵本の翻訳など、精力的な執筆活動を続けている。ホームページ「糸通信」http://www.ogawa-ito.com/先日読んだ「ライオンのおやつ」が良かったので、図書館で借りてきた本。書棚に仲良く二冊が並んでいて、パラパラとめくってみたら二冊は共通する物語なのだとすぐにわかった。まずは、絵本のような「つばさのおくりもの」を読み、引き続き「リボン」を読んだ。小川さんの本はこれで三冊目なのだが、この作品は小鳥(オカメインコ)を巡るファンタジーかな。私は鳥を飼ったことはないのだが、庭先にエサ台を置いてあるので、毎朝スズメを中心とする小鳥が集まってきて、それを眺めるのが冬の楽しみの一つである。また、春先になって通う息子たちのぶどう畑には、毎年ブドウの木に小鳥の巣が出来ている。それが無事に雛になり巣立っているのかどうか見届けてはいないのだが。話はそれたが、これもなかなか心にじんわりと染みてくるお話だった。リボンと名付けられた小鳥が様々な飼い主と出会いと別れを繰り返すのだが、人が小動物(このお話では小鳥)との関りでどのような癒しや再生へと導かれるのか、ファンタジーのようではあるが、そんなこともあるかもしれないと実感もできる。私は、荒唐無稽に思える空想的なファンタジーにはあまり感情移入はできないのだが、小川さんの作品はスーッと心に沁みてくる。気付けば、また女性作家の作品を読んでいる私である。ただ、平野啓一郎さんの「ある男」を予約してあるので、この本を返しがてら借りてくるつもり。このところ、オミクロン株拡大で出かける用事も少なくなり、かつ不要不急の外出は控えるようにしているので、読書三昧の日々である。思えば、若くて忙しい頃には、このように好きなだけ本を読む日々に憧れていたのだが、今がその時なのだなとありがたく思う。
2022年01月29日
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「母に失礼をしたら…」 容疑者、別の病院で度々抗議 埼玉立てこもり毎日新聞 / 2022年1月28日 21時43分 埼玉県ふじみ野市の民家に住民が立てこもり、人質の医師が死亡した事件は医療関係者に衝撃を与えた。殺人未遂容疑で逮捕された渡辺宏容疑者(66)の母親が死亡したことがきっかけとみられるものの、容疑者と医師の間に何があったのか。容疑者の母親がかつて10年以上通っていた、ある病院関係者が毎日新聞の取材に応じ、渡辺容疑者が医師の判断や治療方針を巡ってトラブルを繰り返していたことを明かした。【春増翔太】 事件は、渡辺容疑者が27日夜から医師の鈴木純一さん(44)を人質にして自宅に立てこもった。埼玉県警が約11時間後に家に突入したものの、鈴木さんは散弾銃で胸の辺りを撃たれており、搬送先の病院で死亡が確認された。 県警によると、鈴木さんは92歳になる渡辺容疑者の母親を診療し、26日に死亡確認をしていた。27日は鈴木さんが呼び出される形で渡辺容疑者の自宅を訪れ、事件に巻き込まれたとみられる。 「お母さんのことになると感情の歯止めがきかず、度々医師やスタッフにくってかかる人でした」。渡辺容疑者の母親が2年前まで10年以上通った病院の関係者は容疑者をそう振り返る。 渡辺容疑者は当時、母親に付き添って来院し、診察の待合で「うちの母親を(先に待つ他の患者より)先に診ろ」などと求め、職員が断ると大声で怒鳴り散らすことが度々あった。当時、母親に大きな持病はなかったが、体の衰えが進んでいたという。 数年前に母親の肺を検査した際、渡辺容疑者はステロイド系の薬を処方するよう要求。医師から「そこまでの症状は出ていないから、ステロイドは使わない方が良いですよ」と伝えられると、「専門医なのに何も分かっていない」などと書いた長文の抗議文を提出した。胃カメラを使う検査では担当者の変更を迫ったこともあった。 この病院関係者は「職員に大変強い口調で接し、他の患者さんにも迷惑が掛かるので注意したこともあった。『うちの母親に失礼をしたら絶対許さない』とよく言っていた」と振り返る。2年ほど前に現在の民家に引っ越したのを境に、この病院に母親を連れてくることはなくなった。関係者は事件が起きた理由について「渡辺容疑者には特に気を付けて接していた。母親を亡くし、いよいよ気持ちのやり場をなくして鈴木先生に矛先を向けたのかもしれない」とみている。事件のニュースを聞いてから、多分このようなことではないかと思っていたが、本当にやりきれない。この医師のことは、以前のテレビニュースか何かで昼夜問わずに訪問診療に飛び回っている姿を記憶している。その時には、「こんな働き方していたら身体を壊してしまうんじゃないか」と思ったけれど、まさかこんな最悪な形で命を落とすなんて…。亡くなったお母さんは、死んでも死にきれない思いだろう。このような理不尽なニュースを見ると、私はいつも無神論者になってしまう。今は、ただ亡くなられた鈴木先生のご冥福を祈りたい。
