全165件 (165件中 101-150件目)
16日の「クローズアップ現代」で、クリント・イーストウッド監督のインタビューを見て、「これはぜひ観なければ」ということになり、夕食後に夫と近郊のシネコンに出かけて、「父親達の星条旗」を見た。私は、基本的に戦争映画は苦手である。戦闘シーンやむごいシーンは目を開けて見ていられないという臆病者なのだ。この映画も、戦争とはこういうものなのだということを描いているのだから、当然そうだろうと覚悟はしていたのだが、想像を裏切らないシーン続出。でも、あれが戦争というものなのだ。最前線で戦う兵士達には勝者も敗者もなく、ただ犠牲者のみ・・。そして、もっとも悲惨な体験をして、その苦しさを終生背負って生きた人たちは、何も語ることができぬままにこの世を去っているのが大半だ。私の母の義兄は、確かサイパンで闘い、帰国後マラリアの再発で亡くなったのだが、「地獄だった。話すことはできない」と言っただけだと聞いている。もう一つの「硫黄島からの手紙」も、ぜひ見ようと思う。この時期に、この映画が問う意味は大きいと思う。
2006年11月17日
コメント(11)
あまり連続ドラマは見ないほうなのだけど、「僕の歩く道」は初回から気になって見ている。昨夜は「第4話」で、輝明は初給料を貰いロードバイクの積み立てを始め、都古は一度は別れる決意をした不倫相手との、新しい展開が始まる。今回のドラマを見ていて、ふと思ったこと。仕事帰りに都古と一緒に焼き芋を食べるシーンで、自分の座る場所だけベンチの枯葉を片付けたり、自分の分だけ焼き芋を買ったり・・。都古は、自分中心にしか行動できない輝明を障害のためとわかっているので、少し微笑みながらそれを見ている。また、職場で同僚の噂話をしていても、それが本人の前であろうとちっとも気にせず口にする輝明に、同僚の三浦は「空気を読めよ!」ときれそうになっている。それでも、それは輝明の障害のせいなのだと、皆が少しずつ認めていっている。さて、このように「自分勝手」に見えたり「空気を読めない鈍感な奴」は、自閉症タイプのハンディを持つ人に限ったことだろうか。程度の差こそあれ、人の気持ちに鈍感で空気を読めなかったり、自分のことだけを考えて行動したりする人は、障害のあるなしに関わらず結構いるような気がする。そのような場合、その人は「わからない状態」なのだから、少しずつ回りの人が教えてゆくしかない。ちょうど、輝明の障害を周囲の人が理解して、「このような時は、このようにする」と教えてゆくように。でも、いわゆる「健常者」である場合は、そのように対応することはとても難しいのが現実だろう。輝明はテレビを見て、雨の中で泣きじゃくる女性に、傘を差し掛けるといいのだということを自分で考えて学び、それを都古と並んで座っている時に応用した。人の気持ちを汲んだり、その場の空気に合わせて行動することはとても苦手な彼だけれど、それが全く出来ないわけではない。彼が、都古ちゃんをどれほど大切に思っているのか、そして彼が、どれほど純で優しい心根の人なのかを、あのシーンは上手に表現していたと思う。私たちは、自分以外の人の気持ちを、どれだけ思いやって生きているだろうか。「自分のことをわかってもらえない」とは不満を抱いたり嘆いたりするけれど、自分の言動が周囲にどのような影響を与えているか、あまり考えることはないのではないだろうか。深く考えたり感じたりするタイプは、周囲の反応に対して過敏になり、心に傷をつけていくこともある。それが、今、世間を賑わす「いじめ」ともつながっていくことがある。悪気のない一言も、人を地獄に突き落とすこともある。「みんなが言っているから」と、人をからかうようなことだって、この社会には悲しいほど多い。このネットの世界でだって、人の意見に対して激しい言葉で非難したりからかったりすることは多い。みんな、心を持つ人間同士なのだ。うっかりと人を傷つけることのある人間同士なのだ。自分が向き合っている相手に対して、自分の言動を相手がどのように受け止めるだろうかと、多少なりとも想像しながら付き合ってゆきたいと思う。そして、嫌な思いをさせたのだとわかった時には、とりあえずは「嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」と言おう。説明やこちらの言い分は、その後でもいいのだから。蛇足だけど、都古ちゃんはあの河原氏と結婚するのか・・。河原さんの妻がどのような人であるのかわからないけど、人を傷つけたり悲しませたりすることを土台とした結婚のスタートは、都古ちゃんにはさせたくないな・・。輝明がどのようにそれを受け止めるのかも、少し気になる。【追記】以前に読んだ、自閉症・アスペルガー症候群などのハンディを持つ当事者の著書。色々と気付くことがありました。 変光星―自閉の少女に見えていた世界 【著】森口 奈緒美自閉症だったわたしへ ドナ ウィリアムズ (著)
2006年11月01日
コメント(2)
昨日はレディースデイ。以前から観たいと思っていた「蟻の兵隊」を札幌のシアター・キノでやっと見ることが出来た。 《あらすじ》 ◎奥村和一・80歳。人生最後の闘いに挑む。 今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。 かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。 「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。 これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、“日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。◎日本軍山西省残留問題 終戦当時、中国の山西省にいた北支派遣軍第1軍の将兵 59000人のうち約2600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流。戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。元残留兵らは 、当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張。一方、国は「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とみなし、元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けてきた。 2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告した。 奥村さんたちの訴えを棄却した、国側の説明を知りたいと思う。多分、残留兵の中にも色々な考え方の人がいるのだろうけれど、私は奥村さんの訴えは、とてもまっとうなものだと感じた。最後のシーンで、靖国神社での(多分8月15日)軍服姿の一団の様子や、若者が「次の戦いでは負けないぞ!」と気炎を吐く姿、その人たちに英雄のように扱われていた小野田さんが、声をかけた奥村さんを罵倒する姿には、ひっくり返りそうになった。その前後がよくわからないので、なぜ小野田さんがあれほど怒っているのか理解できないが、同じように戦後も戦い続けた人も、それぞれ感じ方や考え方は違うのだろうということはよくわかった。戦後60年以上も過ぎてしまい、当時の戦争の実態を記憶している人も少なくなっている。私たちは、戦争がどのようなものであるか、戦争中の日本が何をしたかということを、もっと知らなくてはいけないと思う。それは、「自虐史観」などというものではなく、キチンと事実を知った上でなければ、未来への道しるべには決してならないと思うからだ。それにしても、奥村さんたちの訴えは、このまま無視され風化してゆくのだろうか。この映画がなければ、間違いなくそうなったことだろうと思う。池谷薫監督には、感謝します。そして、一人でも多くの人に見ていただきたいと思う。この映画について知った時の日記。池谷監督がコメントを書いてくださったので、ネットの威力にビックリしたものである。「蟻の兵隊」を観たい(2006年02月12日の日記)【参考】 WR2316 映画「蟻の兵隊」と終戦後の日中将兵の戦い 中国山西残留の日本兵問題
2006年10月20日
コメント(2)
テレビ番組紹介の「自閉症」という文字に惹かれて見た番組、「僕の歩く道」。テレビを見ながら、何人もの「自閉症」と診断されていた子ども達の顔が浮かんできた。現代の日本社会で(他の国のことはわからないので)、少しでも心身のハンディを抱えて生きることは、本当に大変なことだ。いわゆる「健常」といわれる人たちだって、この社会で生きてゆくためには大変なストレスを抱え、それで心身が疲労困憊して病む人だって多いのだから・・。主人公の輝明(草なぎ剛)には、いつも自分を理解してくれる都古ちゃん(香里奈)がいる。それは本当に幸せなことだったな・・と、思う。このように理解してくれて、「この人は自分の味方だ」と信じられる存在が、家族以外に今までいたということが、どれほど輝明を支え救ってきたことだろうか・・と。それだけに、信じていた人から冷たくされたときのショックは大きい。その一端が、最後のシーンだった。でも、きっと今までにも、このようなことが繰り返されていただろうし、いつもその後には、都古ちゃんが適切なフォローをしてきたのだろう。長い間に培ってきた友情と信頼が、きっとこの番組を貫く肝だろう。ドラマや映画は、そのような意味でどこか安心できるのでありがたい。しかし、現実社会はそのようなことばかりではない。輝明のお母さんは、「一般社会で職場の人に支えられながら仕事ができること」を願っている。それは、ごくごく当たり前の願いである。しかし、職場の人がハンディに対する理解をしながら支えてくれて、その職場での居場所を確保することは、本当に本当に難しいのが現実だと思う。「自閉症」と言われる人たちは、周囲の空気を読んだり、相手の気持ちを汲むことは苦手だから、結果的に「コミュニケーションが苦手」となるし、「自分の殻に閉じこもっている」ともみられる。しかし、だからといって「心や感情」が無いわけではない。それどころか、いつも周囲の目や言葉を気にしていると言えるのかもしれない。(もちろん、障害の程度によって違うし、その人の性格によっても違う)輝明のように、理解力やある程度の判断力があればなおさらだ。以前、山口県の切り絵画家・上田豊治さん とお母さんの幸子さんと仕事で出会った。彼も自閉症と診断され、高等養護学校を卒業後に自動車整備工場のような職場に勤めたという。しかし、周囲の人との関係が難しいことから、ストレスで体重が激減し、その様子を見て仕事をやめさせたのだという。その後、学校で出会った大好きな「切り絵」に取り組み始め、その嬉しそうで楽しそうな生き生きとした姿を見て、「良いところを伸ばしたら、困ったところが目立たなくなるだろう」と思われたそうである。お母さんとの二人三脚で、豊治さんは「切り絵画家」としてその才能を開花させた。自閉症といわれる人たちには、特異な能力があることが多い。自分の関心のあることに対しての想像もつかないような記憶力。上田さんのように、複雑な色彩とグラデーションの風景を、「白と黒の光と影」で鮮やかに捉える能力。私の知っている自閉症の青年は、全国の鉄道の駅名や時刻表を記憶していた。その人によって、様々な特徴とこだわりがあるから、一般論で「自閉症にはこのような対応を」とは言いにくい。やっぱり、じっくりと腰をすえてその人と付き合いながら、その人にとってベストの付き合い方を探ってゆくしかないのだろう。それを自然に出来る人は、とても少ないような気がする。もちろん、私も同様である。そういえば、上田さんの個展には施設職員の人と一緒に行った。その人は施設で多くの自閉症や知的障害の人と付き合っているのだが、上田さんの会話の特徴をうまくつかめず、お互いにとても困っていたのを思い出す。実は、その少し前に私が先に彼と挨拶したのだが、たまたま私は、彼の会話のパターンにうまく乗ることが出来たのだ。次の日、その頃我が家にいた息子に、「素晴らしいから見に行ってごらん」と誘い、私が感じた彼とのコミュニケーションのコツを伝えた。息子は、なかなかうまく私のアドバイスどおりの対応をしたせいか、同世代の息子に対して、上田さんはとても好感を抱いてくれたようだ。ジーッと息子の姿を追う豊治さんの姿に、友達になりたいと思う心が見えたような気がした。ドラマはこれから、どのような展開になるのだろう。この番組が、自閉症に対する正しい理解をすこしでも広め、自閉症といわれる人たちやその家族を励ますものであって欲しい。そのようなハンディを持つ人は決して少なくはなく、きっとこれを読んでくださっている人の周囲にもいらっしゃるはずです。【上田豊治さん関連サイト】 上田豊治作品 彼のこだわりの一つで、これらの切り絵は全部つながっているのですよ。
2006年10月11日
コメント(6)
朝のテレビドラマは、時計代わりにいつも見ている。現在放送中の「純情きらり」も、特別のことがない限り見ている。途中経過の中では「どこが純情?」「誰の純情?」と思うこともあるが、時代が戦争前後ということで、私は、かつて出会った「遺族会のおばあちゃんたち」を思い浮かべることも多い。この展開を、若い人達はどう考えたり感じたりするのだろうかと、他のブログも結構拝見している。その中で目に付くのは、桜子が達彦さんの生死がわからない時、冬吾さんに心引かれ、達彦が復員すると何事もなかったように彼を愛することへの違和感。現代の女性も、思いのほか純情なのだなと感心したりする。私は、そういうこともあるだろう・・と思いながら見ている。結婚式をしただけで、あるいは沢山の子どもがいるのに夫が出征し、自分が生きるために、あるいは子どもを守るために、誰かの世話になったり、時には、夫の兄弟と結婚したりした女性は多いはずだ。遺族会の旅行などで、そんな人達の話を聞くたびに、戦争とは本当にむごいものだと思った。ある人は、達彦さん同様、夫の戦死の公報もないままに何年か過ぎ、農家であった家と子どもたちのために、親族の勧めに従って夫の弟と結婚し、その後に夫が復員したという例。こればかりは、色々と想像すると今でも胸苦しくなる。そのご主人は、結局別に所帯を持ったということだったが、それぞれどんなに苦しかったことだろう。死んでも地獄、生きても地獄だな・・と思ったものだった。昨夜、たまたまBSハイビジョン特集「日中戦争~兵士は戦場で何を見たのか~」を見た。本来は「不拡大方針」だったにも関わらず、軍部の勝手な判断で宣戦布告もせずになし崩し的に中国を侵略し、政府はこれを追認。南京に侵攻した後の日本軍の行為は、「虐殺」と言わずして何であろう。90歳を超えた元兵士は、その時のことをこれまで言うことができなかったという。「この世の置き土産として、言わなくてはならないと思った」というようなことをおっしゃっていたが、何も言えぬままに亡くなっていった元兵士がいかに沢山いらっしゃることだろう。自分が生きるためには、敵を殺さなくてはならない。戦闘のなかでならまだしも、抵抗できない民間人(かもしれない)中国人を殺すことは、いかに戦時中とは言え、釈然とはしていなかったようだ。公式記録では、南京事件での中国人の死者は(ちょっと記憶があいまいだけれど)7000人くらいとか。それだけでも十分に虐殺行為と言えるだろう。多かれ少なかれ、命からがら復員した人達は、そのような辛い記憶と戦いながら戦後を生きたはずだ。死ぬまで語ることができなかった人、自分の行為を「正当」と思うことで生きた人。それぞれの体験や性格などで乗り越え方は違うだろうが、人によっては乗り越えられずに苦しみ続けた人もいたのではないだろうか。そのような父親たちに、私たちの世代は育てられた。達彦と桜子は結婚し子どもを育てるのだろうが、それがまさに団塊の世代である。