2022年01月29日
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「ライオンのおやつ」小川糸 著【内容紹介】男手ひとつで育ててくれた父のもとを離れ、ひとりで暮らしていた雫は病と闘っていたが、ある日医師から余命を告げられる。最後の日々を過ごす場所として、瀬戸内の島にあるホスピスを選んだ雫は、穏やかな島の景色の中で本当にしたかったことを考える。ホスピスでは、毎週日曜日、入居者が生きている間にもう一度食べたい思い出のおやつをリクエストできる「おやつの時間」があるのだが、雫は選べずにいた。【著者からのメッセージ】母に癌が見つかったことで、わたしは数年ぶりに母と電話で話しました。電話口で、「死ぬのが怖い」と怯える母に、わたしはこう言い放ちました。「誰でも死ぬんだよ」けれど、世の中には、母のように、死を得体の知れない恐怖と感じている人の方が、圧倒的に多いのかもしれません。母の死には間に合いませんでしたが、読んだ人が、少しでも死ぬのが怖くなくなるような物語を書きたい、と思い『ライオンのおやつ』を執筆しました。 おなかにも心にもとびきり優しい、お粥みたいな物語になっていたら嬉しいです。先日久しぶりに会った友人が、感動したという本を貸してくれた。とても読みやすい本で、死をテーマにしていながらもとても温かく、こんなホスピスがたくさんあったらいいなと思いながら読んでいた。友人は号泣したと言っていたが、冷淡な私はそんなこともなく、それは私が切羽詰まって命と向き合っていないからだろうかとも思った。ただ、私はいつも「必ず人は死ぬ」「お迎えがくるまでは生きなくちゃ」と考え、死ぬときに怖いのは肉体的苦痛だけと思うことが多いので、それをこの作品はとてもほんわりと優しく伝えていてくれるようでありがたいと思っていた。そして、随分前に読んだキューブラー=ロスの「死ぬ瞬間」や「死後の真実」を思い出していた。内容は詳しくは覚えていないのだが、ひょっとすると小川さんはこれらの著作をわかりやすい物語にしてくれたのかもしれないとも思った。この作品はドラマ化されて昨年の11月に放送されていたようだが、私は見ていなかった。次に放送される機会があれば観たいと思う。
2022年01月25日
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「ケーキの切れない非行少年たち」宮口幸治/著【内容紹介】児童精神科医である筆者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。【著者について】みやぐち・こうじ 立命館大学産業社会学部教授。京都大学工学部を卒業し建設コンサルタント会社に勤務後、神戸大学医学部を卒業。児童精神科医として精神科病院や医療少年院に勤務、二〇一六年より現職。困っている子どもたちの支援を行う「コグトレ研究会」を主催。医学博士、臨床心理士。図書館でふと目につき借りてきた本。この署名を見て想像したのは、「誕生日に家族でケーキを食べるような家庭環境ではなかった少年たち」であった。しかし、それも多少はあるかもしれないけれど、認知機能の弱さという個性を持ち、学校教育の中で困りながらもその特性に気付かれることなく棚上げされ続け、ピント外れの指導をや養育の結果、周囲から見れば非行少年の烙印を押される少年たちが沢山いるということだった。最後の方に認知機能を高めるトレーニング「コグトレ」が紹介されていて、なるほどなあと思うことが一杯あった。現在は「発達障がい」ということで特別支援学級に振り分けられる子ども達が多いと思うが、特別支援学級でこのような視点での子どもの個性理解や指導がされているのだろうか。「コグトレ」の具体的方法が知りたくて、「やさしいコグトレ」という本を買ってしまった。自分の活動の中で少しでも活用できたらと思っている。
2022年01月25日
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昨日の明け方、懐かしい恩師の夢を見た。先生はまだ若くて、多分私が小学校二年生の時に担任になってくださった時の面影。対する私は、多分現在の私。昨日書いておけばよかったのに、一日経つと夢の詳細を忘れてしまったが、当たり前のような普通の会話をしていたような気がする。夢はとても不思議だ。どうしてそんな夢をみたのだろうと昨日は時々考えていたのだが、(内容を思い起こすというより、先生との思い出を思いおこしてた)多分「マチネの終わりに」の影響だろう。過去は未来を作り、現在は過去に支えられ、未来は過去を変えてゆく。そんなことを、先生との出会いと影響と絡めて考えていた。私がこのブログで自分の思いを記しているのも、あの時の先生との出会いがスタートだったと思う。出会いは偶然だが、その偶然を自分にとっての必然に変えることが出来るのは自分自身だ。「意志」もあるけれど、「気質」や「その後の出会いや行動の選択」が必然へと導く。N先生、本当にありがとうございました。また時々夢で逢いに来てくださいね。N先生のことについて書いているエッセイはこれ。
2022年01月23日
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「南海トラフ」の前兆か 未明の大分、宮崎を襲った震度5強 列島周辺で頻発する強い揺れ「すでに始まっているといってよい」識者1/22(土)22日午前1時8分ごろ、大分県と宮崎県で最大震度5強を観測する地震が発生した。震源地は日向灘で、震源の深さは45キロ、地震の規模はマグニチュード(M)6・6とされる。列島周辺で震度5強程度の強い揺れが頻発しているが、今回は南海トラフ巨大地震の想定震源域で起きた。専門家は、巨大地震へ地震活動が活発化していると指摘する。高知県や熊本県でも震度5弱を観測。その後も日向灘を震源とする地震が続いた。大分市内の80代女性が転倒し、骨折の疑いで搬送されたほか、80代男性も負傷。市内の複数の場所で水道管が破裂した。宮崎県内では4人が転倒するなど負傷。延岡市では街灯1本が折れ、高千穂町では積まれたブロックが崩れた。夕刊フジで「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」(毎週木曜)を連載する武蔵野学院大の島村英紀特任教授は「フィリピン海プレートが起こした地震で、震源がより浅く、マグニチュードが大きくなれば津波が起きる可能性もあった。南海トラフ地震も同様のメカニズムで発生する」と解説する。日向灘を震源とした震度5弱以上の地震は2000年以降、02年11月、06年3月、19年5月の3回発生した。16年4月には最大震度7を2度観測した熊本地震も記憶に新しい。今回の地震は南海トラフ巨大地震の想定震源域だったが、有識者を交えた「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」の基準であるM6・8には達しておらず、臨時開催はしないという。ただ、日本に関係する太平洋プレートでは今年に入って、小笠原諸島で震度5強の地震(M6・1)があったほか、南太平洋のトンガの海底火山も噴火したばかりだ。災害史に詳しい立命館大環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授は「活発化する太平洋プレートに圧縮されたフィリピン海プレートの動きを注視すべきで、その中には首都圏も含まれる。小笠原の地震やトンガの噴火のほか、昨年来、トカラ列島や沖縄、台湾周辺でも地震が頻発しており、南海トラフ地震は始まりかけているといってもよい」との見方を示した。大分には、夫の友人も私の旧友も住んでいる。被害がないかとメールで問い合わせたらさほどの被害がないとのことでホッとするが、その後もずっと余震が続いているようで、不安なことだろうと推察する。トンガの火山噴火のことといい、今回のことといい、不穏な動きが地球内部でうごめいている。当地は、今までに経験のないような重たい雪がバサバサ降って、それによる落雪事故なども頻発。これも立派な自然災害だ。今年はどのような年になるのだろうか。
2022年01月22日
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ブログリンクしているMilkywayジャーナル さんが絶賛していたので、図書館で借りて読んだ。【内容紹介】天才ギタリストの蒔野(38)と通信社記者の洋子(40)。深く愛し合いながら一緒になることが許されない二人が、再び巡り逢う日はやってくるのか――。出会った瞬間から強く惹かれ合った蒔野と洋子。しかし、洋子には婚約者がいた。スランプに陥りもがく蒔野。人知れず体の不調に苦しむ洋子。やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまうが……。芥川賞作家が贈る、至高の恋愛小説。実は、読み始めてから最初の頃は、「コテコテの恋愛小説か?」という印象であり、読み続けるかどうか少し迷ってしまった。正直なところ、私は恋愛小説はあまり得意ではない。なぜなのかよくわからないが、「恋」が主題のものは感情移入できにくいというか、ついつい突っ込みたくなることが多くて、どっぷりと物語にのめりこんで楽しめないことが多いのだ。しかし、Milkywayさんに「読んでみたい」とコメントを書いてしまったので、最後まで読み切らなくちゃと数日かけて読んだのだが…。しかし私の予想は裏切られ、後半はどんどん物語にのめりこみ、登場人物それぞれに感情移入しながら読んでいた。