2006年09月15日
コメント(6)
昨夜、たまたまチャンネルを変えたら『熟年離婚・その後の人生』をやっていた。すでに番組は終盤になっていたのだと思うが、二度の離婚体験をしても、愛する伴侶が欲しいという女性が出ていた。結婚や恋愛は人それぞれだから、そのように思う人はいると思うが、彼女の次の言葉には「エッ?!」と思ってしまった。「最期は愛する人の腕の中で逝きたい」(正確ではないかもしれないが)ウワーッ、私と同じ年で、そんなこと思う人いるんだ。これには、驚きと共に不思議な感動さえ覚えた。でも、次の瞬間にこうも思った。「それって、少し身勝手な願望じゃないか?」28日の日記「私が親ならどうする?」で少し書いたが、私は、若い頃の結婚は「子供を育てるためのシステム」という点を重視している。その意味では、「恋愛と結婚は別」論者である。親としての責任を果たすために、結婚という縛りが必要だとさえ思っている。それは、結果的に離婚するとしてもである。一度は、親としてこの子を守り育てようという覚悟をするために、結婚制度は大切ではないかと思うのだ。それは、「家族としての愛」を育むための装置ではないかと。同様に、高齢になってからの結婚も、「お互いの人生の最終章を支え合うため」と思う。それには、「年老いて、健康も財力も失ってゆくであろうこの人を支えたい」という気持ちがなければ、結婚をしない方がいいのではないかと思うのだ。愛し合える人が欲しいのであれば、恋人でいいではないか。「愛する人の腕の中で死にたい」というのであれば、若い恋人を持つに限る。一般的に、女性の方が長生きする可能性が高いしね。「愛する人を看取りたい」と思わないなら、熟年結婚をしても、また期待はずれに終わるような気がする。まあ、人はそれぞれだからどんな理由で結婚しようと文句は言わないが、私ならば、もうこの年で再婚は面倒に思う気がする。実際、私の妹は離婚しているけど、「一度の結婚で十分だ!」と言い切っている。妹には「恋愛くらいしたらいいよ」とは言っているし、できればそんな男性が妹にいたらいいなと思ってるけど、「結婚する」と言い出したら、反対しないまでも少しは釘を刺すかも。「私たち、長寿遺伝子持ってるよ。相手の老後の面倒見るの嬉しく思いそう?」もしも妹より二十歳ほど若くて経済力のある人ならば、別の言い方をするかも。「あんたがおばあさんになった時、面倒見てくれそうな人? 浮気されてもニコニコしていられるならいいけど・・」どっちにせよ、「恋人関係のほうがいいんじゃないの?」と言うだろう。私自身は、できれば夫の老後を看取ってから逝きたいと思うけど、もしも私が先に逝くことになったら、それはそれでありがたい。残った人は残った人たちで何とかするだろうと思ってるので、あまり心配はしていない。ただ、両親より前に死ぬことだけは嫌だなと思う。
2006年07月31日
コメント(2)
地球交響曲第五番(以下、公式HPの一部をコピー)「全ての存在は時空を超えて繋がっている」 既存の価値観が崩壊してゆく今の時代は、私達ひとりひとりの小さな価値観の変化と、それにともなう小さな選択、行動の変化が、地球規模の大きな変化を起こし得る時代なのです。こんな時代に最も大切なのは、「全ての存在は繋がっている」ということへの信頼と、そこから生まれる安心感です。人と人とはもちろんのこと、人と他の全ての生命、人と物、人と自然環境、人と地球、人と宇宙、そして、人と宇宙創生以来の全ての過去、現在、未来は、具体的、現実的に繋がっている。今、私達、ひとりひとりが行っている全ての営みは、いかに些細にみえることでも、一切が、決して消えることなく、いづこかに“記憶”され、未来の世代、未来の地球、未来の宇宙に繋がって生かされてゆく。 そのことに気付き、謙虚さと共に、勇気と喜びをもって価値観を変え、行動、選択を変えてゆく人々を激励する。これが、「地球交響曲」第五番のコンセプトです。この映画は、市民の人たちによる自主上映会で鑑賞できる。私は、第2番から見たと思うのだが、いつも静かな感動と希望が身体を包む気がする。私は実行委員ではないのだが、いつも何かと協力してくれる人が一所懸命なので、「お互い様」「いつもありがとう」の気持ちで二十枚チケットを引き受けた。知る人ぞ知る映画だと思うのだが、派手さが無く説明するのにちょっと難しい映画のせいか、期待よりは観客が少ない。それがいつものことながらちょっと残念。お近くで上映会があったなら、是非足を運んでみてください。きっと、常日頃は忘れている大切なことを思い出すのではないでしょうか。そして、私達はこの宇宙に生きる大きな生命体の一部なのだということを感じ、自然と共に生きることの大切さを実感するのではないかと思います。
2006年06月17日
コメント(0)
昨日の、NHKスペシャル「“笑い”がビジネスを変える」を見て、ちょっとひっかかった。確かに、笑いやユーモアは仕事や日常生活にはとても大切だと思う。「努力」「根性」「忍耐」などばかりの精神論でガンバレではなく、ユーモアや笑いが生み出す人間の心の豊かさを大切にしようというのであれば、私も強く共感するし、「NHKもいい仕事してますねー」と拍手できるのだが・・。この番組で伝えようとしていたことは、ちょっと違う気がしたのだ。以下は、この番組の紹介記事である。今、日本企業の中に、“笑い・ユーモア”に活路を見出そうとする動きがある。去年7月には、日本を代表するIT企業の面々が、共同で「笑力研究会」を発足させた。落語などに通っては笑いの極意を研究、ソフト開発に携わるメンバーのモチベーションアップに活かし、厳しい国際競争を勝ち抜こうと活動している。また、大手損害保険会社のコールセンターでは、多くが契約スタッフという雇用形態の中で、社長自らユーモアセンス溢れる数々のアイデアを打ち出し、スタッフの士気高揚に取り組んでいる。さらに、堅いイメージを持つ銀行マンたちも、柔軟な発想力を身につけ顧客の気持ちをつかもうと、寸劇を演じるなどの研修をはじめた。番組では、笑いの効用に関する医学的、社会学的な研究データも交えながら、笑いやユーモアが、企業のビジネスをどう変えようとしているのか、その最前線をリポートする。多くの社員が正職員ではないことを肯定した上で、その身分のままでいかに契約社員を引き止めようとするかということのために、必死に職場にユーモアやお楽しみを取り入れようとしている社長さん。現代社会では、社長自らこのような道化役をしなくてはならないのかとお気の毒に感じながら、このようなことが正しい職場へのユーモアの導入なのかと、これを公共放送で流すことに対して疑問を感じてしまった。柔軟な発想ができる柔らか頭にするための取り組みには文句はないのだが、それを仕事として必死にメモを取りながらやっている姿には、「うーん、日本人らしい」と苦笑いもしてしまう。外国の企業の雰囲気とは随分違うと感じたのは、私だけだろうか。仕事って、仕事そのものにやりがいがあったり、家族の生活が安定するだけの収入があることが、一番大切なことじゃないのかなあ。とはいえ、私は職場や生活にユーモアや笑いがなくなってしまったら、それこそ大変だと思っている。苦しい時こそ、ユーモアで気持ちを切り替えたり、笑いで気分転換を図ることの重要性はわかっているつもり。この番組も、職場環境が厳しく、競争に勝たなくてはならない状況では、このようなことも大切と言いたいのだろう。でも、公共放送であるからには、そのような「苦しみを乗り越える」笑いのテクニックだけではなく、同時にここまでしなくてはならない状況への警鐘も鳴らして欲しかった。まあ、欲深な視聴者のたわごとということです。
2006年05月22日
コメント(8)
昨日、急に思いついて「明日の記憶」を観に行った。特に観たいと思っていた映画ではなかったが、上映時間が私の都合と合っていたためである。「特に観たくはなかった」のは、この映画のテーマが私には少し身近過ぎて、映画として楽しめそうもないような気がしていたからである。どうも、最近は高齢社会を反映してなのか、このような類の映画が多いような気がする。さて、この映画は「若年性アルツハイマー」に罹ったモーレツビジネスマンの物語。主人公を演じる渡辺謙と、夫を支える妻の樋口可南子の演技は、さすがだと思った。記憶が欠落した時や、わからなくなるはずがない場所で道に迷った時の焦りや恐怖、多分このような感じなのだろうナーと思いながら観ていた。上司の様子がおかしくなってきた時の部下の困惑、夫の異変に気づいたときの妻の戸惑い、そして何より、自分の中で重大な変調が起きていると気付きながら、それと向き合うことを何とか避けようとする心の動き。抑制された演技の中で、その不安や恐怖は上手に描いていたと思う。しかし私は、共感しながらも全体のトーンに多少の違和感を覚えずにはいられなかった。つまり、若年性アルツハイマー患者の妻として、あまりにも理想的に描きすぎ・・というか。同時に、若年性であれ老人性であれ、認知症になったときには、家族はもとよりご近所迷惑も含めて、危険を伴うトラブルは避けられない。それを支えるのには、家族だけでは必ず限界がある。患者や家族を支える社会資源が必要であり、その現状のお粗末さにもメスを入れて欲しかった。というように、やっぱり私は映画そのものを味わうことはできず、知り合いの「あの人、この人」、亡くなった祖母のこと、「ボケ老人を支える会」で頑張っている人達、ひょっとすると・・と思い返すことのできるあの人、そして何より、かつてストレスからだと思うが、「記憶の欠落」や「よく知っている人の名前を失念(ど忘れとは少し違う)」に焦ったときのことなど、我が身のこととして考えてしまった。そして、自分や夫がそのようになった時のことを想像し、どんな修羅場があるのかと思うと胸苦しくもなった。結果として、涙が出るなどのことは全くなく、感動はあっても「私には無理・・」という情けなさがついてくるというか・・。でも、身近にアルツハイマー型痴呆の人がいない方にはお勧めです。多少なりともその知識や心構えがあると無いのでは、悲劇の発生率に影響を与えることでしょうから。レディースデイだったことや、この映画の内容からであろうか、観客は私と同世代以上の人たちが多かったように思う。●追記以前、同じアルツハイマーを扱った映画「半落ち」について、日記に書いてあったので参考までに。 2005年03月23日の日記 「半落ち」 2004年09月29日の日記「半落ち」このような検索やリンクができるのは、本当に便利ですねえ
2006年05月19日
コメント(2)
昨日放送の、NHKクローズアップ現代「脳科学で防ぐ“キレる子”」を見た。以下は番組の紹介文のコピー。年々増えているともいわれる「キレる子ども」。文部科学省が専門家を集めて「キレる子ども対策」に取り組む委員会では、教育学や心理学など従来のアプローチだけでなく、最新の脳科学の知見を取り入れた対策に乗り出した。注目するのは、脳のふたつの器官。感情を生み出す「アクセル」となる扁桃体と、感情を制御する「ブレーキ」の役割を担う前頭前野。様々な実験を通じて明らかになった「効果的な訓練法」を学校などの現場で生かしていこうと取り組みが始まっている。どうすれば「キレない脳」を育てられるか。最新の研究成果と現場の取り組みを伝える。この番組で紹介されていたのは、「じゃれつきあそび」。じゃれつき遊びで楽しさを爆発させることで「アクセル」となる扁桃体の活動を促進し、30分後に「これでおしまい」とお片づけをすることで、感情を制御する役割を担う前頭前野を活動させるという。この両方の働きを毎日刺激することで、場面に応じて感情を発散させたり制御したりできる脳を育てていく。これは、私にはとても納得のいく説明だった。・・というより、多分子どもを育てたり子どもに関わる仕事をしている人なら、自然にそのような対応をしていることがあるのではないかと思う。また、以前にも別の番組で見て「なるほど」と思ったのだが、同じ「将棋」をしていても、パソコン相手の将棋と、人相手の将棋では、脳の働く場所が違っているという。もちろん、人と対戦する時には前頭葉が活性化するのだったと思う。子どもは、思う存分はしゃいだり遊んだりすることが何よりも大切。汗をかくほど遊んだら、「じゃあ一休みしよう。お片づけだよ」と声をかけると、「えーっ、まだ遊びた~い」くらいは言うだろうけれど、事前にそのことを言い聞かせておくと、ちゃんと納得するものだと思う。子育て中のお父さん、お母さん、一日一度は汗をかくほど一緒にじゃれつき遊びをしましょうね。「じゃれつき遊び」で検索したら、次のサイトがヒットしました。これは説得力あります。さつき幼稚園HP じゃれつき遊び『保育のひろば』掲載文日本子ども学会速記録「生きる力を育てる『じゃれつき遊び』
2006年05月11日
コメント(4)
とうとう坂東玉三郎を見てきました。やっぱり、凄いです。素晴らしいです。この人は、女形になるために天から遣わされた方ではないかと・・。演目は「藤娘」と「鷺娘」。チケット販売初日に、思い切ってS席を買ったのに、二階席でした。もっと近くで見たかったな・・・でも、玉三郎をじっくり見るのが長年の夢だったので、その夢がかなって満足です。玉三郎について興味のある方は、坂東玉三郎の公式HPをご覧下さい。(内容盛り沢山で、まだ全部は見ていないのです。 でも、写真など見てるだけでウットリします)
2006年03月18日
コメント(0)
突然友人に誘われて、夕方から「オリバー・ツイスト」を観てきた。ディケンズの「オリバー・ツイスト」は、はるかはるか昔に読んだ記憶はある。それは私がまだ少女だった頃だろう、多分「小公子」「赤毛のアン」なんてものを読んでいた頃。ハッキリ言って、内容はまったく覚えていない。さて、映画の感想。どうも私は、物語に没入して楽しむことができないおばさんになってしまったようだ。19世紀のイギリス・ロンドンはこんな様子だったのか・・とか、「ゆりかごから墓場まで」といわれて日本の福祉政策のお手本のように言われたイギリスも、その一世紀前はこんな状態だったのか・・とか。そして、少なくても子どもを取り巻く環境はオリバーの時代よりは格段に良くはなっているだろうが、子どもが大人の従属物というか、都合よいように利用される存在であることにはあまり変わりがないのではないか・・とか。子どもにとって一番大切なのは、自分に優しくしてくれる人、可愛いと抱きしめてくれる人なのだろう。悲惨な状況の中で自分を助けてくれた人に対しては、絶対に裏切れないと思う子どものいじらしさ。それは、オリバーが特別に純で無垢だったわけではなく、子どもは本来そういうものなのではないかと思ったり・・。社会システムの中では、何時の時代も弱いものにしわ寄せがいくのだ。それを乗り越える術を、まだ人間はさまよいながら模索しているということだろう。だから現代にだって、世界中に何万人ものオリバーがいるのだろうと思ったり…。色々なことを考えさせられる映画ではあった。原作をちゃんと読んでみたいと思う。
2006年02月24日
コメント(0)