一言で言うと、「面白かった!」。単なる恋愛がテーマではなく、「愛」の様々な様相が描かれている。人はどんな環境であれ、時代であれ、様々な出会いと偶然の中で惹かれあい、求めあい、成長し、時にはどうしようもない嫉妬や自己愛との狭間で苦しみ、憎み、拒否し、出会いと別れを繰り返しながら年を重ね、人生を歩み続ける。そこには、社会的な背景も深く関与してくるし、家族や友人との関係も絡まりあう。そんなどうしようもない人間の性というか業の中でもがくときに、音楽や芸術がどのような意味を持つのか、あるいは特異な才能に恵まれた芸術家が、自分の才能の意味をどのようにとらえ、追及していくのか。とにかく、読みながら様々な思いが心の中を巡るような小説だった。私は映画や音楽には詳しくはないが、ギターやバイオリンを弾く人も知っているので、ギターのコンサートにも行ったことがある。私はオーケストラは別として、弦楽器のソロコンサート、特に他の楽器との共演でない場合、どうしても多少は入ってしまう、弦と指の擦れたりするノイズが苦手で、特にクラシックギター演奏の場合はそれが気になってしまう。つまりは、上級者のコンサートに行ったことがないということなのだろうが、主人公の蒔野の演奏について書いてあるくだりを読むと、こんな演奏は聴いてみたいなと思った。高校時代の友人に、クラシックギターを弾く人がいた。彼女は、ギターを弾くためにとても爪を大事にしていた。そんなこともふと思い出していた。彼女とは同じプレクトラム・アンサンブル・クラブで私はマンドリンを弾いていたのだが、彼女はとても耳が良くて、少しの音のずれも気になるようだった。私にはそんな才能はないので、一緒に演奏する時は緊張したものだった。話はそれたが、この小説で私が特に注目したのは、PTSDのことと、多分主題の一つであろう、「過去→現在→未来」の意味合いである。「未来は過去を変える」あるいは、「現在は未来と過去を変える」ということを、私は実感をもって納得できるような気がしている。さて、この二人はこれからどのような人生を歩むのであろうか。きっと、読者それぞれにイメージすることだろう。私ももちろん想像をめぐらすのだが、それは「私自身なら…」ということになる。うん、このような恋愛小説も悪くない。
2022年01月22日
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親しくしているIさんの誕生日なので、「畑のレストランひら里」でランチ。由仁町の畑の真ん中、というか、今は雪原の真ん中にある小さなレストラン。ここに来るのは二回目なのだが、昨年の夏に来た時もあまり混んではおらず、とてもゆっくりできて心地よく、お料理もおいしかったので彼女を誘った。私は自動車の運転免許を持たないので、彼女はいつも私のアッシーさんである。このところ悪天候も多く、かつ凍(シバ)れる日が続いていたので、万一吹雪く日になったら絶対に行けないお店。幸いこの日は天気が良く、11時半の開店から3時頃までゆっくりと色々な話をすることが出来た。「畑のレストラン」というだけあって、お野菜をふんだんに使った料理で、かつ彩りがとても美しい。彼女もとても気に入ってくれて、「次はTさんの全快祝いをこのお店でしようね」と勝手に二人で決めた。Tさんは、昨年末に検診で乳がんが発見され、年明けに手術で入院中。手術後は放射線治療やリハビリが続くようなので、全快祝いは夏景色になるのだろうか。その日が一日も早く来ることを心から願っている。
2022年01月18日
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トンガ火山、陸地が消滅 噴火後の衛星写真で、国連1/18(火) 0:43 共同 【ジュネーブ共同】国連衛星センター(UNOSAT)は17日、トンガで15日に噴火した海底火山の噴火前後の衛星写真を公開した。海底火山の海域には海面上に285ヘクタールの陸地があったが、現地時間17日午前10時53分(日本時間同6時53分)に撮影された写真では、陸地がほぼ全て消滅しており、噴火の威力の大きさが示されている。 海底火山の南約65キロにある首都ヌクアロファの空港では、噴火後の写真で滑走路周辺に浸水の痕跡が見られるとUNOSATは指摘。滑走路上の白線も見えない状態となっており、津波の影響とみられる。まだ、トンガ火山噴火の被害の詳細はわからないようだが、想像を絶するような状況ではないかと想像してしまう。現在の被害も心配だけれども、一つの火山島が吹き飛んでしまったようなので、噴出物の今後の影響もとても心配だ。つい、ポンペイを連想してしまうのだが、私の想像が心配し過ぎであることを願うのみ。
2022年01月18日
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5日に、新聞で知人の奥さんの訃報を知った。以前仕事や地域活動で夫婦ともに旧知の人だったが、近年は年賀状で近況報告くらいのお付き合いだった。今年も年賀状が届いていたので、特にコメントは書かれていなかったが、変わらずお元気なのだろうと思っていた。その奥さんの方が、2日に亡くなられたという。新聞のお悔やみ欄で知ったのだが、すでに葬儀は終了していた。突然だったのだろうか、それとも以前から闘病していたのか、それはわからない。個人的に深い付き合いではなかったので、問い合わせることもしていないのだが、ご家族は悲しみの中にあることだろう。お二人とも私と同年代である。少しずつ、あちらの世界が近くなっていることを感じるのはこのような不法だ。だからこそ、今ある命を大切に生きなければと思う。その数日後、短大時代の数少ない旧友の娘さんからの挨拶状が届いた。「母は、昨年9月に他界しました」の文面に言葉を失った。私は昨年は義姉の喪中で年賀状の交換をしていなかったので、慌てて一昨年の年賀状を確認した。「お元気ですか? いつかお会いしたいですね」と書かれていた。彼女とは中退した短大で、同じ学科・同じ寮で出会った。同じ年とは思えないほど大人の感じがする人だったが、なぜか親しくなった。彼女は卒業して故郷の学校栄養士になり、定年まで勤めた。私がスクーリングで毎年上京していた時期、一度だけ会うことが出来た。その時(もう25年以上前)に、学校給食がいかに子ども達にとって大切なものなのかを力説してくれた。「給食だけがバランスの良い食事の子がいっぱいいるのよ。 給食はどの子も安心して食べられるように無料にすべきと思う。 できれば、希望者だけでも朝ごはん給食をしてほしい」その頃、私は子ども達の食生活にさほどの危機感を抱いていなかったので、彼女が怒りを込めて力説する言葉に、少し驚いたほどだった。しかし、時がたつにつれて彼女の言葉を重く思い出すようになっている。本当に子どものために税金を使うとするなら、まず毎日のバランスの良い食事の確保だ。全国で子ども食堂の活動が広がっているが、それが学校という場でできれば、どれだけ子ども達のためになることだろう。詳細を娘さんに問い合わせたいと思ったが、電話番号は記されていなかった。なんと、彼女の年賀状にも電話番号はなく、私の住所録にも登録されていなかった。考えてみれば、彼女と私が中退後もつながっていたのは、彼女が筆まめな人だったからだ。今は、彼女の冥福を静かに祈ろうと思う。長年のお付き合い、本当にありがとうございました。
2022年01月16日
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道内暴風雪、生活寸断 JR半数運休、新千歳降雪最多、停電6200戸01/13 00:18 更新 道新 道内は12日、発達した低気圧の影響で広い範囲で暴風雪に見舞われた。岩見沢市では除雪機の下敷きとなっていた男性が死亡。各地で湿った雪となり、JR北海道は午後11時現在、1日に運行する全列車の半数超の685本を運休したほか、全道で最大約6200戸が停電するなど、市民生活が混乱した。暴風雪は13日も続く見込みで、JRは13日も特急17本など計91本の運休を決めた。 JRによると、千歳線が雪の重みによる架線トラブルや除雪作業の影響で始発から終日運転を見合わせ、快速エアポートが全列車運休したほか、札幌―釧路間の特急おおぞらや、札幌―函館間の特急北斗など特急88本が運休。新千歳空港は正午までの24時間降雪量が34センチで観測史上1位を更新し、同空港の発着便は羽田や伊丹行きなど計200便が欠航した。 道警によると、午後9時半現在、雪の影響で高速道路は旭川紋別道の上川層雲峡インターチェンジ(IC)―浮島ICなど2路線2区間、国道は12路線15区間、道道は58路線62区間が通行止め。 北海道電力によると、11日夜から各地で断続的に停電が発生し、12日午後11時現在、釧路管内浜中町や宗谷管内豊富町などの約520戸で復旧していない。道などによると停電や高潮警戒のため、根室管内別海町や標津町など道内4町が一時12カ所で避難所を設置した。 札幌管区気象台によると、24時間降雪量は帯広市で午後3時に59センチとなるなど道内6地点で1月の史上最高を上回ったほか、十勝管内中札内村上札内で同1時に74センチ、上川管内音威子府村で同5時に66センチに達した。 十勝農業共済組合によると、降雪の影響により帯広市や十勝管内芽室町などで農業用ビニールハウスの倒壊や損傷が約30件あった。 道内は13日も暴風雪が続く見込みで、JRは12日午後11時時点で、13日の札幌発函館行き特急北斗2号や札幌発釧路行き特急おおぞら1号、札幌発網走行きの特急オホーツク1号など特急17本を含む91本の運休を決めており、新日本海フェリーも13日の苫小牧東―新潟、小樽―舞鶴(京都)の計2便の欠航が決まっている。 