北海道新聞の日曜版に、映画監督・池谷(いけや)薫氏のインタビュー記事があった。先ほどそれを読んで、目が釘付けになった。池谷さんは「延安の娘」で監督デビューし、「蟻の兵隊」は第二作目だという。第二次大戦終結後、中国山西省で日本兵一万人が残留したという事を私は知らなかったし、その経緯については、当然全く知らなかった。今HPを見て、このような形の戦争被害者もいたのだということに、私の心は怒りに震えている。この映画、なかなか上映はされにくいことだろう。しかし、機会があったらぜひ観たいと思う。以下、「蟻の兵隊」HPより転載蟻の兵隊とは 第二次世界大戦の終結後、中国山西省に駐屯していた北支方面軍第一軍の将兵 1 万人は、武装解除を受けることなく敵であった国民党の司令官に引き渡された。 世界の戦争史上、類をみないこの売軍行為は、あろうことか戦犯逃れを目論む日本軍司令官と共産軍の圧力を恐れた国民党司令官の密約によって引き起こされた一大スキャンダルだった。 残留を余儀なくされ最後まで戦った2600余りの将兵は、戦後なお4年間も共産軍と戦い550名が戦死するなど多くの悲劇を生んだ。 戦後日本政府は、国際法に抵触するこのおぞましい事件を隠蔽するために、一貫して兵士たちに責任を擦り付けてきた。 自ら志願して国民党の傭兵となり、勝手に戦争をつづけた者とみなし切り捨てたのである。 そのため共産軍との戦闘に駆り出されて戦死しても、母国の日本では何の補償も受けられず、生還しても軍人恩給の対象から除外されてきた。 60 年後の今、残留の真相を明らかにし戦争の悲劇を後世に伝えるために、かつての日本兵たちが立ち上がった。 現在、最年少者が 80 歳という元残留兵 7 名が原告となって、軍人恩給の支払いを認めない国を相手に法廷闘争をつづけている(一審敗訴。東京高裁で控訴中)。 原告たちは「今さら恩給がほしいわけじゃない。戦争がいかに悲惨なものか一人でも多くの人に知ってもらいたいんだ」という。
2006年02月12日
コメント(8)
昨夜、友人と3人で「スタンドアップ」を観る。観たい映画の一つではあったが、開演が午後6時ということで、「そのうちビデオになってからでも・・」と思っていた映画。仕事をしている友人が誘ってくれたので、喜んで乗った次第。この映画の原作は「集団訴訟―セクハラと闘った女たち」 で、約30年前の実話を基にしている。30年前のアメリカはこんな状況だったのだなと思うと共に、彼女達のような勇気ある女性たちが立ち上がり闘ってくれたおかげで、現在の女性の権利もあるのだと思った。しかし、たかだか30年前のことである。たとえ制度上は女性の権利の保障は格段にアップされているとしても、その現実はどんなものであろうかとも思う。大っぴらにセクハラがしにくくなった分だけ、陰湿になっていることがあるのではないか。外国のことはわからないが、日本の私以上の世代の男性たちなどは、「セクハラ」と「女性を楽しませる」ことの区別がつかない人も多い。こちらが笑って誤魔化すしかない状況にあるのにも関わらず、「うけた」と勘違いしているのではないかと思う人も実際にいる。あるいは、勘違いしているフリをして悪乗りしている人も・・いずれにせよ、男性にも、もちろん女性にも自分のこととして考えながら観て欲しい映画だ。映画を見た後、遅めの夕食をとりながら一緒に行った3人で感想を話し合った。三人三様に、視点が違うことが面白かった。そして、私たち三人は、登場人物のどのタイプかなという話にもなった。私はその時、「仕事を続けるために我慢して、立ち上がらないタイプかな」と答えたのだが、今は、もしも親しい友人が戦いに挑んでいたら、ブルブル震えながら、かなり消極的ではあっても、目をつぶって立ち上がるかもしれないと思っている。私を信頼してくれて、私が同志になることを頼んできたら、それを断る勇気も無いだろう。もしも、一緒に映画を観た二人が苦境に立っていたら、せめて逃げ出さずにそばにいたいと思っている。
2006年02月09日
コメント(2)
昨日は、レディースデイ。ちょうど、中学時代の同級生の仕事の休みの日だったので、誘い合わせてこの映画を見て、その後食事とおしゃべりを楽しんだ。彼女と会うのは、約一年ぶりであった。まずは、博士の愛した数式の感想。うん、とても良い映画だった。色々なことを考えさせられる映画だった。観客も、先日の「単騎、千里を走る」よりはずっと多かった。数学の知識のない私には、博士(寺尾聡)やルート(吉岡秀隆)の語る数学の言葉は、全て「初耳」という感じ。それだけに、「へー!」「フーン」の連続・・。「友愛数」なんて、絶対に聞いたことないぞ!数字の美しさなんていうものについては、私は全く理解できない。だけど、数字や数式に「美しさや神秘」を感じる心情は、すーっと理解できるような気がした。博士が数式に美しさを感じる人であるなら、私は人の思いやりや優しさに美しさを感じるタイプかもしれない。そしてまた、「障害を持ちながら生きること」についての関心も、人一倍強いと思う。80分しか記憶が持続しない人に対しての、家政婦やルートの思いやりや配慮。その爪の垢でも、東横インの社長に煎じて飲ましてやりたい。多分この映画は、見る人によって随分印象や感想が違うのではないかと思った。この映画を見た後、遅めのランチを友人ととりながら、色々と積もる話をしたのだが、映画を見ながら共に思い浮かぶ知人がいる。多分40代半ばでアルツハイマーに罹ってしまった、中学時代の同期生・Mさんのことである。その人の近況については彼女の方が詳しいのであるがそれを聞きながら胸が苦しくなってきてしまった。私は、祖母が次第にボケていく過程を見ているので、40代半ばで記憶障害が始まった彼女の不安や混乱、怒りや落ち込みなどが、祖母と重ね合わせて少しは理解できる。彼女がアルツハイマーではないかと聞いたのは、50歳前後だったと思う。しかし、昨日の彼女の話から、40代半ばからとても怒りっぽくなったり癇癪を起こしたり、鬱状態になっていたということを聞き、多分その頃からMさんは自分の異変に人知れず悩んでいたのではないかと感じた。Mさんは通院はしているようだけれど、デイサービスなどのようなものは受けていないらしい。Mさんの家族的な事情もあり、周囲の人もどのような手助けをしたら良いのか戸惑い、遠巻きに見ているという感じのようだ。そしてそれが、誰かが障害を持った時の現状だと思う。今、彼女が受けられる社会的サービスを少し探してみようと思うが、その次の段階は、誰がそのことを家族に伝えるかという問題がある。私達は、家族に起きた問題は可能な限り家族で何とかしようと考える。しかし、それで乗り切ることはかなり難しい。使える社会資源を可能な限り活用することが、本人や家族の気持ちを追い詰めることを防ぐことになる。病気になったこと、あるいは障害を持つことは、決して恥ではない。人の世話になることだって、必要な時は恥じることはない。自分達だけで問題を抱え込むことで悲劇を招くことが、日本ではいかに多いことか・・。そこまでは私の信念なのだけれど、さて具体的にどう動くことが一番良いのかと考えると、やはり少し悩んでしまう。本当は、病院などのソーシャルワーカーがそのような役割を果たしてくれるのが良いのだが、彼女が通院する病院にそのような職種の人はいないのだろうか。また、ソーシャルワーカーといっても人によるので、事務的なことや聞かれたことしか対応しない人もいるだろうし・・。そのような意味では、まだまだ日本の医療福祉は遅れているのかもしれない。
2006年02月03日
コメント(2)
一週間ほど前、テレビで「単騎、千里を走る。」 についての番組があった。私は全部を見ていないのだが、高倉健の俳優生活50年の記念とか、映画撮影のエピソードなどの番組だった。普段は、自分から「映画を見よう」ということはあまりない夫が、珍しく「これ、見に行くか?」と誘ってきた。もちろん、私に異存はない。というわけで、昨日、近くのシネコンに行くことになった次第。いつになく、シネコンは混雑していて、チケット売り場は行列だった。「え? こんなに人気があるのかな」と思ったけれど、どうも人が殺到していたのは別の映画のようだった。(上映時間から推測すると、多分「オリバー・ツイスト」、または「博士の愛した数式」)上映スクリーン会場には、我々のような中高年の男女が、30人前後というところ。つまり、ガラガラと言って良い。テレビ番組で宣伝していた割には、観客は少ないという印象だった。さて、感想はといえば・・。まず、「高倉健は、何を演じても高倉健だなー」。これは、けなしているのではなくて、感心しているのである。あの独特の雰囲気というか、存在感は、高倉健でしかかもし出せないものだろうという意味である。演技が上手なのかどうかはわからないのだけれど、人としての誠実さや孤独や、胸に秘めた熱いものなどを、その姿だけで感じてしまうというのは、観客としての条件反射に近いものがある。もっとも、私自身はさほど高倉健の映画を沢山見ていないので、まだ条件反射にまではなっていないと思うのだけれど・・。私は、この日記を書くために公式サイトを見たのだが、映画を見ている途中で、中国側の登場人物は俳優ではないだろうと思い始めた。でも、その素朴さゆえに、言葉もわからない日本人を受け入れ、親身に協力しようとする中国の人たちの大らかさや優しさが、そのまま伝わってくるような気がした。きっとあの雰囲気は、高倉健さんと中国人スタッフ達との心の交流そのものだったのではないだろうか。もう一つ、特に心に残ったこと。親を失った少年の面倒を見るのは「大人の責任なのだ」という村長の言葉。それは同時に、「子どもは何もわからないのだから、大人がしっかり考えて決めてやらなくてはならない」という、子どもの意思や心を無視したことにも繋がるわけだけれど、それを高倉健が演じる高田に指摘されて、ちゃんと子どもの気持ちを聞き、それを受け止めようとする姿勢も描かれていて、製作者の思いの一端を感じた。それにしても、「言葉」って何だろう。言葉を理解することで、相手の気持ちは理解できるという前提で、私達は言葉を駆使しようとする。それはそれでとても大切なことだけれど、言葉に頼りすぎて大切なことを見失っていることも多い。実は、言葉は「補足説明」なのが本来の役目なのかもしれない。心を伝えるために一番大切なことは、体で表現することなのかもしれない。それは、「身振り、手振り」であったり、目の動きであったり、具体的に誰かのために行う動き、つまり「行動」なのではないか。主人公の高田は、とうとう息子と語り合うことができなかった。息子のために単身中国に渡った父の心は息子に届いたとは思うが、やはり、もっと早く、何らかの行動があって欲しかったと思う。私はやはり、生きている間に、わだかまりのある関係は解いておきたいと思う。もう一つ印象的だったこと、それは「中国の自然の雄大さ」だ。あのデッカイ中国の大地の光景が、今も目に浮かぶ。
2006年01月30日
コメント(6)
昨日(22日)の北海道新聞三面「時代の肖像」に、「映画日本国憲法」の監督、ジャン・ユンカーマン氏のインタビュー記事があった。この映画のことは何かで見ていたのだが、この新聞記事を読んで、ぜひ観たいと思った。この映画のHPで、ジャン・ユンカーマン氏は次のように語っている。(新聞でも、同様のことが書かれていた) 私が初めて日本を訪れたのは1969年のことである。その頃、ベトナムのジャングルでは50万人以上のアメリカ兵が戦っていた。私は16歳だった。当時のアメリカには徴兵制があったから、いずれは自分も不当で無節操な戦争に参加しなければならないという不安を感じていた。 日本の平和憲法は、アメリカにあふれ返る軍国主義と明確な対照を成す、悟りと知恵の極致のように思えた。そのことが、日本にいるといつもやすらぎを感じられた理由の一つであろうし、私が長い間、日本に住み、日本で子供たちを育てようと決めた大きな理由ともなっている。将来、私の子供たちが、平和憲法をもつ国で子供を育てる道を選択できなくなるかもしれないと考えると、恐ろしくてならない。 平和憲法と、それに守られている人権は、空気のようなものである。私たちはそれらを当然のものと感じ、ことさら考えてみることがない。現在の改憲論議は、私たちに憲法の意味をふたたび気づかせてくれる。日本に住み、日本で働き、日本で家族を育んでいるすべての人にとって、それがなぜ、どのようにして書かれたのか、そしてどうすればその精神を守り、広げていけるかを考えるよい契機となる。この映画は、自主上映で上映されているらしい。DVDがあるようだけれど、レンタルでは多分ないだろうなあ。思い切って購入しようかな・・。
2006年01月23日
コメント(3)
坂東玉三郎特別舞踊公演が、3月18日に札幌教育文化会館であると知ったのは、先週の新聞記事。私が、「歌舞伎ってステキ!」と思ったのは、初めて歌舞伎を観た20代前半の頃。その大きな要因が、坂東玉三郎の美しさであった。しかし残念ながら、その後何度も歌舞伎を観る機会はあったのだが、私を歌舞伎に導いてくれた玉三郎をじっくり見る機会はなかった。だから、ファンということにはならないのだけれど、他の演劇や映画などにも精力的に取り組んでいる様子をニュースなどで見聞きし、違うジャンルでの玉三郎も見たいけれど、まずは女形としての彼をちゃんと観たいという気持ちがあった。だから、新聞での公演情報を見た時には、「あっ! 見よう!!」と思ったのだが・・。そのチケットの金額に、私は固まってしまった。【特等-18000円 一等-16000円 二等-14000円】老眼と近視のダブルパンチとなっている私の目のことを考えたら、絶対に良い席を取りたい。しかし、18,000円である。私は「舞踊の師匠」などではなく、ただの趣味だ。歌舞伎公演ならば、歌舞伎や舞踊など色々な演目があるし、何より多くの歌舞伎役者のお姿を拝むことができる。しかし、今回の舞踊公演は、どうやら玉三郎様お一人のようだ。このような舞台は、一人で行ったのでは楽しさは限定される。誰かと一緒に行って、「ステキだねえ!」などと感動を共有した方が、楽しさは倍増する。せっかくの高額チケットならば、なおさらである。しかし、この値段では、気軽に誰かを誘うというわけにも・・。何日も私は迷っていた。そして、日曜日、おずおずと妹にこのことを話した。ちなみに彼女は、まだ歌舞伎観劇の経験がない。玉三郎だって、名前しか知らない。「う~ん、あまり興味はないのだけど・・」しかし彼女は、その言葉にガッカリしたような私を気の毒と思ったのか、「まあ、いいよ。私、独身貴族だから」というわけで、チケット発売開始の10時、チケットぴあの電話予約をした。もちろん、特等席を二枚である。以前の「中村勘三郎襲名興行」のように、電話が繋がらないということもなかった。だから、「いかに玉三郎でも、札幌ではさほどの人気じゃないのかな・・」と思ったのだが。夕方、ちけっとぴあのHPを見ると、もう「残席なし」だった。ひぇー、やっぱりさすがの玉三郎だ。意気揚々と妹にメール。すぐに彼女からの返信メール。「貴重なチケット、ありがとう。期待しちゃう!」妹にとっては、私の言葉よりもチケットの希少価値を感じた方が、説得力があったようである。
2006年01月17日
コメント(0)
このところ、立て続けにレンタルビデオ・DVDを楽しんでいる。昨日も、買い物ついでに一本借りてきた。楽しいものを見たいなと思って、コメディなどが並んでいた近くから手にとった「僕はラジオ」。「実話に基づく・・」などと説明書きがあったので、それも借りた一つの理由。でも、この映画の基礎知識はゼロだった。さて、見終わった後には夫と二人でうなってしまった。全身が震えるような気がした。このようなことがありうるアメリカという国に、「おぬしはデッカイ!」と脱帽。時代背景を差っ引いても、日本では限りなく可能性がゼロに近い実話だと思った。まあ、アメリカにおいても映画になるくらいなのだから、そんなにある話ではないだろうけれど・・。私は、人にとっての成長や学びは、色々な人との出会いの中で深まるという思いがあるのだが、それを再認識させてもらったような気がする。そして、人が生きる上で大切なことは何かということも。ありがとう、ラジオ!