道教委によると、空知と留萌管内の中高計2校で13日の臨時休校を決めた。(鈴木宇星、小野田伝治郎、菅沢由佳子)昨日の朝、カーテンを開けてビックリ!7時前に外に出てみると、まだ除雪車も来ていないし、新聞も届いていない。夫は道路までの通路と車庫前を除雪しているが、とりあえず朝食後に作業をすることにした。その頃に、やっと新聞配達の人が徒歩でやってきたという。いつもは自動車で配達しているのだが、除雪車が入っていないのでやむなく徒歩にしたようだ。本当にご苦労様なことだが、こんな日でも少しでも早く配達しようとする責任感に頭が下がる。我が家には傾斜がゆるい屋根の部分があり、そこにもどっさりと雪が積もっている。実は私は、昨年冬の転倒で肩を痛めてからなかなか完治せず、今でも肩に負荷がかかることは避けている。昨年は、多少負荷がかかって痛くてもそのうち治るだろうと我慢したことが、これだけ長引かせることになったようなので、今は除雪は免除してもらっている。しかし、さすがに今回は夫にばかり作業させるのは申し訳なくて、屋根の雪下ろしなら右手だけでもできると屋根に上った。湿った雪なので重く、とにかく押し付けて屋根から落とすしかない。少しずつ作業をしながら、「工夫次第でできるものだな」とも思う。そして、体が不自由な知人たちの姿を思い浮かべていた。彼らは、本当に日常生活を工夫しながら暮らしていた。誰でも年を取れば障碍者になるとは、若い頃から考えていたのだが、それを実感する年になった。全道各地で雪の被害が起きている。交通機関もズタズタだ。除雪機の事故も起きている。幸いに我が家では、何とかそんなこともなくて汗をかいただけで済んでいる。今日もまた、雪が降るようだ。もう十分だから、このくらいで勘弁してほしい。
2022年01月13日
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何年かぶりに、30代からの友人と共通の友人の三人で会う。彼女からのラインのお誘いメールのようなものがお正月に届き、それに返事をしたのが再会のきっかけ。彼女がスマホに替えて、操作の過程でそのようなことになったらしく、瓢箪から駒のような感じでつながったということは、会ってからわかった。彼女とのことを以前に書いているはずだと思ったが、みつからない。詳しく書く時間がないのではしょるが、彼女とは以前勤めていた仕事を辞めて在宅していた頃、産休の補助として短期で元の職場で働くことになった時出会った。私はその仕事を挫折してやめたので、本当は短期間でもその職場には行きたくなかった。挫折した時のことの記事はこれ。「心身障害児の療育指導員をやめる」その時、おそるおそるビクビクと、それでも無理に笑顔を作りながらかつて関わっていたお母さん達や子ども達と時間を過ごした後、彼女が言ってくれた言葉を忘れることが出来ない。「みらい先生は、いい指導をしていたんだなって思いました。先生を迎えるお母さんたちや子ども達の笑顔が本当にいいな…って」私は想像していなかったその言葉に、とても驚きながら本当に嬉しくありがたかった。その言葉が本当かどうかはわからないけれど、そう言ってくれた彼女の言葉は私の心に光を与えてくれたのだ。それがきっかけで彼女とはその後も仕事がらみで付き合うようになったのだが、個人的に親しい友人というほどでもない。それなのに、今回彼女は会うなり、「ありがとう…、会いたかった―」と涙ぐむ。彼女も会わない間にお母さまの介護問題など色々あって、誰かとそんな思いを話したいと思っていたようだ。出会った頃はお互いに30代だったが、あれから40年近い年月が経っている。もう一人の彼女とも、もう30年近い付き合いだ。人生は生きてみなければわからないし、年を取ってからの価値観が近い友人は本当にありがたいとつくづく思う一日だった。
2022年01月11日
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「江戸の夢びらき」 松井今朝子《作品紹介》【不世出の天才・初代市川團十郎、空前の一代記】なぜ江戸の民衆は團十郎に熱狂したのか。團十郎が命をかけた〈荒事〉とは何か。そして、なぜ舞台上で命を落としたのか。元禄時代から現在まで常に歌舞伎界に君臨し続けた大名跡・市川團十郎、そのはじまりの物語。●あらすじ寛文7年(1667)、浪人の娘・恵以はひとりの少年と出会う。子どもながらに柄の悪い侠客たちに囲まれ、芝居に出れば大暴れして舞台を滅茶苦茶にする破天荒さに呆れながらも、恵以は自然と人の注目を集める彼の素質に気づく。少年の名は海老蔵。長じて市川團十郎を名乗り、〈荒事〉の追求の果てに江戸の民衆から信仰にも近い人気を集め、劇作家としても今なお愛される名演目や斬新な演出を次々と生み出した不世出の天才。彼が命をかけた〈荒事〉とは何だったのか、そして、なぜ舞台上で命を落とすこととなったのか。謎多き初代市川團十郎の波乱万丈の生涯を、元禄の狂乱と江戸歌舞伎の胎動とともに描く空前の一代記がここに誕生!「仲蔵狂乱」松井今朝子を読み、この人の歌舞伎に関する作品をもっと読んでみたくなり、図書館で借りた本。期待に違わず面白かった。今に続く「市川團十郎」の初代の妻の目から見た物語。小説仕立てだから、史実を基にした物語でフィクションなのだろうが、読み進めると初代團十郎が生きた時代の様々な自然災害や出来事などが絡まりあって、ドキドキワクワクの大衆小説である。題材が歌舞伎だから当然ではあるが、ついつい今までに見たことのある演目や役者の姿とリンクしてとても楽しめた。しかし、内容はなかなかシビアでミステリアスでもある出来事続きで、ついつい現代にも続く役者の世界の大変さを想像してしまった。
2022年01月09日
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私がこのブログを書き始めたのは、2003年06月19日だった。以来18年半も続くとは、始めた頃には考えもしなかった。日記らしきものは小学生の頃からとぎれとぎれに書いてはいたけれど、それは私の「毒吐き日記」みたいなものであり、自分で読み返すのもイヤな代物。だから、もうほとんど処分してしまった。それに比べたらこの楽天ブログは、その都度のニュースも簡単にコピペできるし、個人的なことを書いていても公開ブログである以上押さえた書き方になり、読み返しても辛くはない。だから今まで続いているのだろう。個人名は書かないようにしているし、個人的に付き合っている人が見る可能性もあるので、多少ぼかして書くことが多い。それでも自分の体験だから、自分では今のところわかるし、読み返したら「ああ、そなこともあった」と蘇る。だから、私の衰えゆく記憶を補完するためにも、とても便利なツールになっている。しかしそれでも、読み返しても誰のことか思い出せないこともある。我ながら情けないけれど、それは忘却してもよいことの証しと思うことにする。一番楽しいのは、やはり家族、特に孫の成長に関わることだ。私は子育て中はとても忙しく過ごしていたので、息子たちの様々な思い出もあまり記憶にない。ふるいアルバムを見て懐かしくは思えるけれど、その時のリアルな思い出や感情が足りない気がする。きっと息子たちはやんちゃだけれどとても可愛くて、その時々に様々な感動や学びを私に与えてくれたはずだ。それが霞のようにぼんやりしているのが、ちょっと申し訳ないし残念に思う。昨日、お餅つきのことを書いていて、以前のブログで確認したこともある。ブログを続けていて本当に良かったと思うので、今年もマイペースで綴っていこう。
2022年01月07日
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年が明けてあっという間にもう6日になってしまった。メモしておかなければ、何をしていたのかすぐに忘れてしまう。12月29日(水) 山形から大学四年生の孫が、久しぶりに年末に帰省。 4月からは、山形県内に就職が決まっているので、 またしばらくはお正月に帰省できないかもしれない。 千歳空港到着は午後8時半の予定だったが、一時間以上遅れてしまい、 我が家に着いたのは午後10時過ぎ。12月30日(木) 孫を送りがてら、長男一家の住むI市へ向かう。 この日は、いつも彼らと一緒に仕事をしたり手伝ってくれる人たちも含めての餅つきの日。 「お餅つき」は、長年私の実家の臼と杵を使ってきた。 つまり、私が物心ついてからずっと、家族の恒例行事としての餅つきが続いている。 孫が幼い頃は実家で行っていたけれど、やがて息子の家で行うようになり、 2018年からは私達も参加せず息子たちだけでやっている。 大雪(;´д` ) ブログのおかげで、それが何年だったかわかるのでありがたい。 この年は、確か年明けにお餅つきをしていたような気がする。 その時以来、息子たちが餅つきの手はずをするようになったことが、 友人知人も参加しての餅つき大会になったらしく、 年々参加者が口コミで増えてきて、今回は大人子ども合わせて20人になったとか。 孫も久しぶりの餅つき参加であった。 昔から、着いたお餅を「からみもち」にしていただくのが我が家の伝統。 私の子どもの頃は、鏡餅も伸し餅も搗いていて、 何臼も搗いたので結構時間がかかった。 息子夫婦と札幌の短大の孫が準備したのは、 からみもち4種類(大根おろし、納豆、黄な粉、餡こ)と、お雑煮。 サラダと知人からの差し入れの漬物と、ホッケの飯寿司。 私は、前日お煮しめを大量に作って持参した。 密になることを避けるため、倉庫にビールケースを並べた椅子やベニヤ板でのテーブル。 息子が少しでも寒さしのぎにと、ドラム缶利用の手作りストーブを燃やしていたが、 その周りだけは少しは暖かい程度。 