2006年01月15日
コメント(8)
「白いカラス」が重そうだったので、もっと楽しめそうなものをと借りた映画。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」私は、この映画についての事前の知識は全くなくて、一緒にレンタル・ビデオ店に行った妹が、「これ、実在の人物の話みたいよ。見たかったんだよ」というので借りたものである。「実在の人物」ということにも興味があったし、「面白いって話だよ」という言葉も95円の後押しをしたわけだ。さて、感想は。うん、面白かった。「本当に、本当の話?」と信じられなかったけれど、よく考えたら昔から詐欺師はいたわけで、詐欺師にまんまと騙されるというのには、それぞれドラマもあるのだろうと思い直した。十代の少年フランク(レオナルド・ディカプリオ)が、父親の事業の失敗や両親の不和などなどで家出し、生きるために人を騙したり、非行を重ねるのは昔も今もよくある話。しかし、彼が尋常ではなかったのは、自分の能力全部を駆使しての詐欺のスケール。これはもう、見ていて痛快とも言えた。まだ少年の彼にとっては、あまりにも大人が簡単に騙されるのに驚きつつも、次第に詐欺の手口が高度化していっただけで、一種のゲーム感覚だったのだろう。しかし、ゲームを楽しみながらもその心の底に流れるものを思うと、これはまた心がとても痛むものがある。彼を追いかけるFBIの捜査官カール(トム・ハンクス)との追いつ追われつは、フランクにとっては、これも「鬼ごっこ」のようなものだったかも。時代背景も犯罪手口も現代とは違うけれど、犯罪を犯す少年たちの根っこは、昔も今も変わらないのかもしれない。諦めずに追いかけるフランクとカールの間には、いつしか奇妙な心の通いあいが・・。この映画は、この天才詐欺師フランクの自伝を基にしたものだという。彼はこの時の経験を生かし、セキュリティの専門家になったとか。色々な意味で、これもまた考えさせられる映画である。しかし、見ている時は純粋に面白かった。ディカプリオの映画はそれほど多くは見ていないのだが、なかなか大した俳優だなと思った。彼を最初に見たのは「ギルバート・ブレイク」。あれはとても鮮烈だったな。
2006年01月10日
コメント(0)
連休中に映画でも見に行こうかと夫を誘ったのだが、「特に見たいものがない。ビデオ鑑賞でいいだろう」とのこと。まあ、二人で映画を見に行けば2000円。レンタルならば20本も見ることができると思いなおし、妹を誘って二本のビデオを見ることになった。その一本目は、1月8日に見た「白いカラス」。「白いカラス」は、以前、確か哲0701さんに教えてもらった映画だと思う。いつかは見たいと思いながら、随分たってしまったような気がするが・・。さて、感想。見終わった後、夫と妹と顔を見合わせて「うーん」と言葉がなかった。黒人差別、DV、児童への性的虐待、戦争によるPTSD・・。とにかく、現代アメリカ社会の問題がてんこ盛り。どれ一つ取っても重いテーマであり、傷ついた人間同士の出会いと癒しと再生をも描いているのだろうけれど、ラストもやっぱり重くて・・。私には重すぎて、「感動」という言葉はどうしても使えない映画。2日後の今、印象に残っていることを一つ二つ書いておこうか。黒人でありながら白い肌に生まれたコールマンが、「スプーク」という黒人への差別的な言葉を使って糾弾されたのは、とても象徴的だと思った。彼がこの言葉がなにを意味するのかを知らないはずがない。それを何度も言っている。心理学的なことはよくわからないけれど、何度も口にするということは、無意識的・意識的なものが両面あるだろう。本当の自分を隠し通して成功を収めてきた人間が陥る罠の部分と、本当の自分を明らかにしたいという心の奥の叫びが交錯しているように思うのは、私の深読みだろうか。それと、白人女性との結婚を機に、家族との絶縁の覚悟を語るコールマンに対し、母親が言った言葉。「お前は奴隷のような顔をしている。雪のように白い肌なのに奴隷のようだ・・」 (正確なセリフではないかもしれない)人間が何かの奴隷になって生きるということの辛さと重さが、心に突き刺さる気がした。そして、それを息子の頬を触れながら語りかけ、毅然として見送る母親は、決して何ものの奴隷でもなかった。また、縁を切った兄とひそかに連絡を取り続けた妹もまた、決して何ものの奴隷にもならなかった。今思い返し、あの二人の女性の存在が、私にとってはこの映画の救いのような気がする。
2006年01月10日
コメント(0)
昨夜の「アンテナ22 伎俳優って素敵!」を見た。中村勘三郎(父) 勘太郎(長男) 七之助(次男) 、うーん、本当に素敵だ。今年の勘三郎襲名披露と、その直前の七之助の事件で、この家族にとって今年は「天国と地獄」のような忘れられない年になるのではないか。しかしこの番組を見て、この家族は、見事にそれを乗り切ったと感じ、とても嬉しかった。幼い頃からの厳しい稽古に培われた力は、単に芸の力量だけではなく、人間としての器も作っているのかもしれない。やはり大きな人間になるためには、その時々の能力に応じた厳しさが大切なのだと教えられる気がした。歌舞伎役者としても、父親としても、勘三郎は超一級。この二人の若き後継者が、どのように大きくなってゆくのか本当に楽しみ。勘太郎の「雨乞狐」、見たいなあ。勘三郎襲名興行見たかったなあ。「三人連獅子」絶対に見たい!!それにしても、歌舞伎は世界に誇る舞台芸術だと強く誇りに思う。その伝統芸術を、若い歌舞伎役者たちが真摯な精進で継承していることを、心からありがたく思うばかり。
2005年12月20日
コメント(0)
今朝、たまたまチャンネルを変えたら、みのもんたの朝ズバの画面になった。私は、彼がさほど好みではないので、あまりこの番組は見ない。しかし、今話題の耐震偽造建築主「ヒューザー」の小嶋社長が生出演するというので、そのまま見ていたのだが・・。次第に腹が立ってきた。この時期に小嶋社長をテレビ出演させて、みんなで吊るし上げか?もちろん小嶋社長の発言も釈然としないことは多いけれど、みのもんたがエラソーに小嶋氏に向って感情的に怒りをぶつけているのを見て、そちらの方にずっと腹が立ったし、不快だった。みのもんたは、司会者ではないのか?彼は、そのマンションに住んでいる人間なのか?被害者の気持ちを代弁している正義の味方のつもりなのかもしれないが、誰がそんな役割を与えているのだろうか。多分、視聴者がそれを望んでいるという自負や驕りがあるのだろう。結局、全部を見ないでチャンネルを変えたのだが、朝からあのようなテレビを見て、元気が出る人も多いのだろうか。私は、どうしようもない不快感が残ってしまい、今、このように吐き出しているところなのだが・・。
2005年11月24日
コメント(10)
私は長年、NHKの朝ドラを時計代わりに見ている。前回の「ファイト」は、それなりに毎日楽しめたと思う。しかし、今放送中の「風のハルカ」には、疑問符や違和感の連続で、全く楽しめない。なら、見なきゃいいだろうと言われそうだが、今では、「今日はどんなところにイライラするか」と変な期待をしたりして・・。こんな気持ちを抱くのは、私が天邪鬼なせいなのか?どこに違和感を覚えるかって?まず、夫婦に関して。・十年間も別れた夫から届く野菜を受け取りながら、返事も出さない元妻。 返事がこないのにも関わらず、送り続ける元夫。・10年前に別れた元妻のところに、たとえ娘がいようと泊まる元夫。親子に関して。・娘のことを愛していながら、10年間も娘に会いに行こうとしなかった母。・長年別れていた娘と同居しようとしていながら、同居中の恋人を「ホテルでの時間稼ぎ」で何とかしようとした母親。ハルカと正巳に関して。・幼馴染とはいえ、ここまで友達に自分のデートについて頼る男。・なさけないとは思いつつ、そんなボーイフレンドの世話をやくハルカ。まるでマンガである。マンガならマンガでもいいのだが、こんな状況が現実に違和感無く展開しているとしたならと思うと、頭を抱えてしまう。私は、昨日の『ALWAYS 三丁目の夕日』のように、それが「フィクションである」とはっきりわかるドラマなら、それでもいいと思う。しかし、「現実にこのようなことがあるかも」と思うドラマでは、もっとケジメをつけた描き方をしてほしい。「こんなこともあるかもしれないけれど、これは人としておかしい」というメッセージが欲しい。私はこのドラマを見ている限り、そんなメッセージを受け取れないから苛立っている。「ダメなやつだが愛すべき人間」という妙な物分りのよさが、「こうあってもいいんだ・・」という甘さをどんどん強化するような気がする。ドラマの中では、私の苛立ちを唯一表現しているのが宮崎美子演じる、ハルカのおばさん。しかし、このドラマの中では「口うるさいおばさん」となっていて、ちょっと気の毒。現代では、私のこのような苛立ちは「古くさい時代遅れのぼやき」なのだろうか。
2005年11月11日
コメント(2)
午前中は、乳幼児健診会場でのボランティア。いつものことながら、赤ちゃんと触れ合うことはとても楽しい。ちょうど人見知りの時期に入っている月例なので、お母さんにしがみついて離れない子も多い。その反面「うちの子、人見知りしないんですー」という母親も。この世に生まれて一年にも満たないのだが、赤ちゃんはみんな、個性の芽生えが顕著だ。この赤ちゃん達すべてが、幸せに生きて欲しいと願わずにはいられない。でも、それぞれの家庭環境や親との関係で、多分、目には見えないストレスや悩みの中で育っている子も多いことだろう。この瞬間、その子が見せてくれる笑顔が希望である。ボランティアが終わったその足で、映画館に向う。本日はレディースディなので、その時間で見ることのできる映画をチョイスしておいた。小春日和なので、自転車を急いでこげば上映時間に間に合う。映画は『ALWAYS 三丁目の夕日』新聞で「昭和三十年代が舞台」と書かれていたし、配役を見て「見てみようかなー」と思った映画。それに惹かれる人が多いのか、はたまた公開から日が経っていないせいか、今までで一番人が入っていたような気がする。さて、感想だが・・。昭和33年に、私は8歳。確かに懐かしい感じはする。テレビが家に来る時の興奮や、初めて冷蔵庫や洗濯機が家庭に登場したときの感激。色々なことが懐かしく思い出される部分も確かにあったが、残念ながらこの私は、同じ年代に生きてはいても、北海道の田舎で暮らしていたため、都会の雰囲気は全く知らない。何せ、一年に一度くらい、札幌に連れて行ってもらってラーメンを食べることが、唯一「都会との出会い」だったから。だから、「ああ、東京はこんな感じだったんだろうな」と思うことの方が多かった。しかし、「この時代は、未来に希望を抱いて生きていたんだな」ということに、何だか切なくなってしまった。そして私は、50年後をどのようにイメージしていたのだろうかと思った。私は、8歳の頃には何も考えていなかったような気がするが、小学校の卒業文集で「将来の夢」を書いた頃には、自立して(自分で働いて)生きるカッコいい女性、を理想としていたように思う。なぜか、「お嫁さん」や「お母さん」は、全く想定外だった。そう感じさせる何かが、その時代や我家の雰囲気にあったのかもしれない。きっと、「女でも自由に生きることができる時代」を予想させていたのだろう。この映画でも、その片鱗があるように感じた。集団就職で、たとえ「口減らし」の要素があっても、中卒で社会に出た若者達は、男女を問わず「自立」を目指していただろう。それを引き受けた事業主達も、そんな若者を労働力として使いながらも、育てる役割を自覚していただろう。そしてまた、「縁もゆかりもない者」であっても、困っている子(人)がいたら、自分のできる範囲であっても面倒を見てやらなくちゃという気持ちが、今よりはずっと強かったのだろう。現代ならば、「この場合は児童相談所だ」なんて、すんなりと送られるのがご近所としては最良の方法と誰もが信じて疑わないだろう。まあ、私はその時代に大人として生きてはいないから、全ては想像によるものだけれど・・。しかし、たとえそうであったとしても、「昔は良かったね」なんてことじゃすまない現実があることを忘れてはいけない。あの時代よりは格段に便利になり、社会システムも整ってはいるが、人が人として幸せであるためには、人のつながりが不可欠だ。映画の登場人物たちの、その後の人生が知りたいな・・。【追記】上記の日記を書いてから、同じ楽天日記でこの映画の感想をいくつか読んだ。すると、「感動」「号泣」「涙ぽろぽろ」などが多く、私の日記を読み返すと「涙の気配もない」ということに気付いた。そういえば、私の後方に座っていた人たちもすすり泣いていたっけ。つくづく私は、映画で泣かない人だと痛感。でも、ホロリとする場面は、もちろん盛りだくさんだったのですよ。色々な意味で楽しめる映画だと思います。この映画で泣く人が多いことは、未来への希望かもしれません。
2005年11月10日
コメント(4)
昨夜、札幌市教育文化会館での「松竹大歌舞伎」を観てきた。まだ歌舞伎を観たことがない夫も一緒。20代の初めの頃、誘われて初めて東京の歌舞伎座で歌舞伎を観た時、セリフなどはほとんどわからなかったと思うが、歌舞伎全体のかもし出す雰囲気に圧倒され、何よりも「女形」の美しさに衝撃を受けた。その時出演していたのが、まだ初々しい美少年ともいえる坂東玉三郎。以来、歌舞伎ファンとまでは言えないけれど、上京したときには足を運びたくなるのが歌舞伎であった。しかし、以前、やはり札幌での歌舞伎を観た時、正直言ってちょっと物足りなくて、今回が二度目である。今回の演目は(一)歌舞伎の見方(二)玩辞楼十二曲の内「土屋主税」(三)新歌舞伎十八番の内「鏡獅子」出演は中村 翫雀、中村 扇雀、中村 亀鶴 ほか である。昼の部の入りはどうだったのかわからないが、夜の部の一等席はガラガラと言って良い。 (私達は二階の一等席)やはり北海道では、歌舞伎は庶民のものではないのかもしれない。休憩時間に、同じ活動をしている仲間と会った。彼女は歌舞伎は初めてということで、「歌舞伎って、迫力あるんだねえ」と言っていた。「一生に一度は見なきゃと思って、思い切って特等席を買ったの」とも。北海道の地方都市に住んでいたら、「一生に一度」ということになる人も多いのだろう。私はその点では、とても恵まれているのだなあとあらためて思った。「そんなこと言わないで、今度歌舞伎座に行こうよ」と言う。今、ピカピカ輝いている歌舞伎役者たちや、女形の美しさや、早変わり、歌舞伎の極上のユーモアなどを、もっともっと味わって欲しいと思った。限られた時間では、歌舞伎の魅力の全体を見ることは無理。私だって、その一部しか見てはいないから、気軽に歌舞伎などを楽しめる場所に住んでいる人がとても羨ましい。これから是非見たいと思っているものに、「能」がある。二度ほど見たことはあるのだけれど、本物の能舞台で見たいというのが今の望みである。
2005年11月03日
コメント(2)
昨日は読書、今日はビデオ。こんなに穏やかに暮らしていてもいいのだろうか・・。まあ、いいだろう。ひょっとすると、嵐の前の静けさかもしれないしね。気の向くままに楽しみましょう。図書館の本やレンタルビデオで楽しんでるんだから、私も安上がりの人間だこと・・。さて、デイ・アフター・トゥモロー、たまにはビデオを見ようかと借りてきたもの。実は、題名は聞いていたけど、どんな映画なのか見るまでわかってなかった。ビデオの紹介文を読んで、異常気象の話なのだとやっと理解。「まさに現在の地球がテーマだな」と思いつつ借りてきたのだが・・。見て、ビックリ。これは、現在進行形の地球状態を早回しで見ているんじゃないかという感じ。ストーリーは、アメリカがお得意であり大好きな(?)「家族愛」が軸のヒーローもので、非常にわかりやすく安心して(?)楽しめる内容。この展開では、決して悲劇にはならないね、ハッピーエンドだね、というような・・。この映画で、アメリカの人たちが「京都議定書を守ろう!」という運動が展開されるようになったらいいのだけど。ちょっと皮肉っぽく書いてしまったが、今の映画はあのような映像も作れるのだなと感心した。きっと映画館で見たら、迫力満点で美しかっただろうな。
2005年10月26日
コメント(0)
レディースデイで1000円の日。今日は格別の用事もないので、映画を見に行こうと思い立った。新聞で上映作品を見て、インターネットで少し検索し、「シンデレラマン」を見ることにした。実は、今朝までこの作品についての知識はゼロ。ネットの作品紹介でシンデレラマンは実話に基づくものと知り、「実話物」に弱い私はこれに決めた次第。ボクサーの話だということでちょっと迷ったのだが、(私は「ボクシング」や「プロレス」などの格闘技が好きではないため)映画なのだからいいか、と見ることにした。チケットを買うときに「全席指定です」と言われたので、人気があって混むのかなと思ったが、会場内はガラガラ状態。レディースデイということで女性がほとんどだったが、それでも全部で20人もいたかどうか。前回来た時もサービスデイだったのにすいていたし、このシネコン、大丈夫かなと心配になる。さて、映画の感想は・・。うん、良かったです。愛する家族のために、力を尽くして闘う父親。それは、リングの上のことだけではなく、失業者の一人としての過酷な肉体労働や時には決して頭を下げたくない相手に頭を下げる姿すべてが、家族を守るための闘いである。チャチなプライドにしがみつくことは、時には人としての本当の誇りを失うことになる。自分にとって何が一番大切なのかをはっきりと知っていることは、とても強いことなのだろうと思いながら見ていた。・・とはいえ、やっぱり私はボクシングが基本的に苦手。激しく打ち合うシーンは思わず目をつぶったり、目を細めたり。「これは映画だ。本物の試合ではないのだ」と自分に言い聞かせても、どうにも目を開けたままではいられない。でも、あの迫真の演技は、演技だけではなかったようだし、私が本当の試合を見ているような気持ちになったのは当然なのかも。ボクシングが好きな夫を誘って、もう一度見てもいいかなと思う映画だった。今度は、ちゃんと目を開けて全部見るためにも。
2005年09月29日
コメント(2)
今日は「映画サービスディ」で、幸いなことに何も予定がないので、久しぶりに映画でも見ようと思い立った。新聞で上映されている映画を確認し、「星になった少年」を見ることにした。10時10分の開演五分前に、自転車で汗だくになって到着。サービスディだから混んでいるかと思いきや、以外にも会場はすいていた。入ったときにザッと見回した感じでは、20人足らず・・。うーん、こんなものなのかなあ・・。さて「星になった少年」は、実話を基にした映画。私は、「実話物」に弱いタイプである。(そういえば「誰も知らない」も実話を基にした映画だった)。さて、感想は・・。象の言葉を受け止めることのできる少年は、象使いになるため単身タイに修行に行く。その時の彼の思い、母親の思い、それを見守る祖母や姉の思い、それぞれの気持ちが伝わってきた。言葉や食習慣の異なるタイでの辛い体験、そんな中で「象の言葉」が聞こえない不安感や焦り、このようなことを体験しながら、象使いになれたのに・・。神様って、ホントに意地悪だと思う。どうしてもう少しだけ彼に時間を与えてはくれなかったのだろう。息子の死後、屋根の上で息子の気持ちを知った母親が号泣する場面で、私も思わずグッときてしまった。映画の中で哲夢君がこのようなことを言っていた。「仲間の気持ちがよくわかる象さん。ボクは時々、象さんになりたいと思います」本当に、いつも一緒にいる人の気持ちもちゃんとわからないことの多い人間たち。ある日突然、ずっと続くと思っていた道がなくなり、大切な人がいなくなってしまう。それが「死」というもの。その時に初めて、大切な人の気持ちを知るということの悲しさ。精一杯言葉を駆使しても、なかなか自分の気持ちが伝わらない時もある。本当に人間って不器用で不自由な生き物だと思う。だけどその不自由さを何とか補おうと、あの手この手で自分の思いを伝えようえと努力するのも、また人間だ。映画も絵画も彫刻も小説も音楽も、その努力の形なのだろうな。
2005年09月01日
コメント(6)
昨夜、坂本九没後20年ドラマスペシャル 『上を向いて歩こう 坂本九物語』を見た。もう、あれから20年も経ってしまったのだなと、年月の過ぎる速さを感じる。彼が生きていた頃には、さほど歌が上手な歌手とは思っていなかったのだけど、今聞くと、とても味があって暖かくて心に染みる歌声だと思った。この手のドラマだと、見ているうちに本人と演じてる俳優の顔が重なってくることが多いのだが、山口君が最後まで「坂本九を演じている山口君」のままだったことが、少しばかり残念だった。それだけ坂本九さんは、余人をもっては代えがたい個性を持っていたということだろう。でも、山口達也さんも柏木由紀子役のともさかりえさんも、熱演していたと思います。彼が北海道のテレビ番組「ふれあい広場・サンデー九」の司会をしていたので、北海道民、とりわけ福祉関係者にはとても懐かしい人である。彼の番組で勇気付けられた人たちがどれほどいたか、その功績は言葉では言い表せないくらいだと思う。私もテレビ番組はいつも見ていたし、何度か九ちゃんの姿に直接接したこともある。ただ残念なことに、直接お話をする機会はなかった。話をしようと思えばできたのだけれど、彼と話をしたい人たちがいつも沢山取り巻いていたし、特別彼と話をしなくてはならないことはなかったので、あえてそのような機会をつくらなかったことが、今となっては残念である。私の町の福祉施設にも何度も来ていたため、何となくいつでも会えるような気がしていたせいもある。彼が障害を持つ人たちと話をしたりしている笑顔を垣間見て、彼の笑顔には差別・偏見・哀れみがないことに好感を持っていた。どんなに障害を持つ人たちを理解しているような話をしていても、そのまなざしに「蔑視」があったなら、特に障害を持つ人たちはすぐに感じるものだと思う。九ちゃんと嬉しそうに楽しそうに笑ったり話したりしている姿で、彼が本当に人間としての純粋な優しさで人と向き合っていることが感じられた。だから、私も坂本九ちゃんを尊敬していたし、福祉の啓蒙者としてとても貴重な人であり、いつまでも彼がこのような仕事をしていて欲しいと願ってもいた。だから、あの事故はとてもショックだったし、彼を失ったことは福祉分野にはとてつもない損失だったと思う。あれから20年、彼のような人はまだ現われてはいない。今更ながら、惜しい人を私達は失ってしまったと思う。北海道栗山町には「坂本九思い出記念館」があります。
2005年08月22日
コメント(0)
昨夜のNHKスペシャル「21世紀の潮流「アフリカゼロ年4回シリーズ」第3回「子ども兵を生んだのは誰か」~モザンビーク・内戦の果てに~昨日から夕方まで、息子一家が来ていてバタバタしていたため見ようと思っていたわけではなかった。シャワーを浴びホッと一息ついて、テレビを付けたらたまたまNHKだった。「義経」を見ていたため、チャンネルがそのままだったというだけ。でも、目が釘付けになった。途中からだったのが、とても残念。前の2回も、見ればよかった。記録のために、番組内容紹介をコピーしておく。21世紀になっても、アフリカで相次ぐ内戦や地域紛争。その戦場では、子どもたちが銃をもち、最前線で闘うことを強いられている。子ども兵の多くは、武装組織によって誘拐され、麻薬と暴力によって支配される。誘拐がたやすく、洗脳し易く、死ねば新たに補充すれば良い、いわば戦争の道具として扱われているのだ。 アフリカの子ども兵を、世界が初めて知り、大きな問題としてクローズアップされたのは、モザンビーク内戦(1977~1992)だった。NHKは、1990年、当時8歳だったフラニスという名前の子ども兵を取材している。 今回、モザンビークを再訪してみると、そのフラニスは、去年、事故死していた。そして、フラニスは、23歳で亡くなるまで、戦場の記憶に苦しみ続けていた事が分かってきた。子ども兵という過酷な体験は、その未来にも暗い影を落とす事になる。 なぜ「子ども兵」は生まれたのか。モザンビーク内戦の歴史的な背景をさぐっていくと、当時、アパルトヘイト体制を維持しようとしていた隣国の南アフリカ、ローデシアの思惑や、東西の冷戦など、大きな構造が複雑に絡み合う中で、子ども兵が生み出されてきたことが浮かび上がってくる。 番組は、かつて子ども兵にされた者たちの声に耳を傾けながら、国際社会と子ども兵との関係、それを生み出した責任について考えていく。この内戦は、本当の意味での内戦ではなかった。1975年にポルトガルからの独立闘争で、マシェル大統領が社会主義政権を樹立したことから白人勢力によってモザンビーク民族抵抗運動(RENAMO-レナモ)が結成される。レナモは周辺の白人政権の国家から支援を受けて政権転覆を活動し、その勢力に利用されたのが、旱魃の食糧不足などに苦しむモザンビークの人々だったのだ。形の上では「内戦」だけれど、それを煽り、自分達の利益のために利用していたのは、アパルトヘイト政策を取っていた南アフリカであり、それをらに支援していたのが、アメリカなどであった。過去のアジアやアフリカ、そしてアフガニスタンなどの中東、現在進行形のイラクなど、多くの内戦はそのような構造の中にある。映像の中の元少年兵たちの表情や説明を見ていると、やりきれない思いが心の中に渦巻いていた。私は、この子ども達のことを、今までほとんど知ることがなかった。というより、アフリカのことは無知に等しいということを痛感した。そしてまた思う。考えられないようなおぞましく辛い体験をしながらも、人は優しい笑顔を取り戻すこともできるのだ。心の中に癒えない傷を抱えながらも、多少なりとも心を分かち合える仲間や助け合える人がいたなら、人は笑顔を取り戻すこともできるのだ。私は、そのような人間の力を信じたい。信じなくては、未来に希望を持つことができない。
2005年07月25日
コメント(2)
今朝、新聞で下記のニュースを見て、ビックリとショック!「プロジェクトX」事実と違う、取材された高校が抗議 NHKのテレビ番組「プロジェクトX」で取り上げられた大阪府立淀川工業高校(大阪市旭区)が「『かつて荒れていた』と紹介されるなど、放送された内容が事実と違う」として、訂正や謝罪などを求めて抗議していたことが23日、わかった。 NHK側は「表現の一部に行き過ぎがあった」としている。 同校が抗議したのは、5月10日に放送された「ファイト! 町工場に捧げる日本一の歌」。同校に赴任した新人教師が、1982年にグリークラブを作り、全国大会で金賞を取るまでの歩みを伝えた。 番組は、同校について、「荒れに荒れていた」「年に80人が退学」「初めての合唱コンクールにはパトカーが来た」などの表現で紹介したが、同校はこれらの表現が事実ではないとして、根拠などを尋ねる質問状を提出したという。 長谷川耕三・淀川工校長は「取材はありがたかったが、放送内容で関係者に迷惑をかけた部分があり、残念。NHKには抗議を申し入れた」と話している。 NHKは誤りを認め、すでにホームページの同番組紹介コーナーから5月10日の放送内容を削除している。NHKの上滝賢二・経営広報部長は「学校側とは誠意をもって話し合い、了承を得られた内容にしたい」と話している。 テレビ番組であるからには、趣旨に添ってある程度の「強調」などがあるのは理解できるにせよ、事実と異なることを放送してしまうとは・・。そしてまた、この時に番組に出演していた先生と元生徒は、どうしてその時点で訂正を申し入れなかったのか。私は、NHKの姿勢は当然よろしくないと思うけれど、それ以上に、今になってこのような指摘がされることに、とても違和感を覚える。あの番組は私も見ていて、とても感動した一人だ。人間の教育力というものを信じさせてもらえたような気がした。今でも、そのことに対しての疑問を持ってはいない。しかし、合唱部以外の他の生徒達の心に少しでも配慮があったなら、事実と違う「演出」には、もっと敏感であって欲しかった。人間には限界があり、所詮「自分が見ていることを、見たいようにしか見えない」ものなのだということを痛感している。そしてまた、あの先生の立場などがとても心配になっている。【追記】12:02分、インターネットでニュースを見ていたら、下記の記事を発見。NHK「プロジェクトX」に“やらせ” 主役教師もNHKに反論(一部転載)ストーリーの主役として描かれた同校合唱部顧問は、大阪・朝日放送がこの日放送したインタビューで「(パトカーの話は)冗談で話したら、(NHKの)ディレクターが(番組に)入れたというから『うそやから、入れんといて』と言った」「合唱部は学校側から作ってほしいと言われた」などと反論。NHKには削除を申し入れたが「編集が間に合わない」と断られたという。 番組内では触れられなかったが、淀工には当時から全国レベルの吹奏楽部があり、当時を知る関係者は「ワルの生徒たちの集まりのような“問題校”ではなかった」と指摘している。これは、全面的にNHKが悪い。これで、あの合唱部顧問の先生が悪者にならないですむだろうと、心底ホッとした。最近の日本人は、良いと思えば極端なほどに持ち上げ、それが失望に変わったときには、信じられないほど批判したりこき下ろすから。そしてまた、私も「ニュースを鵜呑みにしていた」ことを反省。
2005年05月24日
コメント(6)
「ザ・スクープスペシャル」-検証! 終わりのない戦争、知られざるヒバクシャたち-楽天日記でこの放送のことを知り、「絶対に見なくちゃ」と思っていた。ビデオに撮るつもりだったのだが、ちょっとバタバタしていて放送時間になり、慌ててテレビをつけた。放送には間に合ったのだけれど、途中で三件も電話が来てしまったので、少し見逃してしまった部分もある。ベトナム戦争での「枯葉剤」の影響は、今もなお続いていた。それを充分に認識しながら、その反省を生かすどころか、1995年頃から、イラクには小児ガンや白血病の子供たちが続出。一方、戦争に参加したアメリカ兵43万人も被爆し、「湾岸症候群」に苦しむ帰還兵は約15万人。終戦後に生まれた湾岸ベイビーの先天的障害率は67%に達すると言われる。しかし、米国政府は劣化ウラン弾の影響を一貫して否定、2003年のイラク戦争でも国際的非難の中、躊躇なく使用に踏み切った。(ザ・スクープHPより)というアメリカ。日本の自衛隊が派遣されているサマワも、その危険性が高い地域だという。民間の軍事警備会社に警備されながら給水活動をしている自衛隊員。いくら浄水しても除去できない放射能の影響からは、決して無縁ではない。湾岸ベイビーの先天的障害率67%は、ものすごい数字である。その現実を知りながらも、劣化ウラン弾の影響とは認めないで押し通そうとする国。自国の国民ですら真剣に守ろうとしない国が、他の国やその国民を守ろうとするはずがないだろう。何とも怖いことである。
2005年05月15日
コメント(5)
昨日、レンタルビデオが39円ということで借りてきたもの。この映画については全く知らなくて、「はずれでありませんように・・」と思いながら見た。というのは、フランスの映画には時々、見た後にとても重苦しい気持ちになるものがあるので・・。(フランス映画への偏見かもしれないけど・・)さて、パティニョールおじさんの感想は、「期待以上にGood!!」。1942年、ユダヤ人の一斉検挙が始まったフランスが舞台。気の良い肉屋のパティニョールおじさんが、ふとしたことから隣人のユダヤ人の検挙に関わってしまい、その家の少年といとこをかくまうことになってしまう。最初は迷惑なことになってしまったと思っていたおじさんも、少年達との関わりの中で、彼らの逃亡を必死に手助けすることになってゆく。政治にもイデオロギーにも無関係に生きている普通の庶民は、身近に起きている理不尽なことにもあまり深く考えることもなく、自分たちの生活を守ろうとするのが一般的である。このパティニョールおじさんも、面倒なことには極力関わりたくないと考えている、多少(いや、かなり)奥さんの尻に敷かれている男だったのだが・・。戦争という状況の中で、個人はどのように生きるのだろうか。強いものにつくことで自分の身を守るのか、正義感や信念に忠実に生きて命も危うくしてしまうのか、難しいこととは無関係に、ただ隣人愛に突き動かされて行動するのか。あるいは、ひたすら面倒なことには関わらないように無関心を貫くのか。この映画の中の様々な人間模様を見ながら、私はどの人に一番近いのだろうと考えてしまった。できることならパティニョールのようにイザという時には体を張って誰かを助けられる人になりたいけれど、人並み以上に臆病な私には無理だろうなあ。せめて、逃亡中に出会った農婦のように、誰かをこっそりとでも助けられる人になりたい。それよりも何よりも、その様なことが起きない世の中であって欲しい。
2005年04月04日
コメント(11)
テレビをつけると、「半落ち」をやっていた。これは、昨年の9月にレンタルビデオで見ていたのだが、再度見たらまた違う感想を持つかもしれないと、他に見たいものもなかったので後半を見た。やはり思うことは、これほど若くしてアルツハイマーとなったら、どれほど辛いことだろうなということ。自分の記憶が混乱し、今まで難なくできたことが出来なくなり、周囲の人から哀れみや迷惑そうな視線を浴び・・。やっぱり、死にたくなると思う。だが、「死にたくなる」ことと「死ぬ」ことは別だ。私は今から宣言しておこう。もしもそのような状態になったなら、絶対に隠すことなく周囲の人に言いふらしてください。たとえぱ「死にたい」とわめいたとしても上手に聞き流して、あらゆる利用可能な社会資源を活用し、家族だけが重荷を負わずに、ぼけてゆく私を見守って欲しい。病院や施設などに入れてももちろんOK。その代わり、時々は私の好物などを持つて顔を見せて欲しい。「どちらさんですか?」と言っても気にせず、「僕は○○。あんたの息子だよ」と話しかけて欲しい。ボケても感情は生きているのです。馬鹿にされたり拒否されたりすることが、一番苦しいはずです。親切にされている、愛されていると感じたら、きっと「死にたい」という気持ちを耐えられる。今の私は、そう思っています。
2005年03月23日
コメント(0)