でも、上手に工夫して、上に鍋ややかんを乗せて温めることが出来るので、 これは便利だと感心した。 お餅を搗くときの手水は、寒い場所ではすぐに冷えてしまうので、 お湯を足すことが出来たら本当にやりやすいのだ。 感心したのが、息子夫婦、特にお嫁さんの采配の良さだ。 やっぱり、経験は大切だとつくづく思う。 でも、あれだけの準備をするのは大変だったろうとお嫁さんをねぎらうと、 「ずっと餅つきのことが頭から離れませんでした」という。 私がやっていた頃は家族だけだったから、 面倒ではあってもそれほど大変ではなかった。 食べている時、「あの臼と杵はいつから使っているのですか?」と聞かれた。 改めて考えてみたら、大木を切ってそのまま臼にしたようなものなので、 多分、北海道に渡道した曾祖父の頃からではないだろうか。 だとすれば、多分100年は経っているはずで、 途切れることなく働き続けていることになる。 そう思うと、きっとあちらの世界のご先祖様たちも、きっと喜んでくれているだろう。 この調子では、まだまだ餅つき大会はこの先も続くだろうから、 なんだか歴史をつなぐ責任を果たしたようでありがたく思う1日になった。12月31日(金) 年越しの日には、夫の打つ蕎麦をメインに大宴会が20年ほど続いている。 そのほかには、孫たちが大好きな「握り寿司」や天婦羅、サラダ、漬物。 しかし、今年もコロナ禍が続いているので、孫たちは泊まらずに夜には帰宅した。 例年泊まる次男は、アルバイトをしている「M駅の除雪」当番で来れなかった。 というわけで、結婚以来初めての夫婦二人だけの年越しとなった。 つまり私にとっては結婚以来初めての、のんびりと過ごす31日であった。2022年元旦 無理にお正月に来なくてもいいよと行ったのだが、息子一家と次男が集まる。 3年ほど前から、冷凍御節を購入することにしたので、 お正月料理の準備は本当に楽になった。 それでも何品かは作ろうと、うま煮やきんぴらごぼう、 紅白大根なますの代わりに、生ハムと大根を使ったサラダ。 数の子や黒豆、紅白蒲鉾や昆布巻きは購入。 親戚からいただいた「キンキの飯寿司」や、妹手作りの「伊達巻」などが並ぶ。 実家にはみんなで顔を出して一緒に写真を撮るだけ。 今年も母を囲んで家族写真が撮れたことをありがたく思う。 購入したおせちには珍しいものもあり、なかなか楽しめるのだが、 女の孫が、「おばあちゃんの煮物やきんぴらは、やっぱりおいしいね」と言ってくれる。 うーん、こんなこと言われちゃったら、また作らなきゃね。 この日は、長男一家は帰り、次男だけが泊まる。1月2日(日) 市内の大型スーパーで5000円の「福箱」購入。 ここの福箱は、必ず3000円の商品券が入っていて、 その他もお菓子や調味料、カップ麺やレトルト食品など無駄がない。 ついでに、店内にあるパン屋さんで「パンの福袋」も買った。1月3日(月) 今年はとても雪が多くて寒い。 毎日真冬日が続いている。 夫も、毎日の除雪に余念がない。 実は私は、昨年の2月に玄関先の氷に足を取られて転倒して肩を痛めた。 少しずつ良くはなっているのだが、まだ力を入れると痛みが走り、 これ以上悪化させたくないので除雪免除の状態。 昨年10月頃に、念のためと整形外科に行ったのだが、レントゲンでは異常なし。 肩の電気治療とリハビリの運動を教えてもらったが、さほどの改善がない。 医師に聞くと「老化もありますからねえ」と言われてしまった。 老化であれば仕方がないし、日常生活にさほど不便はないので、 通院も勝手にやめてしまった。 しかし、除雪作業をすると、それがいかに肩に負荷がかかるかがよくわかる。 体というものは、何もない時には気付かないが、本当にうまく機能しているものだ。 というわけで、あまり大雪にならないことを祈るばかりだ。
2022年01月06日
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私の周辺では、とにかくつつがなく年を越すことができました。でも、世界各地では、今現在も大変な思いをしている人たちが多いと思うと、穏やかに平和に暮らしていることが申し訳なくなりそうです。それでも、今は他の人達のことを思うことが出来ることに感謝して、今年もマイペースで暮らしてゆきたいと思います。とにかく、一日も早くコロナ禍が収まって、うっとうしいマスクなしで過ごせることになるように祈るばかりです。北海道は真冬日が続いているので、今はマスクが防寒にもなるのでいいのですが、春になったらダウンもマスクもなく軽やかに過ごしたいものですね。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2022年01月01日
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