この家族のドキュメントを見るのは、昨夜で二回目。第一弾では、多分母親も一緒に生活していたのだろう。前回の放送で、両親の離婚後、長女のあざみちゃんが健気に主婦・母親役を担っている姿に胸が詰まった。母親がなぜ家を出たのか、前回の放映でも私はよくわからなかった。(ひょっとすると、中途半端にしか見ていなかったのかも)さて、その第三弾というので、今回は最初から「見る気で」見た。[詳細] 大反響シリーズ第3弾私、ママになりました完全密着990日! 3男4女8人激闘大家族! 16歳長女~感動の出産スペシャル ◇母親が家出をした8人家族の生活に密着する。一家の父親が妻との離婚を決意し、長女を母親代わりに新しい生活をスタートさせた。だが、長女の妊娠が判明。突然の出来事に父親は戸惑うが、ある決断を下す。長女は家族の協力のもと出産準備を進め、弟妹たちも新しい家族を心待ちにする。そんな中、二女は高校受験を迎え、長女の出産も近づく。新しい家族を歓迎し、新たな旅立ちをしようとする大家族の思いを伝える。チャンネルガイドより一家の母親役を一手に引き受けていた長女のあざみちゃんが妊娠!相手がどのような若者なのか分からないけれど、それを知った父親が「悔しい!」と言った言葉が胸に突き刺さった。そして、ただうつむいて何かをじっと耐えているようなあざみちゃんの姿に、胸が苦しくなってしまった。必死に家族を支えるために家事を引き受け、弟妹の姉・母親役を担ってきたしっかり者とはいえ、何と言っても16歳なのだ。心をときめかせる相手が出来て、彼に抱かれたいと思ったとしても、ちっともおかしくはない。やがて、自分の体の変化に気付き、どれほどの不安や悩みの時間を過ごしたことであろうか。もちろん、愛した人との関係のことも含めてである。きっと、結婚は無理だと彼女は最初から思っていたのだろう。父親は、(少なくてもテレビの画面では)長女を一言も責めなかった。私が親であっても、責めることはできなかっただろう。耐え続け、苦しい中でも家事をいつもどおりこなして、周囲にそのことに気付かせなかった彼女の気持ちを思うと、「よく頑張ったね!」と背中を抱いてやりたい気持ちになってしまった。その後、弟妹達に父親が「お父さんが責任を持って育てる。みんなで頑張っていこう」と言い、妹や弟達が「安心して赤ちゃんを産んでね」と言ったとき、あざみちゃんが初めて安心したように嬉し涙を流すのを見て、本当に素晴らしい家族だと拍手をしてしまった。出産の時も、陣痛の痛みを周囲に悟られないように耐えつつ家事をこなし、弟妹が学校に行ってから、「よしっ!」と小さく気合を入れ、付き添い役の妹と一緒に病院に向う彼女。その芯の強さに、おばさんはただただ感心するばかり。退院後も、ゆっくり養生する間もなく主婦に戻る。自分の妊娠・出産時のことを思うと、我が身を恥じ入る気持ちであった。母親がそばにいたなら、色々とアドバイスをしたり付き添ったり、産後の家事も手伝ったりしてくれるはずなのに・・。生まれた我が子に「この子は、誰よりも幸せにしてあげたい」というあざみちゃん。そして、家を出た母親に対して「おなかを痛めた子を置いてゆくなんて、やっぱり許せない」と言う彼女。暗に「お母さんの気持ちを理解して、許してあげられるかな?」と言っているような問いに苛立ちながら、「その気持ち、わかるよ。当然だよ。許さなくていいよ」と、私はテレビに向かって呟いていた。七人の子を置いて家を出なくてはならなかった母親の事情は私には全くわからない。それでも、このようにしっかりした素直な子ども達を育てたのだから、それほどとんでもない母親ではなかったのだろう。あざみちゃんだって「許せない」というのは、それだけ母親がいなくなったことが苦しく、切なかったからなのだ。母親からの電話に、お父さんが冷静に答えていたのが不思議だった。もしも私がその立場なら、「今更何言ってるんだ! 一番母親が必要な時に知らん振りしていて」なんて、怒りまくっているかもしれない。(ひょっとすると、テレビ的な演出というかシナリオだったのかな?)それでも、その時のあざみちゃんのサッと曇った表情は、演技ではなかった。あざみちゃんには、誰よりも幸せになって欲しいと思う。きっといつか、本当に彼女を愛し、子どもと一緒に家族となってくれる男性が現われると信じたい。その時にはきっと結婚式で、お父さんに花束を渡してくださいね。それまで、お父さん、体に気をつけて頑張ってください。この子達にとって一番心配なのは、お父さんが病気になることだろう。次女があれほど真剣に「看護婦になりたい」というのは、その気持ちの象徴。あらら、気がつけば結構あの家族に、感情移入してしまっているなあ。とにかく、子どもを産んだら、しっかり責任取りましょうね。そして、母親になるのに「若いからダメ」ってことはないですね。妊娠中も出産後もあれほど元気なのは、やっぱり若いからなのかもしれません。【追記】k-nanaさんのコメントへのご返事に書いたことを、こちらに載せておくことにしました。これは、これから「妊娠」をしたり妊娠させる可能性のある人達に、しっかりと心にとめておいて欲しいことだからです。燃え上がった恋愛の結果で傷つくのは、今でも多くの場合「女性」です。妊娠や出産、時には中絶を自分の体で引き受けるのです。くれぐれも男性は、刹那的な欲望で子どもができるようなことをしないでいただきたい。同時に女性も、我が身を守ることは、まだ見ぬ我が子を守ることだと考えて欲しいのです。
2005年03月17日
コメント(8)
昨夜、この番組を見て、怒りが込み上げてきた。まずNHKのサイトから、この番組の紹介文を下記にコピーする。今、モノ作り大国・日本の製造現場は、フリーターによって支えられている。ヒット商品が出れば一挙に大量生産、売れなければラインはすぐに閉鎖される。生産変動に対応できる企業だけが、厳しい国際競争を生き抜くことができる。コストダウンのため、企業が積極的に活用しているのがフリーターだ。正社員と比べて容易に雇用を調整することができ、人件費も安く抑えられる。バブル崩壊以降、多くの企業が、モノ作りの担い手として若者たちを使っている。現在、全国の製造現場で働くフリーターは、100万人にのぼると言われている。 番組の舞台は、栃木県にある通信機器メーカー。携帯電話の増産のために、急きょ労働力が必要になった。北海道や九州などから集められたのは、20代から30代半ばのフリーターたちだ。仕事に耐えきれずに工場を去る者。より良い待遇を求めて全国を転々とする者。さらに、フリーターから正社員への昇格を目指す者など、一人一人の価値観は様々だ。 先の見えない中、全国各地の工場を漂流するフリーターたち。今、製造業の現場で何が起きているのか。フリーターたちの半年を見つめる。私はいつも、「ニート」「フリーター」などの若者達を、「今の若い者達には困ったものだ」というような論調の報道などを目にすると、「そうさせているのは、あんたたちだろう!」という怒りを感じていた。働きたいと思ってもちゃんとした就職口がない現状、しかたなくてアルバイトをしようとしたら、そこにはリストラされたおじさんたちや、家計のために働きたいおばさんたちがひしめいている。社会経験のない若者達は、そこでも弾き飛ばされがちだ。それなのに、大人たちは「夢を持て」だの「辛抱しろ」などと建前だけで説教する。若者達が失敗しながらも社会経験を重ねて、希望を持てるような環境をつくろうともせずに何をかいわんやという感じだ。そんなところにこの番組を見て、「あー、ここまできているのか」と、あらためて自分の認識が甘いことに愕然とした。ここまで人間を使い捨ての機械部品のように扱って、それが「社会の厳しさ」として当然のように推移していることに、本当にゾーッとしている。話は少しそれるが、最近は自治体も財政再建の名目で、正職員数が減らされている。その分を「臨時職員」でカバーすることが多い。そのほとんどが、若者か「主婦or女性」である。本当に臨時的な仕事ならまだしも、正職員同様、あるいは正職員以上の働きをしている人だっている。どうも人間というのは、毎月の給料に不満がなくなると堕落しやすくなるようで、その分、「いつクビにされるかわからない」人達の方が、必死に良い仕事をしていることだってある。あるいは、「いくら働いても正職員にはなれない」と諦めた人は、そこそこの仕事で流そうとしたりする方向にいく人もいる。(これは、主婦や若い人達に多いように感じるが、人による)いずれにしても、一度良いルートに入れた者はどんどん上昇気流に乗り、入りそびれたものは割の合わないルートをぐるぐる回る。やっぱり、この世の中、どこか間違っている。若者の夢を踏み潰すような社会には、明るい希望は持てない。そして、合理化してうまくやっているつもりが、いつしか自分の首をしめることになるのだ。
2005年02月06日
コメント(16)
買い物ついでに、ふと立ち寄ったビデオ店でみつけたこの映画。チャン・イーモウ監督の1994年の作品(十年前だ・・)。原題は「活着」だそうだ。1940年代から1960年代までの、激動の中国を生きた家族の物語。時代や運命に翻弄されながらも、メゲズ、腐らず、庶民の知恵としたたかさで乗り切っているこの家族の姿は、多分、大多数の中国の人々の姿を反映しているのではないだろうか。次から次へと家族に降りかかるできごとを見ていると、どうみてもこの家族は「運がいい」とは言えない。それでも、起きたことはしかたがないとたくましく起き上がり、生きてる限りは生きるのだという姿は、命に密着して(しがみついて)生活するという感じで、「活着」という原題そのものだと思った。この世というものは、中国ならずとも「何が起きるかわからない」。その中を生きなくてはならない普通の人間にとって、理念や理屈は二の次だ。今日の正義は、明日は不正義になるかもしれない。今日の勝者が、明日の敗者になるかもしれない。生きていたら苦しいことも理不尽なこともあるけれど、どんな中にも楽しみや喜びの種くらいは見つけられる。その時その時を、自分や愛する人のために精一杯生きて、いっぱい心から笑える思い出を作ることが一番だ。家族にとって一番大切なのは、みんなで助け合ったり笑いあったり、美味しいものを一緒に食べて、病気の時はいたわって、悲しい時は一緒に泣いて、そしてやがて命が尽きる。権力を持たない名もない多くの人間は、昔からそうやってつつましく生きてきたのだろう。そのことの大切さが、涙と笑いの中で感じられる映画だった。チャン・イーモウの映画は今までに「初恋の来た道」「紅いコーリャン」を見たけれど、これが一番好きだなあ。
2005年01月20日
コメント(2)
昨日、友人と一緒に「北の零年」を見てきた。この映画を見たいと思ったのは、北海道開拓の物語であるということからで、俳優や監督に特別の関心があったわけではない。さて、感想は・・。一言でいうなら、「男の弱さと女の強さ」ってところだろうか。私の父方・母方の曽祖父たちは、共に開拓時代に北海道に移住してきた。だから、祖母などからは開拓時代の苦労などについても何度も聞いている。父方の曽祖父は没落地主の「一旗揚げよう組」。母方のほうはもともと貧しい農家だったようで、それこそ生きる糧を得る農地を求めて、背水の陣としての入植組。資金がそれなりにあった父方と、裸一貫の母方の苦労は、同じ開拓時代を生きたとしても違いはあったであろう。そんなルーツを持つ私は、映画を見ていても、どうしてもその中に自分の曽祖父母たちの面影を探していた。父親と一緒に13歳で北海道に渡った母方の曽祖父は、さしずめ農作業のリーダーである川久保栄太(平田満)の息子・平太であろうか。感想を詳しく書く時間もないのでかいつまむことにするが、一番強く感じたのは、「子」という現実に自分が守るべき命とつながっている母親の強さとしたたかさである。それに比べると、理想や名誉などを守ろうとする人間の弱いこと。目先の欲望にふりまわされる人間の哀れさ。多分、開拓時代にはこれに似たドラマがあちこちで埋もれていったのであろう。現実の自然の厳しさや、開拓時代の生活について多少聞いたことがある私は、あの映像の中には少しばかり違和感を覚える場面もあったが、それも「映画」なのだからやむを得ない範囲だと納得している。いずれにせよ、北海道はこのような人たちによって開拓され、それまでこの地でつつましく生きていたアイヌの人達は、理不尽にも生活の場を奪われ、やがては言葉さえも奪われたという歴史がある。今、映画館のある場所も、百年前は原生林だったのだ。そして、アイヌの人たちが山菜採りやエゾ鹿や熊など、生きてゆくために必要な分だけをカムイに感謝していただいていた。豊川悦司演じるアシリカが、アイヌの古老にかくまわれているという設定だったが、このことで思い出したことがある。以前に聞いたのだが、開拓の苦労の中で親が死んだり、生きるために子どもを手離さなくてはならないとき、アイヌの人たちが和人の子を我が子として育てたケースがいくつもあったという。だから、アイヌ民族の血をひいていないアイヌの人たちが、結構いらっしゃるのだと。しかし、アイヌの子どもを引き取って我が子として育てた和人の話は、ほとんど聞いたことがないということだった。この映画が、どれほど史実にのっとっているのかが気になって、静内町郷土館を見てみた。あの映画では旧家来達を見捨てた稲田家当主であったが、公的な記録によると完全に見捨てたわけではなさそうだ。少しホッとしている。
2005年01月19日
コメント(10)
日曜日に「義経」の初回を見逃したので、再放送を見た。前回の「新選組!」を最初に見たときには、かなりの違和感があったのだが、結局一年間見ていたら馴染んできたという感じだったが、さて今回の印象は?一言でいうなら、「従来の大河ドラマに戻った」という感じだ。俳優陣が歴史ドラマに出てきて違和感のない方々が多いということと、変に現代的なことばや所作がないからなのだろう。私のような中高年世代には、何となく安心できる配役のように感じた。しかし、昨年のように若者世代をひきつけるのかどうか。主役の滝沢秀明クンや上戸彩チャンなどが出てきたら、それで惹きつけられるのだろうか。ともあれ、大河ドラマは日本の歴史に関心を持つきっかけとしては、とても良い番組だと思うし、今回のドラマがどのようにあの時代を解釈し見せてくれるのかは、とても楽しみ。それにしても、第一回目の登場人物で一番光っていたのは、やはり「牛若」だった。あの赤ちゃんは、何者だ!あの可愛らしさといい、無理な姿勢でも泣かずにしっかりと何かを見ている視線といい、「これぞ義経の赤ちゃん時代」と思ってしまった。あんなに可愛い赤ちゃんを、「私の子です」と言える幸せな親はどなたでしょうか。初回だけであのつぶらな瞳を見れなくなるのは、本当に「残念!!」。それだけでも、無理して今日見て良かった。
2005年01月15日
コメント(4)
札幌のシアターキノで14日まで上映中のこのアニメ、以前から少し気になっていた。明日までの上映というのを新聞で見て、「やっぱり見に行こう!」と久しぶりに札幌に向かった。「雲のむこう、約束の場所」は、新海誠監督が作品の原作・脚本・監督など、そのほとんどを手がけているそうだ。物語は・・。(以下公式サイトより転載)日本が南北に分断された、もう一つの戦後の世界。米軍統治下の青森の少年・藤沢ヒロキと白川タクヤは、同級生の沢渡サユリに憧れていた。彼らの瞳が見つめる先は彼女と、そしてもうひとつ。津軽海峡を走る国境線の向こう側、ユニオン占領下の北海道に建設された、謎の巨大な「塔」。いつか自分たちの力であの「塔」まで飛ぼうと、小型飛行機を組み立てる二人。だが中学三年の夏、サユリは突然、東京に転校してしまう…。言いようのない虚脱感の中で、うやむやのうちに飛行機作りも投げ出され、ヒロキは東京の高校へ、タクヤは青森の高校へとそれぞれ別の道を歩き始める。三年後、ヒロキは偶然、サユリがあの夏からずっと原因不明の病により、眠り続けたままなのだということを知る。サユリを永遠の眠りから救おうと決意し、タクヤに協力を求めるヒロキ。そして眠り姫の目を覚まそうとする二人の騎士は、思いもかけず「塔」とこの世界の秘密に近づいていくことになる。「サユリを救うのか、それとも世界を救うのか」はたして彼らは、いつかの放課後に交わした約束の場所に立つことができるのか…。新海誠監督については全く知らず、アニメーションにも人並み以上の関心を持っていない私が、なぜこの作品に興味を持ったのかというと、「南北に分断された日本が舞台」ということが一番であった。この作品では、北海道が現在の北朝鮮のように戦争によって日本と分断された謎で危険な国になっている。この設定は、北海道に住んでいる者にとっては、妙にリアリティーがあるのだ。第二次大戦後にソ連が北方領土に侵攻したことをはじめとして、「蝦夷地」が別の国に占領される可能性も現実にあったのだから。そんな状況設定の中での青春時代の純愛や、人間の(無)意識や願いの力など、けっこう盛りだくさんのテーマが絡み合っていて、見終わった後も感動というよりは、色々と考えさせられてしまった。この作品の中では、北海道は消えるというよりも夢から醒めての再生を予感させるものであった。それでも、夢の中であろうとなかろうと、その地で生きている人達がいる。自分のあずかり知らぬ大きな力によって翻弄される人間存在のはかなさを感じながら、雪の降る夜道を帰宅した。街灯にキラキラと舞う雪も、手のひらに乗せたとたんに雫となって消えてゆく。地球の営みにとっては私たちも、この淡雪みたいなものだ。それでも、私たちには心があり意思がある。その力は、たとえささやかでも信じたいと思う。最後になってしまったが、作品の映像は本当に美しかった。どこを切り取っても芸術作品ではないか!?という感じだった。新海誠監督の他の作品も、ぜひ見てみたいと思った。
2005年01月13日
コメント(0)
テレビ番組表でこのタイトルを見た時の私の感想は、「なんて長い番組タイトルだ!」。それと「たった5分のVTRで人生が変わるなんて、インスタントラーメンじゃあるまいし」。つまり、全く見る気はなく、NHKニュースの後は見るともなしにテレビを付けっぱなしだった。8時近くなってからだと思うが、夫が「5分で感動できるVTRって、どんなもんかなあ」とチャンネルを変えた。私は、「そうか、5分で感動できるというところに注目したらよかったんだ」と、いつもながら天邪鬼な自分を多少恥ながら一緒にテレビを見始めたのだ。(我家では、夫の方が絶対に素直で優しい性格だ)この番組を見ていた人はおわかりだと思うが、これは「感動を忘れ,決して泣かない30人の若者たち」に何とか感動させようというものらしかった。どのような経緯で出演者が決まったのか、番組の最初にこの若者達がどんなことを言っていたのか、最初から見ていなかったのでよくわからない。私が見たのは、挫折を繰りかえしながらも夢を諦めなかった元プロ野球の山本和範選手のビデオからであった。私は全くと言って良いほど野球に関心がないのでこの人のことは全然知らなかったが、野球好きの夫はよく知っているらしく、「そうだったのか・・」と呟きながら見ていた。野球音痴の私でも、山本和範氏の生きてきた姿には想像以上に感動し、テレビに出ている「クールな若者」の先輩格ではないかと自認する私も、思わず胸が熱くなった。(私は、テレビドラマや映画などで涙を流すことはほとんどない。ましてや、人前で泣くことは滅多にない。しかし、ドキュメンタリーなどを見ていると、いつの間にか涙が流れていることに気付くことがある。元来の天邪鬼のせいか、「泣かせようとしている」と感じると、瞼の裏の熱いものも堰き止められる傾向があるのだ)出演者(若者達ではなくゲスト達)の中にも、何人も泣いている人がいたし、このビデオで感動して心が熱くなったという若者も何人かいたと思う。感動した若者はゲートをくぐって別席に移り、感動せずにクールに見ていた若者はその席にとどまるという設定だ。その後も、いくつかのビデオを見て、「これでも感動しないか!」とクールな若者達に迫っている。私も最初は、感動せずに小難しい理屈を言ったり、「私には関係ないし・・」などというコメントを聞いたりすると、「ああ、現代の若者にはこのような人が増えているのかな」と、単純に嘆いたりももしていたのだが、ゲスト達の「どうしてこれで感動しないんだ!」というような批判的な言葉を聞いているうちに、そちらの方に苛立ってきてしまった。感動はとても個人的なことであり、本人が感動しないものは、他人がどう言おうとどうしようもないものだ。ましてや、それに対して「それでも人間か?」のような言い方には、「余計なお世話だろ!」といいたくなった。特に、赤井英和氏がある若者に対して、「間違っている」というような強い批判をしていたのを聞くと、「そういうあなたは、何様ですか?」という気分だった。そんな私もやはり、どのようなビデオを見ても感動しない若者を見ていると、「ああ、これでは生きているのが楽しくないだろうな」と、心から心配になってきた。そして、涙ぐみながら立つ若者を見ると、「良かった、感動できたね」と、そちらの方に感動し始めていた。ビデオにももちろん感動したのだが、私がより強い関心を持ったのは、この若者達が心を動かさない、あるいは動かせない状態が、どのように育まれたのかということだった。そして、多分「今までの感動の体験」がとても乏しかったのだろうと思った。あるいは、自分の素直な感情を表現することを、何らかの理由でストップしなくてはならない状態が続いているのかもしれない。私自身、人前では涙が堰き止められる傾向は今も続いている。悲しみや喜びを感じていないわけではないが、それを表現することを無意識に抑えているのだろう。それは、私のもともとの気質に加えて、家族内での生育暦や、中学生の頃から20代にかけて、自分の本音を押し殺しながら周囲に適応することばかりに腐心していた体験によるものだと思っている。はっきり言って、その時代はとても苦しかったし、楽しいことはあまり思い出せない。だから、感情を殺したようなタイプの若者を見ると他人とは思えず、それを単純に批判する人に怒りを覚えたりする。しかし、これは私の体験に引き寄せた感じ方である。クールな若者の中には、生育暦や体験に関わらず、他人の体験と自分の体験をリンクさせることができないタイプもいるかもしれない。あるいは、「軽度のアスペルガー症候群」のような自他共に自覚できないハンディがあるのかもしれない。いずれにせよ、この人間社会に生きている限り、人間の行為に対して何の感動もできなければ、とてもつまらなくて寂しい毎日だと思うし、だとすれば死にたくなっても当然だとすら思う。だから、最後に残った4人の感動できなかった若者に対しては、本当に可哀想だと思うばかりだった。(「可哀想」と本人に向って言うのは余計なお世話であるが、私がそう思うのは仕方がないことだ。赤井氏も、若者に腹を立てるのは仕方ないことだが、面と向って怒るのは余計なお世話。あのような場合にゲストは、自分がどのように感動しているかを語るだけで充分だと思う)それでも、最初はクールに語っていた女性が最後の頃には涙ぐみ始めたのを見て、このように集中的に心を動かす体験も悪くはないのかもしれないと思った。人間の行為には、何でもトレーニングが必要だと思う。筋肉も使わなくては衰えるし、トレーニングを積まなくては進歩もしない。感情も同じことなのかもしれないと思う。ある程度成長しきってからのトレーニングはなかなか効果が現われない。というより、年齢が低い頃より数倍の努力が必要で、努力に対して成果が目に見えないから、虚しくなって努力を諦めることもあるだろう。そのような大人にならないように、今子育てをしている人たち、あるいは教育に関わる人たちは、子どもの心を生き生きと動かすことに配慮をしてほしいと思う。
2005年01月05日
コメント(16)
NHK大河ドラマ「新選組」が終了した。今年の1月、このドラマが始まった時には少し違和感があり、前半はさほどしっかりと見ていなかったのだが、このドラマが思いのほか若者に人気があるようなので、そのことへの関心もあって見続けるようになった。一年間見続けていると、不思議なものでそれぞれの俳優が演じる歴史上の人物像が、「こうだったのかもしれないな・・」と感じるようになってくる。結果的に、私の従来の「新撰組」のイメージが、このドラマによって新しい「新選組」のイメージに変化したことは間違いがない。ちなみに、わたしのパソコンでは、いまも「しんせんぐみ」と入力すると「新撰組」に変換される。私は「新撰組」がもともとの文字だと思っていたので、「新選組」と知った時には正直なところ驚いた。いつから「新撰組」と表示されるようになったのだろう?従来の「新撰組」のイメージは、それまでのテレビや映画での俳優の影響なのだろう、もっと年齢層が高い感じがしていた。しっかりと史実を読めばすぐわかることだったのだけれど、それほどの関心も持っていなかった私は、このドラマによって始めて、新選組メンバーがみんな若者だったことを実感したのだ。もっとも、現在の30歳は間違いなく「若者」だけど、当時の30歳は壮年に近いのかもしれないが・・。私がこのドラマを、最後までどうも好きになれなかったのは、「法度による粛清」のせいだろう。それなりの必然性があるのかもしれないけれど、仲間を次々と殺していくことに対しては、生理的不快感がある。そのせいもあって、粛清の続く時期の放映は、見たり見なかったりであった。それでも、それを他の人たちはどのように受け止めているかを知りたくて、月曜日になると楽天日記の「新撰組!」のテーマ日記をいくつか拾い読みしていた。多くの人たちが、殺す側・殺される側の人物に感情移入して、感動したり悔しがったり悲しんだりしている。そして、それを「かっこよい生き方」のように捉えているような人もいて、「ふーん、そうなんだ・・」というような感じがすることもままあった。(信念のために命をかけて突進することは、時にはかっこいいのかもしれないけれど、多くは「思い込みの身勝手さ」と結びついてることも考えて欲しい)私などは、一連の「粛清」から「連合赤軍」を連想してしまう。そのせいか、どう逆立ちしても「かっこいい」とは思えない。しかし、彼らが「若者」であるということを考えると、そうなってしまうのかもしれないとも思う。話はちょっとずれるが、先月、某高校生に進路のことを聞いた。彼は、高校ではボランティア部で活動していた、正義感が強く誰かの役に立ちたいという気持ちの強い男性である。その彼が、「自衛隊入隊が決まった」と誇らしげに言っていた。私は、時期が時期だけに少し戸惑い、「えっ、そうなの? これからの自衛隊は、海外の危険な地域にも行かなくてはならない場合があるから、大変だね。不安じゃない?」と聞いた。すると彼は誇らしげに、「不安じゃありません。国際貢献ができるなら、嬉しいです」と答えた。私は、希望に燃えている青年の気持ちに水をさしたくはないので、「そうなの。体に気をつけて頑張ってね」というようなことを、内心の戸惑いを必死に隠しながら言うしかなかった。彼の志(こころざし)は、尊いと思う。若者らしい純粋さで、本気で日本のために役立ちたいと思っていることは間違いがない。そしてまた、彼らのように純な気持ちで黙々と任務につく人たちのお陰で、日本が支えられている側面も確かにある。だからこそ、そのような若者達を権力側(国)が権力の維持のために利用しないで欲しいと願うのだ。自分の意志や願いとは無関係なところで、時代の流れや時の権力者の意図により、大切な命を翻弄された人たちがどれほど多いことか。私がとてもおぞましく感じる新撰組の「粛清」や、私の若い頃に吹き荒れた「学生運動の嵐」、その後の連合赤軍事件なども、もともとは若者の純粋な正義感から発したものではなかったかと思う。若者は間違いを犯しながら成長するものだと思うが、誰かの命を奪うことになってはいけない。たとえ自分が手を下さなくても、それを「やむを得ないこと」と認めた人間も、罪としては同じである。背後にその行為を了解する人たちが大勢いると思うから、少しばかりの心の痛みも振り切れるのだ。人を殺す行為、あるいは傷つける行為に対して、間違っても「カッコいい」とか「正しかった」などと思わないで欲しい。人を殺して良い正しい理由なんて、あるはずがないと私は思う。人間は最後は必ず死ぬものだけど、少なくても殺されるために生まれてきたはずはないのだ。自分が誰かに殺されることを想像したら、殺す側が正義だとかカッコいいなんて、間違っても思えるはずはないだろう。このドラマは、そのようなことも描いていたとは思うけれど、今の世相とあわせて考えた時、ちょっぴり心配にもなっていたことも、私の本音である。
2004年12月12日
コメント(0)
以前から観たいと思っていたこの映画を、やっとビデオで見ることができた。「冬のソナタ」では全く泣けそうもなかった私だが、この映画ではグッとくるものがあった。今までに何本かの中国映画を見たことがあるが、その中でもこれは秀逸であった。この映画もまた、冬ソナ同様に現代中国の「おとぎばなし」なのかもしれないけれど、主人公チュンと親ばかで教育熱心な親子の姿は、決して現実離れしたものではないような気がした。そして、二人が親子になったいきさつには、「大地の子」を育ててくれた中国残留孤児の養父母の姿と重なってしまった。(おりしも、先日のNHKスペシャル「“大地の子”を育てて~中日友好楼の日々」を見ていたので)子どもを愛するということは、子どもが自分の能力を生かして社会ではばたくことができるように、精一杯応援すること。そして、この父親は自分の能力を生かすということを、全身で息子に伝えていると思った。無学でも貧しくても、それは恥じることではない。大切なのは、人としての誇りを持って、今、自分が持っている力を精一杯使うことなのだと。この父親は、そんな難しいことを考えているわけではない。ただただ息子の幸せな未来を願って、自分ができることを精一杯にやっているだけだ。そんな父親を、時には鬱陶しく身勝手と感じて、父親に反抗する姿にも共感できた。映像的には、やはり「赤」がポイントかな。中国の人にとっては、「赤」は特別な何かを感じさせるのだろうか。中国社会は、急激に変化しているようだ。多分、この親子のようなサクセス・ストーリーも夢物語ではないのだろう。だからこそ、あの父親は純粋に息子のために奔走できるのかもしれない。しかし、このような「子どもを思っての奔走」も、行き過ぎると悲劇となる。このような純粋な親子の愛情が、物質やお金至上主義と連動して、いずれ今の日本社会と似たような状態になるであろうことが少し悲しい。この映画のラストは、そのような傾向に対しての疑問を投げかけているのかも。映画には感動してたのに、つい変な方向に指が動いてしまった ( ´△`)
2004年12月07日
コメント(10)
数日前、借りている「冬のソナタ」の原作(?)をやっと読んだ。先日の日記でも書いたとおり、私にはのめりこむほどの面白さを感じなかったので、とにかく筋だけはなぞったという感じであった。多分、このドラマは「読むものではなく、観るもの」だろうと思い、昨日レンタルビデオ店に足を運んだ。今でもまだ人気のビデオのようで、まだほとんどが貸し出し中であったが、幸い最終巻があったので借りてきた。あらすじはわかっているので、最後だけ見たら充分だろうと思ったが、正解であった。さて、感想は・・。残念ながら、やっぱり「感動!」というわけにはいかない私であった。このドラマ、「親の因果が子に報い」というような内容であるが、私は主人公の親の世代に属しているせいか、彼等の親の身勝手さに頭にきてしまった。それに対して、主人公達(子ども達)の従順さ・・。これって、本当に現代の韓国の若者達に重なるんだろうか。そして、「純愛」といわれるものの「身勝手さ、思い込み」が見えて、このドラマに感動するってどういうことかと、また首を傾げてしまった。私だって、「初恋」くらいは体験している。私の友人達にも、純愛に心を焦がし、傷つけあっていた人もいっぱいいる。初恋の甘酸っぱさの価値だって、少しはわかるつもりだけれど、いくらドラマといってもこれはちょっと度が過ぎている。そしてまた、傷つけあった者同士、たった3年でにこやかに談笑なんて、私には信じられない。私なんぞ、傷つけたとわかる相手に向き合った時には、いまだに顔が引きつり目を伏せたくなるのを我慢し、平静を保つのに若干の努力を要する。それなのに、たった3年であれほど許しあい友情が復活するなど、「ほんまかいな?」である。もしもこれが現代の若者の様相であるとするなら、そちらのほうが心配である。もう一つ、「何、これ?」と思ったこと。それは、失明した主人公の動作である。失明してからもう二年は経過していると思うのに、韓国では白杖がないのだろうか。韓国における視覚障害者の状況がどのようになっているのかと、とても気になってしまった。(もっとも、ドラマで障害を持つ人を描く時は、「無知」を感じることは日本映画でもあるけれど)ひとつだけ、「なるほど」と思ったこと。それは、墓参りのシーンで韓国の墓地を見た時の感想である。韓国の墓地は、あのような山の斜面にあることが多いのだろうか。だとしたら、北朝鮮が「拉致被害者の墓が流された」ということも少し理解できる。あんな斜面に土饅頭では、大雨になったら流されても不思議はないかも。あのようなお墓では、年をとって足腰が弱くなったら、墓参りが辛いだろうな・・。ということで、残念ながら主人公達がいっぱい涙を流せば流すほど、しらけてしまう私であった。どなたかが書いていたけど、ひょっとすると「吹き替え」でなくて字幕ならば、もう少し感情移入できたかも。映像は確かに美しかったし、主人公達も美男美女。それだけは認めます。
2004年12月04日
コメント(4)
先日、ヨン様来日の時のファンの熱狂ぶりを見た時、「これは何だ!?」と心底驚いた。私はあまりドラマを見ない方なので、「冬のソナタ」も見ていない。ものすごいブームになっていることは知っていたので、話についていくためにもちょっと見てみようかとレンタルビデオ屋に何度か足を運んだが、いつも貸し出し中だったので、まだチラとも見ていない。しかし、私の知人たちの中にも、すっかり「冬のソナタ」にはまっている人が何人もいるので、いつか見ようとは思っていた。そんな矢先、知人との話の流れの中で「冬のソナタ」の話題となり、彼女からその原作本を借りることになってしまった。実は、ビデオは少し見てみたいとは思っていたが、本まで読みたいとは思っていなかったのだが、「いいよー! 本当にいいから読んでご覧!」と、ほぼ押し付けられてしまったのだ。気の弱い(?)私は、それを拒否することが出来ず、上下二巻のその本を読むことになったのだ。借りてしまった以上、やはり一応は目を通さなくてはならない。現在、やっと上巻を読み終えたのだが、予想通り私は少しばかり後悔している。はっきり言って、私にはつまらないのである。そして、これが映像になったらあのようなフィーバーを巻き起こすのであろうかと、俳優のヨン様の演技力や監督の演出力に期待している次第である。上巻を読んだ時点で、何となく先が見えるような気がするので、これからはそれの検証となっていくのかな?プラトニックなメロドラマ小説を、このように読んでいる私は、実に面白みのない女だと自分でも思う。さて、そんな私には、やはり「ヨン様フィーバー」は摩訶不思議な世界であった。しかし、社会の不思議現象を見ると「なぜか?」と考える方に面白さを感じる性質(たち)の私は、ずっとこの現象について考えていた。そして、自分なりの考えがまとまってきていたのだが、今朝sweetrendez-vousさんの「中年女性が熱狂するヨン様ブーム」を読んで、私の気持ちとピッタリだと膝をたたいてしまった。以下は、その一部である。子育てが一段落した女性が陥りやすい心の状態として、「空の巣症候群」というものがある。それまで、育児に追われて忙しかったのが、子どもの成長と共に自分の時間が増えていく。しかし、それまで自分の事よりも家族のために一生懸命に生きてきてしまったため、自分の時間を自分のために使う事を知らない女性が、心の空洞を抱えて苦しんでいる状態だ。ふと気付いてみると、子どもは自分の元から離れて行き、夫ともたいした会話がない…、ああ私は何のために生きているんだろう…、っていう感じかな。自覚はしていないまでも、子育てが終わった女性の心の中には少なからず、空洞ができているのではないだろうか。その空洞が大き過ぎると精神状態もおかしくなるかもしれないが、ちょっとだけの空洞なら普通に生活できてしまえる程度だ。しかし、空洞はそれを埋めてくれる何かを求めている…。それが不倫願望だったりするが、多くの主婦は不倫などというリスクを犯してまで自分の空洞を埋めるための行動は起こさない。何だかんだ言っても、日本の主婦は家庭を大事に考えているのだ。そして彼女達は、家庭を壊さず、自分の心の空洞(寂しさ)を上手に埋めてくれるものを見つけた!それがヨン様だ!!!!私と同世代あるいはもっと年配の人たちがヨン様に熱狂する背景には、上記のようなことが間違いなくあると思う。しかし私は、そのように理解は出来ても共感することが困難である。なぜかというと、私は今までの人生の中で、芸能人であれスポーツ選手であれ、誰かのファンになって熱中したという体験がないのだ。高校生の頃にはグループサウンズブームが始まったが、私はその波には全く乗れなかった。タイガースのジュリーに夢中になっている友人との話についていけなくて、とても困惑していた記憶がある。しかし、みんなの話には付いていきたかったから、お勉強のように音楽番組を見たり、ラジオでフォークソングを聞いたりもしていた。どちらかというとフォークソングのほうが肌に合って好きだったけれど、それでも誰かの熱烈なファンになっていた時期はない。青春時代でさえそのような心境になれなかった私が、この年になって誰かにフィーバーできるなんて、ちょっと考えにくい。そんなことを思うと、私の人生には少しばかり熱いものが不足していると、寂しく思うくらいだ。だけど、他の人と比較すると寂しいのかもしれないけれど、私を哀れまないで欲しいなとも思う。私は、最初からあまり夫や子どもには期待しない性質だったし、自分自身にもあまり期待していないところがある。失望したりして落ち込むこともあるけれど、「やっぱりね」という感じがどこかにある。虚しい心を抱えていてもちゃんと生きることができるし、どんな絶望的な状況でも、人間は些細な喜びで生きることができるということも知っているつもりだ。それは、手に届かぬ何かに憧れる気持ちではなく、自分と直接関わっている人たちや社会との関係性、または「五感」で感じることができる喜びなのだ。そう考えると、ヨン様は確かに美しい男性だと思うので、見ているだけで幸せになるという効果もあるのかもしれないな。それにしても「冬のソナタ」の下巻、早く読んで返さなきゃ。気持ちが入ればあっという間に読み終えることができるのだけど、どうも乗り切れない。このドラマは、読むものではなく見るもののようだ。
2004年11月28日
コメント(10)
急に友人に誘われて、「トゥー・ブラザーズ」を観てきた。実は、この映画については全く知らなかった。事前情報は、「動物の映画だよ。双子のトラの話」という友人の言葉だけで、特別見たいと思っていたわけではないが折角のお誘いなので、ネットで情報を仕入れる間もなく出かけたわけだ。近くのシネコンで18:30分頃から見たのだが、何と観客は私達を含めて三人のみ。私は内心、「あんまり有名な映画じゃないんだろうか?」なんて思ったくらいだ。誘ってくれた友人は動物好きだが私はそうでもないので、上映が開始するまではさほどの期待感もなく、貸切り状態の館内で友人との雑談(映画とは無関係)を続けていた。・・ところが・・。何という映画なんだ!!!そこは昨年私が訪れた「カンボジア」の風景そのもの。内容は、ジャングルの中の遺跡をねぐらにしたトラの夫婦に、可愛い二匹のトラの兄弟が誕生し、ハンターによる「トラ狩」で親と離れ離れになったトラ達の波乱万丈物語である。トラの親子の情愛、兄弟の絆、トラと人間の友情、人間の身勝手さや弱さ、そして優しさ、もう感動のオンパレードという感じだが、何よりも驚いたのは「トラと人間が一緒に演技をしている」ことだった。私はどうも、物語にドップリと感情を移入できないところがある。子トラの表情やしぐさ、親子のトラの情愛を感じさせる動作、目の表情など、どれをとってもとても自然でありながらストーリー性があるので、そのような映像に仕立てていった監督やカメラマンの(多分)ものすごい辛抱強い努力を感じて、そちらのほうに感動してしまった。帰宅してからこの映画のサイトを見てみると、やはりという感じであった。この映画のために用意されたトラは30頭(内18頭は子どものトラ)で、シーンにあわせて性格や能力の違うトラをキャスティングしたそうだ。カメラマン達は檻の中に入り、何台ものカメラを終始回し続けて撮影したという。いくら人間に慣れているとしても、相手は「猛獣」である。どれほどの緊張感の中で撮影が続けられたかと想像すると、それに感動してしまう。映画を見ている間は、舞台がどこかなのかははっきりとわからなかった。昨年訪れたアンコール遺跡や、プノンペンの王宮に似ている場所が出てきたが、カンボジア・ラオス・タイには似たような場所が多いと聞いていたし、出てくる住民達の服装を見ると、ベトナムのように感じる時もあった。いずれにせよ、フランス植民地時代のインドシナが舞台である。私が多少ボランティアで関わっているカンボジアは、この映画の時代の後も、苦難の歴史を刻んでいる。大切な遺跡群が、略奪や破壊を繰り返され、その波の中にそこに生きていた人達は翻弄され、トラなどの動物達も追い詰められていったのだ。(動物どころか、同国の人間をも虫けらのように虐殺したのだ)そして、今現在も、カンボジアの人たちはまだまだ苦難の状況にあるのだ。大国の人間の身勝手さも、この映画は背景にしのばせている。はっきり言えることは、この世で一番怖い動物は人間だろうということだ。しかしその人間には、「家族愛、友情」などを希求する心ももっていて、こんなに大変な思いをして感動ドラマを作りたいと願う動物でもある。最近は映画を見る機会が多くなっているのだが、映画って色々なことを考えさせてくれるものなんだなと、あらためて思う。
2004年10月04日
コメント(4)
昨日、レンタルビデオ店の前を通りかかると、「半額47円」の旗が「おいで、おいで」と招いていたので店に入ってしまった。この「半落ち」は新作なので105円だったけれど、以前からちょっと気になっていたので借りてきたものだ。「半落ち」は、アルツハイマーの妻を殺した元刑事(寺尾聡)が、自首するまでの空白の2日間の謎ををめぐっての、県警・地検・メディア・弁護士・裁判官の、それぞれの思惑や取引、アルツハイマーや白血病の骨髄移植問題がとりあげられた映画だった。さて、見た感想といえば・・。何となく、どこも突っ込み不足という印象。課題というか問題提起していることがてんこ盛り過ぎて、どれも何だかぼやけているという印象で、ちょっとばかり期待はずれといったら申し訳ないかしら。それぞれの役者さんは、それなりにいい味を出していると思うのだけどね・・。一番「??」と思ったのは、取調べをする志木(柴田恭平)が最初に追っていた事件との関連性は、いったい何だったのかがよくわからないままだった。多分、警察の体質に関する問題提起だったのだろうけれど、それもよくわからん。私の警察関係の知識が不十分なので理解できないのだと思うが、観客はみんなギョーカイについては素人ということで映画を製作していただきたい。この映画のキーワードは「人は何の(誰の)ために生きるのか?」ということのようだが、その言葉も何だか上滑りしているように感じるのは、私が意地悪すぎるだろうか。この映画で、私が一番共感したのは、裁判官の藤林(吉岡秀隆)が、「妻が自分自身をを認識しているうちに死なせてやりたかった」という梶(寺尾)に、「自分を失ったら価値があるとかないとか、そんなことは誰もに決められない」と叫ぶ言葉だった。そのことは梶自身もすでに理解しており、その独りよがりの思いと行動の結果の罪を自覚していて、深い贖罪の中にあるということもよく理解できた。追い詰められた時、人は自分の切なさや苦しさに押しつぶされるようになって、平静さや理性を失ってしまう。だから私は、このような場合の「尊属殺人」に対しては、とても同情してしまう。梶夫婦も、もっと早いうちに他の人たちの協力を得ることが出来たなら、このような悲劇にはならなかったかもしれない。息子を失うという耐えられないような悲しみも、同じような経験をした人たちと悲しみを共有し合う場があれば、心はもう少し癒されていったかもしれない。また、骨髄移植した人に会いたいという気持ちは、とてもよく理解できる。ドナーと移植患者との調整を丁寧にすることができるなら、お互いに命を喜び合う機会を持つのも、価値があることではないだろうか。と、こうやって書いてみると、「物足りなかった」と言う割には、色々なことを考えさせてくれる映画だったようだ。書きながら、それぞれの登場人物の表情などが目に浮かんでくる。そうそう、私は「何のために生きるのか」と聞かれたら、どう答えるだろう。「自分のため」という感じでもないけど、誰かのためとも言えない(大切な人が一杯いすぎて、列挙するのも疲れるし・・)。結局は、「生きていることが一番大切な仕事だから」としか言いようがない。結果として誰かのためであり、自分のためでありたいということだ。内容とは無関係なのだけど、ヒソヒソ話や感情を抑えた演技が多いせいか、セリフがはっきり聞き取れないことが多くて、ついつい音量を上げてしまっていたのだが、エンディングの曲になって突然大音量になり、慌てて音量を落とした。もう少し、音のバランスを考えて欲しかったな・・。音楽は悪くはなかったので、大音量にビックリしてバタバタしたことで、気持ちの余韻に浸れなかったことが残念。
2004年09月29日
コメント(2)
今朝の新聞で、先日札幌で上映されたドキュメンタリー映画「ライファーズ~終身刑を越えて~」について紹介されていた。これは、アミティという、アメリカ・アリゾナ州を拠点とする、犯罪者やあらゆる依存症者の社会復帰を支援する非営利団体が取り組んでいる、刑務所内での社会復帰プログラムを描いている作品である。実は、札幌での上映会and講演会に私も行こうと思っていたのだが、事前予約が必要なことを当日の朝に知り、あわてて電話で問い合わせたら既に定員オーバーで、参加できなかったのだ。自分のチェックが甘かったことが悔しく、見られなかったことがとても残念である。今度チャンスがあったら、絶対に見逃したくない。「アミティ」については、随分前に何かの機会で知っていた。(何かのフォーラムか研修会だったかな・・)その時に、アミティの活動紹介ビデオを見て、とても感銘したことを覚えている。このプログラムを受けた人の再犯率は、何と26%だという。アリゾナ州では、社会復帰した受刑者の8割が再犯するといわれる現実からすると、この再犯率の低さは驚異的と言える。私は、現在の受刑制度にこの方法を取り入れることを真剣に考えて欲しいと望んでいる。しかし、これほどの実績があるプログラムなのに、まだ支援団体の活動にとどまっているという事実が、司法制度改革の様々な点での壁の厚さを証明するのだろう。詳しくは、リンクしたホームページを見ていただきたいが、新聞に書かれている次のコメント(1981年にアミティを創設したアービータさんの言葉)を転記しておきたい。彼女は、10代でレイプ被害に遭った後、様々な事件を起こして刑務所を出入りした経験者である。「この世では加害者と被害者が明確に区別されているが、実はコインの裏表にすぎない。人はかつて自分が受けた痛みときちんと向き合わない限り、他人にも同じような痛みを繰り返し与えてしまう。その悪循環を断ち切るお手伝いをしています」
2004年09月16日
コメント(11)
あのアメリカの同時多発テロ事件から三年目のこの日、以前から見たかった「華氏911」を見た。近くのシネコンに行ったのだが、意外なほど客席はすいていた。各地で上映が始まってからしばらくたつので、もう見たい人は見てしまったということか・・。児童福祉に関係する仕事をしている友人と二人で行ったので、上映を待つ間は、昨今の児童虐待をめぐる動向や、虐待の連鎖の話など、彼女が研修などで知ったことを聞きながら、ヒソヒソ話をしていた。非行や事件を起こす青少年の多くが「虐待」を受けているという。私は、虐待体験を持っていても虐待の連鎖を断ち切り、キチンと社会性をもって生きている「サバイバー」になる要因を知りたかった。それを聞くと、「サバイバーのほとんどは、たとえどんなに虐待を受けていても、長年にわたってその人を励ましたり見守ったりしている人がいる」ということに、私はとても納得した。そして、そのようなサバイバーは、同じような被害を受けている青少年などの支援者になっていることが多いという。そのような話をしたところで、映画が始まった。この映画を見るまでに、色々な人の日記などで 「華氏911」に対する私なりの予測はついていた。だから、内容についてはことさら驚くことではなかったけれど、このようにバーンと見せられると、「ウーム」となってしまう。アメリカの自由と民主主義とは、このような階層構造による差別が背景にあるのだということ。資本主義社会とは、必ずと言って良いほど、このような側面があるのだろう。そして、もがいても努力しても上の階層へと行けない者は、今生きてゆくために、自分なりの意味づけや動機付けへの正当な理由が必要で、支配するもの、権力のあるものは、その意識を巧妙に利用しているのだ。マイケル・ムーアは、あの映画で「反ブッシュ」の姿勢を鮮明にして、彼の正体を暴いているように思う。この映画は、ドキュメンタリーという手法で、観客に判断を任せるというよりも、一つの考え方を主張しているように私は感じた。そのことを、ドキュメンタリー映画としては行き過ぎ、あるいは偏りすぎと感じる人もいるだろう。しかし、私はこの映画を作ってくれたマイケル・ムーアにとても感謝する。なぜなら、私達が知らない(知らされない)事実を、はっきりと示してくれたからだ。彼の映画が偏っている(小泉首相もそう言っていた)とするなら、私達が日常提供されている情報も、相当偏っていて、かつ操作されているようだ。私達は、得た情報によってしか考えたり判断することはできないのだから。映画が終わった後、友人も私も、重い気持ちでしばし無言が続いた。これはアメリカのことではあるが、つまりは日本のことでもある。私の気持ちがドーンと重くなったのは、まずそのことによる。米軍に入隊する青年達の事情と、自衛隊に入隊する若者達の事情は無関係ではな。不安を押し殺してイラクに家族を見守った家族の気持ちも、同じようなものだろう。幸いにして、まだ日本は「憲法九条」があり、戦闘行為に自ら突入することに歯止めはかけられている。しかし、憲法違反を犯してまで戦闘行為が続く地域に自衛隊を派遣しなくてはならないのは、アメリカがイラクを(理由を無理にでも見つけて)攻撃しなくてはならなかった事情と、地下ではしっかりと繋がっているだろう。それがわかっていても(というより強く意識しているからこそ)、あえて知らないフリをして、「人道支援、国際協調」などという仮面をかぶり続けなくてはならない。小泉首相がこの映画を見たくないのは、「偏っている」からではなくて、隠されている(隠している)ことを見せ付けられ直視するのが怖い(不快)だからだろう。まあ、あの映画を堂々と見て、能面のような表情で「あれは監督がそのように描いたものですから。映像作家って、大したものですね」なんてツラッと言うより、まだ少しは人間的な良心が残っているのかも・・(と思いたいが)。【追記】あの映画を見て、もう一つ思ったことを書いておく。アメリカの大統領がブッシュ以外の人になったら、世界はもっと平和になるのだろうか。もう少し上手に、もう少し賢く、批判をかわしたりすることは出来るだろう。しかし、社会構造や人間の価値観そのものを変えようとしない限り、多分方向性はさほど変わらないのではないか。それは、いくら権力を持ったとしても、大統領にはできないことだ。それができるのは、誰か。私はやはり、一人一人の人たちの心の底からの願いや祈りだろうと思う。その「希望や祈り」に裏打ちされた、一人一人の行動が結びついてこそ、変化へのパワーになるのだと思う。それは、「人間」という生物が本質的に求めることでなくては、人間の作る社会の変化をもたらす力にはならない。動物にはなくて人間にだけあるもの。それをもっともっと大切にしなくてはならないと思っている。(9月13日/記)
2004年09月11日
コメント(4)
全165件 (165件中 101-150件目)